上野の山の八重桜
『上野の山のこと』
上野の山はソメイヨシノが散って、あの賑わいは夢のよう。天気荒れ模様の予報もあって、人出が少ない。中国語、スペイン語、英語、サッパリ解らない言葉が飛び交っている。ソメイヨシノは終わってしまったけれど、それ以上に存在感のある八重桜が満開になって、外国からのお客様を歓迎している。
不忍池の周りには、濃い紅色の関山(カンザン)、クリーム色のポプコーンがはじけたような鬱金(ウコン)、枝の周りに薄いピンクの八重の花をびっしりつけたお掃除ブラシのような紅八重虎の尾(ベニヤエトラノオ)、ピンクの八重の花びらがバレー衣装のチュチュを思わせる紅華(コウカ)、薄ピンクの大きめの花びらの紅豊(ベニユタカ)などが咲いている。
ソメイヨシノの散ったあとの葉桜だってなかなかのものだ。色とりどりの花綵で囲まれた不忍池はあまりの晴れがましさに戸惑っている。
五條稲荷神社には、見上げるほどの大木の鬱金桜、目を見張るほど紅色が鮮やかな菊桃。 上野動物園の前には薄桃色の花かんざしで飾り立てたような一葉(イチヨウ)。
清水寺には秋色桜と固有名詞がついた枝垂れ桜。浮世絵模様を再現して枝を輪に仕立てた松の木はグロテスクで嫌みだけど、清水の舞台から見る不忍池の眺めも一見の価値がある。
鮮やかな黄色のヤマブキ、薄紫のシャガも花盛りだ。黄色から青にわたる若葉で煙っている新緑の美しさを表すぴったりした言葉を持たない自分の不勉強がじれったくなる。都会のど真ん中にこんな美しいところがあるのは奇跡のような気がする。今日はほんとうに出かけてきて良かった。
おまけに、路上に水で絵と文字を書いて、サービスしてくれている人にも出会えた。地描(ちびょう)アーティストと称していた。お客さんの方から見て解るように、向かって上の左の方から書き始める。すっきりした線描は世界中のお客さんの鑑賞に十分堪えるものだった。
最後に、「愛、命、夢」と書いて通じるものは「儚さ」とのこと。路上の水絵が跡形もなく蒸発するように、人と人が出会って別れるように、サクラや新緑の美しさのように。
またお会いできたらいいですねという言葉に微塵の偽りもない、一期一会。
その「地描アーティスト」氏とやや長話をした。聞けば、元は近県で小中学校の美術の教員だったとのこと。子どもと向かいあったまま、子どもの目線で理解できるように、ノートに逆さまに絵や字を書けるよう練習をしたことが、「地描」の起源だそうだ。管理職になって早期退職をしたが、「子どもと向かいあう教師が少なくなった」と嘆いておいでになる。
話が弾んで、私が東京の「日の丸・君が代」強制の話をしたら、打てば響くように率直な感想が返ってきた。「それは我慢をしなければならないんじゃありませんか。契約によって宣誓までして公務員になった以上は、良いとこばかりとるわけにはいかない。給料をもらっているのですから、嫌なことも我慢をして上司の命令には従わなければならないと思いますがね。従えないなら、別の職を見つけなければ」
さすがに元管理職としての意見ではあるが、社会のマジョリティの考え方を簡潔に集約した意見でもある。常識的な意見とも言えるだろう。特に悪意あっての意見ではない。むしろ、公務員としての採用を、契約関係として捉えているのはセンスがよい証拠。しかし、契約の対価関係にあるそれぞれの義務について詰めて考えた形跡はない。公務員としての採用時の宣誓について「嫌なことも我慢をして引き受ける」確認とお考えのようだった。
公務員の身分を契約関係として捉えた場合、教員側の契約上の義務は、法と条例と内規と職務命令にしたがって労務を提供することである。これと対価関係に立つ学校設立者側の義務は、規定に従って賃金を支払うこと、法に従った公平な処遇をすること、そして教員としての労働環境を整えること、であろう。
契約とは法が強制力を認める制度であるから、法の理念に反する契約は認められない。憲法遵守義務を負う当事者の契約に、憲法違反の義務はありえない。法に従った労務の提供義務として、思想・良心の自由を蹂躙する違憲の義務は想定し得ない。公務員は採用される際に、憲法遵守の宣誓をする。憲法違反の職務命令を遵守する義務までは負担しない。
なによりも、教員の職責は、子どもの教育を受ける権利に奉仕すべきものとしてある。職責を「教育者の本分」といっても差し支えなかろう。戦前と同様に、国家を尊貴なものとし、国家の言いなりになる子どもを育てるのが本分か。それとも、国家も間違いうる、国旗国歌の強制に服してはならない、とすることを身をもって範とすべきが本分か。臣民を育てるのか、主権者を育てるべきなのか。
教育のあり方を真面目にとらえ、子どもに向かい合い、寄り添おうとする教員ほど、「日の丸・君が代」強制の問題を深刻に考えざるを得ない。このような人々を教壇から追ってしまえば、従順な教員だけが残り、従順なだけの国民が育成されることになりはしないか。
そんなことを辛抱強く聞いていただいた。さしたる違和感はなかったご様子。最後に、またいくつかの絵の逆さ書きを見せていただいて、強風の中八重桜満開の上野の山をあとにした。