今回の総選挙、注目度トップの選挙区は、沖縄1区。
「14日投開票の衆院選を前に、琉球新報社はこれまでの取材に、共同通信が7、8日に行った世論調査結果を加味し、終盤情勢を探った。沖縄1区は共産前職の赤嶺政賢氏と自民前職の国場幸之助氏が横一線で、維新元職の下地幹郎氏が追う展開」(琉球新報)。どの選挙情勢調査も同じことを言っている。
沖縄では、名護市辺野古への米軍新基地建設反対の一致点で保革を超えて共闘しているのが「建白書勢力」。革新プラス保守の一部からなる同勢力が、知事選・那覇市長選で勝ち、その流れを引き継いで、1?4区のすべてに保革を超えた共同候補を立てた。そのうち、2・3区は建白書勢力優勢だが、1区と4区は接戦で大激戦だという。その大激戦の1区の候補者が共産党の赤嶺政賢なのだ。
昨日(12月10日)、県庁前で開かれた赤嶺政賢候補の演説会に、知事として初登庁したばかりの翁長雄志が駆けつけて応援演説をした。翁長だけでなく、城間幹子新那覇市長、金城徹・那覇市議会議員(新風会)、糸数慶子・参議院議員(沖縄社会大衆党)も弁士として登壇。そして、志位和夫共産党委員長も。オール沖縄の姿を象徴する光景。いやが上にもボルテージが高まっている。
その沖縄1区、前回2012年総選挙も同じメンバーで争われて、自民・国場が当選している。その票数は次のとおり。
国場幸之助(自民党) 65,233票 当
下地幹也郎(国民新党) 46,865票
赤嶺政賢(共産党) 27,856票
共産党赤嶺は、当選者の半数の票も取れなかった。
ちなみに2009年総選挙では国民新党の下地が当選している。
下地幹郎(国民新党) 77,152票 当
国場幸之助(自民党) 63,017票
外間久子(共産党) 23,715票
共産党候補の獲得票数は当選者の3分の1に満たない。
今回選挙も、共産党単独では勝てないことが自明。共産党以外の革新勢力や、保守の一部からの支持を得ずして赤嶺の当選圏入りはあり得ない。これが1区の厳しい現実。
2?4区では、共産党は候補者を立てない。他の「建白書勢力」候補者の支援に回る。こうして、建白書勢力が、「辺野古への米軍新基地建設反対の一致点」で共闘して4議席全部を勝ち取ろうというのだ。
このような共闘は首長選ではいつも話題に上る。先日、革新の都知事選候補として出馬の経験がある吉田万三さんのスピーチを聞く機会があった。吉田さんは、2014年東京都知事選挙の選挙共闘のあり方をめぐってのある討論集会での論争を紹介し、それに反論する形で自説を述べると前置きした。当然聞き耳を立てることになる。
万三さんの話の前提を押さえておきたい。2014年都知事選に細川護煕出馬の報があったとき、宇都宮支援勢力の有力な一部から、「宇都宮は立候補を辞退して、細川支援にまわるべきだ」という強力な意見が出た。「自公勢力に牛耳られた都政を奪還する現実的な道はそれしかない」「共闘のスローガンは『脱原発』。今、このスローガンが最重要」「しかも細川の政策は比較的リベラルなもので、宇都宮の政策と積極的に矛盾するところはない」などの意見が述べられた。
しかし、宇都宮自身が、候補者辞退を求める勢力に対して「ふてえ奴だ」と反発して大同団結はならず、両候補の票を合計しても桝添票に届かない結果に終わった。客観的には宇都宮・細川両陣営ともに「惨敗」である。一議席を争う首長選挙の共闘問題は、小選挙区制の共闘問題と軌を一にし総選挙の度に論争のテーマとなっている。
私が理解した限りでだが、吉田さんが紹介したある討論集会での主要な意見は以下のとおりだったという。
?今、安倍政権の暴走を止めるには幅広く保守を取り込む共闘が必要。
?原発への対応は、その他とは次元を異にする保革の枠をこえた重大問題。革新だけでなく保守をも取り込んだ共闘の課題たりうる。
?新たな保守とのつながりをつくる上で、細川・小泉はキーマンである。小泉は『これまで間違っていた』という反省の弁まで述べている。
?現実の問題として、革新だけでは勝てない。本気で勝とうとするなら、左派系は自己中心主義を捨てよ。
?左派は党派的メガネで見られぬよう運動を支える黒子に徹することで、「勝つための選挙」に専念すべきではないか。
?結局、14年都知事選では、保守との共闘のモデルケースを作る絶好のチャンスを逃してしまったのではないだろうか。
これを批判して吉田さんが何を言うかと謹聴した。概ね次のような趣旨。
「良質な保守派との共闘はあってしかるべきだが、無原則に保守派との共闘を求めるべきではない。共闘は、具体的な情勢に照らして検討してみるしかない」
