民主主義とは、民意に基づいて権力が形づくられ、民意によって権力が運営されるという原則である。思想であるだけでなく、制度として定着しているはずのもの。常に、あらゆる局面で、民意が権力をコントロールすべきが当然であって、権力が民意を制御し誘導することを、主客転倒として想定していない。この原則に従って、民主主義を標榜する社会における教育は、権力からのコントロールを厳格に排しなければならない。
ところが、現実の権力は、常に民意をコントロールしようとする。権力に好都合の民意を誘導して形成しようとするだけでなく、そのような誘導を批判せず受容する国民精神までを涵養しようとする。そのような権力の願望は、教育の制度作りと運用に表れる。「道徳教育」はその最たるものである。
公教育において、特定の価値観・道徳観を国民に押し付けてはならない。この自明の原則が、政権には面白くない。何とかこれをやってのけたい。現体制・現政権勢力・時の為政者の支配の維持のためにである。
道徳とは、その内容において普遍的なものはあり得ない。これを、特定の価値観から一元化して、儒教的徳目を並べたうえに天皇への忠誠を最高道徳としたのが教育勅語であり、戦前の教育制度の根幹であった。その反省もあって、公権力が特定のイデオロギーをもってはならないことは、多くの国民の常識として定着している。
にもかかわらず、現行の「学習指導要領第1章総則」には、次のように書かれている。
「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、公共の精神を尊び、民主的な社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」
結局、道徳教育とは、「未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」というのだ。これ自体旺盛なイデオロギー性に満ちている。
「教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神」とは何であろうか。第一次安倍政権が「改正」した教育基本法第2条は、教育の目的を定めるが、その第5項は次のとおりである。
「五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」
自民党改憲草案流の読みようは「万世一系の天皇を戴く伝統と、『和をもって尊しとなし、お上に逆らうことなきを旨とせよ』という文化を尊重し、なによりも愛国心を教え込むことが教育の目的」ということになろう。
現行制度も大いに批判されなければならないが、現政権はこれでは飽き足らない。「可能な限り国民の抵抗感を少なくして、焦らず着実に、やりたいことをやってしまおう」。そのような姿勢での道徳の教科化が進行し、昨日大きな一歩を踏み出した。警戒を要する事態である。
小中学校での道徳の教科化を議論している中央教育審議会の道徳教育専門部会は昨日(9月19日)、「道徳に係る教育課程の改善等について」の答申案を決定した。報道では、「『特別の教科 道徳』(仮称)と位置付けて格上げし、検定教科書を導入することを盛り込んだ答申案を決めた。評価は他教科のような数値ではなく記述式にする。10月にも答申を受け、同省は今年度中に道徳に関する学習指導要領の改定案を示し、早ければ2018年度からの実施を目指す」「道徳の教科化を巡っては、第1次安倍内閣時代にも検討されたが、中教審で慎重意見が多く、見送られた。今回は政府の教育再生実行会議が昨年2月に教科化を提言。中教審の専門部会では目立った反対意見は出なかった」(毎日)とされている。
なお、「教科化が価値観の押しつけにつながることを懸念する声に対しては『特定の価値観を押しつけたり主体性を持たずに行動するよう指導したりすることは目指す方向と対極にある』と強く否定した」とも報道されている。これでは、問題のないような答申の印象だが、とうていそのようには考えがたい。
答申の内容は、まだ文科省のホームページに掲載されていないが、「8月25日道徳教育専門部会(第9回)配付資料」に、「審議のまとめ(案)」が掲載されている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/049/siryo/1351218.htm
このとおりの答申案決定となった模様だ。
この答申(案)には、道徳の教科化がこれまで批判を受け続けてきたことへの言及がない。指摘された批判を謙虚に受けとめようという姿勢が皆無なのだ。この基本姿勢において、答申自体が極めて「不道徳」である。
また答申の中に、次の記述があることが気になる。
「道徳教育の使命」の項においては、「道徳教育においては、人が互いに尊重し協働して社会を形作っていく上で共通に求められるルールやマナー、規範意識などを身に付ける‥ことが求められる」
「道徳の内容項目について」の項では、「社会参画など社会を構成する一員としての主体的な生き方に関わることや規範意識、法などのルールに関する思考力や判断力などについても充実が必要と考えられる」とも言う。
「協働して社会を形作っていく上で求められるルールやマナー、規範意識」の強調が不気味である。
法には二面ある。権力の強制実行手段としての側面と、主権者意思が権力の恣意的発動を制約する側面とである。権力的契機と民主的契機の両面と言ってよい。規範・ルールも同様である。この二面性を意識的に糊塗したまま、「法やルールに関する規範意識」の涵養をいうことは、デマゴギーというしかない。
道徳教育は、権力による国民に対するマインドコントロールとなりかねない。大いに警戒をしなければならないと思う。
(2014年9月20日)
世界が注目したスコットランドの独立は、今回実現しなかった。住民投票の結果は、反対が200万1926票(55・25%)、賛成は161万7989票(44・65%)と意外の大差だったという。
