澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「りんと咲く 日の本一の 夫婦花」 - 泰典

「変装」とは、「変な装い」という意味ではない。他人の目から自分だと覚られぬように、別人を装うことである。昨日(3月6日)保釈されたゴーンが、マスクと作業服姿に身をやつした変装の意味が分からない。この奇妙な変装がもたらしたものは、この人案外にプライドのない人という印象のみ。

誰の進言なのかはどうでもよいことで、ゴーンが断れなかったはずはない。「私は私」「変装などあり得ない」と、なぜ言わなかったのだろう。堂々と、不当な長期勾留を受けた自分の素顔を曝すことで、検察権力と闘う闘志を見せればよかったのに。こそこそと身を隠した印象を残念に思う。

ゴーンはこの格差社会で、不当な利益を得ている階層を代表する人物である。多くの人からの搾取と収奪で財をなしている経済人の典型。しかもその性は傲岸不遜。社会的には指弾されて当然だが、権力に対峙すればやはり弱者でしかない。はからずも、長期の勾留を許す制度と闘う立場に立ったからには、姑息な策を弄せず、堂々としてもらいたい。

同じ日、大阪地裁の刑事法廷で、籠池泰典・諄子夫妻が、第1回公判の補助金詐欺事件の被告人席に着いた。この人の右翼的な思想や言動には辟易するが、臆するところなく堂々と権力に対峙しているところは評価せざるを得ない。報道では、紺色のスーツと金色のネクタイ姿だったという。作業服にマスクのゴーンとは雲泥の差。

この日、籠池は冒頭に自ら意見を述べている。「豊中の国有地が森友学園の学校敷地として大幅に値引きした価格で売却されたのは、官邸からの意向と忖度があったからだ」「補助金不正事件で自らが逮捕・起訴されたことは、国民の目をそらせるための別件逮捕」「口封じのための長期勾留だった」という批判。「安倍首相は自らの保身に舵を切った」とも指摘したという。一々もっともではないか。

この人、この日の入廷前に、メディアにサービスの一句を披露している。
「世直しの 息吹たちぬる 弥生かな」
句になっているかはともかく、この裁判を世直しの一歩にしようという心意気はよく表れている。もちろん、安倍が支配する今の世は歪んでいるという含意がある。自分の裁判を通じて、安倍政権の歪みを、真っ直ぐに糺そうというわけだ。

そして、長い意見陳述の最後を、また一句で締めくくった。
「りんと咲く 日の本一の 夫婦花」
句作のできばえではなく、安倍晋三・昭恵の夫妻に対する当てつけの心情をこそ読むべきである。かつては、右翼的信条をともにする仲間として、神風を吹かせてくれたのが安倍晋三と昭恵の夫妻。それが、いったん形勢利あらずと見るや、保身のために手のひらを返して仲間のはずの籠池夫妻を切り捨てたのだ。そのために、籠池夫妻は300日を越える勾留の憂き目を見ることになった。おそらくは、ハラワタが煮えくりかえる思いであろう。その思いを抑えてのサービスの一句なのだ。

籠池夫妻は、安倍晋三らの冷酷な仕打ちに負けることなく、300日を乗り切ったというプライドを堅持している。それを「りんと咲く」「日の本一」と表現した。夫婦の絆は、安倍夫妻とは比較にならずに強いと言いたいのだ。なるほど、そのとおりと頷かざるを得ない。

この日の安倍晋三のコメントは、報道に見あたらない。朝日によると、「菅義偉官房長官は首相官邸で開かれた午後4時過ぎの記者会見で、籠池氏の初公判について問われ、『個別の事件についてコメントは控えたい。ただ、あらゆる行政プロセスが公平、そして適切に行われるのは当然のことであり、今後ともこうした点に対して国民のみなさんの信頼が揺るぐことがないように取り組んでまいりたい』と語った。」という。

えっ? ホントはこうだろう。
「あらゆる行政プロセスが公平、そして適切に行われねばならないのは当然のことでありますが、安倍晋三の周囲では、不公平、不適切が際だっていることは否定しようもありません。しかしこれまで、こうした点に対して国民のみなさんには、極めて寛容にお目こぼしいただいてまいりました。国有地売却の値引き額が8億円なんて、些細な問題ではないか。総理大臣のオトモダチにそのくらいことは騒ぐほどのことはない。こうお考えいただいた結果、今日の安倍政権の安泰があるのです。今後とも、少々のことには目をつぶっていただくようお願いすることで、国民の皆様の安倍政権に対する盲目的信頼が揺らぐことがないように取り組んでまいりたいと思います」

森友問題の核心は、籠池夫妻の補助金詐欺疑惑にあるのではない。彼らが、「自分たちの起訴や長期勾留は、国民の目を暗ますための国策」と言うのは、まことにもっともなことなのだ。問題の核心は、国有地値引きの経過と動機と背景とにある。安倍晋三夫妻の口利き、少なくとも政権への官僚の忖度が、只同然の国有地払い下げになったのだ。これをどこまで暴くことができるか。それこそが、日本が真っ当な国家であるかの試金石である。

近畿財務局長をはじめとする担当者に対する背任罪告発が、事件の核心を暴き、政権を真正面から撃つものになる。告発案件は大阪検察審査会に係属している。その行方が、国民の最大関心事だ。検察審査会審査委員諸氏の勇気と見識に期待したい。
(2019年3月7日)

アベ曰く「9条改憲の必要性は、自衛官募集協力要請のためにあり」 ??

