(2020年11月8日)
医学・医師・医療・医薬の「医」の本字は、「醫」である。説文解字によれば形声文字で、音符の「殹」は「エイというまじないの擬声語」(大漢語林)、これに薬草を作る酒ないし酒器の「酉」を添えてできた文字であるという。
「醫」の文字の成り立ちからも、医学や医師は、呪術(マジナイ)から経験科学として発展したことが読み取れよう。どの字書にも、「醫」の字義の一つとして「かんなぎ」(巫女)が上げられていることも、その事情を表している。
今の世の医師が呪術師や巫女であってはならず、すべからく冷静な論理的思考のできる自然科学者でなくてはならない。ところが、いまだに呪術師然として恥じない医師がおり、そのことに無批判な世論もある。ここでいう呪術とは、反科学を意味する。あるいは反科学的な姿勢や態度をいう。
高須克弥という人物がいる。医師とのことだが、呪術師ないし予言者気取り。こう報じられている。
高須克弥院長 米大統領選でトランプ氏優位の報道に「全てが僕の予言通りにすすんでいる」(2020年10月31日 19時10分 東スポWeb)
高須クリニック院長の高須克弥氏(75)が(10月)31日、ツイッターを更新。米大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ大統領(74)の優位が報じられたことを受けて、自身の見解を語った。
高須院長は「全てが僕の予言通りにすすんでいる。当たりすぎて怖い。トランプ勝利。大阪都構想勝利。愛知県知事リコール勝利」と驚きの様子。続けて「もうすぐ僕は死んじゃうのかな…これは別に怖くはないけどね」とした。
この人は、10月31日前のどこかの時点で、「三つの予言」をしたのだ。
(1) 11月1日大阪都構想(正確には「大阪市廃止」)住民投票で、賛成派が勝利する。
(2) 11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でトランプが勝利する。
(3) 11月4日提出期限の「愛知県大村知事リコール」署名運動が成功する。
その予言のことごとくがハズレたことが、本日までに明らかになった。予知能力などまったくないことが明らかになった、と念を押すほどのこともない。当たり前のことだ。
予言はずれの責任を取ってもらおうというのではない。自らが発起人になっておこなった「大村愛知県知事リコール」運動について、批判を許さないという姿勢を問題にしたいのだ。
この人物、歴史修正主義に親和性が高く、天皇に対する思い入れが過剰である。その反面、日本国憲法の諸価値には関心のないごとくなのだ。
彼自身のこんなツィッターがある。(2019年12月8日付)
12月8日は奇しくも太平洋大戦の開戦日である。
。故郷は焦土て化し、防空壕て生まれた僕は、いま生きておれるぬは昭和天皇陛下の御聖断のおかげだと思います。(ママ)
世に蔓延している、「開戦は臣下の責任。敗戦の決断は朕の手柄」という珍妙な論理の信奉者なのだ。なるほど、それゆえの大村知事リコール運動なのか。
もちろん、個人として天皇を崇拝することも賛美することも、思想・良心の自由であり、その表現の自由も日本国憲法によって保障されている。しかし、自分の思いを他に強制することはできない。
高須が発起人となった大村愛知県知事リコール運動は、同県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」を巡る対応に問題があったとして、実行委員会会長を務めた大村知事の解職を求めたもの。天皇に対する「不敬」表現への公金支出を問題にしている構図なのだ。
11月4日、その署名簿が県下の各市町村選挙管理委員会にに提出された。朝日の報道では、「愛知県の大村秀章知事のリコールを目指す美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長らが4日、集まった署名を各市区町村の選挙管理委員会に提出した。県選管によると各選管で計7万6462筆(午後8時現在)を受け取ったという。」「県選管によると、名古屋市千種区1万388筆(9月1日時点の有権者の約7・9%)、日進市2854筆(同3・9%)など。同日までが提出の締めきりだった市区町村すべてに署名は提出されたという。」
リコール失敗は明らかだ。愛知県下の行政も、県民の多くも、このコロナ禍のさなかにおける知事リコールに関心が向かなかったのは当然と言えよう。
それでも、高須はこの日午前、報道陣に「最低でも80万筆以上あると実感がある」と話したが、集計中として署名総数は明かさなかった。朝日は、「署名総数明かさず」と見出しを打っている。
そして、昨日(10月7日)、高須はリコール運動の終了を表明。署名は解職の賛否を問う住民投票実施に必要な法定数に届かなかった。これで、大山鳴動もせずに、一件落着かと思ったが、続編の幕が開けた。
「解職の賛否を問う住民投票には9月の県試算で法定数86万6500人超の署名が必要だが、4日提出した署名は計43万5231人分と約半分にとどまり、成立が困難な状況だった。」と報じられたのだ。さて、署名総数43万5231人は信じられるだろうか。署名数が法定数に達していれば、有効署名数を確認しなければならない。しかし、法定数に達していないことは明らかで、選挙管理委員会が無駄な確認作業をすることはない。
あいちトリエンナーレ展の芸術監督を務めた津田大助が、以下のように疑問を呈した。
中止はいいんですが集めた43万5000人の署名、複数の選管から「同じ筆跡の署名が大量にある」という報告があったり「署名してないのに自分の名前入ってた」という報告も聞こえてきて事実なら健全な民主主義を阻害する大問題なのでメディアはぜひこの件の追加取材お願いします。
この、津田のツィートにおかしなところはない。高須の名誉毀損の事実を断定する叙述はなく、高須を侮辱・揶揄する文言も一切ない。「事実なら健全な民主主義を阻害する大問題」であることに異論はあり得ない。「メディアはぜひこの件の追加取材お願いします。」も、極めて常識的な提案ないし意見でしかない。
ところが、これに対する高須の反応が異常である。ボルテージが異様に高いのだ。「痛いところを衝かれた」と思っているのだろうか。あるいは「天皇陛下に不敬を重ねるつもりか」との思いだろうか。
こんな報道がされている。
高須院長が怒り、津田氏に謝罪要求…署名「同じ筆跡」不正疑惑に「非常に不愉快」
2020/11/08 10:10デイリースポーツ
