澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

今の日本は、世界の良識に反人権・反国際協調の国と映っている。

野蛮なトランプが、パリ協定からのアメリカ離脱を表明した。この歴史的愚行の傷は深い。「愚かなアメリカ」「手前勝手なアメリカ」「国際倫理をわきまえぬアメリカ」「ごろつきアメリカ」の刻印が深い。かつてのアメリカの威信回復は、もはや不可能かも知れない。あんな大統領を選出した、アメリカの「デモクラシー」の質が問われている。さて、振り返って日本はどうだろうか。こんな首相を権力の座から引き下ろすことのできない日本の「民主主義」は、アメリカと兄たりがたく弟たりがたい。

アベ政権は、参勤交代よろしく発足直後のトランプに擦り寄って、アメリカとの価値観の共有を強調して見せた。なるほど、野蛮で知性に乏しい、似た者同士。さて今後、両者の関係はどうなることやら。

「デンデンのアベ」に代わって、「ミゾユウのアソウ」が、えらそうにコメントした。
「もともと国際連盟をつくったのはどこだったか。アメリカがつくった。それでどこが入らなかったのか。アメリカですよ。その程度の国だということですよ。」

「この程度の政権」の副総理であるアソウによる、「その程度の国」への批判の言。だが、忘れてはならない。1933年3月、国際連盟脱退という愚挙を犯して国際的孤立化への道を歩んだのが、ほかならぬ日本だった。その程度の国だったのだ。

そしていま、日本は確実に国連との軋轢を拡大しつつある。世界の良識に背を向けつつあることにおいて、連盟脱退の時代に似て来たのではないか。これ以上再びの孤立化への危険な道を歩んではならない。

まずは、シチリア島におけるアベとアントニオ・グテーレス国連事務総長との懇談内容公表問題。日本側の公表内容を国連報道官側が否定した。国連側に、日本の公表内容は我田引水に過ぎるとのニュアンスが感じられる。問題となったテーマは、極めて重要な2点。「慰安婦問題に関する日韓合意評価」と、「『共謀罪』への懸念を表明した国連特別報告者の地位」に関するもの。

アベも、自分の都合のよいことについては、国連の権威を利用したいのだ。そこで、「安倍総理から慰安婦問題に関する日韓合意につき,その実施の重要性を指摘したところ,先方(グテーレス国連事務総長)は,同合意につき賛意を示すとともに,歓迎する旨述べました。」と発表した。しかし、国連側はこれを否定した。「(事務総長は、)慰安婦問題が日韓合意によって解決されるべき問題であることに同意した」が、「事務総長は、特定の合意内容については言及していない」、「問題解決の方向性や内容を決めるのは日韓両国次第だという原則について述べた」だけだという。

また、日本側は「(事務総長は、)人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べました。」と発表した。しかし国連側は、「事務総長は安倍首相に対し、(人権理事会の特別報告者とは、)国連人権理事会に直接報告する独立した専門家であると述べた」という。

日本側は、反論しているようだが、無駄だし無意味だ。懇談の席でどう話されたのかが問題ではない。いま、オープンな場で、事務総長が日本側の公表内容を否定していることが重要なのだ。アベが深追いすれば、みっともなさの傷は深くなるばかり。

次に、デービット・ケイ報告問題。国連人権理事会の特別報告者であるこの人。担当は、表現の自由だ。昨年来日して、日本における言論の自由状況を精力的に調査して、深い懸念を表明した中間報告書を作成している。特定秘密保護法問題、担当大臣の停波発言等報道の自由の萎縮、そして教科書検定のあり方など問題とされた内容は具体的だ。この人の報告に接して襟を正さなければならない政権が、逆ギレしてしまっていることが異常な事態である。

さらに、プライバシー担当のジョセフ・カナタチ特別報告者の共謀罪に関するコメント。首相宛ての書簡が話題を呼んでいるが、政府は自らの姿勢を反省する姿勢はさらさらなく、抗議に及んでいる。国連の言うことなど聞く耳もたないという如くである。

そして、思い起こそう。世界の潮流が反核に動いているこのときに、被爆国日本が、核兵器禁止条約に反対の立場を鮮明にしていることを。日本政府は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明して実行している。国連の圧倒的多数国が、6月15日から7月7日まで、後半の交渉スケジュールで核兵器禁止条約を作り上げる交渉の予定だが、ここに日本政府が姿を見せることはない。

他国から日本政府の行動を見たら、日本は反人権国であり、反国連・反国際協調主義の国柄と映るだろう。そして、原水爆禁止にもまったく熱意のない国であるとも。
世界からこのように見られている日本が共謀罪を成立させれば、そして9条改憲を実現させれば、国際社会は1933年の過ちを再び繰り返す日本を想起することだろう。アベ内閣自身が、そのような「印象」をもたれるよう、せっせと「操作」を積み重ねているのだ。
(2017年6月4日)

イナダ敗訴確定の名誉毀損訴訟は、DHCスラップ訴訟と同じ構造。ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第103弾

豊穣な日本語の言語空間の片隅に、「藪蛇」という言葉がある。この「藪を突いて蛇を出す」の出典が分からない。小学館の「故事・俗信・ことわざ大辞典」にも、用例は出て来るが出典の記載はない。

出典など分からなくても、「しなくてもよいことをしたことで災難を招いて臍を噛む」ことは、誰にも憶えのあること。とりわけ、イナダさんご夫妻には、思い当たることが多々ありそう。

夫君稲田龍示弁護士の「藪蛇」については、当ブログに「『弁護士バカ』事件で勇名を馳せたイナダ防衛大臣の夫は防衛産業株を保有」(2016年9月18日付)の記事を書いた。
http://article9.jp/wordpress/?p=7458
もっとも、このブログは揶揄の記事ではない。防衛大臣の家族が、特定の防衛産業企業株を購入していることの問題点の指摘と恐ろしさへの警告である。ではあるが、見事に藪を突いて立派な蛇を、突つき出した好例でもある。この人の「弁護士バカ」なる一語への反応と提訴がなければ、稲田龍示の蛮名がとどろくことはなかっただろう。

さすがは教育勅語信奉者の防衛大臣。「夫婦相和シ」の精神で、こちらも夫と同様、損害賠償請求訴訟で大いに藪を突ついた。そして、夫君同様の敗訴。敗訴の都度、何度も「藪」を突ついて、さらなる「蛇」を出した。

この訴訟事件の発端は、サンデー毎日2014年10月5日号「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」と題する記事。この記事が、イナダの資金管理団体「ともみ組」への献金者の中に在特会幹部らとともに活動する人物が8人いて、その献金額合計が21万2000円となると指摘し、「在特会との近い距離が際立つ」と書いた。

これがイナダのお気に召さなかった。翌15年3月になって、「『在日特権を許さない市民の会』(在特会)と近い関係にあるかのような記事で名誉を傷つけられた」として、「サンデー毎日」の発行元の毎日新聞社に550万円の慰謝料と謝罪記事の掲載を求めた訴訟を大阪地裁に提起した。

