澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

中国の人権状況を憂うる

「中国 人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決」のニュースには、暗澹とせざるを得ない。中国よ、革命の理想はどこに追いやったのか。人権も民主主義も法の支配も捨て去ったというのか。野蛮の烙印を甘受しようというのか。

弱者の権利を擁護するために法があり、適正な法の執行のために司法制度がある。脆弱な国民の人権を擁護するために、司法の場で法を活用するのが本来の弁護士の役割である。「人権派」弁護士こそが、本物の弁護士である。

権力に屈せず、カネで転ばぬ「人権派」弁護士は、権力にとっても、体制内で甘い汁を吸っている経済的強者にとっても目障りな存在である。しかし、文明社会の約束事として、法の支配も人権派を含めた弁護士の存在も受け入れざるを得ない。

この文明社会の約束事を放擲して弁護士を弾圧すれば、野蛮の烙印を甘受しなければならない。野蛮極まる天皇制政府は、それをした。治安維持法違反で起訴された共産党員を弁護した良心的弁護士を、治安維持法違反(目的遂行寄与罪)で集団として逮捕し起訴して有罪とした。有罪となった弁護士は資格を剥奪されたが、残念なことに、時の弁護士会はこれに抗議をしなかった。

今、中国でリアルタイムに同じことが起こっている。人権保障のための最低限に必要な、法廷の公開や弁護権の保障もなされていない。

BBCの下記の記事が、怒りをもって事態をよく伝えている。

中国、人権派弁護士に4年6カ月の実刑判決  国家政権転覆罪で
https://www.bbc.com/japanese/47025148

中国・天津の裁判所は28日、人権派弁護士の王全璋氏(42)に国家政権転覆罪で4年6カ月の実刑判決を言い渡した。王氏は政治活動家や土地接収の被害者、政府が禁止している気功集団「法輪功」の信者を弁護していた。
2015年に中国政府が何百人もの弁護士や活動家を弾圧した際に逮捕されたが、昨年12月まで裁判が行われていなかった。
中国はここ数年、人権派弁護士の取り締まりを加速させている。
裁判所は王氏を国家政権転覆罪で有罪とし、「4年6カ月の禁錮刑のほか、5年間の政治的権利のはく奪」を言い渡した。
裁判は非公開で行われ、ジャーナリストや外国の外交官なども裁判所への立ち入りを禁止された。

「国連の恣意的勾留に関する作業部会では、王氏の勾留を恣意的なものと認定した。つまり国際法上では、王氏はまず起訴されるべきではなく、よってどんな判決も受けてはならないことになる」
また、人権団体アムネスティ・インターナショナルはこの裁判を「いかさま」と呼び、判決は「非常に不公正なものだ」と批判した。
アムネスティの中国研究員ドリアン・ラウ氏は「王全璋氏中国で、人権のために平和的に立ち上がったことで罰せられるのは許しがたい」と述べている。
2015年7月9日に起きたことから「709事件」と呼ばれている中国政府による弁護士弾圧は、習近平国家主席の政権下で反体制に対する不寛容が広がってきた兆候だと活動家たちは見ている。709事件では200人以上が拘束され、多くが懲役刑や執行猶予、禁錮刑などを科せられている。」

その記事の最後を締め括る、次の指摘には、背筋が寒くなる。

北京で取材するBBCのジョン・サドワース記者は、弁護士が今回有罪になったのは、共産党が支配する司法制度に中国の法律そのものを使って対抗しようとしたからだと指摘する。
「共産党は近年、態度を明示してきた。立憲主義や司法の独立といった概念は、危険な西洋式理想なのだという立場だ」、今回の判決も「ぞっとするようなその主張を補強するためのものだ」と解説している。

この解説は恐い。世界の経済大国であり軍事大国でもある中国が、文明とは隔絶した恐怖国家となるかも知れないというのだ。既に中国では、人権や、人権擁護のための立憲主義や権力分立、司法の独立などを無視した、むき出しの権力が暴走している。中国国内での批判が困難であれば、国際世論が批判しなければならない。我々も、できるだけのことをしなければならない。
(2019年1月31日)

労働契約の「偽装請負化」に厳正な対応を

昨夕(1月20日16:59配信)の朝日新聞デジタルの記事。ヤマハ英語教室の女性講師が労組結成 待遇改善求める」というタイトル。リードは次のとおりだ。

 楽器販売「ヤマハミュージックジャパン」(東京都)が運営する英語教室で働く講師の女性14人が労働組合をつくった。女性たちは契約上は個人事業者とされて社会保険などが適用されないが、「実態はヤマハ側の指示で働く労働者だ」として、直接雇用や社会保険の適用などの待遇改善を求める団体交渉を同社側に申し入れているという。

組合の名称は「ヤマハ英語講師ユニオン」。昨年12月6日に結成した。組合によると、講師は同社と1年更新の委任契約を結び、講師はレッスンを任される形式で働いている。契約上は個人事業者となるため、ヤマハが雇用した社員とは異なり社会保険が適用されず、残業手当や有給休暇などもないという。

女性たちは昨年8月、会社側に直接雇用などを求める要望書を提出。同社から明確な回答がないことから組合結成を決めた。全国約1500カ所の教室で約1400人いるとされる講師たちに加入を呼びかけ、ヤマハ側に待遇改善を求めていくという。

労働組合の結成は社会の進歩だ。立ち上がった講師たちの毅然とした姿勢に敬意を込めつつ祝意を表したい。

実態は従属性ある労働契約でありながら、形式上請負として、労働者に対する保護を僣脱しようという、きたないやり口は、いま流行りだ。社会全体としての労働運動にかつての勢いがないいま、労働者が侮られているのだ。安倍政権下、労働基準行政も厳格さを失っている。

私の法律事務所でも、同様の事件を受任している。下記のブログをご覧いただきたい。

今日は良い日だ。労働仮処分に勝利の決定。
(2017年5月8日・連続第1499回)
http://article9.jp/wordpress/?p=8528

 ……いま私の手許に、2通の労働仮処分の決定書がある。同じ使用者を「債務者」(仮処分事件では相手方をこう呼ぶ。本訴になれば被告にあたる呼称)とするもので、事実上の解雇を争い、同年2月以後の賃金の仮払いを求める内容。1件は、「毎月21万2000円を仮に支払え」という申立の全額が認められた。もう1件は、「毎月12万円を仮に支払え」という決定主文。この人は、別の収入があるのだから、仮払い金額としてはこれでよいだろうというもの。あとは本訴で勝ち取ればよいのだ。なによりも、決定の理由が素晴らしい。

この事件は、澤藤大河が弁護士として依頼を受け、方針を定め、申立書を作成し、疎明資料を集め、審尋を担当してきた。今年の正月明けの1月4日に、東京地裁労働部に賃金仮払いの仮処分を申し立て、事件番号が労働仮処分事件として今年の01番と02番の事件番号が付いた。その後、審尋期日に疎明を尽くし、裁判所は債権者(労働者)側の勝利を前提とした和解を提案したが、債務者の受け入れるところとならず、4月12日審尋を終えて、今日まで決定の通知を待っていたもの。

