アベシンゾーの「壊憲ことはじめ」
本日(1月4日)は、官庁の仕事始め。首相アベシンゾーは、さっそくの憲法違反ことはじめ。伊勢参拝と参拝後の年頭記者会見での発言と。
首相の伊勢神宮参拝は明らかな違憲行為である。
各メディアが報じるところによれば、安倍晋三首相は本日(1月4日)午後、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝した。どのように肩書記帳をしたか、公用車を使ったか、新幹線や近鉄の乗車料金は公費か私費か。メディアは関心事として報道していない。しかし、随行者を伴った参拝をし、直後に神宮司庁で総理記者会見までしているのだから、公的資格においての参拝であることは明らかで、憲法20条3項に定める政教分離違反と考えるしかない。
政教分離とは、「政」(公権力)と「教」(宗教)との癒着の禁止である。公権力との間に分離の壁を隔てることを要求される「教」とは、形式的には諸々の宗教一般であるが、実質的に日本国憲法が警戒するものは神道施設である。なかんずく、伊勢と靖国にほかならない。
かつて民族信仰として存在していた神社神道が、天皇崇拝の祭儀と結びついて、国家神道となった。正確に言えば、明治政府によって拵え上げられた。国家神道とは、天皇を神の子孫であるとともに現人神として崇敬し、かつ天皇を神の司祭とする「天皇教」をいう。
幕末、「天皇教」は一握りの為政者のイデオロギーに過ぎなかったが、150年前に維新政府ができたとき、臣民意識の教導の有用な道具として徹底して活用された。為政者が創出した信仰だから、為政者自身が信仰心を持っていたわけではない。しかし、天皇を神として崇拝すべきことは、学校と軍隊を通じて臣民に叩き込まれ、人格を支配した。こうすることで、対内的な統合作用を形成するとともに、対外的には選民意識、排外主義の涵養に重要な役割を果たした。
敗戦によって、ようやくにして日本は神の国から普通の国になった。天皇教の信徒であった臣民は解放されて主権者となった。しかし、天皇教の祭神であり教主であった天皇は天皇のまま生き残った。76年もの間、天皇制権力が臣民に叩き込んだ天皇崇敬の念は容易に消えず、再度天皇が神の位置に戻らぬとも限らないと懸念された。
この懸念に歯止めを掛けた装置が日本国憲法の政教分離規定である。従って、公権力が、近づいてはならぬとされるのは、何よりも天皇の神社なのである。その代表格が、アマテラスを祭神とする天津神社の筆頭である伊勢であり、天皇の軍隊の戦死者を祭神とする軍国神社靖国なのだ。
いうまでもなく伊勢は天皇の祖先神を祭神とする神宮として神社群の本宗の位置を占めている。公権力は、他のどんな宗教施設よりも、伊勢と癒着してはならない。本日のアベの伊勢詣では、違憲のことはじめなのである。
歴代首相による新春の参拝は毎年恒例とも報じられているが、漫然と違憲行為が積み重ねられているということに過ぎない。ならぬものはならぬのであり、違憲はあくまで違憲である。
なお、参拝には、野田聖子総務相や林芳正文部科学相、世耕弘成経済産業相らとともに、話題の加藤勝信厚生労働相も随行したという。加藤勝信の厚労相就任は、アベのオトモダチ人事の典型だが、大型消費者被害をもたらしたジャパンライフ事件のフィクサーとして今年のアベ政権の「顔」になるはずの人物である。
そして、2つ目の壊憲行為は伊勢での年頭記者会見における発言の内容である。
官邸のホームページに、本日(1月4日)の「安倍内閣総理大臣年頭記者会見」における発言内容が掲載されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0104kaiken.html
まず、【安倍総理冒頭発言】がある。アベ個人ではなく、自民党総裁としての発言ではない。明らかに、総理としての発言。これがかなり長い。
最後の方に、唐突に不思議なパラグラフが出て来る。
「この国の形、理想の姿を示すものは憲法であります。戌年の今年こそ、新しい時代への希望を生み出すような憲法の在るべき姿を国民にしっかりと提示し、憲法改正に向けた国民的な議論を一層深めていく。自由民主党総裁として、私はそのような1年にしたいと考えております。」
取って付けたかのごとき「憲法改正」への言及。ところが、これが「自由民主党総裁として」の発言ということにされてしまう。総理年頭記者会見を改憲宣伝の場にしてはならない。
憲法への言及は「憲法改正に向けた議論を深めていく」というだけ。人権や民主主義や国際平和や、生存権や平等について行政府の長としてしっかり憲法を遵守するという話は出て来ないのだ。
質疑応答は少しも面白くない。切り込むところがない。それでも、アベはこんなことを言っている。
「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであります。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本理念は今後も変わることはありません。その上で、時代の変化に応じ、国の形、在り方を考える、議論するのは当然のことだろうと思います。大いに議論すべきだと考えています。
? そこで私は、昨年の5月、それまで停滞していた議論の活性化を図るために一石を投じました。事実、その後、党内での議論は活発になったと思います。具体的な検討は党に全てお任せしたいと考えています。」
心得違いも甚だしい。「時代の変化に応じ国の形、あり方を考える議論をするのは当然のこと」ではない。憲法は、主権者から公権力を預かる者に対する命令なのだから、首相アベは憲法の枠内でしか動いてはならない。それが憲法99条が明示する公務員の憲法尊重擁護義務というものだ。憲法改正の発議を首相がする権限はない。改正論議を呼びかけるのも越権だ。改憲発議は、国民の意向を受けた国会がするものではないか。
首相として、憲法遵守の発言なく、改憲にのみ言及した本日の伊勢での年頭記者会見。新年からアベ発言には憲法を粗略にする驕りが見える。それを許している国民の側に緩みが見える。気をつけよう、アベ改憲と暗い道。気を緩めてはならない。
(2018年1月4日)