共闘の原則や条件に耳を傾けようとした聞き手には拍子抜けの一般論。共闘の理念や原則、具体的な基準や共闘のテーマ、共闘にあるべき手続きなどへの言及は慎重に避けられた。
共闘の理念や原則の代わりに語られた内容は、失敗した「無原則な共闘」の実例である。まず、民主党の衆議院議員だった初鹿明博の例。
「この人、元は民主党のなかでもリベラル派として知られた人。それが、民主党→みどりの風→日本未来の党→みどりの風とわたって、今は維新の党じゃないですか」と言う。
2012年の宇都宮選挙を思い出す。宇都宮選対は、初鹿を異様に持ち上げた。あれはなんだったのだろう。初鹿に宇都宮と一緒の場を何度も提供した。それが今、維新の党からの出馬だ。無原則的共闘としての失敗例として持ち出されている。
川田龍平も同様だ。無所属→みんなの党→結いの党→維新の党と渡り歩いて、今は維新の党国会議員団総務会長である。
万三さんは、荒井広幸の「新党改革」についても触れた。
「保守派でアべノミクス支持と言いながら『脱原発』をスローガンとしている。脱原発なら共闘できるというものではない」
それはそのとおり。その限りで異論はない。しかし、「初鹿・荒井と細川・小泉は、どう同じでどう違うのか」「今の沖縄での共闘と知事選とは、どう重なるのか、どこが違うのか」「『よりまし論』はどんな条件でどこまで妥当するのか」。時間の制約もあったが、聞きたいことは語られなかった。
それでも、万三さんの結論は、「崩れなかった宇都宮選対の持つ意義」を評価するというものだった。細川との共闘を拒否したことの積極評価なのだ。「今後の共同行動の第一歩として貴重」というのが根拠らしい唯一の根拠。しかし、私の感想では、万三さんが批判の対象とするつもりの討論集会での意見の方が遙かに説得力がある。万三さんは、「公式の立場」から「宇都宮選挙共闘に意義があった」という結論だけは広報したが、その根拠はほとんど何もしゃべることができなかった。
もちろん、私も無原則的な共闘には強く反対する。「原発反対なら悪魔とでも手を組む」という方針はあり得ない。今最大の共闘テーマは「憲法改正阻止」であろう。憲法改正に積極的な勢力とは共闘の条件がないと言わねばならない。
その意味では、新自由主義政党であり、積極的な改憲勢力でもある維新との共闘ははあり得ない。初鹿や川田ら維新の議員とも、である。
「緑茶会」(脱原発政治連盟)なる運動体がまだあるようだ。22人の脱原発候補を推薦している。そのうち3人が維新に所属している。初鹿のほか、柿沢未途と阪口直人。到底、こんな候補を推して改憲勢力の拡大に手を貸すことはできっこない。
「憲法改正に積極的な勢力とは共闘の条件がない」とは、それ以外なら条件があるということでもある。安倍自民の補完勢力でないところとなら、最大限に共闘を追求すべきではないのか。たとえば、東京1区。海江田万里民主党代表が苦戦していると報じられている。これを支援する共闘などは考えられないのだろうか。
いま、最大の政治課題は安倍暴走の阻止にある。安倍自民の議席を可能な限り減らすことが至上命題と認識しなければならない。しかも喫緊の課題だ。「次に備える」「将来への確かな一歩を進める」などの余裕があるのだろうか。
確かに悪いのは小選挙区制だ。これをなんとかしなければならない。しかし、急場には間に合わない。沖縄に学んで、条件を育て共同行動・共闘関係の形成を実現しなければならない。つよくそう思う。
(2014年12月11日)
本日(12月10日)発売の「文藝春秋・新年号」に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」と題する朝日新聞植村隆元記者の「独占手記」が掲載されている。
私が普段この雑誌を購入することはない。が、今号だけは別。さっそく買って読んでみた。素晴らしい記事になっている。「週刊金曜日」・「月刊創」・ニューヨークタイムズ・東京新聞(こちら特報部)に続いて、ようやく出た本人自身の本格的な反論。
タイミングが実によい。明日(12月11日)が北星学園の理事会だと報じられている。この手記は、学園の平穏を維持する立場から植村講師雇用継続拒否もやむを得ないと考える立場の理事に、再考を促すだけのパワーをもっている。
手記は、植村バッシングが実はなんの根拠ももってはいないこと、にもかかわらず右翼メディアと右翼勢力とが理不尽極まる人身攻撃を行っていること、この異様な事態にジャーナリズムの主流が萎縮して必要な発言をしていないことを綿密に語っている。
