毎日新聞の川柳欄は、選者仲畑貴志の名をとって「仲畑流万能川柳」という。
時事ネタあり、社会ネタあり、男女や人情の機微に触れたもの、そして反戦ものまで。内容豊富で実に楽しい。川柳であるからには、ピリッと気の利いた風刺がほしい。権力や権威を笑い飛ばすものでなくてはつまらない。
驚くべきは、年間投句数は58万に及ぶという。毎日掲載句のうち1句が「秀逸」とされ、その中から「月間大賞」が選定され、さらに、58万句の中から、たった一句の「年間大賞」が選ばれる。
毎日欠かさずに、目を通しているが、「秀逸句」必ずしも秀逸とはいいがたい。秀逸句を凌ぐ出来栄えとうならせる掲載句が毎日二つ三つ。おそらくは、膨大な没句の中にも秀句が埋もれているのだろう。人生も社会も同じようなものだ。とはいえ、プロが選した58万句の年間最優秀句には興味津々。
本日の朝刊に紹介された2013年年間大賞句は、
「戦争にならないように投票す」
作者は、戸枝洋子さん(80歳)。柳名は「かもめ」、東京都北区在住とのこと。
なんと真っ直ぐな、なんの技巧も感じさせないシンプルな句だろう。いや、シンプルな言葉だろうか。昨年7月の投句だから、6月の都議戦と7月の参院選を意識しての句であろう。作者は2012年12月の総選挙の結果に驚愕したに違いない。安倍政権の危うさに戦争の影を感じて、投票を通じて平和を希求する意思表示をしたのだ。安倍自民や、その下駄の雪の公明以外の候補者に投票したに違いない。それにしても、福祉でも雇傭でも景気でもなく、平和を願っての投票が川柳となり、年間大賞受賞句となる時代なのだ。
選者の評は以下のとおり。
「普通であれば、「良い国」とか「住みよい国」とかを願って「投票す」なのですが、「戦争にならないように」というのが、この国の今の空気感なのですね。近隣諸国との問題をはじめ、さまざまなキナ臭い空気が漂っています」
仲畑貴志は、細川護煕が都知事に立候補したとき、瀬戸内寂聴や吉永小百合らとともに、真っ先に支持を表明したグループのひとり。原発関連句の選も多い。もう少し踏み込んだ辛口の評が期待できそうなのだが、これでは毒にも薬にもなっていない。それでも、「この国の今の空気感」を「キナ臭い」として、この句をトップに据えたのはたいした在野感覚。
さて、明日(3月9日)が大阪市長選の告示。私の感覚では、いかなる選挙も民意反映のチャンスであり、民意伸長のチャンスでもある。まさしく、「戦争にならないように投票す」でなくてはならない。
主要野党は橋下徹に対抗する候補を立てないようだ。それでも、安倍よりさらに右に位置する維新・橋下への投票は、「戦争を招きかねないその一票」「これがまあ戦争へつづく第一歩」「あのときに橋下支持したばっかりに」「大阪が次の戦争の火付け役」などとなりかねない。すると、「戦争にならないように棄権する」「この度は平和を願って選挙パス」となるのだろうか。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い
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☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月8日)
千葉県柏市で起きた連続殺傷事件で、24歳の被疑者が強盗殺人容疑で逮捕された。この被疑者が、警察の取り調べに「社会に復讐する」と話したことが大きく報道されている。
被疑者の成育環境も現在の生活状況も、そして「社会に復讐する」(報道によっては、「報復する」)という言葉がどのような文脈で語られたのかも、まだよくはわからない。分からないながらも、20代の無職男性が社会との断絶感と、将来への絶望感とを抱いている状況が見えてくる。これまでも、似たような多くの事件の報道に接してきた。
本件にあてはまるかは即断できないが、図式的には、
新自由主義政策⇒経済格差の拡がり⇒若者の貧困化⇒絶望感⇒犯罪
と描いて、さほど無理がないのではなかろうか。
もっとも、こういう図式化を皮相とする、次のような指摘もある。
事件が起こると、まず「犯行の心理的動機を明らかにせよ」という掛け声だ。メディアに心理学者が登場して心理学的な推理が重ねられる。
同時並行する形で、「犯行の社会的背景を究明せよ」とキャッチフレーズが唱えられる。犯罪や家族や教育を専門とする社会学者たちの発言が華々しく飛び交う。
最後に、「性格異常ではないのか、精神に欠陥があるのではないか」と、精神病理的な分析または解釈が語られる。これがお決まりの成り行き。
「犯罪」の心理学的還元、社会学的還元、精神医学的還元といってもいい。「殺人事件」を解決するための三種還元である。
山折哲雄さんが歎異抄を語った「悪と往生」(中公新書)からの要約抜粋である。
この著名な哲学者は、「三種還元の手法には、その還元の総和によって人間の理解が可能になるとするうさん臭い人間観がひそんでいるのではないだろうか。人間には『心の闇』があるなどといいながら本当のところは誰もそれを信じてはいないのだ」と言う。実は誰も人間の心の闇を見すかすことなどはできない。犯罪を起こした人間の心など理解は不可能、とおっしゃる。
なるほど、私たちは「三種還元の手法」で、犯罪と犯罪者を理解したつもりになる。いや、むしろ犯罪の起承転結を理解したと自分を納得させて安心したいのだ。多くの場合、「三種還元の手法」は、犯罪者はこの社会の例外的な存在で、自分は犯行とも被害とも無縁で安全だと教えてくれる。しかし、哲学者はこの姿勢を人間観察における浅薄という。
「安易にすべてが分かったなどとと思い上がってはならない」との戒めとしてこれを聞き置くとして、「三種還元の手法」自体は、犯罪の動機や原因を特定して講じるべき対策を考案するためには有効である。おそらくは、すべての犯罪に三種の要因が、濃淡様々に絡みあっているのだ。
なかでも、社会的な要因を重要なものとして看過することはできない。「恒産あるところに恒心あり」で、格差少なく貧困のない社会では犯罪が少ない。しかし、現今の為政者が拠り所とする新自由主義とは、飽くなき競争至上主義を是認するものだから、優勝劣敗の敗者あることを当然とする。むしろ、格差と貧困の存在を積極的に肯定する政策といってよい。しかも、できるだけ小さな政府で企業負担を減らそうというのだから、自助努力が強調されて福祉は切り捨てられる。市場原理にお任せの格差貧困と安価で使い捨て自由な労働力が求められている。
この政策は必然的に多くの人々の絶望を生みだす。絶対の格差、絶対の貧困の底に沈んだ絶望の人々。統計的にみれば、経済的困窮が犯罪の温床となることは否定し得ない。また、絶望は自殺念慮や、社会への復讐の行動につながる。自由競争にすべてを任せようという強者の論理は、結局のところ犯罪多発の不安定な社会に向かわざるを得ない。
それでも、為政者は「格差や貧困をなくす政策に転換を」とはならない。「格差や貧困に甘んじる従順な性格の国民をつくればよい」というのが彼らの発想だ。そのために教育の管理が徹底される。また、「なかには従順ならざる人格も育つだろう。それに対しては、治安の強化だ」という発想となる。
