澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

広島地検は、徹底して河井案里選挙の違法を追及せよ。政権への忖度などあってはならない。

自民党河井案里参議院議員の公設秘書ら3人が公職選挙法違反で逮捕されたね。検察もやるときはやるってことじゃない?

さあね。この先を見極めないとなんとも言えないんじゃないかな。

でも、河井案里の選挙運動は安倍首相肝いりだったと報道されているよ。自民党からは1億5000万円も資金がつぎ込まれ、安倍の秘書まで動員されたというじゃない。そこに踏み込んだのだから、広島地検も相当の覚悟のように見えるけど。

自民党現職として同じ選挙区に立候補して落選したのが岸田派の溝手顕正。こちらの陣営も河井案里の派手な選挙活動には驚いたそうだね。溝手には、党から1500万円しか届けられていない。なにせ10倍の資金だから、目立ち過ぎて検察も動かざるを得なかったのかも知れない。

夫の河井克行が選挙を取り仕切ったと言われているでしょ。この人は参院選当時の法務大臣。しかも、安倍・菅の身内の子分みたいな存在。検察も手を着けるのにためらいを感じたはず。そこに手を着けたということは、検察も意地を見せたんじゃないの。

安倍政権は不祥事満載じゃないか。モリ・カケ・サクラ、カジノ、管原・河井。それに入試疑惑もある。これだけあって、手を着けているのは、カジノ疑惑の小物と、この河井案里案件だけじゃないか。とても「検察よくやった」なんていう気にはなれない。

それでも、安倍首相にしてみれば、河井案里選挙違反に関しては、検察が自分の思うままにならないといういらだちがあるんじゃないの。

検察という機構は、時の総理大臣をも、強制捜査して起訴する権限がある。総理に忖度していては公正な職務を全うできない。

それはそうね。モリ・カケ・サクラ、カジノに入試疑惑と数えると、安倍晋三とその直近に、嫌疑がかかってくる事件だものね。

河井案里案件処理の関心のひとつは、逮捕された公設秘書を起訴して、公職選挙法上の「総括責任者」として有罪に持ち込めるか。それができれば、連座制の適用で河井案里の議席は剥奪となる。もう一つは、報道では選挙を取り仕切っていた河井克行を起訴できるかだ。これを有罪にできれば、この議員の衆議院での議席を剥奪できることになる。これは、安倍政権にインパクトが大きい。

黒川検事長の定年延長は、安倍自身が、身の灰色を自覚しての布石ということなのかしら。

そうとしか考えられないというほどの異常なやり口だから、このままだと検察の権威は地に落ちるね。まずは河井案里事件がどうなるかだけれど、これだけでは、とても検察よくやったとは言い難い。

案里の件は、「ウグイス嬢に規定を超える報酬を支払った疑い」とされているけど、自民党内には、「誰でもやっていることで大したことではない、法律の方が現実に合わない」という声もあるようだけど。

まったく嘆かわしい。選挙というものの基本が分かっていない。選挙運動というものは、本来が主権者である有権者国民が行うものであって、無償が大原則だ。車上運動員に、1日15000円の日当支払いを認める法律の方がおかしいんだ。

選挙運動のアルバイトという感覚がおかしいのね。案里の選挙では30000円の領収書は作れないから2枚に分けて、収支報告書には15000円分のものだけ記載していたそうね。これを「河井方式」と呼んでいたそうだけど、案里の選挙運動に関わった全員が違法であることを承知していたんだ。

あなただって、この間の地方選のときには選挙カーに乗ってウグイスやったじゃない。日当はもらわなかったの。

選挙運動に日当なんて文化が違うわね。アルバイトじゃなくて、自分の推薦する候補者の選挙運動をするんだから日当をもらうなんて考えもよらなかった。あのときは、カンパの要請があったから、こちらから支払ってきたわよ。

案里の選挙では、ウグイス嬢への違法日当支払いだけでなく、票のとりまとめの報酬として96万円の支払いがあったとも報道されている。ウグイス嬢への違法日当支払も、票のとりまとめの報酬支払いも、運動員買収となる。カネを支払った者には運動員買収罪、日当名目でも報酬としてでもカネを受けとった者には被買収罪が成立する。カネを配ることは、犯罪者を作ることでもあって罪が深い。表に出ることはすくないが、現実にあることだ。

1億5000万円の選挙資金がいったいどう使われたのか。検察は、その全容を解明して、説明して欲しいね。安倍政権への忖度なしで。

そうしてこそ、政権から独立した検察だ。そして、再度確認しておきたいのは、選挙運動とは無報酬ですべきことだということ。選挙運動の対価として報酬を得れば犯罪となる。このことを肝に銘じなければならない。不当な弾圧などと言って通じることではない。

(2020年3月8日)

法律家団体9団体による「東京高検検事長黒川弘務氏の違法な任期延長に抗議する法律家団体共同声明」

2020年3月5日

社会文化法律センター      共同代表理事  宮里 邦雄
自由法曹団               団長  吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会    議長  北村  栄
日本国際法律家協会           会長  大熊 政一
日本反核法律家協会           会長  佐々木猛也
日本民主法律家協会          理事長  右崎 正博
明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表 神保大地、黒澤いつき
秘密保護法対策弁護団  共同代表 海渡雄一、中谷雄二、南典男
共謀罪対策弁護団  共同代表 徳住堅治,海渡雄一,加藤健次,南典男,平岡秀夫,武井由起子

1 はじめに
2020年1日31日の閣議決定で、2月7日で63歳を迎え検察官を定年退官する予定であった東京高検検事長の黒川弘務氏の任期が半年間延長されることになった。認証官である検事長はもちろん、検察官が定年を超えて勤務を続けた前例はない。
この人事は、黒川氏を、8月14日に65歳で定年退官となる稲田伸夫検事総長の後任に充てる目的といわれている。黒川氏は、かねてから菅官房長官と懇意であり、政権の中枢に腐敗事件の捜査が及ばなくするための人事ではないかとの疑惑が指摘されてきた。
報道によれば、2016年夏、法務・検察の人事当局は次の次の検事総長候補として林真琴法務省刑事局長を法務事務次官に就ける方針だったが、官邸から黒川氏を法務事務次官にするよう強く求められ、押し切られた。官邸は1年後にも林氏を事務次官とする人事を潰し、黒川氏を留任させた、とも報じられており(雑誌「ファクタ」1月号)、今回の事態は、官邸による検察・法務人事への介入の総仕上げといえる。

2 当初の法務大臣の説明
検察庁法22条は、検事総長は65歳、他の検察官は63歳に達した時に退官すると定めている。
ところが森雅子法務大臣は1月31日午前の閣議後の会見で、黒川氏について「検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定した」と述べた。その法的な根拠は国家公務員法の81条の3であるとし、「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」場合に該当するとして、定年を延長したとの説明であった。
そして森法務大臣は、2月3日の衆議院予算委員会で、国民民主党渡辺周議員の質問に対し、「検察官は,一般職の国家公務員であり,国家公務員法の勤務延長に関する規定が適用され」るという解釈を示した。