これは今の世に現実に起きている恐るべき悪夢である。マッカーシズムにおける「赤狩り」とはこんな状況だったのであろう。あるいは天皇制下の「非国民狩り」もかくや。今何が起こっているのか、何がその原因なのか、そしてどうすればこの状況を克服できるのか。理性と良識ある者の衆知と力を結集しなければならないと思う。
植村手記はその最終章で、「頑張れ北星」「負けるな植村」の声が高まりつつあるとして希望を語っている。そして、自分を励ます言葉で結ばれている。まだまだ、救いの余地は十分にある。我々が声を上げさえすれば…。
手記は全27頁に及ぶ。時系列とテーマで、「手記その?」?「手記その?」の7章から成る。それぞれが読み応え十分な内容となっている。これまでの経緯を述べて、文春・読売・西岡力らのバッシングに対する全面的な反論になっている。
その手記に前置して、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の2頁におよぶコメントが付けられている。これはいただけない。文春編集部の懐の狭さを自白するお粗末な内容。しかし、それを割り引いても、植村手記にこれだけのスペースを割いたのは立派なもの。営業政策としての成功も期待したい。朝日バッシングの重要な一側面をなす植村問題について語るには、今後はこの手記を基本資料としなければならない。文春を購入して多くの人にこの記事を読んでもらいたいと思う。ただ読み流すだけでなく、徹底して読み込むところから反撃を開始しよう。
**************************************************************************
植村手記に前置された文春編集部のリードは、あからさまな植村批判の内容となっている。読者には白紙の状態で手記を読ませたくないという姿勢をありありと見せているのだ。編集部なりの要約にもとづく植村への批判を先に読ませて、その色眼鏡を掛けさせてから手記本文を読ませようという訳だ。
このリードは、「植村隆氏が寄せた手記は、日本人に大きな問題を突きつけている」と始まる。読み間違ってはいけない。大きな問題とは、植村の言論に対するバッシングという手記執筆以前の異常な現象をさしているのではなく、この文章の文意のとおり、「手記」自体が問題だと言っているのだ。問題の具体的内容は、「(1)ジャーリズムの危機」、と「(2)社会の危機」だという。もう一度、間違ってはいけないと念を押さねばならない。「(1)ジャーリズムの危機」とは、23年前の記事に対する現今のメディアの執拗な攻撃のことではない。植村の手記に表れているジャーナリストとしての姿勢にあるのだという。植村が「真実を見極めるべきジャーナリズムの仕事にふさわしくなく、(従軍慰安婦)として被害にあったと主張する人に『寄り添う』と言っていること」を、危機だというのだ。これには驚いた。
次いで、「(2)社会の危機」とは、「植村氏とその家族に向けられたいやがらせ、脅迫の数々」を言っている。しかし、この明白な犯罪行為を含む卑劣な諸行為は、文春自身を含む、朝日バッシングに加担したメディアが主導して作りだした社会の雰囲気によって起こされたものではないか。そのことについての自省の弁はない。
ちなみに、数えてみたところ、「(1)ジャーリズムの危機」に関する記事は63行であるのに対して、「(2)社会の危機」に関する記事は9行に過ぎない。
もっとも、誰が読んでも、文春のリードの書き方はおざなりで切れ味にも迫力にも乏しい。91年当時の植村署名記事や今回の植村手記を、本気で批判しているとは思えない。「ジャーナリズムの危機」などという大袈裟な言葉が空回りしている。植村手記掲載に対する右翼からの批判を予想し、先回りして弁解の予防線を張っておこうという姿勢なのだろう。文春自身がジャーナリズムの萎縮の一つの態様を見せているのだ。
そんなことを割り引いても、植村手記掲載は月刊文藝春秋編集部の英断といって差し支えない。これが、植村バッシング終息への第一歩となりうるのではないか。
**************************************************************************
「手記その?慰安婦捏造記者と書かれてー西岡力氏への反論」や、「手記その?バッシングの日々ー大学の雇用契約も解消された」を読むと、この社会は異常な心理状態にあると薄ら寒さを感じる。国賊や売国奴、反日の輩を探し出して天誅を加えなければならないとする勢力が跋扈しているのだ。このような排外主義者にメディアの商業主義が調子を合わせ、扇動的な言論を売っているという構図ではないか。
