澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

圧倒する勢いの中で「反撃訴訟」結審。判決期日は10月4日(金)13時15分 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第159弾

 本日、DHCスラップ「反撃訴訟」が結審した。判決言い渡しは、10月4日(金)13時15分に、415号法廷で行われる。憲法の理念に沿った、後の歴史の検証に堪えうる判決が期待される。

本日の法廷では、反訴原告側代理人から10分余の最終準備書面の要約と、反訴被告最終準備書面内容への最小限の反論についての口頭陳述がなされた。これを下記に掲載しておきたい。
これまで、理論的にも訴訟の勢いにおいても、反訴原告側が圧倒してきた。本日は、そのダメ押しがなされたという雰囲気の中での結審。

閉廷後の報告集会は、穏やかな雰囲気だった。難しい類型の訴訟だが、これだけの立証があるのだから、勝訴飲み込みは十分という余裕。それぞれの確信に基づいて、こもごも語り合われた。
 「だいたい、本件は吉田嘉明自らの週刊誌手記が発端となったもの。渡辺喜美という政治家に8億円ものカネを渡したことを吉田嘉明自らが暴露したのではないか。これは、自分で言論の土俵を作り、これにに自ら乗ったということだ。当然に予想される批判には堂々と言論で応じるべきなのに、いきなりの訴訟はスラップでしかない」「しかも、吉田嘉明は『絶対に勝てると弁護士に聞かされた案件だけを選んで訴訟を提起した』というが、それは明らかにウソだ。絶対に勝てるのなら、まず仮処分をするのが常道。しかし、仮処分で勝つ見込みはまったくなかったから、批判のブログや記事を差し止める仮処分はしなかった。本訴を提起して、世の中を牽制し恫喝して、言論を萎縮させたのだ。」「本訴を提起しておいて、法務課の職員が、吉田嘉明批判のブログを潰しに回ったんだ。」「交替前の裁判長の勧告で、関連事件の訴訟記録が甲号証として出てきたことが大きい。あの総体を見れば、誰にだってDHC・吉田嘉明が提起した訴訟の異常性がよく分かる」「驚いたのは、代理人の弁護士が、『吉田嘉明の視野は凡人とは異なる高いところにあり、これまで同人の意見や指示が不合理だったことは一度もなく』と準備書面で書いてきたこと。弁護士の顔をまじまじと見てしまった。」「こんな弁護士もいるんだ。」などなど…。

傍聴者からも意見があった。この「デマとヘイトとスラップのDHC」を懲らしめるには、不買運動しかないと思うんですが、どこまでやってよいのでしょうかね。

国民は、有権者として選挙で社会を変えることもできますが、また、日々の消費生活における選択的消費行動によって、民主主義や人権を損なう企業に制裁を加えることによっても、よりよい社会を形作ることができます。そのような意味で、DHCの不買運動は、大いにやっていただきたいと思います。

 しかし、その手段は、飽くまでも言論によるものに限られます。実力で業務を妨害することは許されません。また、言論も虚偽を宣伝するようなことがあってはなりません。

 DHC・吉田嘉明については、彼ら自身がデマ・ヘイトを撒き散らし、スラップを濫発しているのですから、宣伝材料には事欠かないところです。是非、真実の言論を貫きながら、毅然たる不買運動の進展を期待します。

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小園恵介弁護士による反訴原告準備書面(5)の要約

 この最終準備書面は、最高裁判所1988(昭和63)年1月26日判決の判示に沿って、これまでに提出された証拠や、尋問の結果をふまえて、反訴原告の主張が正当であることを明確にするものです。

1.反訴被告らの主張する権利等が事実的、法律的根拠を欠くと容易に知りえたこと
公共の利害に関する事項についての論評について、その重要な前提事実が真実である場合には違法性がなく不法行為とならない、という「公正な論評の法理」は、確立した判例となっています。反訴被告らは、「公正な論評の法理」に沿って検討すれば、反訴被告らの主張する権利等が法律的根拠を欠くことを、容易に知ることができました。
これに対して反訴被告らは、弁護士と相談して「確実に勝てる」という回答を得たものについて提訴した、などと主張しています。しかし、弁護士が「確実に勝てる」などという助言をすることは通常考えられません。また、内海証人は、確実に勝てるという根拠について「名誉毀損の程度が著しいので」と述べましたが、名誉毀損の程度だけで不法行為が成立するものではなく、弁護士からそのような助言があったとも考えられません。反訴被告らの主張は信用することができません。

2.反訴被告らが被侵害権利の回復よりも言論封殺を目的としていたこと
(1) 当然に予想される批判を提訴対象としたこと
反訴被告吉田が公表した手記について、政治と金の問題を中心として広く批判や非難の声が上がることは当然に予想されるところであり、事実、内海証人も、手記の公表を受けて自主的に観察を始めた、と述べていました。
ところが、手記の公表から数日後には、反訴被告吉田は批判的言論に対して訴訟を提起するよう指示し、その後ごく短期間のうちに合計10件もの名誉毀損訴訟を提起するに至りました。しかも、提訴前に事前警告や仮処分申請もなされませんでした。

(2) 提訴の妥当性を慎重に検討した形跡がないこと
反訴被告らの主張によれば、反訴被告吉田が訴訟提起について検討するよう指示したのは、2014年(平成26年)4月4日のことでした。前件訴訟の提起は4月16日ですので、その間わずか12日しかありません。しかも、この日までに、反訴被告らは、合計5件の訴訟を提起していました。
内海証人によれば、提訴の検討のため弁護士事務所に行ったのは1回だけで、相談時間は2、3時間だったとのことでした。複数の、しかもそれぞれが数千万円以上という非常に高額な訴訟を提起するための打ち合わせ時間としては、異常な短さです。
実際、反訴被告らは、不法行為の成否を決める「公正な論評の法理」については、検討すらしていませんでした。
そのうえ、訴訟提起を指示したはずの反訴被告吉田は、検討に参加すらしていなかったといいます。
反訴被告らが、このような極めて不十分な検討だけで提訴に至ったのは、その目的が権利の回復ではなく、批判的な言論を封殺することにあったためにほかなりません。

(3) 異常な請求拡張がなされたこと
反訴被告らは、前件訴訟において、請求額を2000万円から3倍の6000万円にする請求拡張を行いました。
ところが、反訴被告らからは3倍増の具体的な根拠についての説明はなく、また、訴訟提起と同様に、「公正な論評の法理」に関する検討を行った事実もありませんでした。
具体的な根拠なしに、十分な検討をすることもなく請求を3倍に拡張したというのは、異常なことです。前件訴訟の提起では黙らなかった反訴原告にさらなる負担をかけることを目的とした請求拡張だったと考えられます。

(4) 上訴対象の選択基準が不自然であること
反訴被告らは、同時期に提起した10件の関連名誉毀損訴訟のうち、実質的には敗訴に等しいような2件の一部勝訴事件について、控訴をしませんでした。その理由について、反訴被告らは「一定の目的を達したから」と説明しています。
もし、侵害されたと主張していた権利の回復が目的だったのであれば、完全敗訴事件は控訴しておきながら実質敗訴事件について控訴しないという方針はなかったはずです。批判者を被告席に付かせれば、わずかな賠償金でも「一定の目的」を達したことになるのですから、反訴被告らの目的とは批判的言論を威嚇することにあったのだと考えられます。

(5) 反訴被告会社において反訴被告吉田の言葉が絶対視されていること
この裁判で反訴被告らは、反訴被告吉田の視野は凡人とは異なる高いところにあり、意見や支持が不合理であったということなど一度もない、と主張しています。
このような独善的な主張が、従業員だけでなく、代理人弁護士が作成した書面にまで記載されるというのは、率直に言って異様であり、反訴被告吉田の言葉が社内において絶対的であることを示しているといえます。
同様の現象は、反訴被告会社のホームページにヘイトスピーチというほかない会長メッセージを掲載していたことにも現れています。
反訴被告吉田の絶対的な権威が、訴訟提起を指示する言葉を否定不可能なものとし、そのために、まともな検討などなされる余地もないまま前件訴訟が提起された、というのが実態だったと思われます。

3.反訴被告らの訴訟追行態度について
スラップ訴訟は、勝訴よりも、提訴自体による威嚇を目的として提起されるものです。提訴によって威嚇目的は概ね達成され、判決の結果はそれほど気にする必要がないので、訴訟の追行は従業員や代理人弁護士に任せきりにしておけばよく、また、裁判所の呼出しにも応じる必要はありません。
反訴被告吉田は、裁判所からの呼出しにもかかわらず出頭しませんでした。反訴被告吉田の不出頭は、これにより民事訴訟法208条を適用して尋問事項に関する反訴原告の主張を真実と認めることができるものではありますが、それと同時に、反訴被告らに裁判のルールに従って裁判手続を行うつもりがないことを端的に示す事情だといえます。

4.反訴原告の損害について
経済的強者は、自由に高額な訴額を設定して、批判者の応訴負担を大きくすることにより、提訴による威嚇、弾圧の効果をより強めることができます。対して提訴を受けた批判者は、高額な提訴の前に萎縮せざるをえなくなります。
前件訴訟で6000万円という不当に高額な損害賠償を請求したのは、反訴被告らです。経済的強者である反訴被告らが自由に不当提訴を繰り返すことを許して良い理由はありません。反訴被告ら自身が設定した金額に対応する十分な弁護士費用を、損害賠償として認めるべきです。