結果はともかく、主権国家の一部の独立の可否が、武力ではなく投票によって、つまりは住民の意思によって決せられることに「文明の成熟」を感じる。イギリス政府の懐の深さに脱帽せざるを得ない。また、16才以上の住民を有権者として、84・6%という高投票率がスコットランド住民の意識の高さと関心をものがたっている。
独立推進派は、独立後の非核化や、北欧型の高福祉社会の実現を掲げて支持を拡大した。「英国の核戦略は、スコットランド・グラスゴー近くの軍港に駐留する原子力潜水艦に依存している。イングランドには停泊可能な港がなく、また造れないので、そこにしか置けない」(琉球新報)のだそうだ。しかし、独立に伴う経済的なリスクの大きさを訴えた反対派に負けたとの解説が一般的だ。理念が現実に、勝ちを譲ったというところか。
独立派は負けはしたが、スコットランドの住民が、「英国にとどまっていたところで収奪されるばかりで何のメリットもない」と判断すれば、英国から離脱して独立できるのだ。「国家は所与のものではなく、人民の意思によって構成されるもの」であることを見せてもらった思いである。
とはいえ、通常はその意思の如何にかかわりなく、国民個人は国家から独立し得ない。一県一市も町内会も、一国から独立できない。恐るべき不自由ではないか。
井上ひさしの小説「吉里吉里人」を思い出す。東北地方の一寒村「吉里吉里村」(人口4200人)が突如独立宣言して、「吉里吉里国」を建国する。日本政府からの数々の悪政に愛想をつかしての壮挙である。「イエン」を独自の通貨とし、地元方言(東北弁)を公用国語とし、破天荒な国旗・国歌を定め、平和立国の宣言をする。これは、究極の地方自治、反権力の究極のロマンである。もちろん中央政府からの過酷な弾圧に遭うことになり、果敢に「独立戦争」を闘うもハッピーエンドとはならない。吉里吉里人には、独立のための住民投票の権利が与えられないのだ。
吉里吉里だけではない。ウイグルも、チベットも、チェチェンにも、ウクライナ東部にも、あるいはバスクにもカタルニアにも住民の意思による独立の権利は認められない。住民投票の機会が与えられれば、確実に独立するだろうに、である。まことに、国家とは厄介なものだ。民族的多数派は、決して少数派の独立を認めようとしない。イヤも応もなく、少数派は国家に縛り付けられ続けることになる。
わが国ではどうだろう。アイヌ民族の独立はともかく、琉球諸島の独立は考えられないだろうか。その現実性はないだろうか。日本にとどまっていることにメリット少なく、基地を押し付けられているデメリットだけだとすれば、琉球人の自律を求めて日本から独立し、明治政府の琉球処分(1874年)あるいは島津服属(1609年)以前の琉球に戻ろうという願いは無理からぬものではないか。スコットランドがイングランドに併合されてから307年だという。琉球の日本への併合の歴史とたいした差はない。
また、さらに思う。国家とは何か。大企業や大資本・財界の利益のための国家に、労働者や低所得者が、なにゆえかくも縛りつけられて離脱できないのだろうか。この国のどこででも、吉里吉里国のごとくに、独立運動が起こって不思議はないのだ。
あらゆる地域で、あらゆる分野で、安倍政権のくびきからの自由を求めて、無数の吉里吉里人の蜂起よ起これ。まず精神の次元で、この日本に囚われることなくそれぞれが自らの吉里吉里国を建国しようではないか。その伸びやかな自律の精神が現実の日本を変えていくことになるだろう。
(2014年9月19日)
本日は「九・一八」。1931年9月18日深夜、奉天近郊柳条湖で起きた鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。小学館「昭和の歴史」の第4巻『十五年戦争の開幕』が、日本軍の謀略による柳条湖事件から「満州国」の建国、そして日本の国際連盟脱退等の流れを要領よく記している。
その著者江口圭一は、ちょうど半世紀後の1981年9月18日に柳条湖の鉄道爆破地点を訪れた際の見聞を、次のように記してその著の結びとしている。
「鉄道のかたわらの生い茂った林の中に、日本が建てた満州事変の記念碑が引き倒されていた。倒された碑のコンクリートの表面に、かつて文化大革命のとき紅衛兵によって書かれたというスローガンの文字があった。ペンキはすでに薄れていた。しかし、初秋の朝の日射しのもとで、私はその文字を読み取ることができた。それは次の文字だった。
不忘“九・一八” 牢記血涙仇」
印象の深い締めくくりである。ペンキの文字は、「九・一八を忘るな。血涙の仇を牢記せよ」と読み下して良いだろう。牢記とは、しっかりと記憶せよということ。血涙とは、この上なく激しい悲しみや悔しさのために出る涙。仇とは、仇敵という意味だけではなく、相手の仕打ちに対する憎しみや怨みの感情をも意味する。
「9月18日、この日を忘れるな。血の混じるほどの涙を流したあの怨みを脳裡に刻みつけよ」とでも訳せようか。足を踏まれた側の国民の本音であろう。足を踏んだ側は、踏まれた者の思いを厳粛に受けとめるしかない。
柳条湖事件を仕組み、本国中央の紛争不拡大方針に抗して、満州国建設まで事態を進めたのが関東軍であった。関東軍とは、侵略国日本の満州現地守備軍のこと。「関」とは万里の長城の東端とされた「山海関」を指し、「関東」とは「山海関以東の地」、当時の「満州」全域を意味した。
私の父親も、その関東軍の兵士(最後の階級は曹長)であった。愛琿に近い、ソ満国境の兵営で中秋の名月を2度見たそうだ。「地平線上にでたのは、盆のような月ではなく、盥のような月だった」と言っていた。「幸いにして一度も戦闘の機会ないまま内地に帰還できた」が、それでも侵略軍の兵の一員だった。