新自由主義とは、古典的な資本のやりたい放題の横暴を認めよという主張だ。儲けのためにはカジノでも、高利貸しでもなんでもやれるようにしよう。労働市場の規制をなくして人を安く使い捨てができるようにし、法人税の負担を軽くし、福祉は削ろうというもの。その結果としての格差・貧困は積極的に容認する。しかも、「自由」の主体は企業であり、資本であり、大金持ちでしかない。一般庶民は、権力に従順であれとの教育の対象となり、長じては治安対策の対象ともなる。そして、天皇を戴くこの民族の歴史と伝統とによるイデオロギー統制によって擬似的な国民の一体感の醸成がはかられる。
だから、自民党改憲草案は、新自由主義と、復古的天皇制イデオロギーや公序による治安政策とが、木に竹を接いだような不自然をなしている。しかし、それはやむを得ないこと。経済的な新自由主義という木に、治安政策という竹を接がざるを得ないのだ。治安政策の根本に教育統制や復古主義的イデオロギー教化がある。
連続殺傷事件の被疑者の「社会に復讐」という言葉は、今の為政者に、重く響いているはずなのだ。
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以上よろしくお願いします。
(2014年3月7日)
「月とすっぽん」とは、形ばかりは似たようで実は正反対なものの喩え。「月」は仰ぎ見る美しいもの。「スッポン」は泥沼を這う美しからざるもの。「あなたは月のよう」とは褒め言葉で、「スッポン同然」は悪口となる。
「番人」と「番犬」も、似ているようでニュアンスは大きく異なる。番人は自分の意思を持っている。守るべき価値あるものを意識して守る。最高裁を指して、「人権の砦、憲法の番人」と言って、最高裁が怒ることはない。しかし、番犬は自分の意思を持たずに命令に盲従する。命令の正邪や理非を解せず、守るべき物の価値を判断する意思も能力ももたない。特定の人に面と向かって「番犬」と言えば、その姿勢の批判となる。言われた方は、その喩えが侮辱だと言いたくもなろう。
共産党の論客として知られる小池晃議員が、小松一郎法制局長官に向かって、「安倍政権の番犬と言った」と報道されている。複数の報道によると、正確には「番犬」ではなく「番犬みたい」。それも「安倍政権の番犬みたいなことをしないで下さい」という言いまわしで、「番犬」との決めつけはしていなかったようだ。それでも、言われた小松さんが腹に据えかねたとして、社民党党首への答弁の機会に「反論」したことで話題となった。
各紙が報道しているが、本日(3月6日)の朝日は「『安倍政権の番犬』指摘に反論」という見出しで次のように報じ、小池さんの反論も掲載している。
『小松一郎・内閣法制局長官は5日の参院予算委員会で、4日に共産党の小池晃副委員長から「安倍政権の番犬みたい」と言われたことに対し、「国家公務員にも、プライバシーや名誉に関わるものを含め、憲法上、基本的人権が保障されている」と反論した。
小池氏は4日の同委で、菅義偉官房長官にイラク特措法やテロ特措法の条文解釈を質問したのに、小松氏が答弁に立ったとして「憲法の番人なんだから、安倍政権の番犬みたいなことをしないで下さい」と指摘していた。
小松氏は5日の同委で、社民党の吉田忠智党首への答弁の際、「他の党の所属の委員だが」と切り出し、小池氏の発言に「このようなご指摘を受けることはできない」と反論。共産党にも「日頃、国民の基本的人権をことさら重視している」と指摘した。
小池氏は朝日新聞の取材に「政権をかばうようなことをしたから指摘した。番犬だと断定はしていないし、人権をおとしめるというようなことを言われるのは心外だ」と語った。』
さて、問題は2点。小池さんの小松長官に対する「番犬みたい」発言は正鵠を射たものか。そして、小松長官の人格を侮辱するものとして人権侵害に当たるか。小松長官の反論は、後者に対するものだけで、前者についてはない。
小池さんの委員会でのとっさの発言は、「本来内閣法制局長官といえば、その役割は憲法という大切なものを擁護すべき番人ではないか。ところが、今のあなたが官房長官をかばって答弁を買って出ようというその姿勢は、憲法ではなく安倍政権を擁護しようというものでしかない。憲法の番人であるべき立場の人が、あたかも安倍政権に盲従する番犬みたいなことをすべきではない」という趣旨と解される。正鵠を射たものであること、この上ない。
いまさら言うまでもなく、小松一郎長官と言えば、集団的自衛権行使容認という解釈改憲実現の手段として安倍内閣に抜擢された人物。しかも、前例のない外務省からの異例の人事。予てから安倍政権の番犬とささやかれていた人。おそらくは自分でも気にしていたに違いない。面と向かって言われたからには反論しておかねばならないと、翌日の他党議員の質問に対する回答の機会をとらえたのだ。しかし、「私は憲法の番人の役割を放擲していない」とも、「安倍政権に盲従しているわけではない」とも弁解はしていない。おそらくは、そのような弁明の意思はないのだろう。
では、小池さんの小松長官に対する「番犬みたい」発言は人格を侮辱するものとして人権侵害に当たるのだろうか。さすがに小池さんの発言は慎重で、「安倍政権の番犬みたいなことをしないで下さい」という言い方が、侮辱になるとは考えがたい。これをしも人権侵害というなら、活発な議論そのものを封じることになってしまうだろう。
一般論として、強い批判の表現が人格攻撃の色彩を帯びることは往々にしてあり得る。原則論としては、そのような批判の仕方は避けた方が好ましい。しかし、対等者間の言論交換ではなく非対等者間で、権力を持つ側、強者の側、多数を握る側に対する批判に遠慮や萎縮が生じてはならない。権力を持つ側、強者の側、多数を握る側は、民衆の側からする強い批判を甘受しなければならない。それが、民主主義の要請するところ。
場面が変れば事情も変わる。共産党の副委員長である小池さんは、党組織幹部として党内からの批判には十分に耳を傾けなければならない。たとえ、その批判が人格攻撃的な色彩を帯びるものであろうとも。
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☆抗議内容の大綱は
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*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月6日)
日本弁護士連合会は、全国の弁護士の強制加入団体である。当然に様々な政治信条をもつ人が会員となっている。だから、政治的スローガンで、会としての行動をすることはない。
法に基づく弁護士の使命は、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」である(弁護士法1条1項)。だから、「基本的人権を擁護すること」「社会正義を実現すること」を目標とした活動をすることは旺盛に行われるべきで、むしろ弁護士会の責務でもある。しかも、「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない」(同条2項)という規定さえある。個人としての弁護士が、弁護士活動に参加して、基本的人権擁護のために「法律制度の改善に努力」すべきことは弁護士の義務ですらある。