3 検察官に国家公務員法の定年・定年延長制度の適用はない-閣議決定は違法
1947年に制定された国家公務員法にはもともと定年制度がなく、社会情勢の変化の中で、1981年になって初めて定年制(国家公務員法81条の2)及び定年延長制度(同法81条の3)が導入された。しかし、同じ1947年に制定された検察庁法は、検察官は63歳に達した時に定年退官することを当初から規定し(検察庁法22条)、旧裁判所構成法時代には存在した定年延長制度を規定しなかった。
国家公務員法の定年制度は、「他の法律に別段の定めのある場合を除き」適用できると定められている(国家公務員法81条の2)。この「別段の定め」の一つが検察庁法22条である。検察官の定年は検察庁法によるのであって、国家公務員法によるものではない。従って、国家公務員の定年延長制度は、そのまま検察官に適用される関係にはない(検察庁法32条の2参照)。
何よりも、国家公務員一般に定年制がまったくなかった時代に、検察官について定年制が設けられたという事実は、検察官の定年制は国家公務員の定年制とまったく別の趣旨・目的で設けられたことを意味する。検察官の定年制は、検察官が刑事訴訟法上強大な権限を持ち、司法の一翼を担う準司法的地位にあるという、その職務と責任の特殊性に鑑み、検察官の人事に権力が恣意的に介入することを防ぐ趣旨を含むと解される。従って、検察庁法が制定されてから34年後に定められた国家公務員一般の定年延長制度が、検察官に適用されることはあり得ない。
そして、1981年の国家公務員法改正時、政府も検察官について国家公務員法の定年延長の定めは適用されないとする解釈をとっていたことが、当時の政府答弁、政府文書によって明らかになっている。すなわち、2月10日の国会審議では、1981年に政府委員(人事院任用局長)が上記解釈の答弁をしていた事実を山尾志桜里議員が指摘し、2月24日には、この1981年の政府答弁の根拠となる文書(想定問答集)が1981年10月に総理府人事院(当時)によって作成されていたことが、野党共同会派の小西洋之議員の国立公文書館での調査により判明した。

4 安倍首相の「解釈変更」答弁後における法務大臣・人事院の支離滅裂な対応
2月10日、上記山尾議員の指摘を受けた森法務大臣は、1981年の人事院の解釈について、そのような解釈は把握していないと答弁した。しかし、2月12日、人事院の松尾恵美子給与局長は、1981年の人事院の解釈につき「現在まで同じ解釈を続けている」と答弁した。
ところが、翌13日の衆院本会議で安倍首相は、「検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と答弁した。
この安倍首相の答弁後、法務大臣や人事局長は、これと辻褄を合わせるため、以下のとおりの支離滅裂な対応を繰り返したのである。
まず、2月19日の衆院予算委員会で、人事院の松尾恵美子給与局長は、「現在」とは1月22日のことだった、「言い間違えた」と答弁した。2月20日には、森法務大臣は、法務省が法解釈変更の経緯を示した文書について、「部内で必要な決裁を取っている」と答弁したが、同日、上記文書に日付がないことが判明し、翌21日の予算委理事会で法務省と人事院は、日付を証拠づける文書はないことを明らかにした。ところが、法務省は同日深夜、文書に関し「口頭による決裁を経た」と突然発表し、森法務大臣の答弁との整合性を取った。同月25日に森法務大臣は記者会見で、「口頭でも正式な決裁だ」と表明し、同月27日の衆院本会議では法務大臣の虚偽答弁を理由に不信任決議案までが出される事態となった。
これら一連の政府の対応は、1月31日の黒川検事長の定年延長についての閣議決定が、法務省や人事院の正規の決裁も経ないまま長年の法解釈を無視し、官邸の独断で行われたものであったことを白日の下に晒しただけでなく、法務省・人事院が、安倍首相の答弁を取り繕うため支離滅裂な辻褄合わせに狂奔する姿を露呈したものであり、もはや法治主義の崩壊と言うべき事態である。
今からでも、人事院、法務省、内閣法制局、内閣官房の間で、いつどのようなタイムラインで、どのような協議がなされたか、あるいはなされていないのか、国会の場での検討が求められる。

5 検事総長の人格識見こそが検察への政治介入の防波堤である
検察庁は行政機関であり、国家公務員法の規定に基づいて、その最高の長である法務大臣は、検察官に対して指揮命令ができる。しかし、検察庁法14条は、法務大臣の検察官への一般的指揮権は認めているが、具体的事件については、検事総長のみを指揮することができると定めている。
検察の独立性を守るのは最終的には指揮権発動を受ける可能性のある検事総長の識見、人物、独立不羈の精神に帰着する。だからこそ、検察組織は検事総長に清廉で権力に阿(おもね)らない人材を配し、政治権力による検察権に対する不当な介入の防波堤を築こうとしてきた。そして、歴代自民党政権も、検事総長人事は聖域として、前任の検事総長の推薦をそのまま受け容れてきた。これに介入するようなことは厳に慎んできたのである。いま、安倍政権によって、その秩序が壊されようとしている。

6 政府与党、検察庁内からも噴出した異論
2月15日、中谷元・元防衛大臣は、国政報告会の公の発言の中で、「(黒川氏が)検事総長になるのではないかと言われております。私が心配するのは、三権分立、特に司法は正義とか中立とか公正とか、そういうもので成り立っているんですね。行政の長が私的に司法の権限のある人をですね、選んで本当に良いのかなと。一部の私的な感情とかえこひいきとかやってしまうと、本当に行政も動かなくなってしまう。権力の上に立つ者はしっかりと、その使い方を考えていかなくてはならない。」と安倍官邸の人事に苦言を呈した。
2月19日の検察長官会同において、静岡地検の神村昌通検事正は、検察庁法で定められた「指揮権発動」についての条文を読み上げたうえで、「今回の(定年延長)ことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている」「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」「検察は不偏不党、公平でなければならない。これまでもそうであったはず」「この人事について、検察庁、国民に丁寧な説明をすべき」との趣旨の意見を述べたと伝えられる。現職検事正による覚悟の発言である。

7 閣議決定の撤回と黒川検事長の辞職を求める
このように、検察と司法の危機は白日の下にさらされ、検察と与党の内部からまで異論が続出する事態となっている。黒川氏が検事総長に任命されても、その職務を全うすることは困難である。この人事が正されなければ、検察行政は麻痺状態に陥ることは避けられない。これは、「常に公正誠実に,熱意を持って職務に取り組まなければならない。」、「権限の行使に際し,いかなる誘引や圧力にも左右されないよう,どのような時にも,厳正公平,不偏不党を旨とすべきである。」という「検察の理念」(2011年制定)を心に刻んで誠実に職務を遂行している検察庁職員に対する冒涜でもあると言わなければならない。
我々は、司法の一翼を担う弁護士及び学者の集団として、内閣に対して、違法な定年延長を認めた閣議決定の撤回を求める。また、黒川氏に対して、当初の定年のとおり退官すべきものであったとして直ちに辞職することを求める。
この問題は、日本の司法と民主主義の根本にかかわる重大事である。もし、内閣と黒川氏がこのような穏当な解決に応じないとすれば、我々は、心ある検察官、与野党の政治家、メディアなどとともに一大国民運動として、検察の独立を含む民主主義を復活させるまで闘いつづける決意を明らかにするものである。

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検察庁法に違反する定年延長をした閣議決定に抗議し、撤回を求める(京都弁護士会)会長声明

