先週の4泊5日韓国ピース・ツアーの間に、仕事が滞溜した。新聞や郵便物も山積みになった。この浦島太郎状態からようやく日常のペースが戻ってきた。
3月27日衆参予算委員会における佐川宣寿証人の喚問記録も拾い読みして、何とか浦島症状から覚醒した感がある。次は連休明けの沖縄の旅が待ち遠しい。
さて、佐川宣寿証人喚問の議事録を読んで、思うところを整理してみたい。
民事法廷での証人尋問で、その証人に対して証人自身の刑事責任に関する証言を求められることは考え難い。刑事事件においても、宣誓した証人に、証人自身を犯罪者とする証言を求めることは稀有なことであろう。要するに、証人とは、民事にせよ刑事にせよ、自分の責任とは関係のないことについて聞かれることが原則なのだ。
ところが、議院証言法による証人喚問は、純粋の証人として他人の責任に関しての証言を期待されているのではなく、自身の責任を追及される立場の「証人」が多い。刑事訴訟の感覚から言えば、証人であるよりは「被疑者・被告人」の立場に近い。そのため、法廷ではめったにない、証言拒否が濫発されることになる。刑事法廷では、訴追されている被告人が宣誓して供述することはない。
憲法38条1項は、「何人も、自己に不利益な供述を強制されない」と定める。黙秘権として知られるが、合衆国憲法の自己負罪拒否特権の移入だとされる。なんびとも、自白を強制されることはない。捜査のあり方についての憲法原則でもあるが、何よりも被疑者・被告人の人格尊重の大原則でもある。
議院証言法は、議会の国政調査権を実効あらしめるために、誰に対しても証人として議会に出頭を求め、宣誓のうえ真実を語るべく義務付けをなしうる制度を作った。しかしこれには、自ずから人権原理からの制約や限界があることになる。法は証人に、一般的に真実を語るよう義務づけはできても、自己負罪拒否特権までを奪うことはできない。
すると、証人の偽証や証言拒否について、議院証言法違反で訴追できるかは、次のように考えを整理することができるだろう。
第1 原則(「国政調査権を実効あらしめる」「国民の知る権利を実現する」趣旨)
☆第1条(出頭・証言義務) 各議院から、議案その他の審査又は国政に関する調査のため、証人として出頭及び証言…を求められたときは、…何人でも、これに応じなければならない。
☆第6条(偽証) この法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する。
☆第7条(出頭・証言拒否) 正当の理由がなくて、証人が出頭せず、…又は証人が宣誓若しくは証言を拒んだときは、1年以下の禁錮又は10万円以下の罰金に処する(併科も可)。
第2 制約(「人権原理にもとづく限界」「三権分立の制度の趣旨からの制約」)
☆第4条1項(自己負罪拒否特権=憲法38条1項「何人も、自己に不利益な供述を強制されない」にもとづく免責規定) 証人は、自己…が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。
☆第4条2項(業務に対する信頼保護の要請に基づく免責規定) 医師・弁護士・宗教者…は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。ただし、本人が承諾した場合は、この限りでない。
☆第5条 (公務の秘密保護の要請に基づく免責規定) (略)
☆第5条の2(特定秘密保護の要請に基づく免責規定) (略)
第3 各議院の告発手続(院の自律性と刑事司法権との関係)
☆第8条 各議院若しくは委員会は…証人が前2条(偽証、出頭・宣誓・証言拒否)の罪を犯したものと認めたときは、告発しなければならない。
☆8条2項 (議院ではなく)委員会…が前項の規定により告発するには、出席委員の3分の2以上の多数による議決を要する。
☆判例上親告罪であり、告発の権限は各院・委員会だけにある。(各院の自律権尊重の立場からの立法)
*検察が独自の判断で捜査・起訴はできない。
一般国民の告発による捜査・起訴もできない。
第4 実践的に
☆第6条(偽証)については、これを免責する根拠はいささかもない。
*偽証とは、「証人が自己の記憶に反することを述べること」(主観説)であるが、客観的事実との矛盾を積み上げて、推認するしかない。
*「官邸の指示なし」「昭恵夫人の影響なし」などの部分が問題になるだろう。
☆第7条(出頭・宣誓・証言拒否)
*まさしく、正当の理由の有無が問題となる。自己負罪の可能性を認めた趣旨であれば、「正当な理由ない」とは言いにくい。(反面、文書改ざんについての犯罪の成立が事実上推定されることになりうる。)
*むしろ、「刑事訴追を免れるためでない」別の偽証の動機を積み上げることが、重要であろう。
☆佐川証人が証言拒否なら、真相を明らかに出来る他の証人を喚問しなければ、国政調査権は全うできない。
(2018年4月4日)
本日は4月3日。済州島でのいわゆる「四・三事件」に触れておかねばならない。本日が、1948年の「四・三」から70周年となる。現地の平和公園で、文在寅大統領も参加した追悼集会が行われた。
済州島(チェジュド)は気候温暖で、ピースツアー訪問時の3月26日には、桜もほぼ満開だった。のどかな田園風景が広がる島である。行政区域としては、済州特別自治道。島ではあるがとても広い。淡路より、佐渡より、沖縄本島よりも広い。島の最高峰・漢拏(ハルラ)山(標高1,950m)は、韓国の最高峰でもある。この島は、この山の噴火でできたという。金石範か「4・3事件」を題材に書いた日本語小説の題名が「火山島」である。「済州火山島と溶岩洞窟群」が、2007年に韓国初の世界自然遺産に登録されている。
この、美しくものどかな、今は観光地となっている火山島で、70年前に大虐殺があった。最も信頼できる「済州四・三平和財団」のパンフレットによれば、「7年にわたる過程での人命被害は、2万5000?3万余名」という。しかし、公的に特定された被害者数は1万4231名(後遺障害者163名を含む)。この犠牲者調査は2002年に開始された。それまでの半世紀間、事件は闇に葬られていたのだ。犠牲者の遺族は、「連座」制に苦しめられてきた。韓国民主化の過程で、ようやく真相解明と犠牲者や遺族の名誉回復が実現しつつあるのだ。
