(2021年7月7日)
生来、褒められた経験はほとんどない。子どもの頃から表彰などとは無縁だった。先年、期成会から寄稿の一文を褒めていただいただき、賞状をいただいたことが唯一の例外だろう。
その私に日弁連から「表彰状」が贈られてきた。まったく唐突に、である。その全文を紹介しておきたい。
表彰状
会員 澤藤統一郎殿
あなたは50年の永きにわたり法曹として職責を果たされてきました
この間人権の擁護と社会正義の実現を使命としてたゆまぎる努力を重ねてこられまた司法制度の改善発展のために多大なる貢献をされました
あなたのこの貴い業績をたたえるため記念品をお贈りして表彰いたします
令和3年6月11日
日本弁護士連合会
会長 荒 中
事前に何の連絡も問い合わせもなかったが、「50年の永きにわたり法曹として職責を果たされてきました」「この間人権の擁護と社会正義の実現を使命としてたゆまぎる努力を重ね」「司法制度の改善発展のために多大なる貢献をされました」と言われれば、いささかの自負はある。だから、日弁連から、「あなたのこの貴い業績」と言われれば、嬉しくもなる。
とはいうものの、これは在職50年会員(232名)に対する同文の表彰文言なのだ。特に私の具体的な弁護士活動に着目しての表彰ではない。弁護士たる者かくあるべしという抽象的な理想の弁護士像を表彰理由として書き込んだだけのこと。
それにしても、「法曹としての職責」を「人権の擁護と社会正義の実現」と確認したうえ、「司法制度の改善発展」としている日弁連の姿勢は評価に値するものと思う。「政財界で活躍し」とか、「弁護士の社会的地位を高め」とかは言わないのだ。
ところで、「令和3年6月11日」という日付の無神経さに驚く。私が、元号大嫌いなことを知っての嫌がらせかとも思いたくなる。西暦表示を原則にして、どうしても元号表示にしてくれという変わり者がいたら直してやればよいではないか。いずれにしても、二通りの紀年法があることが、たいへんな混乱をもたらしているのだ。
表彰状と一緒に、事務総長名の添え書きも送られてきた。これも、「令和3年6月吉日」である。せっかくの表彰が興醒めで、不愉快でもある。
が、その文中に、「記念品は別便にて,7月上旬までにお届けする予定です」とあった。「記念品」とは何だろう。少し機嫌を直して楽しみにしていたら送ってきた。立派な卓上ケースである。印鑑と朱肉と名刺を入れるサイズ。七宝のキラキラがまぶしい。
問題は、この筺のデザインである。どうしても引っかかるものを感じる。真ん中に、金色の弁護士バッジがある。その下に左右一輪ずつのヒマワリがある。これはよい。しかし、弁護士マークを囲むように、2羽の鳳凰がヤケに目立つのだ。古代より「有徳の天子が位に就く時に現れる」というあの鳳凰である。
弁護士バッジは、ヒマワリの花を図案化したものというが、この筺の中央にある金ピカのマークは、菊の紋章に見えなくもない。邪推すれば、ことさらに似せて作ったとさえ思われる。
菊の紋章を囲む2羽の鳳凰。さすがに龍までは書き込まれていないが、皇室礼賛のデザインと見まがうばかり。在野精神を貫くべき弁護士への贈答品として、とうてい適切とは思えない。表彰され記念品をもらってのことで、口にはしにくいのだが、皇室の雰囲気に似せて目出度い雰囲気を演出しましたよ、と言われているようで、こちらも興醒めなのだ。
(2021年7月6日)
毎日新聞の仲畑万能川柳欄にはいつも感心させられる。採用句にはことさらに奇を衒ったものはない。良質な社会の感覚の反映と見てよいと思う。
その川柳欄にオリンピック礼賛の句はない。誰が見ても不合理なIOCもオリンピックも、その権威は地に既に落ちている。揶揄のネタでしかないのだ。ごく最近の掲載句から、IOCをテーマにしたもの、オリンピックそのものを詠み込んだもの、東京五輪に関するもの、そしてコロナとオリンピックに関するものと、分類して引用してみる。
IOCは徹底してバカにされている。国民の怒りの対象だが、ストレートに怒りをぶつけていては、佳作にならない。ひねりの利いた句に、溜飲が下がる思いがする。
IOCの正体見たり魑魅魍魎 熊本 坪井川
夏空や魔王降臨IOC つくば かっぱ
IOC銀銅なくて金金金 北九州 藤井真知子
バッハさん何の犠牲も払わない 福岡 朝川渡
犠牲やらアルマゲドンやら云う五輪 神奈川 荒川淳
僕たちはIOC(イヤなオッサンクラブ)です 札幌 紅帽子
ガースーさん煽(おだ)てて稼ぐハッバさん 東京 カズーリ
バッハ氏の言うわれわれは誰なのか? 福岡 朝川渡
開催し後は野となれ山となれ 水戸 AカップT
オリンピックそのものに対する評価は、極めて辛辣である。国民は、オリンピックをよく見つめ、忌まわしいもの、禍々しいものと断じている。この評価は、今後変わることはないだろう。
絶対に民主主義ではない五輪 相生 岡本雅人
五輪はな毎回ギリシャで質素にせえ 京都 語句
参加より開くが五輪の新理念 東京 城山光
責任の回避レースもある五輪 湯沢 馬鹿馬太物
考えたこともなかった五輪意義 千葉 ペンギン
「五輪て?」考えている日本人 千葉 ペンギン
避妊具もお酒もあるよ五輪です 箕面 のうめい
五輪よりあたしゃ観たいの小劇場 札幌 紅帽子
五輪より危ないらしい運動会 福岡 つとかぶら
オリ・パラの声高くして耳痛し 北九州 けめちゃん
やるやれぬチキンレースになる五輪 久喜 高橋春雄
ススメススメ五輪にススメ 調布 おんちや
今回の東京オリンピック開催に関しても、国民の冷めた目が厳しい。どの句にも、なるほどと肯かざるを得ない。
徒競走店閉めさせてまでやるか 入間 元々帳じり
復興も勝った証もない五輪 千葉 水差人
国民の命を懸けて五輪する 奈良 長野晃
8割が反対してもする五輪 北九州 とっちゃん