2人の労働者はアメリカ人でいずれもリベラルな知性派だが、日本語が堪能とは言えない。私もリベラルな知性派だが、英語が堪能とは言えない。会話はほとんどできない。依頼者とのコミュニケーションはもっぱら英語によらざるを得ないのだから、この事件は大河にまかせるしかない。私の出る幕はない。

2人の勤務先は都内に12のブランチをもつかなり大きな語学学校で、この2人は英語講師としてかなり長く働いてきた。その間、労働者であることに疑問の余地はないと考えてきた。使用者は、広告によって受講者を募集し、授業時間のコマ割りをきめ、定められた受講料のうちから、定められた講師の賃金を支払う。労働時間、就労場所、賃金額が定められている。これまでは、疑いもなく、労働契約関係との前提で、有給休暇の取得もあった。

ところが、経営主体となっている株式会社の経営者が交替すると、各講師との契約関係を、「労働契約」ではなく「業務委託契約」であると主張し始めた。そして、全講師に対して、新たな「業務委託契約書」に署名をするよう強要を始めた。この新契約書では有給休暇がなくなる。一年ごとの契約更新に際して、問答無用で解雇される恐れもある。

経営側が、「労働契約上の労働者」に対する要保護性を嫌い、保護に伴う負担を嫌って、業務請負を偽装する手法は今どきの流行りである。政権や財界は、労働形態の多様性という呪文で、正規労働者を減らし続けてきた。これも、その手法の主要な一端である。

法とは弱い立場の者を守るためにある。経済的な弱者を守るべきが社会法であり、その典型としての労働者保護法制である。本件のような、「請負偽装」を認めてしまっては労働者の権利の保護は画餅に帰すことになる。

本件の場合、講師の立場は極めて弱い。仕事の割り当ては経営者が作成する各コマのリストにしたがって行われる。受講者の指名にしたがったとするリストの作成権限は経営者の手に握られている。このリストに講師の名を登載してもらえなければ、授業の受持はなく、就労の機会を奪われて賃金の受給はできない。これは、解雇予告手当もないままの事実上の解雇である。やむなく、多くの講師が不本意な契約文書に署名を余儀なくされている。

しかも、外国籍の労働者には、就労先を確保することがビザ更新の条件として必要という特殊な事情もある。つまり、労働ビザでの滞在外国人労働者にとっては、解雇は滞在資格をも失いかねないことにもなるのだ。その学校での100人を超す外国人講師のほとんどが、契約の切り替えに憤ったが、多くは不本意なからもしたがわざるを得ない、となった。

それでも、中には経営者のやり口に憤り、「断乎署名を拒否する」という者が2人いた。「不当なことに屈してはならない」という気概に加えて、この2人は永住ビザをもつ立場だった。

この五分の魂をもった2人は大河の友人でもあった。大河は、友人の役に立てただけでなく、弁護士として労働者全体の利益のために貢献したことになる。この事件の争点は、2人の労働者性認定の可否だった。債権者側が提示したメルクマールをほぼ全て認めて、完膚なき勝利の決定となった。

明日には、債務者から任意に支払いを受けるか、あるいは強制執行をすることになるかが明確になる。本案訴訟の判決確定までフルコースの解雇訴訟となるも良し、早期解決も良しである。今日は実に良い日だ。
 (2017年5月8日・連続第1499回)

この事件、実はいまだに係争中である。この賃金仮払い仮処分決定の後、まずは強制執行せざるを得なかった。一度執行したあとは任意の支払いが続いている。また、賃金仮払い仮処分が命じられる期間は、現在の実務では1年の期間を限度とする。結局2度目の賃金仮払い仮処分決定を得て、現在は毎月2人分で合計40万円の支払いが継続している。

そして、本案訴訟が粛々と進行している。被告側が慌てて本訴での和解を申し入れるか、あるいは訴訟進行の促進をはかるかと思いきや、どちらでもなかった。次回1月31日、東京地裁民事14部での原告両名と被告代表者本人尋問で事実上の結審となる。本案訴訟の判決確定までフルコースの解雇訴訟となる確率が高い。本案判決が思わぬ結果となるはずはない。

2人の英語学校教師労働者(米国人)の、それぞれ2件の賃金仮払い仮処分決定。参考になろうかと思う。「ヤマハ英語講師ユニオン」からのご連絡があれば、郵送させていただく。
(2019年1月21日)

「浮気・不倫の慰謝料」請求に特化したビジネスモデルの問題点

昨日紹介した東京弁護士会の懲戒事例。昨日の記事は、この懲戒事案との対比で、スラップ受任弁護士に懲戒あってしかるべしとの内容。
 スラップ受任弁護士には遠慮なく懲戒請求を
  ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第146弾
http://article9.jp/wordpress/?p=11929
本日は、この懲戒事例がアディーレの業務における不祥事であることについての感想を記しておきたい。

この事件をTBSは次のとおり報道している。さすがにこれは分かりやすい。

 アディーレ法律事務所に所属する弁護士が慰謝料の支払いを請求した相手に不当な要求などをしていたとして、東京弁護士会は業務停止1か月の懲戒処分としました。
  東京弁護士会が業務停止1か月の懲戒処分にしたのは、東京・豊島区のアディーレ法律事務所に所属する吉岡一誠弁護士(31)です。
  東京弁護士会によりますと、吉岡弁護士は2016年8月に、女性から夫の不倫相手に慰謝料500万円を請求するための依頼を受けましたが、依頼を受けたことを告げる「受任通知」を不倫相手の女性に送らず、この女性の職場に何度も電話をかけるなどしたということです。不倫相手の女性は教員で、吉岡弁護士はこの女性に対して、「誠意が見られなければ教育委員会に通告することも検討している」などと伝えていました。
  弁護士会の調査に対して、吉岡弁護士は、「正当な弁護士活動だった」などと主張しているということです。

 懲戒を受けたこの若い弁護士は弁護士としての職業生活をアディーレ文化の中でスタートした。アディーレが集客した事件を、アディーレから配点されて、アディーレのスキームにしたがって、アディーレ流のスタイルで業務に従事して、懲戒をうけた。やや気の毒な側面を否定し得ない。

アディーレは払い金請求・債務整理」に特化した業務を行っていると思っていた私が迂闊。この件で、「浮気・不倫の慰謝料請求」も行っていることを知った。この業務が、過払い金請求とならんで定型化に馴染むものと考えてのことだろう。そのニーズを掘り起こすべく顧客誘引のネット広告を打っている。

「浮気・不倫の慰謝料問題なら弁護士法人アディーレ法律事務所」というサイトがあって、「解決事例」が列記されている。「このサプリを飲んで、こんなに元気になりました」を思わせる類の広告。例えば、こうだ。

