澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

沖縄本土復帰46周年ー沖縄タイムスの怒りの社説紹介

5月15日。1972年のこの日、米軍統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還された。沖縄が本土に復帰して、あれから46年となった。

「核抜き・本土並み」が米日両政府の建前であった。県民の願いは、「基地のない平和の島としての復帰」と表現された。基地に囲まれ、核の脅威にさらされ、戦争と隣り合わせの沖縄から、平和・人権・地方自治が重んじられるはずの本土への復帰である。それが、46年前の5月15日に実現した、…はずだった。

法的には、沖縄の本土復帰は、沖縄への日本国憲法の全面施行を意味する。であればこそ、平和・人権・地方自治の実現への高い期待があった。ところが、既に当時、日本国憲法体系が大きく安保法体系に虫食いされて多くの空洞を抱えた状態にあった。だから、沖縄の本土復帰は、県民が思い描いた日本国憲法体系への復帰ではなく、安保法体系によって虫食い状態となった憲法の適用を余儀なくされたのだ。

しかも、時の佐藤政権はいざというときの沖縄への核持ち込みの密約を結び、「核抜き」については誰もが不信と不安を持っての本土復帰だった。

凄惨な地上戦を経て、戦後も苛酷な米の軍政下におかれた沖縄が反米であることはよく分かる。アメリカの支配からの脱出を望んだことは当然であった。しかし、戦前本土によって差別され、本土温存の捨て石とされた沖縄が、なぜかくも熱意をもって、「本土復帰」を願ったのか、理解は必ずしも容易ではない。復帰運動のシンボルが「日の丸」であったことにも違和感を禁じえない。日本国憲法と「日の丸」、私の心裡では整合しない。

進藤栄一が、天皇(裕仁)の沖縄メッセージの存在を米国公文書館で発見して公表したのは復帰後5年を経た79年であった。もし、復帰以前にこの天皇の身勝手な酷薄が明らかになっていたら、「日の丸」が復帰運動のシンボルになっていなかったのではないか。

それでも、本土復帰が実現して46年が経った。果たして、復帰実現前に願った沖縄となったであろうか。本日(5月15日)の沖縄タイムスの社説を詠みやすいように組み替えて、引用したい。本土政権への沖縄の怒りが厳しく表現されている。

「復帰後生まれの人口が過半数を占め、米軍基地の形成過程を知らない人が多くなった。沖縄に基地が集中するようになったのはなぜなのか。

米軍普天間飛行場のように、
《沖縄戦で住民らが収容所に入れられている間に米軍が土地を接収し基地を建設》したり、
《本土から米軍が移転してきた》りしたケースがある。
共通しているのは日本政府が基地建設や米軍移転を積極的に容認していることだ。

在沖米軍の主力で、兵力の6割、面積の7割を占める海兵隊はもともと沖縄に存在していたわけではない。1950年代に反基地感情が高まった岐阜や山梨・静岡から米軍統治下の沖縄に移転してきたのが実態だ。

復帰後本土では基地が減ったが、沖縄の基地はほとんど変わらなかった。その結果、国土の0・6%を占めるにすぎない沖縄に米軍専用施設の7割が集中する過重負担の構造が出来上がったのである。

日米の軍事専門家らが認めているように、海兵隊が沖縄に駐留しているのは
《軍事的合理性》からではなく、
《政治的理由》からである。

クリントン米政権下で駐日米大使を務めたモンデール元副大統領が普天間の返還交渉で、1995年の少女暴行事件で米側は海兵隊の撤退も視野に入れていたが、日本側が沖縄への駐留継続を望んだと証言している。引き留めるのはいつも日本政府である。

橋本政権下で官房長官を務めた梶山静六氏が98年、本土での反対運動を懸念し普天間の移設先は名護市辺野古以外ないと書簡に記している。本土の反発を恐れ沖縄に押し付ける論理である。

屋良朝苗主席は復帰前年の71年、「復帰措置に関する建議書」で「従来の沖縄はあまりにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となって利用され過ぎてきた」と指摘している。46年後の現在も何も変わっていない。

辺野古新基地ができてしまえば、半永久的に残る。普天間にはない強襲揚陸艦が接岸できる岸壁や弾薬搭載エリアが計画され、負担軽減とは逆行する。米軍の排他的管理権によって国内法が及ばない基地ができるのである。

 基地が集中する沖縄で、生物多様性豊かな宝の海を埋め立て、基地を建設するのは明らかな禁じ手だ。

 北朝鮮情勢が劇的に動き始めている。日本政府は東アジア情勢を俯瞰する大局観をもって、辺野古新基地建設をいったん止め、海兵隊や不平等な日米地位協定の在り方を問い返す機会にすべきである。」

同感、おっしゃるとおり、というほかはない。
(2018年5月15日)

月とスッポン ― 徳ゆえに王に推戴された尚円と、不徳を批判されながら政権にしがみつくアベ晋三と。

もしもし、前島の船員会館は、この方向でよろしいのでしょうか。

ああ、先ほど「りっかりっか湯」にいらっしゃった方ですね。この道を真っ直ぐに行って15分足らずですよ。私も同じ方向ですから、ご一緒しましょう。

助かりました。那覇にお住まいの方ですか。

いえ、私は伊是名島から建築現場への出張で、近くのホテルに宿泊中です。

ほう、伊是名ですか。あの辺の島は、一つ置きに、ハブのいる島、いない島とならんでいるそうですが、伊是名はハブのいる島ですか。いない島ですか。

不思議なことに、伊平屋島、伊江島にはハブがいるのですが、伊是名島にはハブはいません。よいところですよ。一度、いらっしゃるとよい。

何が伊是名の見どころなんでしようか。

自然も美しいですが、伊是名は歴史の島です。第2尚氏と言ってお分かりでしょうか。その初代尚円王の出身地で、ゆかりの史跡がたくさん残っています。

にわか勉強で教わりました。三山を統一して首里王朝を建てた尚氏は7代で亡んで、血筋のつながっていない第2尚氏が明治政府の琉球処分・廃藩置県まで19代も続いたとか。

そうなんです。その第2尚氏の初代が、元は伊是名島の百姓だったんですよ。百姓から琉球の王様になって、百姓の気持が分かるからよい政治をしてくれたと言われています。

どうしてまた、農民が王様に?

