てれすこは、子どもの頃からラジオでよく聞いた。さして面白い噺ではない。何度聞いても、オチがよく分からなかった。不粋にオチを説明されても…、やっぱりよくは分からない。分かったようでも面白くはない。
「圓生百席」のCDで聞くと、マクラが実に巧みで面白い。ずいぶんと推敲された無駄のない語り口。聴衆のいないスタジオ録音であれだけ語れるのは、さすがに名人の芸。しかし、やっぱり噺自体はさして面白くはない。噺のなかでオチの説明がなされている。さらに、インタビューの芸談で説明が付加されているが…、オチはつまらない。
この噺、奉行所がやたらと大きな顔をする。漁師が漁場で珍しい魚を捕ったが、名前がわからない。そこでお役人に聞きに行く。というのが、噺の始まり。奉行所って、いったい何だ。漁師が、珍魚の名を聞きに行くところか。
もとより、魚の名前なんぞ役人が知るはずもない。だから、「知らぬ、存ぜぬ」「ここは、魚類鑑別所ではない」で済むところを、「調べをするからしばし待て」ということになる。で、その魚の絵を何枚も書いて、「この魚の名を存じる者は申し出よ。百両の賞金をつかわす」と広告する。この辺はバカバカしいが、落語らしくもある。
これが評判になり、近在から人が押し寄せる。なかに、多度屋茂兵衛という男。魚の名を知ると申し出て、もっともらしく現物を見てから、「これは『てれすこ』と申す魚にございます」。
「ん? 『てれすこ』?」。まさかとも、違うだろうとも言えない。役人だって知らないのだから。「サンタクロース」だって「WC」だって、なんでも良いのだ。役人は怪しいと思ったが、咎める訳にも行かず、「てれすこで100両はなかろう。30両にまけろ」とも言えず、100両持たせて帰した。
この話を奉行に伝えると、少し考えて、「この魚を干してみよ」との仰せ。干すと大きさも小さくなって趣も変わった。『この度も珍魚が捕れた。この魚の名が判る者は、役宅に届け出よ。褒美として金100両つかわすもの也』と、前と同じようにお触れを出した。再び人だかりがして大騒ぎ。
また、多度屋茂兵衛が現れ、その名を知るという。聞けば『すてれんきょう』だと言った。「先日は『てれすこ』と申したその魚を干したものが、どうして名が変わる。上を偽る不届き者め。吟味中入牢申し付ける」となった。その頃だから「吟味中入牢」。今なら、「予審中未決」(と圓生は言っている)。
吟味の末「多度屋茂兵衛。その方、『てれすこ』と申せし魚をまた『すてれんきょう』と申し、上をいつわり、金子をかたり取ったる罪軽からず。重き咎にも行うべきところなれど、お慈悲をもって打首申しつくる」と判決が下った。
その上で、「最期に何か望みがあれば、一つは叶えてつかわす。酒がほしければ酒を。タバコを吸いたければタバコでも」というので、茂兵衛うなだれて 「妻子に一目、お会わせ願いとう存じます」。
乳飲み子を抱いて出てきたかみさんのやせ衰えた姿に茂兵衛が驚いてようすを聞くと、「亭主の身の証が立つようにと、火物断ちをしていましたが、赤ん坊のお乳が出ないのはかわいそうなので、そば粉を水で溶いたものをいただいていました。そのため痩せ衰えて」と言う。「それほどわしの身を案じてくれてありがたい。もう死んでいく身、思い残すことはないが、ただ一つ言い残しておきたい。この子供が大きくなったのち、決して『イカ』の干したのを『スルメ』と言わせてくれるな」と遺言をした。
当時、奉行のお裁きに控訴ということは絶対にできなかった。が、男の機転の一言に、お奉行が膝を叩いた。「多度屋茂兵衛、言い訳相立った。『イカ』の干したのが『スルメ』。『てれすこ』を干して『すてれんきょう』でくるしゅうない。無罪を申し渡す」。
茂兵衛は喜んだ。首のなくなるのを、スルメ一枚で助かった。助かるはずです、おかみさんが火物(干物)断ちをしましたから。
今の世の国の仕組みは、三権分立てなことを申しますな。権力てぇものは恐ろしいものでできるだけ、権力は強くない方がよい。てれすこのお奉行なんて、権力そのもので、茂兵衛をペテンに掛けておいて、「入牢申しつくる」「その罪軽からず。お慈悲をもって打首申しつくる」なんて、ひどい話しじゃないですか。権力とは、人の自由を奪うことも、人を殺すこともできる。じゃあ、権力なんてない方がいいかというと、まったくなくても困るんですな。警察も消防も、上下水道もゴミの回収も、裁判所も刑務所もみんなの役に立っている。
そこで、必要な権力を適切に行使するような仕組みを考えなければならんというわけですな。そのためには、権力を集中せずに分散する。分散した権力が、相互に監視し合い、牽制し合うようにしなけりゃあいけない。
お奉行さまてぇのは、分立していない丸ごとの権力ですな。強すぎて危険きわまりない。奉行の権力をまずは法で縛らなきゃならない。奉行といえども、法の認めないことはできないようにしなければならない。「無礼者、入牢申しつくる」「打首申しつくるものなり」なんて、勝手に言い出されたのでは迷惑この上ない。法の縛りをかけて、不当、不合理な振る舞いを止めさせなければならない。
お白州での裁きの仕方についても、お奉行は権力強過ぎですな。文明の知恵は、訴追の権力と裁判する権力とを分離してきたわけですよ。そもそもが、お調べでは多度屋茂兵衛に十分弁明の機会を与えなくてはならない。できれば、弁護人も欲しいところ。
圓生は言っていますな。昔のお白州にムシロなんてない。砂利の上に座らせた。被告人だけてなく、証人までもだそうです。人権思想のない時代。くわばらくわばら。
権力てえものは、自分ファーストなんですな。ありがたがってはいけません。信用しちゃあいけませんね。権力は腐敗するんです。いつの世も同じことですよ。ましてや、一強への集中はいけません。アベシンゾーを見ていりゃあ、よくお分かりでしょう。
(2018年10月4日)
戸田謙さんは、私が師事した弁護士である。本当にお世話になった。
私は1968年の司法試験に合格した。あれから、ちょうど50年になる。翌69年3月末に在学満6年の大学を中退して、翌4月最高裁司法研修所に第23期司法修習生として採用され、71年3月まで2年間の司法修習を受けた。そして、いわゆる「司法反動」真っ盛りの71年4月に司法研修を終了して弁護士になっている。
当時の司法修習は有給で、修習専念義務は当然のことと受け入れた。カリキュラムの過密を意識することはなく、現役の裁判官・検察官・弁護士から成る教官たちは、真摯で至極真っ当な法感覚の持ち主だった。その人たちが、後輩法曹をあるべき姿に育てるようとしている情熱に敬意をもった。
当時各年500人の司法修習生は、2年間の修習期間中に、どの分野に進むかどのような法曹になるかを十分に考る機会を与えられ、自主活動も活発で余裕のある2年間だった。
司法修習は、司法研修所に集合しての前期研修から始まり、その後1年6か月全国各地に分散しての実務修習を経て、再び司法研修所での後期研修で終了する。最後に、卒業試験に相当する「二回試験」の合格をもって、弁護士・裁判官・検察官の法曹資格を得ることになる。
私の実務修習地は東京だった。配属弁護士会は第二東京弁護士会。このとき、その後二弁会長となる戸田謙弁護士が私の修習指導担当となり、4か月間西新宿の戸田謙法律事務所に通った。たまたま、戸田さんも私も西武新宿線野方駅の近くに住んでいて、よくご自宅にお邪魔もした。