世代を超えて、私にも「血涙仇」の責の一部があるのだろうと思う。少なくとも、戦後に清算すべきであった戦争責任を今日に至るまで曖昧なままにしていることにおいて。
何年か前、私も事件の現場を訪れた。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。この秘密を知った者が、「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。軍機保護法や国防保安法、そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。今、すでに成立した「特定秘密保護法」が、そのような国家秘密保護の役割を担おうとしている。
法制だけではなく、満州侵略を熱狂的に支持し、軟弱外交を非難する世論が大きな役割を果たした。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていた。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
今の世はどうだろうか。自民党の極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法が制定され、集団的自衛権行使容認の閣議決定が成立し、慰安婦問題での過剰な朝日バッシングが時代の空気をよく表している。偏頗なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。
今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にしよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。
(2014年9月18日)
「被告本人」の澤藤です。
弁護団の皆様、ご支援の皆様。本日も多数の方にご参集いただき、まことにありがとうございます。遠方からわざわざお越しいただいた方には、とりわけ感謝申しあげます。
先日、スラップ訴訟被害者の方からお話しを聞く機会がありました。
解雇争議中の4人の労働組合員に対して、会社が5000万円の損害賠償請求訴訟を起こしたのです。理由は、組合が運営するサイトに会社に対する名誉毀損の記事を掲載したというもの。まさしく、典型的なスラップ訴訟です。この訴訟は、結果としては会社の全面敗訴になるのですが、訴訟提起自体がもつインパクトの凄まじさのお話しが印象に残りました。
ある日突然、裁判所から各組合員の自宅に、ものものしい特別送達での訴状が届きます。封筒を開けてみて、5000万円支払えという裁判が自分に対して起こされていることを知ることになります。普通の金銭感覚では、びっくり仰天。「足が震え、電話の声が上ずった」と聞きました。当然のことと思います。
普段、訴状や答弁書、準備書面を見なれている弁護士の私でさえ、自分自身に2000万円請求の訴状を受領したときには驚愕しました。そして、こんな馬鹿げたことに時間と労力を注ぎこまなければならないことに、不愉快極まる思いを押さえることができませんでした。
しかし、同時に怒りと闘志も湧いてきました。こんなことに負けてはいられない。私は、このような不正と闘わねばならない立場にあるのだと自分に言いきかせました。はからずも、自分が「表現の自由」というかけがえのない憲法理念を擁護する戦列の最前線に立たされたのだ。一歩も退いてはならない。そう、思い定めたのです。
批判を嫌って、フラップ訴訟を濫発するぞと威嚇する相手には、敬して遠ざけるのが賢明な処し方でしょう。たまたま見かけたあるブログは、「DHC法務部から、記事の削除を求める申入を受けた。不本意だが、実際に裁判をやられかねないので、いったんは削除することにする。その上で、澤藤という弁護士がDHCと争っているとのことなので、そちらの裁判の帰趨を見守りたい。澤藤が勝訴すれば、そのときは再掲載することにしたい」と言っています。
これが、常識的な対応と言って良いでしょう。「表現の自由に対するDHCからの介入は不愉快だが、現実に裁判をやられたのではたまらん。そんな事態は避けるのが賢明」。こういう対応を卑怯だとか、だらしないなどと非難することなどとうていできません。しかし、みんなが、賢く常識的な対応をしていたのでは、萎縮効果を狙ったスラップ訴訟濫発者の思う壺になってしまいます。誰かが、最前線で、歯止めの役割を果たさなければなりません。
私は、弁護士とは、そのような役割の担い手となるにふさわしい存在と思ってきました。弁護士とは、社会正義と人権の守り手としての任務を持った職能です。自らの言論の自由を侵害されたときに、自らの自由のみならず、国民一般の自由の擁護のために最前線で闘わねばならない。そう、思うのです。おそらくは、多くのジャーナリストも同じ思いなのでしょう。
親しい方からは、賢く常識的に振る舞うようアドバイスもいただいています。しかし、ここは、愚かでも非常識でも、意地を張って一念を通さねばなりません。自分の利益のためだけでなく、権利一般を擁護するために、全力を尽くさねばならない。
幸いなことに、そのような思いに共感して一肌脱いでやろうというたくさんの弁護士からご支援をいただいています。まことにありがたく、心強い限りです。ここ一番、がんばらねばなりません。
先ほど「那須南九条の会」の高野さんから、「DHCスラップ訴訟を共に闘う決議をした」とのご報告をいただきました。渡辺喜美代議士の地元から「支援するのではない。共に闘うのだ」という力強い運動の芽生えに励まされます。やはり、闘うことを宣言して、多くの人に支援を呼び掛けたことの正しさに確信を持ちました。
