(2020年11月26日)
民主主義とは、国民自身が統治の主体であるという思想であり制度である。思想として語ることは易いが、現実の制度を設計し運用することは決してたやすいことではない。常に、国民一人ひとりに、主権者としての自覚が求められることになる。
制度としては、間接民主制の手続を採用して、選挙を媒介に執行機関を作らざるを得ない。主権者国民と、国民から選ばれ国民から委託された行政権とが対峙して、あたかも行政権の長が国民に対する支配権を持つような倒錯の関係が生じる。
しかし、間違ってはならない。飽くまでも主権者は国民である。行政権の長といえども、主権者国民に奉仕すべき公僕に過ぎない。行政府の長は、国民の利益のために、国民に対する説明責任を果たしつつ、その職責を全うしなければならない。
主権者は当然に公僕の判断や活動について報告を求め、その内容を詳細に知る権利があり、公僕は主権者にその活動の全てを報告し説明する義務がある。公文書の作成・保管・開示や、国会での誠実な答弁がその主要な手段である。
ところが、この度明らかになった「桜を見る会・前夜祭」の会計処理。国会における首相(当時)答弁が明らかな虚偽であることが判明した。民主主義の観点からは、大きな問題点が2点ある。ひとつは、首相が選挙民を飲み食いに誘う形での集票行為をしていたこと。そして、国会での野党からの追及に虚偽答弁を重ねて、主権者を欺し続けていたことである。
折も折、衆院調査局の調べで、安倍晋三の虚偽答弁ぶりが明らかになった。「17年2月15日から18年7月22日までに、衆参の国会質疑で安倍政権が行った答弁のうち、事実と異なる答弁が計139回あった」という。
民主主義社会の主権者である国民は、この息を吐くように平然と嘘をつき続けてきた公僕を徹底的に叱りつけなければならない。平然たる首相の嘘によって、主権の行使に歪みが生じたことに、また虚偽答弁それ自体によって主権者の矜持を傷つけられたことに怒らねばならない。そして、こういう嘘つき公僕を、さっさと取り替えなければならない。
本日の毎日新聞、万能川柳欄の秀逸句がピッタリである。
選挙区の民度と合った当選者 (東京 恋し川)
安倍晋三という嘘つきを、このまま政治家として永らえさせておくことは、山口4区(下関市、長門市)の「民度」を貶める恥ではないか。また、こんな人物を長期間首相にして、たぶらかされていた日本人の恥とも考えねばならない。
有権者国民が安倍晋三のやり口に怒らず、安倍晋三を叱らず、安倍晋三的な政治を許していれば、いつまでもその「民度」と合った政治しかもつことができないことになる。我等主権者、大いに怒らねばならない。
(2020年11月25日)
安倍晋三とは、右翼陣営の期待を担って改憲に執念を燃やしながら挫折した政治家である。また、長い任期の中で何のレガシーも残すことのできなかった愚昧な首相としても記憶されることになる。のみならず、近い将来の歴史教科書には、「国政を私物化した未熟な日本のリーダー」として名を残すことにもなろう。
「国政を私物化した」典型事例のひとつが「桜を見る会」である。昨日(11月24日)以来話題急浮上の「桜を見る会前夜祭」ではなく、白昼堂々と新宿御苑で行われた、政府主催の「桜を見る会」。本来、招待される資格のない、安倍晋三の地元である山口4区の有権者を呼んで、飲み食いさせたのだ。公私混同、これに過ぐるものはない。
野党議員から問題視され、招待者の名簿の提出を求められるや、その1時間後に名簿の全部をシュレッダーにかけて廃棄し、「不存在で提出できない」と開き直った。この汚いやり口が強く印象に残る。これが、私たちの国のトップが実際にやったことなのだ。こんな人物を、私たちの国の国民は、7年余も首相の座に就け続けていたのだ。なんと情けない民主主義ではないか。
「桜を見る会」とは何であるか、去る5月21日、弁護士662名が提出した安倍晋三らに対する告発状から引用する。
「桜を見る会」とは、戦前の「観桜会」を前身とし、1952年、吉田茂が内閣総理大臣主催の会として始めた会とされており、「皇族、元皇族、各国大使等、衆参両議院議長及び副議長、最高裁判所長官、国務大臣、副大臣及び大臣政務官、国会議員(中略)、その他各界の代表者等」、「各界において功労・功績のあった者」が招待範囲とされ、毎年4月、新宿御苑を会場として行われてきた。
ところが、被告発人安倍が2012年12月第二次安倍内閣を組閣して「桜を見る会」が安倍首相主催になった途端、それまでは1万人前後であった出席者数が2013年には約1万5000人に跳ね上がり、2018年には1万7500人に、2019年には1万8200人にまで膨れ上がった。予算額が1766万6000円であるのに対し、支出額は、2018年は5229万円、2019年は5518万7000円と、異常な予算超過ぶりを示している。このように出席者数も支出額も激増させながら、被告発人安倍主催の「桜を見る会」は7年連続で行われてきたのである。
しかも最も問題になったのは、「桜を見る会」の出席者の中に、被告発人安倍の後援会員が800名から850名も含まれていたことである。これは、毎年、「安倍事務所」が、都内観光や「前夜祭」という「安倍晋三後援会」の行事とセットにして、国の行事である「桜を見る会」への参加を後援会員に無差別に呼びかけ、応募してきた後援会員やその家族、知人らがほぼ全員「桜を見る会」に招待されるというシステムによるものである。何ら「各界の代表者」でも「功労・功績のあった者」でもない後援会員らが、国費によって皇族や「各界の代表者」らと共に、無償で酒食の提供を受け、被告発人安倍や有名芸能人らと共に写真撮影の機会も与えられるなどの特権的な扱いを受けてきたのであり、公的行事や国家予算の私物化であるとの国民の厳しい批判を受けたのは当然であった。
