(2022年3月7日)
(下記は、某月某日のオンライン対談記録の日本語訳である。現実に、この対談が行われ、正確に翻訳されたことについての証明はなく、信憑性は乏しいと指摘されている)
「いやあ、あんたもやるねえ。用意周到だったわけだ。軍事侵攻の既定方針を隠して被害者を装うなんて、並みの芸当ではない。さすがは元KGB、大したもんだ」
「いやいや、褒められるほどじゃない。まだまだあんたには及ばない。香港の面倒な連中を押さえ込んだ手際にはほとほと感心した」
「あんたがうまくやってくれれば、次はワタシの番だ。あんたが失敗すると、チトやりにくくなる。その意味では相身互い、持ちつ持たれつだ。同じ穴のムジナかな」
「あんたの応援はいつもながら心強い。《弱い人は絶対に強い人にけんかを売るような愚かな行いをしてはいけない》と言っていただいたことには感謝したい」
「小国の分際で大国に楯突こうということが、大半の国際紛争の原因じゃないか。もっとも、ウチの場合は国内の民族紛争だけど、根は一緒だ」
「普通は軍事的な脅しだけで解決するんだが、《脅しには屈しない》なんて構えられると実力行使せざるを得ない。すべての責任は、小国の愚かな指導者にある」
「なんちゃって。結局のところ首都の進攻にまで至る口実を得たのだから、思う壺というところなんだろう」
「ウーン、そこだ。最初の作戦予定では、首都はすぐに陥落するはずだった。ところが、どうも、もたもたしてしまっている」
「その間に、あんたは世界中からバッシングだ。なかなかたいへんだろうね」
「国外からのバッシングは想定内だったが、問題は軍事作戦が長引いた結果の国内への波及だ。ロシア国内の民衆のデモは容易に鎮圧できそうに見えて、その実、弾圧を重ねてもおさまりそうもない。このデモを民意とする各方面への波及効果に頭が痛い」
「ヨーロッパの大規模なデモと連携しているんじゃないか。少なくとも、海外の大規模なデモに触発され鼓舞されていることは間違いない。ウチも警戒しなけりゃならない」
「日本の政治家だか芸能人だかが、テレビで《日本でデモしてもクソの役にも立たない》と言ってくれた。世界は広い。西側にもワタシたちの強い味方がいて、結構がんばってくれている。ありがたいことだ」
「あんたも国内のメディアを相当押さえ込んでいるようじゃないか」
「幸い、議会はワタシの言うままだ。直ちに、《政府発表とは異なるデマ報道には最高懲役15年》の立法だ。海外メディアも国内での取材はあきらめてきている」
「それがまた批判の材料にはなっているようだが、今はなりふり構っておられないからな」
「問題はむしろ、これまでは身内だった退役将校やら財界人が、叛旗を翻していることだ。これも国内のデモが沈静化しないことに影響されている」
「退役将校はともかく、新興財閥の離反は欧米の経済制裁が利き始めたということだろう」
「そうなんだ。戦闘が長引けば、戦費はかさむ。経済制裁は利いてくる。海外資本は逃げ出す。国民生活にしわ寄せが来る。インフレも起こるだろう。国際世論もますます厳しくなる。押さえつけようにも、国内の政権批判は止まらなくなる」
「お互い専制体制維持には人に知られぬ悩みがあるということだ。で、私に何をせよと?」
「幾つかのお願いがある。お互いの利益のためだ。ぜひ聞いていただきたい」
「聞けることと聞けないことがある。こちらも、あんたの巻き添えになって国際批判の矢面に立たされるのはまっぴらご免だ」
「まずは、米欧からの経済制裁加担の呼びかけを拒否してもらいたい。ブリンケン米国務長官は中国の王毅外相との電話会談で『世界はどの国が自由、自決、主権の基本原則のために立ち上がるかを見守っている』とロシア制裁の隊列に加わるように圧力をかけている。これを一蹴して欲しいんだ」
「ウーン、ドル建て決済が世界の経済を席巻しているいま、米欧と全面対決するのはなかなか難しい。時間を置いて、人民元決済の時代が来るまでは、態度を曖昧にしつつ経済制裁の抜け穴を見つけて対応するしかなかろう」
「何と情けない。ここは、専制主義・独裁主義が生き残れるか否かのせとぎわ。ワタシがこければあんたもあぶない。ぜひともよろしくお願いしたい」
「外には?」
「我が国に対する、金融支援、借款、装備品、日常品などの物資の支援を拡大してもらいたい。でなければ、国内世論が政権批判に向かうことになる」
「それから?」
「いずれイザというとき、戦況次第で必要になったときには、停戦の調停役を買って出ていただきたい。中途半端な調停者では、せっかくの軍事侵攻の努力が水の泡だ。その点、あんたなら信用できる」
「できるだけのことをしたいとは思うが、期待しすぎないでもらいたい。すべては国際世論と戦況次第だ。国際的な反戦デモのうねりがやまず、これがロシア国内の世論をも喚起し、各国の政府に経済制裁にとどまらない政治的、文化的な制裁手段に及んだとき、あんたの立場を守るために火中の栗を拾うわけにはいかない」
「ずいぶん冷たいじゃないか。《デモなんかクソの役にも立たない》という世論が世界の主流になることを願うばかりと言うことか…」(以下、録取不能。なお、対話者のコードネームは「熊」と「虎」であるが、巷間「狐」と「狸」ともされているようだ)