この問題をどうとらえるか。弁護団での議論が少しずつ、煮詰まってきていると思います。この訴訟は、政治的言論に対する封殺訴訟です。言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的な強者です。妨害された言論の媒体はブログ。これは、インターネット時代に、国民のだれもが表現の自由の権利主体になれるツールにほかなりません。そして、妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評。さらに具体的には、経済界が3兆円市場として虎視眈々と狙っているサプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判の言論なのです。言論封殺の態様は、名誉毀損名下に行われる高額損害賠償請求訴訟です。まさしく濫訴、まさしく訴権の濫用と言わねばなりません。強者の不当極まる訴権の濫用に対して、これをどう制裁し予防すべきか。憲法21条論の、今日的な具体的テーマです。
この訴訟への応訴は憲法21条という憲法理念を守る闘いであり、政治とカネをめぐる問題でもあり、国民の健康を左右する消費者問題でもあります。まさしく、私一人の問題ではなく、国民みんなの権利に関わること。当事者となると、口をついて出るのはどうしても「お願いします」という言葉になるのですが、ここでは敢えて、「みなさん、ぜひ一緒に闘ってください」と申しあげます。
(2014年9月17日)
明日(9月17日)が、「DHCスラップ訴訟」の事実上第2回口頭弁論期日。
午前10時半に、東京地裁705号法廷。多くの方の傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階での争点や今後の展望について、弁護団からの報告や解説がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。ご参加のうえ、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。
下記は、当日の集会で配布予定のレジメの一部である。経過報告をまとめたもの。
『DHCスラップ訴訟』ご報告
《経過》(問題とされたのは下記ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/ 澤藤統一郎の憲法日記
https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連
4月16日 原告ら提訴(係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長)
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
答弁書は、本案前の答弁として訴権の濫用を根拠として却下を求め、
本案では請求の趣旨に対する答弁と、請求原因に対する認否のみ。
6月12日 弁護団予備会議(参加者17名・大型弁護団結成の方針を確認)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
この席で原告訴訟代理人から請求拡張予定の発言
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・シリーズ第1弾」
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」(7月13日)
第2弾「万国のブロガー団結せよ」(7月14日)
第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」(7月15日)
第4弾「弁護士が被告になって」(7月16日)
以下、現在第24弾まで
7月16日 原告準備書面1 第1弾?第3弾に対して「損害拡大」の警告
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月13日 被告準備書面(1) ・委任状・意見陳述要旨提出。
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
11時? 東弁508号室で報告集会(北健一氏・田島先生ご報告)
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログが名誉毀損だとされる。
7月13日 いけません 口封じ目的の濫訴
?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
8月8日 「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ・第15弾
9月16日 被告準備書面(2) 提出
9月17日(本日) 10時30分 705号法廷 第3回(実質第2回)弁論期日。
11時? 東弁507号室で報告集会(スラップ被害者の報告)
《弁護団体制》現在110名 弁護団長(光前幸一弁護士)
《この問題をどうとらえるか》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*妨害された言論の媒体はブログ。
(国民を表現の自由の権利主体とするツール)
*妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評
サプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判
*言論妨害の態様は、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)
*強者が訴権を濫用することの問題⇒これをどう制裁し防御するか
《今後の課題》
※争点 「訴権の濫用」「公正な論評」「政治とカネ」「規制緩和」
8億円「貸付」の動機論争。「見返りを期待」か「国民のための浄財」か。
※今後さらに請求の拡張? もしかしたら何度でも、くり返し?
