上には上があるというベきか。あるいは、下にはさらに下があると驚くべきか。オーナーの身勝手なヘイト志向の信念を従業員に押し付けるブラック企業としてはDHCが極め付けと思っていた。が、世の中は広い。DHCに勝るとも劣らぬ企業が関西にあることを知った。これまで知らなかったその社名が、「フジ住宅」。大阪府岸和田市に本社を置く東証1部上場の不動産大手。従業員数は1000人に近く、関連会社を含めると1200名規模だという。
DHCは、デマとヘイトとスラップの3拍子で知られる。フジ住宅は、従業員へのヘイト文書大量配布と、育鵬社教科書の採択運動に社員を動員してきたことで有名になった。どちらのオーナーも、独善と押し付け、嫌韓・反中の信念の強固なことにおいて、兄たりがたく弟たりがたい。
フジ住宅が一躍全国区で有名になったのは、この夏のこと。大阪弁護士が、この会社の女性従業員からの人権救済申立を容れて、異例の人権救済勧告を出し、本年(2019年)7月16日にこのことを公表してからのこと。
同月11日付の勧告の主文は、以下のとおりである。
勧告の趣旨
1 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、大韓民国等本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布しないこと
2 被申立人(フジ住宅)はその従業員に対し、中学校の歴史及び公民教科書の採択に際し、特定の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を被申立人にするよう求めないこと
つまり、フジ住宅は、弁護士会から「人権侵害に当たるからおやめなさい」と注意を受けるほどに、「社員に対して、韓国など本邦外出身者の国民性を侮蔑する文書を配布」していたし、「社員に、歴史・公民教科書の採択に際し、歴史修正主義派の教科書を採択させるための運動に従事させ、その報告を会社にするよう求め」ていたということなのだ。
この会社のヘイトぶりに我慢ができなくなった在日三世の女性従業員は、弁護士会に対する人権救済申し立てだけでなく、大阪地裁堺支部に名誉毀損の損害賠償請求の提訴もしている。ネットで、両者の主張を読むことができる。
通常この種の事件で裁判所に提出される主張は、法律家のスクリーニングを経て、それなりの抑制が利いたものとなる。ところが、この会社の準備書面は、弁護士が作成したとは思えないほどにストレートな会社の言い分そのままなのだ。そのストレートな会社側の主張が興味津々である。たとえば、これが準備書面の文章である。
「被告会社会長である被告今井の信念として、戦後の日本人が自らの国に誇りを持てないことが社会に大きなひずみを生みだしているところ、それは東京裁判に象徴される第二次世界大戦戦勝国の措置によって日本人に植え付けられたいわゆる「自虐史観」が主な原因であるから、自らの国に誇りを持つためには「自虐史観」を払拭する必要がある。この観点から、戦後日本において多くの国民の自己肯定感情の障害となってきたと考える「自虐史観」の払拭に役立つと思われる文書を配布している。」
この会社のホームページには、こうある。
「弊社が当裁判に負けることは、原告を除くほぼ全ての、外国籍の方を含む社員全体が支持してくれている弊社の仕事の進め方、それを通じて広く社員が見識を高めてくれることを期待する社員育成の方法が採れなくなることを意味しており、弊社としましては、この点で、妥協できる余地は一切なく、弊社の存立に深く関わるこの経営のあり方を続けたいと思っております。
また、当方を応援して下さる方の中には、当裁判の帰趨が非常に重要な歴史的意味を持っており、日本国民として絶対に負けられない裁判であると言ってくださる方も多くおられます。弊社と致しましても、万が一当裁判に負けるような事があれば、日本人全体の人権や、言論の自由が大きく毀損される事になるとの危機感を共有しており、当社経営理念「社員のため、社員の家族のため、顧客・取引先のため、株主のため、地域社会のため、ひいては国家のために当社を経営する」をしっかりと守り、「ひいては国家の為に当社を経営する。」と述べている事に、嘘、偽りの無い姿勢を貫きたいと思っています。
この会社には、従業員を主体性ある独立した人格と見る視点がない。労使の関係が、対等な法主体間の労働契約であることの基礎的な理解を欠いている。この会社も、この弁護士たちも、近代的労使関係の何たるかをまったく分かっていないとしか評しようがない。「社風」とか、「社員育成」によって、社員の人格や思想・良心を蹂躙することができて当然と思い込んでいるのだ。従来、企業側弁護士はこのような会社をたしなめ、説得し、教育してきたはずだが、ただただこの会社の愚かな主張に追随しているようにしか見えない。
この大阪弁護士会の異例の勧告を、朝日(関西版)は、こう伝えた。
東証1部上場の住宅販売会社で、韓国人などを侮辱する表現を記した文書が繰り返し配布されていたとして、大阪弁護士会は(7月)16日、人権侵害に当たるため配布をやめるよう勧告したと発表した。同社では、中学校の教科書に育鵬社版が採択されるよう社員の動員もしていたといい、思想・良心の自由を侵害する可能性も指摘した。
毎日はこうだ。
今月11日付の勧告書によると、同社は2013年、「息を吐くようにうそをつく」など、韓国や北朝鮮、中国を差別する表現がある雑誌記事などを少なくとも8回にわたって全従業員に配布した。さらに15年、「新しい歴史教科書をつくる会」の元幹部らが編集に関わった育鵬社の「歴史」と「公民」が公立中学校の教科書に採択されるよう従業員に各自治体の住民アンケートなどへの回答を推奨。同社の会長に結果を報告するよう求め多くの従業員が応じていたという。
どうも、メディアの伝え方が、いまいち十分ではないという印象を否めないが、それはとかく、これからはこう決意し、こう訴えよう。
DHCの製品は買わない
アパホテルには泊まらない
フジ住宅で家は建てない
播磨屋のせんべいは食べない。
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以下に、大阪弁護士会「勧告」の判断部分を要約してご紹介する。極めて常識的なものだが、この会社の耳にははいらないようだ。
https://moonkh.wixsite.com/hateharassment/blank-7
2 当会の判断
(1)別紙一覧表1記載の文書の配布について
何人も平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する権利は、憲法第13条に由来する人格権として強く保護され、かかる権利は、国籍・民族の知何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されるべきものである。
ただし、憲法は私人間の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないから、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになる。
ところで、一般に私人の表現行為は、個人の基本的な自由として憲法第21条第1項に基づき厚く保障されるべきものである。しかし、本邦以外の特定の民族または国籍の出身者を侮辱し、これらの者に対する差別的意識を醸成させる行為は、憲法第13条、第14条に照らし、社会的に許容される合理的範囲を超えて他人の法的利益を侵害していると認められるときは、人権侵害行為にあたり、民法第709条の不法行為(ないし契約関係が存する場合には、契約内容に応じ債務不履行)が成立すると評価できる。
これを本件についてみると、申立人(従業員)は、韓国国籍を有する在日韓国人3世として本邦に居住しているのであるから、平穏に生活して人格を形成し、自由に活動することによって名誉・信用を獲得し保有する人格権を有しているというべきである。他方、被申立人(フジ住宅)には、会社の目的に必要とされている範囲で表現行為の自由が保障されているところ、被申立人が、自身に所属する全役職員に対し配布した別紙一覧表1記載の文書には、いずれも韓国又は韓国国民に対する批判的論評の域を超えた侮辱的表現が随所に見られる上、被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどしている。確かに、被申立人による上記文書配布は、申立人を被申立人の職場から排除することや申立人の人格権を侵害することを直接の目的とするものではなく、また、配布された文書を申立人が受領することが強制されていた事実は認められない。しかし、被申立人は、1000名を超える従業員を雇用する東証一部上場企業であり、いわば社会の公器として多様な価値観・歴史観を許容し、国籍や人種等による差別的意識を排する職場環境の構築が求められるところ、被申立人の創業者であり、被申立人の全役職員に対して極めて大きな影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、侮辱的表現部分に丸印や下線を引くなどして上記文書を被申立人の全役職員に配布した行為は、いずれも被申立人の業務に必要とは言いがたく、被申立人の全役職員に対して上記文書を配布することを保障する必要性に乏しい。以上からすると、被申立人による別紙一覧表1記載の文章の配布が、被申立人の人格権を侵害したものといえると評価されたとしても、その評価が不当であるとは決していえない。
