澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

アベノサクラ音頭(または、アベノギワク音頭)

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  梅は咲いたか
  桜はまだかいな
  アベノサクラは 散りはじめ
  こいつは春から縁起がよい

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  募っちゃいるけど 募集じゃない
  合意したけど 契約ない
  責任あるけど ことばだけ
  間違ったけど ウソじゃない

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  自分のウソはたなにあげ
  人には「ウソツキ」 面罵する
  嘘つきの「ウソツキ」呼ばわり
  そりゃウソだ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  総理稼業は気楽なものよ
  こんなワタシで務まるの
  みんなソンタクしてくれる
  アベ方式でハイドウドウ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  この世はわが世と思ってた
  一強他弱の昨日まで
  一夜明けたら こりゃどうじゃ
  みんな意地悪 いじめっこ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  外交内政実績ない
  総理のやること信頼ない
  憲法改正できっこない
  ないないづくしにきりはない

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  もり・かけ・サクラ
  カジノにテスト
  こんな内閣ミゾユウだ
  こんな総理もデンデンさ  

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  アベは散ったか
  アキエはまだかいな
  アベとアキエとオトモダチ
  春の夜の夢の見おさめ

 ア コリャ
 ア ドッコイ

  新宿御苑に桜が咲かば
  思いおこせよ アベ疑惑
  歪んだ政治があったこと
  汚れた総理がいたことを

 ア コリャ コリャ
 ア ドッコイ ドッコイ

(2020年2月6日・連続更新2502日)

検察庁よ、安倍官邸の走狗となるなかれ。走狗となると見られることを拒否せよ。

昨日(2月4日)の衆院予算委員会審議。さすがに野党のエース級を揃えた質問陣。聞かせる質疑が続いた。指摘されている内容はまことにもっともなことばかり。こんなに重要な問題を抱えながら、どうして安倍政権が倒れずに持ちこたえているのか、不思議でならない。

一瞬頭をよぎる。安倍晋三が退陣して忖度の必要がなくなった途端に、数多くの安倍疑惑について、「実は、あの件はこうだった」という関係者の真相告発が相次ぐことになるに違いない。そのような「安倍疑惑」の一つとして、安倍内閣による検事総長ゴリ押し人事のたくらみがある。忖度を期待できる黒川弘務・現東京高検検事長を、前例のない定年延長までして検事総長に押し込もうというのだ。

現職の検事総長稲田伸夫は、政権に忖度の態度を見せない。自ら退官しましようと言わないのだ。だから、本来なら黒川弘務は東京高検検事長で定年を迎えて、検事総長の目はない。ところが安倍内閣は、1月31日閣議をもって黒川弘務東京高検検事長の定年を延長した。前代未聞のことで「安倍政権の指揮権発動」との声さえある。形としては主務大臣として森法務大臣が請議(閣議への提案)しており、質問の矢面に立たされているが、明らかな官邸人事である。それも、強引というだけでなく、違法のおそれ濃厚である。

立憲民主党の本多平直議員の質問が、この件の問題点を浮き彫りにしている。これを以下のように、読み易く整理してみた。

○本多平直委員 第二次安倍政権のこの間、国家公務員の人事が、非常に恣意的に行われてきた。そのことがいろいろな不正・そんたくの温床になってきたんじゃないか。

 総理の思うとおりの異次元の金融緩和をやるために日銀の総裁をかえ、憲法違反の安保法制を通すために内閣法制局長をかえ、NHKの会長も変えた。ここだけは中立にやってねというところを、恣意的にかえてきた。それに加えて、最後の最後は、検事総長。この人事を都合よくやろうとしているんじゃないか。

黒川弘務さんという東京高検検事長の定年が延長された。これは、今の検事総長がやめるまで待って、この7月末か8月あたりに検事総長に据えるために前例のない定年延長の人事をしたのではないか。

この黒川という人、報道によれば「官邸の門番」「官邸の代理人」「官邸の用心棒」と、こういう評価をされている。にもかかわらず、違法とも言われる延長人事をやった。

○森まさこ法務大臣 違法との指摘は当たりません。また、黒川検事長については、報道やネット上の評判ではなく、検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、法務大臣から閣議請議を行って閣議決定をされ、引き続き勤務させることとしたものであり、ご指摘は当たらないものでございます。通常もそうでございますが、具体的な人事については詳細なお答えは差し控えさせていただいております。

○本多委員 安倍政権になってからの検察は、不起訴の連続なんですよ。
 まず、小渕優子元経済産業大臣の政治資金規正法違反、数億円ですよ。秘書は証拠になるパソコンにドリルで穴をあけて、この話、御本人は起訴されず、秘書が二人起訴されただけ。松島みどり元法務大臣、うちわを選挙区で配った話も不起訴。甘利明元経済再生担当大臣、UR、都市再生機構への口きき疑惑、大臣室で50万円、事務所で50万円、合わせて100万円を受け取った、これも不起訴。そして、下村博文元文科大臣。いろいろな容疑で告発をされているんですよ。
 例の加計学園からのパーティー券200万円不記載、不起訴ですよ。そして、きわめつけは森友学園、これの佐川宣寿元財務局長、この人を始め38人不起訴なんですよ。もっと一個一個にちゃんと怒っておくべきだった。つい先日の上野宏史厚生労働大臣政務官、外国人労働者在留資格口きき疑惑、どこへ行ったんですか。あなたが今度検事総長にしようとしているこの人は、この間ずっと法務行政の中心にいたんですよ。法務省の官房長であり、法務省の事務次官。この第二次安倍政権になってからの検察の仕事ぶり、この7年間、こういうのが続いている。

 だから、みんな疑っている。こんな異例の人事をしたのは、今検事総長を務めている方がやめて、その後任にするためにこうしていると疑っているから、そうじゃないというんだったらそう言ってください。

○森大臣 高検の黒川検事長について任期を延期したことが将来の人事を理由とするものではないかという御質問でございますが、先ほどお答えしましたとおり、今回の任期の延長は検察庁の業務遂行上の必要からしたものであって、将来の人事についてを理由にするものではございません。

○本多委員 国民の皆さんにぜひ覚えておいていただきたい。7月末から8月、オリンピックでにぎやかなときに、この黒川弘務さん、こういう恣意的な形で、官邸の番人だ何だと言われている人が、こういう異例な人事を無理やりやって、検事総長にならないことを心から祈りたい。

総理も聞いてください。日銀総裁だ内閣法制局だという、独立性がほかより要求される人事をごり押しし、前例のない形で裏わざを使う。私は違法だと思いますが、森大臣の言うとおりだとしても裏わざなんですよ。こういうことはしない方がいいと思いませんか、総理。

○安倍内閣総理大臣 日本銀行の総裁については、まさに三本の矢の中で……(本多委員「聞いていませんよ」と呼ぶ)では、済みません、やめます。国会の御承認をいただいたということでございますが、人事については、あくまで一般論として申し上げれば、検察官の任命権は法務大臣又は内閣にあるところでありますが、その任命権は適切に運用されるべきものだと考えております。