戸田さんを語るには、その容貌に触れざるを得ない。顔面に大きく痛々しいケロイドあった。右手も左手も火傷の跡、指が十分に動くはずはなかった。大きな事故に遭遇した人であることが、一目瞭然であった。戦時、戸田さんは陸軍機のパイロットだった。浜松の陸軍飛行場で、終戦間際に乗機ごと炎上の事故に遭い、当然に死亡したものとして死体置き場に安置されて一晩を過ごしたという。翌日、息のあることが判明して治療を受け、一命を取り留めたと聞かされた。乗機の炎上が、戦闘による被弾だったか訓練中の事故によるものか、聞いたはずだが失念している。なにせ50年前のことだ。
奥様が、昔の写真を取り出して「事故の前は美男子だったのよ」と言っておられた。なるほど、そのとおりだった。戦後、復員した戸田さんは、東京帝大法学部に入学する。一見して負傷兵と分かる風貌は学内で目立つものだったようだ。ある授業の時に、教授が講義を中断して、戸田さんに負傷したときの様子を語らせた。そして、「将来は新生日本のために働きたい」という戸田さんの言に感動して、「今大学は、君のような学生が学問をするためにこそある」と言ってくれたという。
戸田さんは、卒業後弁護士となって、日教組弁護団員として活躍する。地方公務員労働組合のストライキに対する刑事罰からの解放や、教育権をめぐる訴訟にスポットライトが当たっていた時代のことだ。また、青年法律家協会の設立メンバーの一人にもなった。思想的には、日本社会党左派の支持者だった。そのせいもあってか、自由法曹団には縁がなかった。
労働事件だけでなく、行政事件も多く手がけておられたようだった。日教組弁護団員として各地の事件を受任していたのだから、当然に関連した依頼があったのだろう。何がきっかけだったか、「澤藤君、地方自治法の住民訴訟に、『怠りたる違法の確認』という訴訟形態があることを知っているかね」ときかれた。「いやまったく存じません。そもそも住民訴訟について殆ど何も知りません」。「地方自治法242条の住民訴訟の類型の中に、『怠りたる違法の確認』というものがある。めったに使われないが、おそらく私が始めて実務で使った。盛岡地裁でのことだ」と、楽しそうに話しをしてくれた。戸田さんの話は、いかにも受任事件を楽しんでいるという雰囲気に満ちていた。後年私は盛岡地裁で、岩手靖国訴訟を住民訴訟として闘うことになる。
戸田さんは、他のだれよりも早い時間に事務所に出て、独り起案をしていた。その訴状や準備書面・弁論要旨などは、独特の文体だった。「キミ、この件書いてみないかね」と言われて、いくつか書面の起案をしている。毎回、「キミは若いのに、えらく堅苦しい文章を書くんだね。研修所はそんな文章の書き方を教えているのかい」と、ご自分で書き直していた。戸田さんの文章は、自由闊達なのだ。「どうしたら、裁判官を説得できるか」だけが問題なのだという。
一度だけ褒められたことがある。戸田さんは、著名なペット雑誌の「ペットにまつわる法律相談」欄の連載を執筆していた。「こんな質問がある。澤藤君、書いてみないか」と言われて2編ほど書いた。私は学生時代に、原稿リライトのアルバイトを長くやっていた。依頼主の要望に沿った文章を所定の字数で書くことは苦にならなかった。私が書き上げた原稿は、ほぼそのまま雑誌の活字になった。「キミ、裁判所に出す文書以外なら、よいものを書けるじゃないか」というのが、お褒めの言葉だった。
その戸田さんが、1956年2月10日に、衆議院で参考人として意見を述べている。「公職選挙法改正に関する調査特別委員会」で、選挙運動の公正と自由について語っているのだ。肩書は、「日本教職員組合顧問・弁護士」である。その長い意見の冒頭だけを引用しておきたい。戸田さんらしい、明晰で分かり易い語り口の一端。
私は弁護士の戸田謙と申します。…日ごろわれわれ若い者が考えておる選挙というものに対する考え方を若干述べさせていただきまして、あと、そういう観点から、今日の改正案に対する部分的な意見を述べさせていただきたいと思います。
近年、金のかからない選挙とか、あるいは政界の浄化、腐敗の防止、こういうことが盛んに叫ばれ、これは国民の全世論であろうと私は考えております。しかし、それに沿った選挙法の改正というものがいつできるであろうか、私はいつもそういう観点からながめておりますが、今回の改正案を拝見させていただきますならば、それに一歩近づいたと見られる点もございますけれども、逆行したと思われる点もあると思うのであります。私が申すまでもなく、選挙というものは公正が第一の眼目でなければならないと思います。そのためには、選挙の運動その他の選挙の要素というものは、言論闘争一本、これに徹底できるような選挙法でなければならない。これが本来の理念であろうと思います。しかし、にわかにその段階に達し得ないといたしましても、その根本的な理念に沿った法律改正が進められるべきものであると考えます。民主主義を根本原則とする憲法、その憲法に基いて保障された政治に参加する権利、代表を選ぶ権利、こういうものを行使する権利並びに義務を持っている国民が、また憲法で保障しているところの言論の自由、表現の自由、思想の自由、そういう最大の基本的人権を駆使して、言論闘争一本によって選挙が完遂される、こういう時代が来ること、われわれとしては望んでおるわけであります。
そういう精神から考えますならば、選挙の手段としましては、言論闘争以外の要素は極力排除すべし、すなわち金力による選挙が行われやすいような法規は改正すべし、そういう基本理念によって法律が変えていかれなければ、いつまでたっても進歩はないと思います。そういう私の考え方を貫くならば、本来選挙の完全公営ということが理想であることは言うまでもありません。しかし、それは現段階では無理なのでありましょうが、そういう理念から考えますと、今回の細部の改正案を拝見しまして、いろいろ問題点があろうかと思います。…
私は本郷に転居して以来、近所の歯医者さんにお世話になっている。ある日、その歯医者さんが、「澤藤さん、戸田謙先生とお知り合いだそうですね」と言う。やや驚いたが、「戸田先生とは、同じカントリークラブでよく、一緒にコースをまわる仲なんですよ。」とのこと。そういえば、修習中に、「キミはゴルフをやらんのかね」と聞かれたことがある。「私はゴルフは嫌いです。自然破壊の最たるものですし、キャデイにバッグをかつがせて歩くという文化にもなじめない」と答えると、「そう、杓子定規に考えなくてもいいんじゃないか。ゴルフは面白いよ」とおっしゃる。
戸田謙さんは工夫と修練を重ね、あの障害を克服してゴルフを楽しんでおられた。ボウリングにも挑戦されていたという。脱帽するしかない。
いつか訪ねていかなくてはと思いつつ、その歯医者さんから、「実は、先日戸田先生が亡くなられました」と教えられた。逝去の日は、2005年3月26日。その後、その歯医者さんも亡くなられ、今はお嬢さんが跡を嗣いでいる。
戸田謙さんは私が師事した弁護士である。お世話になりながら、生前十分に御礼を述べる機会を失ったことか悔やまれてならない。
(2018年10月3日)
控訴人ら訴訟代理人弁護士澤藤大河から口頭で意見を申しあげます。
本日陳述の準備書面(1)は、本件の主たる争点である漁業調整のあり方に関して下記4点の主張を行うものです。
第1 漁業調整の基本理念は漁業法の目的規定にある「漁業の民主化」にこそあって、「漁業民主化」の観点から適切な漁業調整が行われるべきであること。