植村手記は押さえた筆で書いているが、「週刊文春」、「フラッシュ」、「週刊新潮」、「週刊ポスト」の名を挙げて、取材姿勢や記事の内容の問題点を具体的に指摘している。さらに、「読売の取材姿勢」については、小見出しを作って問題にしている。
これらのメディアの報道に追随して、無数の匿名のブログやツイッターが悪乗りのバッシングを競い合っている。その標的は最も高い効果を狙って、弱いところに集中する。今攻撃対象となっているのは植村氏の家族であり、北星学園なのだ。その卑劣な無数の言動のなかには、少なくない業務妨害や名誉毀損、侮辱、脅迫、強要などの明らかな犯罪行為が含まれている。
文藝春秋社や小学館などは、堂々たる主流の出版メディアではないか。まだ遅くない。その見識を示して、このような異様な現状を修復することに意を尽くすべきではないか。
**************************************************************************
最終章「手記その?『負けるな植村!』ー私の何が悪かったのか」は、窮状を訴えつつも感動的な決意の表明であり、国民への呼びかけともなっている。「負けるな植村!」は、自身に対する激励である。91年に慰安婦問題の記事を書いた当時の32歳の植村が、今56歳になった北星学園講師の植村へのエールでもある。
「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が2014年の日本にいる。それには屈しないと声を上げる人々もいる。お前も一緒に立ち向かえと、若き日の自分から発破をかけられているのだ。」
「私は『捏造記者』ではない。不当なバッシングに屈する訳にはいかない」
これが結びの言葉だ。私たちが、この言葉を受け止め、呼応する決意をつなげなければならない。
手記の文中に「『慰安婦問題』を書くと攻撃を受けるという認識が朝日新聞自体にも広がっているようだ。記者たちの萎縮が進んでいるように思える」「そこが私を攻撃する勢力の『狙い』なのではないか」「松蔭、帝塚山に続いて、北星も脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる」とある。私たち一人ひとりに、このような萎縮と闘うことが求められている。
まずは、この手記を徹底して読みこもう。そして、植村氏と北星を激励しよう。さらに、自らの課題として「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しひるませようとする勢力」に屈しない決意を固めよう。他人事ではないのだ。
(2014年12月10日)
私は宮沢賢治。1896年明治三陸大津波の年に生まれて、1933年昭和大津波の年に往生を遂げました。私の生涯は岩手の農民の苦難を背負って、おろおろと歩き回る一生でしたが、今は極楽浄土の蓮の台で、イツモシヅカニワラッテヰます。
思い起こせば、私の人生は「本当の幸せ」を求めての旅路でした。私は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と固く信じていましたから、我が身一人の富貴や名声の追求はまったく眼中にありませんでした。ましてや、人を搾取し収奪することは、心の底から恥ずべきことと考えていました。
ところが、花巻の宮澤家といえば地元では知られた富裕な名家。そこに生まれ落ちたことは、私にとって生涯後ろめたさのつきまとう宿業以外の何ものでもなかったのです。自分だけの特権としての幸せではなく、世界をぜんたい幸福にするためにはどうすれば良いのでしょうか。どうすれば、現実の困苦に悩む岩手や稗貫を理想のイーハトーブにできるのでしょうか。それを考え抜き、仲間を得てともに実践すること、それこそが私に与えられた使命と自覚しました。このことを私は、精神歌のなかの一節で「我等ハ黒キ土ニ伏シ マコトノ草ノ種マケリ」と表現したのです。
私ができることと言えば、病気ノコドモヲ看病シ、ツカレタ母ノ稲ノ朿ヲ負う程度のこと。もっと世界をぜんたい幸福にする方法はないのか。その問に応える道がいくつかありました。まず学問です。農民自身が新しい学問とそれを応用した技術を身につけて、農業生産力を飛躍的に向上させることを夢見たのです。