そればかりか、被告発人安倍は、「桜を見る会」の招待者名簿はシュレッダーにかけて廃棄した、データも残っていないなどと強弁して一切の検証作業を拒む姿勢を取り続けており、国民の憤りは沸騰している。
レコードにA面とB面とがあるように、また、プランAがだめなときに予備的なプランBの出番がまわってくるように、国政私物化のメインの問題は飽くまで、「桜を見る会」であって、「前夜祭」はサブの問題なのだ。この点を、告発状は、こう述べている。
私たち法律家は、被告発人安倍の「桜を見る会」私物化についても強い批判を持ち、その違法性の追及を検討している。すでに本年1月、「桜を見る会」6年分の予算超過額が財産的損害であるとする背任罪による告発がなされているが、背任罪以外にも公職選挙法違反等が疑われるところ、上述した招待者名簿の破棄・隠蔽などにより、現時点では分析、検討のための確たる資料を入手するに至っていない。
今、B面としての「前夜祭」問題で安倍晋三の嘘が明らかになりつつある。この機会に、A面としての「桜を見る会」問題についても、きちんと安倍晋三の嘘を究明しなければならない。そのことが明確となって相応の責任を取ったとき、安倍晋三は、日本の民主主義のために、なにがしかの貢献をすることになるだろう。
2020年5月21日、662名の弁護士と法学者が提出した告発状は、かなり長文のものとなっている。その冒頭部分を、以下のとおり転載する。なお、その後、同趣旨の告発状の提出は進み、近々1000名に達すると報告されている。
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告 発 状
2020年5月21日
東京地方検察庁 御中
被告発人
住所 山口県下関市…(略)
(東京都千代田区永田町2丁目3番1号 首相官邸)
氏名 安倍晋三
職業 衆議院議員・内閣総理大臣
生年月日 1954(昭和29)年11月12日
被告発人
住所 山口県下関市東大和町1丁目8番16号 安倍晋三後援会事務所
氏名 配川博之
職業 安倍晋三後援会代表者
被告発人
住所 山口県下関市東大和町1丁目8番16号 安倍晋三後援会事務所
氏名 阿立豊彦
職業 安倍晋三後援会会計責任者
第1 告発の趣旨
1 被告発人安倍晋三、被告発人配川博之及び被告発人阿立豊彦の後記第2?1の所為は、刑法60条、政治資金規正法第25条1項2号、同法12条1項1号ホ及び同2号に該当する。
2 被告発人安倍晋三及び被告発人配川博之の後記第2?2の所為は、刑法60条、公職選挙法249条の5第1項及び同法199条の5第1項に該当する。
よって、上記の被告発人らにつき、厳重な処罰を求め、告発する。
第2 告発の事実
被告発人安倍晋三(以下、「被告発人安倍」という)は、2017(平成29)年10月22日施行の第48回衆議院議員選挙に際して山口県第4区から立候補し当選した衆議院議員、被告発人配川博之(以下、「被告発人配川」という)は、安倍晋三後援会(以下、「後援会」という)の代表者、被告発人阿立豊彦(以下、「被告発人阿立」という)は、後援会の会計責任者であった者であるが、
1 被告発人安倍、被告発人配川及び被告発人阿立は、共謀の上、政治資金規正法第12条1項により、山口県選挙管理委員会を経由して総務大臣に提出すべき後援会の収支報告書につき、2019(令和元)年5月下旬頃、山口県下関市東大和町1丁目8番16号所在の安倍晋三後援会事務所において、真実は、2018(平成30)年4月20日、ホテルニューオータニ東京において開催された宴会である「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」(以下、「前夜祭」又は「本件宴会」という)の参加費として、参加者1人あたり5000円の参加費に参加者数約800名を乗じた推計約400万円の収入があり、かつ、上記前夜祭の前後に、ホテルニューオータニ東京に対し、少なくとも上記推計約400万円の本件宴会代金を支出したにもかかわらず、後援会の2018(平成30)年分の収支報告書に、上記前夜祭に関する収入及び支出を記載せず、これを2019(令和元)年5月27日、山口県選挙管理委員会に提出し、
2 被告発人安倍及び被告発人配川は、共謀の上、法定の除外事由がないのに、2018(平成30)年4月20日、ホテルニューオータニ東京において開催された前夜祭において、後援会を介し、被告発人安倍の選挙区内にある後援会員約800名に対し、飲食費の1人あたり単価が少なくとも1万1000円程度であるところ、1人あたり5000円の参加費のみを徴収し、もって1人あたり少なくとも6000円相当の酒食を無償で提供して寄附をし
たものである。
(2020年11月24日)
季節外れの「桜」の話題が盛り上がっている。話題の火を付けたのが、昨日(11月23日)付け読売のスクープ記事。これにNHKが続いた。しっかりと、安倍側有罪の証拠の存在を報じている。
