澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

光てふ縛れざるもの多喜二の忌

本日(2月20日)は多喜二忌。1933年の今日、小林多喜二は築地署で虐殺された。その葬儀の会葬者も一斉に検挙された。この無念の思い忘れまじ。天皇制権力の暴虐許すまじ。そう思いを新たにすべき日。再びあの暗黒の時代の再来を許してはならない。こんな時代の「日本を取り戻」させてはならない。思想・良心の自由、結社の自由、表現の自由、政治活動の自由の貴重さを銘記しよう。そして、その自由獲得のために闘った先人の気概と覚悟を偲ぶ学ぶべき日。

筆名「575fudemakase」氏のサイトに、多喜二忌を詠んだ俳人の50余句が集められている。転載をお許しいただこう。
http://fudemaka57.exblog.jp/23611557/
なお、下記のURLにも同じ句が集められている。
http://taka.no.coocan.jp/a5/cgi-bin/HAIKUreikuDB/ZOU/SHAKAIseikatu/932.htm#takiji

門外漢の私には、とても取捨選択などできない。全句を転載させていただく。(「かぎかっこ」は出典)
かなしげな犬の眼に逢ひ多喜二の忌 河野南畦 「湖の森」
ごぼりごぼりと今もこの川多喜二の忌 原田喬
てのひらで豆腐切らるる多喜二の忌 関谷雁夫
ふつつりと海の暮れたる多喜二の忌 成田智世子
もり塩に人の世灯る多喜二の忌 佃藤尾
スコップに雪の切れ味多喜二の忌 辻田克巳
タラバ蟹足括られて多喜二の忌 村井杜子
バラバラのパックの蟹買ふ多喜二の忌 斎藤由美
傷ぐるみ漉されしおもひ多喜二の忌 栗林千津
口シヤより蟹船の着く多喜二の忌 吉田君子
吹かれゐて髪が目を刺す多喜二の忌 角谷昌子
咽ぶごと雑木萌えおり多喜二忌以後 赤城さかえ
多喜二忌のあをぞらのまま夜の樅 大坪重治
多喜二忌の全灯点る魚市場 木村敏男
多喜二忌の埠頭に刺さる波の先 源 鬼彦
多喜二忌の夜空に白き飛行船 板谷芳浄
多喜二忌の崖に野鳥の骨刺さり 友岡子郷 「遠方」
多喜二忌の市電に走り追ひつくも 本多静江
多喜二忌の干して軍手に左右なし 長岐靖朗
多喜二忌の星大粒に海の上 菖蒲あや
多喜二忌の毛蟹抛られ糶(せ)られけり 菖蒲あや「あや」
多喜二忌の海真つ青に目覚めけり 木村敏男
多喜二忌の海鼠腸抜かれをりにけり 矢代克康
多喜二忌の焼いても口を割らぬ貝 飯田あさ江
多喜二忌の稿更けわたる廻套(まわし)かぶり 赤城さかえ
多喜二忌の肉食の眼のひかるなり 谷山花猿
多喜二忌の魚は海へ向けて干す 大牧 広
多喜二忌やまだある築地警察署 三橋敏雄
多喜二忌やベストの釦掛け違ふ 二宮一知
多喜二忌や地に嫋嫋と濡れわかめ 大木あまり「山の夢」
多喜二忌や工衣の襟のすりきれし 福地 豊
多喜二忌や焦げ目のつかぬ炊飯器 五十嵐修
多喜二忌や発禁の書を読み返し 遠藤若狭男
多喜二忌や糸きりきりとハムの腕 秋元不死男
多喜二忌や赤き実残る防雪林 佐々木茂
多喜二忌や鈍色の浪くづれたる 大竹多可志
夫若く故郷出でし日多喜二の忌 石田あき子「見舞籠」
指で裂く鰯の腹や多喜二の忌 生江通子
比内鶏噛みしめている多喜二の忌 有賀元子
汽罐車の目鼻の雪や多喜二の忌 平井さち子「完流」
沖どめの船が水吐く多喜二の忌 原田青児
洗ふ皿くきくきと鳴く多喜二の忌 岡部いさむ
海に降る雨横なぐり多喜二の忌 吉田ひろし
煙草火を借りて離任す多喜二の忌 国枝隆生
爪深くインク浸みをり多喜二の忌 鈴木智子
石斧のごとき残雪多喜二の忌 関口謙太
紅梅の夜空がそこに多喜二の忌 原田喬
蟹に指挟まれ多喜二忌の渚 石井里風
蟹缶の赤きラベルや多喜二の忌 有田 文
躍りゆく水の分厚さ多喜二の忌 佐々木幸
錐揉んでてのひら熱き多喜二の忌 伊藤柳香
音のして飯炊けてくる多喜二の忌 森田智子
饅頭に焼ごてを当て多喜二の忌 久保田千

このなかの一句。「夫若く故郷出でし日多喜二の忌」の若き夫とは、石田波郷のこと。あき子はその妻で自身も俳人。多喜二忌を悲惨な思い出とするのではなく、出立や希望に重ねているのだ。

多喜二忌やまだある築地警察署」と詠んだ三橋敏雄は、生年が1920年で2001年に没した俳人。多喜二虐殺の頃には13才だったことになる。

その年代の彼が、戦後に「まだある」と詠んだ感慨はどんなものだっただろうか。「あってはならないものがまだある」「忌まわしいものが厳然と滅びずにまだある」ということだったろう。そして、「まだある」のは築地署の建物だけでなく、戦後も続く権力機構としての警察の恐ろしさではなかっただろうか。

三橋敏雄が「まだある」と詠んだ当時の築地署は多喜二虐殺の現場を残したものであっただろう。何年か前、私も築地署に行きその周囲も見てきた。もちろん建て替え済みの庁舎となってはいたが、築地署の裏門近くには、多喜二の死亡診断書を書いた前田医院が残っていた。ここで多喜二が殺されたのか、現場は思いを深くする力をもっている。

なお、昨年の今日、市田忠義さんのツィートが、朝日の俳壇から次の句を紹介している。
『光てふ縛れざるもの多喜二の忌』(向日市・松重 幹雄)
大串章・選評 「今日は多喜二忌。拷問によって獄死した小林多喜二は時代の光であった。」(今朝の朝日 俳壇)

多喜二忌の今ころは、寒さは厳しくも、光の春。光とは希望だ。権力が人の身体を縛ることはできても、心の中の光てふ希望までは縛れない。
(2018年2月20日)

橋下徹の対岩上安身(IWJ代表)提訴はスラップである。

東本高志さんが主宰するBlog「みずき」は、私の目につく範囲では、ブログ文化のひとつの到達点を示すものといえよう。掲載される写真は美しい。引用される記事の浩瀚さには驚くばかり。論説の姿勢の一貫性も立派なものだ。気付かなかった視点の指摘に膝を打つことも多々ある。よくぞ一人で、ここまでできるものと感心せざるを得ない。

しかし、ものごとの断定に過ぎるところがあって、それが一面では歯切れ良さの魅力にもなり、他方危うさを禁じえない。共産党や沖縄県政への批判には、耳を傾けるべきところがあろうとは思うが、過ぎたる辟易感を否めない。

もとより、バランスに気を使った発言などは面白くない。味方の批判は控えろと言論を封じ込めてはならない。そのとおりだとは思うのだが、ときに一言したくなることがある。

同ブログには、「憲法日記」の記事を取り上げていただいたことが何度かある。多くは肯定的に引用していただきありがたく思っている。そしてもちろん、幾たびかは厳しい批判もいただいている。それが必ずしも的はずれではないから、反論など考えもしなかった。

しかし、一昨日(1月28日)付の記事【山中人間話】欄に、「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです――澤藤統一郎の憲法日記『スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける』」が掲載されている。これは見過ごせない。

Blog「みずき」の断定に過ぎた側面が出てしまったと思うのだが、岩上さんと私の言論の信頼性(名誉というほど大袈裟なものではないが)にも関わることであり、橋下徹免責の内容でもあるので、一言せざるを得ない。

最初に関係する記事のURLを上げておく。
Blog「みずき」:2018.01.28 今日の言葉
http://mizukith.blog91.fc2.com/page-0.html

東本高志フェイスブック1月26日 4:15
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1247612708702487

橋下徹氏に訴えられた岩上安身氏が会見-弁護士ドットコム 2018年01月22日
https://www.bengo4.com/internet/n_7312/

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾「憲法日記」
http://article9.jp/wordpress/?p=9812

「みずき」の当該ブログ記事は、1月26日付フェイスブックの引用である。その主要な点は下記のとおり。

岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです。自身に対するデマを名誉毀損として訴えるのは橋下であろうと誰であろうと当然のことです。それとも橋下のような右翼集団のボスにはデマを名誉毀損として訴える権利などないとでも言いたいのでしょうか? 澤藤統一郎弁護士の今回の岩上安身擁護の弁論は筋違いも甚だしいと私は思います。

『デマゴーグやヘイトスピーチに言論という同じ土俵でやり取りすべきではないので、今回橋下は正しい』(常岡浩介Twitter 2018年1月22日)

『自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も「ノーコメント」。そりゃ、デマだからだよ。RTがそれだけで名誉毀損に当たる可能性があることは判例で明言。弁護士ドットコムがこんなに突き放した記事書いてるのは初めてみた』(同上)

私は常岡さんの見解に同意し、澤藤さんの見解には反対するものです。」

キモは以下の2行だ。
「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」
ジャーナリスト常岡浩介は、このように岩上RTの内容をデマと断定し、ブロガー東本もこれに賛同した。「デマへの訴訟。これをスラップとは言わない」との結論となった。

岩上側の1月22日記者会見が、RT内容をデマとする世人の思い込みを誘発し、その名誉毀損性肯定見解蔓延となったことが残念でならない。その直後に、原告橋下自身が提訴の対象としたRTの内容を、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだという虚偽事実」と明らかにしている。実は、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだ」という表現が果たしてデマといえるのか、ここが真の問題なのだ。

被告岩上側には大阪中心に弁護団ができると聞いている。いずれ、その弁護団の方針が明らかにされるだろうが、「知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ」というRTが表現の自由の保障を受けるべきものであることに関して、攻勢的に徹底して争われることになるに違いない。

