澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

首相夫人付公務員の選挙応援関与は違法

本日(4月23日)の朝日。社会面のトップが、「昭恵氏付職員 どこまで公務」「田植え・ハワイ・スキー 同行続々」の記事。中見出しに、「選挙は15回、野党が追及」とある。

「アベ友学園」問題は多面体だ。実に多様な顔を見せてくれるが、朝日は首相の妻の「公人・私人」論争から、お付きの公務員論に光を当てた。「選挙は15回」とは、「国政選挙で、昭恵氏の選挙応援への職員の同行が明らかになったのは15回に上る」ということ。これは、お付きの公務員が、首相夫人を介してアベ一派の選挙に関わったことを意味している。

朝日の記事の締めくくりは、「選挙応援をめぐっても『私的な行為と公的な行為を昭恵氏はぐちゃぐちゃにしている』との批判が上がっている。」というもの。まったくそのとおり。「ぐちゃぐちゃ」なのだ。これまでは首相夫人が無頓着に「ぐちゃぐちゃ」にしてきた。政権はこれを有利に働くとして放置してきた。いや、5人の公務員をつけたのだから、意識的に「ぐちゃぐちゃ」作りに加担してきたというべきだろう。

これが表沙汰となってからは、夫人付きの公務員の行為を、あるときは「私的行為の支援」といい、あるときは「公務員としての行為」と言って、政権もことさらに「ぐちゃぐちゃ」にしてきたのだ。しかし、首相夫人の選挙応援に政府の職員が同行していたとなると、問題は大きい。「ぐちゃぐちゃ」に放置はしておけないのだ。

朝日のリードはこう言っている。
「安倍晋三首相の妻、昭恵氏に付く政府職員の「業務」が、森友学園(大阪市)への国有地売却問題をきっかけに明らかになっている。昭恵氏の選挙応援への同行も次々と判明し、国会では公務員に禁じられた政治的行為にあたるのではとの議論にも発展。告発の動きも出てきた。」

選挙応援という政治活動は、公務員がその職務としてなし得ることではない。
猿払事件(1974年最高裁判決)がリーディングケースとなっている。「郵便局の職員(全逓の役員)が日本社会党を支持する目的をもって、同日同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を自ら公営掲示場に掲示した」などの行為が、国家公務員法違反として有罪とされたのである。

この最高裁判決は悪評高いが、ともかく生きている大法廷判例である。革新陣営の選挙運動には弾圧手段として厳格に適用され、首相夫人付きの公務員にはまことにゆる~い適用なのだ。ダブルスタンダードも甚だしい。

最近では、無罪を勝ち得た社会保険庁年金相談係の堀越さんの事件がある。衆議院選挙前の時期に、仕事と無関係に、職場から離れた自宅周辺で、休日に、赤旗やビラをポスティングしていた。これが国家公務員法の政治活動禁止に触れるとして逮捕され起訴までされた。最終的には無罪となったが、いまだに公務員法の政治活動禁止規定は弾圧法規として機能しているのだ。

猿払判決基準からは、あるいは堀越起訴基準に照らせば、首相夫人の選挙運動に関わった公務員の行為は、当然に起訴相当である。公務員に厳格に要求される中立性に対する社会からの信頼を裏切ることは論じるまでもないのだから。

この点、既に4月20日に、首相夫人とそのお付き職員として選挙に関わった3人の計4人が国家公務員法違反(政治活動禁止)の罪名で告発されている。首相夫人は公務員ではなく、本来身分のない者として公務員法違反の犯罪者とはならない。しかし、共犯としてなら、犯罪が成立しうる。刑法65条1項の効果として、である。「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯」とされるのだ。

これも、朝日の記事。
「昭恵氏らの告発状、元高検部長が送付 参院選応援巡り」「安倍晋三首相の妻、昭恵氏が昨夏の参院選で候補者の応援に行った際、首相夫人付の政府職員を同行させたのは国家公務員法(政治的行為の制限)違反にあたる疑いがあるとして、元大阪高検公安部長の三井環(たまき)氏が20日、昭恵氏と夫人付職員3人に対する告発状を東京地検特捜部に送付した。

告発状によると、職員3人は昨年6月22日~7月9日の計14回、昭恵氏の選挙応援に同行。三井氏は、これらが昭恵氏と職員が共謀して行った選挙運動に該当すると主張している。三井氏は取材に対し、『政権が国家公務員を使って選挙活動をしたことは大問題』と話した。」

首相夫人の行為が純粋に私的なものなら、公務員を付けてサポートすることはできない。公的な色彩あればこそ、公務員を付け得ることになるが、公的な行為が選挙応援となれば、明らかに違法となる。公務員が首相夫人の選挙応援活動をサポートすることはできないのだ。公務員氏は、そんな首相夫人の行為をやめさせるか、選挙関係の行動には同行を拒否するか、どちらかしかない。

朝日は、職員が公務として付いた首相夫人の私的行動を「田植えや森友学園の幼稚園での講演、米ハワイ訪問、スキーイベント参加などだ。政府は『公務として同行した』などと説明。スキーイベントでは、職員は『用務に要した時間以外の時間』にスキーをしたという。」と報道している。

ずいぶん楽しそうだが、他のことはともかく公務員は政治活動を禁止されている。だから、首相夫人付きの公務員といえども、党派性の露出を免れない選挙応援に一切関与してはならないのだ。政権は、「ぐちゃぐちゃ」を整理して、公務員が選挙応援をした違法を認めなければならない。そして、首相夫人の共犯も、なのだ。
(2017年4月23日)

「森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない」ーそのための具体的提案

下記は、一昨日(4月19日)の「弁護士阪口徳雄の自由発言」というブログの転載。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/archives/1065590829.html

森友事件(「アベ友事件」「アッキード事件」)があぶり出した諸問題の核心に位置するのが「国有地低額売買問題」。これについて、いい加減な幕引きを許さず、徹底解明を求めようという運動の呼びかけである。私も呼びかけ人の一人になっているので、この記事を転載し、拡散をお願いしたい。

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安倍官邸は国有地を異常に低く売買した森友問題をどうやらうやむやにしそうだ。マスコミ報道も最近では極端に減ってきた。このような動きに危機を感じた23期の年寄り弁護士達が大阪・京都の若手の弁護士の協力を得て、
「国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」
を結成して真相解明のための行動を起こすことにした。

第1弾として、下記の「学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書」を弁護士・研究者の多数の賛同で4月27日に提出予定。

第2弾として、国会審議に委ねるだけでなく、法律家として自らこの問題を調査して必要な法律上の行動を起こす。具体的には情報公開請求訴訟(すでに開示請求している)や多数の弁護士・研究者の名前で必要な告発なども検討中である。

第3弾としては、市民も多数参加できる行動提起も検討中。

当面は賛同者は弁護士・研究者に限るが賛同の方は氏名、住所、弁護会名(研究者は大学などの肩書)を記載して
abc5def6@yahoo.co.jp
に連絡を頂きたい。賛同者の氏名・肩書はHPに公表させてもらいます。(公表は不可でも要請に賛同の方もその旨お書き頂き歓迎です)

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近畿財務局局長 美並義人殿
2017年4月27日
学校法人森友学園との交渉経過のデータの保存及び第三者委員会の設置等を求める要請書

