昨年暮の都知事選で、革新・リベラル連合は石原後継陣営に大敗した。多少なりともその選挙に関わった私としては無念やるかたない。この敗北をどのように根本から総括すべきか、とりわけ革新共闘のあるべき形をどう描くのか、考え続けている。
その都知事選の苦い記憶冷めやらぬうちの都議戦である。434万票を獲得した「傲れる知事猪瀬」の暴走を許してはならない。これを牽制する真っ当な野党を議会に確保しなければならない。石原ー猪瀬路線の拠って立つ基盤が、新自由主義と開発型利益誘導政治と、そして国家主義・新保守主義のないまぜである以上、この知事への対決姿勢を堅持し、真っ当な野党としての役割を担い得るものは、日本共産党以外にはありえない。
議会制民主々義が健全に機能するためには、野党の存在は絶対不可欠である。謀略によって野党が議会から追放され、あるいは翼賛議会が成立するとき、民主々義は死滅する。大戦前のドイツと日本の歴史が、その苦い実例ではないか。
この立ち場から、赤旗が連日「都議会オール与党体制」を批判している。この批判は、民主々義を大切に思う多くの人々に受け容れられ、説得力のあるものとなっている。
そのことを意識してか、みんなの党の渡辺代表が、都議選の第一声で「自民党がぼろ勝ちし、自民、公明両党で過半数を制すると、民主党も日本維新の会も(加えた)オール与党状態の都議会に改革ができるのか」(読売)と発言し、民主党の海江田氏までもが、「都知事が暴走してしまったら、誰が止めるのか。都議会が止めなければいけない」「石原慎太郎前都知事が…皆さん方の税金を使って銀行(新銀行東京)をつくって失敗、オリンピック招致にずいぶんむだなお金をかけた」(赤旗)と議会で果たすべき野党のチェック機能の大切さを言い出している。
「都議会をオール与党体制としてはならない」「434万票の知事の傲りを放置してはならない」「健全な野党による知事への批判が必要だ」。その願いは、共産党に託するしかない。
赤旗日曜版6月16日号第5面の記事を抜粋する。
「『オール与党ではどうにもならぬ』(「東京」)、『猪瀬人気便乗 オール与党化』。マスメディアからも批判が上がるほど、東京都政での自民、公明、民主、維新、みんなの『オール与党化』がひどくなっています」
「猪瀬知事発足後初の3月都議会、自民、公明、民主、維新、みんなの各党は、知事提出の167議案すべてに賛成しました。生活者ネットも、2議案を除いて賛成です。まさに『オール与党』です」「これらの『オール与党』は、憲法96条の改定反対に関する意見書も、認可保育園増設などを求める請願も、反対してつぶしてしまいました」
知事の予算案に反対票を投じたのは、日本共産党だけ。また、都議選選挙ポスターでの候補者とのツーショット撮影について、知事は「一緒に撮りたいという方々については、共産党を除いて各党派、満遍なく撮影している」とのこと。けっこうなことだ。これだけでも、共産党だけが、知事の暴走をチェックする真っ当な野党としての資格がある。
現有8議席を一回りも二回りも大きくして、共産党に真正野党としての大活躍を期待したい。
(2013年6月16日)
イスラム諸国を侮蔑する猪瀬直樹暴言のお蔭で、東京五輪はなくなったものと安堵していた。功績は猪瀬だけにあるのではない。室伏広治問題もあり、橋下徹妄言の効果も大きい。全柔連のパワハラ、セクハラ問題まである。ところが、イスタンブールの治安とスペインの経済事情が悪化して、東京招致の芽が完全になくなったとは言えないらしい。あきらめきれない東京五輪誘致活動は、巨額の費用をかけながらまだ続けられている。そのため、2020年東京五輪招致の是非は、今回都議選の争点の一つとなっている。
6月14日毎日夕刊の「特集ワイド」は、「2020年五輪招致の舞台裏」という取材記事。担当記者の思惑を遙かに超えて、オリンピックの醜悪さをよく描いている。「2020年東京五輪招致に問題あり」の次元ではなく、オリンピックという途方もなく巨大化した怪物の醜さ汚さをアピールしている。こんな奇っ怪なもの、地上からなくした方が良いのではないか。
そう思わせる記事を未読の方は、ぜひ下記のURLをご覧いただきたい。読むに値する記事だ。アントニオ猪木・猪瀬直樹・橋下聖子らの写真を大きく掲載した記者の意図は忖度しかねるが、この記事の読後では、全ての人物が愚かしく、薄汚く見える。
http://mainichi.jp/sports/news/20130614dde012050016000c4.html
私は頑固な「2020年東京五輪招致反対」派の一人だ。が、これまでは「東京への五輪招致に反対」のレベルだった。開催場所が東京でさえなければ、オリンピック結構と思っていた。むしろ、オリンピック精神については賛意を表し、オリンピックの平和への貢献を積極評価する立ち場だった。発展途上国におけるオリンピック開催の経済効果も当然のこととして肯定していた。
なお、オリンピック精神とは、「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」(1996年版オリンピック憲章「根本原則」6条)というものを指している。
もちろんこれまでも、ヒトラーや石原慎太郎などの極右政治家との結びつきを連想させる「国威発揚型オリンピック」には絶対反対の立場だったし、ナショナリズム過剰のオリンピックにも嫌悪を感じてはいた。また、「商業主義型オリンピック」の胡散臭さにも辟易してはいた。とはいうものの、それはオリンピック本来の理念からの「部分的な多少の逸脱」への批判でしかなく、オリンピックそのものを否定することはなかった。イスタンブールかマドリードで行われるのであれば、オリンピックの開催は、世界の平和を象徴するものとして歓迎すべきもの、そう考えていた。いや、あまり深く考えることなどなく、そう思い込んでいた。
しかし、そろそろ宗旨を変えなければならないのではないだろうか。オリンピックが平和の象徴であるとしても、あまりに腐った平和の象徴となってしまったのではないか。国威と過剰なナショナリズムを発揚するに格好の大舞台。資本にとっての一大ビジネスチャンス。そうであるが故の、これに群がる多くの人々の薄汚さ、胡散臭さ。そして、招致活動の不透明さ。汚い金の動き。これらの構造が、「部分的で多少の逸脱」の範囲を超えて、オリンピックそのものの腐敗が後戻りできなくなっているのではないだろうか。
毎日の記事から抜粋する。
「ある都職員が語る。『IOC委員には国際大会や会議の場で接触します。個別の招待は禁じられているため、あらゆる人脈を使って委員に影響力のある関係者を探し、食事などに誘います。…その接待には現地の大使公邸や高級和食レストランが使われ、日本から直送した神戸牛や高級マグロが人気です』」「他の都市も同じことをしているのだから、関係を深めるのは容易ではない。しかも『欧州の貴族サロン』と呼ばれるIOCは世界中の王族や財閥関係者、実業家、政治家が集い、人脈や信頼関係でものごとが決まる独特の世界だ」「そこで活躍するのが五輪コンサルタントだ。『サロンに顔が利く欧米のメダリストや国際競技団体の関係者が多く、招致を目指す都市と複数年契約をし、契約料は億円単位になることも。…東京招致委も外国人コンサルタントに頼らざるを得ないのが実態。IOC元幹部が代表を務めるコンサル会社など複数の法人、個人と契約しています』(招致委関係者)」「04年には英国BBC放送が、票の買収交渉に応じる委員とコンサルタントの癒着を『おとり取材』でスクープ。五輪の金権体質が浮き彫りになった」