この玄武岩の島は、大戦時には全島が日本軍の要塞となっていた。中国への渡洋爆撃の飛行場があり、特攻艇震洋の基地があった。敗戦時には、7万と言われる将兵が地下要塞を張り巡らして、米軍の上陸に備えていたという。
終戦によって日本の支配から脱した朝鮮は、その南部がアメリカの軍政下に置かれた。そして、全半島一体の独立を望む勢力と、北とは分かれてアメリカ軍政下地域(現在の韓国)だけの独立国を作ろうという勢力とが厳しく対立した。チェジュ島「4・3事件」は、その対立の中で生じた悲劇である。アメリカ軍政部と、その傘下にあった李承晩政権とによる、左派ないしは統一派に対する大弾圧。それがこの事件の基本的性格と言ってよい。
実は、この「事件」に対する公式の名称はまだない。いま、漢拏山の麓に立派な記念館が建設されており、その1階の最初の展示室に、「無銘の碑」が横たわっている。「事件」に公式の名称が付されたら、それを刻するのだという。もっとも、2014年以来、「四・三犠牲者追念日」は国の法定記念日とされ、盛大な追悼行事が行われるようにはなっている。しかし、「4月3日の事件」と言うにふさわしいか疑問なしとしない。
1948年4月3日は、左派(南朝鮮労働党)の蜂起による警察署襲撃事件があった日である。もちろん、それまでの米軍政・警察・右翼による左派弾圧の前史があり、4月3日以後の、官憲と右派勢力からの残虐な報復があった。
事件の直接のきっかけは、前年47年3月1日(独立節)に起きた。デモ隊への警察の発砲によって6人の死者が出た。これに、大規模な抗議のゼネストが敢行されると、警察は左派幹部の「検束」で応じた。47年の「三・一」から、48年「四・三」までの1年間での検束者数は2500人にも上ったという。
4月3日以後、警察と軍では、蜂起派に対する対応が異なっていた。
軍隊(第9連隊)は、蜂起が極右勢力の横暴によって惹起されたものとの見方から、平和的な解決を方針とした。蜂起派に帰順を呼びかけ、山中にあった左派に帰順を呼びかけ、いったんは「武装解除と下山すれば罪を問わない」との合意が成立したが、米軍政司令官の武力鎮圧方針決定で壊れた。
大韓民国独立のための「単独選挙」は1948年5月10日に行われ、チェジュ道のみが投票率が過半数に達せず無効となった。李承晩政権は同年8月に発足したが、「赤い島」を徹底して弾圧した。
そのやり方は、「日本軍の三光・三尽作戦」に範をとったと言われる「焦土化作戦」であった。海岸線から、5キロの線を引き、それ以内の山林にひそむ者を皆殺しにするという苛烈なもの。焼かれて廃墟になった村は300余。消失棟数は4万に及んだという。
この事態は、1950年6月の南北戦争(朝鮮戦争)間も続き、1954年9月道警察が、漢拏山禁足地域指定を解除したことで終熄したとされる。47年3月1日から数えて、7年半である。しかし、その後も事件の後遺症が継続したことは前述のとおりである。
本日配信の共同記事は、要領よく次のとおりまとめている。
【済州島共同】韓国南部の済州島で1948?54年、島民数万人が軍などに虐殺された「4・3事件」の発生から70年となる3日、済州島で犠牲者の追悼式が開かれた。惨劇を知る遺族ら約1万5千人が参列。文在寅大統領は「国家の暴力によって苦痛を与えたことを改めて深く謝罪する」と演説した。日本からも遺族の在日韓国・朝鮮人らが参列した。
大統領の出席は、2006年の盧武鉉大統領以来2回目。事件は、朝鮮半島の南北分断体制の固定化に反対する左派勢力の一部が蜂起したことが発端で、長らく「共産主義者の暴動」と見なされ、遺族も社会的に疎外されてきた。」
また、昨日(4月2日)の毎日の記事。
「日本の植民地支配からの解放後、朝鮮半島北部は旧ソ連、南部は米国が統治していた。新しい国造りを巡り、南部だけの単独選挙が実施されれば分断が固定化するとして反対する勢力が武装蜂起し、警察署や選挙事務所を襲撃。これに対し軍や警察が「焦土化作戦」で鎮圧に乗り出し、村を焼き払い住民を虐殺した。
その後、軍事独裁政権が続き、事件は「共産主義者の暴動」と見なされ、犠牲者の遺族も社会的に疎外されてきた。高さんは「学校を出ても『連座制』で出世できず公務員にもなれない。どこへ行っても『アカ』呼ばわりされた」と振り返る。
今年に入り南北関係は急速に好転し、南北首脳会談も予定される。政府の調査委員会で真相究明に当たった経験を持つ済州4・3平和財団の梁祚勲(ヤン・ジョフン)理事長は「70年前の済州島民は統一された祖国を望んだことで、おびただしい犠牲を払った」と指摘。「今後、南北問題が平和の方向に向かえば、4・3事件は(統一を望んだ蜂起と)再評価されるだろう」とみる。」
まさしく、「70年前の済州島民は統一された祖国を望んだことで、おびただしい犠牲を払った」というのが、今の韓国社会の良識が寄せる評価なのだろう。
70年前には、島民(左派)が武装蜂起を余儀なくされた。蜂起の勢力の武器は、小銃30丁だけだったという。徹底して鎮圧され、焼かれ、拷問され、殺された。その痛ましさに胸が痛む。いま、我々は、もっと強大な社会変革の「武器」をもっている。それが、表現の自由であり、政権交代のルールである。
小銃ではなく弾丸でもなく、投票用紙と言論・出版・放送の自由をこそ大切にしよう。そのことを教えてくれた、「四・三」の犠牲者を心から悼みたい。
(2018年4月3日)
皆様、ようこそいらっしゃいました。
「HEEUM(ヒウム)」とは、「希望を集めて花を咲かせる」という意味です。この歴史館は、地元の元日本軍「慰安婦」被害者の資料展示を中心に、この方たちの痛苦の歴史を忘れずに記憶し、日本軍「慰安婦」問題の正当な解決を目指す「実践型歴史館」であり活動拠点なのです。その活動を通じて、ハルモニ(おばあさん)たちの願いであった《平和》と《女性人権》が尊重される、「希望の花」咲く社会を作ることを目標にしています。
