(2020年11月16日)
首相である菅義偉が目指す社会像として「『自助、共助、公助』、そして『絆』」が語られている。実は、これがよく分からない。
首相就任演説では、「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います」と言った。
この文脈での「自助」とは、自助努力・自己責任のことだ。「自分のことは自分でおやんなさい」「うまくいこうと、失敗しようと、そりゃご自分で責任を」という突き放し。一人ひとりの自助努力の環境を整備し調整をするのが政治の役割なのだろうが、このことは語られない。
「共助」とは、「家族、地域でお互いに助け合う」ことのようだ。ここでも、政治や行政の出番はない。そう覚悟せよと宣言されているのだ。そして、自助・共助に失敗してセーフティーネットが必要となったときに、初めて政府の出番となる。「セーフティーネットでお守りをする」だけが、政府の仕事だというのだ。
いやはや、たいへんな政治観であり国家観。この首相の頭の中には、「セーフティーネット」以外の行政サービスは皆無なのだ。所得の再分配も福祉国家思想もない。あるのは、ケイタイ料金値下げと不妊治療助成程度のもの。そんなことで、「国民から信頼される政府」であろうはずはなく、「こうした政府を目指」されてはたまらない。
さらに、「絆」は皆目分からない。誰と誰との、どのような支え合いをイメージしているのだろうか。それを教えてくれるのが、「菅首相と慶應卒弟のJR“既得権益”」なる「文藝春秋」12月号の記事。「菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR関連企業の役員に就任していた」という。なるほど、そういうことなのか。
菅義偉の実弟は、51歳で自己破産した直後にJR東日本の子会社(千葉ステーションビル)に幹部として入社しているそうだ。異例の入社の背景には菅首相とJR東日本との蜜月関係があった。ノンフィクション作家・森功の取材記事。
なるほど、絆とは麗しい。「菅義偉とその誼を通じた者との間の絆」であり、「菅義偉とその支持者との間の持ちつ持たれつの絆」なのだ。かくて、権力者の周りには“既得権益”のおこぼれに蝟集する輩が群れをなす。腹心の友や、妻の信奉者やらに利益を振りまいた前任者のあの体質を、現政権も継承しているのだ。
そしてもう一つの絆。IOCやら、スポンサー企業やら、電通やら、森喜朗らとの麗しからざる絆。嘘まみれ、金まみれ、ウイルスまみれの、東京五輪絆。
本日(11月16日)菅は、「来年の夏、人類がウイルスに打ち勝った証しとして、また東日本大震災から復興しつつある姿を世界に発信する、復興オリンピック・パラリンピックとして、東京大会の開催を実現する決意だ。安全安心な大会を実現するために緊密に連携して全力で取り組んでいきたい」と述べたという。
国民には冷たい菅だが、オリンピック開催に向けては、なんという暖かいサービスぶり。しかし、そんなことを言っておられる現状か。もっと地道に、もっと真面目にコロナと向き合え。無理にオリンピックを開催しようとすれば、却ってウィルスの蔓延を招いてしまうことになる。来年の夏、人類と政権の愚かさの証しを見せつけられることになる公算が高い。
(2020年11月15日)
ネットを漂流していると、人々のつぶやきに絶望的な気分になる。日本人の知性や理性や矜持は、どこへ行ってしまったのだろう。人は、かくもたやすく権力の情報操作に欺され操られてしまう愚かな存在なのか。また、かくも権力になびきへつらうみっともない存在なのだろうか。
鈴木宗男という日本維新の会の参議院議員がいる。自ら「私は国策捜査によって逮捕されました」「437日間勾留され」「(刑の確定後)丸1年塀の中におりました」と述べている人。身をもって権力の恐ろしさを体験した人だ。
過日(10月4日)、この人の学術会議会員任命拒否問題についての政権寄りのブログを目にして、以下の記事を掲載した。
鈴木宗男さん、菅義偉政権の学術会議人事介入問題、考え直していただけませんか。
https://article9.jp/wordpress/?p=15743
しかし、効果はなかったようだ。この人が、一昨日(11月13日)のブログに、最高裁裁判官任命問題について、菅官房長官(当時)を擁護するこんな記事を掲載している。
毎日新聞朝刊5面に「最高裁でも人事圧力 前政権『複数人示せ』」という見出し記事がある。正確を期すために一部活用したい。
「2012年12月の第2次安倍政権発足以降、退官する最高裁判事らの後任人事で、首相官邸への説明方法が変わった。『なんで1人しか持ってこないのか。2人持ってくるように』。官邸事務方トップの杉田和博官房副長官が、最高裁の人事担当者に求めた。
最高裁は以降、2人の後任候補を官邸へ事前に届けるようになった。2人のうち片方に丸印が付いていたのは、最高裁として優先順位を伝える意図があった。しかし、当時の官房長官、菅義偉首相は突き返した。『これ(丸印の方)を選べと言っているのか。今までの内閣がなぜこんなことを許してきたのか分からない』」
最高裁判事は、任命は政府がし、国会同意人事で決める。当然任命する側の判断があって当然でないか。
当たり前の事を言っていると考えるが、この当たり前の事にクレームをつける頭づくりはどこからくるのか。
これまでメディアが報じてきたことは、すべて正しかっただろうか。19年前、メディアスクラムによる事実でない、真実でない「ムネオバッシング」を経験した者として、厳しく指摘したい。(以下略)
