澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

聖火リレーの行き着く先は?

(2021年3月26日)
 ここ上野不忍池はかつての東叡山寛永寺境内の一隅。四季の移りの中で二度ばかりは、この地が極楽浄土となる。一度は盂蘭盆会を間近の蓮の華が咲き誇る頃。そして、もう一度が、花が咲きそろい鳥の鳴く頃。まさしく、本日のこの景色が極楽浄土さながらと言うよりほかはない。

 本日の早朝、空は飽くまで青く晴れわたり、風はそよやか。池の畔のソメイヨシノが今を盛りと咲き誇り、ちらほらと散り始め。これにベニユタカやシロタエが彩りを添えている。花は紅、柳は緑。弁天堂近くではウグイスの鳴き声。行き交う人はまばらで、甲高い外つ国の言葉は聞こえない。

 とは言え、この極楽、行き交う人々はまばらだが、皆マスクを着用している。一人の例外もなく。この世の現実から逃れられない極楽なのだ。

 東京オリンピックも、希望や理念を語りはするものの、コロナ蔓延の現実から逃れることができない。

 昨日から、聖火リレーが始まった。コロナ再感染第4波を押してのことである。初日から、火が消えて再点火するというアクシデントが2度。台風並みの風雨でも「絶対に消えない聖火」との触れ込みだったトーチの火が消えたのだ。本日(3月26日)には、火の消えたトーチのまま一区間が走られた。消えてはならない聖火が消えた。将来を暗示するものではないか。いや東京五輪の現実を語っているというべきか。

 聖火リレーは、フクシマから始まった。10年前地獄と化した原発事故の地。アンダーコントロールという、あの男のウソを改めて思い出す。そして、復興五輪というゴマカシも。東京五輪は、東北復興に水を差したではないか。それを糊塗するための見え透いた演出。

 政府は、「コロナに打ち勝った証しとしての東京五輪開催」と、まだ言っている。太平洋戦争も、原発依存の国策も、決定的な破綻に行き着くまで方向転換できなかった。東京五輪も同様なのだ。このままでは玉砕五輪とならざるを得ない。

 聖火リレーの出発式典で、大会組織委員会会長の橋本聖子は、「東京大会の聖火は、神聖で力強く、温かい光となって日本全国に一つひとつ希望を灯していってほしい」「日本と世界の皆さんの希望が詰まった大きな光となり、国立競技場に到着することを祈念する」「東北の人々の不屈の精神に心から敬意を表します」などと述べたという。

 はたしてこの火は、神聖だろうか。力強いだろうか。温かい光となるだろうか。全国に希望を灯せるだろうか。日本と世界の希望が詰まった大きな光だろうか。そもそも、無事に国立競技場に到着することができるだろうか。

 「東北の人々の不屈の精神に心から敬意を表します」は、意味不明である。私は、東北の出身者として、「打たれても、叩かれても、虐げられても、中央には文句の一つも言わない」と、蔑まれた思いを抱かざるを得ない。

 よく知られてるとおり、聖火リレーはヒトラー政権下の1936年ベルリン五輪から始まった。ファシズムの心理的演出手法として位置づけられたものである。

 極楽の風景もコロナの現実から逃れることはできない。聖火リレーのまがい物の希望も同様である。まずは、コロナ拡大のリスクを冒してまで、聖火リレーなどやる意味があるかを考えよう。聖火リレーも東京五輪も、腐敗した政権や政治家の野心が民衆を統制する演出に過ぎないというべきであろう。確かなのは、東京五輪が大企業の金儲けの手段となっていること。

 火は必ずしも聖なるものとは限らない。人家を焼く火災の火ともなり、おぞましい戦火とも、原発の核の火とも、煉獄の炎ともなる。コロナ禍のさなかに、Jビレッジを出た火は、途切れながらも、人から人へのリレーを重ねて行き着くところで、極楽の聖なる火となるだろうか、あるいは地獄の劫火となるのだろうか。

甲子園に流れた韓国語校歌の感動

(2021年3月25日)
 自分でも現金なものと呆れるが、かつては「春はセンバツから」が身体に染みついていた。母校が甲子園の常連校で常勝校でもあった頃のこと。今は、高校野球になんの興味もない。母校の野球部は廃部になってしまっている。だから、どこの高校が勝とうが負けようがどうでもよいことで、随分と紙幅をとっている毎日新聞のスポーツ欄は目障りなのだ。

 ところが、昨日の一戦だけは別。京都国際高校対柴田高校(宮城)の初出場対決。延長戦の末、5―4で京都国際が勝利した。その試合後に流れた校歌が「韓国語」だったという。同校は、現在はいわゆる「1条学校」だが、その前身は在日韓国人の学校。校歌は、昔のとおりのハングルの歌詞。球場の大型スクリーンには、ハングルの歌詞と日本語訳の両方が映し出されたと報道されている。これは、すてきなニュースではないか。

 私は、ナショナリズム一般の価値を認めない。ナショナリズムとは全体主義的統合機能をもつものとして危険であり、反価値でしかないと思う。しかし、特定の状況において、虐げられている人たちを鼓舞する抵抗のエネルギーの源泉としてであれば、その限りで評価を惜しまない。

 在日の人々が置かれている立場では、そのナショナリズムは尊重に値すると思うし、敬意を禁じえない。その在日のナショナリズムに寛容な日本社会であって欲しい。今、京都国際の野球部員は全員が日本人であるというが、彼らが抵抗なく韓国語の校歌を唱う図には、日本社会の寛容度を見直させるものがある。

 この校歌の歌詞を直訳すれば、「東海を渡りし大和の地は 偉大なわが祖先の昔の夢の場所」で始まるものという。「東海(トンへ)」とは、韓国でいう日本海のこと。韓民族が日本海を渡ってやって来た「ここ大和の地は、偉大なわが祖先の昔の夢の場所」という。「夢の場所」とまで言われた「大和」側の一人としては、気恥ずかしいほどの親日の歌詞。

