私も国会招致を要請される身になりました。謹んで受けざるを得ませんが、いったい何をどうお話しすればよいのやら。
問題は、2015年4月2日のことですね。これまでは、その日に首相官邸を訪問されたとおっしゃる愛媛県の職員の方にはですね、当時首相秘書官だった私は、「記憶の限り会っていない」と申しあげてきました。でも、よく考えてみますと、「会っていないとは言えない」とも思います。
その昨日の私のコメントが、新聞を賑わせていますが、なんてったって、会っていないのは「記憶の限り」です。資料も見ず、思い出す努力もせずに、そのときの記憶を口にしただけのこと。「会っていない」と言ってきたわけではないのですから。
それから…。これまで、「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」とコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「『首相案件』になっていると言わなかったとは言えない」と思いますね。
なんてったって、愛媛県と今治市の職員、それに加計学園の幹部の皆様でしょう。みなさまアベ・カケ関係のお身内の方ばかり、けっして外部の方などではありませんから。
さらにですね…。「私が総理から、加計案件を『首相案件』とするように指示されたことなどはない」ともコメントしてきましたが、よく考えてみますと、「加計学園の設置認可を『首相案件』として優先課題にせよと総理から具体的な指示をいただいたことがなかったとは言えない」と思います。
なんてったって、総理と加計孝太郎さんとは、腹心の友という間柄。私は以心伝心で、総理の気持ちがよく分かっていますから、総理からの具体的な指示を受けるまでもなく、首相案件として関係機関に特別なはからいをするよう、内々の根回し、手回しをしてきました。ですから、軽い気持の「記憶の限り」で総理からの指示はなかったと申し上げてきたのです。ですが、総理夫妻と加計夫妻の飲み会だのゴルフだのという機会に私も何度も参加していますから、うちうちのサークルに入れてもらったことでよい気持ちになっているときに、アベ・カケのお二方から、「獣医学部の件よろしくね」「あの件急いでね」「外に洩れないようにうまくやってね」などと、言われたことがまったくなかったかといえば、それは自信がありません。よくよく考えてみれば、明示のような阿吽の呼吸のような、そんな指示を受けていなかったとは言い切れないと思いますね。
ついでに申しあげれば、真実というものは単純に一つではない。一筋縄では、これをつかまえることはできませんね。「記憶の限り会っていない」も真実、「会っていないとは言えない」も真実。「私が外部の方に対して、この案件が『首相案件』になっているといった具体的な話をすることはあり得ません」も真実なら、「愛媛県や加計学園の方に『首相案件』になっていると言わなかったとは言いきれない」も真実。首相の指示はなかったも真実、あったも真実。状況がより確かな真実を決定するのではないでしょうかね。
まあ、これまでは、真実を思い出すインセンティブはありませんでした。なんと言っても、安倍一強でしたからね。思い出さないインセンティブの方がうんと強かったのですから、その状況では「記憶の限り会っていない」が真実だったのですよ。
でもね、少し状況が変わってきた感じがありますよ。佐川さんが世論から、あれだけ袋だたきになっているのを身近に見ていますからね。膝を屈してプライド捨てて、政権に擦り寄った佐川さん。その佐川さんの、これからの身の振り方が保障されてはいないじゃないですか。そんなことを私も考えなくてはならない。
誰が見たって、安倍一強の時代は終わっていますよ。沈みかけた船から、みんなが逃げ出そうとしてはいますが、問題はどこへ乗り換えたらよいのやら。いま、誰もが微妙な心境でしょう。だから、私も、あれやこれやを思い出すインセンティブと、思い出さないインセンティブとが葛藤しているのですよ。ね、真実は状況次第。状況は、世論次第なのですよ。
(2018年4月17日)
御地はもう躑躅と藤の季節でしょうか。しまなみ海道の島々も、そろそろ初夏の潮風が吹きわたる頃かと存じます。
今治市内の松山刑務所・大井造船作業場から受刑者が逃走してから1週間が経過しています。諸事、なにかと話題の今治市ですが、市長の大任ご苦労なことと拝察申しあげます。
さて、本日(4月16日)各紙の報道で、貴職が報道各社の取材に応じて、加計学園が経営する岡山理科大学獣医学部新設計画に関連する発言をなされたことを知り、筆を執りました。
先に中村時広愛媛県知事が報道機関に対して、県職員が作成した文書の写を示して、2015年4月2日に、県職員や今治市職員、そして加計学園の幹部職員らが、首相官邸を訪れたこと、当時首相秘書官だった柳瀬唯夫氏と面会し同氏が「本件(加計学園設置案件)は、首相案件」と述べたことが明らかにされています。その旨、県には報告されていると、知事ご自身が率直に述べていらっしゃるところです。
したがって、報道機関の関心は、県職員と同様に今治市の担当職員も、当然に柳瀬氏と面会した際に同氏が「本件は、首相案件」と述べて親身のアドバイスをしたであろうことの確認であったはずです。
ところが、あにはからんや、貴職は「『首相案件』という言葉については『今回の報道で(初めて)目にした』と述べ、自身は『聞いていない』と否定した」旨報じられています。これは到底信じがたいところです。
既に愛媛県知事ご自身が語られたように、「愛媛県の職員には、事実を曲げる何らの動機がない」ことは明白です。一方、これを否定する柳瀬秘書官や安倍晋三首相の側には、事実を事実として認めるわけにはいかない、敢えて事実を否定し、あるいは曲げなければならない動機が大いに存在するところではありませんか。
のみならず、中村知事が県職員の作成と認めた文書とほぼ同じ内容の文書が、獣医師行政を所管している農林水産省で見つかってもいます。既に、真偽・正邪・黒白・理非・曲直は紛う方なく明白になっていると断じざるを得ません。貴職が真実の側につかず、首相や秘書官の側、すなわち虚偽と不正義の側の立場を選択されたことを、今治市民のために不幸なことと、まことに残念に思います。
貴職は、担当の市職員から事情を聞き取ったとしながら、県職員作成の文書に記されている内容や面会相手については、「市情報公開条例に基づき、非開示としておりコメントを控える」と述べたということです。しかも、そのコメントを控える理由について「国や県に迷惑がかかってはいけない。マイナスのイメージがあってもいけないから」と説明したと報じられています。僭越ながら、これは、貴職の見識不足も甚だしいと、厳しく指摘せざるを得ません。
また、別の報道では、非開示の理由を「国や県は一緒に取り組んできた仲間だから、迷惑は掛けられない」と説明したともされています。まことに語るに落ちたとはこのことで、貴職は「真実を語れば、国や県に迷惑をかけることになる」とおっしゃっておられるのです。
真実よりも、「国」や「県」が大切。市民のために真実を語ることよりも、国や県に迷惑をかけてはならないことが、より大事なのだと言っておられるのです。
敢えて申しあげます。真実は、権力に抗してこそ明らかにされなければなりません。政権に不都合で、迷惑がかかる文書であればこそ、これを適正に作成し、保管し、公開する意義があるのです。安倍政権に迷惑がかかるから公開できない、コメントもできないとは、民主主義のイロハもご存じないと慨嘆せざるを得ません。
