澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

改憲・軍拡・新自由主義路線開拓者中曽根康弘と、追随者安倍晋三。

中曽根康弘が亡くなった。死者に対する辛辣な批評は慎みに欠けるものというのが通り相場。どうしても矛先鈍るものとならざるを得ない。が、この怯みに乗じられてはならない。

その思いは、昭和天皇(裕仁)の死に際しての、阿諛追従の氾濫に驚愕して以来のこと。あのときは、まるで戦犯が平和主義者のごとくに描かれた。そして、まことに不愉快な弔意の押し売りが続いた。社会的同調圧力というものの怖さを実感したのもそのとき。

中曽根の死も、あのときにやや似ている。歴史修正主義・改憲志向・軍拡路線・戦後民主主義否定・新自由主義・市場原理主義・規制緩和政策において、中曽根は明らかに安倍晋三の先輩である。中曽根こそが安倍政治の源流、中曽根の死に際してその業績など持ち上げてはならない。弔意の押しつけなどもってのほか。

昨日(11月29日)安倍晋三は、以下の「内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)」という談話を発表した。

 元内閣総理大臣中曽根康弘氏は、本日逝去されました。
 中曽根康弘氏は、東西の軍事対立や日米貿易摩擦の高まりなど、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって舵取り役を果たされました。
 中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げ、レーガン米国大統領との強い信頼関係の下で強固な日米同盟を確立し、近接するアジア諸国との関係を強化するとともに、国際社会の一員として、世界の平和、経済秩序の維持に重要な役割を果たし、我が国の国際的地位を大きく向上させました。
 また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、強いリーダーシップを発揮して、21世紀に向けた諸制度の改革に取り組み、国有鉄道の民営化をはじめとして、大きな実績を上げられました。
 私は、この訃報に接し、深い悲しみを禁じ得ません。
ここに、国民の皆様とともに、心から哀悼の意を表します

 なるほど、今安倍がやっていることに、まことに似ている。
談話は、本来こうなるべきなのだ。

 中曽根康弘氏は、我が国が厳しい内外情勢におかれた時期に、5年間にわたり内閣総理大臣の重責を担われ、戦後史の大きな転換点に当たって国民の反対を押し切って大きく右に舵取りをされました。
 中曽根氏は、戦後日本政治の総決算を掲げて、戦後民主主義の精神を否定するとともに、レーガン大統領時代の米国への目下の同盟者としてベッタリの従属関係を確立し、靖国神社公式参拝など近接するアジア諸国民の微妙な神経を逆撫でさせ、世界の対立と緊張関係の維持に重要な役割を果たしました。
 また、中曽根氏は、行政改革の断行を最重要課題と位置づけ、国有鉄道をはじめとする公営諸企業の民営化によって、国労・動労・全動労・全逓をはじめとする労働運動の最精鋭部隊の切り崩しに成功し、総評・社会党ブロックを崩壊に至らせる、資本の側にとっての大きな功績を挙げられました。
 私は、同氏の訃報に接し、同氏の志を我が物とする決意であります。日本国憲法を改正して、我が国の全国土を不沈空母とし揺るぎない軍事大国化を完成するとともに、地方の切り捨てとか格差と貧困の拡大という批判を恐れることなく、市場における資本の自由を徹底することによって、アベノミクスを完成させる所存です。

(2019年11月30日)

表現の自由を錆び付かせない努力を。

今振り返って、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」に対する妨害問題は衝撃だった。結果として妨害行為に反撃する世論の健在が示されたとは言え、表現の自由を貫徹するにはある種の覚悟が必要な時代にあることを痛感させられた。右派・右翼に支えられた安倍一強の長期存続は、この明るくはない時代を象徴するできごとなのだ。

今はまだ、権力批判の声を出すことができる。今ならまだ、表現の自由の妨害を跳ねのける力量がある。表現の自由の旗はまだ色褪せていない。表現の自由は、画に描いた餅ではなく、現実の社会の中で確かに機能している。しかし、いつまでもこのままであろうか。表現の自由は、次第に侵蝕されつつあるのではないか。危機感をもたざるを得ない。

表現の自由を錆び付かせてはならない。そのためには、意識的に表現の自由を行使しなければならない。表現の自由の保障を「廃用性機能障害」に陥らせてはならないのだ。政権批判の言論も、天皇制廃止の見解も、資本主義の弊害についての叙述も、遠慮のない表現がなくてはならない。

身近なところでの表現の自由妨害には果敢に発言しなければならない。とりわけ、身近な自治体の表現の自由との関わり方を監視し的確に問題化しなければならない。

私は、自分も多少関わった、この夏の「平和を願う文京戦争展-村瀬守保写真展」の後援申請を却下した文京区教委のありかたの追及が不十分であったことに、忸怩たる思いでいる。