その願いが、「これからの本当の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教わることでないんだ」「吹雪やわずかの仕事のひまで 泣きながらからだに刻んで行く勉強が これからのあたらしい学問のはじまりなんだ」という私の農民に対するメッセージとなりました。私は農民とともに、実用の学問を身につけようと奮闘しました。乞われるままに、現地を訪れて土壌の質に合わせた肥料設計図3000枚も書いています。
また、私は農民が芸術に親しむことを考えました。人生を豊かにする「農民の芸術」です。農民芸術概論綱要の序論に、私はこう書いています。
「われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」「誰人もみな芸術家たる感受をなせ 個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ」
農民の人生を美しく充実したものにしたいと願ったのです。
しかし、学問も芸術も農民の本当の幸せを実現するには至りませんでした。結局私が生涯をかけて追い求めたのは宗教です。とりわけ法華経こそがすべての衆生を救う唯一の道であることが私の深い信念でした。真宗の信仰者である父親に強く改宗を勧め、法華経信仰を広めるために童話も書いたのです。もっとも、後世私の童話は私の意図とは違ったように理解され流布されていますが、それはそれでけっこうなことと思っています。
私の信仰の内容を忠実に童話化したものとして「ひかりの素足」があります。今、赤旗日曜版に、ますむらひろしがマンガにして掲載中。今週号が連載第21回目です。延々と息苦しく見るのも辛い地獄の描写が続いたあとに、救いのみほとけが現れ、極楽の描写に移ります。私は現世でもできることは精一杯したつもりですが、現実には「本当の幸せ」をつかみきれずに、現世とは違うところに救いを見出そうとしたのです。
とはいえ、信仰とは別の道として、現世において「世界をぜんたい幸福にしようとする」思想と実践には、心惹かれるものがありました。私は、「中等学校 生徒諸君」に寄せた詩のなかで、「諸君はこの颯爽たる未来圏から吹いて来る透明な清潔な風を感じないのか」「新たな時代のマルクスよ 盲目な衝動から動く世界を 素晴らしく美しい構成に変へよ」と呼びかけています。
詩を書いただけでなく、私は労農党稗和(稗貫・和賀)支部と親交をもち、資金の援助も惜しみませんでした。当時は珍しかった孔版印刷機のセットを寄付もしています。
しかし、合法政党だった労農党も弾圧を受け間もなく解散してしまいます。私が、現世で「みんなの幸せを実現する道」と希望した労農党の理想は潰えました。以後、私はもっぱら信仰による救いや自己犠牲を尊しとする道を歩まざるを得なかったのです。
それに比較して、今の世は何と様変わりしたことでしょうか。かつては治安維持法で非合法政党とされ、地下での逼塞を余儀なくされていた共産党が、堂々と選挙にうって出ているではありませんか。選挙を通じて、「颯爽たる未来圏から吹いて来る透明な清潔な風」を実現することができるというのですからなんと素晴らしい。
私は、私の生き方に照らして、日本国憲法には大いに関心をもち評価もしてきたところです。とりわけ、憲法の基底にある平和や人権の思想には、魂を揺さぶる共鳴を覚えます。これを変えてしまえという現首相のやり口は何と乱暴なことでしょうか。
日本国憲法の平和主義が蹂躙されようとしている今、集団的自衛権や特定秘密保護法の制定は私の目からも見過ごすことができません。農民をいじめるTPP交渉も止めさせなければなりませんし、人が人を搾取し収奪する自由に歯止めは不必要とする規制緩和の考え方には義憤を覚えます。
今回の総選挙は、私が一票持っていれば、当然に日本共産党に期待の投票をしたところです。現世の皆様、極楽往生を遂げる前に、精一杯穢土を楽土にする努力をお願いいたします。それこそが功徳。そして、私がなしえなかった「この世での本当の幸せを求める道」。現世の理想を実現し、理想郷としてのイーハトーブを打ち立てる道だと思うのです。たとえ、今回の選挙だけでの実現が困難としてもくじけてはなりません。次の言葉を贈ります。
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
(2014年12月9日)
幸いに、軍艦マーチも大本営発表もない。トップのニュースは徳島の積雪被害、次いでTPPについての各党の選挙政策、そしてアメリカの大陪審黒人差別問題。開戦のニュースはなかった。
