澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

東弁講堂「日の丸撤去事件」の顛末

(2022年6月1日)
 私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。

 亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。

 坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。

 私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。

 その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。

 坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
 かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。

 その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。

 私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。

 そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。

 一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。

 もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。

 幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。

 このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。

 結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」 

 これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。

弁護団は、虎の尾を踏んだのか、はたまた窮鼠に噛まれたか。

(2022年2月7日)
 弁護士は、民事訴訟では当事者の訴訟代理人となり刑事事件では弁護人となって、相手方弁護士や検察官と対峙する。本来闘う相手は、相手方弁護士であり検察官であって、裁判官ではない。

 裁判官は、言わば行司役である。力士は行司と闘わない。あるいは採点競技の審判員。フィギュアのスケーターは審判員とは争わない。法廷における弁護士ないし弁護団にとっても、裁判官は節度をもって接すべき説得の対象であって闘う相手ではない。これが平常時のセオリーである。

 しかし、非常時となれば話は別だ。ときには口角泡を飛ばしても裁判所と対決しなければならないこともある。最近、あまり弁護団と裁判所の法廷内の厳しい衝突を聞かないが、1月28日(金)午後、東京地裁102号法廷において「非常時」出来の報に接した。

 2月5日赤旗の報道を引用する。「裁判官が突然退廷」「東京地裁 『弁論権侵害』原告ら会見」という見出し。この見出しどおりの、奇妙なことが起こった。奇妙なだけではなく、看過できない問題をはらんでいる。

 戦争法(安保法制)違憲訴訟は、現在全国の22地域に25件の事件が係属しており、その原告総数は7699名になるという。東京では3件の訴訟が提起され、その一つが、「安保法制違憲訴訟・女の会」の提訴事件。原告121人と弁護団の全員が女性だけの国家賠償請求訴訟。係属裁判所は、東京地裁民事6部(武藤貴明裁判長)。この訴訟で事件が起こった。当日の法廷は東京地裁102号。通常は刑事専用の「大法廷」である。

 原告と弁護団は4日、司法記者クラブで記者会見を開いた。会見での説明は、「口頭弁論の最中に裁判官たちが突然退廷したことで弁論権を侵害された」ということ。

 1月28日午後の口頭弁論期日では開廷後30分間、弁護士3人が更新弁論の陳述を行った。4人目の弁護士が発言しようと起立し、「今後の立証について…」と意見を述べ始めたところ、それを遮るように裁判長が右手を差し出し、陪席裁判官に目配せした上で後ろの扉から退廷した、という。

 このときに裁判長は何らかの発言をしたようだが、小声で聞き取れなかった。代理人弁護士が『裁判長に戻ってきていただきたい』と書記官に求めたところ、1時間以上も待たされて『裁判長は来ない。閉廷した』と告げられた。これが、閉廷までに生じた顛末の全てのようなのだ。ここまでは、裁判長の訴訟指揮の問題。しかし、より大きな問題が法廷外に生じていた。

 およそ2時間後、原告・弁護団・傍聴人が法廷を出ようとすると、廊下に警察官を含む数十人の警備要員と柵がバリケードのように配置されていた、という。その人数は、60人にも及んでいた。これは、懐かしいピケである。弁護団は民事6部に出向こうとしたが、このピケに阻まれた。弁護団は、原告らが移動できない状態で「威圧された」とし、この過剰警備の法的根拠を明らかにするよう求めている。 
 この事態は、裁判所の側から、非常事態のスイッチを入れたことを意味している。一見和やかに見える民事訴訟の審理だがそれは平常時でのこと。非常時には強権が顔を出す。

 法廷内では、裁判長は強い訴訟指揮権をもっている。場合によっては法廷警察権の行使も可能である。訴訟指揮の権限は民事訴訟法上のもの(同法148条)だが、法廷の威信を保ち法廷の秩序を維持するために、裁判所法(71条1項など)は法廷警察権を明記している。法廷において裁判所の職務の執行を妨げたり,不当な行状をする者に対して退廷を命じることなどができる。その権限行使にあたっては,廷吏のほか警察官の派出を要求することもできる。

 さらに、「法廷等の秩序維持に関する法律」(略称「法秩法」)というものがある。
 裁判官の面前で,裁判所がとった措置に従わなかったり,暴言,暴行,喧騒そのほか不穏当な言動で裁判所の職務執行を妨害したりした場合、直ちに20日以下の期間での「監置」を命じることができる。これは恐い。

 法廷の外で裁判所の敷地内では、司法行政当局の庁舎管理権が幅を利かせることになる。裁判所構内への横断幕やプラカード持ち込み禁止、シュプレヒコール禁止、撮影禁止、禁止、禁止…は、この当局による庁舎管理権の行使によるものである。しかし当日、警察を呼ばざるを得ないような警備の必要がどこにあったというのか。

 いうまでもなく司法とは権力の一部であり、司法作用も権力作用の一部ではある。だから、非常時には強力な実力行使が可能という制度は調えられている。とはいえ、文明が想定する民主主義国家の司法とは、国民の納得の上に成立するものでなければならない。軽々に非常時のスイッチを入れてはならない。裁判所も、司法行政も、そして在野法曹も。

 普段は猫のように見えても、非常時のスイッチが入れば司法は虎となり得る。うっかり虎の尾を踏むと監置にもなりかねない。警察と対峙せざるを得なくもなる。しかし、今回の事件、とうてい弁護団が不用意に虎の尾を踏んだようには見えない。

 むしろ、係属裁判所も東京地裁当局も、「安保法制違憲訴訟・女の会」とその弁護団を過剰に恐れた故の事件だったのはないだろうか。どうも、裁判所は虎でなく、猫ですらなく、鼠だったごとくである。過剰に弁護団に対する恐怖に駆られて窮鼠となり、猫を噛んだとの印象が強い。裁判長にお願いしたい。法廷では、もっとフランクに、代理人席にも傍聴席にもよく聞こえるように発語願いたい。そして、けっして強権が支配する裁判所にはしないように配慮していただきたい。今回のごとき無用の強権発動は、結局のところ、国民の司法に対する信頼を失わしめるものなのだから。 

まだ弁護士の世界は健全だ。弁護士会役員選挙のキャッチフレーズに見る安堵。

(2022年1月29日)
 日本弁護士連合会の会長選挙は2年に一度。現在その選挙の真っ最中で2月4日(金)が投開票日、1月31日から「不在者投票」が始まる。コロナ禍・第6波のさなかの選挙に「郵便投票」の制度はあるが、「遠隔、長期疾病等」に要件が限られ使い勝手は頗る悪い。もう、郵便投票は締め切られた。投票率に影響するかも知れない。