これが、最初の「藪を突ついた」という行為。「サンデー毎日」の読者は限られている。しかし、この提訴で「サンデー毎日」記事が指摘した「イナダと在特会との蜜月」は広く知れ渡った。このことが、一匹目の「蛇」だった。

2016年3月11日に大阪地裁で言い渡された一審判決は、当然のことながら原告イナダ側の全面敗訴だった。「記事は論評の域を逸脱しない」「論評の前提となった事実には真実性の証明がある」「しかも記事の内容は公共の利害に関わるもので、公益を図る目的で掲載された」との認定。これが2匹目の「蛇」。人々は、イナダと極右レイシスト集団との深い関わりをあらためて思いだすこととなった。アベ政権自身が、このような輩と親密な集団だとも。

さて、これでやめておけばよかったのに、イナダは敢えてもう一度もっと深く、2度目の藪を突ついた。大阪高裁に控訴したのだ。その控訴審判決が、2016年10月12日に出た。当然のごとく控訴棄却である。またまたのイナダ全面敗訴。これが3匹目の「蛇」だ。常識的には訴訟はこれで終わり。

ところが、防衛大臣は事態の収束も撤兵も考えなかった。「藪がある限り、徹底して突つきまくる」「撃ちてし止まん」以外の策をもたないのだ。彼女は、またまた果敢に藪を突ついた。3度目である。それが上告受理申立。ウワバミが針の穴を通るくらいに困難な作戦。

そして、昨日(6月1日)の報道によれば、あえなく作戦は失敗。上告受理申立は最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が5月30日付で不受理としてその旨を通知した。訴訟は、予想のとおりに、イナダ敗訴で確定した。この報道が4匹目の「蛇」である。「グリコは一粒で2度美味しい」、「イナダは一件で4度も蛇を出す」。たいしたものだ。

この事件は、DHC・吉田が私(澤藤)を被告として提起した「DHCスラップ訴訟」に酷似している。標的とされた「サンデー毎日」の記事の題名が「安倍とシンパ議員が紡ぐ極右在特会との蜜月」であり、私のブログが「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」というもの。

両事件の判決はともに、「記事は原告(イナダ・吉田嘉明)の社会的評価を低下させ名誉を傷つけた」と認めた。そのうえで、表現の自由保障の観点から、記事は公共にかかる事項について公益目的をもってなされた「論評」であり、論評の基礎となった事実は真実であると認定して、その言論に「違法性はない」と結論づけた。

判決の帰趨は、提訴前から分かっていたというべきであって、なにゆえむやみに何度も藪を突ついて、何匹も「蛇」を出し続けたのか。信じがたい愚挙と言わざるを得ない。これが、わが国の防衛大臣。

「むやみに何度も藪を突ついて、何匹も「蛇」を出し続けた」については、DHC・吉田もまったく同じこと。だから、スラップであり、不当訴訟といわれるのだ。

それにしても、在特会は形無しだ。イナダに擦り寄って政治献金をしたにもかかわらず、「在特会と近しいなんて言われるのは名誉毀損」とイナダに袖にされた。加えて、裁判所の判決でも「在特会と近しいなんて言われたら社会的評価は下がる」とお墨付きをもらったのだ。自業自得とはいえ、少々気の毒でもある。
(2017年6月2日)

権力中枢と結んで教育をビジネスにする ー その教育的意味

私は教育者ですよ。籠池さんと同業だ。もっとも、スケールはウチの方がはるかに大きい。権力との結びつきも、格段に深く緊密だ。森友学園問題と、ウチの問題とが同列というわけはないよ。格が違うんだから。影響の大きさも、うんと違うだろうね。

私のことを、「教育者ではなく『教育屋』じゃないか」とか、「学校屋」「授業料商売人」「教育産業経営者」、あるいは「補助金経営者」とかの悪口をいう人ももちろんいるさ。しかし、あれはすべてがやっかみ。気にしている暇はない。

ときおり、どんな教育理念をもっているのかと人から問われたりもする。ウチの学園歌というものがあってね、1番から6番までの最後のフレーズがリフレインになっている。「求めてやまぬ 建学の 理想の花に 酔いしれん」というんだ。あの歌詞、恥ずかしながら私と親父が作った。だから、「求めてやまぬ建学の理想」とはなんでしょうか、と聞かれるわけ。

でも、こいつは愚問。ウチに建学の理念も精神もない。真理の探究とか、学の独立とか、豊かな情操とか、人格の陶冶とか、主権者としての教養とか、そんなきれいごとのタテマエで生徒が集まるはずはなかろう。

大切なのは、「時代の流れを見据えながら、社会のニーズを先取りした特色ある教育」。これに尽きるね。飽くまで、社会が望む人材を育てることで、これ以外にはない。「長い物には巻かれろ」「出る杭は打たれる」という処世訓があるだろう。だから、我慢して「巻かれよう」「引っ込もう」と自制する人材ではダメなんだ。我慢などすることなく、心底、権力にも企業にも従順で、迎合的で、忖度が的確で、上のご意向に逆らわず、社会からはみ出ることのない人間。そのような、現体制・現政権が望む人物、企業が理想とする人材を育てること。それが、ウチの教育理念といえば言えるかも。

人権だとか、労働者の権利だとか、俺にもプライドがあるだとか、自分でものを考えようなんて、そんな人物を企業が喜んで採用すると思うか。現実的に考えてもみていただきたい。時代は21世紀。私たちを取り巻く社会は、とても複雑なものになっている。到底、凡夫ごときがこの複雑な世を自らの意思や理念を貫いて生きていくことなどできるはずもない。だから、学校教育も、徹底して社会に適応できる人材育成を心がけなければならない。そのような教育指導、カリキュラム編成、さらには教育環境の整備がウチの教育方針。

もう少し有り体に言えば、「社会に適応」とは「世渡り上手」であること。世の表と裏とを見分けて、上手に生きていく術を教えること。それこそがあるべき教育であり、社会から求められている教育であり、なによりも経営として成功する教育なんだね。当たり前のことだ。

大事なのは、このカネの世を生き抜く手練手管。政治や中央行政や地方自治体にどのように食い込んで、ビジネスチャンスとし金儲けの道具とするか、それこそが私の実践を通じて、子どもたちに教えていること。これは実に教育的なことがらではないかね。

何しろ、時の総理大臣が私のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人、まさに腹心の友だ」という仲。これをビジネスに活かさぬ手はなかろう。学校教育は、緊密に認可行政と結びついている。事業拡大の要諦は、人脈を最大限に活用して、チャンスを逃さないことだ。これも当たり前のことだがね。

このたびは、晋ちゃんにはよく働いていただいた。もとはと言えば、ウチの学園の監事だったひと。それだけでなく、やはり腹心の友だ。たよりになる。晋ちゃんのえらいところは、敢えて瓜田に沓をいれて律儀に友情の証しを示してくれたことだ。なかなかできることではない。