かねてから、加計学園加計孝太郎氏には、政治権力に擦り寄って、教育をビジネスにしてきた、との悪評芬々たるものがあります。世人の見るところ、その加計孝太郎氏や、腹心の友安倍晋三首相らの「悪だくみグループ」と、愛媛県や今治市とは一線を画すものと受けとめてまいりました。自治体は、政治と結託した政商に利用された被害者だとの認識です。愛媛県の姿勢はこのことを裏書きしています。
ところが貴職の本日のコメントは、今治市も悪だくみの仲間だったのか、と認識を新たにせざるを得ません。今や、安倍政権は沈みかけた船ではありませんか。これまで、安倍一強に擦り寄っていた人々も、我先に船から逃れているありさまではありませんか。今、安倍政権に義理立てしようとしている貴職の態度は、よほどそうせざるを得ない後ろめたい事情なしには考えられないところです。
しかも、天網恢々疎にして漏らさず、とか。是非とも、真実を語っていただきますよう、お願い申しあげます。しからざれば、監査請求・住民訴訟・情報公開請求訴訟等々の法的手段で、今治市民が貴職を法的に追及し糺弾することになることと思い、僭越ながら助言申しあげる次第です。
匆々
(2018年4月16日)
昨日(4月14日)の国会前大集会。本日の赤旗によると、主催者発表の参加者数は5万人だったという。一面の写真がすごい。国民の怒りのマグマを実感せざるを得ない。これで、安倍政権がもつはずがなかろうと思うのは甘いのだろうか。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-04-15/2018041501_01_1.html
ところで、その集会で某有名教授が熱弁を振るって、聴衆を大いに沸かせた。そのなかに、次の一節があった。
「安倍は歴代の首相でもっとも愚か。論理的に考える能力が著しく欠ける。しかし、バカほど恐ろしいものはない。自らが愚かな者は批判者を強権で弾圧するしかないからだ」
このスピーチへの盛大な共感の拍手と喝采にまじって、「あそこまで言って、大丈夫かしら」という、小声のつぶやきが聞こえた。拍手した人の中にも、刑事弾圧や民事の損害賠償提訴を心配の気持があったかも知れない。
そこで書き留めておきたい。心配することはない。この程度のことは言ってよいのだ。この程度のことを言えない社会にしてはならない。端的に言えば、「隣のおじさんはバカだ」と言ってはいけない。しかし、しかるべき場で「首相はバカだ」と言ってもよいのだ。
同じ行為に対して、刑事罰の発動と民事判決による制裁とでは要件の厳格さが異なる。ある行為を対象として、これを起訴して有罪判決を得るための刑事罰のハードルは、民事賠償や謝罪広告を命じる判決よりも、はるかに高い。そこで、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」が、民事的な制裁の対象となり得るかを検討してみたい。
問題の大枠は、「表現の自由という憲法的価値」と、「個人(安倍晋三)の人格権の尊重という憲法的価値」の衝突を、どう調整するかという課題である。
この点についての最高裁判例の立場は、必ずしも「先進国水準」に達しているとは言えないが、こんな基本構造となっている。
ある批判の言論が、「公然たる事実の摘示によって、原告(被批判者)の社会的評価を低下させた」と認められれば、名誉毀損行為として原則違法である。
ある言論が、人(原告)の社会的評価を低下させた場合でも、次の3要件を被告(批判者)の側で立証できれば、違法性が阻却されて請求棄却の原告敗訴判決となる。
違法性棄却の3要件とは、
(1)表現の内容が公共の利害に関するものであること(公共性)、
(2)表現の目的がもっぱら公益を図るものであったこと(公益性)、
(3)表現内容の重要部分あるいは論評の根拠が真実であること(または、真実と信ずるにつき相当の理由があること)(真実性・相当性)。
「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」の言論が、公共性・公益性を具備していることに、疑問の余地はない。そして、「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という論評ないし意見の根拠に真実性・相当性があることも明確なのだ。
但し、表現内容が不必要な人身攻撃におよぶなど、意見・論評として許容される域を逸脱したものとされた場合には、名誉毀損にはならなくても侮辱として違法にはなり得る。なお、仮に侮辱になったとしても、慰謝料額は名誉毀損に比較してはるかに低額である。
類似した参考判例として適切なものが、「弁護士バカ」事件として、知られているもの。正確には、「世間を知らない弁護士バカ」という表現が名誉毀損ないしは侮辱に当たるのかが争われた事例。
原告は弁護士の稲田龍示(稲田朋美の夫)、被告は新潮社。週刊新潮の記事をめぐる名誉毀損訴訟である。
この件については、当ブログで何度か言及している。以下の2ブログをご参照願いたい。自分で読み返して、力がはいっていると思う。
「『弁護士バカ』事件で勇名を馳せたイナダ防衛大臣の夫は防衛産業株を保有」
https://article9.jp/wordpress/?p=7458 (2016年9月18日)
「イナダ敗訴確定の名誉毀損訴訟は、DHCスラップ訴訟と同じ構造」ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第103弾
https://article9.jp/wordpress/?p=8637? (2017年6月2日)
「弁護士バカ」事件の顛末は、報道を総合すれば次のとおりである。
「自民党の稲田朋美政調会長への取材対応をめぐり、週刊新潮に『弁護士バカ』などと書かれて名誉を傷つけられたとして、稲田氏の夫の龍示氏が発行元の新潮社と同誌編集・発行人に慰謝料500万円の支払いと同誌への確定判決の掲載を求め、大阪地裁に提訴した。提訴は2015年5月29日付。」
「同誌は15年4月9日号に「『選挙民に日本酒贈呈』をない事にした『稲田朋美』政調会長」との見出しの記事を掲載。その中で龍示氏が同誌の取材に対し、『記事を掲載すれば法的な対抗手段をとる』と文書で通告してきたことを暴露した。そのうえで、『記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ』『恫喝だと気づかないのなら、世間を知らない弁護士バカ以外の何ものでもない』と書いた。龍示氏は『掲載を強行しようとする場合に、訴訟などの手段を予告して事態の重大性を認識してもらおうと試みるのは正当な弁護活動』と主張。週刊新潮編集部は『論評には相応の理由と根拠がある』と反論している。」
「2016年4月19日に判決言い渡しがあり、大阪地裁は『論評の域を出ない』として請求を棄却した。増森珠美裁判長は判決理由で、『記事は社会的評価を低下させるが、稲田政調会長の公選法違反疑惑を報じた内容で公益目的があった』と認定。『「弁護士バカ」との表現も論評の域を逸脱しない』とした。」
敗訴の原告は、懲りずに大阪高裁に控訴して控訴棄却となり、さらに上告・上告受理申立をしたが、すべて斥けられて、2017年7月10日に確定している。
この事件。メディアでは次のように紹介されている。
「問題になったのは、同誌(週刊新潮)15年4月9日号の記事。当時自民党の政調会長だった稲田(朋美)氏への取材で、代理人として対応した龍示氏(稲田朋美の夫)について、『世間を知らない弁護士バカ』と書いた。一、二審判決はともに『表現は穏当さを欠くが、論評の域を出ない』として龍示氏の請求を棄却していた。」(朝日)