経過は、下記のブログをご覧いただきたい。

文京区教育委員会の見識を問う ― なぜ「日本兵が撮った日中戦争」写真展の後援申請を却下したのか
http://article9.jp/wordpress/?p=13106

「平和を願う文京戦争展」総括会議ご報告
http://article9.jp/wordpress/?p=13261

私が接しうる資料を見る限り、主たる問題は教育委員諸氏の事なかれ主義の姿勢にある。「平和を願う文京戦争展」の展示物の中には、南京事件被害の現場写真もある、トラックに乗せられた従軍慰安婦の生々しい写真もある。これが戦争の現実なのだ。その現実を伝える貴重な写真であればこそ、「平和のための戦争展」の展示たりうる。文京区民に戦争の悲惨を伝え、考えてもらうインパクトをもった、意義のある画像。

ところが、教育委員会としては、そんなものを展示して面倒に巻き込まれるのはまっぴらなのだ。右翼が押しかけてでもきたらたいへんだ。教育委員会が矢面に立つのはまっぴらだ。敬して遠ざくに越したことはない。この逃げ腰の態度、当たらず障らずのこの消極姿勢が結局表現の自由を痩せ細らせることになり、戦争の惨禍と平和の尊さを考える機会を失してしまうことになる。このことが、この時代をさらに暗くすることにもなる。このような教育委員会の態度を指弾することなく傍観してしまうことも同様というべきだろう。

いま、文京区教育委員会のメンバーは以下のとおりである。
文京区教育委員会教育長    加藤 裕一
同教育委員          清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
同              田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
同              坪井 節子(弁護士)
同              小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

教育委員とは、お飾りの名誉職ではない。「教育基本法」の下、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に基づき、「人格高潔で、教育行政ないし教育・学術及び文化に関し識見を有する」という資格要件を備えていることになっている。あるときには身を挺してでも、教育の自由や独立、民主主義を守らなければならない。政府や東京都の行政から毅然と独立した立場を堅持して職務を全うしなければならない。

公開された議事録によると、当初、事務方(文京区教育局・教育推進部長)からは、「後援名義等使用承認要綱の規定に照らし、後援名義の使用を承認したいと考えるものでございます」と承認を可とする提案であったが、出席委員から慎重論の発言がなされて続会となり、逆転の結論となった。

その議論の中には、「この南京虐殺とか慰安婦問題というのは、確かに政治的な対立が背景にある中で、事実があったかなかったかというのはわからなくなってしまっているという問題になっております」という無茶苦茶な発言がある。このような認識を前提に、「教育委員会は中立・公正の立場に立つべき」だから、「南京虐殺とか慰安婦問題があった」とする《一方の立場》の企画を後援することはできないとの結論に至っている。

これは、「人格高潔で、教育行政ないし教育・学術及び文化に関し識見を有する」者のとるべき態度ではない。

もともと、文京区は、非核平和都市宣言都市である。平和首長会議の加盟都市でもある。政府の立場如何にかかわらず、反核・平和・環境保護には積極姿勢を示してきた。どうして現教育委員会がこんなに後退した姿勢を見せたのか、理解に苦しむ。

いま国にはびこっている歴史修正主義の勢力に、文京区教育委員会が屈している、あるいは迎合しているのではないかと危惧せざるを得ない。

行政が、脅迫や暴力に屈するところから、民主主義も平和も崩れる。面倒なことを避けたいから問題に向き合おうとせずに、最も安易な選択をしようとするときの逃げ口上として「政治的中立」や「公正」が使われる。

ことは小さいようで,実は普遍性が高く重要な問題なのだ。どこにでも生じている小問題への看過が積み重なって、後戻りのできない大問題となる。これも、看過してはならない問題だと思う。

(2019年11月29日)

ホテルでのDHC製品不使用のお願い― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第165弾

「KKRホテル博多」支配人殿
貴ホテルに2泊した者です。
この間の行き届いたおもてなしに感謝いたします。フロントの笑顔の対応も清潔な室内も、心地よいものでした。リーズナブルな価格で高いサービスを受けたと満足しています。

しかしながら、たった一つの不満ないし不快があり、善処方をお願いいたしたく、一筆したためる次第です。

バス室におかれているアメニティグッズの中に、「DHCアメニティ」ブランドの製品がありました。シャンプー・コンディショナー、そしてボディシャンプーの3品です。これが、たいへんに不愉快で不満なことなのです。私だけでなく、DHC製品の備え付けと使用に不快を覚える宿泊客はけっして少なくはないと思うのです。

DHCは、沖縄の平和運動を支援する運動、在日差別をなくそうとする運動に携わる方々からは、デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)と呼ばれています。DHCのオーナーである吉田嘉明という人物が、非常識な在日差別を広言することで知られており、DHCの子会社DHCテレビ制作の番組「ニュース女子」が沖縄の平和運動に対する悪質極まるデマを放映したからです。また、DHCはそのオーナーの民族差別言動の故に、韓国社会でのDHC製品不買運動にさらされてもいます。

