本日の東京新聞「平和の俳句」を心して読む。
三月十日南無十万の火の柱
70年前の今日、東京が地獄と化した惨状をつぶさに目にした古谷治さん(91歳)の鎮魂の一句。
東京新聞は、古谷さんを取材して、「黒焦げの骸 鎮魂の一句」「戦争を知る世代の使命」という記事を掲載している。その記事の中に、「古谷さんは戦後、中央官庁の役人として働き、政治家を間近で見てきた。今、戦争を知らない世代の政治家たちが国を動かすことに『坂道を転げ落ちていくような』不安を覚える。」とある。そして、古谷さん自身の次の言葉で結んでいる。
「戦争を知っているわれわれが、暴走しがちな『歯車』を歯を食いしばって止めないとどうなるのか。その使命の重大さ、平和のありがたさをかみしめて、鎮魂の一句をささげた」
日露戦争後、3月10日は陸軍記念日であった。1945年の陸軍記念日の早暁、テニアン・サイパンから飛来した325機のB29爆撃機が東京を襲った。超低高度で人家密集地に1600トンの焼夷弾の雨を降らせた。折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。死者10万、消失家屋27万、被災者100万に上ったと推計されている。これが、3時間足らずのできごとである。防空法と隣組制度で逃げれば助かった多くの人命が奪われた。
東京大空襲訴訟の証言で、早乙女勝元さんが甚大な被害の理由をこう解説している。
「1番目は退路のない独特の地形です。東京の下町は荒川放水路と、隅田川に挟まれて無数の運河で刻まれた所。2番目はその夜の気象状況にあったと思います。春先の猛突風が9日の夜から吹き荒れていて、火が風を呼び、風が火を呼ぶという乱気流状態になったことが挙げられましょう。そして3番目は防空当局のミスであります。ミスといいますのは、空襲警報が鳴らないうちに空襲が始まっております。4番目は‥、昭和18年に内務省が改訂版で『時局防空必携』というのを各家庭に配りました。それを守るべしということですが、1ページ目を開きますとこう書いてあります。『私たちは御国を守る戦士です。命を投げ出して持ち場を守ります』と。国は東京都民を戦士に仕立てあげたんではないのでしょうか。そういうことが大きな人的被害を生む理由になったのではないかと考えます。」
多くの都民が、命令され洗脳されて、文字どおり「持ち場を守って命を投げ出した」のだ。
同じ証言で、早乙女さんはこうも述べている。
「3月10日の正午になりますと、焼け残りの家のラジオは大本営発表を告げました。公式の東京大空襲の記録といっていいのですが、翌日の新聞にももちろん出ております。その中でたいそう気になりますのは、次の1節であります。『都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮(しゅめりょう)は2時35分其の他は8時頃までに鎮火せり』。100万人を超える罹災者とおよそ10万人の東京都民の命は、『其の他』の三文字でしかありませんでした。戦中の民間人は民草と呼ばれて、雑草並みでしかなかったと言えるかと思います。残念ながら、大本営発表の、『其の他』は戦後に引き継がれまして、今、被災者遺族の皆さんは私を含めて高齢ですけれども、旧軍人、軍属と違って、国からの補償は何もなく、今日のこの日を迎えています。国民主権の憲法下にあるまじき不条理であります。法の下に平等の実現を願っております。」
大日本帝国の公式発表は、10万の都民の命よりも皇室の馬小屋の方に関心を示したのだ。こうして、1945年の陸軍記念日は、「我が陸軍の誉れ」の終焉の日となった。それでも、この日軍楽隊のパレードは実行されたという。
無惨に生を断ち切られた10万の死者の無念、遺族の無念に、黙祷し合掌するしかない。空襲の犠牲者は、英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることもない。それどころか、戦後の保守政権はこの大量殺戮の張本人であるカーチス・ルメイに勲一等を与えて、国民の神経を逆撫でにした。広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと祈りと怒りと理性が、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。安倍政権がこれに背を向けた発言を繰り返していることを許してはならない。今日は10万の死者に代わってその決意を新たにすべき日にしなければならない。
たまたまドイツのメルケル首相が来日中である。共同記者会見でメルケルと安倍がならんだ。同じ敗戦国でありながら、罪を自覚し徹底した謝罪によって近隣諸国からの信頼を勝ち得た国と、しからざる国の両首相。それぞれが国旗を背負っている。
1940年、日独伊三国同盟が成立したとき、並んだ旗はハーケンクロイツと日の丸であった。戦後、ドイツは、ハーケンクロイツから黒・赤・金の三色旗に変えた。日本は、時が止まったごとくに70年前の「日の丸」のままである。変えた旗と変えない旗。この旗の差が、日独両国の歴史への対峙の姿勢の差を物語っている。
さて、東京大空襲70年後のこの事態である。火の柱となった十万の魂は鎮まっておられるのだろうか。
(2015年3月10日)
大韓航空前副社長の趙顕娥(チョ・ヒョナ)被告の「ナッツリターン事件」に興味津々である。もちろん、韓国財閥事情への関心ではなく、国は違えど同じようなことはよく起こるものだという身近な事件に引きつけての興味である。「ナッツ姫の横暴ぶり」は、権力や金力を笠に着た傲慢で品性低劣な人間に往々にしてある振るまい。ところで、世の中には、なんの権力も権限もないのに、自分には人に命令する権限があると勘違いで思い込む、愚かで横暴なはた迷惑な人物もいる。こちらの手合いも始末に悪い。
共同通信など複数のメディアが、韓国紙京郷新聞が起訴状を基に事件を再現した記事を転載している。その中の次の部分が目を惹いた。
「趙被告は乗務員がナッツを袋のまま出すと『ひざまずいてマニュアルを確認しろ』と激怒。客室サービス責任者に『この飛行機をすぐ止めなさい。私は飛ばさない』と迫った。責任者が『既に滑走路に向かっており、止められません』と答えると『関係ない。私に盾突くの?』と激高した。」
「私に楯突くの?」という言葉は、聞き捨てできない。かつての都知事選宇都宮選対本部長上原公子(元国立市長)が2012年12月11日午後9時過ぎに、四谷三丁目の選対事務所に私の息子を呼びつけて投げつけた「この人、私の言うことが聞けないんだって」という言葉と瓜二つ、いやナッツ二つなのだ。
私の息子は宇都宮けんじ候補の随行員として、およそ1か月間献身的によく働いていた。選挙戦をあと4日残すだけの最終盤のこの時、ナッツ上原はなんの理由も告げずにいきなりその任務を取り上げたのだ。もうひとりの随行員だった誠実な女性ボランティアともどもに。秘密のうちに二人の後任が準備されていた。