そして、晋ちゃんの奥さんにも世話になった。ウチが経営する保育園の名誉園長におさまっている。これは、行政への睨みをきかすのに貴重な存在。それだけでなく、萩生田官房副長官も元はウチの大学の客員教授として録を食んでいた人。井上義行元首相秘書官も同じ立場だ。それだけじゃない。異例の人事として話題となった木沢克之最高裁判事も元は加計学園監事だ。また、元文部官僚で内閣参与だった木曽功が、現在はウチの大学の学長に就任し、ウチの法人理事にもなっている。そりゃあ、文科省の元高級官僚がいれば、なにかと便利だし心強い。今回の獣医学部設立認可問題でも、役人時代には後輩だったという前川事務次官に「よろしく」と声をかけてもらった。ウチの貴重な戦力だ。

どうだ。ウチと権力中枢との結びつきは縦横無尽。全てがメシのタネになっているというわけだ。たった一つの計算違いは、これまでは誰の目にも触れずに、闇の中でことを進めていくことができたんだ。ところが、このたびだけはどういうわけかすっかりことが露見して、私と晋ちゃんが、私利私欲のために政治を汚した、行政をまげたと、悪者になったような報道姿勢。いったい突然に何があったのだろう。やはり陰謀以外には考えられないな。

とはいうものの、これまでは順調にうまくやってきた。なにもかにも、究極はカネの力だ。そして、権力と結びつき、権力を利用しようという意思の力だ。ウチの学園で学ぶ子どもたち、若者たちは、このことをよく身につけて社会に出る。どう。やっぱり私は、教育者だろう。
(2017年6月1日)

再びの沖縄法廷闘争ー辺野古新基地建設工事差し止め訴訟への期待

本日(5月31日)の各紙朝刊が、沖縄県の国に対する提訴の方針が固まった旨を報じている。国は強引に名護市辺野古の新基地建設工事を強行している。これを差し止める訴訟。翁長知事は6月県議会に必要な議案を提案して予算措置を確保し、7月にも提訴の予定とのこと。県議会の議席配分は翁長知事を支える与党が多数を占めており、訴訟に必要な議案は可決される見通し。提訴した場合には併せて、判決が出るまでの工事の中断を求める仮処分も申し立てることになる。

本日の琉球新報社説は、ボルテージが高い。「『辺野古』で国提訴へ 堂々と県の立場主張せよ」というタイトル。主要部分を引用しておきたい。

「法的な疑義を残したまま、沖縄の民意に反する工事を強行する国の不当性を追及する場となる。堂々と県の立場を主張してほしい。
名護市辺野古での新基地建設工事で岩礁破砕許可を得ないまま作業を進める国に対し、県は7月にも工事差し止め訴訟を起こす。県議会6月定例会に、訴訟費用に関する議案を提出する。

翁長雄志知事は『あらゆる手段を使い、辺野古新基地建設を阻止する』と言明してきた。その一手としての国提訴であり、支持したい。

仲井真前知事が国に出した岩礁破砕許可の期限は3月末で切れている。それにもかかわらず、国は工事を強行した。沖縄側からすれば、岩礁破砕許可の免許を更新しないまま無許可で工事を強行し、辺野古の貴重な海を破壊していることになる。

辺野古新基地問題に絡んで、国は事あるごとに『法治国家』という言葉を用いて新基地建設を正当化してきた。しかし、法を逸脱する行為を繰り返してきたのは国の方だ。
法廷ではこのような国の姿勢が厳しく問われるべきだ。提訴に向け、県は論理構築を急いでほしい。さらには埋め立て承認の撤回にも踏み込むべきだ。」

同社説は法的な論点を次のように解説している。
「訴訟では名護市漁業協同組合による漁業権の一部放棄後、県に対する岩礁破砕許可の再申請が必要か否かが争点となる。
国の立場は、岩礁破砕許可の前提となる漁業権が消滅したため、再申請の必要はないというものだ。1988年の仙台高裁判決を論拠としている。しかし、正反対の判決も出ており、判例は確定したとは言い難い。
県の立場は、名護市漁協が放棄した漁業権はキャンプ・シュワブ周辺の一部であり、法的には『一部放棄による漁場の縮小』という『変更』に当たるため岩礁破砕許可の再申請は必要と主張してきた。」

馴染みのない論点で、必ずしも分かり易くはない。
辺野古新基地建設工事の是非を巡っては、公有水面埋立法に基づく県知事の承認取消の違法をめぐる訴訟が先行した。同法4条は、「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノ」と認められない限り、知事は「埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」と明記されている。国が埋立を申請する場合は、「免許」といわず「承認」というが(42条)同じこと。今さらながらの繰り言だが、仲井真前知事が県民を裏切って国に埋立承認をしなければ、大浦湾の埋立工事はできなかったわけだ。

仲井真承認に対する翁長取消の効力が争われたのが先行訴訟だったが、新たな提訴で解釈が問題となる法規は、沖縄県漁業調整規則である。条例ではなく、県知事が定めた規則。漁業法と水産資源保護法から授権された法の主たる趣旨は、「漁業調整」と「水産資源の保護」にある。

県漁業調整規則第39条は、「漁業権の設定されている漁場内において岩礁を破砕し、又は土砂若しくは岩石を採取しようとする者は、知事の許可を受けなければならない。」となっている。国が、新基地建設のために大浦湾の埋立工事をするためには、公有水面埋立法に基づく県知事の承認だけでなく、漁業調整規則第39条にもとづく「岩礁破砕許可」を得なければならない。仲井真前知事はこれも与えた。その許可の期限が今年の3月末まで。

県は国に対して、期限が切れた「岩礁破砕許可」の更新手続をするよう行政指導を行っているが、国(沖縄防衛局)はこれを無視している。話し合いの機会さえ持とうとしない。国は、今や知事の「岩礁破砕許可」は不要との見解なのだ。「漁業権の設定されている漁場内での岩礁破砕についてだけ許可が必要だ。しかし、漁業権の主体であつた名護市漁協が漁業補償に満足して、漁業権放棄の手続をした以上は、許可も更新手続も不要」というのだ。これに対する沖縄県の立場は前述の社説が解説しているとおり。

先行訴訟の判決の論理は、余りにも一方的に国の立場に肩入れをした、政治性の高いものとして評判悪いものだった。「政治判決」であり、「忖度判決」でもあったのだ。今度は、真っ当な法律論を展開した判決に接したいものである。

また、琉球新報の社説は、こうも述べている。
「県は仲井真弘多前知事の埋め立て承認書の規定を踏まえ、本体工事前の事前協議を求めたが、国は協議打ち切りを県に通告した。漁業権を巡る国と県の主張は対立したままだ。
漁業権放棄と岩礁破砕許可を巡る法的対立がある以上、国は少なくとも県が求める事前協議に応じるべきであった。現在の沖縄に対する国の態度は、民主主義や地方自治の精神にもとる『問答無用』というべきものだ。」

押さえながらも、国の傲慢な態度に、怒りを禁じえない県民の気持ちが伝わってくる。がんばれ沖縄。アベ政権に負けるな。
(2017年5月31日)