別紙弁護士目録記載の弁護士・研究者○○名

国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会
(呼びかけ人代表) 阪口徳雄
(呼びかけ人) 豊川義明、大江洋一(以上大阪)、村山晃(京都)松岡康熙(奈良)、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児(以上東京)、野上恭道(群馬)、郷路征記(札幌)、渡辺輝人(京都)、小林徹也、由良尚文、愛須勝也、菅野園子、白井啓太郎、岩佐賢次(以上大阪)

第1 要請の趣旨
1 大阪府豊中市野田地区の国有地の賃貸借、売買における近畿財務局と学校法人森友学園との交渉経過に関する紙ベースの記録・電子情報・パソコン内のデータ―を保存すること
2 豊中市内の国有地を学校法人森友学園に賃貸、売買に至る経過、その理由、及び交渉経過等を調査する公正・中立な別紙記載の第三者委員会を設置して調査し、その結果を公表すること
を要請する。

第2 要請の理由
1 近畿財務局は森友学園に小学校用地として2016年6月、鑑定価格9億5600万円からごみ撤去費8億1900万円などを差し引いた1億3400万円で売却しました。
2 国会などでの審議経過を見ても、何故このような低額譲渡がなされたのか、その経過、ごみ撤去費用に関する算定根拠、交渉経過の記録の廃棄など極めて不透明な内容であり、およそ多くの国民を納得させる説明になっていません。
特に『平成23年度大阪国際空港場外用地(OA301)土壌汚染深度方向調査業務報告書』のP11の地層想定断面図によると深さ2.8mより下部は自然界土質の沖積粘性土質になっておりゴミ等が混入するはずがない場所です。
3 また、それ以前の2009年1月の「国土交通省大阪航空局・大阪探査技術株式会社」の地中埋設物状況調査報告書によっても、地下埋設物の存在は概ねGL-3mとして結論付けています。仮に、地中埋設物・その量が御庁の通りの量があったしても、国、自治体の積算基準で、この地中埋設物撤去費用は専門家に調査依頼をしていますが、概算で3億7千万円前後であり、約4億5千万円前後が過大な見積りであるとの意見もあります。
4 近年、オリンパス株式会社に代表されるように、上場企業、地方自治体でこのような疑惑が生じた場合には、直ちに事案の真相解明、再発防止策を検討する第三者委員会を設置して調査しその結果を公表しています。
しかし、御庁では国会での質疑に応じて「適正」に処理したというだけで、自らその経過、価格算定の根拠資料、森友学園の交渉経過などについて調査して、その結果を公表しようとしていません。国会で答弁しているように御庁の判断が正しいとするならば、自浄作用を発揮して事案の真相を解明することは、国家公務員の当然の責務です。
5 交渉経過を記載した文書を廃棄したとの説明は、およそ納得できるものではありませんが、紙ベースの交渉記録文書が仮に廃棄されたとしても、関係者からヒヤリングすることは可能です。またパソコン内のデータであればコンピュータフォレンジック調査(コンピュータ本体に記録された電子データを収集・分析して、証拠とするための技術)を行えば、当時作成した交渉記録も復元できるので、容易に交渉経過も明らかにできるはずです。
今年の6月に貴局のシステムをすべて入れ替えるとの報道もなされています。そうであれば、後日、交渉経過が一切解明されない可能性があります。
また、内部調査又は自らが恣意的に選任した第三者委員会を設置して調査をしても国民の多くは納得することはあり得ません。
6 そこで要請の趣旨に記載したとおり、交渉経過を記録したパソコンのデータ―を保存し、かつ外部の専門家の団体の推薦を受けた外部委員で構成された委員会を設置して経過、その理由、交渉経過等を調査して、その結果を公表することを要請いたします。

2017年5月10日までに本件第三者委員会を設置するのかどうか文書で代表の阪口徳雄弁護士あてに回答されるようお願いいたします。
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国有財産譲渡問題調査委員会設置要領(案)
1(設置)
本調査委員会は学校法人森友学園に国有地の譲渡に関して多くの国民からの疑惑を招いたことに関して近畿財務局としての説明責任を果たす為に、国有財産譲渡問題調査委員会(以下委員会という)を設置する
2(目的)
本委員会の目的は2016年6月20日学校法人森友学園に1億3400万円で譲渡に至る経過、譲渡金額、交渉経過等を調査することを目的として、調査結果を速やかに公表することを目的とする
3(具体的調査内容)
本委員会は上記目的達成の為に次の点に特に留意して調査を行うものとする
(1)本件土地を学園に賃貸する経過について国有地を賃貸する従前の方法と比べて特に不自然ではなかったか。
(2)本件土地の更地価格が適正であったかどうか
(3)本件土地の地中埋設物の算定価格(8億1900万円)が公正妥当であったかどうか
(4)本件土地の賃貸経過、売買経過について学園及び政治家などの第3者との面談・交渉記録などを調査する。なお、紙べースでの交渉記録などが不存在の場合は関係した職員からヒヤリングして明らかにすること。なお担当者のパソコンに記載した情報をコンピュータフォレンジック調査等をして交渉記録の正確性を確保すること。
(5)その他、他の国有地の賃貸、売買と異なる内容で処理している場合はそのないよを明らかにすること
4(本委員会の構成)
(1)本委員会の委員は数名の委員の外部の弁護士、不動産鑑定士、公認会計士で構成する
(2)委員の選任については弁護士については大阪弁護士会、不動産鑑定士については大阪府不動産鑑定士協会、公認会計士については近畿公認会計士協会から推薦された委員とする。外部の委員の推薦に当たっては国、大阪府、学園と過去取引関係がない委員を推薦すること
5(会長及び副会長)
(1)本委員会には会長及び副会長を置く。
(2)会長及び副会長は,委員の互選により定めるものとする。
(3)会長は,委員会を代表し,会務を総理する。
(4)副会長は,会長を補佐し,会長に事故があるときは,その職務を代理する。
6(会議等)
(1)委員会は,会長が招集し,会議の議長を務めるものとする。
(2)本件調査の為に委員以外の補助者に委嘱して調査活動を行なわせることができる

この要綱に定めるもののほか,委員会の運営に関し必要な事項は,会長が委員会に諮って定める。

附則 本要綱は2017年5月 日から施行する

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以上の呼びかけ人のうち、阪口徳雄、豊川義明、大江洋一、村山晃、松岡康熙、梓澤和幸、澤藤統一郎、児玉勇二、山下登司夫、中山武敏、宇都宮健児、野上恭道、郷路征記の13人が、23期の司法修習(1969年4月~71年3月)時代に主として青年法律家協会活動をともにした仲間。数えてみれば、知り合ったのは48年前のことになる。阪口が、「23期の年寄り弁護士達」と自嘲するのももっともなこと。

みんな70代の「年寄り」となって風貌は変わったが、その心根の青臭さは当時と少しも変わらない。必ずしも常に意見が一致するわけではないが、権力の不正や腐敗を憎む気持には、揺るぎがない。

教育勅語に、「長幼の序」という徳目はないが、ここは「青くさい年寄り」の呼びかけに耳を傾けていただくよう、お願いする。
(2017年4月21日)