 この校歌についての報道は概ね好意的である。「校歌が韓国語で何の問題があるのか」という主調。主催者も、メディアも、学校も、そして選手も、大らかに韓国語校歌を容認したのだ。その寛容さに拍手を送りたい。

朝日が、同校野球部のOBを取材してこんな記事を書いている。
「OBの李良剛(イヤンガン)さん(35)=東京都品川区=は手拍子をし、マスクを着けたまま小さく口を動かした。「韓国とか日本とかではなく、グローバルの時代。野球を通じて国境を超えて感動を与えてほしい」

 18年前の夏、京都大会の開会式で日本語と韓国語の両方で選手宣誓した。「魂(オル)・感謝(カムサ)・感動(カムドン)」。拍手が送られた。「高校野球に民族や国籍は関係ないと感じた。高校野球はいいなと思った」と振り返る。

 とは言え、まったく問題がなかったわけではない。非寛容な右派勢力が、「東海(トンへ)」に噛みついたのだ。地名は国際的に「日本海」が正しい。これを「東海(トンへ)」とはなにごとか。学校も怪しからんが、こんな歌を唱わせた主催者もおかしい、というわけだ。

 もっとも、このような事態は予想されたところで、球場の大型スクリーンに映された日本語訳は、「東海」ではなく「東の海」となっていた。「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」とした妥協を思い出させる。

 おそらくは、学校は一定の譲歩をしたのだろうが、状況をよく見ての知恵と言ってよいだろう。無理なく、甲子園に、そして中継を通じて全国に、たくさんの祝福の笑顔に包まれて韓国語の校歌が流れたことの意味は大きい。こんなときだけは、日本人もなかなかのものだと思う。

 その折も折、米インド太平洋軍は24日、北朝鮮による弾道ミサイル発射に関する声明の中で、日本海を韓国式名称である「東海」と表記した。米政府はこれまで、日本海の表記を使用してきた。
 インド太平洋軍報道官のマイク・カフカ大佐は声明で「米国は北朝鮮による今朝の東海へのミサイル発射を認識している」と説明した。
 米地名委員会は、日本海を「通常」表記、東海などを「変異」表記と区別している。【時事】

 日・韓・朝、そして米。各国のナショナリズムの交錯が複雑で緊張感も高まっているる。日韓のナショナリズムの対峙は深刻にもなっている。しかし、在日の人々のナショナリズムを象徴する韓国語の校歌を、甲子園は笑顔で包んだ。私の母校とは無縁となった甲子園だが、たまにはよい風景も見せてくれるのだ。

「河井克行は離党させたのだから、もう自民党に責任はない」「アベ・スガ・ニカイに火の粉はごめんだ」

(2021年3月24日)
 河井克行という大規模公職選挙法違反事件の被告人は、元法務大臣である。まったく法務大臣として不適格なこの人物を特に選んで法務大臣に据えたのは、当時の腐敗政権を支えた安倍晋三と菅義偉だった。時の政権の腐敗を象徴する人事として、これ以上の「適材適所」はない。

 そして、この法無大臣に、巨額の河井案里選挙資金をつかませたのが自民党幹事長二階俊博である。河井克行の犯罪には、この黒幕3人組が深く関わっている。

 その河井克行が、昨日(3月23日)の公判廷で、これまでの無罪主張を翻して犯行を認め、議員辞職の意向を明らかにした。注目さるべきは、河井の今後よりは、河井の犯罪に深く関わっている黒幕3人組(ブラック・トライアングル)の責任の取り方である。

 そのブラックトライアングルの一角・二階俊博は、頭を捻って高等戦術に打って出た。23日の党会合で、幹事長として「党としても、他山の石として、しっかり対応していかなければ」と語ったのだ。

 河井事件を「他山の石」と言ってのけた狡猾さ。さすがに智恵者。さりげなく「河井事件は、自分の問題でも、自分たち自民党の問題でもない」と印象をふりまき、その上で、しかし「『他山の石』として教訓にしよう」と神妙なフリをして見せたのだ。

 うっかり聞いていると、「ああ、『他山の石』なのか、二階さんのことでも自民党のことでもない、他人・他党のことなんだ」と思わせる高等戦術。「たくさんの人に引っかかってほしい」という期待を込めた詐欺的言葉遣い。詐言・詐術と言ってもよかろう。

 だが、どうも評判は散々のようだ。これで国民を欺けると思うたは国民を甘く見るにもほどがある、という雰囲気。

 野党側は真面目に怒っている。二階批判は厳しい。「日本語を理解されていないのか、ちょっと意味不明の発言であり、まさに自民党のど真ん中で起きた事件だ」「自民党として、しっかり事件に対応しなかった」(立民・枝野幸男代表)、「他人と自分の区別もつかなくなったのか。他山ではなく、紛れもない『自山』だ」(共産・小池晃書記局長)

 一方、自民党の森山国対委員長は、「決して人ごとというふうには思っておられないんだと思います。今、自民党員ではないという意味でおっしゃりたかったのでは」と述べたという。これはなおさら悪い。

 不祥事を起こした政治家は離党させる。そうすれば全てが他人事になるというのだ。自民党時代の党が絡んだ不祥事も、離党させればもう他人事。自分のこととしての反省材料にはならないというのだ。森山説は、随分とはっきりそう言ったのだ。

 この二階・森山流の責任回避姿勢の姑息さは、二階の、いやトライアングルの傷口を広げる。不祥事あれば、率直に認めて真摯に反省の上、謝罪しなければならない。その上で、しかるべき具体的な措置に及ばなければならない。そ失せずに、姑息な策を弄しようとすれば、それこそ傷口はさらに深く大きくなる。このことを他山の石としなければならない。

