辛淑玉さんが、ジャーナリスト石井孝明を被告として、名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。一昨日(3月16日)のこと。名誉毀損言論の媒体はツイッター、請求金額は550万円。
BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会が、DHCテレビ制作のデマとヘイトの情報番組「ニュース女子」放映に関して、辛さんの名誉を毀損する人権侵害が成立すると認めて、TOKYO MXに対して再発防止の勧告をおこなったのが、3月8日。ところが、その後も辛さんに対する誹謗中傷ツイッターが絶えない。そこで、代表格の石井孝明への提訴となったとのこと。
朝日の報道では、「訴状によると、辛氏は2016年11月?18年2月、ツイッターで多数回にわたり、石井氏から名指しで「縁もゆかりもない、沖縄で、総連の裏金使って訪問して踊っている」「総連?の使う工作員」などと言及された。17年10月には、ツイッターで「日本人への罵声を繰り返す外国人辛淑玉」「極右が焼き討ちしかねない」などと発言され、安心して生活する権利を侵害されたと主張している。」
訴訟における請求原因は、「被告(石井)は、その言論(ツイッター)において、『原告(辛)は、北朝鮮など外国政府から指示や資金提供を受けて、日本国内で違法な諜報活動をおこなうスパイやテロリストである』と事実を摘示して、原告の社会的評価を低下させた。」ということになる。
被告は抗弁において、この言論の公共性、公益性、そして真実性(ないしは相当性)を立証しなければならない。衆目の一致するところ、それは無理な話しだ。石井の敗訴は火を見るより明らかといってよい。
石井は、身をもって、「デマやヘイトの言論には、損害賠償の責任が伴う」という実例を示すことになる。そのことを通じて、ネトウヨ諸君に、「愚かな言論は慎むべし」と教訓を垂れる反面教師の役割を果たすことになる。
私は、この訴訟の成り行きを特別に注目せざるを得ない。その理由は、石井が「私はこの訴訟をいわゆるスラップ訴訟であると認識しています」と公言したからだ。苦し紛れにもせよ、何と愚かなことを。
これまではDHC・吉田嘉明に言ってきた言葉を、石井にも言っておかなければならない。
「誰にも、デマやヘイトを語る権利はない」「言論の自由の美名で、デマやヘイトを語ることは許されない」「デマやヘイトで他人を傷つければ、民事刑事の法的責任が問われる」
石井の如く「デマやヘイトで他人の人格を傷つければ、民事訴訟において損害賠償を請求される」のは当然のことで、不当に毀損された名誉を回復するためのこの提訴をスラップとは言わない。
スラップとは、典型的にはDHC・吉田嘉明が私(澤藤)にしたような、正当な言論を嫌って、正当な言論の萎縮を狙う、恫喝的な提訴をいう。自分の権利救済を目的とするよりは、自分への批判の言論を封殺することを目的とした提訴。多くの場合、高額損害賠償(私の場合は6000万円)をふっかけることで、恫喝の効果を狙う。辛対石井の訴訟は、スラップとはまったく様相を異にしているではないか。
以下は、下記URLで、石井自身が述べている提訴を受けての「弁明」である。
http://blog.livedoor.jp/ishiitakaaki3/archives/7759599.html分かりにくいが、小見出しもそのままに引用する
「訴状が到着してから、詳細を言及したいと思います。
目的
私はこの訴訟をいわゆるスラップ訴訟であると認識しています。
辛淑玉氏は、自分が日本に差別されたという主張、外国の力を使う沖縄独立を主張を繰り返し、在日外国人でありながら日本国内の軍事基地建設の妨害工作を支援してきました。私には人権侵害の意図はなく、彼女のその行動と発言を批判しました。
誹謗について
総連の裏金などの言及をしたとのことですが、詳細は存じませんが、実は1年ほど前に、訴訟提起の前に大半を自発的に削除しており、社会的影響はないと思われます。なぜツイッターという動きの速く、過去の検索をしない短文SNSで1年前の話を蒸し返すのか理解に苦しみます。また国会などでも、山田宏参議院議員が指摘したように北朝鮮関連団体の挺身隊対策協議会と一緒に辛淑玉氏は沖縄問題で動いています。外国人でありながら内政干渉行為を繰り返しています。これは異常な行為です。北朝鮮関係者によって基地妨害工作が行われて居るという、公的な目的の提起のための言及の一環であり、その言葉尻をとらえて攻撃するのは、おかしいと思います。
また彼女を「工作員」など、露骨に述べたものは記憶にありません。」
?また彼は、スリーパーセルの言及について「一種の冗談であり、そもそも外国勢力を利用した沖縄独立を主張する話を批判した論評です。これ以外に記録はありません。これで訴訟を起こすのは理解に苦しみます」などとも言っている。
何ともみっともない、締まらない弁明。自分の言論に責任をもつという気概が微塵もない。「訴訟提起の前に大半を自発的に削除しており、社会的影響はない」「彼女を『工作員』など、露骨に述べたものは記憶にありません」「一種の冗談」では、ジャーナリスト失格だ。ジャーナリストたる者、確固たる事実に基づいて信念にしたがった論評を展開しなければならないのだから。
石井の「辛淑玉氏は、自分が日本に差別されたという主張、外国の力を使う沖縄独立を主張を繰り返し、在日外国人でありながら日本国内の軍事基地建設の妨害工作を支援してきました。私には人権侵害の意図はなく、彼女のその行動と発言を批判しました」との一文は、拙劣ながらもこんな構造だろう。
1 辛淑玉氏は、
?自分が日本に差別されたという主張
?外国の力を使う沖縄独立を主張
を繰り返し、
(辛淑玉氏は、)
?在日外国人でありながら日本国内の軍事基地建設の妨害工作を支援してきました。
2私(石井)には
?(辛に対する)人権侵害の意図はなく、
?彼女のその行動と発言を批判しました。
石井が批判したという「彼女のその行動と発言」とは、
?の行動と、??の発言のことと理解するしかない。
「?自分(辛)が日本に差別されたという主張」
を批判することは、よほどの配慮ない限りヘイトとならざるをえない。
「?外国の力を使う沖縄独立を主張」
というまとめ方が、真実性の立証という高いハードルを乗り越えない限りデマである。
「?在日外国人でありながら日本国内の軍事基地建設の妨害工作を支援してきました。」
という決め付けはデマそのものというほかはない。このことは、BPO人権委員会勧告で明確になっていると言ってよい。
そもそも、これだけ誹謗を重ねる言論をしておいて、
「私(石井)には ?(辛に対する)人権侵害の意図はなく、」
などと開き直ることは無意味である。
「?彼女のその行動と発言を批判」の違法性阻却も免責もあり得ず、石井は謝罪と賠償をしなければならない。
なお、私は石井のことをよく知らない。ウィキペディアの以下の記載を見て、なるほどさもありなんと納得した。こんな程度の人物なのだ。
「漫画、「美味しんぼ」の東日本大震災における原発事故を反原発の視点で描いた「第604話 福島の真実その22」の中で、福島での被曝由来を思わせる鼻血描写に福島差別との批判が集まる中、石井はTwitter上で美味しんぼに対する猛批判を展開した。2014年5月7日、福島県や双葉町が版元である小学館に「風評被害」であると抗議文を送った流れを受け、石井が「(作者である)雁屋哲をリンチしましょう」とツイートしたところ一転、自身も猛批判にさらされた。批判を受けた石井はリンチの語感を誤解していたと釈明、当該のツイートを削除した。
Webサイト「agora-web」にて、精神科医の香山リカに対して「精神疾患に罹患している。」「参加している運動が外国政府から資金が提供されている。」「組織暴力団や極左暴力集団と繋がりを有している」などと書き、誹謗中傷や名誉棄損を繰り返していたとして香山が石井を提訴。謝罪文を掲載することを条件として、民事訴訟法第267条に基づく裁判上の和解が2017年2月20日に成立。石井は「私は、このような事実と異なる記事を作成し、「agora-web」上に掲載したことにより、香山リカさんの名誉を不当に傷付けたことについて、心より反省し、謝罪いたします」と自身のブログにて謝罪した。」
要するに、軽率で懲りない人なのだ。
