澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

似た者同士、トランプ・アベの「日本核武装化新時代?」

敬愛するドナルド・トランプ次期大統領閣下。
貴国の従属的同盟国の総理・アベでございます。

大統領選の結果判明のその瞬間まで、私ども官邸は閣下を当選の見込みない泡沫と決めこんで、貴国の次期大統領はヒラリー・クリントン氏と予定した行動をとっておりました。これは、ワタクシの無能な部下の愚行とご寛恕いただきたく、非礼をお詫びするための拝謁の機会を得たくご連絡するとともに、併せて厳粛に属国並みの忠誠を誓約申しあげます。

思えば、ワタクシと閣下とは、人種差別の心情や反知性の粗暴な人格において、また反リベラルの右翼思想においても、排外的なナショナリストとしても、似た者同士と申しあげてよろしいかと存じ、僭越ではありますが、頗る親近感をいだいております。ホンネのところで、これほどぴったりと価値観を共有する同盟国の首脳は他にないとの思いを強くしているところでございます。

閣下同様ワタクシも、従来の保守・中道政権が国民から飽きられたことを奇貨として、右翼を基盤に政権を獲得したのでございます。政権の支持基盤が極端に右傾化しましたから、ワタクシもリベラル派からは悪評噴出して「私の首相ではない」「私たちの政権ではない」「アベ政治を許さない」と悪評さくさく、反発は今なお根強いところでございます。とりわけ、ワタクシの政権になって以来、ヘイトスピーチ・ヘイトデモ・ヘイトクライムが、社会に蔓延いたしました。これも、閣下の場合と兄弟相和するものとして、親近感を強くする所以のひとつなのでございます。

そのような思いから、属国の身をかえりみず、多少はお役に立つべきことを申しあげたいと存じます。

今、閣下は、合衆国大統領への就任を目前として頗る緊張のご様子とお見受けいたします。しかし、ナニ、ご心配には及びません。ワタクシごときに日本国首相が務まるのです。文字通り浅学非才、人格低劣、政治的見識皆無。単なる「右翼の軍国主義者」に過ぎないワタクシにおいてです。閣下に大統領職が務まらぬはずはありません。政策の立案・実行は、すべてしかるべき官僚が行うのですから、御輿の上の木偶人形が緊張したり心配したりの必要はございません。トップというものは、しゃべって物議を醸す生身よりは、しゃべらぬ木偶の方がずっとマシなのでございます。

ただ、これだけはやっかいです。閣下の支持基盤の中核は右翼ないし極右です。激しい人種差別の感情に駆られた排外主義者が貴政権の最も熱狂的な支持者となっています。この支持者の熱狂に応えたいのが、閣下の真意ではあろうと忖度申しあげますが、実はそれがなかなかやっかいなこと。「公約を破るのか」「選挙民を欺したのか」「おまえには何枚舌があるのか」という非難を覚悟で、この右翼勢力を宥めなければなりません。ここがたいへんに難しいところ。

ワタクシも靖国派や日本会議や、諸々の極右勢力の支援によって政権に就きました。この勢力の要望こそがワタクシの政治信条のホンネなのです。ですから、直ぐにでも9条改憲を実現したい。天皇の元首化をはかりたい。全国民に国旗国歌尊重を強制したい。核武装もしたい。沖縄を押さえつけて米軍基地の拡充を実現したい。「神武は実在した」「南京事件は幻だ」という教科書を津々浦々に普及したい。NHKを官邸の広報チャンネルとして純化したい。全閣僚の堂々の靖国神社参拝を実現したい。…願望は、やまやまですができないのです。第1次アベ内閣当時、ワタクシは権力の座にあればなんでもできると思っていまして、憲法改正の序章と位置づけた教育基本法改正には手を付けましたが、それも不十分なままで、結局はそれまで。それ以上のことはできなかったのです。結局は選挙に負けて、前代未聞のみっともないありさまで政権を放棄しました。是非、その轍を踏まれることのないよう、ワタクシを反面教師としてご用心ください。

ところで、問題は日米軍事同盟です。閣下は、選挙期間中日米軍事同盟の片務性を大いに問題にし、「アメリカが日本を守ってやっているのに、日本はそのコストを払っていない」「コストの全額を払わないなら米軍は撤退する」「日本は、核兵器でも何でも持って自国を守るべきだ」と繰り返して来られました。

失礼ながら、閣下が日米軍事同盟やガイドライン、そして沖縄を中心とする目下の基地問題にどれだけ通暁しておられるのか懸念なしとはしませんが、おっしゃっていることには一理あると感服しています。

とりわけ、日本の核武装の問題。日本国民の核アレルギーにはなかなかに根の深いものがあり、残念ながら直ぐには実現する見通しは薄いと考えざるをえません。しかし、これまでの貴国大統領とはまったく立場を異にし、我が国に核武装を促すとは、さすがに見上げた見識。閣下とワタクシとで、日本の民衆の核アアレルギー解消を目標とする「新日米同盟関係」を打ち立てることにご賛同いただけたら幸甚に存じます。

おっしゃるとおり、中国のみならず北朝鮮までが核をもっている北東アジアの軍事環境下で、日本が核に関して丸腰では軍事バランスを欠いて平和が危ういと言わざるを得ません。日本をめぐる国際環境が核開発を許すのなら、幸いに日本はプルトニゥム保有大国です。一部は貴国の要請に応じて返還したとは言え、未だに核弾頭5000発分と見積もられているプルトニゥムは他の用途なく、処理に困っておるところでございます。潜在的核保有国と言われる我が国が、核武装することにさしたる時間は要しません。核爆弾の運搬技術は種子島で実験を重ね、既に軍産学協調の成果として完成の域に達していますから北朝鮮に対して核優位に立つことはいともたやすいこと。

これこそ、新しい核の抑止力に基づく平和を切り開く、「トランプーアベ親密外交新時代」。是非とも国民の核アレルギーの払拭を通じての核抑止力均衡に基づく積極的平和の実現に向かってともに努力を重ねていこうと、かように愚考いたしております。
 誠惶誠恐頓首々々謹言
(2016年11月12日)

「核兵器禁止条約 交渉開始決議」に日本が反対する、その「屁理屈」。

国連総会第1委員会(軍縮・国際安全保障問題)は、10月27日核兵器禁止条約締結に向けて交渉を開始する会議を来年に招集するとした決議案を、圧倒的な賛成多数で採択した。「『核兵器を禁止し、完全廃絶につながるような法的拘束力のある措置』を交渉するために『国連の会議を2017年に招集するよう決定する』」というもの。キーワードは「法的拘束力」である。世界各国の核廃絶への意気込みが伝わってくる。年内に国連総会本会議で採択のうえ、核兵器の法的な禁止をめぐる本格的な議論が初めて国連で行われることになる。ところが、この決議に、日本が反対に回っていることが話題になっている。

この決議の共同提案国が57か国。採決の結果は、賛成123、反対38、棄権16だった。唯一の戦争被爆国である日本が、共同提案国57か国に加わっていない。賛成123か国の中にもはいらなかった。棄権ですらなく、少数派・反対グループ38国の一員となった。北朝鮮ですら賛成している。NPT体制における核保有5大国の一角である中国は棄権と、国際世論に配慮しているのに、日本は「反対」というのだ。

「法的拘束力をもつ核軍縮には反対」と明言する日本。これが本当に、私の国だろうか。かつて、3000万筆の原水爆反対署名を集めて、国際世論を喚起した被爆国と同じ国なのだろうか。核兵器廃止に反対票を投じる現政権が、日本国民を代表する正当性をもっているのだろうか。憤懣に堪えない。

さらに噴飯物なのが、政府の反対理由である。岸田文雄外相・萩生田官房副長官が閣議のあとの記者会見で明らかにし、同旨をアベ首相も述べている。

「慎重な検討を重ねた結果、反対票を投じた。北朝鮮などの核、ミサイル開発への深刻化などに直面している中で、決議は、いたずらに核兵器国と非核兵器国の間の対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ね、核兵器のない世界を目指すというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

「核兵器のない世界を目指す」から、世界の潮流に断乎逆らって「法的拘束力をもつ核軍縮には反対」というのだ。誰がどう考えたところで、説明になってない。論理として成り立たない。「反対」の姿勢もさることながら、こんな理由しか言えないのだから情けない。とんでもない政府ではないか。

もし、こんな屁理屈がまかりとおるのなら、賛成・反対自由自在だ。何にでも賛成もできるし、反対もできる。訳が分からなくなる。理屈と膏薬はどこへでも付く、とはよく言ったもの。たとえば、次のようにだ。

「慎重な検討を重ねた結果、世界平和と軍縮を促進しようという決議には反対票を投じた。平和を語って戦争を準備する勢力の台頭など深刻な事態に直面している中で、決議は、いたずらに平和を称える勢力と軍縮によって軍事バランスを崩すことが危険だと考える諸国との間の対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ねて、平和な世界を目指すというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

