澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

山田善二郎さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。

(2022年1月25日)
 1月20日であったという山田さんの逝去を知ったのは、日本国民救援会からの「訃報」のメール。都本部、文京支部へと転送されての今日のこと。1928年1月のお生まれだから、94歳での大往生ということになる。「日本国民救援会中央本部事務局長、副会長、会長を歴任し、長年にわたって救援運動にご尽力いただいた山田善二郎さんが永眠されました」「50年以上にわたり、国民救援会の専従者・役員として運動をけん引されました」「葬儀については、現時点で不明です」とある。

 国民救援会の「訃報」は、山田さんについて、「戦後間もないころに陸軍情報機関(CIC)や、特殊諜報機関(通称キャノン機関)、横須賀のアメリカ海軍基地などで日本人の従業員として勤務し、キャノン機関に拉致・監禁された作家・鹿地亘の救出に関与され、これを機に国民救援会の専従となりました」と紹介している。

 戦後史の一ページに特異な位置を占める、キャノン機関による反戦作家・鹿地亘の拉致監禁事件。その救出劇の立役者が山田善二郎さんだった。そして、山田さんは、私が弁護士となったきっかけを作った方でもある。以前にもこのブログに書いたことがあるが、あらためて書き留めておきたい。1963年の晩春か初夏の出来事。ほぼ60年も以前の、昔話である。

 私は東大教養学部の1年生で、学部キャンバス内の駒場寮に起居していた。その「北寮3階・中国研究会」に割り当てられていた居室の記憶が今なお鮮やかである。私は仕送りのない典型的な苦学生で、確か一か月90円だつた寮費の生活をありがたいと思っていた。その部屋のペンキの匂いまで覚えている。

 ある夜、その寮室の扉を叩いて集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会があるから関心のある者は集まれ」ということだった。白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。事件が起こったのは1952年の厳冬。当時武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。これが実は冤罪であるとして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。

 そのころ、私は毎晩家庭教師のアルバイトをしており、帰寮は常に遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した、薄暗い電灯の下での少人数の深夜の集会。その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会についても殆ど知らなかった。

 具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではない。しかし、そこで初めて、弁護士が受任事件について情熱を込めて語るのを聞いた。私はその集会をきっかけに、山田さんを介して国民救援会と近しくなった。札幌での白鳥事件の現地調査に参加し、駒場での松川守る会の活動にも参加し、さらには山田さんに誘われて鹿地亘事件対策協議会の事務局を担当した。そこで何人かの弁護士にも出会って、やがて弁護士を志すことにになる。

 山田さんの人生の転機となった、「鹿地亘、拉致監禁と救出事件」については、下記のURLをぜひご覧いただきたい。手に汗握る、実話なのだから。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019122702000240.html

生涯を決めた「決断」に至るまで
─山田善二郎著「決断」を読む─
弁護士 上 田 誠 吉
https://www.jlaf.jp/old/tsushin/2000/995.html

 また、事件の全容が、鹿地・山田両名出席の1952年12月10日衆院法務委員会議事録で読むことができる。こちらも、どうぞ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505206X01019521210

多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。

 さて、占領期には、下山・三鷹・松川を始めとする数々の政治的謀略事件があった。占領軍の仕業と言われながらも、真犯人が突き止められてはいない。その中で、鹿地事件は、米軍の謀略組織の仕業だということが確認された稀有の事件である。占領末期、キャノン機関といわれる「GHQ直属の秘密工作機関」が、著名な日本人作家鹿地亘を拉致して1年余も監禁を続け、独立後の国会審議で事態が明るみに出たことから解放した。その命がけの解放劇の立役者が、山田善二郎さんだった。

 偶然にも監禁された鹿地に接触した山田さんの決死の救助行動がなければ、鹿地は行方不明のまま消されていただろう。すべては闇に葬られたはずなのだ。

 当然のことながら、これは米占領軍に限った非道ではない。「民主主義の国・米国でさえもこんな汚れたことをした」と考えなければならない。戦争・軍隊にはこのような陰の組織や行動が付きものなのだ。

 戦争のそれぞれの面の実相を語る「貴重な生き証人」だった山田善二郎さんの紹介記事を引用しておきたい。「法と民主主義」2003年7月号【380号】の「とっておきの一枚」から。

善なる者の軌跡 ?惻隠の心あふるるばかり
国民救援会会長:山田善二郎さん
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

一九五一年一二月二日
「内山様 信念を守って死にます。
  時計は一時を      鹿地
 看守の方に ご迷惑をお詫びします」

「なんて書いてあるのか読んでくれと」と、二世の光田軍曹から渡された紙片の文字を、わたしはゆっくりと声を上げて読んだ。一字一句、噛みしめるように詠みあげながら、わたしは、言いようのない何かに激しく心をつき動かされた。その人の姓と思われる「鹿地」の読みは、相撲取りの鹿島灘や、終戦をそこで迎えた鈴鹿海軍航空隊から、ごく自然に「カジ」と読んだ。人びとの寝静まった深夜、誰一人みとる者もいない寒々とした部屋に監禁されたその人物は、「鹿地」という名を残して自殺をはかったのだった。「余計なことをしてくれたものだ」とでも考えているのだろうか、光田は、無造作にその紙切れをポケットにねじ込んだ。「ここにいてくれ」無表情なまま言い捨てて、わたしだけを残して、自殺未遂に終わったその人の汚れた衣類などをまとめて外に出て、裏庭でガソリンを振りかけて燃やしてしまった。焼けかすが黒く残っていた。その人は、二〇畳ほどの畳をはがしてリノリウムをはった部屋の中にポツンと置かれた軍用ベットの上で気を失って横たわっていた。部屋の中央のシャンデリア風の電灯は、その人が首を吊った時にもぎ取れ、床に転がっていた。薄暗く、ひんやりとした部屋。意識を失ったその人の口から流れてくる汚物を拭きとり、洗面所で洗い流したわたしの手は、突き刺されるように冷たく痛かった。建物の周辺を取り囲むように植えられていた、十数本のヒマラヤ杉の茂った葉のあいだから、かすかに差し込んでくる日の光に手を当ててこすりながら、光田のもどるのを待っていた。
(決断ー謀略・鹿地事件とわたし)