もっとも、制度の改善は政治的な過程を経なければ実現し得ない。また、人権課題と政治課題との境界には微妙なものがある。ときに、「人権課題のようでもあるが、政治的色彩を払拭できない以上は弁護士会として取りあげるべきではない。」との意見にぶつかる。しかし、そのように萎縮していたのではすべての人権課題への取り組みが不可能になる。むしろ、「現実の社会に生起するすべての人権課題が、多かれ少なかれ政治的色彩を帯びることは当然である。人権課題である以上は、政治的色彩があろうとなかろうと弁護士会がとり組むことに躊躇してはならない」というべきだろう。
法体系の最上位にある日本国憲法は、豊かな諸人権の擁護を最高の憲法的価値とし、その諸人権の実現のために諸制度を設けている。弁護士会は、人権問題として広範な諸制度に関わる問題に取り組むことが可能である。「その課題は政治的色彩が濃いから、政治問題だ」という会内の声は克服しなければならない。法律家の団体として、自ずから圧倒的多数の賛意を得る合意形成の着地点がある。
そのような弁護士会の課題のひとつに教育問題がある。安倍政権の教育再生実行会議の動向を見極め、子どもの教育を受ける権利擁護の観点から、適切な対応をしなければならない。2006年の第1次安倍内閣における教育基本法改正問題の際にも、重大な憲法問題と考えられたが、今また教育は喫緊の重要課題となっている。
日弁連に、教育法制改正問題対策ワーキンググループができて、教育関係の各学会や市民運動団体に呼び掛けて、本日、第1回の「教育法制『改正』問題に関する各界懇談会」が開催され、私も出席した。
本日は、各参加者がそれぞれの問題意識を語った。それだけで2時間近く。
発言に共通しているものは、強い危機意識。異口同音に、このままではたいへんな事態になってしまう、戦後民主主義の成果としての教育が根こそぎ改変されてしまいかねない危機にあることが語られた。
もう少し具体的には、「教育への権力的統制の強化」と「競争による教育の破壊」の2点が柱になっている。前者は明文改憲や集団的自衛権行使容認の解釈改憲、特定秘密保護法などと軌を一にする国家主義的路線。「戦争のできる国づくりに適合する教育」と何人もが語った。後者は、一握りのエリートとそれに奉仕する従順な労働力を養成しようという新自由主義路線。格差社会化、子どもの貧困化などの問題が語られた。
最大のテーマとして関心の中心となったのが、やはり教育委員会制度改変問題。具体的には、今国会に上程予定とされる地教行法改正問題。課題はそれひとつだけでなく、教科書検定や採択の制度の問題。「日の丸・君が代」強制、教育助成の問題、在日の民族教育への差別解消、道徳の教科化、学力テスト、歴史教科書への介入、学習指導要領解説書の押し付け問題…。「安倍政権は、これからもっと多様な教育統制の具体策を出してくる予定だ」という研究者からの発言もあった。
いくつか、印象深い発言を摘記しておきたい。
「教育行政は、やらねばならない課題が山積していることが明確なのにやろうとしない。そして、やってはならないとされている教育内容への介入だけにこの上なく熱心になっている」
「今、戦後の教育改革を振り返って見るチャンスでもある。あのときに、地方だけでなく中央にも教育委員会をという声が高かった。当然、文部省など有害無益で不要ということだった。文部省は辛うじて生き残ったが、もう一度そのときの議論を今振り返って見るべきではないか」
「辛うじて生き残った文部省の大臣は、最初のうちは政治家ではなく、学者を充てていた。教育の独立と政治的中立には、それだけの気を使っていたのだ。そのことをもう一度思いおこそう」
「戦後の教育改革といえば、教育基本法、6・3制、共学、社会科、教育委員会制度ではないか。今、その全部が『教育再生』の名の下に、なし崩しにされようとしている」
そうして、自戒の念を込めて、何人もが次のように語った。
「理念や制度の問題は複雑で面倒だ。私たちは、多くの市民に理解してもらえるように話してこなかったのではないか。これからは、分かりやすい言葉で、正確にやさしく語る術を身に付けなければならない」
今後も連絡を取りあうことを確認して散会した。第1回懇談会、首尾は上々ではなかったか。
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*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月5日)
7つの市民団体の共同で籾井NHK会長と百田尚樹・長谷川三千子両経営委員の罷免、辞任を求める署名運動が始まった。3月3日現在4500筆を超えているそうだ。
用紙による署名とネット署名の両方が可能。下記のURLを参照いただきたい。
「籾井勝人NHK会長、百田尚樹、長谷川三千子両NHK経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い」
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
そこに、ダウンロードして使っていただける署名用紙とネット署名のフォーマット(下記URL)が掲載されている。
http://chn.ge/1eySG24
署名は2月28日から始まった。当初、3月15日を署名の第一次集約日として、その日までに5000筆の署名を集めることを目標に取り組んできたところ、既に本日(3月4日)20時現在で5200筆を超えたとのこと。急遽主催7団体で第一次集約日と目標数の見直しを相談しているところだという。
国民の知る権利を守るため、安倍政権の暴走を阻止するため、是非とも多くの方のご賛同をお願いいたします。
なお、署名の本文は以下のとおり。
***********************************************************************
内閣総理大臣 安倍晋三様
NHK経営委員会委員 各位
私たちは、籾井勝人NHK会長、百田尚樹、長谷川三千子両NHK経営委員の罷免を求めます。
NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ
NHK問題大阪連絡会
NHK問題京都連絡会
NHK問題を考える会(兵庫)
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWWRAC)
日本ジャーナリスト会議
放送を語る会
NHK籾井会長は、就任記者会見で、「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにでもあった」、国際放送について「政府が右ということを左とは言えない」、特定秘密保護法は「とりあえず受けて様子をみるしかない」などと発言し、政権寄りの姿勢だとして、視聴者の厳しい批判を浴びました。
とくに日本軍「慰安婦」に関する発言は、歴史的事実に反するばかりか、過去の戦争への反省を欠き、国際問題に発展しかねないものです。このような考えを持つ人物は、政府から自立し、不偏不党の精神を守るべき公共的な放送機関のトップにはまったくふさわしくありません。 NHK経営委員会に、籾井会長を放送法第55条に従って罷免するよう強く求めます。
経営委員の百田尚樹氏は、先の都知事選挙で、自衛隊出身の田母神俊雄氏を応援し、田母神候補以外の候補を「人間のクズ」などと攻撃しました。長谷川三千子氏は、朝日新聞本社でピストル自殺した右翼運動家を礼賛する追悼文を書いたことが明らかになりました。暴力によって言論報道機関を威嚇した人物を褒めたたえる姿勢は異様と言わざるを得ません。