金権金まみれがオリンピックの抜きがたい体質、「友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神」とはほど遠い現実。それぞれの思惑で人々が群がり、金が集まり、虚名と虚言が渦巻く世界。これを勝手にしろと放置しておくわけにはいかない。税金が動いているのだから。
「日本から直送した神戸牛や高級マグロ」だけでなく、裏ではいろんな名目での金が動いているだろう。政治家の沽券や名望のために、資本の利益のために。そして、一部の人の名誉心のために。スポーツは本来清新で美しいものではなかったか。こんなに薄汚れたスポーツの祭典に意義があるのだろうか。
東京オリンピック固有の問題は、一に国威発揚型であること、二に資本に迎合した再開発型都市計画を必然化すること、そして三に福祉切り捨ての予算の使い方の間違いにある。
「前回と合わせて2回の招致活動費は225億円(予算ベース)。五輪招致は『自治体に認められた唯一のギャンブル』といわれる。」という。既に、馬鹿げた都民の金が浪費されている。仮に、誘致に成功すれば、さらに巨額の負担を覚悟しなければならない。東京がこんなくだらぬことに血道をかけ、巨額の浪費をする余裕はない。そして、自然破壊や住環境の劣化がもたらされる。子どもや老人への福祉や、保育や教育や、授産事業や職業紹介や、労働者の働く環境を整備し雇用を直接に創出する予算の使い方を優先させるべきではないか。
よく、考えよう。東京五輪本当に都民のためになるものか。都民の生活を優先する立ち場からは、都議選においては、オリンピック誘致に積極的な政党政派・候補者には投票すべきではない。
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『世間と歴史と選挙』
阿部謹也さん著の「日本人の歴史意識ー「世間」という視覚からー」(岩波新書)に手を打って共感した。
私たち日本人は「歴史」にかなりの関心を持っている。歴史的名所は観光スポットとなってたくさんの人が訪れるし、遺跡の発掘現場が公開されれば、どんな交通不便なところでも行列ができる。歴史の専門書や歴史小説の出版も多い。ブログの話題としても歴史は大人気だ。
「これらの人々の歴史に対する関心は一体何なのか。これらの人々にとって歴史とは自分の近くを流れている大きな時の流れであって、それを眺めることは一つのドラマを眺めることに等しい。そこで演ぜられる忠誠や裏切り、愛や憎しみのドラマが人々を引きつけているのであって、人々は歴史をドラマとして楽しんでいるのである。・・しかしこれらの歴史好きの人々の場合も歴史を自分自身が参加しているドラマだとは思っていないのである。」
多くの人々にとって、日々の現実の生活は苦しくままならない。到底観客として楽しむことのできるドラマなどであろうはずもない。だから、自分の現実の生活は運命として甘受することで折り合いを付ける。自分が属する狭い「世間」の様々なしがらみに絡めとられ、そこに安住し、関心はその外に拡がらない。親は子どもに「世間」との折り合いを教える。子どもは「出る釘は打たれる」「長いものには巻かれろ」「素直になりなさい」「組織の論理には従いなさい」といわれ続ける。個性だの個人の尊厳など生意気なことは言わないで、「世間」のしきたりにあわせるよう強制される。しかし、そうした厳しい社会的な制約をかけても、時にはドロップアウトせざるを得なくなる。
そのドロップアウトの時に、傍観できるドラマとしての「歴史」と、自分自身が参加している現実の「歴史」の分岐と重なりとが意識される。ここで、否応なく自分が参加する現実としての歴史に直面せざるを得なくなる。
そのように現実としての歴史に直面する人は、「「世間」の中でうまく適応できずにいる人である。「世間」とうまく適応している人は「世間」を知ることができず、その本質を理解することができない。しかし「世間」とうまく折り合うことができない人は「世間」の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。」
今の日本には「世間」とうまく適応できない人が星の数ほどいる。大人も子どもも「世間と個人」の間の矛盾を鋭く自覚して、苦しんでいる。その苦悩の中から、歴史を観客として楽しむのではなく、主体的に参加し変革したいと真剣に考えている人が生まれてくる。
「しかし「世間」との闘いは単純な闘いではない。「世間」の中で自分の道を切り開いてゆくための闘いだから、「世間」と正面からぶつかる必要はない。笑顔で「世間」の人々と付き合いながら、自分の道に関しては徹底的に闘う姿勢を静かな態度で示さなければならない。この闘いは単独の闘いであるが、仲間ができればその仲間と手を組んでいくこともできる。」
碩学の含蓄に富む言葉だと思う。
いま、その機会がちょうど私たちの前に提示されている。選挙だ。笑顔で歴史の変革に参加できるチャンス到来だ。投票までの間だけでも、新聞の隅々まで読もう。選挙公報や駅前でもらったビラで、候補者の主張を較べてみよう。年金者は老後の生活を、働く親は子どもの保育園を、働く者は賃金や労働者の権利を、その他おのおの自分の要求を洗い出してみたい。平和な未来の生活には「憲法」も「原発」も考慮しなければならない。
選挙の時は、「世間」に「自分」をあわせるのではなく、「自分」は「自分」に合わせて自分自身の「歴史」を作ってみようと思う。
(2013年6月15日)
いよいよ、都議選が始まった。
日本共産党東京都委員会の都民に対する呼びかけでは、「この都議選は、今後の都政のあり方を問う選挙ですが、連続して7月におこなわれる参議院選挙とともに、国政の動向にも大きな影響をおよぼす、たいへん重要な選挙です。」として、「憲法改悪、消費税増税、TPP参加など、国政での安倍自公政権の暴走に、東京からストップを」と訴えている。選挙スローガンのトップが「憲法改悪という安倍政権の暴走にストップを」となっているのだ。
そして、本日夕刊に、「共産 志位委員長」の第一声が見出しになっている。「立憲主義を守りたい」というもの。「憲法96条改正の動きには、護憲・改憲の立場を超え、立憲主義を守りたい」(毎日)が本文。憲法問題がこれほど大きな争点となった地方議会選挙は、未曾有のことであろう。
その改憲問題の状況はどうなっているか。
第183通常国会の会期は6月26日まで。昨日(6月13日)今会期13回目の衆議院憲法審査会が開かれた。これが今国会最終回となって、次は参院選後の臨時国会に舞台は移ることになる。
昨日の審査会では、各会派の代表が総括的に意見を述べた。