総理へ忖度「ない閣府」? 実は圧力「かけ学園」。

圧力など一切ありません。はっきり申しあげておきます。昨日(5月29日)の参院本会議で申しあげたとおり、ワタクシが総理として「圧力を働いた」などということは一切ございません。常識でお考えください。一国の総理であるワタクシの口から、実は「ワタクシの腹心の友が理事長を務める学校法人「加計学園」が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、国家戦略特区諮問会議を主宰するワタクシ自身が圧力を働いて行政をねじ曲げました」などと告白できるはずがないじゃないですか。

新学部設立認可に至るいずれのプロセスも関係法令に基づき適切に実施しており、なんの問題もありません。もしあなたが、この経過を「不自然だ」とか、「透明性に欠ける」「説明責任が果たされていない」とか、あるいは何らかの忖度や圧力があったのではないかなどとお考えだとすれば、それはあなたの目の狂いによるものです。反日的な陰謀に乗せられて偏向しているのが原因と、自らを反省してください。偏向はいけません。すぐに糺さなくては。

とりわけ、突然に銓衡基準が変更されて加計学園一本に絞られたプロセスが不透明な疑惑と指摘されているようですが、疑惑があるというのなら、まずはちゃんとした証拠を出してくださいよ。ちゃんとした証拠も出さずに、圧力だの忖度だのというのは無責任じゃないですか。

あんな8枚の怪文書、ちゃんとした証拠にはなりませんよ。あんなもの。前川喜平・前文部科学事務次官の証言なんかダメですよ。あんな人。もっとちゃんとした証拠でなくっちゃ。文書なら作成名義と公印のはいった公文書。証言なら、在職中の人が職を掛けてお話しするのでなくては。辞めた人が、辞めたあと腹いせにしゃべったことなど信用できますか。それに、常に公正で偏向していないメディアとして知られている読売新聞が報じているとおり、いろいろ問題のある人ではありませんか。

「総理のご意向」とか、「官邸の最高レベルが言っていること」という、あの怪文書。文科省で真摯に調査をしたんですよ。でも、その結果、該当する文書の存在は確認できなかったと承知しています。誰がなんと言っても、確認できないものは、存在しないのです。あるものをないと言っているのではありません。ないものをないと言っているのです。黒は黒、青は青と言ったのですから、いったいどこに問題があるというのでしょうか。

ワタクシはですね、規制改革を全体としてスピード感を持って進めるよう常に指示してきたんですよ。規制緩和には必ず根強い抵抗勢力が存在します。既得権益にしがみついて、「労働者保護法制を守れ」とか、「消費者の権利を守れ」とか、食の安全が大切だ、危険な薬やサプリメントを取り締まれ、など言う輩が抵抗勢力ですよ。ワタクシは、これらの抵抗勢力と精一杯闘って、規制改革を推進しているんです。だから、そりゃ、「労働者の敵」、「消費者利益の敵」、「製薬企業やサプリメント業者の手先」、「大企業の走狗め」とワタクシの評判は悪いんです。

でも、規制緩和の推進に関しては、安倍内閣は決して抵抗勢力に屈することありません。政局目当てで既得権益に妥協したり、抵抗勢力と手を結ぶようなことは決してしません。これからも、総理大臣であるワタクシが先頭に立って、内閣の総力を挙げてあらゆる岩盤規制に穴を開けて、企業利益擁護に徹した挑戦を続けていく決意です。そういう心意気で、ワタクシは、加計学園獣医学部設立認可の道を開いたのです。この場合の抵抗勢力って何か。もちろんワタクシに逆らう人々のことですよ。

これまでは獣医の人員過剰で、獣医学部設立の必要なしといわれていた岩盤規制でした。これをワタクシが骨を折って、ドリルで穴を開けたのです。長年の友人である同学園の理事長のために利益誘導を図ったのではないか、とは木を見て森を見ない類の近視眼的なものの見方。

ワタクシが大好きな、教育勅語にこうあります。「爾臣民…朋友相信シ(なんじしんみん、ほうゆうあいしんじ)」と。なんと言われようとも、ワタクシと腹心の友とが親友として、相信じて支え合い、お互いのために利益をはかり合っているのですから、これは美談ではありませんか。

今日(5月30日)になって、さらに報道がエスカレートしています。一番ひどいのが朝日新聞。

前川氏は、昨年9~10月に和泉洋人・首相補佐官と首相官邸に呼び出され、首相官邸の補佐官室で和泉氏と2人きりで複数回面会した。その際に、「総理は自分の口から言えないから、ワタクシが代わって言う」と言われたことをはっきり覚えている。「獣医学部新設を早く認めるよう求める趣旨だった」「『加計学園』という具体名は出なかったと記憶しているが、加計学園の件であると受けとめた」という記事。

なるほど、前川さんの証言は、内容が具体的で確かに臨場感があります。でも、一方の話だけを信じてはいけない。和泉洋人・首相補佐官は、ちゃんと「記録が残っておらず、確認できない」と言っているではありませんか。記録がなければ、事実もなかったということなのですよ。

お分かりでしょう。事実の認定は、歴史の見方と同じです。南京大虐殺も、従軍慰安婦強制連行も、あなた方は「あった」というが、ワタクシは「ない」と信じています。忖度も圧力も「ない」のですよ。だって、記録がない。ちゃんとした証拠もないんですもの。ちゃんとした、ワタクシが納得できる証拠がね。

だから、前川さんの国会での証言なんて絶対に認められるはずはない。表向きこそ、「国会が決めること」なんて言ったけど、本当はそんな余裕はない。必死に圧力をかけまくって、忖度させているところなのですよ。
(2017年5月30日)

読売の自業自得ー何を言っても政権擁護としか聞こえない。

商業活動を行う者にとって、信用とはかけがえのない大切なものだ。商業の世界で、一度失った信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、愚かな人の性というもの。

江戸期の商道徳は信仰と結びついていたという。近江商人が真宗を信仰して、商業による自己の利益を顧客への奉仕による「御利益」と観念したことが広く知られている。彼らにとっては、日常の商業活動が菩薩行であって、顧客からの信用の保持は、経済的な打算よりは、むしろ信仰上の規範であったようだ。だから、老舗は近視眼的に判断を誤ることが少なかったと説かれる。

ジャーナリズムは権力に毅然としていなければならない。権力から独立しているとの社会的信用が、ジャーナリストにとってはかけがえのない財産である。「政府の公報担当」「権力の走狗」とレッテルを貼られて一度失った社会的信用の回復は極めて困難である。目先の利益に飛びついて、大切なジャーナリストとしての社会的信用を失うことは愚の骨頂なのだが、ついつい判断を誤ってあとで後悔するのが、浅はかな御用新聞の性というもの。

ジャーナリストとは、本来が本能的な権力批判者である。ジャーナリストの倫理とは、在野、反権力に徹した精神である。権力者と一緒に寿司を食えるセンスの持ち主はジャーナリストを志望してはならない。日常の取材論評の活動の根底に健全な権力批判の精神のあることが、社会的信用の根源である。そのジャーナリスト・スピリットは、記者の内奥に沈淪する倫理であって、打算とは無縁なもの。だから、尊敬されるジャーナリストは、すべからくやせ我慢をしてでも権力批判に徹している。