大邱(テグ)の中心街に建設されたこの歴史館の開設は、2015年12月です。日本軍「慰安婦」被害を記憶しておこうという趣旨の施設としては全国で4番目のものになります。
最初の日本軍「慰安婦」被害関連の歴史館は京畿道広州(クァンジュ)の「ナヌムの家」にある「日本軍慰安婦歴史館」で、1998年にできたもの。次が、釜山水営(スヨン)区の「民族と女性歴史館」(2004年)。そして、ソウル麻浦(マポ)区の戦争と女性人権博物館(2012年)。大邱のヒウム歴史館は、これらに続くものです。
元「慰安婦」被害者には法にもとづく登録制度があります。これまでの登録者は累計238名となっています。その内、大邱近郊の方が28名いらっしゃいますが、そのうちの過半の方が家族のないままに寂しい暮らしをして来られました。私たちは、ボランティアとして、そのようなハルモニの生活のお手伝いをすることから始めて、「挺身隊ハルモニと共にする市民の会」を作り、市民運動としてこの歴史館建設を思い立ちました。
「市民の会」は2009年12月に「歴史館建設推進委員会」を立ち上げ、翌年から市民募金活動を始めました。ヒウムのブレスレットやバッグを販売して収益金を集めました。10年1月に大邱の病院で亡くなったハルモニのお一人、故キム・スンアクさんは生前、「大邱に日本軍慰安婦歴史館を作ってほしい」と5千万ウォンを遺言で寄付されました。国と大邱市がそれぞれ2億ウォン、大邱中区が4千万ウォンを拠出し、他のハルモニも寄付をされて、合計13億ウォン(約1億3000万円)を超す資金を得ました。こうして、6年後に会館建設に漕ぎつけました。
大邱は、ソウル・釜山・インチョンに次ぐ韓国第4の大都市です。その中心部中区西門路に1920年代の2階建日本風建物を購入して、展示館に改修しました。敷地が214.45平方メートル、歴史館の1階181平方メートルは展示室と事務室、2階101平方メートルは展示室や教育館として作られています。展示室には、日本軍慰安婦に関連する写真など歴史資料が備えられています。また慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)たちの写真や証言を含め、日本軍慰安婦問題解決過程も説明されています。
この歴史館開館までに、相当数のハルモニの方が亡くなられています。また、当然のことではありますが、生存者も高齢化しています。何とか早期に、正義に則った解決を願っています。
この歴史館の開館は、ハルモニたちの慰めになっていると思います。また、韓国社会が被害者たちの苦痛を忘れず記憶することに寄与していると思います。大切なことは戦争をなくし平和を築くこと。そして、女性の人権が尊重される社会を作ることだと考えています。
いまご質問がありました「日本軍『慰安婦』問題の正当な解決」についてですが、開館以前は、この歴史館の設立の趣旨を、「日本軍『慰安婦』問題の解決」としていました。開館建設運動の議論の中で、単なる「解決」ではなく、「正当な解決」が必要だと考えるようになりました。皆様に配布したリーフレットには、「正当な解決」と記載されています。
ところが、開館直後の2015年12月28日に、慰安婦問題「韓日合意」が成立したと報じられて以来、議論を継続しています。「正当な解決」では不十分ではないか、端的に「正義の解決」が必要ではないか。あるいは「人類の目指す方向に基づく解決」ではどうかという議論です。
具体的な要求は、誰に対するどんな内容かということですが、2014年6月2日に採択された「第12回・日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議決議」が韓国だけでなく、関係各国の市民運動の共通スローガンとなっています。その内容は、当歴史館に展示もしていますが、日本政府に対するもので次のとおりです。
日本軍「慰安婦」問題解決のために日本政府は
1.次のような事実とその責任を認めること
? 日本政府および軍が軍の施設として「慰安所」を立案・設置し管理・統制したこと
? 女性たちが本人たちの意に反して、「慰安婦・性奴隷」にされ、「慰安所」等において強制的な状況の下におかれたこと
? 日本軍の性暴力に遭った植民地、占領地、日本の女性たちの被害にはそれぞれに異なる態様があり、かつ被害が甚大であったこと、そして現在もその被害が続いているということ
? 当時の様々な国内法・国際法に違反する重大な人権侵害であったこと
2.次のような被害回復措置をとること
? ? 翻すことのできない明確で公式な方法で謝罪すること
? ? 謝罪の証として被害者に賠償すること
? ? 真相究明:日本政府保有資料の全面公開
? 国内外でのさらなる資料調査
? 国内外の被害者および関係者へのヒヤリング
? ? 再発防止措置:
? 義務教育課程の教科書への記述を含む学校教育・社会教育の実施
追悼事業の実施
誤った歴史認識に基づく公人の発言の禁止、
および同様の発言への明確で公式な反駁等
この具体的な要求に照らして、15年12月28日の韓日合意は、まったく不十分なものだと思っています。何よりも大切なことは当事者である被害者本人の意思を尊重することのはずですが、そのような配慮はまったくなされていません。被害者の意思の反映なき合意は無効だというのが、運動体の意見と言ってよいと思います。
私たちは、韓国政府に、「韓日合意」の無効化を宣言せよと要求しています。折良く政権も交代し、事実上合意の無効化はできていると言ってよいのではないでしょうか。
なお、ご質問のありました強制性の問題ですが、狭い意味での「暴力的強制」の有無を問題することは、極めて意図的な議論の仕方ではないでしょうか。日本軍「慰安婦」とされたきっかけとして圧倒的に多いケースは、就労詐欺です。貧しい女性の勤め口をあっせんすると言って連れ出して、戦地に送るという手口です。いったん、戦地に送られてしまえば、拒否の自由などあり得ません。これが、強制でなくて何でしょうか。
また、ご質問がありました世代間の記憶承継の問題ですが、何よりも勇気をもって、被害を受けたご本人が名乗り出たことが大きな役割を果たしたのだと思います。