○本多委員 ぜひこんなイレギュラーな形で無理やり人事をねじ曲げるようなことをしないでほしい。

 森まさこ法務大臣は一応法律家ですよね。だからといって、素人を煙に巻くようなふざけた答弁をしないでほしい。「逐条国家公務員法」の解釈によると、勤務延長が認められる者は、同法181条の2第1項の規定により定年で退職することとなる職員であると書いているんですよ。ということは、検察官、東京高検検事長は含まれない。延長ができないじゃないですか、閣議決定は違法じゃないですか。

○森国務大臣 これにつきましては、検察官は一般職の国家公務員でありまして、今御指摘の(国家公務員法の)条文が当てはまり、勤務延長について、一般法たる国家公務員法の規定が適用されるものと理解されます。

○本多委員 森まさこ法務大臣のような人が、法律家であることをかさに着て、素人をだまさないためにこういう本(逐条解説)があるんですよ。この本には反しているということでいいですね。

○森大臣 勤務延長につきましては、一般法たる国家公務員法の規定が適用されるものでございます。勤務延長について、検察庁法上特段の規定が設けられておりません。勤務延長については国家公務員法の規定を使わないということが特に記載されておりませんので、一般法の国家公務員法に戻りまして、勤務延長が適用されると理解されます。

○本多委員 これは法律家の中でもたくさん異論がありますよ。大臣の読み方はおかしいと言う人はたくさん出ています。これは、そもそも政治的におかしい。そして、違法なんですよ。これまでこんな前例はない。仕事の途中だから定年できないなんていったら、どんな国家公務員も定年できなくなる。よっぽど特殊な、その人しかできない、そういう業務をやるときだけ定年が延長される。それを、本来は定年の延長なんか禁止される検察官に、7月末から8月に検事総長の人事を恣意的にやろうとしているというとんでもない話。ぜひやめていただきたいということを強く申し上げておきたいと思います。

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安倍内閣は、黒川検事長を検事総長にしてはならない。信なくば立たず。刑事司法は、国民の検察に対する信頼なくしては成り立ち得ない。安倍政権の走狗と国民に見なされる検事総長のもとでは、検察の信頼は死滅する。これは、そのような深い根をもった事件なのだ。

なお、関係する条文を掲出しておきたい。

検察庁法第22条
「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」

同法第32条の2
「この法律…第22条…の規定は、国家公務員法の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする」

国家公務員法81条の3(定年による退職の特例)
「第1項 …その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、…その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」

人事院の解説

1 勤務延長(国公法第81条の3)
(1) 定年退職予定者が従事している職務に関し、職務の特殊性又は職務遂行上の特別の 事情が認められる場合に、定年退職の特例として定年退職日以降も一定期間、当該職務に引き続き従事させる制度
? 勤務延長を行うことができるのは例えば次のような場合
例 定年退職予定者がいわゆる名人芸的技能等を要する職務に従事しているため、その者の 後継者が直ちに得られない場合
例 定年退職予定者が離島その他のへき地官署等に勤務しているため、その者の退職による 欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な支障が生ずる場合
例 定年退職予定者が大型研究プロジェクトチームの主要な構成員であるため、その者の退 職により当該研究の完成が著しく遅延するなどの重大な障害が生ずる場合

(注) 留意点
? 勤務延長の要件が、その職員の「退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる 十分な理由があるとき」と限定されており、活用できる場合が限定的
? 「当該職務に従事させるため引き続いて勤務させる」制度であり、勤務延長後、当該職員を 原則として他の官職に異動させることができない。

(2020年2月5 日・連続更新2501日)

連続更新2500日目、あらためて自民党「憲法改正草案」を斬る。

当「憲法日記」の掲載は、2013年4月1日に毎日連続更新を広言して始めた。以来、連続更新を続けて、本日が2500日目となる。節目の日にふさわしいテーマを探して、「自民党憲法改正草案批判」とした。これまでも批判はしてきたが、今の時点での厳しい批判を試みたい。

自民党のホームページに、下記のコーナーがある。ここに、自民党「改憲草案」の総括的な解説が掲載されており、総括的な批判に便宜である。

「憲法改正草案」を発表(平成24年4月)
https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html

自民党「憲法改正草案」は2012年4月27日に発表された。同党が、民主党に敗れて政権の座を明け渡している間のことである。無防備にホンネを語ったものとして、貴重な資料である。以下の赤字は自民党の記事青字が私の批判である。

「自主憲法の制定」は自民党の使命
 わが党は、結党以来、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げてきました。占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため、自民党は、これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してきました。

 その自白のとおり、自民党は日本国憲法が大嫌い。何とか変えてしまいたいのだ。どこが嫌いか。国民主権も、平和主義も、人権の尊重も大嫌い。できればなくしたい。今の世にそれは無理だが、現行憲法の理念をできるだけ薄めたものにしてしまいたい。
 では、自民党はどんな憲法が好きなのか。一つは、大日本帝国憲法である。天皇を押し戴き、強い軍隊を持って、億兆心を一つにした統制のとれた国家を肯定する憲法。そして、もう一つが、企業が何の規制もなく恣に行動の自由を謳歌できる憲法である。権威主義と大国主義、それに新自由主義がないまぜにされた憲法イデオロギー。それが自民党が目指す方向なのだ。
 永く臣民と貶められていた日本の国民は、敗戦によって天皇制の桎梏からようやくにして抜け出し、日本国憲法を手にした。自民党は、この憲法を「占領体制によって押し付けられた憲法」というのだ。「占領体制から脱却」とは、再び「日本を旧体制に戻す」こと。これを「主権国家にふさわしい国」と言っているのだ。だから、自民党のいう憲法「改正」とは、極端な「改悪」にほかならない。

サンフランシスコ講和条約から60年、憲法改正草案を発表
 わが国が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から60年になる本年(平成24年)4月、自民党は、新たに日本にふさわしい「日本国憲法改正草案」を発表しました。
 次期総選挙においても、「憲法改正案」の内容を世に問うていきます。今の民主党には、新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません。また、それ以外の政党を見渡しても、憲法問題を正面から、しかも体系的に取り扱っているところは見当たりません。我々は、過去も未来も、憲法を、そして、この国のあり方を提示するフロントランナーなのです。

 日本国憲法は、近代憲法の大原則を踏まえ、さらに現代憲法としての特質をも備えた、普遍性の高い憲法である。言わば、人類の叡智をその核心としている。自民党は、それが面白くない。普遍性を排斥して、「日本にふさわしい」憲法草案を作ったと、手柄顔をしているのだ。他党にたいする「新しい憲法による新しい国のかたちを国民に提示することなど永遠にできません」との批判は滑稽極まる。自民党こそは、「過去も未来も、立憲主義と近代憲法・現代憲法の理念を徹底して攻撃し、国民の基本権と、国民主権・平和主義をないがしろにし続ける張本人であり、頭目でもある」のだ。

諸外国の戦後の憲法改正(平成24年4月現在)
 世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正し、新たな課題に対応しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、第2次世界大戦で同じく敗戦したイタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行っています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。