今や、アベから「読売新聞をよく読んで」と言われ、政府の窮地を救うべく、忠犬役を買って出た読売である。「政府広報紙と堕した」「アベ政権の走狗となった」と言われて、社会的信用を失墜した。その読売が、腹心の友学園問題についての社説を書いている。一昨日(5月27日)のことだ。

タイトルは、「加計学園問題 『特区指定』の説明を丁寧に」というもの。このタイトルで、読売が記事を書けば、アベ政権の走狗となるべくシッポを振って、自社の紙面を大きく割いたスキャンダル記事をどう釈明しているかの興味しか湧かない。今後しばらくは、読売の記事は、読売とアベ政権との距離についてどう書いているかだけの関心しか持てない。信用回復は困難と言うよりは、もう無理ではないだろうか。

と思いつつ、我慢して社説を読んでみよう。読めば、どうしても、突っ込みをいれたくもなる。

「前次官が在職中の政策決定を公然と批判する。異例の事態である。政府には、疑念を払拭する努力が求められよう。」
前次官の私的スキャンダルを暴く記事を掲載して、前次官の内部告発(公益通報)を妨害し、政府の疑念払拭懈怠の姿勢を援護した読売ではないか。まずは、自らの襟をただして、その姿勢の反省から出発せよ。

「学校法人『加計学園』が愛媛県今治市に大学の獣医学部を新設する計画を巡って、前川喜平・前文部科学次官が記者会見し、早期の学部開設は『総理の意向』と記した文書について『確実に存在していた』と明言した。内閣府との協議を踏まえ、文科省の担当課が作成したという。」
当該の文書の受領者の証言なのだから、疑問の余地のないこと。さすがに、読売もこの点に疑義をはさむことができないようだ。

「疑問なのは、前川氏が国家戦略特区による獣医学部新設を『極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた』と批判したことだ。」
それだけではない。「職員は気の毒だ」「赤信号を青信号にさせられた」とも語っている。読売は、政権にとっての不都合を、すべからく「疑問」というわけだ。

「獣医師の需給見通しなどが十分に示されないまま内閣府に押し切られたとして、『行政のあり方がゆがめられた』とまで語った。これが事実なら、なぜ現役時代に声を上げなかったのか。」
読売さんよ、自分のこととしてお考えいただきたい。現役の読売記者が、公然と「当社は政府広報機関と堕した」「読売はアベ政権の走狗となった」「ジャーナリズムの倫理を失った」「クォリティペーパーとしての社会的信用を失墜した」と声を上げることができると考えられるか。

「規制改革を主導する内閣府と、業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁が対立することは、ままある。」
これが政権の構図。読売も、この件をそんな対立図式として見ているのが「権力の走狗」たる所以。もっと別の見方は、種々あり得る。また、仮に読売社説図式でものを見たとしても、「業界保護の立場から規制の例外を認めたくない関係省庁」とは、この場合文科省ではなく、農水相であり厚労省であって、文科省ではない。

「問題は行政手続きの適正性であり、菅官房長官は『国家戦略特区法に基づく手続きを経た』と強調している。」
信じがたい愚論。「問題が行政手続きの適正性である」なら、その具体的な検証をすべきが大新聞の責務であろう。権力側の言い分だけを引用してこと足れりとしているその姿勢は、まさしく「政府広報紙」と呼ぶにふさわしい。

「与党は、野党による前川氏の証人喚問要求を拒んでいる。政府は文書の存在を否定し、文科省の再調査も必要ないとしているが、その主張はやや強引ではないか。野党は、安倍首相が長年の友人の加計学園理事長に利益誘導したのではないか、と追及する。官僚が忖度した可能性も指摘する。首相は、「学園からの依頼は一切ない」と述べ、加計学園の特別扱いはなかったと言明している。内閣府も、『総理の意向』との発言や、首相の指示を否定する。政府は、特区を指定した経緯や意義について、より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう。」
何と生温い。政権におもねって遠慮がちな、みっともない読売。一省の事務次官が、「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた」「行政のあり方がゆがめられた」と断定しているのだ。首相の腹心の友の私的な利益のために、行政がゆがめられたとの指摘が本質的な問題。これを「より丁寧かつ踏み込んだ説明をすべきだろう」は、問題を説明の仕方、丁寧な説明の不十分にすり替えようという邪悪な魂胆。こんな社説でよかろうはずがない。

「今治市は2007年以来、特区指定申請を15回も却下された。民主党政権下の10年に「対応不可」から「実現に向けて検討」に格上げされ、16年に認められた。獣医学部は1966年を最後に新設が認められていない。獣医師の過剰を防ぐためだが、専門分野や地域で偏りがあり、開設を求める声も根強い。まず特区に限定した規制緩和は理解できよう。」
いや、理解できない。それは大新聞の言うべきことではない。新聞社の責任をもって「獣医師の専門分野や地域で偏りがある」のか否かを調査した後でなくては軽々に政権の肩をもった意見を述べるべきではない。

「規制緩和は安倍政権の重要政策であり、仮に首相が緩和の加速を指示しても問題はあるまい。」
とんでもない。問題大ありである。規制緩和一般を善とする無原則な姿勢こそ、権力にある者の利権や、政治の私物化の根源ではないか。

「野党は、首相の交友関係に焦点を当て、学校法人「森友学園」問題と関連づけている。しかし、獣医学部誘致は今治市が中心になって長年取り組んできた懸案だ。同列に論じるのは無理があろう。」
読売の正体見たり、である。今治市への獣医学部誘致は、安倍晋三という政治家の腹心の友の利益と一体であった。長年取り組んできてできなかった懸案が、国家戦略特区構想として突然に実現したからおかしいと言っているのだ。他の有力候補に優越して、どうして腹心の友学園だけに絞られたかも疑惑だらけ。

 世は闇だ 赤は青なり 黒も白
 読売の紙面凍てつく 寒さかな
 やせがえる負けるな アベにもメデイアにも
(2017年5月29日)

怒りをもって、「アベ友学園事件」「腹心の友学園事件」の疑惑徹底解明を求めよう。

醍醐聡さんから下記のご連絡をいただいた。
お知り合いの皆様へ
ここ数日、文部科学省の前川喜平・前事務次官の証言を機に加計学園問題をめぐって緊迫した政治状況になっています。
そうした中、私も参加する「森友問題の幕引きを許さない市民の会」主催で6月13日に次のようなシンポジウムを開きます。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-7be4.html

「森友・加計問題を考えるシンポジウム」
日 時   6月13日(火)14時30分~(14時から入館証渡し)
会 場   衆議院第一議員会館 大会議室(地下一階)
パネリスト 小川敏夫(民進党 参議院議員)
宮本岳志(日本共産党 衆議院議員)
杉浦ひとみ(弁護士)
青木 理(ジャーナリスト)
コーディネ-タ- 醍醐 聰(東京大学名誉教授)
主 催   森友問題の幕引きを許さない市民の会
資料代 500円