王になる前は、金丸という名前でした。評判の働き者だったそうです。でも、あんまり彼の田ばかりが稔るので、周りからやっかまれて島を逃げ出したんですね。そして、彼が首里で出会って仕えた人が後の6代目尚泰久王だった。金丸は、この王に重んじられて、王の片腕と信頼されたそうです。

なるほど。で、クーデターで、王を倒したということですか。

伊是名島では、そうは言われていません。尚泰久王がなくなってあとを嗣いだのが7代の尚徳王ですが、これが暴君で百姓を顧みない。金丸は諫めたが、王は聞く耳を持たない。それで、あきらめて隠居したと言われています。

第1尚氏最後の尚徳王は殺害されたのではありませんか。金丸は暴君殺害に関与していない?

島では、金丸は先王の殺害とは無関係と言い伝えられています。自分では王位を望まなかったのですが、周囲がその徳を慕ってぜひ王位にと声を上げたので、推されて王位に就いたということです。

なるほど。画に描いたような易姓革命。農民の出自であろうとも、徳があってよい政治をしてくれる人だから王にふさわしいとみんなが認めたわけだ。

そのとおりです。6代目尚泰久が評判のよい王様でしたが、それは金丸のお陰でもあったのです。だからみんなが金丸を説得して王様になってもらった。同時に、尚氏の血統は王位から外されました。

へえ。不祥事を重ね、政治の私物化を批判されながら政権にしがみついているアベなんぞとは真逆なんですね。それにしても、血筋のつながりないのに、どうして金丸が尚氏を名乗ったのでしょうか。

これも金丸が望んでしたことではなく、明から冊封を受けているため、やむなく尚氏を名乗らざるを得なかったということです。

金丸は、15世紀の人ですね。いまだに、人気があるんですか。

伊是名島は金丸を生んだ土地であることを誇りにしています。なにしろ、百姓から出た、百姓の気持ちの分かる王様ですからね。島にはその史跡がたくさん残っています。

なるほど、庶民から出た政治家と、2代目3代目の世襲政治家との違いみたいなものでしょうかね。この点もアベなんぞと真反対。

もう船員会館の近くまで来ました。この先の四つ角のすぐ右側ですよ。私はここで失礼します。

いつか伊是名に行ってみますよ。ありがとうございました。
(2018年5月14日)

ネトウヨ集団の弁護士懲戒請求運動に、きっちり責任をとらせよう

一昨日(5月11日)の毎日新聞朝刊「ネットウオッチ」欄に、「懲戒請求被害の弁護士 広がる対抗措置の動き (ネトウヨに対して)損害賠償求め提訴へ/請求側(ネトウヨ)は動揺」との記事。(括弧内は澤藤の挿入、以下同)

朝鮮学校への補助金交付は利敵行為--などとするネット上での扇動を背景に(ネトウヨから)大量の懲戒請求を送られた弁護士たちの間で、懲戒請求者(ネトウヨ)に対し、損害賠償請求や刑事告訴など法的措置をとる動きが広がっている。これを恐れ、弁護士に和解金10万円を支払って謝罪する請求者(ネトウヨ)も出ている。ネット空間の無責任な言説にあおられた軽率な行動が、実社会で法的制裁を受けようとしている。

この「《ネット空間》の無責任な言説にあおられた軽率な行動が、《実社会》で法的制裁を受けようとしている」という指摘が的確で印象的である。ネトウヨ諸君には現実感覚が乏しいようだ。バーチャルな《ネット空間》と、リアルな《実社会での法的制裁》の結び付きについての認識が希薄で、クリック一つが高くつくことへの警戒心がなく、あとで仰天することになる。

このことは、弁護士に対する不当懲戒請求に限らない。ネトウヨが寄り集まっての集団提訴や集団告発、あるいはヘイトデモ参加についても同様である。最終的には、違法な行為の責任は個人が、損害賠償という形で負わねばならない。それこそが、アベの大好きな「自己責任」なのだ。煽動に乗せられただけ、単に記事を転送しただけ、後ろにくっついて行っただけ、などは免責理由とならない。

なお、毎日が言う「無責任な言説にあおられた軽率な行動」とは、「余命三年時事日記」なるブログの煽動にうかうか乗せられたことを指す。このブログが、テンプレートをつくっての書き込みを誘っていた。当の「余命三年時事日記」を主宰する者の氏名住所は現時点では未特定。自分は闇に隠れて、人を裏から煽動しているわけだ。私もこのブログに目を通してみた。どうして、こんな低劣な煽動に乗せられる者が続出するのだろうか。詐欺まがい悪徳商法の被害者についても同じ思いだが、まことに不思議でならない。

もちろん、ネトウヨ諸君にも表現の自由はある。しかし、事実無根の主張によって人の名誉を毀損する自由は誰にもない。民族や国籍による差別言動も許されない。ネトウヨ諸君よ。もし、表現の自由を謳歌しようというなら、匿名に隠れることなく堂々と顕名で論争するがよかろう。

毎日新聞の同記事によれば、佐々木亮・北周士の両弁護士が、全懲戒請求者に損害賠償請求訴訟を起こす予定で、虚偽告訴や業務妨害での刑事告訴も検討するという。懲戒請求の全件数は約3000件だそうだから、3000人を被告とする訴訟となる。もっとも、管轄は損害賠償債務の履行地でよいから、全国のすべての被告に対する請求が一通の訴状で、東京地裁に提訴が可能だ。

毎日の記事は、こうも伝えている。

 ある(ネット上の)掲示板には懲戒請求者とみられる人物が「(ネット情報で)俺の連絡先が通知されないと信じて請求した。(扇動者に)裏切られた」「裁判とめるにはどうしたらよいのか」などと不安を書き込んでいる。

佐々木弁護士らは、訴訟前に和解する条件として、明確な謝罪や慰謝料10万円(両弁護士分合計)の支払いなどを求め、すでに応じた請求者もいる。懲戒請求では請求者の実名や住所が当該弁護士に伝えられる。佐々木弁護士は「匿名で請求できると勘違いしている人もいるようだ。素直に謝ってきた人もいた。軽い気持ちでやったという印象を受けた」と話す。

佐々木亮・北周士の両弁護士は、まずは事前の和解を推進する方針で、5月16日に記者会見の予定という。その後塵を拝することなく、榊原元弁護士が5月9日に、東京地裁に提訴した。
以下は、当日の彼のツィート。