高須クリニックの高須克弥院長が8日、ツイッターに投稿。断念を表明した、大村秀章愛知県知事の解職請求運動を巡り、ジャーナリスト津田大介氏が「不正」を疑うツイートを行ったとして、「根拠のないケチをつけられて非常に不愉快である。謝罪を求める」と抗議した。
高須氏は「津田くんには僕が不正投票するような人間に見えるか。僕は断じて不正はしない」と反論。「津田くんは選挙管理委員会の誰もが知らないはずの情報を知ってるんだ」とも記し、「謝罪を求める」とした。
さらに、「デマ流して妨害しただけでなく、再挑戦の妨害を始めた津田くんとその一味。早く謝罪したまえ」「遅れたら次は法廷だ。癌で僕が弱っていると思ってなめるな」と投稿したという。
これは、常軌を逸している。恫喝と言うほかはない。「謝罪しなければ次は法廷だ」という脅しは最近流行だが、タチが悪くみっともない。これで、本当にスラップ訴訟を提起したら、提訴自体が不法行為となって逆に高須が損害賠償せざるを得ないこととなる公算が高い。
そもそも、高須は「公明正大」を原則にし署名は公開で集計を行うとしていたという。2020.10.28の「夕刊フジ」の取材にこう言っていたのだ。
リコールの署名集めを担う受任者も8万人を突破したようです。2011年の名古屋市議会リコールでは、受任者1人あたり9.8人の署名を集めていることから、必要な署名約85万人分も現実味を帯びています。
来月4日には選挙管理委員会へ署名を提出する必要があります。高須院長は「公明正大」を原則にしていることから、これまでの署名は公開で集計を行う予定だそうです。
高須院長は「夕刊フジさん、ぜひ来てください。何もインチキしないで、今ある署名を集計しますから」と自信たっぷりでした。」
高須の側が、朝日・毎日・中日などの大手メディアにしっかり公開して署名数の集計を行っていれば、こんな疑惑は生じようがなかったのだ。グレタ・トゥーンベリに倣って、こう申し上げよう。
「裁判なんてばかげている。怒りをコントロールする自分の問題に取り組んでから、友人と映画でも見に行くべきだ。落ち着け。落ち着け!」 「その上で、冷静に不正疑惑を晴らす手段を考えたまえ」
(2020年10月30日)
私の母方の祖父は赤羽幹という人だった。南部盛岡は八幡町の人。2男4女をもうけたが、早くに妻を亡くし、子のうち2人を養子にやって、男手で4人の子を育てたと聞いている。
その祖父が晩年に、大阪の郊外に住んでいた次女(私の母・光子)の家族を訪ねてきたことがある。2週間も逗留したろうか。当時、私は中学生だった。私も盛岡生まれだが、5歳のときには盛岡を出ているから、祖父とは初対面といってよい。このときの祖父との会話を、ときどき懐かしく思い出す。
父が祖父を歓待した。祖父が一番喜んだのが、大相撲大阪場所の見物。吉葉山・栃錦・鏡里という人気力士の時代。祖父は、「オレはハア、もうすぐ死ぬんだ。冥土の土産だ」と口にした。
若い頃は気性の激しい人だと聞かされたが、80に近くなった当時、そんなふうには見えなかった。あまり自分を語らず、少年だった私の話を面白そうによく聞いてくれた。当時、私は地元中学校の生徒会長で、学校新聞を作って、学校放送を担当して、相撲部で活躍もしていた。話のタネは無数にあった。
何が切っ掛けだったか、私はテンノーについてしゃべった。当時私は特に天皇について関心が深かったわけではない。私の身近には天皇を犯罪者と呪詛する人も、その反対に天皇を崇拝する人もいなかった。敗戦以来10年余という当時の時代の空気に染まっていただけであったろう。
私はテンノー(裕仁)とは、「あっ、そう」としか話のできない人だと思っていた。テンノーと言えば、まず連想するのは「あっ、そう」であった。これは、活字の情報ではない。誰か年長者から教えられたことだと思う。そして、「戦争に負ける前は、あの猫背のおっさんが神さんだったんやて」という遠慮のない揶揄。当時の中学生の目には、天皇の神聖性などカケラも感じられなかった。
私がなんとしゃべったかはよく覚えていない。しかし、当時私の口はよく回った。こざかしくテンノーの愚かさを嘲笑し、テンノーが多くの人を不幸にした敗戦の責任を取ろうとしない卑怯を責め、今の世の人がそれを許していることの不条理を嘆いて見せた、のだと思う。
私は、得意になって正論を吐いたつもりだった。ところが、祖父は驚くべき反応を示した。目にいっぱい涙を溜めて、中学生の私を見つめ、悲しげに呟いたのだ。「天皇陛下のお蔭で、日本人は戦後も生き残った。」「天皇陛下のお力がなければ、みんな殺されていたか、みんな奴隷だ」
そのとき私は初めて、テンノーというものの不気味さと恐ろしさを実感した。以来、私はテンノーを語ることにこだわりと躊躇を感じるようになった。今、整理すれば、そのテンノーの不気味さと恐ろしさは、身近な人々一人ひとりの精神の中にもぐり込み、長く巣くって宿主を支配しているという感覚であったろう。
学生時代にマーク・ゲイン『ニッポン日記』で、民衆に囲まれた天皇の「あ、そう」の叙述を印象深く読んだ。天皇(裕仁)の口癖というようなものではなく、天皇が民衆にどう口を利けばよいのかわからなかったことが、こういう発語になったのだ。
必ずしも正確ではないが、私の記憶では、マークゲインが見たとして叙述されているものは次のような風景である。
行幸先の天皇を囲んだ物見高い群衆の何人かが何かを語りかけると、天皇は判で押したように「あっ、そう」としか言葉を返さない。どんな切実な語りかけに対しても、「あっ、そう」ばかり。甲高い声で「あっ、そう」が繰り返される度に、次第に緊張していた群衆の雰囲気が変わる。人々が「あっ、そう」と口ずさんで天皇を嘲笑の対象にするようになったというのだ。
私は、憲法を学ぶようになってから、民主主義や平等原理に照らして、天皇について考えるようになった。そして、中学生の頃の天皇観をあらためて正しいものと再確認した。それとともに祖父のことを思い出す。天皇制とは恐るべきものだ。私の祖父の精神にも、潜り込み、巣くって、蝕んで、害を及ぼしていたのだから。
(2020年9月28日)
スガ政権とは何者であるのか、何をやろうとしているのか、まだ見えて来ない。見えてくるのは、枝葉の一部だけなので、なんのために何を目指しているのか、隔靴掻痒なのだ。
スガが総論として語っていることは、アベ政権の承継でしかない。アベ政権とはいったい何であったか。政治と行政の私物化政権であり、対米従属のもとでの軍拡・改憲強行政権であり、新自由主義的格差貧困拡大経済政策政権であった。しかも、こんなにウソとゴマカシを重ねた政権も珍しい。本当に、これをまるごと承継するというのか。