言論の自由は、権力批判のためにこそある。「自民党政調会長の夫」に、「世間を知らない弁護士バカ」と言っても損害賠償の対象とされることはない。いわんや、内閣総理大臣批判の言論においてをや。「安倍は愚か。バカほど恐ろしいものはない」という貴重な最高権力者批判の言論に対する攻撃を許してはならない。
(2018年4月15日)
15時35分、国会正門前。私の目の前で、結界が破れた。これは、物理現象だった。膨れあがった群衆の圧力が規制の結界を破ったのだ。それまで規制に躍起だった警備の警察官が限界を覚って手を引いた。津波のイメージで、それまで歩道に押し込まれていた3万の群衆が、車道にあふれ出た。北側からも、南側からも。こうして束の間の平和なカルチェラタンが出現した。
なんという解放感。コールのリードなく、のびのびと人々が声を合わせた。期せずして、まずは「総辞職」だった。「総辞職!」「総辞職!」「ソウジショク!」「ソウジショク!」…。国会に向かって5分以上も続いたろうか。そして、「アベ辞めろ」「アベ辞めろ」「アベヤメロ」「アベヤメロ」…。
この雰囲気は…。そうだ、先月体験した韓国のデモと集会のあの高揚し確信に満ちた人々の、怒りと明るさ。日本中が怒っている。日本中が安倍退陣を願っている。その日本中の怒りと願いが、今国会正門前に凝縮しているのだ。そして、きっとこの怒りと願いは、今度こそ結実するに違いない。
この広場で、いくつかの小集会で開かれていた。そこでの、こんな若者の発言を耳にした。「お祖父さんの若いころには、国会の中で集会をしたもんだと聞いていました。今、ボクも同じように集会をしています」。なるほど、なるほど。
本日の集会の名称は、「安倍政権は退陣を! あたりまえの政治を市民の手で! 0414国会前大行動」。多くの人が、このままでは日本が壊れるのではないか、という危機感から、早期の安倍退陣を願う一心で集まってきたという印象。
14時からの集会冒頭に、野党各党議員からのスピーチがあり、市民団体や識者からの訴えが続いた。どれも、ボルテージが高い。そして、誰もが口にした。あきれ果てた事態だ。もう、政治は信用できない。政権は私物化され、国民の信を失った。これを放置していたのでは、民主主義が後戻りできないところまで崩壊する。徹底して真相を解明して、安倍政権を退陣に追い込もう。幸いにして、市民と野党の共闘が健在ではないか。
本日の集会で目立ったのは、「安倍晋三は嘘つきだ」「こんなタチの悪い首相はかつてなかった」「安倍は愚かだ。愚かな権力者ほど恐いものはない」「アベの国政私物化を許すな」「人ごとのように言うな。安倍よ貴方が膿だ」「徹底して膿を出し切れ。アベを辞めさせよう」「アベよ、おまえが国難だ」という深刻な安倍批判。スピーチだけでなく、ビラもプラカードも安倍に対する怒りが満ちていた。「安倍晋三逮捕」という大見出しの新聞記事を、手際よくプラカードにしつらえたアピールには一瞬ギョッとした。手作りの工夫さまざま。実に、にぎやかだった。
そして、「文書の改ざんや隠蔽は民主主義の崩壊を意味するもの」という危機感の横溢。「捏造、隠蔽許さない」が、「安倍ヤメロ」とならぶメインのコール。子ども連れ、家族連れの参加者も目についた。車道にあふれる晴れ晴れとした笑顔。この国民の怒りと願いはホンモノだ。ここまで来れば、この確かな動きに、もう後戻りはないだろう。
(2018年4月14日)
伝統を大切にすべきは当然のことだ。疑う余地はない。伝統とは、日本の歴史であり、文化のことだ。日本民族の魂と言ってもよい。伝統を守るとは、前代から受け継いだ日本民族の魂を、次代に手渡すことだ。我々の世代で、伝統を断つことは、祖先にも子孫にも、申し開きのできない大きな罪を犯すことになる。
相撲は、日本の文化であり、日本の歴史そのものだ。民族の魂とともにある。だから、格別に伝統にこだわっている。当たり前のことだ。伝統を守ることに、理由も理屈もない。それが伝統だから守るのだ。なにかの基準に照らして、「正しい伝統だから守る」「正しくない伝統だから変えていく」という不遜な態度は、それこそまちがっている。伝統は、伝統だから大切にすべきであり、伝統だから守り受け継ぐべきものなのだ。
「土俵は女人禁制」これは、伝統だ。伝統である以上は、断固として守るのだ。なぜかという理由は要らない。この伝統が、他の理念と衝突しないか。時代に合わないのではないか。そんなことを考える必要はまったくないのだ。
日本社会の歴史は、長く男性中心で女性を差別してきた。だから、女人禁制とは男尊女卑の社会意識がもたらした伝統だ。そう言われれば、おそらくそのとおりなのだろう。しかし、だから男尊女卑の象徴である「女人禁制」をあらためようということにはならない。伝統を守るとは、敢えて時代錯誤との誹りを甘受すること。今の時代の精神には適合しないことを認識しつつ、今の時代に挑戦することにこそ意味がある。
だから、伝統を守ろうと決意を固めたわれわれは、「土俵は女人禁制」を徹底して、男尊女卑を墨守するまでだ。今の時代の良識にも常識にも適合しないことをすることを宣言しているのだ。変遷する時代の良識に従おうというのは、伝統を守ることと対極の姿勢。伝統擁護とは、断固として因循固陋に徹するという決意のことなのだ。
相撲協会は、女性が土俵に上がることを認めていない。小学生だろうと、市長だろうと、知事だろうと、女は女。神聖な土俵に上がる資格はない。相撲は神事だ。神事では女性は穢れだ。穢れた女性を神聖な土俵に上げることができるわけはない。
舞鶴巡業で市長が土俵で倒れたとき、女性看護師が市長の救命のために土俵に上った。あのときの、「女性は土俵から降りてください」と何度も繰り返されたアナウンスは、あれこそ伝統を守ろうという精神の真骨頂で正しかったのだ。あのとっさの時に、人命よりも伝統が大切だと、毅然とした判断ができたのは、日ごろからの協会の精神のあり方が、若手の行司にも浸透していたということで、素晴らしいことだった。
「緊急の場合だ。人の命の方が大切」などという浅薄な俗説は俗耳に入りやすい。しかし、市長一人の命よりも伝統が重い、という今の社会にはなかなか受け入れがたい正しい考えを、敢えて実行したこの行司はエライ。
八角理事長は、この行司のアナウンスを謝罪したが、あの謝罪こそが間違っている。堂々とこう言うべきだった。
「私たちは、『土俵は女人禁制』という伝統を守ってまいりました。私たち力士にとって、伝統を守るということが何にもまして重要なことであることをご理解いただき、今後はいかなる場合にも、女性の皆様には土俵に立ち入ることのないようご留意をお願い申しあげます」「ちびっ子相撲も同様。女児も女性ですから、年齢にかかわらず、土俵に上らせることのないよう、ご注意ください。」
伝統の由来や、その意味づけなどを穿鑿することは、余計なことであるだけでなく、むしろ有害なことだ。伝統とは、民族の魂である。民族の魂が、男尊女卑を叫んできた以上は、男尊女卑を貫くのだ。民族の魂が、弱い者いじめをくりかえしてきたのだから、新弟子イジメは当然の伝統として容認する。旧軍隊の精神と同様である。思考を停止して、伝統に従う。こうでなくてはならない。
ところで、いったい何が伝統で、何が伝統でないか。実はこれが難しい。難しいから、何が伝統かは、実のところ融通無碍なのだ。
相撲は日本民族の魂なのだが、いま大相撲では、外国人力士大活躍で日本人力士の影は薄い。「土俵は外国人禁制」ではない。なぜか、その理由は分からない。もっとも、興行的には、外国人力士に活躍してもらわねばならない。
ちびっ子相撲では、昨年は女児も参加できたそうだが、今年からはダメだ。なぜって、それが伝統だから。じゃあ、なぜ昨年までは参加できたのかって?