この人は、保守派の議員として、権力から欺されるだけの立場ではなく、国民を欺す立場でもある。本気でこのとおり考えているのか、このように考えているフリをしているのか、よく分からない。
この「鈴木宗男見解」は、社会科授業のよい教材ではないか。高校あるいは中学校の公民の教師の方にお勧めする。三権分立という統治機構の大原則について、教科書的解説をしたあとに、生徒にこう問いかけてみてはどうか。
「最高裁裁判官の選任・任命の実態について、毎日新聞がこのようになっていると報道しています。毎日新聞は、《最高裁でも人事圧力 前政権『複数人示せ』》と批判する立場で見出しを掲げていますが、鈴木宗男さんという国会議員は、《当然任命する側の判断があって当然でないか》という立場を明らかにしています。本日学習した三権分立という原則に照らして、あなたの意見を述べてください」
想定の典型解答例は、こんなところだろうか。
「私は、毎日新聞の立場が正しいと思います。権力が集中すると行政権が強くなり過ぎて人権を侵害する恐れが大きくなります。これを防ぐのが三権分立で、とりわけ、司法が行政や立法をチェックできなければなりません。でも、行政権の長が、自分の意思のとおりに最高裁裁判官を任命できるということでは、三権分立も司法の独立も形式だけのものになってしまうからです」
「ボクは、鈴木さんの立場が正しいと思います。どうしてかというと、国会議員が間違ったことを言うはずはないからです。それに、『毎日新聞は、反日的な立場が強すぎる』と父が言っていました。だから、毎日新聞は、菅義偉首相の名前を出して、日本を弱くするような記事を書いているのだと思います」
「私は、鈴木宗男さんがきちんと考えて意見を言っているとは、とても思えません。『最高裁判事は、任命は政府がし、国会同意人事で決める。』は、明らかに間違いです。最高裁判事の任命権が内閣にあるとしても、その任命権の行使には三権分立や司法の独立を保障するような工夫が必要だと思います。行政権内部の公務員と同じように、『任命する側の判断があって当然』という態度は、憲法を良く理解していないからだと思います」
「ボクは、国益を守るということが何よりも大切だと思います。そのためには、強い政府が必要なのですから、司法の役割などはどうでもよいのではありませんか。だから、三権分立は形だけでよいと考えるべきです。きっと、菅首相も、鈴木宗男さんも、ボクと同じ考えのはずです。弱い政府を作るための三権分立は無意味ですから、最高裁裁判官は政府が自分の都合で決めたら良いと思います」
「最高裁裁判官をどう選ぶかは、難しい問題だと思います。内閣は、自分にとって都合の良い、言うことを聞くおとなしい人を裁判官に任命したいと思うでしょうが、それでは三権分立の精神に背くことになります。ですから、内閣の思惑よりは、最高裁の判断を尊重しなければならないと思います。最高裁の推薦を突っ返したという『当時の官房長官、菅義偉首相』は恐ろしい人だと思います。鈴木宗男さんの意見は、菅さんにゴマを摺っているだけではないでしょうか」
(2020年11月14日)
素晴らしい小春日和の土曜日。午後は、引きこもっての「第51回司法制度研究集会」だった。昨年に続いて、今年も自由法曹団/青年法律家協会弁護士学者合同部会/日本民主法律家協会の共催。ズームで参加できるのが、ありがたい。
「今の司法に求められるもの ― 特に、最高裁判事任命手続きと冤罪防止の制度について」を総合タイトルとして、基調報告が豊秀一さん(朝日新聞編集委員)による「今の司法、何が問題か―新聞記者の視点から」。これに、梓澤和幸さんの「司法の民主化のために」と、周防正行さんの「冤罪防止のための制度の実現を」という報告。
今回の集会企画の段階では学術会議問題は出ていなかった。予定されたテーマとして学術会議問題関連のものはない。しかし、当面する最重要課題として学術会議問題を語らざるを得ない。司法を語りながらも学術会議問題を論じ、学術会議問題を論じつつも、司法を語る集会となった。
よく分かったことは、司法の独立侵害の問題と、学術会議の自主性侵害問題とは同質、同根の問題であること。そして、学術会議の会員任命問題と最高裁裁判官任命問題とについては、同じ法理で考えるべきことである。
司法の独立とは、権力分立を実効化するための制度である。司法部のみならず裁判官は、権力とりわけ行政権から独立して、権力の憲法や法からの逸脱を是正する機能をもたなければならない。行政権力から独立していない司法部も、司法官僚の権力から独立していない裁判官も、権力の暴走を止めることができない。
学術会議も、学術の国家的利用の在り方に関して、権力から独立して提言をなすべき存在である。政府からの掣肘を受けることのない、自律性あってこそ、学術を国策に反映させることができる。権力から独立していない学術会議では、権力の暴走を止めることができず、その使命を達することができない。
いま、司法の独立も、日本学術会議の自律性も危うい。ここを持ちこたえないと、大学にも、教育にも、メディアにも、法曹にも、文学や芸術や宗教にも、累が及ぶことになりかねない。そのような危機感をもたざるを得ない。
私も、ズームで短く発言した。次のような内容。
今回の6名の学術会議会員任命拒否は、49年前の23期司法修習からの裁判官希望者7名に対する任官拒否問題の再現という側面を持っている。