◆ご参加と広報にご協力ください
シンポジウムのチラシのURLは次のとおりです。
http://sinkan.cocolog-nifty.com/LASTsin-moritomo210x297outlined.pdf

◆当日は早めにお出かけください
会場の収容人数は300人です。消防法の規制のため、入館証は300人分しか、発行されません。300人に達したところで受付は終了します。
参加くださる方は入館証渡しを始める時刻(14時)より早めに会場へお出かけください。

◆昭恵夫人らの証人喚問を求める署名の広報にご協力ください
今、こういう取り組みもやっています。
ツイッター、FACEBOOK、をお持ちの方は下記URLから、
リツイート、シェア、いいね、等で拡散していただけるようお願いします。
安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名(ツイッター)
https://twitter.com/toketusa98/status/867852029019832320/photo/1
安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名(FACEBOOK)
https://www.facebook.com/NHKhouiJikkoCOM/posts/552549888466533
諸々のサイト
・署名用紙のダウンロード: http://bit.ly/2qkwucT
・ネット署名のフォーム:  http://bit.ly/2rdgyXe
・ネット署名/メッセージの集約状況の閲覧サイト: http://bit.ly/2r68HhH
よろしくお願いいたします。

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安倍昭恵氏らの証人喚問を求める署名運動、今日からスタート(2017年5月17日)
政府・与党は安倍夫妻が疑惑の中心にいる森友学園問題の幕引きを図ろうと執心しているが、逆に疑惑は深まる一方である。8億余円もの値引きの根拠として、地下9mのゴミの撤去費用が挙げられてきたが、工事業者自身、そのようなゴミの存在を確認していないと語っているし、籠池理事長も約3m以上、掘った覚えはないと証言している。国会でも、地下9mとは沖積期時代の地層であり、そのような地層にゴミが存在するはずがないという指摘もされている。
このような指摘に対し、安倍首相は悪意の「印象操作」と突き放すばかりで、疑惑を払しょくする答弁を全く行っていない。昭恵夫人に向けられた疑惑についても「妻は妻は」と無内容なはねつけを続け、夫人の証人喚問をかたくなに拒む一方で、野党を挑発するすり替え答弁を切れ目なく続けている。
しかし、昨日、今日の報道では疑惑は加計学園(岡山市内の学校法人)にも及んでいる。政府が国家戦略特区として同学園が新設を計画していた獣医学部を認定するにあたって、内閣府が文科省に対し、「安倍首相の意向だ」と伝えた文書があるという指摘が国会で出された。
このように安倍首相がらみの疑惑が深まり、広がるなか、各界の有志15人は連名で「安倍昭恵氏ほかの国会証人喚問を求める要望署名」の運動を企画し、準備が整った今日から、この署名運動をスタートさせた。署名用紙の全文は次のとおりである。
署名の第一次集約日 6月14日

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安倍昭恵氏ほかの国会証人喚問を求める要望署名
衆議院議長 大島理森 様
参議院議長 伊達忠一 様

呼びかけ人
池住義憲(元立教大学大学院特任教授)/太田啓子(弁護士)/丘修三(児童文学作家)/きどのりこ(児童文学作家)/小林和子(『週刊金曜日』編集長)/笹井明子(老人党リアルグループ「護憲+」管理人)/佐々木江利子(児童文学作家)/杉浦ひとみ(弁護士)/醍醐聰(東京大学名誉教授)/武井由起子(弁護士)/根本仁(元NHKディレクター)/藤田高景(村山談話を継承し発展させる会・理事長)/八木啓代(健全な法治国家のために声をあげる市民の会・代表)/湯山哲守(元京都大学教員・NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ)/ 渡辺眞知子(キリスト者政治連盟)

森友学園問題に関するどの世論調査をみても回答者の7,8割が「政府の説明に納得できない」と答えています。その最大の理由は鑑定価格9億円余の国有地が約8億円も値引きされて森友学園に払い下げられた経過、根拠について政府が納得のいく説明をしていないことにあります。また、国有地払い下げの経過を記した公文書を廃棄したと繰り返す財務省理財局の答弁にも強い批判が向けられています。
さらに、時の総理大臣夫人・安倍昭恵氏が、教育勅語を礼賛するなど教育基本法の理念に反する教育を進める森友学園の小学院(2017年4月開校予定)の名誉校長に就任したことに批判が起こっています。また、昭恵氏が同夫人付きの政府職員を介して、問題の国有地の払い下げに深く関与していた疑惑も指摘されています。にもかかわらず、安倍夫人が沈黙を続けていることに批判が広がり、安倍夫人も籠池泰典氏と同じ条件で証人喚問を行うべきという意見が高まっています。
そこで私たちは、皆院議長に次のことを申し入れます。

申し入れ
安倍昭恵氏、迫田英典氏(前財務省理財局長)、武内良樹氏(前財務省近畿財務局長)、田村嘉啓氏(財務省国有財産審理室長)、松井一郎氏(大阪府知事)、酒井康生氏(森友学園元弁護士)をすみやかに国会に証人喚問し、国有地の格安売却など森友学園をめぐる一連の疑惑を徹底究明すること

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私たちは主権者だ。私たち一人ひとりの意思の集積が政治を形づくることになる。一人ひとりの意思は、表現しなければ無に等しい。権力の理不尽には、怒りの声を上げなければならない。総理の友人や支援者への利益供与という私利私欲政治を許してはならない。
政治家や政党にお任せでも、メディアにお任せでも、主権者としての責務は果たせない。声を上げよう。

「アベ友学園事件の疑惑は解明されていないではないか。このままでの幕引きは許さない。」「腹心の友学園事件の疑惑解明はこれからだ。徹底して明らかにせよ」「二つの事件は偶然のきっかけで発覚した。実は、アベ政権が隠し通している疑惑の事件は、もっともっとあるのではないか」「全ての政治過程、行政過程の透明性を確保せよ」。
集会への参加や、署名によって、主権者としての怒りを表明しよう。
(2017年5月27日)

そこのけ、そこのけ、「総理様のご意向」だ。 ー 醜悪なりアベ政治。

前川喜平前文科省事務次官の肚をくくった発言に驚いた。驚いただけでなく、爽快感と感動をさえおぼえた。なんと言っても、つい先日までの事務次官である。腹心の友学園設立認可問題の当事者中の当事者。その人が決然と、ホイッスルを吹き鳴ならしたのだ。政権への衝撃は計り知れない。

人は、どこかで迷いを吹っ切って決断する。後戻りのできないことを覚悟で、ルビコンを渡るのだ。多くの場合、自分のプライドを守るために。一寸の虫にも五分の魂があることを、自分にも言い聞かせ、人にも知ってもらうために。

この人の場合も、黙っていれば安穏な立場。政権に不愉快なことを言えば首が寒くなることは百も承知で、危険を冒して敢えて言わねばならないことを言ってのけたのだ。その心意気やよし。拍手を送りたい気分。