こどもダメおとなはやるぞ運動会 西宮 風仙
去年ならオリンピックが出来たかも 長野 欣雀
熱中症対策もあるのよ五輪 春日部 猫文庫
責任の所在解らん五輪して 下関 畠中英樹
後悔はコロナに勝つと言ったこと 岩手 認知性
こそこそとつなぐ聖火は今どこに 千葉 小川敏之
新聞の隅で静かに聖火(ひ)が走る 交野 大沼章
安倍がしたマリオ招致は徒花か 伊豆 シロくん
誘致した慎太郎氏は知らぬ顔 芦屋 みの吉
そして、コロナと五輪である。これは川柳子の恰好のネタ。
それみろとどちらが言うか菅か尾身 大阪 石頭
言われたくないな東京五輪型 大阪 食いしん坊
尾身さんを三原じゅん子が睨んでる 北九州 ささきとも
八月に五輪新株うまれそう 大阪 佐伯弘史
出馬すりゃトップ当選尾身会長 長崎 めがねばし
五輪では医療従事者確保でき 名古屋 まりりん
今回はノーと言えたね分科会 札幌 ヨーちゃん
通覧してつくづく思う。川柳子は、今回のコロナ禍での東京五輪が危ういと言っているだけではない。IOCやオリンピックそのものの欺瞞性を見てしまった。王様は、もともと裸だったのだ。これに気付かないフリをしている政権や組織委員会のあり方は、滑稽でもあり痛々しくさえある。
(2021年7月5日)
この記事は、7月6日に加筆して若干の修正をしている。東京都議選の結果については、概ね各紙の論調は「勝者なき選挙」という如くである。傍観者からはそう見えるのかも知れないが、勝敗のドラマは起伏に富み多様である。
個人的には、地元文京区で応援した共産党の福手裕子候補がトップ当選を果たしたことが無条件に嬉しい。最近、選挙結果に快哉を叫ぶことが少ないだけに、地元有権者の見識に感謝したい気持。前回同様、2人区に3人の立候補があって、ひとりはみ出して落選したのは、自民党の現職・中屋文孝候補、公明の支持を得ての落選である。選挙戦最終日には小泉進次郎が応援に入ったとのことだが、その効果はまったくなかった。前回自民だけでとった2万6997票(得票率28.13%)が、今回は公明票を含めて2万5097票(29.19%)と減らした。この票の減り方は、自・公グループに対する都民の厳しい審判があったと言ってよいだろう。
前回トップ当選の都ファ候補・増子博樹は、前回票4万2185票(43.96%)を今回は3万0077票(34.98%)まで1万2000余(率にしてほぼ10%)も減らした。これは、非自民保守勢力の退潮である。もっとも、公明票を除いてなお、これだけの票を獲得しているとも言える。
前回は2万6782票(27.91%)を獲得しながら、215票差で次点に泣いた共産福手は、今回は4000票を上積みして、3万0815票(35.84%)での堂々のトップ当選となった。共産支持者だけでなく、立憲・社民・ネット・れ新などの支持者をも糾合しての勝利というべきだろう。おそらくは、オリパラ開催中止の訴えが有権者の共感を得たのだと思われる。
文京の選挙区は、願ったとおりの開票結果となった。予想と大きくは違わない。都全体でも大方は、「自民・公明で過半数の議席に届かない」を主たる評価としているようだ。菅・自公政権に十分な痛手となっている。共産と立民の緩やかな「共闘」もそれなりの効果を上げたようだ。
とは言え、共産党の議席獲得数は19にとどまった。公明の23にも届かない。伸び悩んだにせよ自民が第一党である。また、合理的な存立理由をもたない都ファが、退潮著しいとは言え、それなりの票を得て、議席を維持している。何という民主主義であろうかとも思い、それでも強権政治よりはずっとマシなのだとも思う。
この都議選の結果への評価として納得できるのが、本日(7月5日)の東京新聞<社説>。「東京都議選 五輪強行への批判だ」というもの。以下、その抜粋である。
「4日投開票の東京都議選で、自民、公明両党は合わせて過半数に届かなかった。新型コロナウイルス感染症が拡大する中、感染対策が迷走し、観客を入れて五輪・パラリンピックを開催する方針を示してきた菅義偉政権への批判の表れだ。
大会を巡って、都民ファーストの会は「最低でも無観客」と訴えてきた。共産党は「中止」、立憲民主党は「中止か延期」を主張した。これに対し、自民は第一党復帰を目指し、公明と合わせて過半数を目標にしていた。菅政権は6月、大会会場の観客数の上限を1万人とし、「無観客が望ましい」とした専門家の提言に反する決定をした。
菅政権の見通しの悪さ、安全安心よりも大会を優先しようとする姿勢が、都民の批判につながったとみられる。今秋までに行われる次期衆院選でも、自公両党は厳しい戦いを避けられない情勢だ。」
東京オリパラ反対、コロナ対策を徹底せよ。コロナ補償を手厚くせよ。医療と介護を充実せよ。コロナを克服したあとも五輪はやめろ。そう、言い続けなければならないと思う。
(2021年7月4日)
陰鬱な雨の日曜日。耳にはいるのは熱海の土石流被害のニュースは。神奈川でも、千葉でも豪雨の被害が報じられている。気が滅入る。オリンピックどころではなかろうと呟かざるを得ない。
東京オリパラはきっぱりと中止したいもの。それだけでなく、今後もうオリパラは一切やめようではないか。今回、コロナ禍と重なってオリンピックの何たるか、IOCやJOCの何たるかを我々は知ってしまった。こんな愚劣な集団の愚劣な思惑に振り回されるのは、ごめんだ。この思いは、コロナ後も変わるばずがない。
コロナ禍が終われば、私的なスポーツの国際交流は復活するだろう。しかし、この肥大したオリパラは不要だ。いや、有害極まる。国威発揚と商業主義と売名とナショナリズムの醸成、こんなものに貴重な国費を投じてはならない。
