アベ政治を許さない。アベ国葬も許さない。今後とも。
(2022年9月27日)
早朝から、むやみにヘリコプターがうるさい。とうとう今日が安倍国葬の日となった。
昨日、情報通の知人から、「進行台本」《故安倍晋三 国葬儀》なるものをメールで送っていただいた。表紙を含む57ページの大部のもの。一読して、恐るべきアナクロニズム。なんともばかばかしくも不愉快きわまる安倍国葬の進行。これが、安倍晋三流なのか、あるいは自民党風なのか。
不愉快の第一は、自衛隊の大きな顔だ。弔砲撃ったり、儀仗兵やら軍楽隊やら、やたらと出番が多い。軍楽隊は、「国の鎮め」やら「悠遠なる皇御国」などという曲目を流す。軍国主義者安倍晋三には似合いかも知れないが、これが国葬なのか。こんなことをさせてよいものだろうか。
不愉快の第二は、皇族連中の大きな顔だ。出たりはいったりの度に、臣下は起立を促される。復古主義者安倍晋三には似合いかも知れないが、これが日本国の国葬なのか。主権在民はどこへ行ったのだ。
不愉快の第三は、安倍晋三の政治姿勢の露骨なねじ曲げと持ち上げである。こんなアナウンスが流れる。
「故人が、『常に闘う政治家でありたい』との揺るぎない信念のもと、国家・国民のためであれば、いかなる批判をも恐れず、ただひたすらに行動してきた、その政治家としての軌跡を、ご遺影へと真っ直ぐに伸びていく生花の道で表現しています」
耳を疑う。「安倍晋三が、激しく国民と闘ってきた」なら、よく分かる。民主主義と闘い、平和主義と闘い、人権尊重原理と闘って、憲法改正を目指していたのが、安倍晋三ではなかったか。まさしく、安倍政治を美化し、安倍の腐敗、安倍の失政に蓋をするための国葬となった。
「安倍政治を許さない」という市民のスローガンは、本日は「安倍国葬を許さない」と書き直された。安倍晋三、死してなお、安倍国葬で民主主義に敵対しているのだ。
本日、私と妻は、昼休みの礫川公園での街頭宣伝活動に参加した。参加者40人、今日は気合いがはいっていた。以下は、妻・政子の気迫十分だったスピーチ。なお、そのあと、2時からの国会前大集会にも参加した。この日この国は、国会前と武道館内との、二つの異なる原理の各集団に引き裂かれた。
**************************************************************************
間もなく、午後2時から、安倍元首相の国葬が行われます。私たちは、その国葬に反対するためにここに集まっています。
ここに集まった私たちだけではありません。国葬に反対する国民は、大きく過半数を超え、6割にも7割にも達して、国中に「安倍国葬反対」の声がこだましています。どうして、こんなにも多くの人々が、こんなにも大きく声を上げて反対しているのでしょうか。
あらためて、安倍政治の8年8ヶ月を思い起こし、安倍自民党政治を繰り返してはならない。安倍政治によって壊された日本の民主主義や平和主義を修復しなければならない。そのためには、安倍国葬を許してはならない。そういう思いで、私たちはここに集まり、私はここに立っています。
私たち文京の区民や文京に職場をもつ者は、安倍長期政権が続いた8年あまり、この場所や、近くの本郷三丁目交差点などで、安倍政治の間違いやその危険性について、批判の声を上げ続けてきました。
たとえば、皆さんご記憶のモリ・カケ・サクラです。それだけではなく、黒川検事問題も、河井案里問題も、アキタフーズの増収賄も、カジノ汚職もありました。安倍政権とは、政治を私物化した腐敗政権でした。しかも、安倍晋三という人は、国会で数え切れないほどの嘘をつきました。高潔な公務員赤木俊夫さんは、安倍晋三首相の嘘に辻褄を合わせるための文書の改竄を命じられ、苦しんだ末に自殺にまで追い込まれたのです。安倍首相の嘘の犠牲になったと言って間違いありません。
これから、国葬が行われようとしてる安倍晋三元首相とは、国会で平気で嘘をつき、自分の手は汚すことなくヒラメ官僚に忖度させ、公文書の隠匿・改ざんをさせた人物なのです。