このことへの抗議に対して、ナッツ上原は、熊谷伸一郎選対事務局長(岩波書店社員)と顔を見合わせて冷笑したうえ、「この人、私の言うことが聞けないんだって」というナッツフレーズを吐いたのだ。
その傲慢さ、人格の尊厳への配慮のなさ、品性の低劣さにおいて、日韓両国のナッツ姫は甲乙つけがたい。もっとも、韓国のナッツ姫は一応は労働契約上の労務指揮権を持っている。リターン命令はその労務指揮権の「権限の逸脱・濫用」にあることになる。一方、日本のナッツ上原は、革新陣営の選挙活動にボランティアで集う仲間に対して調整役の責務を負う立場にあって、なんの権力も権限も持つわけではない。ナッツ上原は、より民主的でなければならない立場にありながら、その理念に反する点で際立っており、見方によっては韓国のナッツ姫よりもタチが悪い。
このような事件が起きたときに、関係者の人権感覚と対応能力が浮き彫りになる。宇都宮健児君は任務外しについて上原や熊谷との共犯者ではなかった。しかし、この横暴を知りながら事後に黙認したことにおいて、人権感覚・対応能力ともにまったく評価に値する人物ではないことを露呈して、私は友人としての袂を分かつことにした。
なお、私の息子は、ナッツ上原に対して、「対等な関係のボランティア同士。権力関係にはない。あなたに私に対する命令の権限があるはずはない。ましてやまったく不合理な命令は聞けない」と抗議している。
ところが、その後公開された選挙運動収支報告書において、上原が「労務者」として報酬10万円を受領していると届け出ていることが判明した。「労務者」とは「選挙運動員」の指示を受けて機械的な業務のみに従事する立場。ボランティアとして一銭の報酬も受けとっていない選挙運動員である私の息子と対等ではない。ところが、この局面では労務者上原が、選挙運動員に権力的な指示を押しつけている。あり得ないはなしなのだ。
もっとも、選対本部長が「労務者」であろうはずはない。この10万円は選対本部長としてのお手盛り選挙運動報酬と考えざるをえず、明らかな公選法違反に当たるものである。
この私の指摘に「反論」した三弁護士(中山・海渡・田中)による「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(1014年1月5日付)の中身が、真摯さを欠いたお粗末極まるものだった。およそ「法的見解」などと言える代物ではない。もっと真剣に事実に肉薄し、自陣営のカネの動きの不透明さについて明確化する努力と謝罪をしていれば、自浄能力の存在を証明して、「三弁護士」の権威を貶めることもなかったと思われるが、結局は「何らの違法性もないものである」「記載ミスを訂正すれば済む問題である」とごまかしの論理に終始した。繰り返される保守陣営の公選法違反が摘出される度に聞かされてきたことと同じセリフしか聞くことができなかった。
当ブロクでの公選法違反の指摘に、宇都宮陣営は報告書の当該記載の抹消をしただけでこと終われりとしている。もちろんそれでは、添付書類と辻褄が合わないことになる。いまだに、放置されたままだ。その他にも、宇都宮選挙には多々問題があった。詳細は、このプログに「宇都宮君、立候補はおやめなさい」シリーズとして33回連続して掲載したので、是非ご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6
そのほか、選対内部で随行員二人の任務外しに加担した労務屋同然の働きをした人物が何人もいる。何が正しいかではなく、なりふり構わず何が何でも組織防衛を優先する、「革新」を標榜する人々の常軌を逸した行動パターンを思い知った。さらに驚くべきことに、このブラック選対で労務屋同然のダーティーな働きをした人々が、「ブラック企業大賞」選考企画の中心にいたようだ。深刻なブラックジョーク現象というほかはない。
聞くところによると、「今年、宇都宮健児が大きく運動を展開させる注目のテーマ」を「選挙制度」としているそうだ。ちょっと信じがたい。仮に宇都宮君が選挙制度について語るのであれば、何よりも都知事選でのカネの動きの不透明さや、明らかに合理性あるルールに違反したことへの反省と謝罪から始めなければならない。それなくして、彼が公職選挙法の不備や不当について語る資格はない。
ところで、韓国のナッツ姫。現地の報道では、大弁護団が話題となっているようだ。「趙前副社長が雇った弁護団は数十億ウォン(数億円)を受け取っているはず」「執行猶予を勝ち取れば、弁護団は大富豪になるだろう」などと揶揄されている。
ナッツと弁護士。日韓両国において切っても切れない縁のようだが、けっして美しい縁ではない。腐ったナッツに集まるハエと悪口を言われるような関係となってはならない。
(2015年1月31日)
先日、「文京の教育」が通算499号だとご紹介した。本日配達された「靖国・天皇制問題情報センター通信」が、これまた通算499号。これも本日届いた「法と民主主義」が495号。「青年法律家」が527号。マスメディアに情報の独占を許してはいない。内容も充実している。ミニコミ誌、それぞれに大健闘ではないか。
「センター通信」の巻頭言となっている横田耕一さん(九大名誉教授・憲法)の「偏見録」が連載45回目。今回は「安倍内閣の改憲暴走を許した衆院選挙」という標題。護憲に徹した立場からの選挙総括の典型と言えるだろう。いつものとおり、誰にも遠慮しない筆致が小気味よい。毎回貴重な問題提起として敬意をもって拝読しているが、今回は多少の異論がないでもない。
「昨14年12月の衆議院総選挙では安倍自民党が大勝した。投票率が低かったこととか、その中での自民党の獲得票数は全有権者の過半数にもはるかに及ばないなどということで選挙の結果がもっている意味を矮小化してはならない。」
この点は、私と強調点こそことなるものの、意見が異なるというほどではない。
「私見では、このたびの選挙の最大の課題は、多数にものをいわせて強引に特定秘密保護法を制定したり、閣議決定等で9条の意義を骨抜きにしようとしたり、マスメディアを牛耳りネット右翼なみのデマ・暴論を振りまいて国民意識を一元化しようとしている安倍内閣・自民党の暴走を止めることであった。」
まったく同感である。横田さんがこう言うと迫力がある。
「選挙は世論調査ではないから、小選挙区においては、自分の考えと一番近いからといって当選の可能性の無い野党候補者に投票し死票を累積することは無意味であり、極端に言えば自分の考えと違う候補者であってもその者に投票し、一人でも自民党議員を減らすことが必要であった。」
一般論としては、そのとおりなのだろう。しかし、現実にはなかなか難しい選択となる。横田意見を純粋に貫けば、非自民票を第2党に集中せよということになり、選挙区選挙での第3党以下の出番はないことになる。しかも、非自民、必ずしも反自民ではない。第三極という積極的自民補完勢力もある。小選挙区制を所与の前提にしている立論に、違和感を持たざるを得ない。
「その観点からすれば、野党間で候補者が乱立競合して自民党候補が当選することとなる結果は最悪であった(状況は異なるが、反原発が主要矛盾であったはずのこの前の東京都知事選挙でも、党利が優先したようにみえる)。」