権力機構の伝声管である産経が、「自民党は改憲案の具体化に向けた各党協議会の設置を提案し、日本維新の会も議論の加速化を主張した。民主党は憲法改正手続きを規定する96条改正への慎重論を唱え、7月予定の参院選に向け、自民、維新などとの違いをあえて明確にしようとした。」と伝えている。
さらに産経によれば、「審査会では、共産党を除く6党が目指す憲法改正の方向性を説明した。自民、維新、みんなの3党は96条改正で足並みをそろえた。」と、この3党が96条改憲派とまとめている。よくおぼえておこう。憲法擁護勢力から見て、改憲問題における当面の「敵」は、自民、維新、みんなの3党なのだ。ということは、この3党が都議選における当面の「敵」でもある。いささかなりとも憲法を大切に思う、心ある人にとってこの3党に投票することは、「利敵」行為となる。
但し、この3党にも色合いの違いがある。これも産経によれば、「維新の馬場伸幸氏は、国会発議要件を緩和するため96条を先行改正する必要性を強調」「馬場氏の主張には、安倍晋三首相が一時言及した『先行改正』を打ち出さなかったこととの違いを強調する狙いがある。」という。96条改憲3人組みのうち、自民を中心に、維新がより積極、みんながより消極と役割を分担している。
整理をすれば、「維新・自民・みんな」の改憲積極グループと、改憲阻止の「共産」との間に、「民主・公明・生活」の改憲慎重派という図式が浮かび上がってきている。憲法をこの上なく大切と思う人にとって、一票しかない選挙権の有効な行使方法は自ずから明らかではないか。
もっとも、今国会の審議では、「民主・公明・生活」の改憲への慎重さが印象的である。当初は「49対1」で孤立するかに見えた共産の笠井亮議員が、議事録を読む限り孤立の感はない。世論の動向の掩護があるからなのだろう。
本日の東京新聞朝刊が紹介する、「審査会終了後、保利耕輔会長(自民)は『どのように進めていくかということ自体が、われわれの問題点だ』と指摘。『(改憲発議に必要な衆参両院の総議員の)3分の2を集めることは容易ではなく、慎重にやらないといけない』と話した。」との保利発言の内容が現状の雰囲気をよく表している。
なお、今会期最後の審議会では、改憲派にとっての思惑外れを象徴するハプニングがあった。これも、最も詳しい東京新聞から引用する。
「自民党の河野太郎氏は13日の衆院憲法審査会で、同党が昨年まとめた改憲草案について『憲法の名を借りて、国民の権利を制限する方向に安易に行くことは断固反対を申し上げたい』と批判した。
河野氏は、憲法の在り方として『多くの国民が歴史を通じて、国家権力にたがをはめてきた』と説明。『権利を制限し、義務を課すのは、今の日本にはふさわしくない』と指摘した。
さらに、草案に『家族の助け合い義務』が盛り込まれたことも疑問視。元衆院議長の父・洋平氏への生体肝移植の経験を話し『いいことをしたと思うが、それができる人もいれば、できない人もいる。家族は助け合うべきだが、道徳を憲法で定義するのは少し違う。個人に任せるべきものだ』と述べた。
草案への身内からの手厳しい批判に、自民党の衛藤征士郎氏は『憲法が国民を抑えつけ、拘束するという観念で言っているが、ちょっと違う』と反論した。
憲法論議で自民党と対立する共産党だが、同党の笠井亮氏は『河野さんに共感する。自民党の中にもいろいろ議論があるとあらためて感じた』とエールを送った。」
自民党の中にも、「右翼」ではない人もいる。保守の中にも、真っ当な感覚を持った人がいる。本当は、このような人が最も手強い相手なのだが、今はこの真っ当な保守派が「エールを送りたい」ほどの味方に見える。安倍政権や維新などが大きな顔をする、今の状況が異常なのだ。
そのような憲法問題に徹した視点から、都議戦の論戦に加わりたい。
(2013年6月14日)
夜帰宅すると、1軒おいた路地に看板をマスキングした選挙カーが止めてある。いよいよ明日から都議選なのだ。私の理解では、今度の都議選は「日本共産党対靖国派」の対決を軸とした政治戦。憲法を擁護する勢力の健闘に期待したいし、私も微力を尽くしたい。
東京新聞が都議選の争点となるテーマを連載している。その「都議選2013」の一昨日のテーマが、東京都平和祈念館の建設問題だった。見出しが、「都平和祈念館『早く建設を』 東京空襲 体験者 進む高齢化」というもの。
リードは「東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する『東京都平和祈念館(仮称)』の建設を求める戦争体験者たちが、14日告示の東京都議選に注目している。展示内容をめぐる都議会の対立で計画が凍結されて14年。高齢化した体験者らは『いつまで生きていられるか分からない』『議論を始めて』と訴える。」
平和祈念館の「建設をすすめる会」代表の小森香子さんの大きな写真が掲載されている。小森さんのお話しとして、「都議選に候補を擁立する十の政党・政治団体にアンケートを出したが、回答が来たのは四団体だけ」だったという。「都は98年に建設予算案を都議会に提出。しかし、日本の加害の歴史などの展示内容をめぐり、都議会が紛糾。都財政が悪化していた時期でもあり、99年の『都議会の合意を得た上で実施する』という付帯決議で計画は凍結された。2001年に墨田区の都慰霊堂の敷地内に追悼碑は造られたが、都民が寄贈した資料約3500点や空襲体験者330人分の証言ビデオは都庭園美術館(港区)の倉庫に保管されたままだ。」との経緯があってのこと。
アンケートに答えたのは、共産、生活者ネット、社民、みどりの風の4者。もちろん、いずれも建設促進の立ち場だ。しかし都の方針は変わっていない。平和祈念館建設をすすめるには、都議会の構成を変えるしかない。東京空襲犠牲者遺族会は今年1月、祈念館の整備を都議会各会派と都に要望している。都議選の結果は、このことを通じて平和に関連している。
たまたま、私は、「東京都平和祈念館(仮称)建設をすすめる会」ニュースの最新号(第28号)に、祈念館建設促進を願う立ち場からの寄稿をした。願わくは、これをお読みいただき、都議会選挙には平和勢力へのご支援をお願いしたい。
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『戦争を美化することのない ありのままの戦争体験の承継を』
66回目の憲法記念日に、この稿を起こしている。
日本国憲法は、戦争の惨禍を舐めつくした日本国民の不再戦の誓いとして生まれた。前文の「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、この憲法を確定する」との文言は、永久に戦争の被害者にも加害者にもなるまいとする国民の宣言であり誓約である。
その平和憲法に敵意をもってこれを変えようという動向はかねてから絶えない。そして、その言動は今年とりわけ喧しい。戦争放棄・戦力不保持・「平和のうちに生存する権利」の抹殺を狙いとしながらも、96条の改憲手続き条項の改正に的を絞ってここから穴をこじ開けようというのが近年の憲法攻撃の特徴。改憲陣営の究極の目的が、戦争のできる国作りにあることを見据えて、96条改憲に警戒の念を怠ってはならない。