問題は、当時首相だった安倍晋三が主催する「桜を見る会・前夜祭」。ホテルニューオータニ東京の豪華な会食は、どう見ても一人あたり最低1万1000円はするという。それを、前夜祭出席者は、5000円ポッキリの会費で堪能していた。安倍の側から、資金が注ぎ込まれているに違いないというのが疑惑。金を出していれば、公職選挙法違反にも、政治資金規正法違反にもなる。
細かい法律の条文を知っているかどうかなどという些細な問題ではない。これは選挙民の政治家へのタカリの構造なのだ。山口4区の安倍晋三後援者は、恥を知らねばならない。そして、同時に政治家が未熟な選挙民を買収・供応する構造でもある。飲ませ喰わせして票を集めた汚い政治家が、汚い政治で金を集め、その金でまた汚い票を集める、その悪循環の縮図が「桜を見る会」「前夜祭」に浮かび上がっている。
この前夜祭という宴会の主催者の側から、飲食費に金を出していたのだろうという疑惑に対して、これまで安倍は全否定して、なんと言っていたか。
「夕食会に関しても、参加者が実費を払って、支払っており、安倍晋三後援会としての収入、支出は一切ありません」
「夕食会の費用については、ホテル側との合意に基づき、夕食会場入口の受付において安倍事務所の職員が一人5千円を集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交し、受付終了後に集金した全ての現金をその場でホテル側に渡すという形で参加者からホテル側への支払がなされたものと承知しております。」
「夕食会に関して安倍晋三後援会としての収入、支出は一切ないことから、政治資金収支報告書への記載は必要ないものと認識しております」
つまり、会の参加者一人ひとりが、ホテルに費用を支払ったもので、安倍も事務所も関与していない、と言ったのだ。これを、「我が国の総理大臣がそう言うのだから、そのとおりだろう」と信用した人柄のよい方も少数はいたようだが、国民の大部分は安倍晋三を嘘つきだと判断した。おそらく、安倍晋三後援会員もそうだろう。
NHKは、安倍の嘘の証拠となる領収書の存在を報じた。その宛先について、「複数の関係者への取材で、ホテル側の領収書の宛名がいずれの年も、安倍前総理大臣自身が代表を務める資金管理団体「晋和会」になっていたことが新たに分かりました」と具体的に指摘した。これは安倍にとっての嘘つきの証明書。政治家としての致命傷と言ってもよい。
読売もNHKも、安倍晋三のオトモダチではないか。しかるべき誰かが、何らかの思惑あって、この2者を選んでリークしたものと見るべきではあろう。だから、単純に、「特捜よくやった。がんばれ」とまでは言いにくい。
それでも、前首相の陣営に対する捜査の衝撃は大きい。「#安倍晋三の逮捕を求めます」が、Twitterでトレンド入りしているという。特捜には、徹底した捜査を期待したい。それが、政権の番犬とまで言われる事態に追い込まれて失墜した検察の権威を回復する唯一の方途であろう。
「モリ・カケ・桜」は、安倍前政権による《政治の私物化》を象徴する三大事件である。安倍晋三という個性の問題性もさることながら、安倍晋三の「悪事」を抑制できないこの時代状況の深刻さを噛みしめなければならない。この社会、この国の民主主義が正常に機能していないのだ。巨悪が枕を高くしてきた、7年8か月。
「モリ・カケ・桜」とも、真相の徹底究明はなされず、生煮えのまま安倍晋三の政権は幕を下ろした。しかし、事件が終熄したわけでも解決したわけでもない。安倍やその後継の立場は、権力の旧悪を隠蔽したままにしておこうという魂胆。これに対して、徹底して旧悪を暴いて究明しようという法的正義追及派との対峙が続いている。その決着は、国民世論の動向次第である。
本日(11月24日)昼過ぎに、安倍晋三は、記者団の取材に応じてこう語ったという。
「告発を受けて捜査が行われていると承知している。事務所としては全面的に協力していく。それ以上のことについては、まだ今の段階でお答えすることは控えたい」
翻訳すれば、こんなところだろうか。
「告発があったから、検察庁も立場上捜査を行わなければならないということでしょう。まさか、本気で捜査しているとは思っていないはず。最悪の場合でも、安倍事務所の問題で私自身の問題ではない。安倍事務所の秘書たちが責任追及されても、私が刑事訴追される筋合いではない」
さらに、夕刻にははっきりとその筋書きが見えてきた。例の「秘書がー」という、政治家の常套手段である。安倍晋三、またまた、何本かの尻尾を切ろうというのだ。
安倍晋三前首相(66)の後援会が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏周辺は24日、ホテルに支払った費用総額の一部を同氏側が補塡(ほてん)していたことを明らかにした。安倍氏は首相在任中に国会などで、「後援会としての収入、支出は一切ない」などと事実と異なる答弁をしていた。
「周辺によると、安倍氏は前夜祭の問題が発覚した昨年後半、経緯について事務所の秘書に「会費の(参加者1人当たり)5000円以外、(安倍)事務所が支出していないよね」と電話で確認。秘書は会費以外の支出はないと答えた。秘書は前夜祭の総額の一部を安倍氏側で補塡している事実を把握していたが、政治資金収支報告書に記していなかったため、帳尻を合わせるため、そう答えたという。
この秘書は、安倍氏に23日、自身の報告が誤りだったと伝えたという。」(毎日)