朝鮮学校への補助金などを巡って弁護士に対して大量の懲戒請求がなされた件、不当な懲戒請求による損害賠償金の支払いを求め、本日、東京地方裁判所等に訴訟を提起した。現時点で被告は未だごく一部であるが、訴訟前に和解が成立した方を除き、最終的には請求者全員に裁判所までお越し頂きたいと思う。

その後のツィートで彼の基本認識が以下のように語られている。

弁護士に対する大量懲戒請求事件の件。確かに我々個々の弁護士は被害者だ。しかし、本当に攻撃されているのは弁護士会であり、弁護士自治である。さらにいうと、本件は在日コリアンを差別するという動機でなされたヘイトクライムである点を看過してはならない。究極的な被害者は在日コリアンなのである

たかがネットに煽られて弁護士に大量の懲戒請求をしたり、在日コリアンを入管に大量通報したり、検察庁に大量告発したりする日本人が、新聞に煽られたら朝鮮人虐殺をしないはずがない。
何度も言うが、大量懲戒請求事件はヘイトクライムである。ヘイトクライム防止につながる解決でなければならない。

神原弁護士のこの訴状は見ていない。弁護士ドットコムによれば大要以下のとおり。

訴状によると、被告(懲戒請求のネトウヨ)は2017年6月、神奈川県弁護士会に対して、神原弁護士ら複数の弁護士を対象として、弁護士法に基づく懲戒請求をおこなった。同弁護士会綱紀委員会は2018年4月、神原弁護士らを懲戒しないと判断した。

懲戒理由として、「違法である朝鮮学校補助金支給要求声明に賛同し、その活動を推進する行為は、日弁連のみならず当会(神奈川県弁護士会)でも積極的に行われている二重、三重の確信的犯罪行為である」などと書かれていたという。

原告(神原弁護士)は「少なくとも朝鮮学校補助金要求に関連して違法行為をした事実はまったくない」「存在しない事実について、あえて懲戒請求を申し立てていたことが明らかだ」としている。現時点で、被告数や請求額などは明らかにされていない。

そして同記事は次のようにまとめている。

最高裁の判例では、事実上または法律上の根拠を欠く場合において、請求者がそのことを知りながら、または普通の注意を払えば知りえたのに、あえて懲戒請求していれば不法行為にあたる、とされている。日弁連によると、2017年だけで組織的な懲戒請求は約13万件あり、その多くが問題のブログに起因するものとみられる。

当ブログも、このことについては、何度か論及してきた。ぜひ、ご参照いただきたい。
民族差別主義者らの「弁護士懲戒請求の濫用」に歯止めを
http://article9.jp/wordpress/?p=9724
(2018年1月5日) 

安易な弁護士懲戒請求は、損害賠償請求の対象となる。
http://article9.jp/wordpress/?p=9311
(2017年10月12日)

さて、懲戒濫用に対抗の武器となる最高裁判例(平成19年4月24日・三小)の当該部分を再確認しておこう。

「…懲戒請求を受けた弁護士は、根拠のない請求により名誉、信用等を不当に侵害されるおそれがあり、また、その弁明を余儀なくされる負担を負うことになる。そして、同項が、請求者に対し恣意的な請求を許容したり、広く免責を与えたりする趣旨の規定でないことは明らかであるから、同項に基づく請求をする者は、懲戒請求を受ける対象者の利益が不当に侵害されることがないように、対象者に懲戒事由があることを事実上及び法律上裏付ける相当な根拠について調査、検討をすべき義務を負うものというべきである。そうすると、同項に基づく懲戒請求が事実上又は法律上の根拠を欠く場合において、請求者が、そのことを知りながら又は通常人であれば普通の注意を払うことによりそのことを知り得たのに、あえて懲戒を請求するなど、懲戒請求が弁護士懲戒制度の趣旨目的に照らし相当性を欠くと認められるときには、違法な懲戒請求として不法行為を構成すると解するのが相当である。」

つまり、「通常人としての普通の注意を払うことなく」軽々に弁護士懲戒請求をすれば、不法行為として損害賠償請求されることを覚悟しなければならないのだ。

しかも、当然のことながら、懲戒請求は請求者の住所氏名を明記しなければ、受け付けられない。うかうか、扇動に乗せられると、ある日、裁判所から損害賠償請求の訴状が届くことになる。よく考えるべきなのだ。ネトウヨ諸君。
(2018年5月13日)

柳瀬唯夫答弁に市民の声。「嘘」つくな。「偽」るな。きみらは「膿」だ。「怒」っているぞ。

沖縄の旅を終え、日常生活に戻った。本日(5月12日)午後、文京区民センターでの稲嶺進・前名護市長との「交流の集い」。300人を超える参加者の盛会だった。

主催は「平和委員会」。沖縄の辺野古新基地反対闘争と、全国の反基地・平和運動との連携を目指した集会。稲嶺さんの講演の演題は、「沖縄はあきらめない」という微妙なものだった。「子どもたちの未来のために 辺野古に基地はつくらせません」との副題が付されている。

「沖縄は、琉球処分・廃藩置県後に《大和世(やまとゆー)》となり、敗戦後には《アメリカ世(あめりかゆー)》となりましたが、1972年復帰によって《再びの大和世》になったわけです。『祖国復帰』をスローガンとした県民の真の願いは、平和憲法の日本への復帰でした。しかし、現実は基地付き・核密約付きの復帰でしかありませんでした。それ以来現在まで、沖縄は事実上アメリカと、アメリカ言いなりの本土政府の支配下にあります。県民の願いを無視し、普天間の移設を口実とした辺野古新基地建設強行は、平成の琉球処分ともいうべき暴挙です。…」

稲嶺さんは、「自分は市長ではなくなったが、名護市民の思いが新基地建設反対にあることは明らかなのだから、引き続き基地反対運動には関わっていきます。今は『誇りある名護をつくる会』の代表として、当面は9月の名護市議選に向けての運動に携わっています。」という。