 「不倫相手を懲らしめたい! 弁護士が強気で交渉して,慰謝料400万円を獲得!」「離婚を悩んでいるなら,まずは不倫相手に慰謝料請求。弁護士の交渉で100万円を獲得!」「夫が会社の部下と浮気。離婚を前提として弁護士が毅然と主張し慰謝料150万円を獲得!」

要するに、「浮気・不倫の慰謝料トラブルに関するご相談」に特化し、「400万円獲得!」「100万円を獲得!」「150万円を獲得!」と、獲得慰謝料金額を実績としてアピールしているのだ。

多面的な社会生活の一面の一部分を切りとってビジネスモデル化した「浮気・不倫の慰謝料請求」事件の受任。医療の現場では、「この医師は病気だけをみて、病人をみようとしない」が、批判の言葉となっている。開き直って弁護士が、「病気だけ」をみようというのだ。小さな患部の治療だけを専門にやります。その範囲をはみ出した面倒なことは一切いたしません、というわけだ。

そのこと自体は違法とも不当とも言いがたい。顧客の要請に応えていると言えば、確かにそうとも言える。そのようなニーズは確実に存在するだろう。しかし、どうしても、違和感をぬぐい得ない。手っ取り早く儲かりそうなところだけをビジネスにしているその姿勢に、である。

いずれは、弁護士業務の世界にも市場原理が持ち込まれる。弁護士もビジネスである以上は、人権だ社会正義だなど言ってはおられず、楽に金になる仕事を漁ることになるだろう。そう、「いずれは…」と語られていた事態が、「既に…」現実になっているのだ。

今回の若い弁護士の懲戒事案。私が違和感を拭えないとする弁護士ビジネスのありかたと深く関わっているものと考えざるをえない。アディーレがネットで宣伝している、「弁護士が強気で交渉し」「弁護士が毅然と主張する」という手法は、懲戒事案の「弁護士が、交渉相手を威迫し困惑させる」という手法と紙一重。手っ取り早く慰謝料を獲得しようというビジネスとしての姿勢が、相手方の言い分に十分に耳を傾けて社会的に妥当な解決に至ろうという弁護士本来のありかたに背反することになったものと推察される。

真っ当な弁護士なら、相手方の言い分にも十分に耳を傾ける。それが、妥当な解決の第一歩なのだ。ところが、弁護士業務をビジネスとしてだけとらえる弁護士には、そのような姿勢がない。例えば、スラップ弁護士。スラップ提訴は、提訴で威圧すること自体が目的なのだから、社会的に妥当な解決など眼中にない。そもそも適正妥当な請求金額という考え方がない。結局は、提訴者本人にも受任弁護士にも社会的な非難が集まることになって、提訴者の利益にはならない。

アディーレも同様。高額慰謝料額の請求や獲得をアピールするような、はしたないことは真っ当な弁護士はしないものなのだ。

ネットには、下記のような、法曹でない方からの感想もある。

若い弁護士は何を焦っているのでしょうか? 早く結果を求めるのでしょうか、大手の弁護士法人でもここまで焦って事件処理をする原因は何でしょうか、事務所から早い結果を求められる、売上を求められるのでしょうか? 勤務弁護士に対し毎月のノルマでもあるのでしょうか?

このような批判には、十分に耳を傾けるべきだろう。

なお、アディーレやこれに類似の弁護士からの請求を受けた方には、弁護士会へのご相談をお勧めする。真っ当な弁護士が法律相談に乗ってくれる。個人的対応で十分という判断もあろうし、個人での対応が難しければ受任弁護士の紹介もしてくれる。請求に威迫が伴っている場合には、弁護士懲戒の手続も教えてくれるはず。
ネット検索よりは、弁護士会を信頼することの方がずっと賢明な対応手段なのだ。
(2019年1月19日)

スラップ受任弁護士には遠慮なく懲戒請求を ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第146弾

日弁連機関誌「自由と正義」(月刊)には、巻末に全国52単位会の弁護士懲戒全例が掲載される。弁護士会の会員に対する懲戒権は弁護士自治の根幹を支えているものだから、その行使の適切に関心をもたねばならない。もちろん、我が身にまったく無縁なことでもない。読むに気の重いことではあるが、他山の石としても目を通さざるをえない。

数日前に届いた「自由と正義」1月号の、以下の記事が目にとまった。私にとって、これは注目に値する。

懲戒処分の公告

東京弁護士会がなした懲戒の処分について同会から以下の通り通知を受けたので、懲戒処分の公告及び公表等に関する規定第3条第1号の規定により公告する。
1 処分を受けた弁護士
  氏 名      吉岡一誠   
  登録番号     51064
  事務所      東京都豊島区東池袋3-1-1 サンシャイン60
           弁護士法人アデイーレ法律事務所    
2 処分の内容  業務停止1月
3 処分の理由の要旨  
被懲戒者は、2016年8月頃に被懲戒者の所属する弁護士法人AがBから受任した、懲戒請求者とBの夫Cとの不貞行為についての懲戒請求者に対する慰謝料請求事件についてその担当となった。被懲戒者はBとCとの婚姻関係が破綻に至っておらず、不貞行為を裏付ける証拠が弁護士法人Aが作成した定型的な書式に概括的に記入されたC名義の文書のみであり、懲戒請求者に否認されたときには慰謝料請求権の存否が問われかねないものであったところ、およそ判決では認容され難い500万円もの慰謝料を請求する目的で住民票上懲戒請求者が単身で居住していることを知りながらあえて受任通知を送付せず、同年9月15日から同月19日まで多数回懲戒請求者の携帯電話に電話して不安をあおり、さらに同月20日には懲戒請求者の勤務先に電話してその不安を高め、携帯電話の履歴から電話をしてきた懲戒請求者に対し、500万円もの高額の慰謝料を請求し、その交渉材料として懲戒請求者の人事等に関する権限を有する機関への通告を検討していることを伝えて畏怖困惑させ、これにより相当な慰謝料額よりも高い賠償金を支払わせようとした。
被懲戒者の上記行為は弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
4 処分が効力を生じた日 2018年10月15日
    2019年1月1日 日本弁護士連合会

 処分理由の要旨を読むには少し骨が折れるが、この弁護士は女性の依頼者(B)からの相談を受け、その夫(C)の浮気相手と思われる女性(懲戒請求者)を相手に何度も電話をかけて慰謝料の請求をした。この女性(懲戒請求者)は教員だった。交渉材料としたというのは、「教育委員会に通告を検討している」旨伝えたということ。請求金額は500万円だった。

東京弁護士会がこの弁護士を「業務停止1月」の懲戒とした理由を整理してみよう。
この弁護士の受任事務は、依頼者の夫(C)と相手方女性との不貞行為にもとづく、慰謝料請求である。それ自体に、違法も不当も、弁護士としての非行もない。
弁護士としての非行があったとされたのは、次の理由だ
 (1) 慰謝料請求の根拠は薄弱だった。
 (2) にもかかわらず、およそ判決では容認されがたい500万円もの高額の慰謝料を請求した。
 (3) 何度も相手側に電話を掛け、「教育委員会への通告を検討している」とまで言って脅した。