 山田善二郎さん23才コック、占領軍総司令部参謀の諜報機関キャノン機関に拉致された反戦作家鹿地亘四八才、場所は米軍に接収された川崎市新丸子の東京銀行川崎グラブ。私は山田善二郎さんが50年を経て書いたこの本を途中で置くことが出来なかった。冒頭の一章から息を呑むような場面が続く。迫りくる諜報機関の黒い手、善二郎青年のとまどいと正義感、突き動かす思いと関わる人びと。時代の匂いと「間一髪の歴史のほほえみ」が見事に描き出されている。善二郎さんの原点はここにある。そして彼の書き手としての力量、事実を見る目の確かさはどこで作られたのだろうか。
 善二郎さんの父親は陸軍省の下級公務員だった。住まいは杉並区の天沼、七人子供を薄給で育てるのは容易でなく山田家はいつも貧乏だった。尋常小学校を卒業したら兄のように高等小学校にいき一家の働き手になるつもりだった。小学校で江藤价泰さんと同級生だったと言う。「僕はぼんくらだったけど江藤さんは秀才で」担任の先生は善二郎少年に東京市立第一中学の夜間部、九段中への進学を勧めた。入学試験に合格、昼間は給仕として働きながら学校に通っていた。九段中学は靖国神社の隣にあった。軍国少年は日本の戦況に一喜一憂「1943年5月戦局が傾き始めると、押さえがたい憂国の念にかられたものだった」。ついに七つボタンに憧れ、親に内緒で海軍の予科練を志願する。最年少15才合格、中学4年一学期であった。1年で予科練を卒業、飛行練習生として鈴鹿海軍航空隊に移転。練習飛行の燃料も無くなりアメリカ空軍の空爆も激しくなって、「飛行場では、練習機に爆弾を積んだ特攻隊を見送るようになっていた」。1945年8月、農村の神社に疎開して防空壕を掘っていたとき天皇の「詔勅」を聞く。「ラジオのガーガーピーピーの雑音の中に天皇の甲高い声が混じっていたが、なにをしゃべっているのかさっぱりわからなかった」
 頭の中は軍国主義のまま善二郎青年は生きるために進駐軍の仕事を始める。「エンプロイ ミイ アズ ウエーター」初めて米兵と交わした言葉である。その後キャノン機関のボス ジャック・Y・キャノンに会うのである。「まじめに働けば、良い職場を探してやる」とのキャノンの甘い言葉に乗る善二郎青年。キャノンの家族のコックとなった。なかなか器用な善二郎青年パーティ料理まで作ったという。誠実で働き者、優秀な彼をキャノンは重宝したに違いない。1950年6月朝鮮戦争が勃発、しばらくしてキャノンがピストルで撃たれて重傷を負う。1951年キャノンは帰国。善二郎青年は米軍諜報機関の日本人従業員として働き続けた。山田家では、長男は戦争から帰らず、長女は子どもを産んだ直後に結核で死亡、脳腫瘍で重複障害になったその子を引き取っていた。家計は妹弟達を含め善二郎青年の双肩に掛かっていた。両親に給料袋を差し出すと母は「ありがとう。ありがとう。」と拝むように受け取って仏壇に供えたと言う。
 自分も消されるかもしれない恐怖、一家の糧を失う不安の中で善二郎青年は鹿地の手紙を密かに届け続ける。届け先は内山完造。1952年6月善二郎青年はアメリカの秘密機関から脱出する。元キャノン機関のエイジェントとして活動した松本政喜は「山田を消してくれ」と光田軍曹からピストルを渡されていた。12月6日、猪俣浩二代議士の自宅で乾坤一擲の記者会見、翌七日鹿地は明治神宮外苑絵画館近くで解放される。生き証人善二郎青年は時の人となり、命は落とさずにすんだ。
 この時から善二郎青年は国民救援会を知り、活動をともにするようになる。そこで活動している人々の一途な姿に魅了された。特に難波英夫は善二郎青年の師となる。50年間善ちゃんは「スティック ツウ ユアー ブッシュ“食らいついたら離れるな”」の精神で救援会を支えてきた。支援する人と同じ地平で「おっかさんの気持ちで接することが大切だ」難波さんの口癖である。おっかさんは我が子を絶対的に信じ無私の精神で支える。その存在自体を愛おしむ。善ちゃんは何人のひとの母となったのだろうか。
 「小さくやせ細った平沢貞道が、拘置所の面会室の金網の向こうから、仏様を拝むように両手を合わせてこちらに向かい、『ありがとうございます』と深々と頭を下げて礼を述べた。…1987年八王子医療刑務所で95才の生涯を閉じる。」無実の死刑囚の再審事件は力及ばないときはその死を招く。無実が晴れないうちに命つきる多くの人を善ちゃんは無念の思いで送った。
 75才になる善ちゃんはいつも強く人に優しい。この素朴な暖かさは救援会の筋金入りである。

山田善二郎
1928年新潟県三条市に生まれる
1946年キヤノン機関勤務
1992年日本国民救援会会長に選出
2022年1月20日 逝去

岸本洋平さんと支持者の皆様、本当にご苦労様でした。

(2022年1月24日)
 岸本洋平さん、あなたの渾身の奮闘に敬意を表します。そして、岸本さんを市長にと投票された1万4439人の名護市民の皆様、本当にご苦労様でした。

 選挙の結果はなんとも残念でした。もし勝利していたら、どんなにか日本中のみんなが喜んだことでしょう。でも、結果以上に闘うこと自体が大きな意味をもつこともあります。岸本さんと支援の皆様方の毅然とした姿勢が、日本中の多くの人たちの励ましとなりました。

 「所詮大きなものには勝てっこない。勝てない無駄な闘いはせぬのが利口。不利な闘いをするよりは勝つ方に付くのが得に決まっている。勝つ方に付いて取れるものを少しでも多く取るのが処世の常道。『長いものには巻かれよ』というではないか」。こんな考えに染まらず、『一寸の虫にも五分の魂』を見せていただいたのが、岸本洋平さんたちの闘いでした。

 岸本洋平さんと支持者の皆様。あなた方の志には、人を感動させるものがあります。故郷の美ら海を孫子に伝えよう、誇るべき自然環境を守ろう、あの戦争の記憶を教訓に平和を守ろう、米軍基地がもたらす様々なトラブルから故郷の平和な暮らしを守ろう。それは、誰にも通じる思い、誰にも共感できる願いです。

 私には、渡具知さんたちが当選してバンザイと言っているその姿に大きな違和感があります。その気持が理解できないのです。おそらく彼らの胸の内には、当選してもなお整理の付かない忸怩たる思いがあるに違いないのです。彼らには大義がありません。ただ政権が投げて寄こしたアメにたかろうというのですから。