NHKラジオのニュースに総選挙の政見放送が続いた。共産党の小池副委員長が、流暢にアベノミクスの失敗と消費税問題から説き起こし、重点政策を語った。
73年前の今日。1941年の12月8日も月曜日だった。今日と同じく、この日も寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時NHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。
この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そうして、この日から灯火管制が始まった。
戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。73年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。大本営発表だけに情報統制し、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。
今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。今のところ戦争はなさそう。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政見放送ができる。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。この日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日?43年10月8日)として加わっている。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。
戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。
こんな安倍自民に300議席など与えてはならない。12月8日の今日、強くそう思う。
(2014年12月8日)
本日は、村岡到さんからのお誘いで、討論会と忘年会に出席させていただきました。
討論会は、村岡さんの近著「貧者の一答?どうしたら政治は良くなるか」のタイトルをそのままテーマにするものでしたが、これがたいへん充実して面白かった。結論が決まっている予定調和討論はまことに味気ないもの。肩書による権威をもつ者がいない場での、誰もが正解をもたない自由な意見交換なればこその面白さでした。
村岡さんご自身の発言にもあったように、「予想外の盛会」。多くの人が、憲法の危機、平和の危機、日本経済の危機を語って、今回の総選挙の重要性を強調しました。何としても安倍政権を倒さねばならない。その熱気が今日の盛会となったと思います。
ところで、この著書のなかで、村岡さんは書名の解説に触れて「私は『貧者の味方』ではなく、貧者の一員であり、その立場から生きる意味を考え、主張する」と述べています。これは力強い宣言。存在が意識を規定する以上、この世の矛盾の根源を撞く発言と行動は「貧者の味方」ではなく、「貧者」自身から発せられることになるのは理の当然。
思い起こすのは、私と同郷の歌人・石川啄木のこと。没後10年(1922年)にして彼の故郷渋民に「柳青める」の歌碑が初めて建立されたとき寄進者の刻名はなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれていました。これは彼が「主義者」として知られていたからです。
「主義者」としての彼は、自らを「貧者」ととらえていました。そのような歌のいくつかがあります。
わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき
以下は、そのような彼であればこその歌のいくつか。
平手もて吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり
赤紙の表紙手擦れし国禁の書を 行李の底にさがす日
「労働者」「革命」などといふ言葉を 聞きおぼえたる五歳の子かな
友も妻もかなしと思ふらし 病みても猶革命のこと口に絶たねば
地図の上朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ 秋風を聴く
時代閉塞の現状をいかにせむ 秋に入りてことにかく思ふかな
