(2021年11月6日)
この度の総選挙では維新が、大阪を中心に大幅に議席を増やした。維新は、自民党の補完勢力である以上に積極改憲派である。私には不愉快で嘆かわしいことだが、これが悪夢ではなく痛い現実なのだ。
私は、政策以前にこの政党がかもし出す空気に嫌悪感を募らせてきた。公立学校での「日の丸・君が代」強制の徹底ぶりや、自治体労働者の団結権の侵害など、なんという人権や民主主義への配慮を欠いた傲慢で高圧的な強権体質。
しかし、吉村知事のイソジン推奨会見や、コロナ対策の致命的失敗で、府民からの目は厳しいものと思い込んでいた。それが、総選挙の日程が近づくにつれて、票を取りそうだ、議席を増やしそうだという報道である。そして蓋を開けて驚愕ということになった。
私の周りに維新の風は吹いていない。「イソジン吉村が、なぜ選挙の顔に」という疑問ばかり。いったい大阪はどうなつているのか実態がつかみがたい。選挙後に冷静な維新票の分析がなされ始めており、いくつかに目を通したが、よく分からない。「維新支持者の中核は保守派の安倍菅路線批判層」「維新支持の有権者は決して熱狂的な支持者ではなく支持の熱は低い」「恒久的な支持者ではなく選挙の度ごとにブレは大きい」「ポピュリズム政党と一刀両断するのは不正確」「全国政党にはならないだろう」などと言われているが、簡単に納得はしがたい。
そこで、維新の政策を初めて読んでみた。「政策提言 維新八策2021」としてまとめられているもの。無理に「八策」にまとめられた政策の柱は、以下のとおりである。
- 「身を切る改革」と徹底した透明化・国会改革で、政治に信頼を取り戻す
- 減税と規制改革、日本をダイナミックに飛躍させる成長戦略
- 「チャレンジのためのセーフティネット」大胆な労働市場・社会保障制度改革
- 多様性を支える教育・社会政策、将来世代への徹底投資
- 強く靭やかに国土と国民を守る危機管理改革
- 中央集権の限界を突破する、地方分権と地方の自立
- 現実に立脚し、世界に貢献する外交・安全保障
- 憲法改正に正面から挑み、時代に適した「今の憲法」へ
この政党には核になる思想がない。原理原則となる政治理念もなければ、独自の国家観も社会観も歴史観も示すことができない。だから、八策が体系になっていない。どこかの政策のつまみ食いを寄せ集めたという印象でしかない。なぜ、これで選挙に勝てるのだろうか。
ホームページには、「八策」に関連付けた、「日本維新の会の目指すところ」という文章が掲載されている。その全文が以下のとおりである。
旧態依然とした政治。増え続ける国民の税負担。
この国の政治は、戦後の古い体質のままあり続けています。
真の改革を進めなければ、この国に未来はありません。
政治家のための政治をなくす。
本当に支援を必要としている人のための、
国民の皆さまのための政治に変えなければなりません。
私たちには、大阪で改革してきた実績があります。
ここに掲げられているキーワードは「真の(政治)改革」だが、その中身はよく分からない。「政治家のための政治」を否定した「国民の皆さまのための政治」だけでは、当たり前に過ぎてキャッチフレーズにはならない。
むしろ気になるのは、「この国の政治は、戦後の古い体質のままあり続けています。」というフレーズ。明らかに、中曽根康弘の「戦後政治の総決算」、あるいは安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」からのパクリである。言葉だけではなく、政策の中身もパクリと解せざるを得ない。保守に親和性強く、戦後民主主義には相性が悪いのだ。
この政党の立ち位置をよく表しているのが、下記の「選択的夫婦別姓」に関しての政策である。これも、自民右派のパクリ。
選択的夫婦別姓
226.戸籍制度を維持しながら実現可能な夫婦別姓制度の導入を目指します。具体的には、同一戸籍・同一氏の原則を維持しながら、旧姓使用にも一般的な法的効力を与える選択的夫婦別姓制度を創設し、結婚後も旧姓を用いて社会経済活動が行える仕組みを整備します。
少し言葉をいじってはいるが、「同一戸籍・同一氏の原則を維持」である。「旧姓を(通称として)使用することを容認でよい派」。「維新」(これ新たなり)とは看板倒れ、守旧の「維持」派に過ぎないのだ。
8本の柱の最後だけを見てみよう。(⇒は、私のコメントである)
8 憲法改正に正面から挑み、時代に適した「今の憲法」へ
★教育無償化
(1)総論
337.すべての国民は経済的理由によって教育を受ける機会を奪われないことを憲法に明文化します。
338.機会平等社会実現のため、保育を含む幼児教育から高等教育(高校、大学、大学院、専門学校等)についても、法律の定めるところにより無償とします。
⇒憲法26条1項を変える必要はまったくない。多様性尊重社会実現のためには教育の自由こそが死活的に重要なのだが、そこに触れるところはない。
★道州制(略)
★憲法裁判所
(1)総論(法の支配の徹底)
342.政治、行政による恣意的憲法解釈を許さないよう、法令又は処分その他の行為が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する第一審にして終審の裁判所である憲法裁判所を設置します。