安倍内閣は、本年1月31日の閣議決定で、2月7日に迫った黒川弘務東京高等検察庁検事長の定年を半年間延長した。検察官の定年が延長されたのは、1947年に検察庁法が制定されて以降初めてのことである。
政府は、本年通常国会において、検察官には国家公務員法81条の2の定年の規定が適用されないが、同法81条の3による勤務延長の規定は適用されるとして、上記閣議決定は適法である旨答弁した。さらに、本年2月13日の衆議院本会議では、これまでの公権解釈では検察官は定年延長ができないとされてきたことを認めたうえで、法解釈を変更したと主張した。

しかしながら、かかる法解釈が認められる余地は無く、今回の定年延長の閣議決定は検察庁法に違反する。
第一に、検察庁法22条は、「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。」と明記しており、定年による退職の特例を一切設けていない。この点については、1947年の帝国議会貴族院で検察庁法が審議された際、定年の延長制度についても議論になったが、政府が検察官には定年に例外を認める弾力的な制度とはしない旨の答弁を行ったうえで、現在の定年制度が定められ、実際も例外なく運用されてきた。

第二に、定年及び定年延長を導入する国家公務員法改正案が審議された1981年の衆議院内閣委員会でも、人事院事務総局任用局長(当時)が、検察官には国家公務員法の定年及び定年延長の規定は適用されない旨を答弁している。

第三に、本年通常国会における衆議院予算委員会の2月12日審議でも、人事院事務総局給与局長は、上記の答弁をそのまま援用したうえで、「(現在まで)同じ解釈を引き継いでいる」と答弁している。
以上の経過を見れば、特別法たる検察庁法で延長の例外のない定年制度を設け、後に一般法たる国家公務員法の改正で定年年齢や定年延長等の定年制度を設けた際に、検察官にはこれを適用せず、特別法たる検察庁法の定年制度のみを適用することとしたことは明らかである。

検察官は公益の代表者として厳正な刑事手続を執り行う立場にある。内閣が違法な定年延長によって検察の人事に干渉することを許せば、政権からの独立を侵し、その職責を果たすことができるのかについて重大な疑念が生じることとなる。

当会は、三権分立を定める日本国憲法のもとで、法治主義国家として、行政は国会が定めた法律に基づいて行われるべきものであることに照らし、法を蹂躙した今回の閣議決定に断固として抗議し、撤回を求めるものである。

2020年(令和2年)3月5日

京都弁護士会会長  三 野 岳 彦

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私は、日民協・自由法曹団・青法協・国法協・反核法協の会員であって、当然に9団体声明のとおりの意見である。また、京都弁護士会長声明は、弁護士であれば同様の見解をもつことが示されている。

なお、個人的には法曹の一員として、この人事を許しておくことで、「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」ことを最も恐れる。世間は、「アベ様のご都合人事」「アベ様の検察」「アベ様の刑事司法」と受け取るだろう。アベの政治の私物化、アベの行政の私物化は、ついに検察・刑事司法の私物化にまで行き着いた、と思われる。検察・刑事司法に対する国民の信頼の喪失は、民主主義社会における死活的重大問題である。

黒川さんは、アベのポチとしての地位に恋々とすると見られることを潔しとしないであろう。民主主義の大義からも、自らのプライドを守るためにも、速やかに辞任するがよかろう。

(2020年3月6日)

加計学園の国籍入試差別を明るみに出した内部告発者を守れ

日本という社会は、アタマからもハラワタからも腐り始めている。この腐敗を見過ごしていると、社会は腐りきって崩壊してしまうことになる。いま、この腐敗を指摘し告発することで、社会崩壊を防止しなければならない。あらためて腐敗告発の重要性を確認するとともに、現場で告発の声を上げる人々の勇気に敬意を表したい。

本日発売の「週刊文春」(3月12日号)に、「韓国人受験生を全員不合格 加計学園獣医学部に『不正入試』疑惑」という記事。そのデジタル版の前振りに、こうある。

「この入試結果はあまりにも酷い。夢を抱いて、受験勉強に励んできた学生さんに対する裏切り行為だと言わざるを得ません」
こう肩を震わせるのは加計学園の幹部職員・武田晶さん(仮名)だ。同学園は、2017年以来、岡山理科大学獣医学部の新設にあたり、加計孝太郎理事長(68)と安倍晋三首相(65)の長年のお友達関係による“忖度”が問題視されてきた。その獣医学部における不正入試疑惑を、職員が証拠文書とともに告発する。

舞台は、例の学校法人加計学園である。アベシンゾーのオトモダチとして、甘い汁を吸った加計孝太郎の事業体。その腐敗のトップの下に、廉潔の士がいたということなのだ。

昨年11月16日、愛媛県今治市の岡山理科大学獣医学部キャンパスで獣医学科の推薦入試が実施された。その韓国人受験生8名全員の面接試験が一律0点となり、不合格となったことが「週刊文春」の取材で分かったという。複数の職員が、証拠となる内部文書とともに事実を明かしている。

この「複数職員」諸氏の正義感にもとづく告発はまことに貴重である。告発者には、何の利益ももたらさず、リスクばかりが大きい行為。口を拭っていれば、表には出ないはずの不正を告発したのは、ひとえに正義感の賜物。社会には立派な人がまだいるのだ。

問題は、「A方式の推薦入試」で起こった。定員21に受験生は69名。そのうち8名が韓国籍だったという。この韓国人受験生8名全員が不合格となった。内部告発がなければ、8名すべての学力が低かったのだろうで済まされるところ。ところが、この8名が8名とも面接試験が0点とされていた。これは、内部告発で始めて明らかとなった事実。それだけで、まことに不自然。首を捻らざるをえない。

A方式の推薦入試は、「学科2科目」と「面接試験」「高校での成績を反映した評点平均値」の4項目で採点される。各項目50点、計200点満点の合計得点で合否が判定される。200点満点のうちの50点を占める「面接試験」での韓国人受験生全員の点数が0点。事実上、50点のハンディを課されての競争となっている。

「これまで面接試験で0点というのはほとんど見たことがありません。公平公正を重んじなくてはいけない入試で、国籍差別が行われている事実に怒りを覚えます」というのが、告発者の言である。

この面接結果について学内で獣医学部の教授陣は「日本語でのコミュニケーションが著しく困難だった」と説明している。だが、前出の武田さんは反論する。
「すべて日本語で記された科目試験で満点に近い優秀な成績を収めた学生もおり、韓国人受験者全員が、日本語に不自由だという説明は不可解極まりないです」

週刊文春が入手した内部文書によれば、「A方式推薦入試」の最低合格点は、200点満点の138点である。韓国籍受験生の得点は、以下のとおり。面接で、30点取っていれば合格というのが5名。40点なら7名となる。
    128点(10点不足)
    120点(18点不足)
    120点(18点不足)
    112点(26点不足)
    112点(26点不足)
     99点(39点不足)
     98点(40点不足)

(なお、韓国籍受験生1名については評価点数がない。科目点数も合計点数も0点ではなく、書き込みがない。それでも、面接試験だけは「0点」と明記されている)

確かに、数学と英語の試験得点が、46点と47点(合計93点)とこれ以上はない好成績の韓国籍受験者も、不合格となっている。

文春は、2月21日に加計学園に書面で事実確認を申し入れたが、1週間後に「担当者から連絡します」と言ったきり回答はなかったという。ますますおかしい。回答不能の事態とみられてもやむを得なかろう。