経営委員は「公共の福祉に関し公正な判断をすることができる者」から選ぶ、とする放送法の規定からいっても、両氏が経営委員失格であることは明らかです。放送法の規定に従い、両氏を罷免するよう、総理大臣に強く要求します。
***********************************************************************
NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
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プーチンさん ご無体はおやめなさい
太陽が出てくれば、気温は低くても身体がよく動く。老化したと思っていたけれど、この分ならもう少し大丈夫そうだとホッとする。庭のコンポストの生ゴミにシャベルで土を入れて、よくブレンドする。これを丁寧にしないと、悪臭がして、暖かくなった頃ウジがわく。寒いとスコップに触るのも嫌だと思うけれど、冬でもこの作業は欠かせない。
ついでに八百屋まで買い出しに行く。雪が降って、青物が高騰したということだが、この八百屋さんは大変な営業努力をしている。少々遠くて、荷物が重くなるけれど、あれもこれも欲しくなる。ネギは高くなっているけれど、小松菜、ハクサイ、ホウレンソウは一束100円前後。エノキ、ブナシメジのパックは80円ぐらい。モヤシは一袋28円。キャベツ、ブロッコリー、レタスは200円足らず。トマトは3個300円ぐらい。回転が速いので新鮮で、品物も良い。
店先には果物が溢れるばかりに積んである。バナナ、リンゴ、ミカン類、そしてイチゴ。イチゴは1パック300円から600円ぐらい。粒が大きいと高い。驚いたことに、白イチゴがあった。佐賀産。ほんのり赤っぽくなっていて真っ白とはいいがたい。どこかの鉄工場の脇に積もった雪に鉄サビがついたようで、とてもおいしそうには見えない。生産努力は認めるが、「雪うさぎ(佐賀産白イチゴの名前)」になりそこねた「夏毛うさぎ」のようでもある。さすが値段も遠慮してつけている。大玉5個で980円。きっとそのうち純白の「雪うさぎ」が出回るようになるだろう。紅白イチゴのめでたいパック詰めも並ぶかもしれない。
こうした穏やかでめでたい日本の春とくらべると、世界はあちこちできな臭い。新聞を読んでいると、胸が痛くなる。ウクライナをめぐって、また冷戦に逆戻りかと危ぶまれるような、不穏な空気がただよっている。プーチンの緑色の細い目が、獲物を狙う猫のようで不気味だ。ウクライナにはチェルノブイリを除いても、操業中の原発が17基も稼働している(ウィキペディアによる)。 ロシアからEUへ石油を送るパイプラインも通っている。そんな危険な場所で戦闘が起こるはずがないと思ってはいるけれど、軍事展開が早いのでハラハラする。ドイツのメルケル首相は機敏にプーチンに電話をかけている。「ハロー、プーチンおやめなさい」とお姉さんが弟に諭すように言ったのだろうか。自分が国際的に支持されているという自信とEUの盟主としての使命感による行動なのだろう。
ともかく、ここは幡随院長兵衛の出番。
「そのケンカ待った。あっしがお預かりいたしやす。まずはご無体をおやめなさい」
たった今、そのように割ってはいる「時の氏神」が必要だ。ロシアの行為が侵略の定義にあてはまることは明らかなのだから。
(2014年3月4日)
悪名高き「10・23通達」に基づく懲戒処分は457件に及ぶ。その関連訴訟は、まだまだ続いている。この訴訟は、国旗・国歌の評価をめぐる訴訟でもなければ、「日の丸・君が代」の歴史認識をめぐる訴訟でもない。ひとえに、「国旗・国歌」あるいは、「日の丸・君が代」の強制が許されるか否か、というだけの訴訟なのだ。
その本質は、個人と国家との憲法価値の優劣をめぐる争いである。すべての憲法訴訟において、実質的にそれぞれの憲法価値相互の衡量が行われる。本件において衡量されているものは、「個人の尊厳」と「国家の存立」という各憲法価値にほかならない。法的には、その衡量の帰趨は自明であるにかかわらず、この正確な衡量を狂わせているものがある。それがナショナリズムである。
本件の訴えは、「原告らに対する国旗・国歌への敬意表明の強制が許容されるのか」というシンプルな問に回答を求めるもの。
この問への回答のために衡量の対象とされるものの一方は、敬意の表明の強制対象である国旗・国歌。国旗・国歌ともに国家の象徴として、国家と等価の関係にあるものと意味づけられている。したがって、秤の一方に載せられるものは国家そのものの憲法価値である。「国家への敬意という価値」と言ってもよい。
もう一方の秤に載せるものは、国旗国歌への敬意表明の強制を受け容れがたいとする教員個人の尊厳であり、個人の思想良心の自由という人権としての憲法価値である。国家と対峙する個人が自らの尊厳という憲法価値を認めるよう裁判所に求めているのだ。
一方に「国家」を、他方に「個人」をおいた秤の衡量の結果は、本来であれば、「個人」の方が「国家」よりも遙かに重いことが明白である。近代立憲主義の大原則においては、個人が前国家的な存在であり、国家が後個人的存在であるのだから、これは当然のこと。
ところが、学校現場ではそうなっていない。行政もそのようには考えない。さらには、裁判所も、そのようにシンプルに考察することに躊躇を隠さない。国と個人との憲法価値の正確な衡量を妨げる要因があるからである。それが強力なナショナリズムの作用にほかならない。
ナショナリズムは、国民を統合する機能をもっている。その故に、為政者に親和性がある。また、ナショナリズムは国民多数派の心情でもある。多数派が、政権を形づくる原則においては、政権がナショナリズムに親和的であることは理の当然。したがって、政権を握った為政者は、意識的にナショナリズムを涵養する。その極端な例のひとつが、戦前の日本であった。
かつて、天皇制政府の教育政策は国粋的なナショナリズムを鼓吹した。日本は神国であって、他国に優越した存在であることが強調された。戦前の国策として意識的に涵養されたナショナリズムは、一面国民を統合することに成功した。しかし、その過剰なナショナリズムは、対外的には排外主義となり、侵略戦争と植民地主義の温床となった。対内的には、ナショナリズムに熱狂しない少数者を非国民とする非寛容の思想となって、思想良心の自由を侵害し、政治弾圧や宗教迫害の温床となった。
戦後民主主義は、排外的ナショナリズムを払拭したはずだった。ところが今、日本の社会には過剰なナショナリズムが復興しようとしている。戦前とまったく同じ「日の丸・君が代」を国旗国歌とする法律を作り、学校現場で「日の丸・君が代」への敬意表明を強制していることがその象徴的なできごとである。
ナショナリズムには、国民を熱狂させる力がある。国家への統合に国民の精神を総動員するエネルギーを秘めている。国家との関係を醒めた理性で見つめる人に対して、愛国的な行動に同調を求める強力な圧力となっている。
ナショナリズムは、国家を特別に重要で敬意を表すべき存在であるとする。尊崇に値するものとさえ考える。国旗国歌についても、同様にこれを重大なものとして扱い、すべての国民に対して、これに敬意を表明することを強要する。