 これこそ、安倍晋三得意の「印象捜査」である。これではまるで、憲法を改正することがよいことで、改正しないことが怪しからんような言い回し。
 諸国の「改正」は、片々たる些事についてのもので、日本では憲法を変えることなく、法律の改正で間に合うようなものばかり。なによりも、その「改正」の中身を吟味することなく、回数のみをあげつらうことは無意味である。自民党がたくらんでいるのは、「時代の要請に即した形での憲法改正」ではない。復古的な保守イデオロギーと、大資本の利潤追求の自由の要請なのだ。
 日本国憲法は、日本国民の意思として、戦後一度として改正させなかったことを誇るべきなのだ。保守化してきた時代の潮流に流されず,超大国アメリカや日本の保守勢力の恫喝や要請に抗して、これまで改憲を阻止してきた。これからも、自民党の望む方向の改憲を許してはならない。

日本らしさを踏まえ、自らが作る日本国憲法
 「日本国憲法改正草案」は、前文から補則まで現行憲法の全ての条項を見直し、全体で11章、 110カ条(現行憲法は10章及び第11章の補則で103カ条)の構成としています。 自民党の憲法改正草案が国民投票によって成立すれば、戦後初めての憲法改正であり、まさに日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。
 草案は、前文の全てを書き換え、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることなどを述べています。
 主要な改正点については、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、家族の尊重、環境保全の責務、財政の健全性の確保、憲法改正発議要件の緩和など、時代の要請、新たな課題に対応した憲法改正草案となっています。

 この表題が不正確だ。正確には、「天皇制国家へのノスタルジーを踏まえ、保守イデオロギーが作った、時代遅れ憲法」と言わねばならない。
 草案は、「前文の全てを書き換え」たという。日本国憲法前文の格調はなくなった。「日本の歴史や文化」の強調は、普遍的な憲法理念攻撃の言い訳である。保守派独特の「和を尊び」は、「毒にも薬にもならない」と看過してはならない。民主主義にとって明らかな「毒」なのだ。「家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている」は、まさしく清算したはずの封建イデオロギーそのものではないか。
 「国旗・国歌の強制」「自衛権の明記」「緊急事態条項の新設」「家族の尊重」「憲法改正発議要件の緩和」は、どれもこれも明らかな「憲法改悪」である。「環境保全の責務」「財政の健全性の確保」は、憲法改正を待つまでもない。すぐにでもね法律の制定をすればよいだけのこと。

「日本国憲法改正草案」の概要
(前文)
国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承しつつ、日本国の歴史や文化、国や郷土を自ら守る気概などを表明。

「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三つの原則を継承」は、実はそうなっていない。「国民主権」は、天皇の元首化と、天皇の憲法遵守義務を排除した点で、大きく揺らいでいる。「基本的人権の尊重」は、公共の福祉を強調したことによって大きく損なわれた。「平和主義」は、国防軍の保持を明記した点で潰えている。
しかも、この草案は、憲法のなんたるか、立憲主義のなんたるかを理解していない。国民に「国や郷土を自ら守る」責務を説いている点で、訳の分からぬのとなっている。

(第1章 天皇)
・天皇は元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴。
・国旗は日章旗、国歌は君が代とし、元号の規定も新設。

「天皇は元首」だと? まっぴらご免だ。「日の丸」「君が代」「元号」は天皇制を支える小道具なのだ。これを憲法に書き込ませてはならない。

(第2章 安全保障)
・平和主義は継承するとともに、自衛権を明記し、国防軍の保持を規定。
・領土の保全等の規定を新設。

古来、軍隊も戦争も、「平和を守るため」と称された。どの国も、平和のために軍隊を持ち、平和のためにやむを得ずとする戦争を繰り返してきた。その愚を断ち切ろうというのが、日本国憲法の平和主義であり9条である。自民党改憲草案は、この平和主義を全面否定しようということなのだ。

(第3章 国民の権利及び義務)
・選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定。
・家族の尊重、家族は互いに助け合うことを規定。
・環境保全の責務、在外国民の保護、犯罪被害者等への配慮を新たに規定。

「選挙権(地方選挙を含む)について国籍要件を規定」は、排外主義以外のなにものでもない。同じ土地に暮らし、同じく税の負担をする人びとを国籍で差別しようという、自民党の一番厭な差別主義を露呈している。
「家族の尊重」とは、家の復活のことである。家父長制が国家の礎となった、あの時代の悪夢の再来というしかない。
「環境保全の責務」「在外国民の保護」「犯罪被害者等への配慮」は、積極的に立法すべき課題。これをダシに改憲しようとは、さもしき根性。

(第4章 国会)
・選挙区は人口を基本とし、行政区画等を総合的に勘案して定める。

国政選挙における一票の重みの平等の実現は完全比例代表制で実現できる。選挙方法の工夫を抜きに、改憲の道具とすることを許してはならない。

(第5章 内閣)
・内閣総理大臣が欠けた場合の権限代行を規定。
・内閣総理大臣の権限として、衆議院の解散決定権、行政各部の指揮監督権、国防軍の指揮権を規定。

こんなつまらぬことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第6章 司法)
・裁判官の報酬を減額できる条項を規定。

自民党は裁判官の独立が嫌い。権力的干渉の足がかりを作っておきたいのだ。

(第7章 財政)
・財政の健全性の確保を規定。

赤字国債垂れ流しの張本人が、その防止のためとして憲法改憲を目論む。これは、ブラックジョークだ。

(第8章 地方自治)
・国及び地方自治体の協力関係を規定。

あってもなくても条文。こになことを口実に、軽々に改憲など許されるはずがない。

(第9章 緊急事態)
・外部からの武力攻撃、地震等による大規模な自然災害などの法律で定める緊急事態において、内閣総理大臣が緊急事態を宣言し、これに伴う措置を行えることを規定

これは、あってはならない邪悪で危険な条文。こんな憲法改悪は、絶対に許してはならない。

第10章 改正)
・憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和。

硬性憲法を、こんなに柔らかくしてしまってはならない。これでは、憲法が憲法でなくなってしまう。

(第11章 最高法規)
・憲法は国の最高法規であることを規定。

えっ? これまでは、憲法は国の最高法規でなかったとでも言うの? 現行憲法には国の最高法規性が規定されていないとでも言うの?

自民党は「憲法改正原案」の国会提出を目指しています。
 「国民投票法」の施行に伴い、「憲法改正案」を国会に提出することが可能となりました。わが党は、国民の理解を得る努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を実現し、憲法改正に向けて全力で取り組みます。

日本国民は「憲法改正原案」の国会提出をけっして認めません。
 まだまだ「国民投票法」は使える内容になっていません。今のような環境で「憲法改正案」を国会に提出することなどは到底考えられません。理性ある国民は、自民党を説得する努力を積み重ね、「憲法改正原案」の国会提出を決して許さず、憲法改正阻止に向けて全力で取り組みます。人権と民主主義と平和を守るために。

(2020年2月4日・連続更新2500 日)

「2020東京オリパラ」と「東京都ヘイト規制条例」

日朝協会の機関誌「日本と朝鮮」の2月1日号が届いた。全国版と東京版の両者。どちらもなかなかの充実した内容である。政府間の関係が不正常である今日、市民団体の親韓国・親朝鮮の運動の役割が重要なのだ。機関誌はこれに応える内容となっている。

その東京版に私の寄稿がある。これを転載させていただく。内容は「東京都ヘイト規制条例」にちなむものだが、「2020東京オリパラ」にも関係するもの。なお、オリンピック開会は、猛暑のさなかの7月24日である。その直前7月5日が東京都知事選挙の投票日となった。ぜひとも、都知事を交代させて、少しはマシなイベントにしたい。