あのとき、採用人事を梃子として組織全体を統制する手法の有効性が確認された。司法部は成功体験を持ったのだ。「人事のことだから理由は言わない」という開き直りつつ、それでいて組織全体の萎縮効果を狙う狡猾さ。今度は、同じことを官邸が行っている。49年前のあの時の教訓をどう生かすべきかを総括し直さなければならない。
本日の司法制度研究集会の発言は、いずれ「法と民主主義」に掲載される。是非、ご一読をお願いしたい。
豊さんの基調講演も充実したものだったが、フロアからの岡田正則さんの発言がさすがに印象に残るものだった。その大要をご紹介したい。
6人の任命拒否が、違憲であり違法であることは明らかで、法律解釈論争は既に決着がついている。政権は既に詰んでいるのに、それでも「参った」と言わずに居直っている。そのような違法の居直りを許しているのが今の日本の政治状況なのだ。
自由・平等・連帯という市民革命のスローガンの内、利潤追求の自由のみが神聖化されつづけられる一方、歪んだ政治空間の中で本来の連帯が失われている。既得権益・特権を叩くという名目で、公務員や教員、正規労働者までが攻撃対象とされ、研究者や科学者などの専門家も同じような攻撃対象となっている。
さらに、国民に対する情報操作によって、任命を拒否された6名は、「反政府的傾向の連中」というレッテルを貼られつつあり、それゆえの混沌とした政治状況となっている。このままでは、大学の自治も、メディアの在野性も、日弁連の独立性なども、危うくなってしまいかねない。
(2020年11月13日)
タイの首都バンコクが、若者たちの大規模なデモで揺れている。デモの要求は、プラユット軍事政権の退陣、憲法の改正、そして王政改革の三本柱。中でも注目されるのが王政改革の要求であるという。これまでタイでは王政批判はタブーとされてきた。いまだに不敬罪があり、王室批判は最長15年の刑になりうるという。その不敬罪を覚悟での民主化要求のデモのうねりなのだ。素晴らしいことではないか。日本の我々も、この心意気を学びたいと思う。
私にとって、タイは身近な国ではない。30年も昔、自衛隊のPKO活動を視察にカンボジアに行ったとき、空路がバンコク経由だった。行きと帰りの各一泊。それだけが、タイに触れた体験。チャオプラヤー川に沿った寺院様の建築が立ち並ぶ仏都の風景と、道路の混雑・喧噪が印象のすべてである。
思い出すことがある。大学で多少言葉を交わした同学年のタイからの留学生がペンケ・プラチョンパチャヌックさんという女性だった。「ペンケ」とは、三日月のことだと聞いた記憶があるが、半世紀以上昔のこととて自信はない。たまたま彼女は、私たちに王室への敬愛の念を語り、私たちは冷笑で応じた。「日本では、良識ある市民は、まったく皇室を尊敬などしていませんよ」などと言った覚えがある。印象に残ったのは、世界にはこんな若者までが王制を肯定している国もあるのか、というカルチャーショック。
そのタイで、この夏ころから政権批判が王政改革要求運動に発展してきている。王室への公然たる批判は前例のないことだという。これまでタブーとされてきた王室批判が噴出し、公然と「王室改革」の要求が語られ、大規模なデモの要求になっている。多くの人の意識改革なしにはなしえないことだ。
学生を中心とする政権民主化要求のスローガンの中には、
「王室を巡る表現の自由の容認」
「不敬罪の撤廃」
「王室予算の見直し」
などが掲げられているという。
改革要求は王室に向けられたものだが、現国王のワチラロンコンなる人物の評判が最悪である。この人、タイ国元首としての仕事に関心はない。バンコックには不在で、ドイツのリゾートホテルに滞在して優雅に暮らすご身分。4度の結婚や100年ぶりの側室復活ということでも話題の人。およそ、国民からの敬愛を受ける人ではない。
一方、この評判悪過ぎの現国王の前任者が、父王のプミポン。こちらは、人格者として国民からの敬愛を一身に集めた人だったという。在位期間70年に及んだが評判は最高だった。貧困対策で農村に足を運び、軍と市民が衝突する危機的状況をたびたび仲裁した。国民に寄り添い、国民の模範となる姿勢をアピールした。
興味深いことは、追い詰められているプラユット政権の態度。首相はこう言うのだ。
「若者たちの政治的意見の表明はよい。しかし、君主制を巡る議論は行き過ぎだ」と。
評判の悪い王でも、王は王。王政が軍事政権を支える強靱な土台の役割を担っていることを、軍事政権はよく認識しているのだ。それゆえ、民衆の王政批判は許せないと言うのだ。
極端に評判の良かった前国王と、極端に評判の悪い現国王。思考のシミュレーションに格好の教材である。評判のよい王も悪い王も、王は王。民主主義の対立物である。しかし、その役割は飽くまで異なる。国民からの評判のよい前国王の時代には王室批判は困難であった。前国王とて巨万の富を国民から奪い貪っていたにもかかわらず、である。しかし、今や評判最悪の現国王には遠慮のない批判が盛り上がっている。
評判最悪の王なればこそ、王室批判の運動に火を付け、その火に油を注いでいる。客観的には、評判の良い国王は民主化のブレーキとなり、評判最悪の現王が民主化のアクセルとなった。
客観的には、「悪王こそが、民主化推進のよい働きをする王」である。これを裏から見れば、「評判の良い王こそが、民主化推進に障碍として立ちはだかる悪王」なのだ。どこかの国の、誰かのことを評価する際に噛みしめねばならない。
(2020年11月12日)
昨夜(11月11日)の時事配信記事のタイトルが、「中国、『忠誠』なき議員を排除 香港民主派は抗議の辞職表明」である。権力がその本性を剥き出しに、権力に抵抗する者の排除を断行したのだ。中華人民共和国、さながら臣民に忠誠を求めた天皇制の様相である。しかし、果敢に抵抗する人々がいる。