このところ、安倍晋三のやることなすこと叩かれっぱなし。トランプが大統領を続けておられるのも不思議だが、安倍内閣の支持率がそこそこ保って下がらないのはもっと不思議。この国は、もはや真っ当さを失いつつあるのではないか。

まず、2月13日の毎日新聞社説を紹介しよう。表題が、首相の自衛官募集発言 事実の歪曲で憲法語るな」。最初の書き出しが良い。「また安倍晋三首相が憲法に関して奇妙なことを言い始めた。自衛官募集に協力しない自治体があるから憲法改正が必要だという論理だ。」

首相は自民党大会の演説で「新規隊員募集に対して都道府県の6割以上が協力を拒否している」と語り、「憲法にしっかりと自衛隊と明記して違憲論争に終止符を打とうではありませんか」と呼びかけた。
 「都道府県の6割以上」というのは間違いだ。自衛官募集に使うため18歳など適齢者の名簿提供を求める対象は全国の市区町村だからだ。首相も国会で発言を修正した。…自衛隊は9割の市区町村から個人情報の提供を受けていることになる。首相の言う「協力を拒否」は事実を歪曲している。
 首相発言について石破茂元防衛相は「憲法違反なので募集に協力しないと言った自治体は寡聞にして知らない」と語った。自衛隊を憲法に明記したら自治体の協力が進むかのような首相の主張は詭弁に等しい。
 首相はこれまでも「憲法学者の7割以上が自衛隊を違憲と言っている」ことを改憲理由に挙げてきた。事実関係のあやふやな根拠を立てて情緒に訴える論法は今回も同じだ。一国の首相が事実をねじ曲げて憲法を語るべきではない。

翌、2月14日の朝日社説(抜粋)もほぼ同旨。
「自衛官募集 改憲の理由にはならぬ」というもの。この見出しは良い。ずばりの問題点指摘となっている。

 自衛官募集に自治体の協力が得られないから、憲法9条に自衛隊の明記が必要だ―。今年に入って安倍首相が言い出した改憲の根拠は、事実を歪曲し、論理も破綻している。首相の改憲論の底の浅さを、改めて示したと言うほかない。

 首相は先の国会答弁や自民党大会での演説で、9条改正に関連し、自治体の6割以上が自衛官募集への協力を拒否していると強調した。しかし、これは明らかに事実に反する。
 首相はまた、災害時に自衛隊が救援活動を行っていることを引き合いに、自治体の「非協力」を非難した。災害派遣を受けるなら募集活動に協力しろと言わんばかりだ。不見識きわまりない。自衛官募集のために改憲をというのは飛躍がありすぎる。
 9条は戦後日本の平和主義の根幹をなす。その重みを踏まえた熟慮の跡もなく、事実をねじ曲げる軽々しい改憲論は、いい加減に慎むべきだ。

同日の東京新聞社説も引用しておきたい。タイトルは、「首相自衛隊発言 事実曲げ改憲説くとは」

安倍晋三首相は自民党大会で、党総裁として憲法9条改正に重ねて意欲を示したが、その理由に挙げた自衛官募集を巡る発言は事実誤認だ。いくら党の「悲願」とはいえ、事実を曲げてはならない。……憲法に自衛隊の存在が明記されていないから自治体が隊員募集に協力しない、自衛隊の存在が明記されれば自衛官の募集も円滑に行われる、という論法である。

東京新聞社説は、「違憲を理由に協力を拒む自治体はほぼ存在しないことになる。」「誤った事実に基づいて改憲を主張するようなことが許されていいのか。」「改憲しなければ国民の権利や平穏な暮らしが守れない、という立法事実がないから、理由にならない理由をひねり出しているのではないか。」と述べ、最後はこう結ばれている。節度ある防衛力を整備するためにも自衛官の確保は課題だが、事実を曲げてまで、悲願の改憲に結び付けるような言動は厳に慎むべきである。」

朝日が言う「今年に入って安倍首相が言い出した改憲の根拠は、事実を歪曲し、論理も破綻している。首相の改憲論の底の浅さを、改めて示したと言うほかない。」がすべてを物語っていると言って良い。

但し、問題は「自治体が自衛隊の隊員募集に協力しているのかいないのか」にあるのではない。憲法とは、国の基本構造の設計図である。改憲とは、とりわけ9条改憲は、安倍晋三の言うがごとき、些細なみみっちい理由で提起されるべき問題ではない。

むしろ、安倍発言が明らかにした問題点は、自衛隊が9割の市区町村から個人情報の提供を受けているという事実である。唖然とせざるを得ない。

本日(2月16日)の赤旗、「自民党の自衛官募集“圧力”」「地方議会抑え込み狙う」「安倍発言を後押し」「沖縄2紙示し」という記事によれば、

自民党文書に添付されていたのは、琉球新報と沖縄タイムスが2015年10月と12月に報じた四つの記事です。琉球新報は同10月に、沖縄市と宜野湾市が、自衛隊の求めに応じて、住民基本台帳から18~27歳未満の約2万4000人分の氏名、生年月日、住所、性別を本人の同意を得ずに提供したと報道。沖縄タイムスは、同12月に両市が市議会で追及をうけ、「市民に不安を与えた」(沖縄市)「配慮不足だった」(宜野湾市)と謝罪したことを報じています。

自分の個人情報を、知らぬ間に自衛隊に流れされたら、これは一大事ではないか。市が謝罪して当然だろう。ところが、これが自民党には面白くない。

自民党が14日に党所属国会議員に配布した文書では、「一部の地方議会においては、左派系会派からの要求に応じて、法令に基づき募集対象者情報の提供を行った行政側が謝罪を行う事態にまで発展しており、看過できない」と強調しているという。

自民党の言ってることは本末転倒だ。自治体が、個人情報を自衛隊に渡していることこそが大問題ではないか。アベ流改憲がなされれば、徴兵名簿ができあがることにもなりかねない。アベの発言は、大きな問題をあぶり出した。

(2019年2月17日)

この頃巷に流行るもの

 隠蔽 改竄 ニセ統計
 忖度 追従 無責任
 粗製濫造閣僚に
 パワハラ セクハラ 嫌がらせ
 デマに ヘイトに 不寛容
 百鬼夜行の忌まわしさ

 トランプ様にはペコペコで
 虎の威借りたる我が首相
 近隣諸国に居丈高
 いつまで続くハッタリぞ

 ウソとゴマカシやり放題
 嘘つき首相が一強で
 政治の私物化お家芸
 それでも続くぞ政権は

 メディアのプライド投げ捨てて
 首相と飯喰う言論人
 首相の広報引き受けて
 楽に稼げりゃそれでよし

 原発輸出は行き詰まり
 アベノミクスも行き止まり
 急ぐは原発再稼働
 環境汚染もなんのその
 
 辺野古の美ら海埋め立てて
 作るぞ米軍新基地を
 壊すぞ珊瑚の群落を
 移植は得意のウソなのさ
  
 東京五輪はもうすぐだ
 ばれなきゃいいが、あのウソが
 コントロールもブロックも
 口から出まかせ 嘘っぱち
 どんどん増えるぞ貯水槽 

  森羅万象司る
 もしや私は神様か
 私になんでも任せなさい
 忖度する者は救われる

 庶民に負担の消費税
 それで財源こしらえて
 企業に減税振る舞って
 これが安倍流景気策

 消費増税その負担
 還元しますと胸を張る
 ならば増税しなけゃよい
 なるほど、言われりゃそのとおり

 いよいよ憲法改正だ
 なんと言おうとやり遂げる
 一人になってもがんばって
 目指すは、一人で過半数

 私に協力しない者
 災害時には救援なしと覚悟せよ

京童の口ずさみ ほんの少しを漏らすなり
天下一統珍しや 今に生れてアベ流の
政治を見聞くぞ不思議なる
(2019年2月13日)

春は曙、首相はシンゾー?