さらに、DHC・吉田嘉明は、スラップ訴訟常習者としても知られています。自分を批判する言論を嫌い、その言論を封殺するために高額の民事損害賠償請求訴訟を提起するのです。民主主義社会の基礎をなす「表現の自由」の敵対者といわねばなりません。

実は私も、吉田嘉明のスラップ訴訟提起の被害者の一人です。吉田が、政治家・渡辺喜美に政治資金8億円の裏金を提供したことを批判して、2000万円の慰謝料請求のスラップ訴訟を提起されて被告とされました。しかも、この訴訟を不当なスラップ訴訟だと批判したとたんに、2000万円の請求額は,6000万円に跳ね上がりました。

当然のことながら、この訴訟は私の全面勝訴で終わりました。地裁・高裁・最高裁のすべてでの完勝の判決を得たのです。しかし、それだけでは不十分と考え、DHC・吉田嘉明のスラップの提起を違法とする損害賠償請求訴訟を私の方から提起しました。去る10月4日、私の言い分が認められ、DHC側に110万円の支払いを命じる一審判決が出たところです。

この経緯は、私のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に詳しく述べていますので、下記URLで、ご覧いただけたらありがたいと存じます。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

私は、DHCに対する個人的な私憤だけで、DHCを指弾しているのではありません。DHC・吉田嘉明は、明らかに民主主義や人権の敵対者です。民主主義や人権を大切に思う、良識ある消費者はDHC製品を購入しないことで、社会に貢献できることを自覚しています。良識ある事業者も同様です。貴ホテルがDHC製品を扱わないとすることが、準公的な立場にある事業者の良識を示すものと考える次第です。

のみならず、DHC製品の使用は、経営戦略上の不利を招くものと指摘せざるを得ません。DHC・吉田嘉明の「思想」は日本人を本来的に優れた民族とし、近隣諸国の国民や民族を劣ったもの不道義なものとする、根拠のない「優越思想」なのです。このような馬鹿げた、時代錯誤の妄言を吐く会社の製品を、貴ホテルが無自覚に取り扱うことは、心ある日本人客に違和感を与えることにもなりますが、何よりも国外からの宿泊客に不愉快な思いをさせることになります。

むしろ、民族差別やデマで高名なDHCと縁を切ったとすることが、経営戦略して正しいあり方と確信する次第です。そのような、取引先からの圧力によって、DHCや吉田嘉明には、心からの反省をしてもらいたいのです。あるいは、心からの反省は無理としても、せめて差別言動のない会社となり、DHCテレビにも、デマやヘイトの報道を自粛してもらいたいのです。

貴ホテルの発展を願うとともに、併せて人権や民主主義、表現の自由や近隣諸国との協調と平和を望む立場から、DHC製品を貴ホテルでお使いになることのないよう、お願い申しあげます。
(2019年11月28日)

DHCスラップ「反撃」訴訟・控訴審弁護団にご参加のお願い ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第164弾

弁護士の皆様にお願いいたします。ぜひ、DHC訴訟の弁護団にご参加下さい。依頼者は、形式的には私(澤藤)ですが、実質的には「表現の自由」なのです。

私は、サプリメント販売最大手のDHCと、そのオーナーの吉田嘉明から、典型的なスラップ訴訟を提起されて被告となりました。請求金額は当初2000万円、私がこれをスラップと指弾すると、とたんに6000万円に跳ね上がりました。DHC・吉田嘉明自身がスラップの意図を自白しているにほかなりません。

このスラップ訴訟は、一審・二審・上告受理申立審とも私の勝訴で確定しました。しかし、私は被告事件の勝訴だけでは納得できません。DHC・吉田嘉明はスラップを提起して敗訴はしたものの、「DHC・吉田嘉明を批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の効果は社会に残されたままだからです。

私は、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴が,スラップとして違法であると主張し、損害賠償請求訴訟を提起しました。これが「『反撃』訴訟」です。
2019年10月4日,東京地裁民事1部でその一審判決が言い渡され、110万円の認容判決となりました。DHC・吉田嘉明はこれを不服として控訴し、舞台は東京高裁(第5民事部)での控訴審に移ります。当然に付帯控訴して、賠償額の増額をめざして争うことになります。その被控訴人側代理人として弁護団にご参加いただきたいのです。ぜひ、弁護団のメーリングリストに参加してご発言下さい。

なお、DHC・吉田嘉明のスラップは、私の「憲法日記」というブログの記事に対するものです。このブログは毎日書き続けて、既に連続更新2400回を超えていますが、権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫しています。

スラップの対象となったのは、
 (1)吉田嘉明が政治家渡辺喜美に8億円の政治資金(裏金)を提供したのは、
  「政治を金で買おうとしたもの」である
 (2)吉田の裏金提供の動機は利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの
 (3)金権政治防止のためには政治資金の流れは徹底して透明でなければならない
と指摘したものです。さらに、
 (4)スラップ提訴は違法であると指摘したことも、スラップの対象とされています。
というわけで、この訴訟は「表現の自由」・「消費者問題」・「規制緩和」・「政治資金規正」・「裁判を受ける権利」などの論点満載となっています。ぜひ、よろしくお願いします。

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DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過の概略

 発端は、吉田嘉明自身の週刊新潮手記の掲載である。自らの渡辺喜美への8億円裏金提供を暴露する記事となっている。その直後に、私がブロクで吉田嘉明を批判する3件のブログ記事を書いた。この「言論」を封殺する意図で、吉田嘉明と株式会社DHCの両名が原告となって、私を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行の「DHCスラップ訴訟」。同訴訟の請求額は提訴時2000万円だったが、提訴直後に請求が拡張されて6000万円となった。
DHCスラップ訴訟では、東京地裁一審判決が請求を全部棄却し、東京高裁の控訴審が控訴を棄却、さらにDHC・吉田嘉明は最高裁に上告受理を申立てたが不受理となって私の勝訴が確定した。
確定後、私からDHC・吉田嘉明の両名に、スラップ提起を違法として訴訟外で600万円の損害賠償請求をしたところ、この両名から債務不存在確認請求訴訟が提起され、再び私は被告の座に着くこととなった。
「反撃」訴訟はその反訴としてなされたもので、「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に損害賠償請求を求めたのもの。判決は、手堅くきっぱりとスラップの違法性を認定した。
なお、私の吉田嘉明批判は、吉田自身の週刊誌の手記の内容を対象とするもので、同様の批判の言論は数多くあった。吉田は、そのうちの10件を選んで、同時期にスラップの提訴をしている。時系列での経過は下記のとおり。

2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円の請求に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。スラップの違法を認める。
2019年10月15日 反訴被告ら控訴。

(2019年11月27日)

「戦争で死ぬ覚悟をするのなら、なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったのか」ー特攻隊員だった岩井兄弟(99歳・97歳)の証言

戦争体験の承継は、時代の重要な課題である。終戦直後には、国民すべてが戦争体験者だった。その後しばらく、戦争体験の交流はあっても、世代間の伝承が課題として意識されることは世の大勢ではなかった。しかし、まったく戦争を知らない新しい世代が成人する時代となってからは、国民的な戦争体験の承継が大きな課題として浮かびあがってきた。さらに、戦後生まれの首相が9条改憲を鼓吹する時代ともなると、不再戦の誓いを出発点としたわが国再生の基本が揺らぐ事態を迎えている。国民誰しもが経験した戦争の悲劇の伝承は平和な未来のために不可欠の課題となっている。

戦争体験の承継手段は活字も映像もあるが、なによりも生身の体験者の語りが基本であり、訴える力がある。私も、父や母、叔父叔母などからもっと意識的に戦地の体験や銃後の生活の詳細を聞いておけば良かったと思う。録音し、あるいは書き残しておいてもらえばよかったのにと、深く悔やんでいる。

当人にしてみれば、辛くもあり,疚しくもある過去のできごと。日常生活の中では思い出したくもない体験。それをことさらに思い出して表現することには、格別の動機付けが必要であろう。そのような動機付けを得ることのないまま、没する人とともに貴重な体験が葬られてきた。

いまや、戦争体験を語ることのできる人は少ない。その話は貴重だ。できるだけ、聞いておきたい。しかも、特攻の訓練を経ての生き残りの兵士がその体験を語るとなればぜひ聞いてみたい。その稀少な機会が11月9日にあった。

「不戦兵士・市民の会」が主催する、「2019年不戦大学」としての企画。「元特攻兵(回天・伏龍・震洋)岩井兄弟(99歳・97歳)からの最後の証言」という表題。

99歳と97歳の兄弟が元兵士として揃っての講演。ともに、特攻の生き残りだという。兄・忠正は人間魚雷「回天」と人間機雷「伏龍」の隊員となり、弟・忠熊さんは爆薬を積んだモーターボートで敵船に体当たりする「震洋」の艇隊長になったという。特攻兵器として開発された人間魚雷「回天」はよく知られている。靖国神社に実物展示もある。これに比較して特攻用モーターボート「震洋」の知名度は低い。そして、人間機雷「伏龍」を知る人は少ないのではないか。

若い兵士たちが、どうして絶望の特攻を志願して散ったのか。どうして靖国に展示されているような遺書を書いたのか。その気持を思うとき、胸が痛む。生き残った人の代弁に耳を傾けたい。