第2 漁協の立場には、対外的に行政や大企業などの強者と対峙する側面と、対内的に弱者である組合員に対する側面との二面性があって、本件は後者の局面における問題として、弱者である零細漁民保護の漁業調整が行われるべきであること。
第3 漁業統計は、岩手県内の個人漁業が崩壊の危機にあることを示しており、控訴人らの本件サケ刺し網漁許可の必要性は喫緊の切実なものであること。
第4 公開されている限りでの県水産行政幹部職員の県内漁業団体への天下りの実情。
第1 アジア太平洋戦争の敗戦は、わが国の制度と文化を根底から変革しました。大日本帝国憲法時代の「旧体制」は崩壊し、あらゆる分野の「民主化」が進展しました。漁業法も戦後改革立法のひとつとして、民主化を高く掲げたものです。
その第1条は、「漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。」と定めています。周知のとおり、終戦直後GHQは日本政府に対して、わが国の民主化のための5大改革指令を発しました。そのなかに「経済の民主化」があり、財閥解体と農地解放が断行され、続いて漁業の民主化が実行されました。
「経済民主化」とは、政治的社会的強者の利益独占を許さぬことであり、利益の平等配分を意味しています。零細漁民にも、漁獲による生計の維持を保障することこそが、権利の実質的平等に支えられた「民主化」の理念にほかなりません。漁業調整とはこのような漁業者相互間の権利関係の調整の理念なのです。そのことが甲21の漁業法法案審議における農林大臣の答弁によく表れています。
また、漁業経済学者である二平章氏の意見書(甲22)では、漁業調整の具体的理念として、「弱小漁民の保護」の原則が強調されています。強大な事業者と零細な漁民の軋轢があれば、零細漁民を優先することが想定されているのです。これは、戦後の一時期の特別な政策ではなく、近時国連が積極的に押し進めている「家族農漁業の保護」「小規模伝統漁業の保護」など、零細漁民の経営の保護は今日的な世界の潮流でもあります。
いま、岩手県のサケ漁は、大規模定置網漁業者に独占され、零細漁民が排除されています。強者の利益を全面的に擁護して弱者の側を切り捨てた現状。法的正義が要求する「漁業の民主化」という視点からは、倒錯した漁業調整の現状というほかありません。
第2 次に漁協の二面性について述べ、ご理解をいただきたいと思います。
岩手県内の定置網漁の過半が漁協の経営するものです。したがって、漁民と漁協との漁業調整が問題とならざるを得ません。もちろん、漁協は保護しなければならない大切な組織です。しかし漁協が大切なのは、漁民の利益を実現するための自主組織であるからであって、漁民の利益と相反する局面で漁民に優越して保護を受けるべき立場にはありません。
漁協の根拠法である水産業協同組合法第4条は、「組合は、その行う事業によってその組合員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と定めています。水協法は、漁業法とともに漁業民主化を担う法律ですが、その法案審議における水産庁の法案の趣旨説明が、甲23の衆議院水産委員会議事録です。「協同組合というものは、その組合員が組合の経営に参加をし、組合員がその組合の営む事業から直接に便宜を受けるような組織、それが協同組合の本質であります」と解説しています。
また、二平章氏の意見書(甲22)は次のように「漁協の二面性」を強調しています。
「漁協には二面性があります。漁民が、国家や自治体と対峙する局面では、個々の漁民は無力です。多くの漁民が漁協に結集することで要求を実現させることができるのです。また、公害を垂れ流す企業や、資源を取り尽くす巨大事業者と対峙する場合にも、漁協や漁連は、漁民にとって頼りになる存在です。しかし、中間団体の常として、構成員に対しては権力的な側面があります。漁協も漁民と対立する存在となり得るのです」「組合員の漁業を直接侵害する自営事業を行うことは、法的な目的に反するというほかありません」
漁協の自営定置漁の漁獲高を確保するために、組合員の刺し網漁を禁止するなどは、法の想定するところではなく、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ません。
第3 次に、漁業統計から見た、岩手県沿岸漁業の実態について述べます。
「2013年漁業センサス(岩手県分)」(甲20)によれば、2013年の県内個人経営漁業者数は2008年に比較して、実数にして1926人の減、減少率37%となっています。さらに注目すべきは、県内漁業者の高齢化と後継者不足の実態です。20代の個人漁業者は全県でわずかに24人。0.7%に過ぎません。70歳以上が28.6%、60代が33.6%。県内漁民の62.2%が60歳以上なのです。しかも、高齢化している漁業者に後継者がありません。調査に後継者なしと回答した者が76.7%です。
その原因となっているのが、漁民の低所得です。漁獲物・収穫物の販売金額の規模別調査の結果では、年間売上高100万円以下が46.6%。また、売上高500万円?1000万円の中堅クラスに当たる漁民層が、2008年の989人から2013年には325人と、実数にして664人、率にして67%も激減しています。岩手県の沿岸漁業崩壊の危機を物語る数値と言わざるをえません。
この事態を打開する最も有効で現実的な危機回避策が、サケの固定式刺し網漁の許可にほかなりません。これは、漁業調整判断の重要な公益的要素であって、岩手県は、控訴人ら零細漁民の本件許可申請に対しては、積極的に許可をしなければなりません。大規模定置網漁者の操業を禁止するのではありません。まさしく、利害の「調整」なのです。
第4 最後に岩手県水産行政幹部職員の、県内漁業団体への天下りについて述べます。
大規模な定置網漁によるサケ漁の独占こそが、県漁業界最大の権益です。零細漁民をサケ漁から閉め出して、合法的にその利益を独占するには県政の協力が不可欠であるところ、長年の業界と県政との癒着がこれを可能としたものと指摘せざるを得ません。
岩手県内の漁業界と県水産行政との癒着を象徴する事象が、水産行政幹部職員の県内各漁業関係団体の要職への天下りです。岩手県水産行政のトップが、農林水産部・水産振興課総括課長職です。昨年3月末までその職にあった職員は同年6月岩手県内水面漁業協同組合連合会の専務理事に天下りしています。その前任者は、2013年3月末に総括課長の職を辞して同年5月社団法人岩手県漁港漁村協会の専務理事に就任し、さらにその2年後の2015年5月には、社団法人岩手県さけ・ます増殖協会の専務理事となって現在に至っています。なお、両氏とも、県漁連理事または監事を経験しています。
その余については、控訴人らにおいては調査しがたいので、最近5名の元総括課長について、県職員を離職後の職歴について明らかにするよう、被控訴人に求めます。
以上です。
(2018年10月2日)
これは快挙だ。なんとも目出度い。暗雲晴れた心もち。「玉城当選」の報に、カチャーシーを踊りたくもなる。指笛が聞こえてくるようだ。前途は多難なれども、希望が見えてくる。