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東京都ヘイト規制条例の誕生と現状

 2020年東京の新年は、オリンピック・パラリンピックで浮き足立っている。オリパラをカネ儲けのタネにしたい、あるいは政治的に利用したいという不愉快な思惑があふれかえった新春。あの愚物の総理大臣が「2020年東京オリンピックの年に憲法改正の施行を」と表明したその年の始めなのだ。

オリンピックには、国威発揚と商業主義跋扈の負のイメージが強い。国民統合とナショナリズム喚起の最大限活用のイベントだが、言うまでもなく、国民統合は排他性と一対をなし、ナショナリズムは排外主義を伴う。内には「日の丸」を打ち振り、外には差別の舞台なのだ。

もっとも、オリンピックの理念そのものは薄汚いものではない。オリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」という節があり、その1項目に、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」とある。

これを承けて、東京都はオリンピック開催都市として、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。これが、「東京都ヘイト規制条例」と呼ばれるもので、昨年(19年)4月に施行されている。

その柱は2本ある。「多様な性の理解の推進」(第2章)と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進」(第3章)。性的マイノリティーに対する差別解消も、ヘイトスピーチ解消への取り組みも、都道府県レベルでは、初めての条例であるという。しかし、極めて実効性に乏しい規制内容と言わざるを得ない。

オリンピックとは、これ以上はない壮大なホンネ(商業主義・国威発揚)タテマエ(人類愛・国際協調)乖離の催しである。都条例は、タテマエに合わせて最低限の「差別解消」の目標を条例化したのだ。しかしこの条例には、具体的な「在日差別禁止」条項はない。「ヘイトスピーチ違法」を規定する条文すらない。また、「在日」以外の外国人に対する差別については、「様々な人権に関する不当な差別を許さないことを改めてここに明らかにする」と述べられた一般理念の中に埋もれてしまっている。もちろん、罰則規定などはない。

オリンピック開催都市として、東京都の人権問題への取り組みをアピールするだけの条例制定となっている感があるが、それでも自民党はこれに賛成しなかった。「集会や表現の自由を制限することになりかねない」という,なんともご立派な理由からである。

条例のヘイトスピーチ対策は、「不当な差別的言動を解消するための啓発の推進」「不当な差別的言動が行われることを防止するための公の施設の利用制限」「不当な差別的言動の拡散防止するための措置」「当該表現活動の概要等を公表」にとどまる。

それでも、東京都は同条例に基づいて、10月16日に2件、12月9日に1件の下記「公表」を行った。

(1)5月20日、練馬区内での拡声器を使用した街頭宣伝における「朝鮮人を東京湾に叩き込め」「朝鮮人を日本から叩き出せ、叩き殺せ」の言動
(2)6月16日、東京都台東区内でのデモ行進における「朝鮮人を叩き出せ」の言動
(3)9月15日、墨田区内でのデモ行進における「百害あって一利なし。反日在日朝鮮人はいますぐ韓国に帰りなさい」「犯罪朝鮮人は日本から出ていけ」「日本に嫌がらせの限りを続ける朝鮮人を日本から叩き出せ」の言動

 公表内容はこれだけである。この言動を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動」であると判断はしたものの、街宣活動の主催者名の公表もしていない。

問題はこれからである。タテマエから生まれたにせよ、東京都ヘイトスピーチ条例が動き出した。これを真に有効なものとしての活用の努力が必要となろう。東京都や同条例に基づいて設置された有識者による「審査会」の監視や激励が課題となっている。また、ヘイトスピーチ解消の効果が上がらなければ、条例の改正も考えなければならない。

オリパラの成功よりも、差別を解消した首都の実現こそが、遙かに重要な課題なのだから。

(2020年2月3日・連続更新2499日)

新型肺炎の蔓延に便乗した「緊急事態条項新設」の改憲論議に最大限の警戒を

「火事場泥棒」とは最大限の悪罵である。災害に乗じて私利をむさぼろうという、さもしい性根が非難の的となる。「火事場泥棒」にとっては、被害者の不幸は眼中になく、火事は大きければ大きいほど好都合なのだ。

言うまでもなく、「火事」は新型コロナウィルス肺炎の蔓延であり、火事場からの盗取がたくまれているものは「緊急事態条項新設の改憲」である。そして、下記の方々に「火事場泥棒」という称号をたてまつりたい。

伊吹文明・元衆院議長、鈴木俊一・自民党総務会長、小泉進次郎・環境相、松川るい・自民党参院議員、中谷元・元防衛相、下村博文・自民党選対委員長、馬場伸幸・日本維新の会幹事長、百地章・国士舘大学特任教授。

彼らの言は、「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」「憲法に緊急事態条項があればこんなことにはなっていない!」「憲法に緊急事態条項があれば!」という類のもの。とりわけ、小泉進次郎のこの言を記憶にとどめておきたい。

「私は憲法改正論者だ。社会全体の公益と人権のバランスを含めて国家としてどう対応するか、問い直されている局面だ」

上記のリストに安倍晋三を加えるべきかどうか、躊躇と逡巡がある。彼は予算委員会での答弁では、新型肺炎についての言及は避け、「今後想定される巨大地震や津波等に迅速に対処する観点から憲法に緊急事態をどう位置付けられるかは大いに議論すべきものだ」と述べている。安倍晋三も、火事場のどさくさでの一働きを狙ってはいるのだが、さすがにまだ、自らは口も手も出せないのだ。

現行憲法が感染症対策に支障となっているとは、言いがかりも甚だしい。明らかに現行法制で十分に対応可能である。問題は、現行の法制が十分に使いこなせていないところにある。安倍内閣は後手後手の対応で危機管理能力の欠如を露わにしてきた。今、安倍晋三の取り巻きたちが、その失策を憲法の不備に責任転嫁し、人びとの困惑に乗じて、改憲の突破口を作ろうというのだ。これは、「悪用」「悪乗り」というレベルではなく、まさしく「火事場泥棒」と言わざるを得ない。

もともと、「緊急事態条項」とは、戦争や内乱あるいは大規模災害などの国家の《緊急事態》を想定し、国に対処の権限を集中させて、国民の基本権の制約を認める規定である。独裁国家ないし強権国家が悪用してきた歴史の教訓を踏まえて、日本国憲法にはまったく存在しない。人権擁護派は日本国憲法を当然とし、国家主義者はこれを不備とする。自民党の改憲草案には,次のように詳細な規定が盛り込まれている。

緊急事態に関する自民党憲法改正草案(要旨)
98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、緊急事態の宣言を発することができる」
99条1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
同条3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

さすがに現在自民党はこの改憲草案を表だって主張していない。現在の「安倍改憲改憲4項目」の内の緊急事態条項は、現在の憲法第4章「国会」の末尾に次の1か条を付け加えるというだけのものである。

第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。」

これでは、感染症対策とは無関係だ。しばらくは鳴りを潜めていた、自民党憲法改正草案の緊急事態条項案がまたぞろ、引っ張り出される危険性が高い。新型肺炎の蔓延に最大限の注意をしなければならないが、同時にこれに便乗した改憲論議にも、最大限の警戒をしなければならない。