すべての情報伝達命題は、「事実摘示」部分と、その事実を基礎とした「意見・論評」の部分とから構成されている。「橋下が府の幹部を自殺に追い込んだ」という命題においては、
(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」
(2) 「その幹部が自殺した」
(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」
という3構成要素から成り立っており、(1)と(2)とは、直接間接の証拠によって挙証の対象となる「事実の摘示」である。これに対して、(3)は、(1)と(2)を結ぶ因果関係の存在という推論的判断で、それ自体が直接の立証対象となるものではない。

この因果関係推論は、「意見・論評」の範疇として表現の自由が高度に保障されなければならない。とりわけ、府知事という権力者における部下に対する加害という批判の言論においては、最高度の尊重が要求される。

「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」は、前記(1)と(2)を否定して初めて口にすることができることになる。

この訴訟では、あらためて橋下の在職中のパワハラについての事実や、職員の受難の事実が総点検され挙証されることになるだろう。せっかく橋下自身が作った舞台だ。和解したり、取り下げに同意したりせず、徹底して有効に活用しない手はない。そのうえで、「公的立場にある(あった)人物の、自己への批判の言論に対する不寛容」という問題として裁判所だけでなく、世論にも強く訴えるべきだろう。

そのような構造を持つこの訴訟は、自分への批判嫌忌を動機とするスラップなのだ。この訴訟が原告橋下の敗訴で終わるとき、そのことが証明されることになるだろう。
(2018年1月30日)

2月1日(木)10時30分「DHCスラップ2次訴訟」第2回法廷 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第118弾

私(澤藤)自身が被告とされた「DHCスラップ訴訟」。今、「DHCスラップ第2次訴訟」となり、これに反訴(リベンジ訴訟)で反撃している。

その第2回口頭弁論期日(形式的には3回目)の法廷が近づいている。
 2018年2月1日(木)午前10時30分
 東京地裁415号法廷・東京地裁4階(民事第1部)

今回の法廷では、反撃訴訟訴状(反訴状)に対する反訴被告(DHC・吉田)側の答弁書の陳述が行われる。

どなたでも、なんの手続も必要なく傍聴できます。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。なお、現在東京地裁庁舎では一部のエレベータが稼働していません。エレベータに行列ができています。少し早めに、お越しください。

なお、いつものとおり、傍聴された方には、これまでの進行の解説文と今回口頭弁論期日に陳述となるDHC・吉田側の答弁書のコピーを配布いたします。

また、閉廷後の報告集会は今回に限って行いません。閉廷後に控え室で多少の時間をとってご挨拶と、意見交換をいたしたいと思います。実は、2月1日は東京弁護士会役員選挙の真っ最中。東京弁護士会の会議室はすべて選挙事務所に割り当てられて借りることができません。しかも、アスベスト問題で裁判所のエレベータが満足には動かない事態。加えて、法廷でなすべきことは反訴被告側の陳述のみ。そんなわけで、これまでは毎回行ってきた報告集会を今回は行わず、法廷終了後に裁判所控え室で小さな報告会を行うことにします。
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この反撃訴訟において、何が問題とされているのか。是非とも、ご理解をいただきたい。ご理解だけではなく、ご支援もお願いしたい。言論の自由の保障のために、ひいては民主主義のために。

DHCと吉田嘉明は、私を被告としてスラップ訴訟を提起した。実は私だけでなく、同じ時期に少なくとも10件の同種の提訴をしている。提訴はせずに同種の言論妨害も行っているが、その件数は分からない。

吉田嘉明の私への提訴は、侵害された権利の回復を求めてのものではない。自分(DHCと吉田嘉明)への批判の言論を封じるための提訴だから違法なのだ。言論の自由をこよなく大切なものとするこの民主主義社会において、訴訟を言論封殺の手段としてはならない。これが、「スラップ訴訟を許さない」という意味である。

私は、当時吉田嘉明という人物については何も知らなかった。興味もなかった。だから、格別に先入意識はなく、吉田嘉明に対する侮蔑感も反感も持ってはいなかった。吉田の思想や差別的言動について知ることになったのは、スラップ訴訟の応訴の過程においてのことである。

私は、純粋に、彼が書いた週刊新潮手記を論評する限度で3本のブログ記事を書いた。典型的な政治的言論と言ってよい。中心は政治とカネの問題である。そして、カネの力での規制緩和に警鐘を鳴らし、消費者問題にも言及した。それが、経営者として規制緩和を目指す吉田嘉明にとっては不愉快な内容となった。しかし、だからといって私を訴えるのは筋違いも甚だしい。

当然のことながら、彼にも言論の自由はある。私の批判に異論や反論があれば、堂々と反批判の言論を行えばよい。富豪の彼には、私のブログとは較べものにならない、強力な反批判の言論のツールを持ち合わせている。

ところが、言論に対して批判の言論のツールを駆使することなく、いきなりの提訴。しかも6000万円という明らかに過大な請求。言論をもっての反論ではないこの提訴は、自分を批判するとこのような面倒なことになるぞ、という恫喝以外のなにものでもない。これがスラップというものだ。批判の言論の萎縮を狙っての提訴というところに、その本質がある。

私が事実無根の記事を書いたか。私が彼の人格を攻撃したか。いささかもそのようなことはない。だから、DHC・吉田の私に対するスラップ訴訟は請求棄却となった。一審も控訴審もそして最高裁もだ。しかし、吉田嘉明は負けることが明らかな提訴を敢えてして負けた、それだけのこと。なんの制裁も受けていない。むしろ、「私(吉田嘉明)を批判してみろ。高額損害賠償請求の提訴をするぞ」という威嚇の実績をつくったのだ。提訴した得は確保している。一方、私は故ない提訴を受けてこれを斥けて勝訴はしたが、私に生じた金銭的、時間的、精神的な損失は回復されていない。

だから、DHCと吉田嘉明にはしかるべき制裁措置が必要だし、私の損害は回復されなければならない。こうしてこそ、世にスラップが横行することを防止できる。典型としてのDHCスラップ訴訟にはきちんとしたケジメが必要だ。DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)とは、そのような意味を持つ訴訟なのだ。

次回法廷で陳述予定の反訴答弁書の中に、いくつかDHC・吉田嘉明側の興味深い言い分が記載されている。以下は、その一節。
「反訴被告吉田は,日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けたのであって,政治を金で買うなどという気持ちなど微塵もなかった。当該貸付について,いろいろな意見を言うのはよいとしても,このような反訴被告吉田の純粋な思いを踏みにじるような事実無根の過激な罵倒に対して,名誉毀損だと主張して損賠賠償請求訴訟を提起することが違法になる余地など全くない。」

吉田嘉明には、「純粋な思い」があったのに、これを澤藤のブログの記載によって「踏みにじられた」という。澤藤は、「事実無根の過激な罵倒」をしたのだという。まるで私(澤藤)が、年端の行かぬ子どもをいじめているかのごとき言い分。これを、針小棒大とは言わない。誇大妄想と言うほかはない。

「反訴被告ら(註-DHC・吉田嘉明)は,8億円という貸付動機について事実と異なる言動をした者のうち,反訴原告(註-澤藤)のようにあまりにも酷い表現をした者に限定して訴訟提起しているのである。」

吉田嘉明が最も力んで主張しているのは、8億円の「貸付」動機である。吉田嘉明によれば、「日本国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家(註-渡辺喜美)を応援するために,大金(註-8億円)を貸し付けた」というのである。

今さら言うまでもないが、吉田嘉明は化粧品とサプリメントを製造販売する会社の経営者として厚労省の規制に服する。ところが、新潮手記の冒頭には、「厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけてきます」「霞ヶ関、官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革」「それを託せる人こそが、私の求める政治家」と無邪気に書き連ねているのだ。

並みの文章読解能力を持つ人がこの手記の記載を読めば、吉田嘉明が「国をより良くする」とは「脱官僚」と同義であり、「日本をダメにしている監督官庁の規制をなくすることを意味している」と理解することになる。彼が「国をより良くしようと脱官僚を掲げる政治家を応援するために、8億円もの大金を政治家に渡した」のは、「他の省庁と比べても特別煩わしい厚労省の規制チェックを緩和する」期待を込めてのことと考えざるをえない。彼の手記は、そのように理解を誘導する文章の筋立てとなっているのだ。

「政治家を金で買う」は、もちろん比喩である。8億という政治資金規正法上の手続に隠れた巨額の金を「脱官僚を掲げる政治家」に渡して、官僚による規制の緩和を期待することを、「政治家を金で買う」と比喩したのだ。この比喩を捉えて「事実無根」などということは意味をなさず、およそ反論になっていない。こんなことでの提訴は言いがかりも甚だしく、違法と認定してもらわねばならない。
(2018年1月29日)

スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾

松井一郎の米山知事に対するスラップ提訴(12月6日)に続いて、今度は橋下徹がジャーナリスト岩上安身にスラップを仕掛けた(12月15日)。岩上の記者会見は1月22日。これについて、リテラが昨日(1月24日)付で詳しく報じている。
http://lite-ra.com/2018/01/post-3754.html

「橋下徹がリツイートしただけの岩上安身を名誉毀損で見せしめ提訴! 松井府知事の新潟県知事“誤読”提訴に続きスラップ攻撃」というタイトル。

なるほど、松井一郎のスラップは「誤読提訴」で、橋下徹のは「見せしめ提訴」なのだ。両訴訟の代理人弁護士は同一人。弁護士法人橋下総合法律事務所所属の弁護士。

松井スラップは、客観的には「誤読提訴」だ。1月19日の当ブログ、「これはこれは―知事が知事を被告にスラップ訴訟」を参照されたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=9780
頭を冷やしてツイートを読み直してみれば、誤読は明らかだろう。それでも、あえて提訴までした意図は、社会に「松井を批判すると面倒なことになるぞ」という警告を発して威嚇することで、自分を批判する言論の抑止効果を狙ってのものと考えざるをえない。決して、毀損された名誉を回復する手段としての提訴ではない。

橋下スラップは、文字通りの「見せしめ提訴」だ。しかも、極めて安直な「お手軽提訴」でもある。リツイートのクリックひとつに対して110万円の請求。東京在住の被告に対し、大阪簡裁への提訴にもいやがらせ効果。まずは、東京への移送問題が前哨戦となる。

この訴状、請求の趣旨と請求原因の記載が、合わせてわずか3頁だという。この種の訴状は、極めて安直に書けるのだ。「被告の表現行為を特定し、この表現が原告の名誉を毀損したので、慰謝料と弁護士費用の損害賠償を求める」と言えば足りることになっている。