そんなことは聞いてはならない。協会発表には、文句をいわない。細部にはこだわらない。それこそが、伝統だろう。
実のところ、何より大切なのは興行収入だ。大相撲の体質が女性客に不愉快で、客離れが生じるようでは困る。ホンネのところ、興行収入は伝統よりもはるかに大切なのだ。「興行収入 > 伝統 > 人の命」という奇妙な価値序列。
いや奇妙ではない。「命にもまして金が大切」は、これこそ神代の昔からの民族の伝統なのだから。
(2018年4月13日)
4月8日の当ブログに、「鴎外が書き残した、天皇制への嫌悪」を書いた。内容は、直木孝次郎「森鴎外は天皇制をどう見たかー『空車』を中心にー」を紹介して若干の私見を付したもの。
その拙稿を、Blog「みずき」の東本高志さんが4月10日付で取り上げてくれた。反応があるのは嬉しい。せっかくなので、ご紹介したい。
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1309413295855761
澤藤統一郎さん(弁護士)が森鴎外の「天皇制批判」の論を紹介している(澤藤統一郎の憲法日記 2018年4月8日)。鴎外は体制=天皇制擁護者、というのがこれまでの私の鴎外理解だったので意外だった。もっとも、その鴎外の天皇制批判の小説といわれる『空車』は昔、読んだ記憶がある。そのときの小説の解説には「天皇制批判」というよりも天皇を利用する側近=政治家批判のように書かれていたように思う。今度の澤藤統一郎さんの紹介する鴎外の「天皇制批判」論を読んでもそのときの読後感は変わらない。鴎外は「天皇制」そのものを批判しているのではなく、その「天皇制」を下支えしている「藩閥官僚」制度を批判しているように見える。この問題に触れている原武史(放送大教授)の直木孝次郎著『武者小路実篤とその世界』の書評を読んでも、鴎外の「天皇制」批判は結局そういうものだ、と私は思う。鴎外は体制=天皇制擁護者、というこれまでの私の鴎外理解も変更する必要を私は感じない。(以下略)
鴎外・森林太郎は、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)にして、官僚(高等官一等)であり、位階勲等は従二位・勲一等・功三級とのこと。「体制=天皇制」の中心部に位置していた人として、当然に「天皇制擁護者」のイメージは深い。したがって、「空車」という作品を、天皇制への批判や嫌悪感を書き残しておこうとしたものという理解にはなかなか思い至らない。だからこそ、直木孝次郎の炯眼に感服することになる。
「天皇制」のイメージには、人それぞれの理解がある。東本さんの「鴎外は『天皇制』そのものを批判しているのではなく、その『天皇制』を下支えしている『藩閥官僚』制度を批判しているように見える。」という感想がやや意外でもあり興味深くもある。「鴎外は、『神聖な天皇が、君側の奸たる藩閥官僚によって操られていた』と考えていた」との理解なのだろうか。
ところで、「天皇制そのもの」とはなんだろうか。天皇の神聖性とか、天皇の国民精神に対する支配性という類のもので、「天皇制を下支えしている制度」とは別物なのだろうか。
私は、天皇制とは単純に政治支配の道具に過ぎないと思っている。戦前の天皇制とは、「藩閥官僚による政治支配の道具」で十分である。だから、『天皇制そのもの』と、これを下支えしている『藩閥官僚』とを敢えて厳密に分離して考える必要はない。「天皇制を支える藩閥官僚」も、「藩閥官僚を従える天皇制」も、不可分一体のもので、『藩閥官僚』批判は、とりもなおさず天皇制批判にほかならない。
鴎外が、「空車」を「むなぐるま」と読ませたのは、「空しい」(≒虚しい)の語感を響かせたいということではなかろうか。大きな車に乗っているのは天皇なのだが、その実体はといえば、「空しい」だけの存在。空っぽに等しい。それにひきかえ、この車を牽く馬は大きく肥えて剽悍で、馬の口を取っているのは背の直い大男である。
結局のところ、「天皇制」とは、「空しい」存在である天皇だけでは成立し得ない。この天皇を乗っけた大きな車や肥えた馬やこれを御す大男の存在が必要不可欠なのだ。
直木孝次郎が引用するベルツの日記の一節(1900年5月9日)を再度引用しておこう。わたしはここに、天皇制の本質がよく顕れていると思う。
「一昨日、有栖川宮邸で東宮(皇太子嘉仁、後の大正天皇)成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤(博文、直木註)のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをしてみせたのである。」
天皇とは「側近者の吹く笛に踊らされねばならない操り人形」として、「不幸な存在」なのだ。これを操って、民衆支配の道具としているのが、伊藤や山県などの藩閥政治家たちである。その背後には資本があり、地主階級があり、支配される側の民衆自身もあった。そのことは、伊藤や山県ばかりではなく、軍や警察幹部も、天皇自身も自覚していたであろう。もちろん、鴎外もである。これが戦前の天皇制。
さて、問題は、日本国憲法下の象徴天皇制である。戦前、実は操り人形に過ぎない天皇も建前としては権力者だった。戦後は、建前としても天皇は操り人形(ロボット)に徹することが求められている。これが象徴天皇制というもの。
天皇は、内閣の助言と承認によってする憲法7条に定める10件の国事行為以外はなしえない。オーソドックスな憲法学は、天皇を日本国憲法体系における例外的存在とし、国民主権論や人権論との整合の観点から、象徴天皇の行動範囲を可及的に縮小しようとしてきた。
ところが、現天皇自身が「象徴としての公的行為」拡大を意識し、そのような「象徴天皇像」を作ろうと意図してきた。鴎外の比喩を用いれば、空車の上におとなしく、目立たないよう座していなければならない操り人形が、権威や国民との親近性を求める意思をもとうとしているのだ。憲法的制約を自ら解き放とうとする天皇。これは危険なものと考えざるをえない。
来年(2019年)国民は、天皇代替わりの儀式に接することになる。主権者たる国民が、空車の操り人形に拝跪するがごとき愚行を戒めなければならない。飽くまでも、天皇の存在感と行動可能範囲を極小化する議論が必要なのだ。
(2018年4月12日)
DHCと吉田嘉明が、私に6000万円を請求したスラップ訴訟。私がブログで吉田嘉明を批判したのが面白くなかったようだ。人を見くびって、高額の訴訟を提起すれば萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んだのだ。そこで、「黙れ」という恫喝が、6000万円のスラップ提起となった。
私は黙らない。スラップ訴訟の勝訴が確定したあと、今度は私が反訴原告となり、DHCと吉田嘉明を反訴被告として、反撃の訴訟を提起している。スラップの提起自体が違法で損害賠償の対象となるのだ。係属は、東京地裁民事第1部。その次回口頭弁論期日が4月26日(木)13時30分、415号法廷である。是非、傍聴をお願いしたい。
閉廷後に、控え室で弁護団と傍聴参加者とで、いつものように、資料を配付してのご説明と意見交換を行いたい。
今回は、当方(反訴原告・澤藤)からの準備書面提出である。前回、DHC・吉田嘉明側は、裁判所の勧告を受けて、10件の同種スラップの訴状や判決を提出した。これを読み込んで、DHC・吉田嘉明がスラップの常習者で、自分の権利救済を目的とするのではなく、批判の言論に対する萎縮を狙った提訴を行っていることを明らかにすることが主眼である。
1件だけの提訴を見るだけでは分からないことが、同種の10件の提訴全体を通覧すれば、はじめて見えてくるものがある。そのことを明確にして、DHC・吉田嘉明の私に対する6000万円請求提訴それ自身が、裁判を受ける権利を濫用した不法行為に当たる、という主張となる。
ところで、今回の準備書面で引用する書証として、興味深いもの2点をご紹介しておきたい。
いずれも、スラップ訴訟として典型の『武富士の闇』訴訟一審判決に関わるものである。
一つは、経済誌「エコノミスト」の2005年4月26日号の記事。
標題が、「武富士名誉毀損訴訟判決の波紋 『言論封じの訴訟乱用』に歯止め」というもの。「批判的言論を抑圧するために裁判を起こすのは許されない――。武富士が起こした名誉毀損訴訟で、東京地裁が出した判決は、報道の自由に大きな意味を持っている。」というもの。
当時、スラップ訴訟という用語の流布がなかった。しかし、武富士が起こした消費者弁護士たちに対する名誉毀損訴訟は、まさしくスラップ訴訟。これに反撃した消費者弁護士や出版社の問題意識は、金ある者の高額損害賠償請求訴訟を武器とする言論萎縮のたくらみを許さないというもの。田島泰彦教授のコメント引用も適切で、しっかりした記事になっている。「いきなり訴えるのは、『批判的言論の抑圧』」と見出しのある部分の記事は、本件にも使えそう。
さらに、興味深いことは、その記事の中にDHCの労働組合へのスラップが、不当な同種(スラップ)訴訟として取り上げられていること。そして、私(澤藤)のコメントも掲載されている。
『武富士の闇を暴く』訴訟(被告側)弁護団長の澤藤統一郎弁護士は、「どんなに根拠のない訴えでも裁判に応じる負担はたいへんで、面倒に巻き込まれたくないという萎縮効果が働く。それを見越して、気に入らない出版や弁護士業務、労働運動の妨害のための高額訴訟が横行しているが、今回の判決はそれに対する歯止めとなるものだ」と“藤山判決”を高く評価する。
当時は私が、被告(そして反訴原告)弁護団の代表だった。まさか、10年後に、自分自身の問題となろうとは…。
もうひとつは、当時の私のブログである。当時も、毎日ブログを書いていたのだ。日本民主法律家協会のホームページの一角に、「事務局長日記」を。判決のあった同年3月30日の「日記」記事を転載する。両記事とも、なかなかに面白い。武富士をDHCに、武富士のオーナーだった武井保雄を、吉田嘉明に置き換えてお読みいただくと分かり易い。
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「エコノミスト」武富士の闇判決報道(05・4・26)
「武富士名誉毀損訴訟判決の波紋 『言論封じの訴訟乱用』に歯止め」
判決が出たのは、消費者金融大手の武富士が、『武富士の闇を暴く』という告発本で名誉を毀損されたとして、5500万円の賠償と出版差し止めを求め、著者の新里宏二、今際美、宮田尚典弁護士と出版元の同時代社を訴えた裁判だ。被告の新里弁護士らが、「武富士による提訴は、カネの力で批判を封殺する言論弾圧であり、提訴を指示したのは武井氏だ」として、武富士と当時の武井保雄会長(盗聴で逮捕後退任)を武富士の提訴が不法として訴え返したため、法廷は、『闇を暴く』が告発した武富士商法の問題点だけでなく、言論の自由と名誉毀損訴訟のあり方を問う場となった。
? いきなり訴えるのは「批判的言論の抑圧」
この日の判決で藤山裁判長は、武富士が借金を債務者だけでなく、支払い義務のない家族などから取り立てる第三者請求を「社会通念上、十分非難に値する行為」と批判するなど、同社の貸金業務の不当性を細かく指摘し、武富士の名誉毀損との主張を退けた。その上で「(武富士による)提訴は、請求が認容される余地のないことを知悉しながら、あえて、批判的言論を抑圧する目的で行われたものであり、違法な訴訟である」と断定。武井前会長の責任も認め、会社と連帯し総額480万円を新里弁護士らに賠償するよう命じた。武富士を追及してきた新里弁護士らの完全勝訴といってよい(武富士側は東京高裁に控訴)。
注目されるのは、名誉毀損で言論を訴える際の注意義務についての判断だ。藤山裁判長は判決で、大企業が告発本などを訴えると「批判的言論の抑圧」とみられかねないため、「提訴にあたっては、社内において関係者から事情を一通り聴取するのみならず、存在している客観的証拠とも照合し、場合によっては、相手方がどのような根拠に基づき記事を執筆したのかについても、ある程度は検討すべき」とした。いきなり訴えるのではなく、事実関係はもとより、相手方がどんな根拠で批判したのかまで検討すべきというのである。
大企業や政治家による「批判封じ」とみられる名誉毀損訴訟は後を絶たない。
今年1月、通信販売大手DHC(吉田嘉明社長)が、同社が解雇した従業員が加盟した労働組合ネットワークユニオン東京を名誉毀損で訴えた。解雇が不当と訴えるホームベージがDHCの名誉を損なったというのだ。?????