民主主義社会では、民衆が権力をつくり、民衆の承認ある限りで権力の正当性が保たれる。だから、権力は民衆に「忠誠」を誓う立場にある。権力が民衆に「忠誠」求めることは背理である。権力が「反忠」の人物を排斥してはならない。
原理的に権力には寛容が求められる。民衆を思想・信条で選別し差別してはならない。政治活動の自由を奪ってはならない。権力に抵抗する思想や表現や政治活動を弾圧してはならない。いま、天皇制ならぬ、「人民」の「共和国」がそれをやっているのだ。
「今ごろ何を騒いでいるのだ。中国ではごく当たり前のこと」「香港が中国並みになったというだけのこと」という訳知りの声もあろうが、かくもたやすく、かくも堂々と、権力がその意に沿わない民主主義者を排除する図に衝撃を受けざるを得ない。
報道では、民主派議員19人が11日夕に会見し、4人以外の15人も抗議のため一斉辞職すると表明。定数70の立法会で21人いた民主派は2人に激減することになり、今後は親中派の独壇場になるという。
この民主派議員たちの抗議の辞職は、香港社会だけでなく、国際社会に向けての捨て身のアピールなのだ。この香港民主派の抵抗を支持する意思を表明しよう。
時事は、こんな報道もしている。
《「独立思想広めた」教師失職 当局、現場への介入強化―香港》(20年10月06日20時48分)
香港政府の教育局は6日までに、「香港独立思想を広めた」として、九竜地区の小学校教師1人の教師登録を取り消したと発表した。独立派の主張を授業で扱ったことによる登録抹消は異例で、教育現場に対する当局の介入強化や教員への萎縮効果が懸念されている。
この教師は、昨年、小学5年生の授業で独立派の活動家である陳浩天氏が出演したテレビ番組を紹介。「番組によると、独立を訴える理由は何か」「言論の自由がなくなれば香港はどうなってしまうか」などと尋ねる質問用紙を配布した、という。教師自身が独立を主張したとは報じられていない。
それでも、教育局は「教材が偏っており、生徒に害を与えた」と指摘。この教師は既に離職しているが、今後他の教師による「問題行動」が確認された場合、同様に処分はあり得ると表明した、と報じられている。
強権とたたかっている香港の人々に敬意を評したい。こんな社会はごめんだ。中国のようにはなりたくない。
いや、日本も危うい。菅政権は、政権批判の立場を堅持する日本学術会議を快く思わず、政権批判の発言をした6名の任命を拒否した。思想・良心の自由、表現の自由、学問の自由を侵害する行為だとの批判を覚悟しての強権の発動である。中国共産党の香港に対する強権的姿勢と、本質において変わるところはない。
まだ、私たちは声を上げることができる、政治活動もできる、選挙運動もできる。選挙で政権を変更することもできる。三権分立も何とか守り続けている。この自由や民主主義を錆び付かせないように、大切にしたい。まずは、粘り強く学術会議任命拒否を撤回させねばならない。
(2020年11月11日)
新華社電は、本日、中国の全国人民代表大会常務委員会会議が、香港立法会の議員資格として「中国や香港政府への忠誠心を求める」ことを決定した、と伝えた。「香港独立を宣伝したり、外国勢力に香港への介入を求めたりすれば、議員資格を失う」と明示したという。
その決定を受け、香港政府は即日、香港民主派議員4人の資格を剥奪した。北京の指示に香港政府が忠実に従った。北京は、香港の民衆の全てに、同様の忠誠を求めているのだ。
この中国の蛮行の犠牲となって議員資格を剥奪された、香港民主派4人の氏名を、畏敬の念をもって記しておこう。
楊岳橋(Alvin Yeung)氏
郭栄鏗(Dennis Kwok)氏
郭家麒(Kwok Ka-ki)氏
梁継昌(Kenneth Leung)氏
【AFP=時事】は、「今回の措置は、中国全人代の常務委員会が、地方政府は国家安全保障上の脅威とみなす議員の資格を剥奪できると決定したことを受けてのもの」と伝えている。
共同は、「香港への統制を強める習近平指導部は、中国に批判的な香港の民主派議員を「忠誠心に欠ける」と見なして排除を進めるとみられる。香港に「高度の自治」を約束した「一国二制度」の形骸化が一段と鮮明になった。」と報じている。
昨日の毎日の記事には、「民主派議員19人は9日夜に記者会見し、議員資格の剥奪が決まれば、集団辞職して抗議する方針を表明した。民主派は「反対派の存在を許さない中央政府のやり方は1国2制度に反している」と強く反発した。」とされている。
「決定前の立法会の議席は親中派が41、民主派が21、欠員が8。民主派が4人欠けることで、重要法案を否決できる3分の1を大きく下回り、影響力が大きく後退するのは必至だ。さらに残りの民主派議員も辞職すれば、立法会はほぼ親中派議員だけとなり、異例の事態となる。」(朝日)
朝日によれば、「(資格を剥奪された)議員4人は7月、国安法に反対し、立法会選で民主派が過半数をとれば政府提案の法案を否決すると表明したことなどが問題視されていた。また10月以降も議事妨害をしているとして、全人代常務委メンバーの譚耀宗氏は、常務委員会が開かれるのを前に「香港の特別区に忠誠を誓い、基本法を守るという原則に反している」と語った。」という。
なるほど、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が語ったとおり、「6月末に香港国家安全維持法(国安法)が施行された後、香港に三権分立は存在しない」のだ。三権分立だけではない。民主主義もない。立憲主義もない。そもそも法の支配すらないのだ。