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4年も前の、「緊急事態条項」に関する私の学習会レジメの抜粋を掲載しておきたい。参考になるところもあろうかと思う。
なお、詳細は、下記URLを参照されたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=6656

訴えの骨格は、次の諸点。
☆今、安倍政権は、解釈改憲を不満足として明文改憲をたくらんでいる。
☆その突破口が「緊急事態条項」とされている。
☆しかし、緊急事態条項は必要ない。
☆いや、緊急事態条項(=国家緊急権条項)はきわめて危険だ。
☆現行憲法に緊急事態条項がないのは欠陥ではない。
憲法制定者は緊急事態条項を危険なものとして意識的に取り除いたのだ。
☆意識的に取り除いたのは、戦前の旧憲法下の教訓から。
☆それだけでなく、ナチスがワイマール憲法を崩壊させた歴史の教訓からだ。
☆緊急事態条項(=国家緊急権条項)は、
整然たる憲法秩序をたった一枚でぶちこわすジョーカーなのだ。

レジメ《緊急事態条項は、かくも危険だ》

レジメの構成 同じことを3回繰り返す。骨格→肉付→化粧

第1章 スローガン編 ビラの見出しに、マイクでの呼びかけに。
第2章 肉付編 確信をもって改憲派と切り結ぶために。
第3章 資料編 資料を使いこなして説得力を

第1章 スローガン編
いま、緊急事態条項が明文改憲の突破口にされようとしている。
しかし、緊急事態条項は不要だ。「緊急事態条項が必要」はデマだ。
緊急事態条項は不要と言うだけではない。危険この上ない。
緊急事態条項の導入を「お試し改憲」などと軽視してはならない。
自民党改憲草案9章(98条・99条)が安倍改憲の緊急事態条項。
98条が緊急事態宣告の要件。99条が緊急事態宣告の効果。
緊急事態条項は、立憲主義を突き崩す。人権・民主々義・平和を壊す。
緊急事態とは、何よりも「戦時」のことである。⇒戦時の法制を想定している。
「内乱等社会秩序の維持」の治安対策である。⇒大衆運動弾圧を想定している。
緊急事態においては、内閣が国会を乗っ取る。政令が法律の役割を果たす。
⇒議会制民主主義が失われる。独裁への道を開く。
緊急事態条項は、国家緊急権を明文化したもの。
国家緊急権は、それ一枚で整然たる憲法秩序を切り崩すジョーカーだ。
国家緊急権は、天皇主権の明治憲法には充実していた。
その典型が天皇の戒厳大権であり、緊急勅令(⇒行政戒厳)であった。
ナチスも、国家緊急権を最大限に活用した。
ヒトラー内閣はワイマール憲法48条で共産党を弾圧して議会を制圧し、
制圧した議会で、悪名高い授権法(全権委任法)を成立させた。
授権法は、国会から立法権を剥奪し、独裁を完成させた。
最も恐るべきは、緊急事態条項が憲法を停止し、
緊急時の一時的「例外」状況が後戻りできなくなることだ。

第2章 肉付編
1 憲法状況・政権が目指すもの
☆解釈改憲(閣議決定による集団的自衛権行使容認から戦争法成立へ)だけでは、
政権は満足し得ない。
彼らにとって、戦争法は必ずしも軍事大国化に十分な立法ではない。
⇒現行憲法の制約が桎梏となっている。⇒明文改憲が必要だ。
☆第二次アベ政権の明文改憲路線は、概ね以下のとおり。
96条改憲論⇒立ち消え(解釈改憲に専念)⇒復活・緊急事態条項から
改憲手続(国民投票)法の整備⇒完了 各院に憲法審議会
そして最近は9条2項にも言及するようになってきている。

2 なぜ、緊急事態条項が明文改憲の突破口とされているのか。
☆東日本大震災のインパクトを利用
「憲法に緊急事態条項がないから適切な対応が出来なかった」
☆「緊急事態への定めないのは現行憲法の欠陥だ」
仮に、衆院が構成がないときに「緊急事態」が生じたら、
☆政権側の緊急事態必要の宣伝は、「衆院解散時に緊急事態発生した場合の不備」に尽きる。「解散権の制限」や「任期の延長」規程がないのは欠陥という論法。
しかし、現行憲法54条2項但し書き(参議院の緊急集会)の手当で十分。
☆それでも「お試し改憲」(自・公・民・大維の賛意が期待できる)としての意味。
☆あわよくば、人権制約制限条項を入れたい。

3 政権のホンネ
☆国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいもの
大江志乃夫著「戒厳令」(岩波新書)の前書に次の趣旨が。
「緊急事態法制は1枚のジョーカーに似ている。
他の52枚のカードが形づくる整然たる秩序をこの一枚がぶちこわす」
☆自由とは権力からの自由と言うこと。人権尊重理念の敵が、強い権力である。
人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義。
立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器が国家緊急権。
☆戦時・自然災害・その他の際に、憲法の例外体系を形づくって
立憲主義を崩壊させようというもの。

4 天皇制日本とナチスドイツの国家緊急権
☆明治憲法には、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限などの
国家緊急権制度が手厚く明文化されていた。
☆最も民主的で進歩的なワイマール憲法に、大統領の緊急権限条項があった。
ナチス政権以前に、この条項は250回も濫発されていた。
☆ナチス政権は、この緊急事態法を活用して共産党の81議席を奪い、
授権法(全権委任法)を制定して国会を死滅させた。
☆その反省から、日本国憲法は、国家緊急権(条項)の一切を排除した。
戦争放棄⇒戦時の憲法体系を想定する必要がない。
徹底した人権保障システム⇒例外をおくことで壊さない

5 自民党改憲草案「第9章 緊急事態」の危険性
☆旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しい⇔「戦後レジームからの脱却」
ナチスの授権法があったらいいな⇔「ナチスの経験に学びたい」
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは「国防軍」である。
☆自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持法体制」をもたらす。
しかも、濫用の歯止めなく、その危険は立憲主義崩壊につながる。
☆草案では、内閣が国会を乗っ取り、政令が法律の代わりを務める。
内閣が、人身の自由、表現の自由を制約する政令を発することができる。
予算措置もできることになる。

6 まずは、徹底した「緊急事態条項必要ない」の訴えと
次いで、「旧憲法時代やナチスドイツの経験から、きわめて危険」の主張を

(2020年2月2日・連続更新2498日)

湯島天神散歩雑感

はやくも1月が行き2月となった。この2月もやがて逃げ、3月も去ることになる。桜の盛りの頃には、どんな時代の空気となっているのだろうか。

冬晴れの土曜日の朝、近場の湯島天神まで梅の様子を伺いに出かけた。梅祭りはまだ先だが、早咲きの紅梅白梅がちらほらと、青い空に映えている。

男坂・女坂には梅の花はまだない。階段の上の「講談高座発祥の地」という石碑をまじまじと眺めた。書は橘流寄席文字橘左近のもので、一龍斎貞水が建立したものとある。

伊東燕晋という講釈師が、ここ湯島天神の境内に住まいし釈席を設けていたが、「東照神君家康公の偉業を語るので」聴衆よりも高い座が必要と、1807(文化4)年に北町奉行から高さ三尺の高座の上から話をする許可を得た。これが「高座」のはじめだという。

