「積極的平和主義」とは何か
本日、日民協の機関誌「法と民主主義」が届いた。特集は『「ブラック化」する労働法制』安倍政権が主唱する労働法制激変の凄まじさがよく分かる。ご注文は下記URLまで。
http://www.jdla.jp/
たまたま、同時に国際法律家協会の「Inter Jurist」(タイトルは横文字だが、本文は邦語)の最新号も届いた。この中に国連人権理事会が取り組んでいる「平和への権利」の小特集がある。平和を人権と構成する試みは、わが国の平和的生存権思想に端を発して、世界の潮流になろうとしている。今年末には、国連総会で「一人ひとりが平和のうちに生きることを、国家や国際社会に要求できる権利」を国際人権法とする決議が採択される見通しだという。例によって、日本はアメリカとともに、この決議に反対を表明しているとのことではあるが。
関心を惹かれたのは、一人ひとりに求める権利があるとされる「平和」の内実である。1969年以来世界の平和学が提唱している「積極的平和(Positive peace)」が目指されているという。
ノルウェーの平和研究者であるヨハン・ガルトゥング教授の名とともに語られる、「積極的平和」について、大田昌秀の要を得た解説がある。
『一般に平和とは何かと聞かれた場合に、すぐに思い浮かぶ答えは「戦争のない状態」と言えます。しかし、ガルトゥング教授は、戦争を「直接的な暴力」と規定した上で、戦争がないからと言ってわれわれの社会はけっして平和とは言えないとして、直接的な暴力に対し「構造的な暴力」ということばを対置しています。教授の言う構造的な暴力とは、偏見とか差別の存在、社会的公正を欠く状態、あるいは正義が行き届いていない状態、経済的収奪が行われている状態さらには、平均寿命の短さ、不平等などを意味します。ですから、今日の社会は至る所に平和でない状態、つまり構造的な暴力がはびこっていると言っても過言ではありません。したがって、ガルトゥング教授は、この構造的な暴力を改善していくのでなければ、本当の意味での平和は達成されないと述べているのです。
このように平和問題というのは、単に戦争の問題に限定されるのではなく、社会的偏見や差別の問題、政治的不公平の問題から男女間の不平等、経済的貧富の問題に至るまで広範、かつ多岐にわたるのです。したがって、それらの問題を解決して初めて言葉の真の意味での平和の創造が可能となるわけであります。
ちなみにガルトゥング教授は平和を実現するため、三つのPが必要だと述べています。第一にPeacemovement(平和運勤)、第二にPeaceresearch(平和研究)、第三にPoliticalparty(政党)の三つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立だないと説いているのです。」(「沖縄 平和の礎」岩波新書)
「平和運動」に関する次の部分も紹介しておきたい。
「戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。」
同じ言葉を使いながら、安倍晋三流「積極的平和主義」はまったく異なる思想の産物である。武装を強化し、軍事同盟を強固なものとすることによって「平和」を達成しようという考え。平和主義といえば、少なくとも軍縮と結びつく。しかし、安倍流では「積極的」と冠することによって、軍事力強化をもたらす「平和」に意味内容が変えられているのだ。軍事力によって維持される平和の危うさに思いをいたさざるを得ない。
迂遠なようでも、この世から「構造的な暴力」を廃絶することによって、真の意味の「積極的平和」の達成を求めるしか選択の道はないのだと思う。それは決して、ユートピア思想ではない。
(2014年6月26日)