 私は、この選挙に政治の理想と現実を見る思いがします。政治には理想が必要です。理念が欠かせません。岸本さん、あなた方は理念を掲げました。それは自然環境の持続性であり、平和に生きる権利であり、本当の意味での住民自治の思想でした。それに対して、渡具知さんたちは現実を選択しました。「米軍再編交付金の給付なければ、地域振興も住民福祉も成り立たないではないか」という現実。しかし、その現実は孫子の代までに及ぶ大きな負の遺産とセットになったもの。結局は、中央政府の強権ににひれ伏したのです。

 この局面では、理想を選んだあなたたちは、現実を選択した彼らに敗れました。しかし、その闘いは、けっして終わっていません。まだまだ長い闘いは続くことになります。

 この大切な選挙挙戦の敗北が明らかになった昨夜の午後10時過ぎ、雨の中の静まり返った選挙事務所で、岸本さんは赤いネクタイを締め直し、支持者に深々と頭を下げ、「結果を重く受け止める。私の力不足」と声を絞り出したと報じられています。そのうえで、辺野古の新基地建設については「民意は反対だったと受け止めている」と言い切ったとも。

 「オール沖縄」の象徴だった、故翁長雄志前知事の妻樹子さんはこう言ったそうではありませんか。「相手は辺野古を受け入れると言って当選していない。この選挙結果は辺野古についての民意ではない。そう、政府は自覚してほしい」と。

 玉城デニー知事も同じです。記者団に「新基地問題に何の懸念もない。軟弱地盤を抱える工事で完成は不可能だ」という従来の姿勢を崩さなかった、と。

 重苦しい、大事な選挙の敗北ですが、飽くまで長い闘いの一局面。岸本さんには、これからの新基地建設反対闘争の新しいリーダーとしてのご活躍を期待いたします。
 本土の私たちも、非力ではありますが、精一杯の応援をしたいと思います。けっして他人事としてではなく、そうです、自らの問題として。

岸田首相よ。核保有国の声ではなく、ヒバクシャたちの声を聞け。

(2022年1月23日)
 核兵器禁止条約は、昨年1月22日に発効した。それから1年である。条約の批准国・地域は現在59。この3月には、オーストリア・ウィーンで第1回締約国会議が開かれる。日本は唯一の「戦争被爆国」として、この条約への姿勢が問われている。当然にこの条約を締結すべきでもあり、少なくも締約国会議にオブザーバー参加をしなければならない。被爆者団体も、原水禁運動団体も、広島・長崎の市民も、国内の平和運動も、一斉に声を上げている。

 核禁条約はあらゆる核軍備を違法とする内容である。初めて、核兵器の開発、実験、生産、保有、使用などを全面的に禁じた画期的な内容。国連加盟の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。世界の122か国が賛成して採択されたこの条約を日本が批准できなはずはない。いや、日本がこの条約に背を向けることは許されない。締約国以外では、ドイツがオブザーバー参加する方針を表明して話題となっている。日本政府も決断すべきだ。

 岸田首相や林外相の言うところは、「(核禁条約は)核兵器のない世界に向けての出口にあたる重要な条約だ」との認識を示しつつ、「世界最大の核兵器国である米国を動かすことを日本としてやらなければならない」「核兵器保有国が1カ国も参加していない。最終的なゴールを目指すには、核を持っている国と持っていない国がしっかりと話をしていくことが重要だ」というだけのことである。核禁条約に加盟できない理由になっていない。

 「核禁条約に米国が入っていない。核兵器保有国が1カ国も参加していない。だから日本も参加できない」はまったく理解不能である。日本が締約国になって、国民の核廃絶の大きな世論を背景に、核保有国との協議を続ければよいではないか。それができないとする考えは理解しがたい。

 岸田内閣は、核禁条約は敬遠して、核不拡散条約(NPT)大事に執着しているようだが、とうてい納得できない。かつて部分核停条約ができたとき、その平和への一歩前進は、大きく評価された。しかし、部分核停条約からNPTに至る国際条約は、核保有大国の核兵器所持を合法化する側面を持ち続けてきた。それでよいはずはなかろう。

 今、日本の政府が、核不拡散条約(NPT)体制擁護に固執して、核超大国の核独占合法化を支援すべきときではない。なすべきことは、《核保有独占を許容する核不拡散条約(NPT)の島》から、《核廃絶の理念に立った核禁条約の島》に、橋を渡して移らねばならない。いつまでも、核保有国と一緒に《不拡散条約(NPT)の島》に留まっていては、この先導役を果たすことはできない。理想を示す先に、自らの位置を置くべきが当然ではないか。

昨日は、各地で、被爆者団体、平和運動体が、「核兵器禁止条約に全世界の参加を」と訴え、日本政府の署名・批准などを求める声明を発表した。「最も被害を知る日本が世界に向けて発信しなければ、核兵器廃絶はできない」と声を上げている。

 岸田首相にはこの声が聞こえないのだろうか。このことに関しては聞く耳はなく、聞く力もないというのだろうか。核保有国の声だけに耳を傾けていては、政権もたないことを知らないのだろうか。

名護市長選挙における民意の反映を妨害する政権、そして今夏の参院選での連合、いずれも民主主義に反する存在。

(2022年1月22日)
 早いもので、名護市長選挙の投開票が明日(1月23日)となった。選挙は、民意反映の手続だが、この民意の何たるかは必ずしも選挙結果のとおりのものではない。名護市民の新基地建設反対世論は、賛成派を圧倒している。これが最大争点である以上、本来はオール沖縄派の岸本ようへい候補の圧勝である。

 ところが、政権は基地負担を地元に押し付ける見返りとして、地元に交付金・助成金をばらまいている。渡具知候補が勝てば、このばらまきで引き続き地元が潤う、岸本が勝てばこのバラマキはストップだという脅しと誘導がかけられている。

 カネで選挙がゆがめられてはならないというのが、民主主義の大原則である。にもかかわらず、名護の選挙は完全に札束で選挙民をひっぱたいての選挙になっている。これでもなお、公正な選挙なのか。カネでゆがめられた投票行動は本当に「民意」反映の機会なのか。

 そのハンディを背負っての選挙戦であり、明日の投開票である。清々しい、「本当の民意」の勝利の報を待ちたい。

 もう一つ、選挙についての話題に触れておきたい。今夏の参院選に対する連合の方針に関しての問題である。昨夕の朝日新聞デジタル記事の見出しが、「『なんて乱暴な』立憲幹部は絶句 連合の野党離れ、なくした政治の軸」という見出し。