私の手許に最新の、東京都の広報(7月号)と文京区報(6月25日号)がある。いずれも、オリパラ推進の立場での紙面作り。「いよいよ東京2020大会が始まります!」(都報)、「文京区で楽しむ東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」(区報)という見出しを付けている。
都報にも区報にも、表紙に市松模様の東京オリンピック2020のエンブレムが掲載されている。あれはどう見てもコロナマークだ。言うまでももなく、コロナとはクラウン(冠)のこと。電子顕微鏡写真のウィルスの形がクラウン(冠)に似ていたことからの命名。あのエンブレムは紛れもなくクラウン(冠)の形のコロナマーク。これを額に刻印したマスコットは、コロナ・ボーイと呼ぶべきだろう。このデザインはコロナ蔓延以前のものだが、芸術家の直感力の賜物というべきか、何らかの啓示があったのだろうか。今後、東京2020と新型コロナとの切っても切れない関係の象徴となるだろう。パンデミック下に強行されたオリンピックとなるにせよ、世論が止めたまぼろしのオリンピック大会となるにせよ。
確実なことは、この東京大会を機にオリンピックは急速にしぼんでいくことになる。国威発揚の舞台としても、ナショナリズム高揚の手段としても、ビッグなビジネスチャンスとしても、もう機能しない。指導者が笛を吹いても、もう人は踊らない。冷めた目で、笛を吹くひとの滑稽な姿を見つめるだけのことになるだろう。かつては祝祭のオリンピックに讃歌が献じられた。今、愚劣なオリンピックに挽歌を手向けなければならない。まずは、目前の東京オリパラ、そして来年の北京冬季オリンピックがオリンピック終焉の墓標となるだろう。
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再度、五輪開催中止を求める新ネット署名の紹介
「危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます」
著名13氏が呼びかけ人になっての新しいネット署名が始まった。その署名サイトへのアクセスは、「危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます」をキーワードとする検索で。
以下は、呼びかけ人の訴え
東京五輪開催の危険性がますます明らかになっています。私たちは五輪主催者が状況をしっかりと直視し、開催を中止することを緊急に求めます。
いよいよ五輪開催が予定される期日が迫ってきました。私たちは昨年の開催延期の決定以来、日本政府と五輪主催者が「安心安全」のスローガンをどのように実現するのか、国民に納得のいく説明を行うのを待ってきました。残念ながらそのような説明が行われていないどころか、逆に感染防止体制の様々な欠陥が明らかになってきました。また、現在首都圏ではコロナの感染者数が再拡大する傾向にあり、感染力の強いデルタ株の割合も増えています。高齢者以外の方々にあまねくワクチン接種をおこなうことも不可能であると報道されています。このように低いワクチン接種率で行うことになろうとは1年前に考えてもみませんでした。私たちの不安は急速に高まっています。
私たちの怒りも深くなっています。日常生活の抑制を求めながら、数限りないコロナクラスターを無数につくる可能性を秘めた五輪開催を強行しようとする不条理に、また子どもたちから運動会を奪いながら観戦を求めようとする大人の身勝手に怒っています。
このように1年前に延期を決めたときと現在では、開催をめぐる条件が変化しているにもかかわらず、IOCと日本政府は開催ありきで、市民の声を聞く気が全く無いようです。市民の間には今さら何を言ってもと無力感が拡がっていますが、それでもこの切迫した時期だからこそ、最後のチャンスと考え、あえて言うべきことを言っておきたいと、私たちもこの署名をもって、その隊列に加わります。
日本国民の健康と命、そして世界の人々の健康と命が守られなくてはならないと考え、政府に改めて訴えます。歴史的暴挙ともいうべきこの東京五輪が中止されることを求めます。
もはや残された時間は少なくなってきました。私たちは切羽詰まったお願いをしております。遅くなる前にこの暴挙を中止する決断をしていただきたいと。
(2021年7月3日)
明日が都議選投票日。地元文京区の福手ゆう子・共産党候補の街頭演説に出かけた。志位和夫党委員長が応援弁士を務めていた。
文京選挙区は定数2、自民、都ファと共産の3候補が争う分かりやすい構図。激戦・接戦・横一線というのは、誇張ではなかろう。自・都ファ・共の争いというのは、今の首都の政治状況を象徴する選挙戦。
4年前も同じ顔ぶれでの闘いだった。都ファの候補が当時吹いていた風に乗り、公明の支持まで取り付けて、トップ当選した。公明の支持のない自民候補が保守系組織を総動員して2位にすべり込み、共産福手候補はわずか215票差での次点となった。風が左右する首都の選挙の特徴がよく出た結果。
今回選挙では、自民は公明の支持を得ている。とはいうものの、前回は都ファにくっついた公明票、ホントに自民候補の得票に結びつくものだろうか。また、公明に自民支持の大義があるのだろうか。有権者に対する自民候補の魅力はさっぱり見えていない。それでも、政権との結びつきはそれだけで一定の票になる。
都ファの凋落は避けがたいところ。4年前の風は今はない。むしろ、逆風が吹いている。都ファは公明にも見離されている。この都ファ候補が、議員団の幹事長であり、連合の組織内候補なのだ。
福手ゆう子候補の訴えを聞くのは告示日以来だが、驚いた。わずか8日間で、候補者はこんなにも変わるものか。淀みのない、自信に満ちた話しぶり。メリハリの効いた話し方が分かり易い。聴衆に訴える言葉の力がある。余裕を表す身振り手振り。そして聴衆の共感と好感を誘う訴えの内容。気迫と熱意が伝わってくる。