「慎重な検討を重ねた結果、地球温暖化防止のための温室効果ガス排出規制に関する条約には反対票を投じた。世界に経済発展の格差という現実があり、各国が開発と環境保全との深刻な矛盾に直面している中で、決議は、いたずらに先進国と途上国、排出規制促進派と反対派の間の対立を一層助長するだけであって、具体的、実践的措置を積み重ね、地球環境保全を究極目標とするわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

「慎重な検討を重ねた結果、あらゆる児童を労働から解放して教育の機会を保障すべきとする決議には反対票を投じた。国によっては、文化や財政や、あるいはその国に進出している資本の発言力によって、児童労働の解放は直ちに現実する見通しのない深刻な事態において、決議は、いたずらに後進国と先進国、貧しき者とこれを搾取する者との間の対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ねて、やがては過酷な児童労働をなくそうというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

「慎重な検討を重ねた結果、両性の平等を促進しようという決議には反対票を投じた。世界の各国はそれぞれの歴史や伝統に基づく男女の社会的・文化的・法的地位のあり方をもち、それぞれ個別多様に深刻な事態に直面している中で、決議は、いたずらに形式的平等促進を称える諸国と、国内諸事情によってそのことに慎重な諸国との間の対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ねて、真の両性の平等を目指すというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

「慎重な検討を重ねた結果、世界から貧困と格差をなくそうという決議には反対票を投じた。世界の各国には、貧困と格差をなくそうという諸国だけでなく、経済発展が何よりも優先と考える国もあり、熾烈な競争こそが配分すべきパイを極大化すると考える国もある。決議は、いたずらに各国の政策対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ね、貧困格差のない世界を目指すというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」

国際問題だけではなく、国内問題でも同じことだ。

「慎重な検討を重ねた結果、近代立憲主義の原則を尊重すべしとする国会決議には反対せざるを得ない。我が国には憲法9条を遵守して国際協調と平和を擁護せよという見解のみがあるわけではない。防衛環境の変化の中で、政府が厳格に憲法を遵守すると宣言することは特定の近隣国に誤ったメッセージを送ることになり、抑止力を脆弱化することにもつながるとする意見も根強い。このような意見がある限り、決議は、いたずらに「立憲主義の理念」と「国防最優先の思想」との間の対立を一層助長するのみならず、具体的、実践的措置を積み重ねて、立憲主義と国防との両立を目指すというアベ政権の基本的考えと合致しないと判断した」

「慎重に検討を重ねた結果、福祉を増進し、教育を無償化し、労働条件を改善し、中小企業と農漁業を振興し、環境を保全するための予算増額の措置には反対せざるを得ない。我が国には、この国を「世界で一番大企業が活躍しやすい国」にすべきであるという有力な耳を傾けるべき意見がある。このような意見がある限り、老齢者福祉も、障がい者福祉も、生活保護も、貧困対策も、教育無償化も、労働条件改善も、中小企業と農漁業を振興も、すべては大企業の利益を損なうものであるいじょう、いたずらにこの国の深刻な階級対立や思想対立を一層際立たせることを助長するのみならず、具体的、実践的措置を積み重ねて、大企業が満足する範囲で福祉政策との両立を認めるというアベ政権の基本的考えと合致しないと判断した」

こんな「屁理屈政権」には、即刻退場してもらわねばならない。
(2016年10月30日)

築地にマグロ塚をー署名運動にご協力のお願い

本日(9月23日)が久保山愛吉の命日である。
1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁で最大級の15メガトン水爆「ブラボー」を大気中で爆発させた。その威力は広島に落とされた原爆の1000倍であったという。そして、その構造から大気中にばらまかれた放射線量もけたはずれのものだった。

たまたま近海で操業していてたマグロ漁船・第五福竜丸は、爆発地点から160キロの距離で被災することになった。未明、太陽が西に昇ったと思わせる閃光の後に、乗組員23名が雪のように降った死の灰を浴びることになった。これが「3・1ビキニ事件」。

この死の灰は、島ごと吹き飛ばされた珊瑚礁の破片を主成分とする、高線量の放射性物質だった。23人の乗組員全員が「急性放射線症」で入院した後、最年長の通信士久保山愛吉が半年後の9月23日に亡くなる。その遺言は、「原水爆の被害者はわたしをさいごにしてほしい」というものであった。

久保山の遺言を刻した「久保山愛吉碑」が、夢の島の第五福竜丸展示館の裏庭に建立されている。その書体は、三宅泰雄(第五福竜丸平和協会・初代会長)の筆になるもの。

その「久保山愛吉碑」のとなりに、「マグロ塚」がおかれている。高さ約130センチほどの青みがかった重量感ある石碑。「マグロ塚」の文字は、第五福竜丸乗組員だった大石又七の筆跡である。

東京都名義の解説板に、以下の記載がある。
「1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被爆した第五福龍丸から、放射能に汚染された魚が水揚げされ、消費者の手に渡る前に中央卸売市場築地市場の一角に埋められました。
 このような核の被害が再び起きないことを願って、「築地にマグロ塚をつくる会」は募金活動を行い、募金に参加した大勢の子どもたちと共にマグロ塚を作りました。
 本来であれば、この塚はマグロが埋められた築地市場に置くことがふさわしいのですが、市場は整備中であるため、暫定的に第五福竜丸のそばに展示されることになりました。」

ビキニ事件当時、原爆マグロは世を震撼させた。放射能の脅威、その被害が食の安全を脅かす形で、すべての人の身近なものとなった。その記憶を風化させないで、核の恐怖の警鐘にしよう。そう考えたのが大石で、子どもたちに10円募金を呼びかけて石碑を作ることまではした。しかし、東京都も認めるとおり、「この塚はマグロが埋められた築地市場に置くことがふさわしい」のだが、それが実現していない。

築地には石碑ではなく、建物の壁にはめ込まれた金属の「プレート」がある。こちらは、次のように由来が書き込まれている。
「1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。
 全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。
 このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実をきろくするため、ここにプレートを作りました。 マグロ塚を作る会」

いま、築地にマグロ塚はなく、市場の整備が済むまで、暫定的に第五福竜丸展示館にある。これを本来あるべきところに移そうという運動が起きている。その運動を担うのが「築地にマグロ塚を作る会」、代表が大石又七である。その会の設立趣旨を記しておきたい。

本会は、「1954年の水爆実験で、放射能マグロ騒ぎが起こり、築地魚市場はもちろん日本中がパニックになりました。457トンものたくさんのマグロが地中や海に捨てられ、魚屋さんや、お寿司さん魚河岸も、お手上げになりました。その教訓を忘れないようにしたいのです。埋められたマグロ、食卓に上ったマグロにも、マグロ好きな日本人らしく、供養と感謝の思いをよせて作りたい」との大石又七さんの呼びかけにもとづき、築地の中央市場への建設の要請と署名及び10円募金活動を行ってきました。その結果署名は2万2千名、募金は約300万円が集まりました。これは全国各地多くの賛同する人たちからの支援、とくに小・中学校の生徒からの支援も多くありました。
 築地の中央市場を管理する東京都からは市場の移転や改修計画を理由にプレートの設置のみが許可され、2000年の1月8日に中央市場の正門にプレートを設置することができました。又、本来ならば築地に置くべき『塚』は暫定的ながら第五福竜丸展示館前に設置する事になりましたが、いずれこの塚は、築地の市場に設置すべきものと考えています。
 97年当初はマグロ塚をつくる会といっても、大石さん一人から署名・募金活動を開始され、その後徐々に支援の輪が拡がってきました。今後とも築地の中央市場への塚の設置実現のためには、大石さんや多くの人たちが協力して持続的で広い活動を行うことが必要とされています。その為にも『築地にマグロ塚をつくる会』の会則等をつくり、機能的に運営し、多くの支援してくれる方にその活動の内容を伝えたいとおもっています。

会は今、東京都に対する要請の署名運動を始めた。要請の趣旨は、「かつてマグロの廃棄地とされた跡地の一画に『マグロ塚』を移設することで、核兵器や放射能の怖さ、そして平和の尊さを多くの人たちに永く訴えたい」ということである。
昨日(9月22日)夢の島で、会が「9・22平和集会」を開催した。82歳の大石が病む体を押して出席し、署名を通じての塚の移設実現を訴えた。

はからずも、今築地から豊洲への市場移転問題が世の大きな関心事となっている。食の安全こそが重大事として再確認されているのだ。60年前の「原爆マグロ」事件は、食の安全が脅かされたことによる国民的な規模でのパニックをもたらした。核兵器の存在が、このような形でも人の生活を脅かすことを忘れてはならない。

下記のURLを開いて、是非ご協力をお願いしたい。
  http://tsukijimaguro.blogspot.jp/2016/09/blog-post_76.html
(2016年9月23日)