(1)と(2)とは相関関係にある。まとめれば、「当該の具体的状況においては、およそ判決では容認されがたい過大な金額の慰謝料を請求した。」ことが、弁護士としての非行の根拠とされている。

そして、もう一つの非行の根拠として、(3)の請求や交渉の態様の悪質さがある。

私(澤藤)は、DHCの会長である吉田嘉明から、慰謝料6000万円の請求を受けた。請求は、訴訟という形でのことだった。吉田嘉明からこの件を受任して提訴したのは、第二東京弁護士会の今村憲外2名の弁護士である。

同弁護士らが受任した件は、
 (1) 慰謝料請求の根拠は極めて薄弱だった(後に、敗訴が確定している)。
 (2) にもかかわらず、およそ判決では容認されがたい6000万円もの高額の慰謝料を請求した。
 (3) しかも、事前の交渉はまったくなく、いきなりの2000万円請求の提訴だった。これを被告(澤藤)が、当該の提訴自体がスラップ訴訟として違法なものだとブログで反撃を始めるや、今村憲らは直ちに2000万円の請求を6000万円に増額した。

どうだろうか。今村憲らのスラップ受任は、「弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。」と十分に言えるのではないだろうか。本来、躊躇なく、今村憲らを所属弁護士会に懲戒請求すべきだったのだと今にして思う。

スラップ訴訟とは、言論の自由を封殺しようという社会悪である。私が、吉田嘉明を批判したのは、典型的な政治的言論だつた。吉田嘉明が、渡辺喜美という政治家に、8億円もの巨額の裏金を渡して、金の力で政治を動かそうとしたことを批判したものだ。この批判を嫌って、言論を封殺しようとしたのが、DHCスラップ訴訟である。

吉田嘉明だけでは提訴はできない。こんな事件でも受任してくれる弁護士が必要なのだ。慰謝料請求の根拠は極めて薄弱で、勝訴の見込みがゼロに近いことは普通の弁護士なら分かることだ。いささかなりとも憲法感覚のある弁護士ならば、「吉田さん、およしなさい」「裁判なんかやったら、かえってあなたの立場が悪くなる」と諫めるべきだった。

にもかかわらず、今村憲外2名は、私を被告として提訴した。当初は2000万円の請求額、そしてその後には6000万円への請求の拡張。およそ判決では容認されがたいことが客観的に明らかな高額の慰謝料請求である。私の件を含め、同様のスラップは少なくとも10件あった。すべて、今村憲らが代理人として受任している。

スラップ防止の立法が困難だとすれば、スラップの提訴自体を違法とする損害賠償認容判決の積み重ねが有効だと考えてきた。しかし、スラップ受任弁護士の懲戒請求も有効ではないだろうか。結局のところ、スラップを違法という根拠は、民主主義社会における言論・表現の自由の価値に対する格別の尊重にある。それは、少なくとも弁護士会内では、十分に理解してもらえるものではないか。

裁判所にも、弁護士会にも問題を提起しつつ、商品市場ではスラップを常套とするDHCに不買運動で対応することが必要だと思う。
(2019年1月18日)

「DHC 私は買いません」 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第140弾

いつもカバンにくっつけているそれ。小さなポスターみたいなの。それなんなの?

ああ、これ。よく見てね。「DHC 私は買いません」っていう、ミニポスター。みんなに、「DHCの商品は買わないようにしましょう」って、宣伝して歩いているんだ。

DHCって、いっぱいコマーシャルをやってる、あの化粧品やサプリメントの会社でしょう。あの会社の商品を「買ってください」ではなくて、「買っちゃいけないっ」て宣伝しているの?

そう。DHCの商品はけっして買っちゃいけない。DHCを儲けさせちゃいけない。それが、世のため人のため。みんなのためになる。

へえ、そうなの。DHCって、何の頭文字?

ほら、ここに書いてある。
 D デマと
 H ヘイトの
 C カンパニー

そうなんだ。とっても面白い。だけど、ホントは違うんでしょう。

ホントは、「大学翻訳センター」の頭文字らしい。でも、デマとヘイトのカンパニーの方が、「名は体を表す」で本当っぽいよね。

DHCの商品、どうして買っちゃいけないの? デマとヘイトの会社だから?

うん、まずはデマとヘイトだ。
DHCは、沖縄への偏見をあおったテレビ番組「ニュース女子」の制作会社「DHCテレビ」の親会社なんだ。「DHCテレビ」の株式の100%をもっているし、代表者も同じ吉田嘉明という男。事実上、DHCテレビはDHCの一部門といってよい。
そのDHCテレビが、「沖縄で基地建設に反対している人たちの中には、数々の犯罪や不法行為を行っている人たちがある」と、取材もしないでウソをばらまき、お正月の娯楽番組であざ笑ったんだ。ゆるせないだろう!

「ニュース女子」のムチャクチャなデマ放送は有名になったから知っている。現地の取材もしないでウソの報道。あれが、DHCの仕業なら、「デマのD」は納得。「ヘイトのH」は?

DHCテレビは、「ニュース女子」以外でも、「虎ノ門ニュース」「放言Barリークス」などのネット番組で、沖縄や在日の人だちへの差別発言を繰り返しているんだ。DHC会長の吉田嘉明は、会社のホームページや産経のネットサイトで、在日の人たちを「日本の悪口ばっかり言っている似非(エセ)日本人」「母国に帰っていただきましょう」なんてヘイト発言を発信している。沖縄差別、在日差別で凝り固まっているんだね。

いまどき、そんな恥知らずなことを大っぴらに言う人がいるんだ。お灸を据えなくっちゃね。そんな会社だと知らずにDHCの商品を買うと、デマとヘイトを応援することになっちゃう。

そう。何も知らない消費者がDHCの宣伝に惑わされてその商品を買うと、そのカネが、沖縄や在日をバッシングするデマとヘイトの資金になる。

DHCの問題って、デマとヘイトだけ? ほかにはないの?

DHCと吉田嘉明はスラップ訴訟の常習犯だ。自分に都合の悪いことを言った人を相手に、やたらと裁判を起こすんだ。2000万円支払えとか、1億円支払えとか。私もやられた。6000万円支払えって裁判。

6000万円の請求はメチャクチャ。さぞかし、びっくりしたでしょうね。

最初の請求は2000万円だった。なんの前触れもなく、ある日突然に訴状が届いた。「私のブログの記事がDHCと吉田嘉明の名誉を毀損しているから、謝罪の上2000万円を支払え」という、まったくバカバカしい提訴。無性に腹が立ってしょうがなかった。

バカバカしいのに、腹を立てたの?