「血を流し引きずり出される乗客」と「沖縄」がダブってみえる。

4月9日、「ユナイテッド航空機『オーバーブッキング』、警官が乗客をボコボコにして引きずり出す」(ハフィントンポスト)という米国内の事件が話題になっている。これは、明らかに消費者問題の範疇の事件なのだが、私には、沖縄の現状を彷彿させる事象として胸が痛む。

なんの落ち度もない市民が、暴虐な力によって理不尽な仕打ちを受け、ひどい目に遭っている。ああ、これはまさしく沖縄の姿だ。強者の理不尽が乱暴に弱者を圧殺している。ああ、これがアメリカだ。そして、現場で暴力に手を染めている制服の狼藉者。ああ、これがアベ政権だ。

ユナイテッド航空と、引きずり出された乗客の関係は、アメリカと沖縄の関係そのものだ。ユナイテッド航空の指示で乗客の引きずり出しを実行した空港の警察は、アベ政権と配下の機動隊という役どころ。引きずり出され負傷した乗客は、沖縄の県土と県民である。その象徴的存在となって長期の勾留を余儀なくされた山城博治さんだといってもよい。

泥棒にも三分の理。この事件でもユナイテッド航空側には、三分ほどの理はあると主張するのだろう。「乗客を機から降ろしてでも、キャビンクルーを乗せなければ、翌日の便の運航に支障が出る。そうすればもっと多くの乗客に迷惑を掛けることにもなる」「しかも、乗客には現金とホテルに無料で宿泊できるとまで提案したが、誰も応じなかったのだ」「だから、実力行使もやむをえないじゃないか」

しかし、この「三分の理」は、実は「七分の非理」であり「無理」である。乗客の任意の席の譲渡を得る解決方法はいくつも考えられたのだし、キャビンクルーを別便で運べばよいだけのことではないか。あるいは、陸路の搬送でも不可能ではなかったようだ。なによりも何の落ち度もない乗客のプライドを傷つける、こんなやり方の実力行使は人権侵害行為として許されることではない。

ハフィントンポストによれば、「警察官が無理やり席から立たせようとしたとき、男性が頭をひじ掛けにぶつけ、叫び声を上げた。あおむけに倒れた男性を引きずっていく警察官を、驚いた他の乗客たちが携帯電話で撮影した」「引きずり出された男性は『唇を怪我していた』」。この事態に、「仕事に行こうとする医者にこんなことをしてはダメだ。オーバーブッキングだからって」「ああ、何てことするの? こんなの間違ってるわ!」「ひどい、何てことをしてるの! あり得ない!」と乗客の悲鳴が、録画されているという。

アメリカとアベ政権も、三分ほどの理はあるというのだ。「中国や北朝鮮などの仮想敵国に対する抑止力を構築するために、日本のどこかに米軍基地を置くことが必要である」「しかし、日本のどこも基地には反対ばかりで、任意の受け入れはあり得ない」「だから、従前の経緯で沖縄に基地を建設するしかないではないか」「しかも、沖縄には、基地の負担に相応の経済的な援助をしている」「だから、基地建設強行の実力行使はやむをえない」

しかし、この「三分の理」も、実は「七分の非理」であり「無理」なのである。
「仮想敵国に対する抑止力構築名目の米軍基地は、実は軍拡競争のスパイラルを招く、平和への敵対物でもある」「仮想敵国に対する抑止力構築のための米軍基地は、有事の際の真っ先の標的になる覚悟なしには地元との共存はできない」「日本のどこも基地には反対ばかりなのは、その存在自体が危険であるだけでなく、日常的に騒音をバラマキ、風紀の紊乱の元凶ともなるからだ」「だから、沖縄への基地建設の押しつけ反対には十分な理由がある」「しかも、経済的観点からも、基地の存在は沖縄の大きな発展阻害要因となっている」「なによりも、県民のプライドを逆撫でするような、こんな基地建設強行の実力行使が許されてはならない」

誰しもが思う。「こんな理不尽なユナイテッド航空には、今後金輪際搭乗してやるものか」と。同じように考えたい。「こんな理不尽な沖縄いじめのアベ政権には、今後金輪際、政権を支えるための投票なんかけっしてしてやるものか」と。
(2017年4月12日)

産経による日弁連批判は、劣化した政権の八つ当たりを代弁したものである。

産経が日弁連(日本弁護士連合会)批判のキャンペーンを始めた。「政治集団化する日弁連」というレッテルを貼ってのこと。その第1部が、4月4日から昨日(4月8日)まで。「政治闘争に走る『法曹』」というシリーズの連載。その第1回の見出しが「政治集団化する日弁連」「『安倍政権打倒』公然と」というもの。「安保法案は憲法違反です」という横断幕を掲げて行進する日弁連デモの写真が掲載されている。これが、「政治闘争に走る法曹」の図というわけだ。「安倍政権打倒」を公然と言うなどとんでもない、というトーン。

産経新聞にはほとんど目を通すことがない。得るところがないからだ。「政権=右翼」の図式が鮮明になっているいま、その両者の広報を担っているのが同紙。政権・与党の改憲路線や歴史修正主義、アメリカ追随を後押しすることが同紙の揺るがぬ基本姿勢である。ジャーナリズムの矜持を捨てて、「権力の公報紙」兼「右翼勢力の宣伝紙」としての立場を選択したのだ。政権支援とともに、さらに右寄りの政治的な立ち位置を旗幟鮮明にすることでの生き残り戦略にほかならない。

そんな産経である。現政権に膝を屈することのない勢力は、すべて攻撃の対象とせざるを得ない。それが、走狗というものの宿命なのだから。

世の中には、権力に擦り寄り、迎合してはならない組織や理念がいくつもある。本来、ジャーナリズムは権力から独立していなければならない。また、大学の自治も学問の自由も、そして教育への不当な支配排除の原則も、時の権力の介入を許さないためにある。もちろん、司法も同様なのだ。

司法の一角を担う弁護士の集団には、在野に徹し権力から独立していることが求められている。権力が憲法の理念をないがしろにすれば、これを批判すべきが権力から独立していることの実質的な意味である。安閑と権力の違憲行為を看過することは、その任務放棄にほかならない。産経の日弁連批判のキャンペーンは、「権力に抗うことをやめよ」という、政権の意図を代弁するもの。あるいは、今はやりの「忖度」なのかも知れない。

産経の論法は、「政治的課題への容喙は日弁連の目的を越える」「全員加盟の日弁連が、多数決で決議をしてはならない」という、これまで長年にわたって、弁護士会内での議論で保守派(あるいは権力迎合派というべきか)が繰り返してきたものの蒸し返しに過ぎない。その会内での一方の意見に、政府公報紙産経が公然と加担することとなったのだ。

産経が批判的に取り上げた日弁連「政治闘争」の具体的テーマは4点。「安保関連法」「慰安婦問題」「脱原発」「死刑廃止」である。消費者問題や公害問題、労働問題、教育問題、子供の権利、男女の平等、司法改革などが出てこないのは、いかがなものか。これらも、すべて政治や行政、あるいは財界や体制派との激しい対立テーマである。けっして、全員一致などにはなり得ないテーマだ。