前川喜平・元文科事務次官は、この件について、〈加計学園の韓国人受験生差別が事実なら、私学助成は打ち切るべきだ。〉〈加計学園の獣医学部の韓国人留学生枠は、国家戦略特区法が定める「国際拠点」という条件を満たす口実だった。同じく国家戦略特区でできた成田の国際医療福祉大学医学部の留学生枠を真似たものだ。加計学園は、形だけの口実すら反古にしたわけだ。〉と発信している。

女性や浪人生を差別していた医学部入試が世論の指弾を受け、私学助成打切りとなったことは記憶に新しい。国籍を理由とする入試差別は、さらに問題が大きい。加計孝太郎なる総理のオトモダチ。よくよく、学ばない人なのだ。

本日(3月5日)の共同記事は、文科省が動いたことを報じている。「文科相、岡山理科大に確認要請 不正入試報道で」という配信記事。

「萩生田光一文部科学相は5日の参院予算委員会で、学校法人加計学園岡山理科大獣医学部(愛媛県今治市)入試で韓国人受験生が不当に扱われたとする週刊文春報道を受け、大学側に事実関係の確認と速やかな回答を求めたと明らかにした。回答について国会に報告する考えも示した。
 萩生田氏は『一般論として、入学者選抜は公正かつ妥当な方法で行うことが求められている。合理的理由なく出身地域、居住地域等の属性を理由に一律で取り扱いの差異を設けることは不適切だ』と述べた。」

おやおや、萩生田光一は落選時代に加計学園に拾われ、同学園が経営する千葉科学大学の客員教授となっていたことで知られる。いま、ケント・ギルバートや上念司が岡山理科大の客員教授になっている。実は、萩生田はそのお仲間なのだ。首相のオトモダチに厳正な対応などできるはずもなかろう。

それにしても、内部告発者に対する報復が心配となる。なんとしても、この人たちを守らねばならない。
(2020年3月5日)

コロナ蔓延を奇貨とする「インフルエンザ特措法」改正に警戒を

「新型インフルエンザ等対策特別措置法」という法律がある。この特措法は、2012年に鳥インフルエンザ禍を機に民主党政権下で制定されたもの。新型コロナへの対応をめぐって、この法律の改正問題が急浮上している。転んでもただでは起きない、安倍晋三流の危険なたくらみである。

この法律は、緊急事態法制の一態様である。首相が「緊急事態」を宣言することで、公権力による人権の制約が容認される。普段は手厚く保護されているはずの人権が、例外的に公権力の行使に道を譲らなければならなくなる。とりわけ、人権擁護のために権力行使に要請される慎重な手続きが省かれる。人権よりは公益の擁護が尊重され、公益擁護のための簡易迅速な公権力の発動が可能とされる。感染症対策のためとして、人権が危うくなる。信頼できない政権下においては、恐るべき事態を招きかねない。

この法律では、政府が国民生活に重大な影響が生じると判断した場合に、首相が「緊急事態」を宣言。すると、都道府県知事が不要不急の外出の自粛、学校や映画館など人が集まる施設の使用制限、イベントの開催自粛などを要請できると定める。さらに、知事は医薬品や食品の売り渡しや保管の命令も可能で、応じない場合は罰則の適用もある。病院が足りない場合、土地や建物を借りて臨時の医療施設を設置。所有者が正当な理由なく同意しない時は強制的に使用もできる。

公権力に強い権限を認めることは、人権保障を脆弱化させることである。人権の制約は常に必要最小限のものでなくてはならないが、この法律にはその配慮が欠けている。その公権力濫用のおそれが、下記の日弁連会長声明に要領よく指摘されている。

〔2012年3月22日 新型インフルエンザ等対策特別措置法案に反対する日弁連会長声明〕

http://hatarakikata.net/modules/data/details.php?bid=2513

現行特措法が、「新型コロナ」に適用あるか否か。政府・自民党はこれまで慎重であった。むしろ、立民や国民などが積極姿勢を見せていた。法文上はどうか。

インフルエンザとは異なるコロナウィルス症を、特措法の適用対象に取り込むためには、法2条の定義規定のうち、感染症法第8条9項に定められている「新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。)」に該当すると言わねばならない。

「新感染症」の定義は、「人から人に伝染すると認められる疾病であって、既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので、当該疾病にかかった場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該疾病のまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう。」とされる。

「何が原因か分からないものがあるための『新感染症』という規定だ。今回は新型コロナウイルスだと分かっており『新感染症』ではない」(加藤勝信厚労大臣)というのが、政府説明である。そこで、首相は3月2日の参院予算委員会で、新型コロナウイルス感染拡大に備えた法整備について、既存の新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正する方向で検討していることを明らかにした。

現行の特措法は、人権制約のオンパレードであり、政府関係者自身「国民の権利制限に直結する項目をずらっと並べた法律」と指摘している〔3月3日毎日〕とされるが、本法施行後、実際の適用例は存在していないという。その理由の一つとして、当時野党であった自民党自身がこの法律の成立時には、ブレーキ役を果たしていたという事情が関係しているようである。

現行特措法は、民主党、公明党などの賛成多数で可決されたが、共産党は「国民的な議論が不足している」「人権を制限する」との理由で反対し、また、自民党は採決を欠席している。その自民党自身の要望で、成立に際しては、緊急事態宣言を恣意的に行わないことなどを求める付帯決議がついたという。

政権の思惑はこんなところであろう。
使いやすい感染症対策法が必要だ。そこには、「緊急事態宣言」によって人権を制約し、公権力がなんでもできる内容が盛り込まれなければならない。要件はできるだけ曖昧にして、緊急性を根拠に公権力ができる範囲はできるだけ広いものでなくてはならない。そうすれば、国民は「緊急事態」における人権制約に慣れてくれる。感染症蔓延の事態であれば、世論は「緊急事態宣言」における人権制限に違和感をもたないのではないか。これはチャンスだ。この国民の慣れと寛容は、次には、憲法の緊急事態条項新設につながる。

現に、下村博文ら自民党幹部から、コロナウィルスの蔓延にかこつけて『憲法に緊急事態条項を』という改憲議論が発信されている。改憲論議だけでなく、公権力の権限を一層拡大するための「特措法改正」の意図には、厳しく対応しなければならない。

安倍晋三のやることだ真っ当な提案であるはずはない、というにとどまらない。新型コロナウィルスの蔓延を奇貨とする「緊急事態条項」法案の整備は危険極まりない。
(2020年3月4日)

安倍晋三の「政治判断」とは、「無責任な素人判断」ということである。

昨日(3月2日)の参院予算委員会審議。福山哲郎委員の質問に答えて、安倍晋三は、こう言っている。

「学校への臨時休業の要請については直接専門家の意見を伺ったものではありませんが、現在の国内における感染拡大の状況についての専門家の知見によれば、これから1、2週間が急速な拡大に進むか終息できるかの瀬戸際となるとの見解が既に示されており、大人のみならず子供たちへの感染事例も各地で発生し、判断に時間を掛けるいとまがない中において、私の責任において判断をさせていただいた、こういうことでございます。」

要約すれば、「学校への臨時休業の要請については直接専門家の意見を伺ったものではありません。私の責任において判断をさせていただいた」というのだ。これを、彼自身は「政治判断」というが、何のことはない「素人判断」に過ぎないということだ。それも、杜撰極まる無責任なチグハグ判断。