権力の発動に異議を唱えた市民の訴えには、まずは共感の姿勢で耳を傾けよう。

(2021年3月23日)
 ややこしい話だが、新型コロナの蔓延に対応している法律の名称は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」である。昨年(2020年)3月、この特措法に新型コロナ対応を盛り込んだ改正を行って以来、この改正法を指して「新型コロナ特措法」などと呼ばれることもある。

 今年(2021年)2月3日に、その「新型コロナ特措法」が再改正されて、同月13日に施行となった。その改正部分に、知事の強制権限が盛り込まれている。知事は非常事態宣言の有無にかかわらず、「(コロナ蔓延の)予防的措置」として、飲食店等に対して時短や休業などを「要請」するだけでなく、「命令」を出せるようになった(同法45条3項)。命令に対する違反には、行政罰として30万円以下の過料という制裁が科されることにもなる(同法79条)。

 小池百合子都知事が、さっそくこれに飛びついた。3月18日、時短「要請」に応じなかった27店舗に午後8時以降の営業停止を「命令」したのだ。全国で初めてのことである。ところが、これを不服とする訴訟が提起された。知事としては、思いもかけないことであったろう。

 営業停止を「命令」された27店舗のうちの26店舗は、飲食チェーン「グローバルダイニング」が経営するもの。同社が東京都を相手に、処分取消の訴訟ではなく、国家賠償請求の訴訟を提起した。請求金額は、象徴的な意味合いの損害としてわずかに104円であるという。

 さて、この提訴。まだ訴状の構成の詳細は分からない段階でのことだが、基本的にどう評価すべきだろうか。いろんな考え方があるに違いない。「この非常時ではないか。時短要請に応じるべきが当然だろう」「要請に応じた店舗がほとんどなのだから、平等原則上原告は身勝手極まる」「行政裁量の壁を乗り越えられないだろう」「こういう訴訟は敗訴した場合のデメリットが大きい。こんな提訴をしてホントに大丈夫だろうか」「この店や弁護士のパフォーマンスが鼻について好感が持てない」…

 私は、この提訴を積極的に評価して、まずは歓迎したい。力の弱い者と強い者との軋轢があれば、取りあえずは弱い方に肩入れすべきが「正しい」態度であると私は思っている。労働者と資本、消費者と事業者、市民と警察、被疑者と検察官、女性と男性、野党と与党、患者と医師、そして国民と公権力、である。

 東京都の公権力発動に対して、権利の制約を受ける立場となる店舗が異議を唱えて司法の場で争おうというのだ。その意気やよし、とまずは歓迎すべきであろう。少なくも、その言い分に耳を傾けてしかるべきである。

 報道の限りでのことだが、グローバルダイニングの主張のキーワードは、二重の意味での「狙い撃ち」にあるようだ。一つは、都内で2000店舗以上が時短要請に応じてないにも拘わらず、命令の対象となったのはグローバルダイニングの店舗であつたこと。もう一つは、グローバルダイニングが行政指導に応じない考えなどをネット上で発信したことを理由に同命令を出したこと、だという。これを、「営業の自由(憲法22条)と表現の自由(21条)の保障、それに法の下の平等(14条)に違反している」と構成しているようである。

 グローバルダイニングは、東証2部への上場企業である。22日の終値248円が、23日には9時31分に、328円(+80円、+32%)のストップ高となった。これは興味深い。もしかしたら、このストップ高は、小池都知事への不快感の反映とも読めるのではないか。この先、注目せざるを得ない。

大石又七さんありがとうございました。

(2021年3月22日)
貴重な歴史の証人が失われた。第五福竜丸乗組員として「死の灰」の被曝を体験され、その体験を語り続けてこられた大石又七さんが亡くなった。享年87。

大石さんは第五福竜丸展示館を運営している公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員でもあった。昨日(3月21日)、協会の理事会で初めて訃報に接した。亡くなられたのは3月7日だという。

昨日、第五福竜丸展示館ホームページは、以下の「お知らせ」を掲載した。

第五福竜丸の乗組員として、ビキニ水爆実験に被ばくした大石又七さんが、去る3月7日に亡くなられました。
大石さんは、第五福竜丸の保存が実現し、夢の島公園に展示館が開館した数年後の1980年ごろから時折展示館を訪れていました。1983年に中学生に請われ自らの体験を語ったことを契機に、証言者として歩みはじめました。展示館への来館校が増える中で、クリーニング業を営みながら、断ることなく証言・講和に臨みました。また各地からも声にもこたえ、講演の数は700回を超えます。第五福竜丸を前にしては500回以上お話されてきました。

大石さんは、子どもたちに自らの体験を告げるだけでなく、核がもたらす身体的な被害や精神的苦しみ、差別や社会的な問題、そして核の現状などについて勉強を重ねていきました。1991年には公開された福竜丸被災に関する日米間の外交文書を読みこみ、水面下での政府間のやりとりも著作の中で紹介しています。ここにも「子どもたちに話すからには間違ったことは言えない」との大石さんの真摯な姿勢が感じられます。…

大石さんは、被ばくによる闘病から退院後、東京に出て辛苦を味わいながらも社会の理不尽さや不正を許さない実直な人柄とその行動が、多くの人から慕われました。
第五福竜丸平和協会は、大石さんの意思と行動を心として、核兵器も被ばく被害もない世界にむけて、第五福竜丸の航海を続けます。大石又七さんありがとうございました。

 「大石又七さんありがとうございました。」には、特別の実感がこもっている。23人の被曝乗組員の中で、大石さん以外に積極的な語り部はいない。その大石さんも、被災直後から体験を語りはじめたわけではない。30年ほどは、口をつぐんでいた。実は、被曝の体験を語るのは容易なことではない。大きな社会的圧力を乗り越えなければできないことのだ。

