澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

自ら祝す・「憲法日記」600日連続更新

当「憲法日記」が日民協の軒先間借りから独立して新装開店したのは、2013年4月1日。以来、毎日更新を続けて、昨日(2014年11月21日)のブログで600回を重ねた。この間、1日の途切れもなく書き続けてきた。今日が、連続第601号のブログである。

これまで、格別に連続更新を広言したわけでもなく、600回を目標にしたわけでもない。書き続けてきたのは、内から吹き出すマグマがあったからだ。気がついて勘定してみれば、積み重なって600回。さすがに、それなりの達成感がある。まあこれで、私もブロガーの仲間入りができたと言ってよいのではないか。

もっとも、誰も何とも言ってくれないから、一人で「600日連続更新」に祝意を表すとしよう。私はアルコールは一切嗜まないから、ビターなチョコを肴に、ウーロン茶で乾杯でもしておこう。そして、次は連続1000回を目標に書き続けることにしよう。

書き続けることに何の意味があるのか。実はよく分からない。これまでは、内なるものの趣くままに書き綴ってきた。同じテーマも執拗に書き連ね、それなりの一貫性は保たれていると思う。お読みいただいた方から励ましを受けることも、貴重な情報の提供を受けることも少なくない。この反応が、書き続けているブロガーの醍醐味であろう。

また、当ブログの論評に対する宇都宮陣営(及びその付和雷同者)からの舌足らずな批判や、DHCとこれに類する輩からの過剰な反応も、それなりの彩りである。思いがけなくも、批判よりは、激励や連帯のエールを得ている。ありがたいことだ。そのような反応に接して、いささかの充実感を得ている。

600回を省みて、多少は思うところがある。「文章の分量が長過ぎる」「まだるっこしくて分かりにくい」「写真も絵もなく、親しみにくい」「読み手へのサービス精神に乏しい」…。いろんなことを言われたが、これまでは不器用に自分流を貫いてきた。これをほんの少しは改めたいと思う。読んでいただだかねば書く意味がない。少しは短めに、もう少しは読みやすく分かり易い、こなれた文章を心掛けよう。

権力や権威、強者に対する批判の姿勢は変えようもない。とりわけ、天皇や天皇制とそれを支える心情、そしてナショナリズムには切り込まねばならないと思う。そして、人権の侵害があれば、たとえ「民主運動」といえども批判に遠慮があってはならないと思う。

ときに「もの言えばくちびる寒し」と思わぬこともないではない。しかし、常に感じるのは、「もの言わぬは腹ふくるるわざ」の方である。

さて、いまだ途はなかば。新たな一歩を踏み出そう。ときあたかも、総選挙目前の時期である。「憲法日記」のネタは尽きない。
(2014年11月22日)

Info & Utils

Published in 土曜日, 11月 22nd, 2014, at 16:57, and filed under 雑記.

Do it youself: Digg it!Save on del.icio.usMake a trackback.

Previous text: .

Next text: .

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2014. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.