(2)別紙一覧表2記載の文書の配布について
憲法第19条が思想・良心の自由を保障しているのは、いかなる国家観、世界観、人生観を持とうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想、に基づいて不利益を課したり、あるいは特定の思想を抱くことを禁止することができないということである。そして、かかる自由が国籍・民族の如何を問わず本邦に居住する者に等しく保障されること、憲法が私人相互の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に直接適用または類推適用されるものではないので、民法第709条その他私法の一般条項の解釈適用を通じて間接的に私人間の行為を規律することになることは、前記(1)と同様である。これを本件についてみると、本邦の歴史、とりわけ明治維新以降の近現代史における歴史的事実については、個人の歴史観や思想・信条によって様々な評価があることは、公知の事実である。そのため、中学校における歴史及び公民の教科書は、各執筆者が近現代史における歴史的事実を各々評価し執筆しているので、異なる叙述がされている。したがって、教科書に対する評価は、個人の歴史観その他思想・信条と密接に結びついているといえる。しかるに、創業者であり被申立人役職員に強い影響力を持つと考えられる被申立人代表取締役会長が、被申立人の全役職員に対し、別紙一覧表2記載の文書を配布するなどして特定の教科書を採択させるための運動に従事するよう強く推奨するとともに、かかる運動に従事したときは、その内容を上記代表取締役会長に報告することを求めている。そして、現にかかる推奨に応じて多くの役職員が上記報告に及んでいる。被申立人のこの一連の行為は、被申立人の業務に必要とはいい難く、しかも、被申立人は、これらの収集した報告をどのようにでも使える立場にあるので、例えば、上記採択運動に従事したか否かで、従業員の待遇に差を設けることもできる。以上からすると、かかる運動に従事することを被申立人の全役職員に強制するものではないことが、別紙一覧表2記載の文書の一部に明記されているとはいえ、被申立人が、その収集した思想・良心にかかる報告を自由に使える立場あることからして、かかる運動に従事したか否かによって、申立人を含めた従業員がその待遇等において差別的取扱いを受ける可能性が高い状況下にあるので、申立人を含めた従業員が自己の思想・良心を侵害されるおそれの高いことを否定することはできない。
3 結語
以上によれば、被申立人による各行為に対し、申立人の救済には今後の人権侵害の防止につき適当な措置を採ることを勧告することが相当であるから、勧告の趣旨記載のとおり、勧告する。
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なお、会長の信念によって、全社員に配布されたヘイト文書の一部を抜き書きしておく。
多くは、「月刊WILL」「正論」「産経」「加瀬英明」「呉善花」「中山成彬」「櫻井よしこ」などの文章の転載である。
「韓国の国民性を痛烈にえぐっている。…嘘と無恥の国なのだ」
「では、なぜ韓国人は第三国でこれほど反日活動に走るのだろうか。それは韓国人の習性に由来している。韓国人同士がケンカする時は相手の言い分などに耳を貸さず、ひたすら自分の主張を大声で怒鳴り合う。さらに、周りの人々に訴えて自分の味方を増やそうとする。直接相手に堂々と挑むのではなく、第三者に訴えてねじ伏せようとするのが韓国流のケンカである。彼らは味方を増やすために『いかに自分の主張が正しいか』嘘八百を並べながら、身振り手振り、場合によっては号泣して周りに訴える」
「『金王朝』を信奉する朝鮮学校出身者のせいか・・・息を吐くように嘘をつく反日サヨクの生き様そのもの」「自分たちの悪事を批判されるとすぐに『差別ニダ』!と大騒ぎする在日朝鮮族」
「韓国も中国も、日本人とは異なった国民性を持つ民族であると認識しなければなりません。私たちは親から『嘘をついてはいけません』と教育されます。しかし、中国や韓国は『騙される方が悪い』『嘘も100回言えば本当になる』と信じている国民です」
「日本非難を共産党独裁の正当化につなげる無神論の中国と、日本たたきを民族プライドにつなげる情緒的な韓国からしか参拝糾弾が出てこない点注目すべきです」「『ワイロは国民性』日本とは逆に韓国・北朝鮮はワイロを当然とする民族性があります。ワイロを与えることによって見返りを得るという伝統です」「今の韓国も北朝鮮もワイロ無しでは社会が成り立たないほど、ワイロはまさしく国民性にまで、なっています」
「韓国人の思考の中に敵相手ならどんな非道をしても許されると勘違いしているところがありますよね、確かに野生動物がまさしくこれです。鳥類、ほ乳類、は虫類ではないが、恐に足りないものに対しての攻撃性は、見るに堪えがたいものがあります」
「韓国は未だ売春は犯罪という意識もなく普通に売春している」
「中学校であれば『育鵬社』、高校で在れば『明成社』が良いということを・・」
「アンケート記入に行かれる方は、昨年同様、ボールペンで、記入し、フジ住宅の社章と拉致被害者救う会のバッジは外して行ってくださいネ・・・女性の方は私服で、行ってくださいネ。」「市長や教育長にお手紙を書かれたり、FAX、メールをされたり、また会いに行かれたり、あるいは教科書アンケートに行かれる場合は、勿論勤務時間中にしていただいて結構です。」「市長や教育長の方にお手紙やメール、FAXをされました方は、私(会長)・・(に)ご報告してくだされば、ありがたく思います。」「一般的に(各市)2?3名で十分かナアと思います。あまり多くの方がお手紙を出すとかえってマイナスになると思いますので。」
(2019年9月28日)
「えっ、まさか。」「そこまでやるか。」「いくらなんでも,やり過ぎだろう。」というのが第一印象だった。文化庁の「あいちトリエンナーレ補助金不交付」問題である。主催の愛知県は、上からは国の、下からは名古屋市の挟撃に苦戦の感。大村秀章知事は「表現の不自由展」中止の責任者ではあるが、それでも再開に向けて懸命な姿勢には、好感がもてる。これを押し潰そうというのが、いったん決まりの7800万円補助金不交付なのだ。
補助金不交付は、形式的には所管の文化庁の判断ということだが、実質は官邸の意図的な「意地悪」「イチャモン」と、誰しもが思うところ。官邸の「意地悪」は、愛知県が官邸の意向を無視しているからだ。世の中が官邸のご意向を忖度することで円滑にまわっているのに、愛知県だけはどうして忖度しないのか。この国のトップの歴史修正主義・嫌韓ヘイトの真意は周知の事実なのに、どうしてことさらに「慰安婦」や「天皇」をテーマの展示を行うのか。しかも、官邸大嫌いな表現の自由を盾にしてのことだ。
官邸は、実はこの展覧会の展示の内容が面白くない。不愉快極まるのだ。官邸に当てつけるようなこの展示を叩かずにはおられない。叩いておけば、一罰百戒の効き目があろう。忖度の蔓延だけでなく、文化の善導さえもできるというものだ。
ところが、厄介なことに憲法という邪魔者が伏在している。政府があからさまに表現のテーマや内容に立ち入るわけには行かない。だから、補助金不交付の理由は、表現の内容とは別のところに拵え上げなければならない。
そこで、官邸の手先・萩生田光一のお出ましとなる。文科相としての初仕事がこれだ。加計学園問題で頭角を表した彼の特技は「厚顔」である。その特技を生かして彼はこう強調する。
「(補助金不交付の判断材料は)正しく運営ができるかの一点であり、文化庁は展示の中身には関与していない。検閲にも当たらない」
これが昨日(9月26日)の記者会見での発言。