青年啄木が自らを貧者の一員としそれ故に社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってきます。決して高みから「貧者の味方」を気取る目線ではなく、自らがもがき苦しんでいることを率直に表現しているところが啄木の魅力なのでしょう。
この世の矛盾とは、結局は貧困の存在に行き着くのではないでしょうか。富の分配における不平等をいかに克服するかが究極の政治の使命。現在の社会が、富の偏在を産み出しその不平等を肯定する基本構造をもっているとき、まさしく「貧者の一答」はこの不平等をいかに克服するかの視点をもたざるを得ません。
それこそが、「わが抱く思想はすべて金なきに因する」必然だと思うのです。青年石川啄木が長生きをしていたら、村岡さんより先に「貧者の一答」を著したかも知れません。
今回の総選挙でも、貧者が「金なきに因し」て、「はたらけどはたらけど猶楽にならない生活」を変えるために、貧者の味方を標榜している革新政党に投票すべきが当然の理。その「貧者の一票」が政治を動かすことにならねばなりません。
投票者がこの社会の基本構造のどこに位置するかによって、合理的な政治的選択は決まって来るのではないでしょうか。今の世に啄木がありせば、躊躇なく共産党に投票することでしょう。
もちろん、その対極にある大企業経営者・大金持ち・大資産家は、自民党に投票するのが「正解」。しかし、圧倒的多数の「サラリーマン・工場労働者・公務員・自由業者・自営業者・農漁民・中小企業者」は、貧者の側と利害をともにするはず。
問われているのは、貧困・格差を産み出し拡大再生産する自公政権の経済政策にアクセルを踏むのかブレーキをかけるのか。税制、雇用、賃金、医療、教育、社会福祉等々の各課題で、不平等をなくす方向を目指すのか否か。
きっと、「主義者」啄木も、「ヒューマニスト」賢治も、強く「安倍ノー」というでしょう。そして、貧者として、あるいは貧者に寄り添おうとする姿勢から、共産党への投票を選択するに違いない。村岡さんの著書と発言からも、本日はそんなことを考えました。
(2014年12月7日)
今日は、特定秘密保護法成立からちょうど1年。7月1日と並ぶ壊憲記念日である。
「憲法の輝く理念は闇の中 だから12月6日も壊憲記念日」
安倍内閣が存続すれば壊憲記念日が増え続けることになる。なんとかこれを阻止しなければならないと思う。
昨年の今日付の私のブログを読み直してみた。さすがにボルテージが高い。一節だけ引用しておきたい。
「今日も道行く人々にマイクで語りかけた。反応は様々。街宣活動参加者の怒りのボルテージと、道行く人の醒めた日常の心境とには明らかに隔たりがある。その温度差は当然といえば当然なのだが、昨日の特別委員会強行採決への怒りが治まらない。自ずからマイクの声にもトゲが混じる。
ご通行中の皆様、私たちは今参議院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める宣伝活動を行っています。昨日の特別委員会強行採決には怒りを禁じ得ません。ぜひ、ビラをお読みください。皆さん、『自分には関係ない』とおっしゃっても、この法案の方は、あなたは無関係と放っておいてはくれません。この法案が通れば、必ず、あなたの権利や自由に影響が及ぶことになります。少なくとも、確実にジャーナリズムは萎縮する。私たちは知る権利を害される。それだけではありません。昔、軍機保護法という法律がありました。陸海軍大臣が思いのとおりに、軍事秘密を指定します。すると、飛行場も、港湾も、気象も、地震も、空襲の被害も一切秘密になる。写真も禁止、スケッチも禁止、喋ってもならない。うっかり喋るとスパイにされたのです。気象が軍事秘密でしたから、天気予報はなくなります。台風の予報もされなくなる。戦時中は、そのような時代でした。特定秘密保護法はこれと同じ構造の法律です。『大本営発表の時代』が到来しかねません。
今日は平和なようですが、この平和がいったいいつまで続くことになるか。私たちが、大事なことを他人任せ、安倍晋三任せにしてしまうと、『こんなはずではなかった。あのとききちんと反対しておけばよかった』となりかねません。今ならまだ、声を出せます。反対の声をあげられる。皆さん、ぜひ、特定秘密保護法に反対を…」
ところで、昨年の今ごろは1年先に解散総選挙があるなどとはつゆほども思わなかった。仮に総選挙間近という状況であれば、さすがの安倍内閣もこれほどの悪評を招く法律を、これほどのゴリ押しはできなかったろう。その選挙が、今眼前にある。選挙でリベンジしたい。痛切にそう思う。