343.憲法裁判所の判決で違憲とされた法令、処分などは、その効力を失うこととし、判決は全ての公権力を拘束する効力を持たせます。
⇒憲法裁判所は、簡便な法令・処分の合憲お墨付き付与機関になりかねない。こんなもののために改憲をしてはならない。
★その他
(1)憲法審査会・9 条
344.国民に選択肢を示すため、各党に具体的改正項目を速やかに提案することを促し、衆参両院の憲法審査会をリードします。憲法9条についても、平和主義・戦争放棄は堅持した上で、正面から改正議論を行います。
⇒憲法改正こそ、究極の不要不急課題。憲法審査会の議論リードなど余計なこと。
(2)国民投票
345.憲法改正国民投票を行うことにより、現行憲法が未だに国民投票を経ていない等の問題点を解消します。
⇒どうして「問題点」なのか、理解不能。
(3)緊急事態条項
346.新型コロナウイルス感染症対策を受けて必要性が議論されている「緊急事態条項」について、憲法に緊急事態条項のある国や法律で対応している国など、さまざまな国の状況を参考に積極的な議論と検討を行います。
⇒コロナ対策の名を借りた改憲策動には要注意。断固反対。
(4)皇室
347.皇室制度については、古来例外なく男系継承が維持されてきたことの重みを踏まえた上で、安定的な皇位継承に向け旧宮家の皇籍復帰等を選択肢に含めて、国民的理解を広く醸成しつつ丁寧な議論を率先します。
⇒典型的な極右の路線に国民を誘導しようというパクリ「政策」。なるほど、維新とは「明治維新」時代の感覚なのだ。
(2021年11月5日)
政党間の共闘が成立するのは、それぞれが共闘によるメリットを確信するからだ。小選挙区制を前提とする限り、4野党がバラバラでは議席を獲得することができないのは理の当然。共闘によって候補者を調整し、一本化された共闘候補者への投票の集中が議席の獲得を可能とする。だから共闘は必然である、とも言える。
しかし、各政党はそれぞれに理念も信条も異なり、活動の歴史も人脈も別である。本来はむしろ激しく競い合うべき間柄で、信頼関係の形成は難しく、その共闘は至難の技。政策協定も、候補者調整も、共闘候補者の議会活動も、実はとてつもない難事というほかはない。
だから、安易な共闘に走ることなく、それぞれが自党の党勢の拡大をはかることに専念すべきだという意見も、当然に根強くある。永年のうちには、政党の消長が進行して、自党こそが単独で政権を担うことになり得るという期待を込めてのもの。
とは言え、百年河清を待つ余裕はない。格差貧困問題解決も、労働条件の改善も、社会保障の充実も、税負担不公平の是正も、改憲阻止も、ジェンダー不平等の解消も喫緊の課題ではないか。野党の共闘を求める声の高まりが、時の氏神の采配宜しきを得て、野党の共通政策となった。そして、実務的な候補者調整の作業が進行して今回の総選挙を迎えた。
野党共闘の成果はどうであったか。議席獲得に成功した例あり、善戦したが議席獲得に至らなかった例あり、また明らかに失敗した例もある。そして、全体としては、共闘参加の野党の議席を減らした。元気の出ない野党共闘の結果である。
現実には期待された結果を出せなかった野党共闘だが、野党共闘あったがゆえのこの結果であったのだろうか。むしろ、野党共闘あったにもかかわらずの結果と言うべきではないだろうか。もっと早い段階で、もっと深い信頼関係を築き、もっと共通政策を選挙民に訴え切ることができていたら、事態は変わっていたかも知れない。
企業社会では、「シナジー効果」が語られる。企業の提携や合併による収益の向上の相乗効果を語る言葉。1+1が2で終わらず、3にも4にもなることをいう。政党間の共闘でも、シナジー効果(相乗効果)が大いに期待されるのだが、今回、それは部分的な効果に留まった。
野党間の共闘は総論的には不可避だが、共闘による相乗効果の発揮は容易なものではない。その難しさは内部的な問題にあるだけでなく、外部からの悪意のトゲにも留意が必要である。
野党共闘成立以来、「反共」という悪罵の嵐が吹き荒れ、いまだに終熄しない。国民意識の中に潜在する反共意識を煽り、これに付け込んで悪用しようという言動が一定の効果を発揮しているのだ。
反共意識は、支配の側が作り出して民衆に刷り込んだもの。古くは、「天子に弓引く不忠不義の共産党」であり、「私有財産を否定して社会を紊乱する共産党」であった。また、天皇が唱道する戦争に反対して平和を唱えるという、「とんでもない非国民・共産党」でもあった。
治安維持法は何よりも共産党弾圧を主たる目的として立法された。天皇制政府の弾圧の対象となった共産党は支配者からみて「恐るべき政党」であるだけでなく、民衆の側にも「共産党との関わりを疑われると恐ろしい」存在になったのだ。この残滓が今も残っている。企業社会でも政治社会でも有用なものとして使われる。
こうしてつくられ今なお残っている社会の反共意識を、ライバル政党は徹底して煽り利用した。中国共産党のイメージの悪さも、大いに悪宣伝に使われた。4野党の共闘が期待したほどの進展を見せなかった大きな原因が、いまだにこの世にはびこっている反共意識の所為のように見える。