(2018年3月18日)
おや、お久しぶり。珍しくお散歩ですか。
上野の大寒桜は満開と聞きましてね。
大寒桜と陽光はもう見頃ですね。濃い紅色がみごとですよ。待ちかねた春が来たという喜びの色。
昨日の雨で洗われて空がきれいですから、花も柳も、よく映えますな。
まったく。澄んだ青空を背景に、「花は紅、柳は緑」。この上ない日和ですね。
ソメイヨシノはまだ開いていませんが、今日東京の開花宣言だというじゃありませんか。どういうことでしょうかね。
あれは、靖国神社の境内にある標準木の開花で決めるんだそうですよ。
靖国神社とサクラですか。ぱっと咲いて、ぱっと散る。潔く死ぬことを美化するサクラというイメージですな。あまり気持ちのよいものではない。
たまたま、気象庁の手近の場所が靖国だったからと説明されていますがね。ホントのところはどうでしょうか。
そういえば、太平洋戦争での最初の特攻隊が、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の4隊でしたな。
「敷島の大和心を人問わば 朝日ににおう山桜花」という例の宣長の歌から採ったネーミングですね。
特攻で確実に死ぬ兵士を、散る桜に例えて、「朝日ににおう山桜花」と美化したわけでしょう。罪の深いことですな。
昔の兵営にはサクラが付きものと聞いていましたが、潔く美しく散れ、という押しつけでしょうかね。
押しつけではないかも知れない。もしかしたら、忖度せよだったかも知れませんな。
兵営にサクラ、靖国にサクラは似つかわしいかも知れない。校舎にさくらはふさわしいんでしょうかね。
明治期、兵制の整備と学制の整備とはほぼ同時に進行しましたが、兵制の方が少し早かった。学校体育などは兵隊の教練を意識的に真似るものだった。校舎のサクラも、兵舎のサクラを真似たものでしょうね。子どもたちは、立派な兵になることを期待されていたんですから。
そういえば、ソメイヨシノの咲くころに、新宿御苑では、安倍さんの観桜会があるそうですよ。招待状が来たという知り合いから聞きました。
えっ? 安倍さんって、話題の昭恵さんの夫のあの安倍さんのことですか。いま、花見をするような余裕がおありなんですかねえ。
夫婦で、参会者に何を語ろうというのでしょうかね。「私たちは少しも悪くない。悪いのは籠池や佐川たちで、私たち夫婦は被害者だ」って。
彼らにこそ潔く散ってもらいたいと思いますね。この件に関わっていたら、総理大臣も議員も辞めると明確におっしゃったんですから。散り際美しくありませんね。
観桜会のころまで、アベザクラは散らずにもつでしょうか。
八重桜の散るころかも知れません。
招待状をよく確認するよう、友人に忠告しておきましょう。「開催日までに内閣総辞職があれば中止」と小さい字で書いてあるかも知れませんから。
もしかしたら、改竄された招待状かもしれませんよ。招待状の日時に行ってみたら、観桜会などはなかったりして。どういうことかと、アベ事務所に問い合わせると、「その招待状は改竄されたものです」なんてね。
しかも、アベ夫妻は、「改竄の事実は存じません。改竄の指示などは一切しておりません」なんてね。
薄汚いね。「花は紅、柳は緑」の鮮やかさとはおよそ無縁な世界の出来事。
アベという膿をしぼって捨てて、美しいきれいな国にしたいものですね。
ではまた。
ご機嫌よろしゅう。
(2018年3月17日)
志ある若手弁護士は、その時代にふさわしい「時代を映す事件」に取り組む。そのような事件の弁護団に飛び込む。かつては、公害事件であったり、薬害救済であったり、大規模消費者被害であったり、情報公開請求訴訟であったり。あるいは、いじめ・体罰、過労死、基地問題、ヘイトスピーチ、天皇の代替わりにともなう政教分離訴訟…などなど。
今それは、まぎれもなく原発訴訟。時代を映す問題としてこれ以上のものはない。文明史的な大事件として、取り組むに値する訴訟事件。
澤藤大河が「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」弁護団に参加して事件にどっぷりと浸かっている。ずいぶんと時間も労力も使っているようだ。
同弁護団はホームページを開設している。
http://www.tsushima-genben.com/
「『ふるさとを返せ 津島原発訴訟』は,2011年3月11日の福島第一原発事故に伴う放射能汚染によって「ふるさと」を追われた,浪江町津島地区の住民による集団訴訟です。
津島地区の住民は、代々培われてきた伝統芸能や先祖が切り拓いた土地を承継しながら、地区住民がひとつの家族のように一体となって、豊かな自然と共に生活してきました。
ところが、津島地区は、現在もなお放射線量の高い帰還困難区域と指定され、地区全域が人の住めない状況となっています。
津島地区の住民は、いつかはふるさとに帰れると信じながらも、いつになれば帰れるか分からないまま、放置されて荒廃していく「ふるさと」のことを遠く避難している仮住まいから想う日々です。
国及び東京電力は、広範囲の地域の放射能汚染という重大事故を起こしておきながら、原発事故に対する責任に正面から向き合おうとしません。
国及び東京電力のこのような姿勢に堪えかねた津島地区住民の約半数となる約230世帯700名の住民が立ち上がり、2015年9月29日、国及び東京電力を被告として、福島地方裁判所郡山支部に集団提訴をしました。」
本日(3月16日)の口頭弁論期日に、原告らの「第41準備書面」が陳述された。その要旨を、訴訟代理人澤藤大河が口頭で陳述したという。それが以下のとおり。
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本日陳述の、「原告ら第41準備書面」は、被告国の第11準備書面の第6、つまり「本件事故には結果回避可能性がなかった」との主張に反論するものです。
被告国の主張は,概略次のようなものです。
「被告国が,事故前において考えつくことができた津波対策は,防波堤・防潮堤の建設だけである。
しかも津波予測に基づき対策として作られたであろう防波堤・防潮堤は、敷地を囲う物ではなく、海に面した東側に大きな切れ目のある構造になるはずであり、このような防波堤・防潮堤を建設しても、本件津波に耐えることはできず事故は避けられなかった。
また、この工事の工期はもちろんのこと、被告国の認可手続きにも時間がかかり,本件津波までに間に合うものではなかった」
というものです。
津波対策として、防潮堤防波堤にて敷地への海水侵入を防ぐという考え方を「ドライサイトコンセプト」といい、敷地への海水侵入があったとしても個別の重要機器を防水して機能を守る考え方を「ウェットサイトコンセプト」といいますが、国の主張は、「ドライサイトコンセプトしかなかったのだ」ということになります。
しかし、この国の主張には、根本的な誤りがあります。
まず、「結果回避可能性」の有無は客観的に判断されるということです。
行為者の認識、能力、意欲など、主観的な事情は取り除き、客観的に可能性を判断するのが結果回避可能性の議論なのです。
被告国の主張は、客観的に判断されるべき結果回避可能性の議論において,「行為者が考えつかなかった」というような行為者の主観的な事情を考慮すべきとする点で誤っています。
特に、津波対策として,効果の乏しい防波堤・防潮堤の建設しか思いつかなかったはずであるとの主張は,自らの不勉強と無能力をことさらに強調しているだけであり,その責任を軽減したり、結果回避可能性を否定することには繋がりません。
客観的には,敷地に海水が侵入しても,なお原子炉を冷却できるようウェットサイトコンセプトでの対策を行うよう被告東京電力に指導すれば,本件事故は回避することが可能でした。これらの対策は,事故前に十分実施可能だったのです。素材や技術的な面での飛躍的進歩は、なにも必要ありませんでした。
被告国の主張は根本的な考え方を誤っていますが、それはさておいて、津波対策として、本件事故以前の時点で、ドライサイトコンセプトしかないとの主張についても、誤りであると指摘せざるを得ません。
1991年にはフランス・ルブレイエ原子力発電所にて洪水浸水事故があり、開口部の閉鎖という対策がなされていました。また、福島第一原子力発電所においてすら、1991年溢水事故の後、地下階に設置された重要機器が被水して機能を失わないよう、非常用ディーゼル発電機室入り口扉の水密化も行われていたのです。
