「家」制度の残滓を捨てきれなかった最高裁大法廷
昨日(12月16日)の「夫婦同姓強制規程違憲訴訟」大法廷判決は無念の極み。
多数意見は、「婚姻の制度を具体的にどう定めるかは、立法権に広く裁量が認められている。夫婦同姓を定める現行の制度はその裁量の範囲を超えて違憲とまでは言えない。」と言ったわけだ。
憲法24条2項の関係部分を抜粋して確認してみよう。
「婚姻及び家族に関する事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
つまりは、婚姻に関する法律の定めのキーワードは、「個人の尊厳」(憲法13条)と「両性の本質的平等」(同14条)だというのだ。民法750条の「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」という規定が、「個人の尊厳」(憲法13条)、「両性の本質的平等」(同14条)に違反していないか。憲法24条2項が命じる趣旨に違反していないか。それが裁判で問われ、大法廷は違反していないとお墨付きを与えた。
そもそも、どうして夫婦や家族は同姓でなくてはならないか。同姓は明らかに「家」制度の名残であり、その残滓を捨てきれないのだ。儒教は、卑近な家族道徳として家父長に対する「孝」を説き起こし、国家を家になぞらえて「忠」を説いた。おなじみの「修身・斉家・治国・平天下」(「大学」)。孝という家の秩序と、忠という国家の秩序との整合が求められた。孝の強調は忠のモデルとしてのものである。
家族の秩序を国の支配の秩序に拡大したのだから、家族の中に親子・夫婦の上下の秩序を確立することが必要だった。「父子親有り」「夫婦別有り」「長幼序有り」は、結局のところ「君臣義有り」に続くこととなる。家族の同姓は、その大前提としての役割を担った。
しかし、近代法は個人を権利義務の主体とする法秩序を形づくろうとする。個人の主体性の確立が大前提となる。そこで、明治時代に民法典論争があったときに、「民法出て忠孝滅ぶ」という名言が生まれた。このキャッチフレーズを産みだした「忠孝派」が勝って、ボアソナードが立案した家父長制をとらない旧民法は、せっかく制定・公布されたものの施行されないままに葬られた。
代わって編纂されたのが「忠孝派」の明治民法。戦後の大改定を経てはいるものの、夫婦同姓の制度は生き残って、明治以来の「家制度」を引きずっている。
教育勅語にも、次の一節がある。
「爾(なんじ)臣民 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し 朋友相信じ… 常に国憲を重んじ国法に遵ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし 是の如きは 独り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」
「常に国憲を重んじ」とは、天皇が国民に与えた欽定憲法の遵守を命じているのだ。「憲法とは、人民が君主の横暴を縛るために生まれた」「近代憲法とは、主権者国民が国政を預かる者に対する命令である」という考えの片鱗もない。その基本に、「家」があって、「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相和し」が据えられている。勅語は、臣民の忠孝の精神こそが、天皇をいただく我が国柄のすばらしさであり、教育の根源がここにある、と言っている。国家や社会の支配の秩序を受容する精神形成のための家族制度。その一端としての夫婦の同姓なのである。
こういう制度の温存にお墨付きを与えたのが、我が国の最高裁の司法消極主義。これに対しての、米連邦最高裁の積極姿勢には驚かされる。アメリカでは、婚姻の同姓問題ではなく、同性婚禁止の法律の違憲性が争われた。
アメリカには1996年成立の「婚姻防衛法」(Defense of Marriage Act)という連邦法があった。同性婚を認めがたいとする保守派の運動で成立した法律。「連邦政府は、婚姻を専らひとりの男性とひとりの女性の間に結ばれた法的結合と定義する。」という内容。仮に、ある州が同性婚を認めたとしても、婚姻防衛法によって連邦レベルでは婚姻の効果を認められない。他の州も、「同性間の関係を婚姻として扱う必要はない」という。そのため、「州法に基づいて適法に結婚した同性カップルも、国の様々な法律では婚姻関係にあると認められず、配偶者としてビザの発給や税金の控除などを受けることができなかった。」(朝日)という。
一昨年(13年)の6月26日、米連邦最高裁は、この「婚姻防衛法」を違憲とする判決を言い渡した。9人の裁判官の意見の分布は5対4。違憲判決により、米の各州法で認められた同性婚は異性間の婚姻と同じ扱いになる。
司法の役割について、消極主義を良しとする考え方もある。裁判官は民意を反映してその職にある者ではない。選挙の洗礼を受けて成立した議会や、大統領府あるいは内閣こそが、尊重すべき民意にもとづいて成立した機関である。民主々義の原則からは、司法は議会や行政府の判断を可能な限り尊重すべきで、軽々に違憲判断をすべきではないというのである。
その視点から見れば、今回の婚姻防衛法違憲判決は「わずか5人の判事が、下院435人、上院100人の決議を覆した」、「しかも、上下両院の議員は2億を超える有権者によって信任を受けた選良ではないか」と批判されよう。
しかし、議会や行政府は、時の多数派によって形成される。民主々義制度においては、多数派が権力となる。その立法や行政行為は、往々にして多数派の非寛容がもたらす少数者への抑圧となりかねない。権力による人権侵害が、民主々義の名において行われる。選挙による多数派形成の傲りこそが、もっとも危険な人権侵害を招くものと自戒されなければならない。
したがって、司法消極主義とは違憲審査権の行使に臆病なだけのことで、実は司法の職責の放棄であり、少数者の人権が侵害されていることの見殺しでしかない。米連邦最高裁は果敢に、よくぞその職責を果たしたというべきなのだ。
ひるがえって、我が国の最高裁大法廷は、昨日(12月16日)違憲審査権の行使に臆病なその性を露わにし、司法の職責を放棄した。少数者の人権侵害を見殺しにしたと言わざるを得ない。
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DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。
その第1回口頭弁論期日は、
クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。
また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から
東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月17 日・連続第991回)