逃げ切れないとなって、安倍は秘書への責任押しつけをはかったのだ。今や、問題は、安倍得意の尻尾切りの術での遁走を許すか否かである。「#安倍晋三の逮捕を求めます」がトレンド入りするのもむべなるかなの事態なのだ。
誰が言ったか、「嘘つきはアベの始まり」とは至言である。嘘つきの政治家に甘い主権者は、主権者として失格である。今回も、アベノウソは厳しく糾弾されなければならない。しかし、我々が告発し、特捜が捜査をしているのは、安倍晋三の国会内外での嘘という政治的・道義的責任ではない。あくまでも、刑事責任なのだ。7年間・7回も続いた安倍晋三後援会の恒例目玉行事の「前夜祭」である。その会計のありかたを、安倍晋三自身がまったく知らなかったはずはない。知らぬ存ぜぬで通してはならない。
(2020年11月23日)
「あいちトリエンナーレ展」の「表現の不自由展・その後」の顛末は、日本の今を象徴する大事件だった。その大事件からスピンオフした小事件が、河村たかしと高須克弥が中心となった、お馴染み右翼言論人総がかりの「大村愛知県知事リコール」運動である。
河村・高須らの主張は、こういう一面的で単純なもの。
(1) 天皇(裕仁)の写真を燃やす展示は、日本人として許せない。
(2) そんな展示に公金を支出した大村知事は怪しからん。辞めさせよう。
ご真影をありがたがった戦前さながらの精神構造によるリコール運動である。この社会の国民主権意識も人権の理念も、いったいどこまで退歩したのかを見せつけようという策動にほかならない。
戦前と言えども決して、天皇制官僚や、軍人や、財閥や右翼政治家右翼メディアが、民衆を煽動して偏狭なナショナリズムや軍国主義に染め上げたというばかりではない。民衆は、必ずしも不本意ながらも天皇礼賛や八紘一宇を受け入れたという受け身の存在だったわけではなく、積極的に「非国民の不敬言動」を摘発もし非難もしたのだ。民衆自身の責任も自覚されなければならない。
「万世一系」や「八紘一宇」や「非国民」の思想と心情は、いま「反日」に収斂されている。右翼政治家と、右翼メディアと、右翼タレントが、ネットの世界にうごめき繁殖して、ときにリコール運動などの形で、リアルな政治世界に顔を覗かせる。そのような視点から、このリコール策動の成り行きを看過してはおれない。
幸い、リコール運動は低調と聞いていたが、11月4日の期限に提出された署名数は、高須らの発表で、計43万5231人分だったという。発表された数は必要な有効署名数の半分にとどまり、リコール失敗は明らかとなって、同月7日高須は運動の撤退を宣言した。だが、問題は終了していない。
津田大助が素早く反応した。
「(リコール署名運動)中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から「同じ筆跡の署名が大量にある」という報告があったり「署名してないのに自分の名前入ってた」という報告も聞こえてきて事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします。」
これに対する高須の対応ツイートが、余裕のない狼狽ぶりだけでなく、その品性や人間性をも表しているように見える。
「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」「津田くんは選挙管理委員会の誰もが知らないはずの情報を知ってるんだ」「謝罪を求める」「デマ流して妨害しただけでなく、再挑戦の妨害を始めた津田くんとその一味。早く謝罪したまえ」「遅れたら次は法廷だ。癌で僕が弱っていると思ってなめるな」
ここまでの事情は、(2020年11月8日)付当ブログの下記記事を参照していただきたい。
高須克弥さん、みっともない「スラップ訴訟」はお止しなさい。
https://article9.jp/wordpress/?p=15906
あれから2週間余。高須の対津田提訴の動きはもう立ち消えたようだ。高須と言えば、かつて大西健介(当時民進党)の国会内発言に関して、まったく勝ち味のないこと明らかなスラップ訴訟を提起したことで知られる。大西だけでなく、民進党と、党首の蓮舫、そして国までを被告とした濫訴ぶり。もちろん、簡単に敗訴で決着がついたが、スラップを提起された側の応訴の煩わしさはたいへんなもの。威嚇の効果は十分なのだ。
もっとも、高須が代表者となったリコール運動は、今内部分裂で津田提訴どころではなさそうなのだ。詳細な経過は紹介するに値するものでもないが、「高須の支持を受け容れる付和雷同派」と、「高須の指示などには従わない、潔癖な右翼」との対立のように見受けられる。
「潔癖な右翼」の側から見れば、高須とこれを支えた運動体の、いいかげんさ、汚さに我慢ならない。そんな運動に加担させられていたことの怒りが、内部告発となり、造反になっている。
まとめると、下記のとおりだという。
・同じ筆跡で、大量の署名がなされている
・同じ拇印が押されている
・同じ名前の人が大量に署名している(1人で100筆を数える事例もあったという)
・何かの名簿を書き写したのか、生年月日が未記載の署名が大量にある
・全く違う地区の署名が紛れ込んでいる
・存在しないような住所、氏名が書かれている
こういう「ウソとごまかし」の水増し分も数えての43万5231筆なのだ。「有効な署名数を正確に数えろ」という要求は、リコール批判派からだけではなく、かつての仲間からも出ているのだ。