(2022年3月6日)
この世で最も大切なものは人の命である。かけがえのない人の命を奪うことは、古今東西を問わず最も忌むべき行為であり、最も憎むべき重大犯罪とされる。この禁忌を犯す殺人者は、最大限の蔑称を投げつけられる。人殺し・殺し屋・殺人鬼・殺人狂・虐殺者…。
この世で最も不幸なできごとは愛する人の命を奪われることである。かけがえのない我が子を、家族を、恋人を、友人を奪われる心の痛みは、この上ない悲しみだけでなく、命を奪った者への激しい憎悪を生み出す。悲劇がさらなる悲劇につながることになる。
この世で最も卑怯で悪辣な振る舞いは、武装した強者が無抵抗の人々を殺傷することである。いかなる口実を設けようとも、平穏に暮らす無辜の市民に銃を向けることはけっして許されない。ましてや、住宅地を爆撃し無差別な大量殺戮など、言語道断の沙汰。
この世に最も必要なものは平和である。誰からも脅かされることも、殺傷されることも愛する人を奪われる心配もなく、他国での悲惨な戦争の報道に胸を痛めることもなく、平穏に暮らしていけること。その平和こそ、奪われてはならないもの。
あらためて声を上げなくてはならない。ウクライナでの大量殺戮の責任はプーチンにある。殺人者プーチンを糾弾しなくてはならない。たった一人を殺すことも犯罪である。いったいプーチンは、これまで何人を殺し、さらにこれから何人を殺そうというのだ。ウクライナでの、この上ない無数の悲劇の責任はプーチンにある。市民生活をおびやかし住宅街を爆撃し学校を破壊し無抵抗の市民や子どもたちを殺傷して多くの悲劇を招いたプーチンの卑怯な振る舞いを許してはならない。
そして、平和を壊したプーチンを、平和の敵として人類の名をもって糾弾する。
プーチンよ、これ以上の殺戮を止めよ。
プーチンよ、これ以上の悲劇を繰り返してはならない。
プーチンよ、卑怯な振る舞いの責任をとれ。
プーチンよ、もう平和を壊すな。
そして、プーチンよ、核を弄ぶことなかれ。
(2022年3月5日)
戦争の最初の犠牲者は「真実」だという。古代ギリシャ以来の筋金入りの格言だそうだが、現代にも健在である。戦争が絶えない限り不滅というべきかも知れない。アジア太平洋戦争での皇軍の手口を顧みても、この度のロシアのウクライナ侵攻を見ても、なるほどこのとおりだ。敵を騙し、味方にも嘘をつかなければ、戦争の遂行はできないのだ。
とりわけ、形だけでも民意によって作られている権力が、民衆を戦争に動員するには、意識的に「真実」を抹殺しなければならない。端的に言えば、国民を騙すことなく戦争はできない。
戦争の準備とは、戦費を調達し軍備を増強するだけでなく、周到に「真実」を抹殺しておくことでもある。歴史を修正し、自国の正義と相手国の不正義を捏造し、戦争即ち大量殺人を正当化する「論理」と「実益」を作りあげなくてはならない。教育と報道の統制によってそのような民衆のマインドコントロールに成功した権力が精強な軍事力を作って戦争に突入する。
ロシアのウクライナへのこれ以上の軍事侵攻を断念させ、侵略ロシア軍を撤退させる確実な方法は、ロシアの民衆のプーチン勢力からの離反である。だまされていた民衆の逆襲がウクライナの平和を回復する。その恐れに対する、プーチン政権の警戒は強い。
ウクライナ進攻開始以来、ロシア国内で言論統制の動きは活発である。軍事侵攻を批判するデモを弾圧し、メディアを取り締まっている。当局は「虚偽情報を流した」として独立系テレビ局「ドシチ」や、独立系ラジオ「モスクワのこだま」の口を封じた。この2つのメディアのサイトは閲覧できない状態になっているという。
「虚偽情報を流した」とは、ロシアのウクライナに対する「軍事侵攻」という表現を用いた記事についてのこと。当局はウクライナへの軍事進攻を、《親ロシア派地域の住民保護のための「特別な軍事作戦」》だとする政権の立場と異なった表現の報道は許されないというのだ。ロシア下院の治安・腐敗防止委員長は、「ロシア軍の行動について偽情報を広めた場合、最長で15年の懲役が科せられるだろう」と述べたという。プーチンは、ウクライナへの侵略行為について、国内で報道されるのを完全に阻止する構えとみられている。既に、「真実」も「報道の自由」も、危篤状態にある。
ロシア国内で取材し報道を続けていた西側メディアも、報道規制の例外とはされない。米ブルームバーグ通信の編集長が4日、ロシアでのメディア規制強化に伴って、「ロシア国内で取材を一時停止しなくてはならないのは、大変残念」との通知を編集スタッフ向けに出したと報じられている。ロシアやウクライナなどに関する報道は継続するが、ロシア国外から行わざるをえないという。さらには、本日、ロシア語サイトも持つ英公共放送BBCもアメリカのCNNも、職員の安全確保のためにロシアにおける記者らの業務を一時停止すると明らかにした。また、ロシアの通信規制当局は、米国の大手SNSの「フェイスブック」と「ツイッター」を国内から接続できなくする措置を決定した。
こうして、戦時下に報道の自由は蹂躙され、国民が真実を知る権利は剥奪されていく。国民が知らされることは、権力に迎合したメディアを通じた、権力に都合のよい情報ばかり。こうして戦争は、確実に「真実」を犠牲にするのだ。