 立候補者は、受付順に下記の3名。どの候補者も、憲法問題や人権・民主主義、そして弁護士自治、司法権の独立などの基本課題について、それなりの見識を示している。「ともかく、弁護士会費を値下げしろ」「人権課題への取り組みをやめよ」「一切の政治課題とは手を切れ」「政財界と歩調を合わせろ」などという、乱暴な主張はない。

① 及川智志弁護士(51期・千葉県弁護士会)
② 小林元治弁護士(33期・東京弁護士会)
③ 髙中正彦弁護士(31期・東京弁護士会)

選挙公報における各候補者の公約は、下記の日弁連サイトで見ることができる。
https://www.nichibenren.or.jp/news/year/2022/220114.html

詳細な公約は、各候補者の公式ホームページをご覧いただきたい。
https://2022kobayashimotoji.com/
https://2022takanakamasahiko.jp/
https://oikawasatoshi2022.com/

そして、いつもながら大阪の山中理司弁護士のブログが、周辺情報を満載している。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2022/01/10/2022kaityousenkyo-rikkouhosha/

 もちろん、各候補者には、以下のようなそれぞれの独自色がある。
 (1) 弁護士人口はその需要に比して既に過飽和の事態にある。まずは、弁護士の増加に歯止めを掛けなければ、弁護士の経済的な逼迫の進行が人権課題への取り組みを不可能にする。その対策が喫緊の課題と強調する候補者。
 (2) 若手弁護士の業務支援への理解と実績を誇り、非弁対策問題、隣接士業との業際問題で、弁護士の利益を擁護してきたことを強調する候補者。
 (3) そして、立憲主義・平和主義と基本的人権の擁護を政策の第一に掲げる候補者。

 弁護士の使命は人権の擁護にあり、弁護士がその使命を果たすための制度的な保障として弁護士自治がある。弁護士が権力から独立し、民衆の側に立って、権力の暴走による民衆の自由や人権を擁護する活動のためには、弁護士自治が保障されなければならない。

 弁護士の自治は、けっして永遠不滅のものではない。保守政権にとっては、目の上のコブであるこの制度は、潰せるものなら潰してしまいたいに違いない。ちょうど、学問の自由が政権運営への桎梏であるように。

 日本学術会議を潰しにかかっている現政権である。折りあらば弁護士自治にも牙を剥くであろうことは、不思議ではない。だから、弁護士は国民からの信頼を勝ち得なければならない。その意味で、弁護士会の選挙は国民的な関心事でなければならない。

 全員加盟制の弁護士会である。だからこそ合意形成は難しいが、だからこその発言は法律専門家集団としての重みをもつことになる。

 私が所属する東京弁護士会の会長選・副会長選も始まっており、候補者からの選挙葉書が届いている。概ね、その言や良し、である。主要なキャッチフレーズとして、「憲法とともにある弁護士会に」「足もとの弁護士自治にかがやきを」「弁護士自治を堅持し、多様性を増進する」「人権と社会正義を実現する東弁」「憲法価値の尊重・人権問題への取り組み・弁護士自治の堅持」等々の言葉が並んでいる。

 このような理念の訴えが、まだ選挙公約として有効なのだ。この弁護士会全体の雰囲気を大切にしたいものと思う。弁護士会が理念を失って職能の利益団体と化すれば、たちまちにして国民の信頼を失うことになろう。それは、民主主義や人権にとっての由々しき事態。心したいものと思う。

私が出会った弁護士(その7) ― 後藤昌次郞

(2021年11月14日)
 自由法曹団本部からずしりと重い封書が届いた。中身は、B5版サイズで200頁を超す冊子。その表紙にこうある。

 2011~2020
 この10年に亡くなられた
 自由法曹団員を憶う

 自由法曹団は「ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」ことを標榜する弁護士だけの団体である。団は今年創立100周年を迎えた。この追悼集も数々の記念企画の一つである。この追悼集に収められたこの10年の物故団員は115名におよんでいる。

 懐かしい先輩団員の名前が並んでいる。私と同期の弁護士も、同じ事務所で机を並べて仕事をした人も。若くして亡くなった方も…。一人ひとりの追悼文が、それぞれに胸を打つ。

 その115名の冒頭にあるのが後藤昌次郞さん(2011年2月10日没・享年87)である。追悼の文章は鶴見祐策さんが書き下ろしている。いかにも鶴見さんらしい筆致で、真正面からの後藤昌次郞論。初めて知ることばかり。中に、こうある。弁護士の事件に対する向き合い方として、これ以上の讃辞はない。

「松川事件上告審弁論における弁護側の陳述は全部で37名の72項目にわたるが、そのうち10項目を後藤昌次郞さんが担当しておられる。『実行行為ー自白の誘導の破綻』『高橋被告の身体障碍』『任意性判断の羊頭狗肉』『虚構の経過とその破綻』『官憲の偽証を論ず』などだ。いずれも松川裁判の根幹にかかわる論点だが、原審の公判調書にインク消しによる改ざん(刑事訴訟規則59条違反)の痕跡が400箇所もあるとされる『公判調書の改ざん』も出色と思う。この指摘はご自身が膨大な公判調書を隅から隅まで克明に検討された事実を物語っている」

 後藤昌次郞って誰? という方には、下記の『法と民主主義』2005年6月号の連載インタビュー「とっておきの一枚」『草笛は野づらをわたり」(訪ね人 佐藤むつみ弁護士)をご覧いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/2005_06/06.html#totteoki

その記事での略歴紹介欄には簡潔に次のように記されている。
後藤昌次郎
1924年、岩手県北上市に生まれる。
1954年、東大法学部を経て弁護士。以後、松川・八海・青梅事件、日石・土田邸事件など多数のえん罪・弾圧事件に関わる。
1992年、東京弁護士会人権賞授賞

 私が後藤さんに親しみを感じているのは、後藤さんが黒沢尻(現北上市)の出身で、私の父と同じ旧制黒沢尻中学の後輩筋に当たるから。そして、湾岸戦争への戦費支出の差止を求めた「ピースナウ! 市民平和訴訟」での法廷活動を共にしたからでもある。

 私が先輩弁護士から後藤昌次郞の名を教えられたときには、その名は既に伝説の中にあった。「およそ名利と無縁で、弁護士としての仕事に妥協のない人。かつて、収入が乏しく、生活保護を受けながら弁護活動を行った。おそらくは、生活保護を受けた唯一の弁護士」というものだった。