国政選挙での選挙協力の困難さを知りつつの苦言として受け止めるべきだろう。今回選挙の沖縄現象を全国規模で実現できていれば、国政を揺るがせたはず。そのような提言と承っておきたい。なお、かっこ書きの内容にはまったく異論がない。「党利が優先したようにみえる」の「党」とは共産党のことで、宇都宮候補に指示して細川護煕氏を反原発統一知事候補に押し立てることができる立場にあったことを前提にしての「党利優先」というものの見方だ。党利優先ではなく、都民優先あるいは反原発政策優先であれば、その後の政界の景色が相当に変わったものとなっていただろうにとは思う。
「したがって、特定の反対政党の議員数が多少増えたということで喜んでも、結果的に自民党が大勝しては、自己満足はあっても、大局的には何の意味もないだろう。」
いや、これは手厳しい。「特定の反対政党」とは共産党のことだろうが、「多少増えたところで、大局的には何の意味もない」とはニベもない切り捨て。もう少し婉曲なものの言い方もあろうに、とは思う。
「『アベノミクス推進』の影でひっそりと公約に記されていた、『戦後レジームからの脱却』の象徴である『憲法改正』の動きが加速化するのは確実である。もとより、現実に改憲が国民に諮られるには数年かかるであろうが、改憲の発議に必要な各議院の3分の2以上の多数は、9条改正を含めて、ほぼ達成しつつあり、さしあたりは次の参議院選挙が決定的意味を持つだろう。その際、朝日・毎日両新聞のアンケート調査によれば、このたび当選した衆議院議員の83?84%が改憲に賛意を示していることは軽視されるべきではない。もとより、これらの議員の改憲目的は9条に限られないが(天皇制度廃止のための改憲論者はまずいないが)、改憲を行うことに抵抗感がなくなったことは明らかである。しかも、維新の党はもとより、民主党の相当部分も『自民党憲法改正草案』とほぼ同様の改憲構想をもっていることを忘れてはならない。」
以上は、極めて重要な指摘。忍びよる改憲というだけではなく、既に改憲派に乗っ取られた国会と化しているという指摘なのだ。そのことを踏まえての必死さが要求されるし、戦略や戦術も必要になるのだという。
さらに、横田さんの指摘は、これにとどまらずに続いている。国会が改憲派に乗っ取られた状態にあるだけではない。改憲を先取りした違憲状態が既成事実化しつつあるというのだ。
「より重要な点は、改憲の目的とするところは、憲法を変えるまでもなく既成事実として実現しているか、実現されようとしており、改憲はそれら既成事実の追認に過ぎないことである。安倍内閣ないしその亜流内閣が継続するかぎり、『憲法改正草案』が目指す改憲案のモデルになるであろうが、例えばこの案の『天皇』の章に書かれていること(元首化、公的行為、国旗・国歌、元号等)は既に憲法運用の中で実現しており、改憲はそれらを憲法上明確にするに過ぎない。また、9条については、現在のところは公明党の反対もあって限定的にとどまっているが(やがて全面展開が予想される)、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障剥度のもとでの武力行使も、改憲を待つまでもなく、解釈変更によって進められている。」
横田さんは、「したがって、単に『閣議決定による改憲反対』といった手続きを問題にするだけでは、9条改憲は阻止できない」と言い、「安倍内閣・自民党が暴走し、それに歯止めがかかりそうもない今日、日本国憲法は、もはや狼少年の言い草ではなく、戦後最大のピンチを迎えている」と結論する。
なるほど、このように事態を見れば、「共産党が21議席を得たなどは、大局的には大した意味がない」ことに思えてくる。しかし、横田さんの見方では改憲阻止の展望が見えてこない。国会の議席数の分布だけに着目すれば絶望せざるを得ないが、改憲の最終判断は国民に委ねられている。今回選挙の投票行動に表れた国民の意識状況の分析なしには改憲阻止の展望は拓けてこない。
国民の意識状況は、議席数よりは得票数の分布に表れる。投票者の動機や意識状況などの分析を経ずしての絶望は早いのではないか。「戦後最大のピンチを迎えている」とのシビアな認識は必要としても、小選挙区制のマジックを捨象しての国民の意識状況や投票行動はけっして絶望に値するものではない。
今号の巻頭言の最後は、「9条改悪どころではない根本問題のありかについては、稿を改めて述べてみたい」となっている。このテーマは、来月号に続くという予告。通算500号の「センター通信」を楽しみにしたい。
(2015年1月28日)
私はアベシンゾウ。ナイカクソウリダイジンだ。日本の行政権のトップの地位にある。権力がこの我が手にあるわけだ。私のこの地位この権限は、民意によって授けられたもの。だから、私は常に民意を大切にする。一度だって、民意を無視したことなどない。だから、この間の選挙も勝てたんだ。
もっとも、民意ったっていろいろある。あちらを立てればこちらが立たない。すべての民意を大切にしろと言われても、そりゃ無理な話だ。だから、取捨選択はやむを得ない。政権与党に擦り寄るかわいい民意には暖かく、政権与党に背を向けるかわいくない民意には冷たいのは、そりゃ人情だ。そのくらいの選択権や優先権はあるだろう。なんたって、私はソウリダイジンなんだから。
政権側が選挙に勝ったときには、胸を張って「民意は多数決に表れる」と言うんだ。「私には民意に従う義務がある」なんてね。「民意に背中を押してもらった」なんてのもうまい言葉じゃないか。ところが、実は最近の世論調査では旗色が悪い。憲法改正や集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法だけではなく、原発再稼働でも、安全保障政策一般でも雇用政策でも、福祉でも教育でも、「民意は安倍政権から離反しつつある」とか、「安倍政権は民意にそむきつつある」なんていう論調がある。
そういうときに、うっかり「政権に冷たい民意は尊重しない」と口を滑らせてはいけない。どう言えばよいかについては、十分にレクチャーを受けている。
基本は、「見かけの民意」と「真の民意」の使い分けさ。選挙結果や世論調査の結果がどう出ようとも、あるいはメディアが口を揃え、デモがどんなに政権批判で盛り上がっても、「それは見かけの民意に過ぎず真の民意ではない」とがんばるんだ。「沈黙の民意こそが真の民意」ということだ。
もちろん、政権に批判的な民意は「見かけの民意」だ。扇動された浅はかな民意であって、丁寧に説明し説得させていただきますと言うんだ。そして、政権に物わかりのよい好都合な民意の方を「真の民意」として無条件に尊重する。たとえ、そんな声がなくても、「声なき声」を聞くのさ。1960年安保闘争のときの岸信介、私のお祖父さん譲りの手口。サイレントマジョリティといっても同じことだ。それで、だいたいは思い通りになるんだ。だからちっとも間違ってはいないだろう。