1991年金学順さんが、名乗り出たハルモニの第1号となりました。それまで、どなたも名乗り出ることはできなかったのです。それ以来、問題は解決済みだとする日本側との厳しい対決が始まりました。若い人々にも、関心が高い問題となりました。
そして、憲法裁判所の果たした役割が大きかったと思います。
2011年8月30日、韓国の憲法裁判所は、韓国政府が日本軍「慰安婦」被害者の賠償請求権に関し、具体的解決のために努力していないことは「被害者らの基本権を侵害する違憲行為である」との注目すべき決定を出しました。それ以来、政府には「具体的解決のために努力すること」が義務づけられ、小学校5年生、6年生の教科書にこの問題が掲載されるようになりました。
また、もう1300回を超えたソウルの水曜デモですが、一時は参加者が2?300人の規模でした。それが、憲法裁判所決定のあとは、10倍の規模になっています。韓国では、若者もこの問題はみんな知っています。関心をもっています。この歴史館を建設する運動にも、多くの若者が関わっています。
本日おいでの日本の皆様を拝見すると、高齢の方が多いご様子で。日韓の若い世代の意識のギャップがこれ以上広がらなければよいのですが…。
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上記は、日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。18年3月29日・木曜日の大邱「HEEUM(ヒウム)日本軍『慰安婦』歴史館」館長の説明に、若干の補充をしたもの。
展示の資料の中に、故キム・スンアクさんの「日本軍『慰安婦』認定証」が飾られていた。彼女は、生前からこれを額に入れて大切にし、毎日これを清掃していたと、説明を受けた。この認定証に対する思いは、ハルモニそれぞれに複雑であるという。中には、認定を受けたことを秘密にしている人もあるという。もちろん、日本軍「慰安婦」であったことをひたすら隠し通したのが、圧倒的多数なのだ。
キムさんは、不幸な過去を隠すのではなく、この繰り返してはならない不条理な出来事を多くの人に知ってもらおうと決断したのだ。その決断の重さは、余人には計り知れない。認定証は、キムさんの後戻りできない決断の証しであったろう。キムさんは、自分の決断の正しさを認定証の清掃で確認し続けたのではないだろうか。
この旅のあちこちで、「両国政府はともかく、両国市民の連帯と友好を深めよう」と語り合った。この日も、館長の説明に、ピースツアー参加者一同、大いに肯いた。アベ政権の「これをもって不可逆的解決」という傲慢さに対する批判が、日本側から次々と発言された。
私には、「女性の人権尊重」が、常に「平和」とのセットで語られていたことが印象に深かった。「戦時のことだから仕方がない」などという言い訳を許してはならない。最も弱い立場にある者の人権を悲惨に蹂躙する戦争を許してはならないのだ。
(2018年4月2日)
4月1日。当ブログの連載開始記念日である。いわば「憲法日記」の誕生日。
2013年4月1日生まれの当連載ブログは、本日で満5歳となった。日齢では、昨日(18年3月31日)が、[365×5+1]=1826となり、本日が連続1827日目の毎日更新ブログとなっている。
実は、この「憲法日記」誕生の以前に3か月間の胎児期がある。日民協のホームページの一隅を間借りしていた期間。そもそもの始まりは、第2次アベ政権の発足である。右翼・極右勢力に支えられた、安倍晋三の第1次政権が短命で終わったことに胸をなで下ろしていたところ、ゾンビの如く息を吹き返したのが、2012年12月16日の第46回総選挙。この選挙で自民党は第一党に返り咲き、総裁安倍晋三は、12月26日に第2次安倍内閣の組閣をした。
アベこそは歴史修正主義の権化であり、軍事大国化路線の推進者。戦後レジームを否定して、国家主義の戦前日本への復古主義勢力の頭目。日本国憲法の天敵である。アベが政権を去るまでは、憲法擁護のブログを書き続けようと開始したのが、2013年1月1日。この「旧憲法日記」は、窮屈な間借り生活から飛び出して、4月1日から、今日の形で連載を始めた。以来、満5年。1826日になる。
思いがけなくも、安倍政権が長期政権となって、「憲法日記」も長期連載となった。この間、護憲勢力はアベ政権を倒せなかったが、改憲の実現も許してはいない。一進一退のせめぎ合いを繰りかえしながら、勝負のつかない5年間。だから、このブログが続いているのは、目出度くもあり、忌まわしくもあるのだ。
だが、そのせめぎ合いにも、終わりが見えつつあるようだ。いま、右翼勢力は、「アベ在任中に改憲できなくては、改憲の機会を永遠に失する」との焦慮が見える。来年(2019年)7月の参院選では、改憲勢力が3分の2の議席を割る公算が高い。また、彼らにとっては神聖な天皇代替わり儀式のスケジュールは、その以前の5月から始まる。改憲発議と国民投票は、あと1年が期限となるが、とてもそれが可能とは思えない。
昨日(3月31日)澁谷の駅頭で、「日の丸」を林立させた異様な集団が、「安倍内閣を支えよう」街頭宣伝行動をやっていた。現政権は、こんな連中に支えられているのだ。こんな連中しか支えてくれる者がないのだ。右翼が蠢動すればするほど、アベ政権の何たるかが鮮明に見えてくる。
少しの時間だったが、聞き取りにくい彼らの訴えを耳にした。伝わってきたのは彼らの焦りだ。
「残念ながら安倍政権には、確かにいろいろな問題があります。その是正はしてもらわねばなりません。しかし、それは実は大きな問題ではない。今この風雲急を告げる安全保障環境悪化の中で、日本というこの国家の運命を託せるのは、安倍総理しかいません」「皆さん、大切なのは日本という国家ではありませんか。この国家を北朝鮮や中国の攻撃から断固として守らねばなりません。」「多くの人が、安全保障については、憲法の枠内で専守防衛の路線が正しいなどとと言っています。しかし、専守防衛とは、北朝鮮や中国からミサイルが飛んできたとき、その第一撃は甘受しなければならないという考え方です。これでよいでしょうか」「今必要なのは、憲法に束縛された専守防衛論ではなく、これを乗り越えた国防体制です」「これができるのは、安倍総理を措いて外に誰がいるでしょうか」