「当該の表現によって毀損される名誉よりも表現の自由の価値が優越する」という被告の立場は、公共性・公益性・真実(相当)性の違法性阻却3要件を立証してはじめて認めるられることになる。これが、我が国の名誉毀損訴訟の実務の実態なのだ。

だから、訴状は実に安直に書ける。しかし、答弁書は安直には書けない。違法性阻却3要件の主張挙証責任は、あげて被告に背負わされることになるからだ。提訴されたら、面倒極まりないという現実がある。そこが、スラップ横行の土壌となっている。

私は、DHC・吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟をかけられた。吉田は、提訴時には2000万円の請求で私を黙らせようとした。私が黙らず、当ブログでDHCスラップ訴訟を糾弾する記事を掲載し続けるや、2000万円の請求金額は6000万円に跳ね上がった。明らかに、黙らせることが目的の提訴なのだ。

DHCスラップ訴訟は私が完全勝訴して確定し、今反撃訴訟が始まったところである。なお、DHCスラップ訴訟に関連する記事は120件ほどになる。是非、下記のURLでお読みいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

私に対するDHC・吉田嘉明の6000万円請求訴訟が古典的な大型スラップで、橋下の100万円訴訟が、お手軽・お気軽の新種小型スラップといえよう。吉田は請求金額で恫喝し、橋下はその手軽さで「見せしめの数」を恃もうということだろう。

私はかつて、万国のブロガー団結せよと訴えた。
万国のブロガー団結せよ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾
http://article9.jp/wordpress/?p=3061

「万国のブロガー団結せよ」再論
http://article9.jp/wordpress/?p=6127

あらためて、この事態にスラップ被害者の連帯を呼びかけたい。勇ましくはなく、「同病相憐れむ」「同憂相救う」の互助精神から。

『呉越春秋・闔閭内伝』に、“復讐に生きた”伍子胥の言葉として、「同病相憐れみ、同憂相救う」が語られているという。父と兄とを殺した仇敵である楚の平王に燃える復讐心を抱いていた、あの伍子胥である。呉の力を借りて復讐を遂げ、亡き平王の墓をあばいて屍にむち打った人物が「同憂相救う」といっている。

私には水に落ちた犬を打つ趣味はないが、理由なく吠えられたら、吠えた犬には仕置きが必要だと考える。同じく吠えられた同士、「同憂」を抱える者として、「相救う」連帯を申し出たい。

情報を交換し、事蹟を集積し、対抗理論を検討し、そしてともに世論に訴えようではないか。表現の自由こそは民主主義社会を支える基礎である。これを失墜させようという輩への対抗においての連帯を。

この件についてのリテラのまとめに、賛成する。
「批判勢力を吊るし上げ、言論人やメディアを名指しながら罵倒して大衆を煽動する手法は、いまや、アメリカのトランプ大統領の戦術として知られるが、もともと橋下氏が政治家時代から繰り返してきたことだ。」「彼らにどんな思惑があるにせよ、こんなやり方を許してしまったら、日本の言論の自由が脅かされることになる。政治的スタンスとは関係なく、メディアは徹底的に批判していくべきではないか。」
(2018年1月25日)

「表現の自由規制の現状とメディアのあり方」ー田島泰彦教授最終講

本日(1月20日)午後、上智大学文学部新聞学科の田島泰彦教授の最終講義。同大学12号館102教室は、学内外の受講者で満席だった。

田島教授は、1952年埼玉県秩父市生まれ。上智大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻博士後期課程単位取得満期退学(指導教授:浦田賢治)。神奈川大学を経て、1999年4月より現職とのこと。専攻は、メディア法。表現の自由や報道の自由、メディアの自由と市民の人権などを研究され、活発に社会に向けての発言をしてこられた。個人的には、DHCスラップ訴訟でご支援いただいている。

本日の講義は、「表現の自由とメディアはどこに向かうのか」。表現の自由に対する権力的規制に着目した論述となった。以下、その概要。

柱建ては次の3項目。
1 表現の自由規制は、今どこまで来ているのか。
2 その規制は、今後どこまで及んでいくのか。
3 表現の自由規制の中にあって、メディアの役割と課題は何か。
そして、「おわりに 市民はどうするか」でまとめられている。

1 表現の自由規制は、今どこまで来ているのか。
☆今の規制は2012年総選挙での第2次安倍政権誕生以降に急展開している。
しかし、それ以前民主党政権時代に問題がなかったわけではない。たとえば、「メディア規制3法」の提案が先行して物議を醸しているる。「個人情報保護法(成立)」「人権擁護法案(撤回)」「青少年有害社会環境対策規制法案(断念)」など、市民の自由や人権よりも、有事への備えやテロ対策が優先されてもやむをえないという雰囲気の醸成がなされた。
☆安倍第2次内閣の下、2013年以後今日まで情報の統制が進展してきた。
それは、「権力による情報の独占と統制」と定式化できる。
・03年の特定秘密保護法は、公的情報(防衛・外交等)の秘匿と漏示の禁圧
・同年の共通番号(マイナンバー)法は、個人情報の国家管理化である。
☆同時に市民監視が強化されてきた。
・権力による市民監視は、市民の発言に萎縮をもたらし、表現の自由を毀損する。
・監視カメラの増殖、盗聴法改悪による盗聴機会の拡大、マイナンバー法の施行。
・さらに、市民監視加速ツールとしての共謀罪法が成立し、市民間のコミュニケーションの自由に深刻な影響が出ている。
☆ここまで、情報は「お上」のものとして、市民からの取り上げが進行してきた。

2 その規制は、今後どこまで及んでいくのか。
☆表現の自由に対する権力からの規制は、より一層進むことになるだろう。
☆まず、権力による市民監視は次のような進展が予想される。
・盗聴の範囲の拡大 共謀罪の全277罪を対象範囲に拡大
・居住の室内に立ち入っての会話の盗聴が可能となる
・司法手続を介在しない「行政傍受」も可能となる。
・以上が、東京オリンピックにおけるテロ対策を口実に行われる危険がある。
・通信履歴保管の法的義務化。
・さらには、本格的な情報・諜報機関の創設も警戒しなければならない。
☆憲法改正による、表現の自由そのものの切り捨てが懸念される。
・12年自民党改憲草案は、21条2項で「公益・公序を害する結社の禁止」を明記。
・結局は「お上」が許容する範囲での「官製言論」だけが横行する社会に。
・「自衛隊加憲」も「国防軍創設」も、国防強化は表現の自由を圧迫する。
・国家や社会の安全安心という価値は、表現の自由と相容れない。
・今後、憲法改正を許せば際限なく表現の自由への規制が拡大していくことになる。

3 表現の自由規制の中にあって、メディアの役割と課題は何か。
☆本来、メディアは表現の自由規制の強化に対して、立場を超えて連帯し、市民と手を携えて、権力と格闘しなくてはならないはず。しかし、現実にはそれができていない。
☆こと表現の自由制約に関わる問題については、政治的立場の如何を問わず、共闘しなければならない。これは、ジャーナリズムにとって当然のこと。メディアが、ジャーナリズム本来の姿から乖離しつつあるのではないか。
☆権力からの要請に応えての取材の自主規制合意(イラク戦争時が典型)などは再検討しなければならない。
☆喫緊の課題として、国民投票法における「国民投票運動の自由」についての再検討が必要であろう。国民投票法では運動の自由の側面が強調されすぎた感があるが、自由だけでなく公正も重要な価値である。金のある側が、際限のないテレビコマーシャルの垂れ流しが可能では、公正な競争にはなりえない。
☆メデイアによる国民投票運動について、自主ルールの作成が必要となるだろう。

おわりに 市民はどうするか
☆メディアが対権力の関係で、表現の自由を守り抜けるか否か。それは最終的には市民の問題だ。市民が最終的な受益者でもあり、被害者にもなる。
表現の自由を支え、豊かにしていくのは、市民の活動にかかっている。
☆今や市民は単にメディアからの情報の受け手ではない。ネットの空間では、対権力の関係で、表現の自由を守り抜けるか否か。それは最終的には市民の問題だ。市民が最終的な受益者でもあり、被害者にもなる。
表現の自由を支え豊かにしていくのは市民自身であって、その活動にかかっている。
☆のみならず、市民自身も表現者となりつつある。とりわけネット空間においては、市民自身が情報の発信者となりつつある。市民は、知る権利を持つ者として間接的に表現の自由制約に関わるだけでなく、表現の自由行使の主体としても直接的に表現の自由制約に関わりつつある。

田島さんは、時間いっぱいに熱く語りかけた。教え子である多くの女子学生が、真剣にメモをとりながら受講していた。ここから、第一線のジャーナリストが輩出されるのかと思えば、日本のジャーナリズムの将来は悲観ばかりではない。そう思わせる、「最終講義」であった。
(2018年1月20日)

これはこれは―知事が知事を被告にスラップ訴訟

報道によると、「2017年12月6日、日本維新の会代表の松井一郎・大阪府知事が、新潟県の米山隆一知事に550万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した」。提訴の理由は、「大阪府立高の頭髪指導訴訟をめぐるツイッターの投稿(2017年10月29日)で名誉を傷つけられた」ということ。「本年1月18日、米山知事がこのことを自身のブログで公表した」という。

知事が知事を訴えたのだ。濫訴時代の到来を予感させる事態。そして、問題の名誉毀損言論は、ツィッターだ。いかにも、今日的なお膳立て。衆人環視の中での短い文章のやり取りが売り言葉に買い言葉となって、論争の舞台を裁判所に移したというわけだ。

この事件の原告となった松井知事は、1月18日大阪府庁で記者団の取材に応じ、提訴の事実を認めて、次のように語ったという。
「ツィッターで人を馬鹿にしたようなことを言うからね、彼(米山知事)も今はもう公人なんだから、公人として不特定多数の皆さんに事実でないことを掲げて、人を馬鹿にするということをやれば、それに対して、きちっと反省していただく。」

いささか軽すぎる印象ではあるが、原告松井側の言い分は、「被告米山が不特定多数に対して『事実でないことを掲げて』、人を馬鹿にした」ということだ。公然事実を摘示して、他人の名誉を毀損した、というわけだ。