「反共意識」の蔓延は、民主主義の未成熟度を表すもので、「共産党を支持しない」見解とは大きく異なる。議会制民主主義と政党政治の健全な発展のために、「反共意識」の克服は重大な課題だと思う。
(2021年11月4日)
前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)の、今回総選挙結果の評価に関する2本のツィートが話題を呼んでいる。とは言え、予想される人々からの予想される反応以上のものではない。もう少し、賛否両論がヒートアップしても良さそうなもの。
前川ツィートのその一本は、「人権感覚が欠如し、排外主義に染まった集団が維新。この政党に投票した有権者は猛反省するべきだ」という、維新とその支持者に対する批判。理由や根拠についての言及はないが、極めて常識的な意見の表明と言ってよい。
前川は、今回の選挙結果が出た直後には「日本が辻元清美代議士を失った損失は計り知れない。大阪10区の有権者にはよくよく考えてもらいたい」と投稿している。「大阪10区の有権者」批判では足りず、「維新に投票した有権者全員」に猛省を迫ったのだ。
当然のことだが、政党の支持も批判も、支持者に対する批判も、タブーにしてはならない。堂々と発言してしかるべきである。私も、前川意見にまったく同感だ。維新に投票した有権者諸君に、その軽率さ、思慮の足りなさを猛省していただきたい。
維新当選者の酷さについては、リテラの記事が詳細である。下記をお読みいただきたい。
https://lite-ra.com/2021/11/post-6065.html
もう一本の前川ツィートは、「政治家には言えないから僕が言うが、日本の有権者はかなり愚かだ。」というもの。こちらは、維新支持者に留まらない有権者一般に対して、今回総選挙の結果をもたらしたことに対する批判。このツィッターに対しては、リベラル陣営からも批判が寄せられているようだ。「民主主義を否定する謬論」「愚民観と選良意識の表れ」…。果たしてそうだろうか。
橋下徹は、相変わらずのものの言い方で、こう毒づいている。
「元官僚にはこの手の勘違い野郎が多い。自分の考えこそが絶対に正しいと信じて疑わない。古賀茂明も。だから選挙が必要で、政治家が官僚を統制しなければならない。選挙の結果を否定したら民主主義など成り立たない。」
悪意と悪罵は伝わるが、論理の切れ味は鈍く、説得力はない。
果たして前川は、「選挙の結果を《否定》している」のか。選挙の結果を批判してはならないのか。この選挙結果をもって「日本の有権者はかなり愚か」と言ってはならないのか。そもそも有権者に対する批判はタブーなのか。
橋下の「選挙の結果を否定したら民主主義など成り立たない」は大いなる勘違い。有権者の選択が常に正しいとは限らない。選挙の結果を大いに批判してよいのだ。選挙の結果は暫定的な民意の確認であって神判ではない。今回の選挙結果には次の選挙まで誰もが従わざるを得ないが、次回選挙ではどうにでも変わり得る。次回選挙のための言論戦は、既に始まっている。選挙結果への批判は大いにあってしかるべきなのだ。
普通、選挙に関わろうとする者が有権者を愚かと言うことはない。有権者を味方に付けなくては選挙に勝てないからだ。それでも、維新の議席を伸ばし、自公与党に過半数を与えた今回総選挙の有権者の投票行動を「愚か」と言わざるを得なかったのが前川の心情。その気持ちはよく分かる。私も同じだ。
しかし、橋下と同レベルでの悪罵の交換と思われるのは不本意極まる。今回、維新に投票した有権者の耳に届く言葉で、語りかけなければならない。面倒なことだし容易なことではないが、それが民主主義の政治過程というものなのだろう。
(2021年11月3日)
秋日和の「文化の日」である。いうまでもなく憲法公布記念の日。この憲法、総選挙における改憲派の大勝をさぞかし嘆いていることだろう。
祝日法(国民の祝日に関する法律)では、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされている。憲法の理念を、「自由」「平和」「文化」としたのであろう。「自由の日」「平和の日」でもよかったはずだが、どういうわけか「文化の日」。
「自由」と「平和」に並ぶ第3の理念としては、「国民主権」「民主主義」がふさわしい。四字では釣り合わないというのなら、「民権」「民主」。「国民主権の日」も「民主の日」も、すてきなネーミングではないか。「国民が主権者であることを確認して、民主主義の発展をことほぐ日」である。この度の総選挙の結果は、「自由」と「平和」と「民主主義」に影を落とすものとなった。
「文化をすすめる」「文化の日」は、その主体も内容もよく分からないが、戦後のこの時代には、「軍国日本」「大国化願望」を否定する文脈で「文化立国」が語られていた。文化とは、「自由」「平和」「民主主義」のいずれをもイメージする言葉であったのだろう。
周知のとおり11月3日は、明治天皇・睦仁の誕生日である。この人、幼くして幕府と西南雄藩連合との政争の具となり、薩長閥に担がれて維新政府の傀儡となった。そして、大日本帝国憲法が制定されるや、神権天皇となり統治権の総覧者となった。おそらくは不本意な人生であったろうが、生涯その矩を超えることはなかったようだ。