津田が「同じ筆跡の署名が大量にある」「署名してないのに自分の名前入ってた」と指摘し、これに高須がうろたえて「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」と言っているのには訳がある。津田の指摘が明確になったら、これは犯罪なのだ。
ことは、いやしくも県知事に対するリコール運動である。いいかげんなやりかたは許されない。署名の偽造は地方自治法が定める犯罪になるのだ。
地方自治法第74条の4第2項は、【違法署名運動の罰則】を次のように、定めている。
「条例の制定若しくは改廃の請求者の署名を偽造し若しくはその数を増減した者又は署名簿その他の条例の制定若しくは改廃の請求に必要な関係書類を抑留、毀壊若しくは奪取した者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」
地方自治法上の主要な直接請求制度には、「条例の制定若しくは改廃」を求めるものと「自治体首長らの解職請求」(リコール)とがある。
上記の第74条の4第2項は、【「条例の制定又は改廃の請求」に関する違法署名運動の罰則】であるが、これは下記のとおり、81条によって「知事のリコール署名」に準用されている。
第81条 第1項「選挙権を有する者は、政令の定めるところにより、(所要の数)以上の者の連署をもつて、当該普通地方公共団体の長の解職の請求をすることができる。
第2項 …第74条の2から第74条の4までの規定は前項の規定による請求者の署名について、第76条第2項及び第3項の規定は前項の請求について準用する。
この度の大村知事リコール運動には、高須が責任を自任している。そして、全てを公開すると広言している。犯罪の指摘を受けたことに関しては、高須自身の名誉にかけて隠蔽してはならない。姑息に、「署名者のプライバシーを守る」などを口実に、署名簿を廃棄してはならない。疑惑の指摘に、誠実な対応をしなければならない。それが、潔癖な右翼諸君の要望でもあるのだから。
(2020年11月22日)
昨日(11月21日)の毎日新聞朝刊に、「加藤陽子の近代史の扉」が掲載されている。月に一度、第3土曜日に連載の「学術コラム」だが、平易な表現で読み易い。
日本学術会議正会員になるはずが菅政権から任命を拒否された、あの10月1日以来2度目のコラムである。前回、10月17日の記事は、「学術会議『6人除外』『人文・社会』統制へ触手」というものだった。そして、今回は、より踏み込んだ「学術会議の自律性保障 『日本側が磨いた学問の自由』」というタイトル。はからずも任命拒否の対象となり、自らが権力と対峙する近代史のアクターとなったことを自覚しての重い内容となっている。覚悟を決めたという印象が強い。
書き出しを引用させていただく。
敗戦からほどない1949年に日本学術会議は設立された。第1回総会において、科学者の戦争協力を反省し、科学こそ文化国家・平和国家の基礎となるとの決意表明がなされたことについては、昨今の報道などにより、かなり世に知られるようになってきた。
ただ、戦争協力のくだりを読むと、わずかだが胸のうずきを覚える。母国が戦争を遂行したのであれば、科学者たる者、協力すること以外に選択肢はあったかとの問いが生ずるからだ。国防への貢献を要請される重責と、自らの基礎研究への情熱と。この葛藤に全く苦しまなかった科学者の姿は想像しにくい。よって、この苦悩と葛藤を二度と招来しないとの決意から、軍事研究を行わないと選択したのは自然なことだったろう。
このコラムで加藤は、「学術会議誕生の背景を考えていると、日本国憲法そのものもまた戦争の結果誕生したと改めて腑(ふ)に落ちる。」とした上で、「『学問の自由は、これを保障する』と規定した憲法23条は、いかにして生まれたのか。」を問うて、次のように述べている。
実のところ、本条(23条)は日本側の熱意によって磨かれた条文だった。総司令部の原案は「学問の自由および職業の選択は、保障される」であり、いささか雑な出来だった。…日本国憲法の審議過程で、議会答弁を一手に担当したのは金森徳次郎国務大臣だった。金森は美濃部達吉の天皇機関説事件の折、同じく機関説論者だとして法制局長官の地位を追われていた。金森以上に憲法23条を語るにふさわしい人物はいなかった。高らかに金森はうたう。「この憲法の狙い所の一つは、この人間の完成と云(い)う所に狙いを持って居(お)ります。学問を止めて人類の完成と云うものがどうして出来るであろうか」と。
そして、このコラムの最後はこう結ばれている。
金森の説明に加え、判例を踏まえた憲法解釈をまとめておきたい。23条は生まれながらの人一般の学ぶ権利を保障したものではない。それは思想・良心の自由(19条)、表現の自由(21条)で保障されうるからだ。23条は専門領域の自律性、公的学術機関による人選の自律を保障するために置かれた。学術会議問題の根幹には、確かに学問の自由の問題があるのだ。
加藤が語るところは、日本国憲法と日本学術会議とが、出自を同じくしているということである。日本国憲法が国民的な不戦の誓いの結実であるごとく、日本の科学者は、軍事研究を強いられた苦悩と葛藤を二度と招来しないとの決意から、非軍事の道を選んで日本学術会議を設立した。憲法23条は、その両者を結ぶ結節点にある。
「23条は専門領域の自律性、公的学術機関による人選の自律を保障するために置かれた。」と言いきる、加藤の言葉は重い。「権力からの自律性の保障」こそが、問題の根幹に位置するキーワードなのだ。