これに対する被告米山側の反論は、次のとおりホームページに掲載されている。
①そもそも私のツイートが松井府知事に対するものだとの松井府知事の主張は誤読であり、私のツイートは松井府知事に対するものではなく、当然ながらその名誉を棄損するものではない。
②仮に私のツイートが松井府知事に対するものだと解する余地があるとしても、その後再三にわたってツイッター上でそうでない旨説明しており、既に誤読の余地はない。
③仮に私のツイッター上の説明をもってしてもなお、松井府知事の主張する誤読の通りだと解する余地があるとしても、その誤読自体松井府知事と日本維新の会に対する言論の自由の行使としての正当な論評であり不法行為に当たらない。

もっとも、これだけでは何のことだかよく分からない。

三浦瑠璃という人物(政治学者)のツィッター発言が先にあり、名誉毀損とされる米山ツィッターは三浦発言に対してなされた言論で、松井知事宛のものではない。

三浦発言の内容は、「大阪府立高3年の女子生徒が2017年、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らから指導されて精神的な苦痛を受けたとして、府を相手取り、約220万円の賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした」件について、被告大阪府を批判する立場からのものだった。

三浦のツイートは「まあどんな1984年に迷い込んだんだとおもうよね。私が公教育でときどき体験したあの感じを思いだす。支配への従順さを強要する態度。染める行為に従順さを見出し満足するという教師として最低の態度。」というもの。

これに対して、米山がこう呟いたのだ。
「因みにこの『高校』は大阪府立高校であり、その責任者は三浦さんの好きな維新の松井さんであり、異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景と随分似ていて、それが伝染している様にも見えるのですが、その辺全部スルー若しくはOKというのが興味深いです」
このツイートが、名誉毀損言論とされた。

三浦が、府立高教師の「支配への従順さを強要する態度」を不快とした発言に対して、米山が「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景」に似ていると軽く揶揄したもの。

このツイートに、松井が反応した。「米山君、いつ僕が異論を出した党員を叩き潰したの?君も公人なんだから、自身の発言には責任取る覚悟を持ってるでしょうね。いつ僕が異論を出したものに恭順を誓わせたのか説明して下さい。」と出てきた。

明らかに、松井は米山ツイート中の、「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」の主体を原告松井自身と判断してのこと。

これに、米山が弁明する。
「どこにも松井さんとは書いていないのですが…。文章上分かりづらかったなら恐縮ですが、状況上誰かは言わずもがな当然松井さんもご存知と思います。叩き潰していないという理屈は勿論言われるのでしょうが、あれだけ衆人環視で罵倒されれば、普通の人は異論は言えないと思います。違いますでしょうか?」

「状況上誰かは言わずもがな」とは、「松井さん、あなたを指しているのではなく、橋下徹さんのことだとお分かりでしょう」ということなのだ。「あれだけ衆人環視で罵倒されれば、普通の人は異論は言えないと思います。」とは、報道によってよく知られた事実を指している。「橋下氏は当時、衆院選直後に『衆院選総括と代表選なしに前に進めない』などとツイートした同党所属の丸山穂高衆院議員(大阪19区)と対立。『代表選を求めるにも言い方があるやろ。ボケ!』とTwitter上で激しく反発していた。」ということ。

しかし、松井はこの弁明に納得しない。「話をすり替えるのはやめなさい。僕がいつ党員の意見を叩き潰したのか?恭順させたのか?答えなさい。」と言い募る。そして、もう一つが、「僕が『生徒指導は適法』としていると報道から把握しているとされていますが、何処の報道でしょうか?僕は生徒指導は適法なんて一言も言っておりません。」という点。

せっかく論戦の場ができているのだから、お互い言論の応酬を徹底すればよい。ところが、松井は言論戦継続ではなく、提訴を選んだ。この姿勢は残念というほかはない。

この点を米山は、
「私は、この様な訴訟は、憲法で保障された言論の自由(憲法21条)を強く委縮させ、事実上、松井府知事、松井府知事が代表を務めるおおさか維新の会、日本維新の会への正当な批判を極めて強く委縮させる効果があるものであり、訴訟それ自体の成否を度外視して批判を抑圧するためになされる所謂SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation:批判的言論威嚇目的訴訟)であるとの疑いを禁じえないとの念を抱いていることも、併せて申し上げさせて頂きます。」と言っている。

DHC・吉田嘉明からスラップ訴訟を起こされ、恫喝された私の経験から、松井の提訴をスラップという米山意見に賛同する。「批判的言論威嚇目的訴訟」というスラップの訳語もよくできていると思う。

この訴訟は、「公的立場にある者の、批判の言論に対する不寛容」という問題と把握するしかない。「今後容認し得ない私に対する批判には、誰であろうとも、遠慮なく訴訟を提起するぞ」という威嚇効果を持つからだ。

法律論としては、当該の言論が被告松井の社会的評価の低下をもたらしたものかがまず問題になる。この訴訟の判決は、この点を否定して棄却となる公算が高い。

名誉毀損、つまりは社会的な評価の低下の有無は、「一般読者の普通の注意と読み方」を基準として判断される。「原告松井の名誉が毀損された」は、米山の弁明も踏まえれば無理筋だと考えざるをえない。

仮に、原告松井側がこの点のハードルを越えたとしても、違法性阻却3要件(公共性・公益性・真実(相当)性)具備の判断がなされる可能性はきわめて高い。

実務上の問題点は、「名誉毀損表現が事実の摘示か、意見・論評か」ということとなる。
「異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」は「一般読者の普通の注意と読み方」からすれば、直接的には維新の党への名誉毀損表現として原告松井に関連すると考えざるをえないが、否定し得ない前提事実を踏まえての「意見・論評」と解する以外にない。言うまでもなく、政党のあり方に対する批判の「意見・論評」は、高度に尊重されなければならない。

被告米山の側は、政党の党首であり大阪府の知事でもある公人松井についての批判受忍義務論を精力的に展開し、公人に対する政治的言論の自由を古典的に強調することになろうが、勝算十分と考えられるところ。

一方、原告松井の側が、どうしてかくも強気で提訴に及んだのか、理解に苦しまざるを得ない。が、所詮スラップ訴訟とはそのようなものなのだ。

このような「スラップ訴訟」が、早期の棄却判決で決着となるよう期待している。
(2018年1月19日)

東京高裁『スラップ違法判断紙一重』判決の紹介 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第111弾

一昨日(11月22日)東京高裁第11民事部(野山宏裁判長)が名誉毀損訴訟で注目すべき判決を言い渡した。私は判決書きを入手していないので、複数報道を読む限りでのことだが、判決中の説示とされているものが裁判官の心証をよく表している。この判決はスラップの提訴を違法と言うに紙一重だ。あるいは、スラップ違法にもう一歩、という印象なのだ。

訴訟の内容は、週刊文春の記事によって名誉を毀損されたとするイオンが提起した損害賠償等請求事件。一審はイオンの勝訴だったが、控訴審では実質的に逆転判決となった。ここまでを時系列で整理してみる。

☆「週刊文春」2013年10月17日号が、「『中国猛毒米』偽装 イオンの大罪を暴く」とする、記事を掲載。記事は、三重県の卸売会社が中国産米を混ぜた米を国産米と偽装して販売していた問題をめぐって、「イオンが偽装米の納入に関与して、この米を使った弁当やおにぎりなどを販売していた」と報じるもの。この号の広告を新聞やウェブサイトにも掲載した。

☆イオンが、文春記事に対抗する形で、反論の社告や意見広告を掲載。

☆イオンが「週刊文春」発行元の文芸春秋社を被告として、東京地裁に1億6500万円の損害賠償請求訴訟を提起。損害として、信用毀損相当額だけでなく、「文春記事に対する反論の社告や意見広告掲載料」を計上したことで高額請求訴訟となった。また、ウェブサイトの広告掲載の削除も求めた。

☆2016年12月16日 東京地裁一審判決(沢野芳夫裁判長)。
文春に2490万円の支払いと、ウェブ広告の削除を命じた。文芸春秋は即日控訴。
同判決は、「見出しを含めた記事と広告の大部分が真実とは認められず、名誉毀損に当たる」と判断。「社会的信用を失わせた損害として600万円」、「イオンが新聞紙上に社告や意見広告を出すためにかかった広告掲載料の一部約1670万円」も、文芸春秋の不法行為と因果関係を有する名誉回復に必要な損害と認めた。

この判決に対する被告文春側の対メディア・コメントが次のとおり。
 「この判決は、大企業が資金力に物を言わせて報道に圧力をかけることを容認するものだ。著しく不当な判決」「イオンの意見広告は、イオンが独自の判断で出したものであり、当社がその費用を負担する理由はない」

☆2017年11月22日  控訴審判決
判決は、当該記事本文の内容を真実と認定して逆転の判断となった。但し、タイトルについてだけ、「イオンによる猛毒米の販売という誤った印象を抱かせる」と名誉毀損を認めて、110万円の損害賠償と「猛毒』の2文字についてだけの削除を命じた。反論のためイオンが新聞各社に掲載した意見広告費用の賠償については、「言論や表現を萎縮させ、好ましくない」と述べ排斥した。

興味深いのは、NHKが報じた《「記事は真実」 東京高裁 週刊文春の賠償額を大幅減》という次の記事。
「22日の2審の判決で東京高等裁判所の野山宏裁判長は、記事の内容は真実だとして1審の判決を変更したうえで『食品の安全に関して問題を提起する良質の言論で、裁判を起こすことで萎縮させるのではなく、言論の場で論争を深めていくことが望まれる』と指摘しました。」

産経も《「訴訟ではなく言論で対抗を」東京高裁裁判長、異例の言及 名誉毀損、二審は大幅減額 文春のイオン中国産米報道》というタイトルで、判決書中の次の判示を報じている。
「野山宏裁判長は記事本文は真実で『問題提起をする良質の言論』だとして違法性はないと判断。名誉毀損は広告の一部のみに認め、約2490万円の賠償などを命じた1審東京地裁判決を変更、認容額を110万円に大幅減額した。」
「野山裁判長は記事『食品流通大手に価格決定権を握られた納入業者が中国産などの安価な原料に頼り、食の安全にリスクが生じているのではないかと問題提起するもの』と指摘。表現の自由は憲法で保障されており、『訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗することで論争を深めることが望まれる』とした。」

高裁野山判決が興味を惹くのは、原判決に対する被告(文春)のコメント、「この判決は、大企業が資金力に物を言わせて報道に圧力をかけることを容認する著しく不当な判決」に、向きあった判断をしていることだ。この文春コメントは、イオンの提訴をスラップと評しているに等しい。
この点を野山判決は次のように判示した。
「記事本文は真実で『食品流通大手に価格決定権を握られた納入業者が中国産などの安価な原料に頼り、食の安全にリスクが生じているのではないかと問題提起する良質の言論』と評価し」たうえ、これを憲法で保障された表現の自由の範疇の言論ととらえて、『訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗することで論争を深めることが望まれる』」