ところが問題は沖縄だ。選挙では政権に擦り寄る賢い仲井真陣営に勝ってもらわねば困ると思ったんだ。かわいげのある仲井真側が勝てば「辺野古基地新設が沖縄の民意だ」というつもりだった。それで、沖縄に振興策の大判振る舞いを約束した。この手で沖縄の民意は政権側にがっちり握ったはずだったんだ。だって、世の中、すべて金目の問題じゃないか。子どもじゃあるまいし、「魚心あれば水心」って分かるだろう。
ところがどうだ。沖縄県民の民意はかわいげがない。知事選じゃ翁長圧勝だし、続く総選挙では四つの小選挙区全部で政権側の敗北だ。あらためてはっきりさせておこう。私が民意を尊重するというのは、私が選挙に勝ったときのセリフ。負けたときは、「これは真の民意ではない。丁寧に政権の考えを説明しご理解いただくまで説得申しあげる」ことになる。当然、丁寧な説明や説得が成功するまでは、沖縄振興資金の大盤振る舞いはオアズケさ。「安倍政権のやり方は汚い」「ずるい」「おかしい」「えげつない」「破廉恥」。なんとでも言うがいい。ありゃあ餌だ。食いつかなかった魚に餌をやる釣り師はいない。
それにしても、沖縄の怒りはすごいな。地元紙が吼えている。「対話拒否 安倍政権は知事と向き合え」(琉球新報社説)なんてね。
「安倍政権は県知事選と衆院選の県内選挙区で完敗した意味をよく理解できていないのではないか。そうとしか思えない振る舞いだ。サトウキビ交付金に関して県が上京中の翁長雄志知事と西川公也農相の面会を求めたのに対し、農林水産省はこれを断った。農水省は日程を理由としたが、農相はJA関係者の要請には応じ、自民党の地元国会議員が同行している」「昨年末、就任あいさつで上京した翁長知事に対し、安倍晋三首相や菅義偉官房長官らは会わなかった。今回の対応もその延長線上にあるが、翁長知事への冷遇が県民感情をさらに悪化させている現実が首相らには分からないようだ」「自民党本部も、沖縄振興予算について議論する8日の沖縄振興調査会に翁長知事の出席を求めなかった。こちらも前県政時とは手のひらを返したような対応だ」「沖縄の民意を今こそ直視し、その非民主的な対応を恥じるべきだ」
赤旗も手厳しいね。
「安倍政権は、辺野古新基地推進の方針を何ら変えないばかりか、民意を聞かずに沖縄振興予算も減額するという『ムチとムチ』政策を押し通すかまえ。沖縄の民意を聞かないばかりか、行政府としての公正な対応さえ投げ捨てています」
おっしゃるとおりだよ。見てのとおりだ。かわいくない沖縄に嫌がらせをしているんだよ。いやなら政権にすり寄っておいで、と言っているんだ。その辺のところ、私の陰険さが、沖縄県民に十分には理解されていないんじゃないの?
それでも、私は民意を尊重しているんだ。選挙に勝ったのは沖縄の見かけの民意に過ぎない。真の沖縄の民意は、政権にすり寄って、金さえもらえば辺野古移転大賛成に決まっている。間違った見かけの民意にお灸を据えて、隠れた真の民意に道をゆずらせるのが私のつとめなのだ。
こうも言ってみようか。
「民意の尊重が私の任務だ。本土の民意が、十全の抑止力を確保するために辺野古新基地の建設を求めている。これと両立しない沖縄の民意を尊重できないのもやむを得ない」
それじゃ、沖縄は踏んだり蹴ったりじゃないかって? でもね、大所高所に立って我慢してもらわなくちゃならないこともある。きっと、沖縄の良識派穏健派が、真の民意を掘り起こして、政権にすり寄って来ると思うよ。まさか、私のイヤガラセが県民と国民の怒りの火に油を注ぐことにはならない…だろう。もしや、琉球独立運動の盛り上がりを招くようなことになれば…それは悪夢だが…。
(2015年1月10日)
穏やかで目出度い正月だ。暮れの選挙では、この群馬5区から優子お嬢様がみごとに当選なさった。万々歳さ。これで、今年もまた明治座に行けるよね。今度の演しものはなんだろう。楽しみにしてんだから。
なんたって、自民党の公認で公明党の推薦なんだから、これだけで当選が決まったようなものだね。対立候補は社民党と共産党。社民の候補には民主も支援したそうだが、所詮束になっても勝負にならない。バラバラだからなおさらさ。社民党も共産党も、アベノミクスは失敗だとか、TPPは危険だ、憲法改正反対とか集団的自衛権行使容認は問題だとか、小難しいこと言っていたけど聞く人は少なかったよ。とりわけ共産党は「政治とカネ」問題について優子さんを糾弾するなんて強く言って、あれじゃかえって票を減らすんじゃないかね。
結局は11万票で圧勝だった。71%の得票率。残りの29%を、社民と共産の2候補が分け合った。もっとも、優子さんは2年前の選挙では13万票で、得票率は77%だったから、政治とカネの問題で法律違反があったという悪口の影響がなかったわけじゃない。フタを開けてみたら、共産党もけっこう票を増やしていたからちょっとびっくりだった。
でも、とにかく圧倒的に勝ったんだから、これでもう問題はなくなったんだろう。ミソギが済んだ、ということだよね。なんと言っても民主主義の世の中じゃないか。「小渕候補に政治とカネの問題あり」ってどんなにマスコミが騒いだところで、有権者が「カネや報告書の問題はもういいよ。優子さん、また議員を務めてくださいね」って、改めてお願いして選び直したんだのだから、外からとやかく言われる筋合いはないんじゃないの。
だって今の世、主権者が一番偉いんだろう。昔は、天皇様だったけど。主権者の意思は選挙に表れる。選挙に勝った議員は主権者の代表だ。その議席は私たちのもの。大切にしてもらわなくっちゃ。せっかく選挙に勝ったのに、もしかして起訴されて有罪になって議席剥奪なんてことになれば、民主主義は終わりだ。こんなやり方を、検察ファッショとか、司法ファシズムというそうじゃないか。くれぐれも、慎重にやっていただきたい。今年も明治座に行けなくなったらたいへんなんだから。
政治は、義理と人情だよ。地元は優子さんのお父さんの代から支援し続けてきたんだ。苦しいときにこそしっかりと応援しなくっちゃ。それが、上州人の心意気というもんだ。ドリルでハードデスクに穴を開けたのは、その心意気の表れさ。上州人を侮るなっていう警告さ。誰がやったって? 民意がやったに決まってるさ。
だいたいが、優子さんはちっとも悪くはないんだよ。取り巻きが気が利かないというだけじゃないか。書類をどう作るかなんて些細なことに優子さんを煩わしちゃいけない。政治資金報告書なんてどうにでも書けるものだろう。どうにでも書ける書類の辻褄が合わないって大騒ぎするほどのことなのかね。そんな重箱のスミのミスをつついてどうする。大所高所から大局を見るべきなんで上州の大切な人に傷をつけちゃいけない。
政治は国民のためにある。政治家には国民が喜ぶように動いてもらわなくちゃ。有権者を喜ばせるのが議員の務めじゃないか。その点優子さんはよくやった。明治座公演なんて素晴らしいアイデア。出演者が、小林幸子、梅沢富美男、中村玉緒、それに石川さゆり、天童よしみと本当に私たちが見たい人を揃えているもんね。やっぱり、優子さんの後援会ならではのことだよ。たいしたものだ。