 佐藤むつみインタビューでは、「医療扶助は受けたが、生活扶助は受けていない」ということのようだが、私が耳にした伝説はそれほど真実と懸け離れてもいないようだ。

 後藤さんの凄いところは、自分に対する毀誉褒貶をまったく気にするところがないこと。およそ、政治的な思惑で動くところはない。だから、誰とも等距離で付き合えるが、同時に政治性が足りない統一戦線的ではないと批判されたりもする。過激派と近いと陰口されたり、そんな事件に没頭する意義があるのかと揶揄されたりもする。しかし、人権擁護というものは政治性とは無縁であり、重要性の大小などあり得ない、というのが後藤さんの信念であったに違いない。その意味では、みごとな一典型としての弁護士であった。

以下、佐藤むつみが語る後藤昌次郞像である。

 草笛の音色はリリカルである。もう何十年も前になるが、後藤先生は四谷の住人だった。四谷税務署の裏にちょっとし公園がある。ジャングルジムやブランコがある公園の片隅で後藤先生は草笛を吹いていた。公園の低木の茂みごしに、小柄で痩身、両手を口元にあてちょっと前傾するような立ち姿が見えた。昼下がりの街、そこだけ不思議な野の風が吹いているようだった。かすかに草笛の音が聞こえた。弁護士になってまだ数年だった私は修習生時代に聞いた先生の逸話をふと思い出した。「孤高の刑事弁護人は生活保護を受けながら事件をやっていた」。弁護士ってこんな生き方ができるんだ。都会の真中、同じ町に先生がいる。なんだかうれしかった。

 当時先生は六〇代。大きな刑事事件を抱えて忙しい日々を送っていたに違いない。岩波新書の「冤罪」を発刊したのが一九七九年四月。私も読んだ。自分とは次元の違う弁護士、遠く仰ぎ見る人であった。二〇〇五年五月、このインタビュウをと思っていたそのとき、地下鉄丸の内線の最後尾の車両すぐ側に先生がいた。勇ましい白髪、野人の風格の先生。二〇年前と同じ野の風が吹く。先生は地下鉄の音で聞き取りにくいのか私の方に耳を傾けるようにする。「入れ歯にしたのでちょと」「このごろ物忘れが」などと言いながら私の強引な話に付き合ってくれる。「入れ歯でも草笛は吹けるんですか」思わず聞いてしまった。「それができるようになりました」よかった。

 後藤先生は今年八一歳になった。一九二四年、岩手県の県都盛岡から一二里、汽車で一時間の黒沢尻町で生まれた。長男、下に弟妹がいる。家は貧乏だった。父親は便利屋をやったり奥羽山脈の中の鉱山の守衛をやったりしながら家計を支えていた。小学一年で落第、いじめにあった屈辱をバネに、後日長男の昌次郎君にはえらく教育熱心でつきっきりで勉強をさせた。学校で一番にならないと「飯を食わせない」。昌次郎君はこれによく耐えた。小学校を終えると昌次郎君は憧れの地元旧制黒沢尻中学へ進学を希望。父は「授業料はタダだから師範学校に入れ」と反対。何とかという昌次郎君に「一番で入ったら入れてやる」。昌次郎君はがんばったが四番だった。夕飯の時「親父がちっちゃい皿に鮪の刺身を買ってきた。私の家は貧乏でしたから一週間に一度くらいしか魚なんていうのは食えない。まして鮪の刺身なんか食ったことがない。ところが親父が鮪の刺身を買ってきた。『おどっチャ、きょう何かあるのすか』と言った。『ナヌゥお祝いだじゃ、お祝い』」。

 昌次郎君は黒沢尻中学に無事入学。ところがスポーツ好きが高じて結核性の股関節のカリエスになってしまう。結核は当時死に至るおそろしい病だった。地元の病院で誤診され、誤った手術を受け、ろう孔ふさがらなくなってしまう。激痛に堪えかねて東北大学病院へ。言下にカリエスと診断される。「一生寝ていなくてはならない」との宣告。「父は私を助けるために、あやしげな民間療法にまで一縷の望みを託して、私のために文字どおり必死に尽くしてくれた。まもなく心労と過労で四三歳の若さで脳卒中で急死した」昌次郎君は父が亡くなる一月ほど前に混合感染を起こし膿がピタリぴたりと止まりろう孔もふさがってしまう。一〇人に一人に起こる不思議な現象に救われたのである。昌次郎君はそれでも寝たままであった。「父が死んで、私は長男として位牌を持って寺の葬式に臨まなくてはならない。おそるおそる立ち上がり、おそるおそる足を踏み出してみると、なんと悪い方の脚で立てるではないか。父の生きているうちにどうして思い切って立上ってみなかったろう」

 カリエスの病根を残したまま昌次郎君は二年遅れて中学にもどる。肉体労働のできない昌次郎君には就職口など無い。「とにかく学校に行って勉強するよりほかなかった」「軍国主義が華やかな時代」「上級学校も兵隊になれないようなやつ」は取らなかったのである。「日本に唯一つ、わが校は人間を養成する学校であって、兵隊を養成する学校ではない」と公然と言っていた旧制一高だけが入れる学校だった。校長は哲学者安倍能成。一高であれば寮に入って家庭教師のアルバイトをすれば仕送りが無くてもなんとかいける。母と弟妹に迷惑はかけるがこの道しかない。受験勉強に全力を傾注した昌次郎君は一高にトップで合格する。

 まずは文科で西田哲学を始める。いかに生きいかに死すべきかその答えを求めたが「一生懸命読めば読むほどわからない」。戦争に負けてみると西田哲学が砂上の楼閣のように思われる。本当の学問を求めて文科を中退し受験し直し理科に再入学する。ところが議論にまったくついていけない。後にフィールズ賞を受賞するような「特殊な天才」がいる。悪戦苦闘している数学の基本書を中学の夏休みに読んでしまったと言う不破哲三もいた。「寮にオルグに来ていた彼をつかまえて本当にわかっているのか聞いてみた。極めて明解に説明する。ボクはだめだと思いました」「常識でわかる学問」をやるしかない。

 後藤先生の弁護士の第一歩は東京合同である。ストレプトマイシンでカリエスを抑えながら使っていた股関節は弁護士になってまもなく「結核菌ですっかり腐食して手のつけ様がない」ことになってしまう。その時一年半医療保護と知人友人のカンパで食いつないでいた。これが「生活保護で刑事弁護」神話の真実である。そして後藤先生はまた代々木病院で奇跡にあう。無名の名医の関節固定手術によって「多くの人は私の跛行に気づかなかったほど」になる。

 「もしカリエスで脚が不自由とならなかったら、私は戦場で戦死し、妻と結ばれることも、愛する子らとこの星でめぐり会うことも無かっただろうこのありえたかもしれないもう一人の別の私の、かぎりない悲痛と孤独を思わなくては、あの戦争で生命を失った人々に対する冒涜となるだろう」と思い半世紀。八一歳になるまで後藤先生は多くの冤罪事件を闘い、刑事弁護人として法廷に立ち続けたのである。

 二〇〇五年一月先生は『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由「A少年」は犯人か』を発刊した。先生の渾身のこの書は「せいいっぱい書いたこの本が、A少年とご両親の目にふれますように」と結ばれている。冤罪を許さない気迫と限りないやさしさが切々と心打つ。

「野宿者に居宅保護を!弁護団」に、最大限の敬意を!