補助金交付対象の事業が事前の申告のとおりに、正しく運営ができていないではないか。愛知県は文化庁に対して、安全面に対する懸念などを事前に申告しておくべきだったのに、それがなされていなかった。これは、交付申請の手続きが「不適当」であったことを物語るもので不交付と判断せざるを得ない。けっして表現の内容が問題なのではない。あくまで手続の不備、というわけだ。誰も、そう思わないが、そのようにしか言いようがない。こんなときに、「厚顔」の特技が役に立つ。
本日(9月27日)にも、文化庁による補助金を全額不交付とした理由について、萩生田は重ねて「本来、(主催者の県が)予見して準備すべきことをしていなかった」と説明。判断する上で展示内容は無関係だったことを改めて強調した。さらに、「今回のことが前例になり、大騒ぎをすれば補助金が交付されなくなるような仕組みにしようとは全く考えていない」とも語っている。さすが、厚顔。
問題は、政府の意図如何にかかわらず、「大騒ぎをすれば補助金が交付されなくなるような仕組みにしようと考える」集団が確実に存在することであり、ここで政府が補助金不交付を強行すれば、そのような右翼暴力集団を勢いづかせることにある。政府は、「大騒ぎをすれば補助金交付をストップできる」という彼らの成功体験が今後にどのような事態を招くことになるかを予見し防止しなければならない。しかし、実は政府と「大騒ぎを繰り返して補助金交付をストップさせよう」という集団とは一心同体、少なくとも相寄る魂なのだ。
萩生田のコメントの中に、平穏な展示会を脅迫し,威力をもって妨害した輩に対する批判や非難の言は、一言も出てこない。あたかも、これは自然現象のごとき、正否の評価の対象外と言わんばかりの姿勢。警察力を動員しても、断固表現の自由を守るという心意気はまったく感じられない。官邸や萩生田の意図がどこにあるかは、明確と言わねばならない。
昨日(9月26日)の文化庁の補助金不交付決定発表によれば、不交付とされるのは、「あいちトリエンナーレ」に対して「採択」となっていた補助金7800万円の全額である。文化庁はその理由として、補助金を申請した愛知県が「来場者を含め、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することがなかった」「審査段階においても、文化庁から問い合わせを受けるまでそれらの事実を申告しなかった」と説明した。
また、同日萩生田は「残念ながら文化庁に申請のあった内容通りの展示会が実現できておりません。また、継続できていない部分がありますので、これをもって補助金適正化法等を根拠に交付を見送った」と説明している。
ここで、補助金適正化法(正式には、「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」)が出てきたが、その理念は語られていない。
補助金予算執行の適正の理念はいくつかある。たとえば、その24条である。
「第24条(抜粋) 補助金等に係る予算の執行に関する事務に従事する国の職員は、(補助金等の交付の目的を達成するため必要な限度をこえて、)不当に補助事業者等に対して干渉してはならない。」
政府は、愛知県の行う、「あいちトリエンナーレ」の企画の内容に、不当に干渉してはならないのだ。つまり、「金は出しても、口は出さない」ことが大原則。
補助金交付対象事業の一部は8月3日以後中止にはなっているが、中止が確定したわけではない。暴力集団の妨害を排除しての展示再開に向けた努力が重ねられてきた。再開を求める仮処分命令申立の審理も進行している。9月25日には、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」は中間報告案を発表し、「表現の不自由展・その後」について、「条件が整い次第、速やかに再開すべきである」との方向性を示した。この助言を得て、大村知事が近々の展示再開意欲を表明したと報道されてもいた。
このタイミングでの文化庁の補助金不交付決定発表である。展示再開に水を差す、不当な補助金交付事業への介入というほかはない。官邸の「意地悪」というのは言葉が軽すぎる。やはり、悪辣な妨害といわねばならない。
取りあえずは、妨害を排除しての展示の再開が喫緊の課題。そのうえで、官邸の悪辣さに対する批判と法的措置が必要となるだろう。大村知事は国に対する提訴を予定しているという。
文化庁の補助金不交付の決定とは、補助金適正化法第6条による、補助金交付の決定を得ている愛知県に対して、補助金交付決定取り消しの行政処分にほかならない。原告愛知県が被告国(文化庁長官)に対してて行う訴訟は、「『補助金交付決定取り消し処分』の取消請求訴訟」となる。沖縄に続いて、愛知県よ頑張れ。安全保障問題が絡まないだけ、沖縄よりはずっと勝算が高い。
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文化庁の、昨日(9月26日)付報道発表は以下のとおりである。
「あいちトリエンナーレ」における国際現代美術展開催事業については,文化庁の「文化資源活用推進事業」の補助金審査の結果,文化庁として下記のとおりとすることといたしました。
補助金適正化法第6条等に基づき,全額不交付とする。
【理由】
補助金申請者である愛知県は,展覧会の開催に当たり,来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上,補助金交付申請書を提出し,その後の審査段階においても,文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした。
これにより,審査の視点において重要な点である,[1]実現可能な内容になっているか,[2]事業の継続が見込まれるか,の2点において,文化庁として適正な審査を行うことができませんでした。
かかる行為は,補助事業の申請手続において,不適当な行為であったと評価しました。
また,「文化資源活用推進事業」では,申請された事業は事業全体として審査するものであり,さらに,当該事業については,申請金額も同事業全体として不可分一体な申請がなされています。
これらを総合的に判断し,補助金適正化法第6条等により補助金は全額不交付とします。
これで納得できるわけはない。法第6条(抜粋)はこう定める。
「各省各庁の長は、補助金等の交付の申請があつたときは、当該申請に係る審査及び調査により、当該申請に係る補助金等の交付が法令及び予算で定めるところに違反しないかどうか、補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか等を調査し、補助金等を交付すべきものと認めたときは、すみやかに補助金等の交付の決定をしなければならない。」
この決定を業界では、「採択」と呼んでいる。採択の後に所定の形式的手続を経て補助金の交付を受けることになる。つまり、申請→審査→採択→補助金交付、という流れになる。「採択」とは、補助金受給資格を有していることの確認行為、あるいは「内示」というにとどまらない。6条の書きぶりからは、実質的な補助金受給権付与行為というべきだろう。愛知県は「採択通知」を得ていると報道されている。だから、原則補助金交付となるはず。それが、本事例では、「不交付」となったのだ。
採択の後の不交付は、取得した補助金受給権を取りあげる不利益な行政処分として、その取り消しを求める行政訴訟の対象となる。文化庁の言い分は、採択前に言うべきことだろう。
また、右翼の妨害が予想されることを、「実現可能な内容になっているか」「事業の継続が見込まれるか」に関わらせていることは、由々しき憲法問題と言わねばならない。これは、注目に値する大型訴訟となる。法廷で、安倍政権の反憲法的体質を暴いていただきたい。
(2019年9月27日)
どんな内容のニュースなのか、急には呑みこめなかった。「『朝鮮通信使は凶悪犯罪者集団』杉並区議、本会議で発言」という見出しの朝日新聞記事のこと。
「東京都杉並区の佐々木千夏区議(46)が、区議会本会議で『朝鮮通信使』について、『女性に対する暴行、殺人、強盗を繰り返す凶悪犯罪者集団』などと発言した。」というのだ。
あまりに非常識なことを堂々と言われると面食らって、何を言っているのか理解に苦しむ。真意を推し量りかねる。聞いている方が恥ずかしさを覚える。しばらくして、ようやく無知と狂信のなせる発言だと気付くのだが、こういう輩への対応は楽ではない。
ホロコーストはなかった。南京大虐殺はでっち上げだ。日本軍「慰安婦」なんていなかった。韓国併合は韓国側からの要望だ。創氏改名の強制なんてウソ。関東大震災後の朝鮮人虐殺もデマ。徴用工は厚遇を受けていた…。歴史の歪曲には事欠かない。なにしろ、歴史修正主義派の本家本元が総理大臣を務めているこの国のことなのだから。