ご留意いただきたい。日弁連はいかなる場合にも、これらの課題に「政治的に」コミットしていない。「党派的な」立場で関わることもありえない。人権の擁護と憲法原則遵守の視点から、その限りで関わっているに過ぎない。人権擁護と憲法遵守を「政治的」と言い、あるいはその影響が政治性を免れないとして、政治的課題へは一切口出しすべきでないと言うのは、日弁連に「人権擁護活動をやめよ」「憲法遵守など言うな」と沈黙を強いるに等しい。

会内合意形成に慎重な配慮をすべきは当然としても、日弁連の使命を果たすためには、討議を尽くしたうえで、採決するのはやむをえない。私の印象では、執行部の問題提案には、保守派からも革新派からも両様の異論が出て、相当の議論が行われる。国会が作る法や決議が国民の意思を反映している度合いよりは、ずっと会員の意見を反映している。

日弁連の使命とは何か。弁護士法の冒頭に明記されている。
第1条1項 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
第1条2項 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

法律専門職として、「法律制度の改善への努力」が謳われている。当然に、「法律制度の改悪阻止への努力」も弁護士の使命である。「弁護士や弁護士会は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現」しなくてはならない。我々が所与の前提とする自由主義の基本は、国家権力の暴走から人権や正義を守らねばならないという点にこそある。日弁連が、政府を批判する立場をとることになんの問題もない。むしろ、弁護士会が権力や体制批判に臆病になることを恐れなければならない。権力の僕の態度で、人権をないがしろにする政権にへつらい、もの言わぬ日弁連であってはその使命を放棄したことになるのだ。

戦前、弁護士自治のなかった時代には、弁護士も権力の僕であることを強要された。かつて、治安維持法違反被告事件の弁護を受任した弁護士が、その弁護活動を理由に、治安維持法違反(目的遂行罪)で逮捕され起訴され有罪となった。そのとき、当然のごとく司法省は裁判所構成法や旧弁護士法などに基づき、有罪となった弁護士の資格を剥奪したが、当時の大日本弁護士協会が抗議の声を上げることはなかった。

国民の人権を擁護すべき弁護士が、自らの人権も擁護できなかった時代の苦い経験に鑑みて戦後の弁護士法ができた。法は、弁護士の使命を人権の擁護と社会的正義の実現と規定しただけでなく、その実効を保障するために、弁護士自治権を確立した。弁護士資格の得喪や懲戒に、権力の介入を許すことなく、弁護士会が公的機関として自ら行うことになったのだ。

いま、弁護士も弁護士会も権力の僕ではない。日本国憲法に基づき、堂々と政権にものが言える立場である。弁護士は政府協賛機関となってはならない。政府の手によって立憲主義がないがしろにされ、政府の手によって国民の人権が損なわれるとき、「政府攻撃は政治闘争だ」「だから、控えねばならない」などという、権力の走狗の言に耳を傾けてはならない。

産経の妄言はアベ政権の代言である。日弁連が政権の立憲主義への無理解を批判したら、産経から日弁連叩きが始まったのだ。実は、今ほど日弁連の発言が重みをもった時期はない。そのことは、政権が劣化したことの証しにほかならない。しかし、劣化した政権への日弁連の真っ当な批判が真摯に省みられることはなく、「広報紙産経」を使った八つ当たりが始まったというわけだ。

私は日弁連執行部にはないし、日弁連のすべての方針に賛成する立場でもない。しかし、安倍政権を代理しての産経の妄言には、声を大にして反対する。安倍政権への貴重な対抗勢力を貶めてはならない。

これから、日弁連の存在意義を掛けて、共謀罪法案の廃案を求める大運動が起こる。これも、政治闘争ではなく、憲法と人権擁護の運動である。産経ごときの記事で、いささかなりともこの運動が鈍るようなことがあってはならない。この点で、私は日弁連執行部に、心からのエールを送りたい。
(2017年4月9日)

「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」

誰の執筆かを考えることなく、次のブログ記事を虚心にお読みいただきたい。4月6日に、アップされたものだ。

教育勅語の復活?!
 4月に入り各学校では新入生が期待と不安を胸に抱き、登校する姿が目立ちはじめた。しかし未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである。異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもないが、塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である。
 園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった。私は以前の投稿で「洗脳」ではないかと述べたが、他の識者からも同様な指摘があった。善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である。
 その後、ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり、また、先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない」と述べているが、私はいささか違和感を覚える。
 教育勅語に掲げた徳目として、例えば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」などは、いつの時代にも通用する普遍的な価値であろう。しかし勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない。
 だからこそ昭和23年に衆参両院において「排除」「失効確認」したのである。「憲法や教育基本法に反しない形」で教育勅語を教材に使えるのだろうか。またここに述べられている徳目は、数多くの逸話や昔話などの教材によって、既に道徳教育の中に生かされている。ことさら勅語を教材とする理由が見当たらない。
 百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる。

もう、ネタバレではあるだろうが、これは自民党代議士のブログ記事。船田元の「はじめのマイオピニオン – my opinion -」というコーナーに掲載されたものだ。まことに真っ当、日本国憲法の精神をよく理解しての文章といってよい。
http://www.funada.org/funadapress/2017/04/06/%e6%95%99%e8%82%b2%e5%8b%85%e8%aa%9e%e3%81%ae%e5%be%a9%e6%b4%bb/

野党議員のものと言っても、ジャーナリストの文章と言っても通用する。自民党内にも真っ当な保守がいる、いや真っ当な保守としての発言を敢えてする人がまだいることにホッとする。アベのごとき真っ当ならざる右翼連中ばかりではないのだ。

もう一度読み直してみよう。
「未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである」「異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもない」
森友問題の幕引きを急ぐ政権に対する痛烈な批判。

「塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である」
大局的見地からは、ここが最大の問題点だ。「異常」「深刻」が大袈裟でない。

「園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった」「善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である」
これが、健全で真っ当な感覚。良識と言ってもよい。あの「洗脳」の場面を見て、涙を流して感動したのが首相夫人で、妻から話を聞いて評価したのが安倍晋三。この夫婦の感覚が不健全で真っ当ならざるものなのだ。塚本幼稚園だけでなく、我が国の首相夫妻が、「異常」なことが「深刻」な問題なのだ。

「ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり」
名前を出せば、イナダ朋美防衛相、松野博一文科相、そして菅官房長官。その他は、アベの心中を忖度して沈黙することで、勅語肯定発言に同意を与えた。

「先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、『憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない』と述べているが、私はいささか違和感を覚える」
これが、「自分は自民党議員だが、アベ一統とは、見解を異にする」という見識。

「勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない」「だからこそ昭和23年に衆参両院において『排除』『失効確認』したのである」
おっしゃるとおりだ。

「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」
この一文が、このブログ記事の白眉だ。痛烈な勅語活用肯定派への批判となっている。もちろん、アベ政権の批判にも。

「百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる」
この人は、慶應の教育学専攻修士課程修了とのこと。作新学院の学院長でもある。教育に携わる者としての矜持が滲み出ている。

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なお、1948年に衆参両院における教育勅語についての『排除』『失効確認』決議を挙げておこう。これが、教育を論じる際のスタンダードなのだ。

教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)
民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
右決議する。
教育勅語等の失効確認に関する決議 (1948年6月19日参議院本会議)
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
右決議する。

(2017年4月8日)