(2021年10月31日)
 日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭に、「ひと筆」というコラムがある。毎回、一人の会員(弁護士)のエッセイが掲載される。面白いこともあれば面白くもないこともあるが、その最近号(2021年10月号)の大阪弁護士会・小久保哲郎さんの「一筆」をご紹介したい。

 小久保さんは、労働弁護士としても生存権弁護士としても知られる人。その「ひと筆」のタイトルは「裁判所は生きていた」、生活保護基準引き下げを違法と断じた大阪地裁判決についてのエッセイである。ここには、自分を叱咤激励した先輩弁護士として、木村達也さんと尾藤廣喜さんの名が出てくるが割愛せぜるを得ない。全3節の内の第1節「1997年10月~申請書は”落とし物”?」だけを引用させていただく。

 弁護士になって3年目の1997年10月のことだった。先輩弁護士から振られて、日本最大の日雇い労働者の街であった釜ケ崎の支援団体の相談を受けた。当時、大阪の街では、駅舎、公園、道路と至るところにホームレスの人がいて、裁判所と弁護士会前の河川敷にもブルーシートのテント小屋がぎっしりと立ち並んでいた。
 「家がないんだから生活保護が受けられて当然」と思うのだが、当時は役所に行っても「家を借りてから来い」と理不尽なことを言われて追い返されていた。路上で行き倒れれば救急搬送されて入院中だけ生活保護が適用されるが、退院すればまた路上に放逐。後で知ったことだが、大阪だけで路上で死ぬ人が年間400人いると言われていた。
 「昔のようにアパートで暮らしたい」。退院を控えたホームレスのおばあさんの願いを聴いた支援団体の人が、生活保護法の条文を読み込み、手書きの「居宅保護変更申請書」をつくって一緒に役所に持っていった。すると、職員が受け取りを拒否し、押し問答のすえ、「どうしても置いて行くなら、落とし物として扱いますっ!」と宣言したという。ウソでしょ?と思ったか、録音を聞いたら本当にそう言っていた。
 当時の私は、生活保護法の「せ」の字も知らなかったので、社会保障に詳しい同期(47期)の友人に相談し、連名で代理人として抗議の内容証明を出した。慌ててとりなす電話か来ると思ったが来ない。こちらからかけてみたら、「先生は知らんと思うけど、生活保護は本人との話し合い。代理人とか言われても話すつもりはない」と言われた。弁護士にこの対応なら、「ホームレスのおっちゃんが一人で役所に行くと虫ケラのように扱われる」と支援者の人が言っていたのは本当だと思った。
 とんでもない「無法地帯」を発見してしまった。おっちゃんたちが声をあげられないのをいいことに、ヤクザや悪質業者ではない、公務員による権利侵害がまかり通っている。“戦闘モード”のスイッチが入った私は、毎日のように担当者や上司に電話をかけまくった。そのうち、大阪市本庁にプロジェクトチームかできて、そのおばあさんは病院からアパートへの転宅(敷金支給)が認められる弟1号になった。
 支援団体から次々と相談が持ちかけられるようになり、同期の友人ら5人で「野宿者に居宅保護を!弁護団」をたち上げた。皆で手分けをして、生活保護の申請に同行したり、代理人として審査請求を申し立てたり、野宿者から直接の居宅保護(敷金支給)を求める佐藤訴訟に取り組んだりした。そして、2000年12月の近畿弁護士会連合会人権擁護大会シンポジウム「ホームレス問題と人権」を皮切りに、弁護士会もホームレス問題や生活保護の問題に取り組むようになった。   
 

 この不合理な世の中の底辺で苦しんでいる人々に手を差し伸べる仕事が本来の弁護士の業務である。だが、ホームレスや生活保護受給申請者の権利を求める訴訟の法廷には、原告側だけでなく、被告の側にも弁護士が付いているのだ。労働問題でも消費者問題でも同様だ。もちろん、人権擁護派弁護士の報酬は薄く、人権切り捨て派の弁護士には厚い。これは、経済社会の合理性がしからしむるところ。

 その献身性、その意欲、その行動力に脱帽するしかない。とうてい私には真似ができない。ここに出て来る《同期の友人でたち上げた「野宿者に居宅保護を!弁護団」》の5人こそが、弁護士の鑑である。こういう人々が、社会の弁護士に対する信頼をつなぎ止めている。私もその恩恵に与っている者の一人だ。

 この小久保さんの「ひと筆」には、人権切り捨て派弁護士には味わいがたい、人権派弁護士ならではの生き甲斐や「弁護士冥利」が語られていて実に清々しい。ニューヨークのローファームでビジネス法務に携わりたいなどという俗物根性とはひと味もふた味も違うのだ。 

祝、自由法曹団創立100周年。

(2021年10月22日)
 本日、自由法曹団の創立100周年記念集会が開催された。
 団の結成は、1921年。大戦前における最大規模と言われる、神戸の川崎・三菱両造船所争議をきっかけにするものだった。当時、友愛会神戸連合会の指導のもとに、神戸の川崎・三菱の全工場がストライキにはいったが、軍隊の出動にまで及んだ弾圧によって争議は鎮圧された。このときに、調査にはいった弁護士団を核に自由法曹団は結成されている。その出自から、「闘う弁護士」の組織であった。

 広辞苑に、「大衆運動と結びつき、労働者・農民・勤労市民の権利の擁護伸張を旗じるしとする」と解説されているが、これでは不十分な紹介でしかない。何よりも、法的手段を駆使して権力と大資本に真っ向から闘うことをもって真骨頂としてきたのが自由法曹団なのだ。

 団は、戦前においては、天皇制権力の暴虐と闘った。多くの団員が治安維持法で弾圧された共産党員を弁護し、そのゆえに自らも治安維持法の弾圧に遭い、弁護士資格を剥奪されてもいる。この困難な、戦前の先輩団員弁護士として、山崎今朝弥・布施辰治・上村進・古屋貞雄・小岩井浄・近内金光・神道寛次・天野末治・桜井紀などの名を挙げることができる。

 大戦の進行とともに団は活動の逼塞を余儀なくされたが、戦後直ちに新生自由法曹団として復活した。以来、団は「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(規約2条)ことをスローガンとし実践してきた。