春って曙よ! 春とあけぼの、ピッタリじゃん!
そして、首相ってばシンゾーね! ちょっときもいけど、今の日本にピッタリじゃん。

アメリカにはヘイコラしちゃって、韓国にはむやみにイバってさ。いかにも日本人じゃない。みんなの気持ちがよく分かってんのね。

あんまり歴史は知らないくせに、ヘイトに自信を持っちゃって。あれが魅力ね。

それに、沖縄よね。沖縄にヤなもん押しつけておけば、ワタシらラクチンさ。そんな気持、シンゾー、よく分かってんのよ。選挙区沖縄じゃないもん。

それからオリンピックもね! 放射線は完全にブロックしてコントロールしてるナンチャッテさ。ああいう風に、堂々とウソをつけるって、やっぱりただ者じゃないのよね。

国会では、これから丁寧に説明しますって繰り返してさ。イツ説明するのかなと聞き耳立てていると、それについてはこれまで丁寧に説明したところですって。さすがに毛の生えた「シンゾー」。そして分厚い面の皮よね。たいしたもんじゃない。

何よりも、すっごく素敵なのは、国政の私物化ね。仲の良い人には、国有地を只同然でくれてやったり、獣医学部の新設を押し通したり、義理堅いんだもん。みんな、この人と仲良くなりたいと思っちゃうよね。

それに教養をみせないところが、カッコいいもんね。ニッキョーソ、ニッキョーソって騒いでみたり、漢字も良く読めないところでウケをねらったり。結構苦労してるみたい。

すんごいパワーも感じさせてね。アベノミクスって、外れても折れても、次々と何本でも矢が出てくるんだもん。そして、次々と矢が外れて行く内に、格差と貧困が拡がっていく。もう、たまんないわねッ!

でもなんてったって、一番は憲法改正よね。だあれも望んでいないのに、一人でがんばって9条変えようっていうのよね。公明党もついていけないって態度みたいじゃん。これって、素敵なのかな、ダッサイのかな。

森羅万象すべてを担当なんて神ってきてるけど、シンゾーの周りは魑魅魍魎が百鬼夜行。五里霧中で、実のところは四面楚歌じゃん。

秋って夕暮れよ! そろそろシンゾーも夕暮れね。
秋の夕暮れの風情は、何もかもすっごく素敵! だけど、たくさんの人をたぶらかしてきたシンゾーの夕暮れは…。きっとみじめでダサイのッ!。
(2019年2月9日)

晋三さん。あんたの言うこと、そりゃおかしい。危なっかしい。

幾つかのことを確認しておきたい。
自衛隊は、憲法違反の軍事組織である。
自衛隊に限らず、軍隊とは大量殺人を本務とする。
どの軍隊も、「自国の防衛」のために存在するとされている。
どの戦争も、「自国の防衛」の名目で行われる。
そして、自衛隊こそは、隊員の人権を顧みるところのないブラック職場である。

だから、自衛隊を憲法に明記すれば、
自衛隊を違憲の存在から解放して、
大量殺人を本務とする組織として公認することになり、
「自国の防衛」のためとして国民を軍事動員することを容認し、
「自国の防衛」の名目での戦争を可能とすることにもなる。
だからこそ、大事な人をブラック職場にやることはできない。

1月30日の衆院本会議。自民党二階俊博幹事長代表質問に対する安倍晋三首相答弁を以下に抜粋する。私の突っ込みもいれておきたい。

平成の時代を通じた自衛隊に対する国民の評価と憲法改正の考え方についてお尋ねがありました。憲法改正の内容について、私が内閣総理大臣としてこの場でお答えすることは本来差し控えるべきものとは思いますが、私の気持ちを述べよとのことですので、丁寧にお答えをさせていただきたいと思います。

本来、口にしてはならないことだ。憲法は、主権者国民から内閣総理大臣を筆頭とする公務員に対する命令の文書。内閣総理大臣は、ひたすらこれを守るべき立場にある。それを気に食わないから変えようなどとはもってのほか。都合の悪いときは、「私の気持ちを述べることは適切ではありませんので、差し控えさせていただきます」としか言わないくせに、こんなときだけ「丁寧にお答え」の必要はない。

私が自民党総裁として一石を投じた考え方は、現行の憲法第9条の第1項及び第2項を残した上で、自衛隊の存在を憲法に明記することです。

いま、内閣総理大臣として答弁しているのに、「私が自民党総裁として一石を投じた考え方」を述べるのは、職権濫用も甚だしい。主権者が求めているのは、議場で立場を変える「カメレオン首相」ではない。

大きな自然災害が相次いだ平成の時代。困難な災害の現場には、常に自衛隊員の姿がありました。夜を徹し、泥にまみれ、雨に打たれながらも、危険を顧みず、黙々と任務に当たる隊員諸君は、被災された皆さんの心に寄り添い、被災地の力となりました。

消防も警察も市役所職員も青年団も、そしてボランティア諸君も「被災された皆さんの心に寄り添い、被災地の力となった」ではないか。ことさら、自衛隊だけを、褒めあげる必然性はない。また、「だから、自衛隊を憲法に明記せよ」ではなく、「だから、高度に専門化した恒久的な災害救助隊をつくるべきだ」となるべきだろう。

また、PKO法の制定以降、延べ約六万人の自衛隊員が、世界各地で平和と安定のため、汗を流してきました。現地の目線に立った支援、高い規律と丁寧な仕事ぶりで、国際社会から高い評価を得てまいりました。