 例の芳野友子率いる連合本部が今夏の参院選に向けた方針(案)を出した。支援政党を明記せず、支援しない政党だけを明記した。唯一の非支援政党とは、自民党でも維新でもなく、労働者の党を名乗る日本共産党のことである。日本共産党を支援しないというだけではなく、日本共産党と連携する候補者を一切支援しないとする基本方針案をまとめたという。

 恐るべき反共主義である。共産党を支援しないというだけではなく、露骨に共産党の共闘を妨害しようというのだ。なるほど、連合の新年交歓会に、岸田文雄が招かれるわけだ。連合とは、労働者の組織ではない。資本の手先、財界の犬、政権の回し者でしかない。

 朝日の記事は、「なんて乱暴な……」。「連合の基本方針案を知った立憲幹部は絶句し、『今までのような共産との連携はできなくなり、新しい方法を考えないといけない。これで得をするのは自民党だけだ』とこぼした」というもの。

 とはいうものの、連合には、傘下の労働者の投票行動を左右するだけの力量があるのだろうか。連合の推薦の有無が選挙結果を左右するほどの影響力を持つものだろうか。大政翼賛の時代でもあるまいし、労組組合の連合体が、こんな露骨に反共主義を剥き出しにして、組織がもつのだろうか。むしろ、分裂の気運が盛り上がることになるのではなかろうか。

 読売の報道では、「連合、参院選の支援政党明示せず…基本方針案『目的が異なる政党等と連携する候補者は推薦しない』」となっている。

 もしかしたら連合は、日本共産党を買いかぶって、「連合は資本主義体制を大前提に組合員の労働条件向上だけを目的とするが、日本共産党は政治闘争至上主義の革命を目的とする集団として相容れない」と説明するのかも知れない。

 しかし、ホンネのところはこうであろう。
 「連合は恵まれた大企業正規労働者と公務員労働者の組織だ。だから、現自民党政権にベッタリくっついて楽に甘い汁を吸うことを目的としている。だから、政権にも資本にも最も厳しく敵対している日本共産党は、けっして連合の目的と相容れない存在なのだ」

 自民党の元政調会長の亀井静香がこう批判しているという(『月刊日本』12月号)。これを、常識というべきであろう。

 「立憲の支持母体の連合というのは、革新の仮面をかぶってるけど中身は自民党なんだよ。労使協調と言ってるだろう。経営者は自民党支持なんだから、結局自民党が勝つほうが今の労使協調体制を維持するのには都合がいいんだ。本当の労働者政党が政権を取ったら困ると思ってるんだよ」

 連合は、労働者のために闘わないというだけではない。反共を唱えて、労働者のために闘おうという政党の足を引っ張って、積極的な妨害を企てているのだ。

 連合も、今夏の参院選での「民意」反映を意識的にゆがめようという存在。民主主義に敵対する組織と言ってよい。このままの方針であれば、先は長くない。

こんな不真面目な政党に、今年も2億を超える政党交付金

(2022年1月21日)
 昨日(1月20日)、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」という、ふざけた党名の政党が、党名を変更して「NHK受信料を支払わない国民を守る党」となった。この政党、発足当時は「NHK受信料不払い党」であったが、「NHK受信料を支払わない方法を教える党」や「嵐の党」などと党名変更を繰り返してきた。今回6度目の党名変更という。通称は「N党」あるいは「N国」だが、自らは略称を「NHK党」に統一してくれと言っている。さぞや、NHKには迷惑な話。

 党首が立花孝志(元参議院議員)、副党首が丸山穂高(元衆院議員議員・維新所属)というから、どのみち碌なものではない。なお、丸山のホームページを覗いて少しだけ驚いた。その略歴欄に「副党首などを歴任」との記載はあるが、どこの党とは書いていない。N党の副党首とは書きたくないのだ。副党首ですら、所属党名を名乗るのは恥ずかしいと見える。そんな程度の政党でしかない。

 私も、NHKを相手とする訴訟に関与してはいるが、けっしてNHKをぶっ潰すべきだとは思っていない。立花のような乱暴な遣り口にも眉をひそめざるを得ない。こんな政党の同類と思われるのは、甚だ心外である。NHKには、ジャーナリズムの本道に立っていただきたい。さらには公共放送にふさわしい「公正で豊かな」番組の放映と、それを可能とする運営を望む立場。

 そのN党の党首・立花孝志が、昨日東京地裁において威力業務妨害などの罪名で有罪判決を受けた。量刑は、懲役2年6か月、執行猶予4年である。相当の厳刑と言わねばならない。

 認定事実は次のようなものと報じられている。相当にタチが悪い。
(1) 2019年にN国党(当時)を離党した二瓶文徳中央区議に「こいつの人生潰しにいきますから」とユーチューブ上で発言した脅迫
(2) NHK集金人の持つ情報端末にある契約者情報を不正に取得してインターネット上に拡散させると脅し、NHKの業務を妨害したという不正競争防止法違反と威力業務妨害

 この事件の論告で、検察は「立花が、不正に取得した情報は50件に上り、結果は重大だ」として、懲役2年6月、罰金30万円を求刑していた。弁護側は最終弁論で「正当な政治活動だった」と無罪を主張したが、結果は厳刑と言ってよいだろう。

 判決のあとの会見で立花は「政治思想で行った犯罪なので一切反省していない。」「執行猶予の理由を裁判所に明確に説明してもらいたいので控訴する」「執行猶予が付けばなにも変わらない。党首を辞めるどころか、懲罰もない」「裁判官はある意味、これからも(NHKと)戦ってくれと言っているのかな」「僕自身は有罪になる可能性は承知のうえでやっている」「刑事罰を受けるんじゃないかなと想定しながら動いている」などと放言している。

 政党名が不真面目であるだけでなく、その活動も、乱暴で不真面目きわまるのだ。
 ところが、そんな不真面目政党も、政党助成法にもとづく政党交付金を受給している。

政党助成法による政党交付金の受給要件は、
?国会議員5人以上
?国会議員1人以上で、直近の衆院選か参院選、またはその前の参院選で選挙区か比例区での得票率が2%以上――のどちらかを満たすこと。