5.結語
以上に述べたとおり、反訴被告らの前件訴訟等は、反訴被告吉田を批判した反訴原告に対する威嚇、言論の封殺を目的としたものでした。これは、経済力を背景に、裁判制度を自身の道具として利用する行為にほかなりません。このような裁判制度の濫用を許してはならないと考えます。反訴原告の請求を認容する正当な判決を下されるよう、期待しております。

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 光前幸一弁護団長の反訴被告らの主張への反論意見陳述

1 反訴被告吉田の尋問は「必要ない」と反訴原告が回答したとの主張について
必要ないと回答したのではなく、これ以上、出頭を求めても、出頭は期待できず、これ以上訴訟を遅延させることはできないとの判断から、弁論の終結を求めたのである。
反訴被告ら代理人が、裁判所の決定にしたがい、反訴被告吉田を説得して、裁判所に出頭させるということが、反訴原告の最も望むところである。

2 反訴原告は、最終書面(準備書面5)で、反訴被告らの違法提訴の背景には、自己の無謬性に対する信念」と、その裏返しとしての「他者の批判に対する狭量な姿勢」、そして、反訴被告会社における会長の暴走に歯止めがかからないガバナンスの欠如」を指摘したが、反訴被告らの最終書面を一読すると、その思いが新たになる。

反訴被告らは、随所で、名誉が棄損されれば裁判を起こすのは当然のことと述べているが、言論の自由に重きを置く社会においては、他者を批判し相手の名誉を棄損する結果となる言論の存在を前提に、公共的事項に関する他人批判はどこまで許されるかの議論が始まるのである。
他人から批判されることが当然に予想される内容の手記を週刊誌に掲載しながら、痛烈な批判を受けるや、即、提訴というのは、言論の自由を云々する前に、一般市民の感覚からも遊離しており、反訴被告らを敗訴させた関連事件の判決がそれぞれ指摘する重要な点である。
反訴被告は、提訴の判断にあたり「総務部長は、まず、一般市民感覚で総務部の知識のない部員にピックアップさせ、次に、法務課員がスクリーニングをかけ、最後に法律の専門家である顧問弁護士がスクリーニングをかけた」と主張しているが、スクリーニングの基準そのものに、信じがたい程の市民感覚からの乖離があった。

3 反訴被告は、一部でも絶対に勝てると判断した事件を提訴したと主張する一方で、裁判所さえ、事実の摘示と論評の区別については判断が分かれることがあり、その判断は容易でないと主張しているようである。
ところが、反訴被告は、最後になって、「一部でも勝てると思えば提訴した」とトーンダウンしているが、一部でも勝てると思えば、勝てない箇所もまとめて提訴し、高額の賠償を求めるというのも、典型的なスラップ訴訟である。
反訴原告も、事案ごとに、事実の摘示か論評かについて慎重な判断が必要なことを否定するものではないが、反訴原告のブログを慎重に検討すれば、それが論評であることは明確であったと主張しているのである。
反訴被告らが、この点をどのように精査、検討し、絶対に勝てると判断するに至ったのか全く不明であり、精査、検討した様子は窺えない。反訴被告らの書面から理解できるのは、有力な批判を提訴対象にしたということだけである。

4 反訴被告らは、関連訴訟でのI氏(ジャーナリスト)との和解を、提訴の正当性の根拠にしているが、この和解が、名誉回復措置としてはきわめて不完全で不自然な内容のもので、弁護過誤のおそれさえ抱かせるものであることは、既に、準備書面で詳細に述べたとおりである。この和解は、I氏が反訴被告らの不当提訴の恫喝に屈しただけのものに過ぎないし、反訴被告らがこのような和解に満足しているのだとすれば、反訴被告らが、真の権利回復を目的としてI氏を提訴したものではないことを裏付けている。

5 最後に、本件の最大の問題として、手続き選択の異常性を指摘する。
反訴被告らが、本件ブログでの批判による名誉侵害の早期回復を希望し、しかも、裁判で絶対に勝てると判断したのであれば、新人弁護士でも、当然、仮処分手続きで、ブログの差し止めを求めることとなる。本件では、関連訴訟10件について、1件も仮処分手続きが取られなかった。これは、早期の権利回復よりも、裁判提起を公開することでの威迫、宣伝効果を狙ったためとしか考え難いが、これは、一体、誰の意向なのであろうか。

6 以上の事実は、すべて、反訴被告吉田の無謬性の信念、これに盲従する社員、弁護士の姿勢が背景にあるとしか考えられない。気に入らない批判はすべて封じ込むという反訴被告吉田の指示、命令を受け、提訴することそれ自体の適否、勝訴の可能性について十分な検討しないまま、闇雲に、10件もの訴訟を提起したのである。反訴原告への訴訟は、この点が最も明瞭となる一件にすぎない。
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《DHCスラップ訴訟経過の概略》

☆スラップ提訴前史
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
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☆DHCスラップ訴訟の経過(原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤)
2014年4月16日 提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
8月20日 705号法廷 実質第1回弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 DHC・吉田嘉明上告受理申立
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立不受理決定
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☆DHCスラップ「反撃」訴訟の経過
(本訴原告 DHC・吉田嘉明、本訴被告 澤藤
(反訴原告 澤藤、反訴被告 DHC・吉田嘉明)
2017年9月4日 DHC・吉田嘉明 澤藤を被告として
債務不存在確認請求訴訟を提起
東京地方裁判所民事1部に係属⇒裁判長 後藤健(41期)
2017年11月10日 反訴提起(損害賠償請求 660万円)
2018年10月5日 反訴原告 澤藤と吉田嘉明両名の本人尋問申し出
2018年10月26日 裁判長交代・前澤達朗(48期)人証採用持ち越し
2019年1月11日 人証採用決定(3名)
澤藤と吉田嘉明両本人と内海拓郎(DHC総務部長)
2019年4月19日 澤藤と内海拓郎尋問 吉田不出頭
2019年7月4日(本日) 結審
2019年10月4日 判決言い渡し(予定)
以上
(2019年7月4日)

冷酷な統計が示す、これが平均的国民の老後年金生活。

昨日(7月2日)、厚労省が2018年の「国民生活基礎調査の概況」を公表した。下記の両URLで、その報告を見ることができる。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/09.pdf

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/dl/10.pdf
同報告は、特に【調査結果のポイント】として、次の点を挙げている。
・1世帯当たり平均所得金額は551 万6 千円 <前年560 万2 千円>
・生活意識が「苦しい」とした世帯は57.7% <前年55.8%>
(注:生活意識は、5段階の選択肢であり、「苦しい」は「大変苦しい」「やや苦しい」の合計)

1年前に比較した国民生活は、客観的に所得が減って、主観的には生活意識を苦しいものとしている。そのことが、統計に表れている。これが、アベノミクス6年目の「前年比成果」なのだ。わずか1年で、所得は「9万円」の減、生活苦は「2%」の変動である。

折しも、参院選直前である。「年金選挙」の様相を帯びてきたこの選挙の争点に関わるものとして、この統計も「老後」の「年金問題」との関連で注目された。

この点について、同報告は、次のように特記している。

「高齢者世帯(65歳以上の者のみで構成するか、又はこれに18歳未満の未婚の者が加わった世帯)では「公的年金・恩給」が61.1%、「稼働所得」が25.4%となっている」
「公的年金・恩給を受給している高齢者世帯のなかで「公的年金・恩給の総所得に占める割合が100%の世帯」は51.1%となっている」

つまり、年金受給者の多くが、ほぼ年金だけに頼って暮らしている。稼働所得は、微々たるものに過ぎない。まったく年金だけに頼って暮らしている人も過半数に及ぶ。

さて、公的年金受給者全体の半数を上回る51.1%が、ハッピーに公的年金だけで悠々と老後の生活を楽しんでいるのか。あるいは生活費に不足ではあるが公的年金以外の収入を得ることができないアンハッピーな状態なのか。統計は、直接にその点に切り込んではいない。

しかし、高齢者世帯の「平均公的年金・恩給」受給額は、年間204万5000円であるという。この金額で、「1.5人」(高齢者世帯は、夫婦構成と単独構成とほぼ半々。所帯人員数の平均は、「1.5人」でよいと思う)が暮らしていけるはずはない。一人あたり月額にすると、11万円程度に過ぎないのだから。

また、同報告によると高齢者世帯総所得金額の「中央値」は、年額260万円である。204万円が年金、その余の年間50万円余が稼働収入ということになる。これが平均的国民の老後だ。「年金だけでは生活は成り立たず」、さりとて「働こうとして真っ当な稼働収入を得るあてもない」と覚悟しなければならない。

消費増税をしてさらに経済弱者を痛めつけたり、F35を買ったり、イージスアショアに莫大な金を注ぎ込む余裕など、この国にはないことを悟らなければならない。

毎日新聞は、老後所得『年金のみ』半数 生活苦しい55%(7月3日朝刊)との見出しで、下記のとおり簡潔に報じている。

65歳以上の高齢者世帯のうち、働いて得られる収入がなく、総所得が公的年金・恩給のみの世帯が半数に上ることが2日、厚生労働省の2018年国民生活基礎調査で分かった。生活への意識を質問したところ、高齢者世帯で「苦しい」と答えた割合は55・1%に上り、前年から0・9ポイント増加した。

無年金の人らを除く高齢者世帯のうち総所得に占める公的年金・恩給の割合が100%の世帯は51・1%。この割合が50%を超える傾向は1990年代から続く。1世帯当たりの平均所得(17年)を見ると、高齢者世帯は334万9000円。所得の内訳は「公的年金・恩給」61・1%、「稼働所得」25・4%??など。