「国民はその程度にふさわしい政治家を選ぶ」のは当たり前だろう。優子さんは群馬5区にぴったりなんだ。どだい、日本全体で日本国民に相応しい政治家を選んで、日本の国民にぴったりの政治になっているんじゃないの。
(2015年1月7日)
昨日(12月24日)特別国会が招集されて、クリスマス組閣となった。第3次安倍内閣の発足は、大多数の国民にとって心躍るプレゼントではありえない。到底「メリー」とも「ハッピー」とも口にする気分ではない。
一昨日(23日)の東京新聞「本音のコラム」で鎌田慧が、「クリスマス粗閣」「第惨次内閣」と、嘆いていた。まことに「惨々たる粗末な内閣」の継続である。
続いて、本日(25日)の東京朝刊「こちら特報部」では、いくつかのネーミングが紹介されている。
「(絶対得票率)4分1内閣」「公約違反不誠実内閣」「(長く続かぬ)ショート景気内閣」「(原発)強制再起動[リセット]内閣」「失敗隠蔽内閣」「プチ整形内閣」「話を聞か内閣」そして「妖怪のしわざ内閣」などなど。総じて評判はすこぶる悪い。
評判の悪さの原因は2点に集約される。
第1点は、与党の議席は上げ底であることだ。民意の支持の実体を遙かに上回る議席数を掠めとっているのだ。小選挙区マジックによる虚構の絶対多数。それをわきまえた謙虚さを欠くことが悪評の原因。
以下のような計算をしてライバル共産党と比較してみると、小選挙区制の不公平さ加減が感覚的に理解できるのではないか。
共産党は小選挙区で全国合計704万の票を得ている。この票数で獲得議席はわずかに1。1議席あたり704万票である。沖縄1区を除いてことごとくが死票となっている。一方、自民党は2546万票で222議席。1議席あたり11万5000票である。704万票集めてわずか1議席の政党と、11万5000集めて1議席獲得の政党とがある。その不公平較差なんと61倍である。この不公平に目をつぶれるだろうか。
東京都内だけを抽出すると、この較差はさらに甚だしい。
自民党が全25選挙区に候補者を立ててはいないので比例区の得票数で比較することにしよう。得票数は自民180万、共産89万で、その比率はほぼ2対1。公平な選挙制度であれば、獲得議席数も2対1であってよい。これが現実には、22対0である。自民党は約8万2000人の得票で1議席を獲得しているのに、共産党は89万票で一議席もとれない。不公平の極みというほかはない。
第2点は、解散時から選挙期間中は、「アベノミクスを問う」「アベノミクス選挙だ」と言っておきながら、開票が済むや一転して、「信任を受けた」「憲法改正もやらねばならぬ」と言い出す、悪徳商法並みの二枚舌にある。下駄を履かせられた「虚構の3分の2」である。これで、「国民の信任を得た」などとして強権を発揮されたのではたまらない。
なお、東京新聞は前回2012年選挙後にも、同様の企画を掲載している。「ネトウヨ内閣」「国防軍オタク内閣」「極右はしゃぎすぎ内閣」「逆戻り内閣」などのネーミングが紹介された。どれもこれも、まさしくピタリだったわけだ。この度のネーミングも当たるとなれば、「大惨事やべえ内閣」と警戒しなければならない。
それにしてもである。議席を減らしたとはいえ、自民党が第一党として最大の得票を得た。比例票は、共産党票に比較して全国で2.9倍、東京で2.0倍である。これだけ多くの人が、「アベノミクス」に期待して投票したことは否定し得ない。
経済が疲弊している状況でなぜだろうか。この点について、先のコラムで鎌田慧が、大意次のように語っている。
「戦後の読売新聞社争議の立役者だった鈴木東民の妻、ゲルトルートのヒトラーが政権をとる直前ベルリンでの思い出。公園のベンチに座っていた失業者が、仲間の一人にこういっていた。
『俺はヒトラーに賛成していない。けれども、もしヒトラーが政権をとるようなことがあったら、失業ってのはなくなるだろう』
彼女に会ったのは、もう30年も昔のことだ。ベンチに座った失業者の話を聞いたわけではない。それでも妙に情景が心に残っている。いま、日本は非正規労働者が約40%。安倍さんが景気を回復させる、というのに期待せざるを得ないほどに、生活が苦しい。…いくばくかの賃金が上がれば、武器輸出、原発再稼働、憲法改悪、戦争経済の一本道も気にかけないほど疲弊している。」
本日の東京新聞の一面政治欄「第3次安倍内閣発足」に、「安保加速」「経済継続」「原発維持」の語が重ねられ、「反対論の中『信任を得た』」と見出しが付けられている。その記事の最後は、次の言葉で締めくくられている。
「首相は24日夜の記者会見で『賛否は大きく分かれるが(衆院選で)引き続きこの道を進んでいけという信任を得て、有言実行、まい進していく決意だ』と安倍政治を進めると宣言した。しかし、これらの政策は個別にみると反対論の方が多いことが世論調査結果で表れている。安倍政治が全面的に支持されたわけではない。」
悪評高く、大惨事を起こしかねない、やべい内閣。年明けから国会の内外の波乱は必至である。国会の中では十分な論戦を期待したい。国会の外でも「公約違反不誠実内閣」「失敗隠蔽内閣」「話を聞か内閣」批判の声を大きくしなければと思う。
「俺は安倍には賛成していなかったんだ。けれども、あのとき生活がマシになるかと思ってアベノミクスに期待の一票を入れたんだ。それが悔やまれる」と後年臍を噛むことがないように。
(2014年12月25日)
この度の選挙結果。まずは議席の配分に注目せざるを得ない。安倍自民党が単独で獲得した議席数が291(福岡1区当選者追加公認を含む)、極右の「次世代」が2、江田・橋下の維新が41。以上の積極的改憲派の議席総数は334となって、衆議院3分の2ライン(317議席)を大きく上回っている。これに自民と連立を組む公明の議席31を足せば365。改憲容認勢力の衆院議席占有率は77%にもなった。すくなとも衆議院に関する限り、96条改憲発議の要件は整った。すでに危険水域である。これがあと4年続くと考えると、憂鬱このうえない。
現に、選挙期間中は経済問題だけを争点に押し出し、「アベノミクス選挙だ」「この道しかない」と叫んでいた安倍晋三は、選挙が終わるや掌を返したように改憲・集団的自衛権・安保法制に言及をはじめた。
「安倍晋三首相(自民党総裁)は15日、衆院選を受け、自民党本部で記者会見した。自民、公明両党で憲法改正の発議に必要な3分の2(317議席)以上を確保したことを踏まえ、『最も重要なことは国民投票で過半数の支持を得なければならない。国民の理解と支持を深め、広げていくために、自民党総裁として努力したい』と述べ、憲法改正に重ねて意欲を示した。」「7月に閣議決定した集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備について『しっかり公約にも明記し、街頭でも必要性を訴えた』と語り、有権者の理解を得られたとの認識を強調。『支持をいただいたわけだから、実行していくのは政権としての使命だ』と述べ、来年の通常国会で関連法案の成立を期す考えを強調した。」(毎日)と報道されている。「そりゃないだろう」と怒るべきか、あるいは「ああ、やっぱりね」と嘆じるべきだろうか。