そんな気持で、当日満員だった講演に参加した。私の印象に残ったのは、戦争で死ぬ覚悟をするのなら、なぜ死ぬ覚悟で戦争に反対しなかったのか」という自省の言葉。

が、ブログにどうまとめようかと書きあぐねているうちに、毎日新聞(11月21日夕刊)に先を越された。社会面を埋めつくすほどの分量で、とてもよい記事になっている。表題が、「『喜んで死ぬ』本心でない 特攻隊員だった兄弟、最後の伝言。その一部の大意を引用させていただく。
引用元は下記URL。

https://mainichi.jp/articles/20191122/k00/00m/040/143000c

辛くも2人は生き残ったが、多くの若者が特攻隊員として命を散らし、遺書が残されている。「遺書には勇ましい言葉が書いてある。『私は喜んで死ぬ』と書いてあるのを読んで感激する人もいるはずです。だけど、私は、待ってくださいと言いたい」。

忠正さんは、命を落とした隊員の無念を代弁するように語気を強めて会場に訴えた。「本当は死にたくない。でも(死ぬのが)嫌なのに殺されたと聞いたら家族も悲しむから、喜んで死んだと思ってもらおうと。もう一つは自分を励まさなきゃやれない。決して犬死にじゃないと自分を奮い立たせて慰める気持ちの表れなんです。そういうことを理解してやらないといけない。つらいんですよ、本人は……」

最後に、若者に何を伝えたいかと司会者に聞かれた2人の口から出てきたのは後悔の言葉だった。忠正さんは「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」。

忠熊さん(立命館大学名誉教授・元副学長)も「歴史は人間が作るもの。あの戦争は先人たちが道を誤った結果だ。青年、学生の行動により未来は変えることができる。そのためには、歴史を学ばねばならない。歴史を学ぶとは、過去にあったものが将来どうなって行くのか、どうすべきなのか、その筋道を学ぶことだ
(2019年11月26日)

 「これが民主主義の力だ。民主主義の津波だ」 ー おめでとう香港! おめでとう民主主義!

世界が見つめた11月24日の香港区議会議員選挙。「民主派」の圧勝となった。香港市民に、祝意と敬意を表したい。もちろん、この先の険しさは予想されるところだが、取りあえずの勝利に乾杯である。

香港区議選は4年に1度行われ、18の区議会の合わせて452議席を選ぶものだという。他の選挙と違い「市民による直接選挙」であることが強調されている。この選挙結果を香港の民意と見てよい。

この選挙が、「民主派」「親中派」との争いと報じられて、誰もいぶかしく思わない。つまり、一方に「民主主義の香港を目指すグループ」があり、他方に「中国と宥和する香港」を望む政治グループがあって角逐している。「民主」と「親中」が相容れないことは常識となっている。そのことは、この半年間のつぶさな報道で、世界に明らかともなった。実のところ、真の対決は「香港市民」「中国政権」の間にあるのだ。

最終報告で民主派385議席となった。議席占有率でほぼ85%という圧勝。これまで7割の議席を占めていた親中派はこれ以上はない惨敗に追い込まれた。小さな香港が、大きな中国に勝った。香港市民は自信と余裕を得るであろう。香港の雰囲気は変わるに違いない。中国は、この圧倒的な民意を尊重する賢明さを見せなければならない。香港市民への恫喝と弾圧を継続することは、国家と党と政権の権威を自ら貶めることになる。

注目すべきは投票率が71・2%に達していること。過去最高だった前回選挙の最終的な投票率を約24ポイント上回ったという。香港市民の、政治意識変革の反映と見るべきだろう。

わが国の2009年総選挙を思い出す。民主党政権を誕生させた総選挙は、最近では記録的な高投票率(69.28%)となった。それまで自民党政治に絶望しながらも、無力感から投票しなかった1000万人が動いたのだ。政治変革を求めたこの1000万人が、政権を変えた。「第1党・民主党308議席」対「第2党・自民党119議席」という民主党の圧勝だった。

しかし、次の2012年総選挙では、この1000万人が姿を消した。投票率は59.32%に戻って、民主党政権誕生の主役となった10%の有権者が退場することで、再びの自公政権となり、その後の投票率はさらに下落しながら安倍政権を継続させている。安倍一強体制を支えているのは、もの言わぬこの1000万人の選挙権不行使なのである。

それにしても、日本では10%の投票率アップが政権を交代させた。香港の24%アップは、さらに劇的な変化をもたらした。ニワトリとタマゴの関係でもあろうが、投票率アップは政権交代に欠かせない。

香港に学び高投票率を再現して、日本も香港に続きたいものである。
(2019年11月25日)

教皇のスピーチに共感 ― 「軍拡は途方もないテロ行為」「核の傘の下で平和を語る偽善」

来日中のローマ教皇が話題となっている。その話題性は、伝統や権威の誇示によるものではない。容貌でも服装でも車でもない。平和を希求する真摯なメッセージの内容にある。虚仮威しの臭み芬々だった天皇交替儀式を見せつけられたあとだけに、普遍性をもつ教皇の言葉が実に新鮮に聞こえる。カソリックの信仰をもたない者の胸にも平和を実現しようという言葉の真摯さが響く。