また、時事通信はこう伝えている。

収入「年金のみ」が半数=高齢者、生活の支え?国民生活基礎調査
厚生労働省は2日、2018年の国民生活基礎調査の結果を発表した。年金や恩給をもらっている高齢者世帯について、これらの収入が総所得の100%を占めると答えた割合は51.1%と約半数だった。恩給の受給者はごく限られるため、収入源が年金のみの高齢者世帯が相当数を占めるとみられる。

17年の割合は52.2%。過去増減はあるが、13年の57.8%から微減傾向が続いている。働く高齢者が増えたことが影響しているとみられる。
老後の資金をめぐっては、公的年金以外に2000万円の蓄えが必要と指摘した金融庁報告書が注目を集めている。老後への不安が広がる中、高齢者世帯の多くが年金を支えに生活費を確保している実態が改めて浮き彫りとなった。

時事がいう「働く高齢者が増えた」のは、明らかに不十分な年金では暮らせないことの結果である。割りの悪い仕事でもやらざるを得ないのだ。年金は増やさない。いや、マクロ経済スライドで、着実に減らしていく。これが、政権の老人「反福祉」基本構想なのだ。

若者が、これを他人ごとと見過ごしてはならない。生活を「苦しい」と感じているのは、「児童のいる世帯」では、62.1%【前年58.7%】と高齢者所帯より高い。また、年代別で世帯人員1人当たり平均所得金額をみると、最も低いのが「30?39 歳」の179 万6 000円なのだ。しかも、若者が年金受給年齢に達する頃、マクロ経済スライドは今の水準には及びもつかない低年金受給額となっているのだ。

若者よ、あなたがたの老後は、さらに厳しい。あなたが、投票所に足を運んで、この政権にノーを突きつけない限りは。
(2019年7月3日)

嗚呼、この大企業・金持ち優遇税制の歪み。

先日、浦野広明さん(立正大学法学部客員教授(税法学)・税理士)を囲んで、日本の税制の歪みについての贅沢な講義を受けた。浦野さんが作成したレジメは、A4で27頁という気合いの入ったもの。「どうする消費税? 財源問題と税制のあり方」という標題。

浦野さんも、到底その全部を語り尽くすことはできず、また、講義を受けた私がどれだけ消化できたかも心もとない。その講義の中で印象に残ったことを2点だけ書き留めておきたい。すべて、浦野さんの受け売りである。

? タックスヘイブン日本
 言うまでもなく、タックスヘイブンとはtax haven=「租税回避地」のことである。普通、タックスヘイブンとして知られているのは、モナコ公国、サンマリノ共和国、英国領のマン島やジャージー島、カリブ海地域のバミューダ諸島、バハマ、バージン諸島、ケイマン諸島、ドバイ(アラブ首長国連邦)、バーレーンなどである。また、香港、マカオ、シンガポールなども、税率が極めて低いため、事実上のタックスヘイブン地域にあたる。

 ということが常識なのだが、実は、タックスヘイブンとは他国のことではない。大企業や富裕層にとってだけの話だが、現在の日本がタックスヘイブンであることを見逃してはならない。

 安倍首相はかつて施政方針演説で、「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」と述べた。しかし、今さら目指す必要などない。既に今、日本の大企業や富裕層は手厚い租税特別措置(優遇税制)によって、税負担が著しく軽減、ないしは完全に免除されている。これが、「タックスヘイブン日本」の実状。

 大企業の法人税負担について鋭い分析をしている「不公平な税制をただす会」の共同代表・菅隆徳税理士は、さまざまな大企業優遇税制をやめて法人税に超過累進税率を適用すると、16年度で法人税収が29兆1,837億円になるとしている(全国商工新聞2018年10月15日)。ちなみに実際の法人税収は10兆4,676億円であるから、19兆円もの増収が見込めることになる。

主要大企業の法人3税(法人税・法人住民税・法人事業税)の負担額と率は、下記のとおりである(単位は億円)。なお、法人実効税率は30.3%から31%だというが、大企業の税負担は極めて低い。いや、錚々たる大企業が、マイナス負担で、還付を受けてさえいるのだという。なるほど、これが、「タックスヘイブン日本」の実態。

       税引前純利益    法人3税   負担率%
トヨタ自動車 22,381   4,049   18.1
武田薬品工業  2,479     ▲46   ▲1.9
キャノン    2,736     493   18.0
三井物産    3,545     ▲54   ▲1.5
本田技研工業  4,659     597   12.8
丸紅        565     ▲66  ▲11.6
デンソー    1,809     395   21.8
伊藤忠商事     765      93   12.1
小松製作所   1,710     410   24.0
アステラス製薬 2,916     160    5.5
京セラ       697     154   22.1
いすゞ自動車    699     233   18.8
豊田自動織機  1,141     820   20.3
住友商事    2,100     ▲46   ▲2.2
(出所:菅隆徳「公平税制」第397号(2018年9月15日))

 また、2017年度予算の申告所得税収入は3兆740億円であるという。浦野さんは、この金額を、金持ち優遇の分離課税制度と、度重なる累進性緩和の結果、かくも過小になったものだという。浦野さんの計算によると、分離課税を総合課税とし、1974年当時の超過累進課税の税率を適用すれば、所得税収入額は、13兆1,673億円になるという。予算より約10兆円を超える所得税の増収が見込まれるというのだ。

「法人3税」と「所得税」を、真っ当な課税にしただけで29兆円の財源が生まれる。19年度予算の消費税全税収19兆3,920億円を遙かに超える財源がある。消費増税回避はおろか、消費税全廃も可能なのだ。

? トヨタには、4800億円還付の消費税
 消費税には、逆進性があるという。金持ちも貧乏人も、消費生活に同率の税負担を求められる。年金生活者には、最も切実に身を切る悪税である。また、消費者に負担を転嫁できない弱い立場の中小業者にも負担感は大きい。

 では、巨大企業の代表格、トヨタ自動車株式会社は、年間幾らの消費税を納めているのか。答は、ゼロである。いや、ゼロどころではない。国庫から4,815億円もの還付を受けているのだ。

これが、「輸出免税制度」という大企業優遇策のカラクリによるものだという。トヨタに限らず、世界中に輸出しているわが国の巨大企業は、輸出免税制度によって消費税を負担するのではなく巨額の還付を受けている。これは、事実上の国庫補助金にほかならない。庶民が国庫に納めた消費税が、国庫からトヨタにまわっていると言ってもよい。

消費税額の計算は、次のようなものである。
事業者の「?消費税の納付税額」は、課税期間中の「?課税売上げに係る消費税額」から「?課税仕入れ等に係る消費税額」を差し引いて算出する(???=?)。

?「課税売上げに係る消費税額」は、原則売上金の8パーセント。?「課税仕入れ等に係る消費税額」は、原則仕入れ総額の8パーセント。?から?を差し引いて、?納付すべき消費税額、が算出される。この、「課税仕入れ等に係る消費税額を差し引く」ことを「仕入税額控除」というのだそうだ。
ところが、「輸出免税制度」では、輸出売上にはゼロの税率が適用され、一方その売上に対応する課税仕入の8%は、仕入れ税額控除の対象となる。そこで、トヨタ自動車の2019年3月期の単独決算は、以下の通りとなり、消費税を1円も払わず4,815億2,160万円の還付を受けている。

トヨタ自動車株式会社の消費税計算(18年4月1日?19年3月31日)
? 「課税売上げに係る消費税額」     3,270億8,000万円
   ? 輸出売上8兆5,458億円×0%?0円
   ? 国内売上4兆0,885億円×8%?3,270億8,000万円
   ?+??3,270億8,000万円
? 「課税仕入れ等に係る消費税額」?????????????? 8,086億0,160万円
  仕入額を売上高の80%と推算して10兆1,075億2,000万円
  その消費税額は10兆1,075億2,000万円×8%=8,086億0,160万円
? 納税額(?の金額から?の金額を仕入税額控除したもの)
  ????▲4,815億2,160万円(納税ではなく還付となる)

なんという、至れり尽くせりの大企業偏重、金持ち優遇の税制。そのツケは、すべて庶民にしわ寄せなのだ。こんな政権与党を、延命させておいてなんの利益があろうか。
(2019年7月2日)

安倍政権で年金支給額は月額で9436円減っている ー 恥を知るべき愚か者? そりゃあなたのことでしょう。

三原じゅん子という参議院議員がいることは、その「八紘一宇発言」で初めて知った。「八紘一宇という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち居振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです!」
これには、仰天せざるを得ない。こんなレベルの人物が、アベの取り巻きとして、その機嫌をとりながら、議員でいられるのだ。恐るべし、アベ自民。

またこの人、神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」とテレビで言ってのけたことでも有名となった。さらに驚いたのは、神武天皇は実在の人物だったという認識」でよいと言いきったこと。アベ政権とは、日本の社会と政治が劣化したことの象徴である。その劣化のありさまを、三原のような議員が如実に示している。

その三原じゅん子が、参院本会議で、安倍晋三首相問責決議の反対討論に立った。品のよいメディアでは、「やや乱暴で品位に欠ける発言ではないか―」と、ひんしゅくを買う程度の評価だが、そんな批判で済まされる発言ではない。問責決議案を提出するなど全くの常識外れ。愚か者の所業とのそしりは免れません。野党のみなさん、恥を知りなさい!」とまで言ったのだ。