そして、次のように展望を述べた。
「辺野古新基地予定地の海底には活断層もありマヨネーズのような軟弱地盤もあることが明確になってきています。もうすぐ、翁長知事の健康状態も回復し、近いうちに、仲井眞知事がした国に対する埋立承認の撤回がなされるはずで、大きな盛り上がりの中で11月の知事選を迎えることになります」「また、大浦湾沿岸の13字(あざ)にまたがる『名護市東海岸漁業協同組合』の設立と漁業権の設定が認可される見通しで、地元漁業を守る見地からの新たな埋立工事阻止の運動にも法的措置にも期待されるところです」

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ところで、今年3月の佐川宣寿証人喚問のときには韓国旅行の最中だった。今度は5月の沖縄旅行中に、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致。佐川の証言もひどかったが、柳瀬の答弁は輪をかけてひどい。偽証は見え見えのバレバレではないか。以下の川柳が笑い飛ばしているとおりではないか。素晴らしい出来栄え。川柳子には、素晴らしい素材なのだ。

東京新聞(12日)。
 官僚は記憶戻すに許可が要り(所沢 髙橋馨)

朝日川柳(12日)。
 えんま様舌を抜かずに舌を巻く(岩手県 小林晴男)
 真相をバーベキューの煙(けむ)に巻き(岐阜県 清水朋文)

同(5月5日)。
 調整がつけば記憶を取り戻し(東京都 安達雅夫)
 知らなんだ事実は調整するものと(三重県 日江井敦子)
 調整が済んで出演猿芝居(群馬県 細堀勉)

読売時事川柳(12日)にも。
 忖度をするほど落ちる記憶力(新宿区 藤吉尚之)

また、東京新聞2面に「自民党前 抗議デモ 本部や神奈川など一斉に」の記事。

何より写真がよい。自民党本部前での抗議デモの参加者の掲げるプラカードの大きな文字が怒っている。「怒」「膿」「嘘」「偽」「うそをつくな」「責任をとれ」…。
ここまでいわれる政権も珍しかろうが、これだけ撃たれてもまだ権力にしがみついている破廉恥に首相も珍しい。記事は以下のとおり。

安倍政権を支える与党自民党に「市民の怒りを見せつけよう」と、会員制交流サイト(SNS)で呼びかけた全国一斉の抗議行動が十一日、東京都千代田区の自民党本部前などであった。神奈川や千葉、埼玉など各地の党事務所前に広がり、参加者らは「安倍政権は今すぐ退陣を」などと声を合わせた。
党本部前では五百人超が集まり、「怒」「膿(うみ)」「嘘(うそ)」などと書かれたプラカードを掲げた。

呼び掛け人の会社員、日下部将之さん(43)が「力任せの国会運営、不誠実な答弁などの問題がありながらも、総理大臣が責任を取らない。一番の問題は安倍内閣を支える自民党だ」と訴えた。

仕事帰りに参加した豊島区の女性会社員(48)は「もう耐えられない。自民党は今の首相・総裁が一番ふさわしいと思うくらい、人材がいないのか」と語った。

党千葉県連(千葉市中央区)前での抗議に参加した、千葉県市川市の片岡良男さん(53)は「言い訳ばかりで、自浄能力のない安倍政権はすぐに退陣してほしい」と話していた。

そして、東京新聞1面トップは、「首相会食受け柳瀬氏助言 加計側に学部新設対応策」。既報の記事の蒸し返しではない。新たなニュースソースによる記事。これはニュースソースとなった「政府関係者」に注目せざるを得ない。

学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡り2015年4月、学園や愛媛県幹部らが柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会した際、学園側出席者が「安倍晋三首相と加計孝太郎学園理事長が会食した際、『下村博文文部科学相(当時)が、加計学園は課題への回答もなくけしからんといっている』との発言があった」という趣旨の説明をしたことが、政府関係者の証言で分かった。この発言を受け、柳瀬氏は「課題への取り組み状況を文科省に説明するのがよい」と、学園側に助言したという。

政府関係者によると、学園関係者が「(下村氏の指摘への)対応策について意見を求めた」ところ、柳瀬氏が「今後、策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取組状況を整理して、文科省に説明するのがよい」とアドバイスしたとされる。こうしたやりとりは、県文書に記載されているが、発言者が明示されていなかった。

柳瀬氏は参考人質疑で、15年2月から6月の間に加計学園関係者らと首相官邸で3回面会したと認め、国家戦略特区での獣医学部開設を協議したと明らかにした。しかし、4月の面会の際、安倍首相と加計理事長の会食が話題になったことを「記憶がない」とし、自身の助言についても「私がそういう発言をしたという覚えもない」と述べた。

安倍首相は昨年7月の国会で、学園の学部開設を知ったのは「(学園が事業者に正式決定した)17年1月20日」と答弁している。

この記事は、加計孝太郎の証人喚問が必須であることを再確認させてくれる。そして、おそらくは、加計孝太郎の証人喚問の実施がアベ政権の終焉となることも。

(2018年5月12日)

級友との沖縄の旅・4日目ー沖縄と天皇

本日(5月11日)は、沖縄の旅最終日の4日目。糸満から那覇に戻って夕刻には羽田着の予定。4日目の予定記事となる。

今日の沖縄の状況は、戦争の惨禍とアメリカの極東軍事戦略がもたらしたものだが、その結節点に天皇(裕仁)の存在がある。そして、本土がそのような沖縄を放置し、その犠牲の上に安逸をむさぼる構造がある。ちょうど、過疎地に原発のリスクを押しつけ、その便益は中央が受益している如くに、である。

信じがたいことだが、日本国憲法の適用範囲から沖縄を切り離して米軍の統治に委ねようというアイデアは、憲法施行によって一切の権能を剥奪されたはずの天皇(裕仁)の発案だった。彼の超憲法的行動としての「沖縄メッセージ」が、沖縄をアメリカに差し出したのだ。

GHQの政治顧問シーボルトがワシントンの国務長官に宛てた1947年9月22日付公文が残されている。

沖縄県公文書館のインターネットによる資料紹介では、以下のとおりである。

“天皇メッセージ”

(シーボルト書翰の)内容は概ね以下の通りです。
 (1)(天皇は)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
 (2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
 (3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモ(シーボルト書翰)によると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

沖縄県には遠慮があるようだが、「沖縄メッセージ」の核心は、「共産主義の脅威とそれに連動する国内勢力が事変を起こす危険に備え、アメリカが沖縄・琉球列島の軍事占領を続けることを希望する。それも、25年や50年、あるいはもっと長期にわたって祖借するという形がよいのではないか」というものである。