こんなわけの分からない汚い輩が、カネの力だけでエラそうにしていられるこの社会に腹を立てた。こんな汚い訴訟を引き受ける弁護士がいることにも腹を立てた。

バカバカしくても、腹が立っても、裁判には付き合わなければならないから、たいへんだったでしょうね。

私は弁護士だから、「ことは言論の自由に関わる」「こんな不当に屈してはいけない」「不当な提訴とは徹底して闘う」と決意した。で、「DHCスラップ訴訟を許さない」、というDHCと吉田嘉明を糺弾するシリーズを猛然と書き始めた。そしたらすぐに、2000万円の請求が6000万円に跳ね上がった。

へー。DHCと吉田嘉明会長は、「黙れ」「批判は許さない」という目的で提訴したことを認めたも同じじゃない?

私がDHC・吉田嘉明の批判を続けたら請求金額はどんどん増額されるかとも思ったが、さすがに吉田嘉明もあきらめた。そのあとの請求の拡張はなかった。DHC・吉田嘉明を批判する私のブログは、本日が140回目となる。

で、裁判は勝ったの?

私の代理人の弁護団は優秀でDHC・吉田嘉明を理論的に圧倒した。まったく勝負にならなかった。もともとDHCに勝ち目のある裁判ではなかったけど、嫌がらせが目的だから、DHC・吉田嘉明は、高裁・最高裁まで争って完敗した。DHCは判決では負けてばっかり。だけどそれでもかまわないんだ。「DHCを批判してみろ。すぐに裁判をかけるぞ。裁判やられたら面倒だろう。だから、DHCを批判するようなことを言うな」というわけだ。

じゃあ、裁判にまけても、DHCはへっちゃらなんだ。

だから、今、私が原告になって「反撃訴訟」をやっている。DHC・吉田嘉明がこんなムチャクチャな裁判を提起したこと自体が違法だという主張。来年(2019年)のうちには一審の判決が出る。

どんなブログが、6000万円の損害賠償請求の対象になったの? 読んでみたい。

これを見ると書いてある。「いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」
http://article9.jp/wordpress/?p=3036

DHC関係の私のブログは、下記のURLで全部読める。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

DHCや吉田嘉明の問題は、デマ・ヘイト・スラップということね。

まだある。吉田嘉明は渡辺喜美という政治家に8億円の裏金を渡している。その目的は、規制緩和のための政治を求めてのもの。これは、消費者問題に携わってきた私には、どうしても許せない。

分かった。デマ・ヘイト・スラップ・裏金・規制緩和、悪い会社だから徹底して抗議をしましょうってわけね。

そう。見解の相違とか、ものの見方が違う、などと言うレベルの問題ではない。DHC・吉田嘉明のやっていることは、民主主義の基本ルールを大きく逸脱している。だから、抗議というよりは、こんなとんでもない会社にお灸を据えようということ。心ある多くの人々がDHCの商品を買わないとなれば、DHCも反省しなけりゃならなくなる。DHCは商売で儲けた金を、公然とデマとヘイト、スラップ、政治家への裏金の資金にしている。その資金を断つことが民主主義のために有効だと思う。

フーン。選挙ではなく、どこの会社の商品を買うかの選択でも、世の中をよい方向にもっていくことができるんた。

沖縄の問題や、在日差別、スラップ、政治資金規正の話題が出てきたら、「ところでDHCの商品を買うのはやめましょう」「それにつけても、DHC私は買わない」と言ってね。

了解。私だって、民主主義が好き。表現の自由が好き。デマもヘイトも大嫌いだものね。もう、絶対にDHCの商品は買わない。
(2018年11月24日)

東京南部法律事務所創立50周年記念レセプション

昨夕(10月11日)、東京南部法律事務所創立50周年の記念レセプションが開かれた。大田区産業プラザのコンベンションホールを一杯にした大勢の人々の温かい祝意に包まれたよい会合だった。

私は、同事務所の創立メンバーではないが、弁護士としての職業生活をこの事務所でスタートして6年余を過ごした。先輩弁護士の誰からも手取り足取りの指導を受けた覚えはないが、当時の「南部事務所」風の活動スタイルを身につけたと思う。

不正や横暴には、依頼者と一緒に心底から怒る。そして、誰が相手でも、どんな困難な事態でも、けっして怯まない。あきらめない。それが、私の理解した東京南部の「作風」だった。昨日のレセプションで、その6年を思い出した。

東京南部法律事務所の創立は1968年4月のこと。大田と品川を自らの守備範囲と宣言した「地域事務所」だった。原始メンバーは、小池通雄・市来八郎・向武男・松井繁明の4弁護士と事務局員2人。小池・市来・向の3名は既に鬼籍に入っているが、現在の弁護士数は18名の大所帯とのこと。

私がこの法律事務所に参加したのは、1971年の4月。既に原始メンバーの外に、亀井時子・大川隆司・坂井興一・船尾徹が活躍していた。所員はいずれも若く、草創の活気に満ちていた。なによりも、地域の諸団体や労働組合との結び付きがこの上なく緊密なものとなっていた。私は、修習生のころ幾つかの法律事務所を見学して、この事務所を選択した。ここならやりがいがある、そう思ったのだ。

東京南部法律事務所は自身の歴史をこう説明している。

 当事務所が設立された当時の蒲田周辺の地域は、大小の町工場が肩を寄せあいひしめき合っている街でした。周りには弁護士事務所など全くなく、霞が関や新橋といった裁判所近くの法律事務所に相談に行く時間もないような大田地域で働く人々の権利と生活、営業を守るお手伝いをするため、そしてこの国の平和や民主主義擁護に少しでも役立てるようにと、設立されました。

 その後、糀谷地域の工場群が移転や倒産によって減少する一方で、羽田空港や都心へのアクセスが良い立地から、巨大な流通拠点が出現するに至りました。さらに近年では、研究所や電子・情報管理といった先端産業が多く立地しています。大田区としても人口が増えており、林立するマンションや高層団地、チェーン店や飲食産業関係が増えています。当事務所が設立されてから40数年。大田区の産業、町並みは様変わりしていることがわかります。

 私たちの取り扱い分野も年ごとに拡大しつつあり、羽田に近い立地による航空労働者の労働事件を始めとした数多くの労働者側労働事件や、患者側医療過誤事件など専門的に取り組む分野もありますが、民事・刑事・家事事件を幅広く取り扱っています。しかし、働く人々の権利と生活、営業を守るという私たちの基本的なスタンスに変わりはありません。

 私が、入所したころ、蒲田の周辺はまさしく「大小の町工場が肩を寄せあいひしめき合っている街」だった。工場に、空港に、タクシー会社に、流通部門に、多くの労働組合が生まれ、労働運動の活動力を誇る地域だった。

私が弁護士を志したのは、消極・積極二つの理由がある。
消極的理由は明確だった。自分に、官僚や企業人としての勤めができるとは思えなかった。さりとて、学問や文芸の分野で独り立ちできる才能はない。そのように自覚した者に、自由業としての弁護士は魅力的な生き方に思えた。
積極的理由の方は漠然としていた。漠然としたものではあったが、資本や権力と闘う生き方を思い描いていた。弁護士なら、資本や権力と闘う働きができるだろうと思えた。資本と対峙する場としては労働事件を、権力と対決する場としては政治弾圧事件が頭にあった。労働者とともに闘い、政治弾圧被害者とともに闘う弁護士というイメージ。当時の東京南部法律事務所はまさしくそのような場であった。