党委員長の応援よりも立派な演説ではなかったか。この福手候補の演説のボルテージは、文京区内を駆け回っての手応えの反映なのだろう。まぎれもなく、ノッているのだ。
志位応援演説は、いつもながらのものだったが、菅義偉への評価が場を沸かせた。
「菅さんには答弁の能力がないんです。私が一問質問すると、さっとお付きの官僚から紙が出て来てこれを読む。次の質問をすると、また次の紙が出てきてこれを読む。国会での答弁くらいは、自助努力でお願いしたい。」
この党首の話に耳を傾けながら、つくづくと思う。志位和夫よ、習近平になる勿れ。日本共産党よ、中国共産党に似る勿れ。
さて、明日。賽の目は、吉と出るか凶と出るか。運次第ではなく、民意次第。
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五輪開催中止を求める新ネット署名
「危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます」
著名13氏が呼びかけ人になっての新しいネット署名が始まった。その署名サイトへのアクセスは、「危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます」をキーワードとする検索で。
署名の開始は、開催が目前に迫る中で、首都圏では新型コロナウイルスの感染が再拡大しつつあり、残された時間が少なくなっている切迫感に突き動かされてのことだという。インターネットサイト「Change.org」で昨日(2日)朝から開始。菅義偉首相、国際オリンピック委員会(IOC)、日本オリンピック委員会(JOC)、小池百合子都知事らに対し、五輪中止を求める内容。
要望書では、五輪の「安心安全」をどう実現するのかについて国民が納得いくような説明がされていないこと、首都圏でコロナの感染者数が再拡大する傾向にあること、ワクチン接種率が低いことなどを問題視。「日常生活の抑制を求めながら、コロナクラスターを無数に作る可能性を秘めた五輪開催を強行しようとする不条理」への怒りが深くなっている、と指摘する。
主催者が「開催ありきで、市民の間には今さら何を言っても無駄だと無力感が広がっている」なかで、「切迫した時期だからこそ、最後のチャンスと考え、あえて言うべきことを言っておきたい」として、「歴史的暴挙ともいうべき東京五輪が中止されること」を求めている。(朝日から)
署名の呼びかけ人と賛同者は以下の通り。(50音順)
◆呼びかけ人
浅倉むつ子さん(法学者)、飯村豊さん(元外交官)、上野千鶴子さん(社会学者)、内田樹さん(哲学者)、大沢真理さん(東京大学名誉教授)、落合恵子さん(作家)、三枝成彰さん(作曲家)、佐藤学(東京大学名誉教授)、澤地久枝さん(ノンフィクション作家)、田中優子さん(前法政大学総長)、春名幹男さん(ジャーナリスト)、樋口恵子さん(評論家)、深野紀之さん(著述家)
◆賛同者
高橋源一郎さん(作家)、三浦まりさん(政治学者)
(2021年7月2日)
7月4日都議選が目前である。前回選挙時には予想もできなかった、コロナ絡み、オリパラ絡みの、何とも形容しようのない絶妙な首都の議会選挙となっている。
コロナの蔓延はいったん収まるかにみえて、今、疑うべくもなくリバウンドの途上にある。この最悪の時期、しかも酷暑の東京でのオリパラ開催のデメリットは誰の目にも明らかである。一方、オリパラ開催のメリットや意義は霞の彼方、主催者の説明すら二転三転して定かではない。それでも、オリパラは強行されようとしている。そのオリパラ強行の是非についての民意を問う、はからずも絶好のタイミングでの都議選である。
国威発揚と商業主義と売名と、そして民衆を愚民化する意識操作と。オリンピックの本質が、これほどに深く鋭く問われ論議され断罪されたことはかつてなかった。権威を剥奪されたオリンピック開催とコロナの蔓延とが重なって、以前から日程が予定されていた選挙がはからずも命の重みを問う選択になっている。偶然とは言え、何という興味深い展開であろうか。
このような非常事態には、平時に用意された手垢のついた常套句は用をなさない。それぞれの政治グループや候補者がもっている、イデオロギーや基本姿勢が露骨にあぶり出されることになる。
こんにちは、kanrisha さん
「コロナとオリパラ」という組み合わせられた論点への解は、基本的には二つ。一つは「コロナ対策徹底のために、オリパラを中止せよ」であり、もう一つは、「オリパラ開催を前提に、必要なコロナ対策を」というものである。前者は、都民の命と健康を最優先する考え方であり、後者は国威発揚と商業主義と売名を優先させる考えである。
今、都議選は、「コロナとオリパラ」を巡って、基本的に3グループの争いになっている。一方に「オリパラを中止して、コロナ対策に専念せよ」という共産、その対極に「オリパラ開催を当然として、安全・安心な大会に」という自民。そしてその中間に、「無観客での開催」という都ファ。あとは、そのバリエーションである。
自民のいう「安全・安心」は、まったくの無内容である。具体性がない、科学的根拠がない。言わば、空念仏。それでも、オリパラ開催の方針だけが明瞭なのだ。最近になって、菅が、「(一部)無観客もあり得る」と言い始めた。
水際対策のダダ漏れ、穴だらけのバブル方式、ワクチン調達の挫折、変異株蔓延の恐怖、医療態勢の逼迫、世界各地での再拡大…。勝負に出たはずの菅が、明らかに躊躇し始めている。が、けっして中止とは言わない。