被告国は、「ウェットサイトコンセプト」も取り入れるべきだったのです。
また、被告国が主張する「津波対策として建設されるはずだった防波堤・防潮堤」も、非常に不自然なものです。津波対策であるのに、敷地を取り囲むものではなく,海に面した東側を大きく開けた防波堤を建設することになったはずだったというのです。
実際には、被告東京電力の技術者は敷地全周を囲う計画を立てていました。この計画は最終的に刑事事件で起訴されている経営陣に拒否されました。
津波対策の防波堤であれば,敷地全周を囲むべきで,切れ目があってはならないのは当然のことといわなくてはなりません。土木技術の専門家ならずとも,容易にわかることです。
さらに、被告国は,対策の実施には時間的余裕がなかったとも主張します。
しかし,事故後の津波対策は,わずか1ヶ月という短期間で本件津波と同等の津波に耐える対策が実施されました。このことは、被告国が自ら報告しているのです。
確かに防波堤・防潮堤を建設しようとすれば、大規模な土木工事にそれなりの期間は必要です。しかし、防波堤・防潮堤のみが対策であるというのは,被告国の思い込みに過ぎません。
ウェットサイトコンセプトに基づく,個別重要機器の防水や予備電源の配置などを行えば,長くとも数ヶ月間という短期間に対策を完了することができたはずです。
被告国が長期評価により想定される津波の波高が15m以上となることを知り得た2002年に,あるいは遅くとも2006年には津波対策を実施するように被告東京電力に対し規制権限を行使すべきであって,そうしておれば本件津波襲来までに対策を完了し,事故を回避することができたことは客観的に明らかなことなのです。
(2018年3月16日)
アキエさん。お久しぶり。
しばらくお顔を見なかった。
去年の選挙で自民党が勝ったときなんぞには、
とうとうあなたのお顔も見納めかと、
とてもさびしい思いだった。
しかし、ようやく主役が戻ってきた。
先日来の紙面には、あなたの名前が大見出し。
あなたの写真も躍っている。
これもひとえに財務省の文書改竄のおかげさま。
主役は主役らしく、颯爽と舞台に上がらなくっちゃあ。
籠池泰典だって、堂々と証人としてしゃべったんだから。
アキエさん、国民みんなが大歓迎。
あなたの声を聞きたい。
あなたの説明に耳を傾けたい。
信用ゼロのあなたの夫の伝聞じゃだめなんだ。
あなたの肉声を聞きたい。
質問に回答するあなたの表情に目を凝らしたい。
改竄前の決裁文書には、「昭恵氏が問題の国有地を訪問した際、『いい土地ですから、前に進めてください』と述べた」という記載がある。これが籠池泰典の発言だけど、本当らしく聞こえるね。籠池側の印象操作の成功だ。アキエさん、あなたがんばって否定の証言をしないと、『いい土地ですから、前に進めてください』とホントに言ったと思われるよ。
森友決裁文書の改竄は、去年(2017年)の「2月下旬」から、財務省がそう言っている。この時期が重大だ。安倍晋三が「私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」と国会答弁したのが、17年2月17日。その直後から、改竄が始まったことになる。
アキエさん、あなたやっぱり、かかわっていたんじゃないの。だから、理財局は、あなたが出てくるところを全部消しちゃったんだ。
籠池と佐川だけを悪役にして、あなた一人がのうのうとしているのは、卑怯じゃないの? ずるいんじゃないの?
ツィートだとか、リツィートだとか、陰でつぶやいてるときじゃない。一世一代の晴れ舞台。堂々と宣誓して証言して、華々しくスター誕生とまいりましょう。
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3月20日(火)は、緊急院内集会。そのあとに財務省前緊急アピール行動があります。財務省への国民の怒りをぶつけましょう。
森友決裁文書の改ざん事件の徹底追及!
財務省前緊急アピール行動
国民と国会を欺いた安倍内閣は総辞職せよ!
3月20日(火)11:00?13:15
緊急院内集会(衆議院第一議員会館B1F大会議室)
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/320-f738-1.html
集会終了後、財務省周辺の歩道に移動し緊急アピール行動にご参集ください。
徒歩10分・地下鉄 丸の内線、日比谷線、千代田線 霞ヶ関駅(A13番出口)
コール&アピール
・決裁文書の改ざんを徹底調査せよ!
・佐川氏、昭恵氏を証人喚問せよ!
・改ざんを指示したのは誰だ!
はっきりさせろ!
・巨悪を許すな! 黒幕逃がすな!
・トカゲのしっぽ切りを許さない!
・麻生大臣は責任を取っていますぐ辞めろ!
・公文書の改ざんは政府の犯罪だ!
・犯罪を犯した安倍内閣は総辞職せよ!
チラシダウンロード
→http://bit.ly/2Fxd2mk
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3月20日(火)の予定
10時15分 院内集会入館証渡し開始
11時?13時半 院内集会
(衆議院第一議員会館、BF1 大会議室)
<徒歩(10数分)か地下鉄で移動>
14時 財務省・経産省前歩道 集合
14時15分?14時45分 財務省前アピール行動
(2018年3月15日)
全国の そして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し 復帰をなし遂げた 大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
?鉄の暴風?やみ平和の訪れを信じた沖縄県民は
米軍占領に引き続き 1952年4月28日
サンフランシスコ「平和」条約第3条により
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた
われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬された
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
27度線を断つ小舟は船出し
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ
今踏まえている 土こそ
辺戸区民の真心によって成る冲天の大焚火の大地なのだ
1972年5月15日 おきなわの祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いをふり返り 大衆が信じ合い
自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり
人類が 永遠に生存し
生きとし 生けるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある
辺戸岬に屹立するこの「祖国復帰闘争碑」の由来を尋ねて、元朝日記者の小村君は大阪の図書館で『沖縄県祖国復帰闘争史資料編』(沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会編、1982年5月15日発行)に出会う。B5 版1430頁という大冊。編集責任者は復帰協6代目事務局長・仲宗根悟氏、「闘争碑」の文字を書いたその人(2015年7月25日没)である。
この『復帰闘争史 資料編』の1292 ?1326頁に、1950 年代、60 年代、70年代のリーダーを集めた3回の座談会が掲載されている。小村君は、その内容から「復帰闘争の歴史」を追い、足りないところは、新崎盛暉「私の沖縄現代史」(2017年1月刊)などで補っているという。以下に、これを紹介する。
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沖縄戦の?鉄の暴風?がやむと、沖縄の人々は収容所に入れられ、奄美大島以南は米軍統治下に置かれた。収容所から「祖国復帰」の声を上げた人がいる。1946 年夏、米軍から?石持て追われる如く?東京へ脱出した仲吉良光。東京で、マッカーサー司令部、政府、国会、米政府、国連などに精力的に陳情活動を展開した。