まことにつまらない話。権威主義者が大衆を見下ろそうという発想は、高御座の天皇夫婦と同じ。大衆芸能が、こんな愚かな権威主義の歴史を持っているのだ。

もっとも、この神社で祀られている「天神」そのものは、王権への反逆神である。菅原道真の怨霊は、その怒りで天皇を殺している。民衆はこの神を崇拝した。これは、興味深い。

藤原時平らの陰謀によって、謀反の疑いありとされた道真は、大臣の位を追われ、大宰府へ流され、失意のうちにこの地で没する。彼の死後、道真の怨霊が、陰謀の加担者を次々に襲い殺していくが、興味深いのは最高責任者である天皇(醍醐)を免責しないことである。

道真の死後、疫病がはやり、日照りが続き、醍醐天皇の皇子が相次いで病死し、藤原菅根、藤原時平、右大臣源光など陰謀の首謀者が死ぬが、怨霊の憤りは鎮まらない。清涼殿が落雷を受け多くの死傷者を出すという大事件が起こる。国宝・「北野天満宮縁起」にはこう書かれている。

延長八年六月廿六日に、清涼殿の坤のはしらの上に霹靂の火事あり。(略)これ則、天満天神の十六万八千の眷属の中、第三使者火雷火気毒王のしわざなり。其の日、毒気はじめて延喜聖主の御身のうちに入り…。

延長8(930)年6月26日、清涼殿に雷が落ちて火事となった。何人かの近習が火焔に取り巻かれ悶えながら息絶えた。これは、道真の怨霊である「天満天神」の多くの手下の一人である「火雷火気毒王」の仕業である。この日、毒王の毒気がはじめて醍醐天皇の体内に入り、… まもなく、醍醐天皇はこの毒気がもとで9月29日に亡くなっている。

道真の祟りを恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、993(正暦4)年には贈正一位左大臣、さらには太政大臣を追贈している。

道真だけではない。讒訴で自死を余儀なくされた早良親王(死後「崇道天皇」を追号)も、自らを「新皇」と称した平将門も、そして配流地讃岐で憤死したとされる崇徳上皇も、怒りのパワー満載の怨霊となった。怨霊の怨みの矛先は、遠慮なく天皇にも向けられたのだ。だからこそ、天皇はこれらの怨霊を手厚く祀らなければならなかった。

 靖国に祀られている護国の神々も、実は怒りに満ちた怨霊なのだ。臣民を戦場に駆りだし、命を投げ出すよう命じておきながら、ぬくぬくと自らは生き延びた天皇に対する憤りは未来永劫鎮まりようもない。天皇の側としては、怒れる戦没者の魂を神と祀る以外にはないのだ。道真の怨霊の恐怖に対してしたように。
(2020年2月1日・連続更新2497日)

2020年日弁連会長選挙事情

2年に1度の日弁連会長選挙が迫っている。来週の金曜日2月7日が投票日となっている。立候補者は以下の5人。かつてない乱戦である。

 武内更一(東京弁護士会・38期)
 及川智志(千葉県弁護士会・51期)
 荒  中(仙台弁護士会・34期)
 山岸良太(第二東京弁護士会・32期)
 川上明彦(愛知県弁護士会・34期

私は、弁護士会の選挙は会内の私事ではないと考えている。公法人であり、公的な任務を持つ弁護士会である。その重要な社会的役割にふさわしく、弁護士会の姿勢はもっと社会の関心事となるべきだし、会内でどのような政策が争われているか社会に知ってもらいたいと思う。

あらゆる団体のリーダー選出においては、選挙権を持つその団体のメンバーの利益向上を最大限化する政策の選択が争われる。弁護士会選挙の場合も例外ではない。しかし、弁護士会の場合は、それにとどまらない。弁護士会が弁護士の使命をいかに遂行すべきか、その理念や具体化のありかたの選択も争われる。

会員の直接的な利益向上に関するテーマの最大のものが法曹人口抑制問題だろう。かつて年間500人だった司法試験合格者数が,今は1500人となっている。弁護士の急増は弁護士の窮乏化を招いている。法曹人口を適正規模に調整しなければ、弁護士の経済的利益が損なわれる。ことは弁護士の経済的利益侵害にとどまらず、弁護士の質を変えることになりかねない。不祥事が増えるというだけでなく、資本の意のままにカネで動く理念なき弁護士が跋扈することになると語られている。

そして、会員の直接的な利益を超えた理念的なテーマの最大のものが,今の時点では憲法改正問題だろう。全員加盟制の弁護士会の中では、なかなか「憲法改正反対」は口にしにくい。改憲の是非は政治的な臭いのする問題と捉えられ易いからだ。そこで、「現行憲法の理念擁護」とか、「立憲主義の堅持」と言い換えられることになる。

今年の5名の候補者の中に、国民の人権擁護や社会正義実現に無関心の候補者はない。弁護士自治を不要と広言する「理念なき弁護士」は見あたらない。各々が、人権を語り、法の正義や平和を語っている。心強いというべきだろう。権力の横暴を抑止するため、在野に徹することを使命とする分野として、《メディア》と《大学》と《法曹》とがある。《教育》もこれに加えてよい。他の分野はともかく、弁護士の世界は、まだまだ在野派健在なのである。

ところで、これまでの選挙で投票先を迷うことはほぼなかった。「革新」と「保守」、あるいは「理念派」対「業務派」の色合いが、分かり易かったからだ。今回は違う。一見しておかしな候補はない。誰か一人を選ぶことが、なかなかに難しい。

各陣営から、投票依頼の電話が頻繁にかかってくる。とりわけ、山岸良太候補と荒中候補。各々の陣営で、信頼できる人が選挙運動に携わっている。例年なら、同じ陣営にいるはずの活動家が、今回に限っては割れているのだ。

私が所属している、東京弁護士会・期成会は、激論の末に今回は推薦者なしと決議した。異例のことである。

それぞれの選挙公報の冒頭の一部を並べて比較してみよう。

山岸良太候補(元二弁会長・日弁連憲法問題対策本部長代行)

一 立候補するにあたって
 「憲法・人権・平和」と「業務基盤の確立」。この2つの課題に日弁連のリーダーとして正面から取り組み、「頼りがいのある司法」を築くため、日弁連会長選挙に立候補することを決意しました。

1 憲法・人権・平和で頼りがいのある司法を築く  
 私は、幼い日に父を亡くし、母子家庭で育ちました。多くの困難に遭いながらも、弱者の 痛みを自分のこととして感じることができました。幼い頃目にした傷痍軍人の姿を通して、 戦争が引き起こす悲惨さを心に刻みました。中学の時に日本国憲法について解説した『あたらしい憲法のはなし』で憲法と出会い、憲法の3つの原理、特に平和主義の理念に新鮮な息吹を感じました。これらが私の人権感覚、平和への強い思い、憲法観を形作りました。憲法・人権・平和を弁護士としての出発点とし、登録当初から袴田事件の再審弁護団で活動し、二弁、 日弁連で憲法問題等に取り組んできました。
 議論が本格化しつつある憲法改正問題は、まさに次の日弁連会長の時に正念場を迎えます。この問題に法律家団体として正面から取り組まなければ、日弁連は、市民・国民の信頼を大きく損なうことになりかねません。日弁連は、これからも憲法・人権・平和の分野で「頼りがいのある司法」の中心とならなければなりません。