誰もが知っている。組織の中の人間は、組織に縛られている。発言も行動も組織に制約される。官僚機構において、人事権を握られている立場であればなおさらのことだ。「辞めたあとではなく、在職中に言うべではなかったか」とは、ためにする愚論。そんなことができるはずもない。在職中に言ってみろ。炙り出されて、叩かれ踏みにじられて追い出されるのがオチとなる。

今にして思えば、この人が天下り問題で引責辞任したのは、日本国民にとっての僥倖だった。しかも、「8枚のレク文書」について、政権が怪文書扱いとし、文科大臣に「存在を確認できなかった」と言わせたことも。「あったものをなかったことにはできないということを申し上げたい。」と、発言を決断したのだから。これも、菅官房長官のお手柄であったと言ってよい。

今や前川発言は、文書の存在・真正の問題をはるかに飛び越え、たくまずしてアベ政権の醜悪な心臓部を射貫くことになった。アベ政権の醜悪とは、総理の腹心の友の利益のために、行政機構をあげての密室政治のことだ。行政の公平・公正が大きく歪められていることだ。それを外に漏らさぬように内部を締めつけ、秘密が漏れそうになるとスキャンダル情報を収集し御用メディアを使って個人攻撃をする。これを醜悪と言わずしてなんと言うべきか。

幾つかの感想があるが、最初に述べておきたいのは、毎日新聞西山記者事件の苦い経験を思い起こさねばならないということ。スキャンダル問題への論点ずらしの策略に乗せられてはならない。

報じられているこの人のスキャンダルが真実かどうか、どの程度のものかは知る由もない。それがどのようなものであってもこの際問題ではない。問題は、政権がスキャンダルをもちだして、論点ずらしをたくらんでいることなのだ。

論点の中心は、飽くまで行政の公平・公正が害されたことにある。前川発言は、「非常に行政のあり方として問題だ。きわめて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた。また公正公平であるべき行政のあり方がゆがめられたと認識している」「これ以上、行政のあり方をゆがめることがないようにしてほしい」と言っている。これが、腹心の友学園に大学設立認可を与えた文科省の事務方トップの言なのだ。

行政は公正公平なものでなければならない。しかもその過程が透明で、説明責任を全うするものでなくてはならない。いやしくも、総理の腹心の友に利益を供与するために行政がゆがめられてはならない。それだけではなく、行政の公正性に国民が信頼をおけるものでなくてはならない。疑惑を払拭できなければアウトなのだ。

「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい。これは官邸の最高レベルが言っていること」「総理のご意向」「30年4月で決まったことだ、大前提である」。こんな文字が踊っている文書がホンモノだというのだ。納得できる根拠の説明あるまでは、疑惑を否定しえない。

「いったん設置が認可された大学は、国民から預かった税金から私学助成もしなければならない。したがって大学の認可はきちんと根拠をもって行わなければならない。」「獣医師の将来需要について、農水省に、きちんと見通しをたててもらわないといけない。文科省としては将来の人材需要についてきちんと見通してくれなければ、責任がもてないといい続けてきた。ところが農水省、厚労省も明確な見通しを示してくれなかった。その中で規制改革が行われた。獣医学部の新設について特例を認めるという結論が出てしまった。」

このことをもって、「行政のあり方として問題」「きわめて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた」「公正公平であるべき行政のあり方がゆがめられた」と言っているのだ。

「危険にして醜悪なるアベ政治」。もう、国民の手で舞台から降ろさねばならない、その潮時ではないか。
(2017年5月26日)

「改めて憲法の意義を確認し、立憲主義を堅持しよう。」ー日弁連定期総会宣言案

5月26日、日本弁護士連合会は2017年度の定期総会を開催する。以下が、その総会で付議され採択予定の宣言案である。「改めて憲法の意義を確認し、立憲主義を堅持する」との表題が付せられている。

「日本国憲法が施行されて、今年で70年を迎えた。今日、国家による自由への介入の強化、恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制など立憲主義の危機ともいえる状況が生じている。今こそ、70年の歴史を振り返り、また、人権侵害と戦争をもたらした戦前への深い反省の下、この憲法が、近代立憲主義を継承し、先駆的な規定を設けたことの意義と、市民の取組のよりどころとしての役割を果たしてきたことを、未来に向けての指針として、この危機を乗り越えていくことが求められている。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものであり、私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認することが、何よりも重要である。

当連合会は、改めて基本原理である基本的人権の尊重、国民主権、恒久平和主義と、それらを支える理念である立憲主義の意義を確認し堅持するため、今後も市民と共にたゆまぬ努力を続ける決意である。」

実は、昨年(2016年)10月の人権擁護大会でも、日弁連は「憲法の恒久平和主義を堅持し、立憲主義・民主主義を回復するための宣言」を採択している。2005年の同大会でも、「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」である。このところ、「立憲主義の堅持ないし回復」が重ねての意見表明を必要とする大きな課題として意識されている。「立憲主義」が揺らいでいる。あるいは危機が忍びよっているということなのだ。

堅持あるいは回復の宣言を重ねなければならない「立憲主義」とは何であるか。その説明を日弁連自身が次のように述べている。
「国民が制定した憲法によって国家権力を制限し、人権保障をはかることを『立憲主義』といい、憲法について最も基本的で大切な考え方です。」

したがって、立憲主義が揺らいでいる、あるいは危機にあるということは、憲法によって制限されているはずの国家権力が制約から外れて暴走しているということだ。憲法が、国家権力を縛りつけておく力量を喪失しつつあると危惧せざるを得ない事態なのだ。

その傾向は、安倍政権誕生以来著しい。あるいは、立憲主義が危うくなる時代状況が安倍政権を生み出したのかも知れない。いずれにせよ、安倍内閣と立憲主義は、相容れない関係にある。したがって本来は、暴走する安倍政権に警告を発すべきが筋である。あるいは、安倍政権を支えている諸勢力に、立憲主義尊重を突きつけなければならない。

しかし、弁護士全員の強制加盟団体である日弁連である。まさか安倍退陣を迫るなどできようはずもない。結局のところ宣言は、「私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認する」「当連合会は、改めて立憲主義の意義を確認し堅持するため、今後も市民と共にたゆまぬ努力を続ける決意である」として、「私たち一人ひとり」と「当連合会の努力」の課題にとどめている。

とはいえ、宣言案には、職能集団である日弁連の危機意識も相当強く滲み出ている。
「今日、国家による自由への介入の強化、恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制など立憲主義の危機ともいえる状況が生じている。」というのだ。

「国家による自由への介入の強化」の最たるものが、共謀罪創設のたくらみであろう。特定秘密保護法もしかり。総務大臣の電波メディアへの「停波恫喝」もしかり。沖縄での平和運動への暴力的介入もしかりである。

「恒久平和主義に反する集団的自衛権の行使を可能とした安保法制」も、立憲主義危機の顕著な徴表である。何しろ、憲法に縛られるはずの内閣が、「気に入らない憲法だから、解釈を変えてしまえ」と、閣議決定で憲法解釈を覆してしまったのだ。明文改憲ができないから、閣議決定で「壊憲」に及んだというべき事態である。

