靖国神社がキナくさい。これまでは、安倍晋三だの高市早苗なんぞの右翼政治家と靖国との関係が警戒の対象だった。ところがこのところ、自衛隊と靖国の直接の関係がクローズアップされている。これは危うい。権力中枢が、本気になって戦時を想定しているということなのだから。
(2024年3月31日)
明日、靖国神社の宮司が交代する。新任の宮司は、自衛隊元海将の大塚海夫。元自衛隊幹部が靖国のトップに就任することの意味は小さくない。なお、10人いる崇敬者総代のうち、2人が自衛隊幕僚長級の元幹部だという。このところ、自衛隊の集団参拝も報じられている。靖国と自衛隊。相寄る魂のごとくであるが、元来が禁じられた仲なのだ。
今年2月発行の靖国神社「社報」に大塚新宮司の寄稿が掲載されているという。この人は現職の自衛官時代に靖国神社奉賛会に入会しており、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるはずの我々こそが」「その思いを受け継ぎ、日本の平和のために尽力すべき」と述べているそうだ。この新宮司の発言、これは危ない。
靖国は、天皇のために命を捨てた皇軍の将兵を、天皇への忠誠故に顕彰する目的で、天皇の発意によって創建された宗教的軍事施設である。当初は内戦における天皇軍の戦死者を祀り、内戦が終わってからは対外的侵略戦争の戦死者を護国の神として祀る神社と性格を変えた。皇軍の戦死者は天皇の勅によって祭神となって合祀される。合祀の儀式である臨時大祭には、大元帥としての軍服をまとった天皇が必ず親拝した。靖国の宮司は陸海軍の最高幹部が務め、その境内は陸海軍が警固した。
ことほどさように、靖国とは徹頭徹尾天皇の神社であり、軍国神社である。神社であるからには宗教施設であるが、その宗教を何と呼称するかは微妙な問題。「国家神道」という表現は分かりにい。天皇を神とも祭司ともする、「天皇教」というネーミングが分かりやすい。天皇教は、明治政府が拵えあげた新興宗教にほかならない。もちろん、鍛え抜かれたマインドコントロール手法を誇ったカルトである。
理性をもっている人間を戦争に引き込むのは難事である。その理性を捨てさせる手段の一つとしてこのカルトがつくられ、国民を洗脳して戦争に総動員した。天皇教の教団は、全国の学校に訓導(教師)という布教師を配して、こう教えた。
「おまえの命など取るに足りない。天皇に絶対随順して命を捨てることこそ臣民の道であり、永遠の大義に生きることなのだ」「つまらないおまえでも、戦地で死ねば、天皇陛下によって靖国に祀っていただく名誉に浴することができる」「靖国に祀っていただけるのだから、笑って死ね」
信者に対して、財産だけでなく命をも捨てよと求める、これこそ究極のカルトである。恐るべきは、20世紀の中葉まで、このマインドコントロールが成功したことである。こうして、240万もの将兵が戦死して靖国の英霊となった。
新宮司による前記の「靖国」への寄稿は、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるわれわれ自衛隊員こそが、天皇のために命を捧げて英霊となった旧軍人の尊い思いを受け継ぎ、日本の平和を守るための強力な軍隊を作り国防精神を昂揚すべく力を尽くさねばならない」との誓いと読める。
軍隊でも戦力でもないはずの自衛隊が、天皇の軍隊である旧軍にかくも親近感をもち、かくも精神的な一体感をもっていたのかと、驚愕せざるを得ない。
79年前の夏、敗戦によって大日本帝国は消滅した。神権天皇も、陸海軍を統帥する大元帥としての天皇もなくなり、陸海軍も解散した。しかし、天皇制は清算されることなく残った。陸海軍の付属施設だった靖国神社も宗教法人として生き延びた。そして、さほどの時を経ることなく自衛隊が創設された。戦前の残滓の跳梁に警戒を要する事態となって、現在に至っている。
戦争の惨禍を経て、その反省の内に日本国憲法の原理に貫かれた、平和な民主主義国家が誕生した。しかし、面倒なことに、象徴天皇という異物が生き残り、宗教法人靖国神社制も残り、旧軍に似た自衛隊が誕生して、靖国と天皇、靖国と自衛隊の癒着に警戒しなければならない事態が生じているのだ。
戦前のままの精神構造をもった守旧派連中は、靖国の国家護持を求める運動を起こしたが挫折し、次に靖国神社への天皇・内閣総理大臣・国賓等の公式参拝要請運動を展開した。憲法改正運動と並ぶ、右翼・保守派の悲願となって今日に至っている。
靖国をめぐっては、永く保守とリベラルが反目を続けてきた。そして、ずいぶんの昔から、リベラルの運動体内部では、「靖国問題の本質は反戦にある。将来、戦争が近づけば靖国問題が喫緊の重要課題となる。戦死者をどう葬るべきかが浮上するからだ」と言ってきた。つまりは、ながらく「将来」の問題だった。
それが今、リアリティをもって語らなければならない事態となったということではないのか。自衛隊が戦争参加を覚悟すれば、戦死者をどのように葬り、追悼し、顕彰すべきか、その問題に直面せざるを得ないのだ。このところ急ピッチで報じられる、自衛隊と靖国との接触は、その新たな危険な事態の兆しと見なければなるまい。