(2022年3月3日)
世界が、ロシアに怒っている。ロシアによって引き起こされた戦争に怒っている。世界中の人々が無法者プーチンを糾弾している。ウクライナへの軍事侵攻は、ロシアとプーチンの孤立をもたらした。そのことによって、侵略者の側が深刻な深手を負っている。この侵略行為は成功体験とはなり得ない。一見頼りなげな国際世論が、いま、大きな力を持ちつつあるのではないか。
昨日(3月2日)、国連総会は、ウクライナ危機をめぐる緊急特別会合で、「ロシアを非難し軍の完全撤退を要求する決議」を採択した。国連加盟193か国のうち、賛成票を投じたのが141カ国であった。反対は孤立した5か国。その国名をよく覚えておこう。ロシアとベラルーシ・シリア・北朝鮮・エリトリアである。棄権は35カ国、その中に、中国・インドがあることも今後忘れてはならない。かつて冷戦下では世界を二分する勢力の領袖であったロシアのこの凋落ぶりである。
決議が採択されると、ウクライナのキスリツァ国連大使は起立し、議場は40秒にわたって鳴り響いた拍手で支持を表明したという。ロシアとウクライナ、国際世論の支持でくっきりと明暗を分けた。
この決議は、ウクライナの主権や領土保全を再確認し、ロシアの行動は「国連憲章に反する」と明記した。ロシアによる「特別な軍事作戦」の宣言を非難し、ウクライナ東部の親露派支配地域の「独立承認」も撤回するよう要求。ロシア軍が「直ちに完全無条件で撤退すること」を求めているという。ロシアにとっては、徹底した厳しい内容となっている。
この決議を採択したのは、ニューヨークの国連本部でのこと。一方、ジュネーブでは国連人権理事会の通常会期が進行中である。そこでの興味深い一幕が、報道されている。
この人権理事会で、3月1日ロシアのラブロフ外相がオンラインで演説をした。この演説が始まるや、多くの外交団が一斉に退席し、抗議の意思を示したという。
退席したのは日本を含む約40カ国の100人以上の外交官。退席した外交官らは議場の外で、ウクライナ大使の周りに集まり、ウクライナへの支持を表明したという(ロイター)。
ラブロフは、当初ジュネーブを訪れて会合に参加する予定だったが、欧州連合(EU)が、自身を制裁対象とし、「移動の自由の尊重を拒否したため、オンライン参加を余儀なくされた」とし、約15分間の演説で侵攻の正当性を主張した(共同)と報道されている。
ここでも、肩身の狭いロシア、友情に包まれているウクライナの明暗である。
目前に迫った北京パラリンピックでも、同様の事態が生じている。
国際パラリンピック委員会(IPC)は、4日に開幕する北京冬季パラリンピックに、ウクライナに侵攻したロシアと、ロシアに協力的なベラルーシの参加を容認した。
同日夜、北京市内で開かれたIPCの記者会見で、ウクライナ紙の男性記者が写真を示しながら真っ先に質問した。「この選手には、もう二度と競技をする機会は訪れない」。
この記者によると、写真の男性はウクライナのバイアスロンのジュニア世代元代表。1日にウクライナ第2の都市ハリコフで爆撃を受け、亡くなったという。「あなたは侵略側の選手には競技をさせると言うが、この選手にはもう二度と競技をする機会は訪れない。彼の遺族にあなたはどんな言葉をかけるのか」とたたみかけた。
これに対し、IPCのアンドルー・パーソンズ会長は「ウクライナの皆さんの苦痛は想像だにできない」と哀悼の意を表したが、「彼に起きたことを私たちが変えることはできない」「スポーツと政治は別だ」とも述べた。
ウクライナ紙の記者は会見後、「規則を盾に逃げただけだ」と断じた。会見にはロシア人記者も出席したが、質問に立つことはなかった。(以上、毎日)
これが、昨日(3月2日)のこと。ところが、本日事態は逆転した。
「国際パラリンピック委員会(IPC)は3日、4日から開幕する北京パラリンピックに、ロシアとベラルーシ選手の出場を認めないと発表した。複数のパラリンピック委員会、チーム、選手が参加辞退をほのめかし、北京大会の実施が難しくなる可能性と、選手村の状況が悪化し、選手らの安全が守れないと発表した。」(朝日)
結局、各方面からの批判で、1日足らずで方針を撤回する形になったという。これも国際世論の力だ。世論が、事態を変化させ、その変化が世論に自信を与え、さらなる世論を呼ぶ。
このような国際世論の興隆が、政治的・経済的・社会的・文化的なロシア・プーチン批判の大きな渦を作りつつある。これが、ウクライナの人々を励まし、ロシアの戦意を喪失させている。こうして、国際世論は現実的な力になりつつある。
(2022年3月2日)
2月24日以来、一刻も心穏やかではいられない。今も、キエフで、ハリコフで、市民が砲撃に曝されている。ロシア兵の命も無駄に失われている。両国民の血が無意味に流され続けている。何という、愚かしい悲惨な事態であろうか。
ロシアのウクライナに対する軍事侵攻という深刻な現実から、何を学ぶべきであろうか。世界の人々が、それぞれに真剣に考えなければならない。そして、声を上げなくてはならない。この事態を繰り返さないために。