促進期成会が署名集め
仲光から「沖縄で復帰運動をしてほしい」との要請を受けた平良辰雄沖縄群島知事に頼まれた兼次佐一(当時社大党書記長)は、「日本復帰促進期成会」を51年4月29日に結成した。社大党と人民党で組織をつくり、地域青年会を中心に「復帰」を求める署名を集めた。沖縄群島の全有権者の72%に達した。
9月4日にサンフランシスコで講和会議が開かれる。日本側吉田全権と米側ダレス特使に、膨大な署名簿をどうやって渡すか。復帰運動に、米軍はパスポートを出さない。郵送に要する費用5万円がない。外国新聞を扱う業者に立て替えてもらって、8 月24、25日にようやく発送した。
9月8日、対日平和条約と日米安保条約は調印された。奄美大島以南は米軍制下のままだった。
52年4月28日、二つの条約は発効した。「屈辱の日」の始まりだが、まだ意識されていない。
53年1月10日、屋良朝苗(教職員会長)を会長に、安座間麿志(沖青連会長)を副会長に「沖縄諸島祖国復帰期成会」が結成された。教職員会、PTA連合会、婦人連合会、青年連合会、市町村長会の 5 団体に担がれる形だ。後に最初で最後の公選主席になり、復帰後の初代知事にもなる屋良は「米国側から教職員は政治活動をするな、といわれた。復帰運動は、政治活動ではなく県民運動だ。政党は加えず、民主団体だけでやると言った。社大党は了承したが、人民党は納得しなかった」。
結成、すぐに全国行脚
屋良は、期成会結成直後の1月17日、総決起大会を開いた。教育復興と戦災校舎復興と復帰問題の3点セットで日本全国に訴える方針を決議。群島政府文教部長時代から蓄積した資料を持ち、1 月20 日?6月23日の半年間、四国を皮切りに九州から北海道まで46 都道府県を行脚した。「本土政府側が国会に2度も呼んでくれて真剣に沖縄の実情を聞いてくれた。文部省も教育資料に取り上げ、全国の小中学校に協力を呼びかけてくれた。国鉄部長は1等パスを発行して、私と喜屋武(真栄)君を『沖縄問題の講師』として遇してくれた。経済的にも助かりました」と屋良。
その頃、沖縄では米民政府が「アメリカに恥をかかせた」と激怒していた。
弾圧が屋良を待ち受けていた。
53年12月25日、奄美群島が返還された。奄美では復帰運動の取り組みが早く、14歳以上の99%から署名を集めたのが原因とされる。与論島と沖縄島の間に、新たな国境27 度線が登場した。
だが沖縄の人たちは、奄美が復帰したのだから、沖縄も近いと考えた。
54年1 月、米アイゼンハウアー大統領が年頭教書で「アメリカは自由世界防衛のため、長期間琉球を保持する」と。これに呼応するようにオグデン民政府副長官が「復帰運動に従事していた人たちに、扇動は無駄であり、これ以上の精力の浪費は止めるよう勧告する」と脅した。
屋良の全国行脚から1年半。戦災校舎復興期成会の本土後援会から「金が集まったから受け取りに来てくれ」と要請があり、パスポートを申請したら峻拒された。抗議に対し「反米運動をするものに協力できない」という。
屋良は、プラムリー民政官と交渉した。民政官は「君はなぜ、我々の教育復興計画の邪魔をするのか。米民政府に協力するのか、今まで通りするのか」とケンカ腰で、即答を迫った。屋良はその場では答えず。翌日、教職員会長も復帰期成会長も辞めると告げた。「米民政府に協力できないが、教員の給与は上げて欲しい」と。
教職員会は再び屋良を支持した。さすがに米民政府も強硬姿勢を反省「校舎を作る、教員待遇の改善、教員の質向上」3項目の約束を発表した。
復帰期成会は自然消滅した。屋良は1956年、米軍基地から「土地を守る会」会長となり、島ぐるみ闘争のリーダーになる。本人は「知らないうちに会長にされた」という。ともあれ、形を変えた復帰闘争だった。
2013年、分断が露出
4月28 日は「屈辱の日」として、今も沖縄2紙は特集する。第二次安倍政権になり初の 2013 年4月28日、「主権回復」祝賀式典を政府主催で開いた。
沖縄では政府式典に抗議する「屈辱の日」県民大会が開かれた。ヤマトと沖縄の分断が露出した年だった。「屈辱の日」はいつから言われ出したのか。私が闘争碑に関心を持った由縁だ。
沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が発足したのは1960 年4月28日である。
4・28 が特別な日になるのは、この年から。61年から復帰協の文書に「屈辱の日」という言葉が登場し、63年4月28日に北緯27度線で沖縄とヤマトの初の海上交歓が行われた(新崎)。復帰協は、60年安保のため急ぎ結成したようだ。安保闘争の中で屈辱感を再確認したのではないか。52年以降を、もう一度見直そう。
52年、2条約が始まり
講和条約と日米安保条約。サンフランシスコ2条約が発効した 1952年4月28日、奄美大島以南の琉球弧と小笠原は、米軍の排他的支配下に置かれた。
?鉄の暴風?と形容された沖縄戦に巻き込まれた沖縄住民は、日米の戦死者20 万人のうち15万人に上っていた。
戦前は皇民化教育の下で必死に日本人になろうと努力したのに捨て石にされたのだ。だから52年の時点で「屈辱の日」としても不思議ではなかった。53年12月、奄美大島から与論島までは日本に返還された。この時、「奄美が返還されたのだから、米国の意向次第で沖縄も返還されると考えた」という。
しかし52年の2条約発効を機に、米軍は強硬に基地拡大を始めた。54年1月、アイゼンハワー米大統領が年頭教書で「アメリカは自由世界防衛のため琉球を長期間保持する」と述べた。
当時の沖縄諸島祖国復帰期成会長の屋良朝苗は米軍当局から激しく弾圧され、教育改革と引き換えに会長を辞めた。復帰運動団体は消えた。
闘う主体、沖縄民衆登場
54年4月、琉球立法院は、一括払い反対など「土地を守る4原則」に基づく「軍用地処理に関する請願」を米側に出した。55年米下院軍事委員会はプライス調査団を沖縄に派遣。56年6月にプライス勧告を出した。だが、その中身に住民は激しく反発、「島ぐるみ闘争」が燃え上がる。これからしばしば沖縄が全国紙の1面トップに登場した。
「闘う主体としての沖縄民衆が歴史上に登場してきたのだ」(新崎)。
56年、ジェット機への切り替えで基地拡張問題が沖縄でも本土でも起きた。
砂川事件や内灘闘争などヤマトの反米基地闘争が激化。安保改定で沖縄に押しつけることに。国際的にはソ連のスターリン批判、ハンガリー動乱、スエズ戦争など。12月末に那覇市長にカメジローこと瀬長亀次郎が那覇市長に当選、米軍と闘争を展開する。これは別の機会に書きたい。
57年岸首相が安保改定へ
57年6月、岸信介首相が訪米し、アイゼンハワー大統領と会談。?安保条約改定?日本の首相として初めて沖縄・小笠原の返還要求?在日地上軍の大幅削減、など共同声明に。58 年9月、藤山・ダレス会談で安保改定に合意した。10月から交渉が始まった。
まず沖縄を安保の範囲に入れるかが問題になった。政府は当初、返還を要求した以上入れざるを得ないとした。
社会党や自民党の一部は「米国の戦争に巻き込まれる」、自民党は「沖縄への核持ち込みが事前協議の対象になる」といずれも反対。結局、60年安保では、沖縄は条約の対象にならなかった。
元々、米軍が独占的に管理していたから、日米政府とも必要なかったのだ。
沖縄解放、支援の声なく
当時の沖縄は、米比、米韓、米台などの相互防衛条約の適用地域だった。
沖縄を共同防衛地域から解放しよう、という動きはヤマトにはなかった。一方、沖縄では「日米安保の対象になれば復帰が早まるのではないか」という論議も広まり、世論も揺れた。さらに改定後に実現した在日地上軍の大幅削減で撤退した部隊はそっくり沖縄に移動した。活動家たちに「安保は重い」とのツブヤキが広がった(新崎)。
このツブヤキが「屈辱の日」を確信させた、と私は思う。
「安保よりも復帰」へ転換
57年「祖国復帰促進県民大会」の主催は沖縄青年連合会だった。59年1月、同タイトルの県民大会は、「安保改定よりもまず復帰」をスローガンに沖縄県原水協(原水爆禁止沖縄県協議会、58年8月結成)が主催した。この大会を機に復帰協が結成されることになる。この頃、官公労や沖教組などが次々誕生し、活動の担い手になった。全軍労も61年復帰協に参加した。