四國五郎ー「反戦平和」を貫いた広島の画家

峠三吉のガリ版『原爆詩集』(1951年)の表紙絵や絵本『おこりじぞう』(1979年)の挿絵を手がけるなど、広島で生涯をかけて「反戦平和」を見つめながら表現活動を続けた画家・四國五郎(1925~2014)。(丸木美術館「四國五郎展」2016年の案内リーフから)

その四國五郎が次のような文章を書いている。

「原爆詩集が刷りあがったとき、峠さんはうれしそうであった。第一工房というガリ版印刷所は、千田町三丁目の電鉄前ににあったのだが、刷りあがったホヤホヤを私の勤め先の市役所へ持ってきてくれたのである。
 市庁舎の改築で玄関あたりもすっかり様がわりしたのでついでに書いておくが、庁舎前の石畳に、やはりみかげ石で縁どった芝生に金木犀やかいづかが植えてあった。九月の陽ざしをさえぎって、けっこう木かげをつくっていたので二人はそこに腰をおろした。
 「ほら、できあがったよ、いいのができたありがとう」
 謄写インキの香りもま新しいその原爆詩集は、ザラ紙にセピアで刷られたものであるが、きれいな文字が小さく並んでおり、いま眺めても、手造り詩集といった感じで、なかなか味のあるものである。
 後にこの詩集が河出書房の日本現代詩大系に収録されたときも、ちょうど峠さんの家に居あわせたのだが、そのときよりもガリ版の原爆詩集ができたときの方が、ほんとうに嬉しそうであった。自分の詩集が誕生したというだけの嬉しさだけでなく、詩による原爆の告発が陽の目をみることのよろこびも込められているよろこびであり、それは「われらの詩の会」のみんなのよろこびでもあった。」

その人柄をよく表した美しい文章だと思う。
また、同じ文章に、原爆詩集の制作過程の一コマがこう綴られている。

 「被爆の状況を語りあいながら私が毛筆で和紙に絵を描き、峠さんはそれを眺めながら、イラストにつけ加える説明とも詩ともっかぬ文句を考え、イラストはグレイで刷られた。そのときのそのような共同作業が、その後の辻詩作製のパターンのはじまりであった。」

四國五郎についてはウィキペディアに以下の記事がある。よくできた紹介と感心するしかない。やや長文になるが引用させていただく。

「原爆詩人の峠三吉が死没するまで常に共に活動しており、「ちちをかえせ」で著名な『原爆詩集』(1951年出版オリジナル版)の表紙装丁、中の挿画も全て四國の作品。この詩集は官憲の弾圧を恐れた東京の出版社が全て出版を拒否したため、詩人・壺井繁治の勧めもあり、広島で急遽ガリ版刷りで500部出版したもので、原爆文学作品として記念碑的存在。現在では一部の博物館でしかオリジナル版の実物は目にする事はできない。広島市平和公園内の峠三吉の「ちちをかえせ」の慰霊詩碑のデザインも彼によるもの。また、広島市内には大田洋子の文学碑もあるがこれも四國のデザインによるもの

約3年間シベリアに抑留され、公の全ての記録はソ連により剥奪されたが、四國は生死を彷徨う体験をしながらも、自分で豆のようなノートを作り、それに克明に記録を取り靴の中に入れて密かに日本に持ち帰った。帰国後すぐに記録を絵と共に1,000ページ近い絵日記として復元し、シベリア抑留の貴重な生の記録となっている。また、自らの飯盒にシベリアの仲間達の名前を60名近く彫りこみ、その上からペンキを塗り文字を隠し日本に持ち帰った。シベリアから記録を持ち帰ることはスパイ罪と見なされ、厳しく制限されたが、四國は持ち帰ることに成功している。シベリア抑留者の中で、四國のように、豆のような日記や名前の彫りこまれた飯盒を日本に持ち帰った例は、他にないと言われている。

また、1950年の朝鮮戦争前から、峠が入院するまで約3年間、『辻詩』(つじし)と題して、絵は四國、詩は峠が担当し、一枚モノの手書きのポスターのような表現物を100種類近く手書きで作成。市内のあちこちにゲリラ的に掲出した。GHQが厳しい言論統制を敷く中、当時としては逮捕覚悟の反戦活動だった(貴重な歴史資料だが、現物はほとんど残っていない)。

戦争によって、意味もなく最も被害を受けるのは、何の罪もない母や子供たち、との考えから、平和の象徴として「母子像」をテーマに、誰にでも分かりやすく平和の尊さを訴える、多くの作品を油絵や水彩で残した。」

丸木美術館の「四國五郎展」には、「豆日記」も「辻詩」(8葉)も、「母子像」も展示されていた。そして、絵本「おこりじぞう」の原画も、戦後の広島の風景も。
企画展の案内リーフには、ジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)のメッセージが記されていた。

「原爆の図丸木美術館」に常設されている丸木位里・赤松俊夫妻の「原爆の図」と一緒に四國五郎の作品が展示されるのは、なんともすばらしい機会である。
 この三人の作品は、単に1945年8月に日本に投下された原爆の恐ろしさを思い起こさせるだけではない。戦争と平和がいかに絡み合っているかということを作品を観る者の心にうったえてくるし、創造性豊かな三人の作品から私が個人的に受ける忘れがたい印象は、美と創造性と平和、さらには人間の命の大切さの深淵な確認ということである。
((略))
 三人の作品は、核戦争というものがいったいどんなものなのかを世界中の人々に思い起こさせる上で、特別な力強さを持っている。
 私の祖国である米国でも、また日本でも、軍国主義が再び台頭しつつある今、四國五郎と丸木夫妻の芸術作品は、今まで以上に緊迫性をもって私たち一人一人に語りかけてくる
。」

私は原爆詩集が発行されたころ、広島市内の小学生だった。今は様変わりしている太田川や相生橋の記憶もある。原爆ドームの瓦礫で遊んだ記憶もある。四國五郎の描く当時の広島の風景には、格別に心惹かれるものがある。

広島の画家として「反戦平和」の生涯を貫いた四國五郎の作品群である。願わくは、貴重な歴史の宝として、もっともっと多くの人に知られ評価されんことを。
(2016年9月21日)

人間を愛する人たちへの贈り物ー「原爆の図」と「原爆詩集」

一昨日(9月18日)、東松山の丸木美術館を訪れた。常設展の『原爆の図』連作と、画家・四國五郎の企画展を見るために。

高名な『原爆の図』は圧倒的な迫力をもつものだった。これは、第1部から第15部までの連作である。丸木位里・俊夫妻が、1950年から1982年までの32年間をかけて書き上げたという大作。悲惨で残酷なテーマではあるが、目を背けさせるものではない。むしろ、悲惨な被害者も「美しく」描かれて、この惨状を見つめなければならないことを訴えている。

連作は、次のように標題がつけられている。
 第1部 幽霊
 第2部 火
 第3部 水
 第4部 虹
 第5部 少年少女
 第6部 原子野
 第7部 竹やぶ
 第8部 救出
 第9部 焼津
 第10部 署名
 第11部 母子像
 第12部 とうろう流し
 第13部 米兵捕虜の死
 第14部 からす
 第15部 長崎
(長崎原爆資料館所蔵)

この連作の作成について、館は次のように説明している。
「広島は位里のふるさとです。親、兄弟、親戚が多く住んでいました。
 当時東京に住んでいた位里が知ったのは『広島に新型爆弾が落とされた』ということだけでした。いったい広島はどうなってしまったのか。
 位里は原爆投下から3日後に広島に行き、何もない焼け野原が広がるばかりの光景を見ました。俊は後を追うように1週間後に広島に入り、ふたりで救援活動を手伝いました。
 それから5年後、『原爆の図 第1部 幽霊』が発表されます。数年間描きあぐねた「原爆」を、水墨画家の位里と油彩画家の俊の共同制作で、やっとかたちにすることができたのです。
 はじめは1作だけ、その後は3部作にと考えていた「原爆の図」は、とうとう15部を数えました。最後に〈長崎〉が描かれた1982年までの32年間、夫妻は「原爆」を描き続けたのです。」
その一貫した揺るぎない姿勢には脱帽するしかない。

「第9部焼津」「第10部署名」は、第五福竜丸被曝後の原水爆禁止運動の高まりを描いたもの。さらに丸木夫妻は原爆だけでなく、「南京大虐殺」、「アウシュビッツ」の大作を描いている。そして「水俣・原発・三里塚」に及ぶ。

最初は被害の実相を描き、やがて被害加害を超えた戦争の悲惨と悲惨をもたらしたものへの民衆の怒りを描き、さらに戦後の公害や権力の横暴を、民衆を不幸にする憎むべきものとする立場から描いたのだろう。原水爆だけではなく、反原発の立場を明確にした先見性には敬意を表せざるを得ない。

なお、館内の展示はけっして悲惨な呻きに満ちているわけではない。祈りのような雰囲気、そして明るい未来を展望する絵、ホッとする穏やかな絵も。

ミュージアムショップに峠三吉の「原爆詩集」(初版)の復刻版があったので買い求めた。
B6サイズ横長ガリ版刷りの74頁。「著者 峠三吉」「装幀 四国五郎」「頒価80円」、発行が1951年9月20日となっている。65年前の今日である。