ネットワークユニオンの古山享書記長は、「ビラであれホームページであれ、解雇撤回を求めたり会社の実情を従業員に伝えることは組合の基本的な活動。それが封じられたら、働く者の権利はどうやって守れるのか」と、怒りを露わにする。DHCは「係争中なので一切コメントできない」(広報部)とし裁判では双方の主張が続くが、解雇問題を解決する努力を尽くす前に、いきなり従業員や組合を訴えるのは穏当ではない。
名誉毀損訴訟が批判封じに乱発さるようになった背景には、近年の賠償額高額化の流れがある。旧来名誉毀損の賠償額は100万円以下で、報道被害者から安すぎるとの批判が出ていたのは事実だ。だが、名誉毀損訴訟の賠償額の標準が500万円前後、つまり5倍以上に上がったのは、自民党検討会の報告や公明党議員の国会質問など、「政治の力」抜きには考えられない。与党が求めた賠償額高額化に応えるかのように、エリート裁判官が、報道を交通事故と同一視して「賠償額を5倍に引き上げろ」という論文を発表、判決が認める賠償額は高騰の一途をたどる。民事裁判を使った批判封じは、こうして個人情報保護法や人権擁護法案と並ぶメディア規制、表現規制の手段となった。
上智大学の田島泰彦教授(メディア法)は、「日本の賠償額は外国に比べて低すぎると言われる。確かに米国には懲罰的賠償で巨額賠償が命じられることがあるが、公人や公的人物についての報道の自由は日本よりはるかに広く認められている。このままでは日本は、報道の自由は狭く賠償は高い、不自由な国になりかねない」と警鐘を鳴らす。
批判を免れる強者
昨年には、名誉毀損訴訟で1980万円の賠償を新潮社側に命じる判決が最高裁で確定した。いずれ、名誉毀損訴訟のために倒産する出版社も出かねない。「訴えてくる強者は判せず、叩き放題の弱者ばかりいじめる報道が横行しはじめている」(週刊誌編集者)という指摘もある。
報道被害救済には大切な名誉毀損訴訟だが、乱用の弊害も目立つのだ。そうしたなかで得た勝訴に、『武富士の闇を暴く』訴訟(被告側)弁護団長の澤藤統一郎弁護士は、「どんなに根拠のない訴えでも裁判に応じる負担はたいへんで、面倒に巻き込まれたくないという萎縮効果が働く。それを見越して、気に入らない出版や弁護士業務、労働運動の妨害のための高額訴訟が横行しているが、今回の判決はそれに対する歯止めとなるものだ」と『藤山判決』を高く評価する。
真実を知り、ものを言う権利が奪われれば、企業のコンプライアンス(法令遵守)も市場経済の発展もありえない。表現の自由を広げる方向での司法の判断は、報道が果たすべき役割の重さを改めて問うている。
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「事務局長日記」2005年03月30日(水)
「武富士の闇を暴く」事件勝訴記者会見
冒頭、弁護団を代表して澤藤から、報告いたします。
本日午前11時50分、東京地方裁判所709号法廷で、「武富士の闇を暴く」訴訟について民事第34部の判決言い渡しがあり、我々消費者弁護士側が勝訴しました。完全勝訴と言ってもよい。画期的な判決と考えます。
この事件は、武富士が3人の消費者弁護士と同時代社という出版社を被告としておこした5500万円の損害賠償請求訴訟です。武富士対策弁護団に結集した弁護士が執筆・編集した「武富士の闇を暴く」という書物の出版が、武富士の名誉・信用を毀損するものというのが請求の根拠となっています。
本日の判決は、この武富士の請求を棄却しました。武富士が名誉毀損と指摘しているこの書籍の31か所の記載は、ほとんどが真実であり、残る少数個所も真実の証明があったとまでは言えずとも、武富士の名誉を傷つけるものではなく、著者が真実と信ずるについて相当な事情があったといえる、との認定です。ここまでは、当然のこと。取り立てて、記者会見をするほどのこともない。
判決は、さらに武富士の本件提訴自体を違法な行為として、被告とされた4人に対する不法行為責任を認めました。勝訴の見込みないことは容易に分かったはず、敢えて提訴に至ったのは、「批判的言論を抑圧する目的を持って」したものと推認するのが相当、と認めました。それだけでなく、武富士のオーナーである武井保雄氏の個人責任も明確に認めました。この点が画期的という所以です。
本件は、ダーティーな業務を行う大企業が、自社に批判的な言論を封殺する目的をもってした提訴です。金に飽かせての提訴が目論んだものは、消費者事件に携わる弁護士の業務を妨害すること、批判の内容をもつ出版を妨害すること、そのことを通じての批判活動の萎縮効果です。考えてもみてください。5500万円もの支払いを請求されれば、小出版社やジャーナリスト・弁護士がどんな気持ちになるか。少なからずびびりますよ。仮に、勝訴できたとしても、被告としての応訴活動の負担はたいへんなものです。面倒なことには巻き込まれたくないという心理が働く。それが武富士の狙いです。金に飽かして提訴できる大企業と、資金力や時間的余裕に欠ける小出版社・ジャーナリスト・弁護士たちとの力量格差を十分にご認識いただきたい。
本日の判決は、私たちの言い分に真摯に耳を傾けた優れた判決だと思います。高額請求提訴の濫発という形での出版への妨害、弁護士業務への妨害のパターン蔓延に一定の歯止めを掛けるものとなりました。その点において、本日の判決の意義は高いものと評価します。
もっとも、武富士の違法提訴による損害賠償の認容金額が、反訴原告一人あたり120万円で合計480万円というのは低額に過ぎるとは思います。が、その高額化は今後の課題。現時点の水準では、すばらしい判決であることを報告いたします。
(2018年4月11日)
安倍政権は末期症状である。行政の不透明などという言葉で表現できるレベルの問題ではない。森友・加計・そして南スーダン、イラク…。どれもこれも、欺瞞・隠蔽・改竄・口裏合わせのオンパレード。これが全て政権の思惑から発していることが明らかになりつつある。
これを、何とか行政の責任に押し込めて、政権に累が及ばぬようにというのが、官邸と自民党。与党議員による国会質疑は、緊張感を欠くこと甚だしく退屈なのが通り相場だが、このところの質疑は、とりわけ噴飯物である。
この点で一躍有名になったのが、和田政宗と丸川珠代。和田については既述のとおりだが、丸川の「佐川さん、あるいは理財局に対して、安倍総理からの指示はありませんでしたね?」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね?」という誘導質問は、議会史に残るだろう。こんな愚かな議員もかつてはいたんだという歴史遺産として不滅の存在になり得る。
昨日の参院決算委員会。太田理財局長は、自民党の西田昌司議員の質問に対して、「昨年2月20日に、理財局側から森友学園に、『撤去費用が相当かかり、トラック何千台も走った気がするといった言い方をしてはどうか』とうその説明をするよう持ちかけた」ことを認めた。この答弁には驚いたが、質疑に緊迫感はなかった。予め、打ち合わせができていた質疑答弁だったのだから。
西田議員は、「バカか本当に!」「国民の代表がここで聞いているんだ」と怒っては見せたが、迫力はなかった。「政権が責任を役人に押し付けており」「自民党質問者はこれに加担している」ように見えるからだ。
口先だけで、官僚に「バカか」という自民党議員とは異なり、腹の底から「貴方は、バカではないですか?」と言った議員もいた。
舞台は、1958(昭和33)年7月2日参議院法務委員会。質問者は日本社会党の亀田得治参議院議員(弁護士)、答弁者は、守田直最高裁人事局長(裁判官)だった。内容は、最高裁判所の全司法労働合に対する、裁判書き事件大弾圧に関する質疑である。