この文脈での「私の責任において判断をさせていただいた」は、極めて傲慢な響きをもつ。この判断に至った具体的な根拠も理由も語られていないからだ。次のような思い上がりが透けて見える。

「専門家は、これから1、2週間が瀬戸際というだけで、具体策には言及していない。あとは、すべて私の政治判断。果たして、全国一斉休校が必要であるのか、どの程度有効な対策であるのか、他にもっと有効な策はないのか。メリットだけでなくデメリットはどの程度のものになるのか。その判断の具体的な根拠も理由も私は語ることができない。全国一斉休校策は、飽くまでど素人である私の感覚的な判断で具体的な裏打ちはなく、理由の説明はできない」

「私の素人判断は、確かに具体的な根拠なく、国民の多くに迷惑をかけるものだ。それでも、最後は良い結果に行き着くものとして受け入れていただきたい。仮に、私の判断が裏目に出たとしても、ほかならぬ私が責任をもつと言っているのだから」

昔、学生時代にこんなことがあった。当時、大学生協運営のトップは学生だった。生協労働者との団体交渉の当事者ともなっていた。私自身は、そのような立場に立ったことはないが、労使双方から団交の成り行きなどのビラを受け取っていた。

何の問題についてであったかは記憶にないが、大学生協トップの学生が、労組の代表者に、「その件については、私が責任をもつ」と発言したのだ。これに、労組側が反発した。「この問題に、あなたが責任を取りようがないではないか。あなたが責任を引き受けることはできない」「軽々に責任をもつなどと言うべきではない」

まことにそのとおりであって、妙に記憶に生々しい。安倍晋三も同様である。自分に責任のとれぬことを発言すべきではない。安倍晋三が引責辞任したところで、あるいは安倍が全財産を抛ったとしても、この混乱の責任を取りようがないではないか。

それにだ。これまで口先だけは責任を認めると言いながら実際に責任を取ったことはなく、丁寧に説明すると言いながらこれを実行したことのない男の言うことではないか。誰が納得できようか。
(2020年3月3日)

安倍晋三は考えた ― 「桜の疑惑を、コロナでかわせ」

常軌を逸した安倍晋三による全国の小・中・高・特別支援校に対する休校要請。そのせいで、本日から全国の家庭も教育現場も大混乱に陥っている。「場当たり」「思いつき」「無責任」「大ブレ」「ちぐはぐ」「やってる感だけ」「支離滅裂」「独りよがり」と、安倍への辛辣な不信・批判が全国に渦巻いている。既に、「安倍ウィルス」「安倍コロナ」という呼称も見える。後に、「悪夢のような安倍の時代」の象徴的事件と振り返られることになるのだろう。問題は、彼が何ゆえこのような愚策を持ち出したのかということである。

「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の見解発表が2月24日である。ここには、「感染の拡大のスピードを抑制することは可能だと考えられます。そのためには、これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります。」「この1~2週間の動向が、国内で急速に感染が拡大するかどうかの瀬戸際であると考えています。そのため、我々市民がそれぞれできることを実践していかねばなりません。」という文言がある。この表現が後の全国一律休校の根拠とされるが、明らかに大きな無理がある。

この見解の別の個所には、「新型コロナウイルスに感染した人は、ほとんどが無症状ないし軽症であり、既に回復している人もいます。」「これまでに判明している感染経路は、咳やくしゃみなどの飛沫感染と接触感染が主体です。空気感染は起きていないと考えています。ただし、例外的に、至近距離で、相対することにより、咳やくしゃみなどがなくても、感染する可能性が否定できません。」という叙述もあり、全体に相応の事態の緊急性は感じられるものの、慌てふためいた切迫感はない。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00006.html

2月24日専門家会議の見解を受けて、翌25日「新型コロナウイルス感染症対策本部」は「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」を決定した。その内容は、前日の専門家会議の見解に平仄を合わせた落ちついたものだった。

「国民に対する正確で分かりやすい情報提供や呼びかけを行い、冷静な対応を促す」ことを基調として、「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛要請を行うものではないが、専門家会議からの見解も踏まえ、地域や企業に対して、イベント等を主催する際には、感染拡大防止の観点から、感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の必要性を改めて検討するよう要請する。」とされ、国民心理を撹乱するものではない。 とりわけ、「冷静な対応を促す。」という文言を基調に据えたものとの印象が強い。

ところが、翌2月27日の安倍総理名による【イベントの開催に関するお願い】から、おかしくなる。安倍の暴走が始まる。

「政府といたしましては、この1、2週間が感染拡大防止に極めて重要であることを踏まえ、多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします。」というのだ。

いったいどうしたことだ。昨日は「全国一律の自粛要請を行うものではない」といった舌の根も乾かぬわずか一日で、「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請」とは。このブレについての説明はどうした。と不信感を募らせていたところへの追い打ち。翌27日には驚天動地の「全国一律休校要請」である。もはや、何をか言わんやである。あきらかに、合理的客観的な根拠を欠く乱暴極まる愚策。

安倍乱心の理由の一つは、数々の説明不可能な疑惑についての世論の追及をそらせることにあるものと考えざるをえない。安倍自身の責任が追及されている「桜を見る会」疑惑が最も大きい。さらに、カジノ汚職、河合杏里事件、菅原一秀疑惑もある。国民の政権批判は厳しく、2月の各社世論調査では、内閣支持率が軒並み急落である。最新の【産経・FNN合同世論調査】(22、23両日実施)では、「1年7カ月ぶり不支持上回る」と報じられた。

「安倍晋三内閣の支持率は、前回調査(1月11、12両日実施)より8.4ポイント減の36.2%で、不支持率は7.8ポイント増の46.7%だった。不支持率が支持率を上回ったのは1年7カ月ぶり」という。

また、同調査では、「首相主催の「桜を見る会」をめぐる安倍首相の説明について「納得していない」との回答は78.2%に上った。ただ、国会は「桜を見る会」と新型肺炎の問題のどちらを優先して審議すべきかを聞いたところ、89.0%が「新型肺炎」と答えた」という。

このあたりに、安倍の取り巻きが目を付けたのではないか。「桜疑惑に付き合っていると政権の命取りになる」「しかし、国民の関心は桜よりコロナだ」。ならば、「桜の疑惑を、コロナでかわせ」という作戦が有効ではないか。

しかも、政権のコロナ対策は、後手後手にまわったと悪評さくさくだった。ダイアモンド・プリンセス号では、対策を誤って船内大量感染をもたらしたと批判された。「今度は、先手先手だ」と前のめりになったことも考えられる。

できるだけ、コロナ問題を大ごとにすることで「やってる感」を演出したい。そうすることで、桜疑惑による支持率低下を挽回することができるのではないか。安倍の考えそうなことではないか。

おそらく、この窮余の一策に安倍が乗ったのだ。もちろん、練られた策ではない。参院の予算委員会質疑では、冒頭からボロボロだ。それでも、国民がひとときなりとも桜疑惑や数々の閣僚の不祥事を脇に置いてくれる効果はあったとほくそ笑んでいるのではないか。そして、桜が咲く頃には、国民は桜疑惑を忘れてくれる。そう思い込んでいるに違いない。こんな、安倍晋三流の悪あがきを許してはならない。
(2020年3月2日)