とはいえ、選挙結果は議席数だけで評価すべきものではない。民意の所在を推し量るには、各政党が獲得した得票数の増減が重要である。そのような視点で選挙結果を眺めると、少し違った景色が見えてくる。
最近10年の民意の動きは、大雑把には、次のように言えると思う。
自民党政権の新自由主義的施策は経済格差と貧困を生みだし、それゆえの自民党の長期低落傾向が進行した。2005年総選挙は郵政選挙としてオールド保守の最後の輝きであって、格差や貧困の蔓延が社会の安定性を欠くまでにいたって人心はいったん自公政権を見限った。その結果が圧倒的な民意となって、前々回2009年夏の45回総選挙に結実し、「コンクリートから人へ」のスローガンを掲げた民主党を政権の座に押し上げた。ところが、政権の座についた民主党はその期待に応えることができなかった。期待が大きかっただけに民意の落胆と反動は大きく、前回2012年46回総選挙は民主党の惨敗となり、安倍自民の再登場を許した。しかし、このとき民主党から自民への票の回帰はない。前回12年46回総選挙以後今回14年選挙まで、安倍政権は選挙民を納得させるだけの何ごともなしえていない。それでも、今回、自民党は前回票を減らすことなく維持して、議席数微減にとどめた。
有権者の投票行動は、小泉劇場を舞台とした郵政選挙(2005年)で自民党に走り、一転してマニフェスト選挙(2009年)で民主党に向かい、前回の自爆解散による総選挙(2012年)で実は自民党には戻らず、第三極(維新とみんな)に吸収された。前回以降の第三極離合集散を経て、前回の第三極票がどうなったか。それが、今回選挙の最大の着目点であろう。
前回12年選挙の第三極得票数は、
維新の会 1226万
みんなの党 525万
計 1751万票である。
これに、日本未来の党の342万を加えれば、2000万票を超す。自民を批判しつつ民主をも見限った人々の受け皿としての第三極に投じられた票数がざっと2000万だったのだ。
今回は、みんなの党はなくなって「第三極」の得票(比例)は下記のごとくとなった。合計1082万票。
維新 838万票(前回「維新」と比較して400万減)
次世代 141万票
生活 103万票
結局、「第三極」の合計得票数は、2000万から1000万票に半減した。前回第三極に投票しながら今回はここから離れた1000万票の行く先は、(1)棄権と、(2)共産党であって、民主にも自民にも殆ど動いていない、と推察される。
自民は、前回比で比例票は100万増やしているが、小選挙区では20万ほど減らしている。前回並みに票を維持したと評してよい。
比例票 前回1660万→今回1760万 100万増
小選挙区票 前回2560万→今回2550万 10万減
民主党票の増減は以下のとおりである。
比例票 前回960万→今回980万 20万増
小選挙区票 前回1360万→今回1190万 170万減
以上のとおり、自民も民主も、得票数は前回と大差ない。公明も、社民も同様である。ひとり共産党だけが、以下のとおり票を伸ばしている。
比例票 前回369万→今回606万 237万増
小選挙区票 前回470万→今回704万 234万増
第三極が減らした1000万票は、前回比での棄権票増加分700万と、共産党の得票増加分の合計にほぼ見合う。議席配分はともかく、有権者の投票行動だけを見た場合には、自・公・民がそれぞれようやく現状を維持したなかで、共産党だけが一人勝ちだったと言ってよいと思う。
念のため、自民党の過去4回の比例得票数の推移を見てみよう。
2100万票(44回)→1900万票(45回)→1660万票(46回)→1770万票(47回)と、低落傾向にまだ歯止めはかかっていない。
公明の比例得票数の推移も同様である。
873万票(44回)→805万票(45回)→712万票(46回)→731万票(46回)
結局、自公政権は見かけほどに強くはないのだ。この点の見定めが肝要である。今、自公は小選挙区制の恩恵で政権を樹立し維持している。しかし、投票率の低下と共産党票の伸びは、政権の基盤が脆弱であることを物語っている。
そしてもう一つ、今回の選挙結果は、自公政権の補完物としての第三極の受け皿機能が半減して、共産党がそれに取って代わりつつあることを物語っている。
集団的自衛権も、特定秘密保護法も、憲法改正も、防衛・外交・沖縄新基地建設も、税制・雇用・社会保障の制度改悪も、原発再稼働もTPPも、そして教育再生も、自公政権の政策は、国民に真の利益をもたらすものではない。公然たる新自由主義政党である維新も同様。そのように多くの国民が自覚しつつある。
それにしても諸悪の根源は小選挙区制である。この点の制度改革は喫緊の課題となっいる。それと同時に、各小選挙区における改憲阻止勢力を糾合した選挙共闘の体制作りもである。そのような課題を意識しつつも、今回の選挙結果に表れた民意の動向の積極面に、近い将来の変化の可能性を見るべきであろう。
(2014年12月16日)
またまたの師走選挙の惨憺たる結果が重苦しい。自民の議席が291、公明35という数字が恨めしい。維新41も面白くない。これらの数字が、日本国憲法の運命への暗雲となっている。言うまでもなく、憲法の危機は平和の危機であり、人権と民主主義の危機でもある。
共同通信が次の記事を配信している。「共同通信社は15日、衆院選当選者(475人)のうち、立候補者アンケートで回答を寄せていた458人について回答内容を分析した。憲法改正に賛成との回答は84.9%に当たる389人で、改憲の国会発議に必要な3分の2(317)を大きく上回っていることが分かった。集団的自衛権の行使容認には『どちらかといえば』を含め計69.4%が賛成した。」
もっとも、同記事は、「共同通信社が衆院選に合わせて実施した全国電話世論調査(トレンド調査)では改憲反対が賛成を上回っており、国民の意識とは異なる可能性もある。」とつながっている。
絶望ばかりの状況ではないが、ひょっとするとあの忌まわしい時代の再到来…と危惧せざるを得ない。あの時代にも、旧憲法や治安維持法、国防保安法体制のなかで、気骨の政治家もあり、ジャーナリストもいた。しかし、議会の権威が失墜し、ジャーナリストの口も封じられた。そこから軍国主義、日本型ファシズムの芽が伸び広がった。
今回選挙では、民意が議会政治そのものを見限ったのではないかというあらたな危機感をもたざるを得ない。多くの有権者が、政治そのものあるいは民主主義の有効性を信用しなくなったのではないか。投票率の低下がそのことを物語っている。
実際、今回ほど白けた雰囲気の総選挙を知らない。有権者は、政治に期待があれば勇躍して投票所に足を運ぶ。2009年の「マニフェスト選挙」が好例である。このとき、投票率は69.28%であった。7000万人の有権者が投票をして、第1党の座を占めた民主党は、比例代表で3000万、小選挙区で3350万票を獲得した。民意が動いたことを実感させられた。