「共謀罪」は、なんとしても廃案に。

本日(4月6日)、共謀罪法案の審議入り。衆院本会議に上程されて、法案審議が始まった。もっとも、「共謀罪法」という法律があるわけではない。組織的犯罪処罰法という既にある法律の改正という形で、包括的に犯罪実行行為の着手がなくとも、共謀段階で処罰出来るようにしようというもの。

犯罪実行行為は、それぞれが犯罪としての固有の定型性を持っている。誰が見ても、「悪い」「危険な」行為。「人を殺す」「人の身体を傷害する」「他人の財物を窃取する」という実行行為に着手の有無は、それぞれ比較的明瞭だ。だから、捜査権の発動というかたちでの権力の発動は、恣意的には出来ない。ところが、「そんな悠長なことを言っていては社会の安全は保てない」「もっと早い段階で犯罪を未然に防がなくては安心できないだろう」と、犯罪の実行着手以前の「共謀」段階で処罰しようとするのが「共謀罪」。これが、権力にとっては、批判勢力を取り締まるのに便利この上ない。

しかし、権力にとっての利便は、国民にとっての危険となる。何しろ、犯罪の実行行為はまだ行われていない段階での取り締まり、それも一網打尽なのだから、国民にとってはいつなんどきなにを理由に逮捕されるか分からない。とりわけ、立憲主義も、民主主義も、人権思想も理解してないアベ政権。こんな危険なものを作らせてはならない。今国会最大の対決法案、廃案にする以外にない。

その組織的犯罪処罰法の改正案(正確な名称は「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」)のキモは、同法に新たに「6条の2」を新設しようということ。これが「共謀罪」創設の根幹部分。民主主義にとっての天敵となりかねない条文。まずは、その「問題の6条の2」の条文そのものをじっくりとお読みいただきたい。但し、読みにくい。10分以上の読解努力は精神衛生上有害と思われる。なお、本当にこんな悪文が法案になっているのだろうかとお疑いの方は、原文を法務省ホームページにアクセスしてご確認いただきたい。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00142.html

第六条の二(新設)
「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
 一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮
 二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。」

当ブログでは、以前にも「『共謀罪』とは、曖昧模糊な条文をもってなんでも処罰可能とすることを本質とする。」(2017年2月28日)と書いた。こんな条文を読んで、「よく分かった」という人の頭脳の構造はおかしい。読んで分からないように、書いているのだから。
http://article9.jp/wordpress/?s=%E6%82%AA%E6%96%87

ところで、刑法の条文は一般的に分かり易い。普通に読んで分からなければならないのだ。典型例は次のようなもの。
「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」(刑法199条)

これが条文の基本形。これならだれにでも分かる。主語(主題語)と述語が明瞭で文意明解である。何をしてはいけないかがはっきり分かることが大事で、そのことは刑罰権の発動というかたちでの権力行使の限界が明瞭ということでもある。これと比較して、「6条の2」の読みにくさ、わかりにくさが理解いただけよう。そのことは、とりもなおさず、刑罰権の発動というかたちでの権力行使の限界が不明瞭極まりないということでもある。権力にとって、使い勝手がよいということなのだ。

その分かりにくい条文を、できるだけ意味が通じるように、日本語としての文章を整えてみたい。主語と述語という、おなじみの文の構造に当て嵌めて条文を見直すと、

6条の2・第1号関係の条文の主語は、
「別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役・禁錮の刑が定められているものについて、組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者(は)」
である。

述語は、
「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、五年以下の懲役又は禁錮に処する。」

文の構造がおぼろげながら分かっても、条文を理解したことにはならない。国民には、何が禁止されているのか、国家権力が介入できるか否か、自分に逮捕の恐れがあるのか否かが分からなければならないのだ。

具体例を挙げてみよう。刑法204条は、傷害罪を次のとおり定める。
「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」
傷害罪は、組織的犯罪処罰法改正案の別表四に掲げられている277の罪名の一つ。したがって、今は「人の身体を傷害する」行為に着手ない限り、つまりは刃物を振り回すとか、人に殴りかかるとかする実行行為に着手のない限り、処罰対象とはならない。ところが、この法案が成立すると、傷害の実行行為なくても、一定の場合には「傷害の共謀あったとして」逮捕され、起訴され有罪になって「五年以下の懲役又は禁錮」に処せられることになる。

その要件とは、まずは、主語中の「組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画」することである。共謀を「二人以上で計画」と言っている。何を計画すると処罰対象となるか。「組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を」という。これは、分かりにくい。分かりにくいだけでなく、厳格な歯止めとはならない。

さらに、述語のなかにも要件が定められているとされる。さすがに、「共謀」や「計画」だけでの処罰規定には世論の反発が強かろうとの忖度がつくり出した要件である。
「その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは」というのだ。

つまり、共謀や計画だけでは、処罰できない。共謀や計画をした犯罪を実行するための「準備行為」のあることが必要だというのだ。その準備行為とは何か。「その計画に基づく『資金又は物品の手配』、『関係場所の下見』『その他』」と例示されている。これは、日常にありふれた普通の生活上の行為が刑罰権行使の対象となることを意味する。

「別表第四に掲げる罪」は、数えるのもたいへんだが91法律の277罪だという。従来案では676に上ったが、今回法案ではここまで絞ったと手柄顔をする向きもあるが、これを現代版「五十歩百歩」という。刑法の人権保障機能を崩していることが、大問題なのだ。

今国会に延長はない。6月18日の会期末まで。2か月半の反対運動の盛り上がりでこの法案を廃案に追い込みたい。幸い、4野党の足並みは、よく揃っている。勝機は十分にあるように思う。
(2017年4月6日)

「70年ぶりに墓からよみがえった『教育勅語』」

自分についての正確な評価は、自分でできるものではない。自分のしていることの当否は、実は自分ではなかなか分からないもの。自分のしていることが他からどう見られているかは、なおさら分からない。だから、自分の行為の評価について、近くの誰かに指摘してもらうのは貴重なことと、ありがたく耳を傾けなればならない。個人についてのことだけでなく、一国のあり方においてもこのことに変わりはない。

3月31日における「教育勅語の教材としての使用を認める閣議決定」。このことに関心をもつ近隣諸国や国内の良識がどう見ているか。その声に政府は真剣に耳を傾けなければならない。権力の耳に痛い言葉こそ、真実というべきなのだ。

国外意見の代表的なものとして、「ハンギョレ新聞」(日本語版)の昨日(4月2日)付社説「70年ぶりに復活した日帝の『教育勅語』」を引用(抜粋)する。
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/26945.html

「日本政府は31日、『教育勅語』を学校で生徒らに教えることができるという方針を閣議(閣僚会議)で政府公式の立場として採択した。『朕惟フニ』で始まる教育勅語は1890年に『明治天皇』が日本帝国臣民の修身の道徳教育の規範を定めるために制定したものだ。随所で『爾(なんじ)臣民』という言葉を使うなど王が臣下に下す教旨の形式を帯びている。

内容を見ると『国家に緊急なことが起これば義勇をつくして公のために奉仕することによって天地とともに窮りなき皇室につくさなければならない。かようにすることは、ただに王の忠良な臣民であるばかりでなく』など、個人を国家そして天皇のための道具とする基調が元にされている。一言で言えば、すべての国民は天皇に忠誠をつくさねばならないという全体主義と軍国主義の理念が核心のメッセージである。教育勅語は日本が第2次世界大戦で崩壊した後の1947年の教育基本法によって学校現場から消えたが、今回の閣議の方針で70年ぶりに墓からよみがえったわけだ。