ナショナリズムによる国旗国歌への敬意表明要求は、社会的同調圧力として存在するにとどまらず、多数決原理の下、容易に政治権力に転化する。こうして、政治権力がナショナリズムを鼓吹する悪循環が生じる。10・23通達を発出した東京都の例は、その最悪の実例である。
ナショナリズム鼓吹派は常に多数派で、ナショナリズムに同調しない人々は常に少数派である。すべての国民が国旗国歌に敬意を表明すべきことは当然と考える人々が多数派で、不起立不斉唱でこれに抵抗する人々は少数派である。関連訴訟は、そのような社会的背景の中で生じ、そのような背景の中で権利回復を求めた争訟が展開されている。
言うまでもなく、人権の擁護は、少数派の人権の擁護であることに実質的な意味がある。多数派が思想弾圧を受けることはない以上、思想良心の自由とは常に「権力(=多数派)が憎む少数派の思想の自由」である。多数派には思想良心の自由の保障は実質的に無用である。
多数派の社会的同調圧力は多数決原理の介在によって、強制力をもつ公権力の命令に転化する。10・23通達と、同通達にもとづく職務命令とはそのようにして、教員の人権を脅かしている。
多数派は、国旗国歌に敬意を表しない少数派の思想や良心は許し難いとする。個人の単位で思惟し行動する原則を認めず、国民としての思想や行動の統合を求めることがナショナリズムの本来的な志向である。行政は、ナショナリズムを背景に、多数派の意思を権力を発動して実行した。そのような文脈において、今、司法の役割が問われている。
司法がナショナリズムという「多数派の意思」に動揺してはならない。司法は、飽くまで人権の砦としての役割を果たさなくてはならず、多数決原理に迎合してこれに追随してはならない。多数派の少数者に対する同調圧力の不当を看過して、これを容認するようなことがあってははならない。司法がその役割を果たさなければ、ナショナリズムの非理性的な熱狂は、対外的には容易に排外主義となり、対内的には異論を許さない非寛容な非国民排除の社会を再現することになりかねない。ナショナリズムという危険物の扱いを過てば、日本国憲法の前文が痛苦の反省の対象とした歴史を繰り返すことにつながりかねない。
革新陣営総体が上り坂で強いとき、裁判所は保守反動の役回りとなる。革新派の勢力が十分でないとき、人権擁護の歯止めを裁判所に期待せざるを得ない。人権擁護の立場を貫徹することが、結果としてナショナリズムの歯止めとなる。10・23通達関連訴訟をそのような展望をもっつものとして関わっていたいと思う。
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年3月3日)
安倍政権の「国家主義的日本改造」プランの重要な柱のひとつが「教育再生」。再生の用語には、戦後レジーム以前の戦前への回帰願望が透けて見えている。今、その具体策として教育委員会制度「改革」の法案を今月(3月)中に国会上程の予定で、自・公の与党内摺り合わせが進行中と報じられている。またまた例のごとく、公明党のマイナーチェックによって自民党案の大筋が法案となりそうな雲行き。今国会の大きな争点の一つとなりそうだ。
この法案は、戦後改革の重要テーマであった「教育改革」の成果を否定しようとするもの。「戦後教育改革」とは、国家による教育を否定し、教育への国家・公権力の介入を防止することを主眼とするもの。少しずつ後退を余儀なくされて来た制度を一段と改悪し、教育委員会制度をほとんど形骸化することがはかられている。自民党案は、国家や自治体首長の公権力が教育へ直接介入する道を大きく開くものである。
戦前においては、教育とは国家が望む国民を作りあげることだった。国家の大目標が「富国・強兵」にあった以上、教育の目的は、「富国」を支える従順で良質の労働力を養成すること、心身ともに頑健で上官の命令に服従する「強兵」を供給することにあった。天皇制国家は、全国の教場で、国家の存立を支える国体イデオロギーを臣民の子女にたたき込んだ。全国民を対象とするマインドコントロールこそが戦前教育であったと言って過言でない。
敗戦によって事態は一変した。偏頗な非合理的イデオロギーに基づく天皇制は瓦解し、個人の尊厳と民主主義が指導原理となった。大日本帝国憲法とともにあった教育勅語は失効し、日本国憲法に「教育を受ける権利」が位置を占め、教育基本法が制定された。47年教育基本法には、清新にして格調高い以下の前文が付されていた。時代の雰囲気と国民の関係者の熱い思いをよく伝える文章。
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」
戦前教育についての最大の反省点は、「国家が直接教育を行った」ことにあった。国家による教育を防止し、国家の教育への支配介入を阻むために、いくつもの障壁が設けられた。まずは、教育と教育行政とを分離し、教育に関して行政のなすべきことを教育条件の整備に限定し、教育の内容に介入してはならないとした。それでも、教育行政が教育内容に介入する恐れは払拭できない。そこで、教育行政は、国家ではなく地方自治体の任務とし、さらに教育行政を一般行政から区別して、自治体の首長から独立した教育委員会を地方教育行政の主体とした。自治体の首長は住民多数の意向を体現する立ち場にあるが、こと、教育行政に限っては時々の多数派の意向から中立でなくてはならないという原則を重視した制度設計だった。
こうして、教育基本法の理念を実現するために、1948年4月教育委員会法が制定されて、全国の自治体に、公選制による教育委員会が設置された。全国の自治体にくまなく地方議会が設置されているのと同様、全国にくまなく選挙による教育委員会が設置された。国家の教育への介入は、地方分権と、教育行政の独立と、さらに地方教育行政といえども教育内容には介入できないとする原則と、3重の障壁を設けて警戒されたと言ってよい。その制度の中心に、教育委員会が位置していた。
しかし、住民の公選による教育委員会制度は戦後の保守政権確立の過程で挫折する。1956年には、教育委員を公選とせず、議会の同意を得て首長が任命することになった。法律の名前も、教育委員会法から地教行法(地方教育行政の運営に関する法律)に変わった。
教育委員会制度は、戦後レジームの重要な構成部分である。1956年制度改変後もなお、教育委員会は国家による教育統制の防波堤であり、地方自治体の首長の教育への介入にも一定の役割を果たしてきた。全国学力テスト参加に反対を貫いた犬山市教育委員会の例などにみられるとおり、不十分ながらも、国家の教育介入へのコントロールとブロックの装置となりうる。なり得ることが、予防の機能も果たしてきたといえよう。安倍政権には、このコントロールとブロックが目障りでしょうがない。これをなくしてしまいたいのが、彼らの本音。
2013年3月現在で、文科省がまとめた教育委員会制度についての各党の意見分布は以下のとおりである。
※自由民主党
・首長が議会の同意を得て任命する「常勤」の「教育長」を教育委員会の責任者とするなど、教育委員会制度を抜本的に改革。
・いじめの隠ぺいなど、法令違反や児童生徒の「教育を受ける権利」の侵害に対しては、公教育の最終責任者たる国が責任を果たせるよう改革。
※公明党
・いじめや不登校問題など学校現場の様々な問題に対応するため、委員選定や委員会の権限をはじめとする教育委員会の在り方を抜本的に見直し、その機能強化を図る。
