澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

自衛隊を憲法上認知することは、「日の丸・君が代」を国旗国歌と法的に認知したことの二の舞となる。

5月3日「第19回公開憲法フォーラム」におけるアベ晋三・ビデオメッセージで現れた「9条改憲新提案」に必要な反論をしておきたい。

アベ新提案は、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」というもの。意外性十分である。
これまでの改憲案の最大テーマは、9条2項(戦力不保持)の存否をめぐってのものだった。たとえば自民党改憲草案は、9条2項を全面削除するものとなっている。その上で9条の2を新設して、1項から5項までの規定を置き、詳細に国防軍の設置を定めている。明らかに、現状の自衛隊とは異なる、戦争を目的とした実力組織をもつことを明文化しようとするもの。その結果、装備も編成も、自ずから対外戦争を遂行するに足りる水準のものにならざるを得ない。空母も原潜ももちうることになる。日本が、戦争を政策の選択肢の一つとする国家であることを明示し宣言することを意味し、近隣諸国への威嚇ともなって、確実に緊張関係を高めることとなろう。
ところが、新提案はそうなっていない。あっさりと「9条2項を残す」という。その上で、前後の文脈からは「(現在ある)自衛隊を、(現在ある自衛隊のまま、憲法上の存在として認めるよう)明文で書き込む」というだけの内容に読みとれる。この新提案には、本音の改正願望を抑制した「過小な」改憲提案と評価される余地がある。しかし、この新提案を「過小な」ものと見くびってはならない。

まず、なによりも、これまで囁かれてきた「現実的な発議の落としどころ」が、緊急事態に関連した衆議院の解散への制約程度の「些事」についての「お試し改憲」提案であった。言わば、本丸からははるかに遠い、二の丸、三の丸の、石垣の一部に爪を立てようという程度のものだったはず。それが、とにもかくにも9条の本丸に手を延ばしてきたことを深刻な重大事と受けとめなければらない。

また、この9条改憲新提案には、公明や維新も、あるいは民進の一部も抵抗なく受容するのではないかという思惑が感じられる。さらに、護憲派と言われてきた運動の一部にも、動揺が及ぶのではないかと懸念される。

かつて、東京新聞「こちら特報部」(2015年10月)が「平和のための新9条論」を大きく取り上げた。「安倍政権の暴走に憤る人たちの間からは、新9条の制定を求める声が上がり始めた」、「戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた『専守防衛の自衛隊』を明確に位置づける。解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新9条である」との紹介の仕方だった。肯定評価という域を超えて、この方向に意見と運動を誘導しようという意図が見えた。

専守防衛に徹する自衛隊の存在を肯定し、個別的自衛権を行使容認を明記した明文改憲によって、新9条を制定しようというのだ。条文と現実との乖離を最小化して「解釈の余地を政権に与えない」憲法を制定しようとの発想だという。

この点について、2015年10月23日の当ブログで、次の批判の記事を書いた。
「新9条論」は連帯への配慮を欠いた提言として有害である
http://article9.jp/wordpress/?p=5803

目的や位置づけに差異があることは当然として、現象としては、アベの口から「新9条論」が語られたのだ。護憲の意味の再検討が迫られる。

憲法は現実を批判する規範として理想を語っている。現実との乖離は永遠の課題であって、常に現実を理想に近づける努力を続けなければならない。この乖離の存在を理由に、現実を理想に近づける努力を放棄して、理想の方を現実に合わせて引きずり下ろそうということには賛成しかねる。理想を一歩現実の方向に動かせば、現実は二歩も三歩も逃げていく。戦力不保持から一歩退いた「専守防衛」は、先制的防衛や予防的防衛という現実をもたらすことになるだろう。

9条護憲派には大別して2種ある。「自衛隊は違憲、安保条約も違憲。自衛権の発動としても一切の武力行使はできない」という伝統的護憲派陣営(A)と、「自衛隊は合憲、安保も合憲。集団的自衛権の行使は違憲だが、個別的自衛権の行使としてなら武力行使は可能」という旧来の保守本流の専守防衛陣営(B)。

統一した運動においては、A陣営は、B陣営との連携のために、Bの主張を前面に押し出すことになる。安倍政権と自公両党が、現状を大きく変えようと強権の発動をしている以上、現状を維持しこれ以上悪化させないためにはB論で一致することとなる必然性があったからだ。その逆の連携のあり方は非現実的で、あり得ることではない。一見すると(A+B)の全体が、あたかもBの見解で統一されたかのごとき観を呈したが、実際にはA陣営護憲派は、その見解を留保してきたのだ。

今、アベ新提案に、自衛隊違憲論のA陣営が揺らぐはずはない。専守防衛論のB陣営の人々に訴えたい。自衛隊を明文で認めることは、自衛隊を法的にコントロールすることにつながるよりは、自衛隊が大手を振って闊歩する時代の現出となる危険の大きいことを。

私は、国旗国歌法制定の国会審議を思い出す。首相も文部大臣も、口を揃えて言ったものだ。「法案は現状を追認するだけ」「人々になんの義務を課すものでも、権利を制限するものでもない」「教育現場になんの変化もない」「法は強制も制裁も予定していない」。しかし、法が制定されたあとは、国会での答弁とはまったく違った光景が現実のものとなった。教員に対する強制と処分の濫発がまかりとおる事態となり、権力による教育への管理統制の弊害は目を覆わんばかりである。確かに、国旗国歌法自体は強制の根拠とはなり得ない。しかし、「日の丸・君が代」に、国旗国歌としての法的認知がなされるや、公務員法、教育関係法の運用ががらりと変わったのだ。

おそらくは、自衛隊の憲法的認知は、同じ効果をもたらすことになろう。今、「新9条論」再論ではなく、これまで共闘してきた(A+B)の全体が、実質的にA論で統一して、アベ新提案を拒否する運動となることを望む。絶対に、アベに明文改憲をさせてはならない。
(2017年5月5日・連続第1496回)

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