ところが、今回の投票率は「戦後最低」の52.66%である。実は、戦前の衆議院議員総選挙の投票率はけっこう高い。戦前戦後を通じての47回の総選挙での最低なのだ。これが白けた雰囲気の原因だ。前々回09年選挙に比較して2000万に近い人が投票を拒否したことになる。その結果、奇妙なことが起こっている。
09年選挙は民主党大勝・自民党惨敗の選挙として記憶されている。ところが、今回14年選挙における自民党獲得票数は、09年選挙の得票数に及ばないのだ。信じられないような本当のはなし。
09年自民党比例得票数 1881万票
14年自民党比例得票数 1766万票
09年自民党小選挙区得票数 2730万票
14年自民党小選挙区得票数 2546万票
自民党は5年前の得票数を回復していない。他党よりも、「票の減り方が少なかったから今回は勝てた」ということなのだ。これで「勝てた」「民意を得た」などと本当に言えるのだろうか。
この投票率の低下は、支配勢力の思う壺ではなかろう。もしかしたら支配勢力にとっても予定コースを外れた深刻な危機的状況なのかも知れない。
もう一つのテーマに触れておきたい。本日の東京新聞夕刊の一面トップの見出しが、「衆院小選挙区ー自民、得票48%議席75%」というもの。
記事の内容は、「小選挙区では、自民党の得票率(有効投票総数に占める自民党候補全員の総得票)は約48%で、議席占有率は約75%。自民党は、小選挙区に投票した人の二人に一人に満たない得票で、四分の三の議席を獲得した計算。
一選挙区から一人を選ぶ小選挙区制は『死に票』が多く、民意が正確に反映されにくい特色があるが、今回もその傾向が現れた。」というもの。
本来、議会とは民意を正確に映す鏡でなくてはならない。自民党は、下駄を履かせられた見せかけの多数であり第1党に過ぎない。この点においても、この度の総選挙において本当に安倍自民が国民の信任を得たと言えるのか疑問なしとしない。
安倍政権に驕る資格はない。
(2014年12月15日)
12月13日、世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた事件が勃発した日。そして、今年は明日に第47回総選挙の投票日を控えた日となった。
77年前の1937年7月に北京郊外盧溝橋での日中軍の衝突は、たちまち中国全土への戦線拡大となった。同年11月19日、日本軍は占領地の上海から当時の首都南京を目指して進軍を開始した。
この南京攻略作戦は、中支那方面軍司令官の松井石根(陸軍大将・東京裁判でA級戦犯として死刑)が参謀本部の統制に従わずにしたものとされ、無理な作戦計画が糧秣の現地調達方針となって、進軍の途中での略奪や暴行などが頻発したとされる。
その進軍の到達地首都南京開城が12月13日。城内外が、その後3か月にわたるアトロシティの舞台となった。日本軍は、逃げ遅れた中国兵や子ども・女性を含む一般市民を虐殺し、強姦、略奪、放火などを行った。加害・被害の規模や詳細は推定するしかないが、死者数「十数万以上、それも20万人近いかあるいはそれ以上」(笠原十九司著『南京事件』岩波新書)と推測されている。
「南京アトロシティ」は、当時現地にいたジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。その東京裁判では、老幼婦女子を含む非戦闘員・捕虜11万5000人が殺害されたとし、南京軍事法廷(1946年に国民党政府によって開かれた戦犯裁判)は30万人が殺されたとしている。
小学館「昭和の歴史・日中全面戦争」(藤原彰)に、次の記述がある。
「当時の外務省東亜局長石射猪太郎の回想録には、『南京アトロシティ』という節を設け、現地の日本人外交官からの報告にもとづき、局長自身、陸軍省軍務局長にたいして、また広田外相から杉山陸将にたいして、日本軍の残虐行為について警告したと書かれている。実数は不明だが、膨大な件数の日本軍による残虐行為が行われ、世界の世論をわきたたせたことは、明らかな事実なのである。」
「それはまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」
もって、肝に銘すべきである。
日本国憲法は、過ぐる大戦における戦争の惨禍への深刻な反省から生まれた。戦争の惨禍とは、自国民の被害だけを指すものではなく、近隣諸国民衆の被害をも含むものと解さなければならない。日本国民は、決して戦争に負けたことを反省したのではない。無謀な戦争を反省して、この次は国力を増強して用意周到な準備の下、頼りになる同盟国と組んでの戦勝を決意したのでもない。戦争そのものを非人道的なものとしてなくす決意をしたのだ。だから、日本国民の戦争被害だけではなく、加害の事実にも真摯に向き合わねばならない。
日本人にとって、戦争被害の典型が広島・長崎の原爆であり、沖縄の地上戦であり、東京大空襲であろう。加害の典型が、占領地での南京アトロシティであり、731部隊・平頂山事件・捕虜虐待であり、また従軍慰安婦であろう。
幸いに、日本の戦争被害について、これを「でっち上げだ」という声は聞かない。にもかかわらず、安倍政権誕生以来、戦争における加害の事実を否定しようとする歴史修正主義者の跋扈が目に余る。自国に不都合なものであっても歴史的真実から目を背けてはならない。
歴史修正主義は、必然的に日本国憲法への敵対的な姿勢となる。あの戦争についての反省を拒否することは、憲法の成り立ちを否定し、とりわけ国際協調と平和主義を否定することになるのだ。
安倍政権がまさしくその立場である。これに鼓舞され追随して、ヘイトスピーチの横行があり、朝日バッシングがある。北星学園への卑劣な脅迫や一連のいやがらせもこれにつながるものである。
ことは、保守か革新かのレベルではないように見える。歴史に真摯に向き合うか否かは、保革の分水嶺ではない。加害の戦争責任を認める立場は、むしろ保守本流の立場であったはずではないか。
明日の投票日に、是非とも危険な安倍自民とこれへの追随勢力に、国民のノーの審判をしていただきたいものと思う。「この道しかない」と、あの忌まわしい「いつかきた道」に再び連れ込まれることのないように。
(2014年12月13日)
今回の総選挙、注目度トップの選挙区は、沖縄1区。
「14日投開票の衆院選を前に、琉球新報社はこれまでの取材に、共同通信が7、8日に行った世論調査結果を加味し、終盤情勢を探った。沖縄1区は共産前職の赤嶺政賢氏と自民前職の国場幸之助氏が横一線で、維新元職の下地幹郎氏が追う展開」(琉球新報)。どの選挙情勢調査も同じことを言っている。
沖縄では、名護市辺野古への米軍新基地建設反対の一致点で保革を超えて共闘しているのが「建白書勢力」。革新プラス保守の一部からなる同勢力が、知事選・那覇市長選で勝ち、その流れを引き継いで、1?4区のすべてに保革を超えた共同候補を立てた。そのうち、2・3区は建白書勢力優勢だが、1区と4区は接戦で大激戦だという。その大激戦の1区の候補者が共産党の赤嶺政賢なのだ。
