そのカネが無償の愛のはずはない ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第35弾
毎日新聞の「仲畑流万能川柳」(略称「万柳」)欄、本日(2月10日)掲載の末尾18句目に
民意なら万柳(ここ)の投句でよくわかる(大阪 ださい治)
とある。まったくそのとおりだ。
その民意反映句として、第4句に目が留まった。
出すほうは賄賂のつもりだよ献金(富里 石橋勤)
思わず膝を打つ。まったくそのとおり。
過去の句を少し調べてみたら、次のようなものが見つかった。
献金も 平たく言えば 賄賂なり(日立 峰松清高)
献金が無償の愛のはずがない(久喜 宮本佳則)
超ケチな社長が献金する理由(白石 よねづ徹夜)
選に洩れた「没句供養」欄の
献金と賄賂の違い霧と靄(別府 吉四六)
という秀句も面白い。庶民感覚からは、疑いもなく「献金=賄賂」である。譲歩しても「献金≒賄賂」。
国語としての賄賂の語釈に優れたものが見あたらない。とりあえずは、面白くもおかしくもない広辞苑から、「不正な目的で贈る金品」としておこう。「アンダーテーブル」、「袖の下」、「にぎにぎ」という裏に隠れた語感が出ていないのが不満だが。
刑法の賄賂罪における「賄賂」とは、金品に限らない。「有形無形を問わず、いやしくも人の需要または欲望を満たすに足る一切の利益を包含する」という定義が大審院以来の定着した判例である。もちろん、「融資」や「貸付」も、「人の需要を満たすに足りる利益」として当然に賄賂たりうる。巨額、無担保、低利であればなおさらのことである。
DHCの吉田嘉明から、「みんなの党」の党首・渡辺喜美(当時)に渡ったカネは、吉田自身が手記に公表した限りで合計8億円。本当に貸したカネなのか呉れてやったカネではないのかはさて措くとしても、これが健全な庶民感覚に照らして「不正な目的で贈る金品」に当たること、「いやしくも人の需要または欲望を満たすに足る一切の利益」の範疇に含まれることは理の当然というべきだろう。
前述の各川柳子の言い回しを借りれば、この8億円は「出すほうは賄賂のつもりだよ」であり、「平たく言えば 賄賂なり」である。なぜならば、「出すカネが無償の愛のはずがない」のであって、「超ケチな社長が金を出す理由」は別のところにちゃんとある。結局は、「堂々と公表される無償の政治献金」と、「私益を求めてこっそり裏で授受される汚い賄賂」の違いは、その実態や当事者間の思惑において「霧と靄」の程度の差のものでしかない。これが社会の常識なのだ。
原告DHC側の完敗となった1月15日言い渡しの「DHC対折本弁護士」事件判決でも、このことが論じられている。少し詳しく書いておきたい。
原告は折本ブログの次の5個所を名誉毀損の記述と特定した。
?「報道によると,徳洲会の場合,東電病院に絡んだ話なんかもあったし,DHCについても,薬事法の規制に不満を待っていたという話もあるようだが,やはり,何らかの見返りを期待,いやいや,期待どころか,約束していたのではないかと疑いたくなるところだ。」(献金が無償の愛のはずがない)
?「常識的にみて,生き馬の目を抜くようなビジネスの世界でのし上がって来た叩き上げの商売人が,ただ単に政治家個人を応援する目的で多額の金を渡すということは考えにくいからなおさらだ。」(超ケチな社長が献金する理由)
?「おそらく,現実には,金をもらった時点でただの野党の党首にすぎない渡辺喜美については,職務権限という収賄罪の構成要件がクリアされないだろうから,この事件が贈収賄に発展する可能性は低いと思うが,それはそもそも,日本の贈賄罪,収賄罪の網掛けが不十分であり,また,構成要件が厳しすぎるからなのだ。」(献金も 平たく言えば 賄賂なり)
?「だが,ちょっとうがった見方をすれば,当時党勢が上げ潮だったみんなの党が選挙で躍進してキャスティングボードを握れば,政権与党と連立し,厚生労働省関係のポストを射止めて,薬事法関係の規制緩和をしてもらう,とまあ,その辺りを期待しての献金だった可能性だってないとはいえないだろう。」(出すほうは賄賂のつもりだよ献金)
?「まあ,本件については,まだまだわからない点もあるから,断定的なことはいえないが,実際,大企業の企業献金も含めて,かなりのものが何らかの見返りを求めてのものであり,そういった見返りを求めての献金は,実質的には『賄賂』だと思うのだ。」(献金と賄賂の違い霧と靄)
以上の折本ブログの記事について、原告DHC側は、次のとおりに主張した。
「原告吉田が,薬事法関係の規制緩和をしてもらうとの約束の下,渡辺に対して8億円を貸し付けたとの事実を摘示しており,この貸付けが何らかの見返りを求めてのものであって贈収賄の可能性があり,実質的には賄賂である旨の法律専門家である弁護士としての法的見解を表明するものであって,原告吉田の社会的評価を低下させている。」
判決は、この原告主張を一蹴して、次のように判示した。