荒中候補。(元仙台会会長・日弁連事務総長)

 私は、これまで全国の数多くの会員の皆さんと日弁連の抱える課題について徹底的な議論を重ねました。立候補に当たり、次の7つの重点政策の実現を掲げます。

?弁護士の誇りの源泉である人権擁護活動をより充実させるとともに、立憲主義を堅持する。
?国・自治体・法テラスと連携し、権利擁護活動を持続可能な業務に転換するための取組を強化する。      
?「法の支配」を全国津々浦々に確立するため、民事司法改革、司法過疎対策に取り組む。 
?次代を担う若手弁護士が夢を持って存分に活躍できるよう、きめ細やかな支援策を実施する。
?弁護士自治を堅持する施策を企画し実践するとともに、小規模会の支援をさらに推進する。
?法曹の魅力を発信して法曹養成問題と法曹人□問題に取り組む。
?日弁連の財政と予算を常に見直し、さらなる減額も含めた会費の在り方を検討する。

やや乱暴なくくりだが、喫緊の改憲阻止を弁護士の使命として重視する向きは山岸を日弁連会長が大単位会の大会派(派閥)の回り持ちで決まることは許せないとする組織内民主主義を重視する向きは荒を推しているように見える。

(2020年1月31日・連続更新2496日)

「風のたより」から、読む者の胸を抉る被爆手記と、とある国の首相の「時」の私物化。

石川逸子さんから、「風のたより」第19号をいただいた。2020年1月1日の日付で、「勝手ながら、本誌を、賀状に代えさせていただきます」とある。賀状というには過ぎたる32頁のパンフレット。

その2頁から14頁までが、山本信子著・小野英子訳の「炎のメモワール(原爆被爆手記)」である。その冒頭に、「2018年5月 小野英子」として、こう綴られている。

これは、私の母・山本信子が原爆投下2年後に英文で書き残した手記を日本語に翻訳したものです。……手記はアメリカの「TIME」誌宛に送付されましたが、GHQの検閲に引っかかって没収され、願いはかないませんでした。

山本信子さんは、旧制広島市立女学校の元英語教師。夫の信雄さん(旧制広島二中教師)との間に、洋子(被爆当時8歳)と英子(6歳)の二女をもうけていたが、原爆で夫と長女を失う。その悲惨さが言葉を失うほどに胸に痛い。母が我が子の遺体を探す場面は涙なくして読めない。

「『炎のメモワール』全文の無断転載は禁止されています。」との記載があるので、手記からの引用は遠慮し、この手記に添えられた石川逸子さんの短い詩を転載させていただく。この詩の「幼い少女」が山本信子さんの長女で、訳者・小野英子さんの姉に当たる山本洋子さんである。

幼い少女
ガミガミ言われても お母さんが一番好き
そう言い言いしていた少女
何一つ いけないことをしたこともないのに
なぜ 二日間 火傷したぼろぼろのからだで
熱い 熱いよウ と 苦しみ抜き 水をもとめ
看取るもの だれひとりもないまま
ぼろ冊のように死なねばならなかったか
なぜ なぜ?
どうして?
哀しい 苦しい 母の問いが
いまも 風とともにながれているよ
                  ー石川逸子

**************************************************************************
もう一つ、石川さんの詩をご紹介したい。
「2019.4.5」の日付が入っている詩。そう、令和という元号が発表された直後に作られたものだ。

国書って?

石川逸子

とある国の首相が 鼻高々と申しました
「元号は「令和」
 国書から取りました」

え? 「令」も「和」も そもそも
漢字ですよね
その漢字をもたらしたのは ほかでもない
百済の王仁博士

 『万葉集』巻5・梅花の歌の
 「序」から取ったとありますが
序文は かの王義之の「蘭亭序」を
そっくり模した文ですよね
353年3月 中国・晋の名士41人が
蘭亭で開いた 曲水に盃をながし 詩を詠んだ宴
席文中の「梅披鏡前之粉」
梅は鏡の前の白い粉のように白く咲いて は
梁簡文帝の梅花賦「争楼上之落粉」
あるいは陳後生の梅花落「払牧疑粉散」などを
模したもの とか

見えてくるのは
いにしえの中国・朝鮮の香り豊かな文人たちの
宴に 詩に
300年余の後 はるかに 心を寄せ 敬い
 「淡然自放」淡々としてほしいまま
 「快然自足」愉快に満ち足りて
酒に酔い 陶然として 梅の花をめで
天から雪がながれくる と詠んだ
大宰府の役人たちの 正月の宴

中国・朝鮮への蔑視を 折々にちらつかせ
2019年 「令和」で あわよくば「時」を支配し
フクシマ原発事故も ジュゴンの死も
なかったことにしようとする
とある国の首相よ

今一度 無心の心で
万葉集巻5・梅花の歌の「序」を読み
アジアの国々の文化を愛おしんだ 往時の役人たちを
見習いませんか
                ‐2019.4.5

(2020年1月30日・連続更新2495日)

「#募ってはいるが募集はしてない」「答弁してはいるが答えていない」を「さくら論法」と呼ぼう。

史上、首相として国民から敬愛される人物はまことに稀少である。多くは、警戒され、嫌われ、恐れられる人物だった。安倍晋三という現首相。これまでの歴代首相とはひと味違う。長期政権を維持してはいるが、こんなにも国民から軽侮されている首相も珍しかろう。その理由の一つは、極端なまでの身贔屓だが、もうひとつとして、決定的な国語の基礎能力不足をさらけ出していることがある。官僚の作文を朗読することはできるが、ルビがふられていないと「云々」も「已まず」も読めない。

その、これまでの「実績」に、この度はもう一つ加わった。桜を見る会についての「募集ではなく募ったという認識だった」「募ってはいるが募集はしていない」という答弁である。一国の首相のこの国語能力不足の顕在化は,対内的にも対外的にも,国家機密暴露というべき大問題である。しかも彼は、「美しい国・日本」などを語る国粋派なのだ。

実は、不誠実な答弁姿勢こそが真の問題点なのだが、これは一見して直ちに誰にも分かるというものではない。それにくらべて、昨日(1月28日)の衆院予算委員会における,宮本徹議員質問に対する、首相答弁の国語力レベルは誰の目にも分かり易い。

首相 「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったのであります」

宮本 「私も日本語を今まで48年間使ってまいりましたけども、募るというのは募集するのと同じですよ。募集の『募』は募るっていう字なんですよ。総理はその認識なく、募っているという言葉を使っていたんですか?」

首相 「あの、それはですね、つまり事務所、がですね、いわば今までの、ですね、今までの経緯の中において、ふさわしい方々に声をかけていると」「いわば、それにふさわしい方ということでですね、いわば募っているという認識があったわけでございまして、例えばですね、新聞等にですね、広告を出して、どうぞということではないんだろうと、こう思うわけでございます」

 ルビがふってあれば「募る」を読めても、意味までは理解できていない。官僚が書いた原稿を棒読みしているだけだから、当然、反省の気持ちもない。たまに自分の言葉で話せばこのザマだ。(日刊ゲンダイ)

