澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「落とし前をつけます」と宣告して始められた、議員に対するスラップ訴訟

遅ればせながら、「高須クリニック」(高須克弥院長)の大西健介衆院議員に対する名誉毀損訴訟の提訴について取り上げたい。昨日(4月23日)原告高須側に敗訴の判決言い渡しがあったとの報道だが、この判決の内容は、あまりに当然の「陳腐」なものとして論評に値しない。注目しなければならないのは「判決」ではなく、もっぱら「提訴」の事実である。もちろん、訴権濫用の提訴という観点からの注目である。なぜ、こんな事案で提訴までなされたのか。

信頼できるメディアが以下のとおり報道している。
「美容外科『高須クリニック』を運営する愛知県西尾市の医療法人が、大西健介衆院議員(希望)の発言が名誉を毀損したとして、大西氏と当時所属していた民進党などに計1千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、請求を棄却した。
 判決によると、大西氏は昨年5月17日の衆院厚生労働委員会で、美容外科の広告規制問題に触れ「『イエスまるまる』と連呼するだけのCMなど非常に陳腐なものが多い」と発言した。
 河合芳光裁判長は、発言は高須クリニックを指していると指摘したが「直接評価を加えたものではなく、社会的評価を低下させるものではない」と判断した。(毎日新聞)

議員の院内での発言をとらえての提訴も乱暴極まるが、所属政党を被告にしたことはさらなる驚愕というほかない。議員の発言に対する請求の根拠は不法行為(民法709条)であろうが、所属政党に対してはどのような構成をしたのだろうか。使用者責任(715条)なのか、それとも共同不法行為(719条)か。いずれにしても、およそ原告側に勝訴の見込みがない。のみならず、良識ある社会人においてこのような訴訟は提起すべきではないのだ。議員や政党が、厳重に抗議をしないのが不思議である。

何よりも、名誉毀損とされた大西議員の発言は、議院(衆院厚生労働委員会)での演説または討論に当たる。仮に、その発言内容に、刑事・民事の違法があったとしても、責任を問われることはない。憲法51条は、「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と規定するからである。

国会議員が、議院において自由に発言を行うことの保障がなければ、その職責を全うすることができない。院内における言論の自由を手厚く保障することによって、議員の自由な活動を促進し議会制度の適正を確保しようとする制度の趣旨である。

もちろん、不適切な議員の発言があれば、言論による反論は保障されている。議員のレイシズムにもとづく発言や、セクシャルハラスメントによる人権侵害には、断固言論で反論すればよい。高須クリニックは十分に言論による反論の力量を持っているではないか。

少し長くなるが、大西議員の当該の発言は後掲のとおりである。極めて真っ当であり、真摯な姿勢でもある。一見して、特定の医療機関や医師を攻撃の対象としたものではないことが明白である。美容整形外科診療という、消費者問題でもあり医療問題でもある特殊な分野において、現実に増大している患者・消費者の被害を、どう防止するかという観点からの法改正について有益な議論を展開している。むしろ、立派な質疑をしていると称賛してもよい。

大西議員の発言に、高須クリニックの名前は出てこない。問題の個所は、前後を端折ると分からなくなるので、まとまった文章として引用する。

? 一方で、医療分野においては、先ほど言ったように、原則広告が禁止になっていて、非常に限定的な事項しか広告することが認められていない、医療機関名であったり、連絡先であったりということでありますので。だから、非常にCMも陳腐なものが多いんですね。
? 皆さんよく御存じのように、例えば、イエス○○とクリニック名を連呼するだけのCMとか、若い女性が、〇一二〇で始まる電話番号とクリニックの名前を言いながらごろごろごろごろ転がっているCMというのを皆さん見たことがあるというふうに思います。あるいは、テレビでおなじみのニューハーフタレントが音楽に合わせて踊りながら○○美容外科というのをずっと言い続ける、こういうCMがよく見られるんですね。
? 選挙でも、我々、名前の連呼というのをやります、名前の連呼というのを。確かに、知らない人の名前は書けませんから名前連呼するわけですけれども、ただ、名前連呼だけだったら、その候補者が何を考えているのかもわからない、誰に投票していいのかわからないということがあります。
? そういう意味では、こうしたクリニックの名前とか電話番号だけを連呼するこういう広告というのは、患者が医療機関や治療方法を選択する上では私は有用なものではないというふうに思うんですけれども、こういう広告というのは非常に陳腐だと思いますけれども、大臣はどのように思われますでしょうか。

 「たとえば、イエス○○」との言及は、消費者にとって適正な選択をするのに有益な宣伝広告はいかにあるべきかという議論のためで、これが名誉毀損となるとは、言いがかりも甚だしい。

ところで、社会には、特定の職業人に対する特定のイメージがある。政治家・官僚・教師・宗教者・文筆家・スポーツマン、それぞれである。弁護士のイメージはあまり良くはなかろうとの自覚はある。医師の職業人としてのイメージは、ヒポクラテスの誓詞を胸に収めている人ではないだろうか。教養人で軽挙妄動せず、患者第一と考えている人というのが、少なくとも私のイメージ。そのような多くの医師を見てきてもいる。

しかし、高須克弥という人物は、そのような医師のイメージからはほど遠い。ネットを検索すると、彼の提訴当時の発言が残されている。

?明日、顧問弁護士に連絡しておとしまえをつけます。ただでは済まさせません」

「今、顧問弁護士に民進党中西健介(ママ)議員に対して提訴するよう指示したぜ。」

?「売られたら買います。僕はアホで馬鹿です。喧嘩強いです」

?「ホテルニューオータニに顧問弁護士の伊藤先生に来てもらって作戦会議終了。 明日の朝、民進党大西健介議員と連坊(ママ)代表を提訴するぞなう」

  いったいこれが、人の命と健康を預かる医師の発言だろうか。本当に、いついかなるときでも冷静であることを要求される医療従事者の言なのだろうか。信じがたい思いである。おそらく、彼は、当日の厚生労働委員会の議事録に目を通していない。

「顧問弁護士の伊藤先生」なる人物がこの事件を受任したようだ。医師もいろいろあるように、弁護士もいろいろである。
先年、私がDHC・吉田嘉明から、スラップを仕掛けられたとき、たまたま逢った同期の弁護士に顛末を説明した。二弁の会長経験者である彼がこう言ったのが印象的だった。

「澤藤君。その手の訴訟は、僕なんかには何件も依頼がある。『悔しいから、慰謝料を請求したい。負けてもいいから引き受けてくれ』というんだな。もちろん一応は話しを聞いて、辞めた方がよいと説得する。もっと不愉快な思いをすることになりかねないとね。でも、どうしても聞き入れてもらえないときは、『僕はそういう弁護士ではない』と言って断るんだ」

高須クリニックの提訴に勝ち目はない。にもかかわらずの提訴には別の目的があったとしか考えられない。

 「弁護士に連絡しておとしまえをつけます。ただでは済まさせません」「売られたら買います。喧嘩強いです」という発言は、自らに対する批判を許さないという発信である。これが、批判の言論の萎縮を狙ったスラップである。「自分を批判すると面倒なことになるぞ」と恫喝する者に対する批判の言論に萎縮があってはならない。
(2018年4月24日)
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大西議員の発言は、2017年の第193回通常国会に提出された「医療法等の一部を改正する法律案(内閣提出第57号)」審議をめぐる厚生労働委員会でのもの。

問題とされた発言は5月17日のものだが、19日の議事録で、消費者委員会事務局長黒木理恵の答弁が、美容医療サービスの問題実態を簡明によく説明しているので、まずこれを抜粋する。

医療法等の一部を改正する法律案(内閣提出第五七号)
http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku%20/009719320170519021.htm

消費者委員会事務局長黒木理恵君
○黒木政府参考人 お答え申し上げます。
消費者委員会では、委員御指摘のとおり、平成二十三年の十二月二十一日に、エステ・美容医療サービスに関する消費者問題についての建議を発出しております。その中で、美容医療サービスに関しましては、不適切なインターネット上の表示の取り締まりの徹底及び美容医療サービスを利用する消費者への説明責任の徹底等を求めたところでございます。
これを受けまして、厚生労働省では、ガイドラインを策定される等、一定の対策を講じられたものの、全国の消費生活センターに寄せられました美容医療サービスに関する相談件数は、平成二十三年度の約千六百件から平成二十六年度には約二千六百件に増加をいたしまして、対策の効果は十分とは言いがたい状況にございました。
このような状況を踏まえまして、消費者委員会において美容医療サービスに関する問題を再度調査審議いたしましたところ、消費生活センターに寄せられた美容医療サービスに関する相談事例において、そのきっかけとなった広告媒体がインターネット上のホームページなどの電子媒体が最も多く、その割合も平成二十三年度に比べ高まっていることや、美容医療のホームページにおいてガイドラインが遵守されていない事例が見受けられること、また、美容医療の事前説明同意に際して、あたかもリスクが少ない施術と勘違いさせるような説明等が見受けられることがわかりました。
そこで、これを踏まえまして、二十七年七月七日に、医療機関のホームページを医療法上の広告に含めて規制の対象とすること、少なくとも、医療法等で禁止されている、内容が虚偽にわたるものあるいは誇大なもの等についてはホームページについても禁止すること、また、消費者がリスクなどを正しく理解した上で施術を受けるかどうか判断できるよう、患者の理解と同意を得た上で施術を行うこと、説明を適切に行うこと等について建議を行ったところでございます。

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名誉毀損とされた大西議員の5月17日発言は、多岐にわたっているが、当該部分の前後だけを抜粋して紹介する。これだけでも、美容医療業界の問題点がよく出ている。全文は、下記URLをご覧いただきたい。

http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku%20/009719320170517020.htm

○大西(健)委員 民進党の大西健介でございます。
テレビで盛んにCMをしている超有名な美容クリニックの医師のブログの中に次のような記述がありました。
最近は、美容クラークと呼ばれる専門のカウンセラーを雇っているクリニックも多く、美容クラークは個室で患者様と二人きりになって時間をかけて話し、括弧、これを専門用語でクロージングといいます、料金や効果の高い治療を受けるように説得し、場合によっては医療ローンを組ませるように促します。美容クラークさんは、生命保険の勧誘、セールスレディー出身の人が多く、人心掌握術にたけ、言葉巧みに勧めてきます。生命保険の勧誘と同じで、成約させた治療代金の何%かがインセンティブとして歩合給になるので、患者様の幸せよりも自分の利益を優先し、必死に勧めてきます。
これは実際にブログに書いてあるんです。有名な、テレビにも出ている美容クリニックの医師の先生が書いているブログです。その人は、うちはそういうことはやっていませんよということを書いているんですけれども。
消費者被害のパターンを実際に見ましても、無料カウンセリングを受けたらいろいろと強引に説得されて契約するまで長時間拘束されたり、廉価の、安い手術を受けるつもりだったのが、あなたの場合はこのコースでは効果が出ませんよと言われて、説得を受けて、オプションを追加するなど高額な契約に誘導されるというケースが多く見られるということであります。
私は、この後議論する広告のあり方もさることながら、こういう勧誘のあり方に問題があるのではないかというふうに思っていますが、こうした不当な勧誘行為に何らかの規制を行うことはできないんでしょうか。

○神田政府参考人 お答えいたします。
インフォームド・コンセントにつきましては、先ほど申し上げましたように、医療法に基づきまして、医師、看護師等の医療の担い手が医療提供するに当たっては、適切な説明を行って、医療を受ける者の理解を得るように努める旨、規定をしているところでございます。
厚生労働省では、美容医療サービス等の自由診療におけるインフォームド・コンセントの取り扱い等について通知等を発出いたしまして、医療を受ける者の適切な選択を阻害することがないよう、実施しようとする施術の有効性、安全性、費用等について説明しなければならないというふうにするとともに、虚偽、誇大な情報を用いて説明してはならないというふうにいたしております。
それから、その中では、美容医療というのは即日施術をしなければならないというものではございませんので、即日施術を強要する等の行為は厳に慎むべきであるということもお示しして、指導をしているところでございます。
厚生労働省としては、個々の事例について問題があれば、地方公共団体と連携をして、行政指導等の適切な対応を行っていきたいというふうに考えております。

○大西(健)委員 ちょっと何か答弁が私はずれているような気がしますけれども。
言っているのは、まさに部屋に閉じ込めてなかなか出してくれない、契約をするまで、あるいは、初めは安いものを受けるつもりで、あるいは無料カウンセリングを受けるつもりで行ったのが、どんどんオプションを追加したらどうですかと説得される、こういうやり方がおかしいんじゃないかということなんです。
これは、先ほどの特商法の改正が今検討されているということでありますけれども、そうなれば、クーリングオフや中途解約と同時に、こういう不当な勧誘行為も私は特商法の方で問題になるんじゃないかというふうにも思いますので、そこは消費者庁と連携をしてしっかりやっていただきたいというふうに思います。

さて、広告の話にちょっと入っていきたいと思うんです。
今回の医療法では、医療に関する広告規制の見直しが含まれているわけですが、そもそも医療分野は人の生命身体にかかわるものであり、また専門性が高いということで、広告が原則禁止のような非常に強い規制がかかっているということであります。
ただし、美容医療というのは、今、医政局長の答弁の中にも少しありましたけれども、普通の医療とはちょっと違う。つまり、何かすぐ治さないといけない病気があるわけじゃなくて、客観的な医療の必要性ではなくて、患者の主観的な意向に沿って施術が行われる、また、結果についても、きれいになったかどうかは患者の主観で決まる、また、美容医療を受けたことがある人は普通は他人には余り自分から言いませんから、私、美容医療を受けたのよというのは、ですから、口コミというのが余り機能しない、それから自由診療であるので非常に金額が高くなる、こういういろいろな特徴が医療の中でも少し違うんだろうなと。だから、派手な広告であったり、強引な勧誘による集客行為が行われやすい傾向があるのではないかというふうに思います。