これは、憲法9条あればこその効果というべきだろう。9条を背負った自衛隊だからこそ、絶対に実力行使をしてはならない、自衛隊なればこその平和的な振る舞い。それゆえにこそ、戦闘に巻き込まれることがなく、国際社会からの信頼を得ていることを肝に銘じなければならない。

自衛隊は、かつては厳しい目で見られた時代もありました。それでも、歯を食いしばり、ただひたすらに職務を全うしてきた。今や、国民の約9割は、敬意を持って自衛隊を認めています。

国民の多くは、国内での災害救助や世界各地での難民支援をする自衛隊員を好ましいと見ているのだ。武力装置としての自衛隊ではなく、飽くまで人道的支援の自衛隊員。自衛隊を憲法に明記すれば、衣の下の鎧を疑われることになる。

しかし、近年の調査でも、自衛隊は合憲と言い切る憲法学者は2割にとどまります

えっ? 自衛隊は合憲と言い切る御用学者が2割も。それは学問の堕落だ。信じがたい。

「君たちは憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ」というのは、余りにも無責任ではないでしょうか。

誰がそんなことを言ったというのかね。「命を張ってくれ」って? そんな言い方は、それこそ「余りにも無責任」。

多くの教科書に、自衛隊の合憲性には議論がある旨の記述があります。その教科書で自衛隊員のお子さんたちも学んでいるのです。

自衛隊の合憲性に議論があるのは当然のこと。子どもたち誰もが学ぶべき議論ですよ。軍事に頼って我が国の安全が守れるはずがないというのも根拠のある立派な見解。何ですか、晋三さん。「自衛隊員のお子さんたち」をダシに、教科書を書き換えろとでもいうのですか。そりゃオカシイ。

さらには、今なお、自衛隊に関するいわれなき批判や反対運動、自治体による非協力な対応といった状況があるのも事実です。例えば、自衛隊の、自衛官の募集は市町村の事務ですが、一部の自治体はその実施を拒否し、受験票の受理さえも行っていません。また、防衛大臣からの要請にもかかわらず、全体の6割以上の自治体から、自衛隊員募集に必要となる所要の協力が得られていません。

何ですか、晋三さん。「自衛隊に関するいわれなき批判や反対運動」はけしからんと。そりゃ、首相としての発言? 総裁として? 個人的意見? いずれにせよ、自治体行政に対する干渉でしょう。自衛隊内での、イジメや体罰の凄まじさは、旧軍以来の伝統として、みんながよく知っていること。隊の慢性的欠員は、隊自身の体質の問題。

優秀な人材確保のためには、地域に密着した採用活動が重要ですが、自衛隊の採用説明会等の取りやめを求める要請がさまざまな団体により行われており、このため、昨年、採用説明会が取りやめとなった事例もあります。

自衛隊の採用説明会等の取りやめを求める要請運動があってこその民主主義国家、平和国家ではありませんか。でもヘンですね。「今や、国民の約9割は、敬意を持って自衛隊を認めています」というのなら、そんなことにはならないのでは。本当に国民に支持されているのなら、隊員募集に苦労することはないでしょうに。

自衛隊は、これまで4万回を超える災害派遣を行い、助けを求める自治体に直ちに駆けつけ、献身的な働きを行っています。このような現状はまことに残念と言わざるを得ません。このような状況に終止符を打つためにも、自衛隊の存在を憲法上明確に位置づけることが必要ではないでしょうか。

今、自衛隊募集かうまく行かないから、憲法に自衛隊明記が必要だというんですね。そりゃダメだ。自衛隊は、もっと自助努力をしなくちゃね。

同時に、国民のため命を賭して任務を遂行する隊員諸君の正統性を明文化し、明確化することは、国防の根幹にかかわることだと考えています。

おっと、語るに落ちちゃった。アベ改憲は、「国防の根幹にかかわる憲法改正」。そんなことはしちゃいけない。世界の各国が身構えますよ。日本は憲法を変えて、本格的な軍隊をもって、再び「富国強兵の日本を取り戻そうとしているのだ」と。これって、あなたが普段言っていることだけど、危険と思いませんか。

自衛隊に対する国民の信頼は政治の力で得たものではありません。自衛隊員の諸君はみずからの手で国民の信頼をかち得たのであります。次は、政治がその役割をしっかりと果たしていかなければなりません。全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整える、これは今を生きる政治家の責任であります。

晋三さん。あんたが言うと、こう聞こえるね。

強く豊かな国をつくるには、戦争を辞さない精強な軍隊が必要です。精強な軍隊は、国民の信頼あってのもの。被災者救援によって、自衛隊はようやく、市民権を得るに至りました。次は、憲法を改正して、自衛隊を憲法に位置づけなければなりません。そこまで行けば、その次は自衛隊を国防軍とし、一人前の戦争のできる組織に変えていく。今が、その大事な一歩のところ。この大事な一歩を踏み出すのが、私という政治家の使命なのであります。

(2019年2月5日)

いまこそことある時なるぞ  死ぬるが臣下のほまれなり をゝしき大和心もて かたみに人の血を流し 獸の道に死ねよかし 

和歌のジャンルといえば、まずは相聞。そして挽歌。他には叙情・叙景歌。その他は傍流、釣りでいう外道の類。

紀貫之も、古今和歌集の序でこう言っている。

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。…生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

「猛き武士の心をも慰むるは歌なり」に同意する。これこそが、やまとうたの本流であり本領ではないか。ところがその正反対もあるのだ。戦意昂揚歌というトンデモ・ジャンル。今、国会でそれが問題となっている。

敷島の 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける

これは日露戦争の際に、ときの天皇(睦仁)が詠んだ歌とのこと。「ことある時」とは、大国ロシアとの戦争。臣なる民の命をかけた戦闘を、安全なところから、「大和心のをゝしさ」と、上から目線で督戦している歌である。

この戦意昂揚歌と対をなすのが、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の厭戦詩である。晶子は、旅順の弟の命を案じて、天皇にプロテストしている。

「すめらみことは、戰ひにおほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獸の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければ もとよりいかで思されむ。」

晶子の怨嗟の詩のとおり、天皇は宮中で「大和心のをゝしさ」を嘉していた。いうまでもなく、「大和心のをゝしさ」とは、多くの兵士の死を意味する。

安倍晋三が、この歌を施政方針演説で引用した真意はどこにあるのだろうか。天皇・戦争・国家主義・帝国主義・国民統合のイメージは、普通なら避けたいところだ。しかし、彼が敢えてこんな歌を引用したのは、自分のコアな支持者への共感を意識してのことなのだろう。それは、不安と危機感を掻きたて、かつての「強い日本」への郷愁をアピールすることと重なる。

