澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「自主憲法制定」とは無法者のスローガンである。

わが国では、「護憲派」と「改憲派」が熾烈に争っている。この二つの勢力とはべつに、改憲派から距離を置いた「自主憲法制定派」なるグループがある。ここに、ごく小数の穏やかならざる人々がいる。

「改憲」とは、現行憲法の根幹は認めたうえで、枝葉の刈り込み方を変えること。これに飽きたらぬとするのが「自主憲法制定」。現行憲法を根こそぎ変えてしまおうということなのだ。穏やかならざる所以である。

憲法改正には、「手続きにおける制約」と「内容における限界」とがある。現行憲法が定めた手続にしたがってでなくては改正はできないし、現行憲法が想定している限界を超えない範囲での改正しかできない。根幹を変えてしまうことを「改正」とは言わない。根幹を根こそぎ変えてしまおうとの魂胆あればこその「自主憲法制定」なのだ。現行憲法の普遍性に挑戦して根幹を変えてしまうことは、極端に危険なことと指摘せざるを得ない。日本国憲法が根幹としている人権尊重・国民主権・平和主義を変更しようなどとは、まことに穏やかではない。

「押し付けられた憲法に無効を宣言して、われら日本民族が自主的に新しい憲法を作るのだ」「改憲手続にこだわる必要はない。憲法改正の限界など無視せよ」という勇ましい主張が、自主憲法制定派の本音である。憲法改正の限界を突破しようという意図がなければ「憲法改正」のスローガンで十分。わざわざ、「自主憲法制定」というのは、人権よりも秩序が大好き、国民主権は嫌いで天皇主権にノスタルジーをもち、隣国に舐められる平和よりは勇ましく戦争ができる国にしたい、と考えているからなのだ。

「自主憲法制定」は、長く自民党の「立党の精神」、ないしは「党是」とされてきた。現在なお、自民党のホームページには、保利耕輔・憲法改正推進本部長の「今こそ自主憲法の制定を」というコラムが掲載されている。その冒頭の一句が「自主憲法制定は立党以来のわが党の党是だ」というもの。

しかし、厳密にみると立党宣言にも綱領にも「自主憲法制定」の用語はない。1955年11月15日付の「党の政綱」に「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」との文言をみるだけである。これが、立党当時の自民党の姿勢。安倍政権の現状に比較して、なんと温和しいものであったか。

以上のとおり、「自主憲法制定」は自民党全体の党是というよりは、自民党極右派のスローガンに過ぎなかった。自民党主流は、国民世論の動向を慮って、長く憲法改正には手を付けないという現実的対応をしてきた。これを不満とする右派も、改憲を叫んでも自主憲法制定にこだわりを見せてはいない。自主憲法制定は、一握りの極右のスローガンとみるべきだろう。

その「自主憲法制定」という古色蒼然たるスローガンが、自民党ではなく日本維新の会から持ち出され、友党と位置づけられている結の党にこれを呑むよう突きつけられている。いま、これが両党合併のネックになっているとして、にわかのクローズアップである。

報道されているところでは、日本維新の会が、結いの党との合流後の共通政策に「自主憲法の制定」を盛り込む方針を決めた。石原慎太郎、橋下徹両共同代表が21日に名古屋市内で会談して一致したという。結い側は、今のところこれを拒否して合併協議は難航している。維新の会側の現時点における提案内容は、政策合意案に「憲法改正手続きを踏まえた自主憲法制定による統治機構改革」と明記することだという。結いの江田憲司代表は、「野党再編の芽を摘む『自主憲法制定』の言葉はのめない」と述べ、削除を求めている。

「維新の執行役員会で石原慎太郎共同代表は『(自主憲法制定は)政治をやってきた中でものすごく大事な言葉だ』と主張した。これに対し、松野頼久国会議員団幹事長らが『自主憲法制定は党是ではない。他党議員も受け入れられないと言っており、野党再編にプラスにならない』と再考を迫った」(朝日)。また、「石原共同代表が『私が国会に戻ってきたのは、自主憲法制定を実現するためだ』と持論を繰り返し、橋下共同代表も同調」という空気で、これに対し、「結いの江田代表は『(自主憲法制定は)現行憲法の破棄という意味があり、絶対に受け入れられない』と強調した」(産経)などとも報道されている。

このような、憲法問題の根幹をめぐる認識の齟齬は、「言葉の表現だけの問題」ではない。「大した問題ではない」「大人げない」で済ませてはならない。維新と結い、いざ合併の協議において、これだけの基本見解の隔たりを明確にした。今回の協議を玉虫色に乗りきったとしても、合併後の党運営で水と油のグループ間対立を招くことが必定というべきだろう。

今ですら、維新の会が「両頭の鷲」状態で、統一した政党の体をなしていないのは周知の事実。憲法問題不一致のままの合併では、「三頭のカラス」になってしまうだろう。

維新の会は、明言すべきである。「わが党は、自主憲法制定のスローガンを立て、基本的人権・国民主権・平和主義には手を付けてはならないとする憲法改正の限界に果敢に挑戦する」と。
有権者は、明瞭に認識すべきである。「維新の党とは、基本的人権・国民主権・平和主義という憲法原則を廃棄する魂胆をもつ危険な政党であること」を。

「自主憲法制定」のスローガンは、それだけの重みをもっている。これを奉じる論者は現行憲法秩序を根底から否定するアウトロー、つまりは無法者の立ち場なのだから。
(2014年5月26日)

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