澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

醜悪なり、安倍国葬という名のカルト集会。

(2022年9月28日)

岸田はアベ国葬に何を求めたのか

 昨日、アベ国葬が終わった。岸田政権は、どうしてこんなことを思いつき、なにを獲得しようとしたのだろうか。そして、その目的は達成されたのか。あるいは、目算外れだったか。

 常識的に「国葬」といえば、国民の圧倒的な多数が敬愛する人物を対象とするものであろう。国民的な敬意と弔意を確認することによって、全国民の一体感を高揚させるに足りる人物。多くの場合には、国葬を通じて偉大な被葬者の意思に沿った国家の運営の正当性を確認し、国民を鼓舞することを目指すことにもなる。

 はたして岸田が国民の一体感の獲得を目標にアベ国葬を思い立ったか。おそらく、それはあるまい。安倍晋三は、政治的なレガシーをもたざる政治家である。むしろ、負のレガシーがあげつらわれる長期政権担当者。遠慮した物言いでも、毀誉褒貶定まらない人物。そして、人格的な問題を指摘されこそすれ、けっして尊敬される人格者ではなかった。ましてや、政治家稼業三代目のボンボン。庶民の苦労とは無縁でもある。ゴマすりメディアの操作には定評があったが、とうてい国民の圧倒的な多数が敬愛する人物ではない。葬儀を通じて、国民の一体感を確認し高揚することなど、夢想もしえない。その意味では、まつりあげようにもタマが悪過ぎる。

 しかし、岸田は考えたに違いない。全国民の一体感や団結ではなく、保守陣営の一体感や結束には資するのではないか。その演出は、アベの支持層であった自民党右派や右翼への「貸し」を作ることができる。うまく行けば、保守化しているとされる若年層にもアピールできるのではないか。

 岸田は「聞く耳」をもっていることをキャッチフレーズとした。安倍政権があまりに頑なに岩盤支持層である右派右翼の声しか聞かなかったことに対する、アンチテーゼである。その岸田が、今回は、国葬反対の声が高まっても、その声に耳を傾けようとはしなかった。岸田にしてみれば、反対の声の高まりは「貸し」を大きくすることと認識した。安倍派とその取り巻き、右翼の面々には、「大きな国民の声を押し切って国葬実施に漕ぎつけた」というアピールの材料として、好都合だったのだろう。

 こうして、アベ国葬は、国民全体の一体感獲得や国民的結束ではなく、党内右派、あるいは国民の安倍支持層を岸田政権の支持につなげるための目論見として位置づけられた。その目的に照らせば、国葬強行はけっして失敗ばかりでない。

「ただ涙」「ありがとう」という参列者

 国葬の報道は二通りある。進行の手際が悪く、何時間も会場に閉じ込められた参列者の不満が爆発したとか、トイレの待ち時間がたいへんだった、紋切り型で一方的な挨拶ばかり、などという醒めた報道が一つ。そしてもう一つが、歯の浮くような感動を報じるもの。おそらくは、両面があったのだろう。

 本日のあるスポーツ紙の見出しがこうなっている。《安倍晋三元首相の国葬に参列した人々「ただ涙」「ありがとう」思い出を語り、感謝を口にする人も》。見出しはこのスホーツ紙が付けたものであろうが、共同配信の記事である。

 「安倍晋三元首相の国葬に参列した人々は、会場で黙とう、献花し追悼の思いを新たにした。「ただ涙が止まらなかった」「『ありがとう』と心の中で伝えた」。生前の安倍氏との思い出を語り、感謝を口にする人も。

 国際政治学者の三浦瑠麗氏は「安倍政権に関わった多様な人々が来ており、厳粛な空気だった。菅義偉前首相のスピーチは、戦友でないと分からないエピソードや情愛をとつとつと語り、感動的だった」とした。

 自民党の田野瀬太道衆院議員は「ただただ涙が止まらなかった。事件当日、病院に駆け付けた時のつらい記憶がよみがえった」と声を詰まらせた。」

 統一教会は信者を獲得しその信者の信仰を固めるために、ビデオメッセージを見せ、外界から閉ざされた集会を催して「感動的な」スピーチを聞かせる。昨日の武道館は、さながらカルト集会だった。安倍晋三が政治を私物化した張本人であること、失政を重ねて日本を衰退させ、国民に貧困と格差を持ち込んだことなども伏せられた。あたかも安倍晋三が、民主主義の推進者であるかのごとく語られて、「ただ涙」「感謝」だったのだ。これは、武道館に集まった、愚かな4200人のカルト集会と評するほかはない。

 注文の多い旅料理店では、愚かな二人の紳士がだまされ、あわやというところで、犬の吠え声に救われる。4200人のマインドコントロールは、「なんとまあ、あのウソつき晋三に国葬かよ」という一言で解ける体のものといえよう。

岸田首相の駄言への感想

 「従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三・元内閣総理大臣の国葬儀が執り行われるに当たり、ここに、政府を代表し、謹んで追悼のことばを捧げます。」

 (「従一位」「大勲位菊花章頸飾」ってなんだか分からないけど、民主主義社会では恥ずかしくも揶揄の対象にしかならない肩書じゃないの。ホントに真面目に言ってるんだろうか)

 「あなたはわが国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史は、その長さよりも、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう。」

(これは、相手を間違えている。正しくは、「歴史は、あなたの反憲法的で反立憲主義・反民主主義的な強権姿勢と、政治の私物化、政治の腐敗、「忖度」という流行語に象徴される官僚への締めつけ、公文書の隠匿・偽造、そして、嘘とゴマカシで日本を貶めた『最悪・最低の首相』として、あなたを記憶することでしょう」)

 「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。」

(おいおい正気かね。アベ政治を清算し脱皮することで、岸田政権はなんとかもっていたという認識はないのか。こんな風に、アベ政治ベッタリを宣言して、本当に大丈夫なのかね)

菅義偉の歯の浮く弔辞

 菅の歯の浮く弔辞は、気恥ずかしくて聞くに耐えない。あの密室のカルト集会であればこそ、あんなことが言えるのだろう。風通しのよい明るい場所で読み直してみての菅本人の感想が聞きたいものである。

 安倍晋三と一体となった菅であればこその挑発的な政治発言もあったが、最後の締めくくりには驚いた。そのアナクロニズムにである。そして、外交的なセンスの欠如にも。

 「何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国、日本にとっての、真のリーダーでした。
 あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという、最後のページは、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
 しるしをつけた箇所にあったのは、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。」

 菅は、安倍を伊藤博文に、自分を山県有朋に喩えたのだ。なんという無神経。なんという不適切。ここで、会場の参列者から大きな拍手が湧いたという。これが、カルト集会の効果なのだ。

 伊藤は韓国統監府の初代統監として、文官でありながら韓国に進駐する日本軍の指揮権を握る地位にあった。1905年12月から09年6月までのこと。朝鮮独立を蹂躙する象徴的人物と目されて、2010年3月に志士安重根に銃撃され落命している。伊藤を持ち上げることは、韓国・北朝鮮の国民への配慮を欠いた無神経と言わざるを得ない。両国からの国葬参列者は、いかなる思いであったろうか。

 山県有朋も、軍閥・藩閥の長老として、天皇制明治政府に君臨した人物。今の世に懐かしむべき人物像ではない。和歌を引用するのなら、日本の文化には、よりふさわしい挽歌はいくつもある。よりによって、山県有朋とは虫酸が走る。

 とは言うものの、なるほどこれが、安倍・菅らの心情なのだと思わせる、貴重なエピソードではある。

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