都ファが、「無観客開催」を言っているのが興味深い。前回選挙では吹いた追い風が、今回は期待できない。彼らは、生き残りのために、ひたすら都民の意向を探っている。その都ファが、小池百合子の方針に従っていたのでは全滅しかねない、という判断なのだ。オリパラ中止とは言えないが、「無観客開催」と言わねば生き残れないという結論。
共産の立場はシンプルで分かり易いだけでなく、一貫していてブレがない。これは、人権思想徹底の賜物と言うべきだろう。
都議選では、各党の各候補者が、「コロナとオリパラ」をテーマに政策を競い合っている。しかし、実のところ、「コロナとオリパラ」問題で問われているのは首都の選挙民の意識である。何よりも都民の命を大切にする政治を選択するのか、「安全・安心」の空念仏で「国威発揚と商業主義と売名」の場としてのオリパラ開催を優先させるのか。その中間で良しとするのか。その最悪の選択は、第5波の感染拡大をもたらし、多くの人命を奪うことにもなる。選択の間違いは恐ろしい。
重大な都議選である。選択の間違いは悔やみきれないことになる。
(2021年7月1日)
本日が、中国共産党創建100周年だという。残念ながら、とうてい祝意を表する気持ちにはなれない。
私が若かった頃、中国共産党こそは希望の星であった。社会主義は当然あるべき人類の未来図であり、そこに最初に到達する国が中国となるに違いない。当然の如く、そう考えていた。その社会主義中国を牽引する実績と能力と、人民からの信頼をも備えた中国共産党に尊敬の念を惜しまなかった。今は昔の話である。おそらくは、私が変わったのではない。中国共産党が、尊敬すべからざる存在に様変わりをしたのだ。
本日の創建100周年の記念式典で、習近平は灰色の人民服をまとい1時間強にわたって演説し、「経済発展を実現して中国から貧困をなくしたとする功績」を誇示したという。貧困をなくす…、それは確かに重要なことだ。
高校生の頃、漢文の授業で「鼓腹撃壌」という言葉を教えられた。聖帝・尭の時代には、こんなにも世の中がうまく治まっていたというエピソード。
老人有り、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し、日入りて息ふ。
井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。
帝力何ぞ我に有らんや。」と。
農夫が腹鼓を打ち地を踏んで踊り、「帝の力なんてなくたって満足さ」と歌っている。「帝力何ぞ我に有らんや」は、「帝の力なぞ私にとってまったく関わりない」という意味だという。漢文の先生は、「これが、政治の理想だよ」「ところが、現実の政治はこうなっていないから、国民が苦労するわけだ」と言った…ように覚えている。
同じ頃、英語の演習で、リンカーンのゲティズバーグの演説を学んだ。その最終部分の、次の文章を初めて読んだ。
government of the people, by the people, for the people
尊敬する英語の先生は、このフレーズを「人民の人民による人民のための政治」と訳して、「これが、民主主義の神髄ですよね」と言った…ように記憶している。
私は、「by the people と for the people は分かります。でも、of the people というのがよく理解できません」と頼りない質問をした。これに対して、先生は至極真面目に、こう言われた…ように思う。今はもう、確かめようもないけれど。
「同格の of という使い方ですね。government と the people が同格ということですよ。でも、所有格の of と理解したってかまわないし、リンカーンもあんまり深くは考えずに、調子がよいからこう言ったのかも知れません。ともかく、政治は人民が自分たち自身で作るものっていうことですよね」
今日の習近平演説が、余りに「鼓腹撃壌」的で、「民主主義の神髄」的ではないことに驚かざるを得ない。中国共産党は、いまだに「民は由らしむべし、知らしむべからず」と考えているのではないか。
「鼓腹撃壌」は人民を被治者としか見ない政治観である。老農夫の腹をどう満たしてやろうかという発想は、古代の堯舜も、赤子を慈しむという天皇も、習近平も変わらない。ここには、上から目線の for the people だけがあり、by the people は欠けている。of the people に至っては、カケラほどもない。
そもそも、(仮に)共産党がどんなに立派であったとしても、飽くまで私的な組織であって、全人民を代表する正当性を持たない。憲法に書き込んだところで、事情は変わらない。
習は、本日の演説で、「中華民族の偉大な復興を実現させるため、中国共産党は人民を団結させて導いてきた」と何度も繰り返し、「中国の特色ある社会主義があってこそ中国は発展できる」と主張した。香港についても「国家安全を維持するための法律や組織を導入し、香港社会を安定させた」と自賛したという。
天安門事件以来、中国共産党の強権的体質は誰の目にも顕著ではないか。「人民を団結させて導いてきた」は、こじつけも甚だしい無理な主張というほかはない。「中国の特色ある社会主義」とはいったい何だろうか。あの安倍晋三のいう「積極的平和主義」を思い出させる。「積極的」という言葉をかぶせるだけで、「平和主義」の内容を反転させるマジック。習も、「中国の特色ある」という修飾語で「社会主義」を、格差容認社会に反転させてしまうのだ。
さらに問わねばならない。「香港社会は安定」しただろうか。香港も、ウイグルも、チベットも、内蒙古も、とうてい「安定」しているようには見えない。不満と不安定のマグマの噴出が、力で押さえつけられているだけではないか。