形の上では、イオン側の一部勝訴だから、提訴の全部をスラップとは言い難い。それでもなお、東京高裁の判決が、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗せよ」と言ったことの意味は重い。

判決は、敢えて「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させる」という言葉を用いている。「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させる」ことこそ、スラップの意図であり効果にほかならない。資力において対抗言論を行使し得ない人はともかく、資力十分な者が言論で批判された場合には、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させてはならず、『良質の言論には良質の言論で対抗せよ』」というのだ。これが、表現の自由を保障した社会の真っ当なあり方なのだ。

DHCスラップ訴訟は、この見地から、提訴自身を違法というべきである。私のブログは、まぎれもなく「良質な政治的言論」である。「政治とカネ」「規制緩和と消費者の利益」などについて問題提起をするものであり、DHC・吉田に対する「良質な言論による批判」にあたる。これに対して、条件反射のごとく、スラップ訴訟を提起したのがDHC・吉田であった。東京高裁野村判決は、これをたしなめ、「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させてはならない」「良質の言論には良質の言論で対抗せよ」と言っているのだ。これが、訴訟実務の現下の趨勢であることに間違いがない。

DHCスラップ2次訴訟の先行きに、明るい兆しが見えている。憲法21条「表現の自由の保障」の旗は我々の側にある。堂々と訴訟を進行させたいと思う。

言論の自由を大切に思う多くの人たちのご支援を期待している。

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私(澤藤)自身が被告とされているDHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)。事実上の第1回口頭弁論期日は12月15日(金)。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。

閉廷後の報告集会は東京弁護士会504号室(5階)で行います。
報告集会では、木嶋日出夫弁護士(長野弁護士会)に、伊那太陽光発電スラップ訴訟の教訓について、ご報告いただきます。

以下は当日のスケジュールです。

13時30分 東京地裁415号法廷(民事第1部)
       反撃訴訟訴状(反訴状)の陳述
       光前弁護団長が反訴の要旨を口頭陳述
       澤藤が反訴原告本人として意見陳述

閉廷後  14時~16時 報告集会
     東京弁護士会504号室(5階)
     光前さん・小園さんから、訴状の解説。
     木嶋日出夫さん 伊那太陽光発電スラップ訴訟代理人報告と質疑
     澤藤(反訴原告本人)挨拶 

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伊那太陽光発電スラップ訴訟概要
(長野地裁伊那支部・2015(平成27)年10月28日判決)
原告(反訴被告)片桐建設
被告(反訴原告)土生田さん
被告(反訴原告)代理人 弁護士木嶋日出夫さん
本訴請求額 6000万円 判決は請求棄却
反訴請求額  200万円 判決は50万円認容
双方控訴なく確定

☆長野県伊那市の大規模太陽光発電所の建設計画が反対運動で縮小を余儀なくされたとして、設置会社が住民男性(66)に6000万円の損害賠償を求めた事件。
長野地裁伊那支部・望月千広裁判官は本訴の請求を棄却し、さらに男性が「反対意見を抑え込むための提訴だ」として同社に慰謝料200万円を求めた反訴について、「会社側の提訴は裁判制度に照らして著しく正当性を欠く」と判断し、同社に慰謝料50万円の支払いを命じた。

☆判決は、最高裁判決の論理を前提とし、「(片桐建設の)本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる」「本件訴えの提起が違法な行為である」と判示して慰謝料50万円を認容した。
また、「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる」「原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである」との判示が注目される。この点は、DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)に生かせると考えられる。

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木嶋日出夫弁護士紹介。
1969年 司法研修所入所(23期・澤藤と同期)
1971年 司法研修所卒業 弁護士登録(長野県、旧林百郎事務所)
1974年 自由法曹団長野県支部事務局長
1976年 日本弁護士連合会公害対策委員
1979年 長野県弁護士会副会長
1990年 第39回衆院選当選(日本共産党公認・旧長野3区・1期目)
1996年 第41回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・2期目)
2000年 第42回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・3期目)

(2017年11月24 日・連日更新第1699 回)

DHCスラップに反撃の反訴状提出 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第109弾

昨日(11月10日)、DHCスラップ第2次訴訟弁護団は、東京地裁民事第1部に損害賠償請求の反訴状を提出した。平成29年(ワ)第30018号債務不存在確認請求事件(原告DHC及び吉田嘉明・被告澤藤)を本訴とする反訴であるが、これでようやく攻守ところを変えて、私(澤藤)が反訴原告、DHCと吉田嘉明の両名が反訴被告となった。反スラップ訴訟の水準を示す内容の訴状となっている。

この反訴を、とりあえず「DHCスラップ反撃(リベンジ)訴訟」とネーミングしておこう。この反撃の経過をしっかりと公開して、あらゆるスラップ訴訟被害者の参考に供したい。この反訴状は本文20頁、訴状としては簡潔なものとしたが、全文掲載にはやや長文なので、抜粋して紹介する。

請求原因に記載の一連の経過は、DHC・吉田嘉明の前件スラップ提訴が言論の萎縮を狙ったものであることをあらためて浮き彫りにしている。この典型的なDHCスラップに対する反撃訴訟での勝訴は、スラップの抑止に大きな役割を果たすことになる。弁護団の意気込みと力量も十分で、私にも勇気と闘志が湧いてくる。
(2017年11月11日)
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第1 請求の趣旨
1 反訴被告ら(DHCと吉田嘉明)は,反訴原告(澤藤)に対し,連帯して660万円及びこれに対する2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え
2 訴訟費用は反訴被告らの負担とする
3 仮執行の宣言

第2 請求の原因
1 当事者
(1) 反訴原告
反訴原告は,東京弁護士会に所属する弁護士である。1971年に弁護士登録し,これまで日本民主法律家協会事務局長,日弁連消費者問題対策委員長,東京弁護士会消費者委員長などを務めてきた。
2013年3月からインターネット上に「澤藤統一郎の憲法日記」と題するウェブサイト(以下「本件ウェブサイト」という。)を開設し,現在に至るまで1日も欠かすことなく,市民の基本的人権にかかわる様々な社会問題についての意見をブログに掲載している。
(2) 反訴被告ら
反訴被告株式会社ディーエイチシー(以下「反訴被告DHC」という。)は,化粧品の製造販売等を目的とする,資本金33億7729万円の会社であり、反訴被告吉田嘉明(以下「反訴被告吉田」という。)は,反訴被告DHCの代表取締役会長である。

2 反訴被告らによる前訴提起と請求の拡張
(1) 反訴被告吉田の告白事実に対する反訴原告のブログによる批判
反訴原告は、2014年3月27日発売の雑誌「週刊新潮」に掲載された反訴被告吉田の手記(反訴被告吉田が、「みんなの党」の党首であった渡辺喜美衆議院議員(当時。以下「渡辺議員」という。)に密かに8億円余りを貸し付けていたこと等を暴露し、同議員の不明瞭な貸付金使途や変節等を批判するもの。以下「本件手記」という。乙1)や、これに反論した同議員の「ヨッシー日記」と題するウェブサイト上に掲載された同年3月31日付のブログ(乙2)、さらには、同議員の「みんなの党」の党首辞任を取り上げた同年4月8日付の全国紙6社の社説について、本件ウェブサイトに以下の3本のブログ記事を掲載した(乙3の1~3)。
① 2014年3月31日付けの「『DHC・渡辺喜美』事件の本質的批判」と題するもので、反訴被告吉田が渡辺議員に密かに8億円ものカネを貸し付けた行為は、政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判すべきであるとし、政治資金・選挙資金を透明化する必要性を訴えたもの(乙3の1。以下「本件ブログ1」という。)。
② 同年4月2日付の「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」と題するもので、渡辺議員が「ヨッシー日記」に記載した反訴被告吉田からの金銭受領に関する種々の弁明を批判するとともに、政治家とこれを金で操る資本家(スポンサー)との関係を批判したもの(乙3の2。以下「本件ブログ2」という。)。
③ 同月8日付の「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」と題するもので、渡辺議員が党代表を辞任したことに関する全国紙の各社説が、政治家とそのスポンサーの密かな金のやり取りの問題や、政治資金規正法の不備について論じないことを批判したもの(乙3の3。以下「本件ブログ3」という。)。

(2) 反訴被告らによる訴訟の提起
2014年4月16日、反訴被告らは、別紙訴状を東京地方裁判所に提出して反訴原告に対する訴訟を提起し(乙4)、反訴原告の本件ブログ1ないし3における記述が反訴被告らの名誉を毀損するとして、反訴原告に対し、反訴被告各自に対する1000万円(計2000万円)の支払いと、名誉毀損部分の記述削除、謝罪広告等を求めた(同裁判所平成26年(ワ)第9408号。以下「前件訴訟」という。)。

(3) 前件訴訟に対する反訴原告による批判
反訴原告は、前件訴訟は、反訴被告吉田に対する批判的な言論を封じることを目的とする、いわゆる「スラップ訴訟」であるとして、以下の3本のブログを本件ウェブサイトに掲載した(乙5の1~3)。
① 2014年7月13日付の「いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」と題するもので、前件訴訟の提訴対象となったブログ1~3の内容を紹介し、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べた上で、反訴被告らによる前件訴訟の提起が反訴原告の言論を封殺しようとしたものであると批判したもの(乙5の1。以下「本件ブログ4」という。)。
② 同月14日付の「万国のブロガー団結せよ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾」と題するもので、市民ブログによる情報発信の今日的意義や重要性を説き、経済的強者が市民の意見表明の委縮させる意図をもって行うスラップ訴訟への反対表明を呼びかけたもの(乙5の2。以下「本件ブログ5」という。)。
③ 同月15日付の「「言っちゃった 金で政治を買ってると」-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第3弾」と題するもので、毎日新聞の読者川柳欄に投稿・掲載された「言っちゃった 金で政治を買ってると」という句(乙5の4)や丸山眞男の著述を引用しながら、前件訴訟の本質と、市民の政治的権力が一部の経済的権力によって蹂躙されないための批判の自由の重要性、その批判を封じようとするスラップ訴訟への批判の重要性を述べたもの(乙5の3。以下「本件ブログ6という」。)。