N党は2019年参院選挙で?の要件を満たし、以後次の金額の交付を受けている。

 19年    6983万円
 20年 1億6751万円
 21年 1億7053万円
 そして、今年も2億1100万円の受給が予定されている。もちろん、税金を財源としてのもの。

 何とも腹立たしく不愉快な事態だが、こんな不真面目政党に投票する有権者が存在するのだから如何ともしがたい。もっとも、N党は現在参議院議員1名だけである。そして、昨年の衆院選得票率は1.4%であった。

 今夏の参院選、課題の一つがこのN党の議席をゼロとすることができるか。有権者の真面目さが問われている。

国威発揚目的の北京冬季五輪自体が「スポーツの政治利用」である。中国は、平和のイベント開催国にふさわしくない。

(2022年1月20日)
 間もなく、北京冬季五輪が始まる。けっして世界から歓迎され祝福されるスポーツ大会ではない。露骨な国威発揚と習近平政権賛仰の政治イベントとなるだろう。とりわけ、中国から弾圧の対象とされている人々からは、「中国での五輪開催、本当にそれでいいのか」という声が上がっている。

 本日の毎日新聞朝刊の《北京2022》という特集連載に、「揺れる五輪 『平和の祭典、人権守れ』 在日ウイグル人『中国で開催、いいのか』」という記事が掲載されている。取材の対象は日本ウイグル協会副会長のハリマト・ローズさん(48)。日本への留学生だったが、戻った故国は変わっていた。兄から、「捕まる可能性がある。日本に帰りなさい」と諭されて、現在は千葉県内で飲食業を営んでいるという。素顔と実名を明かして、講演や街頭デモで中国の人権弾圧に抗議してきたという。その訴えに胸が痛む。

 自身や日本で暮らす多くの同胞がウィグル現地の家族と連絡が取れなくなっているとして、彼はこう言う。「中国が平和の象徴であるオリンピックをやっていいのか、考えるべきだ」。おそらく中国は、国威と中国共産党の威信を発揚することだけを目的としてオリンピックを開こうとしている。それでよいはずはなかろう。

 現地の状況が悪化したのは17年ごろだという。中国政府が「再教育」を名目にウイグルの人らを収容所に入れる政策を始め、在日ウイグル人にも家族と連絡が取れなくなるケースが相次いだ。彼は、日本社会に訴えるため、18年から街頭などで中国への抗議活動を始めた。故郷に住む家族に危害が及ぶのを恐れ、重要なとき以外は連絡を取らないようにと決めたという。以下の彼の記者への話が生々しい。

 20年5月、唐突に自治区に住む兄から「話がしたい」と連絡が来た。翌日、兄とビデオ電話で話し始めて10分ほどが経過したとき、兄の横から見知らぬ男性が現れた。男性は中国の当局者を名乗り、在日ウイグル人に関する情報提供を要求。「協力してくれればお兄さんと家族の安全は守る」と続けた。

 8人兄弟で早くに父親を亡くした自身にとって、兄は税務署で働きながら家族を養ってくれた恩人だ。要求への回答を避けて通話を終えたが、「兄の命が危ない」と頭の中はパニックを起こした。

 1カ月後、再び兄から連絡があり電話で話した。前回と同じ男性に身分証を見せるよう求めたところ、中国の情報機関「国家安全省」とみられる「国安」と書かれた手帳のようなものを示した。最後まで要求には応じず、以降、家族と連絡が取れなくなった。

 ローズさんから見れば、家族が人質とされた状況。在日の彼は、黙ることで家族の安全を図るべきなのだろうか。それとも、彼が国際世論に訴えることで中国の人権状況を改善する努力を継続すべきなのだろうか。非情な権力に翻弄される悲劇というしかない。

 この記事で、深く頷けるところがある。米国などが表明した北京五輪への『外交的ボイコット』について、中国は「スポーツの政治利用だ」と強く反発しているが、ローズさんはこう反論している。

 「中国は国民に自分の国が世界のトップだとアピールするために五輪を開催している。五輪を政治利用しているのは中国の方だ」「五輪は平和のイベント。中国が開催したら意味が変わってしまう。IOCは人権を大切にする国を開催都市に選んでほしい」

 そのとおり「五輪を政治利用しているのは中国の方」であろう。その北京冬季五輪を何の批判もせず、何の異議もとどめず、粛々とその進行に協力することは、中国による「五輪の政治利用」に加担することではないか。せめて、『外交的ボイコット』を試みることで、「中国によるスポーツの政治利用」の成功度を幾分なりとも、弱めることができるだろう。

NHK経営委員会委員長・森下俊三の放送法違反が明確になっている。この責任の放置は内閣と国会の責任だ。

(2022年1月19日)
 本日午後、東京地裁103号法廷で「NHK文書開示等請求」訴訟の第2回口頭弁論期日。原告(受信契約者)ら代理人の佐藤真理弁護士が弁論を担当した。

 この訴訟、たいへんに興味深い展開になっている。この事件の被告は、法人としてのNHK(日本放送協会)と、個人としての森下俊三(経営委員会委員長)の二人。この被告両名の応訴姿勢が明らかに異なっている。森下は、自分の行為に違法はないとムキになっているのだが、NHKの姿勢は頗る微妙、決して森下に同調していない。むしろ、言外に「森下には困ったものだ」と言わんばかりの主張。真っ当ならざる森下と、真っ当に見えるNHKの主張が対照的である。

 原告はNHKに対してかなり広範な文書開示を請求しているが、そのメインとなるものは、「上田NHK会長に厳重注意を言い渡した2018年10月23日開催の経営委員会議事録」である。この議事録の開示を求めて本件訴訟提起前に5度に渡る「文書開示の求め」があったが、ことごとく斥けられた。

 そこで、本件原告らは、「もしまた、不開示とするときには文書開示請求の訴訟を提起する」ことを広言して、「文書開示の求め」の手続に及び、所定の期間内に開示に至らなかったため、21年6月14日に本件文書開示請求訴訟を提起した。その結果、ようやく同年7月9日に至って「議事録と思しき文書」が開示されたのだ。

 おそらくは、これだけで大きな成果と言ってよい。この「議事録」では、森下らが、日本郵政の上級副社長鈴木康雄と意を通じて、「クローズアップ現代+」の《かんぽ生命保険不正販売問題報道》を妨害しようとたくらんだことが明確になったからだ。この局面では明らかに、経営委員会の無法にNHK執行部と番組作成現場が蹂躙されている構図である。結局は安倍政権以来、政権が関わる人事の全てがおかしいのだ。

