澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

多喜二虐殺から81年

今日、2月20日は小林多喜二の命日。命日という言葉は穏やかに過ぎる。天皇制の手先である思想警察によって虐殺された日である。1933年の今日、多喜二は、スパイの手引きで特高警察に街頭で格闘の末に身体を拘束され、拉致された築地警察署内で、その日のうちに拷問によって虐殺された。

スパイの名は三船留吉。多喜二殺害の責任者は特高警察部長安倍源基。その手を虐殺の血で染めたのは、特高課長毛利基、特高係長中川成夫、警部山県為三らである。多喜二は満29歳と4か月であった。

以下は赤旗の記事『戦前でも、拷問は禁止されており、虐殺に関与した特高警察官は殺人罪により「死刑又は無期懲役」で罰せられて当然でした。しかし、警察も検察も報道もグルになってこれを隠し、逆に、天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らに叙勲を与え、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じたのです。1976年1月30日に不破書記局長(当時)が国会で追及しましたが、拷問の事実を認めず、「答弁いたしたくない」(稲葉法相)と答弁しており、これはいまの政府に引き継がれています。』

共産党員であること自体を犯罪としたのは、悪名高い治安維持法である。治安維持法が、どのように思想弾圧に猛威を振るったか。以下は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の対政府請願要旨の抜粋である。

『戦前、天皇制政治の下で主権在民を唱え、侵略戦争に反対したために、治安維持法で弾圧され、多くの国民が犠牲を被った。治安維持法が制定された1925年から廃止されるまでの20年間に、逮捕者数十万人、送検された人7万5681人、虐殺された人90人、拷問、虐待などによる獄死1600人余、実刑5162人に上っている。戦後、治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾したことにより、政治的自由の弾圧と人道に反する悪法として廃止されたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていない。ドイツでは連邦補償法で、ナチスの犠牲者に謝罪し賠償している。イタリアでも、国家賠償法で反ファシスト政治犯に終身年金を支給している。アメリカやカナダでも、第二次世界大戦中、強制収容した日系市民に対し、1988年に市民的自由法を制定し約2万ドルないし2万1000ドルを支払い、大統領や政府が謝罪している。韓国では、治安維持法犠牲者を愛国者として表彰し、犠牲者に年金を支給している。』

よく知られているとおり、1925年治安維持法第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」というもの。

天皇制打倒、資本主義否定という「悪い思想」で結社をつくってはならないという弾圧法規。これが後に「改正」されて、最高刑は死刑となる。のみならず、「結社の目的遂行の為にする行為」までが処罰されるようになって猛威を振るった。党の活動に少しでも協力すれば犯罪とされ、共産党員に少しでも関わればしょっぴかれるという、現実的な危険が生じたのだ。共産党員と親しいと思われることは恐いこと。触らぬ神に祟りなし。共産党には近づかないに限る。こういう庶民の「知恵」が、「お上に逆らう共産党は恐い」と固まっていく。宗教者や自由主義者も、そして反戦の思想も、民主主義も弾圧の対象とされた。多喜二虐殺はその象徴。

昨年の秋、築地署を見てきた。その裏門近くには、多喜二の死亡診断書を書いた前田医院が残っていた。そして、今日は「多喜二祭」に足を運んだ。メインの講演は、ノーマ・フィールドさん。多喜二の活動から、今の世を照射して、オプティミズムを語ろうというお話だったが、全体の骨格が良く見えてこなかった。

今、多喜二と治安維持法を語るには、自民党改憲草案に触れざるをえない。

自民党案は、表現の自由を保障した、21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。」に次の第2項を付け加えようという。
「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
これは、恐るべき暴挙だ。「公益及び公の秩序」に何を盛り込むか次第で、現代に治安維持法をよみがえらせることが可能となる。

さらに、拷問の禁止に触れた現行の第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっている。自民党改憲草案は、この「絶対に」の3文字を取ってしまおうというのだ。

36条を起案した人の脳裏には、多喜二虐殺のことがあったに違いない。「絶対に」の3文字に力が込められている。自民党案は、今わざわざ、「絶対に」を抜いてしまおうというのだ。多喜二の命日に、虐殺された多喜二に代わって叫ぼう。そんなことは許さない。絶対に。
(2014年2月20日)

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Published in 木曜日, 2月 20th, 2014, at 23:54, and filed under 未分類.

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