一方で、医療分野においては、先ほど言ったように、原則広告が禁止になっていて、非常に限定的な事項しか広告することが認められていない、医療機関名であったり、連絡先であったりということでありますので。だから、非常にCMも陳腐なものが多いんですね。

皆さんよく御存じのように、例えば、イエス○○とクリニック名を連呼するだけのCMとか、若い女性が、〇一二〇で始まる電話番号とクリニックの名前を言いながらごろごろごろごろ転がっているCMというのを皆さん見たことがあるというふうに思います。あるいは、テレビでおなじみのニューハーフタレントが音楽に合わせて踊りながら○○美容外科というのをずっと言い続ける、こういうCMがよく見られるんですね。

選挙でも、我々、名前の連呼というのをやります、名前の連呼というのを。確かに、知らない人の名前は書けませんから名前連呼するわけですけれども、ただ、名前連呼だけだったら、その候補者が何を考えているのかもわからない、誰に投票していいのかわからないということがあります。

そういう意味では、こうしたクリニックの名前とか電話番号だけを連呼するこういう広告というのは、患者が医療機関や治療方法を選択する上では私は有用なものではないというふうに思うんですけれども、こういう広告というのは非常に陳腐だと思いますけれども、大臣はどのように思われますでしょうか。

○塩崎国務大臣 テレビコマーシャルで、今お取り上げをいただいたようなのを私も見たことがございますけれども、医療法の広告規制の対象にテレビコマーシャルについてもなっているわけで、医療機関の名称については現行の広告規制において広告可能な事項ということに一応なっています。

現行の広告規制の範囲内でいかなる広告を行うかというのは個別の医療機関の判断でありますけれども、そこはどういう、何というか矜持を持ってやっているのかということがそこに出るものでありますので、法律に触れていない限りはやってはいけないということにはならないんだろうなと思いますけれども、それと少し違う価値観はあり得るというふうに私も思っております。

○大西(健)委員 私はバランスが悪いと思うんですよね。

だから、一方では電話番号と名前しか連呼しない。でも、これで今回法改正が入るわけですけれども、ホームページに行けば今はホームページはもう全くフリーになっている。あるいは、後で言いますけれども、では、チラシとか、雑誌に掲載されている広告とか、フリーペーパーに出ている広告というのはどうなのかというと、これはもうまたひどいものなんですよ、後でこれは指摘しますけれども。

ですから、これは何か、ある部分で非常に厳しくしているんだけれども、その分何か別のところで非常にゆがみが生じてしまっている。

ですから、さっき言ったように、本来は、患者さんが治療方法とかクリニックを選択する上で有用な情報であれば私は別にテレビCMでも流してもいい。ただ、先ほど来言っているような、間違った誘引をするようなとか虚偽のとか、そういう内容についてはしっかりチェックをかけていかなきゃいけないけれども、今言ったように、ある部分ではすごく厳しくしているからクリニック名だけ言っているんですけれども、ある部分ではめちゃくちゃやっているわけですよ。このアンバランスというのを、大臣、どのように思われますか。

○塩崎国務大臣 なかなか難しい問題だと思いますが、やはり誇大広告とか明示的にやってはいけないことをやっていない範囲内でいろいろなことを考えておやりになっている方がおられるんだろうというふうに思いますが、そこのところをどう規制するかというと、やはりなかなかそう、違法なことをやっていない限りは規制がしづらいというのが実態で、それを見てどう思うかということは、いろいろあろうかというふうに思いますので。

実態として、人を間違った方向に引っ張っていくようなことがあればそれは当然規制をしなきゃいけないことになろうかと思いますが、そうではない範囲内であれば、なかなか直接的な規制を加えるというのは難しいのかなというふうに思っているところでございます。

○大西(健)委員 私はやはり個人的にちょっと規制の仕方を見直した方がいいんじゃないかなと思っているんですね。

というのは、派手なテレビCMを流すことで名前を刷り込みして、テレビCMでもやっているあの大手だから大丈夫というように信じ込ませるという、これはブランド戦略だと思うんですけれども、それは、できるところはばんばん金かけてやるわけですよ。ですから、これがちょっとゆがんでいると思うんですね。

この派手な宣伝広告には当然多額の費用がかかります。

例えば、これもちょっとあれですけれども、あるものに書いてあったんですけれども、スーツ姿の医師たちが、好きな言葉は向上心です、好きな言葉は感謝です、私たちは○○美容外科のクリニックのドクターです、こういうことを言っている、またこれは意味不明のCMなんですけれども、ここは、月、放映料に四千万かけている。これだけの金がかけられているわけです。それで自由診療ですよ。

ですから、美容クリニックでは売上高に対する宣伝広告費が三〇%から多いところでは五〇%に達する、こういうふうな指摘があります。こうした多額の費用をかけてこれを回収しようとするから、無理な勧誘だとかさまざまなトラブルが生じるその要因になっているんじゃないかというふうに私は思います。

この点、売上高に占める宣伝広告費の割合について、美容クリニックのまず実態調査、今私が指摘したみたいに、いろいろなものを調べると、売上高の三〇%から五〇%、それぐらいの割合を広告費にかけているという話がありますけれども、本当にそうなのか。まず、これは実態調査していただきたい。その結果、もしそういうことがあるんだったら、私が言ったように、それだけ宣伝広告費をかけたらそれを回収しようとするわけですから。ですから、必要があれば広告費の総量規制とか、そういうやり方もあるんじゃないかというふうに思いますが、いかがでしょうか。

○神田政府参考人 広告宣伝費について実態調査をしてはどうかということでございますけれども、使途を規制するということについてはなかなか難しいのではないかと思いますけれども、美容関係の団体の連絡会をつくりまして、私ども、規制の周知ですとか、そういう取り組みを進めていきたいというふうに考えておりますので、そういった関係団体を通じて、どれぐらい広告宣伝費をかけているのかということについては調査をすることは可能かと思いますので、そういったルートを通じて把握について検討したいと思います。

○大西(健)委員 よく病院の経営実態調査とかをやられるわけじゃないですか。ですから、私は、ぜひ、美容医院がどれだけ広告宣伝費を使っているのか、これを一回調べてみたらいいと思いますよ。ぜひやっていただきたいというふうに思います。

テレビCM以外でも、折り込みやポスティングのチラシ、週刊誌やフリーペーパーなどに掲載された広告なども、当然のことですけれども、医療広告の規制の対象になっています。でも、さっき言ったように、テレビのCMは名前と電話番号しか言わないけれども、この今からお話しする週刊誌とかフリーペーパーに載っている広告というのは、これはもう大変野放しの状態だと私は言っていいと思います。

きょう、私、ここに女性週刊誌、それからうちの地元で普通の店に置いてあるフリーペーパーを持ってきましたけれども、この中を見ると、さまざまな美容医療の広告が打たれているんですけれども、そのうち幾つかを皆さんのお手元に資料としてお配りしました。

まず、資料のちょうど一枚目の裏ですけれども、これは週刊女性に掲載されていた広告ですけれども、ここに書いてあるこの「アクアミド注射」というのは、そもそも法律の承認を得た治療法ではないので書けないんです。「九九%の人が非常に満足」、こういう客観的な根拠に欠ける記述もできないはずであります。あるいは、「糸リフト」「片側一本で二歳ぐらい」「片側三?四本入れれば六?八歳」「片側五本入れれば十歳ぐらい若く見えるようになる」、これも主観的な話なので書けないんです。

それから、次のページ、次の広告、これは私の地元のグルメ情報とかが書いてある普通のフリーペーパーです。これに入っていた広告ですけれども、これは先ほどの、女性がぐるぐる床を転がる派手なCMをしている、全国に二十七院を展開している大手の美容医院の広告ですけれども、これは、違反表示のオンパレードですよ。丸をつけたところを見てください。

まず、一番上に豊胸手術、「豊胸術」のやつが載っていますけれども、それ以外にも全部ビフォー・アフターの写真が載せてあるんです。これはやっちゃいけないことになっているんです。しかも、これは、きのうちょっと聞いてみたら、この胸のところがきらきらっとしているんですけれども、こういうのもだめだそうです。こういうのもだめだそうです。

また、あちこちに「口コミサイト」「愛知県」「第一位」という優良性を示す記述があります。これもだめです。それから、「ヒアルロン酸注入法」「バストアップ」とか「サーマクールCPT」、これも承認を得ていない治療法で書けないはずであります。あるいは、「初回特別限定価格」という、実際、標準的な価格が幾らなのかよくわからない、何かいかにも安くてお得なように誘引するような言葉が並んでいる。

これは、本当に、最大手でテレビでばんばんCMを打っているところですよ。だから、さっきも言ったように、テレビCMは名前と電話番号しか言わないけれども、このフリーペーパーに載っている広告は違反表示のオンパレードなんですよ。ですから、これが私はおかしいんじゃないかと。

次のページも、これはフリーペーパーに載っていたものですけれども、「初回トライアル半額」「リピート率No.1」「切らずに十才若返り」「人気No.1」、それから「特別技術指導医」という、この特別医というんですかね、こういうのも書けない記述になっています。また、「今まで何をしても効果のなかった目の下の小じわが気にならなくなりました(四十代女性)」、こういう意図的な体験談まで載せてある。

厚労省にはこの広告を事前に渡して、目を通してもらっているはずですけれども、今私が指摘したような記述は全て違反表示ということでいいか。また、一つの広告についてもこれだけ多くの違反表示がある。また、こうした広告は、私がきょう持ってきているこういう週刊誌とかあるいはフリーペーパーにもうあふれているんですよ。こういう現実を今厚労省はどのように受けとめているか、医政局長から御答弁いただきたいと思います。

○神田政府参考人 先ほど先生から御指摘ございましたように、ここに掲載されているものは、多くは自由診療ということでございますので、まさに広告が制限されている事項でございます。

それから、リピート率ナンバーワンですとか、そういった比較広告も禁止されているものでありますし、十歳若返るとか、そういったことも誇大な広告に当たるのではないかというふうに考えております。

それから、特別技術指導医というものも、医師の専門性に関する事項については一定のものしか広告ができないということですので、実体のないような資格については広告できないということでございますので、いずれも先生御指摘のとおりかというふうに思っております。

それから、価格が今行うと安いというような費用を強調した広告につきましては、ガイドラインの中で、適切な選択を阻害するおそれがあるということで、医療に関する広告として適切ではないとして厳に慎むべきものとしているところでございまして、今後、こうしたものについてさらに指導の徹底を図っていく必要があるというふうに考えております。

○大西(健)委員 大臣も今、これはちょっとちっちゃいですけれども、見ていただいたと思うんですけれども、御感想があればいただきたいと思います。

○塩崎国務大臣 今局長から答弁したように、違反のオンパレードになっているわけでありますので、そういうところはやはり是正をしていかなきゃいけないというふうに思います。

○大西(健)委員 先ほどの繰り返しになりますけれども、お金をかけてテレビCMを打てるところは、ばんばんお金をかけてテレビCMを流して、そして名前を刷り込む。そうやってテレビでCMを打っている大手だから大丈夫だろうと思ったら、その大手が、今私が示したこの事例の二ページ目のこの表のやつ、その最大手ですよ、左の上に「TVCM好評放映中!!」と書いてあるじゃないですか。ここが、この違反のオンパレードの広告を平気でフリーペーパーに載せているんですよ。
資料の最後に東京都が行った調査というのをつけていますけれども、平成二十七年に、東京都がチラシ等における美容医療の広告調査の結果というのを発表しています。ここに「調査の目的」云々と書いてありますけれども、「調査対象」、新聞の折り込みチラシ、ポスティングチラシ、町中のカフェ、駅頭のスタンド、地下通路、郊外ではスーパーマーケットの店舗内で配布されているクーポン雑誌等のフリーペーパー、一般雑誌、今の週刊女性のような週刊誌ですね、これを調査対象としたと。
これは、右を見てください。百四十件の調査員の判断、不当と思われる表示百三十四件、不当と思われる表示なし六件ですよ。まともなやつは六件しかないんですよ、百四十件のうち。百三十四件、ほとんどが違反。これが野放しにされているんですよ。これが私は最大の問題だと思いますよ。
これを野放しにしておいて、今回、ホームページを今度規制の対象にします、そして、ウエブの監視体制を強化すると。これは、外部の業者に委託してウエブを監視してもらうと言っていますけれども、さっきから私が言っているように、私の地元で普通にどこにでも置いてあるフリーペーパーとか、みんなが、美容院に行ったら奥様方が読む女性週刊誌とかにこれだけ違反の広告が堂々と載っていて野放しになっている状況でそんなことを言っても、私は全く信憑性はないと思いますよ。信頼性がないと思いますよ。

ですから、これは都道府県がやるということですけれども、大臣、ちょっとこの個別のケースを、私が言ったやつを都道府県に伝えておきますときのう厚労省が言っていたけれども、そういう問題じゃないんです。さっきの東京都のやつに、百四十件調査して百三十四件は違反表示なんです。まともな表示の方が少ない。これをちゃんとやらないで新たにホームページを規制対象にしますと言っても、ちゃんちゃらおかしいと私は思いますけれども、大臣、いかが思われますか。(以下略)

アベ改憲策動の現段階 ― 改憲阻止に楽観論と慎重論と

自民党の改憲策動は今どうなっているんだい。もう、アベ改憲はとても無理だろう。

いや、それは甘い。新聞に「改憲遠のく」の記事が出ているが、運動体には迷惑な話だ。気を抜いてはならない現状だと思う。

そうかな。常識的にはアベ政権は死に体じゃないか。こんな政権に、憲法改正などという力業ができるとは到底思えない。むしろ、運動の成果に自信をもつべきではないのか。

改憲は、内閣の仕事ではない。改正案の審議も発議も、もっぱら国会の仕事だ。アベの力が衰えても、与党がやる気になればできることだ。9月の総裁選でアベ三選が阻止されても、後継総裁が「アベなきアベ改憲」を強行しないとも限らない。