同年6月1日付となっている長い「あとがき」の次の一節が胸を打つ。
「私はうす暗い広島療養所の一室でこの稿をまとめた。まとめてみながら、此の事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、此の出来事の実感を傅えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来えの単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。」

あとがきの最後は、次のように締めくくられている。
「尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和えのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争えと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
 又私はいつておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
 此の詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々えの警告の書でもある。」

共産党員として活動した峠三吉の面目躍如たる宣言ではないか。
私も、人間を愛する人たちの一人として、「此の詩集」を峠からの贈り物として受けとりたい。受けとった記念に20編の詩のまえにおかれた「序」を記そう。

 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ

「原爆の図」を見、「原爆詩集」を読んだ以上は、私も「にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」と叫び続けよう。あらためてそう思う。
(2016年9月20日)

詩画人・四國五郎の「辻詩」 ー「福竜丸だより」から

四國五郎(1924~2014)という画家をご記憶だろうか。ウィキペディアには、「広島県広島市出身の画家・挿絵画家・絵本作家・詩人である。広島平和美術展を広島の画家仲間達と創設。絵画と詩を描きながら、広島を拠点にして戦後の平和運動を推進した。特に原爆をテーマにした絵本『おこりじぞう』の装丁と挿絵が有名。」とある。峠三吉や山口勇子と組んで仕事をした人だ。

本日配達になった「福竜丸だより・№395」(2016年9月1日)に、ご長男・四國光氏の寄稿がある。「詩画人・四國五郎と『辻詩』」というタイトル。

「辻詩」とは耳慣れない。「辻」は、四つ辻の辻。辻説法・辻占・辻商い・辻籠・辻待ち・辻芝居・辻斬りの、あの「辻」。往来が交差する賑わうところ、巷の意味。辻詩は、「巷の詩」ということになるが、その内容は思想的宣伝物(手描きの反戦反核ポスター)なのだ。これを、単にポスターとかビラあるいは伝単などと即物的に表現せず、「辻詩」と言うところに作成者の思い入れがある。作成者とは峠三吉と四國五郎の両名が中心。峠が文を四國が絵を担当したという。この辻詩の作成と貼り出しは、占領下の広島で当局の言論統制をかいくぐっての逮捕覚悟のものだったという。その表現意欲がすさまじい。

「福竜丸だより」の寄稿を抜粋して紹介したい。これはまた見事な、亡き父へのオマージュでもある。

 父・四國五郎は第五福竜丸の水彩画を残している。また、ビキニ事件の時は、巨大な「原爆マグロ」を作って広島のデモに参加した。行動しなければ、という思いが常に父を突き動かしていた。
 その父の展覧会が「原爆の図一丸木美術館」で、開催されている(9月24日迄)。
父の作品としては「絵本おこりじぞう」の絵や、峠三吉と作った「原爆詩集」の表紙面や挿画が最も知られたものだと思うが、今回の展示の目玉のひとつは、父が峠と作った手描きの反戦反核ポスターだ。父たちはこの表現形式を「辻説法」になぞらえ「辻詩」と呼んだ。1950年の朝鮮戦争の始まる少し前から、峠が入院する53年頃まで、父は100枚から150枚描いたというが、現存するのは父のアトリエにあった8枚のみ。今回の展覧会では初めてこの8枚全てが展示された。
 当時はGHQによる言論統制のため、戦争や原爆に関する表現は厳しく規制されていた。「辻詩」はそのような状況下で作られた、逮捕覚悟の反戦活動であった。「辻詩」が出来上がると、峠が始めた詩のサークルである「われらの詩の会」のメンバーが手分けしてゲリラのように街中に貼り出し、警察が来ると大急ぎで剥して逃げた。「辻詩」の四隅に残る画鋲の穴を数えると、何回逃げたかがわかる。多いもので40個の穴が開いていたそうだ。
 どのようにして「辻詩」を作ったか、父のメモが残されている。それを読むと、ジャズの即興を連想させる。峠と父とでアイデアを持ち寄る。お互いに意見をぶつけ合いその場で「辻詩」の原案をどんどん作っていく。父がそれを自宅に持ち帰り、絵と、絵に相応しい字体で詩を書き入れる。出来上がると街に貼り出し道行く人に訴える。混沌の現実から今もぎ取ってきたような「生の表現」。それこそが人の心に訴え人を動かす、という信念が父たちにはあった。父は自分たちで書くだけでなく、多くの方が参加可能な「表現のプラットフォーム」として、「辻詩」に大きな可能性を見出していた。沈黙から言葉を引き出そうとした。
 仲間たちの中には、父や峠の、あまりに前のめりな姿勢に対して、危険すぎるので止めるべきだ、という反対も多かったと言う。しかし、父の日記を読む限り、この運動を減速したり止めたりする気持ちは微塵もなかったようだ。「辻詩」によって、詩と絵が社会に対してどれだけの働きかけができるのか、そのチヤレンジに全身全霊をかけて没頭していた様子が伺われる。
 「この時代、沈黙してはいけない」。日記を読むと、一連の表現活動による逮捕の可能性も仄めかしており、恐らく覚悟の上だったようだ。「戦争とシペリアを経験したので、それに比べればどんな事でも乗り越えられると思った」と晩年語っていた。
 「辻詩」とは廃棄あるいは押収される事が運命づけられた「使い捨て」の表現物だ。自分が丹精込めた「表現」の痕跡は一切残らない。3年近く、父は「辻詩」の作成に情熱を注いだ。作品として残る可能性の無いものに対して、そこまでのエネルギーを費やし続けることの、執念のような腹の括り方に、 私は改めて驚きを禁じ得ない。
 峠の死後も、父は生涯、戦争と平和のメッセージを伝える事を自分の使命と課し、絵や詩など膨大な作品を残した。その中で、最も父の心を熱く燃やしたものが、若き日の「辻詩」であったと思う。「辻詩」は表現者・四國五郎の原点であった。

なお、東京新聞(16年8月4日)の記事に、次の紹介がある。
「原爆をテーマにした絵本「おこりじぞう」の挿絵や詩人・峠三吉の私家版「原爆詩集」の表紙絵などで知られ、生涯にわたり反戦と平和を表現し続けた画家四国五郎さん(1924~2014年)の画業を振り返る「四国五郎展」が、東松山市の原爆の図丸木美術館で開かれている。」「復員の翌年、峠三吉と知り合った四国さんは、反戦詩をつづった絵を街頭に張り出す「辻詩」の活動を始める。朝鮮戦争(1950~53年)の最中、占領軍の言論統制下でのゲリラ的な運動だった。50年、丸木位里・俊夫妻も官憲の目をかいくぐりながら「原爆の図」の全国巡回展を始め、出発点となった広島では、四国さんらが展覧会を支えた。」(以下略)

表現の自由が抑圧された時代にも、表現者は黙ってはおれない。「この時代、沈黙してはいけない」という四國の言葉は重い。今の時代、意欲さえあれば、書ける、話せる、出版も、掲示も、メールも、ブログも、ほぼ自由に表現できる。この貴重な自由を、精一杯行使し続けなければならない。表現の萎縮によって自らこれを放棄する愚を犯してはならない。峠や四國の活動を知って、痛切にそう思う。
(2016年9月9日)

憲法の理念に真逆の首相をもつ、ねじれた日本の不幸。

下記は、一昨日(8月17日)の赤旗7面(文化欄)に載ったエッセイ。タイトルは、「君をハグしていい?」というもの。筆者西川悟平(1974年生)はニューヨーク在住で、「7本指のピアニスト」として知られている人だという。印象に深い内容にかかわらず、赤旗のデジタル版には掲載なく、ネットでの紹介記事も見あたらない。まずはその全文を紹介したい。

 2年前の1月の寒い日、二ューヨークのマンションで2人組の泥棒にあいました。夜10時ごろ、ノックの音に、ルームメートの友達だと思いドアを開けると、黒人とラテン系の男が入ってきて、注射器を突きつけられました。中には透明な液体が入っていて、なんだか分からないままホールドアップ。1人が僕に注射器を突きつけている間、もう1人がクレジットカードやパソコンなどを盗みだしました。