憲法は国民が作る。作るだけでなく国民が守り育てる。立派にまもり育てつつ、役に立つ道具として使いこなさなければならない。ではあるものの、憲法を守り育てる国民の力は、自然には湧き出てこない。かつては平和を願う国民感情は普遍的なものだった。その国民感情が平和憲法の土台をしっかりと支えていた。さて、今はどうだろうか。
かつてはどこの家庭でもありふれたこととして、私の母も子どもたちに戦争を語った。戦地の父を心配して心細かったこと、敗戦の夏にハシカの私を背負って防空壕に息をひそめたこと、配給の食糧の乏しかったこと、相次いだ身内の戦死の知らせ‥。多くの日本人にとって、戦争は戦地にだけあったものではなく、銃後のごく身近にあった。勤労動員や、赤紙や、出征、慰問、空腹、恐怖、虚脱、そして肉親の死。その戦争の相手国であった近隣諸国の民衆の悲惨はさらに規模の大きいものだった。
二度とこの悲惨を繰り返すまいという国民共通の認識が確かにあって憲法に結実した。あれから70年に近い。直接に戦争を体験した私の父母の世代の多くは、既に世にない。その子の世代の私たちは戦争の悲惨の記憶と感情を次の世代に伝え得ているだろうか。かつて平和憲法を支えた、戦争を忌避し平和を願う国民の思いを、いま若い世代が自分のものとしているだろうか。
少し前まで、国会の議席には平和憲法を擁護する堅固な「三分の一の壁」が築かれていた。この壁を支えたものは国民の戦争体験に基づく平和への願いであった。その頼みの壁が今はない。憲法の危機、平和の危機が現実のものとなりつつある。失われようとしている国民的な戦争体験の継承が必要であり、そのための語りの場、学びの場が必要である。貴重な戦争体験の記憶を意識的に記録化し保存することは、後世への義務ですらある。
私は、ときどき靖国神社に足を運んで遊就館を見学する。ここにも戦争の遺品が並んで訴えるものがある。しかし、どうしても違和感を拭えない。同じものでも、その意味づけによって、あるいは展示の仕方によって異なるメッセージが伝わってくる。
平和を願う立ち場から、いささかも戦争を美化することのない、悲惨な戦争の実態を記録して承継する、そのような平和祈念館の建設実現を願う。庶民の目線での、ありのままの戦争体験を正確に次の世代に伝えるにふさわしい施設を。
(弁護士・公益財団法人第五福竜丸平和協会監事)
(2013年6月13日)
泉徳治さんという最高裁判事がいた。東京高裁長官から最高裁判事となって6年3か月の在職だった。4年前に退官して今は東京弁護士会所属の弁護士。キャリア裁判官として22年間を最高裁事務総局で過ごした人。私から見れば、典型的司法官僚のお一人。その人がごく最近、「私の最高裁裁判官論」という本を日本評論社から出した。副題が「憲法の求める司法の役割」というもの。これは、話題だ。
泉さんは、退官後に結構発言が多い。7月10日に大法廷口頭弁論が開かれることで今話題となっている婚外子相続差別問題で、在任中2度の少数意見を書いたとのことで、弁護士になってからもこの差別は違憲だと言い続けている。その立場は一貫していて、現在の最高裁が、違憲立法審査権に臆病であることを批判している。
以下は、著書の「はしがき」からの抜粋である。さすがに、私より品の良い文章だが、私の言いたいことをずばりと言ってくれている。
「司法の重要性を多くの人に理解してもらうためには、何よりも裁判官が憲法によって課せられた司法の役割を十分に認識して、国民の権利自由を擁護するため、立法・行政の裁量権の行使について適切に審査し、企業の行動規範の形成などにも積極的に関与していくことが大切だと考えるようになりました。」
「国民全般の公益と個々の国民の私益とは、しばしば衝突します。国民主権に基づく代表民主主義は、元来、国民が全て平等に人間として尊重されるという基本的人権の尊重の確立を目的とするものです。全体の利益増進を図るためといっても、個々の国民の人間の尊厳に関わるような権利自由をむやみに制約してよいものではなく、制約は必要最小限にとどめる必要があります。個人の権利自由を擁護するのは、裁判所の重要な役割であります。立法・行政の裁量に全てを委ねていては、国民の権利自由を庇護するために設計された司法の職務放棄になりかねません。」
「多数決原理の民主政の下では、社会的少数者の声が立法・行政に反映されるということは、あまり期待することができません。社会的少数者の憲法によって保障された基本的人権を擁護するのも、裁判所の役割であります。」
副題にあるとおり、「憲法の求める司法の役割」がメインテーマだ。裁判官は、憲法によって課せられた司法の役割を十分に認識しなければならない。その視点からは、違憲審査権行使に臆病な司法の現状は歯がゆい。国民からの距離が遠いことを理由とする司法消極主義は、結局のところ「国民の権利自由を庇護するために設計された司法の職務放棄にほかならない」というのだ。元最高裁判事が、自らの反省を込めての言である。ずっしりとした重みがある。
次の点にも共感する。
「私は、最高裁判事時代に三六件の個別意見を書きました。多数意見と結論を異にした「反対意見」が二五件、結論は多数意見と同じであるが結論に至る理由を異にした「意見」が四件、多数意見に加わりながら自分の意見を付け加えた「補足意見」が七件であります。」「少数意見の表明は、全体の議論の質を高めるものであります。」「少数意見は、時間を経て、多数意見へと成長することが少なくないのであり、法の発展につながると考えます。」「少数意見が存在してこそ議論が活発化し、一人でも多くの人が議論に加わることによって制度が前へ進むチャンスも生まれてくると信じております。」
この人の、少数意見の存在が大切だという感性を素晴らしいと思う。まさしく、少数意見が存在してこそ議論が活発化するのであり、「少数意見が多数意見へと成長することも少なくない」のだ。
本文では、日の丸・君が代強制事件最高裁判決にも言及している。宮川光治判事の反対意見を好意的に紹介して、「君が代斉唱事件は、違憲審査基準を重要な争点として浮かび上がらせるものであった。最高裁において、違憲審査基準自体についての議論がさらに深まっていくことを期待したい」と述べられている。
宮川光治判事の少数意見が、議論を深めるだけでなく、やがて多数意見に転化することを切望する。そうなってこそ、最高裁は「憲法の求める司法の役割」を果たしたと言えるのだから。
(2013年6月12日)
自民党日本国憲法改正草案の恐ろしさは、9条を改悪して外征可能な国防軍をつくろうということだけではない。国旗国歌・元号の強制によって「天皇を戴く国家となりかねない。また、「公益・公序」というマジックワードによって、あらゆる人権が制約可能となり国民の基本的人権を根こそぎ否定しかねない。このようなことは、既に多くの人に知られてきた。