今日は会う人ごとに、「沖縄の選挙結果、よかったですね」「アベ三選の出鼻をくじきましたね」「臨時国会での改憲発議なんてあり得ないでしょ」と話がはずむ。この選挙結果の最大の功績は、平和や民主主義を願う人々を元気づけたことだ。市民と野党の共闘で、改憲勢力に勝つことができるという自信と勇気。沖縄県民に、御礼を言わねばならない。
各紙の朝刊一面の見出しも踊っている。とりわけ、毎日新聞が素敵なフレーズ。「沖縄県知事選 知事に辺野古反対派」「安倍政権に痛手 玉城氏初当選」というもの。「安倍政権に痛手」に、思わず笑みがこぼれる。
毎日のリードは以下のとおり。「翁長雄志知事の死去に伴う沖縄県知事選は30日投開票され、翁長氏の後継として米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対する元自由党衆院議員の玉城デニー氏(58)が、移設を進める安倍政権が支援した前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)=自民、公明、維新、希望推薦=ら3氏を破り、初当選した。政府は移設を計画通り進める方針だが、玉城氏は『あらゆる権限を駆使して阻止する』としており、今後も政府と沖縄の対立が続く。玉城氏の得票は沖縄県知事選で過去最多得票となった。
開票結果は以下のとおりだった。
玉城デニー 396,632票 得票率55.1%
佐喜真 淳 316,458票 得票率43.9%
その差、実数で8万票。得票率で11%。
はて。この得票率55%と44%の対比。最近どこかで見たような。
9月20日の自民党総裁選で、党員・党友による地方票での安倍晋三対石破茂の得票が、55.4%と44.6%。ちょうど11%の差。この差は小さくない。アベ一強を支えるのは、自民党内の議員集団を締めつけての8割の支持。しかし、党員・党友のレベルではその支持は、55%に過ぎず、国民レベルでは明らかに半数を割ってずっと低い。アベさまご一統は、公明・維新・希望の3党を加えた総力戦で、44%弱しかとれなかったのだ。
県民の投票行動の詳細な分析は後回しにして、改憲阻止運動に関心をもつ立場からの感想を述べておきたい。佐喜真の得票44%と、玉城の得票55%とは、憲法改正国民投票における改正是と否の目安になるのではないか。今回の選挙の最大の争点は新基地建設容認か反対か。これは、憲法の平和主義についての賛否と重なる。辺野古新基地建設容認の自民・公明・維新・希望の4党が、アベを先頭とする改憲勢力の総体。対して、憲法の平和主義を擁護しようというのが、立憲・国民・共産・社民・自由・社大の改憲阻止勢力。アベ改憲への賛否の分布が、佐喜真の得票44%と玉城の得票55%に表れたとみて、大きくは間違っていまい。アベ改憲の発議などは軽々にできないことが、深く印象づけられた。自民の非アベ勢力、公明の良心層はアベとの心中を警戒しなければならなくなる。
週刊朝日オンラインが、こう伝えている。
安倍政権としては辺野古基地移転問題などを抱え、絶対に勝たなければならない選挙だった。自民党幹部がこう頭を抱える。「4年前に翁長氏に負けた瞬間から、4年後に勝つためにやってきた。告示前から、二階幹事長を筆頭、筆頭副幹事長の小泉進次郎氏も3回も沖縄入り。公明党も山口代表以下、幹部が続々と現地に入った。新潟県知事選挙で勝利したように、期日前投票で圧勝して貯金をつくり、当日は互角で勝つ戦術だった。だが、自民党、公明党の支援者でも辺野古など基地移転問題では反対を示す離反者が続出した。玉城氏の演説会に創価学会の三色旗を振る人まで出て、票が流れてしまった。とりわけ、これまで安倍首相に代わって厳しい姿勢を沖縄にとり続けていた菅官房長官が進次郎氏と一緒に入って演説したことが、失敗だった。辺野古のへの字も言わず、携帯電話の値下げの話などを延々と喋り、『帰れ』と怒号まで飛び交う始末だった」。
驕れるアベも久しからず、野分の前の灯の如し。
(2018年10月1日)
「法と民主主義」は年10回刊。2・3月と8・9月が合併号となる。このほど本年(2018年)8・9月号(№531)が発刊となった。
編集委員の一人である私が言うのもやや気が引けるが、原発問題に関心をもつ法律家・ジャーナリストには、必見の内容である。
ぜひ、下記URLからご注文を。
https://www.jdla.jp/houmin/
https://www.jdla.jp/kankou/itiran.html#houmin
特集のタイトルは、ずばり「原発と人権」。「人間・コミュニティの回復と原発のない社会をめざして」というやや長い副題が付せられている。第4回「全国研究・市民交流集会 in ふくしま(2018.7.28?7.29)」の報告集となっている。集会報告の録音を起こしたものではなく、あらためて執筆していただいたもの。
目次をご紹介しておこう。
★特集「原発と人権」人間・コミュニティの回復と原発のない社会をめざして 第4回全国研究・市民交流集会 in ふくしま(2018.7.28?7.29)より
◆特集にあたって………編集委員会・丸山重威
◆開会挨拶………牛山積
◆歓迎の挨拶………中井勝己
●全体会報告
◆記念講演:フクシマは何を問うているのか………高橋哲哉
◆報告:福島第一原発の現状………山川剛史
●被害者・被災地の声
◆原発推進暴走国策と東電の暴利追求に闘い抜く………早川篤雄
◆帰還困難区域のふるさと・津島に想う………佐々木 茂
◆福島県内に居住し続けた人々の被害について………伊東達也
◆営業努力がない、と賠償打ち切り「被害ある限り賠償」のウソ………斎藤朝興
◆裁判所からの御墨付き「区域外避難」………鴨下祐也
◆国連人権理事会での訴え 無用な被ばくを避けるための情報コントロール権の確立を………森松明希子
◆報告:福島原発災害7年を経て||その復興とは何か………鈴木 浩
◆報告:先行する7判決の評価と課題(損害論を中心に)………米倉 勉
◆報告:原発差止め訴訟判決の成果と課題………井戸謙一
◆報告:「福島事故から7年、私たちの訴え」について………松野信夫
●分科会報告
◆第1分科会:福島第一原発の後始末と脱原子力社会への転換………水藤周三
◆第2分科会:原発災害と政策転換………礒野弥生
◆第3分科会:原発事故賠償の課題と展望………大坂恵里
◆第4分科会:核兵器と原発………内藤雅義
◆第5分科会:原発政策の転換とメディア………林 勝彦
◆閉会挨拶………塩谷弘康
◆お知らせ………「原発と人権」第4回全国研究・市民交流集会inふくしま実行委員会
★特集外
*司法をめぐる動き・裁判手続等の「全面IT化」に向けた急激な動き その重大な問題点………正木みどり
*司法をめぐる動き・7月/8月の動き………司法制度委員会
*メディアウオッチ2018●《進む不正な情報支配》受け手の情報環境への視点を 安倍キャンペーンと沖縄ヘイト………丸山重威
*あなたとランチを〈№39〉●「普通のおばさん」ってほんと………ランチメイト・禰屋町子さん×佐藤むつみ
*改憲動向レポート〈№7〉憲法改正に「人生をかける」とまで発言する安倍首相………飯島滋明
時評●ジェンダー差別をなくすことはすべての差別をなくすことに通じる………杉井静子
ひろば●政策の転換を!………海部幸造
◆「特集にあたって」の冒頭の一節。