「祈りの長崎」が、教皇の第一声の地にふさわしい。本日(11月24日)爆心地公園でのスピーチの最初の言葉が、「この場所(長崎)は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。」というものだった。

「人間が過ちを犯しうる存在であることを意識させる」象徴的な場所。それが、長崎であり、広島であり、あるいはアウシュビッツであろうか。実は世界中に数限りなくある、人が人を大量に殺すという「過ち」。大量殺人の準備のために危険な武器を備蓄する過ち。相互に不信と憎悪を拡大して軍備拡大を競う、愚かな過ち。

その中でも、核の使用こそが、人類の最も危険な「過ち」であることに異論はなかろう。核を保持し備蓄して威嚇することも同罪である。教皇の長崎メッセージは、「核抑止理論による恐れ、不信、敵意を止めよう」という表題だった。

注目すべきことは、単に祈るだけではない。その言葉の具体性と驚くほどの厳しさだ。「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠なこと」というのみならず、軍拡競争における武器の製造や備蓄を「途方もないテロ行為だ」と厳しく指弾した。

彼は、核兵器を含む軍拡をこう言って非難する。

「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。」

そして、明確に核兵器を指してこう言う。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。…「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」

相互不信を前提とした明確な軍備の均衡による平和の否定、核抑止論の否定である。
「真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない」というシンプルな原則の宣言に、説得力がある。その上で、こう訴えている。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。

二つ目の「過ちの地」である広島ではさらに具体的なスピーチに及んでいる。
「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」と。

戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。

私は、信仰には無縁の人間だが、教皇のこの平和へのメッセージには賛意と共感を惜しまない。そして思う。抑止論を反駁する教皇のこのスピーチは、9条の精神ではないか。案外、こちらが世のトレンドであり、スタンダードなのではないか、と。
(2019年11月24日)

─ 司法の危機の時代から50年─ そして今は。

本日、第50回司法制度研究集会。総合タイトルが、「今、あらめて、司法と裁判官の独立を考える─ 司法の危機の時代から50年─」というもの。よく準備されて充実したシンポジウムであり、盛会でもあった。

もちろん回顧のための集会ではない。あの「司法の危機」あるいは「司法の嵐」と言われた50年前を振り返り、その体験を承継し教訓を確認して司法の今を見つめる。その中から将来を展望しようという企画。

司法の将来に希望や展望を求めての集いなのだが、改めて司法の現状に深刻な危機感を禁じえない。司法の生命は、独立にある。独立の主体は本来個々の裁判官である。司法部が、立法や行政や与党や政治勢力から独立しているだけでは足りない。個々の裁判官が、司法部の司法行政の圧力から独立していなければならないのだ。

その裁判官の独立が危殆に瀕していることを天下にさらけ出したのが、1969年の平賀書簡問題だった。50年前の「司法の危機」の序曲である。

当時、札幌地裁(民事1部)に「長沼ナイキ基地訴訟」が係属していた。ナイキ・ハーキュリー地対空ミサイルを配備するための自衛隊基地建設が目論まれ、その敷地となる馬追山の森林伐採のために、農林大臣による水源涵養保安林指定解除の行政処分がなされた。近隣住民がこれに反対して処分取消の行政訴訟の提起となった。その提訴が同年7月7日のこと。

ことは、自衛隊の存在が憲法9条に照らして合憲かという大問題。この訴訟と、提訴に伴う執行停止申立(民事訴訟の仮処分に相当)事件を担当したのが福島重雄裁判長だった。福島コートは、同年8月22日に執行停止事件についての申立認容決定を出して大きな話題となった。

ところが、後に明らかとなったところでは、地裁所長の平賀健太がこの事件に執拗に干渉し、8月14日にいわゆる「平賀書簡」を福島裁判官の自宅に送っていた。“一先輩のアドバイス”と題する詳細なメモの内容は、訴訟判断の問題点について原告住民側の申立を却下するよう誘導し示唆したもので、明らかな裁判干渉だった。そのため、札幌地裁の裁判官たちは、裁判所法の手続に則った裁判官会議を開いて、平賀所長を厳重注意処分とした。

ところが、この後事態は思わぬ方向に展開する。事件発覚の直後、鹿児島地裁の所長だった飯守重任(田中耕太郎の実弟)が所信を発表して、一石を投じた。何しろ、この人は筋金入りの反共右翼。「青法協は革命団体で、最高裁は青法協会員に対しては昇給のストップ、判事補は判事に昇格させないようにすべきだ」という確信犯。後には、所内の裁判官の思想調査までして地家裁所長職を解職され判事に格下げされ、結局は裁判官を辞めたという人。