日本国憲法は大日本帝国憲法の拠って立つ基本原理を否定するところから出発している。この社会にある旧憲法の残滓と対峙し、これを一掃すべきが、主権者である日本国民の責務と言うべきである。その日本国民は、かつては臣民として主権者たる睦仁や裕仁に臣従を余儀なくされていた。その隷従の時代を懐かしんだり、奴隷主に等しい睦仁の誕生日を祝したりする時代の空気の復活を許してはならない。
にもかかわらず、総選挙での保守側の大勝という衝撃の結果は、私たちのこの社会の民主主義の未熟さを示して余りある。改憲派の議席も3分の2を超えているのだ。流れを上ろうとする水鳥の如く、絶えず全力での水掻きを続けないと、たちまちにして時代は後戻りする。逆コースが現実なものとなりかねない。
秋日和の「文化の日」、あらためてそれぞれが日本国憲法の理念を大切にしようと決意をすべき日でなければならない。
(2021年11月2日)
私のメールボックスに、メルマガ「週刊正論」が定期的に送られてくる。私が積極的に申し込んだはずはないのだが、わざわざ断るのも面倒で手続の時間も惜しい。だからいつまでも送られてくる。もっとも、日付が元号なことだけで不愉快で、滅多に目を通すことはない。
ところが、昨夕の配信記事には、ギョッとさせられた。《メルマガ「週刊正論」令和3年11月1日号》のタイトルが、【「反共」4党で憲法改正に突き進め】というもの。「国家基本問題研究所」の「今週の直言」に掲載された月刊「正論」発行人有元隆志の論考だという。
「反共・4党」とは、自民・公明・維新・国民のこと。「反共4党よ、今こそ好機到来ではないか。憲法改正に突き進め」、これが「反共右翼」の現状認識であり、共通目標なのだ。少々不愉快ではあるが、抜粋してご紹介する。
◇衆院選で自民党は国会を安定的に運営できる絶対安定多数を単独で確保した。さらに自民、公明の両与党と、公約に憲法改正の方向性を明記した日本維新の会、国民民主党を加えると、改憲勢力は憲法改正発議に必要な310議席を優に超えた。政権発足から間もない岸田文雄首相は、選挙戦で公約したように「憲法改正を実現すべく最善の努力」をしてほしい。
◇今回の選挙戦では、日本共産党が立憲民主党と「限定的な閣外からの協力」で合意し、多くの選挙区で候補者を一本化した。ところが、岸田首相は選挙戦終盤になるまで、遊説などでこの問題に言及しなかった。憲政史上、初めて共産党の政権参画が実現するかもしれない重大な問題を先頭に立って訴えるべきだった。岸田首相には猛省を促したい。
◇衆院選の結果を「反共」という視点でみると、自民、公明、維新、国民民主という枠組みができる。4党の議席数を合わせると憲法改正発議が可能な345議席に達した。参院では4党を合わせると169議席で、発議に必要な164議席を上回る。
◇憲法改正に強い意欲を示した安倍晋三政権下では、自公両党だけで衆参両院で3分の2以上の議席を確保していても改正は実現しなかった。維新と国民民主党の協力を得られれば、実のところは改憲に積極的ではなかった公明党も重い腰を上げる可能性もある。
◇「聞く力」があると自負する岸田首相は、維新や国民民主の意見に耳を傾けながら憲法改正への協力を得て、改正実現に動くべきだ。それが岸田首相に課せられた使命である。
右翼の見るところ、「反共」即ち「改憲」である。「親共」即ち「護憲」なのでもあろう。憎き敵こそ共産党であり、共産党を核として護憲勢力があり、反共勢力はそのまま改憲勢力なのだ。この図式からは、今こそ改憲のチャンスと映るであろう。しかし、さてどうだろうか。
自民・公明・維新・国民、その議員と支持者がはたしてすべて改憲派であろうか。改憲に突っ走って、各政党をまとめられるだろうか。反共4党が一致できるだろうか。そして、反共各党が明確な改憲方針を打ち出したとき、今回投票した支持者をつなぎ止められるだろうか。
岸田や山口、玉木などの反共野党の領袖が、所属議員の数合わせだけで軽々に改憲発議に踏み切れるとは思えない。発議して国民投票で勝てる見通しがもてるだろうか。仮に発議したうえでの国民審査で敗北したとすれば、その政治的ダメージははかりしれない。そのとき、再度の改憲発議ははるかな未来に遠のくことにならざるを得ない。
それでもこの選挙結果である。今しばらくは、右翼が跳梁して【「反共」4党で憲法改正に突き進め】という雰囲気が残るのだろう。その今でこそ、それを許さぬ護憲陣営の運動が求められているというべきなのだ。
(2021年11月1日)
あ?あ、なんという選挙結果だ。なんという有権者だ。なんという民主主義だ。なんという日本の将来だ。元気が出ない。憂鬱だ。
市民と野党の共闘成立に大きな期待をしたのだ。安倍・菅政権の酷さに、みんなが憤ったたはずじぁないか。みんな、不正は許さない、透明性の高い社会ををつくろうと考えたはずじゃなかったのか。しかし、自民党の看板かけ替えの術は大成功だった。そんなに簡単に許してよいというのか。嗚呼、結果は惨敗というほかはない。安倍菅政権への批判は、届かなかった。
多少は利いた自公への批判も、その受け皿となったのは維新だった。なんたることだ。自民を叩いて、維新を太らせたのだ。もしかしたら、自民よりもはるかに危険な維新の連中を。