原発のパラダイムは大きく変わった…。第4回「原発と人権」全国研究・市民交流集会inふくしまを開催して確認できたことは、井戸謙一弁護士が喝破されたとおり、「原発のパラダイムは大きく変わった」ということだ。「夢のエネルギー」と大宣伝された原発も、フクシマ事故後7年半を経て、依然として政権からは「基幹電源」と位置づけられても、いくら「必要だ」と強調されて、「もう、それは無理なのだ」とみんなが納得できる状況になりつつあることは、確かではないだろうか。
今回の集会に当たって、実行委員会は「福島事故から7年、私たちの訴え――国、東電が責任を持ち、地域と住民を守り、『原発のない社会』の実現を」と題するアピールを提案、集会で確認した。
幅広く、自由に議論しようと、「研究集会」と銘打って始めた集会で、初めて、「被害の救済」「地域の復興」と、「原発がない社会」を確認した。これまでの研究と闘いの成果である。大切なのは、ここで示された課題と、解決への道筋をひとつ一つ実現し、実際の政治に生かしていくことである。
今回の特集は、この集会の記録集として位置づけされている。高橋哲哉教授の基調講演ほか、この第4回集会の講演、報告をできるだけ忠実に記録した…。
特集以外の記事も充実している。その中での息抜きのスペースが、佐藤むつみ編集長のインタビュー記事、「あなたとランチを」。今号で39人目となるランチのお相手は、いまや有名人となった禰屋(ねや)町子さん。倉敷民商弾圧事件の当事者である。
そのタイトルが、『「普通のおばさん」ってほんと………ランチメイト・禰屋町子さん×佐藤むつみ』というもの。「暴虐な弾圧に一歩も退かない闘士」像を想像させる禰屋さんだが、一緒にランチをしてみると、実は「普通のおばさん」なのだという感想が標題になっている。しかし、もちろんそれだけではない。弾圧の経過や抵抗、抵抗を支えた支援の運動や、接見を絶やさなかった弁護団の献身性などが書き込まれている。お話しを直接聞き取った、428日間に及ぶ勾留期間の生活状況も興味深い。
冒頭と、末尾だけを転載させていただく。
禰屋町子さんは「倉敷民商弾圧事件」で2014年1月早朝逮捕された。2015年3月やっと保釈が通るまでなんと「428日間」1年2か月も身柄を拘束された。その間「黙秘」と「否認」を続けた。冤罪である裁判は今も続き、「刑事被告人」と呼ぱれて4年を超える。いったい町子さんに何があったのか。
…
取り調べの検事は「極悪人と思ったら普通のおばちゃんじゃん」と。普通のおぱさんを舐めてはいけない。わかったね。
(2018年9月30日)
明日(9月30日)は、いよいよ沖縄知事選挙。嵐の中の選挙の様相だが、天候だけでなくこの選挙が象徴する政治状況も大きな嵐の中にある。「オール沖縄」側の勝利は、アベ政権に大きな打撃を与えて、日本の政治状況を変革する展望につながる。
「オール沖縄」と「市民と野党の共闘」は、誰と、あるいは何と闘っているのか。もちろん、真に闘う相手は佐喜真候補なんぞではない。沖縄の自・公勢力でもない。明らかに、その背後にある政権との闘いであり、アベ政権を支えてきた日本会議以下の右翼陣営との闘いにほかならない。そして、さらにその背後にある好戦国アメリカの軍事戦略との闘いでもある。
保守中道と革新を糾合した「オール沖縄」と「市民と野党の共闘」とは、民主主義や平和を希求する諸潮流の統一戦線にほかならない。その幅の広い「オール沖縄」が候補として推す人物の人間像を確認しておきたい。
旧友小村滋君の【アジぶら通信 第47号】(2018年9月29日発信)の転載である。小村君の目を通して見た、玉城デニー像。これは、実に分かり易い。
まずは、後書きに当たる「アジぶら後記(9月29日、小凡)」から。
デニーさんの演説を聴いて、ラジオで鍛えた話術の巧みさと共に、その内容にも 驚いた。分かりやすく胸を打つ。今、アメリカからVFP(平和を求める退役軍人たち)など沖縄応援の声をよく聞く。デニーさんが、知事としてアメリカへ行けば、ますます応援団は膨らむのではないか。最後の「直談判」は、まだ見ぬ父親に呼びかけているようにも私には聞こえた。
今号の標題は、「基地のない、豊かな沖縄、すでに」というもの。実は、「豊かな沖縄は、すでに」実現しつつある。「基地のない沖縄も、既に実現の道筋が見えている」と、デニー候補の演説から読み取れるというのだ。なるほど、そういうことか。
沖縄の故翁長雄志知事が「戦後沖縄の歴史を背負った政治家」と評して、後継候補に指名した玉城デニーさん(58)を紹介したいと、玉城選対本部「ひやみかちうまんちゅの会」呉屋守将会長)のホームページを見た。多くの選挙演説の動画の中から、9月24日行われた宜野湾総決起大会での「玉城演説」と同会制作のプロフィール「基地の町のロック少年が沖縄県知事選挙に立候補するまで」を参考に書いた。
9月20日の自民党総裁選で、安倍政権3年延長が決まった今、「ヤマトを変えるのは沖縄から」との思いを込めて。
戦後沖縄の歴史を背負い
玉城演説は家族の話から始まった。「私の母は伊江島生まれ、私は与那城勝連で生まれ育ちました。結婚して家内が沖縄市の出身なもので、子育てするには両親が側に居る方が良いだろうというので沖縄市に住み、もう35年になります。私は4人の子どもに恵まれました。一番上が33歳男、次が31歳女、26歳男、21歳女です。どうです上手でしょ、何が上手だか…(笑い)。それに孫が2人、孫は癒やされますねぇ…」
玉城さんは沖縄市議だった2005年、民主党から衆議院沖縄3区で立候補したが落選。09年再び挑戦して当選した。「普天間代替は最低でも県外」を掲げて鳩山政権が成立した時だった。辺野古問題から鳩山首相、小沢幹事長らが辞任離党。玉城さんは野田内閣の消費増税法案に反発して離党した。その後、12年未来の党、14年はオール沖縄候補、生活の党公認。17年は無所属など政党は変わったが、「辺野古新基地反対」は貫いた。
玉城さんは1959年生まれ。父親は基地に駐留のアメリカ人で、母親のお腹に居る時、命令が出て父は帰国。母は米国に渡る積もりでデニスと名前を付けた。しかし「ボクが2歳の頃、沖縄でシングルマザーとして育ててゆく決意をした。その時、父の手紙も写真も全て焼いた。物心ついてボクが何を聞いても『忘れた』。これがボクの家族ストーリー、原点です」。本名は康裕。
1ドル360円の時代。母は、ボクを仲の良い友だちの家庭に預けて基地で働いた。生みの母は「おっかあ」、育ての母は「アンマ?」と呼んだ。
10歳から母と2人暮らしに。コザ(現・沖縄市)の米兵相手のバー街が生活圏だから、ジュークボックスからベンチャーズやビートルズのロックが聞こえてくる。ロック少年に。高校ではバンドも結成した。「お前は顔が洋風だから英語で歌えるだろう」とボーカルだった。「沖縄生まれ沖縄育ち、生粋ウチナーンチュのボクに英語が喋れるはずないのに」
ラジオが育てた政治家
高校を出てから上智大学の社会福祉専門学校へ。昼は仕事しながら夜間の学校へ通った。沖縄に帰って福祉関係の事務職に就いたけど面白くなくて。ライブハウスのバンドに入った。そこで結婚相手に出会った。内装業やら、ラジオの手伝いやら、自分探ししているうちにラジオのパーソナリティやタレントに。元々のコミュ力を活かして12年間。すっかり沖縄では有名人になった。良い番組を作りたいとシンポジウムや講演会に参加し、勉強するうち政治にも興味を持った。