昨日(12月10日)、県庁前で開かれた赤嶺政賢候補の演説会に、知事として初登庁したばかりの翁長雄志が駆けつけて応援演説をした。翁長だけでなく、城間幹子新那覇市長、金城徹・那覇市議会議員(新風会)、糸数慶子・参議院議員(沖縄社会大衆党)も弁士として登壇。そして、志位和夫共産党委員長も。オール沖縄の姿を象徴する光景。いやが上にもボルテージが高まっている。
その沖縄1区、前回2012年総選挙も同じメンバーで争われて、自民・国場が当選している。その票数は次のとおり。
国場幸之助(自民党) 65,233票 当
下地幹也郎(国民新党) 46,865票
赤嶺政賢(共産党) 27,856票
共産党赤嶺は、当選者の半数の票も取れなかった。
ちなみに2009年総選挙では国民新党の下地が当選している。
下地幹郎(国民新党) 77,152票 当
国場幸之助(自民党) 63,017票
外間久子(共産党) 23,715票
共産党候補の獲得票数は当選者の3分の1に満たない。
今回選挙も、共産党単独では勝てないことが自明。共産党以外の革新勢力や、保守の一部からの支持を得ずして赤嶺の当選圏入りはあり得ない。これが1区の厳しい現実。
2?4区では、共産党は候補者を立てない。他の「建白書勢力」候補者の支援に回る。こうして、建白書勢力が、「辺野古への米軍新基地建設反対の一致点」で共闘して4議席全部を勝ち取ろうというのだ。
このような共闘は首長選ではいつも話題に上る。先日、革新の都知事選候補として出馬の経験がある吉田万三さんのスピーチを聞く機会があった。吉田さんは、2014年東京都知事選挙の選挙共闘のあり方をめぐってのある討論集会での論争を紹介し、それに反論する形で自説を述べると前置きした。当然聞き耳を立てることになる。
万三さんの話の前提を押さえておきたい。2014年都知事選に細川護煕出馬の報があったとき、宇都宮支援勢力の有力な一部から、「宇都宮は立候補を辞退して、細川支援にまわるべきだ」という強力な意見が出た。「自公勢力に牛耳られた都政を奪還する現実的な道はそれしかない」「共闘のスローガンは『脱原発』。今、このスローガンが最重要」「しかも細川の政策は比較的リベラルなもので、宇都宮の政策と積極的に矛盾するところはない」などの意見が述べられた。
しかし、宇都宮自身が、候補者辞退を求める勢力に対して「ふてえ奴だ」と反発して大同団結はならず、両候補の票を合計しても桝添票に届かない結果に終わった。客観的には宇都宮・細川両陣営ともに「惨敗」である。一議席を争う首長選挙の共闘問題は、小選挙区制の共闘問題と軌を一にし総選挙の度に論争のテーマとなっている。
私が理解した限りでだが、吉田さんが紹介したある討論集会での主要な意見は以下のとおりだったという。
?今、安倍政権の暴走を止めるには幅広く保守を取り込む共闘が必要。
?原発への対応は、その他とは次元を異にする保革の枠をこえた重大問題。革新だけでなく保守をも取り込んだ共闘の課題たりうる。
?新たな保守とのつながりをつくる上で、細川・小泉はキーマンである。小泉は『これまで間違っていた』という反省の弁まで述べている。
?現実の問題として、革新だけでは勝てない。本気で勝とうとするなら、左派系は自己中心主義を捨てよ。
?左派は党派的メガネで見られぬよう運動を支える黒子に徹することで、「勝つための選挙」に専念すべきではないか。
?結局、14年都知事選では、保守との共闘のモデルケースを作る絶好のチャンスを逃してしまったのではないだろうか。
これを批判して吉田さんが何を言うかと謹聴した。概ね次のような趣旨。
「良質な保守派との共闘はあってしかるべきだが、無原則に保守派との共闘を求めるべきではない。共闘は、具体的な情勢に照らして検討してみるしかない」
共闘の原則や条件に耳を傾けようとした聞き手には拍子抜けの一般論。共闘の理念や原則、具体的な基準や共闘のテーマ、共闘にあるべき手続きなどへの言及は慎重に避けられた。
共闘の理念や原則の代わりに語られた内容は、失敗した「無原則な共闘」の実例である。まず、民主党の衆議院議員だった初鹿明博の例。
「この人、元は民主党のなかでもリベラル派として知られた人。それが、民主党→みどりの風→日本未来の党→みどりの風とわたって、今は維新の党じゃないですか」と言う。
2012年の宇都宮選挙を思い出す。宇都宮選対は、初鹿を異様に持ち上げた。あれはなんだったのだろう。初鹿に宇都宮と一緒の場を何度も提供した。それが今、維新の党からの出馬だ。無原則的共闘としての失敗例として持ち出されている。
川田龍平も同様だ。無所属→みんなの党→結いの党→維新の党と渡り歩いて、今は維新の党国会議員団総務会長である。
万三さんは、荒井広幸の「新党改革」についても触れた。
「保守派でアべノミクス支持と言いながら『脱原発』をスローガンとしている。脱原発なら共闘できるというものではない」
それはそのとおり。その限りで異論はない。しかし、「初鹿・荒井と細川・小泉は、どう同じでどう違うのか」「今の沖縄での共闘と知事選とは、どう重なるのか、どこが違うのか」「『よりまし論』はどんな条件でどこまで妥当するのか」。時間の制約もあったが、聞きたいことは語られなかった。
それでも、万三さんの結論は、「崩れなかった宇都宮選対の持つ意義」を評価するというものだった。細川との共闘を拒否したことの積極評価なのだ。「今後の共同行動の第一歩として貴重」というのが根拠らしい唯一の根拠。しかし、私の感想では、万三さんが批判の対象とするつもりの討論集会での意見の方が遙かに説得力がある。万三さんは、「公式の立場」から「宇都宮選挙共闘に意義があった」という結論だけは広報したが、その根拠はほとんど何もしゃべることができなかった。
もちろん、私も無原則的な共闘には強く反対する。「原発反対なら悪魔とでも手を組む」という方針はあり得ない。今最大の共闘テーマは「憲法改正阻止」であろう。憲法改正に積極的な勢力とは共闘の条件がないと言わねばならない。
その意味では、新自由主義政党であり、積極的な改憲勢力でもある維新との共闘ははあり得ない。初鹿や川田ら維新の議員とも、である。
「緑茶会」(脱原発政治連盟)なる運動体がまだあるようだ。22人の脱原発候補を推薦している。そのうち3人が維新に所属している。初鹿のほか、柿沢未途と阪口直人。到底、こんな候補を推して改憲勢力の拡大に手を貸すことはできっこない。
「憲法改正に積極的な勢力とは共闘の条件がない」とは、それ以外なら条件があるということでもある。安倍自民の補完勢力でないところとなら、最大限に共闘を追求すべきではないのか。たとえば、東京1区。海江田万里民主党代表が苦戦していると報じられている。これを支援する共闘などは考えられないのだろうか。
いま、最大の政治課題は安倍暴走の阻止にある。安倍自民の議席を可能な限り減らすことが至上命題と認識しなければならない。しかも喫緊の課題だ。「次に備える」「将来への確かな一歩を進める」などの余裕があるのだろうか。
確かに悪いのは小選挙区制だ。これをなんとかしなければならない。しかし、急場には間に合わない。沖縄に学んで、条件を育て共同行動・共闘関係の形成を実現しなければならない。つよくそう思う。
(2014年12月11日)