アベは、右翼・極右から、こんなふうに期待されているのだ。というよりは、これらの右翼と一心同体なのだ。だから、けっしてその政権を存続させてはならない。
当ブログ「憲法日記」は、安倍政権が倒れるまでは、今後も書き続ける。
(2018年4月1日)
日本領事館の正門側にあると思っている方が多いようですが、このとおり、領事館の裏側になります。この歩道に面した高い擁壁の上が領事館の裏庭です。いま、桜が満開ですね。あっ、桜の木の陰に隠れて領事館員がカメラで皆さんを見下ろして、写真を撮りましたね。そして直ぐに隠れました。皆さん、注目されているようですね。
この少女像の髪形は、当時の女性の短髪ですが、こんなに短くなっているのは、家族や社会から縁を切られたという悲しみを表現したものだそうです。また、靴がなく裸足で、しかも踵が浮いていますね。歩いて行く宛のない、不安定な気持と立場を象徴していると聞いています。となりには、椅子があります。力を貸してくれる方、寄り添っていただける方にお座りいたくための椅子です。どうぞ、あなたもこの椅子に座って写真を撮ってください。
ソウルに続いて、釜山のこの少女像が大変有名なりましたが、この像は全国にどんどん増えていますから、いくつあるのか誰も正確には分からないじゃないですか。国内だけで100近く。アメリカやヨーロッパなど、外国にもいくつかできていますよね。
2015年12月の日韓合意で、「韓国政府はこの少女像を撤去しなければならない」とされたようですが、それはもう絶対に無理なことですね。日本の安倍さんたちが韓国の政府に、「この像を撤去しなさい」と言えば言うほど、像の数は増えることになると思いますよ。
私思うんです。人間って、面白いもんですね。ああしろ、こうしろと、押しつけられれば、却って反発するじゃないですか。激しく燃え上がるじゃないですか。ロミオとジュリエットだって、両家に反対されたから、あんなに燃え上がったじゃないですか。
日本の安倍さんが、「国家と国家の約束を守りなさい」とか、「約束だから像を撤去しなさい」なんて言うのは、ますます韓国の人々を刺激するだけですね。何にも言わず、じっとしているのが、安倍さんにとっては、一番いい方法じゃないですか。どうして、そんなことが分からないですかね。
また安倍さんが何か言ったり、何かしたりすればですよ。その都度に「なぜ、こんな像が造られたのか」「こんな像を造らなければならない理由は何だったのか」と、韓国のみんなが、また改めて思い出すことになるじゃないですか。
あっ、韓国のポリスが2人出てきましたね。さっき上から皆さんの写真を撮っていた領事館員が通報して、ポリスが出てきたんですよ。皆さん、やっぱり注目されているんですね。
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4泊5日の韓国ピースツアーを昨夕で終えた。
韓国民衆のさまざまな運動を垣間見てきた。その熱気の一端に触れて、もらった熱い思いが冷めやらない。韓国の運動から、枯渇しかかっていたエネルギーの補充を受けた感がある。どこの運動にも、さまざまな歌と踊りがあった。ともに唱い踊ることで、自分を励まし連帯を確認するのだ。その歌と踊りが、底抜けに楽天的なことが、印象に残った。追々、当ブロクに韓国市民運動見聞録を掲載したいと思う。
上記は、釜山領事館の「少女像」についての、ガイドの解説の概要。軽妙で洒脱な日本語の語り口を堪能した。この「テーマのある旅」の充実度を決定する要素の半分は企画の出来具合で、あとの半分は現地ガイドの能力といってよい。韓国本土を担当したこの旅のガイドの通訳能力だけでなく、社会や政治の論評の確かさに脱帽した。
この旅行の企画は、ユーラスツアーズ
http://www.euras.co.jp/
http://www.euras.co.jp/tour/korea-peacetour2018/
もともとは、「旧ソ連・ロシアへの旅行、留学に特化したサービスで57年以上の実績」という旅行社で、「ロシア旅行を知り尽くした当社だけが出来る”わがままツアー”を実現します」と、ロシア旅行が専門だが、ヨーロッパも、中東も、中国も韓国もベトナムのツアーも企画している。
現地の運動体との連絡や交流の設定は難事だと思うがよくやってくれたと思う。そして得がたい現地ガイドも、この旅行社を通じて依頼できる。観光旅行ではない、テーマのある旅行を望む方にお薦め。
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旅を終えて、日常が戻ってきた。
本日(3月31日)は、都立学校教員らの「日の丸・君が代」強制問題についての、卒業式総決起集会。そこで、「憲法的価値の根源は個人の尊厳であって、国家ではない」「個人のために国家があるのであって、国家のために個人があるのではない」「にもかかわらず、国民個人に対して、国家の象徴である『国旗・国歌(日の丸・君が代)』に敬意表明を強制できるはずはない」と発言。
夕刻は、加藤良雄著「学校がキライな君へ」の出版記念会。
加藤さんは、東京「君が代」裁判・第4次訴訟の原告団代表。定時制高校勤務時代の生徒との交流を語り、その生徒との関わりが、生徒の卒業後も加藤さんが定年退職後も連綿と続くことに驚く。その本の帯に「先生の生徒で本当によかった」というある生徒からのメールの一節が記されている。この一言、教師の勲章と言ってよい。
「学校というものの存在価値の根源は生徒の学ぶ権利であって、経営主体ではない」「生徒のために学校があるのであって、学校のために生徒があるのではない」「だから、生徒に対して、学校の都合を押しつけてはならない」
私も、学校が好きではなかった。今にして思えば、その理由は束にされて扱われることに抵抗感があったからだ。
この著書に表れた教師・加藤良雄の、手のかかる生徒に対する向き合い方は、なかなかできることではない。束にしたクラスを相手にするのではなく、一人ひとりの生徒の人格に向きあう。その実践記録である。定時制とは、こうも個性にあふれた生徒を擁しているのだ。