それにしても、朝鮮通信使を「暴行、殺人、強盗を繰り返す凶悪犯罪者集団」とは、ムチャクチャも度を越している。釜山の朝鮮通信使歴史館には2度行った。木浦に係留されている通信使船の復元船も見学した。この船は、今年(2019年)夏に、対馬から瀬戸内海を通って大阪港までの親善航海の予定だったが、日韓情勢の悪化の中で断念を余儀なくされている。残念なことだが、それに追い打ちをかけるような、ネトウヨ区議の誹謗発言。この愚かな議員は、今韓国を攻撃する発言は何でもありで許されると思い込んでいるごとくである。
荒唐無稽な非常識発言はネットの世界には氾濫している。匿名に隠れた「ネトウヨ」と名付けられた無責任な放言。佐々木千夏という人は、こともあろうに、ネトウヨの本性を持ったままの発言を、区議会の議場で行ったのだ。闇の世界にうごめいていたネトウヨの一部が、光の世界に越境を試みたというべきだろう。
この発言は、9月12日の杉並区議会本会議一般質問でのこと。朝日は、「佐々木区議は、同区で使われている社会科教科書の記載について、『朝鮮通信使が歓迎を受けたというのは、全くのうそ。女性に対する暴行や殺人を起こしている』『創氏改名も全くのうそ』などとして、副読本を配ったり、教員への勉強会を開いたりするよう求めた。区教育委員会は『文部科学省の教科書検定に合格したもの。補足説明する必要はない』と答弁した。」と報じている。
私は我慢して、同区議の一般質問の動画を閲覧した。狂信的にまくし立てる人物なのだろうとの思い込みは外れて、自信なげに,おどおどとした態度に終始していた。それでも、用意した原稿で、トンデモ狂信発言を繰り返した。
動画のマイクは議場からの発言を拾ってないが、何度も「根拠を示せ」と野次が飛んだ様子である。この狂信者はこれに対して「事実なんですから」と何度も繰り返し、「事実の根拠を示せ」という野次に、「識者がそう書いている」と言った。識者として名があがったのが、竹田恒泰・青山繁晴・百田尚樹の3人。この3人、自分たちの発言の影響力に満足しているだろうか。それとも不名誉なことと思っているだろうか。
同区議は、この発言直後の朝日新聞の取材に、「歴史的事実なので、発言を取り消すことは考えていない」と答えている。が、同じ朝日記者の続報では、9月20日に、議会事務局に対して、差別的な発言にあたると指摘された3カ所を削除する申し出をした。ただ、朝鮮通信使など歴史認識の部分については削除を申し出ていない。
同区議の削除の申し出は、次の文言を含む3カ所だという。
(1)「帰化人とか朝鮮人が中にいるから、こうした教科書がまかり通っているんです」
(2)「どうして歌舞伎町の一等地が朝鮮人のものなのでしょうか」
(3)「殴られたりいじめを受けたり、そうした相談が来ています」
いずれも、検証可能な命題。到底、検証に堪えないと考えたのだろう。朝鮮通信使など歴史認識の部分については、通説とは異なった独自の説を堂々と言ってのけたのだ。当然、自らが立証の責任を負うことを自覚せねばならない。
なお、佐々木区議は4月の区議選で、「NHKから国民を守る党」から立候補し初当選。その後、N国から除名された人物。現在は、「正理の会」に所属しているという。正理の会とは宗教団体とのこと。杉並区民のうちの2720人よ。このような狂信的人物と知って、投票したのか。
この「佐々木千夏現象」をどうみるべきか。「たまたまマグレ当選した区会議員の無知と狂信によるたわ言」と軽視してはならない。こんなトンデモ発言も、大きな声で繰りかえされれば、歴史の評価の相対化に使われる。
先月(2019年8月)、「日本兵が撮った日中戦争」写真展の企画に多少のお手伝いをした。文京区教育委員会に、その写真展の後援を申請したところ、不承認とされた。いまだに、正式には理由は明らかにされていない。が、非公式には「政治的にいろんな立場があるから」と聞かされてはいる。なぜ、「いろんな立場があるから」写真展の後援申請を不承認とするのか、そこまでの説明はないが、「いろんな政治的立場」への配慮が必要だと行政は言いたいのだ。佐々木区議流のトンデモ発言も、行政からは「政治的ないろんな立場」の一つにカウントされることになる。意見の分布は、とんでもなく右にずれることになるではないか。
徹底して、同区議の責任を追及したいものと思う。
(2019年9月22日)
一昨日(9月17日)の夕刻、「表現の不自展・実行委員会」が主催する「《壁を橋に》プロジェクト 今こそ集会(in東京)」に足を運んだ。200人の参加で、盛会だったことに安堵の思いである。
仮処分申立報告と支援要請を中心とした、事実上の東京版提訴決起集会。法的手続が常に望ましい解決方法でないことは共通の理解の上で、時期を失すれば展示再開が不可能になるという懸念の中でのやむを得ない選択であることが強調された。
「〈壁を橋に〉プロジェクト」とは、耳に馴染まないネーミング。このネーミングに込められた思いが、配布されたリーフに次のように語られている。
いまもなお、「表現の不自由展・その後」の入り口は巨大な壁で塞がれています。これは検閲というかたちで、真実の開示と表現の自由を阻もうとする、人の心がつくり出した隔たりです。美術の検閲を主題とした不自由展に強いられたこの状況は、まさしく日本社会の現実そのものではないでしょうか。
しかし、人の心がつくった壁は歴史上すべて壊されてきました。不特定多数の市民の自発的かつ勇気ある行動は、冷戦の象徴であったベルリンの壁を倒壊させました。いまアメリカとメキシコに立てられた「排外主義」の象徴である「壁」も、アーティストの創意と想像力によって風穴が開けられつつあります。私たち不自由展実行委員会は、自由を求める人の心の力を信じています。
目の前に立ちはだかる「壁」を壊すべく、新たなステップに歩み出したいと思います。司法の良識を信じ、多くの人の応援を拠り所に、壁を打ち倒す。
「壁が横に倒れると、それは橋だ」(アンジェラ・デーピス)という言葉があります。ここから、私たち不自由展実行委員会は、再開を求める行動を「〈壁を橋に〉プロジェクト」と命名しました。
なるほど。「壁」は人と人との断絶の象徴であり、「橋」は人と人との連帯の象徴。今、「表現の不自由展・その後」の入り口を塞ぐ巨大な壁を倒すことは、差別という人と人との断絶を克服すること。そして、倒された壁は、表現の自由から民主主義に通じる橋となるのだ。
いまある厚い堅固な壁は、実は民衆に支えられている。一握りの攻撃的な右翼活動家は、歴史修正主義者・安倍晋三の政権を支持する少なからぬ民衆の中から生まれている。〈壁〉を倒すには、対話あるいは説得によることが望ましい。しかし、状況がそれを許さず、時間の制約もあるからには、法的手続によることを躊躇する理由はない。その法的手続の具体的な手段が、9月13日の仮処分命令申立である。
弁護団長・中谷雄二さんの説明によれば、その申立の趣旨は、「展示会場入り口の壁を撤去し、『表現の不自由展・その後』を再開せよ。」というもの。立ちはだかる『壁』の撤去がまずもっての具体的な獲得目標となっている。
この仮処分命令申立の債権者は5人(アライ=ヒロユキ・岩崎貞明・岡本有佳・小倉利丸・永田浩三)からなる「表現の不自由展」実行委員会。債務者は「あいちトリエンナーレ実行委員会」(権利能力なき社団)とのこと。この両当事者間に詳細な「作品出品契約」が締結されているという。
被保全権利の構成は、第1に「人格的利益にもとづく差し止め請求権」であり、第2に「作品出品契約にもとづく展示請求権」というもの。いずれも、その請求権を根拠付ける事実の疎明は容易である。問題はその先、債務者が当該債務の履行は事実上不可能となっているという疎明に成功するか、である。債務者が、警察力の庇護のもと最大限の防衛策を講じてもなお、展示の再開が不可能と言えるか否か、自ずから争点はこの一点に絞られる。
この局面で、講学上の「敵意ある聴衆の法理」や「パブリック・フォーラム」論の適用妥当性が争われることになる。判例に照らしてみる限り、申立が却下となることは考え難い。
9月13日の申立当日のうちに、係属裁判所は9月20日と27日の2回の審尋期日と指定したそうだ。また、具体的に追加すべき疎明資料の提出も求めたという。裁判所の「やる気」を感じさせるに十分と言ってよい。表現の自由のために、朗報を待ちたい。
なお、この日関係者からの印象的な発言がいくつも重ねられた。永田浩三さんが言ったことだけをご紹介しておきたい。