「学術会議問題の根幹には、確かに学問の自由の問題があるのだ。」とは、任命を拒否された当事者の言として、居住まいを正して耳を傾けるべきであろう。
(2020年11月21日)
この頃の朝の散歩は、安直に湯島天神まで。本郷通りをほんの少し南下して、三丁目交差点を左に折れ春日通りを10分ほど上野方面へ。アップダウンのない楽な行程。
途中に、春日通りの地名の起源となった、春日局ゆかりの麟祥院がある。ときに、その境内をめぐって春日局の墓を見てくる。ただ、墓を眺めるだけ…なのだが。
湯島天神は婦系図の舞台として名高く、泉鏡花の筆塚もあるが、原作には出て来ないのだという。落語では、「宿屋の富」の舞台。ひしめきあう群衆を集めて、寺社奉行が富くじの抽選を行うのがここの境内。また、柳田格之進が、油屋の番頭徳兵衛と出会うのが正月で賑わう湯島天神。今、その賑わいの面影は淡い。
湯島と言えば白梅だが、季節は菊。例年、「湯島天神菊まつり」が開催される。コロナ禍の今年は規模を縮小して、「まつり」ではなく「湯島天神菊花展」となっている。11月1日?22日の日程だが、準備期間から菊の花の開花の様子を眺めている。早朝の人気のない境内で、ゆっくりとみごとな菊を眺める贅沢な散歩。
今年は、新型コロナウイルス感染症に関する対応として、「授与所には透明パネルを設置しています」「お神札・お守りの授与は職員から直接のお渡しを避けるようにしています」「ご祈祷の際には可能な限り参拝者一組づつの斎行をしています」「ご祈祷後の直会(お神酒)を取り止めています」「手水舎の柄杓は撤去いたし、流水にてお清め頂いています」「神職・職員がマスク着用にて対応しています」「『撫で牛』への接触中止しています」と、心づくしが細かい。「授与品とご祈祷の郵送依頼」も受け付けているという。
例年よりは少なめだが、早くも合格祈願の絵馬がたくさん飾られている。私は、これを見るのが楽しみなのだ。善男善女の祈願の内容よりは、絵馬を書いた日付が、西暦か元号か、興味はそれに尽きる。
神社に奉納する絵馬なのだから当然に元号表示だろうと思うのは、素人の浅はかさ。実は、圧倒的に西暦表示派が圧倒的に優勢なのである。ほぼ、8対2という勢力図ではないか。「令和二年」よりは、「2020年」の方が、遙かに書き易く、読み易く、今年を意識しやすいのだろうと思う。西暦派と元号派と、どちらが合格率が高いか調査をしたら面白かろう。ひいき目には、西暦派の絵馬の方が知性高そうに見えるのだが。
土・日・祭日には、境内で幾つかのイベントが行われた。ちょうど一週間前、先週の土曜日には、本郷税務署と「本郷間接税会」との共催による、「消費税に関するクイズ」をやっていた。「本郷間接税会」とは、業者団体のようだが、もちろん「消費税をなくす会」ではない。クイズとアンケートに答えると粗品をもらえる。粗品には当然のごとく税務署の宣伝パンフも付いてくる。ここで、こんな会話を聞いた。
「軽減税率ってなんて分かりにくい。消費税なんて、なくなればよいのにね」「いや、それは大事な安定した財源ですから、なくなっては困るんですよ」「なに言ってんのよ。業者が税務署の肩もってどうすんの。弱い立場の消費者からむしりとらないで、大企業やお金持ちからきちんと税金取ったらどう?」「でも、これは大事な福祉の財源ですから、なくなれば立場の弱い人にしわ寄せが」「まるで政府答弁みたいなウソを言わないでよ。これまでの消費税の収入って、ちょうど企業減税と所得税の累進化をなくした減税分を合わせた額と同じっていうじゃない。庶民から税金むしりとって、大企業と大金持ちに分配してやったんでしょ」「それは極端な考え方で…」「コロナで、みんな困っている。消費税なくするのが、みんなの生活を助ける一番よい方法でしょ」
天神様の境内も神威に満ちみちて穏やかとばかりはまいらない。俗事の風が吹き込んで天神様の境内もなかなかに騒々しい。
(2020年11月20日)
さすがはIOC会長、バッハは偉大である。プライベートジェットで日本にコロナの第3波を運んできた。これは、常人のできることではない。そう言いたくなるほどのタイミングでのコロナの拡大。あらためて、オリンピックどころではないコロナの蔓延状況を意識することになった。オリンピック準備の無駄なカネや人手があれば、コロナ対策にまわすべきではないか。世界の感染状況を見渡しても、来夏の東京オリンピックは、無理だろう。早めに断念するしかない。
バッハが、コロナ蔓延の危険を押して東京五輪開催にこだわっているのは、ひとえに経済的理由である。東京オリンピックとは経済利権のイベントであり、巨大な儲けのタネなのだ。もちろん、財界はコロナ蔓延抑制よりは、経済優先である。
バッハは、菅や小池の尻を叩いて、東京オリンピックをやらせようと躍起である。これは、経済の立場から、国家を利用しようという魂胆の表れ。経済の立場とは、財界の立場ということ。
しかし、コロナに怯える生活者の立場は、経済活動よりはまずは、生命と生活の安全・安心を求める。これが、国民の立場。その権利性を明確にすれば、人権の立場にほかならない。人権は、国家に安全を求め、さらには国家に生活の補償を求めることになる。
権力(国家)は、経済(財界)と人権(国民)との間で、揺れ動く。国民に自粛を呼びかけながらも、「go to 何とか」を断乎やろうというのだ。