その「演説」の主要部分を抜き書きしてみよう。

「野党の皆さん、国民にとって大切な年金を政争の具にしないでいただきたい」
「民主党政権のあの3年間、年金の支給額は、増えるどころか、何と引き下げられていたのです。自民党は全く違います。今年、年金支給額はプラスになりました」
「年金積立金も、アベノミクスの効果によって44兆円の運用益が出たのであります。かたや民主党政権時代、年金積立金の運用益は10分の1」
「民主党政権の負の遺産の尻ぬぐいをしてきた安倍総理に感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど全くの常識外れ。愚か者の所業とのそしりは免れません」
「野党のみなさん、恥を知りなさい!」

論述は、「事実の叙述」「意見の表明」の2要素から成り立っている。そのうち、叙述されている事実の真偽は検証が可能である。「神武天皇の建国のそのときからの歴史というもの、全てを受け入れた憲法を作りたい」は、愚かではあっても意見の表明で、真偽の検証にはなじまないが、「神武天皇は実在の人物」は、事実の叙述で真偽の検証がなされなければならない。

問題は、「神武天皇は実在の人物」という事実の叙述が虚偽であることは容易に誰にでも分かることだが、「野党のみなさん、恥を知りなさい!」演説の内容の真偽はすぐには分からない。「首相に近い国会議員が、本会議の議場で、堂々とああ言い切っているのだから、まさかウソではないだろう」と思う人もいるのではないか。詐欺や悪徳商法に欺され易いタイプの人は、けっして少なくないのだ。

すぐには分からない真偽の検証を、信頼できる誰かがやってくれると、とてもありがたい。これを買って出ているのが、新聞各紙のファクトチェックだ。各紙は、競ってファクトチェックを充実させるべきだ。あらゆる権力、あらゆる権威による言論の真偽を検証してその結果を読者に提供していただきたい。その真なる事実に基づいて、人々はものを考え意見を形作る。今、政権の発する言葉が、「ウソとごまかし」に、充ち満ちているフェイクの時代。ポストトゥルースの時代という言葉がピッタリ。ファクトチェックが、ことさらに重要なのだ。

昨日(6月30日)、毎日新聞デジタルが「年金支給額は増えたのか 三原じゅん子議員の演説をファクトチェック」という記事を掲載した。これが、面白い。よくできている。

https://mainichi.jp/articles/20190629/k00/00m/010/255000c

リードの中でこう言っている。
「参院選の争点でもある年金問題を巡り、気になる発言があった。『民主党政権の3年間、年金支給額は、何と引き下げられていた。安倍政権は全く違います』。これは本当か? 演説のハイライトをファクトチェックすると、妙なことになってきた。」

以下、要点を摘記する。

「安倍政権で支給額は増えたのか。事実を確認しよう。
 厚生労働省年金課によると、民主党政権が発足した2009年度の標準的な厚生年金受給世帯(夫が40年間勤め、妻が専業主婦の2人世帯が年金を受け取り始める時)の受給月額は23万2592円だったが、政権最後の年、12年度は23万940円。つまり3年間で1652円の引き下げである。平均して1年で約551円の減額だ。
ならば「(民主党政権と)全く違います」と三原氏が胸を張った安倍政権はどうか。23万940円の受給額が、現在はいくらに増えたのか?
 増えるどころか、何と22万1504円(19年度)にまで引き下げられているのである。マイナス9436円、1年平均で1348円の減額は、民主党政権時の倍である。三原氏の言う通り、今年度は4年ぶりに月額227円のプラスになったが、「全く違います」は全く違う。

民主党政権の運用益は「10分の1」?
 もう一つ「安倍政権の年金積立金の運用益は44兆円、民主党政権はこの10分の1」はどうか。安倍首相も6月19日の党首討論で、同じことを言っていた。
 厚労省と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は毎年度、3カ月(四半期)ごとの年金積立金の運用実績を公表している。インターネット上でだれでも見られる。読者も電卓片手に計算していただきたい。おかしなことに気付くだろう。
 民主党政権発足直後の09年10月から、政権が終わった12年12月(12年度第3四半期)の運用益は、約9兆円である。これに対し、安倍政権発足直後の13年1月(12年度第4四半期)から最新の18年12月(18年第3四半期)までの運用益は約39兆円である。三原氏や首相が言う「44兆円」「10分の1」と違うのだ。

驚くべき「計算式」
 どういうことか? 厚労省資金運用課は、驚くべき「計算式」を披露した。
 それによると、安倍政権が発足したのは12年12月26日、つまり12年10?12月の第3四半期のぎりぎり範囲内だ。この時期「12年秋にはすでに政権交代の兆しがあり、株価が好転していた」(14年10月3日、衆院予算委での安倍首相の答弁)から、この四半期の運用益約5兆円は、すべて安倍政権の功績として「総取り」する。つまり39兆円プラス5兆円で44兆円である、と。
 逆に、民主党政権時代の運用益からは、5兆円を取り上げ、約4兆円に減らす。だから10分の1になるのだ、という「論理」である。 

「民主党政権のあの3年間、年金の支給額は、増えるどころか、何と引き下げられていたのです。自民党は全く違います」と聞かされれば、誰でも、「自民党政権下では年金の支給額は増えた」と思うしかない。ところが、それが真っ赤なウソなのだ。

こういうウソやごまかしにこそ、「愚か者」「恥を知れ」と言うべきではないか。
(2019年7月1日)

「法と民主主義」6月号《特集・アベノミクス崩壊と国民生活》のお薦め

梅雨空ぐずつく中、本日で6月が終わる。天皇交替とそれに伴う新元号騒ぎはやや落ち着き、通常国会が会期の延長なく閉幕し、鳴り物入りの大阪G20もさしたる話題なくスケジュールを消化した。

ところで、大阪に集まった各国首脳の顔ぶれ。知性ある人の影は薄く、知性の欠けた人物ばかりが我が物顔の振る舞い。およそ人類の理想とは無縁で、人権や民主主義、格差の是正などになんの関心もなさそうなトランプ、習近平、プーチン、そしてトランプにものが言えない安倍晋三。もうひとり、カショギ殺害の犯人と名指しされているサウジの皇太子など。なるほど、これが今の世界の縮図なのだ。

週明けの明日、7月1日からは本格的な参院選挙戦。日本国憲法の命運にかかわる選挙だが、自ずと焦点はアベノミクスの評価となり、具体的には「消費増税」の可否と「年金問題」が争点となる。憲法改悪阻止のために、政権与党の経済政策の失敗を論じなければならない。

このほど発刊となった、日本民主法律家協会の機関誌「法と民主主義」6月号は、そのような問題意識から、「アベノミクス崩壊と国民生活」を特集した。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

下記のとおり、緊急の特集に素晴らしい執筆者を得ることができた。

特集★アベノミクス崩壊と国民生活
◆特集にあたって … 編集委員会・南 典男
◆今、一番心配すべきことは何か グローバル経済と日本 … 浜 矩子
◆アベノミクスを歴史の文脈でとらえる … 山本義彦
◆安倍政権による「全世代型社会保障」への軌跡 … 二宮厚美
◆アベノミクスと増税・消費税 … 浦野広明
◆アベノミクスと漁業… 加瀬和俊
◆アベノミクスと日本の財政 … 醍醐 聡

■連続企画●憲法9条実現のために〈23〉
安倍改憲を吹っ飛ばせ!自民党改憲Q&A徹底批判
(改憲問題対策法律家6団体連絡会・安倍9条改憲NO!全国市民アクション主催 院内集会より)
・集会で明らかにされた「自民党改憲Q&A」の嘘とごまかし … 大山勇一
◆司法をめぐる動き
・冤罪救済と誤判の防止に向けて … 高見澤昭治
・5月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2019●《選択の季節に》
トランプ、年金、イージスはつながっている 政府がウソを言うのは当たり前か? … 丸山重威
◆あなたとランチを〈№46〉
さあこれから飛ぶぞ … ランチメイト・大久保賢一先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№15〉
「憲法9条改正など私たちにはありえない。世界の真珠だ」(国文学者・中西進先生) … 飯島滋明
◆トピックス●いまなぜ西暦併用アピールなのか … 稲 正樹
◆時評●「裁判所にだけは行きたくない!」「弁護士のお世話にはなりたくない!」 … 今 瞭美
◆ひろば●不便にして、かつ有害。日常生活からの元号排除を … 澤藤統一郎

「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も可能です(1冊1000円)。

お申し込みは、下記のURLを開いて、所定のフォームに書き込みをお願いいたします。なお、2019年6月号は、通算539号になります。

https://www.jdla.jp/houmin/form.html

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◆特集にあたって

 内閣支持率を支えてきたアベノミクスは、崩壊する過程に入ったと思う。
 内閣府が公表する景気動向指数が2019年1?3月期、4月期と連続して「悪化(景気後退の可能性が高い)」になった。株価や不動産価格が高かったのは、日本銀行が莫大な国債を買って金融緩和を続け、株、不動産信託を購入して買い支えてきたからだ。国の借金は鰻登りに増加したが、成長戦略は失敗し、名目GDPは停滞したままである。膨大な財政負担だけが残った。
他方、アベノミクスは国民生活に深刻な危機をもたらしている。
老後の資金形成で「およそ2000万円必要になる」などとした金融庁の審議会がまとめた報告書が国民に大きな不安をもたらしている。
 社会保障制度だけでなく、実質賃金及び家計消費の低下、地域経済の衰退、地銀・信金の経営悪化、内需の衰退、貿易収支の赤字化など、国民生活全般に深刻な危機が生じている。戦後憲法のもと築かれてきた社会保障制度、雇用・賃金を保障する労働基本権制度、所得再分配機能を持った税制度、地域を活性化させる地方自治制度などが、アベノミクスによって加速度的に壊されている。