昭和天皇(裕仁)には、憲法施行の前後を通じて自分の地位に決定的な変更があったという自覚が足りなかったようだ。1948年3月には、芦田首相に「共産党に対しては何とか手を打つことが必要と思うが」と述べてもいる。

「沖縄メッセージ」の負い目からであろう。昭和天皇(裕仁)は、戦後各地を訪問したが沖縄だけには足を運ばなかった。運べなかったというべきだろう。

「沖縄についての天皇の短歌」「天皇に対する沖縄の短歌」について、内野光子さんから、いくつかを教えてもらった。

 「思はざる病となりぬ沖縄をたずねて果たさんつとめありしを」

これは、死期に近い1987年の天皇(裕仁)の歌。気にはしていたのだ。やましいとは思っていたのだろう。しかし、彼がいう「沖縄をたずねて果たさんつとめ」とは何なのだろうか。謝罪を考えていたとすれば、立派なものだが原爆投下による惨禍についても「やむを得ないことと」と言ってのけた彼のこと。沖縄の民衆に手を振ることしか脳裏になかったのではなかろうか。

父に代わって、現天皇(明仁)は妻を伴って、皇太子時代に5回、天皇となってから6回、計11回の沖縄訪問をして、その都度歌を詠み、琉歌までものしている。多くは沖縄戦の鎮魂の歌であり、それ以外は沖縄の自然や固有の風物・文化にかかわるもの。主題は限定され、現在も続く実質的な異民族支配や基地にあえぐ現実の沖縄が詠まれることはない。

一方、天皇に対する在沖の歌人たちは、次のような厳しい歌を詠んでいる。

 日本人(きみ)たちの祈りは要らない君たちは沖縄(ここ)へは来るな日本(そこ)で祈りなさい(中里幸伸)

 戦争の責めただされず裕仁の長き昭和もついに終わりぬ(神里義弘)

 おのが視野のアジア昏れゆき南海に没せし父よ撃て天皇を(新城貞夫)

根底に、沖縄の人びとのこの激しい憤りと悲しみがあってのこと。かつては天皇の国に支配され、天皇への忠誠故に鉄の嵐の悲惨に遭遇し、そして天皇によって米国に売り渡され、事実上異民族支配が今も続く沖縄。

傍観者としてではなく、沖縄の人びとのこの怒りを真摯に受け止めねばならないと思う。
(2018年5月11日)

級友との沖縄の旅・3日目ー南部戦跡

本日(5月10日)沖縄の旅3日目。本日は、名護から南部戦跡や平和公園をまわって糸満泊の予定。3日目の予定記事となる。

学生時代、初めてパスポートをもって復帰前の沖縄を訪れたことがある。そのときも、南部の戦跡をめぐった。まだ平和祈念公園はなく、平和の礎の建設もなかったが、ごつごつした摩文仁の断崖と、そこに建っていた仲宗根政善さんの次の2首の歌碑が印象に深い。

いわまくらかたくもあらむ やすらかにねむれとぞいのる まなびのともは 
(ひめゆりの塔)

南の巌のはてまで守り来て散りし龍の児雲まきのぼる
(沖縄師範健児之塔)

このとき那覇で、まったく偶然に仲宗根政善さんにお目にかかってお話を伺う機会を得ている。魂魄の塔も印象に深い。

その後、慰霊の塔や歌碑が数多く建てられた。その中の心に残る幾つかの歌を記しておきたい。歌碑の中には、靖国調で違和感を禁じえないものも少なくないが。

わが立てる臥牛の山は 低くして  南海は見えず 吾子はかへらず
この果てに 君ある如く 思はれて 春の渚に しばしたたずむ
(北霊の塔)

むせび哭く み魂の散りしか この丘に かすかにひびく 遠き海鳴り
(ふくしまの塔)

和魂となりてしづもるおくつきの み床の上をわたる潮風
(魂魄の塔)

しろじろと しおじはるかに かがやける マブニのおかに きみをまつらん
(のじぎくの塔)

平和祈念公園ができてから確か3度ここを訪れている。その都度平和の礎の大理石の肌に手のひらを当て、刻印を指でなぞっている。故郷を同じくする人の名には一入感慨が深い。

ここでの慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象としている。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。

味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さはここには微塵もない。一途にひたすらにすべての人の命を大切にして平和を希求する場、それが、平和祈念公園であり、平和の礎である。

あらためて、貴重な人命を葬り去った戦犯たちの責任を想起する。それは、戦争を起こした責任であり、近隣諸国への加害責任であり、敗戦が明確になってからも戦争を継続した責任であり、民間人の命を危険にさらした責任であり、戦後も長く損害の回復を怠った責任でもある。戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害について徹底して国家の責任を追求することが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。

(2018年5月10日)

級友と沖縄の旅・2日目ー辺野古

本日(5月9日)沖縄の2日目。本日は、那覇から辺野古に行って名護泊の予定。2日目の予定記事となる。

沖縄は、今年(2018年)が「選挙イヤー」。51件の首長選・議会選挙が目白押しだという。11月に予定の県知事選がメインだが、南城・名護・石垣・沖縄・豊見城・那覇の計6市でも市長選が実施される。オール沖縄陣営は、幸先よく南城市長選で勝利したが、その後の名護・石垣・沖縄で連敗している。転機になった2月4日の名護市長選の結果が象徴的で残念というほかはない。

「オール沖縄」の立場で一貫し、辺野古新基地建設反対で盤石と思われていた現職の稲嶺市政がなぜ敗北したか。選挙後にいろいろ取り沙汰されたが、名護市民の中に「辺野古疲れ」が見られるという指摘に考えさせられた。

いくつもの世論調査の結果は、地元の辺野古新基地建設反対意見が賛成を大きくリードしていることを明らかにしている。だから、過去の2期は「オール沖縄」の稲嶺陣営が勝利した。しかし、今回はそうならなかった。基地建設に賛成ではないが、いつまでも反対をしてはおられない、という市民の気分が「辺野古疲れ」と表現されているのだ。

県を挙げての辺野古新基地建設反対運動は続けられ、それなりの効果も上げてはいるが、国の力は強いと映っている。結局は基地の建設は避けられないのではないか。とすれば、いつまでも反対で突っ張るよりは、よりよい条件で国と折れ合って、現実的な利益を獲得した方が得策ではないか、という心情。