※反訴の可否・タイミング
※他の『DHCスラップ訴訟』被告との連携
本件を含め東京地裁に10件の同種事件が係属(別紙)
※これまでのスラップ訴訟経験者・弁護団からの経験を学ぶ
※原告代理人弁護士(山田昭・今村憲・木村祐太)への責任追及の可否
※マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
《訴訟上の争点の枠組》
*「事実を摘示」しての名誉毀損か、「論評」か。その切り分けが重要となる。
また、記述を全体として考察するか、個別に分断して判断するか。
*「事実摘示による名誉毀損の免責法理」の各要件該当性
?ことがらの公共性
?目的における公益性
?真実性(または相当性)
*「公正な論評の法理」要件該当性
?公共性 ?公益性
?真実性(論評の前提とされる事実の真実性、または相当性)
?人身攻撃に及ぶなど論評の域を逸脱していないこと
《応訴の運動を、「劇場」と「教室」に》
まずは、楽しい劇場に。
誰もがその観客であり、また誰もがアクターとなる 刺激的な劇場。
そして有益な教室に。
この現実を素材に 誰もが教師であり、誰もが生徒である教室。
ともに新しいことを学ぶ場としての教室に。
(2014年9月16日)
6月8日の当ブログで、「経団連の政治献金あっせん再開は国民本位の政策決定をゆがめる」ことを書いた。https://article9.jp/wordpress/?p=2784
ここでは、いくつかの川柳を引用した。
役人の子はにぎにぎをよく覚え
役人の骨っぽいのは猪牙にのせ
言う事が変わった カネが動いたな
金(にぎにぎ)と接待(猪牙)、これが、富者の官僚・政治家懐柔の常套手段であった。現代の「政治献金」は「にぎにぎ・猪牙」と本質において変わるところはない。今も昔も、「にぎにぎし、猪牙に乗せられた」政治家・官僚は、「にこにこ」し「ぺこぺこ」する。しばらくして、庶民は「言う事が変わった カネが動いたな」と嘆ずることになる。
上記ブログで引用した各社の社説は、経団連の政治献金あっせん再開が「『政策をカネで買うのか』という国民からの批判を招く」ことではほぼ一致を見ている。
「だから、辞めろ」というのが、朝日・毎日・東京の立場。
「だから、批判をかわしてうまくやれ」というのが日経・産経・読売の姿勢。
あれから2か月余。改めて、政治家への金の拠出とは何かを考えて見たい。きっかけは、DHC吉田が自身を指して「日本国をより良くしようとして浄財を投じる人物がこの世にいる」と言っていることだ。吉田が渡辺に交付した8億円は、私利私欲を離れて、官僚制度の打破・規制緩和という、「日本を良くするための浄財」だったというのだ。経団連の言い分とよく似ている。これがはたして世間に通用するものであろうか。
経団連はこう言っている。
「経団連はかねてより、民主政治を適切に維持していくためには相応のコストが不可欠であり、企業の政治寄附は、企業の社会貢献の一環として重要性を有するとの見解を示してきた。」
さすがに、DHCよりは、多少なりとももっともらしい。しかし、これは、明らかにデマでしかない。
「民主政治のコストを企業が負担」してはならない。企業が自らの利益のために政治資金を拠出することは実質において賄賂として許されない。だからといって企業利益と無関係に資金の支出をすれば、株主の利益に反する背任となる。どちらにしても、許されない。
問題は、もっと根源にある。政治とは何か。その本質は利害相反する各グループ間の対立の調整にある。利益配分の調整と言ってもよい。
この世の中は、非和解的な対立で満ち満ちている。企業と労働者、持てる者と持たざる者、大企業と中小企業、事業者と消費者、賃貸人と賃借人、都市と農村、中央と地方、世代間、地域間、男女間、産業間の利益主張が矛盾し衝突している。その衝突はどこかで妥協し折り合いをつけなければならない。それぞれの主張と主張の間の妥協の調整が政治である。
政党・政派とは、特定のグループの立場に立つことを標榜し、誰かの利益のために働く組織のことだ。政治献金とは、そのどこかのグループの活動を、金銭をもってサポートすることにほかならない。
すべての人の幸せのための政治などということは空論である。現実には、それぞれのグループの利益のための綱引きが政治であり、政治献金も「日本国全体」や「国民全員」のためのものではあり得ない。相争うグループのどちらかへの肩入れ以外のなにものでもない。
経団連は、財界を代表して、企業活動の際限のない自由を求める立場に立つ。安倍政権の新自由主義政策を後退させてはならないと露骨に表明している。安倍政権とチームを組んで、労働者や消費者、農村や漁民、あるいは福祉を切り捨て、企業利益をはかろうというのだ。具体的には、原発を再稼動し、武器を輸出し、法人税を減税し、TPPを推進し、労働規制の徹底した緩和をねらう。経団連のいう「政治と経済の二人三脚」とは、大企業が安倍政権のスポンサーたらんとすることだ。となれば、自ずと政権はスポンサーの顔色を窺い、そのご意向を踏まえた政策を採用することにならざるを得ない。こうして、「言う事が変わった カネが動いたな」という、分かり易い事態となる。
民主主義とは、言論の応酬によって民意を形成すべきことを自明の前提とし、最大多数の最大幸福実現を目指す手続である。この民主政治の過程を歪める最大のものは、カネの力である。企業献金も少数金持ちの多額の政治資金拠出も、明らかに民主主義政治過程を歪めるものとして「悪」である。
DHC吉田の言う「官僚的規制撤廃、規制緩和を求めての政治資金拠出」とは、弱者保護のための規制を切り捨て、企業利益擁護に奉仕する役割を担うものでしかない。とりわけ、DHCが関心をもつ厚生・労働行政における規制とは、典型的な社会的規制である。消費者の健康を守るための製品の安全性の確保のための規制であり、労働者の人間らしい生活を守るための必要不可欠な労働基準規制である。その規制撤廃ないしは緩和のための政治資金拠出は、消費者や労働者にとっての「恐るべきカネ」「憎むべきカネ」にほかならない。これを「浄財」などとは噴飯ものである。
「DHCスラップ訴訟」とは、「政治的言論の自由」に対する威嚇と萎縮効果を目的の提訴であり、これに対する応訴は「言論の自由」擁護の闘いである。さらに具体的には、「政治をカネで買おうとする者への批判の自由」をめぐっての攻防がなされている。
この訴訟を通じて、「政治とカネ」の問題の本質を掘り下げ、裁判所に理解を得たいと考えている。同時に、DHC・吉田のような、カネの力で政治に介入しようとする思想や行動を徹底して糾弾しなければならない。