60年スタートしたばかりの復帰協は6月19日、アイゼンハワーを迎える。銃剣をギラギラさせる米兵たちの中を、琉大生3千人に教職員会など加えて1万人近い請願デモだった。大統領は裏口から逃げるように空港へ向かい、東京訪問を止めて韓国に行った。
まだ会長不在で、副会長兼会長代行だった赤嶺武次は「アイク来沖闘争は復帰協に自信と勇気をくれた」と振り返った。
天皇メッセージの衝撃
「屈辱の日」に絡んで、必ず語られるのが「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝える」いわゆる「昭和天皇メッセージ」だ。
1947年9月19日、天皇の御用掛寺崎英成がマッカーサー総司令部のシーボルトに会い、次のように伝えた。
「アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。(略)天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与(リース)という擬制(フィクション)の上になされるべきである。天皇によれば、この占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう」。
寺崎の天皇メッセージを聞いたシーボルトは9月20日、これを文書にしてマッカーサーに伝えた。その後ワシントンの米国務省に送った。
このメッセージが出された47年9月は、新憲法が施行され、日本の独立を片面講和か全面講和か、論議の最中だった。膨らむソ連の脅威に、米国は片面講和、さらに沖縄をソ連包囲基地にしようと望む勢力が力を得ていた。
47年5月6日、昭和天皇はマッカーサーを3度目訪問し、対日講和成立後「米国が撤退した場合、誰が日本を守るのか」と訊いたという。
天皇メッセージは、進藤栄一(筑波大名誉教授)が、雑誌『世界』1979年4月号に論文「分割された領土」とし て発表した。米国立公文書館で、解禁された外交機密文 書の中 から1枚の文書を見つけて書いた。従って闘争碑が出来た76年には、天皇メッセージはまだ日本に 知られていない。しかし復帰協闘争史の文献一覧の末尾に掲載されており、座談会の時には知っていたはずだ。
今年3月、平成天皇は11回目の沖縄訪問をする、と報じられている。
「屈辱の日」を癒やせるだろうか。
(3月8日、小凡・記)
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この記事は、彼が発行する「アジぶら通信」(メールマガジン)の38?40号に掲載された記事。このメールマガジン受信ご希望の方は、小村滋君の下記メールアドレスにご連絡を。
laokom777@gmail.com
なお、この5月には、彼を先達にしてかつての同級生9名で、3泊4日の沖縄探訪の旅をする。辺戸岬に必ず行ってみよう。「戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫び」を聞くために。
(2018年3月14日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。昼休みのこの時間に平和を守るための訴えをさせていただいています。少しの時間、耳をお貸しください。
「森友学園」への国有地売却をめぐる「決裁文書」の改竄が明るみに出て、国会が揺れています。アベ政治の腐敗が露わになって、政権が軋んでいます。
改竄書面は、「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決議文書」などの14点。78ページ、改竄個所は300個所にも及ぶものです。
改竄前にあって、不都合として削除された文章の中には、森友学園との交渉経緯に関連した「安倍昭恵首相夫人から『いい土地だから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との記述があったことも判明しました。籠池さんの、「日本会議大阪支部代表」の名刺のコピーも消されていました。
「不都合なことはなかったことにしよう」。これが、歴史修正主義者のやり口です。なるほど、公文書の改竄は歴史修正主義者・安倍晋三のやり口にふさわしい。
しかし、公文書とは何でしょうか。公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るもの」としています。公文書の正確さは、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」の命です。これが改竄されて約1年。関係者がだんまりを決めこんでいたのです。朝日新聞のスクープがなければ、闇に葬られかねないところでした。
改竄は、なんのために行われたか。明らかに、安倍晋三と昭恵の夫婦をかばうためにです。
ご承知のとおり、安倍首相は昨年2月17日の国会答弁で、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」と明言しました。
ここから、文書の改竄が始まったのです。つまり、「私や妻が関係していた」という歴史は抹消しなければならない。そうしなければ、「もう間違いなく総理大臣も国会議員もやめ」ざるを得ないからです。
さあ、隠されていた文書が暴かれて、「妻が関係していた」ことが明らかになったではありませんか。ここに至っては、自分が国会で公言したとおりに、「総理大臣も国会議員も」やめていただくほかはありません。
今や、国民の怒りが爆発しています。「アベはやめろ」「アベ内閣は総辞職せよ」「アベ政治は、もう終わりにさせよう」という声が沸き起こっています。この声を政権打倒に結びつけようではありませんか。
森友学園事件とはなんだったのでしょうか。首相の妻が極右の教育者の教育方針に感涙した。首相自身もこれを容認していた。そのご威光を忖度した官僚によって、極端な右翼教育を掲げる小学校建設のために、国有地をただ同然で払い下げられたというものではありませんか。
加計学園問題とはなんでしょうか。これも、首相のお友達に、特別の便宜をはかって、所轄の文科省と農水省の反対を押し切って、官邸主導で半世紀ぶりに獣医学部の設置認可がなされたのです。手練手管を弄して、権力者のお友達に巨額の利益が転がり込むという薄汚い事件。
アベ晋三の、政治の私物化、行政の私物化そのものではありませんか。
こんなアベ政権に、日本国憲法の改正を論じる資格はありません。自民党は3月25日の党大会で、憲法改正の自民党原案を具体化すると言っていますが、とんでもない。とっとと退場してもらいましょう。
今や、森友・加計問題を徹底して追及することが、安倍内閣を退陣に追い込むことであり、アベ改憲を阻止することにもなっています。
私たちは、安倍晋三首相、即刻退場せよと声を大にして叫びます。
《安倍はやめろ!》《アベ政治を許さない!》と。
皆さん!全国の広範な市民と共に安倍政権の9条改憲の野望を断固阻止する大波を起こそうではありませんか!
そのための、《アベ9条改憲阻止・3000万人署名》にご協力をお願いいたします。!
(2018年3月13日)
「責任」とは重いものだ。行政府の長の責任ともなればとてつもなく重い。重いものは重力の作用で、下へ下へと落ちていく。これを、霞ヶ関名物「責任沈下の法則」という。福島第1原発原子炉格納容器のデブリを思い起こせば良い。
森友問題の決裁文書改竄は、常識的にはおまえの責任だろうとアベ晋三に指摘すると、「いいえ麻生にその責任を果たしていただきたい」と責任を沈下させる。では麻生に、おまえの責任だそうじゃないかと問いただすと、麻生は「理財局の一部の職員が行ったこと」ともう一段沈下させる。じゃあ、理財局の誰の責任かと問うと、「当時の理財局のトップだから、適材適所の佐川宣寿の責任」だという。
さて佐川は、上から落ちてきた責任をどうするだろう。「責任沈下の法則」のとおりだと、さらに部下に投げ落とす。その部下はさらにそのまた部下に。転々とした責任は、最後には近畿財務局の平職員のところまで沈下しきって止まることになる。逃げどころなくなってその重さに耐えきれない人も出て来るわけだ。
だが、佐川宣寿には、別の選択肢がある。重い責任を当時の部下に転嫁するのではなく、まずは自身で受けとめるのだ。下へは沈下させない。その上で、この責任を渾身の力で跳ね上げるのだ。