中国には、思想・良心の自由が存在しない。表現の自由もない。政治的活動の自由もない。つまりは、中国においては、国家権力は万能なのだ。意に沿わない議員の資格を剥奪することが自由にできる。権力が恣になんでもできるというこの中国のありかたを「独裁」と言い、野蛮という。
菅政権が、学術会議が推薦した6名の新会員候補の任命を拒否して、その理由を語ろうとしない。これも、野蛮な権力の行使である。決して、中国を嗤う資格はないが、この超大国の大地には民主主義の芽は育たないのだろうか。暗澹たる思いを禁じえない。
(2020年11月10日)
本日は、恒例の「本郷湯島九条の会」月例街頭宣伝活動。紺碧の空と陽ざしに恵まれ、本郷三丁目交差点・かねやす前に、マスク姿の12名が参加しました。手作りのプラスターを手に、ズラッと並ぶと壮観です。道行く人たちもつい見入ってしまうようです。
そのプラスターの名文句の数々。
秋田から東京くれば苦労人。
苦労人冷たい人もいるんだな。
たっぷりと歳費もらって叫ぶ自助。
気に食わん者は排除、ゴーマン・スガ政権。
都合悪い学問研究は排除。
スガ首相はアベ前首相を踏襲して、任命拒否を役人のせいにしてはいけない。
壊れたレコード、それは当たらない、棒読み、支離滅裂、答弁不能。
公務員の選任は国民固有の権利だ、スガ首相の権利じゃない。
学術会議は軍事研究へのご意見番、任命拒否は許さない。
アメリカ大統領選はバイデン大統領の誕生により、狂気のトランプ時代は4年で幕を閉じます。米中の緊迫した事態の中で、日本の進路が鋭く問われることになります。憲法9条をもつ日本は、しっかり自立し、国際法と道理に基づいて世界の緊張関係を平和裏に解決していく道筋を探っていかなければなりません。そのことを多くの弁士が訴えました。
そして、平和の問題にダイレクトに連動している日本学術会議問題です。日本学術会議6名の任命拒否問題に弁士の舌鋒は集中しました。先のアジア太平洋戦争の反省から日本学術会議が誕生しました。それは学問が政治に隷属してはならないという教訓からのことです。日本学術会議創立から71年、この間、一貫して日本学術会議法3条『日本学術会議は独立して職務を行う』、7条2項『会員は日本学術会議の推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する』。公選制から任命制に変更されても「任命は形式的で推薦をそのまま任命する」と国会で政府は答弁しつづけたこと…。
菅義偉首相が今回、6名の任命を拒否したことは、政府が勝手に法解釈を根幹から変更したことになります。これは、憲法41条『国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である』をないがしろにした、事実上の立法行為。違憲行為。菅義偉首相は、憲法23条の学問の自由もないがしろにして、国会を無視する独裁者に成り果てたかのようです。各弁士はこのことを厳しく訴えました。
本日は、初めて近く予想される衆院選の東京2区日本共産党予定候補がこの街頭宣伝に参加してマイクを握り、今こそ立憲野党の連合政権をつくる機会であることを訴えました。「本郷・湯島9条の会」は、何党の人でも憲法を守る立場の方なら歓迎いたします。また、何党の人でも、憲法を守る立場でない方にはご遠慮を願います。
コロナ禍はますます猛威を奮っています。
菅義偉政権のコロナ禍政策といえば、「go toトラベル」「go toイート」の類いばかり。有効な対策はありません。今わたしたち国民は、「自助・共助」でしのぐしかありません。
選挙も、そう遠くはないと思われます。是非とも、しっかりと憲法を擁護する新政府をわたしたち自身の手でつくろうではありませんか。
「本郷・湯島九条の会」石井彰(+澤藤)
(2020年11月9日)
菅義偉首相は法政空手部の出身だとか。空手部ではあっても、母校はまぎれもなく法政大学である。その法政の総長が田中優子。知名度抜群、歯切れのよい発言で知られるリベラル派の教養人。
菅首相とは反りの合うとも思えないが、そこは母校の総長である。創立以来初めての法政出身首相の誕生。黙っているわけにもいくまい。菅首相選任のその日に、大学は下記のメッセージを発表した。
お知らせ
本学卒業生 菅義偉さんの内閣総理大臣選出について
本学第一部法学部政治学科を1973年3月に卒業された菅義偉さんが、第99代内閣総理大臣に選出されました。
ご活躍を祈念いたします。
以上
2020年9月16日
法政大学」
虚飾のない、簡にして要を得た達意の文章というべきであろう。何よりも、「以上」の2字のニュアンスが絶妙である。阿諛追従の気配がカケラもなく、全文西暦表記もスガスガしい。
この9月のご祝儀メッセージは、10月にはガラリと変わった【総長メッセージ】となる。この10月メッセージに「菅義偉」の名は出て来ないが、まことに厳しく「本大学出身の内閣総理大臣」を叱責する内容となっている。そして、極めてオーソドックスに、学問の自由の立場から、日本学術会議会員任命拒否問題の重大性を語っている。
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日本学術会議会員任命拒否に関して
日本学術会議が新会員として推薦した105名の研究者のうち6名が、内閣総理大臣により任命されなかったことが明らかになりました。日本学術会議は10月2日に総会を開き、任命しなかった理由の開示と、6名を改めて任命するよう求める要望書を10月3日、内閣総理大臣に提出しました。