2001年12月、「(02年4月の)沖縄市長選に出ないか」と誘われた。知人に相談したら新聞に報じられ、ラジオ番組は全て降ろされた。「42歳の衝撃です」(笑い)。半年ほど落ち込んだ。一念発起、02年9月の沖縄市議選に立候補し、史上最高得票で当選した。政治家デニーのスタートだった。
豊かさ、全県民の共有に
玉城演説に戻ろう。「沖縄の実質経済成長率は全国1位なのです。人口増加率も地価上昇率も全国1位。県内総生産3300億円増、観光収入2606億円増、アジアへ直行便4.3倍、入域観光客数366万人増……これは皆さんにお配りしたチラシ『マキテーナイビランド』の裏の『誇りある豊かな沖縄』を翁長雄志から私・玉城デニーが引き継ぎ『新時代沖縄』を築く、に出ています」「沖縄の経済はこんなに成長した。こんなに豊かなんですよ。これは翁長知事が一括交付金とあらゆるメニューを組み合わせて創った4年間の成果が出ているんです」(拍手)。「沖縄の経済は確実に豊かになっている。しかし、それだけでは十分でない。この豊かさが県民ひとり独りに行き渡っているかどうか。残念ながら、全国では子ども6人に1人が貧困にあえぎ、沖縄では3人に1人という現実がある。翁長知事は、全国に先駆けてこの実態調査をした。そして県庁にプロジェクトチームを立ち上げて、30億円の基金を準備して取り組み始めました」「私は、女性がお腹に生命を宿した、その時から母子手帳を交付し、41市町村どこに居ても子育てができる体制を創っていく。私は今、そのための闘い、選挙戦をしています」(拍手)
私(小凡)はネットで見ていたので、このチラシを見ることができなかった。「ひやみかちうまんちゅの会」からチラシとその数字の出典を送ってもらった。翁長知事が兼ねて主張してきた「基地収入は県民所得の5%にすぎず、那覇新都心など返還後の経済効果は30倍以上」という実態をより詳しく示したチラシだった。基地を返還してもらった方が着実に経済成長できることを示しただけではない。安倍政権側の候補の主張「反基地ばかり言っているから経済も福祉も発展しない」に反論したものだ。
平和あっての豊かな経済
玉城演説は続く。「経済が豊かであるためには平和でなければならない。世界中でテロや紛争がおき、その地の住民は生きていくのが精一杯です。我々はそういう人たちも支援しなければなりません。幸い、沖縄はテロや紛争は免れています。この平和を維持するのが、子や孫への我々の責務です。
2012年に沖縄の海兵隊9000人はグァム、ハワイ、オーストラリア、米本国に移転させると発表されました。辺野古新基地に関係なく、です。2006年のSACO合意、普天間は辺野古に移すというパッケージ論はなくなったのです。それなのに政府は6年間もこのことを放置したままです。だったらアメリカに要求しましょう。(一段と声を張り上げ)普天間飛行場は即時閉鎖し、我々沖縄県民に返還しなさい。それが私たちの正義です(拍手)。普天間の返還は来年の2月が期限です。だったら返しなさい!それを言ってどこが悪い!(拍手と指笛)。辺野古新基地は絶対に造らせない、と言ったのも翁長知事です。沖縄県は、富川、謝花の両副知事が翁長知事の思いを受け止めて、8月31日に埋立て承認の「撤回」をして頂きました。もう辺野古に新基地はできないのです。平和は座していては、やって来ない。普天間に続く青空を、普天間の土地を取り戻しましょう。辺野古の新基地計画を止めましょう。私はこの選挙でこのことを主張し続けます。
「父の国で直談判」
大丈夫です、きっと実現します。どうしてデニーがそんなことを言えるの? 私の父はアメリカ人、私の母はウチナーンチュ。私はアメリカに行ったら、こう言います。「私の父はアメリカ人。その息子の私が民主主義の手続きを踏んで要求しているのに、民主主義の国アメリカは、息子の要求を拒むはずはありません」と。皆さん、こういうことが言えるのは、この玉城デニーだけですよ。(拍手と指笛の嵐)(9月28日小凡記)
明日の投開票の結果に期待したい。
(2018年9月29日)
ひとつの地方選挙が、これほどにも注目されることは珍しい。その沖縄知事選挙の投開票が明後日、9月30日に迫ってきた。
この選挙の帰趨は、アベ政権の外交や安保政策の前途を占うことになる。改憲阻止運動の成否にも大きく影響する。「市民と野党の共闘」の試金石でもある。
この選挙最大の具体的な争点は、明らかに辺野古新基地建設の可否である。ところが、デニー陣営がこれに「反対」の立場を鮮明にしているのに対して、佐喜真陣営は「賛成」と言わない。争点ずらしなのだ。
現地の佐喜真陣営もこれを丸抱え支援している政権も、辺野古新基地建設に賛成することは県民感情を逆撫でして、選挙に不利なことをよく心得ている。それゆえの辺野古新基地建設賛成隠しであり、争点ずらしなのだ。
現地に支援に行った人の報告では、いま、辺野古はたいへんに静穏だという。政府に、大浦湾埋立工事を強行する動きはない。沖縄県がした「承認撤回処分」を不服とする審査請求手続への着手もない。これは、興味ある現象ではないか。アベ政権と言えども、世論を無視しての断固埋立強行はできないのだ。
選挙が終わるまでは争点をずらして爪を隠しておいて、佐喜真が勝てば、「辺野古基地建設容認の民意は確認された」と新基地建設を強行しようというのだ。いかにも、薄汚いアベ政治らしいやり口。これは、フェイク選挙といってよい。
もう一つのフェイク選挙の手口。
昨日(9月27日)の沖縄タイムス(デジタル)に、「沖縄県知事選で偽情報検証:フェイク『共産党出馬の翁長知事が訪米しても政府関係者の誰にも会えなかった』」という記事。ファクトチェックである。
沖縄タイムスが検証の対象とした問題のフェイク情報(偽ニュース)は、次のツイッター。「3561件のリツイート、5797件のいいね」がついている。
情けなくて涙が出てくる。こんな人が県知事候補ですか。
「私には米国人の血が流れてるから米国に物が言える」
…共産党出馬の翁長知事が訪米しても政府関係者の誰にも会えなかったし、沖縄の米軍基地の中にすら入れなかったのに、ハーフってだけで米国に堂々と意見できるとか、いい加減にしなさい
するめのよっちゃん#沖縄は日本だ(2018年9月14日)
無数にあるフェイク情報(偽ニュース)の中から、ファクトチェックの対象として適切なものを選択したと思う。記事の全文は以下のとおり。
?沖縄タイムスは法政大・藤代裕之研究室の協力の下、国際ファクトチェック・ネットワーク(IFCN)の基準にできる限り沿って、フェイクニュースをチェックした。告示日の13日から26日までに、フェイクニュースの疑いが高い60件が記者から集められた。
?IFCNの基準は、(1)特定の党派に偏らず公平に行う(2)情報源の詳細も公開する?など5項目。
候補者の政策は、有権者自身が実現可能性を判断するものであり、扱っていない。真偽不明な投稿は混乱を招く恐れがあるため見送った。
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内容
ツイッター「情けなくて涙が出てくる。こんな人が県知事候補ですか。 「私には米国人の血が流れてるから米国に物が言える」…共産党出馬の翁長知事が訪米しても政府関係者の誰にも会えなかったし、沖縄の米軍基地の中にすら入れなかったのに、ハーフってだけで米国に堂々と意見できるとか、いい加減にしなさい!