この16人の展示作品は、いずれも闇夜でマッチを擦るような意味をもつことになりました。それぞれの作品が灯すマッチの火が、闇の深さを照らし出しています。この火が照らし出した今の社会の闇の深さ、あるいはジャーナリズムの闇の深さにたじろがずにはおられません。あらためて、この闇を克服する「表現の自由」の大切さを思い、また、その自由を求めて闘い続けてきた先人たちからのバトンをいま手渡されているのだという責任の重さを感じます。
「表現の不自由展」再開の可否が日本の自由や民主主義についての将来を占うものとなっている。
(2019年9月19日)
一昨日(9月15日)の午後、東大本郷キャンパスで「日本の植民地支配と朝鮮人虐殺」と題する集会があった。発会したばかりの「1923関東朝鮮人大虐殺を記憶する行動」が主催するもので、発会記念の講演会だった。本日(9月17日)の赤旗にも、「官民一体の迫害が蓄積」「関東大震災朝鮮人虐殺 記憶する集会」との見出しで概要が紹介されている。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-7/2019091712_01_1.html
講演は、法政大学社会学部の慎蒼宇(シン・チャンウ)教授。明快な語り口で、震災後の朝鮮人虐殺を偶発的な個別の事件と見るべきではなく、「植民地戦争」の一断面という位置づけが必要だと述べた。「植民地戦争」には、植民地征服戦争のみならず、植民地支配を持続するための継続的な「植民地防衛戦争」がある。その全体像の中に「1923年朝鮮人虐殺」を置いてみなければならないという視点の提示で、資料にもとづく詳細な解説があった。
冒頭「虐殺の正当化 ― 荒唐無稽な『虐殺否定論』の拡大」という話題の中で、この虐殺を免れたある在日朝鮮人の証言をこう紹介した。
「(1923年)10月下旬頃総督府の役人がやって来て私達に、(中略)又この度の事は、天災と思ってあきらめるように等、くどくどと述べたてました」(慎昌範証言)(朝鮮大学校『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』1963年、163p)。
これは小池百合子の言と同じだ。人災と天災の区別を重々承知していながら、「人災と天災を曖昧にし」たうえ、「天災としての処遇」で文句を言うな、というのだ。
九死に一生をこの慎昌範氏の凄まじい証言は、下記のURLで読める。主要部を抜粋して記しておきたい。
http://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/09/192392_4.html
【1923年9月4日午前2時/京成線の荒川鉄橋上で】(抜粋)
燃えさかる町を逃げまどい、朝鮮人の知人を頼りながら転々と避難。荒川の堤防にたどり着いたのは3日の夜だった。堤防の上は歩くのも困難なほど避難民であふれ、押し寄せる人波のために、気がつくと京成線鉄橋の半ばまで押し出されていった。東京で暮らす同胞も合流していた。
?深夜2時ごろ、うとうとしていると、「朝鮮人をつまみ出せ」「朝鮮人を殺せ」という声が聞こえてくる。気がつくと、武装した一団が群がる避難民を一人一人起こしては朝鮮人かどうかを確かめているようだった。
?日本語でいろいろ聞かれても分からなかった林善一さんが日本刀で一刀の下に切り捨てられ、横にいた男も殺害されるのを目の当たりにした慎さんは、弟や義兄とともに鉄橋の上から荒川に飛び込んだのである。
だが彼は、小船で追ってきた自警団にすぐつかまってしまう。岸に引き上げられた彼はすぐに日本刀で切りつけられたが、相手に飛びかかって抵抗する。
?次の瞬間に、周りの日本人たちに襲いかかられて失神したらしく、慎さんにその後の記憶はない。気がつくと、全身に重傷を負って寺島警察署の死体置き場に転がされていた。同じ寺島警察署に収容されていた弟が、死体のなかに埋もれている彼を見つけて介抱してくれたことで、奇跡的に一命を取りとめた。
10月末に重傷者が寺島警察署から日赤病院に移された際、彼は総督府の役人に「この度の事は、天災と思ってあきらめるように」と念を押されている。重傷者のなかで唯一、日本語が理解できた彼は、その言葉を翻訳して仲間たちに伝えなくてはならなかった。日赤病院でも、まともな治療はなく、同じ病室の16人中、生き残ったのは9人だけだった。
?慎さんの体には、終生、無数の傷跡が残った。頭に4ヶ所、右頬、左肩、右脇。両足首の内側にある傷は、死んだと思われた慎さんを運ぶ際、鳶口をそこに刺して引きずったためだと彼は考えている。ちょうど魚河岸で大きな魚を引っかけて引きずるのと同じだと。
なお、当日配布の資料の中に、ハングルでの挨拶が何通か寄せられている。そのうちの2通の訳文をご紹介しておきたい。被害者側からの事件の見方を知る上で貴重なものと思う。
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こんにちは。
私は、韓国の<平和の道>理事長です。
<平和の道>は、分断された祖国の統一のために、また、疎外され寂しく貧しい力のない人たちの側にたち、人が人らしく生きる世の中を作るために昨年、社団法人として発足しました。
海外で困難の中、分断のために南か北かを選択せねばならない海外同胞たちと、また、正義と人権と自由のため連帯して力を合わせている皆様にご挨拶申し上げます。
9月1日、1923年は今から96年前ですね。
あと4年もすれば関東大地震朝鮮人大虐殺は100年になります。
人間が人間として、どれだけ乱爆で残忍なのかを見せつけた関東大虐殺に対し、真相が今でも究明されず、調査も行われておらず、どのくらいの人が犠牲になったのかが明らかにされていません。
少なくは、3千名、6千名という説もあり、多くは1万人を超えるという説もあります。
日本の軍人及び警察の公権力が扇動し、そこに自警団も加わり、朝鮮人を無差別的に虐殺し、井戸に毒を入れたという流言飛語、放火をしたという流言飛語、様々な流言飛語を通じ、関東大震災での日本国民の不安を朝鮮人に矛先をむけさせた日本のやり方が、数多の朝鮮人を死においやりました。縛られ、焼け死に、竹やりで刺され、その苦痛の声と共に死に、溺死した人もいます。
そのすべての真相が明らかにされなくてはなりません。100年が経つにもかかわらず、いまだに事件自体があった事も知らされていない無残な大虐殺でした。
それは、言い換えれば、朝鮮が分断され、お互いが敵対関係になることにより、日本は、そのすきを利用し、自らの犯罪行為を隠蔽し縮小し、そして、歴史を歪曲し、今日まで来たという事です。
浮島丸沈没事件や、関東大虐殺事件も、日本帝国主義を志向した高位官僚たちにより作られた嘘と、真実に対する隠蔽もしくは操作だという事は日本の良心的な国民の皆様はお分かりだと思います。
今、日本は、平和憲法構造を変え、また戦争のできる国、他国を侵略できる国、他国の民を苦しめる事の出来る国になろうとしている明確な意思を表しながら、安倍政権は進んでおります。
大多数の日本の国民はこれに同意しないでしょう。
にもかかわらず、日本の政治指導者たちは、第2次大戦時のように、満州を進撃し、東南アジアを掌握したあの頃の空虚な栄華は忘れられず、日本を帝国主義の方向に導いています。
過ぎた過去の虐殺の蛮行が、現在も進行中であり、未来にもその惨状が起こりうるという憂慮を禁じえません。
良心ある日本の方々、そして、在日同胞の皆様
関東大震災での大虐殺事件についての真相究明を通じ、我々人間が人間らしく生きる世の中にするため邁進する大きな一歩を踏み出すべきと考えます。
そのためにも、南と北がひとつになり、日本の真相究明を要求し、その力を通じ、真実を明らかにすべきと考えます。
海外で、祖国の統一と繁栄を願い、同胞たちが関東大虐殺真相究明に、積極的に取り組み、
私自身も、ここ韓国の地で皆様の真相究明及び日本の謝罪、それに対する懺悔と、許しを得ることのできる環境を作るため、努力していきます。
関東大虐殺真相究明のために、手をつなぎ、連帯し、共に人間が人間らしく生きる世を作るため頑張りましょう。(訳;梁大隆)
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《1923関東韓日在日市民連帯 金鐘洙》(訳;梁大隆)
96年前の9月15日に遡ります。
ナショナリズムのソンビになった殺人鬼たちの狂乱と虐殺で荒川は血で染まり、町には無残に殺された朝鮮人の死体がそこら中に捨てられたまま、嘲弄を受けていました。日本帝国主義はその証拠をなくすため、生き残った朝鮮人たちに同族を燃やさせる反人道的犯罪を行っていたのです。
どこからか生じた流言飛語ではありませんでした。地震による混乱状態で、朝鮮人がどうやって日本の家庭と村、企業と国家を破壊するため動く事ができたでしょうか?