 初めはすごく怖かったのですが、だんだんと怒りに変わり、その後「何が彼らをこんな行動に駆り立てたんだろう?」と好奇心に変わりました。アメリカの大学で心理学を学んだことがあったんです。
 恐る恐る「しゃべっていいですか?」と聞くと「うるせえ! 黙れ!」。「ごめんなさい! ただ君たちがどんな幼少期を過ごしたのか…なんでこんなことをしなくちゃいけなくなったのか…そう思っただけです!」
 するとラテン系の男が一瞬動きを止めて、「お前にあのクソ痛みが分かるか…俺の親父は俺が子どもの時から俺に性的虐待をしてきた。母さんは、俺が物を盗ってきたら愛してると言ってくれたんだ」。僕は涙が出てきました。「つらかったね…。あるものはなんでも盗っていいから! 君をハグしていい?」。彼は「俺に近づくな! 今センシティブな(感じやすい)気分なんだ!」。注射器を持っていた男は「お前は日本人か? お前らは、人を深く尊敬する文化があるから、俺は好きだ」と言いだしました。
 「日本から届いた緑茶があるけど飲みますか?」と聞くと、2人とも「飲む」と言うのでお茶を沸かし、3人で話しました。ラテン系の男が翌週に誕生日だというので、ハッピーバースデーをピアノで演奏しました。時計は明け方4時を指していました。

 僕自身アメリカではひとりきりで、指に病気を抱えながらピアニストで頑張ってると伝えると、「お前ならきっと1年後には笑って過ごせる日がくるさ」と応援してくれました。僕は「あなたたちは、人間としての素晴らしい価値があるから、お店で働くなり、アルバイトをするなり、何か必ずできる仕事があるはずだ」と伝えました。
2人は、僕のマンションの壊れかけた暖房設備を修理し、盗んだものをすべて返してくれ、「次から相手を確認するまでドアを開けるなよ」とお説教。明るくなりはじめた頃、出て行きました。1人ずつハグをして「お前に会えて良かった」と言って。
僕は翌年そのマンションを引っ越しました。彼らが元気で幸せであることを願っています。

**************************************************************************
このエッセイに描かれたできごとは、憲法9条の理念を寓意している。
暴力に遭遇したとき、暴力での対抗が有効か、あるいは丸腰での対応が安全か。少なくともこのケースの場合、丸腰主義と友好的対応が成功している。

いつもそうとは限らないという反論は当然にあり得る。では、このピアニストが護身用の拳銃を所持していたとして、隙を見て犯人に発砲したとすれば…。強盗被害をはるかに超えた悲惨な結末となっていたに違いない。

暴力を振るう相手に対して、「君をハグしていい?」という対応のできる人格は稀有なものだろうが、暴力に暴力で対峙の危険を避けることは常識的な発想といえよう。この「暴力に暴力で対峙する危険を避ける常識的な発想」から半歩踏み出したところに、日本国憲法の平和主義の発想がある。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というのが日本国憲法の立場である。「決意した」というのだ。非武装平和主義のリスクを引き受けるということだ。非武装の平和も、武力による平和もともにリスクはある。武力による平和を求める方策は、際限のない武力拡大競争と極限化した戦争の惨禍をもたらすという大失敗に至った。しかも、次の本格戦争には核が使われることになる。だから、非武装の平和を決意したのだ。

「決意した」は、安閑としてはいられないという認識を表している。平和のために国民が団結して、知恵を出し合い、多大な努力を重ねなければならないということなのだ。

憲法前文は、非武装平和主義を採用する根拠として、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」としている。人間を、諸国民を、胸襟を開いて話し合えば理解しえる「ハグすべき相手」と見る思想である。

この対極にあるのが、「自国は正義」「隣国は悪」という国際観。「隣国は常に自国攻撃の邪悪な意図をもっている」「だから平和のためには可能な限りの軍備が必要」となる。もちろん核武装も厭わない。現実に核武装が困難であれば、核の傘に身を寄せる選択となる。

自国を攻撃する意図をもった邪悪な隣国と対峙している以上、自国の平和のためには可能な限りの強力な武力を。どんなときにも即応できる、いつでも使える武力を。先制してでも武力の行使を辞さない能力と戦意こそが平和の保障、と考える。

だからアベは、オバマの「核兵器先制不使用宣言」には反対なのだ。日本がよるべき「核の傘」(核抑止力)は、「先制しては使わない」などという切れ味の鈍いものであってはならない。常に、日本の隣国に睨みをきかして、恫喝し続けるものでなくてはならないのだ。

アベが、広島で述べた「核兵器なき世界に向け、新たな一歩を踏み出す年に…」なんて言うのは、真っ赤なウソ。アベは憲法9条が大キライ、核抑止力大好きなのだ。アベは、自宅にピストルが欲しい。できれば、機関銃も爆弾も欲しいのだ。強盗が押し入ってきたら、撃ち殺すぞ、爆殺するぞ。そう、脅かすことが安全と平和のために必要というのだ。

あらためて、強盗二人をハグしたピアニストに敬意を表する。あなたこそ、日本国憲法の理念の体現者だ。ひるがえって、アベの何たる愚かさ。

ああ、不幸な日本よ。憲法の理念に真逆の考えの首相をもつ、ねじれた国よ。
(2016年8月19日)

ナガサキは『北東アジア非核兵器地帯』の創設を呼びかけている

8月9日、世界が長崎の祈りに耳を傾けるべき日。
「長崎原爆の日」の平和祈念式典での田上富久市長の平和宣言は、例年具体的課題に切り込むことで話題となる。薄っぺらなコピペのアベ挨拶との対比での話題も例年のこと。

具体的で分かり易い、そして真摯な思いのこもった平和宣言の文章に敬意を表せざるを得ない。

今年も、核抑止力論を批判した次のくだりに迫力がある。
「日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである『北東アジア非核兵器地帯』の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの『英知』を行動に移すリーダーシップを発揮してください。」

これがアベの面前でのスピーチである。アベには耳が痛かっただろう。もっとも、アベが聞こえる耳を持っていればの話だが。

被爆地で、核廃絶を願う立場の市長にしてみれば、国の安全をアメリカの核の傘に依存する基本政策は到底受け容れがたいのだ。あたかも、核の保有こそが平和の礎という、国の方針がある如くではないか。そもそも、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」が有名無実になっており、核密約が存在していたことも公然の秘密。

「非核三原則の法制化」は、有名無実の「持ち込ませず」原則をあらためて、米国に遵守させることなのだ。アメリカの核の傘から脱することによって、「核兵器廃絶を訴えながら、核抑止力に依存する」という矛盾を解消できることになる。

「それで、国の安全は大丈夫?」と不安な人に対しては、「核抑止力に頼らない安全保障の枠組み」としての「北東アジア非核兵器地帯」の創設が呼びかけられている。

2012年長崎平和宣言では、こう言及されているという。
「『非核兵器地帯』の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年(2012年)は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも『北東アジア非核兵器地帯』への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。」

『北東アジア非核兵器地帯』構想は、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本の3カ国を「地帯内国家」として、日本の非核三原則をモデルに非核兵器地帯条約を締結する。そして、中華人民共和国、ロシア連邦、アメリカ合衆国の周辺3カ国を、「近隣核兵器国」として、地域内国家3カ国に対する核攻撃をしない「消極的な安全」を保証する議定書に参加するという方式。よく練られた、現実性のある提案というべきだろう。

今年の平和宣言は、こうも言っている。
「核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。」

アベの耳に届いただろうか。

そして私たち自身も、問われている。
「市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。」

今年の平和宣言は、やや悲痛な趣がある。両院とも、改憲勢力の議席数が、3分の2を越えたという事態が悲痛の原因ではないか。
「このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの『英知』を結集してください。」
(2016年8月10日)

「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」ーアベ首相は、この語りかけに真摯に答えよ。

8月は、戦争と平和を考える季節。とりわけ上旬は、原爆の犠牲を見つめ直すとき。中旬はあらためて戦争の原因と敗戦の決断が遅れた理由を考え直すとき。そして下旬は、日本再生の理念を再確認するときではないか。加えて、今年の8月には改憲問題が色濃く影を落としている。沖縄の辺野古と髙江の問題も絡んでいる。おまけに、天皇生前退位という、さしたる重要事ではないことに世間がかまびすしい。

昨日に引き続いて、広島の話題。

アベが本当に行きたいところは靖國神社。沖縄や、広島・長崎の平和式典は行きたくないところ。「戦争屋」「何しに来た」と罵声を浴びせられたこともあり、明らかに居心地が悪い。それでも行かざるを得ないのは、圧倒的な平和を求める世論のしからしめるところ。

これまでの「首相あいさつ」の定型から、「日本国憲法を遵守し」の一文を外すなど、密やかに姑息な抵抗を試みるのが精一杯。昨年は、「非核三原則堅持」が抜け落ちていると叩かれ、今年渋々と復活した。式典では明らかに主役ではない。脇役と言うよりは、仇役という役どころ。

昨日(8月6日)平和式典後の、被爆者7団体代表との「懇談」も、明らかにいやいやながらも応じざるを得ないからだ。いつものことながら、「ねんごろに話し合う」という雰囲気ではない。

ところで、報道されている限りでの、この席のアベ発言。
「核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」(NHK)

「(原爆症認定について)迅速な認定審査に引き続き取り組む」「唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない」(時事)

「唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく」「71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません」(赤旗)