批判的な思考が形成される前の子供の時から全体主義や封建的観念、そして天皇を崇拝して服従すべしという主張をうのみした場合、成人してもなかなかその考えから逃れられなくなるはずである。第2次大戦末期の特攻隊の『神風』の根もこの教育勅語から生まれたといえる。さらに教育勅語は『間違いがなく』と明示しており、対話と討論を拒否して無条件に命令に従えという、権威主義的で独善的な態度を育てうる。自由な個人とその個人の安全と権利を保障する国家の役割、国民主権と個人の尊厳という現代的国家観とはあまりにもかけ離れている。

19世紀に明治天皇が帝国主義臣民に下した教育勅語を21世紀の日本の子供たちが身につけて育ち、将来の日本社会を構成することになるという想像をしただけでもぞっとするほどだ。また、これは北東アジアの平和と共存にも深刻な害を及ぼすことになるだろう。安倍首相は現在、歴史と未来に深刻な罪を犯している。」

隣国の知性による真っ当な論評として、政権は襟を正して聞くべきである。また、国内の良識にも耳を傾けてみよう。毎日新聞の昨日(4月2日)朝刊に掲載の「時代の風・森友問題の本質」という中島京子(作家)の指摘(抜粋)である。これこそ本質を衝く指摘だと思う。
http://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/002/070/056000c

「話題になっている森友学園問題で、いちばん私が恐ろしいと思っているのは、…事件が発覚して最初のころに流れた、塚本幼稚園の動画だ。
子どもたちが『教育勅語』を唱和する姿は、まさに『洗脳』という言葉を思わせて背筋が凍った。臣民(天皇に支配される民)として、天皇の統治する国に緊急事態(戦争)があったら、自ら志願して死ねと教える戦時中の勅語を、無邪気な声がそらんじてみせるのは、異様だった。

さらに衝撃だったのは、園児たちが運動会の宣誓で唱えた『日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史教科書でうそを教えないよう、お願いいたします』というフレーズだ。なんてことを子どもに言わせているのだろうか。この子どもたちは大きくなって、中国や韓国の人とどう接するのか。

事件に関連して名前の挙がった人たちは、みなこの塚本幼稚園の教育を知っていたし、賛同していたという。たとえば、昭恵氏は、塚本幼稚園での講演で、この幼稚園で培われた芯が、公立の小学校へ行って損なわれてしまう危険がある、だから『瑞穂の国記念小学院』が必要だという旨の発言をしていた。首相の妻が、日本の公教育を否定する発言をしているわけで、私は、100万円寄付するより深刻だと思っている。

森友学園=塚本幼稚園を支えてきたのが、戦時中の思想に帰ろうとする政治運動であることは、いまやもう誰も否定しないだろう。団体名も出た。「日本会議」だ。現閣僚のほとんどが参加している政治団体だということだ。

私が恐ろしいのは、戦時中の思想に帰ろうとする政治運動に賛同している人たちが、日本の教育を変えようとしている事実、そのものだ。…「彼ら」、国家主義的な思想を持つ人々の悲願「道徳の教科化」が成り、検定教科書にイデオロギーを盛り込むことができるようになった。さらに、先月末、政府は「『教育勅語』を教材として使用することを否定しない」と閣議決定した。「憲法に反しない形で」と但書がつくが、戦後、違憲だから衆参両院で排除・失効されたのではないか。なぜ今、と驚愕する。

気がつくと日本国中が森友学園みたいな学校だらけになっているのではないかと想像して、私は怖い。森友問題が重要なのは、その危険を私たちに教える事件だったからなのだ。」

教育勅語容認閣議決定の問題性に関して、私に付け加えるべきものはない。あとは、国内外からの警鐘に、政府がどう対応するかだ。そして、国民がアベ政権の対応をどう見極め、どう評価するかだ。森友問題は、アベ政権の深刻な核心部分をさらけ出してしまった。これを容認するのか、拒否するのか。国民はその回答をしなければならない。「森友鳴動して、よみがえったのは教育勅語」であってはならない。
(2017年4月3日)

「忖度」「口利き」「アッキード」「神風」「見えない力」「安倍晋三記念小学校」「名誉校長」「私人・公人」「何むきになっているんですか」。そして「恫喝」と「満額回答」。

今年の流行語大賞は早くも決まりだ。「忖度」以外にないだろう。これに、「口利き」「アッキード」「神風」「見えない力」などが有力に競う。そして、「安倍晋三記念小学校」「瑞穂の國記念小学院名誉校長」「私人・公人」「何むきになっているんですか」もノミネート。このレースに、新たに割って入ろうというのが、「恫喝」と「満額回答」である。

「忖度」って、昔からの我が国の伝統。和菓子屋よりずっと古い。17条憲法とは、忖度の教えだ。以和為貴。無忤為宗。承詔必謹(「和をもって貴しとなし、逆らうことなきを旨とせよ」「詔を承けては必ず謹め」)とは、「下々は、すべからく上の意向を忖度して、その意のとおりに行動せよ」ということ。

もう少し分かりやすく言えば、「分かっているだろう。一々口に出して言わせるな」。上司の望んでいることをいち早く察して動け。とりわけ、やばいことは上からの指図と見抜かれることのないよう細心の注意をし、しかも上司が満足するように取りはからえ。そうでなくては出世ができない。うまくやれば、国税庁長官にもなれるということ。徳による政治なんて所詮その程度のもの。

ところが、その程度の「徳治」も、行き詰まって余裕がなくなれば権力の地金がむき出しになる。「うしはく」「武断政治」とならざるを得なくなるのだ。その手段が、「恫喝」だ。アベ政権、いよいよ地金むき出しの恫喝に頼らざるを得ない危険水域に入ってきた。

その典型が籠池に対する偽証罪告発恫喝である。政府に不都合な言辞を弄する人物を国会に呼び出す。偽証罪の制裁で恫喝してびびらせようという見え見えの思惑。これがうまくいかないとなるや、今度は偽証罪告発だという。無茶苦茶というよりは、不気味で薄汚い。これを恫喝政治というのだ。籠池を黙らせ、籠池周辺のうるさい連中を萎縮させようという魂胆。この恫喝は、沖縄県や翁長知事にも向けられている。「損害賠償請求するぞ」と息巻く、あの手の恫喝。

もうひとつが「満額回答」。これは、「ゼロ回答」の対語。
籠池から首相夫人への要請に対する、首相夫人付き公務員からの回答ファクスの内容が、「ゼロ回答」だったから問題ない。「これで、口利きも忖度もなかったことが明らかになった」というのが、政権の立場。

政権の「ゼロ回答論」に果敢に切り込んだのが大門実紀史。昨日(3月28日)の参議院決算委員会質疑での反論。「ゼロ回答なものか。満額回答じゃないか」ということだ。

籠池側から、首相夫人付きに送られた封書の内容に、細かい要望が書かれている。官邸は、封筒のコピーだけは公表したが、どういう訳か(もちろん、都合が悪いから)、肝腎の中身は出そうとしない。それで、なんとかやり過ごそうとしたのだ。ところが大門は、独自にその手紙のコピーを入手したとして、これにもとづいての質問をした。その内容は、以下のとおり。