「DHCスラップ訴訟」第2回口頭弁論期日は、明後日(9月17日(水))の午前10時半。東京地裁705号法廷。可能な方には、是非傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階ややせめぎ合いの内容について、弁護団からの報告がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。是非多くの方のご参加をお願いしたい。そして、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。
(2014年9月15日)
「DHCスラップ訴訟」第2回口頭弁論期日が近づいてきた。
9月17日(水)の午前10時半。東京地裁705号法廷。
表現の自由に関わる今日的なテーマの重要訴訟。可能な方には、是非傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階ややせめぎ合いの内容について、弁護団からの報告がなされるだけでなく、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。前回(8月20日)の法廷も、事後の報告集会も、たいへん有意義で充実したものだった。今回も、是非多くの方のご参加をお願いしたい。そして、言論の自由という憲法原則を擁護し実現する運動にご参加いただきたい。
本件についてはその内容の重要性にかかわらず、マスメディアが関心を示すことなく報道はおよそ皆無と言って過言でない状態。その理由を解しがたいが、それもまた良し。ブログというツールをもってどれだけのことができるか、挑戦を続けたい。
ところで、私は自分の事件を「DHCスラップ訴訟」と勝手に名付けて、「DHCが起こしたスラップ訴訟」といえば私に対するものと僭称しているが、実は同様の事件は数多くある。
思い出されるのは、一昔前、貸金業界トップの地位にあった武富士が、自社への批判の言論を嫌って、メディアやフリージャーナリスト、あるいは消費者問題に携わる弁護士を被告にスラップ訴訟を連発したこと。一部は自ら取り下げ、あとはことごとく敗訴した。
武富士のスラップ濫発は、主観的には貸金業界への世論の指弾を不当として、巻き返しを意図したものであったろう。そして、自社への批判には損害賠償請求提訴をもって対抗すると宣告することによって、批判を予防的に牽制したのであろう。しかし、スラップの提起自体を、その異常な批判拒否体質の表れとして批判されるに至った。さらに、自ら提起した訴訟が連続して敗訴したことによるダメージは、貸金業界と武富士への世論の指弾をいっそう強める惨めな結果をもたらした。民事訴訟係属中に、武富士の代表者が刑事事件で立件されるというハプニングまであった。
「昔、武富士。今、DHC」である。DHCが、武富士と同じ轍を踏もうとしていると指摘せざるを得ない。みんなの党渡辺喜美代表(当時)への8億円政治資金拠出事件発覚後に限っても、DHCが提起したスラップ訴訟は、これまで判明している限りで下記の10件がある。いずれも、名誉毀損や人格権侵害として、本来問題となるような言論ではない。こんな程度の言論が違法とされたのでは、我が国の言論の自由は窒息死してしまう。
(1)提訴日 2014年4月14日 被告 ジャーナリスト
請求金額 6000万円
訴えられた記事の媒体はウェブサイト
(2) 提訴日 2014年4月16日 被告 経済評論家
請求金額 2000万円
訴えられた記事の媒体はインターネット上のツィッター
(3) 提訴日 2014年4月16日 被告 弁護士(私)
請求金額 当初2000万円 後に6000万円に増額
訴えられた記事の媒体はブログ。
(4) 提訴日 2014年4月16日 被告 業界紙新聞社
請求金額 当初2000万円 後に1億円に増額
訴えられた記事の媒体はウェブサイトと業界紙
(5) 提訴日 2014年4月16日 被告 個人
請求金額 2000万円
訴えられた記事の媒体はブログ
(6) 提訴日 2014年4月25日 被告 出版社
請求金額 2億円
訴えられた記事の媒体は雑誌
(7) 提訴日 2014年5月8日 被告 出版社
請求金額 6000万円
訴えられた記事の媒体は雑誌
(8) 提訴日 2014年6月16日 被告 出版社
請求金額 2億円
訴えられた記事の媒体は雑誌
(9) 提訴日 2014年6月16日 被告 ジャーナリスト
請求金額 2000万円
訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)
(10)提訴日 2014年6月16日 被告 ジャーナリスト
請求金額 4000万円
訴えられた記事の媒体は雑誌(寄稿記事)
訴えられた側の問題とされている各記事の内容は大同小異。「見返りへの期待なしに大金を出すことは常識では考えられない」「8億円の政治資金拠出ないし貸付は、厚生労働行政の規制緩和を期待してのことだろう」との指摘を中心としたもの。中には、「渡辺氏の亡父(渡辺美智雄氏)が厚生大臣であった」「DHCはこれまで規制官庁から数々の行政指導を受けてきた」ことに関連しているという具体的な言及もあるが、誰もが考える常識的な推論を述べているに過ぎない。政治的な言論の範疇にない論及も散見されるが、目くじら立てるほどのものではない。
たった一つ、原告が各訴状の請求原因において、名誉毀損記事と主張した中に、もしかしたらこれは問題となるかも知れないという具体的な事実の指摘がある。
「実は、国税当局は吉田氏の派手なカネの使いぶりにかねた(ママ)から目を付けていた。今回、吉田氏が渡辺氏との1件を暴露したのも、国税当局から警告的なサジェッションを受け、『徳田虎雄氏のようになりたくない』と判断したからとも言われている(DHC関係者)」との記事。
これは、上記(7)事件の訴状請求原因の一節。全10件の訴訟の中で、この部分が唯一の具体性をもった事実摘示と言って差し支えない。ところが、この事件は、8月18日にあっさりと訴えの全部が取り下げられている。この記事の掲載が、公共の利害に関する事実に係るもので、かつ、その主たる目的が公益をはかることにあったことには疑問の余地がない。問題は、その記事の内容の真実性や、真実と信じるについての相当性の有無であるところ、このことについての攻撃防御は未決着のまま、DHC側からの幕引きとなった。
この訴訟が提訴後僅か2か月で取り下げに至った理由は分からない。取り下げ書には、「被告代表者が、知人を通じて原告らに謝罪をしたので、頭書事件を取り下げる」とだけの漠然たる記載があるだけ。その3日後の日付で被告側から、取り下げ同意書が提出されている。これでは、なにゆえの提訴で、なにゆえの取り下げなのか、さっぱり分からない。