古代中国の皇帝も野蛮な天皇制もそして中国共産党も、鼓腹撃壌する人民には穏やかに接する。慈しみさえする。しかし、皇帝や天皇や党の権威に逆らう人民には徹底して非寛容なのだ。党を批判し、党とは異なる立場からの政治参加を求める人民には容赦のない弾圧を厭わない。これが、中国共産党100周年の姿である。人権と民主主義という、人類が獲得した普遍的な叡智を顧みず、野蛮な一党支配を続けるいびつな大国を作りあげた中国共産党。その100周年は祝福に値しない。
今日は、香港で、ウイグルで、チベットで、内蒙古で、そして中国本土で、中国共産党の弾圧と闘っている側の人々の困苦を思いやるべき日である。
(2021年6月30日)
毎日新聞に「追跡」と表題する、連載の調査報道欄がある。「ニュースの背景を解説、検証、深掘りリポート」というキャッチフレーズ。これが、誇大広告ではなく、充実した取材で読み応えがある。
昨日(6月29日)の毎日朝刊2面に、「追跡 自治体 次々DHC批判」「在日コリアン差別文章 連携協定解消相次ぐ」の記事。そのリードは、大要以下のとおり。
大手化粧品会社ディーエイチシー(DHC)のホームページで2020年11月以降、創業者の吉田嘉明会長名で在日コリアンを差別する内容の文章が複数掲載され、いずれも21年5月になって削除された。同社は取材にコメントを避け、削除の経緯や理由を明らかにしていない。住民の健康増進や産業振興などを目的にDHCと連携協定を結んでいた自治体や、取引先の企業はこの間、どう対応してきたのか。
DHC・吉田嘉明に染みついた唾棄すべきヘイト体質は、今さら説明するまでもない。問題は、このヘイト企業がなにゆえに今の日本の社会に存続し得ているか。いったい誰がこのヘイト企業の存続に手を貸しているのか、である。
まずは、消費者である。多くの消費者がDHC・吉田嘉明のヘイト体質を意識することなくその製品を購入している。この無知・無関心・無自覚はヘイトを野放しにする罪と言わざるを得ない。DHC・吉田嘉明のヘイト体質をよく知らねばならない。そして、DHCの製品を購入してはならない。DHC製品不買の消費行動を通じて、この社会における不当な差別解消に貢献することができる。
次いで小売店である。スーパー、コンビニ、ドラッグストアー、駅ビル、デパート等々の店舗が、ヘイト企業DHCとの取引を拒否すれば、DHCの体質を変えることができる。また、金融機関がヘイト企業DHCへの融資を止め、人材派遣業者がアルバイトの派遣を辞め、原料のサプライヤーが出荷を控え、広告業者がヘイトDHCの宣伝を拒否してもよい。DHCの経営を支えている取引業者が取引を停止することで、DHC・吉田嘉明に、「ヘイトは損だ」「ヘイトを慎まないとまともな経営は成り立たない」と思い知らせることができる。
とは言え、民間業者の対DHC自発的取引停止は、現実にはなかなかの難事であろう。世論がヘイト企業DHCとの取引を糾弾し、DHCとの取引によるイメージダウンのデメリットが顕著にならなければ容易なことではない。
しかし、地方自治体は別である。経済的合理性を行動原理としない自治体は、ヘイト企業と連携してはならない。躊躇なくヘイト解消に行動しなければならない。DHCのヘイト体質があからさまとなった今、DHCへの対応如何で、自治体の良識が計られる。「追跡」は、それを記事にしている。たとえば、高知県南国市。
同市は4月19日に電話と電子メールで(DHCに)文章削除を要請。「対応できない」とされたため同月23日に協定解消を通知した。「相手が誰でも差別的発言は良くない。市全体として差別をなくそうと動いている」と担当者は言う。また、神奈川県平塚市は「協働事業を展開してきた行政の責任」としてDHCに公式見解と再発防止策を示すよう要請。だが、公式謝罪や経緯説明は考えていないとの回答で、7月14日付の解消を決めたという。これらはヘイトを容認しない立派な自治体の例。
「追跡」が明らかにした、ヘイトを容認しない立派な自治体(☆)と、DHCのヘイトを容認した立派でない自治体(★)の色分けは以下のとおり。
☆DHCとの連携協定解消(方針や凍結含む)
宮城県石巻市 差別的な発言、掲載は遺憾
茨城県下妻市 外部の指摘を受けながらも掲載されてきたことは看過できない
千葉県横芝光町 差別を助長するような発言は容認できない
神奈川県平塚市 公式ウェブサイトに差別的な文章を掲載し続けたことは問題
神奈川県松田町 差別的な内容は遺憾。差別は許されるべきではない。
高知県南国市 差別的文章は不適切
高知県宿毛市 差別的な表現は不適切
熊本県合志市 人種差別につながる発言は容認できない。
※DHCとの連携協定解消を検討中
茨城県守谷市 企業としての主張と認識せざるを得ない。削除と見解を求めたが回答がなかった。
★DHCとの連携協定継続(方針含む)
北海道長沼町 差別を助長するような文章掲載は容認できない。削除と謝罪及 び再発防止の意思を確認した。
静岡県伊東市 差別的文章の公表は誠に残念。会長の発言と連携協定は直接関係していないと判断した
静岡県御殿場市 差別は断じて許されず、説明を求めた。謝罪と発言撤回を報告され、同様の行為を繰り返さないと誓約された。
佐賀県唐津市 一個人の発言であり、考えを述べる立場にない。協定の目的が達成されるなら解消する考えはない。
熊本県長洲町奥 差別的発言やヘイトスピーチは決して許されないが、おわびと発言撤回のメールを受けた
ヘイト容認派で最も挑戦的な態度だったのが、吉田嘉明の出身地で、系列ホテルがある佐賀県唐津市である。毎日の取材に対して、「(ヘイトコメントは)個人の発言であり、市として考えを述べる立場にない」と突っぱねている。DHCのオーナー会長である吉田嘉明のDHC公式ホームページにおけるコメントが「個人の発言」ではあり得ない。ヘイト発言を容認する唐津市のごとき態度こそが、日本社会にヘイトのウィルスを蔓延させているのだ。DHCのヘイトを容認する唐津市は、恥を知らねばならない。