コロナウィルス蔓延被害よりも、安倍晋三独断による政策被害が心配される。

一昨日(2月27日)、安倍晋三が唐突に発表した、全国の小・中・高校などへの「臨時休校」の要請。案の定、全国の教育現場にも、家庭にも、親たちの職場にも大混乱を引き起こしている。のみならず、この過剰な政策は社会活動のあらゆる面に萎縮効果をもたらしている。これまでは政治に無関心であった国民も、消極的にもせよ自らも加担して、こんな人物を政権のトップに据え置いていたことを真摯に反省しなければならない。

驚くべきことは、この方策が「何の科学的根拠にも基づかない」「政治的判断」であり、しかも「安倍の独断」であったことである。一握りの安倍側近による判断であったことから、政権や与党の中枢からも批判や不満が噴き出しており、大手メディアが自信をもって、内幕を書いている。これはもはや、コロナ被害ではなく、アベ政治被害である。

われわれ自身の目と耳で直接確かめられることは、国会論戦における安倍答弁のいい加減さである。安倍晋三答弁の酷さは、「ご飯論法」として悪名高いものとなったが、さらに「桜論法」として悪質度は磨かれ、いまや「コロナ論法」として、完成の域に近づいている。常識的には「詰み」の局面でも、決して「まいった」とは言わない鉄面皮の答弁なのだ。

昨日(2月28日)の衆議院予算委員会での宮本徹議員(日本共産党)の質問は、安倍の愚策の根拠を鋭く追及した。政府は、休校の効果や影響について専門家会議に諮問していないことを挙げ、休校について専門家からは「あまり意味がない」「国民に負担を強いる」など苦言が相次いでいることを紹介し、唐突な全国一律休校要請の「エビデンス(根拠)はなにか」という追及である。以下は、その抜粋。

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宮本議員:25日に基本方針を発表した際は、学校の休校は感染の広がりに応じて都道府県で判断するということだった。ところが2日でその方針が変更された。感染者が確認されていない地域も多数あるが、なぜ全国一律(休校)に変えたのか。この判断変更の具体的なエビデンスについて伺いたい。
安倍首相:エビデンスは何かというご質問でございますが、専門家の意見を踏まえて、先日策定した「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」で示した通り、感染の流行を早期に収束させるためには、患者クラスターが次のクラスターを生み出すことを防止することが極めて重要であり、徹底した対策を講じるべきと考えております。
専門家の知見によれば、ここ1〜2週間が極めて重要な時期であり、先手先手の対応が求められる状況と認識しております。
このため昨日(27日)政府としては、何よりも子どもたちの健康・安全を第一に考え、多くの子どもたちや教職員が日常的に長時間集まることによる感染リスクにあらかじめ備える観点から、全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みに入るまで臨時休業を行うよう要請したものであります。

宮本議員ですから「この1〜2週間が大事だ、勝負だ」というのは、それを踏まえて25日の基本方針が出たわけじゃありませんか。2日間で方針を変更するほど重大な、何か我々に知らされていないエビデンスがあったのかを知りたい。
国民の中ではなにか起きているのではないかと不安が広がっている。オープンになっていない感染者の広がりがあるのではないか、あるいは原因のわからない肺炎患者がどんどん広がっているだとか、何らかのエビデンスがあって、この2日間で判断を変更したということなのか。

安倍首相:先程申し上げましたように、ここ1〜2週間が極めて重要という専門家のご指摘を頂いたところでございまして、その中においては先程申し上げましたように、多くの子供達が集まる教室、あるいは通学の途上が考えられるのではないか。こう思いますが、そういうリスクを減らし、新たなクラスターが発生することを、何よりも防がなければいけない。そのクラスターが子どもたちの中で生じることは防がなければならないと、こういうことでもあります。
我々はまさに先手、先手でやるべきであろうと今回は判断し、全国一律という判断をさせていただいたところでございます。まさに、この科学的、学術的な観点からは、詳細なエビデンスの蓄積が重要であることは言うまでもありませんが、1〜2週間という極めて切迫した時間的成約の中で、最後は政治が全責任を持って判断すべきものと考え、今回の決断を行ったところでございます。

宮本議員:「政治が判断したんだ」と。エビデンスについては中身の話が全くなかったわけでありますが。専門家会議を設けたわけじゃないですか。ところが報道を見ると、専門家会議での議論を踏まえたものじゃないんだ。政治判断だと言う話が、専門家会議のメンバーからもなされる状況。そして、専門家会議のメンバーの方々の言っていることもいろいろなわけです。(東北大の)押谷(仁)教授は「学校でクラスターが発生しないとは断言はできませんが、子供の感染例は中国でも非常に少なく、その可能性は低いです。一斉の学校閉鎖をすることは、全体の流れからするとあまり意味がない」と。あるいは岡部先生(川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長)は「全国一律に小中高校の休校を要請するという、国民に大きな負担を強いる対策を、現時点ではとるべきではないと思う」と。
専門家会議の皆さんも、いまそういう対策がベストなのかと言ったらそうではないという意見もたくさん出ている。なぜ今回の判断をするにあたって専門家会議でしっかり議論されなかったのか。
安倍首相:これにつきましては、まさに専門会議においてここ1〜2週間が瀬戸際であり、正念場であるという判断がなされたわけでございまして。ここにおいて、1〜2週間において、いわば感染拡大を防止できるかということが問われていると。何をするかが問われているという判断をされた中において、そこでこちらが何をするかということでございます。そこでさまざまなご意見があることは承知をしているところでございます。その中において、我々はやはり子どもたちの健康と安全を守ることを最優先にしなければならない、こう考えたところでございます。
もちろん、いま委員が言われたように子どもの感染は少ないということをおっしゃったわけでございますが、これは少ないということは、子供に発生していないということではもちろんないわけでございます。事実、発症例も国内でもあるわけでございます。
つまり、それが広がってからでは我々は遅いと、こう考えたところでございまして。今回はこの1〜2週間こそが正念場であるという専門家の皆様のご意見を受け、そして政治的に、政治として判断をさせていただいたところでございます。

宮本議員先程来「政治の判断だ」と繰り返されるわけですが、感染症対策ですから何よりも専門家の知見を大事にするのが政治の姿勢としても必要なことだと思いますよ。今回のこの対策が、社会の負担を上回るだけの効果が期待できるのかという声も上がっているわけであります。
学校は休校で保育園、学童保育は開くと、学童保育に子どもたちはたくさん集まると。そうすると感染拡大防止上それほど効果があるのかという声もあがっている。ちなみに、学童保育と比べて学校のほうが感染リスクが高い、低いという判断の根拠などはあるんですか。
安倍首相:学童保育と変わりがないのではないかという先程のご質問でございましたが、これはまさに学童保育が必要となるのは低学年の子どもたちなんだろうと思います。
そして、例えば福岡の例がございますが、市長からもお話を伺ったところでございます。まさに一律で対応しただいた場合は、教室として高学年の皆さんが使っている教室も(学童保育に)使う。あるいは学童保育的な形で学校でお預かりする人数もある程度限られるわけでございまして、一つ一つの教室についての子供の数は相当、通常の授業とは人数は圧倒的に少なくなるわけでございまして。学校の先生にも休業になる中でご協力を頂きながら対応していただくことができるのではないかと、そういう対応を行っていくというお話を伺っているところでございまして。そういう意味においては、違う対応が状況は違うといういうふうに、我々は考えているところでございます。
そこで法的根拠についてのご質問がございました。昨日の対策本部で決定した学校における全国一斉休校については、国としてここ1〜2週間が感染の拡大のスピードを抑制するために極めて重要な時期であるとの認識のもとおこなった要請であります。法的拘束力を有するものではないということでございます。
政府としては学校を設置する地方公共団体や学校法人等において、この要請を受けて子どもたちの健康、安全を確保する観点から検討し適切に対応していただくことを期待をしているところでございまして、要請であり法的拘束力を有するものではございません。