弾圧を受けた側の全司法元委員長吉田博徳さんが、当時を振り返って「法と民主主義」2005年6月号(№399)52?53頁に、次のとおり質疑の模様を報告している。これは迫力満点だ。この質疑で、裁判書き事件の概要も分かる。報告の題名は、「貴方は、バカではないですか? ―亀田得治先生の烈々たる質疑によせて―」というもの。
亀田「本件処分について最高裁判所は、全司法の浄書拒否事件と宣伝していますが、その浄書とはどんな意味ですか?。普通は裁判官が原稿を示してそれをきれいに清書することを言うのですが、本件についは裁判官の原稿はあったのですか?」
守田「あのー、それは原稿というものではなく、裁判所の窓口に提出されている決定・命令・令状等の申請書にもとづきまして、書記官や事務官らが浄書するものでございまして……」
亀田「それはまだその事件のことを裁判官が知らないうちに、申請にもとづいて書くのですか?」
守田「そういうことになります……」
亀田「それなら職員の文書作成そのものではないですか。日本語では浄書とは言いませんよ。最高裁の中しか通用しない勝手な日本語を作っては困ります。国民をごまかすものではないですか?」
守田「…………」(黙して語らず。以下同)
亀田「職員が窓口で作成する書面とは、後に裁判官のハンコを押せば裁判書き原本となる書面ですか?」
守田「そういうことになります。しかし裁判官は疎明資料をよく検討し、判断して(ハンコを押すのですから、その時に裁判書になるのであって、それまでは紙片にすぎませんので……」
亀田「貴方、そんなことを言ってよいのですか? 職員が書いたという事実が消えて無くなるのですか?『誰々を逮捕する。逮捕の理由はこれこれしかじか』、これは裁判の中身ですよ。それがハンコを押したトタンに裁判官が判断したことに変わるんですか」
守田「……」
亀田「行政文書ならそれでもいいですよ。行政文書は誰が下書きを書いてもよいのですから。裁判は違いますよ。裁判官は独立して職務を行い、何人も関与してはならない。貴方も知っているでしょ。例え裁判所職員でも裁判の中身を書いて行けば、『逮捕した方が良いですよ』となるではないですか、関与したことになりませんか?」
守田「…………」
亀田「最高裁がそんな姿勢だから全国に変なことが多発しているのでしょう。某裁判官が逮捕状用紙に記名押印した白紙令状を書記官に渡して、裁判官の知らぬ間にスイスイと逮捕状が出たとか、裁判官が囲碁に夢中になっていて、書類を見ないまま、(ンコを投げて出させたとか、ひどいのになると風呂の中で『出しといて』と命じたとか、まだいろいろありますが最高裁の姿勢が下部に影響しているのではないですか。」
守田「…………」
亀田「ところで裁判書きの下書を作成することは職員の職務内容になっているのですか?。なっているとすれば法律名と条項、通達書を教えて下さい。」
守田「あのー、法律や通達書などで決まっているものではございませんでして……」
亀田「そうでしょう、そんな法律があったら大問題ですよ。では処分の根拠はなんですか。裁判官の職務命令を拒否したとなっていますが、どんな職務命令があったのですか?」
守田「それは包括的職務命令と解しておりまして……」
亀田「聞き慣れない言葉ですね。どんな命令ですか?」
守田「一件一件について出されるのではなく、裁判所の窓口に提出されたものはすべて浄書するように…と。昔は、明治時代には事件も少なかったので裁判官が自分で書いたり、口授したりしたものと思いますが、大正・昭和と事件が急増し、裁判官は法廷実務と判決文に追われるようになりましたから、次第に決定・命令・令状等は職員に手伝ってもらう、そういう習慣となっているわけでございまして……」
亀田「そうすると裁判官の命令を拒否したのではなく、昔からの悪習を拒否したということですか?、逮捕される国民にとっては、一生に一度あるかどうかの大問題ですよ」
守田「…………」
亀田「貴方は東大出身の優秀な裁判官と常々聞いていましたが、今日の答弁は何ですか。子どもでもわかるような簡単な質問にも答えられない。貴方はバカではないですかバカでは……」
亀田先生は右腕を伸ばして守田氏をにらみつけていた。守田氏は立つたまま下を向き流れる汗をふいていた。後に控えていた裁判官は誰も助け舟を出そうとしなかった。
議長「亀田君、バカはやめなさい」
亀田「やめません。議長もよく聞いて下さい。最高裁といえば憲法の番人、基本的人権擁護の最高責任者ですよ。その最高裁がお膝元の職員に対し、懲戒免職十三人、退職金のでないクビですよ。死刑にも匹敵する極刑を、先程からお聞きのようなあいまいな理由で、これが黙っておれますか」
議長「亀田君、質問を続けて下さい」
亀田「もう一度聞きますが職務命令はどんな形でいつ出されたんですか? 被処分者は誰も聞いていないと言っていますよ。包括的職務命令なんていうのは、本件処分を行うために作り出した新語ではないですか?」
守田「…………」
亀田「それでは次回までによく調査して、一件ごとにどんな職務命令であったのかを書面で提出して下さい」
当日の参議院法務委員会の議事録では、議長の職権でこの部分が削除されているので、議事録上での確認はできないが、私達は終始傍聴席で直接見ていたのだからまちがいないのである。最高裁の高官が国会の場で。バカと言われたのは、おそらくこの件の外にはないであろう。バカと言われながらも一言の抗議もできず、下を向いて立っているだけだった。これこそが本件処分の自信の無さと、裁判官としての良心の呵責を感じさせる光景であった。
(略)
裁判員制度など新しい司法制度が発足し、司法の民主化に役立つものといわれているが、裁判所の隅々までに民主主義の風が吹き、裁判官をふくむ総ての職員の人権感覚が高まるように努力しなければ、どんな制度を作っても民主化とは結びつかないだろう。
この裁判書き事件は、裁判官が弾圧者なのだから、どうにもタチが悪い。懲戒免職13名の裁判闘争は、18年継続したという。そして、1976年2月に至って、当時職場復帰を望んでいた6名全員を再採用という形式で職場に戻すことで解決した。復職した5人は、まったく同期と同じく18年間の定期昇給も、年金も補償されたという。
なお、守田直裁判官は、第6代の司法研修所長である。私(澤藤・23期)の入所時は鈴木忠一所長だったが、修習終了時(1971年)には守田直所長だった。この所長の下での修習修了式(卒業式)の際に、同期の阪口徳雄君が所長に任官差別の抗議の意を込めた質問をしたことで、罷免とされた。「貴方はバカではないですかバカでは……」と言われてもしょうがないことを繰り返したというべきだろう。
大阪の弁護士だった亀田得治さんは、後に阪口徳雄君を温かく自分の事務所に迎え入れている。
(2018年4月10日)
人類の歴史は、1945年8月6日午前8時15分で、2分される。人類の絶滅という危機を自覚せずに過ごすことができた「前史」と、核によって人類の絶滅という危機の実感とともに過ごさねばならなくなった「後史」とにである。
人類絶滅の危険は瞬間的な核爆発によるものだけではない。核爆発のあとに、長く継続する放射線被害によってももたらされる。地球史の長い長い黎明期は、高放射線環境で生物が生息できる環境ではなかった。ようやく、生物の住める状態にまで自然放射線量が減少したのに、人類は自らの手で、人類の存続を危うくしているのだ。
繰りかえし言われているとおり、核兵器は絶対悪である。核兵器と人類は、共存し得ない。まずは核兵器をなくさなければならない。これが喫緊の課題。そして、核兵器を生み出す戦争をなくさなければならない。さらに、次元の異なる高度放射線被害をもたらす原子力発電も廃絶しなければ、人類の未来はない。