彼らの流言飛語は非常に巧妙な内容で作られていました。
平凡な日本の家庭に朝鮮人が侵入し、婦女を暴行、強姦し、略奪しているという流言飛語は、朝鮮人を家庭破壊犯にしました。そして、井戸に毒を入れ人々を皆殺しにしようとしたとして、人々が自ら朝鮮人を逮捕し、殺しても、村を守ることだという名分を与えたのでした。
また、工場に爆弾を投げ、産業施設を破壊しているという流言飛語は日本の経済を揺るがす事であるから、隠れた朝鮮人労働者を、地域の自警団と共に人々が町に引き釣りだし、その場で虐殺したりしました。
そして、帝都に敵が現れたと、天皇暗殺を企てる者が朝鮮人だと確信させ、国民の憤怒と敵恢心をあおりました。
結局、朝鮮人を、日本の家庭、村、企業、国家を転覆しようとする敵にし、戒厳令を宣布する名分を作り、それにより、軍人も警察も民衆もみな、虐殺のソンビになったのです。
(2019年9月17日)
3日前(9月12日)の午後、菅義偉官房長官は記者会見で日韓関係について語っている。その内容を、同日夕刻のNHK NEWS WEBが以下のとおり簡潔に伝えている。
見出しは、「日韓請求権協定の順守 大原則」「『徴用』問題で官房長官」
「(菅官房長官は、)太平洋戦争中の『徴用』をめぐる問題に関連し、日韓請求権協定は、両国の裁判所を含むすべての機関が順守するのが国際法の大原則だとして、あくまで韓国側に協定違反の状態を是正するよう求めていく考えを強調しました。
この中で、菅官房長官は「徴用」をめぐる問題に関連し、『1965年に日韓請求権協定が結ばれ、日本は当時の韓国の国家予算の1.6倍の有償 無償の資金を提供している。交渉の過程でも、財産請求権の問題はすべて解決したということになっており、協定によって最終的かつ完全に解決済みだ』と述べました。
そのうえで、『こうしたことは、それぞれの行政機関や裁判所を含む司法機関、すべてが順守しなければならないというのが国際法の大原則だ。韓国の大法院判決によって作り出された国際法違反の状況を是正するよう強く求めるというのが、わが国の立場だ』と述べ、あくまで韓国側に是正を求めていく考えを強調しました。」
これに、記者が質問をぶつけて食い下がったという記事はない。もちろんNHKが菅義偉官房長官改憲の内容に賛成したわけではないが、疑問を質すことはしていない。誤導・誤解注意のコメントも付されていない。結局、官房長官の言いっ放しを垂れ流しているのだ。ここが、世の嫌韓ムードの発生源となっている。これでよかろうはずはない。
NHKを先陣とするメディアは、世の嫌韓ムード蔓延の重要な共犯者ではあるが、主犯とは言い難い。主犯は飽くまで政権である。その筆頭に安倍晋三がおり、次鋒として菅義偉があり、そしてもう一人、「極めて無礼でございます」の河野太郎。
この度の記者会見発言に及んだ菅義偉という人物。はたして、徴用工事件大法院判決の訳文を読んでいるだろうか。大法院自身が作成した日本語の判決要約だけにでも目を通しているだろうか。また、関連するこれまでの我が国の国会答弁を理解しているだろうか。さらに、この点についての日本の最高裁の立場を心得ているのだろうか。おそらく、すべて「否」であろう。でなくては、こんな記者会見での発言ができるわけはない。
菅会見で、またまた出てきた「国際法の大原則」。いったい、どのような「国際法」を想定しての発言なのだろうか。何を根拠に「国際法の大原則」というのか、その根拠をご教示に与りたいところ。個人の尊厳ないし人権という普遍的価値を国家の利益や国家の判断に優越するものとする潮流を無視してもよいのか。いったい誰が原稿書いて、こんな断定的なことを喋らせているのだろうか。
私は、昨年(2018年)の大法廷判決(同年10月30日)の翌日から、次のブログ記事を書いた。
11月1日「徴用工訴訟・韓国大法院判決に、真摯で正確な理解を」
https://article9.jp/wordpress/?p=11369
11月2日「徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その2)」
https://article9.jp/wordpress/?p=11376
11月6日「徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を(その3) ― 弁護士有志声明と判決文(仮訳)全文」
https://article9.jp/wordpress/?p=11400
その11月6日ブログの冒頭に,当時の問題意識をこう書いている。
「10月30日韓国大法院の徴用工訴訟判決が、原告(元徴用工)らの被告新日鉄住金に対する「強制動員慰謝料請求」を認容した。この判決言い渡し自体は『事件』でも『問題』でもない。主権国家である隣国司法部の判断である。加害責任者は我が国の企業、まずは礼節をもって接すべきである。
この判決に対する政権と日本社会の世論の感情的な反応をたいへん危ういものと思わざるを得ない。私たちの社会の底流には、かくも根深く偏狭なナショナリズムが浸潤しているのだ。肌に粟立つ思いを禁じえない。」
肌に粟立つ思いは今も続いている。植民地侵略に何の反省もない日本社会が、韓国大法院判決に真摯で正確な理解を怠っているからだ。政権が、礼節を忘れて「極めて無礼でございます」という態度に終始して現在に至り、メディアがこれを増幅して、刺激された日本人の意識の古層にあった民族差別の感情が噴出しているのだ。この「政権・メディア・民衆」の基本構造は、朝鮮併合の前夜と変わらない。
菅会見における、『1965年日韓請求権協定で、財産請求権の問題はすべて解決したということになっており、協定によって最終的かつ完全に解決済みだ』は、間違っている。
韓国の元徴用工が訴訟手続で請求したものは、未払いの賃金ではない。大法院判決の用語に従えば、「強制動員慰謝料請求権」なのである。つまりは、不法行為損害賠償請求権である。
同判決は、主要争点を4点に整理して、そのうちの第3点「? 原告らの損害賠償請求権が、日韓請求権協定で消滅したと見ることができるか否か (上告理由第3点)」を、「本件の核心的争点」としている。当然、その点の判断の理由を丁寧に説明している。その結論は、「消滅したと見ることはできない」。要するに解決済みではないのだ。
この結論は、水掛け論でもなければ、日韓の見解の相違でもない。日本の国会での外務省答弁も、一貫して「両国間の請求権の問題」と「個人の請求権の問題」とは意識的に分けて、協定の効果が考えられている。たとえば、「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」というふうに。
つまり、解決済みというのは、「日韓両国が国家として持っている権利」であって、個人の民事的請求権ではないのだ。このことは、日本の最高裁も同様である。
元徴用工の原告が旧日本製鉄に対してもっている不法行為慰謝料請求権と、韓国が日本に対してもっている外交保護権とは本来別物で、「最終かつ完全に解決した」のは外交保護権だけなのだから、韓国の裁判所が、元徴用工の旧日本製鉄に対してもっている慰謝料請求を認容することは、その権限に属することである。したがって、大法院判決を「国際法の大原則に違反する」などということは、「それこそ無礼でございます」なのだ。
(2019年9月15日)
私は、未開時代の遺物である王制を支持しない。もちろん、その一つである日本の天皇制も。一日も早く、このような不合理極まる支配の小道具が地上から消滅することを願ってやまない。だから、王だの王妃だの王子だの,あるい天皇や皇后に、隣人にする以上の礼をせよと言われれば断固として拒否する。
しかし、だからといって、他国の王や王家をことさらに侮辱しようとは思わない。その国の国民感情を不必要に逆撫でする必要はないからだ。他国の王や王家をことさらに侮辱するのは、国民全体への挑戦的侮辱と捉えられてもやむを得ないだろう。
一国の外交官や軍人らが、他国の王宮に乱入して、寝所の皇后を襲い、その衣服を剥いで斬殺し、死体を焼却した。信じがたい「歴史上古今未曾有の凶悪事件」ともいうべき蛮行を、天皇制の日本がした。その被害国が末期の李氏朝鮮である。この事件は、日本では「閔妃暗殺事件」というが、今、韓国では「明成皇后弑害事件」と呼ばれている。「明成皇后」は、殺害された閔妃の諡(おくりな)である。
被害国を日本に置き換えれば、外国軍人やその指揮下のゴロツキどもが皇居に乱入して寝所の皇后を襲って殺害し、遺体を焼き捨てるという蛮行。天皇制を支持しない私も、こんなことをされたら腹を立てる。当たり前のことだ。
しかし私は、角田房子『閔妃暗殺』(1988 新潮社)を読むまで、長くこんな事件があったことを知らなかった。歴史の教科書に出て来ないのだ。景福宮のこの暗殺現場には、最近2度行った。有能な日本語ガイドから詳細な説明を受けたが、「韓国の教科書には記載されており、韓国の誰もが知っていること」だという。そうだろう。当時、「国母」と呼ばれていた英邁な皇后が、侵略国日本の手先に斬殺された歴史上の大事件。韓国民には印象深く、日本人の多くは知らない。この日韓の両国民の認識の落差は、意識の相違とならざるを得ない。
角田房子『閔妃暗殺』の宣伝文句は、以下のとおりである。
「時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの『根源的事件』の真相を掘り起こした問題作である。第一回新潮学芸賞受賞。」