確かなことは、原被告双方が相互に譲歩して和解による解決に至ったのではないこと。飽くまで、一方的な原告側からの訴えの取り下げによる訴訟の終了なのだ。被告からの謝罪の意思は、記録上まったく表れていない。前記のとおり、唐突な取り下げ書に原告が一方的に書き込んだ漠然たる記載があるだけ。なによりも、原告は「名誉の回復には、謝罪広告が不可欠である」との主張をしておきながら、謝罪広告なしの事件終了である。6000万円もの損害賠償請求の本気度を疑わざるを得ない。
問題は、「政治とカネ」にまつわる批判の言論を誰もが堂々と自由に述べることができるのか、それとも萎縮を余儀なくされるのか、という重大事である。あらゆる情報を持ち寄り、意見を交換して、不当な言論萎縮効果を狙ってのスラップ訴訟を許さぬ世論を作り育てあげなければならない。「DHCスラップ訴訟」の被告とその弁護団は、まさしくその核になろうとしている。是非、法廷と集会に足を運んでいただき、議論にもご参加いただきたい。
(2014年9月14日)
「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。
死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。
満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。
吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?
答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」
これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。
この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」
管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」
戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」
最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」
原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。
こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。
戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)
朝日新聞が、原発政府事故調が作成した、「吉田調書」に関する本年5月20日付報道記事を取り消し謝罪した。スクープが一転して、不祥事になった。この間の空気が不穏だ。朝日バッシングが、リベラル派バッシングにならないか。報道の自由への萎縮効果をもたらさないか。原発再稼動の策動に利用されないか。不気味な印象を払拭し得ない。
朝日の報道は、事故調の調査資料の公開をもたらしたものとして功績は大きい。そのことをまず確認しておきたい。その上で不十分さの指摘はいくつも可能だ。「引用の一部欠落」も、「所員側への取材ができていない」「訂正や補充記事が遅滞した」こともそのとおりではあろう。もっと慎重で、信頼性の高い報道姿勢であって欲しいとは思う。ほかならぬ朝日だからこそ要求の水準は高い。大きく不満は残る。
この朝日の報道を東京新聞すらも誤報という。しかし、朝日は本当に「誤報」をしたのだろうか。問題は、5月20日一面の「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しでの記事。本日(9月12日)朝刊一面の「木村社長謝罪の弁」では、「その内容は『東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』というものでした。…『命令違反で撤退』という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。『命令違反で撤退』の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」となっている。
この部分、吉田調書では、「撤退」を強く否定し、「操作する人間は残すけれども…関係ない人間は待避させます」と言ったとされている。どのように待避が行われたかについては、「私は、福島第1の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回待避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第2原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。」
これは、明らかに所長の指示がよくない。650名もの所員に、「何のために、どこで、いつまで、どのように、待避せよ」という具体性を欠いた曖昧な指示をしていることが信じがたい。「福島第一の近辺で待機しろ」と言ったつもりの命令に、「2F(福島第2原発)に行ってしまいました」という結果となったことを捉えて、朝日が「命令違反」と言っても少しもおかしくはない。この場合の命令違反に、故意も過失も問題とはならない。「撤退」と「待避」は厳密には違う意味ではあろうが、この場合さほどの重要なニュアンスの差があるとも思えない。しかも、枝野官房長官は、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と明言しているのだ。
朝日に対して、もっと正確を期して慎重な報道姿勢を、と叱咤することはよい。しかし、誤報と決め付け、悪乗りのバッシングはみっともない。そのみっともなさが、ジャーナリズムに対する国民の信頼を損ないかねない。
各紙が報じている限りでだが吉田調書を一読しての印象は三つ。一つは、原発の苛酷事故が生じて以降は、ほとんどなすべきところがないという冷厳な事実。なすすべもないまま、事態は極限まで悪化し、「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」とまで至る。原発というものの制御の困難さ、恐ろしさがよく伝わってくる。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれど、では、おまえがやって見ろと私は言いたいんですけれども、ほんとうに、その話は私は興奮しますよ」という事態なのだ。3号機の水素爆発に際しては、「死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」という。