日露戦争は、朝鮮の覇権を争った帝国主義戦争だった。これに勝った日本は朝鮮の併合に至る。現在の日韓問題は日本が朝鮮を植民地化したことに起因する。創氏改名も、日本軍「慰安婦」問題も、徴用工問題も、在日差別も…、すべてが日露戦争から始まると言ってまちがいではない。

敢えて今、その日露戦争についての天皇の督戦歌。当然に韓国の民衆の感情を逆撫でするだろうし、日本の平和勢力をも刺激する。しかし、これであればこそ、右翼は大歓迎なのだ。たとえば産経。

「天皇陛下のもと、苦難乗り越えた日本人の強さ強調 平成最後の施政方針演説で首相」という見出しの記事。

「首相は、明治天皇の御製を引用した。大和魂は平時には見えにくくても、有事にはおのずと立ち現れる。大日本帝国憲法下の明治天皇と、現行憲法における象徴天皇で制度は異なるが、首相は近代以降、日本人が天皇陛下の下で結束し、幾多の試練を乗り越えてきた歴史を強調した。」

戦後の日本の言論空間は、少なくとも矜持のある新聞には、こんな論調を許して来なかったのではないか。恐るべし産経。恐るべし安倍晋三というしかない。

こんな人物に、憲法を取り扱わせてはならない。一日も早く安倍退陣の実現を。第198通常国会冒頭の改めての決意である。
(2019年1月29日)

教訓 「アベの言うことだ。信用できるはずはない」

情報通の友人から、こう聞かされた。

安倍首相は、「衆議院の解散・ダブル選挙など、頭の片隅にもない」と繰りかえしている。しかしあれは、「ダブル選挙は、ワタシの頭の片隅にあるんじゃない。頭のドマンナカにあるんだ」と理解しなければならない。最近、多くの野党議員がそう言い始めた。

先日の日民協執行部会でのこと。今年7月21日参院選の重要性が語られた。安倍改憲の成否も、安倍内閣の消長も、この選挙の結果にかかっているという認識で異論がない。改憲を阻止するためには、この選挙での野党勢力の共闘態勢をつくらなければならない。その対抗策として、10月予定の消費増税を先送りを発表して、あるいは6月の「大阪G20」で何らかの成果を上げての衆議院解散・衆参同時選挙の目は本当にないのだろうかと話題になって、この発言を聞かされた。

その真偽のほどは分からないが、「ご飯論法の、あのアベの言うことだ。信用できるはずはない」ことには、一同納得だった。「アベの言うことだ。信用してはならない」は、野党議員だけではなく、今や天下の共通認識と言ってよい。

1月19日(日)は、毎月19日(「戦争法」成立の日)と予定された定例の国会前抗議集会だった。統一のプラカードはなく、参加者が手にしていたのは、それぞれの思いを絵にし、文章にした手作りのプラカード。圧倒的に目立ったのが、「嘘つき晋三」「ごまかし内閣」「記録改竄隠蔽政府」「政治の私物化を許すな」というものだった。

これだけ多くの国民から、「嘘つき」「ごまかし」と呼ばれる一国の政治的リーダーも珍しいのではないだろうか。「嘘つき晋三」と「フェイク・トランプ」、朋友仲良きも少しも麗しくはない。

安倍政治は、政治的な理念や政策以前の問題として、国民から信を措けないと烙印を押されているのだ。一国の政治は「信なくば立たない」。安倍政治は現に、立っていない。一見まだ立っているように見えるのは、無自覚・無関心層が支えているという錯覚でしかない。

さて、信の措けない安倍政権の数々の問題の内、韓国の広開土大王艦(駆逐艦)が自衛隊P1哨戒機にレーダー照射をしたとされる件。これだけは、自衛隊側の言い分が事実だと思い込まされていた。だから、安倍晋三が強気で映像を公開したのだと。

しかし、公平な目で見るとこれも大いに怪しいという。教えられて、ハーバービジネス・オンラインというサイト(運営主体は、あの「扶桑社」)に掲載された、牧田寛氏の下記の記事に目を通した。これは衝撃的な内容。もちろん、この記事も結論を単純に断定していない。軍事機密の壁に阻まれて断定的な判断は困難という。しかし、明らかなことは、日本側の情報はフェイクだらけ。韓国の言い分の方が、遙かに一貫していて説得力があるというのだ。日本のメディアの甘さを嘆いてもいる。「レーダー照射問題」を論じるには、ともかくこのサイトを読みこなしてからのこととしなければならない。

慰安婦問題も、徴用工判決も、そしてレーダー照射事件も、なんと我々は権力によって誘導されやすい環境に置かれていることか。背筋が寒くなる。こんなことで、嫌韓世論や民族差別感情の形成を許してはならない。もしかしたら、安倍内閣は、ナショナリズム昂揚の世論誘導実験をしているのではないだろうか。やはり、アベの言うことだ。まずはウソだろう」と、疑う姿勢が正しいのだ。

2019.01.08
日韓「レーダー照射問題」、何が起きていたのか、改めて検証する
https://hbol.jp/182872

2019.01.12
日韓「レーダー照射問題」、際立った日本側報道の異常さ。そのおかしさを斬る
https://hbol.jp/183226

2019.01.15
レーダー照射問題、「千載一遇の好機」を逃したかもしれない「強い意向」
https://hbol.jp/183410

2019.01.18
日韓「レーダー照射問題」、膠着状態を生み、問題解決を阻む誤情報やフェイクニュース
https://hbol.jp/183653

2019.01.21
レーダー照射問題、韓国国防部ブリーフィング全文訳からわかる、日本に跋扈するデマの「曲解の手法」
https://hbol.jp/183842

(2019年1月23日)

櫻井よしこの護憲派へのエールに応えよう。

首相でありながら改憲の旗を振る安倍晋三。その取り巻きの一人に、櫻井よしこという右翼活動家がいる。この人が、「NEWS ポストセブン」という小学館運営のホームページに寄稿している。一昨日(1月13日)のことだ。表題が興味深い。「世界で一つの変な憲法の改正は今が最後の好機」というのだ。ちょっと変な日本語感覚だが、まさか編集者側が勝手に付けたタイトルではあるまい。