 戦後の団は、平和、民主主義と人民の生活と権利を守るため、憲法改悪、自衛隊の海外派兵、有事法制、教育基本法改悪、小選挙区制、労働法制改悪などに反対する活動を行ってきた。

 現代的な課題として、戦争法制(安保法制)など戦争する国づくりに反対する活動、秘密保護法に反対する活動、米軍普天間基地撤去を求め、辺野古新基地建設に反対する活動、議員定数削減に反対し、民意の反映する選挙制度を目指す活動、労働法制改悪に反対する活動、盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する活動、裁判員制度の改善と捜査の全面可視化を実現する活動、政教分離を確立する運動、思想・良心の自由を擁護する取り組み、東日本大震災と福島第一原発事故による被害者支援の取り組み、脱原発へ向けたとりくみなどを行っている。

 さらに団と団員は、松川事件を典型とする刑事弾圧事件とも闘ってきた。その流れは、布川事件、足利事件、袴田事件などのえん罪裁判に及んで成果を挙げている。

 そして今、団員の派遣労働者の派遣先企業への正社員化を求める裁判などの数々の労働裁判、生活保護受給を援助する取組、嘉手納爆音裁判などの基地訴訟、環境・公害裁判、税金裁判、消費者裁判などの様々な権利擁護闘争に取り組んでいる。日の丸・君が代強制反対のまた、国際的な法律家の連帯と交流の活動も行っている。

 現在、団員弁護士数は約2100名。全国すべての都道府県で活動しており、全国に41の団支部がある。現在の役員は、団長・吉田健一(32期)、幹事長・小賀坂徹(43期)、事務局長・平松真二郎(59期)である。

 青年法律家協会結成が戦後の1954年。日本民主法律家協会は1961年。当然のことだが、それぞれに結成の由来があり、それぞれに構成メンバーの属性も違う。一番老舗で、しかも闘う弁護士集団を標榜する自由法曹団の結成100年を祝したい。

 なお、日本民主法律家協会も今年が結成60周年となる。こちらは来月、祝賀集会を開催し、「法と民主主義」の特別号を発行する。

「私はA天皇の時代に生まれ、B天皇の時代に弁護士登録をし、C天皇の時代に立候補しました」と表示される大いなる違和感。

(2021年1月30日)
例年2月は弁護士会選挙の時期。だが、今年(2021年)は2年任期の日弁連会長選挙はない。そして、私の所属する単位弁護士会である東京弁護士会(会員数8700)も選挙がない。会長・副会長(定員6名)・常議員(定員80名)・監事(定員2名)の座を争って、華々しい選挙戦があってしかるべきだが、どこでどう調整がつくのか立候補者が定員で収まって選挙はなくなった。

本来であれば2月5日(金)が投開票である。勝れて理念的な存在である弁護士会には、弁護士のありかた、弁護士会のありかた、司法や司法行政のありかた、そしてこの社会の人権や民主主義のありかたについても、選挙を通じての熱い議論があってしかるべきだが、それがないのはややさびしい。

私は、弁護士のありかたは市民社会の関心事であるべきだと思っている。選挙戦における主張の応酬はできるだけお伝えしたいところだが、今年はそれができない。とは言え、東弁の選挙公報には、会長・副会長・監事各候補者のなかなか熱い公約が掲載されている。弁護士会、なかなかの水準だと思う。

今年の特徴として、多くの候補者がコロナ対策に触れている。コロナ禍にともなう会員の減収と会の財政問題にも。しかし、それだけにはとどまらない。弁護士自治の堅持、立憲主義の擁護、憲法価値の実現、人権の尊重、弱者の司法アクセス等々についての理念を語っている。

会長候補者は矢吹公敏氏。事実上の次期会長である。この人の所信(選挙公報に掲載した公約)は決して熱くはないが、真っ当と評価できよう。その一部を引用させていただく。

弁護士全体の課題への対応
(1)弁護士自治の充実を
 弁護士の自治は弁護士の独立を保障する制度です。この弁護士自治を守るために、法テラス、弁護士費用保険、法曹人口(特に、女性の法曹人口)、貸与制世代の会員などの課題に向き合っていかなければなりません。また、組織内弁護士の方々とも意見交換をしていく必要があります。さらに、会務も透明性があり、説明責任を果たせるような運営が求められます。

(2)司法の独立の中心となる活動を
 司法が市民からより信頼され司法の独立を守るために、裁判所や検察庁と、時に厳しい意見を率直に述べ合うためにもさらに相互に信頼関係を深めていく必要があります。また、弁護士会が掲げる政策の実現には、立法府や行政府とも連携する取り組みが大切だと考えます。

(3)市民とともに歩む活動を
 弁護士自治が弁護士法を通じて国民から負託されたものである限り、市民社会と連携する弁護士会でなければなりません。NGOなどとの協力も必要であり、またメディアへの適切かつ幅の広い対応も求められます。加えて、ジェンダー、LGBTQ、子ども、高齢者、障がい者の方々への法的サービスを欠かしてはなりません。
 また、市民社会が政府や経済界に対して監督的な役割を持てるように、市民社会の側に立ってその活動を支援する取り組みが必要です。例えば、ビジネスと人権にかかわる取り組みが考えられます。

(4)憲法的価値の維持と民主主義の堅持へ
 立憲民主主義は、我が国の憲法の拠って立つ礎です。加憲問題、憲法改正問題(改正手続規定に関するものを含む)、国家緊急権の問題など立憲主義にかかわる問題に積極的に意見を述べる必要があります。また、報道の自由や表現の自由など、民主主義の根幹にかかわる人権問題にも積極的に意見を述べていくべきです。

(5)法の支配の強化に向けた活動を
 我が国の法手続は他国に比して遅れている課題があると言われています。IT化を含む民事司法改革や弁護人の立会い権などの被疑者・被告人の権利拡充含む刑事司法改革など弁護士会が取り組むべき課題に積極的に関与していきたいと考えています。犯罪被害者支援の拡充(犯罪被害者の権利保障、被害者参加制度の拡充、損害回復手段や経済的支援制度の拡充等)もその一つです。

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もう一つ、東弁選挙公報についてのご報告を。

9名の立候補者が所信(公約)を寄せている。経歴の紹介を西暦表示だけで行っている人が8名。たった一人だけが、西暦表示を主として元号表示を括弧に入れている。いったい何のための西暦・元号併記なのだろうか。この人も、本文では全て西暦表示である。そろそろ、元号使用は廃絶されつつあるとの実感。

ところが、公的な場面となるとガラリと変わる。選挙公報の選管作成部分の記載は全部元号表示で統一されている。昭和・平成・令和、3元号混在の摩訶不思議の世界。それぞれの候補者が、「私はA天皇の時代に生まれ、B天皇の時代に弁護士登録をし、C天皇の時代に立候補しました」と表示されている。こういう愚劣な事態は一刻も早く止めようではないか。

木澤克之と加計孝太郎と安倍晋三と。ー 仲良きことは麗しいか?