今、アベが火だるまになっているのは根底に改憲強行姿勢があるからじゃないか。アベが追い落とされれば、次の総裁が誰であれ改憲は仕切り直しで、しばらくはおとなしくするだろう。そのような、硬軟おりまぜた柔軟性が自民党のしたたかさだと思うがね。

アベ9条改憲は、12年4月の「改憲草案」よりは、ずっと妥協し後退したものだ。党内には、これを不満とし「改憲草案」の国防軍案を主張する強硬派も少なくない。アベなきあとも、せめてアベ改憲の実現をと、まとまる可能性を否定できない。

自民党が、そんなイデオロギー政党だろうか。自民党の議員が、憲法が票になると思っているはずはない。景気対策、産業振興、震災復興、雇用や年金、教育費援助、農林漁業支援などの現実的な政策に傾斜せざるを得ないところだろう。

いや、今両院ともに、改憲派の議席が3分の2を超している。党内には、いまこそ千載一遇のチャンスという雰囲気が横溢していると見るべきだろう。

その一方で、今のアベ総裁のままでは選挙は戦えないという声が党内に満ちているとも報じられている。アベのバスに乗り遅れまいと有象無象が群がった時代は夢のまた夢。今は、沈みそうなアベ丸から、みんなわれ先に逃げ出そうとしている図ではないか。

党内には、「この連休で気分が変わる。」「内閣支持率も5月中旬にはV字回復」という楽観論もある。これまで何度もの危機を乗り切ってきたアベのしたたかさを過小評価してはならない。

聞きたいのは、アベ改憲スケジュールの現段階だ。もともとは「2020年東京オリンピックまでに改正憲法施行」で、逆算すると、今通常国会中に国会に「改正原案」を発議し、今年の末までに、国会が「改正案」を国民投票に発議しなければ間に合わない。それが頓挫したということではないのか。

当初予定のスケジュールが、かなり難しくなっていることは疑いない。しかし、頓挫したということではない。

少し、詳しく説明してくれないか。

3月14日に、自民党改憲本部が9条改正案の7案を提示した。この中には、9条2項削除案と存続案が混在しているが、初めから最有力だったのは、「9条1項2項はそのまま残して、自衛隊を憲法に明記する」というアベ提案に沿った、「9条2項を維持して、9条の2に、『必要最小限度の実力組織として、自衛隊を保持』」という案だった。

それでまとまらなかったのか。

3月15日が自民党改憲本部の全体会議だった。細田博之本部長は、一任を取り付けようとしたが、まとまらなかった。第2項維持派が「自衛隊」明記案と「自衛権」明記案に分かれたためだと言われている。ここで、アベの求心力低下が表面化した。

その後に、一任を取り付けたと報道されたんじゃないのか。

3月22日に再度の全体会合が開かれた。報道では、「安倍晋三首相の意向に沿って9条第1項(戦争放棄)と第2項(戦力不保持)を維持しつつ自衛隊の存在を明記する憲法改正について、これまでの有力案から『必要最小限度』を削除する修正案が提示された。会合では修正を支持する意見が多数を占め、同本部は今後の対応を細田氏に一任。細田氏は修正案に基づき条文化を進める。」となっている。確かに、一任取り付けとはなった。

これまでの有力案から、「必要最小限度」を削除すると、「実力組織として、自衛隊を保持する」ということか。

おそらくは、条文としてはこうなるだろうということだ。
「9条の2第1項 前条(註・現行9条1・2項)の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
同第2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」

「おそらくは」って、3月25日の自民党大会までに条文案を一本化して、この党大会を具体的な改憲発議に向けての決起集会にするはずだったのだろう。

それが、そうはならなかった。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しが、「改憲発議 年内厳しく 支持急落 日程窮屈に」。「党改憲推進本部が急いでまとめた『改憲4項目』の条文案が大会で披露されることはなかった」と報じられている。

改憲テーマは、「9条」・「緊急事態」・「参院選の合区」・「教育充実」の4項目だった。どの項目についても、改憲本部長からの条文化が示されなかったのなら、改憲スケジュール頓挫、ということではないのかね。

いや、今のところは「日程窮屈に」なった程度ということだろう。水面下では、公明党との摺り合わせが進行しているはずだ。

ボクは、3月2日に神風が吹いたと思っている。その日の朝日新聞・朝刊のトップ記事が、森友・決裁書「書き換え疑い」の報道だった。「書き換え疑い」は、すぐに「疑い」がとれ、「改ざん」となった。

その記事がもとで3月27日佐川証人喚問までは漕ぎつけたが、尋問では官邸の責任を否定し、細部は証言の拒否だった。

さらに加計問題だ。愛媛県の文書が出てきて、15年4月2日の官邸での面会が話題となった。これに「首相案件」とあった。さらには農水省、内閣府、文科省から内部文書が出てきた。当時の首相秘書官だった柳瀬が窮地に立たされている。

法的な問題としては、イラク派兵の日報が出てきたことは大きい。1万5000頁もの文書が報告されていなかった。シビリアンコントロールはどうなっているのか。

統合幕僚監部の三佐が、国会前の路上で民進党小西洋之参議院議員の「国民の敵」と罵倒した事件はもっと大きい。こんな、危険な自衛隊を憲法上の組織として位置づけるなど、とんでもないことだ。

このことへの反論として、「憲法に自衛隊の規定も、自衛隊へのシビリアンコントロールの規定もないことが問題だ。憲法に規定すればよい」などという珍論がある。

そして、おまけは財務事務次官福田淳一のセクハラ報道だ。福田の言動もひどいが、麻生の対応が致命的だった。これは、安倍内閣の断末魔の図ではないかね。

アベにとっての起死回生の望みが日米首脳会談だった。結局はなんの土産も持ち帰ることができなくて、安倍外交の失敗が際立つ結果となった。朝鮮半島をめぐる国際問題で、まさしく日本は蚊帳の外だ。

アベが倒れれば、アベ改憲策動はなくなる。アベの失点は、護憲勢力に朗報だろう。

アベが取りこぼして、「オウンゴールでアベ政権が倒れた」ではダメなんだ。改憲阻止の国民運動がアベを打倒したという構図にならなければ、アベ後継の改憲策動が始まることになる。

いま、アベが倒れたとして、これを「オウンゴール」というのは引っかかる。アベを糺弾する運動や言論があってのアベ退陣だろう。アベ改憲阻止とは、何よりもアベ政権を倒すこと。行政を私物化し、隠蔽・改ざん・捏造の、腐敗したアベ政権を糺弾することが今大切だろう。

何よりも、「改憲にこだわっていたのでは、選挙民がアベ自民党を見限る」「改憲論では選挙に勝ち目がない」という世論喚起の運動を高めなければならない。3000万署名を積み上げることが、喫緊の課題だ。

そこのところは異論がないね。いかなる改憲策動も、衆・参どちらかの議院で、護憲派が3分の1の議席をとればよい。今の世論分布なら、護憲野党の共闘で可能となるはずだ。それまで頑張ればよい。

もちろん、そのとおりだ。私は油断せぬよう、楽観せぬよう、世論喚起の運動を押し進めたい。

ボクの方は楽観しながら、市民と野党の共闘が実現するよう運動に参加するつもりだ。
(2018年4月23日)

「あやめた母と妹 遺言の九条守る」 ー辛い 12歳の戦争体験

戦争は絶対にごめんだ。戦争とは理不尽な暴力であり、陰惨な殺し合いだ。恐怖であり、別離であり、飢餓であり、絶望であり、人間性否定の極致でしかない。戦争は醜悪で悲惨だ。雄々しくも、格好良くもない。戦争こそは、最大の愚行であり、不幸の集大成である。戦争を起こした者、戦争を利して財をなした者を徹底して糺弾しなければならない。そして、戦争の惨禍の被害者は社会全体が救済しなければならない。それが、文明社会のせめてもの責務ではないか。

戦争の惨状は、この世の地獄と語られてきた。しかし、地獄絵図を語ることができるのは、好運な生存者である。地獄のまっただ中に放り込まれて生還できなかった最も悲惨な犠牲者は、地獄のありさまを語り伝えることができない。

辛くも生き延びた者も、地獄の惨状など思い出したくもないだろう。語ることは苦痛だろう。ましてや、生死を分けた地獄の入り口で、死者に後ろめたさをもっている生還者が口を閉ざすのも当然ではないか。

そのような「地獄」として語られてきたのは、レイテであり、ミンダナオであり、ガダルカナル、インパール、ニューギニア、硫黄島…。あるいは、731部隊であり、南京事件である。そして、東京大空襲、沖縄、広島、長崎等々であった。さらに、戦後の満州逃避行やシベリア抑留も…。けっして、戦場だけが地獄ではなく、民間人の生活の場も地獄になった。

その「地獄」についての多くの記憶が語られぬままに墓場に埋められた。戦争という地獄についての語られた惨状は、氷山の一角でしかない。黙していた人が、自らの体験を明らかにする決意をすることがある。まことに貴重なことだが、どうして沈黙を破る決意に至ったか。そこを知りたいものと思う。

昨日(4月21日)の東京新聞・朝刊21面「あの人に迫る」は、「あやめた母と妹 遺言の九条守る」の大きな見出し。望月衣塑子のインタビューに、「戦争の語り部」という村上敏明(83歳)さんが語る、鬼気迫る戦争体験。

この人は、小学校5年生(11歳)のときに満州の四平で終戦を迎えている。翌年引き上げ前に「母と妹を自らの手であやめた」という体験をもつ。引き上げの旅に足手まといとなる病弱者や衰弱者は殺害せざるを得なかった。医師が毒薬を処方して、12歳の彼がスプーンで飲ませたという。これは、文字通りの生き地獄だ。

このつらい体験は、口にしたくはないところ。事実、彼は60年余も沈黙を続けた。その長い沈黙のあとに、この人が「戦争の語り部」となった。8年前、76歳でのことだという。

望月記者は、こう解説している。

「愛する母や妹をあやめたことへの罪の意識を背負い、長い沈黙を続けたが、政治の進む方向に危機感を募らせ『今こそ言わねば』と、2010年に「四平小学校同窓会記念誌」で満州での自らの体験を記し、それ以降、積極的に語るようになった。不思議と毎晩見ていた悪夢を見なくなったという。」

どうも、これだけでは、沈黙を破った心境の変化の原因がよく分からない。

それはともかく、長いインタビューの最後に、?橋さんは、こう語っている。

「芙美子(妹)や母は、なぜ私に殺され、死なねばならなかったのか。戦争という不条理がそれを肯定した。戦争に正義などない、あるのは不条理と戦争から生まれる癒えることのない、憎しみと悲しみの連鎖だけだ。」

「戦争しない国を掲げた憲法9条は、母と芙美子が私に残してくれた遺言だ。戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。社会の分断を食い止め、戦争への道を止めるため、いまやれることをやらねば。」

同じ紙面に、「あなたに伝えたい」という欄があり、村上さんの読者への言葉をこう伝えている。

「戦争を知らない世代が権力を牛耳り、若い世代で、戦争につながる行動が肯定されていると感じる。」

この人が言えば、なるほどそのとおりだ。安倍晋三とその取り巻きのことだ。

そして、「インタビューを終えて」という望月記者の解説と感想がある。
「『戦争は絶対だめ』と繰り返し、太い眉の下のつぶらな瞳の奥に揺るぎない意志が見え隠れするようで圧倒された。」「村上さんの心のバトンを私たちが引き継いでいかなければ。」と締めくくられている。

あらためて、戦争体験の記録を重要と思う。そして、戦争体験を風化させない努力継続の必要性を痛感する。

なお、このインタビュー記事は、ネットでも全文を読むことができる。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018042002000247.html
(2018年4月22日)

反撃訴訟次回期日の傍聴をー4月26日(木)13時30分・415号法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第129弾

DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したスラップ訴訟。私がブログで吉田嘉明を痛烈に批判したことがよほど応えたようだ。人を見くびって、高額請求の訴訟提起で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んだのだ。そこで、「黙れ」という恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償額請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。

当時の弁護団会議のメモには、「請求拡張はさらに続くことになるだろう。澤藤が批判をやめない限り、事実審の終結まで何度でも。請求金額はどこまでも大きくなるだろう」と、記載されている。DHC・吉田嘉明の意図は、2000万円から6000万円への請求拡張時には、澤藤が批判の言動を繰り返すのなら、際限なく請求の拡張を繰り返すことを考えていたに違いない。

ところが、現実に請求の拡張をして、その効果がないばかりか、明らかに不利になることを覚ったのだ。私は、既に120回を超える批判のブログを書いている。法律雑誌にもDHC・吉田嘉明の名を明確にした論文をいくつも書いてきた。DHC・吉田嘉明の名を明確にした講演も何度も行っている。DHC・吉田嘉明が、提訴の当時、本当に自分の権利を救済するために提訴が必要で、そのためには2000万円、6000万円の請求が妥当と考えていたとすれば、今頃は10億円を遙かに超す提訴を維持していなければならない。

結局のところ、「高額請求の提訴で脅かしてみたが、どうも効き目がないようだから請求拡張はあきらめた」ということなのだ。

地裁・高裁・最高裁までのスラップ訴訟を被告として闘って私の勝訴が確定した。今は私が反訴原告となり、DHCと吉田嘉明を反訴被告として、反撃訴訟を展開している。スラップの提起自体が違法で損害賠償の対象となるのだ。

係属は、東京地裁民事第1部。その次回口頭弁論期日が4月26日(木)13時30分、415号法廷である。是非、傍聴をお願いしたい。閉廷後に、控え室で弁護団と傍聴参加者とで、いつものように、資料を配付してのご説明と意見交換を行いたい。