「公文書の改竄は、官僚風情の権限でできることではない。麻生の指示だ。」「忖度先は、アベと昭恵だ。麻生の背後にアベがいるのは当然だろう。」「この責任は、私は背負わない。熨斗を付けてアベと麻生にお返しする」
そのように開きなおって、すべてをぶちまけるのだ。かくて、肚をくくって悔い改めた佐川宣寿は、アベ政権打倒の立役者となり、前川喜平並みの国民的人気者になるだろう。災い転じて福となすのだ。
もちろん、そうせずに自ら責任を引き受ける暗い選択肢も残されてはいる。アベと麻生の責任の重みを背負って、つぶれていく道。慫慂としてアベと麻生の責任に殉ずるという、今流行らない美学に散ることだ。
昔は、そんな人物もいた。たとえば、相楽総三。あの赤報隊の隊長。
赤報隊は官軍の先遣隊として中仙道を東に進軍した。彼らは、「是迄幕領之分総テ当分租税半減」という勅定書をもっての宣撫工作隊だった。?年貢半減?の官軍公約を触れ歩いたのだ。当然のことに、赤報隊は各地で熱狂的な民衆の支持を得た。その勢いに中仙道諸藩の抵抗の意思がないことを確認するや、官軍総督府は赤報隊を有害無益な存在と判断した。新政府に「租税半減」の意思はなく、勅定書は偽書、赤報隊は偽官軍とされて、幹部は捕縛され斬首された。赤報隊は官軍に利用されて、捨てられたのだ。権力の非情は常のこと。
相楽の最期には諸説ある。他の赤報隊隊士が憤慨やるかたなく憾みを述べる中で、彼一人は端然とした姿勢を崩すことなく慫慂として死について、彼なりの美学を貫いたのだともいう。また別の言い伝えは、次のようなものだ。
相楽は、太刀取り(斬首者)を顧みて『しっかりやれよ』といった。太刀取りは荒肝をひしがれたように動揺が出た。再び静かに相楽が、『見事にな』といった。これに災いされたか、太刀取りは相楽のうしろに廻り、気を鎖めて一声とともに斬ったが、仕損じて右の肩先へ斬りこんだ。とっさに相楽が振返り、『代れ』と怒気を含んで叱りっけた。これにたじろいで、その太刀取りは顔が土気色になった。
代って、新しい太刀取りが相楽を切り、首が3尺飛んだという。後にこれが誇張されて、相楽の首は6尺飛んで、柳の枝に噛みついたことになった。(長谷川伸「相楽総三とその同志たち」から)
これが、相楽の無念を推し量った作り話である。佐川よ、アベや麻生に利用されて捨てられて、相楽総三の轍を踏んではならない。無念の相楽になるな。前川を見習え。すべてをさらけ出せ。トカゲの尻尾に終わるな。尻尾にも幾分かの魂があることを示したまえ。
さすれば、不本意に自らの命を断った近畿財務局職員のいささかの供養ともなろうではないか。
(2018年3月12日)
3月10日と、3月11日。偶然並んだこの両日は、いずれも忘れられない日であるが、同時に忘れてはならない日でもある。この両日に起こったそれぞれの出来事は、さまざまに関連して、今の私たちの生き方や社会のありかたを問い続けている。
3・10東京大空襲は明らかな人災であり、3・11大震災と原発事故は天災に人災が重なったものだ。空襲被害と原発事故被害とは、その責任の性質がよく似ている。その責任の本質をどう考え、どう対処すべきか。まずはドイツに学ぶべきだろう。
日独両国とも、敗戦の惨禍から再出発している。その原点は加害責任の認識であり、侵略戦争をもたらした旧体制への反省だったはず。ドレスデン爆撃と東京大空襲とは、侵略戦争が結局は自国民に惨憺たる運命を強いることになるという好例である。ドレスデン爆撃にはゲルニカへの無差別爆撃が先行し、東京大空襲には執拗な重慶爆撃が先行している。ドイツも日本も、自分がやったようにやり返されたのだ。しかも、何層倍もの規模においての報復だった。
ここまでは、日独は肩を並べての同罪である。天皇制日本と、ナチスドイツの両体制の失敗である。しかし、その後はちがっている。戦後ドイツをことさらに美化するつもりはないが、自国の戦争責任追及の姿勢の真摯さは、我が国には見られないものだ。両国には大きな、越えがたい落差がある。残念ながらこの姿勢の違いは、政治家の質の違いと言って済まされない。国民意識の落差がもたらしたものだ。改めて、アベや麻生を政権の座に据えていることを日本国民の恥辱と思う。
その両国の落差が、3・11後の原発への対応にも表れている。そのことを上手な語り口で、解説しているのが、「ドイツ人が見たフクシマ:脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本」(16年3月11日発行)。
著者は、熊谷徹。元はNHKの記者だったというフリージャーナリスト。ドイツ・ミュンヘン市に在住。ドイツの過去との対決や、ドイツのエネルギー・環境問題を、日本との対比の視点で書き続けている人。「脱原発を決めたドイツと、原発を捨てられなかった日本」をテーマの執筆者として最適の人だろう。同じテーマの著書に、「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「脱原発を決めたドイツの挑戦」などもあるようだ。
この書の問題意識が、宣伝文句に的確にこう語られている。
「世界中に大きな衝撃を与えた…福島原子力発電所の事故、その衝撃を最も深刻に受け止めたのは、日本人ではなくドイツ人だった!」「なぜ日本から1万キロメートル離れたドイツが、大胆なエネルギー転換に踏み切ることができ、深刻な原子力災害を経験した日本が、ドイツのような本格的なエネルギー転換に踏み切れなかったのか?」
まったく日独の原発に関する意識の格差は対照的だ。日本では、愚かな首相が、東京オリンピック招致のために、事故後の放射性廃棄物の環境への流出について「アンダーコントロール」と言ってのけた。なんの知識もなく事実の確認もないままの、世界に発信された大きな嘘。そんな口先だけの政治家が、まだ首相を続けているのだ。
事故後7年を経て、廃炉の見通しさえ立っていない。「アンダーコントロール」どころか、廃棄物処理の方針もない。にもかかわらず、原発再稼働が順次実行されている。さらには、自国でコントロールができない原発プラントの他国への売り込みまで熱心に行われている。なんということだ。この国は没道義の国になり果てている。
地震国日本での原発の容認と、地震のないドイツの原発の拒否。その対比は、文化史的に興味深いテーマといえよう。この書では、原発推進派だったメルケルは、フクシマの事故後、率直に自らの政策を反省して転換し、脱原発派に「寝返った」。このことは、彼女の資質でもあろうが、そのような政策転換なくしては、対立政党に政権を奪われるという、世論の動向があったという。特に「緑の党」の存在の重みが語られている。
「原発は安全」という神話は崩れた。ドイツに似た資質を持っている日本国民が設営する設備での事故は、ドイツに衝撃だったという。安全のためには、エネルギーが高価になっても良いという国民合意が形成されているともいう。原発でも化石燃料でもなく、環境に負荷とならない再生可能エネルギーを。これがドイツの世論であり、政策であるという。
この書の第1章が「ドイツ人に強い衝撃を与えた福島事故」となっている。その最初の見出しが、「NHKでは遅れた爆発映像」となっている。この記述は、私にとって衝撃だった。
事故翌日の3月12日、日本国外のテレビやインターネットの世界では、既に1号機の建屋が爆発する瞬間の映像が繰りかえし流されていた、という。この衝撃が大きかった。ドイツだけでなく、英国のBBC、米国のCNNもこの映像を流していた。ところが、肝腎のNHKだけがこの映像を放映していなかった。著者がドイツで見たリアルタイムでのNHKの放送では、アナウンサーが「福島第一原発で爆発音がして、建屋の天井の一部が崩れたという情報があり、確認中」という原稿を読んでいたという。しばらくして、NHKは1号機の爆発後の写真を放映したが、爆発の瞬間の動画は流さなかった。
世界がリアルタイムで見ていた爆発の衝撃画像は、福島中央テレビが撮影したもので、NHKは撮影に成功していなかったという。だから、NHKを見続けていた多くの日本人は衝撃映像の目撃者とならなかった。日本人の目には、外国の反応が過剰と映ったわけがあったのだ。
12日午後5時47分の枝野幸男官房長官会見も、「何らかの爆発的事象があった」という、“奥歯に物がはさまったような発表”となっていたという。