・学校ごとの裁量を広げ、教員の創意工夫を奨励する制度を推進。
※民主党
・コミュニティスクール(土曜授業も含む)を更に増やす。
・地方教育行政法を見直し、現在の教育委員会制度を見直す。
※日本維新の会
・教育制度改革(教育委員会制度の廃止を含む)
※みんなの党
・地方自治体の判断により教育委員会を設置するか否かを決定できるようにする等、地域の実情に応じた教育行政が展開できる環境整備
・教育は市町村、現場の学校に任せることを基本とし、国の役割は最低限の教育水準の維持にとどめ、地域の実情に合わせたユニークな教育の実施
・学校を地域社会に開放し、地域社会の核に。学校経営も保護者・住民・教育専門家等による運営委員会で実施。
※社会民主党
・教育委員会の在り方を抜本的に見直し、機能を強化。
・学校ごとの裁量を広げ、教職員の自発的取組が生かされるよう制度を整備。
・地方教育委員会に予算権を付与し、地域の実態を反映した教育計画の立案・推進を可能にする等、教育の民主化の推進。
※共産党
・教育への政治支配をやめさせる。
・民主的な学校運営、住民参加の学校づくり(教育委員の公選、学校への住民参加)
以上をみれば、「教育委員会制度の理念を再確認して活性化の方策をとる」方向か、「教育委員会の形骸化を制度的に追認して教育行政の権限を首長に移行する」方向かと、争点を整理することができよう。
今回の自民党案については、ペーパーとしてまとまったものに接することができない。各紙の取材内容として報道されているものを読むしかないのだが、各紙の報道を要約すれば、以下のとおり。
?首長に、教育行政全体についての中心的権限を委譲。
?首長主宰の会議を新設し、首長の権限を強める。
?教育長を責任者と位置づけ、首長が直接任免する。
?文科大臣の教育委員会に対する「是正要求」などの権限を強化。
結局、自民党案においては、教育委員会の形は残されるが、本来期待された公権力・政治権力からの教育介入防波堤としての役割は実質において失われる。
安倍政権も、そして石原や橋下などの地方権力も、そのやり口は「選挙に勝ったからには、我こそ民意」として、民意が教育に介入して何が悪いかと開き直っているのだ。時々の多数派によって形成された時の権力が、権力の望むところの教育を行ってはならない。
教育委員会制度「改革」は、戦後教育改革の原点を忘れて、教育の政治的中立性の原則を蹂躙するものである。
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☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年3月2日)
本日は、3・1ビキニデー。1954年3月1日、「ブラボー」とふざけた名を付けられた水爆実験による第五福竜丸の被災から60周年。その「記念のつどい」は盛況だった。メインの企画は三宅榛名さんのピアノコンサートと、池内了さんの記念講演。そして、マーシャル共和国大使や被爆者団体などの各界挨拶。
核爆発だけではなく、放射線被害への警告が今日の集いのメインテーマとなった。ヒロシマ・ナガサキとフクシマとを結ぶ位置に、第五福竜丸の被害がある。期せずして、60周年記念行事はそのことを確認する機会となった。
池内さんは、「M to M」と「N to N」という2対の標語を披露して、人類にとっての放射線の危険を語り、原発の稼働があってはならないことを力説した。
「M to M」とは、「Mt(メガトン)からMkwh(メガキロワット) へ」という意味。「核技術は、核爆発から核エネルギーへとシフトされた」「同じ技術同じ危険が、核爆弾から原発へと形を変えている」という含意。
「N to N」とは、「Nuclear to Nature」。「エネルギー供給を原発頼りにすることはやめて、自然エネルギーに切り替えよう」という意味。「日本は資源小国というが、それは地下資源のこと。太陽や海や風のエネルギーには恵まれている」「原発事故は絶対にあってはならないのだから、地震や津波の国日本での原発稼働はあり得ない」「自然エネルギーの開発を」「それこそが、人類と資源のサスティナビリティを確保する道」という説得力のある講演だった。
2月20日多喜二祭でのノーマフィールドさんの講演を思い出す。レジメに基づいた話しのなかで、都知事選の争点に絡む話題として、「生命」と「生活」の乖離が語られた。本来長いスパンでの生命を維持し擁護することが人にとって最も大切なこと。しかし、今日の生活を脅かされている人にとっては、そのような悠長なことは言っておられない。明日の生命よりは今日の生活を重視せざるを得ない。状況がそうさせている以上、今日の生活を選択する人を責めることはできない。
明らかに、原発への対応を念頭においてのこと。曖昧さを残した語り口で、必ずしも論旨明確ではなかった。私は次のように理解した。
今、脱原発こそが人類の生存のために最重要の課題。人類史的で文明史的な課題でもある。本来、都知事選のテーマとして他の課題とは比較にならない重要性をもっているはず。しかし、そのような主張は必ずしも選挙民の要求にフィットしたものとはならない。長いスパンの生命の維持よりは、今日の生活が大切ではないか、というのが多くの選挙民の声なのだから。
おそらくは、彼女は、心情的には細川護煕候補に肩入れしつつ、しかし、脱原発のシングルイシューの訴えでは票が取れない、そう思っていたのだろう。理念派からの支持は期待できても、今日の生活の改善を要求する現実派からの支援を獲得することができない。結局はそのことで敗れた、そう分析しているのだ。
本日の毎日「メディア時評」欄に、王寺賢太という論者が、「舛添・細川両氏の公約が『原発の部分を黒塗りすれば見分けが付かない』(都幹部の話し)」と引用している。しかし、細川を支持した理念派有権者にとっては、まさしく「原発の部分」の訴えこそが、死活的に重要だったのだ。
本日の「3・1ビキニ」の集いは、理念派の集会という雰囲気。まさしく長いスパンの人類の明日のために、語り合う集いとなった。核爆弾も原発もなくそう。核の軍事利用も平和利用もやめよう。経済的な豊かさよりは、平和と安全をえらぼう。確実な未来のためなら、乏しさはガマンをしよう。飽食しなくてもよい、腹7分目で十分ではないか。私には、得心の行く内容の集会だった。
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(2014年3月1日)
昨日(2月27日)舛添要一新都知事の定例記者会見が行われ、その全文の記録がネットで読める。URL配下のとおり。
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2014/140227.htm
興味深いことには、知事が10・23通達や処分の問題について語っている。もちろん、知事の側から積極的に切り出したものではない。質疑応答の中で、果敢に切り込んだ記者の質問に応じてのもの。慎重な口調ながら、石原や猪瀬とは明らかに異なる対応。今回会見の発言内容には理解不足が目立つものの、もう少し事実を知ってもらえたら、もう少し教員側の意見に耳を傾けてもらえたら、またもう少し人権や民主主義の基本原則からこの問題を考えてもらえたなら、石原・猪瀬の時代とは違った舛添流教育行政となるのではないか。