 もっとも、この「議事録と思しき文書」は、所定の手続を経て作成されるべき「議事録」ではない。NHKが「議事録草案」と呼ぶものである。放送法41条で、「経営委員会委員長は、経営委員会の終了後、遅滞なく、経営委員会の定めるところにより、その議事録を作成し、これを公表しなければならない」とされている、適式の「議事録」については、いまだに不開示ということになる。真実、放送法の規定に反して、いまだに適式の議事録が作成されておらず、公表もされていないとすれば、森下の責任は重大である。その理由はどこにあるのか。森下主導の経営委員会が、放送法(32条)に違反して、番組(「クローズアップ現代+」)制作に介入していることが明らかになることを恐れたからである。

 責任は、経営委員会、なかんづく委員長・森下俊三にある。無法・横暴な経営委員会とその委員長によって、NHK執行部と番組制作現場の報道の自由が蹂躙されている構図である。NHKは、一昨日乙1号証として「放送法逐条解説・29条部分」を提出して、文中の「経営委員会は、協会(NHK)の最高意思決定機関として設置したものである」という記述にマーカーを付けている。NHK執行部が、経営委員会にもの申すなどできようもない、という内心の溜息が聞こえる。

 NHKが暴走することのないよう、放送法は、NHKの最高意思決定機関として経営委員会を置き、その重責を担う経営委員12名を「国民の代表である衆・参両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」という制度設計をした。当然に良識を備えた経営委員の選任を想定してのことである。ところが、この経営委員会が、とりわけその委員長が、政権の思惑で送り込まれ、明らかな違法をして恥じない。この事態に、内閣と国会とはどう責任をとろうというのだ。

 本日陳述の原告第1準備書面の末尾は、以下の「被告森下に対する求釈明」である。

1 被告森下は、準備書面(1)(16ページ) において、「1315回の経営委員会において本件ガバナンス問題を審議するに先立ち、…その議事経過および資料を非公表とすることを協議して確認した」と主張している。しかし、同委員会議事内容の「粗起こし」と説明されている丙14には、そのような記載はまったくない。
  録音を止めて協議し確認に至ったのか。後刻、この部分の録音を消去したのか。あるいは、他になにか事情があるのか。「丙14に非公表とすることを協議して確認した」形跡のないことの理由を明らかにされたい。
  また、誰からどのような提案があって、どのような意見交換を経て、そのような確認に至ったのかを明らかにされたい。
2 被告森下も、適式な経営委員会議事録については、NHKのホームページ上 に公表すべきことを認めている。(準備書面(1) 12ページ)
  今後速やかに、第1315?1317回の本件各経営委員会議事録を適式に作成の上、NHKのホームページ上に公表すべき予定ないしは意向があるか。

その回答を待ちたい。

なお、ここまでの訴訟進行の経過は下記のとおりである。

対NHK文書開示請求訴訟進行経過

               

?2021年6月14日 第1次提訴 (原告104名・被告2名)
 ☆被告NHKに対する文書開示請求
開示対象は2グループの文書
  その主たるものは、下記経営委員会議事録。
  「第1315回経営委員会議事録」(2018年10月 9日開催)
  「第1316回経営委員会議事録」(2018年10月23日開催)上田会長厳重注意
  「第1317回経営委員会議事録」(2018年11月13日開催)
 ☆被告両名に対する各損害賠償請求(慰謝料・弁護士費用、各1万円)
?同年   7月9日 NHK「3会議の議事録草案」原告らに開示
(?同年  9月16日 第2次提訴 (原告10名・被告2名)1次訴訟に併合)

?同年  9月15日 被告NHK答弁書(現時点では対象文書は開示済み)
?同年  9月21日 被告森下 答弁書
?同年  9月23日 原告 被告NHKに対する求釈明
?同年  9月24日 原告 甲1の1?4 NHK開示文書提出
◎同年  9月28日 第1回口頭弁論期日
(西川さん・長井さん・醍醐さんの原告3名と代理人1名の意見陳述)
?同年 12月 3日 被告NHK準備書面(1)「現時点で、所定の議事録作成手続は完了しておらず、放送法41条の定める議事録とはなっていない」
?同年 12月 3日 被告森下 準備書面(1)「本件各文書はいずれも開示済」と言いながら、「粗起しのもので、適式の議事録でない」ことを自認している。
?同日        被告森下丙1?32号証 提出
?2022年1月12日 原告第1書面(被告森下の求釈明に対する回答)提出
?同年   1月17日 被告NHK 乙1(放送法逐条解説・29条部分)提出
◎同年   1月19日(本日)第2回口頭弁論期日

本日の法廷で陳述の原告第1準備書面の概要は以下のとおり。
 ?被告森下の原告に対する不法行為成立要件についての下記求釈明事項3点に対する回答をメインとするもの
 ?(1) 違法行為の特定
   経営委員として及び経営委員会委員長としての議事録作成・公表すべき義務を定めた放送法41条違反(その動機として32条違反)に連なる一連の行為が、行政法規違反というだけでなく民事的な違法ともなっている。
 ?(2) 被侵害権利は、受信契約に基づく各原告の情報開示請求権であるが、これは国民の「知る権利」を具体化した民事的請求権である。
 ?(3) 慰謝料請求額を1万円とした根拠は、請求金額の常識的な最低額としての金額設定である。
 
今後の日程は、
2月末日までに被告森下が求釈明に回答の準備書面を提出、
その内容を踏まえて、原告からの本格書面を提出。
次回第3回口頭弁論期日は、4月27日(水)午後2時開廷。
その頃には第6波収束を願うばかり。

岸田さん、憲法改正は究極の不要不急課題だ。

(2022年1月18日)
 昨日(1月17日)、第208通常国会が始まった。会期は6月15日まで。参院選が控えていることから、会期の延長はなかろうとされている。

 冒頭、岸田首相による施政方針の説明。12000字の原稿朗読が行われた。羅列主義、メリハリに欠ける、具体性がない、などと総じて評判はよくない。が、無難、安倍・菅に較べれば格段にマシ、などという評価もある。