 本特集は、本年7月に予定されている参議院議員選挙を前にして、アベノミクスが日本経済と国民生活の深刻な危機をもたらしていることを明らかにし、アベノミクスから抜本的に転換する経済政策を展望しようというものである。

 浜矩子氏(同志社大学教授)は、グローバル経済の中でのアベノミクスの特異性として、?国家主義を標榜する最もたちの悪い「ディグローバル」(国境を越えた人々のつながりの破壊)であること、?キャッシュレス化(実は、物理的現金から電子的現金に現金決済の形態を切り替えること)を推進し、権力が市民の現金取引を捕捉しようとしていること、?ギグエコノミー化(フリースタイルで働くこと)と称して、働く人々の人権を蔑ろにし、生産性向上のために使おうとしていること、そしてこの三つが関連し合っていることを指摘している。
 山本義彦氏(静岡大学名誉教授)は、ナチスが経済を安定させてナチズム体制を構築したのと同様に、第二次安倍政権が経済の浮揚によって改憲を実行しようとしていることを喝破した上で、アベノミクスの6年間が給与水準の低下、消費税増税や年金給付の低下をもたらして国内市場を制約していると指摘し、給与条件の向上、正規労働力の本体化、中小企業の生産活動の強化、法人税の適切な負担、介助労働の条件向上など、アベノミクスと真反対の方向に舵を切ることを展望している。
 二宮厚美氏(神戸大学教授)は、安倍政権7年間で社会保障費の削減が4兆2720億円に及び、圧縮されたのが医療・年金・介護の高齢者向けの福祉(「高齢者三経費」)であること、削減の理由として「高齢者三経費」の対応に消費税率10%への引き上げが必要(「社会保障・税一体改革」)と述べていたことを明らかにした上で、安倍政権はその後「一体改革」に代えて「全世代型社会保障」のキャッチフレーズを持ち出し、消費税増税後も高齢者三経費に回さないで済まし、社会保障費削減を基調とする政策を続けるとしており、ペテンであると鋭く問題を指摘している
 浦野広明氏(立正大学法学部客員教授)は、安倍政権の消費増税8%によって、?消費支出が減って今に続く深刻な不況を引き起こしたこと、?消費税収入の大部分が法人税減税の穴埋めと軍事費に消えたこと、?消費税は企業の(利益+賃金)にかかるので、企業の外注化を促してリストラを促進したことなどを指摘した上、消費税増税を中止して人権を基軸とした税制(応能負担の原則・税金を福祉に使う)に転換することを展望する。
 加瀬和俊氏(帝京大学教授)は、安倍内閣による漁業・農業の「成長産業化」方針の下で、漁業法が大幅に改変され、企業的経営体が優良漁場を優先的に確保し、免許された海面を私有地のように排他的に占有し続ける仕組みが作られ、?小規模漁業者を排除し、?都道府県行政を国の付属物とみなし、?現場の実情を軽視していると指摘している。アベノミクスによって、漁業のみならず地域経済全体が壊されようとしている。
 醍醐聡氏(東京大学名誉教授)は、アベノミクスにおける財政について、防衛関係費の後年度負担残高の伸びが大きいこと、装備品の価格や納期は米政府が主導しており、米側の納品書と精算書の記載に食い違いがあったこと、その一方で、市民生活に直結する社会保障関係費と地方交付税ののびが大幅に抑制されてきたことなどを指摘している。

 アベノミクスからの政策転換を、広く訴え、安倍内閣を追いつめ、日本国憲法がかがげる人間らしい生活を取り戻す闘いのために、ともに頑張りましょう。
〈「法と民主主義」編集委員会・南典男(弁護士)〉

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「ひろば」(執行部関係者の巻末コラム)欄は、私(澤藤)が書いた。「不便にして、かつ有害。日常生活からの元号排除を」という標題。

4月1日に新元号が発表され、5月1日新天皇就任となった。だからといって世は何も変わらず、また変わってはならない。にもかかわらず、メディアは浮き足立ち、これに乗せられた人々の「代替りフィーバー」「令和フィーバー」現象である。政権の思惑どおりであったろう。
30年前は下血報道が長く続いた後の天皇の死に伴う交替劇だった。国民に前天皇の死に対する弔意が求められ、日本社会の少なからぬ部分が唯々諾々とこれに従った。歌舞音曲の自粛が申し合わされ、大きな社会的同調圧力が可視化された。
あのとき、よく分かった。天皇を「国民統合の象徴」としている憲法規定は、ナショナリズム喚起の有用な道具なのだ。対内的・対外的な国民統合の道具は、政権にとって便利な統治の装置なのだ。
今回の新天皇就任には、天皇の死が伴っていない。国民主権原理を逸脱した前天皇のメッセージが生前退位容認の特例法となったからだ。そのために、今度は祝意強制の圧力が蔓延した。新天皇就任祝意一色のメディアの垂れ流し、前天皇礼賛の提灯記事・提灯番組の羅列が大きな役割を果たした。その提灯メディアに乗せられて、戦前・戦中を彷彿とされる提灯行列までが行われたという。
「住民たちがちょうちんを振ったり万歳三唱をしたりして歓迎の気持ちをあらわすと、両陛下は、上下左右にちょうちんを振ってこたえられました。…… 両陛下の姿が見えると住民から歓声があがり、両陛下は、何度も手を振ってこたえられていました。」というのが、NHKの報道である。ここに、主権者の姿はなく、臣民の残滓が見えるのみ。
あらためて、象徴天皇制礼賛ないし受容のイデオロギーとの対峙が課題となっているが、その課題は、象徴天皇制を支える小道具との日常生活での対決として具体化する。その中で最重要のテーマが、「日の丸・君が代」強制への抵抗と、元号使用の拒否であろう。
元号という紀年法は、天皇の在任期間と緊密に結びつけられた天皇制の付属制度であることから、その表記が通用する地域は限定され、存続期間も有限である。明らかな欠陥紀年法。ビジネスには、不便極まりなく、国民生活にも元号は廃れつつある。先年、ある皇族女子の婚約記者会見での発言が、すべて西暦で語られていたことが話題となった。
ところが、裁判所は5月1日以後文書の日付に新元号を使い始めた。当然に、事件番号もである。訴状や準備書面の主張部分はすべて西暦を用いても、固有名詞である事件番号は元号を用いるしかない。そこで、裁判所を孤立させたい。弁護士はすべからく、西暦を使おうではないか。そうすれば、やがては法律文書も、判例検索もすべて西暦表記に統一せざるを得なくなる。
もっとも、現状は楽観できない。人権派と思しき弁護士の元号使用に愕然とすることがある。本誌への寄稿にも、時に元号表記があって戸惑わざるをえない。
時代遅れの元号表記、不便というだけではない。国民の主権意識覚醒の障害として有害なのだ。日常性から排除しなければと思う。(弁護士 澤藤統一郎)

(2019年6月30日)

「バカな国民の支持を取り込み、バカを利用し尽くす」? これがアベ自民の戦略だ。

昨日(6月28日)の毎日朝刊「論点」欄。論点は、「『不都合な真実』の扱い方」である。3人の論者からの聴き書きだが、そのリードが「年金だけでは老後資金が2000万円不足する」と指摘した金融庁ワーキンググループの報告書について、麻生太郎副総理兼金融担当相が受け取りを拒否したことに批判の声が広がった。『不都合な真実』に背を向ける政権与党の姿勢は、公文書の隠匿や改ざんなど枚挙にいとまがない。その振る舞いの背景と危険性を考える。」という、まことに真っ当なもの。

論は自ずと、こんなバカげた政府がなぜできたのか、なぜ続いているのか。どうすれば、もう少しマシな政府に交替させることができるのか、を問うことになる。

白井聰の語りの標題が、「『下流』層を取り込む自民」となっている。「こんなバカげた政府がなぜ続いているのか」に対する回答として、「自民党が、手際よく『下流』層を支持者として取り込んでいるからだ」というもの。

しかし、この標題ではいかにもインパクトに乏しい。毎日のデスクは温和しい。もう少し刺激的に、バカな国民の支持を取り込む自民党」あるいは、バカを利用し尽くす自民党戦略」とすべきではなかったか。自民支持の国民をバカ呼ばわりするのだから、紛糾覚悟の必要あることはもちろんだが、こちらの方が真実にも、白井の言わんとするところにも近い。

白井の語りの中心部を引用する。なぜ、アベ自民の愚行への真っ当な批判が、政権に通じないのか、という問題関心についてである。

 新聞も野党も政権の論理矛盾や隠蔽体質を批判している。だが、麻生太郎財務相いわく「新聞読まない人は全部自民党支持だ」。批判が効果を発揮しないのは、自民党が論理的整合性に関心を払わない有権者層を主たる「顧客」として取り込んでいるからだ。

 小泉純一郎政権時代、広告代理店が政府に提出した広報戦略資料が話題になった。政権の支持基盤である「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する」主婦や若者、高齢者を「B層」と名付け、彼らに「分かりやすい」宣伝を提案していた

低い所得だけでなく、意欲に欠ける生活習慣や思考様式を共有する階層「下流」。「B層」は「下流」の言い換えともいえよう。小泉政権向けの広報戦略資料が暗示したのは、政権が新たな格差の拡大を防ぐのではなく、利用し尽くそうという意志ではなかっただろうか。