その『閔妃暗殺』の中に次の一節がある。
「彼ら(犯人ら)の多くが、殺人は刑法上の重大犯罪であり、特に隣国の王妃暗殺は国際犯罪であることを知らなかったわけではない。しかしそれが、?国のため?であれば何をやっても許される、それをやるのが真の勇気だという錯覚の中で、殺人行為は「快挙」となり、?美挙?と化した。」
大方の日本人には「快挙・美挙」とされたが、客観的には「歴史上古今未曾有の凶悪事件」(外務省に事件を報告した京城領事内田定槌の表現)である。朝鮮の民衆には、この上なく残忍な屈辱的行為として、今も記憶され続けているのだ。
なお、今年(2019年)7月24日付「赤旗」に、朝鮮史研究者の金文子(奈良女子大学)による、この件についての長文の寄稿がある。その中に目を引くのは、次の2点である。なお、ネットでは、次のサイトで全文を読むことができる。
https://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/b0d50b1721580890141e5d8cb41004f7
朝鮮人同士の権力争い偽装
この事件の前年7月、日清戦争開戦直前にも、日本軍が景福宮を占領して国王を虜にしたことがあった。日本軍は王宮から撤退後も王宮前に駐屯を続け京城守備隊と称した。再び王宮に侵入して王后を殺害したのは、この京城守備隊だった。しかもこれを朝鮮人同士の権力争いに偽装するため、国王の実父大院君を無理やり引き込んだ。真夜中の殺害計画が夜明けまで遅れ、多数の西洋人が目撃したのは、大院君が抵抗したからである。
ひと月前に着任したばかりの駐韓公使・三浦梧楼(ごろう)は、外務大臣西園寺公望への電信で日本人の関与を認め、自分が「黙視」したと告白した。さらに《日本人は殺害等の乱暴は一つもしなかったという証明書を朝鮮政府から取っておいた。大院君にも、随行の朝鮮人に日本服を着せて日本人を装わせたと言わせる。この二点は外国人に対し「水掛論」に持ち込む考えである》と、偽装計画まで報告している。(『日本外交文書』)
本国の訓令に忠実にうごく
この事件は愚かな軍人三浦梧楼の暴走と見られてきたが、決してそんな単純な事件ではない。三浦は公使着任後、大本営の川上操六参謀次長と通信し、事件の3日前には朝鮮駐屯軍の指揮権を獲得していた。(「密大日記」)
三浦の部下、書記官の杉村溶は『在韓苦心録』を書き、自ら首謀者だったと認めた。そしてその目的は「宮中に於ける魯国(ロシア)党(其首領は無論王妃と認めたり)を抑制して日本党の勢力を恢復(かいふく)せんとするに在り」と明言した。杉村は事件の2カ月前、西園寺外相に王后の政権掌握を報告し、傍観すべきか、親日政権の成立に尽力すべきか、訓令を求めていた。西園寺の回答は、親日政権の成立に「内密に精々尽力せらるべし」であった(『日本外交文書』)。三浦も杉村も本国の訓令に忠実に動いたのである。
こんなことをやった日本と、こんなことをやられた韓国。やった方の国民はほとんど事件を忘れても、やられた方の国民は容易に忘れることができない。両国の関係は、このような微妙な事情の上にあることを肝に銘じるべきなのだ。
(2019年9月10日)
8月29日から10日が経過した。
8月29日を意味ある日として記憶されている人がいるだろうか。この日は、私の誕生日である。夏の盛りを過ぎ、もうすぐ夏休みも終わろうというこのころ。私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。
ところで、8月29日とは、韓国併合の日として記憶される日である。手許の「日本史総合年表(吉川弘文館)」には、1910年8月22日のこととして「韓国併合に関する日韓条約に調印(29日公布施行,同日併合に関する詔書)」とあり、8月29日欄には「韓国の国号を朝鮮とあらためる件、朝鮮総督府設置に関する件を各公布」とある。
この8月22日と29日の関係について、「アリの一言」というブログに読むべき書き込みがあることを教えられた。「『8・29』は忘れてならない歴史の日」というタイトル。執筆者は、「K・サトル」氏。1953年広島県生まれで、政党機関紙記者・論説委員、夕刊紙報道部長・編集委員、業界紙編集長などの経歴がある方だという。その記事の抜粋を引用させていただく。
引用元の記事のURLは以下のとおり。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d4f122a66c81f3bf1de888561dc6d064
きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。
「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)
「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです。
「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)
「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。
この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910?45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)
1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。
なお、周知のとおり、1910年日韓併合条約の効力の有無が戦後日韓関係での懸案事項となり、1965年日韓基本条約第2条の文言は、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となった。明確に、日韓併合条約も『もはや無効』が確認されている。
しかし、その解釈は両国で異なる。韓国政府は「日韓併合条約は当初から無効であった」という立場であり、日本は65年条約締結によって無効になったとする。両国の歴史認識のズレは戦後も一貫してあり、現在なお大きいのだ。
(2019年9月8日)
昨今の不愉快極まりない、「嫌韓」の嵐。官邸・外務省が発生源で、メディアと右翼「言論人」がこれを煽っての悪乗り現象。さすがに、そろそろこのバカバカしい騒動に終止符を打とうという良識派の論調が見えはじめている。
本日(9月7日)の毎日新聞夕刊「週刊テレビ評」に、金平茂紀が「嫌韓ワイドショー 憎悪あおり『数字』得る愚行」という記事を書いている。表題のとおりの至極真っ当な内容。その一部を抜粋してご紹介したい。
「今はさあ、とにかく韓国をたたこう」。在京某テレビ局のワイドショーの制作デスクが定例会議の席で言い放ったそうだ。「数字(視聴率)取れるんだよね」。他国に対する偏見・差別や憎悪をあおって数字(視聴率)を上げる。公共の放送が決してやってはならない禁じ手だ。悪化している日韓関係に便乗する形で、日本のテレビは、程度の濃淡はあれ、公認の「嫌韓キャンペーン」を繰り広げているかのようだ。特にひどいのが情報系生番組だ。もちろん一部の報道ニュース番組も例外ではない。
なぜこんなことになってしまったのか。僕らテレビ人は頭を冷やして考えてみた方がいい。今回の日韓対立の直接の引き金は、去年10月の徴用工判決とされているが、徴用工問題とは一体どのような歴史的な事象なのか、ディレクターの君は知っているか。この徴用工問題では、中国との間では裁判で和解が成立し、和解金が支払われている事実を、放送作家のあなたは知っているか。歴史認識の隔たりが対立の根底にある。AD(アシスタントディレクター)のあなたは1910年の韓国併合を知っているか。実際、恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか。
幾つかの感想を述べておきたい。まずは、時代の空気というもの、あるいはその変転の勢いの恐ろしさである。1年前の今頃、こんな凄まじい嫌韓の風が吹くことになろうとは思ってもいなかった。あっという間に空気は変わる。心しておきたい。ヘイトの言論を侮ってはならない。
二つ目は、この嫌韓の風を煽っている連中が、けっして本気の嫌韓派ではないことである。売れれば良し、数字がとれれば良し、儲けにつながればなんでもありなのが商業メディアの本質的一面なのだ。これが恐い。
さらに、メデイアは大衆の中の韓国に対する差別意識を的確に把握し、これに迎合した。このことを見逃してはならない。日本の民衆の深層にある隣国人に対する言われない差別観。侵略のために植えつけられた差別意識が今なお、根強くあるのだ。
もう一つ。「恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか」。そうなのか。現場にいる人の言葉として重い。「恐ろしいほどの知識の欠如」をどうすれば埋めることができるのか。考え込まざるを得ない。
できることとして、今こそ、石川逸子の詩を紹介したい。以前にも当ブログに掲載したことのある詩を2編。2編とも、日本が韓国や韓国の民衆にした仕打ちについて、「知っていますか」と歴史を問う詩である。
ここに語られているのは、閔妃暗殺(日本なら皇后暗殺)であり、3・1独立運動弾圧であり、関東大震災後の在日朝鮮人虐殺であり、慰安婦問題であり、日清戦争直前の日本軍王宮占拠事件であり、徴用工問題、創氏改名、朝鮮人被爆…等々である。