4月19日、当方(反訴原告・澤藤)からの準備書面と書証を提出した。
前回、DHC・吉田嘉明側は、裁判所の勧告を受けて、10件の同種スラップの訴状や判決を提出した。今回の準備書面では、これを読み込んで、DHC・吉田嘉明がスラップの常習者で、自分の権利救済を目的とするのではなく、批判の言論に対する萎縮効果を狙った提訴を行っていることを明らかにしている。
1件だけの提訴や訴訟経過を見るだけでは分からないことが、同種の10件のスラップ全体を通覧すれば、はじめて見えてくるものがある。そのことを明確にして、DHC・吉田嘉明の私に対する6000万円請求提訴それ自身が、裁判を受ける権利を濫用した不法行為に当たる、という主張となっている。

主張の眼目は、
(1) (客観要素)DHCの澤藤に対する提訴には勝訴の見込みはなかった。
(2) (主観要素)提訴の目的は批判の言論の萎縮を狙ったものである。

4月11日の当ブログ(「DHCスラップ訴訟」を許さない・第128弾)で、格好の参考事例として『武富士の闇』訴訟判決の顛末を紹介した。
https://article9.jp/wordpress/?p=10188

本日は、今回の準備書面で引用する書証の一つ(乙15)をご紹介しておきたい。
当時たまたま目についた、「本ブログが(株)DHCから恫喝を受けました」と標題する、とあるブログ記事(2014年8月19日付)である。

その恫喝とは、「株式会社ディーエイチシー総務部法務課・杉谷義一」による「ブログ記事の削除要請の件について」と標題する通知。2014年8月19日付で、文面は以下のとおりである。

「ブログ記事を削除していただきたく、貴殿にご連絡いたします。
?今般、貴殿は、本ブログ記事において、全体として弊社代表者(註・吉田嘉明)を侮辱し、また、自ら「証拠もなしに」と何らの調査・取材も行っていないことを認めながら、弊社代表者が、「強烈な保身意識」のもとで渡辺議員を「警告、恫喝、口止め」している、「吉田のコメントは、念には念のヤクザの恫喝ではないのか」などと平然と書き、そのような人物が代表取締役会長をつとめている弊社(註・DHC)の社会的評価を低下させ、弊社の名誉を著しく毀損しています。
?貴殿が記事の削除に任意に応じて頂けない場合には、やむなく法的対応を検討せざるを得ませんので、できましたらそのようなこととならないよう何卒宜しくお願い致します。なお、本ブログ記事同様に、弊社代表者および弊社の名誉を毀損し或いは侮辱する記事を掲載した他のブログにおきましては弊社の指摘により記事の削除をして頂くことで円満解決しておりますことを、念のためお伝えしておきます。」

この通知を受けた同ブログ主宰者は、わざわざ「本ブログが(株)DHCから恫喝を受けました」と標題する記事を掲載して、DHCからの記事削除要請に不愉快を明言し、当該の記事が「訴訟を起こされて多額の慰謝料を支払う判決が下される様なエントリーとは思えない」と考えつつも、「現実問題として本当に裁判を起こされかねない」との判断のもと、「一時的削除」という判断に至っている。

本例は「恫喝による萎縮効果の」の好例となった。明らかに経済的強者の濫訴が言論の萎縮を招いているのである。スラップは、言論の自由を侵害する恐れがあるにとどまらない。既に現実化しているのである。

しかも、「本ブログ記事同様に、弊社代表者および弊社の名誉を毀損し或いは侮辱する記事を掲載した他のブログにおきましては弊社の指摘により記事の削除をして頂くことで円満解決しております」というのだから、被害は他にもあるのだ。

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当該のブログでは、DHCから「恫喝」を受けて「萎縮」せざるを得ないとの判断に至った経過が、次のようにブログに残されている。生々しいし、痛々しいとも言えよう。

「2014年4月8日のエントリー「さらば渡辺喜美」について、株式会社ディーエイチシー総務部法務課の杉谷義一とやらが当該記事の削除を求めるコメントを書き込んできた。何でも、当該記事は代表吉田嘉明と会社の名誉を著しく毀損する内容で、削除せねば「法的措置」を検討するらしい。
一瞬、ただのスパムコメントかと思ったが、どうやらDHCは同様の方法で会社に不都合なブロガーに圧力をかけて回っている様だ。だとしても、こんな場末のパンピーブログにまで恫喝してくるとは、DHCとはケツの穴の小さい会社である。余程不都合な内容だったのだろうか(笑)。
笑ってばかりもいられない。と言うのも、DHCの恫喝はただの脅しではなく刃が付いている可能性が高いからだ。実際、東京弁護士会の澤藤弁護士が、◎◎◎◎(註・このブログ名)と似た様なことをブログに書き、つい最近DHCから2000万円の慰謝料を求めて訴訟を起こされている。
アップした画像の文章も、低能丸出しのスパムと比較して文章が本物っぽく感じられる。やばそうだ。ちなみに、澤藤弁護士は、「言論の自由を企業の力で潰すスラップ(見せしめ)訴訟だ」と徹底抗戦の構えで、77人の弁護団を組んで8月20日にも第1回口頭弁論に挑む。
さて、◎◎◎◎はどう対処しようか。訴訟を起こされて多額の慰謝料を支払う判決が下される様なエントリーとは思えないが、現実問題として本当に裁判を起こされても面倒だ。ついては、一時的に当該エントリーのDHCに関する記述を削除しようと思う。
もちろん、削除前のエントリーは保存しておく。澤藤弁護士の訴訟結果を待ち、澤藤弁護士が勝訴したら再アップしようと思う。」

これにいくつのコメントがついている。

☆おお、DHCの事なんかすっかり忘れていたのに、頑張って思い出せてくれましたね。そういえばニュースで渡辺利美(ママ)が出ていました。 臨時国会から復活したいようです。
これってDHCの事を書いたブロガーじゃなくて、渡辺義美復活阻止の嫌がらせカモ?
いずれにしてもろくでもない会社ですねえ。
ともかく一応削除は正解だと思います。馬鹿とキチガイの相手はしない事です。

☆戦略的撤退
こんにちは。
私も△△△さんのご意見に賛成です。
業腹なところも当然有るとは思います。
しかし、裁判そのものを楽しんでやろうというという類いの焔が心中になければ、ここはヒラリとかわす一手だと思います。

☆今は魚拓というやり方もありますし、私も今後注目されそうなブログニュースのエントリーは保存しています。
ネット上から削除すれば隠蔽できる、という時代ではありません。にもかかわらず、こんな木っ端(失礼w)ブログまで脅しにかかるとは、DHCなる企業のお里が知れるというものです。余程裁判が好きなのでしょう。
そういえば、今月20日がDHCスラップ訴訟の第一回公判でした。弁護士はあまり好きな人種ではありませんが、この件については奮闘して欲しいものです。

☆こんばんは。
あのエントリーは、推測で批判する負い目から手加減した部分もあって、あちらさんはその優しさ部分を見事に揚げ足とってきました。どこかの国とよく似てますね(笑)。
続報が無くて消化不良だったのですが、今回の一件でDHCがどんな会社なのか新しいエントリーを書くこともできて、私としては不満の無い展開です。
渡辺、復活しましたねぇ。「体調不良」の名目でお詫び行脚の毎日を過ごしていたそうです。まあ、謝るだけマシですね。今後の活躍に期待しますよ。

☆昨晩は怒り心頭で最悪の気分でしたが、一夜明けて平静を取り戻しました。それに悪いことばかりでもないな、と。
仰られるように、今は戦略的撤退の一手ですね。私はごく普通の社畜なので、仕事に支障をきたすことだけは避けねばなりません。

☆木端ブログの管理?です(笑)。
かような木端ブログを大企業様にお相手していただき光栄の至りですよ。おかげで箔がつきました(笑)。
スラップ訴訟の動向は、澤藤弁護士が自身のブログで随時情報をアップするらしいです。今日の情報も近日アップされることでしょう。
ただ、この弁護士さんを応援したいのは山々なんですが、どうも彼は私が日頃から批判している類の弁護なんですよねぇ。DHCもよくケンカを売りましたよ(笑)。
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なお、同ブログに以下の報道記事が引用されている。

DHCの吉田会長批判ブログ執筆者らを続々提訴
http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/08/18142546.php
「みんなの党」の代表だった渡辺喜美代議員の失脚の原因となったのが、化粧品製造販売会社DHCの吉田嘉明会長が渡辺議員に貸し付けた8億円について自ら雑誌に告白したのがきっかけだったのは周知の事実だろう。その吉田会長が弁護士やジャーナリストなどを相次いで名誉棄損などで訴えていることが関係者への取材で分かった。訴訟の件数は10件に上るという。(アイ・アジア編集部)

この一連の訴訟の最初の口頭弁論が、東京地裁で8月20日に開かれる。訴えられているのは、東京弁護士会の澤藤統一郎弁護士だ。訴状によると、澤藤弁護士は自分のブログで、吉田会長が自分の儲けのために渡辺元代表に金を交付したが、自分の思い通りにならないので切って捨てたとの趣旨の記載を行い、「DHC側のあざとさも相当なもの」と記述したという。
その上で、吉田会長の側は、ブログがインターネット上で誰でも閲覧できるものである上、被告は社会的地位のある法律の専問家であるから読者は記述を高く信用してしまい、吉田会長の名誉が著しく損なわれたとしている。そして、澤藤弁護士に対して、吉田氏本人とDHC社に各1000万円、合わせて2000万円の損害賠償とブログへの謝罪広告の掲載を求めている。

これについて澤藤弁護士は次にように話し、裁判で争う姿勢を示している。
「経済的な強者が高額請求の訴訟を起こすことで政治的な言論を封殺しようとするもので、憲法上看過できない重大な問題を含んでいると思う。私のこの程度の表現が違法ということになれば、言論の自由は封殺されることになる。とりわけ、強者の違法に切り込む言論が封殺されてしまう」。
(2018年4月21日)

「無知と無神経と無理解」だけでなく、「無恥・無体・不作法・無分別に無為無策」

長く佐川宣寿が占めていた「時の人」のトップの座。柳瀬唯夫が佐川を襲ってしばらくはその位置を占めていたが、ここ数日福田淳一に一気に抜かれて、その座を明け渡している。いま、財務事務次官・福田淳一こそは、その言動に国民の耳目を集める「ミスター・セクハラ」であり、まごうかたなき「THE時の人」である。

財務省は、旧大蔵省以来「省の中の省」「官僚機構中の官僚機構」である。その次官といえば「官僚の中の官僚」にほかならない。その現役トップ官僚のセクハラは、現代日本社会の一断面を雄弁に物語っている。注目すべきは、「次官のセクハラ」のみならず、日本官僚機構のセクハラ告発に対する対応のありかたである。麻生という愚かな大臣が対応を誤ったなどと問題を矮小化してはならない。日本の官僚機構の、あるいは日本政府の体質が露わになっている。これこそが、素の姿なのだ。

2004年に公益通報者保護法が成立したとき、その不十分さを指弾しつつも、私はその法の制定を深い意義あるものとして歓迎した。今の社会に生きる人は、国家と対峙しているだけではない。企業や、官庁や、あるいは地域や家庭にも縛られている。個人の独立は、国家による支配を排除するだけでなく、中間組織からの、とりわけ企業や官庁からの支配を脱することなしには達成し得ない。

個人は、国家と対峙するだけでなく、常に所属する中間組織との緊張関係の中にある。個人が組織の不正義を認識して是正の行動を起こしたとき、あるいは個人が組織から権利の侵害を受けたときには、個人が組織に押し潰される理不尽を防ぐための法のサポートが不可欠なのだ。これは、社会の正義の総和を増大させるためという功利的な問題であるよりは、個人の尊厳という根源的な価値を守るためなのだ。

公益通報者保護法の制定は、そのような問題意識と議論が獲得した小さな成果であり、大きな課題への出発点であった。この問題意識は、すべての弱い個人が強大な組織と向き合うすべての場合に敷衍して考えられる。

今回財務省トップ官僚による省外の女性に対する人権侵害の疑いが生じた。組織は、組織内に人権侵害や不正義があった場合には、これを隠蔽することなく、加害事実を徹底して明らかにしなければならない。強者の不正義こそが、徹底して糺弾されなくてはならないのだ。

このところ、このように考えてはいたものの、私の出番ではないだろうと思っていた。ところが、昨日(4月19日)の赤旗に掲載された角田由紀子さんの談話に、いささかのショックを受けた。

角田さんは、人も知るこの分野での大御所。その人の談話のタイトルが、「無知と無神経と無理解」というのだ。角田さんの指摘の「無知」については、実は私も大同小異。すると、「無神経と無理解」にも該当するのかも知れない。

談話の冒頭は次のとおりである。
「財務省の調査方法には、同省のセクハラ対応への無知と無神経と無理解が現れています。公務員のセクハラ対応については、均等法がセクハラ指針を設けた後の1999年4月から「人事院規則10?10」が実施されており、これに従って処理されています。これは男女雇用機会均等法に基づくものよりも厳しい内容です。この運用についての最終改正は2016年12月1日となっています。これによれば、この規則は、今回の記者のように職員が職員以外の者を不快にさせたときにも適用されます。同規則は、人事院の責務として、各省庁の長がセクハラ防止等のために実施する措置等に関する指導、助言等を行うことを定めており、各省庁の長の責務の内容も具体的に定めています。」

国家公務員の服務規程として、人事院規則が定められていることは常識に属するが、その具体的内容についてはほとんど知らない。セクハラ防止規定として、「男女雇用機会均等法に基づくものよりも厳しい」とは初めて知った。この「人事院規則10?10」を末尾に掲載しておくことにする。そして、実に詳細に規定されたその運用通達の全文も。

私は断言する。麻生も、福田も、この規則や通達を読んだことは、一度たりともないはずだ。

角田さんの談話は、次のように続く。

麻生財務大臣や福田淳一事務次官の人ごとのような弁明からすれば、財務省では、人事院規則が無視されていたのではないかと疑われます。財務省は上から下まで、本気でセクハラ防止に取り組んできていたのでしょうか。高級公務員への疑惑は、この国の政府はセクハラ根絶にどの程度本気であったのかとの疑問を生みます。「女性活躍」のリップサービスの前に、女性の人権確立のためにやるべきことが山積しています。
多くの女性たちの抗議の声は、刻々と集まるネット署名「セクハラ告発の女性に名乗り出ることを求める調査方法を撤回してください!!」に渦巻いています。