これは、自民党が特定の階級・階層に依拠する党への変質を宣言したに等しい。しかも、その階層の利害を代表せず、単に支持基盤として利用するのだ、と。

(自民党の広告戦略は)消費社会に生まれ育ち、政治の知識に乏しい人々の感情をふんわり肯定し、決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略だ。

 自民党はイラストレーターに安倍晋三首相を侍として描かせるなど、政策を直接語らない、特に若者向け広告を次々と仕掛けている。若年層全体を「B層」扱いして、「これからの日本の主役は総じてバカでいい」との前提に立っている。この前提でどんな未来を描くつもりか。

 ただ、「B層」扱いされている有権者も市井の人々である。今の年金問題も、人々がふんわりとした政治宣伝の洪水から頭を上げ、眠っていた怒りを沸き立たせるきっかけにはなりうる。いずれにせよ、怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかないだろう。

民主主義とは、一人ひとりの有権者が理性を持ち、どのような政策・政党が自分の利益になるかの判断が可能だという前提で成りたっている。ところが、「B層≒下流」への働きかけ方次第では、「決して内実を知らしめず、ただ好印象を抱かせる戦略」が功を奏し、少なからぬ国民が操作されて自らの利益に反する政策でも政党でも支持してしまうのだという。いや、現に今、そうなっているというのだ。アベ自民は、「日本の主役は総じてバカでいい」と本気で思い、「総じてバカな主役に支えられ」、その階層を支持基盤として今日あるのだ。

かつては、国民を侵略戦争に引き込み、兵士として使い捨てた天皇を、靖国の母は恨みをもたず批判もせず、戦死した息子を靖国に神と祀ってくれることに、天皇の親拝に感涙した。今なお、世の中の矛盾を糊塗し、「不幸に寄り添う」ことで矛盾を覆い隠す役割を果たす天皇を、「ありがたい存在」とするのが、平均的国民である。主権者の理性の確立は難しい。

白井の、「怒りが復権しないままでは、この国は滅びるほかない」は、突き放した言い方。そもそも、怒らないのがB層のB層たる所以。だからこそ、アベ自民に取り込まれているのだ。「怒りの復権」は、百年河清を待つに等しいことではないか。怒りに火をつける工夫が必要なのだ。

同じテーマを郷原信郎(弁護士)も論じている。彼は、最後をこう締め括っている。

今の政権には自浄作用が全くない。だから、どんなに非常識なことが起きても是正されない。現状を変えるには、選挙で国民が意思表示をするしかないだろう。その際、「どの政党がいいか」や「他の政権と比べて」ではなく、「今の政権そのものが是か非か」という選択をしてほしい。政権基盤が揺らぐことは一時的にはマイナスかもしれない。しかし、非常識で不誠実な政治が続く方が、この国の将来にはるかに深刻な影響を与えることを、若い人たちも危機感を持って考えてほしい。

なるほど。選挙では、「今の政権そのものの是非を問え」という問題提起には説得力がある。しかし、どうしたら、「若い人たちも危機感を持って考えて」もらえるのだろうか。「若い人たち」ばかりではない。「アベ政権の好印象を抱かせる戦略」に取り込まれている少なからぬ人々に、である。

ぬるま湯に慣れ親しんだ蛙は、湯の温度が上がっても飛び出すことができず、熱湯の中で茹で蛙になってしまうと言う。蛙たちよ、起きよ。目を覚ませ。アベのぬるま湯はもう沸騰しているではないか。
(2019年6月29日)

《権利救済のためにあるはずの裁判制度を,言論を萎縮させるための道具として利用させることを許してはならない》 「DHCスラップ反撃訴訟」 次回(7月4日木曜日)結審 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第158弾

私(澤藤)が、反訴原告となっている「DHCスラップ・反撃訴訟」も、いよいよ大詰め。

予定のとおり、昨日(6月27日・木)最終準備書面を提出し、
 来週の7月4日(木)午前10時30分、
 415号法廷
で開廷の最後の口頭弁論期日を待つばかりとなりました。
 この日に弁論終結となって、判決期日が指定されることになります。

この日の法廷では、弁護団の2名が、最終準備書面を要約して陳述し、裁判所に「権利救済のためにあるはずの裁判制度を,言論を萎縮させるための道具として利用させることを許してはならない」と要請します。

この最終準備書面は、比較的簡潔なものではありますが、ここに全文を掲載するにはやや長い。全体の構成を示す「はじめに」の部分と、「結語」の部分だけを掲載しておきます。これで、何をいわんとしているのか、お分かりいただけると思います。

 是非、傍聴にお越しください。閉廷後、いつものように、意見交換の場をもちたいと思います。よろしくお願いします。

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第1 はじめに(本準備書面の性格と構成)
1 本件は,反訴被告ら(DHCと吉田嘉明の両名)による前件訴訟提起及び本件請求拡張(スラップ訴訟の提起と、6000万円への請求拡張)が反訴原告に対する不法行為に当たるとして,反訴被告らに対し損害賠償を請求するものである。反訴原告の主張は,基本的に反訴状,準備書面(2),同(4)に尽くされており,判断の枠組みや,反訴被告らによる前件訴訟提起や本件請求拡張自体の違法性,さらには前件訴訟提起と追行の周辺にある提訴動機に関する諸事情については,敢えて繰り返さないが,本件の背景には,反訴被告らの自己に対する無謬性の信念と,その裏返しとしての批判者への狭量な姿勢がある。

2 本件訴訟における主張・挙証の対象は,最高裁1988(昭和63)年1月26日判決(民集42巻1号1頁)に拠って,「前件訴訟提起と本件請求拡張において提訴者(反訴被告ら)の主張した権利等が事実的,法律的根拠を欠くものであるうえ,提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起した」こと。さらに,「前件訴訟提起及び本件請求拡張が,自己に対する批判の言論を封殺する目的でなされたものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであること」である。

3 上記最判は,「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くことを違法提訴の要件とし,その一例として「提訴者の主張した権利等が事実的,法律的根拠を欠くものであるうえ,提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたこと」を挙げている。
 反訴原告は,反訴被告らの前件訴訟提起及び本件請求拡張が「提訴者の主張した権利等が事実的,法律的根拠を欠くものであるうえ,提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたこと」だけでなく,これに加えて,反訴被告らの提訴目的の反社会性(批判言論の封殺),反公共性(ルールを無視した裁判制度の利用)が「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」ものであることをも主張,挙証の対象とし,本準備書面では,本事案の特質(提訴の威嚇をもってする言論抑圧)を,できるだけ従前主張との重複を避けつつ,これまでに本件訴訟に提出された証拠や尋問の結果をふまえ,以下の構成で明確にした。

I 反訴被告らの主張する権利等が事実的,法律的根拠を欠くと容易に知り得たこと(本準備書面「第2」)
 (1)前件訴訟の提起について
 (2)本件請求拡張について
 (3)反訴被告らの反論について
? 反訴被告らが被侵害権利の回復よりも言論封殺を目的としていたこと(本準備書面「第3」)
 (1)反訴被告吉田が自ら発表した本件手記への批判を提訴    対象としたこと
 (2)提訴の妥当性を慎重に検討した様子がないこと
 (3)異常な請求拡張がなされたこと
 (4)上訴対象の選択基準が不自然であること
 (5)反訴被告会社において反訴被告吉田の言葉が絶対視されていること
? 反訴被告らの訴訟遺行態度について(本準備書面「第4」)
 (1)本件訴訟において反訴被告吉田が裁判所の呼出しに正当な理由なく応じなかったことについて
 (2)反訴被告らに勝訴の意思がないこと
 (3)反訴被告らに民事訴訟のルールに従う意思がないこと
 (4)反訴被告らの訴訟遺行態度は前件訴訟等の違法性に通   じるものであること
 (5)民事訴訟法208条の適用について
? 反訴原告の損害(本準備書面「第5」)
 (1)応訴費用
 (2)慰謝料
V 結語(本準備書面「第6」)

4 なお,以上の「I (本準備書面「第2」)」および「?(本準備書面「第3」)」は,主張と挙証にかかわるものであり,同「?(本準備書面「第4」)は,反訴被告の訴訟追行態度を,前件訴訟提起及び本件請求拡張の違法性に関連して論ずるとともに,その訴訟に求められる信義則に反する態度を事実認定にどう反映すべきかについての意見を述べるものである。

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第6 結語
1 非常識な無謬性の信念のもとでの無謀かつ違法な裁判利用
 以上のとおり,反訴被告ら(DHCと吉田嘉明の両名)の前件訴訟(スラップ訴訟)の提起及び本件請求拡張(2000万円請求から6000万円請求への拡張)は,その主張する権利等が事実的,法律的根拠を欠くことを容易に知り得たにもかかわらず,これを十分に検討しないまま行なわれたものである。
 反訴被告らがここまで無謀な訴訟の提起・請求の拡張に至った理由は,その目的が,毀損されたと主張する名誉の回復にあるのではなく,批判者を被告席に座らせることにより当該言論を封殺し,類似の批判言論を抑制することにあったからである。
 批判者を被告の席に付かせることが目的であるから,反訴被告らに勝訴の意欲はないし,裁判所の訴訟指揮に従う意思もない(それにより不利益な判決を招いても意に介さない)。その結果,一部でも勝訴すれば,それがどんなに些末な一部勝訴であっても上訴しないし,敗訴すれば最高裁まで上告し,敗訴が確定すれば,「反日弁護士と反日裁判官のせいだ。」と公言して憚らない。
 そして,反訴被告らが,このような無謀かつ違法な裁判利用に躊躇しないのは,反訴被告吉田の「凡人とは違う。自分の判断に不合理はない。」というやや滑稽とも思える無謀性の信念と,これに追従する被告会社のガバナンス欠如があり,さらに、反訴被告らの潤沢な資金力がこれを煽動している。
 反訴被告らは,前訴提起の違法性(スラップ性)を主張し続ける反訴原告のブログを差し止める目的で本件本訴を提起した(債務不存在確認訴訟)。反訴被告らは,この訴訟においても,裁判所の人証決定を無視し,反訴被告吉田は裁判所への出頭を拒否し続けた。これは,反訴被告らの体質,前件提訴のスラップ性を如実に示す事実でもある。