韓国の人びとは公教育でこの歴史を学習して育っている。おそらくは、日本人の歴史認識との恐るべき格差があるのだ。われわれ日本人は、苦しくともこれに向き合わねばならない。「恥ずかしい国の 一主権者であることを恥じる」石川さんの気持ちを共有したい。そこが、出発点だ。
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風がきいた
知ってますか 風がきいた 夜の木々に
1895年10月8日
日本軍と壮士らが 隣国の王城に押し入り
王妃を むごたらしく殺害したことを
天皇が『やるときはやるな』首謀者をホメたことを
知ってますか 風がきいた 昼の月に
1919年3月1日
国旗をもって「独立万歳」 叫んだ朝鮮人少女が
右手 左手 次々 切り落とされ
なお万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを
知っていますか 風がきいた ながれる川に
1923年9月2日
一人の朝鮮人女性が自警団に手足をしばられ
トラックで轢かれ 「まだ生きてるぞ」
もう一度轢き殺されたことを
知っていますか 風がきいた 野の花に
1944年末
与那国島に船で輸送されてきた
朝鮮人「慰安婦」たちが 米軍機に銃撃され
アイゴー 叫びながら 溺れ死んでいったのを
木々が 月が 川が 野の花が
きかれなかった 海 泥土 までが
一斉に答える
知ってます 知ってますよう
風が 日本列島を たゆたいながら吹いていった
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30日以内
2019年1月13日
元徴用工訴訟をめぐって
日本政府は 1965年の日韓請求権協定に基づく
協議再開要請への返答を
30日以内に出すよう 韓国政府に求めた
植民地下 日本男性を根こそぎ徴兵したことから
労働者不足となり
一家の働き手 若い朝鮮人たちを
力づくで 脅して 軍事工場へ 飛行場へ 鉱山へ
拉致してきた 大日本帝国
自らの意思で会社と契約した労働者なんかじゃない
いわば奴隷だったのだ
思い出す
1944年9月 徴用令書の公布を受け
「給料の半分は送金する 逃げれば家族を罰する」
と脅され はるばる郡庁に集まり
軍人の監視を受けながら
貨車で釜山へ 連絡船で下関 汽車で広島の工場へ
12畳の部屋に12人詰めこまれたという
在韓被爆者たちの訴えを
思い出す
「ヤミ船でやっと帰国してみたら
送金はなく 赤ん坊が餓死していました」
「朝鮮総督府になにもかも供出して
屋根のない家に家族がいました」
「爆風で怪我し 体調ずっと悪く 今も息苦しくてたまりません」
口々に訴えたひとたちを
思い出す
「小学校時代
日本語をしゃべらないと殴られた
戦争末期には食器まで銃にすると取り上げられた」
と言ったひとを
「豊臣秀吉の朝鮮侵略を讃える授業が辛かった」
と言ったひとを
むりやり連れてこられたのに
自力で帰るしかなかったから
ヤミ船で遭難し 海の藻屑となったひとたちもいた
劣悪な食事に抵抗して捕らわれ
広島刑務所で獄死したひともいた
待てど待てど 戻らない夫を待ち
老いてもなお戸口に立ち尽くす妻もいた
それらひとりひとりの憤懣に 恨に
思いをいたすこともなく
30日以内と 居丈高に迫ることができるのか
「協定は国と国との約束
個人請求権はなくなりません」
これまでの国会での政府公式見解を
あっさりと 闇に葬り
期限を切って回答をせまる ごう慢に 無礼に 気づかないのか
思い出す
かつて日清戦争前夜
1894年7月20日
朝鮮政府に
受け入れるはずもない4項目の要求を突きつけ
同月22日までの回答を迫った
日本政府を
―京城・釜山間の軍用電話架設
―日本軍のための兵営建設
―牙山駐留の清軍を撤退させる
―朝鮮独立に抵触する清との諸条約の破棄
翌23日深夜
回答がえられないのを口実に
他国の王宮の門を オノやノコギリで打ち破り
王宮を力づくで占領し
国王夫妻・王子を幽閉し 財宝も奪った
日本軍
朝鮮人なら思い出すであろう
腹が煮えかえる歴史を
再び繰りかえすつもりでもいるのか
相手あっての交渉の日時を
30日以内など
一方的に要求するとは!
韓国人留学生が言っていた
「日本の書店には
反韓反中の本があふれていますが
韓国には反日の本など並んでいませんよ」
恥ずかしい国の
一主権者であることを恥じながら
小さな新聞記事を切り抜く
―2019・1・16
日本政府のあまりの無礼な態度に呆れ、拙い詩を作りました。
ご笑読くださいませ。 石川逸子
(2019年9月7日)
本日(9月1日)、は「防災の日」であるとともに、私が名付けた「国恥の日」。
東京都墨田区・横網町公園において、しめやかに「関東大震災96周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が挙行された。同公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前に、心ある多くの人が参集して、理不尽な非業の死を余儀なくされた朝鮮人・中国人虐殺犠牲者の無念を思い、しめやかに追悼の意をあらわした。
恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの時期、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となった。
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも、である。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、デマとヘイト本をネタにしてのものである。
知事の追悼文送付拒否の理由は、「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」ということにあるが、なぜこれまで続けてきた追悼文送付を突然にやめたのかの理由になっていない。
震災による自然災害死と、おぞましい民族差別感情の赴く結果としての虐殺被害とを、「全ての犠牲者」として、ことさらに同一視し相対化してはならない。その意味も、教訓も、対策もまったく異なるのだ。
小池知事の追悼文送付拒否の理由には、これまで当然のこととして意識されてきた、「住民の自然災害死」と「在日朝鮮人・中国人の虐殺被害」との大きな落差をことさらに糊塗しようという意図が透けて見える。関東大震災時におけることの重大性は、官民一体となっての他民族虐殺にある。とりわけ、自警団という名の住民組織が殺人者集団となって、民族差別意識のもと、朝鮮人・中国人を故なく拘束し、拷問し、あるいは刺殺し、あるいは撲殺したのである。このおぞましい歴史的事実を、我々は負の記憶として忘れてはならない。
だから、1923年9月1日は「国恥の日」として記憶され続けなければならない。これを忘却の彼方に追いやろうというのが、おぞまいしい小池知事の姿勢なのだ。この知事の言動は、明らかに過去から現在にまでつながる我が国の対朝鮮、対中国の民族差別を糊塗し、虐殺・加害の歴史を風化させようと意図するものというほかはない。このような人物を首都の知事としていること自体が、過去の国恥ではなく、現在の国恥というべきではないか。東京都知事を変えたい。変えねばならない。常識的な歴史感覚を持つ人物に。あらためて強くそう思う。
本日の追悼式の次第は以下のとおりであった。
司 会???????? 日朝協会東京都連合会 墨田支部長 小島 晋
開式のことば 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長
日朝協会東京都連合会会長 宮川泰彦
読 経???????? 浄土真宗本願寺派僧侶・東京宗教者平和の会事務局長
小 山 弘 泉
鎮 魂 の 舞 韓国無形文化財第92号太平舞保存会日本東京支部長
金順子韓国伝統芸術研究院代表 金 順子
各界追悼の辞
関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会
事務局長 田中 正敏
亀戸事件追悼会実行委員会副実行委員長 榎本喜久治
朝鮮総連東京都本部 副委員長 李 明宏
日本共産党東京都議団 畔上三和子
日本平和委員会 事務局長 千坂 純
追悼メッセージ
元衆議院議長 河野 洋平
カトリック東京大司教区大司教 菊地 功
法政大学総長 田中 優子
黙 祷
閉式のことば
日本中国友好協会東京都連合会理事長 中川太
献 花
本日、参列者に配布された実行委員会の式次第には、「日朝の友好とアジアの平和と安定のために」とのタイトルで、解説記事が記載されている。その一部を引用しておきたい。
あの時 何が起きたかー関東大震災に乗じた虐殺
「1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」
真相究明と謝罪求め
「自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」
追悼碑建立の経過 ※1973年当時石版に刻んだもの
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」
碑 文
この歴史
? 永遠に忘れず
在日朝鮮人と固く
手を握り
日朝親善
? アジア平和を
打ちたてん
藤森成吉
(2019年9月1日)