(4) 反訴被告らによるブログによる批判活動中止の要求と請求額の増額
ア 反訴原告の本件ブログ4ないし6について、反訴被告らは、前件訴訟の2014年7月16日付第1準備書面(乙6)において、反訴原告は反訴被告らへの名誉毀損を繰り返し、前件訴訟が不当提訴である旨を一般読者に訴えかけ、反訴被告らの損害を拡大させているとして、反論は裁判で述べれば足りると主張し、本件ブログによる批判の中止を求めた。
イ これに対して反訴原告は、反訴被告らの要求は言論(批判)の自由を封殺するものであるとの意見を前件訴訟において述べるとともに、本件ブログにおける反訴被告らへの批判を継続した。
同年8月8日には「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ-『DHCスラップ訴訟』を許さない・第15弾」と題するブログ記事を掲載して、改めて政治資金規正法の立法趣旨を説き、反訴原告吉田から渡辺議員に密かに交付された8億円は政治資金でありながら届出がなされない点において「裏金」であり、その授受を規制できないとする解釈は政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならないと批判し、さらに、この批判は主権者として期待される働きであり反訴被告らが前件訴訟を提起したのは間違っている、と論じた(乙7。以下「本件ブログ7」という。)。
ウ そうしたところ、反訴被告らは、同年8月29日、別紙訴えの追加的変更申立書を裁判所に提出し、本件ブログ4及び7における記述が反訴被告らの名誉を毀損するなどとして請求の原因を追加するとともに、反訴原告に対する従前の請求額を三倍増し、請求金額を反訴原告各自につき3000万円(計6000万円)に拡張した(乙8の1。以下「本件請求拡張」という。)。
なお、本件請求拡張後の請求の原因については、同日付の「原告第2準備書面」(乙8の2)が全面的に引用されている。

3 前件訴訟の経過と顛末
(1) 反訴被告らの敗訴確定
2015年9月2日、東京地方裁判所は、反訴原告の訴え却下の申し立ては斥けた上で、反訴被告らの請求を全面的に棄却する判決(甲1。以下「本件一審判決」という。)を下した。
反訴被告らは、本件一審判決を不服として、2015年9月15日、東京高等裁判所に控訴を申し立てた。
2016年1月28日、東京高等裁判所は、反訴被告らの控訴を棄却する判決(甲2。以下「本件控訴審判決」という。)を下した。
2016年2月12日、反訴被告らは、本件控訴審判決を不服として最高裁判所に上告受理申立書を提出した。
最高裁判所は、同年10月4日付で上告不受理決定(甲3)をなした。これにより、前件訴訟における反訴被告らの敗訴が確定した。

(2) 関連訴訟等
ア 反訴被告らは、前件訴訟の提起と同時期に、反訴被告吉田の告白記事を契機としてなされた反訴被告らの言動を批判するブログもしくは雑誌記事に対し、反訴原告が知り得たものだけでも9件の名誉毀損訴訟を提起している。これら訴訟は、概ね反訴被告らが敗訴している。
イ また、反訴被告らは、前件訴訟の控訴審判決が出るや、2016年2月12日、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「会長メッセージ」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、政界、官僚、マスコミ、法曹界には在日が多く、裁判官も在日、被告側も在日のときには提訴したこちら側が100%の敗訴になる、と主張した(乙9の1)。
ウ さらに、同月21日には、反訴被告らは、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「スラップ訴訟云々に関して」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、反訴原告を「虚名の三百代言ごとき」「反日の徒」などの侮辱的表現を用いて罵倒したうえ、「どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中には私は断固反対します」と述べていた(乙9の2)。

4 前件訴訟提起と本件請求拡張の違法性
(1) 最高裁判所の判例
最高裁1988(昭和63)年1月26日判決(民集42巻1号1頁)は、訴訟提起が違法となる場合について、以下のとおり判示している。
「民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」

(2) 前件訴訟等の違法性
前件訴訟において反訴被告らが主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くものであったことは、すでに反訴被告らの請求を棄却する判決が確定したことによって明らかであるが、反訴被告らの前件訴訟の提起及び本件請求拡張(以下、両者を合わせて「前件訴訟等」という。)は、わが国の判例法理を無視した正当な論評に対する不合理(敗訴必然)な訴訟行為であり、通常人であれば、反訴被告らの主張する権利等が事実的、法律的根拠を欠くものであることを、容易に知り得たものである。
また、仮にそうでないとしても、反訴被告らの前件訴訟等は、勝訴判決により権利を回復することを主たる意図としたものではなく、反訴被告らに対する批判者を被告の席に座らせること、また、その可能性を示すことによる批判言論の封殺を意図してなされたものであり、上記最高裁判決が言うところの「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」違法な行為に当たるものである。とりわけ、本件請求拡張による請求額の増額は、この点が顕著である。
以下、詳述する。

(3) 反訴被告らの主張する権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
ア 本件ブログ1ないし3を対象とする請求について
(ア)本件ブログ1ないし3が論評であること
本件ブログ1は、反訴被告吉田が本件手記により週刊誌に自ら告白した事実をもとに、反訴被告吉田の行為は政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判されなければならない、との意見を表明したものである(乙3の1)。
また、本件ブログ2及び3は、本件手記の内容と関連のある渡辺議員の「ヨッシー日記」や全国紙の社説の論評について反訴原告の意見を表明するとともに、これに付随して、本件ブログ1で述べた反訴被告吉田の告白事実に対する批判を再述したものに過ぎない(乙3の2~3)。
本件ブログ1ないし3が、いずれも、主に反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であり、反訴被告吉田の告白事実とは無関係な事実の一方的な摘示や、告白された事実とは無関係な事実を前提になされた批判でないことは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)公正な論評の法理が確立した判例となっていること
意見表明による名誉毀損の場合には、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であるときには、論評の範囲を逸脱したものでない限り、違法性はなく、むしろ健全な民主主義の発展にとっては必要不可欠な行為だとするのが「公正な論評の法理」であり、わが国における確立した判例(最高裁1989(平成元)年12月21日判決(民集43巻12号2252頁など)となっているところである。
(ウ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ1ないし3において反訴原告が行った論評は、政治家と規制の厳しい健康食品を製造・販売する大企業の代表者との不明朗で多額な金銭貸付の違法性、政治資金規正法を厳格化する必要性の有無など、いわゆる「政治とカネ」の問題に関係する、民主主義の根幹に関わる極めて公共性の高いテーマに関する主張であった。これが公益目的の論評であることは、その内容からしても、また、本件ウェブサイトがこれまでに取り上げてきたテーマとその真っ当な論述内容からしても、疑う余地のないところである。
そして、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実や、公刊されている新聞紙上に掲載された記事、反訴被告DHCにおいて過去に存在した事実、又は公知の事実であったから、論評の前提事実の真実性については、前件訴訟等においてそもそも検討する必要のないものであった。
このように、本件ブログ1ないし3は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ1ないし3が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(エ)反訴被告らがあえて前件訴訟を提起したこと
反訴被告らは、本件ブログ1ないし3が反訴被告吉田の告白事実を邪推して誤った事実を摘示するものだと主張し、その表現の一部を捉えて反訴被告らの名誉を侵害しているとし、さらに加えて、各論評は公共の事実に関するものではなく、公益目的でもないとまで強弁して、前件訴訟を提起した。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて前件訴訟等を行ったものである。

イ 本件ブログ4及び7を対象とする請求について
(ア)本件ブログ4及び7が論評であること
本件ブログ4は、反訴被告らが前件訴訟を提起したことを前提事実として、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べるとともに、前件訴訟の提起は反訴原告の言論を封殺しようとするものだと批判する意見を表明したものである(乙5の1)。
本件ブログ7は、政治資金規正法の立法趣旨から、反訴原告吉田から渡辺議員に8億円もの貸付を行った行為が規正できないのでは政治資金規正法をザル法に貶めることになると批判し、さらに、そのような批判の声を挙げることは主権者として期待される働きであり、これに対して反訴被告らが前件訴訟を提起したことはスラップであり間違っている、との意見を表明したものである(乙7)。
本件ブログ4及び7が、いずれも反訴被告らが前件訴訟を提起した事実や反訴被告吉田の告白事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であることは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ4及び7において反訴原告が行った論評は、本件ブログ1ないし3でも論じた政治とカネの問題に加え、そのような問題について批判し声を上げることが重要であることや、経済的強者が批判を封じる目的で提起するスラップ訴訟が許されるべきでないという、表現の自由と裁判制度のあり方の問題に関するものであり、いずれも公共性の極めて高いテーマに関する主張であって、その内容に照らし、公益を目的とする論評であることは明らかであった。
また、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実に加え、反訴被告らが前件訴訟を提起した事実であり、真実性に疑いの余地はなかった。
このように、本件ブログ4及び7は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ4及び7が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(ウ)反訴被告らがあえて本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟はスラップ訴訟であり訴権を濫用するものだとした反訴原告の本件ブログ4ないし6による論評に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7に反訴被告らの名誉を棄損する部分があるとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて本件請求拡張を行ったものである。

ウ 小括
以上のとおり、反訴被告らの前件訴訟等は、権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえてなされたものであるから、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く違法なものというべきである。

(4) 前件訴訟等の主たる目的が批判的言論の封殺にあったこと
ア 十分な検討を行った形跡がないこと
反訴被告らの請求に事実的、法律的根拠があるか否かについて、反訴被告らが十分な検討を行った形跡はない。
反訴原告が本件ブログ1ないし3を掲載したのは、それぞれ、2014年3月31日、同年4月2日、同月8日のことであった。これに対して、反訴被告らが前件訴訟を提起したのは同月16日、本件ブログ3の掲載からわずか8日後であった。
また、反訴原告が本件ブログ4及び7を掲載したのはそれぞれ同年7月13日、同年8月8日であったが、反訴被告らが本件請求拡張を行ったのは同月29日であり、本件ブログ7の掲載から21日後であった。
このように、反訴原告が本件各ブログを掲載してから反訴被告らが前件訴訟等を行うまでの期間は極めて短かった。
また、この種の事案においては、訴訟提起前に本件各ブログの削除を求める通知を送付するなどして事前交渉を行うことが通常となっているが、反訴被告らは、事前交渉を経ることなく、突然前件訴訟を提起している。
反訴被告らが十分な検討を行った形跡がないことは、前件訴訟等が反訴被告らの権利救済を目的とするものではなく、反訴原告を提訴による精神的、経済的負担によって威嚇し、反訴原告の批判的言論を封殺する目的のものであったことを裏付けるものである。