大石さんの著書、『ビキニ事件の真実 : いのちの岐路で』(みすず書房 2003年)の中に、次の一節がある。

 ここでまた運動とは逆行することも起こる。他船の被爆者たちの動きだ。俺たちもそうだったが、自分から被爆の事実を隠しはじめたのだ。
 当時、乗組員たちには最低補償も労働組合もなく、貧しいその日暮らしだった。補償金が出ないとなれば働かなければならない。うっかり話でもしたら足止めされ、出漁もできなくなる。出漁できなければ、明日から生活に困る。そのとき、体が動けば、自分から「被爆しました」などと言うばかはいない。
福竜丸のように騒ぎに巻き込まれれば、白い目で見られたうえに、差別もされるーそれは船元も同じだった。多くの船子を抱え、船をあそばせておくわけにはいかない。事件の波紋が大きくなるにつれ、みんな恐れをなして自分から隠しはじめたのだ。漁船の生活は船元・船頭を中心とした典型的なタテ社会である。特に焼津は、昔から身内で要職を固める一船一家主義の土地柄、上下関係にもきびしい世界だった。その下で働く漁師たちはたとえ意見を持っていても、従う以外に道はない。そして船という小さな枠で仕切られて、広い海にちらばっているのだ。

 やがて、乗組員の中からも事件を忘れさせようとする働きかけが始まる。気がつくと、福竜会という会報が一方的に送られて来るようになった。それは意外なもので、乗組員の発病や苦悩に対して助け合うものならともかく、「俺たちに近づいてくる者はみな共産系の者だ」「気をつけろ」などと口をふさぐものだった。そして、仲間が発病しても死んでも、「被爆とはもう関係ない、一般の病気だ」「第五福竜丸であるとか、元乗組員であるとか、そんなことはみんな忘れろ」「ずい分長生きさせてもらった、放医研の検査には協力しよう」『己のわがままで、どこかに不信の念ありとすれば、人間失格だ』とまで書いて、乗組員から不満が出ないようにした。元乗組員たちは元気な者ほど、今も口をつぐんだままでいる。

 被災体験の証言は、口を封じようとする圧力に抗してなされるのだ。屈することなく、その使命感から証言を続けてこられた大石さんに感謝せずにはおられない。亡くなられた今、大石さんが果たした役割の大きさを感じる。

なお、大石さんの著作は、『ビキニ事件の真実』以外に、下記のものがある。

大石又七著、工藤敏樹編『死の灰を背負って : 私の人生を変えた第五福竜丸』 新潮社 1991年
大石又七お話、川崎昭一郎監修『第五福竜丸とともに : 被爆者から21世紀の君たちへ』新科学出版社 2001年
大石又七『これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏 第五福竜丸・乗組員が語る』かもがわ出版、2007年
大石又七『矛盾 : ビキニ事件、平和運動の原点』武蔵野書房 2011年

国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制とはいかなる意味をもっているのか

(2021年3月21日)
都教委の悪名高い「10・23通達」(2003年)以来、都内の全公立校に卒業式・入学式のたびに、君が代斉唱時の「起立」の職務命令が発せられている。違反者には懲戒処分である。

もうすぐ懲戒処分取消の第5次訴訟の提起となる。原告は14名となる予定。3月31日と提訴日を決めて、いま訴状の作成準備を重ねている。

その準備の中であらためて思う。憲法を守るしっかりした司法があれば、国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制などはあり得ないものを。嘆かわしきは、憲法に忠実ならざる司法の姿。

その訴状の冒頭の一部(未確定版)を引用しておきたい。裁判所にこの訴訟の概要を説明する一文、新聞ならリードに当たる部分の一部である。

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本件訴訟の概要と意義(抜粋)

☆ 本件は毀損された「個人の尊厳」の回復を求める訴えである
(1) 精神的自由の否定が個人の尊厳を毀損している
本件は原告らに科せられた懲戒処分の取消を求める訴えであるところ、本件各懲戒処分の特質は、各原告の思想・良心・信仰の発露を制裁対象としていることにある。原告らに対する公権力の行使は、原告らの精神的自由を根底的に侵害し、そのこと故に原告らの「個人の尊厳」を毀損している。
原告らは、いずれも、公権力によって国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意表明を強制され、その強制に服しなかったとして懲戒処分という制裁を受けた。しかし、原告らは、日本国憲法下の主権者の一人として、その精神の中核に、「国旗・国歌」ないしは「日の丸・君が代」に対して敬意を表することはできない、あるいは、敬意を表してはならないという確固たる信念を有している。
国旗・国歌(日の丸・君が代)をめぐっての原告らの国家観、歴史観、憲法観、人権観、宗教観等々は、各原告個人の精神の中核を形成しており、国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意表明の強制は、原告らの精神の中核をなす信念に抵触するものとして受け容れがたい。職務命令と、懲戒処分という制裁をもっての強制は、原告らの「個人の尊厳」を毀損するものである。

(2)国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の意味
国旗・国歌が、国家の象徴である以上、原告らに対する国旗・国歌への敬意表明の強制は、国家と個人とを直接対峙させて、その憲法価値を衡量する場の設定とならざるを得ない。
国家象徴と意味付けられた旗と歌とは、被強制者の前には国家として立ち現れる。原告らはいずれも、個人の人権が、価値序列において国家に劣後してはならないとの信念を有しており、国旗・国歌への敬意表明の強制には従うことができない。
また、国旗・国歌とされている「日の丸・君が代」は、歴史的な旧体制の象徴である以上、原告らに対する「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、戦前の軍国主義、侵略主義、専制支配、人権否定、思想統制、宗教統制への、容認や妥協を求める側面を否定し得ない。
「日の丸・君が代」は、原告らの前には、日本国憲法が否定した反価値として立ち現れる。原告らはいずれも、日本国憲法の理念をこよなく大切と考える信念に照らして、日の丸・君が代への敬意表明の強制には従うことができない。
国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意を表明することはできないという、原告らの思想・良心・信仰にもとづく信念と、その発露たる儀式での不起立・不斉唱の行為とは真摯性を介して分かちがたく結びついており、公権力による起立・斉唱の強制も、その強制手段としての懲戒権の行使も各教員の思想・良心・信仰を非情に鞭打ち、その個人の尊厳を毀損するものである。司法が、このような個人の内面への鞭打ちを容認し、これに手を貸すようなことがあってはならない。