真摯にこの事態に向き合い考えるべきは全世界の人々ではあるが、国家の枢要な地位にある人にはその責務は重い、大国の関係者であれば、なおさらである。さらに、ロシアの轍を踏む危険をもつ超大国と言えば、アメリカと中国の名を挙げざるを得ない。とりわけ、我が国との関係で考えるならば、中国こそ最も真摯に国際法を蹂躙したロシアを批判しなければならない。
ところが、こともあろうに、中国大阪総領事館の薛剣総領事のツィッターでの冷酷な発言が波紋を呼んでいる。これまでも、数々の物議を醸してきた人物。中国の本音をチラつかせていると見ざるを得ない。
この人、日本語で「ウクライナ問題から学ぶべき教訓」と題して、「弱い人は絶対に強い人に喧嘩を売る様な愚かをしては行けない」(原文のママ)と言ったのだ。軍事侵攻したロシアではなく、明らかに被害を受けたウクライナに矛先を向けた批判である。
しかも、このツィッター、彼の地に引き起こされた市民の悲劇に関心を寄せた形跡はカケラもない。この人の頭の中には、人が傷を負い、血を流し、命を失うという惨劇に対する憐憫の情がない。こういう人物を人非人とか、冷血漢という。
この人の頭の中では、戦争もゲーム感覚でしか理解できていない。しかも、正義も法もない強者絶対のルールに基づくゲームである。「弱い人は宿命的に、強い人に従順でなければならない」という、傲慢な強者の理論が大上段に語られている。恥ずかしくないか。
中国を代表する総領事がこう述べれば、強者とは強国である中国のことである。結局彼はこう言っているのだ。
「ロシアのウクライナ侵略の事態とは、弱いウクライナが強いロシアにケンカを売って報復を受けたということである」「だから、この事態の最大の教訓は、弱い国が強い国にケンカを売っては悲惨なことになるということなのだ」「もちろん、中国は強大国である。中小の諸国は中国にケンカを売るような愚を犯してはならない」
さらに、「台湾も日本も韓国もベトナムもフィピンも、中国に従順にしなければ、明日はウクライナのごとくなるぞ」とも響くのだ。野蛮な超大国の無法ぶりが垣間見える。
この中国総領事の投稿をめぐって、中国政府投稿をめぐり中国政府が釈明をしたようだ。「中国外交は国の大きさを問わずすべて平等だと一貫して主張している」「中国は強さと大きさを利用した弱い者いじめを行わない」と、報道されている。この釈明にも、芬々たる大国意識が透けて見える。。
問われているのは、外交官薛剣の品位ではなく、今や大国意識丸出し中国の品格ではないか。
(2022年2月28日)
本日午過ぎ、狸穴のロシア大使館まで出向いて、道路を挟んだ向かいの位置から門に向かって、一人で「侵略者ロシアはウクライナから撤退せよ」「無法者プーチンよ恥を知れ」と声を出してきた。大使館員の誰の耳にも届かなかったろうが、これが精一杯。一応は、個人としての意思表明はしてきた。
実は、たくさんの人々がロシア・プーチンに対する抗議の声を上げているかと思ってきたのだが、誰もいない。代わっていたのは、警察車両と大勢の警察官。私の声は警備の警官にだけ届いて、聞きとがめられた。不審人物と見られてか、二人の警察官がロシア大使館に向かう途中から、私の後にくっ付いてきていた。やり過ごそうと停まるとあちらも停まる。こうして、私の近くに控えていた警察官が、私が声を出したら、近くまで寄ってきて何やら言ってきた。孤立無援。ロシア軍に囲まれたウクライナ同然の体。他国に軍事侵攻してその安全を蹂躙しているロシアだが、その大使館は日本の警察に安全を保障されているのだ。
本日、東京弁護士会と大阪弁護士会が、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する内容の会長談話を発表した。兵庫県弁護士会は、2月26日付けで会長談話を発表している。これは素早い。さらに、自由法曹団は2月25日付の「緊急声明」である。こちらは弁護士会に較べれば意思統一がし易いから先頭を切っている。
以下に、東京弁護士会・兵庫県弁護士会・大阪弁護士会の各会長談話と自由法曹団の緊急声明をご紹介する。
概ね、ロシアの軍事侵攻を国際法違反・国連憲章違反と断じた上、市民に対する究極の人権侵害と指摘し、恒久平和主義・平和的生存権を掲げる憲法をもつ我が国の立場から、けっして容認できないとする。ロシアに抗議するとともに、日本政府に国際平和実現のための外交努力を求めるものとなっている。
なお、自由法曹団は当然として、東京弁護士会会長談話の日付が、西暦一本であることにもご注目いただきたい。
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法の支配を蹂躙するロシアのウクライナ侵攻を非難する会長談話
2022年02月28日
東京弁護士会 会長 矢吹 公敏
本年2月24日未明,ロシアがウクライナに大規模な軍事侵攻を開始し,多数の民間人の犠牲者が出ていると報じられています。
当会も会員である国際法曹協会(International Bar Association)は,プーチン大統領によって命じられたウクライナ侵攻を最も強い言葉で非難する声明を出しました。同会のスタンフォード・モヨ会長は,「プーチン大統領によるこの行為は,紛れもなく国際法に違反する行為である。国連加盟国は1945年以来,領土は同意によってのみ変更できると合意しており,このルールは,国際法と国家間の秩序を維持するための中心的なものである。法の支配を保護し促進するために設立されたIBAは,ロシアのウクライナ侵攻を強く非難する。」と述べています。