こういう気分の市民には、本土の革新政党幹部からの「基地反対の稲嶺を」という選挙応援は耳にはいらず、「基地問題」よりは「生活」重視へという訴えが功を奏したというのだ。

これを象徴するのは、小泉進次郎の選挙演説である。理念を語らず、理性に訴えず、感性にだけ訴える手口。欺しのテクニックと言って差し支えない。今や、小泉こそがアベとは別の意味での危険な政治家となっている。2月5日の当ブログを再読いただきたい。

名護高校の生徒諸君 ― 小泉進次郎のトークに欺されてはいけない。
http://article9.jp/wordpress/?p=9879

恐いことに、若年層が「将来ビジョンや理念よりは、今手の届く利益を」という訴えに耳を傾けている。稲嶺陣営は、高齢者層で勝ったが若年層で大きくリードされたのだ。

若年層に限らない。闘いが困難になれば、あるいは展望が開けないときには、闘いを避けて易きにつきたいのが、人の世の常ではある。「オール沖縄」より国家は何層倍も強い。しかも、その背後にはさらに強大なアメリカが睨みをきかせている。

確かに、基地ができれば地元の将来は暗い。しかし、がんばってもどうせ無駄なら、妥協とひき換えの、地元振興策というアメにありつくことができる。闘いを挫折させるこの構造は普遍性のあるものではないか。この困難な中で、地道に闘いを続ける人々に敬意を表せずにはおられない。

名護市長戦での敗北にめげずに、辺野古の闘争は今日も続けられている。ひとときでも、闘う人々と現場をともにしよう。少しの時間でも座り込みに参加しよう。大浦湾にボートを出して、海上の闘いも目に焼き付けておこう。
(2018年5月9日)

級友と沖縄の旅・初日

本日(5月8日)から沖縄。学生時代の仲間9人で本島3泊4日の旅。8日(火)の昼前に那覇に集合して、11日(金)夕方まで。大型のレンタカーを借りて、4日間県内を廻ろうという企画。案内役は、元朝日の記者で退社後に張り切って沖縄に関わり続けている小村滋君。小凡というペンネームで発信を続けている。

宿泊先は、8日が那覇、9日が名護、そして10日が糸満。小村君の予約してくれた宿が、3100円(素泊まり)、5500円(朝食付き)、4000円(素泊まり)と、いずれもリーズナブルなのがありがたい。なにせみんな70代、年金生活者なのだ。

この仲間は、1963年に大学の教養課程に入学して、第2外国語として中国語を選択した「Eクラス」の同級生。当時中国語選択はごく少数派だった。ドイツ語、フランス語、そして理科ではロシア語などが主流だった時代、変わり者27人が中国語を学んだ。主任の教授が工藤篁というこれまた変わり者。およそ、出世主義や権力欲を小馬鹿にする雰囲気に満ちていた。だからなのか別の理由なのかはよく分からないが、Eクラス在籍者からは、学生運動や政治運動の活動家は輩出しても、立身出世や富貴に恵まれた将来とは無縁と信じられていた。

それでも、どこにも例外はあるものだ。27人の同級生のうち、官僚になったのが2人いる。1人は大蔵官僚になって、理財局長から国税庁長官(!)になった。もっともこの友はクラス会にトンと顔を出さない。もうひとりは警察官僚となって警察の位で警視監になっ手の退官と聞いている。多分よい官僚だったであろうが、いずれも異色。裁判官になったのが1人。順調に出世して仙台高裁長官から最高裁裁判官となった。リベラルな人物だったが、惜しいかな在任中に亡くなった。

以上の3人はEクラスの傍流。主流派は立身出世とは無縁の者ばかり。中には、何を生きる糧としてきたのかよく分からぬ魅力にあふれた人も少なくない。学者(哲学・歴史・教育)が3人。ジャーナリストが幾人か。ごく真っ当に民間企業で勤め上げた人もあるが、意外に教育に携わった人が少ない。弁護士になったのは私一人。

誰もが、何ものでもなかった頃に知り合った、氏素性の底が割れている仲間と一緒の旅。しかも沖縄だ。いかで、楽しまざらんや。

沖縄のどこに行くか何を見るかは、その日の風次第。小村君の気分次第。決まっているのは、少しの時間でも辺野古の座り込みに参加しようということ。大浦湾にボートを出して、辺野古を海から見ようということ。そして、瀬長亀次郎の「不屈館」には必ず行こうということくらい。

沖縄行のレポートは帰京後のこととして、5月8日~11日までは、出発以前に書きためた予定記事とならざるを得ない。本日がその第1回である。本日の訪問先は、沖縄戦の最激戦地である嘉数がメイン。それに、首里に王朝が移る以前の王都であった浦添に足を運ぶ。

(2018年5月8日)

沖縄県知事の「辺野古・埋立の承認撤回」の具体化に期待

小凡こと小村滋君から、メール添付の【アジぶら通信 第42号】をいただいた。今号はA4・5頁。文字通りのミニコミ紙だが、さすがに素人離れした体裁と内容。自分で撮った現場の写真もなかなかのものだ。

「アジぶら」という紙名は、学生の作る「アジビラ」みたいなものという謙遜でもあろうが、欧米ではなく「アジア」を見据えてものを考えようという主張。そしてアジアのあちこちを「ぶらぶら」見聞しながら型にはまらない記事を発信しようというコンセプトとお見受けしている。

今号のメインタイトルは、「辺野古」座り込みパワー 4・23~28(小凡・記)」である。ご自身の座り込み体験記。

連続6日500人集中行動「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」の呼びかけに応じて4月24日、沖縄へ行った。那覇空港に着いて早速、沖縄2紙を買った。集中行動は23日が初日だったから、それを報じる24日紙面は、ともに一面に大きな写真入りだった。朝日新聞(大阪)も23日夕刊は1面に写真入りだった。