法は、弱い立場の者のためにある。組織に比して、個人は弱い。男性に比して女性は弱い。財務省という「官庁の中の官庁」に対峙する女性個人の人権をどう守れるか。法の実効性が問われている。同時に日本の社会の質が、文明の程度が問われてもいる。
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人事院規則10?10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)

第1条(趣旨) この規則は、人事行政の公正の確保、職員の利益の保護及び職員の能率の発揮を目的として、セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除のための措置並びにセクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合に適切に対応するための措置に関し、必要な事項を定めるものとする。

第2条(定義)この規則において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 セクシュアル・ハラスメント他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動
二 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること及びセクシュアル・ハラスメントへの対応に起因して職員がその勤務条件につき不利益を受けること

第3条(人事院の責務) 人事院は、セクシュアル・ハラスメントの防止等に関する施策についての企画立案を行うとともに、各省各庁の長がセクシュアル・ハラスメントの防止等のために実施する措置に関する調整、指導及び助言に当たらなければならない。

第4条(各省各庁の長の責務) 各省各庁の長は、職員がその能率を充分に発揮できるような勤務環境を確保するため、セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除に関し、必要な措置を講ずるとともに、セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合においては、必要な措置を迅速かつ適切に講じなければならない。この場合において、セクシュアル・ハラスメントに対する苦情の申出、当該苦情等に係る調査への協力その他セクシュアル・ハラスメントに対する職員の対応に起因して当該職員が職場において不利益を受けることがないようにしなければならない。

第5条(職員の責務) 職員は、次条第1項の指針の定めるところに従い、セクシュアル・ハラスメントをしないように注意しなければならない。
2 職員を監督する地位にある者(以下「監督者」という。)は、良好な勤務環境を確保するため、日常の執務を通じた指導等によりセクシュアル・ハラスメントの防止及び排除に努めるとともに、セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合には、迅速かつ適切に対処しなければならない。

第6条(職員に対する指針) 人事院は、セクシュアル・ハラスメントをしないようにするために職員が認識すべき事項及びセクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合において職員に望まれる対応等について、指針を定めるものとする。
2 各省各庁の長は、職員に対し、前項の指針の周知徹底を図らなければならない。

第7条(研修等) 各省各庁の長は、セクシュアル・ハラスメントの防止等を図るため、職員に対し、必要な研修等を実施しなければならない。
2 各省各庁の長は、新たに職員となった者に対し、セクシュアル・ハラスメントに関する基本的な事項について理解させるため、及び新たに監督者となった職員に対し、セクシュアル・ハラスメントの防止等に関しその求められる役割について理解させるために、研修を実施するものとする。
3 人事院は、各省各庁の長が前二項の規定により実施する研修等の調整及び指導に当たるとともに、自ら実施することが適当と認められるセクシュアル・ハラスメントの防止等のための研修について計画を立て、その実施に努めるものとする。

第8条(苦情相談への対応) 各省各庁の長は、人事院の定めるところにより、セクシュアル・ハラスメントに関する苦情の申出及び相談(以下「苦情相談」という。)が職員からなされた場合に対応するため、苦情相談を受ける職員(以下「相談員」という。)を配置し、相談員が苦情相談を受ける日時及び場所を指定する等必要な体制を整備しなければならない。この場合において、各省各庁の長は、苦情相談を受ける体制を職員に対して明示するものとする。
2 相談員は、苦情相談に係る問題の事実関係の確認及び当該苦情相談に係る当事者に対する助言等により、当該問題を迅速かつ適切に解決するよう努めるものとする。
この場合において、相談員は、人事院が苦情相談への対応について定める指針に十分留意しなければならない。
3 職員は、相談員に対して苦情相談を行うほか、人事院に対しても苦情相談を行うことができる。この場合において、人事院は、苦情相談を行った職員等から事情の聴取を行う等の必要な調査を行い、当該職員等に対して指導、助言及び必要なあっせん等を行うものとする。

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人事院規則10―10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について
(平成10年11月13日職福―442)
(人事院事務総長発) 最終改正:平成28年12月1日職職―272

標記について下記のとおり定めたので、平成11年4月1日以降は、これによってください。

第1条関係
「セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除」とは、セクシュアル・ハラスメントが行われることを未然に防ぐとともに、セクシュアル・ハラスメントが現に行われている場合にその行為を制止し、及びその状態を解消することをいう。

第2条関係
1 この条の第1号の「他の者を不快にさせる」とは、職員が他の職員を不快にさせること、職員がその職務に従事する際に接する職員以外の者を不快にさせること及び職員以外の者が職員を不快にさせることをいう。
2 この条の第1号の「職場」とは、職員が職務に従事する場所をいい、当該職員が通常勤務している場所以外の場所も含まれる。
3 この条の第1号の「性的な言動」とは、性的な関心や欲求に基づく言動をいい、性別により役割を分担すべきとする意識又は性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動も含まれる。
4 この条の第2号の「セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること」とは、職員が、直接又は間接的にセクシュアル・ハラスメントを受けることにより、職務に専念することができなくなる等その能率の発揮が損なわれる程度に当該職員の勤務環境が不快なものとなることをいう。
5 この条の第2号の「セクシュアル・ハラスメントへの対応」とは、職務上の地位を利用した交際又は性的な関係の強要等に対する拒否、抗議、苦情の申出等の行為をいう。
6 この条の第2号の「勤務条件につき不利益を受けること」とは、昇任、配置換等の任用上の取扱いや昇格、昇給、勤勉手当等の給与上の取扱い等に関し不利益を受けることをいう。

第4条関係
1 各省各庁の長の責務には、次に掲げるものが含まれる。
一 セクシュアル・ハラスメントの防止等に関する方針、具体的な対策等を各省庁において部内規程等の文書の形でとりまとめ、職員に対して明示すること。
二 職員に対する研修の計画を立て、実施するに当たり、セクシュアル・ハラスメントの防止等のための研修を含めること。
三 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が職場に生じていないか、又はそのおそれがないか、勤務環境に十分な注意を払うこと。
四 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合には、再発防止に向けた措置を講ずること。
五 職員に対して、セクシュアル・ハラスメントに関する苦情の申出、当該苦情等に係る調査への協力その他セクシュアル・ハラスメントに対する職員の対応に起因して当該職員が職場において不利益を受けないことを周知すること。
2 職場における「不利益」には、勤務条件に関する不利益のほか、同僚等から受ける誹謗や中傷など職員が受けるその他の不利益が含まれる。

第5条関係
この条の第2項の「職員を監督する地位にある者」には、他の職員を事実上監督していると認められる地位にある者を含むものとする。

第6条関係
この条の第1項の人事院が定める指針は、別紙1のとおりとする。

第7条関係
1 この条の第1項の「研修等」には、研修のほか、パンフレットの配布、ポスターの掲示、職員の意識調査の実施等が含まれる。
2 この条の第1項の「研修等」の内容には、性的指向及び性自認に関するものを含めるものとする。

第8条関係
1 苦情相談は、セクシュアル・ハラスメントによる被害を受けた本人からのものに限らず、次のようなものも含まれる。
一 他の職員がセクシュアル・ハラスメントをされているのを見て不快に感じる職員からの苦情の申出
二 他の職員からセクシュアル・ハラスメントをしている旨の指摘を受けた職員からの相談
三 部下等からセクシュアル・ハラスメントに関する相談を受けた監督者からの相談
2 この条の第1項の苦情相談を受ける体制の整備については、次に定めるところによる。
一 本省庁及び管区機関においては、それぞれ複数の相談員を置くことを基準とし、その他の機関においても、セクシュアル・ハラスメントに関する職員からの苦情相談に対応するために必要な体制をその組織構成、各官署の規模等を勘案して整備するものとする。
二 相談員のうち少なくとも1名は、苦情相談を行う職員の属する課の長に対する指導及び人事当局との連携をとることのできる地位にある者をもって充てるものとする。
三 苦情相談には、苦情相談を行う職員の希望する性の相談員が同席できるような体制を整備するよう努めるものとする。
四 セクシュアル・ハラスメントは、妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメント(人事院規則10―15(妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメントの防止等)第2条に規定する妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメントをいう。以下同じ。)その他のハラスメントと複合的に生じることも想定されることから、妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメント等の苦情相談を受ける体制と一体的に、セクシュアル・ハラスメントの苦情相談を受ける体制を整備するなど、一元的に苦情相談を受けることのできる体制を整備するよう努めるものとする。
3 この条の第2項の人事院が定める指針は、別紙2のとおりとする。
4 この条の第3項の「苦情相談を行った職員等」には、他の職員からセクシュアル・ハラスメントを受けたとする職員、他の職員に対しセクシュアル・ハラスメントをしたとされる職員その他の関係者が含まれる。    以 上

別紙1
セクシュアル・ハラスメントをなくすために職員が認識すべき事項についての指針
第1 セクシュアル・ハラスメントをしないようにするために職員が認識すべき事項
1 意識の重要性
セクシュアル・ハラスメントをしないようにするためには、職員の一人一人が、次の事項の重要性について十分認識しなければならない。
一 お互いの人格を尊重しあうこと。
二 お互いが大切なパートナーであるという意識を持つこと。
三 相手を性的な関心の対象としてのみ見る意識をなくすこと。
四 女性を劣った性として見る意識をなくすこと。
2 基本的な心構え
職員は、セクシュアル・ハラスメントに関する次の事項について十分認識しなければならない。
一 性に関する言動に対する受け止め方には個人間で差があり、セクシュアル・ハラスメントに当たるか否かについては、相手の判断が重要であること。
具体的には、次の点について注意する必要がある。
(1) 親しさを表すつもりの言動であったとしても、本人の意図とは関係なく相手を不快にさせてしまう場合があること。
(2) 不快に感じるか否かには個人差があること。
(3) この程度のことは相手も許容するだろうという勝手な憶測をしないこと。
(4) 相手との良好な人間関係ができていると勝手な思い込みをしないこと。
二 相手が拒否し、又は嫌がっていることが分かった場合には、同じ言動を決して繰り返さないこと。
三 セクシュアル・ハラスメントであるか否かについて、相手からいつも意思表示があるとは限らないこと。
セクシュアル・ハラスメントを受けた者が、職場の人間関係等を考え、拒否することができないなど、相手からいつも明確な意思表示があるとは限らないことを十分認識する必要がある。
四 職場におけるセクシュアル・ハラスメントにだけ注意するのでは不十分であること。
例えば、職場の人間関係がそのまま持続する歓迎会の酒席のような場において、職員が他の職員にセクシュアル・ハラスメントを行うことは、職場の人間関係を損ない勤務環境を害するおそれがあることから、勤務時間外におけるセクシュアル・ハラスメントについても十分注意する必要がある。
五 職員間のセクシュアル・ハラスメントにだけ注意するのでは不十分であること。
行政サービスの相手方など職員がその職務に従事する際に接することとなる職員以外の者及び委託契約又は派遣契約により同じ職場で勤務する者との関係にも注意しなければならない。
3 セクシュアル・ハラスメントになり得る言動
セクシュアル・ハラスメントになり得る言動として、例えば、次のようなものがある。
一 職場内外で起きやすいもの
(1) 性的な内容の発言関係
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
? スリーサイズを聞くなど身体的特徴を話題にすること。
? 聞くに耐えない卑猥な冗談を交わすこと。
? 体調が悪そうな女性に「今日は生理日か」、「もう更年期か」などと言うこと。
? 性的な経験や性生活について質問すること。
? 性的な噂を立てたり、性的なからかいの対象とすること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
? 「男のくせに根性がない」、「女には仕事を任せられない」、「女性は職場の花でありさえすればいい」などと発言すること。
? 「男の子、女の子」、「僕、坊や、お嬢さん」、「おじさん、おばさん」などと人格を認めないような呼び方をすること。
? 性的指向や性自認をからかいやいじめの対象とすること。
(2) 性的な行動関係
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
? ヌードポスター等を職場に貼ること。
? 雑誌等の卑猥な写真・記事等をわざと見せたり、読んだりすること。
? 身体を執拗に眺め回すこと。
? 食事やデートにしつこく誘うこと。
? 性的な内容の電話をかけたり、性的な内容の手紙・Eメールを送ること。
? 身体に不必要に接触すること。
? 浴室や更衣室等をのぞき見すること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
女性であるというだけで職場でお茶くみ、掃除、私用等を強要すること。
二 主に職場外において起こるもの
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
性的な関係を強要すること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
? カラオケでのデュエットを強要すること。
? 酒席で、上司の側に座席を指定したり、お酌やチークダンス等を強要すること。
4 懲戒処分
セクシュアル・ハラスメントの態様等によっては信用失墜行為、国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行などに該当して、懲戒処分に付されることがある。

第2 職場の構成員として良好な勤務環境を確保するために認識すべき事項
勤務環境はその構成員である職員の協力の下に形成される部分が大きいことから、セクシュアル・ハラスメントにより勤務環境が害されることを防ぐため、職員は、次の事項について、積極的に意を用いるように努めなければならない。
1 職場内のセクシュアル・ハラスメントについて問題提起する職員をいわゆるトラブルメーカーと見たり、セクシュアル・ハラスメントに関する問題を当事者間の個人的な問題として片づけないこと。
職場におけるミーティングを活用することなどにより解決することができる問題については、問題提起を契機として、良好な勤務環境の確保のために皆で取り組むことを日頃から心がけることが必要である。
2 職場からセクシュアル・ハラスメントに関する問題の加害者や被害者を出さないようにするために、周囲に対する気配りをし、必要な行動をとること。
具体的には、次の事項について十分留意して必要な行動をとる必要がある。
一 セクシュアル・ハラスメントが見受けられる場合は、職場の同僚として注意を促すこと。
セクシュアル・ハラスメントを契機として、勤務環境に重大な悪影響が生じたりしないうちに、機会をとらえて職場の同僚として注意を促すなどの対応をとることが必要である。
二 被害を受けていることを見聞きした場合には、声をかけて相談に乗ること。
被害者は「恥ずかしい」、「トラブルメーカーとのレッテルを貼られたくない」などとの考えから、他の人に対する相談をためらうことがある。被害を深刻にしないように、気が付いたことがあれば、声をかけて気軽に相談に乗ることも大切である。
3 職場においてセクシュアル・ハラスメントがある場合には、第三者として気持ちよく勤務できる環境づくりをする上で、上司等に相談するなどの方法をとることをためらわないこと。