あれから半世紀。昨日のレセプションでお目にかかれた懐かしい人は少なかった。あの頃現場で一緒に闘った労組の幹部の皆さんは、今80代から90代。時代は変わっているのだ。往時茫々である。
(2018年10月12日)

49年前は「司法反動阻止」、今や「安倍改憲阻止」。

10月3日気の置けない友人弁護士10名余と函館に宿泊して旧交を温めた。49年前に司法修習同期をともにした同窓会である。「司法反動阻止」や「阪口君罷免撤回」の運動をともにした親しい仲間だけの集まり。

思いがけなくも、集合は立派な会議室だった。宴会の前にまずは「会議」のスケジュール。その議題は二つ。一つは、「森友事件告発」問題。そして、「安倍改憲阻止」の課題。

なぜ、森友事件関連の諸告発がいずれも起訴に至らなかったのか。どうしたら、検察審査会で起訴相当の決議を得ることができるか。有益な情報交換と議論が交わされた。

そして、「安倍改憲」の情勢をどう見るか。阻止の展望がもてるか。その阻止のために、われわれは何ができるか、何をなすべきか。大幅に時間を超過して宴会の開始が遅れた。

それぞれの近況報告が各自各様で面白い。求道者のごとく(ペイしない)仕事に没頭している者もいれば、仕事は妻と子に任せて主夫業専念者もいる。が、初心を忘れている者はない。今の共通の関心は、徹底してアベを叩くこと。アベを叩くことで改憲の危機を乗り越えなければならないということ。深夜まで久しぶりに青くさい議論が続いた。

宿は、湯の川温泉の立派な旅館だったが、ギョッとするものを見せられた。イヤでも見ざるを得ない場所に誇らしげに飾られた黄綬褒章の額装である。珍しいものでもなかろうが、私には初めて見る物。しげしげと眺めた。

この宿の経営者であろう者が、天皇から「褒められたシルシ」として与えられたリボンと賞状。「農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する者」に対して授与されるという「黄綬褒賞」。

芥川の「侏儒の言葉」の一節が思い起こされる。「わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」
私にも実際不思議である。なぜこの旅館主は、酒にも酔わずに、こんなオモチャをありがたがって受け取り、飾って人にまで見せることができるのであろう?  接客業者のあまりに無神経なオモテナシ。

褒賞授与状の主語は、「日本国天皇」であった。さすがに、今どき「朕」とは言わないのだ。
「日本国天皇は、某が××として、よく職務に精励したことについて黄綬褒章を授与する」という上から目線の、まことに素っ気ない文章。せめて、「あなたが永年職務に精励され多くの人に尽くされたことに敬意を表し、国民を代表してこの章を授与します」くらいのことが言えないのだろうか。もっとも、こんな物をもらってありがたがる者の支えあっての「象徴天皇制」なのだ。

御名すなわち明仁の署名はなく、国璽が押捺されていた。そして、内閣総理大臣安倍晋三と内閣府勲章局長の副書。

もらう人によっては有り難いのだろうが、こんな物を見せつけられて、私は不愉快。この宿には二度と来るまいと決意を固めた。

もう一泊、少人数で白老の虎杖が浜へ。こちらは、天皇も皇族も無関係。素晴らしい好天と、入り日と星空。そして、翌朝の水平線からの日の出。こちらのホテルは、大いにまた来ようという気になった。
(2018年10月7日)

私が出会った弁護士(その4) ― 戸田謙

戸田謙さんは、私が師事した弁護士である。本当にお世話になった。

私は1968年の司法試験に合格した。あれから、ちょうど50年になる。翌69年3月末に在学満6年の大学を中退して、翌4月最高裁司法研修所に第23期司法修習生として採用され、71年3月まで2年間の司法修習を受けた。そして、いわゆる「司法反動」真っ盛りの71年4月に司法研修を終了して弁護士になっている。

当時の司法修習は有給で、修習専念義務は当然のことと受け入れた。カリキュラムの過密を意識することはなく、現役の裁判官・検察官・弁護士から成る教官たちは、真摯で至極真っ当な法感覚の持ち主だった。その人たちが、後輩法曹をあるべき姿に育てるようとしている情熱に敬意をもった。

当時各年500人の司法修習生は、2年間の修習期間中に、どの分野に進むかどのような法曹になるかを十分に考る機会を与えられ、自主活動も活発で余裕のある2年間だった。

司法修習は、司法研修所に集合しての前期研修から始まり、その後1年6か月全国各地に分散しての実務修習を経て、再び司法研修所での後期研修で終了する。最後に、卒業試験に相当する「二回試験」の合格をもって、弁護士・裁判官・検察官の法曹資格を得ることになる。

私の実務修習地は東京だった。配属弁護士会は第二東京弁護士会。このとき、その後二弁会長となる戸田謙弁護士が私の修習指導担当となり、4か月間西新宿の戸田謙法律事務所に通った。たまたま、戸田さんも私も西武新宿線野方駅の近くに住んでいて、よくご自宅にお邪魔もした。

戸田さんを語るには、その容貌に触れざるを得ない。顔面に大きなケロイドあった。右手も左手も火傷の跡、指が十分に動くはずはなかった。大きな事故に遭遇した人であることが、一目瞭然であった。戦時、戸田さんは陸軍機のパイロットだった。浜松の陸軍飛行場で、終戦間際に乗機ごと炎上の事故に遭い、当然に死亡したものとして死体置き場に安置されて一晩を過ごしたという。翌日、息のあることが判明して治療を受け、一命を取り留めたと聞かされた。乗機の炎上が、戦闘による被弾だったか訓練中の事故によるものか、聞いたはずだが失念している。なにせ50年前のことだ。

奥様が、昔の写真を取り出して「事故の前は美男子だったのよ」と言っておられた。なるほど、そのとおりだった。戦後、復員した戸田さんは、東京帝大法学部に入学する。一見して負傷兵と分かる風貌は学内で目立つものだったようだ。ある授業の時に、教授が講義を中断して、戸田さんに負傷したときの様子を語らせた。そして、「将来は新生日本のために働きたい」という戸田さんの言に感動して、「今大学は、君のような学生が学問をするためにこそある」と言ってくれたという。

戸田さんは、卒業後弁護士となって、日教組弁護団員として活躍する。地方公務員労働組合のストライキに対する刑事罰からの解放や、教育権をめぐる訴訟にスポットライトが当たっていた時代のことだ。また、青年法律家協会の設立メンバーの一人にもなった。思想的には、日本社会党左派の支持者だった。そのせいもあってか、自由法曹団には縁がなかった。