私は、自民党憲法改正草案の恐ろしさの象徴として、草案21条2項を挙げたい。なかんずく、その条文の中の「目的」という言葉の恐ろしさを語りたい。まだあまり注目されていないことであるから。
表現の自由こそは、憲法条項のスーパースターだ。最も重要で、最も出番の多い、精神的自由権の中核条項。人権中の人権条項と言ってよい。日本国憲法21条第1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と高らかに謳い上げる。そして、第2項で、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と明確に定めている。これが、権力者には目障りでしょうがない。で、自民党改憲草案は、この条文の形を根底から変えてしまおうとする。
草案21条の第1項は現行日本国憲法第1項と同じ内容。検閲を禁止した現行の2項は同じ内容として、第3項に位置がずれる。そして、問題の「草案21条2項」が次のとおりに新設される。
「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
これを意味の通る普通の文章に翻訳してみよう。
原則論としては一切の表現活動の自由が保障される。しかし、例外が二つある。まず、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行うこと」これは認められない。さらに、「公益及び公の秩序を害することを目的として団体をつくること」これもダメ。同じ行為でも、公益・公序を害する目的があるかないかで雲泥の差となる。「目的アリ」と認定されたら禁圧できることになる。
この憲法が現実のものとなったら、活動規制・団体規制を具体化する法律が作られることになる。その法律の名称こそ、「新・治安維持法」と名付けるのにふさわしい。
1925(大正14)年に成立した元祖治安維持法の第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」というものである。
平仮名に訳せば、「国体を変革すること、または私有財産制度を否認することを目的として団体をつくれば処罰する。その団体に加入した者も同罪。最高刑は懲役10年」という。
「国体の変革」とは天皇制の打倒を意味する。「私有財産制度を否認」とは資本主義体制を変革しようということ。いずれも、共産党を念頭においた弾圧法規だった。
天皇制政府が制定した治安維持法の「国体ヲ変革」「私有財産制度ヲ否認」という目的規定が、自民党草案では、「公益及び公の秩序を害する」という目的規定に衣替えはされているものの、公益・公序の内容の理解次第で、治安維持法とまったく同じ弾圧法規となり得る。
その元祖・治安維持法は、1928(昭和3)年に緊急勅令で改悪され最高刑は死刑とされた。しかも、恐るべきことは、処罰の範囲がほぼ無制限に拡大されたことである。「目的遂行罪」といわれる犯罪類型の創設である。条文を抜き書きする。
第1条1項 「国体ヲ変革スル…結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」
同2項「私有財産制度ヲ否認スル…結社…ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」
これも、平仮名言葉に翻訳すれば、
「国体の変革という目的でつくられた団体の構成員であろうとなかろうと、その団体の目的遂行のためのための行為をした者は処罰する。法定刑は、懲役2年以上(15年以下)」
「私有財産制度を否認する目的でつくられた団体の場合も同様。こちらの法定刑は、やや軽く最高懲役10年(最低1か月)」
普通、犯罪構成要件中の「目的」は、犯罪類型を限定する機能をもつ。通貨にそっくりの物の製造行為があっても、行使の目的がなければ通貨偽造罪には当たらない。権限のない者が他人の名義を冒用した文書を作成しても行使の目的がなければ文書偽造罪は成立しない。ところが、「目的遂行ノ為ニスル行為」の無限定性・漠然性は、目的の2字になんの限定機能も発揮させなかった。むしろ、正反対に「目的」の認定次第で、弾圧可能とする事態を招いた。
治安維持法で起訴された被告人を弁護することは弁護士の正当な職務行為である。ところが、刑事被告人の弁護活動が、「国体を変革することを目的とする結社の目的遂行のためにする行為」と、「目的」認定次第で、弁護人が2年以上の有期懲役にあたる犯罪を犯したことになる。
現実に、刑事弁護活動が「違法な結社の目的遂行のためにする行為」とされて、多くの弁護士が治安維持法の目的遂行罪で逮捕、起訴され、有罪判決をうけている。「共産党員被告の弁護は、すなわち日本共産党の目的遂行のためにする行為」とされ、弁護活動の外形が同じでも、その目的の認定次第で起訴され有罪とされたのだ。恐るべき暗黒の時代であった。
さらに、である。次の一文をお読みいただきたい。
「岩田義道と小林多喜二の虐殺ののち、その労農葬の葬儀委員に加わり、またその葬儀に参加したことが、多くの弁護士にたいする有罪判決の理由にあげられている。判決の立場は、葬儀に出席して弔意を表するのはよいが、『死を利用し、党指導の下にいわゆる白色テロル反対闘争を通じ、党の影響を大衆の間に浸透する目的』で労農葬が挙行されることを知りながら、これに加わったのは『目的遂行行為』にあたる、というのである」(上田誠吉『昭和裁判史論ー治安維持法と法律家たち』)
自民党改憲草案21条2項は、この悪夢の時代を思い起こさせる。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行うこと、公益及び公の秩序を害することを目的とした結社は、いずれも認められない」という。まさしく治安維持法の再来ではないか。外形においては同じことをしても、その目的が「公の秩序を害することにある」と認定されれば、アウトであり、逮捕・起訴が可能なのだ。
何度でも繰り返さねばならない。このような憲法改悪を許せば、「公の秩序を害することを目的とした活動」の処罰に道を開くことになる。まさしく「治安維持法」における目的遂行罪の悪夢の再来となる。日本共産党だけでない。野党として存在感を示すリベラルな政党も、労働組合も、市民団体も、宗教団体の活動にも弾圧が及ぶことになる。民衆に苛酷で、権力に便宜な世の再来を許してはならない。
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『もし諸君が隣人を喜ばせようと思うなら』
以前うちの庭にニョッキリたけのこが生えてきたことがあった。隣家の孟宗竹がブロック塀の下を潜って侵入してきたのだ。早速引っ捕らえて、釜茹での刑にして、美味しくいただいてしまった。現在もその名残として、我が家の庭には細い竹が2本ほど生えている。「考えてみるがいい。隣の庭から、頑健そのもののようなキイチゴの地下茎の芽が、ロードデンドロンの真ん中にひょっこり姿を現したとしたら、そこに住む人はどうしたらいいのだ?キイチゴというものは、何メートルも地面の下をはうものだ。垣根であろうと、壁であろうと、塹壕であろうと、たとえ鉄条網をはったところで、立て札を立てたところで、これをさえぎることは不可能だ。