イ 本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟の提起後、前件訴訟はスラップ訴訟であって裁判の濫用であるとした反訴原告の論評(本件ブログ4ないし6)に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7が原告の名誉を毀損するなどとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
しかし、本件ブログ4及び7における吉田の告白事実に対する批判部分は、本件ブログ1ないし3の再述(要約)にすぎず(反訴原告はブログ中にこのことを明記している)、論旨の中核はスラップ訴訟批判である。
しかるところ、前件訴訟がスラップ訴訟に当たるという指摘は、論評以外の何物でもない。この論評の前提事実に真実性が備わり、論評の公共性、公益目的性の各要件を充足していることも論を待たない。
結局、反訴被告らは、反訴原告のスラップ訴訟に関する論評を封じる目的だけの理由から、その請求額を、名誉毀損の裁判では到底容認される見込みのない6000万円にまで増額し、反訴原告を威圧しようとしたのである。

ウ 反訴被告らが前件訴訟等を含め合計10件の訴訟を提起していたこと
反訴被告らは、本件名誉毀損訴訟を提起した際、これとほぼ同時に、反訴被告らに対する批判的言論を行った者に対する9件の名誉毀損訴訟を提起していた。
この事実は、反訴被告らが、反訴被告らに対する批判的な言論を許容しないという姿勢をとり、批判的言論の具体的内容いかんにかかわらず名誉毀損訴訟を提起する方針をとっていたことを示している。

エ 本訴における反訴被告らの主張
反訴被告らの前件訴訟等の目的が反訴原告の言論封殺にあったことは、本訴の訴状における文言の端々にも現われている。
例えば、反訴被告らは、本訴訴状の請求の原因第5項において、反訴原告の本件ブログについて「このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす行為が許容される事態は社会的に問題である」と主張しているが、この主張は、正当な論評とそれによる社会的評価の低下に関する判例法理に対して反訴被告らが未だに無理解であることを露呈させており、今後も反訴被告らを批判する正当な論評に対して反訴被告らが名誉棄損訴訟を提起するおそれのあることが懸念される。
さらに、請求の原因第7項には、反訴原告が「自身のブログにおいて、性懲りもなく、未だに原告らの提訴がスラップ訴訟である旨主張し続けており」との記載がある。前件訴訟等がスラップ訴訟であるか否かに関する本件ブログの記載が適法な論評であったことは、すでに判決において正当に認定されたところであるが、「性懲りもなく」との表現は、あたかも反訴原告の方が違法な行為をしているかのように示唆するものである。
これら請求の原因の記載は、反訴被告らが、反訴被告らに対する論評が適法なものであるか否かに関わらず許容する意志がなく、「事実無根の誹謗中傷」として提訴対象とする姿勢を有していることを示している。
なお、反訴原告は、健全な司法制度の維持、発展のためには、弁護士として、引き続きそのことを主張し続ける必要があると考えている。その内容の妥当性は、賢明な読者が判断するものである。

オ 小括
以上に述べた事実に加え、反訴被告らが前件訴訟等において本件ブログの公共性や公益目的性に関して行った不合理な強弁などに照らせば、反訴被告らは、批判的な言論を行った反訴原告を訴訟の被告とすることによって精神的、経済的その他の負担をかけることによる威圧効果を狙って前件訴訟等を提起したものと考えられる。
すなわち、前件提訴等は反訴原告の言論を封殺することを主たる目的としてなされたものであり、反訴被告らの権利救済を意図したものではなかった。
このような裁判の利用は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであり、前掲の1988(昭和63)年最高裁判決が違法と判示するところである。
なお、反訴被告らは、本訴の訴状において、前件訴訟が不適法却下されなかったことをもって前件訴訟等の違法性を否定する主張をしているが、訴訟の却下要件と違法提訴の判断基準は異なるものである。
そもそも、裁判所が反訴原告のスラップ訴訟の主張を容れず実体判断に至った理由には、わが国でのスラップ訴訟に関する裁判例が乏しいことも一因としてあったと考えられるが、何よりも、(スラップ訴訟を規制する立法により訴訟却下の要件が法律により定められている諸外国の場合とは異なり)原告の請求がスラップ訴訟に該当するかどうかを判断するためには結局のところ本案の実体判断に入らざるを得ないというわが国の訴訟法の構造上の問題がある。
本件一審判決における実体判断の説示内容は、反訴被告らが名誉毀損に当たると主張した記述は反訴被告らに関係のない記述か、又は、反訴被告吉田の告白事実に関する意見であった、ということで一環しており、本件が、勝訴の見込みのないスラップ訴訟であったことを十分に窺わせるものとなっている。本件高裁判決の説示は、この点がなお一層顕著である。

(5) 本件提訴等は条理(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」)に違反する行為であったこと
仮に、反訴被告らに反訴原告の言論を封殺しようという目的があったとまでは認められないとしても、以下に述べるとおり、前件訴訟等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」というという条理に違反してなされた違法な行為(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」の侵害)であった。

ア 条理の存在
(ア)高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評の重要性
憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。
表現の自由を支える社会的価値として、①個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値)と、②言論活動によって国民が政治的意志決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)があり、これによって表現の自由は、他の諸権利よりも優越的な地位にあるものと位置付けられている。
さらに、表現の自由の意義として、各人が自己の意見を自由に表明し競争することによって真理に到達することができる、という「思想の自由市場論」が提唱されており、ここからも表現の自由の優越的地位を導くことができる。
高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、権力者や社会的強者に対して主権者たる市民が世論を喚起して対抗するための重要な手段であり、表現活動の中でも特に「自己統治の価値」の側面を強く有するものである(本件ブログ6で引用されている丸山眞男の著述参照)。
したがって、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、表現行為の中においても特に重要なものとして手厚い保障を与えるべきとされる。
(イ)名誉毀損訴訟が表現活動を抑圧し萎縮させる効果を持つこと
公共的な言論に対して名誉毀損訴訟が提起されると、表現活動を行った者は否応なく被告の立場に置かれ、応訴を強いられることになる。訴訟を提起されることは、弁護士であるか否かを問わず、万人にとって極めて不快なことであり、応訴のために費やさなければならない金銭、時間、労力は決して小さなものではない。
さらに、提訴された当事者に限らず、社会一般の表現活動に萎縮効果をもたらすことも重大である。被提訴者がいわば見せしめとなり、同様の見解を持っていたマスコミや市民は「同じ目には遭いたくない」と思いから萎縮し、公共的な言論を控えることで世論は不活性化し、市民は共同体意識を失って民主主義は衰退するのである。
(ウ)小括
健全な民主主義を維持、発展させるためには、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は表現行為の中においても特別に保護される必要があるが、他方、裁判制度にアクセスし易い公人や経済的強者は、自己の批判を名誉毀損訴訟で封ずる誘惑に駆られることが多い。しかし、このような訴訟の提起を常に容認することは、表現者に過酷な応訴負担、マスコミを始めとした社会一般に言論萎縮の効果をもたらす結果となり、個人の自己統治、自己統治された個人の参加による民主主義の実現を失わせることとなる。
ここから、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」との条理が導かれるものである。

イ 前件訴訟等の対象がいずれも高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評であったこと
本件ブログ1ないし3は、反訴被告吉田が週刊誌に公表した手記(国会議員に対する8億円という巨額資金の密かな貸付)を題材に、政治の過程における政治と金銭、いわゆる「政治とカネ」の問題について反訴原告の批判的な意見ないし論評を記載したものである。
「政治とカネ」の問題は、民主政の根幹に関わる重大なテーマであり、高度に公共的な事項といえる。
また、反訴被告DHCは、健康食品業界におけるトップ企業の一つとして社会に広く知られ、反訴被告吉田はそのオーナーかつ代表者で、政治家に対して8億円もの貸付けを行ったことを週刊誌に公表した者なのであるから、いずれも公人ないし公人に準ずる者であり、政治をその資金力で左右する可能性を持つ経済的強者である。
本件ブログ4及び7は、反訴被告らの本件提訴等について、これが言論封殺の効果を有するいわゆる「スラップ訴訟」に当たるとの観点から、批判的な意見ないし論評を記載したものである。
スラップ訴訟は、裁判制度のあり方や、表現の自由と裁判制度の関わり方に関するものであり、高度に公共的な事項に当たる。

ウ 前件訴訟等が条理に違反すること
以上のとおり、反訴原告の本件各ブログは、いずれも高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評であったところ、前件訴訟等は、この批判的な意見ないし論評に対して提起された名誉毀損訴訟である。
反訴原告の本件各ブログの前提事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら告白した事実や、前件訴訟が提起された事実などであり、いずれも真実性は明らかであった。
したがって、本件提訴等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」という条理に違反してなされたものであり、違法な行為であった。

5 反訴原告の損害
(1) 前件訴訟等に応訴するための弁護士費用:500万円
反訴被告らが前件訴訟を提起し、さらに本件請求拡張を行ったことにより、反訴原告は、弁護士を代理人として反訴被告らの請求を争わなければならなかった。本件名誉毀損訴訟では、計110名の弁護士が反訴原告の代理人に就任しているが、これら代理人に対する弁護士費用の支払いは、前件訴訟等の提起がなければ発生することのなかった費用である。
(旧)日弁連報酬等基準規程によれば、経済的利益の額が6000万円の場合における弁護士費用の標準額は、着手金249万円、報酬金498万円とされている(いずれも税別)。上記規定は2004年4月1日に廃止されたが、適正な弁護士費用を算定するための基準として、現在も広く用いられている。
本件名誉毀損訴訟では、反訴被告らの請求額6000万円が経済的利益の額となるから、記述の削除や謝罪広告等の請求を考慮しない場合でも、標準的な弁護士費用は着手金249万円、請求を排斥したことによる報酬金498万円(いずれも税別)である。
したがって、本件名誉毀損訴訟に応訴するための弁護士費用として反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある損害は、少なくとも500万円を下るものではない。

(2) 精神的損害:500万円
反訴被告らが不当な前件訴訟等を行ったことにより、反訴原告は、応訴による肉体的、時間的、精神的負担を余儀なくされた。しかも、請求額が6000万円という高額なものだったことから、反訴原告の精神的負担は極めて大きなものとなった。
この反訴原告の精神的損害に対する慰謝料の額は500万円を下らない。