戦争は,市民の生命・身体の安全を脅かす究極の人権侵害行為です。戦争によって侵されるのは領土だけでなく,そこで暮らす市民の平穏な生活です。
我が国の憲法は,前文で恒久平和主義を規定し,平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し,全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有していることを確認しています。恒久平和主義の理念を掲げる憲法の下,基本的人権の擁護を使命とする私たち日本の弁護士は,国際法に違反し,法の支配を蹂躙する今回のロシアの人権侵害行為を,いかなる理由があろうとも断じて許すことはできません。
当会は,このようなロシアのウクライナ侵攻を非難するとともに,同国が法の支配を遵守し,武力侵攻と人権侵害行為を直ちに止めることを強く求めます。
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ロシア連邦のウクライナ侵攻に関する会長談話
2022年(令和4年)2月26日
兵庫県弁護士会
会 長 津 久 井 進
このたびのロシア連邦のウクライナに対する侵攻は、国連憲章及び国際法に違反し、市民に重大な危険と恐怖をもたらすもので、到底、許されるものではありません。ウクライナやロシア連邦をはじめとする市民の方々に一刻も早く平和な日常が取り戻されることを強く望みます。
私たちは国際社会における一市民として、第1に、他国で起きている事実を他人事とせずしっかり直視すること、第2に、その一方で冷静さを欠いた国家主義に陥らないこと、第3に、他者の生命・自由・人権を守り支えることの重要性を、あらためて認識する必要があります。とりわけ、平和的生存権は、戦争や暴力の応酬が絶えない今日の国際社会において、全世界の人々が平和に生きるための全ての基本的人権の基礎となる人権です。自らへの危険を顧みず、政府に反対意思を表明しているロシア連邦の市民の方々の勇気にエールを送ると共に、広く平和的生存権が保障されることを希求します。そして、権力の濫用・暴走の歯止めとなる法の力を期待します。
こうした観点から、日本政府には、解決に向けた積極的な外交努力を求めます。
当会は、これまで数多くの機会で、市民の方々とともに、個人の尊厳と恒久の平和の実現に不可欠である平和的生存権の保障を求めてきました。基本的人権の尊重と社会正義の実現を使命とする弁護士として、外交努力によって戦争の惨禍がこれ以上深刻化しないことを心より願って、この会長談話を発表いたします。
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ロシア連邦のウクライナに対する軍事侵攻に反対する会長談話
この度、ロシア連邦はウクライナに対して軍事侵攻を行い、ロシア連邦自身がこの軍事侵攻を認めている。また2022年2月26日、日本政府はロシア軍の侵攻を「侵略」と認定している。
国連憲章は、その前文において「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し」た旨を規定し、また、国連憲章第2条は、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。」「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」と規定している。この国連憲章の武力行使の禁止は、戦争が最大の人権侵害であることを踏まえて規定されたものである。ロシア連邦によるウクライナへの軍事侵攻は、明確に国連憲章に違反するものであり、決して容認出来ない。
日本国憲法前文は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、第9条において、「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定する。
弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とするものであり、日本政府に対し平和的紛争解決に向けたなお一層の努力を求めるとともに、ロシア連邦によるウクライナに対する軍事侵攻に強く抗議する。
2022年(令和4年)2月28日
大阪弁護士会
会長 田中 宏
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ロシア連邦によるウクライナに対する軍事行動に断固として抗議し、
直ちに軍事行動の停止を求める緊急声明
ロシア連邦は、2022年2月24日日本時間午後、主権国家たるウクライナに対し、軍事行動を開始した。ロシア連邦は、すでに首都キエフ郊外を含む複数の軍事施設に対して攻撃を開始し、ウクライナ側には子どもも含めた死傷者がでているとの報道もある。