(2020年11月18日)
昨日(11月17日)の毎日新聞夕刊が、「最高裁判事が高校生にオンライン講義 法曹の魅力伝える初の試み」という記事を掲載している。

「若い世代に法曹の仕事の魅力を伝えようと、最高裁の木澤克之判事(69)が16日、須磨学園高校(神戸市)の2年生400人に向けてオンラインで講義した。初の試みで、生徒らは「憲法の番人」と称される最高裁の判事の声に耳を傾けた。」

 最高裁と学校の教室をウェブ会議システムで結び、2016年に弁護士から最高裁判事に就任した木澤判事が約50分にわたって語り掛けて、こう言ったという。

「『社会のルールを巡るトラブルを一つ一つ解決するのが裁判の役目。ルールを安定させ、信頼できるものにするのが法律家の仕事』と解説した。『裁判官として一番大事にしていることは』との質問には『結論が正義にかなっているかどうか、よく考えること』と答えた。」

同じ言葉も、誰が言うかで印象は大いに異なる。ほかの判事がこう言えば無難な内容だが、この人が口にすれば大いにシラける。

彼は、1974年に立教大法学部を卒業し77年に弁護士登録をしている。東京弁護士会に所属し、東京弁護士会人事委員会委員長(念のためだが、人権委員会委員長ではない)や立教大学法科大学院教授などを務めたという。それだけなら、なんの問題もない、普通の弁護士。

この人、立教大学で、加計孝太郎という有名人と同級生だったという。その誼で、加計学園という学校法人の監事の役に就いた。これも、まあ、問題とするほどのことではなかろう。

よく知られているとおり、加計孝太郎には、安倍晋三という「腹心の友」がいた。木澤は、加計孝太郎に誘われて、安倍晋三とゴルフを楽しむ仲となった。こうして、加計を介して、「アベ・カケ・キザワ」の濃密な関係ができた、と思われる。濃密の評価は推測だが、少なくも、そう見られる状況ができた。これで、問題を孕むこととなった。もっとも、これだけならまだ問題は顕在化しない。

問題は、木澤克之が最高裁判事に任命されたことだ。任命したのは、もちろん安倍晋三である。これは、大問題ではないか。安倍晋三は、加計孝太郎のために、岩盤にドリルで穴をこじ開けて、加計学園が経営する大学の獣医学部開設に道を開いている。腹心の友のために、不可能を可能としたのだ。これが行政私物化と世の顰蹙を買ったアベノレガシーのひとつである。

その安倍晋三が、加計学園監事の弁護士を最高裁判事に任命したのだ。トモダチのトモダチの任命である。行政の私物化だけではない、司法の私物化ではないか。

この木澤という人、立教大学出身の初めての最高裁判事だという。周囲がその姿勢や人格を評価した結果であれば、その経歴は誇ってよい。しかし、オトモダチのお蔭で加計学園監事となり、オトモダチのオトモダチと懇意になっての、最高裁判事任命はいただけない。子どもたちの前で、正義を語る資格に疑問符が付く。

この人、既に前回(2017年10月)総選挙の際の最高裁裁判官国民審査を経ている。その際の、「最高裁判所裁判官国民審査公報」における経歴欄に、加計学園監事の経歴を掲載しなかったことが、話題となった。最高裁ホームページには、今も明記されているにもかかわらず、である。

私も東京弁護士会所属だが、この人のことは、最高裁判事就任まで知らなかった。知っての後は、とうてい「正義を語る人」のイメージではない。「有力な人、権力をもつ人に擦り寄って仲良くすれば世の中を上手に渡れますよ」と、子どもたちに「教訓」を垂れるにふさわしい人のイメージなのだ。大新聞が、無批判に木澤の行動を報じていることに、違和感を覚える。

「青法協・弁護士学者合同部会」設立50周年集会に阪口徳雄君の記念講演

(2020年9月17日)
「週刊金曜日」は、毎週木曜日に届けられる。本日(9月17日)、9月18日号が届いた。メインの記事は、菅新政権の下での「与野党対決新時代」。表紙に、「菅『アベのまま』政権の高笑い」の文字が踊る。

その号の「金曜アンテナ」欄に、《本田雅和・編集部》の署名記事がある。本田さん、朝日を退職されて金曜日の編集部に入られたのだ。今後の健筆を期待したい。

本田さんの記事のタイトルは、「青法協・弁護士学者合同部会設立50周年集会」「弾圧との闘い、次世代へ」とボルテージが高い。その一部を紹介させていただく。

 戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会が、9月4日、東京・神田で聞かれた。
 青法協に加入したり、賛同したりしていた裁判官志望の司法修習生への任官拒否が相次いでいたI971年4月の修習終了式で、「任官拒否された人たちの話も聞いてほしい」と発言しただけで「修習生の品位を辱めた」として罷免され、法曹資格を奪われた経験を持つ阪口徳雄弁護士(77歳)=大阪弁護士会=が語った。

 司法研修所教官が障害を持つ任官希望者に「君は(障害で)背が低いが、裁判官席に座ったら傍聴席から顔が見えるか」と発言したり、「裁判官に女性は要らない」との考え方で女性修習生へのさまざまな志望変更誘導が行なわれたりした。これらが阪口弁護士ら同期修習生の運動の中で明るみに出され、告発されていった。

 「裁判所がまだ古い風土にあったこともあるが、そこに戦前からの思想統制の体質をもつ石田和外という人物が最高裁長官に就任(69年)。直後から青法協脱退勧告などで会員を排除しようとする動きは強まった。法曹が憲法に基づき人権を守ろうとするのは自然な流れで、裁判官の中にも青法協会員は多かったからだ」と阪口氏は分析。法曹資格を取り戻し、弁護士になって以降は、政治家の「闇資金」の情報公開や大企業の「裏金」の追及に力をいれ、森友問題でも実績をあげた。

 あれから半世紀にもなるのだ。来年(2021年)4月5日が、阪口君罷免の23期司法修習終了式から、ちょうど50年になる。その終了式に、私も居合わせた一人だ。私は怒りに震えた。この体験が、私のその後の法曹としての生き方を決定した。必要なのは、裁判官の独立であって、司法官僚をのさばらせてはならない。そのために、「司法という権力」と対峙しなければならないのだ。