(3) 本訴訟提起のための弁護士費用:100万円
反訴被告らの不法行為に対する損害賠償請求のため、反訴原告は本件反訴を提起せざるを得なかった。反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は100万円を下らない。

9 結語
よって、反訴原告は、不法行為に基づき、反訴被告らに対して、上記損害の一部請求として、連帯して660万円及びこれに対する反訴被告らが本件名誉毀損訴訟における請求を拡張した日である2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による遅延損害金の支払いをもとめる。
以上

「中華人民共和国国歌法」性急な制定と改正の事情

人に「笑え」と強制はできない。人に「怒れ」と強制することもできない。人間の感情は、強制になじまないものなのだから。人に「人を愛するよう」強制はできない。人に「人を尊敬するよう」強制もできない。愛も尊敬も、本来的に強制し得ない。強制による愛は愛ではなく、強制による尊敬もそもそも自己矛盾なのだから。

愛国を強制することもできるはずがない。強制された愛国など論理的に成り立ち得ない。国旗国歌に対する敬意表明の強制に至っては、強制されたとたんにニセモノの敬意となり、薄汚れた面従腹背とならざるを得ない。

愛国心とは民衆の心から湧き出る性質のもので、他から植えつけられるものではない。国旗国歌に対する敬意とは、民衆の国家との一体感ある限りのもので、強制されるものではありえない。国家による愛国心の鼓吹とは、国家権力が民衆に対して、「我を愛せよ」と命じるグロテスクな押しつけ以外のなにものでもない。

多くの国民が敬意を表するに値しない国家と思うに至ったとき、慌てた国家が、愛国を強要し、国旗国歌に対する敬意表明を強制する。あるいは、国旗国歌に対する侮辱行為を犯罪として禁止する。

思えば、大逆罪、不敬罪、国防保安法、治安維持法などの治安立法によって国民をがんじがらめに縛りつけておかねばならない強権国家とは、実は面従腹背の国民を抱えた脆弱な国家だった。

権力が国民に愛国心を説き、国旗・国歌を尊重せよと義務付けることは、既に権力の敗北である。愛国心を説き、国旗・国歌を尊重せよと義務付ける国家は、論理矛盾を抱えつつもこれを強制せざるを得ない弱点を抱えた国家なのだ。

以上の点を、これまではもっぱら日本やアメリカについて論じてきたが、中国でも事情が同じであることが話題となっている。愛国心涵養の教育政策、国歌の冒涜禁止の法律…。経済発展著しい中国のこの自信のなさはどうしたことか。とりわけ、民主化の水準が高い香港において、問題が大きくなりそうなのだ。

これまで、中国には「国旗法」があって、「国歌法」はなかった。
1949年建国とともに五星紅旗が国旗として指定され、現行の「中華人民共和国国旗法」は1990年6月の制定で全20か条。法の目的を、愛国主義精神の高揚等と明記したうえ、国旗のデザインを五星紅旗と定め、その取り扱いの詳細を規定して、第19条で「公共の場で、故意に国旗を燃やし、毀損し、汚し、踏みつけるなどの侮辱行為に及んだ場合は刑事責任を追及し、情状軽微なときは15日以内の拘留処分を科す」と定めている。

今年の10月1日に、全人代で、これまでなかった全16か条の「国歌法」が成立した。その第15条が、「公共の場で悪意に満ちた替え歌を歌ったり、歌のイメージを傷つけるような演奏をした場合に15日以内の拘留処分を科す」となっている。一見微罪であるが、犯罪であるからには、逮捕も未決勾留も可能となる。背後関係を洗うとした広範な捜索・差押えも可能となる。

この法律制定の必要性は、香港にあったようだ。民主化を求める若者が中心部を占拠した2014年のデモ「雨傘運動」以降、香港では若者が国歌斉唱の際にブーイングをしたり起立を拒否したり、あるいは替え歌を歌ったり、「嘘だ」と叫んだりして問題になるケースが相次いでいたという。香港サッカー協会は2015年、国際サッカー連盟(FIFA)から責任を問われて罰金を科されたとも報じられている。国民が、敬意を表することのできない自国への抗議として、国旗や国歌への敬意表明を拒否するのは普遍的な思想表現手段。未成熟な国家は、これを弾圧しようということになる。

国歌法は中国本土では本年10月1日に施行されたが、香港は「一国二制度」によって高度な自治が保障されている。そのため、香港政府は今後、立法会(議会)に罰則規定などを盛り込んだ関連法案を提出し、成立後に適用される予定とされていた。当然のことながら、民主派からは表現の自由が後退するとの懸念の声が高まっていた。

そのような事態で、全人代常務委員会は、11月4日香港の「憲法」にあたる香港基本法を改正し、中国の国歌に対する侮辱行為を禁止する国歌法を付属文書に盛り込んだ。国営新華社通信が伝えるところである。サッカーの試合前の国歌斉唱などの際に、ブーイングを浴びせる若者らを取り締まる狙いがあるとも報道されている。

国歌法では罰則として15日以内の拘留を定めているが、同委員会は同日、中国の刑法改正案も可決し、国歌侮辱行為への罰則を最高禁錮3年に厳罰化した。

強権国家中国ならではの立法である。人心掌握への自信のなさを表白しているに等しい。国旗国歌を刑罰をもって国民に押しつけ、見せかけの愛国心と、面従腹背の多くの国民をつくり出そうというのだ。
「人民共和国」の名が泣いているではないか。反面、「強権的国家主義」の本質が笑っている。
(2017年11月6日)

『憲法アレルギー』の払拭を求める「九条俳句判決」

昨日(10月13日)、話題のさいたま地裁「九条俳句判決」。まずは勝訴を喜びたい。
200万円の請求に対する慰謝料の認容額は5万円とわずかではあったが、さいたま市公民館職員の「公民館たより」への、「九条俳句」不掲載行為を違法で過失あるものとした。この点で、歴とした勝訴である。この判決の行政への影響は小さくない。

公民館たよりに掲載を拒否されたお陰ですっかり有名になった
 「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」
句会で特選になり、通例「公民館だより」に掲載されるはずが、「政治的だから」として拒否された。

この不掲載を、判決は、公民館側が「思想や信条を理由として掲載しないという不公正な扱いをした」と違法と断じたのだ。

「梅雨空」が政治的であるはずはない。多分、「デモ」も「女性デモ」も政治的とは言えまい。公民館側には、『九条』『九条守れ』が、政治的ととらえられた。「いったいなぜ?」と問い返さねばならない。

「九条俳句」市民応援団- という訴訟支援のホームページが立ち上げられている。立派なものだ。
http://9jo-haiku.com/

このホームページの中に裁判資料のコーナーがあり、つぎのURLで判決全文を読むことができる。
http://9jo-haiku.com/modules/news/index.php?lid=65&cid=3

判決を読んで少なからず驚いた。公民館側がなにゆえにこの句の掲載を拒否したか、その理由について判決が語っているところにである。むしろ、語るべきほどのなにもないことにといわねばならない。

この点について、朝日が要領よく要約しているところでは以下のとおり。
「裁判長は、不掲載の判断をした公民館長らが過去に教員だった経験から『教育現場で憲法に対する意見の対立を目の当たりにして辟易し、一種の《憲法アレルギー》のような状態に陥っていたのではないかと推認される』と指摘。憲法に関連する文言が含まれた句に抵抗感を示し『理由を十分検討しないまま掲載しないことにしたと推認するのが相当だ』とした。」

これだけでは十分には分かりにくい。当該個所を判決書から引用すれば、以下のとおりである。
「三橋公民館及び桜木公民館の職員ら(引間、保坂及び斎藤)が、本件俳句を本件たよりに掲載することができるかどうかについて、十分な検討を行わなかった原因について、次のように推認することができる。
 保坂及び引間は教員を経験した後、三橋公民館の主幹ないし館長を経て、管理職となっており、斎藤は、教育委員会や高校の事務主幹を経験した後、桜木公民館の館長となっているところ、引間が、教育現場において、国旗(日の丸)や国歌(君が代)に関する議論など、憲法に関連する意見の対立を目の当たりにしてきたように、保坂及び斎藤も、上記のような意見の対立を目の当たりにして、これに辟易しており、一種の『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される。そして、上記『憲法アレルギー』の発露として、保坂は、本件俳句を本件たよりに掲載するのは問題ではないかと考え、引間に意見を求め、引間は、これに対し、本件俳句を本件たよりに掲載することは難しいと考える旨回答し、斎藤ら松木公民館の職員らも、『九条守れ』という憲法に関連する文言が含まれた本件俳句に抵抗感を示し、本件俳句を本件たよりに掲載することができない理由について、十分な検討を行わないまま、本件俳句を本件たよりに掲載しないこととしたものと推認するのが相当である。…
 したがって、三橋公民館及び桜木公民館の職員らが、原告の思想や信条を理由として、本件俳句を本件たよりに掲載しないという不公正な取扱いをしたことにより、法律上保護される利益である本件俳句が掲載されるとの原告の期待が侵害されたということができるから、三橋公民館が、本件俳句を本件たよりに掲載しなかったことは、国家賠償法上、違法というべきである。」

こんなところに、日の丸・君が代が出てきた。判決は、次の認定をしている。

学校での日の丸・君が代論争⇒幹部職員の憲法アレルギー⇒「九条守れ」に抵抗感

そうした流れが、「九条俳句」掲載拒否の姿勢となった。「公民館は特定の政党の利害に関する事業は禁止している。世論が大きく分かれているものは広告掲載を行わない」「公平中立の立場であるべきだとの観点で、掲載は好ましくないと判断した」などという理由は後付けのものだという。

憲法は国民の人権を守る道具である。民主々義や平和の基礎でもある。それが、アレルギーの源泉になっているというのだ。判決は「本件俳句の不掲載は、憲法アレルギーの発露として」なされたという。このアレルギーは、理性ではなく、感性レベルでの憲法への抵抗感の存在を語っている。

アレルギーとは、本来無害なものが特定の人に有害な反応を示すこと。場合によっては、本来有益なものが原因物質となることもある。本判決は、まさしく本来有益な憲法が、ある人々には拒否反応として表れることを指摘しているのだ。憲法に対する病的な反応への警告。この判決、根拠のない憲法アレルギーを払拭せよとの戒めと読むべきで、そうしてこそ意義がある。

それにしても、認容額が5万円はいただけない。この額でよかろうはずはない。
(2017年10月14日)

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