 私の関心は、以下の3点。「新しい資本主義の実現」「敵基地攻撃能力」「憲法改正」、いずれもしっかり書き込まれている。

 まずは、「新しい資本主義の実現」
 経済の現状認識は、政治の責任者が見てもこういうことだ。

 「市場に依存し過ぎたことで、公平な分配が行われず生じた、格差や貧困の拡大。市場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる、中長期的投資の不足、そして持続可能性の喪失。行き過ぎた集中によって生じた、都市と地方の格差。自然に負荷をかけ過ぎたことによって深刻化した、気候変動問題。分厚い中間層の衰退がもたらした、健全な民主主義の危機。……市場に任せれば全てがうまくいくという、新自由主義的な考え方が生んだ、さまざまな弊害を乗り越え、持続可能な経済社会の実現に向けた、歴史的スケールでの「経済社会変革」の動きが始まっています」

 この現状にどう切り込みどう改善して、格差や貧困から健全な民主主義の危機に至る弊害をどう克服するのか。という課題を語る段になると何とも情けない。具体策がない、次のような弁明でしかないのだ。

 私は、成長と分配の好循環による「新しい資本主義」によって、この世界の動きを主導していきます。官と民が全体像を共有し、協働することで、国民一人一人が豊かで、生き生きと暮らせる社会を作っていきます。日本ならばできる、日本だからできる。共に、この「経済社会変革」に挑戦していこうではありませんか。

 成長戦略では「デジタル」「気候変動」「経済安全保障」「科学技術・イノベーション」などの社会課題の解決を図るとともに、これまで、日本の弱みとされてきた分野に、官民の投資を集め、成長のエンジンへと転換していきます。分配や格差の問題にも正面から向き合い、次の成長につなげます。こうして、成長と分配の両面から経済を動かし、好循環を生み出すことで、持続可能な経済を作り上げます。

 分かるかな。分かるはずはない。言ってる岸田本人にも分かっているはずはないのだから。「分配や格差の問題にも正面から向き合い」って、いったいどう向き合うというのだ。「次の成長につなげます」って、具体的にどうつなげるべきかが問われているのだ。何の具体策もないのか。不公正税制の手を着けると言っていたはずなのに、いったいどうした。直接税の累進性強化や、消費減税はやらないのか。相変わらず、株式売買や配当の優遇税制は温存か。大した「聞く力」じゃないか。格差を是正して、分厚い中間層を創出するというのは、本気の発言か。

 「おおむね1年をかけて、新たな国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画を策定します。これらのプロセスを通じ、いわゆる「敵基地攻撃能力」を含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討します。先月成立した補正予算と来年度予算を含め、スピード感を持って防衛力を抜本的に強化します。海上保安庁と自衛隊の連携を含め、海上保安体制を強化するとともに、島しょ防衛力向上などを進め、南西諸島への備えを強化します」「日米同盟の抑止力を維持しながら、沖縄の皆さんの心に寄り添い、基地負担軽減に引き続き取り組みます。普天間飛行場の一日も早い全面返還を目指し、辺野古への移設工事を進めます」

 彼が朗読した原稿12000文字のうちの7文字が「敵基地攻撃能力」。目立たぬように、しかししっかりと書き込まれている。これは、たいへんなことだ。しかも、あれだけ反対の世論渦巻く、辺野古の基地建設も、「沖縄の皆さんの心に寄り添い、辺野古への移設工事を進めます」と言ってのける。大した神経だ。

そして、「憲法改正」

 「先の臨時国会において、憲法審査会が開かれ、国会の場で、憲法改正に向けた議論が行われたことを、歓迎します。
 憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになるものですが、憲法改正に関する国民的議論を喚起していくには、われわれ国会議員が、国会の内外で、議論を積み重ね、発信していくことが必要です。本国会においても、積極的な議論が行われることを心から期待します。」

 おかしいじゃないか。「憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになる」ものであれば、国民の意見をよく聞くがよいではないか。政権や議会が主導して、「憲法改正に関する国民的議論を喚起」すべき理由はまったくあり得ない。

 今議論すべきは、コロナ対策だろう。コロナに疲弊した生活や生業の支援だろう。福祉であり、教育であり、そして経済の回復のあり方ではないか。憲法改正などは、究極の不要不急課題ではないか。本国会においての積極的な議論の必要はまったくない。

カビの生えた福沢の、カビの生えた帝室論を、後生大事のアナクロニズム

(2022年1月17日)
 山田孝男という記者がいる。毎日新聞を代表する大記者だそうだ。今は、特別編集委員という肩書で、毎週月曜日の朝刊に「風知草」というコラムを書いている。

 大記者だけあって、政権とのつながりは密接のようだ。リテラによれば、安倍晋三との会食の常連だったようだ。たとえば、以下のように田崎史郎と並ぶさすがの存在。もちろん、大記者のこと、これだけではあるまいが。

●秘密保護法成立後の13年12月16日
場所=東京・山王パークタワー内中国料理店「溜池山王聘珍樓」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●集団的自衛権行使容認の検討を公式に表明した14年5月15日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、島田敏男「NHK」政治解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

●衆議院選が行われた14年12月14日の翌々日
場所=西新橋「しまだ鮨」
出席者=田崎史郎「時事通信」解説委員、曽我豪「朝日新聞」政治部長、山田孝男「毎日新聞」専門編集委員、小田尚「読売新聞」東京本社論説委員長、石川一郎「日本経済新聞」常務、島田敏男「NHK」政治解説委員、粕谷賢之「日本テレビ」報道局長

 毎日新聞にはふさわしからぬ保守色濃厚なこの人が、本日の朝刊コラムに、「皇位・政治・世論」の表題で、皇位継承問題に触れている。いかにももっともらしくて、まったくつまらぬ内容。だから、「いかにももっともらしさ」に惑わされてはならず、実は「まったくつまらぬ論稿なのだ」と指摘しておかねばならない。

要旨は以下のとおりである。

 岸田文雄首相が12日、皇位継承をめぐる政府有識者会議の報告書を衆参両院議長に手渡した―。この報告書は、おおむね「問題先送り」「本質でない」と批判されている。だが、皇統の秋篠宮家への移行―をめぐって世論に亀裂が走り始めた今、継承の行方をしばしあいまいにしておくことがダメな判断だとは思わない。

 報告書は、結びで福沢諭吉「帝室論」の「帝室は政治社外のものなり(皇室は政争の外にあれ)」を引き、皇位継承の政治化にクギを刺している。
 「帝室論」は明治15(1882)年の新聞連載である。当時、日本は帝国議会開設を控え、藩閥官僚政府の御用政党と反政府の民権党の対立がエスカレートしていた。福沢は、「保守守旧の皇学者流」と「自由改進の民権家流」が尊皇を競い、天皇を持ち出して相手を責めるのはよくないと警告。皇室の威信は政治や名利を超越するところにあると説いた。皇室と政治、世論を論じて深い。ちなみに、上皇陛下は皇太子時代、「帝室論」を音読されていたという。