労働事件だけでなく、行政事件も多く手がけておられたようだった。日教組弁護団員として各地の事件を受任していたのだから、当然に関連した依頼があったのだろう。何がきっかけだったか、「澤藤君、地方自治法の住民訴訟に、『怠りたる違法の確認』という訴訟形態があることを知っているかね」ときかれた。「いやまったく存じません。そもそも住民訴訟について殆ど何も知りません」。「地方自治法242条の住民訴訟の類型の中に、『怠りたる違法の確認』というものがある。めったに使われないが、おそらく私が始めて実務で使った。盛岡地裁でのことだ」と、楽しそうに話しをしてくれた。戸田さんの話は、いかにも受任事件を楽しんでいるという雰囲気に満ちていた。後年私は盛岡地裁で、岩手靖国訴訟を住民訴訟として闘うことになる。

戸田さんは、他のだれよりも早い時間に事務所に出て、独り起案をしていた。その訴状や準備書面・弁論要旨などは、独特の文体だった。「キミ、この件書いてみないかね」と言われて、いくつか書面の起案をしている。毎回、「キミは若いのに、えらく堅苦しい文章を書くんだね。研修所はそんな文章の書き方を教えているのかい」と、ご自分で書き直していた。戸田さんの文章は、自由闊達なのだ。「どうしたら、裁判官を説得できるか」だけが問題なのだという。

一度だけ褒められたことがある。戸田さんは、著名なペット雑誌の「ペットにまつわる法律相談」欄の連載を執筆していた。「こんな質問がある。澤藤君、書いてみないか」と言われて2編ほど書いた。私は学生時代に、原稿リライトのアルバイトを長くやっていた。依頼主の要望に沿った文章を所定の字数で書くことは苦にならなかった。私が書き上げた原稿は、ほぼそのまま雑誌の活字になった。「キミ、裁判所に出す文書以外なら、よいものを書けるじゃないか」というのが、お褒めの言葉だった。

その戸田さんが、1956年2月10日に、衆議院で参考人として意見を述べている。「公職選挙法改正に関する調査特別委員会」で、選挙運動の公正と自由について語っているのだ。肩書は、「日本教職員組合顧問・弁護士」である。その長い意見の冒頭だけを引用しておきたい。戸田さんらしい、明晰で分かり易い語り口の一端。

私は弁護士の戸田謙と申します。…日ごろわれわれ若い者が考えておる選挙というものに対する考え方を若干述べさせていただきまして、あと、そういう観点から、今日の改正案に対する部分的な意見を述べさせていただきたいと思います。
近年、金のかからない選挙とか、あるいは政界の浄化、腐敗の防止、こういうことが盛んに叫ばれ、これは国民の全世論であろうと私は考えております。しかし、それに沿った選挙法の改正というものがいつできるであろうか、私はいつもそういう観点からながめておりますが、今回の改正案を拝見させていただきますならば、それに一歩近づいたと見られる点もございますけれども、逆行したと思われる点もあると思うのであります。私が申すまでもなく、選挙というものは公正が第一の眼目でなければならないと思います。そのためには、選挙の運動その他の選挙の要素というものは、言論闘争一本、これに徹底できるような選挙法でなければならない。これが本来の理念であろうと思います。しかし、にわかにその段階に達し得ないといたしましても、その根本的な理念に沿った法律改正が進められるべきものであると考えます。民主主義を根本原則とする憲法、その憲法に基いて保障された政治に参加する権利、代表を選ぶ権利、こういうものを行使する権利並びに義務を持っている国民が、また憲法で保障しているところの言論の自由、表現の自由、思想の自由、そういう最大の基本的人権を駆使して、言論闘争一本によって選挙が完遂される、こういう時代が来ること、われわれとしては望んでおるわけであります。
そういう精神から考えますならば、選挙の手段としましては、言論闘争以外の要素は極力排除すべし、すなわち金力による選挙が行われやすいような法規は改正すべし、そういう基本理念によって法律が変えていかれなければ、いつまでたっても進歩はないと思います。そういう私の考え方を貫くならば、本来選挙の完全公営ということが理想であることは言うまでもありません。しかし、それは現段階では無理なのでありましょうが、そういう理念から考えますと、今回の細部の改正案を拝見しまして、いろいろ問題点があろうかと思います。…

私は本郷に転居して以来、近所の歯医者さんにお世話になっている。ある日、その歯医者さんが、「澤藤さん、戸田謙先生とお知り合いだそうですね」と言う。やや驚いたが、「戸田先生とは、同じカントリークラブでよく、一緒にコースをまわる仲なんですよ。」とのこと。そういえば、修習中に、「キミはゴルフをやらんのかね」と聞かれたことがある。「私はゴルフは嫌いです。自然破壊の最たるものですし、キャデイにバッグをかつがせて歩くという文化にもなじめない」と答えると、「そう、杓子定規に考えなくてもいいんじゃないか。ゴルフは面白いよ」とおっしゃる。

戸田謙さんは工夫と修練を重ね、あの障害を克服してゴルフを楽しんでおられた。ボウリングにも挑戦されていたという。脱帽するしかない。

いつか訪ねていかなくてはと思いつつ、その歯医者さんから、「実は、先日戸田先生が亡くなられました」と教えられた。逝去の日は、2005年3月26日。その後、その歯医者さんも亡くなられ、今はお嬢さんが跡を嗣いでいる。

戸田謙さんは私が師事した弁護士である。お世話になりながら、生前十分に御礼を述べる機会を失ったことか悔やまれてならない。
(2018年10月3日)

「なかば偶然にして、なかばは必然」ー弁護士と事件との関わり

弁護士人生、なかなかに味があり捨てがたい。最近、つくづくとその思いが強い。
自分の外に自分の主人を持つ必要はない。自分の生き方を自分で決めて、自分の責任で自分の流儀を貫くことができる。誰におもねることもないこの立場をありがたいと思う。私には、カネや権力や名声を得ようという過分な望みはない。最期までこの自由をこよなく愛し謳歌しようと思っている。

この、「自由業としての弁護士」という職能をつくり出したのは、近代市民社会のすばらしい知恵である。市民社会は、権力にも資本にも屈せず、弱者の人権擁護のために闘う専門家職能としての弁護士集団を必要としたのだ。芸術や文芸や学問の才能に恵まれない私にとって、いま享受している私の自由は、市民社会からの恩恵としてあるもの。だから私は、在野に徹して、権力や資本に抗い、社会的同調圧力にも妥協しないことで、社会の期待に応えなければならない。そう思い続けている。

弁護士になるときは、自由法曹団員弁護士となることを自覚的に選択した。そして、初心を忘れてはならない、などと自分に言い聞かせてもいた。しかし、あっという間に「初心を忘れない」などという心得は不要だと悟った。権力も資本も社会的多数派も、私に相談も依頼もしては来ないのだ。その対極にある、権力や資本に人権を蹂躙された者、少数派として排斥された者だけが、私を頼ってくれることになり、初心は自ずから貫かざるを得ない立場となった。こうして、精神衛生的に快適な健康状態を保っての45年が経過した。

結局のところ、弁護士のあり方は、依頼者と依頼事件が決めることになる。勝訴の事件ばかりではない。敗訴の事件もあれば不本意な和解終了事件もある。そのすべての事件と弁護士との結びつきは、なかばは偶然だが、なかばは必然である。