まず定期借地契約について、籠池さんの方の手紙で何を要望したか。定期借地契約10年は短過ぎると、50年契約にしておいた上で、実は一番の眼目は早く買い取ることはできませんかということ。財務省のファクスにはその部分がありませんで、その回答として10年は短くないと、50年契約は難しいということしかありませんので、いかにもゼロ回答のように見えますけれども、しかし、籠池氏が要望していた主な内容は早く買い取ることはできませんかということだったわけですね。これが実は、その後2016年6月20日、半年後に実現をしているわけであります。

二つ目の賃料ですね。これは籠池氏からの手紙によりますと、「賃料が高い」と。「227万円の賃料を半額程度にしてもらえないか」というような要望が出されて、それを財務省がファクスで回答されておりますけれど、契約上のことしか答えておられません。実はこのことも、その後の2016年6月20日に売買契約が締結されて、森友側から支払う年間支払額を月額にしてみるとどうなるかというと、月額100万円程度になった。森友が「227万じゃ払えない、半額ぐらいにしてくれ」と言った金額の範囲で月額の支払いが抑えられたということで、実はこの要望も実現しているわけでございます。

三つ目に、工事費の立替払、これも手紙の中で、ファクスで答えたように要望があります。結局、籠池さんの方は、「平成27年度予算で工事費を立替えした分返してくれると言ったのに、28年度に遅れるのは何事か」ということが手紙にかいてあるわけですね。ファクスでは、いろいろ考えます、その方向で検討中だということを書いていますが、結局これは年度またいだ28年度といっても、28年4月6日、年度変わった途端に支払われております。

つまり、ファクスだけ見ますと、いかにもゼロ回答が並んでいるように見えますけれども、籠池さんの手紙と突き合わせていくと、時間差はありますけれど、その後、籠池氏の要望は全て実現したことになります。ゼロ回答どころか、満額回答ではないか。

「『ゼロ回答』だったから問題はない」と言っ切っていた政府の見解が、「実は『満額回答』だった」となれば、それこそ「問題大あり」と考え直さねばならない。忖度も口利きもあったに違いない、ということになろう。まずは、首相の妻の証人喚問が必要だ。宣誓の上、偽証罪の制裁を科される土俵での証言をしていただきたい。国会も官邸もメディアも、何をためらい、何を恐れているというのだろうか。
(2017年3月29日)

「被爆者である私は、日本政府の姿勢に心が裂ける思いです。」

世の中には、落ちついて耳を傾けると「なるほどそういうことだったのか。よく聞いてみて初めてわかった」と納得できることがある。しかし、その反対に、聞けば聞くほど「さっぱり分からん。やっぱりおかしい」と思うこともある。日本政府の核兵器禁止条約に反対という理屈は、「いくら聞いても分からない」「聞けば聞くほど、やっぱりおかしい」の典型というほかはない。

この日本という国の政府は、確かに私たち日本の国民が作ったはずの政府なのだが、本当はだれの政府なのだろうか、そしてどこを向いているだれのための政府なのだろうか。何とも釈然としない。その思いは、被爆者の熱い訴えと、政府を代表しての軍縮会議代表部大使の冷たいスピーチを対比させるときに、ますます募ることとなる。

ニューヨークの国連本部で、昨日(3月27日)から「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議が始まっている。核兵器の存在を違法とし、法的に禁止しようという試みである。その会議の冒頭、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を代表して、藤森俊希事務局次長が壇上から訴えた。「1945年8月6日、米軍が広島に投下した原爆に被爆した一人です」と自己紹介してのことである。以下、その内容を抜粋して紹介する。

 被爆者は「ふたたび被爆者をつくるな」と国内外に訴え続けてきました。被爆者のこの訴えが条約に盛り込まれ、世界が核兵器廃絶へ力強く前進することを希望します。

 被爆した時の私は、生後1年4カ月の幼児でした。母に背負われ病院に行く途中、爆心地から2・3キロ地点で母とともに被爆しました。私は、目と鼻と口だけ出して包帯でぐるぐる巻きにされ、やがて死を迎えると見られていました。その私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じます。米軍が広島、長崎に投下した原爆によって、その年の末までに21万人が死亡しました。キノコ雲の下で繰り広げられた生き地獄後も今日3月27日までの2万6166日間、被爆者を苦しめ続けています。

 同じ地獄をどの国のだれにも絶対に再現してはなりません。私の母は、毎年8月6日子どもを集め、涙を流しながら体験を話しました。辛い思いをしてなぜ話すのか母に尋ねたことがあります。母は一言「あんたらを同じ目にあわせとうないからじゃ」と言いました。母の涙は、生き地獄を再現してはならないという母性の叫びだったのだと思います。 

 ねばり強い議論、声明が導き出した結論は「意図的であれ偶発であれ核爆発が起これば、被害は国境を超えて広がり」「どの国、国際機関も救援の術を持たず」「核兵器不使用が人類の利益であり」「核兵器不使用を保証できるのは核兵器廃絶以外にあり得ない」ということでした。多くの被爆者が、万感の思いをもって受け止めました。

 核兵器国と同盟国が核兵器廃絶の条約をつくることに反対しています。世界で唯一の戦争被爆国日本の政府は、この会議の実行を盛り込んだ決議に反対しました。被爆者で日本国民である私は心が裂ける思いで本日を迎えています。しかし、決して落胆していません。会議参加の各国代表、国際機関、市民社会の代表が核兵器を禁止し廃絶する法的拘束力のある条約をつくるため力を注いでいるからです。法的拘束力のある条約を成立させ、発効させるためともに力を尽くしましょう。

核廃絶こそは民意だ。広島・長崎、そして第五福竜丸の悲劇に戦慄した日本国民は、全国民的な規模で原水爆禁止運動を巻き起こし、切実に核兵器のない世界の実現を願い、行動を積み重ねてきた。今回の国連を舞台とした核兵器禁止条約交渉会議も、その成果の一端ではないか。被爆者の発言に表れたこの思いは、日本国民全体のものと言ってよい。

ところが同じ日に、日本政府を代表する立場で、高見沢将林軍縮会議代表部大使は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明する演説をしたのだ。棄権ではない、明確な反対の立場。被爆者の心を逆撫でにし、「心が裂ける」までにすることを承知の上でのことである。

日本政府は、昨年以来このような立場で一貫してきた。その理由とするところに耳を傾けてみるのだが、およそ理解し難い。

「交渉には核軍縮での協力が不可欠な核兵器保有国が加わっておらず、日本が『建設的かつ誠実に参加することは困難』」、「核保有国抜きの禁止条約は実効性がないばかりでなく、『核兵器国と非核兵器国、さらには非核兵器国間の分裂を広げ、核なき世界という共通目標を遠ざける』」あるいは、「核軍縮と安全保障は切り離せない」「禁止条約がつくられたとしても、北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」「実際に核保有国の核兵器が一つも減らなくては意味がない」「日本は核拡散防止条約(NPT)強化や核実験全面禁止条約(CTBT)早期発効に努力する」などなど…。理解可能だろうか。

外務行政のトップである岸田文雄外相(広島一区選出!!)も本日(28日)午前、東京での記者会見で、「我が国の主張を満たすものではないことが明らかになった。日本の考えを述べたうえで今後この交渉に参加しないことにした」「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深めるという意味で逆効果にもなりかねない」と弁明したという。さて、はたしてこれも理解できるだろうか。