2 反訴被告らの独善的な提訴
  反訴被告らは,他者からの批判が当然に予想される本件手記を週刊誌に発表しておきながら,あふれ出た批判のうち影響力があると考えたものをピックアップし,経済力にまかせて名誉毀損訴訟を提起し,軒並み,敗訴もしくは実質敗訴の判決を受けた。その数は実に10イ牛にも及んでいる。
 さらに,内海証人の供述や第三者のブログ(乙15の1)の記載などからは,反訴被告らが10件の訴訟以外にも名誉毀損を口実に訴訟提起を予告して,批判的言論に対する恫喝を行っていたことがうかがわれる。反訴被告らの行為は,一般常識から遊離し,憲法が保障する言論の自由を萎縮させ,ひいては民主主義を衰退させるものである。権利救済のためにあるはずの裁判制度を,言論を萎縮させるための道具として利用させることを許してはならない。
 貴裁判所におかれては,表現の自由保障の重大さに十分な配慮をされるとともに,反訴被告らによる裁判制度の不当な利用を厳しく戒める判決を言い渡されるよう,切に希望するものである

(2019年6月28日)

大いに語ろう、消費税と年金のこと。参院選に勝抜いて改憲を阻止するために。

昨日(6月26日)、第198通常国会が150日の会期を終えて閉会となった。既に7月4日公示・同月21日投開票の参院選挙日程が確定している。いよいよ、日本国憲法の命運を左右する選挙戦の到来だ。

この国会会期中、改憲審議は1ミリの進行もなかった。衆参両院とも議席数では3分の2を上回る改憲派が、この千載一遇のチャンスを生かすことができなかったのだ。これはまさしく、民意のしからしむところ。議席分布と、改憲世論とはけっして相関していない。数では勝る自・公・維の改憲派議員も、改憲ゴリ押しの無理はできないことがよく分かっているからなのだ。

しかし、自民党は今回の選挙公約6本の柱の最後に、「憲法改正を目指す」を掲げた。自民党がこの選挙で「勝利」することとなれば、改憲への弾みとなり得る。

また、市民連合と5野党会派の「共通政策」も、その筆頭に「安倍政権が進めようとしている憲法『改定』とりわけ第9条『改定』に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと」を挙げた。野党陣営の「選挙勝利」は、改憲阻止の大義となる。

憲法の命運がかかる選挙ではあるが、実は必ずしも選挙の勝敗が憲法に関する民意如何で決せられるわけではない。選挙では、多くのイシューをならべて有権者の支持が競われるからだ。

いま、民意が改憲を望んでいるわけではない。だから、改憲勢力が、改憲提案を大きく前面に掲げて民意を問おうとすることはしない。安倍晋三が、昨日の記者会見で言ったことは、「(参院選の)最大の争点は安定した政治のもとで新しい改革を前に進めるのか、あの混迷の時代に逆戻りさせるのかだ」というものだった。必ずしも、改憲を前面に押し出し、改憲是非で、民意を問おうなどというものではない。

安倍は、民主党政権時代を極端に暗い世相に描き、経済の振興こそが最大の課題だとする。

「経済は低迷し、中小企業の倒産。今よりも4割も多かった。高校卒業し、大学を卒業して、どんなに頑張ってもなかなか就職できなかった。今よりも有効求人倍率が半分にしか過ぎなかったあの時代。全てのきっかけはあの参院選挙の大敗であります。まさに私の責任であり、そのことは片時たりとも忘れたことはありません。令和の新しい時代を迎え、あの時代に逆戻りをさせてはならない。そう決意をしております」

つまりは、安倍自民が前面に押し出すのは、経済問題であり、アベノミクスの「成果」なのだ。もちろん、アベノミクスが息切れし、その「成果」への実感が多くの人に乏しいことはアベ自身も良く知るところ。だから、「前政権の時代はひどかった」ことを強調して、「あれよりは今ずいぶんマシでしょう」となり。「あの時代に戻ってもよいとでも思っているのですか」と畳み込んでいるのだ。それが「政治の安定」か、「不安定な決められない政治」に戻すのか、という二者択一を突きつける問題設定となっている。

アベの戦略は、言わば「経済で票と議席を取って」、「その議席獲得の成果を改憲実現に生かす」というものだ。だから、改憲阻止を我がことと思う者は、今経済についても語らなければならない。アベノミクス批判の立場で。

この参院選は、「年金選挙」であり、「消費税選挙」である。総じて、経済や財政・税制のありかたが主たる問題となる。経済に関する論争を避けて通れない。

いまは、資本主義爛熟の世である。市場経済は、見えざる神の手による合理的な調和をもたらすとは、世迷い言。実は、この見えざる神は、多くの人を不幸に突き落とす死に神でしかない。

資本主義経済とは、これを野放しにしておけば、飽くなき資本の利潤追求欲求が多くの人々を搾取し収奪し尽くすことになる危険な存在である。富める者と貧しき者との不公正な格差は無限に広がり、長時間労働も幼児労働も蔓延し、植民地支配や好戦国家をも産み出す。その弊を除去するためには、経済の外からの別の理念による統制が必要なのだ。

民主主義の統治は、資本の搾取や収奪の自由を規制する。民主制国家の租税は、資本主義が原理的に作り出す貧富の格差を緩和するための、所得や富の再分配機能をもたなければならない。具体的には、徴税の場面では、担税能力の格差に対応する応能主義が原則となり、累進課税でなくてはならない。また、税の使途の局面では、国民の生存権を全うする福祉政策に適合するものでなくてはならない。

われわれ戦後教育を受けた世代は、福祉国家論を当然の常識として育った。国家は国民の自由を妨げてはならないと禁止されるだけでなく、富裕者からの富を集めて福祉政策を行うべく命令され、これを実行すべき任務を負っている。国家とは、財政とは、税務とは、そのように資本主義の矛盾を緩和して、資本の論理に対置される、人間の尊厳擁護の論理に奉仕するためにある。

このような視点から消費税を見れば、応能主義でもなければ、累進制でもない。むしろ、逆進制ではないか。どうして、こんな制度が、今の世に許されるのか。さらに、消費増税とは許しがたい。

そして年金制度。これも、所得と富の格差を緩和し、多くの人の老後の安泰を確保すべきものとして、年金支給原資に国庫資金を大きく組み入れてしかるべきなのだ。自助努力を強調する与党は、そもそも国家の成り立ちについての自覚に乏しいといわねばならない。

さて、これから、追々と参院選における経済的な論点の各論について書き継いでいきたい。改憲阻止のために、消費税・年金を論じようということだ。
(2019年6月27日)

平成29年から令和2年まで何年? すぐわかりますか?

何度も繰り返すことになるが、元号という代物。使用期間限定、使用地域限定という致命的欠陥をもった紀年法。日常生活にもビジネスにも、不便極まりない。こんな欠陥製品、みんなでボイコットするに如くはない。

ところが、国家は国民に、こんな不便な欠陥製品を使わせたくてしょうがない。事実上の使用強制である。なぜか。元号が天皇制と結び付いているからだ。天皇制という、統治の道具の一部として極めて有用だからなのだ。権力にとっての有用性は、被治者国民にとっての有害物である。

だから、元号とは、不便であるだけでなく、有害なのだ。国民主権に、民主主義に、精神の自由保障に有害なのだ。

大上段に、天皇制イデオロギーの危険やナショナリズムへの警戒を前面に出しても、通じない人には通じない。そのような人にも、元号の欠陥性、元号を使用することの不便は、よくわかってもらえる。

本日(6月26日)、ある消費者関係の弁護団メーリングリストに、こんな投稿が掲載された。その弁護団で共通に使用している書式の日付欄を、「平成」から「令和」に変更するという事務手続に関しての意見。

 △▼先生、お疲れ様です。茨木です。
 書式の微修正の中味は「平成」を「令和」に変更したということのようですが、純粋に合理的に考えれば、元号表記より西暦表記の方が容易(4桁の数字だけだ)且つ便利ですから、元号部分を省いたらどうでしょうか。4桁の数字では、何か不都合がありますか。
 例えば、平成29年に受任した事件が、令和2年に解決したという場合、何年かかったんだ、とすぐわかりますか。頭の中で「平成29年を西暦に換算すると2017年だな、令和2年を西暦に換算すると2020年だな、すると2020から2017を引くと3だから、3年もかかったんだ」と、無駄な作業を強いられるのではないですか。西暦をつかわないことを徹底するならば、何年かかったんだということを、頭の中といえども、西暦に換算することなく算出する必要があります。面倒ではないですか。元号表記を徹底するという人は、多分、「2020年オリンピック」と言わず、本年4月迄は「平成32年五輪」、5月からは「令和2年五輪」とでも言ってるのでしょうが、そこまでこだわる意味がわかりません。
 書式の話に戻ると、上記の意見は、純粋に合理性の観点からの意見であって、ここでは、その観点からだけで決めても特に不都合はないのではないか、西暦表示にすれば△▼先生がわざわざ時間と神経を使って微修正作業をする必要もないのではないか、と愚考するものです。
 年の前を空白にしておけば、どうしても元号を使いたい人は、4桁の数字の代わりに、2文字の元号と1又は2桁の数字も記載できますから、不都合はないでしょう。
ちなみに、みずほ銀行の預金口座の入出金年月日の表記も、元号から西暦に移行しました。三菱UFJ銀行は、依然、元号ですから、31年から1年に戻りました。ある程度時間がたった時点で、三菱UFJ銀行の預金口座入出金年月日を見ただけでは、平成なのか令和なのか判断に迷う事態が生ずる可能性があります。