とはいうものの、あらためて思う。選挙で負けたからといって、首を取られるわけではない。身柄を持って行かれるわけでもない。テロが大手を振る社会になったわけでもない。これが文明社会だ。まだまだ、この社会の文明は失われていない。
次の選挙を待てばよいのだ。次の選挙で勝てばよいのだ。そのための策を練り、民意を結集する努力をすればよいのだ。それしか方法はない。
来年夏の参院選、その次に来たるべき統一地方選挙、そしてまたくる解散・総選挙。社会を変えるには、少しずつの毎日の努力を積み重ね、その成果を議会に反映させるしかない。
それが、議会制民主主義というものだ。多数者の住みやすい世の中をつくろうという営みが最終的には、選挙で多数派になれないはずはない。そう思いつつ、自分を励まそう。
(2021年10月31日)
日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭に、「ひと筆」というコラムがある。毎回、一人の会員(弁護士)のエッセイが掲載される。面白いこともあれば面白くもないこともあるが、その最近号(2021年10月号)の大阪弁護士会・小久保哲郎さんの「一筆」をご紹介したい。
小久保さんは、労働弁護士としても生存権弁護士としても知られる人。その「ひと筆」のタイトルは「裁判所は生きていた」、生活保護基準引き下げを違法と断じた大阪地裁判決についてのエッセイである。ここには、自分を叱咤激励した先輩弁護士として、木村達也さんと尾藤廣喜さんの名が出てくるが割愛せぜるを得ない。全3節の内の第1節「1997年10月?申請書は”落とし物”?」だけを引用させていただく。
弁護士になって3年目の1997年10月のことだった。先輩弁護士から振られて、日本最大の日雇い労働者の街であった釜ケ崎の支援団体の相談を受けた。当時、大阪の街では、駅舎、公園、道路と至るところにホームレスの人がいて、裁判所と弁護士会前の河川敷にもブルーシートのテント小屋がぎっしりと立ち並んでいた。
「家がないんだから生活保護が受けられて当然」と思うのだが、当時は役所に行っても「家を借りてから来い」と理不尽なことを言われて追い返されていた。路上で行き倒れれば救急搬送されて入院中だけ生活保護が適用されるが、退院すればまた路上に放逐。後で知ったことだが、大阪だけで路上で死ぬ人が年間400人いると言われていた。
「昔のようにアパートで暮らしたい」。退院を控えたホームレスのおばあさんの願いを聴いた支援団体の人が、生活保護法の条文を読み込み、手書きの「居宅保護変更申請書」をつくって一緒に役所に持っていった。すると、職員が受け取りを拒否し、押し問答のすえ、「どうしても置いて行くなら、落とし物として扱いますっ!」と宣言したという。ウソでしょ?と思ったか、録音を聞いたら本当にそう言っていた。
当時の私は、生活保護法の「せ」の字も知らなかったので、社会保障に詳しい同期(47期)の友人に相談し、連名で代理人として抗議の内容証明を出した。慌ててとりなす電話か来ると思ったが来ない。こちらからかけてみたら、「先生は知らんと思うけど、生活保護は本人との話し合い。代理人とか言われても話すつもりはない」と言われた。弁護士にこの対応なら、「ホームレスのおっちゃんが一人で役所に行くと虫ケラのように扱われる」と支援者の人が言っていたのは本当だと思った。
とんでもない「無法地帯」を発見してしまった。おっちゃんたちが声をあげられないのをいいことに、ヤクザや悪質業者ではない、公務員による権利侵害がまかり通っている。“戦闘モード”のスイッチが入った私は、毎日のように担当者や上司に電話をかけまくった。そのうち、大阪市本庁にプロジェクトチームかできて、そのおばあさんは病院からアパートへの転宅(敷金支給)が認められる弟1号になった。
支援団体から次々と相談が持ちかけられるようになり、同期の友人ら5人で「野宿者に居宅保護を!弁護団」をたち上げた。皆で手分けをして、生活保護の申請に同行したり、代理人として審査請求を申し立てたり、野宿者から直接の居宅保護(敷金支給)を求める佐藤訴訟に取り組んだりした。そして、2000年12月の近畿弁護士会連合会人権擁護大会シンポジウム「ホームレス問題と人権」を皮切りに、弁護士会もホームレス問題や生活保護の問題に取り組むようになった。
この不合理な世の中の底辺で苦しんでいる人々に手を差し伸べる仕事が本来の弁護士の業務である。だが、ホームレスや生活保護受給申請者の権利を求める訴訟の法廷には、原告側だけでなく、被告の側にも弁護士が付いているのだ。労働問題でも消費者問題でも同様だ。もちろん、人権擁護派弁護士の報酬は薄く、人権切り捨て派の弁護士には厚い。これは、経済社会の合理性がしからしむるところ。
その献身性、その意欲、その行動力に脱帽するしかない。とうてい私には真似ができない。ここに出て来る《同期の友人でたち上げた「野宿者に居宅保護を!弁護団」》の5人こそが、弁護士の鑑である。こういう人々が、社会の弁護士に対する信頼をつなぎ止めている。私もその恩恵に与っている者の一人だ。