コロナ蔓延の初期、今年(2020年)3月にインフル特措法が改正されてコロナが同法に取り込まれたときのこと。安倍政権は権力を振るいたいに違いない、そう身構えた。コロナを口実に、国民にも財界にも、権力のなし得ることを誇示するだろうと。しかし、その後の事態は必ずしもそうではない。むしろ、政権は強権を誇るよりは、強権発動に臆病であるように見える。これをどう評価すべきだろうか。
A 権力(国家)と、B 経済(財界)と、C 人権(国民)との三角形ABCは、互いに緊張関係をもって対峙しつつも、依存関係にもある。今のところ、この三角形は正常を保っていると言えるのではないか。
この三角形がいびつに崩れると、肥大したAが、Cを圧迫する。そのとき、BはAの側について、(A+B)がCを圧迫し収奪することになろう。望ましくは、(B+C)が正常な関係を保ちつつ、常にAを警戒し牽制する三角形を維持することである。
こしゃくな
小池が
コロナで
小細工
こじつけの
言葉遊びを
こね回し
(2020年11月19日)
一般には、千代田、中央、港を都心3区という。あるいは、新宿を加えて都心4区。不動産業界では、これに渋谷・文京を加えて、都心6区ともいうそうだ。文京区はギリギリ「都心」だが、都心のはずれに位置している。ここは、ギリギリ人が住める場所で、ギリギリ生き物も生活している。
その文京区本郷の私の事務所にネコの額ほどの庭があり、そのネコの額ほどの庭にホンモノの猫がしばらく住み着いた。明らかに野良猫である。毛並みは良くない。目つきは悪い。しかし、片耳に切れ込みのある、いわゆる桜猫。地域猫として不妊手術を受けているシルシ。都会の中で人と関わりつつも、野生の誇りを失わないなかなかの面構え。
この猫の出現が、ちょうど緊急事態宣言の出た4月7日直後のこと。それで、この猫を「コロナ」と名付けた。近所の飲食店の余り物をもらっていたのが、コロナ禍で店が閉まって食い詰め、餌場を探してこの庭まで来たのではないか。
人に対する警戒心が強い。軒下に置いたキャットフードを食べ、ミルクも飲む。時にはじっと食餌を待っているようにもなったが、貪るように食べたり飲んだりはしない。常に、食べ残していた。これは野生ゆえの習性なのだろうか。夜は、段ボールの寝床で寝るようになり、明らかに家の中に入ってみたいという素振りも見せたが、ペットからの感染のおそれが噂されていたとき。直接手を触れることも、家に入れることもしなかった。
少しなついた頃に、「コロナ」ではかわいそうと「ノラ」と呼び名を変え、さらに特に訳もなく「ネコ」となった。ネコとなった頃に緊急事態宣言が解除され、その後ネコは外泊を繰り返して、やがて姿を見せなくなった。まだ、段ボールの寝床は残されているが、ネコは戻らない。今ごろ、どこでどう暮らしているのやら。
ネコがいたのは、プラムの木の下。このプラムが実る夏にはハクビシンがやって来る。ネコは、ハクビシンに追われたのかも知れない。ハクビシンは、徒党を組んで行動する。独身のネコの敵う相手ではないのだ。
3日前の朝、玄関前の道端でアオスジアゲハを拾った。どんな宝石もかなわない、美しいデザインと色。神々しいまでの鱗粉の光彩。季節外れの孵化なのだろう。弱ってはいたが、事務所の中で安穏に過ごしている。
蘭の蜜を吸うのではないか、菊の花はどうだ。図鑑ではキバナコスモスがよいようだ。突然に、無風流な私の仕事場が、「蝶よ、花よ」の環境と化した。
少し元気になったアゲハは、窓ガラスで羽ばたいて、外の世界にあこがれを示す。外は寒い、危険だ、と言い聞かせても聞く耳を持たない。
ネコは家の中に入りたくて入れてもらえず、アゲハは外に出たくて、出してもらえない。人生、なかなかに難しい。
(2020年11月18日)
昨日(11月17日)の毎日新聞夕刊が、「最高裁判事が高校生にオンライン講義 法曹の魅力伝える初の試み」という記事を掲載している。
「若い世代に法曹の仕事の魅力を伝えようと、最高裁の木澤克之判事(69)が16日、須磨学園高校(神戸市)の2年生400人に向けてオンラインで講義した。初の試みで、生徒らは「憲法の番人」と称される最高裁の判事の声に耳を傾けた。」
最高裁と学校の教室をウェブ会議システムで結び、2016年に弁護士から最高裁判事に就任した木澤判事が約50分にわたって語り掛けて、こう言ったという。
「『社会のルールを巡るトラブルを一つ一つ解決するのが裁判の役目。ルールを安定させ、信頼できるものにするのが法律家の仕事』と解説した。『裁判官として一番大事にしていることは』との質問には『結論が正義にかなっているかどうか、よく考えること』と答えた。」
同じ言葉も、誰が言うかで印象は大いに異なる。ほかの判事がこう言えば無難な内容だが、この人が口にすれば大いにシラける。
彼は、1974年に立教大法学部を卒業し77年に弁護士登録をしている。東京弁護士会に所属し、東京弁護士会人事委員会委員長(念のためだが、人権委員会委員長ではない)や立教大学法科大学院教授などを務めたという。それだけなら、なんの問題もない、普通の弁護士。
この人、立教大学で、加計孝太郎という有名人と同級生だったという。その誼で、加計学園という学校法人の監事の役に就いた。これも、まあ、問題とするほどのことではなかろう。
よく知られているとおり、加計孝太郎には、安倍晋三という「腹心の友」がいた。木澤は、加計孝太郎に誘われて、安倍晋三とゴルフを楽しむ仲となった。こうして、加計を介して、「アベ・カケ・キザワ」の濃密な関係ができた、と思われる。濃密の評価は推測だが、少なくも、そう見られる状況ができた。これで、問題を孕むこととなった。もっとも、これだけならまだ問題は顕在化しない。