携帯電話料金の値下げ、行政の縦割り弊害解消や不妊治療費助成、デジタル庁新設などの各論が、大きな全体政策の中でどう位置づけられ、互いにどう関連するのかが、見えてこない。
それでも、国会論戦のないままに、河野太郎行政改革担当相が、ひとり張り切っている。「はんこをすぐにでもなくしたい」とのことだ。全省庁に対し、行政手続きで印鑑を使用しないよう要請し、使う必要がある場合は理由を今月中に回答するよう求める事務連絡を出した。この事務連絡では、年間1万件以上ある行政手続きについては月内に、それ以外は10月上旬までに回答するよう求めた。
河野は24日夜のテレビ朝日の番組で、「『どうしても使わなければいけない』と言ってこないものは、10月1日からはんこなしにする。欄があっても無視していいことにする」と述べたとか。
脱押印の前に、行政文書・公用文書の作成管理をしっかりして、隠蔽・改ざん・廃棄のないように徹底してもらいたい。アベ政権が失った、行政の透明性や説明責任の履行に対する国民の信頼を取り戻すことが、行政改革の第一歩ではないか。
それはさておき、行政文書の作成保管がしっかりしている限りにおいて、行政手続の効率化やスリム化に反対する理由はない。書類の偽造や変造を防ぐ工夫は当然として、ハンコをなくすことには賛成だ。まずは、御璽だの国璽だのから廃止せよ。これこそ、権威主義と行政遅滞の象徴なのだから。
そして、もう一つ提案したい。この際、公用文書の紀年法から元号を駆逐して、西暦に統一すべきだろう。元号使用は不便極まる。時間的にも空間的にも有限な紀年法は、欠陥品なのだ。グローバル化にともなって、民間では西暦使用が進行している。いつまでも、お役所だけが、元号固執は無理だろう。西暦表示採用、いずれはやらざるを得ないのだから、できるだけ早い方がよい。
1950年5月6日、日本学術会議が、「元号廃止 西暦採用について(申入)」の総会決議を採択し、衆参両院議長と内閣総理大臣に申し入れている。70年前のその申入書の一部を紹介する。
日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。
理 由
1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。(以下略)
(2020年9月22日)
秋分の日である。あの猛暑が嘘のような玲瓏な秋日和。不忍池に昨日は3輪の蓮の華を数えたが、本日はおそらくは最後となる一華を視認。本日9月22日を、2020年の「蓮じまいの日」と認定しよう。蓮華の命も彼岸まで。6月半ばから3か月余、目を楽しませていただいた。
国民の祝日に関する法律(祝日法)によれば、秋分の日とは「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨としている。(なお、春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」である)
秋分の日は、戦前の「秋季皇霊祭」を受継したもの。「皇霊」とは、明治期皇居内に新設された「皇霊殿」に祀られた《歴代天皇および皇族の霊》のこと。1908年9月制定の「皇室祭祀令」で、春季皇霊祭・秋季皇霊祭ともに大祭に指定され、宮中では国家行事としての春季皇霊祭・秋季皇霊祭が行われた。戦後になって、まさか「国民こぞって歴代天皇をうやまい、しのぶ」などとは言えないので、仏教習俗としての彼岸の定義を趣旨とした。
皇霊祭とは何か。天皇やら皇族やらの権威を、コテコテに盛るための演出のひとつである。なぜ、天皇やら皇族やらの権威を盛る必要があるのか。この世に、人と人との差別が必要だと考えたからである。天皇やら皇族やらを、貴なる存在として特別視することで、その対極に賤なる人々を作ることができる。社会に貴や賎を作れば、その中間段階で無限のバリエーションをもって人と人との差別を作り出すことが可能となる。
天皇やら皇族やらの権威を作り出し維持しようとする人々は、この社会に人と人との差別あることを利益とする人々である。あらゆる差別の根源として、天皇やら皇族やらの尊貴という権威を演出したのだ。
ある生身の人間を、常人とは異なる特別の人間と権威付けるためにどうすればよいか。特別な服装をさせてみよう。特別な場所に住まわせ、ときどき、民衆に見せて手を振らせることにしよう。それだけでは足りない。一見凡庸に見えるこの人物こそ、実は神なる祖先に連なる貴い血筋だということにしよう。そのための皇霊祭なのだ。
もちろん、全ての人は平等である。あまりにも当然のことだ。ところが、いまなお、天皇やら皇族やらを常の人ならぬ神聖な存在とする迷妄が存在し、その迷妄を社会に差別的秩序あることを利益とする人々が支えている。
天皇やら皇族やらの神聖性は、一人の幼児の「王様は裸だ」という一言で吹き飛ぶ虚飾に過ぎない。この儚げな虚飾を剥ぎ取るか、剥がされることを恐れてさらに虚飾を重ねるか、そのせめぎ合いが続いている。
いまだに差別が残る社会である。差別の存在を利益とする者がこの社会を牛耳っているからである。その差別の根源としての天皇の権威を受け入れている人が少なくない。天皇神聖や天皇尊貴の根拠が「血統への信仰」という馬鹿げた虚妄にあるのだから、「血統」による貴賤や優劣の存在を、意識的に徹底して否定しなければならない。今どき、自分の先祖を自慢する愚物を鼻先で嗤ってやろう。天皇であれ華族であれ、その血筋に恐れ入って見せる人を徹底して軽蔑しよう。
不忍池の蓮の華には虚飾がない。あるがままで美しい。社会も、このようでありたいものと思う。今年の「蓮じまい」が惜しい。来年も、あるがままに美しい蓮の華を楽しみたい。
(2020年8月25日)
一昨日(8月23日)、私のブログに醍醐聰さんから、「苦言」をいただいた。私のブログに目を通していただき、わざわざコメントをいただいたことをありがたいと思う。が、一言釈明をしておかねばならないし、敷衍して述べておきたいこともある。
当ブログは8月22日付で伊藤詩織さんの民事訴訟提起を肯定的に取りあげ、「『リツィート』も『いいね』も法的責任追及の対象となる。ネトウヨ諸君、中傷誹謗は慎まれよ。」と表題する記事を掲載した。私は、その末尾にこう書いた。
匿名に隠れて誹謗中傷をこととするネトウヨ界の住人諸君。他人の人格の侵害には、責任が問われることを知らねばならない。たとえ、「リツィート」であっても、「いいね」でさえも。
もっとも、天皇などの社会的権威や、安倍晋三などの政治的権力者に対する批判の言論については自由度が高い。しかし、弱い立場にある者への寄ってたかっての攻撃は許される余地がない。心していただきたい。