「今こそ、人権侵害と戦争をもたらした戦前への深い反省の下」も、含蓄が深い。対峙しているのが、「戦後レジームからの脱却」を呼号し、「(伝統の)日本を取り戻す」とスローガンを掲げる現政権なのだから。

「この憲法を…未来に向けての指針として、この危機を乗り越えていくことが求められている。」というのは、断固現行憲法を擁護するという宣言である。私は、その点でこの宣言案を支持する。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものであり、私たち一人ひとりが、不断の努力により自由と権利を保持し、立憲主義を堅持する責務を負っていることを確認することが、何よりも重要である。」は、明らかに憲法97条を下敷きにした文章。周知のとおり、自民党の改憲草案は同条の全文削除を提案している。ここにも、日弁連の日本国憲法堅持の姿勢を見て取ることができる。

権力には絶えざる批判が必要である。しかし、権力は、批判をきらい、社会の全てを支配し膝下におこうという衝動を常にもつ。そのような権力に、一歩も引くことなく対峙すべきことを使命とする幾つかの部門がある。ジャーナリズムがそうであり、大学がそうだ。けっして権力の支配に組み込まれてはならず、権力から距離を持ち、独立していなければならない。司法もそうだ。とりわけ、在野法曹は権力から独立し、必要な批判を怠ってはならない。今こそ、在野性に徹した権力批判が必要なときなのだ。
(2017年5月16日)

「日本国憲法施行70年に際し、安倍首相の改憲発言と戦争法の発動を断固糾弾する」ー日民協声明

日本国憲法が施行されて70周年の2017年5月3日に相前後して、安倍晋三政権による憲法破壊の暴挙が相次いだ。

安倍首相は、5月1日に開催された「新憲法制定議員同盟」の集まりで、「改憲の機は熟してきた。必ずや歴史的一歩を踏み出す」と挨拶したのに続いて、5月3日に開催された改憲派の集会にビデオ・メッセージを寄せて、「憲法9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加して、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。また、日本維新の会が主張する憲法改正による教育無償化に関して、「高等教育についてもすべての国民に真に開かれたものとしなければならない」と述べ、実現に意欲を表明した。

同首相は、これを「内閣総理大臣としてではなく、自民党総裁としての意見表明だ」としているが、そのような手前勝手な「使い分け」はおよそ通用しない。憲法99条によって憲法尊重擁護義務を負い、かつ73条1号により「法律の誠実な執行」の事務を担って、66条3項によって「行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う」内閣のトップとしての立場をわきまえない、憲法無視の態度に他ならない。日限を明確にし、かつ内容もきわめて具体的な改憲発言である以上、首相の権限逸脱のそしりも免れない。この問題を国会で追及されてまともに答えずに発した「読売新聞を読め」との言は、国会軽視と自らの職責の無自覚も甚だしい。

その発言内容に着目すれば、自衛隊の存在を明記する第3項の9条への追加、いわゆる「加憲」は、9条改憲の一形態に他ならず、現行憲法を「改正」する点においては、自民党の2012年改憲案と何ら異なるところはない。自衛隊の存在を合憲化する3項を加えれば、現在の9条1項と2項の意味は自ずと変わるのであり、より端的に言って、3項によって「上書き」された2項の「戦力不保持」の規定は死文化する。そして、合憲化される自衛隊は、2015年制定の安保法制(戦争法)によって集団的自衛権行使や他国軍への「後方支援」の権限を付与された自衛隊であって、「専守防衛の自衛隊の合憲化」では決してない。3項の追加を契機にして、いずれは軍法会議や緊急事態条項の提起にまで及ぶことは必至である。また、高等教育を含む教育の無償化の問題は、あえて憲法に書き込まなくても法律の制定や予算措置で実現可能なことであり、この問題の「憲法化」は、むしろ現在の日本における喫緊の教育課題であるはずのこの問題の「先送り」を意味する。

さらに、安倍政権は、GWのさなかに、北朝鮮とアメリカとの対立と緊張が激しさを増す情勢の下、安保法制によって新設された自衛隊法95条の2による「米艦防護」の「任務」を米側の要請を受けて自衛艦に付与し、自衛艦は米艦と太平洋上を並航した。ところが、安倍首相や菅義偉官房長官らは、今回の活動の内容について国会で質問されてもつまびらかにせず答弁を拒否している。もし、自衛艦の行動が米艦の軍事作戦に対応したものであれば、状況から判断して北朝鮮に対する「武力による威嚇」に他ならず、これらは国連憲章2条4と日本国憲法9条1項に違反する危険極まりない軍事行動である。

本協会は、4月19日、「軍事力で問題は解決しない!米朝対立による戦争の危機を回避せよ」を緊急声明として発表したが、その趣旨をここでも再確認したい。今回の「米艦防護」を口実にした自衛艦の行動は、安保法制とその発動が、「軍事秘密」のベールに包まれて国民と国会の監視を受けることなく行われること、その意味において安保法制は、憲法9条に違反すると同時にアジアの平和にとって役立つどころか戦争の引き金になりかねない危険極まりないものであることを如実に示した。

私たちは、以上のような安倍首相の改憲発言と安倍政権による違憲の戦争法の発動を断固糾弾するとともに、施行70年を迎えてますますその価値が高まりつつある日本国憲法を守り、アジアひいては世界の平和のためにこれを実現していくための努力を今後とも続けていくことをここに宣言する。

2017年5月11日
日本民主法律家協会
理事長  森 英樹
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以上が本日確定し発表した、日本民主法律家協会の安倍晋三改憲発言に関する抗議声明である。

論点はいくつもあるが、本声明の特色は、「自衛隊の存在を合憲化する3項を加えれば、現在の9条1項と2項の意味は自ずと変わる」ことの指摘にある。いうまでもなく、「自衛隊」は日本国憲法上の概念ではない。問題は、これを憲法に押し込むことがどのような意味を持ちうるか。単なる現状の追認にとどまるだろうか。

7・1閣議決定と戦争法によって、自衛隊とは集団的自衛権行使可能な実力組織となっている。つまり、海外で戦争遂行が可能な装備と編成を常備し、ことある折には個別的自衛権の行使を超えた実力の行使をなしうるとの解釈が可能なものとなっている。

安倍晋三が9条3項をおくことによって合憲化しようという自衛隊は、そのような「自衛隊」なのだ。けっして、「戦力にあたらない実力組織」などという無色のものではなく、戦争法によって黒く色塗りされた、戦うことのできる「自衛隊」にほかならない。その結果、「3項によって『上書き』された2項の『戦力不保持』の規定は死文化する。そして、合憲化される自衛隊は、2015年制定の安保法制(戦争法)によって集団的自衛権行使や他国軍への『後方支援』の権限を付与された自衛隊であって、『専守防衛の自衛隊の合憲化』では決してない」と説明されているとおりなのだ。
(2017年5月11日)

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