これだけを読んで、「アベもそんなに悪くない」と早とちりする人もあるのではないか。しかし、記事の全部を読めば、アベの真意は敢えて述べていないところにあることが明らかなのだ。首相挨拶から、意識的にはずそうとした、「憲法を遵守し」や「非核三原則」へのこだわりを見なければならないように。

NHKの記事は以下のとおりで、その報道姿勢はけっして悪くない。
「広島県被団協=広島県原爆被害者団体協議会など、広島県内7つの被爆者団体の代表らは平和記念式典のあと、広島市内のホテルで安倍総理大臣と面会しました。
この中で被爆者団体側は、核保有国が入らずに国連の作業部会で議論が行われている『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するのではなく、被爆国として早期の締結に向けて行動するよう要望しました。

これに対し、安倍総理大臣は、『核保有国と非核保有国の双方に協力を求め、世界の指導者や若者に悲惨な実態に触れてもらうことで被爆の実相を世界に伝え、核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい』と応じました。

面会のあと、広島県被団協の坪井直理事長は、「安倍総理大臣は『過ちは繰り返さない』とか、『二度と被爆者は作らない』と言っていたが、はっきりと『核兵器をゼロにする』と言ってほしかった」と話していました。
また、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長は、「核廃絶に向けては、これまでの発言と比べて変化がなかった印象だ。被爆国の立場で『核兵器禁止条約』の締結を核保有国に働きかけてほしい」と話していました。」

つまり、被爆者のアベに対する要請は、「『核兵器禁止条約』について、条約に反対する核保有国の立場に同調するな」というものだった。これに対して、アベは「イエス」と言わなかった。核兵器禁止条約については語らず、「核兵器のない世界の実現に向けた取り組みをさらに進めたい」とはぐらかしたのだ。これは、もちろん要請に対する「ノー」というニベもない回答なのだ。被爆者の切実な要望、核廃絶を求める世論に背を向けるもの。

時事はこう伝えている。
「広島の被爆者7団体は6日、安倍晋三首相と広島市内のホテルで面会し、原爆症認定の柔軟な対応や基準の拡大、核兵器禁止条約の制定などを求めた。
 広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(71)は被爆者の高齢化に言及。『原爆症認定訴訟をしなくていいようにしてほしい』と認定基準の拡大を求めた。核兵器禁止条約についても『日本政府は核保有国に早期制定を呼び掛けてほしい』と訴えた。
 安倍首相は原爆症認定について『迅速な認定審査に引き続き取り組む』と回答。核廃絶に関しては『唯一の戦争被爆国として、広島・長崎の悲劇を繰り返してはならない』と述べるにとどめ、踏み込んだ発言はなかった。
 一方、広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長(87)は昨年に続き安全保障関連法の撤回を要請したが、安倍首相は『戦争を未然に防ぐために必要不可欠だ』と説明した。
 面会後、吉岡事務局長は『核兵器を一発でも残したら人類は過ちを犯す。日本は悲惨な思いをしたのに、核兵器をなくしてほしいとなぜ発言できないのか。情けない』と苦言を呈した。」

アベのはぐらかし戦術がよく分かる記事となっている。

赤旗はさすがに厳しい。「核兵器は絶対悪 廃絶を」「被爆者、首相に迫る」「改憲企て許さない」という見出し。

「日本政府は核保有国に同調するのではなく、被爆国としての立場にたて」。6日、広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長らは、広島市の平和記念式典後、市内でおこなわれた安倍晋三首相との懇談の席上、核兵器を禁止し、廃絶する条約をすべての国に求める『ヒバクシャ国際署名』を突きつけました。

 懇談には、広島県の七つの被爆者団体の代表が参加。首相に提出した要望書には「ヒバクシャ国際署名」がもつ国際的意義が示され、「『核と人類は共存できない』『再び過ちは繰り返しません』その達成のため、私たちは息の根の止まるまで未来志向で諦めません」という強いメッセージが書き込まれています。

 佐久間氏は、強い口調で『核兵器は悪魔の兵器であり、絶対悪。非人道性が問われています』とのべ、『核保有国に核兵器禁止条約の早期制定を呼びかけられるように要望します』と厳しく迫りました。

 これにたいし、安倍首相は、署名については一言も言及しませんでした。『唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、国際社会の努力をリードし続けていく』などとのべるだけでした。

 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は、『日本国憲法は、原爆投下の悲劇をもたらした戦争の反省からうまれたもの。戦争と原爆による死没者の遺言ともいえるものです。私たちは重ねて安保関連法の撤回を要求し、憲法改正の企てを中止することを要求します』と訴えました。

 安倍首相は、『71年前、われわれは二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いをたてました。そして戦後一貫して平和国家として歩んできました。この平和国家としての歩みが変わることは今後も決してありません』とすりかえの答弁をしました。」

生き残った被爆者がいう「日本国憲法は、原爆死没者の遺言」という語りかけには、迫力がある。アベは、この語りかけに真摯に答えなければならない。しかし、壊憲派・アベの答えるところはない。答えようとはしないのだ。

「語られた美しい言葉は偽りで、語られなかったところに危険な真意がひそんでいる」というレトリックの典型ではないか。

気をつけよう。暗い夜道とアベの言。何を言ったかだけでなく、何を言わなかったかに心しよう。
(2016年8月7日)

稲田朋美核容認防衛大臣誕生の悪夢

都知事選の敗北を引きずっての8月である。脱力感が抜けないまま、はや原爆忌。この間、内閣改造があって、えっ? 稲田朋美が防衛大臣だと?。悪い冗談はほどほどに、と言わざるを得ないできごと。共和党の大統領候補となったトランプ同様の悪夢。と言うよりはリアリティのないマンガ的なできごとではないか。とはいえ、小池百合子都知事同様、イナダ防衛大臣が現実となっている。そもそもアベ政権の存在が、既に悪夢であり、信じがたいマンガ的できごとであり、冗談のはずの現実なのだ。

 **************************************************************************
8月3日深夜のイナダ就任記者会見は、さすがにご祝儀会見とはならなかった。記者諸君のツッコミはなかなかのもの。防衛省のホームページに防衛大臣臨時記者会見概要として掲載されている。
    http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2016/08/04a.html

見出しをつけ、多少質疑の順番を入れ替えて整理してみた。少し長いがイナダなるものがよく分かる。ぜひ目を通していただきたい。イナダが、防衛大臣として不適任なこと明々白々ではないか。こんな人物を物騒な地位に就けては、日本の安全にもアジアの平和にも有害だ。もっとも、外の省庁なら適任という意味ではない。この人、過去の自分の発言に無責任だ。質問に噛み合った答弁の能力がない。言っていることが論理的整合性に乏しい。上手に切り返す政治的センスがない。答弁に余裕もユーモアもない。要するに政治家としてはまったくダメということだ。

イナダの歴史認識を問う
Q:大臣は、日中戦争から第2次世界大戦にいたる戦争は、侵略戦争だと思いますか。自衛のための戦争だと思いますか。アジア解放のための戦争だと思いますか。
A:歴史認識に関する政府の見解は、総理、官房長官にお尋ねいただきたいと思います。防衛大臣として、私個人の歴史認識について、お答えする立場ではありません。

Q:防衛大臣としての見解を伺いたい。
A:防衛大臣として、お答えする立場にはないと考えております。

Q:大臣の就任が決まってから、中国やフランスのメディアなどが、右翼政治家と指摘していたと思うのですけれども、大臣のそれについての御見解と、自分をどういう政治家だと。
A:多分、弁護士時代に関わっていた裁判などを捉えられたりされているのではないかというふうに思っておりますけれども、私自身は、歴史認識の問題について、様々な評価はあるでしょうけれども、一番重要なことは客観的な事実が何かということだと思います。私自身の歴史認識に関する考え方も、一面的なものではなくて、やはり客観的事実が何かということを追求してきたつもりであります。その上で、私は、やはり先ほども申し上げましたように、東アジア太平洋地域の平和と安定、そしてそのためには、中国、韓国との協力的な関係を築いていくということは不可欠だろうというふうに思っております。いつでも、私は、交流というか、話し合いの場を自分から設けていきたい。そして、議論することによって、私に対する誤解も、多分払拭されていくのではないかというふうに思っております。

Q:それに関連して、前の大臣、中谷さんは、訪中についてかなり追求されていたと思うのですけれども、大臣、先ほどの質問で聞かせていただいたのですが、訪中に関する考え方を教えて下さい。
A:機会があれば、訪中したいというふうに思っております。

Q:海外メディアは、大臣の歴史問題に関しまして、南京事件について御見解がいろいろあると思うのですが、聞きたいということと、防衛省の正式な見解では、非戦闘員の殺害、略奪行為をやったことは否定できないと。正しいか、いろいろな説はあるのでどれかとは整理はできませんとあるのですけれども、この見解についてはどう御覧になられますか。
A:私が、弁護士時代取組んでいたのは、南京大虐殺の象徴的な事件といわれている百人切りがあったか、なかったか。私は、これはなかったと思っておりますが、そういったことを裁判として取り上げたわけであります。それ以上の歴史認識については、ここでお答えすることは差し控えたいと思います。