 なるほど、分かり易い。わざわざ、「上記の(私の)意見は、純粋に合理性の観点からの意見」と強調するなど、心憎い。投稿者は、親しい茨木茂さん。私も見習いたい。

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茨木さんの発言は、端的に「不便な元号使用を止めよう」というもの。似て非なるものに、「国の機関は『西暦併用を認めよ』」とする要求の運動もある。そのような運動体から、6月23日に次のような連絡があった。

 「西暦併用を求める会」は、「西暦併用を求めるアピール」を2019年6月6日に議員会館において記者会見して発表し、東京新聞、しんぶん赤旗、クリスチャン新聞、社会新報でその模様は広く報道されました。  

 「元号さよなら声明」への賛同者は833人に及びました。当初は賛同者数が数万のオーダーで増えていくと思っていましたが、なかなか賛同者数が伸びない結果となりました。

 しかしながら、私たちの以下の3項目要求は2番目の項目が眼目であるという理解がじわじわと広まっていき、多くの仲間を得て、新たに「西暦併用を求める会」として出発していくことになりました。

1.届出や申し込みの用紙、Web上のページなどにおける年の記載は、利用者が元号を用いなくても済むものとし、また利用者に元号への書き直しを求めないこと。

2.公の機関が発する一切の公文書、公示における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

3.不特定多数を対象とする商品における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

 立法・行政・司法の三権の国家機関、地方公共団体の元号のみの年表示をやめさせ世界標準の西暦表示にさせていくことを最終目標にしながら、まず西暦の併用を実現していくことを、粘り強く、様々な団体や市民の有志のみなさんとともに運動を今後とも進めていきたいと思います。

 Changeキャンペーンによって、みなさまのご賛同をいただいたことは大きな支えです。今後の運動の発展と継続を決意することができました。特定の立場や団体をベースにしたものではない、市民発の運動を作っていく契機や基盤が構築できたという面では、今回のキャンペーンは成功を収めたと考えます。

 何十年もの間元号のみを年表示として恬として恥じない公的機関(国会・内閣・政府・裁判所や諸々の地方自治体)の頑な姿勢を改めさせ、西暦表記もあわせてすることを実現していくという私たちの運動はまだまだ多くの方々の協力と知恵が必要です。

 引き続き、「西暦併用を求める会」として活動していきますので、「西暦併用アピール」へのご賛同・ご支援をお願いします。

 Changeキャンペーンも、「西暦併用を求めるアピール」として続けていきます。よろしくお願いします。

いろんな人が、いろんな場で、いろんなやり方で、「元号不使用」の声を上げていくことを期待する。

なお、「西暦併用を求める会」は、賛同署名を継続している。趣旨に賛同していただける方は、下記の西暦併用を求める会ブログをご覧になっていただき、ネット署名を。
https://seirekiheiyo.blogspot.com/p/blog-page.html

(2019年6月26日)

戦争は絶対に厭だ。われら庶民、儲けと権力欲の「戦争屋」にだまされてなるものか。

「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」から、厭戦庶民』の32号と33号が届いた。小さなパンフだが、とても面白い。充実している。肩肘張らないつぶやきもあれば、肩肘張った論文もある。石川逸子さんの詩もあり、みごとな替え歌もあり、言葉遊びもある。肩書を「弁護士・平和委員会代表理事」として内藤功さんも書いている。多くは、神奈川県内の活動家、それも元気溢れる高齢の方の発言集。

この会は、名物活動家・信太正道さんが主宰していた。元特攻隊員だったが出撃寸前に敗戦となって命ながらえた方。戦後は海上保安庁職員、海上自衛隊、航空自衛隊をへて日航機長となった。徹底した非戦論者で、9条改憲阻止の信念と活動に揺るぎがなかった。

信太さんは2015年11月10日に亡くなられたが、その遺志を継ぐ人々が「戦争屋にだまされない」とする、「厭戦庶民の会」の活動を続けているのだ。ひとりの人の熱意が、その人の死後にも他の人に受け継がれる好例。

この会の会則は、9か条ある。その第9条が、以下のとおりである。
「(不戦の誓い)私たちは、戦争を放棄し、軍備および交戦権を認めません」

「改憲的護憲論」には反対を明確にしたうえ、反アベ政権の運動においては、そういう人とも批判的に共闘を、という学習会の報告もなされている。

時節柄、天皇や天皇制、元号に関わる論稿が多い。象徴天皇制を厳しく指弾する意見もある。こんな記事が目を惹いた。

「私は天皇制は勿論、天皇の存在そのものに絶対反対なのです。」という立場を明確にした方の、かなり長い論文の次の一部分。

「戦直後、当時の共産党を中心に、天皇制打倒が叫ばれた。しかし、そこには天皇制の捉え方について、二つの意見があった。
 一つは、徳田球一書記長のとらえ方=天皇とは、どう言い繕っても、排他的民族主義・侵略性の思想を秘めた国のトップである。今こそ(この敗戦という大転換期に)即これを無くさないかぎり、いかなる共和的民主国家も出来得ない。というもの。
 今一つは、野坂参三に代表されるとらえ方=天皇には二つの側面がある。一つは絶対的天皇制権力機構であり、他方は宗教的側面である。天皇制権力機構は即廃絶すべきであるが、他の天皇の宗教的側面は国民が天皇を慕っているのだから、今、それをも即打倒というべきでなく、後の、国民投票によるべきだ。        そして結果的に…いろんな経緯はあるとしても日本の新憲法に、この野坂泰三氏の思想が取り入れられた。
 天皇の制度権力機構は廃止する。しかし日本国の象徴として天皇を残す。である。」

 「天皇制の忌まわしさにおいて、その独裁的権力機構と、その宗教的といえる精神的なもの象徴天皇制とどちらが恐ろしいか、私に言わせれば後者です。」

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そして、紹介したいのが、疎開世代の「戦争体験」。

美空ひばり「一本の鉛筆」と
「日米安保闘争」
私の「厭戦」の原点です
長谷川徑弘(84歳)

 毎年5月の「平和のための戦争展inよこはま」に「美空ひぱり?一本の鉛筆」の展示を担当して久しくなります。
         ◇
 これには、私が「太平洋戦争」下、横浜から箱根に集団疎開していた時に、母親が「粗末な便箋に鉛筆書きの手紙」を毎月1通出してくれた思い出があるからです。
 今年(2019年)6月24日は美空ひぱり没後30年です。
 新聞・TVなどで、回顧番組があるでしょうが、「一本の鉛筆」の紹介があるかどうか。若い人たちには、「ひぱり」が、忘れられてきているかも、気がかりです。
         ◇
 「一本の鉛筆」のメロディも歌詞も、淡々としていますが、共に彼女の心情をこめた最高のものです。メロディは低音域でゆったりした3拍子。
 歌詞には
 「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」
 「一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く」
 「一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く」
 「人間の命と書く」

 「ザラ紙」は「わら半紙=上質紙に対して下等紙」の事。
          ◇
 こうした歌詞が、私が疎開先で受け取った母からの「便箋に鉛筆書き」の手紙とダプルのです。
 その母は、5・29横浜大空襲の後の6月9日、産後の体を壊して他界。赤子も後を追う。私と妹は集団疎開先に居て、母の死に顔を見られなかった。
 「母を返して」。

 こんな事も。戦後、親戚預けになった弟2人が、他人様への気苦労人生でか、数年前に病み他界。今、残りは、年長組の兄・私・妹の3人。人生が逆さまになった。
         ◇
 「戦争体験者」は、「戦争体験」を語り続けなければなりません。「過去」の先に「現在と未来」があるから。
 ひばりさんは、横浜大空襲の前、4月16日の磯子地区の“はみ出し爆撃”で被災して。
         ◇
 私の住まいの玄関脇に「一本の鉛筆?ひばり」の手製ボード、メーデーなどには手製プラカー
ドを抱えて出かけます。どこかで見かけたら、私です。
 私のもう一つの。“厭戦”は、「日米安保条約」です。
?1952年「旧安保」(「起ちあがれ(安保破棄の歌)」、
?1960年「新安保」(子ども遊び「アンポハンタイ」/6・23全国統一行動)、

?1970年「10年固定期限終了・安保廃棄6・23集会各地で盛り上がる」。
         ◇
この後、「安保闘争」は影が薄くなって、はや50年・半世紀になろうとしています。
 私は、「諸悪の根源・日米安保条約」と指摘する畑田重夫先生(95歳)からいただいた「生涯学習・生涯青春」の直筆色紙を、机前に貼りつけ、がんぱっています今、84歳。

今、このような無数の先輩たちが、「改憲阻止」「安倍ヤメロ」の運動の先頭にいる。
(2019年6月25日)

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