日本学術会議は、戦時下における科学者の戦争協力への反省から、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」(日本学術会議法前文)ことを使命として設立されました。内閣総理大臣の所轄でありながら、「独立して」(日本学術会議法第3条)職務を行う機関であり、その独立性、自律性を日本政府および歴代の首相も認めてきました。現在、日本学術会議の会員は、ノーベル物理学賞受賞者である現会長はじめ、各分野における国内でもっともすぐれた研究者であり、学術の発展において大きな役割を果たしています。内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。
また、日本国憲法は、その研究内容にかかわりなく学問の自由を保障しています。学術研究は政府から自律していることによって多様な角度から真理を追究することが可能となり、その発展につながるからであり、それがひいては社会全体の利益につながるからです。したがってこの任命拒否は、憲法23条が保障する学問の自由に違反する行為であり、全国の大学および研究機関にとって、極めて大きな問題であるとともに、最終的には国民の利益をそこなうものです。しかも、学術会議法の改正時に、政府は「推薦制は形だけの推薦制であって、学会の方から推薦いただいたものは拒否しない」と国会で答弁しており、その時の説明を一方的に反故にするものです。さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。
本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。
その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。
任命拒否された研究者は本学の教員ではありませんが、この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。
このメッセージに留まらず、大学人、学術関係者はもとより、幅広い国内外のネットワークと連携し、今回の出来事の問題性を問い続けていきます。
2020年10月5日
法政大学総長 田中優子
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《研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。》は、本質を衝くものだと思う。
なお、2018年5月16日声明の《国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動》とは、杉田水脈衆院議員による山口二郎教授に対する科研費問題での言われなき非難、橋本岳議員による上西充子教授に対する事実誤認の誹謗の2件を指す。「圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」という田中総長の学問の自由擁護に対する姿勢は付け焼き刃ではないのだ。
田中優子は、毎日新聞に「江戸から見ると」というコラムを連載している。11月4日付夕刊の最近のものが、「見せしめと萎縮」という表題。不粋ではあるが、このタイトルを補えば、「菅政権は、学術会議の推薦会員5名を任命拒否するという『見せしめ』によって、全国の研究者を『萎縮』せしめ、学問の自由をないがしろにしようとしている」ということなのだ。
抜粋して、ご紹介したい。
江戸時代の処刑の一部は「見せしめ」刑であった。縛り上げて衆目にさらす、市中引き回しをする、斬首の後その首をさらしておく、などである。見せしめの効果はもちろん萎縮である。
このごろ、江戸時代の見せしめと萎縮が人ごとだとは思えなくなってきた。政治家や官僚だけでなく、大学関係者、研究者、執筆者たちが萎縮し始めている。萎縮の典型は「政権を批判したら、報復として不利な立場に置かれるかもしれない」という、報復政権への恐怖感に由来する推測だ。
それとともに起こっているのが「ご飯論法」として知られるようになった「すり替え」である。政権の論法が人々に伝染してしまったかのように、さまざまなすり替えを耳にするようになった。こういう状況は、戦後日本で初めてではないだろうか。(法政大総長)
疾風に勁草を知る、という。この疾風の時代に、田中優子総長には、頼もしい勁草であり続けていただきたい。
(2020年11月8日)
医学・医師・医療・医薬の「医」の本字は、「醫」である。説文解字によれば形声文字で、音符の「殹」は「エイというまじないの擬声語」(大漢語林)、これに薬草を作る酒ないし酒器の「酉」を添えてできた文字であるという。
「醫」の文字の成り立ちからも、医学や医師は、呪術(マジナイ)から経験科学として発展したことが読み取れよう。どの字書にも、「醫」の字義の一つとして「かんなぎ」(巫女)が上げられていることも、その事情を表している。
今の世の医師が呪術師や巫女であってはならず、すべからく冷静な論理的思考のできる自然科学者でなくてはならない。ところが、いまだに呪術師然として恥じない医師がおり、そのことに無批判な世論もある。ここでいう呪術とは、反科学を意味する。あるいは反科学的な姿勢や態度をいう。
高須克弥という人物がいる。医師とのことだが、呪術師ないし予言者気取り。こう報じられている。