Q:外務省の方の見解は、これは政府としての正式な見解ではないと思うのですけれども、どうお考えですか。
A:外務省の見解を申し上げていただけますか。

Q:南京入城の時に、非戦闘員が殺害、略奪行為があったことは否定できないと思われていますと。具体的なニュースについては、諸説あるので政府はどれが正しいか言えませんと。歴史のQ&Aのホームページ、外務省に書いてあるのですけれども、これはいかがでしょうか。
A:それは、三十万人、四十万人という数が、南京大虐殺の数として指摘をされています。そういった点については、私は、やはり研究も進んでいることですので、何度も言いますけれども、歴史的事実については、私は、客観的事実が何かということが最も重要だろうというふうに思います。

Q:この見解については、虐殺があったと。略奪行為。民間人の虐殺であったと。数は分からないと。この認識だと思うのですけど。これはお認めになるのですか。
A:数はどうであったかということは、私は重要なことだというふうに思っております。それ以上に、この問題について、お答えする立場にはないというふうに思っています。

Q:例えば秦郁彦なんて、ああいった右の方だと思うのですが、日本軍の陣中日記ですとか、その作戦の照合とか御覧になって、捕虜になって捕まった人は、正式な軍事裁判にかけられずに殺されていると。これは、民間人ではないし、虐殺に当たる。虐殺というか、不法な殺害に当たるので、そういう意味では数万の殺害は認めざるを得ないと。これは、かなりコンセンサス的にできあがっているところだと思うのですけれども、戦闘詳報とか、先ほど「事実が大切」と仰いましたが、日本側の残した正式な記録に残る少なくとも数万の殺害というのは、認められるのかどうかというのをぜひお伺いしたいのですが。
A:秦先生を含め、様々な見解が出ていいます。何が客観的事実かどうか、しっかりと見極めていくことが重要で、それ以上について、私がお答えできる立場にはないと思います。

Q:外務省の見解についてはどうなのですか。ホームページに載っているのですけれども。外務省と防衛省、見解が違ったら困ると思うのですが。
A:外務省の見解が、政府の見解と反するということではない、当たり前のことですけれども。

Q:大臣もこの見解をとられると、従うということですか。
A:大臣もというか、私は、歴史的な問題については客観的事実が全てであり、数は関係ないという御意見もありますけれども、数を含めて客観的事実が何かということを、しっかりと検証していくことが重要だというふうに思っています。

Q:その点でのポイントというのは、ここ20年ぐらいは議論が進んでいなくて、歴史家でこれに挑戦する人ってあまりいないのですけれども、大臣、そこら辺は、事実、事実と仰られますが、この点についても、捕虜の殺害、この点、疑義があられるということなのでしょうか。
A:私がここで秦先生の見解について、何かコメントをする立場にはありません。

イナダの靖国参拝の意向について問う
Q:大臣は、靖国の参拝を心の問題だとおっしゃったけれども、かつて小泉内閣時代に、総理は堂々と靖国に公式参拝するべきだとおっしゃられていました。それが、なぜ今、防衛大臣になられて、公式参拝をするとも、しないとも言えないのですか。
A:私は、靖国神社に参拝するか、しないか、これは、私は、心の問題であるというふうに感じております。そして、それぞれ一人一人の心の問題について、行くべきであるとか、行かないべきであるとか、また、行くか、行かないか、防衛大臣として、行くか、行かないかを含めて、申し上げるべきではないと考えております。

Q:かつて、総理大臣が一国のリーダーとして、堂々と公式参拝するべきだというふうにおっしゃっていましたけれども、それとは考え方が変わったということですか。
A:変わったというより、本質は心の問題であるというふうに感じております。

Q:そのときには、総理大臣は行くべきだというふうにおっしゃっていた訳ではないですか。心の問題だというふうにおっしゃっていないではないですか。
A:そのときの私の考えを、ここで申し上げるべきではないというふうに思います。また、一貫して、行政改革担当大臣、さらには政調会長、もうずっとこの問題は心の問題であって、行くとか、行かないとかは、お話しはしませんけれども、安倍内閣の一員として適切に判断をして行動してまいりたいと思っております。

Q:行政改革担当大臣としては行かれた。防衛大臣としては、なぜ行くとも行かないとも言わないのですか。
A:行政改革担当大臣の時代にも、何度も予算委員会、それから様々な記者会見でもお尋ねを受けました。その際にも私は、心の問題であり、靖国に参拝するとか、しないとか、すべきであるとか、すべきでないとか、申し上げませんということを一貫して申し上げてきたとおりです。

Q:一国の総理大臣は、公式参拝すべきだと言っているではないですか。べきだと、「べきだ論」を言っているではないですか。
A:私は、これの本質は心の問題だというふうに感じております。

イナダの従軍慰安婦問題の認識を問う
Q:慰安婦問題に関して聞きたいのですけれども、2007年に、事実委員会が、報告をアメリカの新聞に出したのですけれど、そのときは、大臣は賛同者として名前をつけたのですけれども、慰安婦は、強制性はなかったとコメントもあったので、今の考え方は変わっていますか。
A:慰安婦制度に関しては、私は女性の人権と尊厳を傷つけるものであるというふうに認識をいたしております。今、そのワシントンポストの意見公告についてでありますが、その公告は、強制連行して、若い女性を20万人強制連行して、性奴隷にして虐殺をしたというような、そういった米国の簡易決議に関連してなされたものだというふうに思っております。いずれにいたしましても、8月14日、総理談話で述べられているように、戦場の影に深く名誉と尊厳を傷つけられた女性達がいたことを忘れてはならず、20世紀において、戦時下、多くの女性達の尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻みつけて、21世紀は女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくという、その決意であります。

Q:強制性はあったということですか。
A:そういうことではありません。そういうことを言っているのではありません。

イナダの沖縄・辺野古政策を問う
Q:別件になるのですけれども、先ほど沖縄の件で、大臣は辺野古が唯一の解決策だというふうに従来の政府の見解を示されました。ただ、なかなか移設は進んでいない状況があると、この根本的な原因はどこにあるとお考えでしょうか。
A:まずは、普天間の辺野古移設が決められた経緯でありますけれども、この問題の本質は、普天間飛行場が世界一危険な飛行場と言われ、まさしく市の中心部、ど真ん中、小学校のすぐ近くにあるということだというふうに思っております。そういったこの問題の本質を、やはり住民の皆様方にしっかりと説明をしていくということが必要であろうと思っております。そして、大きな議論の末に、裁判所で国と県が和解をして、和解条項が成立したわけでありますので、その和解条項に基づいて、今、国も提訴し、さらには協議も進めて行くのだということも説明した上で、誠実に対処していく必要がある、引き続き粘り強く取組んでいく必要があるというふうに思っております。

Q:住民に説明するのが必要と仰いましたけれども、防衛大臣になられて、自ら沖縄に訪問する、行きたいというお考えはありますか。
A:この問題については、しっかりと知事や県民の皆様方にも、御説明をする必要があるというふうに思っています。今、具体的にスケジュール的なものを検討しているわけではありませんけれども、その必要があるというふうに考えております。

Q:今日、午前の菅官房長官の会見で、基地問題と振興策がリンクしている部分があるのではないかという懸念が出ました。大臣御自身は、沖縄の基地問題、現在の辺野古移設とか止まっていますが、これが進まない段階では、振興策は減らすべきだとお考えですか。
A:振興策を減らすとはどういうことでしょうか。

Q:沖縄の振興予算を減額すべきだとお考えでしょうか。
A:私は、沖縄の基地移転、そしてその負担軽減、これは、政府を上げて安倍政権が出来ることは全て行い、また、目に見える形で実施するという基本方針の基で、在日米軍の再編を初めとした施策を着実に進めて行きたいというふうに思っております。その上で、振興策について、防衛省として、お答えする立場にはないというふうに思います。また、基地問題と沖縄振興をリンクさせることについては、本日午前の官房長官会見において、菅長官が述べられたとおりだと承知いたしております。

防衛費について問う
Q:防衛費についてお聞かせください。一時的な例外を除いて、日本の防衛費はGDPの1%以下に抑えられていたという整理だったと思うのですけれども、事実として、1%に抑えられてきたと、それが意識されていたという経緯もあるかと思うのですけれども、そういった防衛費の扱い方というのは、適正かどうかというのを、大臣、どのようにお考えでしょうか。

A:予算の中で防衛費がどうあるべきか、日本の安全を守るためにどれぐらいの防衛予算が必要か、非常に重要な問題だと思います。そういった点を踏まえて、中期防も計画を立てているわけでありますので、その中で着実に、必要な防衛費ということは、つけていくということだというふうに思います。