この書には、日独間のパーセプションギャップ(意識の隔たり)が頻りに語られるが、その原因の第一が、情報のギャプである。世界に配信されたこの爆発シーンは、「石橋を叩いて渡るような政府の公式発表や、市民に不安を与えまいとする『安心報道』を粉砕してしまった」という。
また、一部の視聴者のこととして、政府とNHKの『安心報道』の姿勢を「これでは大本営発表をそのまま流しているようなものだ」「日本政府の情報は信じられない」という批判が紹介されている。
3月12日の時点では、政府の公式声明のなかでは「炉心溶融(メルトダウン)」という言葉すらタブーになっていた、とも言う。
NHK出身の著者は、さぞかしもどかしい思いであったろう。
一方、ドイツのメデイアには「安心報道」の配慮はまったくなかったという。悲観的情報、悲観的予測があふれていた、と紹介されている。おそらく、地元日本は情報において世界から孤立していたのだ。
3月10日一夜にして10万人の死者を出した東京大空襲被害も、もとをただせば聖戦と欺された国民の侵略戦争加担が原因となっている。大本営発表さながらの、原発安全神話に欺されたところから、3・11原発被害も生じている。そして、事故後も安全神話の延長としての《安全報道》が、原発への厳格な国民的批判を温いものとしてしまっている。ドイツに倣って、日本国民も政府やメディアが誘導する《安全神話》や《安全報道》に、もっと懐疑的でなければならない。
最終章に、著者の結論めいた記述がある。ごもっとも、というほかはない。
「ドイツ語には、《政治の優位》という言葉がある。これは、民意を反映する政治が、経済や科学技術など他の分野に優先するという意味だ。ドイツ人たちは、福島事故後の脱原子力決定によって、この国に《政治の優位》という原則が生きていることを、全世界に対して示した。つまり原子力技術の専門家たちが、「ドイツの原子炉は安全であり、直ちに停止するべき理由はない」という結論に達しだのに、メルケルは原発全廃を求める倫理委員会の提言を採用した。彼女は「木よりも森を見て」、原発全廃が公益にかなうと判断した。
メルケルは、この決断によって《政治の強さ》を示した。市民の代表が行う政治の決定が、企業や科学者、技術者の意思よりも優位性を持っているのだ。
我々日本人が一番最初に行うべきことは、民意を反映する政治を実現し、《政治の優位》を回復することではないだろうか。」
(2018年3月11日)
あ?あ、憂うつだ。最近、やることなすこと、すべてがうまく行かない。
どこかで、ツキが変わっちゃった。政治家人生の歯車が軋み出した。いや「空回し」状態になってしまっている。ちょうど、2007年第1期政権断末魔のときの気分だ。あの頃のことを思い出す。
まずは、あのトランプだ。お互いゴルフも好きだし、シャラシャラ嘘を吐くところなんか、本当に気が合うと思って、あんなにゴマをすったのに。何でもかんでも、100%支持だと言ってきたのに。結局はバカにされていただけだったんだ。なんということだ。我ながら情けない、恥ずかしい。
アメリカが、鉄鋼製品に25%、アルミニウム製品に10%の関税をかけるなんて突然言い出した。寝耳に水の信じられない時代錯誤の愚策。自分の支持層へのサービスが見え見えの露骨な選挙対策じゃないか。さすがのボクだってこうまでは開き直れない。愚策であることはともかく、事前にボクにはなんの話もないなんて。日本は例外にしてくれるはずと期待したんだが、例外はカナダとメキシコに、あとはオーストラリアだけだという。トランプは、ボクのカオを立ててくれない。だから、がっくり。だからカオをみんなに向けておられない。まったく面白くないんだが、今さらどうにもならない。そこがまた悔しい。
それに韓国だ。文在寅大統領だ。米・韓・日の3国で、北には圧力を、もっともっと最大限の圧力を、と約束しあったはずじゃないか。それがどうだ。平昌五輪を舞台に北の幹部とあんなに親密な態度を見せつけるなんて、ボクの立場はどうなるっていうんだ。慰安婦問題の「最終かつ不可逆的な解決合意」は反故にして、北との蜜月。これって、背信行為じゃないのかね。ともかく、ここでもボクだけ置き去りだ。
それだけじゃない。こんどは、なんと米朝首脳会談だって? これこそ驚天動地。晴天の霹靂。これもすべてボクを蚊帳の外に置いて、ハシゴ外しの陰謀。ボクをみそっかすにして、周りだけでよろしくやっている。外務大臣、いったいどうした? 国家安全保障会議は何をやっているんだ? あっ、そうか。それを問われるべきがボクの立場か。
今日は3月10日、東京大空襲の日だ。まるで、当時のアメリカが、情け容赦なく日本を無差別攻撃したことを思い出す。ボクの心情や立場を少しも忖度してくれない。
そして、森友だ。佐川を国税局長にしたのは、つくづくまずかった。納税者一揆の火に油を注いだようなもんだからね。その上、思いがけない朝日のスクープだ。先日は、朝日の名を挙げて、ずいぶんと毒づいてやったんだが、あれもまずかった。たいへんなリベンジを受けてしまった。
朝日がいう決裁文書の改竄なんて、初めてのことでもあるまいし、大したことではないと思っていたんだが、この点ボクは野党と世論をナメすぎていた。彼らにとっては、民主主義の根幹を揺るがす大事件だという。これも、公然とは「たいしたことではない」とは言えないから、ボクのストレスが溜まる。
それでも、時間稼ぎをしているうちに何とかなるさと見ていたのが甘かった。野党だけではなく、自民・公明の与党までが、政府批判を始めた。なんて、トモダチがいのない連中。これまで、誰もがボクを忖度してくれたじゃないか。ところが、ボクの周りの空気が変わった。だあれも忖度してくれない。いったいどうなっちゃったんだ。
そして、とうとう佐川の辞任だ。次は、麻生かと騒がれている。そしてその次があるとすれば、ボクの順だ。しかしここで、「アベ政権の御名御璽」では困るんだ。せっかく機運の盛りあがった日本国憲法改正の大事業が道半ばにして終熄してしまう。千載一遇のチャンスを逸することになる。
2月16日と3月3日の国税庁包囲の納税者一揆が元気に叫んでたっけな。
「佐川、麻生、安倍の3人は悪代官。悪代官三人組を追放しよう」
この三人組の一人、佐川の辞任だから憂うつのタネ。かたちは当人の意志による辞任だが、事実上「追放され」てしまったのだから。残るは2人だが、麻生についてもやめざるを得ない雰囲気が濃くなってきている。これも、ボクの意志とは無関係にものごとが進んでいく。
そして、今駆け巡っているニュースのひとつは、問題の任意提出された決裁文書原本とされているもの(コピー)を検察庁が国会に提出しても良いと言っているとのこと。そんなことをされては困るじゃないか。捜査に支障があると言って、資料を隠すのが、武士の情けじゃないか。どうして検察庁も忖度してくれないのだろう。
さらに驚いたことに、諸般の事情に鑑みてこれ以上の隠蔽は無理なのだから、決裁文書の書き換えを認めようと財務省が肚を決めたというのだ。結局、公文書の変造が事実として明確となるのだから、政権にとっての大きな打撃。来週の国会は荒れそうだ。気持が重いな。果たして乗り切れるだろうか。
そして、納税者一揆の第3弾の企画が下記のとおりだ。あ?あ、憂うつだ。
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森友文書改ざん疑惑を徹底追及する! 緊急院院内集会
3月20日(火) 11時?13時30分
(10時15分 受付開始)
■特別報告■
11時?11時30分 上脇博之さん(神戸学院大学教授)
「森友文書改ざん疑惑をどう見るか」
■パネル討論■
11時30分?13時15分
上脇博之さん(神戸学院大学教授)
6党国会議員(出席議員は各党調整中)
(当日の国会の状況により出席議員が調整されます。)
醍醐聰さん(東京大学名誉教授)
司会 杉浦ひとみさん(弁護士)
*上脇博之さんは、ベールに包まれていた官房機密費に風穴を開ける情報を 公開させ、佐川理財局長(当時)が捨てたと言い張った森友文書の一部を 公開させた行動派の情報公開エキスパートです。
*パネル討論には疑惑を追及する野党6党の国会議員が参加し、最新の国会情勢を報告してもらいます。
*討論では、会場からの質問もどしどし取り上げます。
*討論では、
公文書の「書き換え」(改ざん)はどのような罪なのか?
「検察当局が調査中」を理由に議会の国政調査権、国民の知る権利
を拒めるのか?