この人が、「問題は、平賀にではなく革命団体青法協に所属している福島にこそある」と口火を切った。これ以後、右翼や自民党の青法協攻撃が続くことになる。これに呼応したのが「ミスター最高裁長官」石田和外(在任1969年1月11日~1973年5月19日)だった。裁判官は政治的団体への加入は慎むべきとの立場から、青年法律家協会に属する裁判官に脱退を勧告し、あまつさえ内容証明郵便による脱退通知を強要した。この青法協攻撃を、当時のメデイアは「ブルーパージ」と呼んだ。

50年前の1969年は、私が司法修習生として研修所に入所した年。その2年後に、同期7人の裁判官採用拒否事件、阪口徳雄君罷免問題などが起き、「司法の嵐」のまっただ中に弁護士として出発することになる。

50年前、「司法の独立を擁護せよ」「裁判官の独立を守れ」という大きな国民運動が巻きおこった。政党としては、社・共だけでなく、当時はまともだった公明党も加わっていた。メディアも連日司法の独立を守れというキャンペーン記事を載せた。多くの市民団体や個人が、司法行政・裁判官人事による裁判内容の後退に関心を寄せた。その運動は、けっして無意味なものではなく、多くの気骨ある法曹を励まし育てたと思う。しかし、半世紀を経た今の裁判所の内部について、元裁判官から報告を受けた内容は、薄ら寒い。

気骨ある裁判官は、徹底して差別され孤立させられて、それに続く者が見えなくなっている。裁判所の中で、司法行政当局に抵抗しうる裁判官集団がなくなり、裁判官が司法行政にものを言わなくなった。先輩裁判官のやり方をそのまま踏襲すべきが当然との空気が支配している。裁判官会議は常置委員会に権限を委譲し、その委員会が所長に権限を委譲し、結局は人事権を握る最高裁事務総局以下の全裁判官を統制する「司法の官僚制」が完成の域に近づいている。

この官僚司法が、予算と最高裁人事を握る政権に従属している。こうして、司法の独立も裁判官の独立も、いまやなきに等しく、それが「劣化した判例」となっている。ことは、結局国民の人権と民主主義の危うきにつながっている。

常々思うのだ。司法の独立とは、幻想にしか過ぎないのではないだろうか。所詮は権力機構の一部として、時の政権に従わざるを得ない運命にあるものではないのか。

韓国の裁判所を見学して最も深く印象を受けたのは、国政の民主化があって初めて、司法の独立や司法の民主化が進んだということである。非民主的な立法府や行衛政府をそのままに、司法部だけが民主化して立法や行政を真に批判する裁判が可能なのだろうか。日本が民主化するまで、司法の民主化も独立も無理なのではないか。

50年前の「司法の危機」とは、実は、何のことはない、それまで比較的まともだった司法が、保守政権による巻き返しによって、立法府や行政府と同じレベルに引き下げられたということなのではなかったか。

メインテーマではなかったが、先進的な台湾、韓国、イタリア、イギリス,ドイツなどの各国の司法独立の現状の報告もあった。日本の司法は、後塵を拝しているというにとどまらず、「ガラパゴス化」しているのだという報告もあった。

立派な日本国憲法にふさわしからぬガラパゴス化した司法。それでも、司法の建前は、立法権・行政権から独立した、憲法の砦であり人権の擁護者である。その建前の部分を守り拡げる努力を重ねるしかない。制度的な提案についても、日々の司法の運営に関しても。

集会の参加者は、あるべき司法の理想と現実との乖離の実態を、多くの国民に訴える努力をする決意をしたはずである。希望はそこから開けてくるだろう。すべてが活字になるわけではないが、集会の模様は、「法と民主主義」12月号に特集される。
(2019年11月23日)

「また出た アキエ」「アキエ 私人か公人か」「御苑の空は」

「また出た アキエ」

出た出た アキエ
懲りない懲りない まだ懲りぬ
相も変わらぬ アキエ

隠れた 雲に
黒い黒い 真っ黒い
墨のような 疑惑

また出た アキエ
私人公人 また私人
なんだか分からぬ アキエ

 

「アキエ 私人か公人か」

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの一強の驕りを。

世のいかりとそしり
風は激しく厳しかりしが
驕れる者にはどこ吹く風の涼しさ

秋風よ
いとせめて 証せよ
かのひとときの倨傲もゆめに消ゆと。

アキエ、アキエ
アキエ 私人か公人か
はたまた鵺(ヌエ)か四不象(シフゾウ)か
変幻自在に出ては消え
責めは知らじと隠れたる

かくもの公私混同を
見ても見ぬふりつづけるは
いづこの里のならひぞや。
いでや今こそ
厳しく問はまほしと思ひけり。

 

「御苑の空は」

さくら さくら
御苑の空は
見わたす限り
おごりとたかり
あやしの群れぞ
いざや いざや
のみゆかん

アキエ アキエ
野山も里も
見わたす限り
取りまき連の
チヤホヤばかり
アキエ アキエ
散るさだめ

 