醍醐さんのツィッターでの「苦言」は、以下のとおりである。
私も澤藤統一郎さんと同様、泣き寝入りを拒否して2次、3次被害の加害者の責任も追及するために提訴した伊藤詩織さんに敬意を表する。
ただし、「天皇などの社会的権威に対する批判の言論については自由度が高い」という澤藤さんの意見には賛同しない。自由度は極めて低い。
醍醐さんがこういうのだから、私の表現が意を尽くしていない。意とするところが正確に伝わるように、文章を練らなければならないと思う。私は、最近この種の「苦言」を受けることが多い。心しなければならないと思う。
確かに、天皇批判の言論に対しては、この社会は非寛容である。自由にのびのびと、気軽に気楽に、天皇批判を展開できる状況にはない。むしろ、天皇を語る際には敬称と敬語が必要との思い込みは社会に浸透している。そのようにすることが無難という一般常識がある。なかには、舌を噛みそうな慣れない敬語を使う滑稽な人々もいる。そんな社会においては、天皇批判はまことに口にしにくい。顕名で天皇批判の文章を残すなど、敢えて面倒のタネを播いて育てることに等しい。確かに、社会的な圧力が人々に天皇についての批判を控えさせている。醍醐さんの言われるとおり、現実には「天皇批判の自由度は極めて低い」。まったく同感である。
しかし、私は天皇批判言論の難易に関する社会の現実を「自由度が高い」と言ったのではない。当該のブログ記事は、言論に対する法的責任追及の可否を論じるものである。「他人の人格を侵害する表現は、法的責任が問われる」「もっとも、天皇などの社会的権威や、安倍晋三などの政治的権力者に対する批判の言論については、自由度が高い。」という文脈は、表現の法的責任の有無・程度について述べたもの。
一般人を対象にその人格を否定し侵害する言論は、刑事民事の法的責任が問われる。これにくらべて、天皇や安倍晋三など、権威や権力者を対象とする批判の言論については、格段に「批判の言論の自由度が高い」。即ち法的に免責される可能性が高い。端的に言えば、天皇批判の言論には、手厚い法の保護が与えられるのだ。
言論の自由は、高い憲法価値をもつ。ということは、他の憲法価値と衝突する局面で優越する地位を獲得しうることを意味する。典型的には、言論が他人の名誉や信用を傷つけることが許容されるということなのだ。
天皇賛美や政権忖度の提灯言論は、他人の人権と衝突しない。この種の言論について言論の「自由」や「権利」を論じる意味はない。「陛下おいたわしや」「総理ご立派」などの言論が自由にできることをもって、言論の自由が保障されている社会とは言わない。
言論が特定の人格と衝突して、その人の名誉や信用や名誉感情を傷つけるときに、言論の自由という憲法価値と、人格権あるいは名誉・信用という憲法価値を衡量して、言論の自由に軍配があがる場合にはじめて言論の自由は意味をもつ。とりわけ、批判しにくい天皇や首相の名誉を侵害する批判の言論を許容することにおいて言論の自由はいみをもつ。
しかし、言論の自由も無敵ではなく、当然に限界をもっている。他の人権との衝突の場面で、しかるべき調整原理に従わなければならず、場合によっては優越的地位を譲らなければならないこともある。
そのような調整原理として、日本の判例に定着しているとされるものが、「公正な論評の法理」といわれるもの。公正な論評の法理においては、言論を、「論評」と「事実の摘示」とに分類し、「論評」には「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱」しない限り大幅な自由が認められる。また、「事実の摘示」については、その言論の公共性・公然性・真実性(または真実と信じたことについての相当性)があれば、他人の名誉を毀損しても違法性はないとされる。
さらに、アメリカ合衆国連邦最高裁判所の判例は、「現実的な悪意の法理」を採用している。まずは、「公人」概念を確立し、公人に対する名誉毀損表現を最大限許容する。その表現がたとえ真実性を欠く場合であっても、公人側が、表現者の『現実的な悪意』を立証できない限り敗訴となる。『現実的な悪意』とは分かりにくい訳語だが、「表現にかかる事実が真実に反し虚偽であることを知りながらその行為に及んだこと、又は、虚偽であるか否かを無謀にも無視して表現行為に踏み切ったこと」という。『自分の言論が虚偽であることを知っていたか、知らないことに重過失があった場合』と要約してよいだろう。これを批判された公人の側が証明しなければならない。アメリカの法廷では、公人が提起した名誉毀損訴訟は、ほぼ勝ち目がないと言われている。
日本の判例はそこまでは踏み切っていないが、言論の重要性が、権威や権力に対する批判を保障するところにあることには異論がない。アメリカの判例における公人とは、権威者あるいは権力者のことである。日本の判例でも、公共性や公益性の概念を通じて、権威や権力をもつ者に対する批判の言論は、違法性を阻却して法的に許容される結論に通じることになる。わが国における権威・権力のトップが、天皇と首相である。だから、「天皇に対する批判の言論については自由度が高い」のだ。
天皇も一人の人間である以上、種々の制約はありつつも人権を有している。その人権の一部である名誉や信用も、天皇や天皇制批判の言論による侵害を甘受せざるを得ないということなのだ。
なお、天皇が人権を享有していることを強調することは、ほとんど意味をもたない。むしろ、天皇の人権は一般国民以上のものではないことが強調されねばならない。ちょうど、「BLM(ブラック・ライブズ・マター)」が、黒人の人権が白人以下のものではないことを強調しているごとくに。
(2020年8月16日)
本日(8月16日)の毎日新聞朝刊を見て仰天した。毎日は、私の永年の愛読紙である。その毎日が一面トップで昨日の戦没者追悼式の模様を伝えている。大きな横見出しで「75年、平和かみしめ」。ここまでは、まあよい。驚いたというのは縦見出しで、「陛下、コロナ『新たな苦難』」である。なんだ、これは。
この記事のリードは、こうなっている。
天皇陛下は、式典でのおことばで新型コロナウイルスの感染拡大を「新たな苦難」と表現したうえで、「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う」と述べられた。
天皇が新型コロナウイルスの感染拡大に言及した?。それがどうした。そんなことが、いったいどんな意味のあることだというのか。大新聞がとりあげるに値するニュースバリューのあることか。毎日新聞たるものが、「75年目の終戦記念日」の模様を伝える記事のトップの見出しに据えるとは、いかなる思惑あってのことだろうか。