見よ!民衆の底力

民衆の底力を見せるのが狙いだ。
辺野古に着いたのは午後2時頃だった。これまで辺野古ゲートには何回か来ているが、座り込みは少人数で静かな抗議だった。今回は違った。リーダーのスピーカーは「午前中で670人。2人が逮捕された」と言った。私のように午後に来る者、午前中で帰る人、延べにしたら700 人は越えるだろう。
森友問題を最初に告発した木村・豊中市議が呼びかけ人として挨拶し大きな拍手を浴びた。東京から来た女性3人のバンドも大きな拍手を浴びた。福島にも通っているという。
午後3時過ぎ、「道路を占拠するのは道交法違反です」などと警察のスピーカー。引っこ抜き規制が始まるようだ。
座り込みの両側を機動隊が囲む。座り込みのお尻に着いた。まだ先だろうと思っていたら、私が引き抜かれた。片腕ずつ2人、足を独り。70㌔を腕で支えるのは結構しんどい。装甲車の列まで来たところで降ろされた。装甲車とフェンスの間に押し込められて息苦しい空間だった。気がつくとトラックの巨大な列が出来ていた。昨23日は座り込みが終わった4時過ぎてトラックがゲートへ入ったという。この日は午後4時半頃からトラックがゲートへ入り始めた。リーダーの指示に従って少し離れたテント下で集会だった。
その後、逮捕された2人を励ますために名護署に集まった。雨が降り出していた。シュプレヒコールを繰り返しながら留置場のある裏に周り、警察署をひと回りした。解散したとき、日は暮れて、雨は強まっていた。
集中行動、最初の 5 日間は目標を上回る600~700人が詰めかけたが、政権側も機動隊員の数を増やして対応。完全阻止とはいかなかった。しかし最終日の4月28 日「屈辱の日」は県民大会として約1500人が参加し、工事車両はなかったという。

共闘? 分裂? オール沖縄
今回の「集中行動」のきっかけは、2月の名護市長選の敗北だ。保守系の立場からオール沖縄の共同代表だった呉屋守将・金秀グループ会長が共同代表を辞任。呉屋氏らは辺野古の賛否を問う県民投票を推進し、オール沖縄とはブリッジ方式で共闘するとした。これに対して、残った革新系のオール沖縄は「辺野古座り込みこそ民衆運動の原点」と今回の集中行動となった。

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ところで、「後書き」の「県民投票と撤回」という次の記事がやや気になる。

▼「県民投票」と「撤回」 オール沖縄は既に別居している。翁長知事支持、辺野古新基地の阻止では一致しているのに、である。問題は「撤回」と「県民投票」の関係らしい。▼本格的埋立てを7月にも始める、と政権側は公言。大浦湾の自然を守るには6月にも「撤回」せよという。一方は、県民投票での民意証明が撤回の最強武器という。森友・加計問題で首相夫妻関与の実態がいくら出てきても、公文書改ざんしてまで「知らぬ存ぜぬ」の政権が相手だから。▼沖縄タイムスは3、4月と両派識者の論考やシンポを掲載した。「県民投票の前でも撤回できる」と言えば、片や「百害あって一利なし」論をトーンダウンしたようだ。両者はかなり近づいたように私には見える。今回の「集中行動」は民衆運動の原点を見せつけた。一方「『辺野古』県民投票の会」が9月投票めざして署名集めに動き始めた。1+1=3 になる共闘になって欲しい。

辺野古の新基地建設反対運動に注目して丹念に報道を追っている者以外には、「大浦湾の自然を守るには6月にも《撤回》が必要」という文意が分かりにくい。この機会に行政行為における《撤回》の意味を確認しておきたい。

問題になっている《撤回》とは、仲井眞弘多・前沖縄県知事が、国に与えた「海面の埋め立て申請に対する『承認』」の《撤回》である。前知事がした「承認」を、後任の翁長知事が《撤回》すべきということなのだ。

辺野古新基地建設のためには、大浦湾を埋め立てねばならない。しかし、公有水面の勝手な埋立てが軽々に認められてよいはずはない。公有水面埋立法は、公有水面の「免許」を知事の権限とし、「国土利用上適正且合理的ナルコト」「埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」その他の諸要件を満たさない限り、「免許してはならない」と定める。

国が埋立工事をする場合については、特に「国ニ於テ埋立ヲ為サムトスルトキハ当該官庁都道府県知事ノ承認ヲ受クヘシ」(同法42条1項)と定める。つまり、国が海面の埋立をしようとする場合でも、県知事の「承認」が必要なのだ。

仲井眞弘多・前沖縄県知事は2013年12月27日付で、辺野古移設に向けて国の埋め立てに「承認」を与えた。翁長知事は、この「承認」に瑕疵があったとして、「承認を取り消し」た。すなわち、「もともとしてはならない違法な承認だったから取り消す」としたのだ。

紆余曲折を経て、国は「翁長知事の承認取消こそ違法」として、県に対して「承認取消を取り消せ」という是正を指示し、これに従わない県に対して行政訴訟(国の是正指示に従わない不作為の違法確認訴訟)を起こした。残念ながら翁長知事の「承認取消」は最高裁まで争って認められないと法的には決着が着けられた。

「承認取消」が通らなければ、これに代わる「承認撤回」で行こう、というのが運動体の中から提案されている。これが《撤回》の意味。

もともとすべきでなかった間違った承認について遡って効力をなくするのが「承認取消」であるのに比して、承認のときの違法はともかく現時点では承認すべきではなくなっているのだから承認の効力をなくするというのが「承認の撤回」。

昨年(17年)3月、翁長知事自身も集会では「撤回を必ずやる」と発言しているが、1年余を経てその実行はない。軽々にはできない。慎重を要すると考えているのだ。常識には、「承認時以後の事情変更」「承認時には知り得なかった違法事由」を特定して立証しなければならない。運動論としてはともかく、「承認取消」で敗訴している以上、法的には明確な根拠が必要なのだ。

迂闊な《撤回》は、国側から「承認撤回の取消を求める」訴訟提起に持ちこたえられない。これに関して、最近明らかになった知見として、埋立予定海域の活断層の存在と地盤の軟弱性の疑いが、撤回の根拠となり得るのではないかと、話題になっている。