あの時代の空気も、あの日の出来事も、そして石田和外という人物についても、決して忘れることができない。石田和外については、当ブログでも何度か取りあげている。下記を参照されたい。

反動・石田和外最高裁長官が鍛えた23期司法修習の仲間たち
http://article9.jp/wordpress/?p=9471

石田和外とは ー 青いネズミの存在を許さなかったネコ
http://article9.jp/wordpress/?p=15254

私に法曹としての生き方を教えてくれた、反面教師・石田和外
http://article9.jp/wordpress/?p=11316

いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜
http://article9.jp/wordpress/?p=15372

ところで、本田さんの「戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会」という一文に、当時渦中にあった者としては、若干の違和感があって、一言しておきたい。

青年法律家協会の設立は1954年である。「憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した」のは、本田さんの筆のとおりである。設立発起人には、芦部信喜・潮見俊隆・加藤一郎・小林直樹・高柳信一・平野竜一・三ケ月章・藤田若雄・渡辺洋三などの名も見える。とうてい、尖鋭な政治団体などではあり得ない。

この青年法律家協会には裁判官部会があって活発な研究活動をしていた。それが、石田和外を領袖とする司法官僚体制から厳しい弾圧を受けることになる。これをレッドパージになぞらえて、ブルーパージと呼ばれた。その真の原因は、1960年代、とりわけその後半に積み重ねられた、リベラルな最高裁諸判決の傾向である。右翼がこれを攻撃し、自民党がこれに続いた。このとき、石田和外らは、裁判所・裁判官を外部勢力から護ろうとはしなかった。内部で呼応して、裁判所内のリベラル派追い落としをはかったのだ。

もともと、石田は治安維持法体制下の思想判事だった。戦後も、反共・反リベラルの思想を隠さなかった。退官後は天皇に忠誠な右翼として活動した人物である。69年11月には、最高裁内の局付判事補に対する青法協脱退工作を開始する。最高裁が、裁判官の思想・良心の自由や、結社の自由を侵害したのだ。1970年5月2日、石田和外最高裁長官は、恒例の憲法記念日に寄せた長官記者会見で、こう言っている。「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者が裁判官として行動するためには限界がありはしないか。少なくとも道義的には裁判の公正との関係でこれらの人たちは裁判官として一般国民から容認されないと思う」。

「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者」などというレッテルで、青法協裁判官を攻撃した。この青法協裁判官部会の切り崩しに対抗するための防衛措置として、同年7月の青法協総会は、青法協本体から、「裁判官部会」を規約上独立させた。そのことが同時に、「弁護士学者合同部会」と「司法修習生各期部会」を設立することとなったのだ。以来50年、ということになる。

石田和外は、権力的に裁判官を統制することに心血を注いだ。彼の裁判官統制は、表面的には成功したかに見える。しかし、作用あれば反作用がある。石田の所業は、多くの法曹や、ジャーナリストや、市民の反対運動を招くことになった。「司法の独立を守れ」という空前の市民運動が生じたのだ。

本田さんの記事のタイトルが、「弾圧との闘い、次世代へ」となっている。阪口徳雄君も、この日同席した梓澤和幸君も、そして私も、気持は元気だが、石田和外が没した齢を超えた。「次世代へ」語り継がねばならない。

死刑制度存廃の議論は、もっと真面目に、もっと真正面から。

(2020年9月15日)
9月24日、東京弁護士会が臨時総会を開く。その第2号議案が、「死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議」(案)の件である。

その趣旨は、「死刑制度廃止は望ましい方向だが、議論はまだ十分に煮詰まっていない。性急に廃止の結論を出す前に、まずは弁護士会として死刑執行停止を求める決議」を成立させようというもの。

死刑制度の存否は、刑事政策・司法制度の重要テーマである。倫理・哲学・死生観・社会観・刑罰の本質論、そして被害感情や死刑冤罪の防止等々から、深刻な議論が尽きない。

死刑廃止論も存置論もそれぞれが十分な根拠をもっていることを認め合わねばならない。が、そのうえで、死刑制度を存続させてよいのかを常に問い直さねばならない。そして、死刑制度の存廃について結論を出さねばならない。とりわけ、人権擁護を使命とする弁護士・弁護士会は、議論をすること、態度表明することを避けて通ることができない。

私は、死刑廃止論を強く支持する。人権尊重を第一義とする国家が、犯罪者であれ国民の生命を奪う制度を合法的に持てるとは思えないからである。被害者の人権が重要であることは当然である。しかし、加害者の生命を奪うことが、被害者人権尊重の唯一の手段だとはどうしても思えない。とりわけ、相次いだ死刑確定4事件(免田・財田川・松山・島田事件)の再審無罪判決以来、死刑廃止論の妥当性は私の確信となった。

盛岡に居たころ、松山事件の死刑囚だった松山幸夫さんが我が家を訪ねてこられたことがある。再審無罪判決の直後、母親のヒデさんとご一緒だった。短い時間だったが、「この人が、死刑台から生還された方か」と感無量だった。その以前、ヒデさんが仙台の街角に、息子の無実と再審無罪を訴えて一人立っていたのを、何度か見かけている。どんなにか、息子の「死刑判決」が辛かったことだろうか。

このとき、我が家の一員だった、30キロを超すチャウチャウが斎藤幸夫さんを熱烈歓迎して、その顔をなめまわした。30年近くも拘禁されていた斎藤さんが、なんとも上手に犬と楽しそうに遊んだことに驚いた。およそ「死刑囚」という印象とは縁遠い人柄。人なつっこく明るい印象だった。

弁護士なら、みな死刑廃止論かと言えば、決してそうではない。強い存置論がある。私は、死刑存置論者の主張にも敬意を払ってきた。が、いずれは死刑存置論は勢いを失うだろうと確信もしてきた。今、世界を見わたせば、文明社会の趨勢は明らかに死刑制度は廃止に向かっている。

世界の趨勢に比して、日本における廃止論の成熟は遅々としている。日弁連が廃止論をリードしていることをありがたいと思う。その日弁連の姿勢については、下記URLを参照されたい。

死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/criminal/deathpenalty.html

そのような最中、死刑存置論者のグループが、東弁の臨時総会に向けて「2号決議反対」のキャンペーンを始めた。私の事務所にも、「東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。」というビラが、郵送されている。ビラの内容は、後掲のとおりである。

死刑制度存置論を揶揄したり軽蔑する気持ちはさらさらない。しかし、このビラの内容が、全部とは言わないが、どうにも薄っぺらで浅薄なのだ。死刑制度存廃についてのこんな議論のしかたが、どうにも情けない。この郵送されたビラを見て、敢えて一言せざるを得ないという気持ちにさせられた。

