憲法と落語(その9) ― 安倍晋三は「らくだ」である。死後にその生前の行状があげつらわれている。
(2022年9月26日)
しばらく、途絶えていた「憲法と落語」。大ネタの「らくだ」を取りあげるなら、安倍国葬を明日に控えた今日をおいてない。
この噺、元はと言えば上方ネタの「駱駝の葬礼」。これを、3代目柳家小さんが東京へ移したという。夏目漱石をして、「この人と同じ時代に生まれたことを好運と思う」と言わしめた、あの3代目小さん。噺のなかの焼場は大阪の千日前が落合に変わり、多少はアレンジされてアクが抜けたものの、基本は変わらない。初めは、「らくだの馬」とも題したそうだ。「馬」は、らくだの本名である。
この噺は、貧乏長屋でフグにあたって死んだらくだが見つかるところから始まる。生きたらくだは出てこない。出てくるのは、登場人物によって語られるらくだ生前の乱暴狼藉、悪行の数々。この生前の悪行を死後も責めて、葬儀だの香典などとんでもないとするのか、「あんなに乱暴ならくださんでも、死んでしまえば罪も報いもない仏」とする倫理観で宥すのか、それが噺のテーマになっている。
「安倍晋三の生前の悪行・失政は徹底して追及されねばならない。これに蓋をしようという国葬などとんでもない。最後まで撤回を求める」と筋を通して考えるべきか、あるいは、「安倍晋三生前の功罪をあげつらうよりは、国葬と決めた以上は非業の死を遂げた元首相を粛々と送るべきが良識ある社会人の態度ではないか」とするか。
安倍晋三とらくだ。その葬儀をめぐっての論争は、よく似た側面があり、また違う側面も見落としてはならない。
死んだらくだを最初に見つけたのは、らくだの兄貴分である。これが、葬儀を出し焼き場に運ぼうという義侠心を出し、たまたま来合わせた屑屋の久さんを脅してこれを使いっ走りにする。長屋から香典を集めさせ、大家には酒肴を用意させ、八百屋からは早桶代用の菜漬けの樽をもってこさせる。
この「葬儀準備」の過程で、らくだの死を喝采して喜ぶ人々も、半ばは後難を恐れ半ばは死者への接し方の倫理観から、極めて消極的ながらも葬儀には最小限の協力をする。噺の聞き手に興味深いのは、最初は脅されやむなく使いっ走りをしていた屑屋が、次第に興に乗って積極的に協力するようになっていく姿である。
さて、この図は安倍国葬とそっくりではないか。らくだを懇ろに葬ってやろうという兄貴分は、言うまでもなく安倍派の面々、あるいは安倍をトップとしてきた右翼の輩。いずれも強面の勢力である。これが、幾つかのルートで、屑屋の久こと岸田に働きかけた。岸田首相は、半ばは安倍派・右翼におもねり、半ばは自分のリーダーシップを誇示するチャンスと国葬を決し、押し進めた。
周囲は大いに迷惑である。長屋の連中も大家も八百屋も困惑したとおり、「政治を私物化した安倍晋三の国葬なんぞとんでもない」のだ。しかも、「非業の死を遂げた元首相」という形容は実態にそぐわず、安倍が癒着していた統一教会の怨みを被った自己責任と結論づけられつつある。
らくだは、市井の一乱暴者でしかない。周囲から疎まれてはいたがその罪は小さい。その葬儀も飽くまで私的なものに過ぎない。公金が出ることはない。これに比して、政治を私物化し、失政を重ねた安倍晋三の影響力は大きく、罪は深い。岸田も同罪である。
「らくだ」の噺は、庶民の死者に対する畏敬の念や葬儀についての礼儀の常識がベースとしてある。その社会的な良識を踏まえてなお、らくだの死をあからさまに歓迎する人々の遠慮ない言葉が、笑いを誘う。安倍国葬もどこか同じブラックユーモアを感じさせるようになってきている。
「らくだ」では、通夜のまねごとへの酒と肴を渋る大家に向かって、兄貴分がこう言って大家を脅す。「死骸のやり場に困っております。こちらに死骸を担ぎ込んでカンカンノウを踊らせてご覧にいれます」。
これは、らくだを安倍晋三に置き換えると示唆的である。「安倍晋三は亡くなりましたが、その影響力がなくなったわけではありません。安倍国葬への攻撃は、安倍の後ろ盾からの反撃あることを心していただきたい」ということなのだ。安倍派・右翼・統一教会一体となっての、カンカンノウである。
いま、安倍国葬積極推進の世論はほぼない。代わって目につくのは、「死者やその家族に対して失礼ではないか」「外国の要人を呼んでおきながらの国葬反対行動は、みっともない」「静粛であるべき葬儀の時に騒ぐのは、市民社会の常識に反する」と言う類いの国葬防衛論ばかり。
屑屋の久さんの声が聞こえる。
「生前は数々の罪を重ねた安倍晋三でも、死んでしまえば罪も報いもない仏さま。死んでしまった安倍晋三に手を合わせるのは当たり前、生前の安倍晋三に手向けをするのではない。だから、家族が粛々と行う葬儀に反対するのは非常識だろう。でも、国葬となれば話は別だ。国葬って、国民に生前の安倍の業績を認めろという強制じゃないのか。俺は、断固反対するね」