この小久保さんの「ひと筆」には、人権切り捨て派弁護士には味わいがたい、人権派弁護士ならではの生き甲斐や「弁護士冥利」が語られていて実に清々しい。ニューヨークのローファームでビジネス法務に携わりたいなどという俗物根性とはひと味もふた味も違うのだ。
(2021年10月30日)
いよいよ明日(1月31日)が、総選挙の投票日。主権者国民が自ら政権を選択する機会。投票箱の閉まるまでが、国民が主権者なのかも知れない。
下記のスローガンをご紹介したい。すべて、赤旗に掲載されたものである。
総選挙あす投票 あなたの1票で政権は代えられる
他党派から市民から「比例は共産党」
政権交代、政治を変える 比例の1票、必ず共産党へ
続々 拡散10倍化作戦 「#比例は日本共産党」
ジェンダー平等・気候危機打開/若者の熱い反応
福祉優先社会を
地球の未来守れ
声届く政治つくろう
苦しむ人支える国に
賃上げで経済再建を
気候対策 世界水準へ
1票で未来が変わる
政治の力で格差正す
最賃一律1500円実現へ
命・地球・未来を守る
自公に厳しい審判を
誰一人 取り残さない
希望の日本へ政権交代必ず
市民も「比例は共産党」
政権交代実現しよう
ゆがんだ社会変える
「比例は共産党」広げよう
党躍進 共闘の推進力
沖縄1区 市民の力で必ず国政に/デニー知事、あかみね候補応援
京都1区 「自公政権は腐ってる」/前川氏、こくた候補応援
4つのチェンジで希望ある日本を
ジェンダー平等の日本/働くルール整えます
語ろう日本共産党 総選挙
1区あかみね候補 横一線の大接戦
沖縄の心 託して/「オール沖縄」全員勝利 何としても
アベノマスク 3割お蔵/118億円分 保管費毎月7500万円
政治変えよう 響く女性の声/市民と野党が街宣
コメ危機 農民動く/自公農政 転換のとき
共産党の躍進で科学的コロナ対策へ
比例ブロックすべて大激戦/「投票先決めてない」3割超
あなたの1票で変わる
維新「自民と一緒」告白
東京12区 池内さおり候補/カラフル共同 熱い期待
京都1区 こくた恵二候補/広がる支援 自民を猛追
小沢・安住両氏/「野党共闘の要」「盟友中の盟友」 こくた氏勝利へ
1票の力で政権交代を
横一線の大激戦 あかみねさんの「宝の議席」必ず押し上げを
新基地阻止へ勝利必ず/沖縄1区 あかみね候補と応援弁士訴え
政権交代へ本気/「比例は共産党」
気候危機打開へ提案
野党共闘つらぬく
共闘の心張り棒を
ブレない党を
自公を終わりに
「あなたの1票で政権は代えられる」は真実だ。その劇的で典型的な実例が、2009年の第45回総選挙。このとき、民主党が政権を奪取した。選挙前議席115を、193増加させて308議席を獲得したのだ。ということは、自民の惨敗を意味する。300議席を181減らして119議席となり、政権を明け渡した。
この結果をもたらしたのは、69.28%という高い投票率だった。普段よりもほぼ10%高い投票率があれば、自民を惨敗させることができるのだ。
だが、その3年後の2012年末の第46回総選挙では、69.28%の投票率が59.32%と10ポイントも下落し、その結果形勢は逆転して自民が政権の座に返り咲いた。ここから、「腐敗した悪夢の」安倍政権が始まる。悪夢の安倍政権を誕生させたのは、自民党への国民の支持の回復ではなく、民主党への国民の支持離れであった。
44・45・46回の自・民の比例代表の得票推移は以下のとおりである。
自民 2600万→1900万→1660万
民主 2100万→3000万→ 930万
2009年選挙で民主党を政権党とした3000万票は、2012年選挙では自民党にまわったのではなく、1000万の棄権票になった。安倍政権を誕生させ長期政権とさせたのは、実は大量の棄権票であり、低投票率であった。あなたが、投票所に足を運べば、政権は確実に劇的に代わるのだ。
第45回総選挙(2009年)
民主 自民
前回選挙 113 296
選挙前議席 115 300
獲得議 308 119
増減 増 193 減 181
得票数 33,475,334(小) 27,301,982(小)
29,844,799(比) 18,810,217(比)
得票率 47.43%(小) 38.68%(小)
42.41%(比) 26.73%(比)
得票率増減 増10.99%(小) 減9.09%(小)
増11.39%(比) 減11.45%(比)
第46回総選挙(2012年)
自民 民主
獲得議席 294 57
増減 増 176 減 173
得票数 25,643,309(小) 13,598,773(小)
16,624,457(比) 9,268,653(比)
得票率 43.02%(小) 27.79%(比)
22.81%(小) 15.49%(比)
投票率推移 44回 67.51%(増加7.65%) 2005年
45回 69.28%(増加1.77%) 2009年
46回 59.32%(減少9.96%) 2012年
(2021年10月29日・その2)
昨日(10月28日)の当ブログ「最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について」の記事に、Blog「みずき」の東本さんからのコメントをいただいた。