(3) 教育者の良心を鞭打ってはならない
また、本件は教育という営みの本質を問う訴訟でもある。
原告らは、次代の主権者を育成する教育者としての良心に基づいて、真摯に教育に携わっている。その教育者が教え子に対して自らの思想や良心を語ることなくして、教育という営みは成立し得ない。また、教育者が語る思想や良心を身をもって実践しない限り教育の成果は期待しがたい。『面従腹背』こそが教育者の最も忌むべき背徳である。本件において各原告が、「国旗不起立・国歌不斉唱」というかたちで、その身をもって語った思想・良心は、教員としての矜持において譲ることのできない、「やむにやまれぬ」思想・良心の発露なのである。これを、不行跡や怠慢に基づく懲戒事例と同列に扱うことはけっして許されない。
国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制によって、教育現場の教員としての良心を鞭打ち、その良心の放棄を強制するようなことがあってはならない。

(4) 原告らに、踏み絵を迫ってはならない
原告らは、公権力の制裁を覚悟して不起立を貫き内なる良心に従うべきか、あるいは心ならずも保身のために良心を捨て去る痛みを甘受するか、その二律背反の苦汁の選択を迫られることとなった。原告らの人格の尊厳は、この苦汁の選択を迫られる中で傷つけられている。
原告らの苦悩は、江戸時代初期に幕府の官僚が発明した踏み絵を余儀なくされたキリスト教徒の苦悩と同質のものである。今の世に踏み絵を正当化する理由はあり得ない。キリスト教徒が少数だから、権力の権威を認めず危険だから、という正当化理由は成り立たない。
思想・良心・信仰の自由の保障とは、まさしく踏み絵を禁止すること、原告らの陥ったジレンマに人を陥れてはならないということにほかならない。個人の尊厳を掛けて、自ら信ずるところにしたがう真摯な選択は許容されなければならない。

以上のとおり、本件は毀損された原告らの「個人の尊厳」の回復を求める訴えである。その切実な声に、耳を傾けていただきたい。

DHC製品不買運動は、案外効いているのではないか。

(2021年3月20日)
前川喜平が、実名に(右傾化を深く憂慮する一市民)という自己紹介文を付したハンドルネームで、ツィッターを発信している。なるほどと、頷けることばかり。

https://twitter.com/brahmslover
前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)
@brahmslover

一昨日(3月18日)発信の前川ツィートが、「DHC」に触れている。

「この前泊まったホテルの浴室にはDHC製品が置かれていた。もうあのホテルは使わない。」

「DHC製品、私は買わない」というだけでなく、アメニティとしてDHC製品を使っているホテルへの宿泊もやめようというメッセージ。DHCへの批判を、積極的に具体的な行動で表そうという呼びかけでもある。

このツィートは、沖縄タイムス阿部岳記者の以下の発信にリツィートしたもの。

「デマとヘイトの責任を問う法廷で、DHC「ニュース女子」側はなおもデマとヘイトを垂れ流し続けた。制作会社プロデューサーの一色啓人氏は(証人として)「高江に住んでいる半数以上が基地建設が決定してから住んだ」と述べた。すぐ高江区長に電話して確かめたが、事実ではなかった。」

阿部記者の言う「デマとヘイトの責任を問う法廷」とは、辛淑玉さんが原告となって、DHCテレビジョン(DHCの100%子会社、代表取締役会長:吉田嘉明)と長谷川幸洋を訴えた訴訟での証人調べ法廷のこと。

沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設への抗議行動を取り上げたDHCテレビ番組「ニュース女子」で名誉を毀損されたとする辛淑玉さんが、制作会社DHCテレビジョンと司会を務めていた長谷川幸洋に計1100万円の慰謝料などを求めて東京地裁に提訴し、併せて番組の差し止めと削除、謝罪広告の掲載も求めている。

3月17日東京地裁法廷での証人尋問の模様を阿部記者は、沖縄タイムスにこう書いている。

「涙」「能弁に」「笑いながら」 証言台の3人、語る姿の違いに現れた差別の構造

 証言台に立った3人は、ともに恐怖や被害を語った。だが、語る姿は全く違った。テレビ番組「ニュース女子」に名指しされた辛淑玉(シンスゴ)氏は涙で言葉に詰まりながら。司会だった長谷川幸洋氏は能弁に。制作会社の一色啓人氏は時に笑いながら。
 この差は、個性だけによるものではない。社会における力の差、差別の構造が表れている。仮に同じ出来事が降りかかったとしても、少数派には差別の重さが加わり傷はより深くなる。

前川ツィートは、この阿部記者の姿勢に共感するとともに、DHCやそれに与する人々への批判を形にすべきことを訴えているのだ。ヘイト容認派対ヘイト批判派、デマ容認派対デマ撲滅派。そのせめぎ合いの最前線で、DHCへの向き合い方が問われている。デマやヘイトを許さないとする者は、DHC製品をボイコットして、DHCの姿勢を正さなければならない。

前川は、2020年12月20日にも、
「DHCが提供するTV番組は見ない。」
とツィートしている。「DHCがスポンサーになっているTV番組」をみんなが見ないとなれば、DHCの売り上げは確実に激減するだろう。

 「DHCの製品、私は買いません」
 「DHCの製品、私の親類縁者には買わせません」
 「DHCの製品を使っているホテルには泊まりません」
 「DHC提供の番組は見ません」
 「DHCのコマーシャルが流れたら、スイッチを切ります」
 