「世界で一つの変な憲法」とは、「世界で一番変な憲法」あるいは「世界でたった一つの変な憲法」ということなのだろう。要するに、「変な」と言いたいのだ。右翼に、立派な憲法と言われては、日本国憲法も形無しだ。櫻井よしこから、「変な」と言われたのだから、日本国憲法はさぞかし本望だろう。

注目すべきは、憲法の改正は今が最後の好機」という表現である。おそらくは、デマでもフェイクでもない。櫻井よしこの心情を吐露した本音なのであろう。そしておそらくは、安倍晋三も同じように考えているに違いない。「今がラストチャンスだ」「今、せっかくのこのチャンスを逃すと、もう改憲はできない」。これが改憲勢力の本音なのだから、護憲派は「さあ、改憲のラストチャンスをつぶそう」「もう少しの努力で、改憲を阻止し得る」と展望を語ることができる。

以下は、櫻井の言の要約である。

  「日本国憲法は、国の交戦権さえ認めない恐らく世界でたったひとつの変な憲法です。日本が国民、国家、国土を自分の力で守る力を持つ『自立』した国になるために、一刻も早く憲法を改正する必要があります。しかし、安倍政権下で期待された憲法改正の発議は、今に至ってもなお実現していません。」
 
  「その最大の理由は、政党および国会議員のあまりの無責任さにあります。とりわけ公明党は与党でありながら、『議論が熟していない』と憲法改正に背を向けています。」
 
   「『モリ・カケ問題』や『外国人人材法案』をタテに、衆参両院の憲法審査会に応じてこなかった立憲民主党や国民民主党など、野党の無責任さは言わずもがなです。」
 
  「国会議員のなかで本気なのは安倍首相を筆頭に少数の議員に限られるのではないか。肝心の自民党さえも、党全体の状況を見ると、その動きは消極的に見えます。」
 
  「憲法改正には衆参両院で3分の2以上、さらに国民投票で過半数の賛成を得る必要があります。与党が3分の2を大幅に上回っている衆議院はともかくとして、参議院では自民党が126、公明党が25、日本維新の会が11議席で合計しても162。ぎりぎり3分の2に達するという薄氷を踏むような状況です。」
 
  「今年7月には参議院選挙があり、改正に賛成する議員で3分の2を確保できる保証はありません。現実的に考えれば、今が憲法改正の最後のチャンスなのです。」

櫻井は、何のために、こんな寄稿をしたのだろうか。私には、護憲派へのエールに聞こえる。千載一遇の改憲のチャンスが、みすみす失われつつあるという。この情勢認識は、改憲陣営への愚痴であり護憲派への励ましにほかならない。

私も、櫻井の情勢分析に同意する。要するに、今や「カイケン、カイケン」と空元気を振りまいているのは、安倍とその取り巻きだけなのだ。「国会議員のなかで本気なのは安倍首相を筆頭に少数の議員に限られる」のである。実は、改憲推進派は、孤立したさびしい少数派に過ぎない。

連立与党の公明党は、風を読むことに長けている。いま、安倍と改憲の策動をともにすれば、党勢を決定的に殺ぐことになる。「平和の党」「福祉の党」の看板を外して選挙はできない。うかうかと、安倍に乗せられてはならない。そのように風を読んでいる。

さらに、「肝心の自民党さえも、党全体の状況を見ると、その動きは消極的に見えます。」は当たり前。安倍との軋轢は避けたいが、安倍改憲に肩入れして安倍との心中なんぞ御免こうむる。皆がそう思っているに決まっている。

そして野党だ。櫻井が愚痴をこぼさざるを得ないほどの立派な姿勢なのだ。これを支えているのは、世論である。安倍というこの危なっかしい人物に、憲法をいじらせてはならないと、多くの人が考えている。

さて、7月の参院選が天王山だ。現在が、「ぎりぎり3分の2に達するという薄氷を踏むような状況」なのだ。改憲阻止派が、この3分の2を突き崩すためには、護憲野党の共闘が必要である。これさえできれば、「改憲のラストチャンス」をつぶすことができるのだ。

櫻井よしこは、正直にこう言っている。「憲法改正は、薄氷を踏むような状況です」。そのとおりだ。我々は、せっかくのこの櫻井のエールに応えねばならない。改憲派が戦々恐々として踏んでいる薄氷を、もっもっと薄くする努力をしよう。さすれば、氷は割れる。水に落ちた安倍改憲策動が再び浮上することはないだろう。
(2019年1月15日)

総理大臣・安倍晋三の仕事始めは伊勢神宮参拝から

皆様、安倍晋三でございます。明けましておめでとうございます。
内閣総理大臣としての年頭記者会見に当たり、天皇陛下と皇族の方々、そして国民の皆様にも謹んで新年のご挨拶を申しあげます。

平成31年、平成最後となる新年の仕事始めとして、先ほど伊勢神宮を参拝し、皇室の弥栄と我が国の安寧、発展をお祈りいたしました。国民主権とは申しますが、なんといっても、我が国の国柄からすれば、国家あっての国民であり、皇室あっての国家ではありませんか。ことの順序として、まずは皇室の弥栄をお祈り申しあげ、次いで国家の安寧・発展を願った次第です。国民の幸せは、特に祈念いたしませんでしたが、それは皇室の弥栄と、国家の安寧・発展に付録としてくっいてくるものですから、安倍内閣が国民の福利を無視するものというような印象操作の発言は慎んでいただくようお願いいたします。

今年は、ほぼ200年ぶりに天皇の生前退位によって皇位継承が行われる歴史的な年であります。その年頭に、皇室の祖先神をお祀りされている伊勢神宮を参拝いたしますと、神鎮まりいます境内の凜とした空気に、いつにも増して身の引き締まる思いであります。

今年も、美しく強い国を取り戻すために、内閣総理大臣としてしっかりとことをなそうと決意を新たにした次第です。いうまでもなく、国の理想を語るものは憲法でございます。何よりも必要な喫緊の課題と憲法改正を位置づけなくてはなりません。皇室を戴く我が民族の歴史と文化にふさわしい憲法を実現しなければ、美しく強い国を取り戻すことはできないのです