私は、東京南部法律事務所で「駆け出し時代」を過ごした。文字どおり、どこにでも駆け出して行った。ストライキやロックアウトの現場は大好きだった。しばしば団交にも参加した。労働組合結成のための学習会、弾圧事件の接見、警察への抗議行動、被解雇者と一緒に会社の門前での宣伝行動参加などに躊躇することはなかった。いくつものワクワクするような労働事件の受任の機会に恵まれた。今は昔の物語である。このとき、私の受任事件のすべては、南部事務所が地域からの信頼によって得たものだった。

その後、独立したとたんに依頼事件の質が変わった。労働事件は激減し、私の依頼者は、表現の自由であり、消費者の利益であり、患者の権利であり、政教分離であり、平和あるいは平和に生きる権利であり、教育を受ける権利であり、民主主義であり、行政の公正となった。決して、私の方から依頼者や事件を追いかけたものではない。すべて、なかば偶然に事件に関わらざるをえなくなったものだ。だが、事件との関わりにはなかば必然の要素もあったのだと思っている。

いまは、あちらこちらに駆け出していくだけの体力と気力に乏しい。かつてのようにいくつもの事件を受任するだけの余裕もない。が、弁護士として役に立つ限り、出会った事件と依頼者を大切に、誠実に仕事をしていきたい。

以上は、何年か前に、自由法曹団東京支部の通信に寄稿したもの。当ブログに再掲して、自分への戒めとして書き留めておきたい。
(2018年8月19日)

私が出会った弁護士(その3) ― 安達十郎

東京弁護士会の月刊機関誌を「LIBRA」(リブラ)という。公平の象徴である「天秤」の意味なのだそうだ。その「LIBRA」の最新号(2018年8月号)の会員消息欄に、安達十郎さんの訃報が掲載されていた。6月29日の逝去。享年93。弁護士登録番号は6336。謹んで哀悼の意を表する。

安達さんは、私が弁護士となったきっかけを作った方。おそらく安達さんご自身には記憶になかったろうが、50年以上も昔にこんなことがあった。

私は学生で、駒場寮という学生寮に居住していた。その「北寮3階・中国研究会」の部屋の記憶が鮮やかである。ペンキの匂いも覚えている。ある夜、その部屋の扉を叩いて、集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会をするから関心のある者は集まれ」ということだった。

白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。そして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。

当時、私は毎夜家庭教師のアルバイトをしており帰寮は遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した少人数の集会だったが、その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会も殆ど知らなかったころのことだ。

具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではない。しかし、初めて弁護士が受任事件について情熱をもって語るのを聞いた。安達さんの報告に好感を持ったのは確かなこと。私はその集会をきっかけに、国民救援会と接触し、札幌の白鳥事件の現地調査に参加し、山田さんに誘われて鹿地事件対策協議会の事務局を担当し、やがて弁護士を志すようになる。

弁護士を志す最初のきっかけが、安達弁護士と山田さんの、あの駒場寮での深夜の集会だった。そして、弁護士になるなら、当然自由法曹団に参加するものと決めていた。私が弁護士になったころ、安達さんは、池袋にあった青柳盛雄法律事務所(現・城北事務所)の番頭格の弁護士だった。蒲田の東京南部法律事務所の所員となった私が頻繁に接する人ではなかった。

私の同期で親しかった門屋征郎君が、青柳盛雄法律事務所に入所して安達さんから哲学や経済学の薫陶を受けたと聞いていた。しかし、私が安達さんに直接、学生時代こんなことがありました、とお話しする機会は最後までなかった。

安達さんは、自由法曹団東京支部の通信に、次のような一文を寄せている。飾らない人柄がよく出ているこの文章をご紹介して、故人を偲びたい。

1 私は昭和49年秋城北法律事務所を退所して、池袋に安達法律事務所を開き、いわゆる「個人団員」となった。
 その頃、個人団員は団活動から遠ざかり、事務所の経営に精力を集中するのが一般であったが、私は前と同じく団の市民部会(現「市民委員会」)に出席し、団活動を続けていた。
 弁護士というものは、「丸ビル」内に事務所を張って、大企業を顧客として収入をあげる極く少数の弁護士を除くと、あまり儲からない仕事である。団活動をやめて経営に集中したからといって、大きく収入が増えるというものではない。
 私は「個人団員」となって数年後、団市民部会に持ち込まれた千葉県松戸市の石材店組合の「所得税課税処分取消請求訴訟」を担当し、千葉地裁松戸支部の法廷で証人尋問をしていたことがあった。
 私はその日から数日後、私の尋問を傍聴していたある「病院経営者」からその経営する病院の法律顧問に就任して欲しい、との申出を受けた、この申出は、私の尋問技術ではなく、国家権力の不当な処分に立ち向かってゆく姿勢を評価してくれたものと思われる。
 私は病院の法律顧問に就任してから、ある造園業者を紹介され、その業者の法律顧問となった。
 自由法曹団での活動は、事務所の経営を圧迫するのではなく、かえって、市民の信頼を得ることによって、その経営にプラスすることもあるのである。

2 昭和53年頃から大型小売店舗(スーパー)が既存の商店街に進出し、その出店によって地域の小売業者が倒産するなどの大打撃を受けるようになった。
  団の市民部会所属の団員は幾度も団本部に集合し、地元商店会の役員、地域民主商工会の役員・事務局員などにも来てもらって対策を協議した。
  その結果、地元商店会の皆さんがスーパー進出に反対する旗印として掲げた「生業権」をスーパーの出店を制約する法理論として構成することが出来ないかとの問題提起があり、私がその理論構成の担当者にされた。
  私は、私の考えを「『生業権』試論」という論文に取りまとめ、「法と民主主義」(125号)に掲載してもらった。私は、商店会や民主商工会などから寄せられた資料に、私の乏しい法知識、経済学、経済哲学、倫理学などの知識を総動員して、「生業権」の理論構成を試みたが、出来上がったものは、現実にスーパーの出店を差し止める程の権利とまでは、いえなかった、しかし、この論文はある大学のある学部のゼミナールの教材として使用され、また、「法律時報」の1998年12月号でその要旨が紹介された。

3 私は、新自由主義経済の時代に入ってから自由法曹団の諸活動に関連して、この経済社会を批判する主張を「特別報告」としてとりまとめ、団の5月集会に提出したことが何回かあった。
  私の独自の主張を読む団員はいないだろうと思っていたが、意外にも、毎回いく人かの団員から、「面白かった」、「啓発された」というような感想を頂戴した。
 自由法曹団は、私にとって、まことに居甲斐のある団体である。

学生時代のあの日。駒場寮内の薄暗いあの部屋での集会に参加しなかったら、法学とは縁もゆかりもなかった私が弁護士を志すことは多分なかっただろう。弁護士になったとしても、「『丸ビル』内に事務所を張って、大企業を顧客として収入をあげる極く少数の弁護士」を志していたかも知れない。

多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。
(2018年8月13日)

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