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お知らせ ー 3月1日《「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議》発足集会は、予定通り行います。

新型コロナウィルスの感染リスクに配慮し、当日の集会に関して細心の注意を払って実施いたします。ぜひご参集ください。
もっとも、発熱その他体調ご心配の方については、無理をなさらずに参加を見合わせくいただくようお願いします。
また、集会での発言予定者の中にも、参加見合わせとなる方が予想されます。当初予定よりも、集会規模は小さく、予定のプログラムも一部縮小になるかも知れません。予め、ご了解をお願いしておきたいと存じます。
なお、ご参加するにあたっては、できるだけ、マスクの着用をお願い致します。
主催者側では、除菌テイッシュ、手袋(使い捨て)を用意いたします。ドアノブ等の除菌にも努めます。ご協力よろしくお願いいたします。

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議
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「3・1発足集会」の次第
日時 2020年3月1日(日曜日)
13時40分~16時40分(開場13時20分)
会場 日比谷図書文化館(B1) 日比谷コンベンションホール
東京都千代田区日比谷公園内
資料代 500円
主催「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議

あなたも運動サポーターに!
運動への協力金を
個人 1口500円 / 団体 1口1,000円(何口でも結構です)
郵便振替口座 番号00170-0-768037
「安達洋子」又は「アダチヨウコ」

(2020年2月29日)

全国の教育委員諸君、今こそ諸君の出番だ。唯々諾々と首相の休校要請に従う必要はない。

昨日(2月27日)の夕刻、ブレまくりの首相が、とんでもないことを言い出した。これは異常事態だ。コロナウィルスの蔓延が、ではない。安倍晋三の対応が、である。

「全国全ての小学校、中学校、高校、特別支援学校に、3月2日から春休みまで臨時休校を行うよう要請する」だと? おいおい、気は確かか。

あんな首相のこんな発言に盲従する必要はない。こんな発言に、日本中の生徒・児童やその父母たちが振り回されてはならない。世は大日本帝国憲法の時代ではなく、安倍晋三は独裁者ではない。彼に、天皇の権威を笠に着てトンデモ発言を強行できる権限はないのだ。

全国の、都道府県ならびに市区町村の教育委員諸君、今こそ諸君の出番だ。月に一度、事務局がお膳立てした会議に出席することだけが諸君の仕事ではない。会議をすっぽかしても給料もらっていられるのは、今回のような非常事態に際しての出番があるからなのだ。

「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)では、諸君は、「人格高潔で、教育、文化に関する見識ある者」とされている。今を措いて、「教育、文化に関する見識」を発揮する機会はないではないか。

安倍晋三という男、到底「人格高潔で、教育、文化に関する見識ある者」ではない。嘘とごまかし、公私混同と依怙贔屓にまみれた政治家。これまでは、コロナウィルスの蔓延に後手後手となったことに、無能の批判を受けてきた。内閣支持率も下落しての焦りから、乾坤一擲の挽回策に出た。それが、全国での「休校要請」である。

しかし、戦前とは大きく違う。教育行政の主体は国家ではない。しかも、地方公共団体そのものでもなく、各自治体ごとに設置された教育委員会なのだ。

まずは、教育と教育行政とが切り離されていることを自覚しなければならない。そして、教育行政も、中央集権ではなく地方分権の原則で行われなければならない。さらに、地方自治体ではなく、各自治体単位に構成される専門性の高い行政委員会としての教育委員会がその任を担うのだ。公立の小中高各校を設立し運営し、場合によっては休校の可否を決める権限は、各教育委員会にある。

だから、教育委員諸君よ。今こそ、君たちの出番だ。あんな男の言に唯々諾々と従う必要はない。君たちにこそ決定権限がある。

あんな男のごとく、支持率アップのためとして政策をひねり出してはならない。あんな男のごとく、机上の空論で政策を出してはならない。あんな男の全国一律の政策に追随してはならない。あんな男のごとく、児童・生徒や働く親たちに、どんな難儀が降りかかるかを無視してはならない。あんな男のごとく、説明責任を放棄してはならない。

今こそ、出番だ。各地の教育委員諸君。地域地域の事情を具体的によく把握し、メリットとデメリットを緻密に検討し、私欲のためではなく、明日の主権者の教育のために、児童・生徒を抱える地域住民のために、本気になって諸君の見識を示していただきたい。それこそが、民主主義のあるべき姿なのだから。
(2020年2月28日)

原則は歪められ、理想は地に落ちてゆく。安倍晋三の大罪がまた一つ、積み上げられた。

「会同」という官庁用語がある。「会同」には、「会議」にはない権威主義的な胡散臭い響きがある。「会同」においては、出席者に発言や議論は期待されない。最高幹部から出席者に組織の意思が重々しく伝達される場というイメージ。「高等裁判所長官・地方裁判所長・家庭裁判所長会同」「行政事件担当裁判官会同」「自衛隊高級幹部会同」など、名を聞くだに息苦しい。

2月19日(水)、法務省で「検察長官会同」が開催された。法務大臣、検事総長以下、全国の高検や地検のトップが一堂に会する場。議題は「検察運営上、考慮すべき事項」とされ、冒頭の稲田伸夫検事総長訓示が「質の高い検察権行使により、国民の期待と信頼に応えられる検察であり続けるよう尽力してほしい」という陳腐な内容だったという。これだけでは何の国民の関心も惹かない。

ところが、出席者からの発言や議論は期待されないはずのこの会同において、異例の発言があったことが報じられて、話題となっている。

冒頭を除いて、この「会同」は非公開である。非公開の席での発言が複数メディアの記事になっているのだから、積極的に取材に応じた出席検察官が複数いたということだ。情報源を「複数の出席者が明らかにしたところによると」とする記事もある。

複数メディアの記事の内容は、以下のとおりにほぼ一致している。

「会議の終盤に中部地方の検事正が挙手をし、法務省の首脳に黒川氏の定年延長について質問。『検察は不偏不党でやってきた。政権との関係性に疑念の目が向けられている』といった内容の発言をした上で、『このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと丁寧に説明をした方がいい』という趣旨の提案をした。」

一部のメディアの記事では、この検事正の発言には、検察庁法14条の引用があったという。法務大臣の検察業務への介入は原則として禁じられている。その原則を破る例外としての「指揮権発動」を定めたものが検察庁法14条である。今回の黒川検事長定年延長は、指揮権発動にも等しい愚挙との指摘であったろう。

これに対して、主催者側の辻裕教・法務事務次官が質問を引き取ったが、「『延長の必要性があった』と答えるにとどめた」と報じられている。

今注目の検察官といえば、稲田伸夫検事総長と、その後任を争う林真琴名古屋高検検事長、黒川弘務東京高検検事長の3名。当然のことながら、「会同」には、この注目の3名も出席している。その面前での、黒川検事長の名を上げての検察庁幹部人事のありかたへの疑念の表明である。インパクトが小さかろうはずはない

