澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

野党共闘の成立を恐れる産経の筆法に倣って

(2020年8月21日)
本日(8月21日)の産経社説が、「【主張】国民民主の解散 政策や理念は置き去りか」という表題。「政党とはかくも軽い存在だったのか。」「『選挙とカネ』目当てで離合集散を繰り返す野党の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。」というのが書き出しで、ポイントは次の一節。

 「共産党との協力を拒否してきたのはどこの政党か。それが、共産党との協力も厭わない立民に合流する。有権者からは、合流後の立民が左派色を強めて先祖返りするとみられるのではないか。」

https://www.sankei.com/column/news/200821/clm2008210003-n1.html

要するに、「『反共』というこの上ない重要な理念を置き去りにしてはならない」という余計なお世話である。産経が代表する右派勢力の、野党勢力結集への嫌悪感や恐れが滲み出ていて、大いに参考になる。その筆法を借りて、現政権を批判してみたい。

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【主張】臨時国会召集要求の無視 かくも露骨に憲法を無視するのか

総理とは政権とは、そして与党とは、かくも身勝手な存在だったのか。

コロナ禍のさなかダンマリを決めこむ安倍首相とこれを支える内閣。そしてこんな政権に一言の批判も発しようとしない自・公の与党。陣営にとっての利益と不利益の計算しか眼中にない、この政権の動きは目に余る。一体誰のために議員バッジを着けて、録を食んでいるのか。

7月31日、立憲民主、国民民主、共産、社民の4野党は、憲法53条の規定に基づく臨時国会召集の要求書を提出した。憲法53条後段が「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、(臨時国会の)召集を決定しなければならない」と定めている以上、内閣が臨時国会召集の義務を負うことが明らかである。にもかかわらず臨時国会召集に向けて、いっこうに動こうとしない政府与党。

自・公の与党も内閣も安倍首相も、憲法を大切にしようという考えを持ち合わせてはいないのだろうか。野党からの臨時国会召集の要求から開会まで、事務手続上の一定の時間を要することは、頭から否定しない。

だが、常識的な必要時間を超えての怠慢はとうてい評価しえない。これは、主権者たる国民に対する背信行為にほかならない。主権者国民は憲法を確定して、全ての公務員にその遵守を命じている。与党の国会議員も、内閣も、内閣総理大臣も、憲法遵守義務を負う。

内閣は、憲法53条に明示された憲法上の義務である「国会の臨時会の召集」を決定しなければならない。多くの人々からこのことを指摘されながら、ネグレクトし続けているのだ。その内閣を率いる首相の責任は重大である。この内閣の母体となっている与党の責任も免れない。主権者国民からは、総理大臣も内閣も与党議員も、そののすべてが憲法を遵守する姿勢をまったく欠いているとみられて当然ではないか。

国民からの信頼を回復し、健全な立憲主義政治を取り戻すためには、まずは、臨時国会召集を決定して、憲法をないがしろにする姿勢を清算することが先決だろう。

安倍首相のダンマリは異様である。このところの安倍政権の内政・外交政策の破綻ぶりは、目を覆わんばかりである。この臨時国会召集懈怠は、失政隠しとみられないか。

見過ごせないのは、ささやかれる解散総選挙の行方だ。自民党の敗北確実と予想されているが、野党の要求に応じて臨時国会を開けば、安倍政権の失政が追及されて次々とボロが出て来ることとなり、総選挙の大敗をきたすことを恐れているのであろうか。だとすれば、憲法遵守の大原則よりも、「選挙とカネ」を目当てで、国会を開かないとしているのだ。この利己的な姿勢は目に余る。一体誰のために議員バッジを着けているのか。

今回の首相のダンマリと政権の無為無策無能と臨時国会召集拒否が連動していることを、主権者国民はすでに見透かしている。内閣は、責任を取って、総辞職してはどうか。

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