前川喜平に倣って、DHCに対する批判を具体的な行動に表わそう。積極的に表現しよう。あるいは、下記の米山隆一のごとくに。

 差別を見過ごす人はその人も一定程度差別に加担しています。今般のDHCのキャンペーンの広報は、私には耐えがたいものに思えます。私は以前DHCの製品を使っており、その後止めた後現在時折買っていたのですが、もう金輪際買いません。差別に加担する積りはありません。(2020年12月16日)

DHC製品ボイコットに対する経済制裁は案外効いているのではないだろうか。

最近までのDHCは、業界ナンバー1を豪語し、1000億円(年間売上)企業と誇ってきた。しかし、今やDHCは確実に売り上げを減らして業績を悪化させている。既に、業界ナンバー1でも、1000億円企業でもなくなっている。

2019年までは、何とか1000億円の売り上げをキープしていたDHCだったが、2020年(7月決算)の売り上げは、973億円と大台を割り込んだ。とりわけ当期純利益は、49億(18年)⇒41億(19年)⇒13億円(20年)と、激減と言ってよい。

この間、ライバル会社ファンケルの業績が好調で、18年に初めて売上げ1000億円を超えてDHCを凌駕した。2020年(3月)の決算では、売上高1270億円と大きく水を開け、当期純利益がちょうど100億円となっている。

また、「通販健康食品」という分類で、DHCは長く業界のトップに位置していたが、2019年の販売金額でのトップはサントリーウエルネスで923億円。次いでDHCが399億円と、大きく引き離されている。

DHCの業績悪化の本当の原因は分からない。しかし、ニュース女子の番組で、DHCのヘイト体質が世に知られるようになったのが、2017年1月のことである。この辺りから世論の指弾とともに業績の悪化が始まっている。案外DHC製品不買運動が、効果を上げているようにも思える。

前川喜平や米山隆一に倣って、DHCの製品不買を呼びかけよう。「DHC製品、私は買わない」、たったそれだけのことが、デマやヘイトのない社会の実現につながる。

桜を見る度に思い起こそう。そして語り継ごう。桜を見る会を私物化した、とんでもない首相がいたことを。

(2021年3月19日)
東京の昨日と今日とは、陽光燦々春も本番の趣。天気上々なれば気分も悪かろうはずはない。上野の桜ももうすぐ見頃。ヨウコウは満開、オオシマザクラは五分咲き、そしてソメイヨシノもちらほらと咲き始めている。コロナ禍のさなか、マスクは手放せないが、間もなく庶民の「花見・桜を見る会」の時期。ちょうど符節を合わせたように、安倍晋三の「桜を見る会・前夜祭」疑惑を忘れるな、という検察審査会議決。

本日書留郵便で、東京第五検察審査会からの、被疑者配川博之に対する審査申立に対する議決書が届いた。内容は、末尾に転載のとおり。

この件の審査申立対象の主役は安倍晋三である。起訴・有罪に持ち込むことができれば、彼の議員としての地位は失われる。彼は、それだけの犯罪を犯してきた人物なのだ。配川は、その公設秘書で端役に過ぎない。後援会長とされていただけの人。しかも、既に略式起訴が確定して有罪(罰金100万円)となっている。

東京地検特捜部は昨年12月、安倍晋三後援会の2016?19年分政治資金収支報告書に、桜・前夜祭の会食費に関する収支計約3022万円を記載しなかったとして、政治資金規正法違反罪で後援会代表だった配川を略式起訴した。が、2015年分については起訴の対象としなかった。会計帳簿の原本が失われていたことが理由とされている。検察審査申立は、これを不服としたもの。

検察が起訴しなかった2015年の「桜前夜祭会食費」について、検察審査会議決は「不起訴不当」と判断した。今後、東京地検が再度捜査し、起訴するかどうかを判断することになる。

この議決書、「検察官の不起訴は、一般市民の感覚では納得できない」とし、「収支報告の原本を廃棄しないための法改正・運用改正を求めている」などの点で立派なものとなっている。

実は、配川に対する審査申立は、時効の関係から急ぐ事情があるとして、安倍告発の本体から、切り離して別事件とした経緯がある。理由はともあれ、配川についての「不起訴不当」の議決は、やや物足りない。安倍に対する審査申立本体では、是非とも「起訴相当」の議決がほしいところ。そして…、毎年桜の咲く季節には、桜疑惑を思い出そう。国政を私物化し、選挙民を会食に誘っては飲食の費用を補填していた、とんでもない首相がいたことを。

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令和3年3月18日
令和3年(申立)第4号

審査申立人 澤藤 大河 殿

同     澤藤統一郎 殿

東京第五検察審査会

通 知 書

 当検察審査会は,上記審査事件について議決したので,別添のとおり,その要旨を通知します。

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令和3年東京第五検察審査会審査事件(申立)第2号,同第3号,同第4号
申立書記載罪名 政治資金規正法違反
検察官裁定罪名 政治資金規正法違反
議 決 年 月 日 令和3年3月3日
議決書作成年月日 令和3年3月17日

議 決 の 要 旨

審査申立人(第2号事件)
上 脇 博 之
審査申立人(第3号事件)
泉 澤   章  外6名
審査申立人(第4号事件)
澤 藤 大 河  外1名

被疑者  配 川 博 之
不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検察官検事  田 渕 大 輔

上記被疑者に対する政治資金規正法違反被疑事件(東京地検令和2年検第18326号)につき,令和2年12月24日上記検察官がした不起訴処分の当否に関し,当検察審査会は,上記申立人らの申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。