毎日の見出しと記事は、あたかも天皇のこの短い発言を「畏れ多くもかたじけなくも、国民の苦難にまでお心づくしいただき、国民の先頭に立って国難を克服する決意をお示しになられた」と言わんばかりのおべんちゃら。毎日に、その思惑なければ、まんまと天皇の思惑に乗せられたことになる。いずれにしても、まともなジャーナリズムの姿勢ではない。
この記事を読んだあと、あらためて大見出しの「75年、平和かみしめ」を読み直してみる。はじめは、「75年続いた平和をかみしめ」ているのは、当然に国民だろうと思ったのだが、それは間違いだったか。もしや、「噛みしめ」の主語は3代の天皇なのではないのか。
こういう、メディアの天皇に対する阿諛追従は、民主主義や国民主権原理にとって、極めて危険である。産経ならともかく、毎日がこのような記事を書き、見出しを掲げる意味は小さくない。
政権批判には果敢な記事を書く毎日が、何故かくも天皇には無批判であり迎合的であるのか、まことに理解に苦しむところ。天皇の危険性に無自覚であってはならない。天皇の政治的影響力を最小限化するよう配慮すべきがメディア本来の在り方である。
毎日は、「天皇の言動は国民の関心事だから大きく扱わざるを得ない」「多くの国民が天皇に親近感ないしは尊崇の念を持っているのだから、天皇や皇室を粗略には扱えない」というのであろう。しかしそれは通じない。むしろ、天皇について「国民の関心」を煽っているのがメディアであろうし、天皇に親近感ないしは尊崇の念を吹き込んでいるのも、メディアではないか。
リベラル陣営の中にも、あからさまな天皇批判は控えるべきとする論調がある。「天皇の言動は、その平和を求める真摯さにおいて、あるいは歴史の見方や憲法擁護の姿勢において安倍政権よりずっとマシではないか。安倍批判の立場からは天皇批判を避けるべきが得策」というだけでなく、「天皇は国民の多くの層に支持を受けている。敢えて真正面からの天皇批判は多くの国民を敵にまわす愚策」というのだ。私は、どちらの論にも与しない。いま、真正面からの天皇批判が必要だと考えている。それなくして、個人の自律はあり得ない。
1973年の8月15日に、天皇(制)批判をテーマに、豊島公会堂で「8・15集会」が開かれたという。この集会の問題提起者の一人である「いいだもも」が次のように述べている。
「わたしは元来、天皇の悪口を言うのが三度の飯よりも好きで、それで喜び勇んで壇上に参加させていただいた次第です。」「差別の頂点としての天皇を「全国民的統合の象徴」としていただいたままの戦後の大衆民主主義体制は、差別・抑圧構造にほかならないのであって、そのようなものとしての民主ファシズム体制なのです。皇室民主化とか、天皇人間宣言とかによって、民主主義が進むとか全うされるとかいうことは、その出発点からして欺瞞であるにすぎない。天皇は天皇であるかぎり、現人神であるか、非人間であるほかないのであって、けっして人間の仲間入りをすることはできない。仲間入りさせてはならない。だからわたしは、天皇の人間宣言を受け容れることなく、天皇が天皇であるかぎり差別することこそが、真の人民の民主主義である、といつも言うわけです。」「象徴天皇(制)はこのようなものとして戦後民主主義支配体制の構成部分であり、戦後体制の動揺が深まるにつれて、今日、「元首化」の危険な動向をもつとめる形になってきている。」(わだつみ会編「天皇制を問い続ける」1978年2月刊・筑摩書房)
このとおりだと思う。メディアによる天皇・天皇制への阿諛追従を軽視して看過していると、次第に批判不可能な社会的圧力が形成されることになりかねない。権力に対しても、権威に対しても、常に必要な批判を躊躇してはならない。
(2020年8月15日)
8月15日。75年前の今日、「戦前」が終わって「戦後」が始まった。時代が劇的に変わった、その節目の日。天皇の時代から国民の時代に。国家の時代から個人の時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、専制の時代から民主主義の時代に…。
その時代の変化は、「敗戦」によって購われた。「敗戦」とは、失われた310万の国民の生命であり、幾千万の人々の恐怖や餓えであり、その家族や友の悲嘆である。人類にとって、戦争ほど理不尽で無惨で堪えがたいものはない。敗戦の実体験をへて、国民は戦争の悲惨と愚かさを心に刻んで、平和を希求した。
再びの戦争の惨禍を繰り返してはならない。その国民の共通意識が、平和憲法に結実した。日本国憲法は、単に9条だけではなく、前文から103条までの全ての条文が不再戦の決意と理念にもとづいて構成されている。文字どおりの平和憲法なのだ。
以下のとおり、憲法前文は国際協調と平和主義に貫かれている。8月15日にこそ、あらためて読み直すべきある。
「日本国民は、…われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果…を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。」(第1文)
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(第2文)
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(第3文)
とはいえ、日本国憲法を理想の平和憲法というつもりはない。この前文には、日本の加害責任についての反省が語られていない。そして、この戦争の被害・加害を作り出した国家の構造と責任に対する弾劾への言及がない。
「戦争の惨禍」という言葉は、戦争による日本国民の被害を意味する。政府と国民が近隣諸国に及ぼした、遙かに巨大な被侵略国の被害を含むものと読み込むことはできない。日清戦争以来日本が関わった戦争の戦場は、常に「外地」であった。敗戦の直前まで、「本土」は戦場ではなかったのだ。日本本土の国民にとって、戦争とは、外征した日本の軍隊が、遠い外国で行うものだった。その遠い外国に侵略した皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆の悲嘆に対する認識と責任の意識が欠けている。
また、日本の植民地支配・侵略戦争をもたらし支えた日本の国家機構が天皇制であり、その最大の戦争責任が天皇裕仁にあることは自明というべきである。にもかかわらず、日本国憲法は、その責任追及に言及することなく、象徴天皇として天皇制を延命してさえいる。敗戦の前後を通じ、大日本帝国憲法と日本国憲法の両憲法にまたがって、裕仁は天皇でありつづけたのだ。