ロシア連邦からは、ウクライナ国内で独立宣言をした2つの地域についてその独立を承認した上で、その「独立国」と締結した「友好相互援助条約」に基づき、同地域の住民の安全と権利保障のための措置と主張しているとの報道がされている。
しかし、2つの地域の住民の安全と権利保障のためにウクライナに対して武力攻撃する正当な理由はないのであって、ロシア連邦の軍事行動自体がウクライナにおける平和を侵すものであることは明らかである。ロシア連邦の軍事行動は、国連加盟国の主権、独立及び領土保全の尊重、武力行使及び武力による威嚇の禁止を明記している国連憲章、国際法の基本原則に反した侵略行為であり、ウクライナの主権及びウクライナ国民の人権を著しく侵害するだけでなく、第二次世界大戦以降、国際連合及び各国の不断の努力によって維持拡大してきた国際的な平和的枠組を破壊するものにほかならず、国際社会の平和秩序の維持という観点からも許されるものではない。
ロシア連邦は、2015年2月に調印した停戦のための「ミンスク合意」はもはや存在しないと言い切り、自らが当事国となった合意を反故にする姿勢を示しているが、直ちに国連憲章の諸原則に沿って、平和的に解決をはかるプロセスに立ち戻るべきである。
自由法曹団は100年にわたり、平和、民主主義、人民の生活と権利を守るためにたたかい続けてきたものであり、まさに平和を破壊し人民の権利を踏みにじるロシア連邦の軍事侵攻は、全くもって承服できない。自由法曹団は、ロシア連邦の軍事行動に断固として抗議し、直ちに軍事行動の停止を求める。
以上
2022年2月25日
自由法曹団 団長 吉田健一
(2022年2月25日)
「平和」とは、こんなにも、もろくはかなく壊れやすいものだったのか。
あらためて、創らねばならないと思う。軍事の均衡による危うい「平和」ではなく、確かな平和を、崩れぬ本当の平和を。
相互の信頼に基づく堅固な平和を築く営みが必要なのだ。
賢治の言葉を噛みしめたい。「求道即ち道である」
昨日、ロシア・プーチンの非道が明らかになって以来、自問を続けている。平和について、日本の果たすべき役割について、憲法9条について、自分のなすべきことについて…。自問はいくつもあるが、もどかしくも自答はなかなか出てこない。
このおぞましい事態の最大の教訓は、軍事の均衡によってかろうじて保たれている『平和』の危うさである。迂遠のように見えても、平和を求める国際世論の醸成による真の平和を築く努力を重ねなければならない。
心強いのは、ロシアの蛮行に抗議する世界中での多くの人々の行動である。とりわけ、ロシア国内で、戦争に反対する抗議デモが起きていること。AP通信によると、24日にはロシア54の都市で1745人が拘束され、そのうち少なくとも957人がモスクワだったという。
伝えられているとおり、ロシアでは、今、恐れを感じずに声を上げることはできない。そんな中で、ウクライナの国旗に合わせた青と黄の花を手にしたデモ参加者や、「ウクライナの人たちに謝りたい。私たちはこの戦争を始めた人たちに投票していない」「私は自分の国が恥ずかしい。戦争はいつでも恐ろしい。私たちはこれを望んでいません」などという市民の言葉が紹介されている。
また、こんなジャーナリストの呼びかけが報道されている。
「ウラジミール・プーチンが友好国であるウクライナを攻撃したことで、多くの人々が今、絶望や無力、恥を感じていることでしょう。しかし落胆するのではなく、今夜7時にあなたの街の広場に集まって『ロシアの人々はプーチンが始めた戦争に反対する』とはっきりと伝えましょう」
全国各地で行われた集会は、誰からともなく広がったSNSの呼びかけで始まったという。モスクワでは、市中心部の広場に午後7時に集まろうと呼びかける投稿が拡散したため、当局が広場を封鎖。それでも、時間になると広場の周辺には千人以上とみられる市民が集まり、「戦争反対」と声を上げたと報じられている。
このような人々の存在が平和への希望である。集会はモスクワのほかサンクトペテルブルクや中西部のエカテリンブルク、極東のウラジオストクなどでも行われ、戦争に反対する声は国内のコメディアンや歌手、俳優、アスリート、作家などの著名人からも相次いでいるという。
昨年のノーベル平和賞を受賞したリベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長はユーチューブに動画を投稿し、「我々の国は、プーチン大統領の命令でウクライナと戦争を始めた。私は悲しむと共に、恥じている。ロシア人による反戦運動だけが、この惑星の命を救うことができる」と訴えた。同紙はウクライナへの連帯を示し、25日の新聞をロシア語とウクライナ語で発行するという。
私も何かをしたい。しなければならない。せめて、ロシア大使館前で、叫びたい。「侵略者ロシアはウクライナから撤退せよ」「無法者プーチンよ恥を知れ」と。
(2022年2月24日)
大袈裟ではなく、仰天動地の事態である。膝が震えるような衝撃。「まさか」が、現実になった。ロシア軍のウクライナへの軍事侵攻が始まった。