「日の丸・君が代」強制に服することができないという教師には、このような真面目な教育実践をしている人が多いのだ。でもしかの教師には「日の丸・君が代」強制に服従しがたいという動機があり得ない。もちろん、訴訟にはこの書物を丸ごと書証として提出している。
(2018年3月31日)
2018年3月30日・金曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の5日目で最終日。本日は釜山の町を見学し、夕刻釜山空港から成田に。本日のブログも出発前に東京で書いた5件目の「予定記事」。
本日のテーマは、重い「日本軍『慰安婦』を中心とする歴史認識問題」。話題の総領事館前「少女像」との面会。そして、もう少し時代を遡った、「朝鮮通信使博物館」の見学などがスケジュールに入っている。
思えば、我が国にとって、長く朝鮮半島は文化薫る、尊敬すべき地であった。応神天皇の昔、百済の王仁博士が「論語」と「千字文」をもたらしたことをもって、我が国の文字文化の発祥とする伝承が定着している。上野公園の散歩では、清水観音堂の裏手に立つ、「王仁博士記念碑」とその由来を記した副碑を見ることができる。
やや下って、桓武天皇の生母も、百済の武寧王を先祖とする氏の出身と古事記にある。その内容の正確性如何が問題ではなく、そのように公定の歴史書に書かれていること自体が重要なのだ。
ところが、この先進文化の地というイメージは江戸時代までのことで、明治期にガラリと変わることになる。侵略先として、まずは朝鮮をターゲットとした公権力が意識的に、朝鮮に対する差別意識を醸成したのだ。日本人に、その根が深いことが恥ずかしい。日本に最も近い大都会・釜山で日本との交流の跡を見つめたいと思う。
いま、韓国の自立した市民運動には、学ぶべきところが多々ある。この5日間で、多くのことを吸収しよう。
その旅も、今日で終わる。さて、5日間で少しは見聞を広め得ているだろうか。少しは賢くなっているだろうか。夕刻釜山を発って成田に無事到着の予定。明日からは、仕事が待っている。リアルタイムでのブログの掲載もはじめよう。
(2018年3月30日)
2018年3月29日・木曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の4日目。本日は大邱から釜山へ。今日のブログも出発前に東京で書いた4件目の「予定記事」。
本日のテーマは、午前中が「歴史認識問題?日本軍『慰安婦』について」、そして午後が反原発である。今日も大忙しの日程。
午前中は、大邱「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」見学と運動団体との交流。そして、午後は陸路釜山へ。到着後、古里(コリ)原発の見学と反原発団体との交流。
「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」は2015年の建設。市民運動の成果が結実したものだという。「ヒウム」とは、「希望を花咲かせる」という意味とのこと。慰安婦被害者26人の苦難の生涯と活動が紹介されているという。
慰安婦問題の市民運動に携わっている人々との意見交換が楽しみ。日韓合意問題や、真の解決のありかたについて、現地の声に耳を傾けたいと思う。
韓国・古里(コリ)原発は、韓国初の商用原発。これが、1990年から97年まで、「世界で最も多く放射性物質を排出した原発」とのこと。その事故の隠ぺいを告発し、廃炉を求める運動の主体となっているのが、環境団体「環境運動連合」。原発事故の問題と影響についての意見交換が予定されている。
これは韓国ピースツアーに、意外なテーマ。とても興味深い。本日は釜山泊(の予定である)。
(2018年3月29日)
2018年3月28日・水曜日。日本平和委員会が主催する「韓国ピース・ツアー『4.3事件』から70年」の旅の途上、韓国南部の大邱(テグ)を出発して陜川(ハプチョン)、星州(ソンジュ)を回る。今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。
このツアーの理念についての惹句はすごい。
「米軍基地反対・サード配備阻止、非核平和実現へ向けての連帯と日本軍『慰安婦』問題解決へ」というのだ。最前線で平和のために今、闘う人々との連帯。
本日が、一番盛り沢山の日。忙しそうだ。
早朝陸路慶尚南道の陜川(ハプチョン)へ。ここは、広島で被爆した多くの人々が住む町。かつて、この町から広島に渡った成功者があったという。この町の出身者の多くの人が、その伝手を頼って本土に渡り、広島に住んだ。そして、8月6日の悲劇に見舞われる。現在、在韓被爆者は2500人。その内600人が、ここハプチョンの居住者。「韓国の広島」の異名がある。
午前中はその町で、昨年(2017年)完成した原爆資料館の見学と被爆者救援・核廃絶に向けての運動団体との懇談が予定されている。
午後は「THAAD」配備が問題となっている星州(ソンジュ)へ。ここで、「THAAD」配備反対運動をしている住民と交流が予定されている。
星州(ソンジュ)は、伝統家屋が残る素朴な農村。朴槿恵政権の時代、そこに米軍の高高度迎撃ミサイルTHAADの配備が強行され、現在なお、反対運動が継続している。
なお、このツアーの「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談
テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国に残る軍国主義である。
夕刻陸路大邱へ戻り、大邱での2泊目となる(予定である)。
(2018年3月28日)
2018年3月27日・火曜日。今日も昨日に続いて、「韓国ピース・ツアー 『4.3事件』から70年」の旅の途上、済州島にある。だから、今日のブログも出発前に東京で書いた「予定記事」。