国民を戦争に動員するために、聖なる天皇とはまことに便利な道具であった。神なる天皇の戦争が万が一にも不正義であるはずはなく、敗北に至るはずもない。日本男児として、天皇の命じる招集を拒否するなど非国民の振る舞いはできない、上官の命令を陛下の命令と心得て死をも恐れず勇敢に闘う。ひとえに陛下のために。天皇制政府はこのように国民をマインドコントロールすることに成功していたのだ。
3代目の象徴天皇(徳仁)が、本日全国戦没者追悼式に臨んだ。主権者国民を起立させての発言の中に、「過去を顧み、深い反省の上に立って」との一節がある。「過去天皇制が自由や民主主義を弾圧したことに顧み、その罪科の深い反省の上に立って」との意であれば立派な発言なのだが…。
また、同式典では、アベ晋三がいつものとおり、こう式辞を述べた。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
この言い回しに、いつも引っかかる。「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」とはいったいどういうことなんだ。
天皇のための死も、国家のための死も、死はまことに嘆かわしく虚しいものだ。これを「尊い犠牲」などと美化してはならない。天皇と政府は、戦没者とその遺族にひたすら謝罪するしかないのだ。特攻の兵士の死が、レイテで餓死した将兵の死が、東京大空襲や沖縄地上戦での住民の死が、何故「尊い犠牲」であろうか。全ては強いられた無意味な死ではないか。その死を強いた者の責任をこそ追及しなければならない。
(2020年7月30日)
西川重則さんの逝去を本日(7月30日)知った。7月23日のことという。1927年のお生まれで享年92。死因は老衰と報じられている。敬虔なクリスチャンだったこの方。きっと、穏やかに神に召されたのであろう。
西川さんの逝去を報じる限られたメディアでは、西川さんの人生の紹介を、「政教分離、天皇制問い続け」「20年間国会傍聴」などと報じている。まことにそのとおりの方なのだ。
私が西川さんに初めてお目にかかったのは、盛岡を舞台に岩手靖国違憲訴訟の準備が始まったころのこと。あれからもう40年近くにもなる。当時西川さんは、「政教分離の侵害を監視する全国会議」事務局長の任にあった。先輩格のいくつもの訴訟の運動体や学者文化人に顔が広く、いろんな運動のまとめ役となっていた。世の中は広い、こんな凄い人がいるものだと感心するばかりだった。
高柳信一さんも村上重良さんも、そして大江志乃夫さんも。みんな西川さんの紹介で知り合い、親切にしていただいた。それぞれのご自宅に伺って、貴重な助言を得、訴訟の証人にもなっていただいた。その経過は、私の「岩手靖国違憲訴訟」(新日本新書)に詳細である。今はその全員が鬼籍に入られた。
西川さんから学んだことは多いが、印象に深い言葉がある。盛岡での集会で、西川さんは発言の最後をこう締めくくった。
「皆さん。よく心に留めおいてください。人権は、多数決を以て制約することはできません。人権は、民主主義にも屈することはありません」
当時、なんとなく平板に聞いた。人権とは当然そんなものだろう、教科書にもそう書いてある、と。しかし、だんだんと、この西川さんの言葉が、身に沁みるようになってくる。西川さんにとって、人権、とりわけ信仰の自由は、何物にも換えがたい宝ものであった。その自由は、最高度に民主的な政権の、最高度の民主的手続によっても、傷つけられてはならない。そう考え続けられた人生だったに違いない。
この社会の少数派にとって、自分らしく生きること、自分なりの価値観で、自分の信じるものを大切に精神生活を全うすることが、実は難事なのだ。そのことの意識が、民主主義ではなく、人権こそが大切なのだという認識になる。さらに、精神的自由を全うするためには、権力を抑制し、平和を守り、巨大な精神的権威形成を拒否しなければならない。
戦時下の苦い歴史の反省から、政治権力が天皇を神と崇める宗教と癒着することへの警戒の念は強く、それが、当時右翼勢力の靖国神社国営化実現要求や、天皇・首相の靖国神社公式参拝要請運動などに反対する「政教分離の侵害を監視する全国会議」の活動となった。
西川さんの心の中では、信仰の自由と平和と憲法が緊密に結びつき、これと対峙するものとして、権力と戦争と天皇という結びつきがあったように思う。とりわけ、天皇を神と仰ぐ宗教と権力との癒着が、信仰を弾圧し戦争をももたらすことになる、そのような信念をもって、祈りつつ、一貫した行動をとり続けた。
報じられている経歴を見ると、次のようである。
「1927年香川県生まれ。69年に靖国神社法案が国家に提出されたのを契機に「キリスト者遺族の会」が発足し、同法案反対の運動を展開、同法は74年に廃案。同会実行委員長。「昭和」から「平成」の代替わりに際しては、1990年参議院予算委員会で、参考人として、即位の礼・大嘗祭について憲法的根拠が無いことを指摘した。自身の兄がビルマで戦病死したのを原点に、「靖国神社国営化反対福音主義キリスト者の集い」代表、「平和遺族会全国連絡会」代表、「日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会」委員、「重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京」事務局長。「戦争被害調査会法を実現する市民会議」共同代表、「政教分離の侵害を監視する全国会議」事務局長などを歴任し、キリスト教会内外で、政教分離を監視し、天皇の戦争責任を問い続けた。25日に家族葬の形での葬儀が、熱海市火葬場において、今井献氏(改革派・東京教会牧師)の司式により行われた。喪主は長男の西川純氏。1999年の周辺事態法、国旗・国歌法を機に、国会傍聴を2019年まで続けたことで知られる。
西川重則さん。祈りの人であるだけでなく、信念の人であり、行動の人でもあった。
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追記(2020年7月31日)
日本キリスト改革派 東京協会のホームページに、「西川重則名誉長老召天」の記事を目にした。その中の次の一文をご紹介したい。
西川重則名誉長老は、ご存知のように靖国神社問題を中心にして平和運動に、クリスチャンとして参加し、リーダーシップを発揮してこられました。その原点には、敗戦後1か月たったとき、兄の「ビルマ南方方面で戦病死」との知らせが届いて母親が号泣し、家族も悲しみに泣き暮れた、という経験があったからでした。