問題は、木澤克之が最高裁判事に任命されたことだ。任命したのは、もちろん安倍晋三である。これは、大問題ではないか。安倍晋三は、加計孝太郎のために、岩盤にドリルで穴をこじ開けて、加計学園が経営する大学の獣医学部開設に道を開いている。腹心の友のために、不可能を可能としたのだ。これが行政私物化と世の顰蹙を買ったアベノレガシーのひとつである。
その安倍晋三が、加計学園監事の弁護士を最高裁判事に任命したのだ。トモダチのトモダチの任命である。行政の私物化だけではない、司法の私物化ではないか。
この木澤という人、立教大学出身の初めての最高裁判事だという。周囲がその姿勢や人格を評価した結果であれば、その経歴は誇ってよい。しかし、オトモダチのお蔭で加計学園監事となり、オトモダチのオトモダチと懇意になっての、最高裁判事任命はいただけない。子どもたちの前で、正義を語る資格に疑問符が付く。
この人、既に前回(2017年10月)総選挙の際の最高裁裁判官国民審査を経ている。その際の、「最高裁判所裁判官国民審査公報」における経歴欄に、加計学園監事の経歴を掲載しなかったことが、話題となった。最高裁ホームページには、今も明記されているにもかかわらず、である。
私も東京弁護士会所属だが、この人のことは、最高裁判事就任まで知らなかった。知っての後は、とうてい「正義を語る人」のイメージではない。「有力な人、権力をもつ人に擦り寄って仲良くすれば世の中を上手に渡れますよ」と、子どもたちに「教訓」を垂れるにふさわしい人のイメージなのだ。大新聞が、無批判に木澤の行動を報じていることに、違和感を覚える。
(2020年11月17日)
共同通信が「五輪反対派が都庁前で抗議」という記事を配信し、ロイターがこれを記事にした。東京オリンピック反対運動も、その抗議行動も巷にあふれている。バッハ訪日に合わせての都庁前での抗議行動というだけではニュースとしてのインパクトに欠ける。なぜ、大きな記事になったか。
この、ごく小さな抗議行動にニュースバリューを与えたのは、バッハ自身である。IOC会長自らが身体を張って、小さな抗議行動に大きなニュースバリューを進呈したのだ。言わば、価値あるオウンゴールである。
記事は以下のとおり。
「国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が東京都の小池百合子知事との会談に訪れた都庁前で16日、五輪反対派の市民数人が「オリンピックやめろ」「これ以上オリンピックに税金を使うな」などと声を上げる場面があった。
バッハ氏は都庁に到着した際と出発する際、横断幕を持って抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も。開催に反対の立場の人もいることを伝えにきたという女性は「優先すべきは人の命だと伝えにきたが、そこまで伝わったかどうか。五輪をやめると決断してほしい」と話した。」
さすがに共同通信は、バッハの行動について、「都庁に到着した際と出発する際(の2度にわたって)、抗議する反対派に自ら歩み寄る場面も(あった)」と、品良く書いているが、反対派(「反五輪の会 NO OLYMPICS 2020」)のツィッターでは、「歩み寄る」が、「詰め寄ってきて」「突っかかってきた」と書かれている。
「都庁から出てきたIOCバッハ会長と一触即発!1メートルの距離まで詰め寄ってきて『おまえら意見を言いたいのか叫びたいのかどっちだ』的なことを言ってきた。どっちもだよ、オリンピックいますぐ止めろ!」
「今日11/16都庁で反五輪の会を見つけ突っかかってきたIOCバッハ会長のこの顔つき、このふるまい、写真見てください。「対話を求めた」とか記者会見で言ったらしいがどの口が?さっさと五輪中止しろ!」
「街宣を続けていると、再びバッハと他関係者が玄関からゾロゾロと出てきた。そびえ立つ都庁に反響したAbolish IOC! No Olympics anywhere! のコールが直撃。バッハは車に誘導されるが、苛立った表情でSPの静止も振り切り反五輪の会にズカズカ詰め寄ってきた! 1mの距離で一触即発! 後ろから小池百合子が慌てて止めに入る。…」
バッハという人、過剰に血の気の多い人なのだろう。東京都民の、「東京五輪反対」には心穏やかではおられないのだ。あるいは、どうしてもIOC会長にしがみついてなければならない裏の事情があるのかも。いずれにせよ、都民や日本人のオリンピックに対する醒めた気分を理解していない。
もう一つ、バカげたオウンゴールがある。16日、バッハは安倍晋三に、五輪運動への貢献をたたえる「五輪オーダー」なるものを授与した。「五輪運動への貢献」の具体的内容については、特に報道されていない。
こんなことをすれば、日本人がよろこぶだろうとでも舐めたカン違いをしているようなのだ。アンダーコントロールという、あの大嘘を思い出す。安倍晋三の嘘とゴマカシの数々を、あらためて反芻せざるを得ない。安倍の薄汚いイメージが、東京オリンピックの薄汚さにピッタリ重なる。反東京オリンピック世論の高揚に貢献することだろう。
バッハにも、菅にも、小池にも、「これ以上オリンピックに税金を使うな」「優先すべきは人の命だ」という当たり前の訴えに耳を傾けてもらいたい。