「雑詠」

驕りも盛りも限りあり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ

所詮この世は一期の夢よ
幸い桜も狂い咲き
飲んで唄って
嬌声あげて
ちりもあくたも
みんな散れ

桜が散るのは惜しむべし
散るなと思えど散る定め

アキエの散るは法楽よ
驕りも盛りも過ぎにけり
寸刻待たず
散れ散れ アキエ

(2019年11月22日)

海外軍事産業と安倍政権の目には、「日本はすでに憲法改正」なのだ。

「幕張メッセで大規模武器見本市」のニュースは、聞き流していた。苦々しいことではあるが、今さら騒ぐほどのことでもあるまい。そう高を括っていた。

しかし、本日(11月21日)の赤旗の報道に驚いた。見出しが、「『日本はすでに憲法変更』!? 武器見本市の公式ガイドに」というのだ。これは騒がねばならないことだった。紛れもなく、平和を願う多くの日本人の心を傷つける」イベントなのである。社会面の左肩に4段抜きの記事だが、それでも扱いが小さ過ぎはしまいか。

このイベントの名称は、DSEI Japan 2019」という。英国のイベント企画専門企業が主催し、西正典・元防衛事務次官が実行委員長を務め、防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援している。「安倍政権の全面支援」で行われていると言ってよい。

読みにくいが、赤旗記事に「公式ガイドブック」の一部の写真が出ている。主催者(Clarion Events)の挨拶と思しき内容。日本語で、こう書いてある。

近年の日本国憲法の一部改正に伴い、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になったこともあり、日本で総合防衛展示会を展開する最適なタイミングだと捉えています。DSEIの知名度を東半球に浸透させることができれば、DSEI Londonよりも、アジア市場からの参加者が遙かに増えることで期待できるとともに、アジア市場への参入の足がかりになります。

イギリスに本拠を置く主催者Clarion Eventsは、自社の説明で、「英国で最も歴史のあるイベント主催企業と知られており、世界各国で高く評価されている主要な防衛・セキュリティ展示会の開催を手掛ける世界最大手です。DSEI(ロンドン)をはじめ、LAAD(ブラジル)、BIDEC(バーレーン)、EDEX(エジプト・カイロ)などの開催の実績を持ちます。」という。「DSEI Japan」は、日本で初めて開催される総合防衛・セキュリティ展示会です。また、DSEIブランドを英国外に初めて展開する展示会となります。」とも説明されている。

本日の赤旗記事を抜粋する。

「18日から20日まで、国内(千葉県・幕張メッセ)で初めて開かれた国際的な武器見本市「DSEI JAPAN2019」の主催者が、日本はすでに憲法を『変更』していると公言し、そうした認識が公式ガイドブックに記されていることが分かりました。

見本市の運営を取り仕切るイベントディレクターのアレックス・ソーア氏はガイドブックに掲載されたインタビューで『最近の日本国憲法の変更(Changes)は、軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の国内産業(軍需企業)が地球規模で進出することを可能にした』と明言。そうしたことから、日本での開催は『最適なタイミング』であり、『アジア市場への参入の足がかりになる』としています。同インタビューの翻訳文では、憲法の「Changes」を「一部改正」と訳しています。

安倍政権が進める立憲主義破壊の『戦争する国づくり』が、『死の商人』に貴重なビジネスチャンスを与えていることを如実に示しています」「政府として、日本がすでに『憲法を変えた』との認識を認めた責任は免れません。」

英国の死の商人たちの目には、近年日本の平和憲法が「一部改正」(Changes)したと映っている。それゆえ、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開が可能になった」というのだ。だから、今こそビジネスチャンスだと、煽っているのだ。

煽られた企業として、名前が出て来るのは、「IHI、川崎重工業、スバル、日本電気、富士通、三菱重工業、三菱電機を含む日本と欧州の防衛産業を代表する企業をはじめ、中小企業等、60社を超える企業」(第1回 DSEI Japan説明会出席者)なのだ。

さらに重要ななことは、この「憲法改正(Changes)」の言葉が発せられたイベントを、「防衛装備庁が出展。防衛省、外務省、経済産業省が後援しており、事実上『安倍政権の全面支援』で行われている」という事実である。こんなコンセプトのイベントを後援(事実上は主催)した安倍政権の責任は重大である。

安倍改憲とは、「軍備拡大、自衛隊の海外派遣、日本の防衛産業のより積極的な海外展開」を意味することがよく分かる。すべては、防衛予算の拡大を伴うこと。国内外の死の商人たちの牙の前に、弱り目の日本が好餌として差し出されようとしている。安倍改憲阻止とは、「軍備拡大の阻止、自衛隊海外派遣の阻止、防衛産業のより積極的な海外展開の阻止」を意味するのだ。
改憲阻止の重要性が具体的に肌に滲みる出来事ではないか。
(2019年11月21日)

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