そのうちそいつが、諸君のナデシコやマツヨイグサの花壇の真ん中にニョキニョキ頭を出してくる。そうなると、手のほどこしようがない。・・・もし諸君が尊敬すべき、りっぱな園芸家であったら、庭の垣根のそばにキイチゴだとか、タデ類だとか、宿根性のヒマワリだとかいったような、いわば隣人の私有財産を足でふむような植物を、植えたりしないだろう。
もし諸君が隣人をよろこばせようと思うなら、垣根のそばにメロンを植えたまえ。むかし隣の庭から垣根のこっち側に、メロンが一つできたことがあった。ものすごく大きな、まるでエデンの園にできるような、記録破りのメロンだった。大勢ジャーナリストたちや作家たちが、いやそれどころか大学教授たちまで、これを見てびっくりしたものだ。こんな大きな果物が、どうして垣根の隙間を押しわけて、こっち側へはいってこられたのか、どう考えてもわからなかった。
そのうち、このメロンがすこし不作法に感じられはじめた。わたしたちは、罰に、そのメロンをもぎ取って、全部食べてしまった。」(「園芸家12ヶ月カレル・チャペック」)
(2013年6月11日)
「自民党憲法改正草案」は、第9章「緊急事態」を新設しようとしている。内閣総理大臣は「緊急事態の宣言」を発して、法律と同一の効力を有する緊急政令を制定することができるほか、財政上必要な措置や地方自治体に対して必要な指示をすることができる、とする。憲法を停止して一党独裁を可能とするこの制度、危険極まりない。
緊急事態とは、「我が国に対する外部からの武力攻撃」、「内乱等による社会秩序の混乱」、「地震等による大規模な自然災害」「その他の法律で定める緊急事態」(「草案」98条)とされている。しかし、周知のとおり、武力攻撃に関しては武力攻撃事態法と関連諸法があり、「内乱等」には諸種の治安立法があり、自然災害には災害対策基本法以下の厖大な関連諸法がある。その法整備や運用改善の努力をするのではなく、全ての不都合を憲法の所為にして憲法改正と結びつけようという姿勢には、秘められた魂胆があるといわざるを得ない。
緊急事態の問題は、国家緊急権として論じられてきた。「平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、政府が、憲法をはじめとする法的制約、つまり立憲的な憲法秩序を一時停止して、非常措置をとる権限をいう」(渋谷秀樹「憲法・第2版」)
その本質は、緊急事態を理由とした「立憲的な憲法秩序の一時停止」にある。一時にもせよ、人権も民主々義も凍結されるのだ。その間に抑圧された「立憲的な憲法秩序」が緊急事態終了後に回復できるという保障はない。濫用の虞は甚だしい。こんな危険なものを認めてはならない。
旧憲法31条は、「本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と、第2章の「臣民権利義務」の規定は、全て平時においてのみ適用されるもので、有事の際の留保を明言した。その原則の実現手法として、14条が「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」と戒厳の権限を天皇に与え、また、 8条「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」と、緊急勅令を発する権限を与えた。70条ではその場合の財政措置まで整備されている。
「戒厳」と「緊急勅令」、一見別物のごとくだが、実は緊密な関係にある。
戒厳とは、「戦時又はそれに準じる緊急事態に対応するために、国家の統治権のすべて又は一部を軍に委譲すること」(青林書院「新版体系憲法事典」)で、その要件と効果を定めた法規を「戒厳令」(1882年太政官布告)といった。我々が歴史書で記憶している戒厳は、明治・大正・昭和に各一度ずつある。
1905(明治38年)の日比谷焼打事件(日露戦争後の講和条約反対暴動)
1923(大正12年)の関東大震災後の騒乱
1936(昭和11年)の二・二六事件
注目すべきは、そのいずれの場合も、戒厳令による戒厳ではなく緊急勅令による戒厳令の準用であったということ。戒厳令では戒厳を宣する要件は具備されていなかった。しかし、政府は戒厳必要として緊急勅令で同じ効果をもたらすことができたのである。
草案98条・99条によって、内閣の政令が緊急勅令と同じ要件と効果を持つ。新設される国防軍に、必要な実力行使を命じることが可能となる。政治的反対勢力や民衆運動を抑圧することが可能となる。全ての情報を遮断して、国民世論を誘導することも容易になる。
草案の公式解説である「Q&A」は、次のように弁解している。
「どのような事態が生じたときにどのような要件で緊急事態の宣言を発することができるかは、具体的には法律で規定されます。緊急事態の宣言の基本的性質として、重要なのは、宣言を発したら内閣総理大臣が何でもできるようになるわけではなく、その効果は次の99 条に規定されていることに限られるということです。よく『戒厳令ではないか』などと言う人がいますが、決してそのようなことではありません。」
自民党の弁明は無力である。緊急政令は、緊急勅令同様に、国防軍に必要な行動をさせることができる。緊急勅令が事実上の戒厳の発動をしたごとくにである。しかも、新設される国防軍は「法律の定めるところにより、公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」のである。緊急時の「公の秩序」を守るために、あるいは「国民の生命若しくは自由を守るため」にとする出動はその本務の一部なのである。
1933年、ヒトラーが政権を取る過程で、国会放火事件を利用して、全権委任法を成立させたことはよく知られる。この法律でヒトラー政権は一党独裁で法律を作る権限を手にした。同じ過ちを繰り返してはならない。
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『雪かと見まごう、白い木の花』
5,6月の今ごろ、一つ一つは小さくて目立たないけれど数の力で目を引く「白い木の花」が咲いている。木の下にはいって、青臭い強い匂いで、花の咲いていることに気づくこともある。高いところに立って、下の景色を見た時、木を覆う白い花の美しさに驚くこともある。
「ネズミモチ」は革質の小型の葉っぱが密につく常緑樹で、刈り込まれて生け垣にされる。枝の先の円錐花序に筒状の白い小花をびつしりつける。この花には気づいたことがなくても、晩秋に成る粉を吹いたような黒紫色の実には見覚えがあると思う。コロコロとしたネズミの糞にそっくりというのが、名前の所以である。子どもが空気鉄砲の玉としておもちゃにした。