核廃絶運動の最前線に立つ人々が、被爆者である。あの悲劇の瞬間から70余年を経て、悲惨な被爆の実体験者はその数を減らしつつある。実体験を語る活動に参加も難しくなりつつある。我々は、その体験を継承し、その声を伝承しなければならない。
広島・長崎の被爆者は、日本国内だけでなく、韓国にも多くいる。当時、朝鮮は日本領とされていたのだから不思議はないが、朝鮮から渡って広島・長崎に居住していた人の数は、驚くほど多い。そして、戦後帰国した被爆者数も。このことが、あまり認識されていないのではないか。
3月下旬のピース・ツアー参加者の事前学習会で、以下のことを知った。
☆ 1945年8月の被爆直前、日本本土に居住していた朝鮮人数は230万人。うち、広島・長崎の居住者が約10万人だった。
☆ そのうち、約7万人が被爆している。約4万人が死亡、3万人が傷害を負いながらも生存した被爆者となった。被爆者の内2.7万人が韓国に帰国し、約3千人が日本に残った。
☆ 1954年ビキニ水爆実験で第五福竜丸が被爆し、その後に原水禁運動が興隆した。1956年には、「 被爆者団体協議会(被団協)」が結成され、今日まで約40回に渡る法改正が行われ、運動はさまざまな被害補償制度をつくってきた。
☆ 被爆者運動は、当然のこととして在日の被爆者も加わり、その成果の適用において、在日朝鮮人被爆者は日本人と同等であった(健康管理手当、被爆者手帳、生活保障手当等)。しかし、韓国に帰国した被害者には、何の補償もなかった。彼らは、働くこともできず、疎外され続けてきた。
☆ 1956年以後、日本人の平和団体、被爆者団体から被爆者への支援カンパや自立的な運動のよびかけがなされ、徐々に韓国でも被爆者団体の運動が始まった。
☆ 韓国の被爆者は、日本政府に対し、日本人被爆者と同等の補償や支援を要求したが、日本政府はほとんど何もしなかった。
☆ 繰り返しの運動の「成果」として、”日本政府は、在韓被爆者のうち、日本に来て治療を受ける人への若干の支援をはじめた。しかし、日本に行く費用もない人が多く、実質的に支援を受けることができないまま亡くなっていく人が多かった。
☆90年代に入って、日本政府は韓国政府に対し、40億円の支援を一括して行った。韓国政府は、そのうち20億円で陜川(ハプチョン)に被爆者支援施設を作り、生活困難な被爆者が入居(約70人)できる施設を作り、残金で韓国全土の生活支援基金にした。なお、陜川(ハプチョン)には広島に住んでいた帰国被爆者が多く、『韓国の広島』と呼ばれていた。古い統計ではあるが、1974年に原爆被害者援護協会の陜川(ハプチョン)支部が行った被爆者実態調査によると、同地域の当時の被爆生存者は3867人であった。
☆2015年、日本政府は世界中の被爆者に日本人被爆者と同等の補償をすることになり、日本政府から直接本人に送金する制度になった。厚労省によると、2015年3月現在、日本外に住んでいる被爆者手帳の所持者は約4300人で、このうち韓国居住者は約2500人(北朝鮮居住者1人)だという。被爆者の9割が亡くなってから、ようやく日本政府は腰をあげたことになる。
3月28日(水)、ピース・ツアーは慶尚南道の陜川(ハプチョン)を訪れた。「韓国の広島」の異名をもつ町。
昨年(2017年)完成した原爆資料館の生々しい展示の見学を終えて、前庭で休んでいたら、体格のよい老人に声をかけられた。「どちらからいらっしゃいましたか」。訛のない、正確な日本語だった。14、5分の話しが弾んだ。というよりは、「私の話を聞いてくれ」という熱意がほとばしる対話だった。
私自身が被爆者ですよ。広島で被爆したときは10歳だった。市内の国民学校に通っていました。
代々ハプチョンで暮らしていましたが、幼いころ父と兄に連れられて広島に渡りました。ハプチョンの近くからは、たくさんの人が広島に行きました。兵役で行った人も、徴用で行った人もいましたが、自分の意思で家族と一緒に広島に渡った人が多かったはずです。
自分の意思と言っても、本当の意思ではないと思いますよ。その頃、この辺の農家はみんな貧しかったんです。兵役や徴兵で若い者が少なくなって、なかなか農業が思うようにはできなくなった。日本に行けば何とか仕事があって食っていけると言われて、出かけた者が多かったんです。
で、日本のどこへ行くか。村の人で、広島に行った人が多かった。知っている人が先に行っているから、その人をたよりにして、なんとなくみんな広島に行きましたね。
広島で日本語も覚えましてね、国民学校に上がったけど、勉強どころではなかった。もう少し、きちんと勉強させてもらえたらよかった、あとあとそう思いましたね。
私は学校で被爆しました。爆心地から2キロと少しのところです。あの体験は忘れられません。でも、私自身は大きな怪我をしなかった。幸い、父と兄がすぐ来てくれて、私を連れて火災を避け西の方向に逃げました。6日の晩は野宿して、7日に己斐(こい)中学校の校庭で炊き出しを受け、手当もしてもらうことができました。そのときは、もう裸足でした。
行き道、道路に死体がごろごろと転がっていたんです。死体を踏まないように、除けて歩くという感じでした。そして、死んでいる人だけでなく、死にそうな人が大勢。幽霊みたいに歩いていました。本当に地獄の風景でしたね。
終戦後、間もなく親に連れられて韓国に帰りました。でも、やっぱり生活は苦しかった。そのあと、また日本に行きました。最初は宮崎、そしてそのあとはやっぱり広島。で、またハプチョンに戻りました。そうこうしているうちに、齢を取った。
いまは、陜川原爆被害者福祉会館に住んでいます。この会館は、日本の被爆者の運動で、日本政府が金を出してつくったものです。情けないのは、韓国の政府が十分な動きをしてくれないこと。
それから、もう一つ。どうしても言っておきたいのは、原発のことですよ。福島の事故には震えあがりました。あんな危険なものは絶対に作ってはいけない。私は被爆者一世ですが、子や孫の将来のために、核兵器も原発も絶対になくして欲しいと思います。
この方のお名前を伺ったところ、キム・ドシギと名乗られた。ゆったりと咲く白いモクレンの花の下でのキムさんのお話しを忘れることはないだろう。
(2018年4月9日)
直木孝次郎という日本古代史の碩学がいる。1919年1月30日生まれというから、御齢99歳である。著書論文は夥しいが、一昨年4月に「武者小路実篤とその世界」を上梓している。その書の中に、「森鴎外は天皇制をどう見たかー『空車』を中心にー」という論稿がある。
森鴎外の『空車』は、古語で「むなぐるま」と読むのだそうだ。どう読んでも、意味は「乗せるべき荷のない空っぽの車」である。直木の文は、鴎外の原文の全文を掲載しているが、問題の部分だけを抜粋して引用しておこう。
空車はわたくしの往々街上において見るところのものである。この車には定めて名があろう。しかしわたくしは不敏にしてこれを知らない。わたくしの説明によって、指すところの何の車たるを解した人が、もしその名を知っていたなら、幸いに誨(おしへ)てもらいたい。
? わたくしの意中の車は大いなる荷車である。その構造はきわめて原始的で、大八車というものに似ている。ただ大きさがこれに数倍している。大八車は人が挽くのにこの車は馬が挽く。
この車だっていつも空虚でないことは、言を須(ま)たない。わたくしは白山の通りで、この車が洋紙を満載して王子から来るのにあうことがある。しかしそういうときにはこの車はわたくしの目にとまらない。