議 決 の 趣 旨

本件不起訴処分は不当である。

議 決 の 理 由

1 本件は,安倍晋三後援会(以下「後援会」という。)の会計責任者であった被疑者が,政治資金規正法により山口県選挙管理委員会に提出すべき後援会の平成27年分の収支報告書に平成27年4月に東京都内のホテルで開催された「安倍晋三後援会桜を見る会前夜祭」(以下「前夜祭」という。)における収支を記載しないで,山ロ県選挙管理委員会に提出したという事案である。
なお,平成28年分から令和元年分までの収支報告書に前夜祭の収支を記載しないで山ロ県選挙管理委員会に提出した事実については,既に略式命令がなされている。

2 本件不起訴処分記録並びに各審査中立書及び審査申立人が提出した資料等を精査し,慎重に審査した結果は次のとおりである。
(1)本件不起訴処分記録及び審査申立人が提出した資料等によると,平成27年度の収支報告書の原本(以下「本件原本」という。)は保管期限の経過により既に廃棄されていること,山口県選挙管理委員会が情報公開により開示をしてインターネットで公表ざれている平成27年度の収支報告書の写し(以下「本件写し」という。)は宴会費等を記載すべき部分を含む支出項目や会計責任者が署名する宣誓書等が欠落している不完全なものであることが認められる。
(2)しかし,本件不起訴処分記録によると,被疑者は,本件原本に平成27年の前夜祭の収支を記載しなかったことを認めている。
(3)また,平成27年の前夜祭の収入については,本件写しには収入に関する部分に欠落がないので,本件原本にも同年の前夜祭の収入が記載されていなかったことが認められる。
(4)そして,平成27年の前夜祭の支出については,仮に本件原本に支出項目の部分が欠落していたとしても,本件写しに記載されている平成27年度の支出総額よりも,証拠上認められる同年の前夜祭の支出額の方が多額であることから,本件原本における支出総額の記載は,同年の前夜祭の支出額を加えた記載でなかったことは明らかである。
(5)そうすると,本件原本が既に廃棄されていたとしても,他の証拠によって事実を認定できるので,本件を不起訴とした検察官の裁定は,一般市民の感覚では納得できない。
よって,上記趣旨のとおり議決する。

3 なお,本件では,本件原本が廃棄されているために原本自体を証拠とすることができないので,他の証拠から不記載罪が認定できるかどうかを検討せざるを得 ないが,当検察審査会としては,このような事態を避けるために,不記載罪の公 訴時効が完成するまでは収支報告書の原本を廃棄しないように,法律や運用を改める必要があると考える。

東京第五検察審査

「同性婚訴訟」に爽やかな違憲判断

(2021年3月18日)
昨日(3月17日)、札幌地裁(武部知子裁判長)が、「同性婚訴訟」判決で民法規定を違憲とする判断を示した。正確には、「同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。」(裁判所作成の判決要旨)という言い回し。

同性での結婚を望む同性愛者に婚姻を認めない民法の規定は、異性間婚姻者と比較しての差別であって、許容される立法府の裁量の限度を越えたものとして憲法(14条1項)違反であるというこの判断。インパクトが大きい。画期的な判決と言ってよい。

裁判所が作成した【判決要旨全文】が、ネットの各サイトで紹介されているが、これもA4・8頁のかなりの分量。これを要約しなければならない。

事件は国家賠償請求事件である。行政訴訟ではない。3組6名の原告が、国を被告として、《同性間の婚姻を認める規定を設けていない民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定》(判決が「本件規定」と呼んでいる)の違憲を前提とする国家賠償請求をしたもの。

原告の違憲の主張は、「本件規程」が、憲法24条1項(婚姻は両名の意思にのみ基づいて成立する)及び2項(婚姻における個人の尊厳)に違反し、憲法13条(個人の尊重)に違反し、憲法14条1項(法の下の平等)にも違反しているというもの。

以上の主張に対する判決の骨子は以下のとおり。

1 「本件規定」は,憲法24条1項及び2項には違反しない。
2 本件規定は,憲法13条には違反しない。
3 本件規定が,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。
4 本件規定を改廃していないことが,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。

以下は、共同通信が配信した、「判決要旨」の要約である。

 民法や戸籍法は、婚姻は異性間でなければできないと規定している。憲法24条は「両性の合意」「夫婦」など異性の男女を想起させる文言を用い異性婚について定めたもので、同性婚に関して定めたものではない。民法などの規定が同性婚を認めていないことが、憲法24条に違反すると解することはできない。

 婚姻とは当事者とその家族の身分関係を形成し、種々の権利義務を伴う法的地位が与えられ、複合的な法的効果を生じさせる法律行為だ。

 民法などの規定が同性婚について定めなかったのは1947年の民法改正当時、同性愛が精神疾患とされ社会通念に合致した正常な婚姻を築けないと考えられたためにすぎない。そのような知見が完全に否定された現在、同性愛者が異性愛者と同様に婚姻の本質を伴った共同生活を営んでいる場合、規定が一切の法的保護を否定する趣旨・目的まであるとするのは相当ではない

 性的指向は自らの意思にかかわらず決定される個人の性質で、性別、人種などと同様のものと言える。いかなる性的指向がある人も、生まれながらに持っている法的利益に差異はないと言わなければならない。

 日本では同性カップルに対する法的保護に肯定的な国民が増え、異性愛者との間の区別を解消すべきだという要請が高まりつつあるのは考慮すべき事情だ。同性愛者に対し婚姻の法的効果の一部ですら受ける手段を提供しないのは、合理的根拠を欠く差別的取り扱いで、憲法14条が定める法の下の平等に違反する。

国内では、画期的な判決だが、海外では、同性婚を認める国が増えている。とりわけ、先進諸国では既に常識となっており、約30の国や地域が同性婚を認めている。2019年には、台湾がアジアで初めて、同性婚を法制化した。南アフリカやブラジル、米国や台湾では、司法の判断が切っ掛けとなって同性婚が認められた。

人の生き方は多様である。多様な個性を認め合う寛容な社会においてこそ、人権の尊重が実現される。多様な個性に適合した選択肢の提供が必要なのだ。日本でも、今回の判決によって同性婚の議論が盛んになり、この問題について考えていこうという機運につながるだろう。制度改革への第一歩となりうる。