第3 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合において職員に望まれる事項
1 基本的な心構え
職員は、セクシュアル・ハラスメントを受けた場合にその被害を深刻にしないために、次の事項について認識しておくことが望まれる。
一 一人で我慢しているだけでは、問題は解決しないこと。
セクシュアル・ハラスメントを無視したり、受け流したりしているだけでは、必ずしも状況は改善されないということをまず認識することが大切である。
二 セクシュアル・ハラスメントに対する行動をためらわないこと。
「トラブルメーカーというレッテルを貼られたくない」、「恥ずかしい」などと考えがちだが、被害を深刻なものにしない、他に被害者をつくらない、さらにはセクシュアル・ハラスメントをなくすことは自分だけの問題ではなく良い勤務環境の形成に重要であるとの考えに立って、勇気を出して行動することが求められる。
2 セクシュアル・ハラスメントによる被害を受けたと思うときに望まれる対応
職員はセクシュアル・ハラスメントを受けた場合、次のような行動をとるよう努めることが望まれる。
一 嫌なことは相手に対して明確に意思表示をすること。
セクシュアル・ハラスメントに対しては毅然とした態度をとること、すなわち、はっきりと自分の意思を相手に伝えることが重要である。直接相手に言いにくい場合には、手紙等の手段をとるという方法もある。
二 信頼できる人に相談すること。
まず、職場の同僚や知人等身近な信頼できる人に相談することが大切である。各職場内において解決することが困難な場合には、内部又は外部の相談機関に相談する方法を考える。なお、相談するに当たっては、セクシュアル・ハラスメントが発生した日時、内容等について記録しておくことが望ましい。

別紙2  セクシュアル・ハラスメントに関する苦情相談に対応するに当たり留意すべき事項についての指針

第1 基本的な心構え
職員からの苦情相談に対応するに当たっては、相談員は次の事項に留意する必要がある。
1 被害者を含む当事者にとって適切かつ効果的な対応は何かという視点を常に持つこと。
2 事態を悪化させないために、迅速な対応を心がけること。
3 関係者のプライバシーや名誉その他の人権を尊重するとともに、知り得た秘密を厳守すること。

第2 苦情相談の事務の進め方
1 苦情相談を受ける際の相談員の体制等
一 苦情相談を受ける際には、原則として2人の相談員で対応すること。
二 苦情相談を受けるに当たっては、苦情相談を行う職員(以下「相談者」という。)の希望する性の相談員が同席するよう努めること。
三 相談員は、苦情相談に適切に対応するために、相互に連携し、協力すること。
四 実際に苦情相談を受けるに当たっては、その内容を相談員以外の者に見聞されないよう周りから遮断した場所で行うこと。
2 相談者から事実関係等を聴取するに当たり留意すべき事項
相談者から事実関係等を聴取するに当たっては、次の事項に留意する必要がある。
一 相談者の求めるものを把握すること。
将来の言動の抑止等、今後も発生が見込まれる言動への対応を求めるものであるのか、又は喪失した利益の回復、謝罪要求等過去にあった言動に対する対応を求めるものであるのかについて把握する。
二 どの程度の時間的な余裕があるのかについて把握すること。
相談者の心身の状態等に鑑み、苦情相談への対応に当たりどの程度の時間的な余裕があるのかを把握する。
三 相談者の主張に真摯に耳を傾け丁寧に話を聴くこと。
特に相談者が被害者の場合、セクシュアル・ハラスメントを受けた心理的な影響から必ずしも理路整然と話すとは限らない。むしろ脱線することも十分想定されるが、事実関係を把握することは極めて重要であるので、忍耐強く聴くよう努める。
四 事実関係については、次の事項を把握すること。
(1) 当事者(被害者及び加害者とされる職員)間の関係
(2) 問題とされる言動が、いつ、どこで、どのように行われたか。
(3) 相談者は、加害者とされる職員に対してどのような対応をとったか。
(4) 監督者等に対する相談を行っているか。
なお、これらの事実を確認する場合、相談者が主張する内容については、当事者のみが知り得るものか、又は他に目撃者はいるのかを把握する。
五 聴取した事実関係等を相談者に確認すること。
聞き間違えの修正並びに聞き漏らした事項及び言い忘れた事項の補充ができるので、聴取事項を書面で示したり、復唱するなどして相談者に確認する。
六 聴取した事実関係等については、必ず記録にしてとっておくこと。
3 加害者とされる職員からの事実関係等の聴取
一 原則として、加害者とされる職員から事実関係等を聴取する必要がある。ただし、セクシュアル・ハラスメントが職場内で行われ比較的軽微なものであり、対応に時間的な余裕がある場合などは、監督者の観察、指導による対応が適当な場合も考えられるので、その都度適切な方法を選択して対応する。
二 加害者とされる者から事実関係等を聴取する場合には、加害者とされる者に対して十分な弁明の機会を与える。
三 加害者とされる者から事実関係等を聴取するに当たっては、その主張に真摯に耳を傾け丁寧に話を聴くなど、相談者から事実関係等を聴取する際の留意事項を参考にし、適切に対応する。
4 第三者からの事実関係等の聴取
職場内で行われたとされるセクシュアル・ハラスメントについて当事者間で事実関係に関する主張に不一致があり、事実の確認が十分にできないと認められる場合などは、第三者から事実関係等を聴取することも必要である。
この場合、相談者から事実関係等を聴取する際の留意事項を参考にし、適切に対応する。
5 相談者に対する説明
苦情相談に関し、具体的にとられた対応については、相談者に説明する。

第3 問題処理のための具体的な対応例
相談員が、苦情相談に対応するに当たっては、セクシュアル・ハラスメントに関して相当程度の知識を持ち、個々の事例に即して柔軟に対応することが基本となることは言うまでもないが、具体的には、事例に応じて次のような対処が方策として考えられる。
1 セクシュアル・ハラスメントを受けたとする職員からの苦情相談
一 職員の監督者等に対し、加害者とされる職員に指導するよう要請する。
(例) 職場内で行われるセクシュアル・ハラスメントのうち、その対応に時間的な余裕があると判断されるものについては、職場の監督者等に状況を観察するよう要請し、加害者とされる職員の言動のうち問題があると認められるものを適宜注意させる。
二 加害者に対して直接注意する。
(例) 性的なからかいの対象にするなどの行為を頻繁に行うことが問題にされている場合において、加害者とされる職員は親しみの表現として発言等を行っており、それがセクシュアル・ハラスメントであるとの意識がない場合には、相談員が加害者とされる職員に対し、その行動がセクシュアル・ハラスメントに該当することを直接注意する。
三 被害者に対して指導、助言をする。
(例) 職場の同僚から好意を抱かれ食事やデートにしつこく誘われるが、相談者がそれを苦痛に感じている場合については、相談者自身が相手の職員に対して明確に意思表示をするよう助言する。
四 当事者間のあっせんを行う。
(例) 被害者がセクシュアル・ハラスメントを行った加害者に謝罪を求めている場合において、加害者も自らの言動について反省しているときには、被害者の要求を加害者に伝え、加害者に対して謝罪を促すようあっせんする。
五 人事上必要な措置を講じるため、人事当局との連携をとる。
(例) セクシュアル・ハラスメントの内容がかなり深刻な場合で被害者と加害者とを同じ職場で勤務させることが適当でないと判断される場合などには、人事当局との十分な連携の下に当事者の人事異動等の措置をとることも必要となる。
2 セクシュアル・ハラスメントであるとの指摘を受けたが納得がいかない旨の相談
(例) 昼休みに自席で週刊誌のグラビアのヌード写真を周囲の目に触れるように眺めていたところ、隣に座っている同僚の女性職員から、他の職員の目に触れるのはセクシュアル・ハラスメントであるとの指摘を受けたが、納得がいかない旨の相談があった場合には、相談者に対し、周囲の職員が不快に感じる以上はセクシュアル・ハラスメントに当たる旨注意喚起をする。
3 第三者からの苦情相談
(例) 同僚の女性職員がその上司から性的なからかいを日常的に繰り返し受けているのを見て不快に思う職員から相談があった場合には、同僚の女性職員及びその上司から事情を聴き、その事実がセクシュアル・ハラスメントであると認められる場合には、その上司に対して監督者を通じ、又は相談員が直接に注意を促す。
(例) 非常勤職員に執拗につきまとったり、その身体に不必要に触る職員がいるが、非常勤職員である本人は、立場が弱いため苦情を申し出ることをしないような場合について第三者から相談があったときには、本人から事情を聴き、事実が認められる場合には、本人の意向を踏まえた上で、監督者を通じ、又は相談員が直接に加害者とされる職員から事情を聴き、注意する。

武田清子『天皇観の相剋』再読

本日(4月19日)の朝刊で、武田清子さんが4月12日に亡くなられていたことを知った。思想史学者で国際基督教大名誉教授。1917年のお生まれは、丸山真男(1914年生)や鶴見俊輔(1922年生)らと同世代で、享年がちょうど100となる。

靖国訴訟に携わった際に、「天皇観の相剋ー1945年前後ー」に目を通した。
その際には、アメリカ占領軍の対日占領政策における天皇制廃止論と天皇制存続論との「相克」としてだけ理解した。戦後民主化の障害物として廃止の対象とする天皇観と、効率的に支配と民主化に利用できるものみる天皇観との相克。

連合国の天皇や天皇制への批判は厳しかった。たとえば、同書の中に、終戦直前のワシントンポスト(1945年6月29日付)が報じるギャラップ世論調査の紹介がある。天皇(裕仁)の取り扱いに関するアメリカの世論は、以下のとおりである。
 処刑             33%
 終身刑            11%
 追放              9%
 裁判で決定          17%
 日本を動かすパペットに利用せよ 3%
 軍閥の道具だから何もしない   4%
 雑・回答なし          23%

天皇個人を処罰し天皇制を廃止すべし、というのが圧倒的な戦勝国の世論だった。「日本の天皇制が根こそぎに除去されるまで、日本人を文明人の仲間とすることは不可能である」(『シカゴ・ニュース』)、「あの、中世的ミカド・システム(天皇制)が、温存されている限り、太平洋にはけっして平和はあり得ない」(『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』)、「裕仁は、日本の軍事的冒険に直接的に責任がある」(雑誌『ネーション』)などの米国内の論調が紹介されてもいる。オーストラリアの世論は、さらに天皇や天皇制に厳しいものだったという。

しかし、天皇(裕仁)は「処刑」・「終身刑」・「追放」にはならず、「裁判で決定」にすらならなかった。この範疇の世論合計が70%にも達していたにもかかわらずである。彼は、戦犯としての起訴を免れ、3%の支持しかなかった「日本を動かすパペットに利用」という政策が採られることになった。

これは、奇妙ではないか。圧倒的な世論を背景とした峻厳なラティモアらの天皇制廃止派と、占領政策の効率的な運用という観点からのグルーら妥協的天皇制温存派の「相克」において、どうして前者が敗れて後者の採用となったか。当時の私はその関心だけで読んだ。しかし、これは皮相な読み方だったようだ。

この書の広告文に、「廃止か保持か―日本降伏をめぐる英・米・オーストラリア・中国など連合国側のさまざまな天皇観の対立・相剋をはじめて実証的に明らかにし、戦後改革を伝統社会の変容のドラマとして解明した画期的研究。諸外国の「鏡」に映し出された天皇制のイメージは、同時に日本人のいかなる思考や集団行動様式を反映しているのか。」とある。相克は、「諸外国の『鏡』に映し出された日本自身の天皇制の二重のイメージ」だということがこの書の眼目のようなのだ。

著者自身が、朝日.comのインタビューで、次のように分かり易く、明快に語っている。
「1945年前後の連合国では、天皇観が対立していました。アメリカの中国専門家オーエン・ラティモアは『アジアにおける解決』で、天皇制を廃止しなければ日本の民主化はできないと主張しました。オーストラリアも天皇制廃止論の強い国の一つでした。一方で、アメリカの駐日大使だったジョセフ・グルーは、天皇は秩序維持に不可欠な『女王蜂』であり、右翼や軍国主義者を排除すれば天皇がいても日本は民主化できる、と楽観的でした。

 この相剋の帰結は、天皇の人間宣言や象徴天皇制となりますが、実は外国という鏡に映った日本の中の相剋だったというのが私の見方です。そもそも明治維新のシンボルとしての天皇観に対立があった。吉田松陰は『天下は一人の天下』と絶対主義的な天皇観であり、山県太華は『天下は天下の天下』と制限君主的な天皇観でした。

 明治憲法の起草者である伊藤博文の思想も二重構造でした。『万世一系ノ天皇』は『神聖ニシテ侵スヘカラス』だから、天皇は憲法も超える存在だと民衆には説く。他方で、政治家や民権論者に対しては、憲法は君主権を制限するものだという解釈を示す。これはその後、超国家主義である国体明徴運動と、民本主義の大正デモクラシーや天皇機関説とに分解していきます。