最高裁裁判官国民審査についての投票棄権の選択に関して…「投票所まで出向いて投票棄権の意志を告知するとどうやら『信任』にはカウントされないらしい(この点について澤藤さんははっきりと書いていないので『らしい』としか言えない)」というもの。
「この点について澤藤さんははっきりと書いていない」とのご指摘に責任を感じて、投票日が迫っているので、急遽追加の記事を掲載する。
選挙における棄権は投票所に足を運ばないだけのことで、「棄権の権利」とか、「投票棄権の選択」などを意識する必要もない。ところが、最高裁裁判官国民審査(以下、「国民審査」)の投票用紙は衆議院議員選挙の投票用紙と一緒に交付される。多くの人にとって、衆議院議員の選挙投票の目的で出向いた投票所で、国民審査の投票用紙の交付を受けることになる。従って、国民審査の投票棄権は、意識的にしなければならないことになる。
目の前には国民審査の投票箱のみがあって棄権票入れの箱はない。投票用紙を受領した有権者(法律では「審査人」という)が、この状況をしつらえた選管の思惑のとおりに、そのまま何も書きこむことなく投票用紙を投票箱に投入すれば、「全裁判官信任」という取り扱いになる。この点、生活感覚と整合しないこととして違和感を禁じえない。
「それは本意ではない。自分はすべての最高裁裁判官について、信任も不信任もしたくないのだ」という人が、少なからずいるはずである。この人たちについて、その意のとおり正確に取り扱いされるよう、国民審査投票「棄権の権利」を語る意味がある。
国民審査投票の棄権は次の方法で可能である。
(1) 投票所に足を運ぶことなく、総選挙投票とともに棄権する。
(2) 総選挙の投票はするが、投票所での国民審査投票用紙交付の際に受領を拒否する。
(3) いったん受領した国民審査投票用紙を投票箱に投入せず、選挙管理の職員に返還する。
だから、「投票所まで出向かず総選挙の投票とともに国民審査投票を棄権すれば『信任』とも『不信任』ともならない」「しかし、投票所まで出向いて総選挙の投票をすれば、その機会に押し付け同然に国民審査投票棄用紙を交付される。このとき国民審査だけを棄権しようと思えば、国民審査の投票用紙を突っ返すしかない」「突っ返さずに漫然とそのまま投票用紙を国民審査の投票箱に入れてしまうと、『全裁判官信任』となってしまうからご注意」ということになる。なお、投票用紙を破棄したり持ち帰ることは、お勧めしない。
少し、法の定めを整理しておきたい。
最高裁裁判官国民審査は憲法上の制度である。
憲法第79条第2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
同条第3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
同条第4項 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
79条3項の「投票者」に棄権者は含まれない。
同条4項によって「最高裁判所裁判官国民審査法」が制定されている。必要な条文を摘記する。
第6条 審査は、投票によりこれを行う。
? 投票は、一人一票に限る。
第15条(投票の方式)審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。
第22条(投票の効力)審査の投票で次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする。
一 所定の用紙を用いないもの
二 ×の記号以外の事項を記載したもの
三 ×の記号を自ら記載したものでないもの
棄権は、そもそも票数に数えられない。○やら△を書き込んだ投票は法22条2号によって無効。「×だけを付けた(罷免を可とする)投票」と、「何も付けない(罷免を可としない)投票」だけが有効で、前者が後者を上回れば、当該裁判官は罷免されることになる。
国民が裁判官の適格性を判断するとすれば、A適格・B不適格・Cどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)の3選択肢が必要になろう。しかし、法は2択しか認めていない。×を付けない「AとC」とは区別されることなく結果として裁判官信任の意思表示として扱われることになる。通常人の生活感覚とは明らかに齟齬がある。
従って、「適格・不適格のどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)」という場合には積極的に棄権を選択するしかないし、棄権票の数が、×の投票に準ずる最高裁への批判として意味のあるものにもなる。
但し、棄権は(今回は11人の)審査対象裁判官全員一括でしかできない。そのうちの何人かを積極的に信任し、あるいは不信任にして、その余についてだけ棄権するという方法は用意されていない。これは明らかに欠陥法の欠陥と言えよう。技術的には簡単なことで、各裁判官ごとに信任・不信任・棄権(○・×・△)の3択とすればよいだけのことなのだから、いずれ法改正を考えなければならない。