本日東京では、衆参両院で佐川宣寿の証人喚問が行われる。議院証言法に基づいての宣誓の上での証言。嘘は言えない。黙る権利はあるものの、黙れば事実の解明には至らない。だから、ダンマリさせて幕引きとはできない。
事実の解明に至るまでは、安倍昭恵にも、谷査恵子にも、迫田英典(前理財局長)にも、酒井康生(弁護士)にも、きちんと証人としてお出ましいただなくてはならない。
佐川証言の聞き所は、文書改ざんの動機が政権とどう関わっているかである。明らかな犯罪行為をしでかすのだ。行動に慎重なはずの公務員が、よほど切実な動機がなくては重要な公文書の改ざんに手を染めるはずはない。しかも、局内あるいは省内でのチームを作っての大規模な作業だ。常識的に、官僚個人の判断でのこととは考えられない。財務大臣以上の政治家の容認なくしてはあり得ない。直接の指示が誰から出たのかはともかく、究極的には政権の意向であることを確認せずに、これだけのことができるはずはない。
さて、韓国ピースツアー。旅のコンセプトは、次のとおり壮大なものだ。
「日本植民地支配下の実態や解放後の朝鮮自主独立に対する米軍の弾圧・虐殺の歴史を学びつつ、日本軍「慰安婦」問題の解決へ向けた交流、北東アジアの非核化実現と日韓両国の『米軍基地強化阻止』の連帯を深めます」
この旅の「魅力とポイント」は、次のようにまとめられている。
1 北東アジアの非核平和実現へ向けて、「韓国の広島」と呼ばれるほど被爆者の多い場所で懇談・交流
2 日本軍占領下の実態と占領解放後の朝鮮統一を米軍が弾圧した「4・3事件」ゆかりの地をめぐる
3 日本軍「慰安婦」問題解決を前進させるための懇談
4 済州島の軍事基地建設を阻止する運動を継続する団体と交流・懇談
5 米軍の迎撃ミサイルシステム強行配備に反対する住民との交流・懇談
テーマは、反核・「4・3事件」・従軍慰安婦・基地反対・サード配備である。それぞれの問題の加害者は、日本の植民地主義・アメリカの帝国主義・そして韓国の軍国主義である。
ツアー2日目の本日のテーマは、「祖国の統一と民主化のために市民が闘った『4・3事件』」となっている。
*「4.3」平和公園(記念館・慰霊塔・広場)訪問
* カマオルム平和博物館(日本軍が駐屯していた坑道陣地)見学
*「4・3事件」の虐殺地「ソダルオルム」訪問
* 海軍軍事基地建設阻止を掲げる運動との懇談
* サード配備全面破棄・4.3抗争70周年精神継承の人たちと「基地反対」についての交流
夕刻空路済州島から釜山に。そして陸路大邱へ。大邱泊となる(予定である)。
(2018年3月27日)
2018年3月26日・月曜日。早朝の成田発済州島行きの大韓航空機で韓国に出立する。4泊5日。月曜の朝から金曜の夕刻まで、今週は最も近い異国を旅する。
日本平和委員会が企画した「韓国ピースツアー『4・3事件」から70年」。総勢24名の団体旅行。主な訪問地は、済州島、大邱・陜川(ハプチョン)・星州(ソンジュ)・古里(こり)、そして釜山。ソウルには行かない。名所旧跡・観光地にも近づかない。ショッピングもエンタテインメントも予定されていない。ひたすら、現地の戦争の爪痕を見て歩き、平和運動との交流だけが予定されている。
ということで、今週の月曜から金曜日までの5日間、憲法日記を書く暇はない。手許にパソコンもない。そこで、今日から5日間は、全て事前に書きためた「予定記事」の掲載である。
ある晩、親しい吉田博徳さんからお電話をいただいた。韓国へのツァーに参加しないかというお誘い。聞けば、2名一室での同宿相手がキャンセルになった。1人部屋では、せっかくの旅行が寂しくなる。同宿者として、ご一緒しないかというありがたいお誘い。これは、断れない。日程を調整して参加申込みをした。
吉田さんは、去年まで日朝協会都連会長の任にあった人。韓国訪問は、50回にも及ぶという。韓国語も達者だ。こんな便利な同宿者はほかにない。いろんなことを教えてもらえる。
吉田さんは、1921年6月23日生まれで、現在96才。もうすぐ97才になる。が、年齢を感じさせないその矍鑠ぶりは人間離れしている。身体も達者だし、好奇心が旺盛。昨年は、ロシア革命100周年の故地を尋ねる旅にお誘いを受けたが、日程調整できなかった。今度は、4泊5日の同宿で、長寿と元気の秘密を探る機会でもある。
私は、韓国訪問は2度目。前回は、日民協の韓国司法制度調査の旅だった。メインは、韓国憲法裁判所の訪問。気候と天候に恵まれた心地よい旅行だったが、このときも吉田さんとご一緒だった。
中国旅行は漢字の世界、漢字なら読める。しかし、まったく読めないハングルの世界は、勝手が違って戸惑うここと甚だしい。それでも、韓国の町と人々が作り出している雰囲気は、穏やかで好ましいものだった。
ところで、本日(3月26日)のテーマは、「日本占領下の済州島の歴史とゆかりの地訪問」。アルト飛行場跡(南京爆撃の際に使われた飛行場跡)、松岳山(旧日本軍の地下壕跡)、特攻艇「震洋」の格納庫跡、などを訪ねる。
まったく知らなかったが、済州島南部に辺野古同様の海軍基地建設が強行されており、激しい抵抗運動があるという。現地を見ての感想は、帰国後に書き綴ることとしよう。
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緊急声明 自民党改憲案の問題点と危険性
はじめに
昨日3月25日、自民党大会が開催され、憲法改正の基本的な方向性が確認された。もともと同党は、この大会で党としての改憲案をとりまとめ、今年中の改憲発議にはずみをつける思惑であった。ところが、財務省による森友学園への国有地売却にかかわる決裁文書の「改ざん」問題や、「働き方改革」法案における誤ったデータを根拠とした裁量労働制拡大部分の撤回、自民党議員が介入してなされた公立中学校での前川喜平氏の講演会に関する文部科学省の調査など、国民主権と議会制民主主義の根幹を揺るがす安倍政権の失態が相次ぐ中、確定案の策定までには至らなかった。しかし、昨日の自民党大会で明らかにされた改憲の基本的な方向性について、それらの問題点と危険性を指摘して世に問うことは、法律家としての使命であると考え、以下、表明する。