なども徹底討論します。
■院内集会後の申し入れ行動■
討論して終りではなく、その後、財務省、会計検査院に出向き、麻生財務大臣、 会計検査院長宛てに申し入をします。
■チラシの活用にご協力ください■
チラシのURLです。↓ 拡散をお願いします。
https://app.box.com/s/8x7vzxxfnp63750m0saytvycpzx5rhhj
「森友・ 加計問題の幕引きを許さない市民の会」
HP:http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/
連絡窓口(メール):moritomosimin@yahoo.co.jp
または、morikakesimin@yahoo.co.jp
(携帯電話): 070-4326-2199 (10時?20時)
以上
(2018年3月10日)
食の安全・監視市民委員会(FSCW)が、新刊のブックレット「健康食品で被害にあわないために?あなたの肝臓は大丈夫??」を発行した。同委員会の健康食品調査プロジェクト(植田武智)が編集したもの。
肝障害に焦点を合わせて、健康食品(サプリメント)被害に警告を発している。
「人間ドックで見つかる病気の一番が『肝機能異常』。その中の一部は、健康食品が原因のものもあります。みなさんが健康によかれと利用している健康食品の中には、逆に思わぬ被害を起こすものがあるのです。そこで、被害にあうのを防ぐための実用情報を掲載したブックレトを発行しました。」というのがこのパンフの宣伝文句。
その上で、こうも言っている。
「健康食品を利用しているご家族や、お友だちにもプレゼントしてあげてください。
ブックレットの売り上げは、当委員会の健康食品に関する国の制度改正の提言活動の資金源にもなります。ぜひブックレットをお買い上げいただき、私たちの活動を支えてください。」
http://www.fswatch.org/kenkosyokuhin.pdf
なお、信頼に値する記事の出典が下記に明記されてもいる。
http://www.fswatch.org/kenko_pamphlet.pdf
この小さな本の書き出しはこうなっている。
「健康食品を利用しているみなさん、その効果に満足していますか? 『薬のように効いて、食品だから安全』と思っているかもしれませんが、実は『食品だから効果はなく、薬のように危ない』ものもあります。漫然ととり続けると思わぬ被害にあう可能性があります。このパンフレットでは健康食品による健康被害で一番多い薬物性肝障害について注意点を紹介していきます。」
なるほど。健康食品(サプリメント)は薬ではない。だから、効能は確認されていない。したがって、効能を謳ってはならない。ところが、それでは買ってもらえない。だから、あたかも効能があるように、手を変え品を変えて消費者の印象操作をする。効能があるように消費者心理を誤導する。端的に言えば欺すのだ。
欺された消費者の誤解の上に、サプリメントを製造販売する業者の巨大な利益が築かれる。薬品開発のような地道な研究過程をすっ飛ばしてのローコスト生産が可能だからだ。莫大な宣伝費を投じても、薬九層倍の比ではない儲けを期待できる。怪しくも、旨味のある業界なのだ。
しかし、「薬のように効く」と誤解させるだけなら罪は軽い。問題は、「食品だから安全」と消費者を誤解させる罪の深さだ。
健康食品(サプリ)被害の典型が、「薬物性肝障害」なのだという。
このブックレットは、こう警告を発している。
「2017年8月3日に独立行政法人国民生活センターは『健康食品について注意喚起』を発表しました。健康食品の摂取により、まれに薬物性肝障害を発症することがあります。『倦怠感』『食欲不振』『発熱』『黄疸』『発疹且吐き気・嘔吐』『かゆみ』などの症状が見られ、症状が持続する場合は、摂取を止めて速やかに医療機関を受診しましょう、とアドバイスをしています。」
「薬物性肝障害」とは、文字通り薬物が原因で肝臓の機能が障害を受けること。専門医によると、「一般病院での日常的な診療で遭遇する頻度の高い疾患の一つ」だそうだ。従来は病院で処方される薬剤が主な原因だったが、「最近では健康食品が原因のケースが増加しています。1989~98年の10年間の調査では0.7%たったものが、97年~2006年の調査では全体の10%を占めるようになりました。」という。
医薬品の処方による肝障害は医師によって発見され易いが、健康食品(サプリ)の場合は、発見が困難で遅れることになる、という。
被害の具体例の一つとして、「DHCのメリロートで入院」が挙げられている。
「2003年6月からDHCのメリロートというむくみやセルライトに効くとされるサプリメントをとった新潟県の30代女性が摂取開始後1ヶ月ほどで疲れを感じるようになり、黄疸を発症して入院。いったん回復し退院後に再度同じ商品を飲んだところ症状が再発。また静岡県の20歳代の女性も肝障害を起こし入院していました。…国民生活センターのその後の調査では、DHCの商品の1日摂取目安量(3粒)に含まれる「クマリン」の量は、医薬品の2.3倍もあることが判明しました。その後DHCは摂取目安量を2粒に減らし、現在でも販売されています。」
繰り返すが、サプリが効かないことはさほどの問題ではない。サプリを買うカネは自分のものだ。ドブに捨てたってかまわない。しかし、問題は濃縮された特定成分の過剰摂取による健康被害である。通常の調理方法による食物の摂取では絶対にあり得ない濃縮量が毒になる。カネをドブに捨てるにとどまらず、毒を買い込むこともあり得るのだ。
ブックレットは、「被害に遭わないための商品選び4か条」を詳細に述べる。たとえば、「トクホ・機能性表示食品以外の健康食品(サプリ)は選ばない」など。それは、そのとおりなのだろうが、トクホも機能性表示食品も健康被害と無縁ではない。むしろ「一切の健康食品(サプリ)は買わない」が正解ではないか。
さらに、最終章が「被害を受けたらどうするか?」に言及している。「法テラス」の利用法なども述べられていて実用性がある。その中で、業者の賠償責任保険に加入の有無に関心を促している。
周知のとおり、医薬品の副作用には医薬品副作用被害救済制度が存在する。保険料は製薬メーカーに積み立てさせ、過失の有無にかかわらず被害者を救済する仕組みだ。健康食品(サプリ)被害には、もちろんそんな制度はない。
被害賠償の最後の拠り所は、各企業の賠償責任保険からの給付となる。その保険加入の有無へのアンケート結果が公開されており、「『加入していない』『回答しない』事業者の製品購入はやめておきましょう。」と結ばれている。
賠償責任保険に、「加入していると回答のあった」企業は、味の素以下29社。
加入していないと回答があったのが5社。「製造委託先のメーカーがPL(製造物責任)保険に加入しているから」などの理由が寄せられている。
最も問題なのが、回答がなかった21社。DHCは、このなかの1社である。結局のところ、「DHCの製品購入はやめておきましょう」という結論に至る。
このブックレットは、
1部300円(送料別) ※A5判/16ページ/全ページカラー
《被害にあうのを防ぐための実用情報》として、
「安全性を調べるフローチャート」「肝障害の原因と疑われた成分一覧」「商品選びの 4 か条」「損害賠償責任加入の事業者一覧」などを入れたパンフレットを作成しました。
《万が一、健康被害にあってしまった場合の対処法》も入っています。
※送料は 1 部 140 円。それ以上の注文やお急ぎの場合は下記までお問合わせください。
購入ご希望の方は、いずれかの方法でお願いします。
?ブックレット代と送料を下記郵便振替口座にお振り込みください。振替用紙の通信欄に「健康食品パンフ」とお書きください。
?下記「注文書」を FAX してください。
■郵便振替口座:00120-8-776497
■口座名:食の安全・監視市民委員会
<問合わせ・注文先>
電話:03(5155)4765/E メール:office@fswatch.org
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田 1-9-19-207 食の安全・監視市民委員会
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私(澤藤)は、サプリメントの製造販売を手がけるDHCの吉田嘉明が、政治家に金を渡して規制緩和推進の政治と行政を狙ったことを批判した。DHC・吉田嘉明には、その批判が気に入らなかった。高額のスラップ訴訟を提起で、彼は私を黙らせようとした。私だけではない。社会に、「DHC・吉田嘉明を批判するとこうなるぞ」と見せつけたわけだ。
私は、黙らない。私が黙ることは、健康食品(サプリ)に対する規制が緩和されて健康食品被害が拡大することにも通じるからだ。私は、DHC・吉田嘉明に異議を申し立て続ける。彼が象徴する社会の理不尽に対してもだ。
健康食品(サプリメント)の製造販売とは、本来薬事法(現在は、薬機法)の精神からは、あってはならない商分野であり、実質的に違法なのだ。だから、薬事行政からの厳格な規制を受けて当然なのだ。厳格な規制は国民の生命と健康を守るために不可欠であり、規制緩和とは国民の生命と健康をないがしろにすることなのだ。
DHC・吉田嘉明が規制を嫌い、何とか規制を逃れようと手立てを講じるのは、最大限の利潤を追及する彼の立場からは当然でもある。自覚した消費者は、DHCのような企業をのさばらしてはならない。DHC製品を買ってはならないのだ。
思えば、4年前の3月末吉田嘉明自身が週刊新潮誌上に手記を掲載したことがすべての発端だった。みんなの党の党首・渡辺喜美に8億円もの裏金を渡していたことを自ら告白したのだ。この「自白」がなければ、すべては闇の中。私が、吉田嘉明という名を知ることもなかったろう。そして、彼が起こしたスラップ訴訟のなかで、彼のレイシストとしての体質が明らかとなり、これも批判の対象としてきた。
今や、吉田嘉明の沖縄差別・在日差別が、天下周知のものとなっている。彼の差別体質に対する批判を実効あらしめ、彼に差別言動をやめさせるためには、DHC製品を買ってはならない。DHCの健康食品(サプリ)の購入をやめることは、日本の民主主義の進展にも、健康増進にも役に立つ。一石二鳥なのだ。
(2018年3月9日)