この発言が報じられると、Twitterでは「#募ってはいるが募集はしてない」というハッシュタグが生まれ、大喜利が始まった。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」といった投稿が集まり、一時トレンド入りしたという。このフレーズを「さくら論法」と呼ぶこととしたい。

思い出すのは、一昨年の流行語大賞の受賞作の一つともなった、上西充子教授の「ご飯論法」である。

Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」

これを「さくら論法」流に言い換えれば、
「朝ごはん食べないとは言ったが、朝食をとらないとは言ってない」
というわけだ。

早くも、「#募ってはいるが募集はしてない」は、「今年の流行語大賞候補第一号ですな」という呼び声が高い。

安倍流「さくら論法」の大喜利フレーズがネットに並んだ。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」を筆頭に、なんとも出来がよい。しかも、面白いだけでなく、含蓄に富むものが多い。

投票しているが支持しているわけではない。

書き換えてはいるが改竄はしていない

毎日新聞を読んでいるが 毎日新聞は読んでいない

自由民主党であるが、自由でなく民主的でもない

危ないとは認識してはいるが、危険という認識はない。

愚かだという認識はあるが、愚鈍という認識もある?

「妻は公人じゃないんです。国からボディーガードとお付きの人が付く私人なんです」

労働をしたが 働いていない

訪問をしたが 訪れてはいない

後援会の会員を、幅広く募集して、桜を見る会に招待し、税金で飲み食いさせて接待したが、背任したという自覚はない。

答弁に立つが答えない

任は痛感するが責任取らない

隠蔽ではないと言うが黒塗り資料しか出してこない

言わばと言うが後に例えが出てこない

まさにと言うが後に確かな事柄が出てこない

圧力はかけていない。テレビが勝手に忖度するだけ。

「募る」と「募集」は違うと安倍首相。
いよいよ危険が危ない。
というか、こんな答弁をされては頭痛で頭が痛い。(山添拓)

読んでいるが 読書はしていない

強烈な眠気はあるが 睡魔は襲ってきてきない

成蹊大学法学部政治学科卒業ではあるが 勉強はしてない

っているが虚偽ではない

招待したけど、招いたわけではない、みたいな。

マズい部分隠したが改竄ではない。

総理だが総裁ではない(ときもある)
総裁だが総理ではない(ときもある)

炉心溶融してるが、メルトダウンじゃない

桜を見る会の名簿、破棄はしたが棄ててはいない

殴ってはいるが殴打してはいない

「それでは、それではですね、宮本さんは、み宮本さんは、まさに、思いが募る、ではなく、思いが募集する、とか、言うんですか?言う、言うんですか?」

コピーして何人でも募れます!(募集ではない)

大喜利見てきたけど、やはり元祖に勝てる人はいまだかつて居ない。
#安倍さんしかいない

これは、他の件にも応用が利く。

逃げてはいるが逃亡ではない (ゴーン)

政府チャーターだが無料ではない (利用者に8万円請求)

安倍晋三のことだから、「募ると募集するは意味が違う」なんてアホな閣議決定をやりかねない。

(2020年1月29日・連続更新2494日)

「無意識の植民地主義」と、「無邪気で無自覚な植民者」と。

学生時代の級友・小村滋君(元朝日記者)が精力的に発刊しているネット個人紙「アジぶら通信」。もっぱら沖縄問題をテーマに、その筆致が暖かい。個人的に多忙とのことでしばらく途絶えていたが、「アジぶら通信?」として復刊し、その2号(1月24日発信)が届いた。

A4・4ページ建。「沖縄の基地『無意識の植民地主義』(平野次郎・記)」が、紙面のほとんどを埋めている。『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』という書物の紹介と、その著者野村浩也講演の報告である。

私は知らなかったが、沖縄の基地を日本本土へ引き取ろうという市民運動の契機となったのが、2005年に御茶の水書房から発刊された『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』(野村浩也著)だという。久しく絶版となっていたが、2019年8月に松籟社から増補改訂版が復刊され、12月15日に神戸市内で復刊を記念して著者の講演会が開催された。詳しく、その講演内容が紹介されている。

『無意識の植民地主義』というタイトルは刺激的だが頷ける。沖縄を除く本土の日本人を、二重の意味で否定的に論難している。ひとつは「沖縄に基地を押し付けて自らはその負担から逃れている植民地主義者」と規定しての批判であり、さらに「沖縄にのみ基地負担を押し付けているという意識すらない」という無自覚への批判でもある。

著者野村浩也は1964年沖縄生まれで、現在は広島修道大学文学部教授(社会学)。講演会は兵庫の「基地を引き取る行動」のメンバーらの主催だという。アジぶら記者の見解として、「なぜいまこの著書の復刊が待たれたのか。沖縄人だけでなく在日韓国・朝鮮人などへのヘイトスピーチの横行を止められないのは、日本人の『無意識の植民地主義』がいまも続いているからではないのか」とある。

たまたま、広瀬玲子著の「帝国に生きた少女たち:京城第一公立高等女学校生の植民地経験」(大月書店・2019年8月刊)に目を通しているところだった。この著作が、よく似た問題意識から書かれた労作となっている。

この書についての出版社の惹句は、「内なる植民地主義、その根深さと、克服過程を見つめる」「植民者二世の少女たちの目に植民地はどのように映っていたのか。敗戦~引揚げ後を生きるなかで、内面化した植民地主義をどのように自覚し、克服していくのか。 ー アンケート・インタビュー・同窓会誌などの生の声から読み解く。」というもの。

その書評として、アマゾンのカスタマーレビュー欄に、「植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であった」(2019年10月27日)が掲載されている。筆者は「つくしん坊」とだけあるが、その書評の一部を引用させていただく。

京城第一公立高等女学校は、1908年に居留民によって設立された。開校式には伊藤博文も列席し、格式あるトップクラスの女学校として順調に発展し、最盛期には1000人以上の生徒が在学した。

京城第一公立高等女学校に通う女生徒たちは、日本人居留民の中でも中流以上の恵まれた家庭に育っていた。女学校では日本と同様の皇民化教育が行われ、日本人女生徒たちは、朝鮮が日本の植民地であること、朝鮮人たちが様々な点で差別されていたことに無自覚であった。

敗戦後、家族とともに女生徒たちは一斉に日本に引き揚げた。そこで待っていたのは荒廃した国土、失われた生活基盤の立て直し、引き揚げ民に対する差別だった。家族とともに厳しい生活が始まった。この過程で、多くの女生徒たちが朝鮮での生活と意識を自省し始めた。

総じて、植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であり、自らが朝鮮人に対して過酷な差別を強いていた「植民者」であったことは、戦後初めて自覚した。そのような自覚者の「内なる植民地主義」克服事例が参考に値する。

「戦前における、朝鮮に対する無邪気で無自覚な植民者」と、「現在の沖縄に対する無意識の植民地主義」と。無自覚・無意識の人びとのネガティブな客観的役割の指摘は重要である。

もっとも、私は「本土が沖縄の基地を引き取るべき」とする見解にも、そのような運動にも与しない。基地撤去の方向での運動をこそ追及すべきだとする立場を固執して小村君の不興をかっている。

(2020年1月28日・連続更新2493日)

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