ネズミモチに花も実もそっくりなのが、近縁の「イボタノキ」である。ふさっと咲く白い花、コロコロした黒い実。こちらは落葉樹で、隙間がスースーとあって風通しが良い木なので生け垣には使えない。白いイボタロウムシが、枝に刺した竹輪のようにビッシリついて、良質のロウソクの原料を提供して役に立っている。また、細かい波のような蛇の目模様で隈取りをして、ギョロリとした大きな二つの目の玉模様をもったイボタガの食草でもある。
「ナンテン」の白い花も今ごろ咲く。ツーツーと立ち上がった幹の先端に、円錐花序がカッチリと上向きにつく。6弁の白い花に黄色い葯がついて、白いご飯に卵ふりかけをかけたように見える。冬になると赤い実がやはり円錐形について、寂しい風景の彩りとなって大変美しいものである。雪ウサギの赤い目として使われる。
「サンゴジュ」の白い花房はボリュームがあって、手に持ったらズッシリするようだ。大木となった樹冠全体に花が咲くと、雪が積もったのかと見まごうほどの美しさである。晩秋になると、そのまま真っ赤な実で覆われる。実のついた軸まで赤くなるので、サンゴジュといわれる。実のある間じゅうメジロなどの小鳥がうるさいほど集まってくる。厚い葉をもった照葉常緑樹なので、防火の役に立つとして垣根や屋敷回りに好んで植えられた。
「ゴマギ」も傘状の円錐花序に白い小さな5弁花をつける。秋になると赤から黒に熟す実を、お盆に盛ったように付ける。少しでも葉に触ると、香ばしいゴマの香りがする。
どれもこれもひとつひとつは1センチに満たない小花だけれども、よく見ると花びらは砂糖細工のような厚みをもっている。その白い花がたくさん集まると、遠くからでも目を引く美しさをもつことになる。秋になる小さな実も、花の数に応じてたくさん実って、小鳥や人間の目を喜ばせてくれる。
残念ながら今では、こうした変化に富んだ生け垣や庭木は少なくなってしまった。公園に植えられる木でさえも、虫がつく、落ち葉が落ちて困るとされて、種類が少なく面白みがなくなってしまった。せめて、自分の身の周りだけでも美しい木々で飾ろうと思うけれど、庭は狭くてままならない。雨の降らない梅雨空をにらんで、蚊に食われながら水やりをするのも容易なことではない。
(2013年6月10日)
自民党が昨年4月27日に発表した「日本国憲法改正草案」のネーミングを考えていて、今日思いついた。そうだ、これは「君が代・憲法」だ。
日本国憲法前文の冒頭の文章は以下のとおりである。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
常識的に、ひとまとまりの文書の冒頭には、起草者のもっとも関心あることが書かれる。日本国憲法においては、国民主権と、国際協調主義と、自由と平和と、そして不再戦の決意とが述べられている。
では、自民党改憲草案には、同じ位置に何が書いてあるか。
「草案」の前文第1段落の冒頭は、「日本国は、長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、…」と始まる。
「草案」は、現行日本国憲法が「国民主権と、国際協調主義と、自由と平和と、そして不再戦の決意」を述べた同じ場所に、「日本国は天皇をいただく国家である」と書き込んだのだ。自民党にとっては、天皇を戴く国であることこそが、何にも替えがたい重要な憲法事項だというのだ。なんたるアナクロニズム、なんたる志の低さであろうか。
さらに、自民党草案前文の第5段落は、「日本国民は、よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」という。日本国民がこの憲法を制定するのは、「よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だというのである。憲法制定の目的を、国民の福利や自由の獲得・維持とはせずに、「国家を継承するため」という恐るべき無内容の国家主義の露呈である。しかも、よき伝統とは、「天皇を戴く国柄」以外には考えられない。結局、第5段落を意味あるものとして読めば、「日本国民は、天皇を戴く国家を、末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」ということになる。
どこかで聞いた言葉だ。そう、「君が代は千代に八千代に細石の苔のむすまで」。あれを条文の用語に翻訳して憲法前文に挿入したものだ。これからは、「自民党草案」を「君が代・憲法」と呼ぶことにしよう。
自民党の思想水準は、その程度のものでしかないのだ。
東京都議選が近い。6月14日が告示で23日が投票日である。このたびの都議選は、参議院議員選挙の前哨戦として格別の意味をもっている。改憲を許すか否かの天下分け目の闘いの、既にその一部といってよいだろう。私は、改憲阻止の一点で、日本共産党の躍進を期待している。
曇りない目で見るとき、日本共産党が改憲阻止の運動における揺るぎない本体としての立ち場にあることに異論は無いだろう。衆議院憲法審査会では、50人の委員のうちたった一人の「純正改憲反対派」として、共産党議員(笠井亮さん)が奮闘している。全国各地で地を這うような改憲阻止の組織活動に取り組んでもいる。この本体を強く大きくせずして、改憲阻止の運動の成功はおぼつかない。さらにこの本体を一回りも二回りも大きくすることによって、改憲阻止にとどまらず、憲法の理念を実現する壮大な運動の力を生み出すこともできよう。日本国憲法を大切と思う人に、日本共産党への支持・支援を呼び掛けたい。
その闘いにおける「敵」は誰か。自民・維新というよりは、「靖国派」というべきではないだろうか。本日(6月8日)の赤旗に拠れば、「日本会議地方議員連盟」の正会員計41人が、都議選に立候補の予定だという。この41人が、日本国憲法の理念に敵対する改憲派として「敵」といわざるを得ない。
靖国神社境内では、毎年8月15日に「戦歿者追悼中央国民集会」が開催される。その主催者となっているのが「英霊にこたえる会」と並んで、「日本会議」である。「日本会議」は、日本の右翼運動のナショナルセンターと言ってよかろう。ちなみに、この右翼組織の会長は三好達・元最高裁長官である。最高裁と右翼、よくお似合いなのだ。
日本会議の憲法問題についての認識を要約すれば、次のとおりである。
「皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません」「わが国の憲法は、占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた特殊な経緯をもつとともに、数々の弊害ももたらしてきました。すなわち、自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈、などなど」「日本人自らの手で誇りある新憲法を創造したい、これが私たちの願いです」
つまりは、明確な改憲運動団体である。と言うよりは、憲法を根底から否定してまったく別の原理に立つ新憲法の制定をめざす、反体制組織である。彼らには、憲法改正の限界論など眼中にない。
その「日本会議」の地方議員版として地方議員連盟があり、その正会員計41人が都議選立候補予定だという。会派の内訳は以下のとおり。
自民 36人(現職28)
