天皇制との対峙なくして主体性の確立はない
天皇制に関する書物にはしっかり目を通したいと思いつつ、なかなか思うとおりにはならない。ようやく、話題の阿満利麿「日本精神史: 自然宗教の逆襲」(筑摩書房・2017年2月刊)を一読した。広告文の「渾身の書き下ろし」はまさしくそのとおり。しかも、書名の硬さには似ない読みやすい文体。
問題意識が鮮明で、その問題に肉薄して、解決策を探るという構成。
全7章のうちの問題提起部分が、第1章「無常観とニヒリズム―日本人の歴史意識」と第2章「人間宣言―日本人と天皇」。この本の書き始めが天皇についての叙述。天皇を描いて、これを奉っている日本人の精神構造が問題視される。
第1章第1節の表題が「天皇の責任」。ここで、天皇の無責任が語られる。同時に、天皇の無責任を許容している日本人の精神性があぶり出される。素材として取り上げられているのは、写真で有名な、東京大空襲で被災した深川地域を視察する昭和天皇である。堀田善衛は、富岡八幡宮の近くで、たまたまこのときの光景を目撃して衝撃を受ける。彼が目撃したのは、天皇だけでなく、天皇に接した被災者民衆でもあった。
やや長いが、どうしても引用しておきたい。「日本精神史」と表題する本書の冒頭を飾るにふさわしい、奇っ怪きわまる異常事なのだから。
「茫然とあたりをさまよった堀田が、ふたたび富岡八幡宮へ戻ったところ、わずかの間に焼け跡が整理され、憲兵が随所に立っている。やがて、外車の列が永代橋の方角からあらわれて、近くに止まった。車のなかから天皇がおりてきた。自動車も彼の履く長靴もピカピカに磨き上げられており、天皇は『大きな勲章』もぶらさげていた。役人や軍人が入れ代わり立ち代わり最敬礼をして、報告か説明をくり返している。
堀田は記す。『それはまったく奇怪な、現実の猛火とも焼け跡とも何の関係もない、一種異様な儀式……と私に思われた』、と。それだけではなかった。この『儀式』の周りに集まってきたかなりの人々が、思いもかけない行動を起こしたのだ。
彼らは、それぞれが持っていた鳶口やシャベルを前において『しめった灰のなかに土下座をした…(そして)涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして…』と口々に小声でつぶやいていた、というのである。
私は本当におどろいてしまった。私はピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴とをちらちらと眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものなのだろう、と考えていたのである。
こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法はないものか、と考えていた。ところが責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることになる! そんな法外なことがどこにある! こういう奇怪な逆転がどうしていったい起り得るのか!
天皇という、戦争を引き起こした責任者を前にして、その被害者である人民たちがどうして天皇に謝らねばならないのか。しかも、その謝り方は『生命をささげ』てというのである。それを聞いた堀田は、『ただ一夜の空襲で10万人を越える死傷者を出しながら、それでいてなお生きる方のことを考えないで、死ぬことばかりを考え、死の方へのみ傾いて行こうとするとは、これはいったいどういうことなのか? 人は、生きている間はひたすら生きるためのものなのであって、死ぬために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸でなければならないようなふうに政治は事を運ぶのか?」、と憤る。
この「天皇にかしずく精神」が、アキラメ主義、事大主義、附和雷同、長いものには巻かれろ、社会的同調圧力、非国民などの言葉で語られる。「どうやら、天皇信仰を生み出す分厚い土壌が日本人の精神には堆積しているのではないか。その分厚い土壌を明らかにしないと、いつまでたっても、天皇信仰は存続し、事大主義は生きながらえ、主体性の確立など夢のまた夢といわざるを得ない」。この、天皇制を生み出し、天皇制を支える精神を、筆者は「自然宗教」という言葉で説明している。そして「自然宗教」に対置されるのが、「普遍宗教」である。
通例、宗教は「民族宗教」と「創唱宗教」とに分類される。「自然宗教」と「普遍宗教」との対置に似てはいるが、「創唱宗教」がすべからく「普遍宗教」ではない。普遍宗教とは、すべての民衆を貴賤男女の差別なく平等に救うことを明確に意識している宗教であり、その宗教は必然的に俗世の権威を否定することになる。そして、普遍宗教こそが、国家や集団の宗教ではなく純粋に個人の宗教である。そのような宗教こそが、個を重んじ、主体性の確立につながるという。有り体に言えば、普遍宗教こそが天皇制に屈しない国民精神の主体性を形づくる。少なくも、天皇に代表される現世の支配者の権威を相対化する精神となる。
はたしてそのような宗教がかつて日本にあったか。筆者は「あった」という。名を挙げられるのが、法然であり、浄土宗である。最近、法然が注目されているようだ。9条の精神の体現者としてだけでなく、徹底した差別否定論者で、天皇の権威と無縁だった人としてということらしい。
法然以前の仏教教団はすべて、天皇の裁可によって成立したものだという。仏教とは、伝来以来鎮護国家の宗教であり、国家の民衆に対する権威的精神統治に一役買う存在でもあった。仏教と国家との紐帯の象徴が天皇の裁可であったが、法然は朝廷を無視して、「浄土宗」を一方的に宣言した。民衆の側に立った法然には朝廷の権威は目に入らなかったのだろう。これが、既成教団からの反発を買い、朝廷からの大弾圧を受けることとなった。名高い「承元の法難」である。
しかし、結局は、普遍宗教は育たなかった。「浄土宗」も、法然亡き後は権力に屈して既成教団化していく。筆者の立場からは自然宗教だけが残ったということになる。日本の歴史では、「法然以来100年」が普遍宗教成立のチャンスだった。それが潰えてからは、形だけの創唱宗教は残ったが、その実質は祖先崇拝であったり、現世利益であったり、共同体信仰であり、血筋(貴種)信仰であって、天皇を神とすることに抵抗の無い「自然宗教」であったという。
だから今なお、天皇を神と観念する日本人の精神構造は健在なのだ。これを払拭せずして、日本国憲法が想定する主権者たる国民の創出はないだろう。国民主権あるいは民主主義と、天皇制との角逐を意識せざるを得ない。「普遍宗教」に代わって、「近代立憲主義」を徹底する必要があるだろう。多様性を尊ぶ教育によって理性にもとづく自立した主体性を確立した個人を育てよう。天皇に「申し訳ありません」などと言う国民を、再びつくり出さないために。
(2017年8月22日)