また、DHCの工場などがある静岡県伊東市も、おかしい。「会長の発言と協定は直接関係していない」という。「直接関係していない」は、いかにも苦しい言い訳だが、問題は「直接関係の有無」ではない。問われているのは、自治体の側に企業のヘイト行動を許さないという断固たる意思があるか否かなのだ。伊東市のごとき姿勢が、ヘイト企業をのさばらせているのだ。伊東と言えば、著名な観光都市ではないか。観光都市としてのイメージを大切にすべきではないのか。DHCの汚れたブランドイメージを背負い込むことはあるまい。
(2021年6月29日)
今からちょうど50年前、私は2年間の司法修習の過程を終えて弁護士となった。その1971年の春4月は、「司法の嵐」が吹き荒れた季節であった。「司法の危機」の時代とも呼ばれた。「司法反動と闘う」ことが、民主主義や人権を大切に思う人々の共通の課題として意識され、当時民主的な運動に携わる人々は、それぞれの立場で「司法はこれでよいのか」と問いを発した。もちろん、「司法がこれでよいはずはない」との強い思いからである。
「司法の嵐」の震源は、おぞましいまでの天皇主義者でもあり、反共主義者でもあった司法官僚の首魁・石田和外が主導した青年法律家協会攻撃であった。彼は、公安と一体となった極右出版や自民党に与して、青法協を過激思想団体と決めつけ、裁判官会員には脱退を強要し、青法協会員裁判官の中心的存在とみなされた札幌地裁福島重雄裁判官を非難し、13期宮本康昭裁判官の再任を拒否した。そして、23期司法修習生の中の裁判官志望者にも、青法協を脱退するよう肩たたきが行われた。
青法協攻撃という外形の内実は、人権や民主主義や平和という憲法理念への排撃であり、憲法擁護運動への牽制であり、裁判官に対する思想統制であった。憲法の砦たるべき最高裁自らが思想差別を行い、裁判官の独立をないがしろにしているのだ。これから、法律家になろうとする司法修習生たちは、身近に起こっているこの異常な事態を看過してよいはずはないと考えた。
同期の裁判官志望者を思想信条や団体加入で差別してはならない。そのような運動が澎湃として盛り上がったが、結果は7人の裁判官志望者が任官を拒否された。
せめて、終了式の場で任官を拒否された彼らに、その思いの一端を発言する機会を与えてもらおうではないか。これが同期の総意となった。誰かが式の冒頭で、研修所長に同期の総意を伝えなければならない。その役割を担ったのが、クラス連絡会の阪口徳雄委員長だった。
阪口君は、修習修了式の冒頭、式辞を述べようとした研修所長に対して発言の許可を求めた。所長は明らかに黙認し制止をしなかった。所長からの許しを得たと思った阪口君が、マイクを取って「任官不採用者の話を聞いていただきたい」と話し始めた途端に、「終了式は終了いたしまーす」と宣告されて式は打ち切られた。開会から式の終了まで、わずか1分15秒の出来事。この行為をとらえて、最高裁はその日の内に阪口君を罷免処分とした。
この出来事は、権力機構としての司法府の本質を露わにするものとして強く世論を刺激し、前例のない司法の民主化を求める運動に火を付けることになった。その運動の高揚の中で阪口君の法曹資格は2年後の1973年4月に回復となる。
そして、半世紀が経過した今、あらためて、同じ問を発しなければならない。「司法はこれでよいのか」「本来、司法はどうあるべきなのか」「どうすれば、司法本来のあるべき姿を実現できるだろうか」と。
「司法の嵐」吹き荒れる中で実務法律家となった23期の集団は、その後の法律家としての職業人生において、それぞれに司法の在り方を問い続けてきた。そして、50年を記念して、同期の有志が一冊の書籍を刊行した。「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」(23期・弁護士ネットワーク著・現代書館)である。当時の司法状況についての資料というだけでなく、原体験を共有した23期群像のその後の生き方をも活写して読み応えのある労作となっている。
そして、この書籍の出版を記念した集会を開催した。「法と民主主義」6月号【559号】の特集は、4月24日「アルカディア市ヶ谷」において開催された出版記念集会の各発言をそれぞれの発言者が加筆し編集したものである。50年前の司法に、いったい何があったか。そのとき、司法は本来あるべき姿とどう変わってしまったのか。そして、50年後の今、どうしたら司法に希望を見出すことができるのか。その問題意識が凝縮した集会発言集になっている。内容は、下記のとおりである。
司法のあり方に関心をお持ちの方には、是非、ご購読いただきたい。
「法と民主主義」6月号内容紹介
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
リード
https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/pdf/202106_01.pdf
「法と民主主義」申込みフォーム(今号単独購入であれば、ナンバー欄に「559」と、定期購読ご希望であれば同欄に「0」と御記入を)
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
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法と民主主義2021年6月号【559号】(目次と記事)
特集●司法はこれでいいのか ── 「危機の時代」から50年
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆出版と集会、その目的と思い … 村山 晃