1941年12月8日の多くの心ある人々の衝撃もこうであったろうか。私には、朝鮮戦争の始まりについての記憶はない。ベトナム戦争は飽くまで局地戦だった。キューバ危機は記憶に鮮明だが、結局回避されてことなきを得た。ところが今回、まさかまさかの内に、軍事大国ロシアが、NATOを後ろ盾とするウクライナへの侵攻に踏み切った。これは、世界史的大事件ではないか。
この間、国連も国際世論も、強くロシアを非難し牽制してきたが、残念ながら国連にロシアを制するだけの権威はない。全世界がこぞってロシアを非難するという空気も感じられない。世界の平和の秩序とは、かくも脆弱なものであったかと見せつけられたことが、「衝撃」の真の理由なのだ。
私は、今日の朝まで、漠然と最悪の事態は避けられるのではないかと考えてきた。まさか軍事侵攻はあるまいと思っていたのは、ロシアにとって、ウクライナに対する軍事侵攻が合理的な国家政策とは考えられなかったからだ。
ロシアの対ウクライナ政策の主たる目的は、ウクライナをNATOの影響から引き離し、ウクライナを緩衝地帯として確保しておくことだということと理解していた。それなら、武力による威嚇はあっても、武力の行使にまでは踏み切ることはないだろう。
国境線を越えて侵攻し、発砲し、爆撃し、国民を殺傷すれば、憎悪の禍根を残すばかりではないか。傀儡政権をデッチ上げようとも国民の支持を得られるはずもない。ウクライナを緩衝地帯として確保するどころか、くすぶり続ける火種をのこし、西側に押しやるばかりではないか。
しかし、現実から学んだ苦い教訓は、必ずしも軍は合理的に動くものではないということ。あるいは、国家としての長期的展望に基づく合理性は、為政者の個人的な目先の合理性とは必ずしも一致しないこと。
プーチンは、偉大なソ連復活を望む国内のナショナリズムに迎合したパフォーマンスをやって見せたのではないだろうか。それが、近づく大統領選挙に有利だとの計算で。しかし、この軍事侵攻で、ウクライナ国内を掻き回して、あとをどうする成算があるというのだろうか。今後何代も、ロシアはウクライナの怨みを背負い続けなければならない。それだけでなく、ロシアは国連憲章に違反した軍事侵略国としての汚名を着て、ロシア国民は肩身の狭い思いをしなければならない。
このようなときにこそ、国際協調による平和を希求する声を上げなければならない。まずは軍事侵攻をしたロシアをけっして許さないという市民の声を上げることだ。一人ひとりの声は小さくとも、無数の声が集まって力となる。
(2022年1月11日)
2022年初めての街宣行動は冷雨の中でのこととなった。用意した、「9条改憲反対」署名用紙をひろげることができない。結局手作りのプラスターが主役となって、傘を差して歩く通行人の目を惹いた。
★人類の理想 戦争放棄の9条。
★敵基地攻撃能力、憲法違反。
★戦争できる国 9条改憲 ストップ。
★穏やかな声、優しそうな顔で平和憲法を壊してゆく岸田文雄首相。
★6兆円こえる軍事費、いつの間にか戦争する国に。
通行人がプラスターを横目で見ていく。子どもたちが興味津々で文字を読む。中には、「写真を撮らせていただけますか」と立派なカメラを向ける女性も。そして、「ご苦労様、ガンバってくださいねー」という威勢のよい男性の掛け声。「9条守れ」「平和を守れ」の訴えには、それなりの手応えがある。
マイクで語られたのは、「敵基地攻撃能力保有論」や「緊急事態条項」の危険性。一見ハトに見える岸田文雄のタカの振る舞い。そして、あらためて「人類の理想9条を守ろう」という訴え。
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あらためて訴えます。憲法9条は、再び戦争はしない、戦争をしない保障として軍備をもたない、と決めています。これは、日本の世界に向けた約束でもありますが、それだけのものではありません。
憲法9条は人類の理想です。世界に先駆けて、日本は平和の理想を実定憲法に書き込んだのです。ですから、憲法9条は世界の宝でもあるのです。私たちは、この人類の理想、世界の宝を守り抜いて、やがては、世界に拡げなければならないと思います。
「平和のためには武器を持たない」という9条の精神の対極に、「自国の平和を保つためには軍事力を持たねばならない」という考え方があります。その軍事力は大きければ大きいほど、強ければ強いほど、自国は平和で国民は安心していられる。周辺国に負けない軍事力があってこそ平和の維持が可能だというのです。
この考え方ですと、隣り合う国は、際限なく相手国よりも強大な軍事力を持とうという競争を続けざるを得ません。平和のための軍事力拡大競争という矛盾に陥ってしまいます。現に、そのようにして日本は一度、戦争を引き起こし、国を滅ぼしました。9条はその手痛い経験から生まれたものです。
「敵基地攻撃能力保有論」は、究極の挑発行為です。日本がそのような立場をとれば、日本の仮想敵国と想定された隣国は、日本からの攻撃に備えた防備を増強するでしょうし、反撃の能力を誇示することにもなるでしょう。そうすれば、日本の軍事力はさらに一層の強化をしなければならなくなります。相互不信ある限り、お互いに、馬鹿げたことを積み上げなくてはならなくなります。