しかし、皆さん。ご存じのとおり、この国には「美しく強い国を取り戻す」という自明な正しい目的を理解できない「あんな人々」が少なくありません。憲法改正を喫緊の課題と考えない、非国民同然の「あんな人々」に負けるわけにはいかないのです。

今年の干支にちなんで、改憲に猪突猛進とまいりたいところですが、「急いては事を仕損じる」ともいうではありませんか。いのししの動きは、自由自在。障害物があれば左右によけたり、ひらりとターンすることができる。意外と身のこなしがしなやかな動物だそうであります。私も本年は、いのししのようなスピード感としなやかさを兼ね備えながら、ときには寝たふりもして「あんな人々」を欺いて、憲法改正に邁進いたします。もとより、ウソとごまかしは、私の最も得意とするところですから、これを存分に駆使したい。亥年の年頭に当たって、そう決意しています。

ですから、街頭で日の丸や旭日旗を振る右翼の各位、匿名に隠れてヘイトを垂れ流すネトウヨの諸君、そして改憲陣営・歴史修正主義派、反中嫌韓の皆様には、現政権に相変わらぬ御理解と御支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

さて、今年5月1日には皇太子殿下が御即位され、改元が行われます。新しい元号は、これまでは先帝の死後に新帝が決定し公表する慣わしとなってきました。しかし、今回もこれを貫こうとすれば、国民生活への多大な混乱が生じます。実は国民生活の混乱などは些事でどうでもよいことなのですが、大きな混乱を機に元号不使用の国民世論が爆発的に増えることが予想され、そのことが看過し得ません。

政治を与る者として痛感するのは、天皇制とは便利なものだということです。ナショナリズムの中核にあって、国民の統合を支え、何の根拠もなく国民の情緒的一体感をつくってくれる。天皇が被災地へ行って、被災者に慰めの言葉をかけてくれると、補償や復興の実現なくても政治の失敗に対する怨嗟の声が上がることを防止してくれる。対策を安上がりにすることもできるのです。

かつて、靖国神社について、その最大の存在理由は「最も安上がりな戦没将兵の遺族対策にある」と言われていたそうです。「もったいないことに、天皇陛下様が、戦死したウチの息子のためにお祈りしてくれる」という遺族臣民の心情あってこそ、戦没将兵の遺族補償を安価に切り捨てることができたのです。臨時大祭のたびに、時の天皇は必ず親拝されましたが、その経済効果は莫大なものであったわけであります。今の天皇陛下の被災地訪問も、同様の経済効果を有しているものとして、ありがたくてなりません。

そのように天皇制が機能するのも、国民が天皇制を支持している限りのことです。国民から冷たい目で見られる天皇、国民から見離された天皇制は、惨めな存在となるだけでなく、政権にとって何の利用価値もないものとならざるを得ません。存在の必然性を欠く天皇制を維持するのですから、あの手この手の工夫が必要ですが、その最大級の手立てが、元号です。年の数え方を天皇の在位に合わせて、いつもいつも国民に天皇の存在を意識させる優れものにほかなりません。

この元号を、国民生活に不便なものとすれば、一斉に国民の元号使用は遠のいてしまいます。それは象徴天皇制の危機であり、政権が便利な道具を失うことでもあるのです。だから、国民生活への影響を最小限に抑える観点から、即位に先立って4月1日に新元号を発表する考えです。「1か月前では遅すぎる。もっと早期に新元号の発表を」という声の強いことは承知しています。もちろん、元号廃止の声があることも。しかし、それでは、私の固有の支持基盤である保守層が納得しないのです。このあたりが、ぎりぎりのところ。私も苦しいのです。その辺のところをご了解ください。

なお、最後に申しあげますが、私の仕事始めは伊勢神宮参拝から、そして年頭記者会見はこの伊勢の地で行うことが、恒例でございます。これを、宗教団体や一部偏向した市民団体が、「政教分離に反する」「憲法違反だ」と抗議することも恒例となっています。彼らの主張は、こんなところです。戦前、国家と神道の癒着がもたらした国家神道なるものが、天皇を神とし、日本を神国とする誤った狂信をもたらした。その独善的な狂信が近隣諸国への侵略戦争や植民地主義の精神的土台ともなって、結局は国を滅ぼした。また、国民に筆舌に尽くしがたい惨禍をもたらした。だから、現行日本国憲法は、国家と宗教との間に厚く高い壁を築いて、再びの癒着を禁じた。それが政教分離だ、と。おそらく、それが正しいことだから、やっかいだとは思うのです。

しかし、皆さん、日本は皇室あっての日本ではありませんか。憲法あっての日本ではない。厳格に憲法を守ることで、皇室の尊厳を損なうようなことがあれば、憲法をこそ変えなければならないと考えるべきではありませんか。

それだけではありません。世論も近隣諸国も、私が靖国神社に参拝することには、大騒ぎで反対しますが、伊勢参拝に騒ぐのはごく一部の原理主義者だけではありませんか。確かに、靖国神社は、戦争に関わる軍国神社と言われればそのとおりです。しかし、この伊勢神宮の平和なたたずまいをご覧いただけば、靖国神社との違いは明白ではありませんか。

昭和天皇も、靖国神社については、次のような御製を遺しておられます。

 この年のこの日にもまた靖国の 宮しろのことにうれひはふかし

これは、昭和天皇が、靖国にA級戦犯が合祀されたことについて「うれひはふかし」とおっしゃったものとされています。昭和天皇も、靖国神社に参拝することには、大いに問題があるとお考えだった。しかし、伊勢神宮については、「うれひはふかし」と言ってはいません。それなら、なんの問題もありません。要するに、私は、反対の声が強くなければ憲法など歯牙にもかけないのです。

年頭に、内閣総理大臣が皇室の祖先神に詣でて、皇室の弥栄と国家の繁栄を祈る。万世一系連綿と皇統の続く単一民族の国家日本の歴史と文化に鑑みて当然のことではありませんか。これが違憲なら違憲で結構。今年も、日本国憲法よりは民族の歴史を重んじる姿勢を貫く決意を重ねて申しあげて、年頭のご挨拶といたします。
(2019年1月5日)