二つ目。官邸・東電・現場の連携の悪さは、目を覆わんばかり。原発事故というこのうえない重大事態に、われわれの文明はこの程度の対応しかできないのか。この程度の準備しかなく、この程度の意思疎通しかできないのか、という嘆き。これで、原発のごとき危険物を扱うことは所詮無理な話しだ。
もう一つ。吉田所長の発言の乱暴さには驚かされる。技術者のイメージとしての冷静沈着とはほど遠い。この人の原発所長としての適格性は理解しがたい。たとえばこうだ。
「(福島第1に異動になって)やだな、と。プルサーマルをやると言っているわけですよ。はっきり言って面倒くさいなと。…不毛な議論で技術屋が押し潰されているのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押し潰されている。」
一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではごさいませんでした」
「吉田神話」のようなものを拵えあげて、東電の免責や原発再稼動促進に利用させてはならない。
朝日の誤報という材料にすり替えあるいは矮小化するのではなく、吉田調書は、原発事故の恐怖と、原発事故への対応能力の欠如の教訓としてしっかりと読むべきものなのだと思う。
(2014年9月12日)
一昨日(9月9日)、昭和天皇実録とジャーナリズムの関係について当ブログで取りあげた。中央各紙の社説を紹介したが、その後気になって、いくつかの地方紙の社説にも目を通した。さすがに、中央各紙よりは地方紙の社説の水準が高く、姿勢もよい。
中でも琉球新報9月10日付社説が出色である。これに比べてのことだが、沖縄タイムスの10日付社説「[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ」はやや歯切れが悪く影が薄い。
琉球新報社説のタイトルは、「昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ」というもの。二つの責任とは、「戦争責任」と「戦後責任」のこと。沖縄県民の立場からの視点を明確にして、天皇の戦時中の戦争遂行についての責任と、戦後の戦争処理についての責任を、ともに明確にせよという迫力十分な内容。
同社説は、「昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている」という。内2回が「戦争責任」、1回が「戦後責任」に当たる。
「最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が『国体護持』の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の『捨て石』にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。」
戦況を把握している者にとって、1945年2月には日本の敗戦は必至であった。国民の犠牲を少なくするには早期に戦争を終結すべきが明らかであった。しかし、天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』と言い続けたのだ。この天皇の姿勢は、同年8月12日午後の皇族会議での発言(「国体護持ができなければ戦争を継続するのか」と聞かれ、天皇は「勿論だ」と答えている)まで一貫して確認されている。
この間に、東京大空襲があり、沖縄戦地上戦があり、各地の空襲が続き、広島・長崎の惨劇があり、そしてソ連参戦による悲劇が続いた。外地でも、多くの兵と非戦闘員が亡くなり、生き残ったものも塗炭の辛酸を味わった。天皇一人の責任ではないにせよ、天皇の責任は限りなく大きい。
「二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された『和平交渉の要綱』は、日本の領土について『沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする』として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から『捨てる』選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。」
国民を赤子として慈しむ、天皇のイメージ作りの演出が行われたが、実は、国体護持のためには「臣民」を「捨てる」ことにためらいはなかったのだ。沖縄県には、天皇の責任を徹底して追求する資格がある。
そして、最後が沖縄の現状に今も影響をもたらしている戦後責任。「天皇メッセージ」としてよく知られた事件だ。
「三つ目が沖縄の軍事占領を希望した『天皇メッセージ』だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り『25年から50年、あるいはそれ以上』沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。『天皇メッセージ』から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して『軍事植民地』状態が続く。『象徴天皇』でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。」
社説は次のように結ばれている。
「私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して『贖罪意識』を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には『戦争責任』と『戦後責任』がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。」
この社説が求めていることは、歴史の要所において、沖縄県民の命を奪い、あるいは不幸をもたらした国家の政策に、昭和天皇(裕仁)個人がどのように関わっていたかを明確にすることだ。未曾有の大戦争に天皇はどう関わり、戦後はどう振る舞ったのか。無数の人々の不幸に、どのような責任をもつべきなのかを明確にせよ、との要求なのだ。
私は、感動をもってこの社説を読んだ。ジャーナリズムは、この国の中央では瀕死の状態にあるものの、沖縄で健全な姿を示している。
(2014年9月11日)