1月7日におこなわれた日米両政府の「外交・軍事担当閣僚による安全保障協議委員会」、いわゆる「2プラス2」では、日本政府が「敵基地攻撃能力保有論」の検討をアメリカ側に約束したと伝えられています。
これは危険なことです。戦争の気運を促すことにもなりかねません。こんなことは即やめさせなければなりません。そのための世論の力を積み上げましょう。ご協力をお願いいたします。
(2022年1月9日)
岸田文雄が、あちらこちらで年頭所感を述べている。この人の物腰には、安倍晋三や菅義偉のようなトゲトゲしさがなく、乱暴も虚勢も感じられない。真面目にものを言っている雰囲気がある。だから、安倍や菅や麻生に辟易してきた国民には新鮮に映り、「あれよりはなんぼかマシではないか」「久しぶりに普通に会話のできる首相登場」という評価が定着しつつあるようだ。
安倍や菅、麻生などの危険性は一見して分かり易い。とりわけ安倍の国政私物化の姿勢は酷かった。これに較べて岸田の危険は分かりにくい。しかし、どうやら岸田流の一見危険に見えないことの危険性を看過し得ないものとして見据えなければならないようだ。
岸田は、今年にはいってからの発言で、改憲に極めて積極的である。憲法改正は「本年の大きなテーマだ」と言ってはばからない。そして何よりも岸田は、施政方針演説で敵基地攻撃能力について言及した初めての首相である。
一昨日(1月7日)の「日米2プラス2」後の共同発表文書でも、日本側が「ミサイルの脅威に対抗する能力を含め、国家防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する」と決意表明。この表現について林芳正外相は同日の記者会見で、「いわゆる敵基地攻撃能力も含まれる」ことを明言している。岸田政権の敵基地攻撃能力へのこだわりは相当なものなのだ。
この点について、昨日(1月8日)の赤旗が、《「敵基地攻撃能力」保有の問題点》という、松井芳郎氏(名古屋大学名誉教授・国際法)のインタビュー記事を掲載している。説得力のあるものと思う。
かなりの長文だが、抑止論との関係について述べている最後の部分だけを引用する。
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― 自民党は、「抑止力向上」を「敵基地攻撃」能力の保有の理由としています。
抑止論とは、自国が強固な軍事力を有すれば相手国は自国への攻撃を差し控えるだろうという発想に立つものです。しかし、歴史的経験によれば、こちらが強大な軍事力をもてば、相手国は自国への攻撃を控えるのではなく、より強固な軍事力の建設に向かい、その結果一層の軍拡競争と国際緊張の激化がもたらされたというのが現実です。ましてや、中国についていえば、核軍備を含む強大な軍事力をもっているわけで、日本がこれを「抑止」するに足る軍事力を有することはまったく非現実的です。
抑止論の虚妄は一般的には、ほぼ結論が出ています。1978年の国連第1回軍縮特別総会では、抑止論に対置して、国連の集団安全保障強化と全面軍縮を進めることで平和を維持しようという考え方が示され、米国やソ連を含めて合意されました。ただ、現実の政策はなかなか変わってきませんでした。これをどういうふうに現実化するかということが重大な課題となっていると思います。
― 抑止論に代わる対処政策として、どのようなことが考えられますか。
私は、平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本国憲法に基づく平和外交の政策が、一見したところ理想主義にすぎると見えるにもかかわらず、かえって現実的ではないかと思います。
日本はこれまで、日米安保体制を軸として、中国や北朝鮮という近隣諸国を仮想敵国として、それに備えるという政策をとってきました。これが逆に、相手国にとっては大変な脅威となって、相手国の軍事力増強の一つの口実になっています。
しかし、日本が憲法に基づいて平和外交を展開すれば、地域の緊張緩和が進み、これら諸国の軍備増強の口実の一つを除去することができる。現状では、中国などを相手に、紛争案件をめぐる対話はほとんど行われていなのが実態です。
さらに、日本がより広く世界的な規模で平和的生存権の実現を推進する外交政策を展開し、そのような国としての国際的評価が確立すれば、この事実は軍事力をはるかに凌駕する「抑止力」を発揮すると思われます。
憲法に平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本は、国民の英知を集めて、この平和外交の具体的な在り方を組み上げていくことこそ必要だと思います。
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私は、双手を挙げてこの見解を支持する。この武力の均衡による「抑止力」を否定した平和外交推進の立場こそが、日本国憲法の理念である。平和外交を基本に据えた安全保障政策を「非現実」「お花畑的思考」と揶揄する向きがあるが、軍事的均衡論に基づく安全保障政策こそ非現実的と言うべきであろう。軍事的均衡論の負のスパイラルの行き着くところは「お花畑」ではなく、戦場に墓標を並べた「墓場」なのだから。