Q:必要があれば、1%を超えることも、躊躇するべきではないというふうに、大臣、お考えでしょうか。
A:しっかりと、いろいろなことを勘案して計画は立てております。そして、その結果が防衛予算、それが必要なものを積み上げたものであるというふうに、私は認識をいたしております。

北朝鮮弾道ミサイル発射に関して
Q:別件で大変恐縮なのですけれども、北朝鮮の弾道ミサイル、発射されたものについて、回収作業というのは、現在、どのような感じで進んでらっしゃるのか。一部報道で、打ち切ったということも報じられているのですけれども、大臣としては、どのように認識されていますか。

A:昨日から今朝にかけて、弾道ミサイル、あるいは、その一部が落下したと推定される海域において、自衛隊のP-3Cや護衛艦、海上保安庁の航空機や巡視船による捜索を実施し、発見した漂流物を回収しているところであります。他方、現在までに回収した漂流物の中に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるようなものは確認されておりません。引き続き、自衛隊の護衛艦や艦載ヘリによる捜索を実施し、仮に、弾道ミサイル、あるいは、その一部と判断できるような物体を発見できれば、それを回収し、分析することを考えております。

自衛隊員の戦死の持つ意味について問う
Q:戦死ということについてお伺いしたいのですけれども、国民国家においては日本に限らず、戦死ということに様々な意味が付与されてきたと思います。現在、自衛隊員を預かる防衛大臣として、戦死、戦争で亡くなるということに対して、どういうふうなお考えを持つのか、戦死という言葉が持つ意味についての御認識をお聞かせ下さい。
A:憲法上、日本は戦争を放棄いたしております。ただ、憲法ができた時には9条があるので、攻めてこられたとしても、白旗を揚げて自衛権も行使しないというのが解釈だったわけですけれども、1954年に解釈を変えて、そして、日本も主権国家であるので、自衛隊は憲法違反ではない、合憲である。そして、自衛権の行使も、必要最小限度の行使を可能であるということを解釈上決め、また、それは最高裁でもそのような解釈にあるわけであります。自衛権の行使の過程において、犠牲者が出る事も、考えておかなきゃいけないことだろうとは思います。非常に、重たい問題だと思います。

重ねて歴史認識を問う。先の戦争は侵略戦争ではないのか。
Q:先ほどお答えいただけなかったので、もう一回聞きますけれども、軍事的組織の自衛隊のトップとしての防衛大臣に伺いますが、日中戦争から第二次世界大戦にいたる戦争は侵略戦争ですか、自衛のための戦争ですか、アジア解放のための戦争ですか、見解を教えてください。
A:政府の見解は、総理、官房長官に聞いていただきたいと思います。私は、昨年総理が出された談話、これが政府の見解だと認識しております。

Q:大臣自身の見解もそのとおりですか。異論はないのですか。
A:昨年の総理が出された談話に異論はありません。

Q:侵略戦争ですか。
A:侵略か侵略でないかというのは、評価の問題であって、それは一概に言えないし、70年談話でも、そのことについて言及をしているというふうには認識していません。

Q:大臣は侵略戦争だというふうに思いますか、思いませんか。
A:私の個人的な見解をここで述べるべきではないと思います。

Q:防衛大臣として極めて重要な問いかけだと思うので答えてください。答えられないのであれば、その理由を言って下さい。
A:防衛大臣として、その問題についてここで答える必要はないのではないでしょうか。

Q:軍事的組織のトップですよ。自衛隊のトップですよ。その人が過去の戦争について、直近の戦争について、それは侵略だったのか、侵略じゃないか答える必要はあるのではないですか。何故、答えられないのですか。
A:何度も言いますけども、歴史認識において、最も重要な事は、私は、客観的事実が何かということだと思います。

Q:侵略だと思うか、思わないかということを聞いているわけです。
A:侵略か侵略でないかは事実ではなく、それは評価の問題でそれぞれの方々が、それぞれの認識を持たれるでしょうし、私は歴史認識において最も重要なことは客観的事実であって、そして、この場で私の個人的な見解を述べる立場にはありません。

Q:防衛大臣としての見解ですよ。
A:防衛大臣として、今の御質問について、答える立場にはありません。

Q:では、関連ですけれども、日中戦争と太平洋戦争は若干違うと思うのですが、日中戦争の前、日本は、あの時は南満州鉄道あたりしか駐留する権利はなかったわけですね、軍隊を。そこからはみ出して、傀儡国家を打ち立てて、満州国を作ったと。これ侵略じゃないのですか。普通の常識から言って、いろいろ議論はあるのでしょうけれど、太平洋戦争は議論があるとしても、満州国を作るときの経緯というのは、どういう法律に基づいたのか、しかも、あのとき陸軍は、天皇の統帥権を最後無視して、暴走して、拡大して、後から認めた件はありますけれども、それが日本にとって最大の軍事的な教訓なわけですよね。日中戦争、あるいは、その満州国の作り方について、評価できないというのは、国のリーダーとして、いかがなものかと思いますけれど、この2点いかがですか。
A:私は、安倍内閣の一員として、政府の大臣として、この場におります。私の個人的な見解や、また、この場は、歴史論争をする場ではないと思います。政府の一員として、私は、政府の見解、これは昨年の70年談話において総理が示されたとおりだというふうに認識をいたしております。

Q:別に歴史認識(論争)をしたいわけではなくて、これはリアルな、過去をどう捉えて、軍をどうコントロールするか、あるいは、今の近隣諸国とどう仲良くやっていくか、今のリアルの問題と繋がっているからお聞きしているので、別に学者的な論争をしたいわけではないのですけど。日中戦争の、特に満州国の作るときの過程というのは、これは侵略じゃないと、歴史学者は、普通、侵略と言うと思うのですけれども、国際法の専門家の議論はあると思うのですけれども、国民感情からして、歴史学者は、普通、侵略というのは、一般の常識じゃないかと思うのですけれども、そういった一般の、例えば世界中の人々に受け止め方ですね。これ、侵略じゃないと言い切って、どこの欧米の方でもリーダーとして議論されたらいいと思うのですけれども、まともに議論できるとお思いなのでしょうか。
A:私は、歴史認識において、最も重要なのは、客観的事実が何かということだと思います。また、昨年の70年談話でも示されたように、我が国は、過去の歩みをしっかり反省をして、戦後、しっかりと憲法の下で、法律を守り、法の支配の下で、どこの国を侵略することも、また、戦争することもなく、70年の平和な歩みを続けてきたこの歩みを続けていくということだと思っております。

Q:これから、例えば、中国、韓国のリーダーとか、欧米のリーダーと会うときに、あの戦争、太平洋戦争はいろいろ議論があるかもしれませんが、日中戦争に関しても、侵略かどうか、私、言えませんというふうにおっしゃって議論されるわけですね。
A:そういう単純な質問はないと思うのですね。

Q:でも、報道関係、みんなに見られているからですね。欧米のメディアは、そこに歴史認識を集中しているわけですよ。単純と言われようがそういう具合に、この人こういう歴史認識を持っているのではないかとみんな懸念しているわけですよ。別に、単純に議論を私がふっかけるのではなくて、割と世界中のメディアがそういう懸念を持って、書いていると。それに対して答える影響というのは、我々国民なのですから、説明責任はあると思うのですが、いかがですか。
A:私は、昨年、総理が出された70年談話、この認識と一致いたしております。

**************************************************************************
イナダは、2011年3月号の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないでしょうか」と発言していた。小池百合子と同類。軽佻浮薄の極みというべきだろう。

昨日(8月5日)の記者会見で、この点を記者から突っ込まれて、「憲法上、我が国がもてるとされる必要最小限度(の武力)がどのような兵器であるかということに限定がない」と述べ、憲法9条で禁止しているわけではないとする従来の政府見解に沿って説明した。ただ、「現時点で核保有はあり得ない」としつつ、「未来のことは申し上げる立場にない」とも語った。

イナダが述べたことは、「我が国が核武装することは憲法上は許されることだ」。だが、「現時点では諸般の事情に鑑み、政策として核保有はあり得ない」。もっとも、政策の問題だから、状況次第で未来の核政策はどうなるか分からない。未来とは過去と現在を除くすべて、つまりは明日からのこと」と理解すべきなのだ。

その発言の翌日に当たる今日(8月6日)が、71年めの広島平和記念式典。松井一実市長は平和宣言で、「今こそ『絶対悪』を消し去る道筋をつけるために連帯し、行動を」と呼びかけた。核は、絶対悪なのだ。絶対悪の廃絶こそが平和への道であり、国内外の世論ではないか。

状況次第で核保有が許される、核政策がころころ変わるようなことを許してはならない。「日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」などとは、悪魔の言と言わねばならない。

アベ首相は、6日、広島市内で記者会見し、イナダの発言を「我が国は核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と擁護したという。これも同罪なのだ。都知事選敗北の脱力感は払拭し得ないが、早く悪魔が跳梁するこの悪夢を終わらせないと、世界が滅びてしまうことにもなりかねない。
(2016年8月6日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.