新教出版社に勤めながら平和運動に力を尽くしてこられましたが、退職後は国会傍聴を1日も休むことなく続けておられました。理由は、国会について学んで導き出した結論が「戦争は国会からはじまる」であったからです。
「戦争は国会からはじまる」を西川さんの遺言として肝に銘じておきたい。
(2020年7月4日)
私は、盛岡の生まれで、故郷岩手の事情は常に気にかかる。このところのコロナ禍では、東京の感染拡大を尻目に唯一「感染者ゼロ」を誇っている。とは言うものの、どうも「感染者ゼロ」の維持は目出度いだけのことではないようだ。
「感染者ゼロ」の重さを知ったのは、富山県での第1号感染者の「村八分」報道に接して以来のこと。この春、京都市内の大学を卒業した女性が、郷里の富山に戻って県内感染の第1号となった。これが3月30日のこと。帰郷直後に友人数名と焼き肉屋での会食の機会があって再感染の機会となったようである。続いて数名の感染者が確認されると、「京都からコロナを持ち込んで富山に広めた」とバッシングされる事態となった。
当人も家族もネットで容易に特定され攻撃された。「村八分になって当然」という、心ないツィッターが今も残っている。真偽は定かでないが、「学生の自宅が石を投げられた」「父親が失職した」「市長に詰問された」「村八分になっている」などの情報が流れた。当人は軽症で間もなく検査では陰性になったが、周囲の人々が怖くなってなかなか退院できないとも報道された。
岩手ではまだ「感染者第1号」が出ていない。重圧は、日に日に増しているようだ。東京から帰省したいと連絡してきた息子に対して、両親から「絶対に帰ってくるな。第1号になったらたいへんなことになる」という返事があったとか、東京ナンバーの車は停めておけないなどという報道が繰り返されている。社会的同調圧力の強大さを物語っている。
この社会的同調圧力は、容易に警察と結びつく。「自粛警察」「マスク警察」「自粛ポリス」「コロナ警察」などの言葉があふれる世となった。身近に、思い当たる出来事がある。
かつて、社会的同調圧力は、君のため国のための、国民精神総動員に最大限利用され、助長された。国策に積極的協力を惜しむ人物には、「非国民」「国賊」という非難が浴びせられた。今なお、自粛せぬ輩には社会的な制裁が課せられる。ときには、警察力の行使を借りることも辞さない。
この心性が、対内的な求心力ともなり、排外主義にもなった。関東大震災の際の朝鮮人虐殺には「自警団」という名の非国民狩りの組織が作られもした。
丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)の中に、「國體における臣民の無限責任」という小見出しで、以下の印象深い記述がある。この「無限責任」は、社会的な責任であり、同調圧力が個人に求める責任である。天皇制とは、社会的同調圧力を介して、人民を支配するという見解と読める。
かつて東大で教鞭をとっていたE・レーデラーは、その著『日本?ヨーロッパ』のなかで在日中に見聞してショックを受けた二つの事件を語っている。一つは大正十一年末に起った難波大助の摂政宮(註・裕仁)狙撃事件(虎ノ門事件)である。彼がショックを受けたのは、この狂熱主義者の行為そのものよりも、むしろ「その後に来るもの」であった。内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当った警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかったことを著者は強調している)の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞したのである。このょうな茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力は、このドイツ人教授の眼には全く異様な光景として映ったようである。もう一つ、彼があげているのは(おそらく大震災の時のことであろう)、「御真影」を燃えさかる炎の中から取り出そうとして多くの学校長が命を失ったことである。「進歩的なサークルからはこのょうに危険な御真彩は学校から遠ざけた方がよいという提議が起った。校長を焼死させるょりはむしろ写真を焼いた方がよいというようなことは全く問題にならなかった」とレーデラーは誌している。日本の天皇制はたしかにツァーリズムほど権力行使に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなあり方は到底考えられなかったであろう。どちらがましかというのではない。ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁でなく、また例外的でもないというのである。
私は丸山に傾倒するものではないが、彼の言う「このょうな茫として果しない責任の負い方、それをむしろ当然とする無形の社会的圧力」「社会的責任のこのようなあり方」「ここに伏在する問題は近代日本の「精神」にも「機構」にもけっして無縁でなく、また例外的でもない」との指摘には、深く頷かざるを得ない。
(2020年6月20日)
6月17日(水)、「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会(代表 高須克弥)」なる団体が、《大村秀章愛知県知事不信任議決の請願書》を愛知県議会に提出した。もっとも、団体名は単なる肩書で、請願者は高須克弥個人なのかも知れない。
この請願は、あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の展示内容を不当として、主催者である知事の責任を追及するものである。表現の自由を封殺しようとする危険な行為として傍観してはおられない。
仮に、この請願に基づく知事不信任案が県議会に上程された場合には、地方自治法(178条)の定めによって、議員数の3分の2以上が出席する県議会本会議において4分の3以上の賛成によって不信任が成立する。ハードルは極めて高く事実上不可能というべきであろう。
また、さらに「仮に」を重ねて、不信任議決が成立したときは、知事は10日以内に議会を解散することができ、議員は失職する。その後の選挙を経て初めて招集された議会で再び不信任決議案が提出された場合は、今度は出席議員の過半数の賛成で成立し、知事は失職する。
その請願の全文を読みたいものと思っていたところ、豊橋市の市会議員「長坂なおとのblog」に(書き起こし)を見つけた。謝意を表しつつ引用させていただく。