念のためだが、私は棄権をお勧めしているのではない。どうすればよいのかよく分からないとおっしゃる方には、全裁判官に「×」を付けるようにお勧めしたい。比較的マシな裁判官には、「×」をつけたくない、とおっしゃる方は、宇賀克也裁判官にだけは「×」を付けずに、他の10裁判官に「×」を付けて投票していただきたい。
各裁判官の具体的な評価については、下記のURLを参照願いたい。
国民審査リーフレット
https://www.jdla.jp/shinsa/images/kokuminshinsa21_6.pdf
第25回最高裁国民審査に当たっての声明
https://www.jdla.jp/shiryou/seimei/211020.html
(2021年10月29日)
第49回総選挙の投票日が明後日に迫っている。今回の選挙は、何よりも7年8か月に及んだ安倍・菅政権への審判である。これからも漫然とその腐敗と失政の継続を容認するのか、それとも転換するのか。その判断は、主権者国民、つまりは私たち自身の投票にかかっている。
安倍・菅政権の腐敗について多くを語る必要はない。「モリ・カケ・桜・クロカワイ、カジノに卵に息子の会食」と並べるだけで、十分だろう。かくも、国政を私物化した政権はミゾユウであろう。しかも、国政私物化には、行政文書の隠匿・廃棄・改竄がつきまとい、今なおその全容が解明されていない。これ以上の自民党政権の継続は、アベノフハイを闇に葬ることにつながりかねない。
安倍・菅政権の失政の第1がアベノミクス、無能の象徴がアベノマスク、そしてその壊憲政治の最大のものが戦争法制定の強行であろう。政権運営のスタイルは、決定的な説明不足。異なる意見には耳を貸さず、国会では「数の力」で押し通す独善性。これで国民からの信頼を得られるはずはない。
掛け替えられた看板となった岸田自民党は、率直に安倍・菅政権の失敗を認め、そのどこをどう立て直すかを語らなければならない。それなくして、国民からの信頼を取り戻すことなどできようはずもない。が、岸田にはそれができない。アベ・アソウ・アマリの援助での現在の地位なのだから。
そのような岸田自民党の選挙公約。自民党の選挙パンフレットは、内容希薄な美辞麗句の羅列だが、私には、その合間合間に次のように聞こえる。太宰治の「トカトントン」のごとくに。
【前文】
新しい経済のかたちを生み出す「成長」と「分配」を柱とした政策を。少子化問題解消のために、子育てへの不安に応える抜本的な政策を。国民の生命と財産を守り抜くために、毅然と対応する外交を。信頼と共感。それこそが政治を前に進める原動力だ。国民の声をしっかりと受け止め、寄り添い、全力で挑む。新しい時代を皆さんとともに。
⇒とはいうものの、「国民」も「皆さん」も、あなたのことではない。
【新型コロナ対策】
・人流抑制や医療提供体制確保のための方策について、行政がより強い権限を持てるための法改正を行う。
⇒その権限は強けりゃ強いほどよい。常に、強すぎるほどの権限が欲しいんだ。
【新しい資本主義】
・究極のクリーン・エネルギーである核融合開発を国を挙げて推進し、次世代の安定供給電源の柱として実用化を目指す
⇒とはいうものの、これがたいへんな金食い虫。そして完成できれば、自前の核抑止力。
【農林水産業】
・2030年5兆円の輸出額目標の達成に向け、輸出産地・事業者の育成、品目団体の組織化、戦略的サプライチェーンの構築、加工食品輸出に取り組む中小事業者への支援を行う
⇒そりゃ、現行の家族農業・家族漁業を潰そうということじゃないか。
【経済対策】
・マイナンバーカード機能のスマートフォン搭載、健康保険証としての利用や運転免許証・在留カードとの一体化、社会保障・税・災害の3分野以外への情報連携を拡大し、マイナンバー利活用を推進する
⇒デジタル技術で徹底した管理化社会の実現。これこそ長年の権力の夢の現実化だ。
【復興】
・福島については国が前面に立ち、2020年代をかけて、帰還希望者が全員帰還できるよう取り組む
⇒いつまでも補償の継続は負担だから、打ち切るってだけのこと。
【経済安全保障】
・戦略技術・物資の特定と技術流出の防止に資する「経済安全保障推進法」を策定する
⇒それって、戦争準備の常套手段だよね。
【外交】
・北朝鮮に対しては、首脳会談の実現など、あらゆる手段を尽くし全ての拉致被害者の即時一括帰国を求める。
⇒安倍流の好戦外交では、1ミリも問題が動かなかった。このことの反省は?
【安全保障】
・弾道ミサイルへの対処能力を進化させ、相手領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させる新たな取り組みを進める
⇒そいつはアブナイ。相手国にも日本領域内で弾道ミサイルなどを阻止する能力保有の口実となる。
【教育】
・道徳教育、高校新教科「公共」、体験活動の充実により、公徳心を持ち、日本の伝統文化を引き継ぎ発展させる人材を育成する
⇒そりゃ見当違い。まるでどこかの権威主義国家みたい。権力が、自分の思惑に合うよう、主権者の人格を型にはめてはいけない。
【憲法改正】
・衆参両院の憲法審査会で憲法論議を深め、憲法改正原案の国会提案・発議を行い、国民投票を実施し、早期の憲法改正を実現することを目指す
⇒おやおや、岸田自民はアベのしたこと、何も反省していないんだ。これじゃダメだ。