「病み上がり」発言に小池百合子の本性を見る。
小池百合子の「病み上がり」発言が波紋を呼んでいる。
鳥越俊太郎をさして、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」という街頭演説。これは、明らかに「失言」である。冷静に考えれば言うべきではなかったこと、言ってはならないことを、うっかりと場の勢いで口にしてしまったということだ。
実は、練りに練ったタテマエとしての発言ではなく、失言にこそホンネがあらわれる。隠している人間性が露呈する。もうすこしはっきり言えば、本性が見えるのだ。
私自身が肺がんの病歴をもっており、背に7寸の手術痕を持つ身なので、小池発言には過敏とならざるを得ない。小池百合子という人物の本性は、政敵を「病み上がり」と表現することが有効な攻撃材料になると心底で思っていること、それを口に出すことをはばからないということから見て取れる。決定的に優しさに欠ける。病者に対するいたわりのこころがない。これは、社会的弱者一般に対する姿勢に通じるものであろう。
実は、失言にはもう一つの側面がある。失言を咎められたときに、どう対応するかである。ごまかすか、居直るか、あるいは率直に非を認めて謝罪するか。この点でも、人間性がはかられる。本性が現れるのだ。
昨日(7月19日)のフジテレビ・番組でのやり取りを下記のとおり、日刊スポーツが報道している。
鳥越氏が小池氏にかみ付いた。
鳥越氏 小池さんは街頭演説の中で、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」と言われましたか。
小池氏 言ってないですね。
鳥越氏 ここに証拠がある。日本テレビのニュース番組でテロップが入っている(テレビ番組の画像のコピーを見せる)。
小池氏 でも、今、お元気になられてるじゃないですか。
鳥越氏 こういうことをおっしゃったかどうか聞きたいんですよ。
小池氏 記憶にないですよ。
鳥越氏 まあ、実際にはテロップに出てますからね。
小池氏 それは失礼しました。
鳥越氏 これはガン・サバイバーに対する大変な差別ですよ。偏見ですよ。
小池氏 もし言っていたならば、失礼なことを申しあげました。
鳥越氏 失礼で済まされますか。僕に対する問題じゃない。ガン・サバイバーは何十万、何百万といるんですよ。そういう人たちに「1回がんになったら、あなたはもう何もできないんだ」と決めつけるのは…。
小池氏 いや、そこまでは言ってないですよ。それを決めつけているのは鳥越さんでしょ。これが選挙なんですよ、坂上さん。
司会の坂上忍 急に僕に振られましたね。
鳥越氏 病み上がりというレッテルを人にはって、差別をする。ガン・サバイバーは何もできないというイメージを与える。
小池氏 そこまで広げて言っておりません。大変お気遣いをしているわけです、鳥越さんに対して。
鳥越氏 え?
小池氏 これから長い(選挙戦の期間)がありますから。逆に言えば、そこの部分しかご質問はないんですか。(以下略)
以上の発言経過が、見事なまでの不誠実きわまる対応の典型パターンとなっている。
まずは、発言自体を否定する。
次に、「記憶にない」と言い逃れを試みる。
証拠を突きつけられると「もし言っていたならば」という条件をつけて、「失礼」の程度でかわそうとする。
発言の悪質さを指摘されると、記憶にないはずの発言の真意を取り繕う。
さらには、自分の失言の指摘自体を不当とし攻撃する。
以上の討論で、小池百合子は「病み上がり」発言に対する反省は絶対にするものか、という姿勢を見せた。二度、その本性を見せつけたことになる。
それにしても、小池の「これが選挙なんですよ、坂上さん。」は、意味深で、小池の政治観選挙観を表すものではないだろうか。「これが選挙」という発言には、社会的な道義や良識からは許容されない発言も、選挙ならば、あるいは政治ならば許される、というダブルスタンダードの論理を読み取らざるを得ない。「坂上さん」は有権者の代表と解してよい。小池は有権者に、こう語りかけたように思われる。
「なんであれ相手の弱点を攻めあうのが、政治であり選挙なのだ。相手候補がガンの病歴あれば、これを攻撃材料とするのは当然ではないか」
あるいは、
「この程度の失言攻撃にオタオタすることなく嘲笑してみせるのが、選挙戦というものではないか。それができなくては政治家ではない」
小池百合子の本性を見据えるとともに、今後はこの候補者の発言を、選挙特有のダブルスタンダードではないかと警戒しなくてはならない。
(2016年7月20日)