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大村秀章愛知県知事不信任議決の請願書
愛知県議会議長 様
紹介議員 しまぶくろ朝太郎
【内容】
(1)あいちトリエンナーレ2019表現の不自由点、展示による主催者責任
(2)新コロナ愛知県感染者の広報による個人情報流出管理責任と個人保護の対応
【理由】
1・昭和天皇のお写真をバーナーで焼き下足で踏みつぶす動画を開会時隠されて、再開示の展示責任
1・慰安婦像の展示責任
1・日本軍人、間抜けな日本人と称する展示責任
1・県民・市民・国民の税金(血税)による公営会場の展示会を、独断開催、実行委員会主催名義だが事実上は県市の主催開催であったということは、県市が上記著しく政治的に偏向した展示にお墨付きを与えたことになり、日本を愛する人々を深く傷つけた責任。
展示一時中止後の独断再開と県民・市民・国民(主権在民)多数の反対意見を無視した開催(実行委員会の非開催問題)
1・名古屋市民の負担金未払い結果による、あいちトリエンナーレ会長名での(名古屋市・名古屋市民)を提訴
1・あいちトリエンナーレ2019における全体経費の内、平成31年度愛知県負担金を名古屋市・国は減額をしたが、何故愛知県は減額をしなかったのか。
又、減額に対して愛知県議会では議論をしなかったのか。
以上の理由により、愛知県知事不信任の可決を愛知県議会に求めます。
令和2年6月17日
お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会代表 高須克弥
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なんという粗雑で杜撰な内容。この投げやりな姿勢に一驚を禁じえない。指弾の相手方は、仮にも選挙によって県民の信任を得ている現職知事である。その知事を解職せよという不信任議決請願の重大性認識がまるでない。文字どおり児戯に等しい軽さ。この雑駁な請願書の提出は、県議会の議員に対しても、愛知県民に対しても、失礼極まると評するほかはない。
請願者は、知事に解任に値する理由があることについて、当不当はともかく自分なりの意見を展開する努力を尽くさねばならない。それこそが最低限の礼儀であろう。にもかかわらず、提出された請願書の、なんと雑駁で、いいかげんさであろうか。真っ当な文章を綴ろうという誠意の片鱗すらない。問題の焦点が憲法上の表現の自由に関わるだけに請願者の不誠実さは際立っている。とうてい、真っ当な世界での論議に耐えうるものではない。
しかも、この請願者は、「万が一、全く議員さん達に無視されたら、僕は愛知県議会の議員さん達は大村愛知県知事と同じ考えの方々だと理解します。その時は、県議会議員さんたちも併せてリコールするつもりです」とツイートしている。これも、自分の意見に積極賛同しない者は全て敵という、非論理・非常識を重ねての、幼児性丸出しの発言。まるで駄々っ子ではないか。
請願書の文中から、知事不信任の理由を探せば、「県民・市民・国民の税金(血税)による公営会場の展示会を、独断開催、実行委員会主催名義だが事実上は県市の主催開催であったということは、県市が上記著しく政治的に偏向した展示にお墨付きを与えたことになり、日本を愛する人々を深く傷つけた責任」というところだろうか。
文章の拙さが問題なのではない。天皇批判を政治的偏向と決めつける昔ながらのガラパゴス的心情、「日本を愛する人々を深く傷つける」表現の自由はないとする偏見と独断、県が主催する展示の政治的主張には県がお墨付きを与えたとする無定見な決めつけ。とうてい、真っ当な批判に耐えうる内容ではない。
高須という人の直情の吐露なのだろうが、それだけに危険だという指摘が必要だ。この人は、人権とか自由とか民主主義とかを自分の問題として考えたことはない。常に安全なところにいて、多数派の側あるいは権力の側からの無邪気な発言によって、貴重な少数派の言論を弾圧する尖兵となっている。
表現の自由とは、何よりも少数者の権利である。多数派や時の権力から嫌悪され、不快とされる思想や信条を表明する自由のことである。突き詰めれば、天皇や権力を遠慮なく批判する自由にほかならない。国民の多くを不快にするからとして、裕仁や安倍の批判が許されないとすれば、表現の自由はなきに等しい。
高須は、ツイッターで「日本国憲法の第一条に明記されている国民の象徴である天皇陛下のお写真にバーナーで火をつけ足で踏みにじる行為が日本国憲法で保証(ママ)されているはずがありません。日本の統合の象徴に対する侮辱は日本人全員に対する侮辱です。国民を侮辱する行為を国民の血税を搾取して支援する者は国民の敵。国賊」とも述べている。
高須の煽動の危険性はここによく表れている。天皇批判の表現は国民の敵・国賊という、俗論を超えた極論である。もちろん、このような言論にも表現の自由があるが、看過せずに批判が必要である。この高須の言説は、天皇を聖なる存在とする信仰の表白にほかならない。その天皇神聖の信仰の共有を全ての国民に押し付けようというのが戦前の政府と社会が行った過ちであった。高須は、今の世にこれを繰り返そうというのである。
もちろん、生身の天皇は他の国民と同等に人権主体である。これを傷つけたり脅迫する行為は、他の国民に対する傷害・脅迫と同様に犯罪となる。しかし、言論による天皇や天皇制の批判は最大限許容されなければならない。それが、同調圧力社会において、表現が困難であればこそ、「表現の自由」の保障が意味をもつのである。
天皇を聖なる存在とする信仰とは、聖なる血に対する信仰である。アマテラス・神武以来の聖なる血統という古代政権の愚かな信仰。これこそ、不合理な差別の源泉であり、合理性を追求してきた近代社会が意識的に排除してきたものである。
天皇の血を高貴で神聖なものとする思想は、その対極に卑賤な血という差別を生み出す。聖なる天皇を戴く日本を貴しとして他国を蔑む排外主義をも生み出す。これは、明治政府が作り出した国民総マインドコントロールの残滓なのだ。
最近、「白頭血統」「白頭山の血統」という言葉を聞く機会が多い。国民統合のために、聖なる血への信仰が利用されているのだ。これも、天皇制支配の残滓というほかない悲劇である。高須克弥と金与正、聖なる血統を崇拝するという精神構造において酷似していると指摘せざるを得ない。
聖なる血への信仰は愚かというにとどまらない、政治的に利用されることで危険なのだ。マインドコントロールを解く努力が、国民的課題として求められている。