「まず,本件記述?,?及び?は,本件金銭の交付の事実を前提として,薬事法関係の規制緩和をしてもらうとの約束の下で,又は見返りを期待して,本件金銭の交付がされたとの疑いを指摘するものであり,上記約束や見返りの存在を明示的に摘示するものでない。しかも,その記述の仕方や表現方法をみても,そのような疑いが,原告会社が薬事法の規制に不満があることや単に政治家個人を応援するという目的だけで多額の献金をすることは考え難いこと等の外形的な事情による被告の推測に基づくものであると読み取ることができ,また,本件各記述においては,『疑いたくなるところだ』,『可能性だってないとはいえないだろう』,『本件については,まだまだわからない点もあるから,断定的なことはいえないが』等の断定を避ける表現が繰り返し使用され,本件記述?と?の間には,政治思想を同じくする渡辺に協力する目的で原告吉田が献金した可能性にも言及されるなど原告吉田の主張に沿う見方も指摘されていること(甲2)からすれば,本件記述??及び?が,上記約束や見返りの存在について暗示的にも断定的に主張するものと認めることはできない。
「そうすると,被告は,弁護士ではあるものの,一私人にすぎず,本件金銭の交付に関して当時既に公表されていた情報以上を知る立場にないことも併せて考慮すれば,一般読者において,本件記述?,?及び?に記述された疑いは,推測に基づく,本件金銭の交付に対する被告による一つの見方が提示されたものとして読み取られるというべきであり,それを超えて上記約束や見返りの存在を断定的に主張するものとして読み取られるとは認められないのであるから,それによって,原告らの社会的評価が低下したと認めることはできない。」
「本件記述?は,上記約束や見返りの存否とは異なる職務権限の要件を理由にして,本件金銭の交付が贈収賄となる可能性が低いこと等を指摘するものであり,また,本件記述?は,見返りを求めてされる政治献金一般に対する被告の論評ないし意見を表明しているにすぎないところ,前記判示のとおり,本件記述?,?,?及び?が,原告ら主張に係る事実を摘示するものでないなどの前後の文脈も併せて考慮すれば,一般読者において,本件記述?及び?が,上記約束や見返りの存在を前提としているものとして読み取られると認めることはできない。」
「また,本件記述?及び?は,本件金銭の交付が贈収賄となる可能性を何ら指摘するものではないし,本件記述?での実質的に賄賂であるとの意見についても,飽くまで何らかの見返りを求めてされる政治献金一般に対して述べられたものであり,本件金銭の交付については,前記のとおり,規制緩和の約束や見返りという事実の存在を前提としていないのであるから,本件金銭の交付が実質的に賄賂であるとの意見が表明されているものとして読み取られると認めることもできない。」
「以上によれば,原告らの上記の主張は採用できない。」
判決は、当該言論の「公共性」「公益性」「真実(相当)性」など違法性阻却事由有無の議論に踏み込むことなく、「そもそも名誉毀損言論ではない」と切って捨てたのだ。これは言い渡し裁判所の見識というべきであろう。
判示の中で、最も重要で普遍性のある判断は、「被告(折本弁護士)が,本件金銭の交付に関して当時既に公表されていた情報以上を知る立場にないことも併せて考慮すれば,一般読者において,本件記述の『疑い』は,推測に基づく,本件金銭の交付に対する被告による一つの見方が提示されたものとして読み取られるというべきであり,それを超えて上記約束や見返りの存在を断定的に主張するものとして読み取られるとは認められない」「だから,原告らの社会的評価が低下したと認めることはできない」という説示部分である。
もちろん、「社会的評価が低下したと認めることはできない」とは、明示されてはいないものの「法的な救済を必要とするほどの」という限定が付されている。厳密な意味で、「折本ブログが何の社会的影響も与えるものではなかった」「原告にとって痛くも痒くもない」と言っているわけではない。
語尾を疑問形にしようと断定調にしようとも、論評は論評であり、「疑い」は一つの見方の提示以上のなにものでもない。それを法的に「社会的評価が低下した」とは言わないのだ。
だから、遠慮なく民意は語られてよいのだ。「出すほうは賄賂のつもりだよ献金」「献金も 平たく言えば 賄賂なり」と言って誰にも文句を言われる筋合いはない。なんと言っても、「献金が無償の愛のはずがない」のであり、「超ケチな社長が献金する理由」は見え見えで、「献金と賄賂の違い霧と靄」なのだから。
これを、目くじら立てて咎め立てするのは、やましいところあって、自分のことを貶められたかと心穏やかではいられないからなのではないか。不粋という以外に形容する言葉が見つからない。ましてや、スラップとして高額損害賠償の提起においてをやである。
なお、DHCと吉田は対折本弁護士事件判決を不服として控訴したとのこと。恥の上塗りを避けて控訴を断念し潔く負けを認めて謝罪することこそが、傷を浅く済ませる賢明な策だと思うのだが。
(2015年2月10日)