高須克弥院長 米大統領選でトランプ氏優位の報道に「全てが僕の予言通りにすすんでいる」(2020年10月31日 19時10分 東スポWeb)
高須クリニック院長の高須克弥氏(75)が(10月)31日、ツイッターを更新。米大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ大統領(74)の優位が報じられたことを受けて、自身の見解を語った。
高須院長は「全てが僕の予言通りにすすんでいる。当たりすぎて怖い。トランプ勝利。大阪都構想勝利。愛知県知事リコール勝利」と驚きの様子。続けて「もうすぐ僕は死んじゃうのかな…これは別に怖くはないけどね」とした。
この人は、10月31日前のどこかの時点で、「三つの予言」をしたのだ。
(1) 11月1日大阪都構想(正確には「大阪市廃止」)住民投票で、賛成派が勝利する。
(2) 11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でトランプが勝利する。
(3) 11月4日提出期限の「愛知県大村知事リコール」署名運動が成功する。
その予言のことごとくがハズレたことが、本日までに明らかになった。予知能力などまったくないことが明らかになった、と念を押すほどのこともない。当たり前のことだ。
予言はずれの責任を取ってもらおうというのではない。自らが発起人になっておこなった「大村愛知県知事リコール」運動について、批判を許さないという姿勢を問題にしたいのだ。
この人物、歴史修正主義に親和性が高く、天皇に対する思い入れが過剰である。その反面、日本国憲法の諸価値には関心のないごとくなのだ。
彼自身のこんなツィッターがある。(2019年12月8日付)
12月8日は奇しくも太平洋大戦の開戦日である。
。故郷は焦土て化し、防空壕て生まれた僕は、いま生きておれるぬは昭和天皇陛下の御聖断のおかげだと思います。(ママ)
世に蔓延している、「開戦は臣下の責任。敗戦の決断は朕の手柄」という珍妙な論理の信奉者なのだ。なるほど、それゆえの大村知事リコール運動なのか。
もちろん、個人として天皇を崇拝することも賛美することも、思想・良心の自由であり、その表現の自由も日本国憲法によって保障されている。しかし、自分の思いを他に強制することはできない。
高須が発起人となった大村愛知県知事リコール運動は、同県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」を巡る対応に問題があったとして、実行委員会会長を務めた大村知事の解職を求めたもの。天皇に対する「不敬」表現への公金支出を問題にしている構図なのだ。
11月4日、その署名簿が県下の各市町村選挙管理委員会にに提出された。朝日の報道では、「愛知県の大村秀章知事のリコールを目指す美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らが4日、集まった署名を各市区町村の選挙管理委員会に提出した。県選管によると各選管で計7万6462筆(午後8時現在)を受け取ったという。」「県選管によると、名古屋市千種区1万388筆(9月1日時点の有権者の約7・9%)、日進市2854筆(同3・9%)など。同日までが提出の締めきりだった市区町村すべてに署名は提出されたという。」
リコール失敗は明らかだ。愛知県下の行政も、県民の多くも、このコロナ禍のさなかにおける知事リコールに関心が向かなかったのは当然と言えよう。
それでも、高須はこの日午前、報道陣に「最低でも80万筆以上あると実感がある」と話したが、集計中として署名総数は明かさなかった。朝日は、「署名総数明かさず」と見出しを打っている。
そして、昨日(10月7日)、高須はリコール運動の終了を表明。署名は解職の賛否を問う住民投票実施に必要な法定数に届かなかった。これで、大山鳴動もせずに、一件落着かと思ったが、続編の幕が開けた。
「解職の賛否を問う住民投票には9月の県試算で法定数86万6500人超の署名が必要だが、4日提出した署名は計43万5231人分と約半分にとどまり、成立が困難な状況だった。」と報じられたのだ。さて、署名総数43万5231人は信じられるだろうか。署名数が法定数に達していれば、有効署名数を確認しなければならない。しかし、法定数に達していないことは明らかで、選挙管理委員会が無駄な確認作業をすることはない。
あいちトリエンナーレ展の芸術監督を務めた津田大助が、以下のように疑問を呈した。
中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から「同じ筆跡の署名が大量にある」という報告があったり「署名してないのに自分の名前入ってた」という報告も聞こえてきて事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします。
この、津田のツィートにおかしなところはない。高須の名誉毀損の事実を断定する叙述はなく、高須を侮辱・揶揄する文言も一切ない。「事実なら健全な民主主義を阻害する大問題」であることに異論はあり得ない。「メディアはぜひこの件の追加取材お願いします。」も、極めて常識的な提案ないし意見でしかない。
ところが、これに対する高須の反応が異常である。ボルテージが異様に高いのだ。「痛いところを衝かれた」と思っているのだろうか。あるいは「天皇陛下に不敬を重ねるつもりか」との思いだろうか。
こんな報道がされている。
高須院長が怒り、津田氏に謝罪要求…署名「同じ筆跡」不正疑惑に「非常に不愉快」
2020/11/08 10:10デイリースポーツ