民主 1人(現職1)
維新 2人(元職2)
みんな 2人(新人2)
これら“靖国派”は、歴史認識において先の大戦を正義の戦争とし、日本の「国柄」を天皇が君臨する国体とし、憲法の個人主義を排斥して国家主義を鼓吹し、人権ではなく秩序を重んじ、国際協調を否定して排外主義をとる。要するに日本国憲法がことごとく気に入らない。
本日の赤旗は、そのうちの何人かを紹介している。
維新の野田数は、都議会維新の会の中心にあって、12年10月の都議会本会議で、「現行憲法を無効とし、戦前の大日本帝国憲法の復活を求める時代錯誤の請願」に賛成して批判を浴びた人物。また、自民党都議だった10年12月の都議会本会議でも、明治天皇が首相らに与えた「教育勅語」について「日本人の芯となる価値が存在している」と賛美。民主党政権の日韓併合100年や過去の政権の謝罪談話は大間違いだと非難しているという。
自民の中屋文孝は10年11月の都議会総務委員会で、都議会自民党を代表して、「慰安婦問題に関して謝罪及び個人補償をしないよう求める意見書提出を求める陳情」の採択を主張。旧日本軍「慰安婦」問題について、「日本政府が韓国政府及び韓国国民に対する謝罪や個人補償を行うことに反対」と主張したとのこと。
このように、「自民が右翼となった。維新がさらに右から自民を補完している」この図式が、国会だけでなく、都議会にも現れようとしている。そして、「みんな」にはもちろん、民主にも靖国派は棲息している。
都議選の構図は、「日本共産党」対「靖国派」の対決。日本国憲法を大切に考える都民には、ぜひともその考えに最もふさわしい選択をお願いしたい。
(2013年6月8日)
今の日本でもっとも尊敬すべき人物を一人挙げるとすれば、中村哲さんを措いてほかにない。アフガニスタン・パキスタンの医療支援・農業支援の活動を続けて30年にもなろうとしている。その困難に立ち向かう一貫した姿勢には脱帽せざるを得ない。宮沢賢治が理想として、賢治自身にはできなかった生き方を貫いていると言ってよいのではないか。
中村さんは、1984年から最初はパキスタンのハンセン病の病棟で、後にアフガニスタンの山岳の無医村でも医療支援活動を始めた。2000年、干ばつが顕在化したアフガニスタンで「清潔な飲料水と食べ物さえあれば8、9割の人が死なずに済んだ」と、白衣と聴診器を捨て、飲料水とかんがい用の井戸掘りに着手。03年からは「100の診療所より1本の用水路」と、大干ばつで砂漠化した大地でのかんがい用水路建設に乗り出した。パキスタン国境に近いアフガニスタン東部でこれまでに完成した用水路は全長25・5キロ。75万本の木々を植え、3500ヘクタールの耕作地をよみがえらせ、約15万人が暮らせる農地を回復した。
昨日(6月6日)の毎日夕刊「憲法よーこの国はどこへ行こうとしているのか」に、中村さんのインタビュー記事が載った。「この人が、ことあるごとに憲法について語るのはなぜなのか。その理由を知りたいと思った。」というのが、長い記事のメインテーマである。ライターは小国綾子記者。優れた記者によるインタビュー記事としても出色。
「僕と憲法9条は同い年。生まれて66年」。冗談を交えつつ始めた憲法談議だったが核心に及ぶと語調を強めた。「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。これまで本気で守ろうとしなかった憲法を変えようだなんて。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」
ならば、中村さんにとって憲法はリアルな存在なのか。身を乗り出し、大きくうなずいた。「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争する』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復興を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』というのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれているんです」
あなたにとって9条は、と尋ねたら、中村さんは考え込んだ後、「*******これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔。しかし同時に『お位牌(いはい)』でもある。私も親類縁者が随分と戦争で死にましたから、一時帰国し、墓参りに行くたびに思うんです。平和憲法は戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の位牌だ、と」。
窓の外は薄暗い。最後に尋ねた。もしも9条が「改正」されたらどうしますか? 「ちっぽけな国益をカサに軍服を着た自衛隊がアフガニスタンの農村に現れたら、住民の敵意を買います。日本に逃げ帰るのか、あるいは国籍を捨てて、村の人と一緒に仕事を続けるか」。長いため息を一つ。それから静かに淡々と言い添えた。
「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」。悲しげだけど、揺るがない一言だった。
未熟な論評の必要はない。日本国憲法の国際協調主義、平和主義を体現している人の声に、精一杯研ぎ澄ました感性で耳を傾けたい。こういう言葉を引き出した記者にも敬意を表したい。
ただひとつ、ざらつくような違和感をおぼえる言葉に引っかかる。
*******とした7文字の伏せ字を起こせば、「(9条は)天皇陛下と同様、これがなくては日本だと言えない」というのだ。9条と並べて、「天皇陛下」も「これがなくては日本だと言えない。近代の歴史を背負う金字塔」と読むことも可能だ。中村さんは本当にそういったのだろうか。
中村さんの「天皇陛下」を「これがなくては日本だと言えない」という文脈は、肯定否定の評価を抜きにした客観的な判断の叙述と読めなくもない。しかし、中村さんは9条を「お位牌でもある」と言っている。310万人と数えられている日本の死者、2000万といわれる近隣諸国の民衆の死者。その厖大な犠牲は、天皇の名による戦争がもたらしたものではないか。天皇こそは、最たる戦争責任者であり、人民を戦争に向けて操作する格好の道具だてでもあった。再び戦争を起こさないという位牌の前の誓いは、天皇という恐るべき危険な道具の活用を二度と許さないという決意を含むものでなくてはならない。これを、さらりと「天皇陛下」と尊称で呼ぶ姿勢に、私の神経がざらつくのだ。
私は忖度する。おそらくは、中村さんに計算があるのだろう。理想を実現するには多額の経費が必要だ。企業からも庶民からも寄金を集めねばならない。そのとき、反体制、反天皇では金が集まらない。憲法9条の擁護なら信念を披瀝できても、天皇の問題となれば、「天皇陛下」と言わざるを得ないのではないか。私には、そのような配慮の積み重ねこそが、現代の天皇制そのものであり、忌むべきものなのだが。
(2013年6月7日)