 二重構造の天皇観が、敗戦で連合国という異質の文化と出会い、民主化というドラマが始まりました。その時、連合国と共演した日本人は誰なのか。私は、天皇の側近だったようなオールドリベラリストではなく、大正デモクラシーや天皇機関説でインパクトを与えられ、民主化への希望を懐に持っていた一般民衆だったと思いました。そういう人たちが新憲法を支持した。(以下略)」

なるほど、相克しているのはもともとわが国に古くからあった「二重構造の天皇観」なのだ。これをキーワードに読み直すと、いろんなことが見えてくる。

著者は、近代日本の形成過程の中に、天皇に関する二つのイメージ、二つの相対立する天皇観が存在し、その両要素がパラドキシカルな緊張関係を保ちながら機能していた、と分析する。

単純化していえば、「神話的・絶対主義的・大権主義的天皇観」と、「憲法の制限のもとに君主権を行使するところの『民主主義』的天皇観」との、二つの天皇のイメージが、近代日本を貫いて二重構造・二元制をなして機能してきた。これが近代日本の内包する天皇観の相克で、こうした相矛盾する天皇観が外国の鏡に自らを投影し、それが無条件降伏後の日本の占領政策にはね返ってきた、というのだ。

具体的には、「神話的・絶対主義的・大権主義的天皇観」からは天皇制廃止の方針しか出てこない。しかし、「憲法の制限のもとに君主権を行使するところの『民主主義』的天皇観」からは天皇制を温存しつつ、平穏な民主化という選択肢が現実的なものと映ることになる。日本の占領政策は後者をメインに折れ合って、天皇の権威を利用して成功裡に平穏な民主化を実現したことになる。

この分析は、天皇・天皇制の考察を中心に、戦前と戦後の連続性と断絶性の契機を考える基本視点を提供するものでもある。天皇制の相克の折り合いは、戦前と戦後の断絶性と連続性との折り合いでもある。天皇制を温存した戦後は、戦前的な多くのものを引きずって今日に至っている。天皇制温存の「民主化」は平穏な過程というメリットとともに、自ずから不徹底な限界を内在する宿命にもあったのだ。

わが国戦後の天皇制存続下の民主化は、昨今における北朝鮮の金体制温存下での民主化の課題を彷彿とさせる。微温的に天皇制を温存しつつこれを「無力化」した日本の戦後民主主義改革の如くに、金体制の存続を保証しつつ、民主化や国際協調が可能なのだろうか。
(2018年4月19日)

都教委に大きな衝撃 ― 東京「君が代裁判」4次訴訟・控訴審判決

本日(4月18日)13時15分。傍聴満席の東京高裁824号法廷で、第12民事部(杉原則彦裁判長)が、東京「君が代」裁判(4次訴訟)の判決を言い渡した。

裁判長はボソボソと判決主文だけを読み上げて退廷した。
1 1審原告らの本件各控訴、及び1審被告の本件控訴をいずれも棄却する。
2 1審原告らの控訴費用は1審原告らの、1審被告の控訴費用は1審被告の各負担とする。
この間、20秒足らず。あっけなく控訴審は終わった。

判決主文がいう「1審原告ら」とは、学校式典の君が代斉唱時に起立しなかったとして懲戒処分を受けた13名の都立校教員。そして「1審被告」とは、処分をした東京都(教育委員会)である。双方とも、昨年(2017年)9月15日の東京地裁1審判決に服しがたいとして、控訴審の判断を仰いだが、当事者双方の控訴が棄却され、一審判決の判断が維持された。

多少の期待をもっていたから、当方にとっても残念な判決。最高裁判決の下級審裁判所にたいする縛りの硬さを再確認する結果となった。しかし、東京都(教育委員会)にとっては、教員側と比較して、はるかに大きな負のインパクトをもつ判決となったはずだ。形は双方の痛み分けのようだが、都教委の側の傷がはるかに大きくて深い。

本件は、「君が代」不起立の教員に対する懲戒処分の違法を争う事件。地方公務員法上の懲戒処分は、重い方から、《解雇》《停職》《減給》《戒告》の4種がある。今回の原審の原告ら14名が取消を求める処分の内訳は、以下のとおりであった。

停職6月》       1名  1件
《減給10分の1・6月》 2名  2件
《減給10分の1・1月》 3名  4件
《戒告処分》       9名 12件
計           14名 19件

1審係属部は民事第11部(佐々木宗啓裁判長)。そこで言いわたされた判決は、減給以上の全処分(6名についての7件)を取り消した。これは、実はたいしたことというべきなのだ。しかし、一方同判決は戒告処分(9名についての12件)については、いずれも違憲違法との主張を否定して処分を取り消さなかった。

原告側は主として戒告処分の取消請求が棄却されたことを不服として控訴した。減給・停職の処分を受けて処分取消しの勝訴となった者も、慰謝料の支払いが棄却されたことを不服とする控訴を行った。(お一人が控訴を断念して、1審原告側控訴人は13名となった。)

被告(都教委)側は、敗訴の判決で取り消された処分7件のうち、5件については控訴をあきらめた。そして、残る2件についてだけ控訴した。被控訴人は2件ともQ教員である。

Qさんが取消を求めた懲戒処分は、以下のとおり5件ある。
1回目不起立 戒告
2回目不起立 戒告
3回目不起立 戒告
4回目不起立 減給10分1・1月
5回目不起立 減給10分1・1月

公権力による教員に対する、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制が違憲であれば、懲戒の種類・量定を問うことなく、すべての処分が違法として取り消されることになる。Qさんに対する5件の処分もそのすべてが取り消されることになるが、そうはならなかった。

1審判決は、「本件職務命令違反を理由として減給または停職の処分を科することの裁量権の逸脱・濫用の有無」を判断している。

まず、一般論としては、次のように述べる。
「減給処分は,処分それ自体の効果として教職員の法的地位に一定の期間における本給の一部の不支給という直接の給与上の不利益が及び,停職処分も,処分それ自体によって教職員の法的地位に一定の期間における職務の停止及び給与の全額の不支給という直接の職務上及び給与上の不利益が及ぶうえ,本件通達を踏まえて卒業式等の式典のたびに懲戒処分が累積していくおそれがあることなどを勘案すると,起立斉唱命令違反に対する懲戒において減給又は停職の処分を選択することが許容されるのは,過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為等の前後における態度等(以下,併せて「過去の処分歴等」という。)に鑑み,学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの「相当性を基礎付ける具体的な事情」が認められる場合であることを要すると解すべきである。そして,……「相当性を基礎付ける具体的な事情」があるというためには,過去の処分歴に係る非違行為がその内容や頻度等において規律や秩序を害する程度の相応に大きいものであるなど,過去の処分歴等が減給又は停職処分による不利益の内容との権衡を勘案してもなお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるものであることを要するというべきである(平成24年最高裁判決参照)。」

1審判決は、以上の一般論をQさんに適用すると次のようになると結論する。

「原告Qが起立斉唱命令を拒否したのは,自らの信条等に基づくものであること,各減給処分の懲戒事由となった本件職務命令違反のあった卒業式等において,原告Qの不起立により,特段の混乱等は生じていないと窺われることをも考慮すると,原告Qの前記職務命令違反について、減給処分(10分の1・1月)を選択することの「相当性を基礎づける具体的な事情」があるとまでは認めがたい。」

つまり、減給や停職処分を選択するには、この重い処分を選択するについての「相当性を基礎付ける具体的な事情」が必要であるところ、被懲戒者の行為が、
(1)自らの信条等に基づくものであること、
(2)卒業式や入学式等に特段の混乱等は生じていないこと、
ということを考えたら、「相当性を基礎付ける具体的な事情」は認めがたい、というのだ。

原判決は、教員の不起立が「自らの信条等に基づくものであること」を、裁量権の逸脱・濫用判断の積極要件とした点において、一定の評価が可能というべきである。だから、我々にとっては、「中くらいの目出度さ」もある判決と評価した。

一方、都教委から見れば、原判決の衝撃は大きい。都教委は、Qさんの4回目・5回目の不起立に敢えて挑発的な減給を選択して、いずれも敗れたのだ。大いに恥じ、大いに反省しなければならない。教育行政を司る機関の行為が、違法として取り消されたことの重大性を深刻にとらえなければならない。

本日の東京高裁控訴審判決はこの、一審判決の判断を維持した点において、都教委にはさらに大きな衝撃を与えたことになる。

都教委は、再びの敗訴を恥じなければならない。思想・良心の侵害を反省しなければならない。教育の場に、国家主義やら愛国主義やらの偏頗なイデオロギーを持ち込むことを、きっぱりとやめなければならない。

以下は、控訴審判決を受けての原告団・弁護団声明である。

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?東京「君が代裁判」4次訴訟・控訴審判決を受けての声明

1 本日,東京高等裁判所第12民事部(杉原則彦裁判長)は,都立学校の教職員8名に対する卒業式・入学式の国歌斉唱時の起立斉唱の強制にかかわる懲戒処分(戒告処分10件,減給10分の1・1月2件)の取消しを求めていた事件について,一審原告1名に対する原審における減給10分の1・1月の処分の取消を維持して東京都の控訴を棄却し,他方で「戒告処分」については裁量権の逸脱・濫用には当たらないとした原審を維持し,一審原告ら教職員の控訴を棄却する判決を言い渡した。

2 本件は,東京都教育委員会(都教委)が,2003年10月23日に「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」との通達(10・23通達)を発令し,全ての都立学校の校長に対し,教職員に「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」を命じる職務命令を出すことを強制し,さらに,国歌の起立斉唱命令に違反した教職員に対して懲戒処分を科すことで,教職員らに対して国歌の起立斉唱の義務付けを押し進める中で起きた事件である。
一審原告らは,自己の歴史観・人生観・宗教観等や長年の教育経験などから,国歌の起立斉唱は,国家に対して敬意を表する態度を示すことであり,教育の場で画一的に国家への敬意を表す態度を強制されることは,教育の本質に反し,許されないという思いから,校長の職務命令に従って国歌を起立斉唱することが出来なかったものである。このような教職員に対し,都教委は,起立斉唱命令に従わなかったことだけを理由として戒告・減給等の懲戒処分を科してきた。
なお,このような懲戒処分は,毎年,卒業式・入学式のたびに繰り返され,10・23通達以降,本日まで,職務命令違反として懲戒処分が科された教職員は,のべ480名余にのぼる。この国歌の起立斉唱の強制のための懲戒処分について,2012年1月16日,最高裁判所第一小法廷は,懲戒処分のうち「戒告」は裁量権の逸脱・濫用とまではいえないものの,「減給」以上の処分は相当性がなく社会観念上著しく妥当を欠き,裁量権の範囲を逸脱・濫用しており違法であるとの判断を示していた。

3 上記最高裁判決以降,都教委は3回目の不起立までを戒告とし4回目以降の不起立に対して減給処分とする取り扱いをしてきた。本判決は,4回目・5回目の不起立に対する減給処分を「減給以上の処分の相当性を基礎づける具体的な事情は認められない」として取り消した原判決に対する都の控訴を棄却したものである。
本判決は,不起立の回数が減給処分の相当性を基礎づける具体的な事情には当たらないとの判断を示したものであって,回数のみを理由とした処分の加重を否定したものである,本判決が,最高裁判決そして原判決に引き続き,都教委の過重な処分体制を厳しく戒め,その暴走に歯止めをかける判断として評価できる。

4 しかしながら,国歌の起立斉唱の強制が違憲・違法であるとの一審原告ら教職員の主張については原判決を維持しこれを認めなかった。さらに,処分が取り消された一審原告ら教職員の精神的苦痛は慰謝されるとして賠償請求を棄却した原判決を維持した。
控訴審において一審原告らは,国歌の起立斉唱行為について「儀式的行事における儀礼的所作」であって,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものではないとする一連の最高裁判決が,儀式・儀礼は宗教性と無縁ではなく,それが強制されるとき,個人の思想・良心・信仰と緊張関係を持つことを看過したものであることを論じ,さらに宗教学の研究者の証言により最高裁判決の誤りを明らかにしようと努めてきた。
にもかかわらず,裁判所が,証人を採用することなく1回の口頭弁論で結審して,従前の最高裁判決に漫然と従った本判決に至ったことは,十分な審理を尽くさず,事案の本質を見誤ったまま判決を下したものであって,控訴審の役割を放棄したものであって到底受け容れることはできない。

5 都教委は,この司法判断を踏まえて「国旗・国歌強制システム」を見直し,教職員に下した全ての懲戒処分を撤回するとともに,将来にわたって一切の「国旗・国歌」に関する職務命令による懲戒処分及びそれを理由とした服務事故再発防止研修を直ちにやめるべきである。
特に,都教委は,先行する訴訟において処分の取消しを命じる司法判断が確定した現職の教職員に対して,再度,同一の職務命令違反の事実について懲戒処分を科してきたが,都教委がした違法な懲戒処分が取り消された事実を重く受け止め,原告らに対して重ねての懲戒処分はやめるべきである。
わたしたちは,本判決を機会に,都教委による「国旗・国歌」強制を撤廃させ,児童・生徒のために真に自由闊達で自主的な教育を取り戻すための闘いにまい進する決意であることを改めてここに宣言する。
この判決を機会に,教育現場での「国旗・国歌」の強制に反対するわたしたちの訴えに対し,皆様のご支援をぜひともいただきたく,広く呼びかける次第である。

2018年4月18日
東京「君が代」裁判4次訴訟原告団・弁護団

ホントのこと言っちゃおうかな。やっぱりよそうかな。

私も国会招致を要請される身になりました。謹んで受けざるを得ませんが、いったい何をどうお話しすればよいのやら。

問題は、2015年4月2日のことですね。これまでは、その日に首相官邸を訪問されたとおっしゃる愛媛県の職員の方にはですね、当時首相秘書官だった私は、「記憶の限り会っていない」と申しあげてきました。でも、よく考えてみますと、「会っていないとは言えない」とも思います。

その昨日の私のコメントが、新聞を賑わせていますが、なんてったって、会っていないのは「記憶の限り」です。資料も見ず、思い出す努力もせずに、そのときの記憶を口にしただけのこと。「会っていない」と言ってきたわけではないのですから。