2019年を「アベ改憲阻止の年」に

あらたまの年のはじめ。2019年の元日に、それらしいことを書き留めておきたい。

まずは、今年の願い。何よりも、今年を「アベ改憲阻止の年」としたい。改憲勢力の側からすれば、「改憲断念を余儀なくされる年」。改憲派にとっては、「アベのいるうち、改憲派が両院ともに3分の2の議席あるうち」が、千載一遇の改憲のチャンスなのだ。「アベを降ろす」か、衆参どちらかの議院で自・公・維の合計議席数を3分の2以下にすれば、改憲を阻止できる。その展望は大いに開けている。

アベ晋三の総裁任期は2021年秋までではあるが、選挙の顔として使えなくなれば、冷酷に取り替えられることになろう。一強政治の驕慢に対する国民的批判は大きなうねりになっている。未解明のままくすぶっているモリ・カケ両事件で露呈された、アベ政権の政治私物化や隠蔽の体質、説明すっとばし手法への批判は抜きがたい。「信なくば立たず」の信が決定的に欠けているのだ。また、新自由主義の基本政策に大きな破綻が見えつつある。露骨な軍事力増強路線への危惧も拡がっている。アベが政権にしがみついたにしても、改憲どころではなくなりつつある。もうすぐレームダック化という様相ではないか。

今年7月の参院選が、当面の決戦のとき。これで市民運動が結節点となった立憲野党共闘が勝てれば、勝負あったとなる。その成否は、各選挙区ごとでの野党共闘ができるか否か、それを通じての政権打倒の雰囲気を作れるかにかかっている。また、その前哨戦としての4月の統一地方選挙の取り組みと結果が、参院選に大きく影響する。年明け早々からの野党共闘の具体化に目が離せない。

防衛大綱論議で年を越したが、2019年は、「3・1朝鮮独立運動」「5・4運動」から100周年の年である。3・1の直前に、日本での「2・8独立宣言」もあった。中国や北朝鮮・韓国との軋轢を語るよりは、日朝・日中関係の歴史を繙く年になる。歴史修正主義者の跳梁と、中国・朝鮮脅威論とが結びついている。この動きと対峙しなければならない。

そして、今年は天皇の生前退位と次期天皇の就位の年でもある。国民主権を支えるものは、国民の主権者意識の確立である。天皇主権から脱して国民主権を獲得した日本国民が、天皇の言葉をありがたがってどうする。国民意識は天皇の言動に影響されてはならないし、天皇の言動に影響されるようなヤワな主権者意識であってはならない。

そもそも、「天皇の象徴としての行為」など認めてはならない。その肥大化に努めた現天皇(明仁)の越権への批判が必要なのだ。そして、臣民根性の抜けきらない人々を政治的に利用しようという支配層の思惑を糺弾し続けなくてはならない。その上で、今年4月1日に発表されるという新元号を使用しないことを心がけるとともに、使用強制に反対を貫ぬきたい。

なお、今年の10月、消費増税が予定されている。8%を10%に、である。今、世論調査では、増税に反対が上回っている。それでは財政か逼迫する? バカげた話しだ。金持ちから、大企業から、応分に取ればよいだけのことではないか。あるいは、「いずも」だのF35Bだの、あるいはイージスアショアだの、無駄な軍事費を削ればよい。庶民増税で金持ち減税、福祉を削って軍事費拡大、では本末転倒も甚だしい。今年は、経済政策や財政問題を避けて通れない年になる。

ところで、元日は目出度いだろうか。どのように目出度いのだろうか。こどもの頃、小学唱歌『一月一日』を唱った。この印象が強い。実はこれ、1893(明治26)年に文部省が「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表されたもの。作詞者は千家尊福(出雲国造)である。

 年の始めの 例とて
 終なき世の めでたさを
 松竹たてて 門ごとに
 祝う今日こそ 楽しけれ

私のこどものころは、既にこの1番だけだった。誰からも歌詞の意味や由来などは教えられなかった。漠然とだが、「終なき世」とは、戦争や原爆でこの世が終わることなく平和が続いていくこと、だと思っていた。だから、毎年の始めに平和を祝い、平和を願うのだと思い込んでいた。私が、戦後の広島で小学1年生になったからなのかも知れない。

しかし、原意はまったくそうではない。この歌、天皇の御代の頌歌なのだ。「終なき世」とは、「天壌無窮の天皇の世」のことである。この歌には2番がある。千家が作詞したのは次の歌詞だった。

 初日のひかり 明らけく
 治る御代の 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

「明」と「治」とを読み込んだ明治の御代讃歌。読みようによっては、明治天皇(睦仁)へのへつらい歌。これだと「君がみかげ」の「君」は、万世一系の個性のない天皇ではなく、当代の睦仁を指すことになろう。それあってか、睦仁死後間もなく2番の歌詞が変えられ、敗戦まで次のように唱われた。

 初日のひかり さしいでて
 四方に輝く 今朝のそら
 君がみかげに 比えつつ
 仰ぎ見るこそ 尊とけれ

新年も、初日も、ひかりも、輝く空も、何もかも天皇の姿のごとくに尊いという。そんな歌を唱わされた時代だったのだ。一天四海の天地万物・森羅万象すべてが、天皇の御稜威に結びつけられた奇妙奇天烈な時代。しかも、そんな歌を唱わされたことに対する批判の自覚は国民殆どになかった。今にして恐るべき時代というべきではないか。敗戦で本当にそんな時代は、過去のものとして清算され終わたのか。実は、曖昧に連続しているのではないか。その時代と現在の関係は、「断絶」なのか「連続」なのか。常に問い続けなければならない。

同じ敗戦国ながら、ドイツはナチスの時代を徹底して反省し責任を追及することで、「断絶」に成功しているように見える。日本は、自らの手で戦争責任を追求しなかった。天皇の責任も不問に付され、「連続」の色彩が濃い。その「断絶」と「連続」の対照を象徴的に視覚化しているものが、ハーケンクロイツと日の丸の取り扱いの差異である。

日本では、その「連続」の部分から改憲指向が芽生えている。天皇の元首化、秩序偏重、ナショナリズム、軍事大国化、個人の尊厳の軽視…。憲法を尊重することは、明文改憲を阻止するだけのことではない。大日本帝国憲法と日本国憲法との「断絶」を意識し、復古を許さぬことなのだ。

天皇代替わりの年の元日に、改めてそう思う。
(2019年1月1日・連続更新2102日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2019. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.