本日の朝日・朝刊は、福島第1原発事故についての吉田昌郎調書報道に関する「報道と人権委員会」(PRC)見解を受けての「総懺悔録」となっている。PRC見解は当事者の弁明も聴取してのもので丁寧な叙述にはなっている。しかし、どうしても違和感が拭えない。
5月20日記事の「取消」は、はたして妥当だったのだろうか。「訂正」がしかるべきではなかったのか。PRC見解は、記事の功罪の評価においてバランスのとれた的確なものになっているだろうか。全てのメディアや論評が、PRC見解支持で同一方向に纏まってしまうことの不気味さを敢えて問題にしたい。
朝日のPRC見解についてのまとめは以下のとおりである。
A「調書の入手は評価したものの、『報道内容に重大な誤りがあった』『公正で正確な報道姿勢に欠けた』として、同社が記事を取り消したことを『妥当』と判断した」
B「PRCはまた、報道後に批判や疑問が拡大したにもかかわらず、危機感がないまま迅速に対応しなかった結果、朝日新聞社は信頼を失ったと結論づけた」
上記Bは、主として朝日の姿勢や機構の問題だが、Aはジャーナリズムのあり方そのものに関わる。当該の記事を「重大な誤り」と断定する過度の厳格さの要求は、報道の萎縮をもたらすことになりかねない。記事の評価には多様な見解が併存してよいところではないか。PRC見解の立場ばかりが「正しい」か。はたして「妥当」なものだろうか。
まず、闇の中にあった400頁といわれる吉田調書に光を当てて、これを世に出したことの功績は、もっと強調されなければならない。われわれは、この朝日の記事によってはじめて、福島第1原発事故の「本当の恐ろしさ」を知った。「メルト(炉心溶融)の可能性」「チャイナシンドローム」「東日本壊滅ですよ」という言葉が出て来る深刻さだったのだ。事故後の対応の実態もはじめて知って、これにも衝撃を受けた。あらためて、人の手に負えない「原発という危険な怪物」の正体に接した思いであった。国民に原発再稼働是非の判断において不可欠の資料を提供したものが、この朝日の記事ではなかったか。その肯定的評価がPRC見解では不十分ではないか。PRCの結論が、原発事故の恐怖までを「取り消す」印象となることを恐れる。角を矯めて却って牛を殺すの結果となってはいないだろうか。
最大の「誤り」とされている朝日記事の内容は、「所長命令に違反 原発撤退」の見出しを付けた記事について、「?『所長命令に違反』したと評価できる事実はなく、裏付け取材もなされていない。?『撤退』という言葉が通常意味する行動もない。『命令違反』に『撤退』を重ねた見出しは否定的印象を強めている」というもの。
この点、吉田調書では、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」とされ、どのように待避が行われたかについて、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」となっている。
つまり、所長は、次の指示があれば直ちに応じることができるように、「福島第一の近辺に待避せよ」と命令したつもりだったのだ。ところが、所員は所長の意図とはまったく別の離れた場所(福島第2原発)にまで行って、必要な指示をしても即応はできない事態となった。これを朝日記事が「命令違反」の「撤退」と言って、誤りとは言えないのではないだろうか。「命令」とは、「業務命令」「職務命令」のそれ。広辞苑を援用しての語釈ではなく、勤務時間における労務指揮の内容を「命令」と言って不自然ではない。所長が、次の業務指示に即応できる場所に待避せよと言った、とはその旨の業務命令があったといってよい。それが、どこかで「伝言ゲーム」のように不正確に伝わって、所長が想定した場所から10キロも離れた場所に所員が移動してしまった。これを「命令違反」の「撤退」と言って重大な誤報などと言えるだろうか。
もっとも、「大混乱の中、所長の避難指示不徹底」「明示の指示ないまま所員第二原発へ避難」「曖昧な指示 所長の想定に反した所員の移動」などとした方が正確かも知れないが、「所長命令に違反 原発撤退」と、さほどの差があるとは思えない。
この点について、PRC見解は次のようにいう。
「吉田氏の指示は的確に所員に伝わっていなかったとみるべきである(裏付け取材もなされていない)。さらに極めて趣旨があいまいであり、所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった。したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて『命令違反』と言うことはできない」「本件記事の見出しは誤っており、見出しに対応する一部記事の内容にも問題がある」
「福島第1の近辺で待避して次の指示を待て」という指示はあったが、それは趣旨が曖昧で的確に所員に伝わっていなかった。だから、『指示』に反した結果とはなったが、それをとらえて『命令違反』とまでは言えない、というのだ。記事に根拠はあった。根も葉もあった。煙だけではなく、火もあったのだ。それでも、「全文取り消しが妥当な」「重大な誤り」という結論になっている。本当にこれでよいのだろうか。
朝日の記事の正確性の問題とは別に、私は9月12日の当ブログで、「明らかに所長の指示がよくない。この事態において、650名もの所員に、『何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ』という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい」と書いた。自分がその立場で十分なことができる自信はないが、しかるべき立場にあるものには、その立場にふさわしい能力が求められる。
PRCも、「所長の指示を極めて趣旨があいまい」と強調した。曖昧な指示だったから、所員が「第二原発への退避をも含む命令と理解」することが自然であり、したがって、実質的には、『命令』と評することができるまでの指示があったとは認めることはできない、だから朝日の記事は重大な誤り、となる。
9月12日当ブログの感想を再掲しておきたい。PRC見解が出たいまも、このとおりだと思う。
「朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。
各紙に報道された吉田調書を一読しての印象は三つ。
一つは、原発の過酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、『われわれのイメージは東日本壊滅ですよ』とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。『遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ』という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、『死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない』という。正直に科学や技術が制御できない事態となっていることが表白されているのだ。
二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。
さらにもう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。
たとえばこうだ。
『(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている』
吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。」
改めて恐れることは、吉田清治証言が虚偽とされるや従軍「慰安婦」そのものがなかったかのごとき言説がまかりとおること。同様に、吉田昌郎調書報道に「誤り」があるとして、原発事故を起こした東電が免責され再稼働派が勢いづくことである。
これで決着がついたとするのではなく、心あるジャーナリストには、今回のPRC見解を十分に検証し、果敢にこれに切り込んでいただきたいと思う。
(2014年11月13日)
昨日(9月23日)が久保山愛吉忌。第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がなくなって60年になる。
1954年3月1日に、一連のアメリカ軍の水素爆弾実験(キャッスル作戦)が始まった。ブラボーと名付けられた、その最初の一発によって、第五福竜丸の乗組員23人が死の灰を浴びて、全員に急性放射線障害が生じた。各人が個別に浴びた放被曝線量は「最小で1.6シーベルト、最大で7.1シーベルト」と算定されている。そして、被曝から207日後に久保山が帰らぬ人となった。
病理解剖の結果による久保山の死因について、都築正男医師(元東大教授・当時日本赤十字病院長)は、「久保山さんの遺骸の解剖検査によって、われわれは今日まで習ったことも見たこともない、人類始まって以来の初めての障害、新しい病気について、その一端を知る機会を与えられた」と言っている。
聞間元医師は、「久保山の死因は、放射性降下物の内部被曝による多臓器不全、特に免疫不全状態を基盤にして、肝炎ウィルスの侵襲と免疫異常応答との複合的、重層的な共働成因により、亜急性の劇症肝炎を生じたもの」で、「原爆症被爆者にも見られなかった『歴史始まって以来の新しい病気』『放射能症性肝病変』なのであり、『久保山病(Kuboyama Disease)』と名付け、後世に伝えるべき」と述べている(以上、「第五福竜丸は航海中ー60年の記録」から)。
久保山は1914年の生まれ、死亡時40歳。私の父と同い年で、今生きていれば、100歳になる。23人の第五福竜丸乗組員の最年長者だった。妻と3人の幼子を残しての死であった。長女が私と同年輩であろう。
なお、乗組員のリーダーである漁労長・見崎吉男が28歳。以下、ほとんどが20代であって、その若さに驚く。(余談だが、第五福竜丸展示館に、見崎吉男の筆になる長文の「船内心得」が掲示されている。当時、操舵室に張ってあったもの。その文章の格調に舌を巻かざるを得ない)。久保山だけが、召集されて従軍の経験を持っていたのだろう。従軍経験者の常識として、被曝の事実は無線で打電することなく、寄港まで伏せられた。米軍を警戒してのこととされる。
久保山の死は、核爆発によるものではなく、核爆発後の放射線障害によるものである。原子力発電所事故による放射線障害と変わるところがない。だから、久保山の死は、原水爆の被害として核廃絶を訴える原点であると同時に、核の平和利用への警鐘としても、人類史的な大事件なのだ。福島第一原発事故の後、そのことが誰の目にも明瞭になっている。
被ばく当時20歳だった第五福竜丸の乗組員大石又七が今は80歳である。「俺は死ぬまでたたかいつづける」と宣言し、病を押して証言者として文字通り命がけで活躍している。
昨日(9月23日)江東区亀戸中央公園で開催された「さようなら原発全国大集会」で、車椅子の大石が被ばく体験を話した。以下は、本日付東京新聞朝刊社会面(31面)の記事。
「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ。絶対反対です」「乗組員には頭痛や髪の毛が抜けるなどの急性症状が出た。この日は被ばくの半年後に亡くなった無線長の久保山愛吉さんの命日。『核実験の反対運動は当時タブーとされ、内部被ばくの研究も進まなかった。福島第一原発事故の後も、同じことが繰り返されようとしている。忘れられつつあるビキニ事件を今の人たちに伝えたかった』と大石さんは語った」
久保山愛吉が遺した言葉が、多くの人々の胸の奥底にある。
「原水爆の犠牲者は、私で最後にしてほしい」
この言葉は、大石又七の「ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。核兵器も原発も危険は同じ」の名言と一体のものして理解すべきだろう。
「原水爆であれ原発であれ、核による人類の被害は、久保山愛吉の尊い犠牲を最後にしなければならない」と。
(2014年9月24日)
「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。
死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。
満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。
吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?
答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」
これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。
この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」
管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」
戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」
最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」
原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。
こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。
戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)
朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。
朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。
この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。
この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」
これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。
朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。
各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。
二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。
もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。
朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)