それから…。これまで、「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」とコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「『首相案件』になっていると言わなかったとは言えない」と思いますね。

なんてったって、愛媛県と今治市の職員、それに加計学園の幹部の皆様でしょう。みなさまアベ・カケ関係のお身内の方ばかり、けっして外部の方などではありませんから。

さらにですね…。「私が総理から、加計案件を『首相案件』とするように指示されたことなどはない」ともコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「加計学園の設置認可を『首相案件』として優先課題にせよと総理から具体的な指示をいただいたことがなかったとは言えない」と思います。

なんてったって、総理と加計孝太郎さんとは、腹心の友という間柄。私は以心伝心で、総理の気持ちがよく分かっていますから、総理からの具体的な指示を受けるまでもなく、首相案件として関係機関に特別なはからいをするよう、内々の根回し、手回しをしてきました。ですから、軽い気持の「記憶の限り」で総理からの指示はなかったと申し上げてきたのです。ですが、総理夫妻と加計夫妻の飲み会だのゴルフだのという機会に私も何度も参加していますから、うちうちのサークルに入れてもらったことでよい気持ちになっているときに、アベ・カケのお二方から、「獣医学部の件よろしくね」「あの件急いでね」「外に洩れないようにうまくやってね」などと、言われたことがまったくなかったかといえば、それは自信がありません。よくよく考えてみれば、明示のような阿吽の呼吸のような、そんな指示を受けていなかったとは言い切れないと思いますね。

ついでに申しあげれば、真実というものは単純に一つではない。一筋縄では、これをつかまえることはできませんね。「記憶の限り会っていない」も真実、「会っていないとは言えない」も真実。「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」も真実なら、「愛媛県や加計学園の方に『首相案件』になっていると言わなかったとは言いきれない」も真実。首相の指示はなかったも真実、あったも真実。状況がより確かな真実を決定するのではないでしょうかね。

まあ、これまでは、真実を思い出すインセンティブはありませんでした。なんと言っても、安倍一強でしたからね。思い出さないインセンティブの方がうんと強かったのですから、その状況では「記憶の限り会っていない」が真実だったのですよ。

でもね、少し状況が変わってきた感じがありますよ。佐川さんが世論から、あれだけ袋だたきになっているのを身近に見ていますからね。膝を屈してプライド捨てて、政権に擦り寄った佐川さん。その佐川さんの、これからの身の振り方が保障されてはいないじゃないですか。そんなことを私も考えなくてはならない。

誰が見たって、安倍一強の時代は終わっていますよ。沈みかけた船から、みんなが逃げ出そうとしてはいますが、問題はどこへ乗り換えたらよいのやら。いま、誰もが微妙な心境でしょう。だから、私も、あれやこれやを思い出すインセンティブと、思い出さないインセンティブとが葛藤しているのですよ。ね、真実は状況次第。状況は、世論次第なのですよ。
(2018年4月17日)

拝啓 菅良二今治市長殿

御地はもう躑躅と藤の季節でしょうか。しまなみ海道の島々も、そろそろ初夏の潮風が吹きわたる頃かと存じます。

今治市内の松山刑務所・大井造船作業場から受刑者が逃走してから1週間が経過しています。諸事、なにかと話題の今治市ですが、市長の大任ご苦労なことと拝察申しあげます。

さて、本日(4月16日)各紙の報道で、貴職が報道各社の取材に応じて、加計学園が経営する岡山理科大学獣医学部新設計画に関連する発言をなされたことを知り、筆を執りました。

先に中村時広愛媛県知事が報道機関に対して、県職員が作成した文書の写を示して、2015年4月2日に、県職員や今治市職員、そして加計学園の幹部職員らが、首相官邸を訪れたこと、当時首相秘書官だった柳瀬唯夫氏と面会し同氏が「本件(加計学園設置案件)は、首相案件」と述べたことが明らかにされています。その旨、県には報告されていると、知事ご自身が率直に述べていらっしゃるところです。

したがって、報道機関の関心は、県職員と同様に今治市の担当職員も、当然に柳瀬氏と面会した際に同氏が「本件は、首相案件」と述べて親身のアドバイスをしたであろうことの確認であったはずです。

ところが、あにはからんや、貴職は「『首相案件』という言葉については『今回の報道で(初めて)目にした』と述べ、自身は『聞いていない』と否定した」旨報じられています。これは到底信じがたいところです。

既に愛媛県知事ご自身が語られたように、「愛媛県の職員には、事実を曲げる何らの動機がない」ことは明白です。一方、これを否定する柳瀬秘書官や安倍晋三首相の側には、事実を事実として認めるわけにはいかない、敢えて事実を否定し、あるいは曲げなければならない動機が大いに存在するところではありませんか。

のみならず、中村知事が県職員の作成と認めた文書とほぼ同じ内容の文書が、獣医師行政を所管している農林水産省で見つかってもいます。既に、真偽・正邪・黒白・理非・曲直は紛う方なく明白になっていると断じざるを得ません。貴職が真実の側につかず、首相や秘書官の側、すなわち虚偽と不正義の側の立場を選択されたことを、今治市民のために不幸なことと、まことに残念に思います。

貴職は、担当の市職員から事情を聞き取ったとしながら、県職員作成の文書に記されている内容や面会相手については、「市情報公開条例に基づき、非開示としておりコメントを控える」と述べたということです。しかも、そのコメントを控える理由について「国や県に迷惑がかかってはいけない。マイナスのイメージがあってもいけないから」と説明したと報じられています。僭越ながら、これは、貴職の見識不足も甚だしいと、厳しく指摘せざるを得ません。

また、別の報道では、非開示の理由を「国や県は一緒に取り組んできた仲間だから、迷惑は掛けられない」と説明したともされています。まことに語るに落ちたとはこのことで、貴職は「真実を語れば、国や県に迷惑をかけることになる」とおっしゃっておられるのです。

真実よりも、「国」や「県」が大切。市民のために真実を語ることよりも、国や県に迷惑をかけてはならないことが、より大事なのだと言っておられるのです。

敢えて申しあげます。真実は、権力に抗してこそ明らかにされなければなりません。政権に不都合で、迷惑がかかる文書であればこそ、これを適正に作成し、保管し、公開する意義があるのです。安倍政権に迷惑がかかるから公開できない、コメントもできないとは、民主主義のイロハもご存じないと慨嘆せざるを得ません。

かねてから、加計学園加計孝太郎氏には、政治権力に擦り寄って、教育をビジネスにしてきた、との悪評芬々たるものがあります。世人の見るところ、その加計孝太郎氏や、腹心の友安倍晋三首相らの「悪だくみグループ」と、愛媛県や今治市とは一線を画すものと受けとめてまいりました。自治体は、政治と結託した政商に利用された被害者だとの認識です。愛媛県の姿勢はこのことを裏書きしています。

ところが貴職の本日のコメントは、今治市も悪だくみの仲間だったのか、と認識を新たにせざるを得ません。今や、安倍政権は沈みかけた船ではありませんか。これまで、安倍一強に擦り寄っていた人々も、我先に船から逃れているありさまではありませんか。今、安倍政権に義理立てしようとしている貴職の態度は、よほどそうせざるを得ない後ろめたい事情なしには考えられないところです。

しかも、天網恢々疎にして漏らさず、とか。是非とも、真実を語っていただきますよう、お願い申しあげます。しからざれば、監査請求・住民訴訟・情報公開請求訴訟等々の法的手段で、今治市民が貴職を法的に追及し糺弾することになることと思い、僭越ながら助言申しあげる次第です。
匆々
(2018年4月16日)

「安倍は歴代の首相でもっとも愚か。論理的能力に欠ける。バカほど恐ろしいものはない」という言論に違法はない。

昨日(4月14日)の国会前大集会。本日の赤旗によると、主催者発表の参加者数は5万人だったという。一面の写真がすごい。国民の怒りのマグマを実感せざるを得ない。これで、安倍政権がもつはずがなかろうと思うのは甘いのだろうか。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-15/2018041501_01_1.html

ところで、その集会で某有名教授が熱弁を振るって、聴衆を大いに沸かせた。そのなかに、次の一節があった。
「安倍は歴代の首相でもっとも愚か。論理的に考える能力が著しく欠ける。しかし、バカほど恐ろしいものはない。自らが愚かな者は批判者を強権で弾圧するしかないからだ」

このスピーチへの盛大な共感の拍手と喝采にまじって、「あそこまで言って、大丈夫かしら」という、小声のつぶやきが聞こえた。拍手した人の中にも、刑事弾圧や民事の損害賠償提訴を心配の気持があったかも知れない。

そこで書き留めておきたい。心配することはない。この程度のことは言ってよいのだ。この程度のことを言えない社会にしてはならない。端的に言えば、「隣のおじさんはバカだ」と言ってはいけない。しかし、しかるべき場で「首相はバカだ」と言ってもよいのだ。

同じ行為に対して、刑事罰の発動と民事判決による制裁とでは要件の厳格さが異なる。ある行為を対象として、これを起訴して有罪判決を得るための刑事罰のハードルは、民事賠償や謝罪広告を命じる判決よりも、はるかに高い。そこで、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」が、民事的な制裁の対象となり得るかを検討してみたい。

問題の大枠は、「表現の自由という憲法的価値」と、「個人(安倍晋三)の人格権の尊重という憲法的価値」の衝突を、どう調整するかという課題である。

この点についての最高裁判例の立場は、必ずしも「先進国水準」に達しているとは言えないが、こんな基本構造となっている。

ある批判の言論が、「公然たる事実の摘示によって、原告(被批判者)の社会的評価を低下させた」と認められれば、名誉毀損行為として原則違法である。

ある言論が、人(原告)の社会的評価を低下させた場合でも、次の3要件を被告(批判者)の側で立証できれば、違法性が阻却されて請求棄却の原告敗訴判決となる。

違法性棄却の3要件とは、
(1)表現の内容が公共の利害に関するものであること(公共性)、
(2)表現の目的がもっぱら公益を図るものであったこと(公益性)、
(3)表現内容の重要部分あるいは論評の根拠が真実であること(または、真実と信ずるにつき相当の理由があること)(真実性・相当性)。

「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」の言論が、公共性・公益性を具備していることに、疑問の余地はない。そして、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という論評ないし意見の根拠に真実性・相当性があることも明確なのだ。

但し、表現内容が不必要な人身攻撃におよぶなど、意見・論評として許容される域を逸脱したものとされた場合には、名誉毀損にはならなくても侮辱として違法にはなり得る。なお、仮に侮辱になったとしても、慰謝料額は名誉毀損に比較してはるかに低額である。

類似した参考判例として適切なものが、「弁護士バカ」事件として、知られているもの。正確には、「世間を知らない弁護士バカ」という表現が名誉毀損ないしは侮辱に当たるのかが争われた事例。

原告は弁護士の稲田龍示(稲田朋美の夫)、被告は新潮社。週刊新潮の記事をめぐる名誉毀損訴訟である。

この件については、当ブログで何度か言及している。以下の2ブログをご参照願いたい。自分で読み返して、力がはいっていると思う。

「『弁護士バカ』事件で勇名を馳せたイナダ防衛大臣の夫は防衛産業株を保有」
https://article9.jp/wordpress/?p=7458  (2016年9月18日)

「イナダ敗訴確定の名誉毀損訴訟は、DHCスラップ訴訟と同じ構造」ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第103弾
https://article9.jp/wordpress/?p=8637?  (2017年6月2日)

「弁護士バカ」事件の顛末は、報道を総合すれば次のとおりである。
「自民党の稲田朋美政調会長への取材対応をめぐり、週刊新潮に『弁護士バカ』などと書かれて名誉を傷つけられたとして、稲田氏の夫の龍示氏が発行元の新潮社と同誌編集・発行人に慰謝料500万円の支払いと同誌への確定判決の掲載を求め、大阪地裁に提訴した。提訴は2015年5月29日付。」

「同誌は15年4月9日号に「『選挙民に日本酒贈呈』をない事にした『稲田朋美』政調会長」との見出しの記事を掲載。その中で龍示氏が同誌の取材に対し、『記事を掲載すれば法的な対抗手段をとる』と文書で通告してきたことを暴露した。そのうえで、『記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ』『恫喝だと気づかないのなら、世間を知らない弁護士バカ以外の何ものでもない』と書いた。龍示氏は『掲載を強行しようとする場合に、訴訟などの手段を予告して事態の重大性を認識してもらおうと試みるのは正当な弁護活動』と主張。週刊新潮編集部は『論評には相応の理由と根拠がある』と反論している。」

「2016年4月19日に判決言い渡しがあり、大阪地裁は『論評の域を出ない』として請求を棄却した。増森珠美裁判長は判決理由で、『記事は社会的評価を低下させるが、稲田政調会長の公選法違反疑惑を報じた内容で公益目的があった』と認定。『「弁護士バカ」との表現も論評の域を逸脱しない』とした。」

敗訴の原告は、懲りずに大阪高裁に控訴して控訴棄却となり、さらに上告・上告受理申立をしたが、すべて斥けられて、2017年7月10日に確定している。

この事件。メディアでは次のように紹介されている。
「問題になったのは、同誌(週刊新潮)15年4月9日号の記事。当時自民党の政調会長だった稲田(朋美)氏への取材で、代理人として対応した龍示氏(稲田朋美の夫)について、『世間を知らない弁護士バカ』と書いた。一、二審判決はともに『表現は穏当さを欠くが、論評の域を出ない』として龍示氏の請求を棄却していた。」(朝日

言論の自由は、権力批判のためにこそある。「自民党政調会長の夫」に、「世間を知らない弁護士バカ」と言っても損害賠償の対象とされることはない。いわんや、内閣総理大臣批判の言論においてをや。「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という貴重な最高権力者批判の言論に対する攻撃を許してはならない。
(2018年4月15日)

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