◆50年前に何があったか、当事者としての感想と挨拶 … 阪口徳雄
◆23期の50周年を祝う ── 連帯のメッセージ … 宮本康昭
●パネルディスカッション冒頭発言●
◆司法の現状:制度と運用の実態をどう把握するか
──司法官僚制的人事慣行と石田和外裁判官 … 西川伸一
◆司法への絶望と希望
── 行政事件「鑑定意見書」執筆の経験から … 岡田正則
◆私たちの責任 ── 司法の希望への道筋をどう見い出すか … 伊藤 真
●具体的事件を通じて司法の希望を語る●
◆勝たなければならない裁判で勝てた理由
── 東海第二原発差止訴訟 … 丸山幸司
◆生活保護基準引下げ違憲大阪訴訟について … 小久保哲郎
◆「結婚の自由をすべての人に」北海道訴訟
── 違憲判決からみる司法の展望 … 皆川洋美
◆建設アスベスト訴訟を通して感じる司法 … 谷 文彰
◆東京大空襲訴訟を通じての問題提起 … 杉浦ひとみ
◆司法は厳しい、されど気概ある裁判官になお期待したい
──パネラーの各発言と弁護団報告に触発されて … 森野俊彦
◆司法の希望を切り拓くために── 報告のまとめとして … 豊川義明
◆青法協弁学合同部会議長 挨拶 … 上野 格
◆希望への道筋 ── 良心の力を信じて進む … 梓澤和幸
(2021年6月28日)
奸悪な指導者の政権は腐敗する。奸悪ならざる指導者の長期政権も腐敗する。ならば、安倍政権の腐敗は余りに当然のこと。そして今、後継の菅内閣が、安倍内閣の腐臭を承継している。
安倍政権腐敗の根源は、権力の過度の集中にあった。各省幹部官僚の人事権を掌握しただけでなく、警察、検察、司法、メディア、学術の支配をもたくらんだ。それぞれの対象領域のめぼしい人物に目を付けて、これを手なずけ子飼いにして、官邸の意思を貫徹しようとした。
どこの世界にも、権力に尻尾を振ることを潔しとしない気骨の人物はいるものである。しかしまた、どこの世界にも、自尊心に欠け、時の政権におもねることを躊躇しない人物もいる。官邸が「番犬」ないしは「守護神」を探すのに、手間はかからなかった。
このような人物としてよく知られているのが、杉田和博(警察)、北村滋(警察)、黒川弘務(検察)など。佐川宣壽(財務省)もその一人といってよいだろう。そして、メディアの部門では「ジャーナリストとしての良心を悪魔に売り渡した」とされる少なからぬ人物を数えることができるが、別格の存在なのがNHKの板野裕爾(専務理事)である。はやくから、安倍政権寄りのNHK幹部と目されてきたが、ここに至って菅政権が積極的にこれを使おうとして動いたとの報道である。
本日の毎日新聞朝刊2面に、「NHK異様な人事」「専務理事退任案 会長が土壇場撤回」「『政権寄り』 内部から疑問の声」という目立つ記事。さらに、社会面には、「板野氏再任『理由分からぬ』」「自民議員『官邸意向の可能性』」「『自主自律』に疑念」の大見出し。
渦中の人が、NHKの板野裕爾専務理事。安倍政権寄りとして知られ批判されてきた人物。本日の記事でも、「15年には…安全保障関連法案に関する複数の放送を見送るよう指示し、16年3月には政権の方針に疑問を投げかける『クローズアップ現代』の国谷裕子キャスターの降板も主導したとされる。NHK内では、いずれも当時の安倍政権の意向が背景にあったとみられている。」と紹介されている。
この禍々しい人物が、今年の4月に3期目の任期切れとともに当然退任のはずだったのが、直前に方針転換となって再任された。その不自然さは4月当時も報道されたが、今回はこの異様な人事の裏に、『官邸意向の可能性』というのが目玉の記事。それ故に、NHKに求められている「自主自律」に疑念が呈されている、という調査報道である。
長文の記事だが、ハイライトは以下のとおり。
NHKの前田晃伸会長(76)が4月、板野裕爾専務理事(67)を退任させる役員人事案を経営委員へいったん郵送させながら、同意を得る経営委員会の直前に撤回し、再任する案に差し替えていたことが毎日新聞の取材で判明した。経営委は賛成多数で再任案に同意したが、委員2人が反対した。送付された人事案の撤回は極めて異例で、人事案に反対が出るのも異例だ。NHK内部から、政権寄りとされる板野氏の再任の過程に疑問の声が上がっている。
複数のNHK関係者によると、当初は4月6日の経営委会合で板野氏の退任を含む理事らの役員人事が決められることになっており、前田会長は事務方を通じて4月2日に最初の人事案を各経営委員へ郵送させていた。しかし、6日の直前になって各委員に「なかったことにしてほしい」と事務方から連絡があり、6日の会合では理由の説明なしに人事案の文書は回収された。
放送行政に詳しい複数の自民党国会議員は「板野氏退任の人事案を知った首相官邸の幹部が、再任させるよう前田会長に強く迫ったと聞いている」と証言する。また、複数のNHK関係者は「前田会長は抵抗したが、断り切れずに翻意したと聞く」と話す。それは板野氏退任の人事案が経営委員に郵送された4月2日以降で、6日の経営委で回収されるまでの数日の間だったという。
放送行政に詳しい政府関係者は「安倍、菅の両政権が板野氏にこだわってきたのは、国民への影響力の大きいNHKの動向を監視し、政権批判をけん制したいからではないか」と指摘。ある自民党国会議員は「安倍政権の頃から、官邸は会長だけでなく専務理事などの役員人事にも目を光らせていた」と話す。
いうまでもなく、NHKは国営放送ではない。政権の広報担当ではないのだ。大本営発表を垂れ流した反省から公権力からの独立を謳って再出発した公共放送である。「自主自律」を標榜するNHKの人事に、官邸が干渉していたとなれば、大問題である。安倍政権の体質とその腐敗は、しっかりと菅政権に受け継がれている。