政府も国民と同じく、核廃絶あるいは核軍縮という目標を共通にしているはずという前提でものを考えるから、理解ができないのかも知れない。「核は、安全保障に有効だから、どこの国にも保有の権利がある。」「核あってこそ平和が保たれるのだから、核あってもよい。いや、核はこの世にあった方がよい」。そう政府が考えているのなら、政府の発言はストンと腹に落ちるのだ。

核保有国が、易々と核兵器違法という条約に賛成するはずはない。いやいやながらも、賛成せざるを得ない条件を作っていくしかない。今回の条約交渉は、そのような努力の一つである。「核保有国が賛成しないから実効性を欠く」「だから反対」では、百年河清を待つに等しい。この日本政府の姿勢では、核兵器の違法化、核廃絶の目標に一歩も進まない。

昨年12月国連総会で、核兵器禁止条約の制定を目指す交渉会議開催が決議された。その決議を受けて、昨日から交渉会議が始まり、日本はこれに不参加の態度をとったのだ。昨年12月決議の提案者となったのは、オーストリアなど核兵器を保有しない50余りの国々。決議での賛否の内訳は、賛成113、反対35、棄権13という票差だった。被爆の歴史をもち今なお被爆者を抱える日本は、提案国にならないばかりか、賛成にもまわらなかった。棄権ですらなく、核廃絶を求める世界の世論に敢えて敵対する立場をとったのだ。日本の政府は、核廃絶を求める国際運動の妨害者として批判されている。

ある被爆者が怒りを込めてこう語っている。
「核保有国に抗議するのではなく、アメリカの側に立って非核保有国と敵対するという恥知らずな姿勢に怒りを感じる。安倍首相は“自主憲法を”といって憲法改定まで主張しているが、どこに自主性があるのか。広島出身の岸田外相は市民の前に出てきて説明すべきだ」

「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議の前半スケジュールは3月27日から31日まで。その後5月ごろに最初の条約案を作成し、6月15日から7月7日までの後半の交渉スケジュールで条約を作り上げる見通しだという。核保有国や、日本政府の妨害に負けることなく、世界の反核勢力が力強い成果を生み出すことを期待して、見守りたい。
(2017年3月28日)

風の神の心変わりー神風変じて逆風の冷たさ

おや、ご存じなかったのですか。この秋津島瑞穂の國は、八百万の神々がしろしめす神域なのですよ。山川草木のすべてに神々が宿りたまい、天が下の森羅万象はことごとく神様の思し召し。ほら、思い出してください。何代か前の首相が、ついつい秘密を漏らしたでしょう。「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」とね。あれが、真実なのですよ。

もちろんこの国では、政治のすべてが神々の御手で動いています。民が国の主で、民の意思がこの国を動かしているなど思い上がってはいけません。ましてや、アベ一強がこの国を動かしているなんて傲慢この上ないことなのです。すべては、人の祈りと、その祈りを聞き届けた神の力によって、政治も行政も動いているのです。だから、「祈ります」という、あの首相夫人のメールの文章は意味のないことではなく、とても大切なことなのです。

人々の利害が複雑に絡みあっているように、何しろ神様の数も多い。神々の力関係も複雑で、難しい談合や駆け引きを経て神意が表れることになりますが、この過程は、一切人の目には見えません。だから、一見すると、神は気まぐれとも無責任とも見えるのですが、実は神々も苦労しているのです。その辺のことは「国民の皆さんにしっかりと承知して」いただかねばなりません。

神風を吹かせるのは、ご存じ風の神です。この神様、怠け者で普段は寝ているばかり。だから、滅多に神風が吹くことはありません。風の神を揺り動かし、目を覚まさせて、その気になって神風を吹かせるには他の神々の苦労が必要なのです。つまりは、風の神への積極的な働きかけがなければ無理なことなのです。

どうやって、風の神をその気にさせるかですって? それは、「ひ・み・つ」なのですが、人間の世界とそうは違いがありません。人も神も、何らかの利益なくして動くことはありません。どの神様も、その点はしっかりしていますから、その神様のほしいものを用意して提供しなければなりません。一般論として、神様の大好物はお賽銭です。「御神酒あがらぬ神はなし」というとおりでもあります。神様を脅かしたり強請ったりという手もありますし、揉み手や泣き落としの戦術も結構利きますよ。それから、なんと言っても有力な神様の口利きと、忖度です。今回森友に吹いた神風の原因には、口利きと忖度の両方があったと聞いていますね。どこからの情報かって? 実はよく分かりません。そりゃ神のみぞ知るってことですよね。

大事なことは、すべてが生身の人間の目には見えないことなのです。人知を超越した見えないところで風が吹き、見えない風が見えない力となって、その見えない力がものごとを成就させるのです。見えないことが、神風の神風たる所以。口利きがあったとか、忖度があったのでは、と見破られるようでは神風ではありません。見えないからこそ、風の神の仕業なのですが、実は風の神をその気にさせた原因は確かにあるのです。

それを、「口利きも、忖度もないことが明らかになった」などと言うのは笑止千万。愚かしいにもほどがある。身の程を知らない人間の分際での独断。

このたび、風の神になにがしかの働きかけをして、風の神に神風を吹かせたのは、よくは分からないのですが、神々の口に戸は立てられないということで、我々の世界でもうわさは飛びかっています。一番有力なのは、アマテラス以来の皇祖皇宗の神霊ではないかということ。もちろん確証はないのですが、なにしろ、教育勅語復活の小学校教育設立ですから、朕の皇祖皇宗が喜んで一肌脱いだのだろうという憶測。それに出世の神、保身の神、処世の神、へつらいの神なんぞが力を貸して、風の神に働きかけたのだろうと言うのが、もっぱらの風評。

では、なぜ急に風向きが変わって、神風が逆風となったか。こんなことが言われていますね。今や、八百万の神々の勢力関係に変化が生じているというのです。天つ神と国つ神との争いの骨格が古事記以来の伝統でしたが、今やこの構図が壊れそうになっている。アマテラスを筆頭とする天つ神の勢力はこのところ、衰退の一途なのです。ですから、一度は皇祖皇宗の霊の口車に乗せられた風の神は、途中で気が変わったのです。明らかに別の神の働きかけ。

どうも、「民の声は神の声」というのが今高天原のはやり言葉のようなのです。ですから、風の神も考えた。「アベの手下みたいなことをやっていて、私の将来は大丈夫なのか」と。こんな時代錯誤の教育のための右翼学校経営者と右翼政権のために、一肌脱いだことで後世批判の矢面に立つのはイヤだ。となったらしいのです。

で、捨てる神と拾う神がバトンタッチ。その結果風向きが真逆に変化したというのです。アベ政権への追い風が、完全にアゲンストの向かい風になった。森友で着いた火は、逆風に煽られて「加計学園問題」にも飛び火するでしょうし、さらには「順正学園問題」にも類焼しそうではありませんか。その同じ風が、稲田防衛大臣のボロを暴き出しつつあります。これこそが人知を越えた風向きの変化です。これを神のミワザと言わなくて、なんというべきでしょうか。
(2017年3月26日)

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