1.どれも現行規定を死文化させる9条改憲
自民党の「憲法に自衛隊を明記する」改憲案は、この間、?9条1項と2項を維持し「自衛隊」を明記、?9条1項と2項を維持し「自衛権」を明記、?2項を削除し「通常の軍隊」を保持の3案が検討されてきた。3月22日の同党憲法改正推進本部の全体会合では、具体的な条文案は?の方向で党大会後にとりまとめる方針となり、その作成は本部長に一任された。しかし、これらは、いずれも現行の9条2項を死文化させ、1項を変質させるものである。?がいう「自衛権」には集団的自衛権が当然に含まれる。?の「2項削除、軍隊保持」は現行9条を明示的に否定するものである。?の場合でも、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な(自衛の)措置をとる」と憲法に明記される自衛隊は、今でも違憲性が疑われている安保法制による活動が合憲化されるばかりか、それを超える海外での武力行使さえも可能となる。こうして、9条2項は維持されても、「後法は前法に優る(を破る)」との法の一般原則に従って、9条の2により実質的に死文化する。
いずれの案を採用しても、安倍首相が言うような「自衛隊の任務・権限は変わらない」、「自衛隊違憲論争がなくなる」などということはありえず、むしろ現行9条の下では政府自体も否定している「集団的自衛権の全面的な行使」や「海外での武力行使」が可能となる。自民党の9条改憲案は、現行憲法とその下で制定された安保法制ではできないことを可能にするためのものにほかならず、このことを決してあいまいにしてはならない。
2.いつでも武力攻撃時に適用可能な緊急事態条項
自民党の「緊急事態条項」に関する改憲案は、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」の際の内閣による政令制定権(非常事態権限)と国会議員の任期延長について定めている。しかし、大地震などの自然災害に対応するための措置権限であれば、すでに災害対策基本法や大規模地震対策特別措置法などによって規定されており、憲法で、内閣に立法権を委ねることなどあってはならない。
また、この「緊急事態条項」は、自然災害にとどまらず、軍事的な緊急事態における内閣の権限拡大と人権の大幅な制限に適用される危険性がある。現に下位法たる「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)では、武力攻撃によって生じた災害を「武力攻撃災害」と呼んでいる。自民党の改憲案における「その他の異常かつ大規模な災害」からこの「武力攻撃災害」が除外される保証は今のところ見当たらない。
3.選挙制度の基本原則を破壊する「合区解消」改憲案
自民党の憲法47条改正案では、参議院選挙での「合区」解消や、衆議院選挙での小選挙区間の「一票の価値の平等」の要件緩和が画策されている。しかし、これらは、憲法14条、44条に基づく「選挙権の平等」や、憲法43条が規定する衆参両院議員の「全国民の代表」性という、国民主権の下での選挙制度における基本原則を著しく損なうものである。
これらの原則に則りながら、国会議員と有権者との間の近接性の確保や選挙区割における行政区画や地域的な一体性に配慮することは、議員の総定数の見直しや選挙制度の抜本的な改革によって可能なはずであり、それは憲法改正ではなく法律改正で実現できる。以上の理由から、自民党の47条改憲案は、憲法の基本原則に背馳するとともに、かつ法律改正で可能なことを無理に憲法改正事項とするものである。
4.教育の充実につながらない26条改憲案
もともと「高等教育を含む教育の無償化」という謳い文句で提起された26条改憲案は、いつのまにか「教育環境の整備」に向けた国の努力義務規定に変質した。「高等教育を含む教育の無償化」それ自体は、国際人権A規約を批准した際に13条2Cにつけた留保を撤回した今では、国会と内閣がその気にさえなれば、憲法改正によらずとも法律や予算措置で可能であり、そのような施策の実現を強く望む。
他方、今回の自民党の26条改憲案では、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである」と規定することで、国民の教育を受ける権利を定めた現行26条に対して、国家の教育権限を強調するものとなっている。前述の学校主催の講演会に対する文科省の調査などに鑑みて、自民党の改憲案は、教育に対する政治介入、国家統制の拡大を招く危険性があり、かつそれを意図したものと読まざるを得ない。
結語
以上、今回の自民党大会を通して明らかになった同党の改憲の基本的な方向性は、いずれもが、改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の平和主義、国民主権、議会制民主主義、基本的人権の尊重などの基本原理を変質させ、破壊する性格の強いものである。こうした改憲案が現実のものになれば、「現在及び将来の国民に対し」て「信託」された日本国憲法の基本的な価値は大きく損なわれる。そのような改憲を断じて許してはならない。
私たち法律家6団体は、これらの案が基となる改憲発議を許さないための大きな国民世論を「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が提起する3000万人署名の早期達成によって作り上げること、そのために全力を尽くすことを、現在及び将来の国民に対する法律家の責任として、ここに声明する。
2018年3月26日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
社会文化法律センター ? 共同代表理事 宮里 邦雄
自 由 法 曹 団 団 長 船尾 徹
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議 長 北村 栄
日本国際法律家協会 会 長 大熊 政一
日本反核法律家協会 会 長 佐々木猛也
日本民主法律家協会? 理 事 長 右崎 正博
?(2018年3月26日)