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本紙が虚偽と判断した理由
共産党県委「翁長前知事が党から出馬したことはない」。訪米に同行記者「政府関係者と会った」。県「知事は米軍基地の中に入れる」
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玉城氏が遺志を継ぐ翁長雄志前知事について、共産党県委員会は「党から出馬した事実はない」と説明。2014年に翁長前知事が就任して以降の訪米を本紙記者が同行取材し、国務省や国防総省などの関係者との面談で沖縄の基地負担軽減を直訴した記事を掲載している。
県基地対策課によると、基地内への抗議や要請、司令官の交代式などのイベントは、副知事や知事公室長が対応し「基地内に入れないということは一切なかった」との見解を示した。
このツイッターの投稿者「するめのよっちゃん#沖縄は日本だ」なる者のプロフィルは、以下のとおり。沖縄の自民党員だという。
『つぶやくだけでも保守活動』 安倍総理応援の為、自民党党員に。選挙ボランティアもしており、選挙期間中はツイッター不在気味。 日本の為に頑張る人を応援♪ 山本幸三氏を財務大臣に!消費税増税反対! 日本を壊すマスコミが敵。 沖縄県民。膠原病療養中。 DM使ってません。 毎週水曜日6時50分?ツイキャスやってます。
この在沖縄ネトウヨがハッシュタグとして使う「沖縄は日本だ」がもの悲しい響きをもっている。そもそも沖縄の右翼というのがもの悲しい存在なのだ。よく知られているとおり、2013年1月沖縄県の38市町村長、41市町村議会議長らからなる代表団が、上京して政府に「オスプレイの配備撤回と普天間基地の県内移設断念を求める建白書(=建白書)」を提出した。このときの、沖縄世論を代表するデモ行進に、日の丸を手にした沿道の一団から「売国奴」「日本から出ていけ」などの声が浴びせられた。明らかに組織され動員された本土右翼の行動。右翼の目からは「沖縄は日本ではない」。だから「沖縄は本土のために沈黙せよ」というのだ。2013年1月といえば、アベ晋三が右派勢力の手によって政権に返り咲いた直後のこと。「沖縄は本土のために沈黙せよ」は、アベ政権のホンネでもあった。
当時那覇市長だった翁長雄志ら沖縄の良心的保守派は本土の沖縄差別に衝撃を受け、これが政治勢力としての「オール沖縄」結成に至り、2014年沖縄県知事選挙において辺野古移設反対派の翁長候補支援の枠組みとなったとされる。「オール沖縄」の産みの親は本土右翼の沖縄差別なのだ。換言すれば、アベ政権そのものの体質なのだ。「沖縄も日本ではないか」は、翁長陣営の叫び。今は、デニー陣営が承継している。沖縄のネトウヨが掠めとるべき言葉ではない。これも、フェイクだ。
(2018年9月28日)
「植村裁判を支える市民の会」のホームページが素晴らしく充実している。支援の質の高さを示して、さすがというほかはない。URLは以下のとおり。
http://sasaerukai.blogspot.com/
そのサイトの昨日(9月26日)の記事に驚いた。「植村隆氏、金曜日の社長に就任」というもの。 金曜日とは、言わずと知れた「週刊金曜日」を発行する「株式会社金曜日」のこと。同誌は、これまでも植村訴訟支援の姿勢を堅持してきた。とは言うものの、植村さんがその出版社の代表取締役社長兼発行人に就任なのだ。私には、思いもよらなかったこと。明日(9月28日)、就任の記者会見をするという。
まずは、目出度い。祝意を述べねばならない。植村さんは、今わが国に跋扈している極右似非ジャーナリズムとの対峙の最前線に位置する人。政権ヨイショの御用文化人との厳しい対立関係にもある。その人が、孤立するどころか、有力メディアの代表者になった。植村裁判支援の輪も広がるだろうし、週刊金曜日の新たな読者層の開拓も可能になるだろう。それは目出度い。
とはいえ、目出度いばかりでもなかろう。雑誌メディアの経営は、今どこも順調ではない。もしかしたら、植村さんには経営環境改善の手腕を求められているのかも知れない。そうであれば大変なことだが、応援もしなければならない。
ところで、植村さんが原告となっている訴訟は2件ある。最初の提訴が東京地裁、次いで札幌地裁。いずれの訴訟も最終盤、間もなく判決期日を迎える。
東京訴訟の提起は2015年1月9日。朝日新聞の植村執筆記事を「捏造」とする西岡力(東京基督教大学教授)と、文芸春秋社を被告としての名誉棄損損害賠償請求訴訟。文芸春秋社が被告になっているのは、植村さんを捏造記者と決めつけてバッシングの端緒なったのが週刊文春の記事であったから。次回11月28日第14回口頭弁論で結審の予定。
札幌訴訟提起は15年2月10日。櫻井よしこと、週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊WiLLの発行元3社を被告とする同様の損損害賠償請求。本年(2018年)7月6、第12回口頭弁論期日をもって結審。11月9日(金)午後3時30分判決言渡しの予定である。
「支える会」は、2016年4月12日付で「設立趣意書」を公表している。
「植村さんとともに、さらに前へ」というタイトル。「さらに前へ」という呼びかけは、下記の共同代表7氏によるもの。
上田文雄(前札幌市長、弁護士)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授)
この呼びかけ文の抜粋で、事態を理解することができる。
発端は、週刊文春2014年2月6日号の記事「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」でした。転職先に決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、植村さんは教授就任を断念せざるを得なくなりました。14年5月からは、非常勤講師を務める北星学園大学にも「国賊をやめさせろ」「学生をいためつける」など脅迫・嫌がらせのメールや電話が押し寄せ、ネット上に植村さんの長女(当時17歳)の写真と実名がさらされ「自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれる事態になりました。
「大学、植村さん家族を脅迫から守ろう。私たちも北星だ」と立ち上がったのは市民です。北星学園大学に応援メッセージを送るなど大学を励ます「負けるな北星!の会」(略称・マケルナ会)には国内外の1000人が加わりました。全国の400人近い弁護士が脅迫者を威力業務妨害罪で札幌地検に刑事告発するなど、支援の輪は大学人、宗教者、市民グループ、研究者、弁護士、ジャーナリストなど各界に広がっていきました。この応援を力に、北星学園大学は14年12月、植村さんの次年度雇用継続を決めました。
植村さんは「私は捏造記者ではない」と手記や講演で反論を続けています。朝日新聞の第三者委員会、歴史家、当時取材していた記者らによって完全否定されても、「捏造」のレッテル貼りは執拗に続いています。
この間の異常ともいえる植村さん攻撃は、基本的人権、学問の自由、報道・表現の自由、日本の民主主義に向けられています。女性が生と性を蹂躙された日本軍「慰安婦」を、なかったことにし、歴史を書き換え、ものを言わせぬ社会に再び導こうとする黒い意志を、見逃すわけにはいきません。この裁判が植村さんの名誉回復のみならず、私たちの社会の将来に大きな影響を及ぼすと考える所以です。
札幌訴訟が先行して証拠調べを実施し、櫻井よしこ尋問で、そのウソが明らかとなった。東京訴訟でも西岡力のウソが暴かれている。ウソで、人を「捏造記者」と決めつけ、恐るべきネット右翼のバッシングの導火線となったのだ。
以下は、「支える会」ホームページの本日(9月27日)付「西岡氏の批判広がる」の転載である。この訴訟に関心をよせていた人たちの櫻井・西岡に対する批判。植村バッシングとは何であるか。この問題の多面性が浮かびあがってくる。
以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野敬一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。
※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd
■望月衣塑子
めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
■佐藤 章
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。
■masa
慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。
■細かい情報?
西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
■まりーべる321
#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。
■World Peace Productions
#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎
■Hiroshi Takahashi
櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。
■佐藤 章
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
■渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。
■ Hiroshi Takahashi
櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。
■想田和弘
シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
■ソウル・フラワー・ユニオン?
西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。
■能川元一
西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。
■宋 文洲
嘘吐きはウヨの始まり
■m TAKANO?
植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。
■北丸雄二
「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。
■森達也(映画監督・作家)
ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。
■tany
<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。
■hiroshi ono
なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。
■西大立目
結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中
■デマを生む人信じる人の思考回路研究?
「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ?と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。
■you u you
これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?
■Kawase Takaya
人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。
■スワローヲタフク
西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww
■河原 淳
櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。
■akabishi2
司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー
■清水 潔
おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。
■T?T
櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。
■藤井 太洋
慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。
■河信基
この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。
■宿坊の掲示板ほぼbot
「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ
■Veem.atomic
朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?
■ウツボマン
しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。
■川上 哲夫
元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた
■toriiyoshiki?
「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。
■toriiyoshiki
朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。
■ryozanpaku
『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!
■Joshua Martin あたま抱え中?
2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた。
「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした!
「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした!
■根村恵介?
レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。
■omelette
【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」
■能川元一
あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。
■エリン
この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。
以下略
両訴訟の判決を楽しみに待ちたい。
(2018年9月27日)
昨日(9月25日)の赤旗、1面左肩に「米 若者が社会主義旋風」「格差問い予備選で番狂わせ次々」と大きな見出し。さらに3面にも大きな見出しの大型記事が続いている。「社会主義旋風起こす米国の青年」「わたしたちは資本主義の失敗をこの身で知った」「学生ローンに就職難、二大政党制への怒り…。」「国民の声を聞け」「多額の企業献金、ゆがむ政治」。そして、「『共産主義=悪』は古い価値観」。見出しを読むだけで、ほぼ内容かつかめそう。
アメリカ国内で若者の間に社会主義への共感が広がっていることは、以前から話題になっていた。民主党予備選でクリントンを激しく追い上げたサンダースの活躍が実に印象的だった。その「サンダース現象」は一過性のものではなく、2年を経て、11月中間選挙で再び旋風を起こすことになりそうというのだ。あの「サンダース現象」を担った多くの若者たちによって。
赤旗の記事は、現地特派員の記事。その一部を抜粋する。
「今中間選の新たな象徴は、28歳女性の「民主的社会主義者」です。2年前、サンダース氏の選挙運動に参加していた新人アレクサンドリア・オカシオコルテス氏は、6月26日、東部ニューヨーク州の下院予備選挙で、10期にわたり議席を保持し、民主党の次期下院トップと目されてきたベテラン現職を破りましだ。選挙戦で同氏は公立大学・学校の授業料無料化、国民皆保険制度の実現など、労働者目線の政策を訴え、36ポイント差で圧倒的劣勢とみられていた情勢を13ポイントの差をつけ逆転。予想外の勝利で政界に衝撃を与得ました。」
産経も引用しておこう。今年(18年)7月12日の「ウエートレスだった『非エリート』が現職を破った! 『怒り』の代弁者の勝利は続く」というタイトルの記事。
「お目当ては中間選挙に向けたニューヨーク州の民主党予備選(6月26日)で、重鎮の現職下院議員を破ったアレクサンドリア・オカシオコルテスさんだ。1年前までウエートレスとして働いていたヒスパニック系の28歳の女性が演じた大番狂わせは全国区のニュースとなり、時の人となった。
選挙から数日後、同地区にある小さな選挙事務所を訪れると、オカシオコルテスさん本人がいた。「日本の記者です」と自己紹介すると、気さくな笑顔で迎え入れてくれた。取材は「時間が取れない」とNGだったが、チャーミングでカリスマ性のある雰囲気に、一瞬にして引きつけられた。
急進左派の政策を掲げるオカシオコルテスさんは、自らを労働者層の擁護者と位置づけ、エリート層の現職候補との対決を「人々とお金の戦い」との構図を描き、勝利をものにした。
「移民・税関捜査局(ICE)の廃止」を訴え、トランプ大統領への批判も容赦ないが、皮肉なことに、2人には共通点も少なくない。反エリート主義で支持を伸ばし、大口献金に頼らない選挙戦を展開した。
米国人は「怒り」を抱え、その代弁者が勝利する。大統領選からの潮流は変わらない。(上塚真由)」
この記事を書いた産経記者は、アメリカ社会の「非エリート対エリート」の対決構図を描き、「非エリートの怒り」が彼女の勝利を支えたとみた。さすがに産経の記事には、社会主義は出てこない。しかし、赤旗の見方は異なる。若者たちの不満が資本主義そのものの批判に向けられているという報道である。
最も大きな活字の見出しは、「わたしたちは資本主義の失敗をこの身で知った」というもの。「資本主義の失敗」には、やや違和感がある。資本主義とは人の手によって設計されたものではなく、歴史的なある段階で生成した経済構造の現実である。その欠陥はだれかの「失敗」に帰せられるものではなかろう。が、「私たちの世代は、資本主義の失敗を、身をもって経験している」と、若い活動家が言えば、まことに説得力のある言葉となっている。そうだ。資本主義は失敗したのだ。いまや、これに代わるものが必要なのだ。
赤旗は、アメリカ最大の社会主義組織DSA(「米国民主的社会主義者」)の紹介に紙幅を割いている。16年秋には8500人だったこの組織が、この9月に会員が5万人を突破したという。そして、サンダース旋風以来、DSAを物足りないとする若者のアメリカ共産党入党が増加しているという。
今年(2018年)8月のギャラップの調査では、資本主義を好ましいとした若者(18?29歳)45%に対して、社会主義を好ましいとした者が51%にのぼっているという。これは、驚くべきことではないだろうか。
アメリカの若者は怒り、『共産主義=悪』の古い価値観に縛られずに社会主義運動に参加しつつあるのだという。その動きが、今、中間選挙を変えようといている。
さて、ひるがえって日本の若者はどうだろうか。アベに安全パイと思われているようでは情けない。ネトウヨが跋扈し、嫌韓・反中誌やアベヨイショ本が店頭に氾濫する現象は、アベ支持の国民が作り出したものだ。若者の投票行動が保守化著しいとされるのは、いったい何が原因なのだろうか。
若者よ、せめてだ。君の親くらいには社会に怒れ。国政を私物しているアベを批判せよ。社会主義・共産主義を好ましいとまでは言わずとも。
(2018年9月26日)
「浜の一揆」訴訟の控訴審。第2回法廷が来週火曜日。10月2日(火)午後1時30分、仙台高裁101号法廷である。
当方(控訴人・漁民側)が準備書面を提出し主張を述べることになる。この法廷で、二平章氏(北日本漁業経済学会会長)の意見書を提出する。
この訴訟の主要な論点は、漁業調整の名のもとに、「大規模定置網漁業者の利益を確保するために、弱小零細な漁民のサケ刺し網漁業の許可申請を排斥してよいのか」ということに尽きる。二平氏は、「弱小零細な漁民をこそ保護すべき」という立場から、立論している。そのうちの一節をご紹介したい。
より弱小零細な漁民を保護するべきとの第2の理念は、憲法学でいう実質的平等の考え方と同様です。
経済活動の自由を保障さえすれば、すべてがうまくいくというのは、既にあやまった考えであることが明らかになっています。合理的な制約と介入を権力が行わないと、大変な不公平が社会に生じることは公知の事実です。
漁業法は、漁業の「民主化」を目的に掲げています。強大な事業者と零細な漁民がいれば、零細漁民を優先することを想定しているのです。
これは、戦後の一時期の特別な政策という訳ではありません。2017年12月20日、国連総会は、2019年から2028年までを「家族農業の10年」とすることを採択しました。この「家族農業」とは、農場の運営から管理までの大部分を、1戸の家族で営んでいる農業のことです。現在、世界の食料のうち約8割が家族農業による生産でまかなわれており、世界中の食糧共有の中で重要な役割を担っています。持続可能性の観点からも、自然を収奪する大規模農業ではなく、自分や自分の子孫が耕し続けると考えながら自然に働きかける家族農業こそ鍵だと考えられるようになったのです。
実は、国連が掲げるこの「家族農業」には家族漁業も含まれています。国連では、「家族農業」を「農業労働力の過半を家族労働力が占めている農林漁業」と定義しています。必ずしも血縁によって結びついた家族による農林漁業のみではなく、非血縁の家族も、一人で営む個人経営も、家族農業に準じて議論されています。資本的つながりによって結合した企業的農業に対置する概念として理解されています。
さらに国連は2022年を「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」と定め、各国が小規模家族漁業者の重要性を認識し、その保護政策を確立するよう訴えようとしています。
持続可能性という観点からも、零細な家族漁業を保護することは極めて現代的で正しい政策といえるのです。
国連「家族農業の10年」は家族漁業も含むのか。知らなかった。2022年が国連の「小規模伝統漁業・養殖業に関する国際年」。これもまったく知らなかった。これこそが、国際潮流なのだ。心強い。
この国際潮流は、生産性至上主義とはまったく無縁の思想に基づくもの。人は、人を搾取し収奪するために生くるにあらず。もちろん、人は搾取され収奪されるために生くるにもあらず。どちらの生き方も、結局は資本の奴隷としての生き方ではないか。
搾取・収奪とは無縁の「家族労働による農林漁業」。これこそ人間本来の生き方ではないか。国連による零細な農林漁業の支援は、豊かな人生観・社会観に満ちている。
(2018年9月25日)