わたくしはこの車が空車として行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。車はすでに大きい。そしてそれが空虚であるがゆえに、人をしていっそうその大きさを覚えしむる。この大きい車が大道せましと行く。これにつないである馬は骨格がたくましく、栄養がいい。それが車につながれたのを忘れたように、ゆるやかに行く。馬の口を取っている男は背の直い大男である。それが肥えた馬、大きい車の霊ででもあるように、大股(おおまた)に行く。この男は左顧右眄(さこうべん)することをなさない。物にあって一歩をゆるくすることもなさず、一歩を急にすることをもなさない。旁若無人(ぼうじゃくぶじん)という語はこの男のために作られたかと疑われる。
この車にあえば、徒歩の人も避ける。騎馬の人も避ける。貴人の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍(たいご)をなした士卒も避ける。送葬の行列も避ける。この車の軌道を横たわるに会えば、電車の車掌といえども、車をとめて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。
そしてこの車は一の空車に過ぎぬのである。
わたくしはこの空車の行くにあうごとに、目迎えてこれを送ることを禁じ得ない。わたくしはこの空車が何物をかのせて行けばよいなどとは、かけても思わない。わたくしがこの空車とある物をのせた車とを比較して、優劣を論ぜようなどと思わぬこともまた言をまたない。たといそのある物がいかに貴き物であるにもせよ。
この鴎外の文章が何を述べようとしているのか。この文章だけを読んで理解できた人は、よほどに感性が鋭い。唐木順三も松本清張も分からなかった。むろん、私にはさっぱり分からない。
直木は、この文章を次のように要約している。
馬の口を取る男はわき目もふらず、旁若無人に大道を行く。この車に逢えば、徒歩の人も、騎馬の人も、貴人の馬車も、富豪の自動車も、隊伍を整えた軍人も、葬送の列もこれを避ける。この車に逢えば、軌道を走る電車も止まる。鴎外自身も、「目迎えてこれを送る」ー敬意を表して見送るー。
これでも、何のことだか分からない。いったい、「大いなる空の車」とはなんであるのか。「馬の口を取っている背の直い大男」とは誰のことか。そして、思わせぶりな、「貴き物」とは。
結論を原武史の書評(抜粋)で、語っていただこう。原がこう言っているのだから、直木の解釈は間違いなかろう。
本書は著者と付き合いのあった武者小路実篤の作品や思い出、あるいは実篤をめぐる人びとなどに関する文章を集めたものだが、最後の「余論」で森鴎外に触れている。鴎外が陸軍省を辞めた直後に書いた「空車(むなぐるま)」という小品に着目し、当時の鴎外は天皇制をどう考えていたかを論じた「余論」の文章こそ、本書の白眉(はくび)というべきだろう。
ここで著者は、唐木順三や松本清張らの説を批判しつつ、「空車」を牽(ひ)く大男を山県有朋と推定し、「空車」には本来、大正天皇が乗っていたとする。鴎外は、山県に代表される藩閥官僚によってつくられた天皇制というシステムと天皇個人を区別していた。明治から大正になり、システムはますます大きくなるが、天皇自身は逆に「空虚」になる。それを象徴するのが「空車」だという指摘には思わずうならされた。
著者は触れていないが、鴎外は1900年に勤務先の福岡県小倉で皇太子時代の大正天皇に会っている。そのとき抱いた印象と、著者が触れる大正天皇の即位礼に参列したときの印象は全く違っていたはずだ。鴎外は大正天皇を通して天皇制に対する批判を抱くようになり、細心の注意を払いながら、それを作品として残しておきたかったのではなかろうか。
直木は、お雇い外人教師のベルツの日記の次の一節(1900年5月9日)を引用している。
「一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤(博文、直木註)のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをしてみせたのである。―こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実操り人形にしているこの礼式をゆるめればよいのだ。伊藤自身は、これを実行しようと思えばできる唯一の人物ではあるが、現代および次代の天皇に、およそありとあらゆる尊敬を払いながら、なんらの自主性をも与えようとはしない日本の旧思想を、敢然と打破する勇気はおそらく伊藤にもないらしい。」
ベルツの引用に続けて、直木はこう言う。
「皇太子だけではない。天皇もまた藩閥政府の実力者―伊藤や山県有朋など―によっておどらされるかいらい―操り人形なのである。」「この空車もかつては権力を持つ天皇を乗せることがあった。今でも、天皇を乗せることがあるが、天皇は形骸化している。そうした天皇について語るわけにはいかない。」「山県有朋の側近にあった鴎外は、天皇の形骸化・かいらい化を見聞し、実感したに違いない。前述した東宮(皇太子)の操り人形化についての伊藤の所感は、山県と共通するだろう。天皇の操り人形化は、おそらく明治天皇の時代にはじまり、大正天皇の時代に一層すすんだことと思われる。」「このことを鴎外は何らかの形で、書き残しておきたいとかねてから思っていたのだろう。1911年1月に、天皇を暗殺しようとしたという理由で、事件と無関係の人を含めて12人が死刑になった事件が起こるが、それがその契機の一つではなかろうか。」「彼はこのとき、『かのように』など数編の論説を発表し、死刑12人という判決の行き過ぎであることを論ずるとともに、天皇の神聖性に疑問を投じているが、天皇の形骸化にまでは及んでいない。天皇そのものにまでは筆は及んでいないのである」
「退職の前年の1915年11月に京都で行われた大正天皇の即位式に参列したことが、『空車』という形で天皇を論ずる原因となったと思われる。主役の天皇は形骸化し、かいらい化しているのに、即位の大礼の古い儀式は堂々と典雅に行われる。その矛盾の大きさが鴎外の執筆の決意を固めさせたのであろう」
天皇という「貴き物」を乗せる車は天皇制である。しかし、肝腎の「貴き物」が形骸化し、操り人形と化しているから、この車は「空車」なのだ。「空車=天皇制」、「空車を牽く馬=軍隊」、「馬の口を取る男=藩閥政治家」と思って、鴎外の文章を読み直すと、なるほど見えてくるものがある。
空車(天皇制機構)は、すでに大きい。そしてそれが空虚である(天皇は、形骸化して操り人形となっている)がゆえに、人(藩閥政治家や軍の幹部の間近にあった鴎外自身)をしていっそうその大きさを覚えしむる。この大きい車(天皇制)が大道せましと行く。これにつないである馬(軍や警察機構)は骨格がたくましく、栄養がいい。それが車につながれたのを忘れたように、ゆるやかに行く。馬の口を取っている男(伊藤や山県などの藩閥政治家)は背の直い大男である。それが肥えた馬、大きい車(いずれも天皇制のシステム)の霊ででもあるように、大股に行く。この男は左顧右眄することをなさない。物にあって一歩をゆるくすることもなさず、一歩を急にすることをもなさない。旁若無人という語はこの男(天皇制を利用する者たち)のために作られたかと疑われる。
鴎外の慎重な物言いの中に、天皇制と天皇制を操っている者たちへの嫌悪感が読み取れる。
鴎外が見たという「天皇の即位式での、『主役の天皇の形骸化・かいらい化』と、『即位の大礼の儀式性』との矛盾の大きさ」。我々も、来年(2019年)に、この矛盾をつぶさに見ることになる。もっとも、鴎外ほどの鋭い眼識と感性があればのことなのだが。
(2018年4月8日)