舛添さんの発言のさわりをいくつか抜き出して、コメントをしたい。
【知事発言】…国旗国歌法、これは国会できちんと通りました。それから、もうご承知のように、広島の学校の校長先生が自殺するという事件があって、あの当時、国会議員だった野中広務さん含めて、これはおかしいじゃないかっていうことで、国旗国歌法を定めたと。だから、憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない。
【澤藤コメント】「憲法のもとにある国旗国歌法、これは日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」は、まったく意味をなさない。舛添さんも、この会見碌を読み直して、「まずいことを言っちゃった」と思っているはず。国旗国歌法は、国旗のデザイン(日章旗)を定める第1条と、国歌のメロディと歌詞(君が代)を定める第2条の2か条だけからなる法律。掲揚義務も斉唱義務も、もちろん尊重義務もない。うっかり法案に国旗国歌尊重義務などを盛り込んだら、憲法問題を生じることとなり、反対世論が昂揚して法案は成立しえない、という政府の読みがあったからだ。だから「きちんと守らないといけません」という、守るべき規範がそもそもない。おそらく、舛添さんは国旗国歌法をきちんと読み込んだことがない。
「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません。それがまず大前提で、もちろん公務員はそれを守らないといけない」という発言は、もしかしたら、彼は法を読まずして間違った思い込みをしているのかも知れない。国旗国歌法を根拠として国民には旗と歌の尊重義務があり、公務員には強制可能なのだと。明らかな間違い。誰かが教えてあげなければならない。その機会は、都議会の質疑か、記者会見の席かということになるのだろう。
また、舛添さんの「日本国民である限りは、それはきちんと守らないといけません」という説教調が気になるところ。知事の仕事は、説教を垂れることではない。しかも、憲法遵守義務は、天皇や首相や知事自身に説くべきで、国民に説くべきものではない。さらに、言っていることが、「日本国民である限りは、国旗国歌への敬意表明はきちんと守らないといけません」に聞こえる。しかし、国旗国歌法は、日本国民の誰にも、なんの命令も要望もしていないのだ。
【知事発言】それから、…処分の中身は適当であったかどうかと、これはもう最高裁の判決があるわけですから、その判決に従うと、司法に従うということは、これは三権分立の国として当然あると思います。
【澤藤コメント】間違っていることを言っているわけではないが、行政の長の言として適切さを欠く。三権分立の理念の把握も浅薄だと言わざるを得ない。
知事発言には、権力の発動である行政処分が不当に人権を侵害することのないよう慎重な配慮を要するとの姿勢を感じ取ることができない。処分の謙抑性や慎重さではなく、積極性だけが強調されて、事後的に司法判断において違法とされればその判断に従えばよいだけだ、と言っている。
我が国の司法が、立法や行政に対する違憲審査権を持ちながら、その権限の行使に極めて消極的なことはよく知られた事実である。だから、知事としては、「いやしくも最高裁から、『違法な処分だから取り消す』という不名誉極まる判決を言い渡されることなどなきよう、慎重な配慮が必要」と部下にも都民にもいうべきなのだ。「最高裁からの違法判断の判決があれば、それに従えばよい」などというのは無責任な居直りに過ぎない。
【知事発言】それから、10.23通達含めて、これからどうするかっていうのは、これは少しまた検討課題で時間をいただきたいと思います…。その不起立懲戒処分がどうなんだろうかということについては、…重過ぎるのか低過ぎるのか…これ、もう少し事務方含めて、都教委がどういう判断であるかっていうのを直接やっぱり聞かないとわかりません。その上で、今言ったご質問にもどう対応するかを考えたいと思ってます。
【澤藤コメント】なかなかに期待を抱かせる発言ではないか。その文言のまま受けとって、10・23通達の見直し、少なくも処分濫発の見直しに期待したい。石原教育行政では、また石原後継を称する猪瀬教育行政でも、舛添さんのような率直な見解にはなり得ない。
【知事発言】私は…やはり国旗に対してきちんと敬意を払う、国歌に対してもきちんと起立して歌うということは、私は当然だと思ってますから、それ以外の解釈あるとすれば、まさにその解釈こそ、司法の場に委ねればいいと思ってますけど、ま、そういうふうに思ってます。
【澤藤コメント】おやおや、自由主義者で個人主義の理解者であるはずの舛添さんから、こんな俗論が飛び出すとは思ってもみなかった。東京オリンピックを主宰する立ち場となったから、こんな発言となったのだろうか。「私が、国旗・国歌に対して敬意を払うべし」という意見をもっていることはわかった。問題は、そのことにはない。論理がそこから幾段も飛躍するところにある。「自分だけではなく、すべての国民が国旗国歌に敬意をはらうべきが当然である」。さらに、「国旗国歌に敬意をはらうよう公権力によって強制することも当然」となっているのだ。
憲法とは、究極において国家と個人との関係をどう規律するかの規範である。少なくとも、憲法が最大の関心とするところは、権力の主体としての国家と人権主体としての個人との関係にほかならない。個人を先国家的な存在とし、国家を後個人的な存在とする憲法は、個人の国家観を当然に多様なものと認める。国家の都合で個人の国家観が制約され統制されることはあり得ない。主権者である国民個人の意思で国家がつくられたのだから、当然といえばあまりに当然。
主権者によってつくられた国家が、主権者である国民に対して、自らの象徴である国旗国歌への敬意表明を強制することは、背理であり矛盾であり、倒錯である。そんな出過ぎたことは国家に許容されてはいないのだ。
果敢な記者の質問が明らかにしてくれたことは、舛添さんは、国旗国歌法についても、また自民党の改憲草案の国旗国歌尊重義務条項についても、10・23通達についても、関連訴訟の最高裁判決についても、ほとんどご存じないようであること。是非とも、自由主義者・個人主義者としての舛添さんの本領を発揮して、頑迷固陋な国家主義が固化した石原教育行政の残滓を洗い流していただきたい。
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滝の氷柱よさようなら、春の凱旋行進曲のお通りだい
今年、にわかの雪国となってしまった関東地方では、慣れない雪と氷に嫌というほど苦しめられた。それでも一昨日あたりから、気温が上昇して一息ついている。春めいたと喜んでいる人もいるけれど、雪を楽しむ余裕のある北国では、気温が上がって美しい景色が台無しになって残念がっている人もいる。青森県西目屋村の「乳穂ケ滝(におがたき)」では25日朝、滝が高さ33メートルの氷柱になって地面に到達した。しかし、午後には暖気でその氷柱は崩落してしまった。同村の観測によると氷柱の命はたった5時間だったそうだ。