原告らの痛切な訴えが、3名の裁判官の胸に熱く響いたのだ。原告の真剣さ、切実さに共感する裁判官を素晴らしいと思う。原告である人間の心の痛みの訴えに、人間として共感する裁判官。このハーモニーが、新たな地平を切り拓く第一歩を刻んだ。

対NHK「情報公開請求」訴訟の構想(私案)

(2021年3月17日)

NHK番組「クローズアップ現代+」が、スクープとして放映した「日本郵政職員のかんぽ保険不正販売問題」。元総務次官の日本郵政上級副社長鈴木康雄が、この番組にクレームを付けると、NHK経営委員会は鈴木に迎合した。何と、鈴木の意を酌んで、上田良一会長を厳重注意としたのだ。経営委員会でその中心的役割を果たしたのが森下俊三。当時は委員長代行で、現委員長。

さて、経営委員会でのどのような議論を経て、異様な「会長厳重注意」に至ったのか。メディアが議事録の開示請求をしても、経営委員会がこれを出させない。第三者機関「NHK情報開示・個人情報保護審議委員会」が、5度にわたって「開示すべき」と答申したにもかかわらず、どうしても応じようとしない。

それなら、訴訟するしかないではないか。訴訟提起を構想して見ようということになった。以下がその試案である。

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NHKに対して経営委員会議事録等の開示を請求し、開示が得られなければ訴訟を提起しようと考えています。その際の訴訟における請求は以下の2点です。
?被告NHKに対する、経営委員会議事録開示請求
?被告森下俊三に対する、議事録不開示による損害賠償請求
その請求の根拠は、概要以下のとおりです。

《NHK情報公開制度と用語の整理》
※ NHKには、行政文書情報公開法の適用はない。
※ これに代わるものとして、NHKは情報公開に関する内規として、00年制定の「NHK情報公開基準」と、01年の「NHK情報公開規程」とを定めている。前者が綱領的に制度の概要と理念を示し、後者がそれを条文化したもの。
※ この内規では、情報公開法と同様に「情報公開」制度を「情報提供」「情報開示」とに二分している。「情報提供」は典型的にはホームページへの掲載という一般的なもので、「情報開示」は特定の視聴者からの特定の文書についての開示請求に応じるもの。
※「情報公開」制度における文書開示の請求を、NHKの内規では、文書についての「開示の求め」という用語を用いている。
※ 視聴者から文書の開示の求めがあった場合、開示を原則とするが、規程8条1項一?六号に該当する場合は例外とされる。
※ 視聴者は、「開示の求め」に対する判断に不服があれば、「再検討の求め」を行うことができる。(規程17条)
※ NHKは、「再検討の求め」があれば、「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」に意見を求め、「その意見を尊重して」最終的に開示・不開示の判断を行う。(規程21条)

《訴訟の全体像》
※ 訴訟の基本性格は、行政文書の公開請求に対する不開示決定を取り消す行政訴訟ではなく、視聴者がNHKに対する受信契約上の「文書開示請求権」にもとづいて、「当該議事録等」の文書の開示を求める民事訴訟となる。
※ 下記の民事訴訟ではあるが、情報公開法の理念を援用しての訴訟となる。
原告は、文書の「開示の求め」手続を経て、開示を拒否された視聴者
(今回は「再検討の求め」の手続を経ることなく提訴する。)
被告は2名。(1) 文書開示義務の主体であるNHKと、(2) 文書開示拒否の責任者である森下俊三

請求の趣旨 (1) 被告NHKは原告らに対して、各議事録を開示せよ
     (2) 被告森下俊三は各原告に対して、それぞれ2万円を支払え

《被告NHKに対する文書開示請求の根拠》
☆原告と被告NHK間に受信契約が締結されている。
☆受信契約の効果として、被告NHKは原告視聴者に対し下記義務を負担している。
A「豊かで良い番組」(法1条)の放送を提供すべき義務(中心的債務)
B 視聴者の権利に関わる法令・内規を遵守すべき義務(付随的債務)
☆NHKの法令・内規の内、
視聴者の権利に関わるものについては、その履行が契約上の義務となる。
☆上記Bには、情報公開基準・同規程における「情報開示義務」を含み、NHKは、文書の開示の求めをした視聴者に対し、求められた文書の開示義務を負う。
☆開示請求権の根拠となる理念は、公開基準前文の「放送による表現の自由確保」と「視聴者に対する説明責務」にある。これが、具体的な開示可否の判断基準ともなる。当該議事録の開示は、まさしくその両者の検証に不可欠である。
☆開示請求権の要件は、当該文書が規程第3条の(役職員が業務上保有する)文書に該当することで足りる。開示が原則で、例外の主張は被告の抗弁となる。
☆開示の求めに対する応答が不開示であった場合、通例、再検討の求めに進んで、審議会の意見を待つことになる。しかし、本件議事録に関しては、既に5度の開示を指示する答申が出ており、不開示の不当違法は明らかである。
☆基準も規程も、「NHKは審議委員会答申を尊重して開示・不開示の判断を行う」と、《答申尊重義務》を明記している。NHKはこの《答申尊重義務》を履行して、開示しなければならない。
☆NHK側の不開示の理由は、「当該議事は非公表を前提とした審議・検討に関する内容で、これを公開したのでは今後の活発な議論の妨げになる」というものだが、既に審議会答申が十分な反論をしている。

《被告森下俊三に対する、文書開示拒否を理由とする請求》
★併せて、違法な文書不開示の責任者である森下俊三に対して、文書不開示によって原告に与えた精神的損害慰謝料1万円と、弁護士費用1万円を請求する。
★この請求は、契約の不履行による責任追及ではなく、不法行為に基づく損害賠償請求である。

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