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ビラで、まず引っかかったのは、次の一行。

「我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。」

「犯罪から国民・市民を守る」のは、第1次的には公権力の行使者である警察・検察や司法当局の役割であって、決して「我々弁護士」の役割ではない。「我々弁護士」は、公権力行使に逸脱がないかを厳正にチェックすることで、「権力から国民・市民の人権を守る」ことを本務とする。このビラを作ったグループには、弁護士とは異質な権力的な臭みを感じざるを得ない。

また、次の一節。

「私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。」

このビラを作ったグループにとっては、死刑制度廃止は「業務に支障あるのよねぇ。だから反対」というのだ。この議論のしかたは、弁護士としてあまりに志が低くはないか。人権や社会正義の視点から、考え直していただけないだろうか。

このビラの随所に出て来る以下の議論のしかたも、明らかにミスリードというべきであろう。真正面の死刑制度存廃の議論からは逃げていると指摘せざるを得ない。

強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ~。

会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。

問われているものは、純粋に「死刑制度存廃の当否」(今回の決議案では、「死刑執行停止の当否」)である。言うまでもなく、死刑制度の存否は国民の人権と深く関わる重大な問題である。だから、弁護士会が人権に関わる課題として、死刑制度に関して会則に則って「建議及び答申」をすることは、会の責務と言ってよい。これを「思想統一するような決議」「何が正義かを多数決で決める」と問題をすり替えてはならない。「強制加入団体が」「一部の意向で」と、ことさらに作為を凝らすのも真っ当な議論のしかたではない。成立した決議は、決して会員個人の思想と直接の対峙や軋轢を生じる関係にはない。もちろん、死刑の廃止は自分の個人的な思想や信念との深刻な衝突を来すという人もいるであろう。しかし反対に、死刑の存続こそが自分の個人的な思想信条との堪えがたい葛藤を来しているという人もいるのだ。個人的な思想や信念は、この局面では問題とならない。「死刑制度存廃の当否」を議論し決議することを「問題だわ~」と非難される筋合いはない。

さらに、「死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…」という主張。問題を客観視し全体像を眺める姿勢に欠けること甚だしい。

今、袴田巌さんとその姉の秀子さんのことをお考えいただきたい。あるいは、最高裁で8対7の1票差で死刑が確定した竹内景助さんのご遺族のことも。明らかに、「死刑存続運動を見るだけで傷つく」人もいるのだ。誰もが、人を傷つける活動に参加したくはない。しかし何もしないことも人を傷つけるのだ。死刑制度の存廃を論じることが避けて通れない以上は、単にひとつの局面だけに焦点を当てるのではなく、全体をよく見ての議論でなくてはならない。

下記も、不真面目で不見識な議論ではないか。

「東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?」「そんなに使ってんの!」

「弁護士会は、金がかかる人権問題に取り組むな」というメッセージである。人権擁護の使命を全うするために、ある程度の費用がかかることはやむを得ない、予算規模や決算については意見を述べて然るべきだが、こういう不真面目な議論の仕方はあらためなければならない。

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9/24臨時総会
やっぱり、東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。

未だに多くの凶悪犯罪があるのに、東弁の『総意』が死刑廃止って決めていいの?
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
「日弁連の要請があるから」で、決議しちゃっていいの?
死刑検討協議会が「意思統一できない」って言ってるのに無視していいの?

この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ~。

死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。
私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…東弁は、いろいろな立場の会員のことを考える、そういう寛容な会であって欲しいです。

関弁連アンケートで、廃止派の弁護士が46%ってハガキで見たけど、回答率は6%だって。死刑廃止に熱心な人はアンケートに答えるから、6%×46%=2.76%!! 大半がサイレントマジョリティなんだね。

私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。

東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?

そんなに使ってんの!しかも、コロナなのに臨時総会って不要不急だし!
やるべきことはもっと別にあるんじゃないの?

会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。誤判・えん罪は、絶対にあってはなりませんが、そのためにはえん罪の防止を検討すべきです(スーパーデュープロセス等)。

個々の事件での死刑量刑の適否と、制度としての死刑を廃止するかどうかは別問題であり、誤判・えん罪の問題は死刑廃止の論拠となりません。

執行部は、「日弁達の要請で、京都コングレスが開かれる今年決議したい。長々と時間をかけていられない」と述べ、昨年12月半ばに突然、関連委員会と会派に意見照会しました。
東弁の死刑制度検討協議会(死刑存廃を検討するために設置され、刑事系委員会から委員が選出されて設置された)は、この議案について「撤回されるべき」「賛否両論あり、統一的な回答はできない」と回答しており、他の委員会等からも同様の回答や、慎重な検討を求める回答が多くありました。
執行部は「多<の反対意見や慎重意見があることは承知している」と言いながら「全会員アンケートはとらない」と述べています。昨年決議した札幌弁護士会は、執行部が問題提起した後1年内に2度にわたり全会員アンケートを実施しています。なお、昭和56年の東京三会弁護士ァンケートでは60.4%が死刑存置。廃止は39.6%でした。また、弁護士会がどう対処すべきかについて、63.9%が「存置論、廃止論の両説のあることをふまえたうえで継続的にこの問題に取り組むべきである」との回答でした。
東弁が死刑廃止を表明するにつぃて、会内の適正な手続が踏まれ、議論が尽くされ、会内意見が一致団結してまとまったとはぃえません。なお、千葉県弁護士会では、総会決議が否決されました(今年2月)。今年3月にほぼ桔抗した票数で可決した埼玉弁護士会も、一昨年には否決されています。

国民・市民の8割以上は、死刑制度を存置する意見です。令和元年11月の調査は80.8%が賛成で前回調査(平成26年11月)から微増しました(終身刑※を導入した場合も同様)。「国民の理解が得られないのではないか」との質問に、執行部は具体的な回答ができず、これまでも国民の理解を得るための活動をしていません。理解が得られない意見表明は、国民一市民の反感を招き、弁護士自治を危険にさらします。執行部は、弁護士自治のリスクについて「そうならないと信じたい」と述べるだけで、何ら危機感をもっていません。あえて弁護士自治を危険にさらすよりも、我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。

弁護士会は、コロナウィルス感染症拡大に伴う諸問題、司法・訴訟制度の具体的な在り方や、法テラス扶助償還免除、法律事務独占に関する他士業際問題、東弁財政赤字削減、若手支援、谷間世代支援など、もっと他にやるべきことがあるはずです。

死刑廃止は国際的潮流と言われますが、死刑を廃止した国の中には、逮捕現場での犯人射殺が多数発生している国もあると言われています。日本がどのような刑事政策を採るかは、外国が決めるのではなく、国民が決めるべきです。

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