澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

DHC会長の8億円拠出は「浄財」ではないー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第23弾

6月8日の当ブログで、「経団連の政治献金あっせん再開は国民本位の政策決定をゆがめる」ことを書いた。http://article9.jp/wordpress/?p=2784

ここでは、いくつかの川柳を引用した。
  役人の子はにぎにぎをよく覚え
  役人の骨っぽいのは猪牙にのせ
  言う事が変わった カネが動いたな
金(にぎにぎ)と接待(猪牙)、これが、富者の官僚・政治家懐柔の常套手段であった。現代の「政治献金」は「にぎにぎ・猪牙」と本質において変わるところはない。今も昔も、「にぎにぎし、猪牙に乗せられた」政治家・官僚は、「にこにこ」し「ぺこぺこ」する。しばらくして、庶民は「言う事が変わった カネが動いたな」と嘆ずることになる。

上記ブログで引用した各社の社説は、経団連の政治献金あっせん再開が「『政策をカネで買うのか』という国民からの批判を招く」ことではほぼ一致を見ている。
「だから、辞めろ」というのが、朝日・毎日・東京の立場。
「だから、批判をかわしてうまくやれ」というのが日経・産経・読売の姿勢。

あれから2か月余。改めて、政治家への金の拠出とは何かを考えて見たい。きっかけは、DHC吉田が自身を指して「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいる」と言っていることだ。吉田が渡辺に交付した8億円は、私利私欲を離れて、官僚制度の打破・規制緩和という、「日本を良くするための浄財」だったというのだ。経団連の言い分とよく似ている。これがはたして世間に通用するものであろうか。

経団連はこう言っている。
「経団連はかねてより、民主政治を適切に維持していくためには相応のコストが不可欠であり、企業の政治寄附は、企業の社会貢献の一環として重要性を有するとの見解を示してきた。」
さすがに、DHCよりは、多少なりとももっともらしい。しかし、これは、明らかにデマでしかない。

「民主政治のコストを企業が負担」してはならない。企業が自らの利益のために政治資金を拠出することは実質において賄賂として許されない。だからといって企業利益と無関係に資金の支出をすれば、株主の利益に反する背任となる。どちらにしても、許されない。

問題は、もっと根源にある。政治とは何か。その本質は利害相反する各グループ間の対立の調整にある。利益配分の調整と言ってもよい。

この世の中は、非和解的な対立で満ち満ちている。企業と労働者、持てる者と持たざる者、大企業と中小企業、事業者と消費者、賃貸人と賃借人、都市と農村、中央と地方、世代間、地域間、男女間、産業間の利益主張が矛盾し衝突している。その衝突はどこかで妥協し折り合いをつけなければならない。それぞれの主張と主張の間の妥協の調整が政治である。

政党・政派とは、特定のグループの立場に立つことを標榜し、誰かの利益のために働く組織のことだ。政治献金とは、そのどこかのグループの活動を、金銭をもってサポートすることにほかならない。

すべての人の幸せのための政治などということは空論である。現実には、それぞれのグループの利益のための綱引きが政治であり、政治献金も「日本国全体」や「国民全員」のためのものではあり得ない。相争うグループのどちらかへの肩入れ以外のなにものでもない。

経団連は、財界を代表して、企業活動の際限のない自由を求める立場に立つ。安倍政権の新自由主義政策を後退させてはならないと露骨に表明している。安倍政権とチームを組んで、労働者や消費者、農村や漁民、あるいは福祉を切り捨て、企業利益をはかろうというのだ。具体的には、原発を再稼動し、武器を輸出し、法人税を減税し、TPPを推進し、労働規制の徹底した緩和をねらう。経団連のいう「政治と経済の二人三脚」とは、大企業が安倍政権のスポンサーたらんとすることだ。となれば、自ずと政権はスポンサーの顔色を窺い、そのご意向を踏まえた政策を採用することにならざるを得ない。こうして、「言う事が変わった カネが動いたな」という、分かり易い事態となる。

民主主義とは、言論の応酬によって民意を形成すべきことを自明の前提とし、最大多数の最大幸福実現を目指す手続である。この民主政治の過程を歪める最大のものは、カネの力である。企業献金も少数金持ちの多額の政治資金拠出も、明らかに民主主義政治過程を歪めるものとして「悪」である。

DHC吉田の言う「官僚的規制撤廃、規制緩和を求めての政治資金拠出」とは、弱者保護のための規制を切り捨て、企業利益擁護に奉仕する役割を担うものでしかない。とりわけ、DHCが関心をもつ厚生・労働行政における規制とは、典型的な社会的規制である。消費者の健康を守るための製品の安全性の確保のための規制であり、労働者の人間らしい生活を守るための必要不可欠な労働基準規制である。その規制撤廃ないしは緩和のための政治資金拠出は、消費者や労働者にとっての「恐るべきカネ」「憎むべきカネ」にほかならない。これを「浄財」などとは噴飯ものである。

「DHCスラップ訴訟」とは、「政治的言論の自由」に対する威嚇と萎縮効果を目的の提訴であり、これに対する応訴は「言論の自由」擁護の闘いである。さらに具体的には、「政治をカネで買おうとする者への批判の自由」をめぐっての攻防がなされている。

この訴訟を通じて、「政治とカネ」の問題の本質を掘り下げ、裁判所に理解を得たいと考えている。同時に、DHC・吉田のような、カネの力で政治に介入しようとする思想や行動を徹底して糾弾しなければならない。

「DHCスラップ訴訟」第2回口頭弁論期日は、明後日(9月17日(水))の午前10時半。東京地裁705号法廷。可能な方には、是非傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階ややせめぎ合いの内容について、弁護団からの報告がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。是非多くの方のご参加をお願いしたい。そして、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。
(2014年9月15日) 

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