安倍政治は、この上なく無能な政治でもありました。コロナ対策の不備のため今まで亡くなった4万4000人余の方々にお詫びをしても取り返しがつきません。役立たずの「安倍マスク」が無能政治の象徴です。その作成にだけでなく、保管にも、果ては捨てるためにも、大金をかけたことを思い出していただきたいのです。
しかも、政治の私物化にも、無能政治にも、国民にはどれひとつとして納得のいく説明もなくうやむやなままです。安倍元首相の不誠実と無責任は明らかで、とうてい国葬に値する人物ではないことが明確ではありませんか。
また、安倍元首相は、アベノミクスと名付けた経済政策でも大きく失敗し、日本経済を衰退させ、私たち国民に生活苦をもたらしました。大企業はお金を貯め込み、株価は上がって、大金持ちには立派な経済政策でしたが、国民にもたらされたのは、天井知らずの物価高、医療費・教育費の高騰、子供や女性の貧困、災害無策等々数え上げたらキリがありません。とりわけ、非正規の低賃金労働者を大量に生み出して、日本社会に貧困と格差をもたらしました。多くの人の希望を失わせ、絶望の中にたくさんの若者を放り出したのも安倍政治です。そうして社会から疎外されたと感じた若者の一人に、安倍さんご自身が銃撃されたのではないか。私は、そう考えています。
岸田首相が、安倍国葬を行う根拠の一つに掲げている外交についても考えてみましょう。安倍さんは、今や世界一の悪役となったプーチン大統領とは盟友ということでした。安倍さんは、「君と僕とは同じ未来を見ている。ゴールまで二人の力で駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか」などと虫唾が走るようなセリフを並べました。それなのにに今年2月にプーチンがウクライナ侵略を始めても、ダンマリを決め込んで一言の苦言も助言もしようとしませんでした。日本には「類は友を呼ぶ」という格言があります。プーチンと手を携えてどこへ行こうというのでしょうか。日本を戦争に引きずり込もうとでも言うのではないのでしょうか。
国際社会はしたたかで計算高いものです。残念ながら弔問外交の目論見は大失敗です。Gセブンの首脳は、一人として、安倍国葬に参加はしないのです。
また、安倍さんの評価を一段と貶めている統一教会問題についても触れなければなりません。岸信介以来三代の安倍家が、統一教会と因縁の強い結びつきがあったことだけでなく、亡くなる直前の安倍さんと統一協会の深い癒着も明らかとなり、さらに、統一教会が自民党を通じて、政治に深く介入していたことが白日のもとに曝け出されようとしています。10月3日から開かれる予定の臨時国会での徹底した質疑で、安倍元首相が、とうてい国葬に値する人物ではなかったと、天下に明らかになるはずです。
最後に、安倍政治の最も許し難いこと、安倍さんが日本を戦争できる国にしてしまったことに触れなければなりません。国家秘密保護法、国家安全保障会議の設置、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権行使を容認した安保法制の制定など、安倍政治は、民主主義、立憲主義、平和主義を踏みにじって、戦争への道を開く法制度を作り上げました。
法制度を作っただけでなく、安倍さんは軍事費を2倍にする、アメリカと核共有すると大変物騒なことを公言していました。こうした戦争へ続く企みを何とかをして止めようと私たちは安倍政治に反対してきたのです。そんな安倍さんに、弔意も敬意も表明することはできません。国葬なんてとんでもない。
皆さん、今日の安倍国葬の日9月27日を忘れず、再び安倍政治を許さない平和日本を作る再スタートの記念の日にしようではありませんか。
憲法改正をさせない世論を盛り上げ、平和な日本を作り出す決意の日とすることを呼びかけて、私の訴えを終わります。ありがとうございました。