岩手県花巻市石鳥谷町の「たろし滝」(13メートル)も一度地面に届いた氷柱が、雨で崩落してしまった(2月11日)。「たろし」は「垂氷(たるひ)」が変化したもので「つらら」の意味。両方の滝は地元の保存会が毎年、氷柱の太さを測って、その年の米の作柄を占っている。毎年氷柱ができるわけではなく、やっとできた氷柱の命も短い。関係者はハラハラしながら見守っている。楽しみなお祭りでもあり、観光行事でもある。ここに限らず、北国の各地には、雪や氷の美しい造形をお国自慢にしているところがたくさんあるに違いない。
しかし季節はめぐり、さしもの冬将軍も春のほほえみの前にはしぶしぶながら退席を覚悟したようだ。例年どおり、伊豆の河津川は濃いピンクの河津桜と黄色い菜の花の花づなで華やかに飾られた。カレル・チャペックは春の喜びを次のように語っている。
「『それ!』というあの神秘な掛け声が鳴りわたったらしい。朝のうちはまだかたい襁褓(むつき)につつまれていた芽が、柔らかい葉先をおしだして、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星がひかり、梨のふっくりした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、その先にみどりをおびた金色の蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔を出し、ふとった芽がひらきかかって小さな葉脈と小さなたたみ目のやさしい透かし細工が押し合って出ようとしていた。赤くなってはにかむことはないのだ。たたんだ扇を開くがいい。うぶ毛をはやしてねむっている芽よ、目を覚ませ。スタートの命令がもう出たのだ。楽譜にのらない行進曲の、はなやかなラッパを吹き鳴らすがいい!日をうけて光れ、金色の金管楽器。とどろけ、太鼓。吹け、フリュート。幾百万のヴァイオリンたちよ、おまえたちのしぶき雨をまきちらすがいい。茶色と緑のしずかな庭が凱旋行進曲を始めたのだ」(「園芸家12カ月」カレル・チャペック)
冬の寒さに閉じこもって、今年も壮大な氷雪の美しさをみすみす見逃してしまったけれど、めぐりきた春のさそいなら、うけて立てそうだ。コートを脱ぎ捨てて、お花見に行こう。おっとその前に、NHKの籾井さん、百田さん、長谷川さんおやめなさい。花見の酒がまずくなる。
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よろしくお願いします。
(2014年2月28日)
本日の毎日朝刊社会面に思いもかけない記事。正確には、有益で学ぶに値する行為についての記事。長谷川三千子NHK経営委員が、かつてNHKの報道姿勢を不満として、「NHKが回心するまでの不払ひ」を実行していたというのだ。この姿勢を見倣おう。遠慮することはない。「長谷川三千子辞任によってNHKの回心確認までは受信料支払い留保」という運動を巻き起こそうではないか。
長谷川三千子こそ、安倍晋三の分身の一人として、安倍のメディア乗っ取り作戦の尖兵。安倍晋三の首相再任を要望した「民間人有志の会」の代表幹事として名を連ね、現在も安倍応援団を自認している。そして、憲法の個人の尊厳を攻撃し、男女の役割固定に固執し、公共放送の経営陣に最もふさわしからぬ人。右翼による朝日新聞社襲撃に関連して、「彼の行為によって我が国の今上陛下は人間宣言が何と言おうが憲法に何と書かれていようが再び現御神となられた」と宣うて話題となったお人。
これまで、「この人が辞めるまでは受信料支払いを留保を」という検討の対象とされていたその当人が、「NHKの姿勢に不満なら受信料不払いを」、という戦術の実践者だった。その姿勢、その果敢さを、大いに見倣わねばならない。
右翼誌「正論」(05年7月号)に引用された長谷川の手紙は2通あるそうだ。最初のものが、「『クローズアップ現代』 国旗国歌・卒業式で何が起きているのか」の放映に関して、「本当に酷うございましたね。…ちやうど自動振替が切れましたので、NHKが回心するまで不払ひをつづけるつもりでをります」というもの。そして、都教委側がNHKに抗議し、NHK側は「公平、公正な番組内容」と反論すると、これを受けて、長谷川は2通目の手紙で「受信料支払ひはまだまだ先のことになりさうでございます」と不満を示している。
長谷川が問題視した番組が「日の丸・君が代」強制問題だったということ、しかもその報道姿勢が必ずしも強制を是とする立ち場ではなかったということが、大きな問題である。長谷川が経営委員である限り、NHKは国旗国歌問題を同様の姿勢で取りあげることができなくなるであろう。
その番組はビデオで私も観ている。確かに、都教委の言い分をそのまま是とする報道姿勢ではない。客観的な姿勢で、「日の丸・君が代」を強制する側、強制される側の両者に目配りした取材態度だった。ジャーナリズムの在り方としては至極当然のこと。この真っ当さが、長谷川の目には、「本当に酷うございましたね。」となる。やっぱりこの人、経営委員としてはアウトだ。どうしてもNHKに留めておくことはできない。
クローズアップ現代のこの番組放映の前に、東京新聞の世論調査の興味深い結果が出ていた。日の丸・君が代を国旗国歌と認めるという回答は4分の3を超えていた。しかし、国旗国歌を強制することに反対という意見が、ほぼ3分の2に達するものとなっていた。世論の大勢は、「日の丸・君が代を国旗国歌と認めるが、強制はよくない」というものだったろう。今も、大きくは変わらないと思う。
NHKの「『クローズアップ現代』 国旗国歌・卒業式で何が起きているのか」の報道姿勢は、まさしくこのような世論の大勢に則ったものでもあった。これをしも、許せないというのが長谷川の心性。籾井といい、百田といい、そして長谷川といい、どうして、こんなに極端な体制派をよりもよって、不偏不党、公正中立を旨とする公共放送の経営陣に送り込んだのだろう。
不払いの助長は長谷川自身の責任。不払いの戦術は、長谷川にはじめて教えられたという人もあるだろう。世の中には、かつての長谷川のように不払いを試みたいという人が多かろう。声を大にして、深い決意とともに、長谷川を見倣おうと申し上げたい。
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NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
※郵便の場合
〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
※ファクスの場合 03?5453?4000
※メールの場合 http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.htmlに送信書式
☆抗議内容の大綱は
*籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
*経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
*百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
*経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任を勧告せよ。
よろしくお願いします。
(2014年2月27日)