自由法曹団沖縄支部の新垣勉弁護士は、ごく最近大要次の報告をしている。

撤回に向けた動き
 県は、これまで行政法研究者の助言を得ながら、埋立承認撤回の法的根拠と理由を検討してきた。しかし、なかなか撤回に踏み切る適切な事由を探し出せずに苦しんできた。
 ところが、上記活断層の存在及び軟弱地盤の存在は、状況に大きな変化を与えようとしている。これまで、知事を支援してきた撤回問題法的検討会(県内行政法研究者・団員弁護士で構成)は、2月に「県は、検討段階から撤回に向けた具体的準備に入ること」を提言する法的意見書を提出した。
 同意見書は、
 ①活断層の存在が埋立地の安全性を大きく損なうこと(要件事後喪失事由)、
 ②埋立が辺野古の海の豊かな自然環境を破壊し、新基地建設が県民の生活・生命身体等の安全を損ない、沖縄の経済発展を大きく阻害すること(公益事由)
を主な理由に撤回の準備に入ることを提言している。
 県も同様の認識を有しているようであり、今後の進展が期待されている。

今後に注目して見守りたいと思う。
(2018年5月7日)

第五福竜丸展示館に、今年は格別のご支援を。

連休が今日で終わる。ああ、已んぬるかな。
連休は事前には長大で輝いて見える。なんでもできそうな素晴らしい大型連休。ところが、連休に突入すると突然連休は収縮して徐々に光を失い、過ぎ去ると短くて暗いものとなる。終わってみると、この連休には何もなしえなかった、溜まった仕事も片付かないこととなる。例年のことだが、連休とは不思議なものだ。

その連休最終日は、夢の島で公益財団法人第五福竜丸平和協会の理事会だった。評議員会に提案する3月末で締めた年度の決算案と、事業報告案の審議。協会の事業はすべて西暦表示だ。いまどき、どこでも当たり前のことだろう。ところが、役所に提出の書類だけは、元号表示となるので、煩わしいことこの上ない。おそらくは、ビジネスに携わる者の圧倒的多数は元号廃止論者ならん。

4月以後の新年度の事業計画を建てなければならないが、これに少々問題がある。1976年の開館から今年で42年。展示館の改修が必要な時期になっている。今年ようやくその改修工事に着工の予定となった。これに伴い、7月以後来年3月末まで展示館は閉館のやむなきに至る。

休館予定は《18年7月1日⇒19年3月31日》である。となると、東京都からの平和協会への委託料も大幅に減額となることが予想される。財政のピンチを回避しなければならない。

そこで、本日は、平和協会の立場で、広報活動を買って出る。皆様に幾つかのお願いを申しあげたい。

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公益財団法人第五福竜丸平和協会が運営を委託されている第五福竜丸展示館は、念願だった大規模改修工事に着手することになり、その間休館いたします。

本年7月1日から工事に着手し、来春4月2日にリニューアルオープンいたします。展示物も新しいものに替え、充実した映像展示もできるようになります。休館前にも、そして休館明けの新装なった第五福竜丸展示館にも、ぜひお越しください。ボランティアの説明員が丁寧に解説いたします。

アクセスや展示の内容については下記のURLをご覧ください。
http://d5f.org/kyokai.html

実は、9か月もの休館に関連して皆様にお願いがあります。
一つは、休館中も核なき世界を目指す第五福竜丸の航海が途絶えることはありません。展示館外で平和協会の活動にご協力いただきたいのです。

あなたの地域で、自治体で、学校で、あるいは市民団体で、第五福竜丸のパネル展を開催していただけないでしょうか。

平和協会は第五福竜丸の被災をはじめとする核被害の展示パネルセットを貸出しています。毎年20~30か所で、パネル展が開かれています。これを、今年はもっと多くの場所で実行したいのです。たとえば、文化祭で、夏祭りで、市民集会で、人の往来する場で…。

展示パネルは、当館の常設展示をコンパクトにした内容で、さらにマーシャル諸島の核被害や第五福竜丸の歴史に関する展示物、現物資料などの貸出が可能です。協会の学芸員による講演会もお引き受けいたします。

☆当館の常設展示に沿った基本的な20枚組パネルセットの場合の内容や費用は以下のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸の被災、ブラボー実験、事件のスクープ、乗組員の被害、久保山愛吉さんの死、マグロ騒動、放射能雨、原水爆禁止の声の高まり、マーシャル諸島の被ばく者、世界の核実験、ラッセル=アインシュタイン宣言、保存運動、エンジンと展示館など
【サイズ】
A2(42cm×59cm)20枚
【貸出費用】
5千円~1万円+送料実費(宅配便3000~4000円程度)

☆また、20枚組パネルセットを増補しより詳細な42枚組パネルセットの貸し出しは次のとおりです。
【主な内容】
第五福竜丸被災、ビキニ事件の写真、解説に加え、マーシャル諸島の核被害パネル12枚を含む。
【サイズ】
B2(52cm×73cm)42枚
【貸出費用】
3万円+送料実費

☆その他、「マーシャル諸島の核被害」や、「世界の核被害写真パネル」セットもあります。その他、現物資料や講演会などの組み合わせ企画の相談に応じます。
下記にご連絡ください。

TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
E-Mail:fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp

☆大型展のご案内
博物館や歴史資料館、郷土資料館、自治体主催の催しなどの特別展として、大型展示企画用に展示を構成いたします。
*ビキニ事件展示パネル60枚組(B2判)、もしくは42枚組
*マーシャル諸島の核被害に関するパネル等
*大漁旗
*船体タペストリー
*現物資料50~70点
【過去の実施例】
高知市、立命館大学国際平和ミュージアム、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、枚方市市民ギャラリー、茨木市、多摩市、串本市、丸木美術館、コープみやぎ、西東京平和のつどい等

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☆ 第五福竜丸平和協会では、第五福竜丸の維持管理と財団の活動を支える賛助会員を募集しています。
皆様のご好意により第五福竜丸はこれからも航海を続けていくことができます。
ぜひとも寄附のご協力、会員としてご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします。会員には、機関誌「福竜丸だより」をお送りします。

☆会員としてのご支援
1.賛助会員
第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。
(年会費:個人5千円、団体1万円)

2.ニュース(福竜丸だより)会員
会員様のご自宅へ「福竜丸だより」をお送りいたしております。
(年会費:個人2千円 )

☆今回のみの支援
会員としてではなく寄附も受け付けております。 ご支援いただけると幸いです。
*賛助会費等も税制優遇措置の適用を受けます。
*当法人は平成23年10月26日付で税額控除対象法人になりました。
[賛助会費及び寄附金-2,000円]×40%が所得税額から直接控除されます。

具体的な寄付の方法については、下記URLをご覧ください。
あるいは、電話等でお問い合わせください。
http://d5f.org/contribute.html
(2018年5月6日)

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