通常、検事総長人事も検事長人事も、さしたる国民の関心事ではない。人事に国民の関心や注目が集まる事態が既に異常なのだ。この3名の検察官に国民の注目が集まる理由は、安倍内閣の検察庁最高幹部人事への介入の異常があればこそのことである。

硬骨な検事正の発言は、報じられる限りでは、さすがに抑制の効いた内容である。しかし、本当はこう言いたかったのではないだろうか。

検察は時の政権の走狗ではない。準司法機関として不偏不党が要求される立場にあり、公正性・中立性についての国民の信頼なければ成り立ち得ない。これまでは、営々と国民の信頼を勝ち得る努力を積み重ねてきたところだ。いま、国民からの信頼が崩壊しかねない事態に遭遇している。これは、これまで全国の第一線の検察官が積み上げてきた努力を無にするということにほかならない。検察が現政権の思惑次第で操られているのではないかという疑惑に対する、厳しいが疑念の目が検察・検察官に向けられている。このままでは国民の検察への信頼を維持することができない。場合によると、黒川検事長の定年延長は違法で無効なのかも知れない。そうなる前に、黒川検事長の定年延長閣議決定は撤回すべきだ。あるいは、再度の閣議で、定年延長を打ち切ったらよい。いずれ黒川検事長を検事総長にしてはならない」

これに対する、辻次官の「延長の必要性があった」という弁明はいかにも投げやりで力がない。もしかしたら本音、はこうではないだろうか。

「黒川検事長の定年延長は必要性あってのことですよ。もちろん、その必要性は主として安倍政権にとってのものですが、必ずしも官邸サイドだけのものではない。このご時世、『検察の不偏不党』『国民からの信頼』だけではことはうまく運ばないんですよ。『政権との微妙な間合い』『政権からの信頼』も大切なんで、官邸の意向を飲まざるを得なかった。そんなことはみんなお分かりでしょう。官邸からのゴリ押しに屈したと言わば言え。仕方がないじゃないですか。原則論を振り回しても、無駄なものは無駄。ここは面従腹背でいくしかないんです」

こうして、原則は歪められ、理想は地に落ちてゆく。安倍晋三の大罪がまた一つ、積み上げられた。
(2020年2月22日)

晋三に「ご飯論法」ありて、進次郎に「小泉進次郎構文」あり。

今話題の旬の政治家と言えば、まずは安倍晋三。次いで、麻生太郎と小泉進次郎。もちろん良い意味での話題性ではない。政治家の話題がその愚かさやぶざまさに集中せざるを得ない事態なのだ。民主制そのものの危うさをさえ物語っている。

安倍晋三についてはいうまでもないが、使用済みの麻生太郎だけでなく、使用前の小泉進次郎もこの上なくひどい。安倍晋三は、「ご飯論法」を批判された。なるほど、指摘のとおり、安倍の答弁はすりかえのご飯論法だけで成り立っている。小泉進次郎はどうか。さわやかに、滑舌明瞭に、まったく無内容の答弁を恥ずかしげもなく意味ありげに発語する。余人に真似のできない特技をもった演技者なのだ。

ネットの住民が、「小泉進次郎構文」なることばを流行らせている。「#小泉進次郎に言ってもらいたい中身のない台詞」という大喜利で盛り上がってもいる。もちろん、揶揄の形での小泉進次郎批判である。

中身のない空っぽ政治家が、なんとなく清新な雰囲気だけで、汚れた安倍政治を覆い隠す役割を果たしてきた。このことへのいらだちが、今や馬脚を現した進次郎への遠慮のない揶揄と哄笑となってあふれ出ている。明らかに、風向きが変わったのだ。

昨日(2月20日)の衆院予算委での、小泉進次郎答弁を報じる朝日(デジタル)の記事の一部を引用する。タイトルが、「小泉氏『反省伝わらぬことを反省』 複雑釈明も謝罪拒否」というもの。

 「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思うが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしている」

 小泉進次郎環境相は20日の衆院予算委員会で、16日の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を欠席して地元で後援会の新年会に出席していた問題をめぐり、複雑な釈明をしながら「国民への謝罪」をかたくなに拒んだ。

 19日の衆院予算委に続いて、立憲民主党の本多平直氏が再び追及。「昨日は小泉氏は『反省している』と述べたが、国民に謝罪してもらえないか」と迫った。
 これに対し、小泉氏は「私の反省がなかなか伝わらない」などと繰り返したものの、最後まで「謝罪」という言葉を口にしなかった。この問題をめぐる4往復のやり取りで、「反省」という言葉は20回も駆使した。

 以上の朝日の記事には、記者の「これは呆れた」というニュアンスが溢れている。
その朝日が紹介する「進次郎珍答弁」は以下の通りである。

本多 昨日、小泉大臣は「反省している」と。納得して私は甘かった。国民に謝罪していただけないか。
小泉 対策本部会議は環境政務官に代理出席を依頼し、危機管理上のルールにのっとった対応だ。だが、私自身がその会議を欠席し、地元の横須賀の会合に出席したことは問題だ、といった指摘を真摯に受け止め、反省しています。先ほど本多先生から、反省をしているとは言っているけど、反省の色が見えない(という趣旨の指摘があった)。それはまさに、私の問題だなと。反省をしているけど、なかなか反省が伝わらないと。そういった自分に対しても、反省をしたいと思います。はい。

本多 反省は昨日していただいた。国民におわびをする気はないか。
小泉 反省をしていると申し上げましたが、反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思いますが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしております。私なりに反省して、本多先生からの質問のときに反省していると答弁しようと思い、私は反省していると申し上げております。それでも反省の色が伝わらないっていう、私自身の問題に対する、ご指摘に対してもしっかりと反省して、今後、そのようなご指摘がないように、気を引き締めて対策に取り組んでまいりたい。

本多 誰かの指摘がどうではなく、国民に対して、ということで申し上げている。反省の色が見えているとか見えていないとかは、気にしないでください。国民におわびをしなくていいんですね。
小泉 本多先生にということではなく、国民のみなさんに、ということだが、国民のみなさまがコロナウイルスの感染が広がり、不安を持っている中、さまざまな声を受けて、その声を真摯に受けとめて反省をしている。危機管理の対応はルール上、しっかりやっている。いずれにしましても、反省していますので、これからもしっかりその気持ちが伝わるように、真摯に職責を務めてまいりたい。

本多 大変残念です。最後のチャンスで。おわびはしないということでよろしいですね。
小泉 こうやって本多先生の質問の時間をとらせてしまっていることも含めて、なかなか反省の色が伝わっていないということも私自身の問題だなと、深く受け止め、反省し、職責を務めるために全力を尽くしていきたい。
   
念のために申し添えておかねばならない。これは、誰かがひねり出したパロディではない。どんなパロディも本家の愚かさ、可笑しさにはかなわない。「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思うが、反省をしていると言いながら、反省をしている色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省をしている」というのが典型的な進次郎構文。進次郎構文が笑いのタネとされている中での、本人による堂々たるダメ押しの進次郎構文なのだ。本人自身の答弁に出てきた、この無内容のトートロジー。これが、もてはやされてきた若手保守政治家の言葉かと思うと、とうてい笑ってはおられない。

(2020年2月21日)

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