 もしも今回の報告書が女系天皇容認を打ち出していれば、「愛子天皇」の現実味は増していた。だが、それで男系護持派が引き下がるか? 世論調査で7、8割が女系天皇支持だから大丈夫と言えるか? 皇室は「日本人民の精神を収攬(しゅうらん)(=民心を融和)するの中心」(帝室論)である以上、乱暴に押し切るわけにはいくまい。

 今後は国会の各党・会派が皇位継承について協議する。秋篠宮家バッシングが続く中、落ち着いた議論ができるか疑わしい。皇室は政争の外にあるべきものである。民心融和の中心たる皇室の未来を決めるにふさわしい時を待つべきだと思う。

 この論理おかしくはないか。一方で、皇室は「日本人民の精神を収攬(=民心を融和)するの中心」 と言っておきながら、他方で皇位継承をめぐる議論の分裂を嘆いているのである。「皇室は政争の外にあるべきもの」というのは、現実には「皇室は政争のタネとなっている」ということ。天皇制あればこその国論分裂ではないか。
 皇室は「日本人民の精神を収攬するの中心」だと? 人民を侮るのいいかげんにしろ。いまどき、皇室ごときに「収攬」されてたまるか。カビの生えた人物の、カビの生えたイデオロギーを、いまだ後生大事に抱えているアナクロニズムに辟易せざるを得ない。「皇室と政治、世論を論じて深い」だと? とんでもない、浅薄きわまりないと言うべきだろう。この人の頭の中は旧憲法のままで、現行憲法への転換がないようだ。

 あたかも、国会が天皇交替の制度を論じることが畏れ多いというがごとき姿勢。当然のことながら、天皇という地位も公務員職の一つでしかない。そのあり方は廃位も含めて主権者国民が論議し決定することなのだ。

 こういうアナクロニズムにまみれた姿勢こそが、彼を「大記者」として成功せしめたのだ。これが、現在の日本のジャーナリズムの水準である。大記者の論説だからと崇めてはならない、惑わされてもならない。  

本日名護市長選告示 ー 「一寸の虫にも五分の魂」派と「長いものには巻かれろ」派との対決

(2022年1月16日)
 2020年は「沖縄の年」である。本土復帰50周年を機に「沖縄返還」とは何であったのか、安保とは、対米従属とは、地位協定とは、基地とは。そして憲法9条とは何かが問われざるを得ない。その問への回答が、沖縄知事選や参院選の結果ともなるのだ。その成果を期待したい。

 「沖縄の年」幕開けの闘いが本日告示の名護市長選である。辺野古新基地建設問題が争点化した1998年市長選以来、7回目の選挙だという。今回は自公が擁立する現職の渡具知武豊候補に、新基地建設に反対する「オール沖縄」勢力から新人岸本ようへい候補が立候補して、一騎打ちとなった。

 争点は紛れもなく、辺野古新基地建設への賛否である。岸本候補が反対を明言し、渡具知候補が意見を言わないという構図。渡具知は前回同様「国と県による係争が決着を見るまではこれを見守る」としか言わない。

 これは、「一寸の虫にも五分の魂」派と、「長いものには巻かれろ」派との対決である。一揆における「立百姓」と「寝百姓」の対峙の関係でもあり、資本と闘う「第一組合」と御用の「第二組合」との関係でもある。原発建設の賛否をめぐっても、カジノ誘致をめぐっても同様の構図を見ることができる。

 権力が地元に犠牲を押し付けるときに、「一寸の虫にも五分の魂」派は敢然と闘う。しかし、「長いものには巻かれた」方が目先の利益にはなる。それは当然のこと、押し付けられた犠牲を懐柔するためには「アメ」が必要なのだ。「長いものに巻かれ」れば、いっときアメをしゃぶることはできる。しかし、それは掛け替えのない「魂」を売り渡すことにほかならない。取り返しのつかないことになる。

 2019年の県民投票では、名護市民の73%が新基地建設反対の民意を示しているという。しかも今、改良工事が不可能なマヨネーズ状の軟弱地盤によって新基地の完成が見通せない問題も出てきている。オスプレイの事故も頻発している。民意が辺野古基地建設反対にあることは明らかだ。

 だから、権力の手先である渡具知陣営としては、権力が配るアメで民意を誘導するしかない。そのアメの最たるものが、「米軍再編交付金」である。これあればこそ、名護市内の子どもたちの『給食費』、『保育料』、『子ども医療費』の無償化がある。渡具知派は、「新基地建設反対では、この施策を継続できない」ともっぱら利益誘導の選挙である。

 辺野古新基地の耐用年数は200年とされている。名護市民は、半永久的な基地被害を甘受しようというのだろうか。4年前の選挙の際に、小泉進次郎という無責任な保守政治家が名護高校の生徒に、渡具知陣営への支持を語りかけて話題となった。結局は、「長いものには巻かれる」方が利口だというのだ。プライドを売れ、魂を売れ、故郷を売れ。自治を売れ。その見返りに補助金・交付金をもらって潤った方が賢いやり方じゃないかというわけだ。

 岸本陣営は、再編交付金に頼らず、行財政改革などで三つの子育て無償化策の継続を訴えるほか、進学や子育てなどを支援する「子ども太陽基金」創設、名護市ネット販売課新設による生産品販売・起業支援、名桜大薬学部新設などを掲げるという。具体的には、三つの無償化にかかる費用7・1億円のうち、稲嶺前市政が再編交付金に頼らず、一部無償化を前進させた2・7億円の土台があると説明。残りの約4・5億円については「基金をつくり、再生可能エネルギーなどの導入による光熱費の削減とともに、新たな税収を期待できる市有地の活用で必ず無償化の継続はできます」と政策を掲げている。

 名護市長選の闘いの構図は、《自公勢力》対《立憲野党+市民》の対峙構造とよく似ている。岸本陣営には、共産、立民、社民、社大、「にぬふぁぶし」、「れいわ」の諸政党の結集がある。

 沖縄県内で新型コロナウイルスの感染が急拡大しているさなか、両陣営がどう支持拡大を訴えるのかも注目される市長選。今月23日の投開票で決着する。ぜひとも、「五分の魂」を守り抜こうというオール沖縄派の勝利を期待したい。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2022. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.