高須クリニックの高須克弥院長が8日、ツイッターに投稿。断念を表明した、大村秀章愛知県知事の解職請求運動を巡り、ジャーナリスト津田大介氏が「不正」を疑うツイートを行ったとして、「根拠のないケチをつけられて非常に不愉快である。謝罪を求める」と抗議した。
高須氏は「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」と反論。「津田くんは選挙管理委員会の誰もが知らないはずの情報を知ってるんだ」とも記し、「謝罪を求める」とした。
さらに、「デマ流して妨害しただけでなく、再挑戦の妨害を始めた津田くんとその一味。早く謝罪したまえ」「遅れたら次は法廷だ。癌で僕が弱っていると思ってなめるな」と投稿したという。
これは、常軌を逸している。恫喝と言うほかはない。「謝罪しなければ次は法廷だ」という脅しは最近流行だが、タチが悪くみっともない。これで、本当にスラップ訴訟を提起したら、提訴自体が不法行為となって逆に高須が損害賠償せざるを得ないこととなる公算が高い。
そもそも、高須は「公明正大」を原則にし署名は公開で集計を行うとしていたという。2020.10.28の「夕刊フジ」の取材にこう言っていたのだ。
リコールの署名集めを担う受任者も8万人を突破したようです。2011年の名古屋市議会リコールでは、受任者1人あたり9.8人の署名を集めていることから、必要な署名約85万人分も現実味を帯びています。
来月4日には選挙管理委員会へ署名を提出する必要があります。高須院長は「公明正大」を原則にしていることから、これまでの署名は公開で集計を行う予定だそうです。
高須院長は「夕刊フジさん、ぜひ来てください。何もインチキしないで、今ある署名を集計しますから」と自信たっぷりでした。」
高須の側が、朝日・毎日・中日などの大手メディアにしっかり公開して署名数の集計を行っていれば、こんな疑惑は生じようがなかったのだ。グレタ・トゥーンベリに倣って、こう申し上げよう。
「裁判なんてばかげている。怒りをコントロールする自分の問題に取り組んでから、友人と映画でも見に行くべきだ。落ち着け。落ち着け!」 「その上で、冷静に不正疑惑を晴らす手段を考えたまえ」
(2020年11月7日)
権力とはかつては暴力そのものであり、統治とは暴力の作用であった。権力は暴力による支配をカムフラージュする統治の正当性の根拠を欲した。それはなんでもよかった。被統治者が納得してくれる、もっともらしいものでありさえすれば…。
野蛮な権力は、そのような統治の正当性の根拠を、天命や、神意や、道徳や、善政や、神話や血統や万世一系などに求めた。が、いまや、統治の正当性の根拠は、もっぱら人民多数の意思に求めざるを得ない。人民多数の意思に基づいて作られた権力だけが、正当性を持った統治の根拠として人民を自発的に服従させる権威をもっている。
その人民多数の意思を確認する手続が選挙である。民主主義を標榜する社会の政治家は、選挙に示された人民多数の意思を尊重しなければならない。この当然のことに、世界最強国の大統領には理解がないようだ。これは、恐るべき事態である。
トランプは5日夜のホワイトハウス記者会見で、「合法的な票を数えれば、私は楽勝だ。違法な票を数えれば、彼らは選挙を盗むことができる」と述べたという。
翻訳してみよう。「私の票は合法的な票、彼らの票は違法な票だ。だから、合法的な票だけを数えれば、私は楽勝となる」「しかし、違法な票を数えて彼らが勝ちそうだ。これは、彼らが私から選挙の成果を盗むということだ」
問題は、「私の票は合法的な票」「私に反対する票は違法な票」という、トランプ流の思い込みと断定である。候補者は、有権者の審判を仰ぐ立場にある。その投票を、敵と味方に分類して、相手方の票を根拠なく軽々に「違法」と言ってはならない。もし、本気で「違法」と言うのであれば、それこそ丁寧に具体的な根拠を示さなければならないが、それは一切ない。
米メディアは、このトランプの発言を、「民主主義への攻撃だ」と批判しているという。この捉え方は見識である。同様の見方は、共和党内にもあり、根拠も示さないままに主張するトランプに対し、共和党政治家の批判もあるという。
トランプ氏に近いクリスティー前ニュージャージー州知事はABCの番組で、「証拠を何も聞いていない。情報を与えずに、炎上させるだけだ」と述べ、ロムニー上院議員も「すべての票を集計するのは民主主義の核心だ」とツイートしたという。
さらに問題は、トランプに煽られた支持者の言動にある。トランプ敗北が確定したミシガン州デトロイトの不穏な状況が報じられている。
「デトロイトのコンベンションセンター周辺には6日朝から約400人超のトランプ氏支持者が集結。「この選挙は不正だ」などと声を上げた。銃を持ち、防弾ベストを着て集会を見守っていたフィル・ロビンソンさん(43)は、地元ミリシア組織の一つの創設者。「選挙結果は冗談みたいなものだ。全米で不正が横行している。選挙をやり直すべきだ」と語気を強め、武器の所持については「あくまで自分や参加者を守るため。攻撃してくるのはいつも極左からだ」と話した。」(毎日・夕刊)
ミシガン州は、トランプと対立するウィットマー知事(民主党)の拉致を計画したとして、民間軍事組織ミリシアのメンバーら13人が訴追される事件も起きたところ。Ballot(投票)の結果を尊重しなければ、Bullet(弾丸)がものを言う社会に逆戻りとなる。かつては暴力そのものであった権力への逆行ではないか。
アメリカを今の事態に貶めたトランプの罪は深い。