当然のことながら、特定秘密保護法も大きな選挙の争点である。しかし、これも当然のことながら政権は選挙の争点にはしたくない。
複数の報道では、菅義偉官房長官が解散直前の11月19日の記者会見で、「集団的自衛権の行使を容認するために憲法解釈を変更した7月の閣議決定や、2012年衆院選の自民党公約になかった特定秘密保護法の制定は衆院選の争点にならないとの考えを示した」という。また、「国民の知る権利を損なう恐れのある特定秘密保護法の制定は『いちいち、一つ一つについて信を問うことではない』と述べた」ともいう。何を争点にするかは国民が決めること、国民の審判を仰ごうとする政権の態度ではない。安倍政権の傲りがよく表れている。
昨年の今ころ、「国民の知る権利を奪う特定秘密保護法」「ジャーナリズムを萎縮させ、国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」というキャッチフレーズは、広範な国民の共感を得るところとなった。私は、この法律を、「国民は政府が許容した範囲の情報だけに接しておればよいとするコンセプトでできたもの」「それは、政権を信頼せよ。外交や防衛の問題は政府を信頼して任せておけば良い、という思想に基づくもの」と批判した。このまま推移すれば「国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」今月10日に施行日を迎える。特定秘密の件数は政府全体で46万件前後となる見通し(共同)で、平和の維持や表現の自由という憲法の理念が、秘密の闇に沈み込むことになる。
憲法の輝く理念を特定秘密保護法の闇の中から救出しよう。それこそが、壊憲記念日の決意。その具体的手段は12月14日総選挙の各自の一票で、安倍自民党に大きな打撃を与えることである。一年前を思い起こして主権者としての心意気を示そうではないか。
(2014年12月6日)
有権者の皆様に、政権与党の党首として心から訴えます。東京新聞を読まないようにお願いしたいのです。
東京新聞の看板記事である「こちら特報部」などは、権力批判の色濃く「この道しかない」わが国の国益を侵害するもので、お読みになっておためにならない。ですから、お読みならぬように。とりわけ、本日(12月5日)の東京新聞朝刊は読んではいけません。仮に、どうしてもお読みにならねばならない事情があるとしても、一面トップの記事だけは、意識的に避けていただきたい。残念ながら、大きな活字が向こうからパッと目に飛び込んできてしまいますがね。
なにゆえ本日の東京新聞トップを読んではならないかといえば、それが「誤解与える海水簡易分析」「『不検出』実際は汚染」という福島第一原発の海洋汚染の報道だからです。今日の記事に限らず、原発の放射線汚染報道は、いたずらに世を惑わすこと甚だしい。情報が正確であればあるほど、社会の不安を招くことになります。そんな「不都合な真実」を、いったい誰が知りたいと思うでしょうか。少なくとも、私は知らせたくない。
人それぞれに「知られたくない真実」というものがあります。そこには踏み込まないのが、人としての情でもあり信義でもあるのではないでしょうか。それこそが、和をもって貴しとなすという我が国伝統の美学。漢籍には「惻隠の情」という言葉もあるとおりです。分けても私のような一国の権力者に「不都合な真実」と思わせる情報を「本紙の調査の結果」として、得々と目立つ記事にするのは、お国のためにならない。今後は、特定秘密保護法の活用をよく考えなければならない。
その記事は、こんなけしからんことを言っています。
「東京電力福島第一原発から海洋への放射性セシウム汚染問題で、東電は測定時間が極めて短い簡易の分析で『検出せず』と公表してきた。ところが、詳細分析の結果では、その7、8割でセシウムが含まれていることが分かった。虚偽の公表とは言えないが、汚染は続いていないかのような誤解を与えかねない。」
あまり知られていないことですが、東電による福島第一放水口近くの海洋放射線量測定は、3カ所で行われており、測定方法は2通りあるのです。ひとつは高精度の詳細分析で、もう一つが低精度の簡易分析。詳細分析は10時間もかかる面倒な作業、その公表は行われてはいるものの1か月ほど後に目立たないようにされています。これに対して、簡易分析は40分の1の短時間で行いすぐに発表できるものです。精度は低いものの簡便ですから、東電も政府も記者会見資料としてこちらを使っています。そして、「一定の線量より低値の場合は線量が分からない」などと回りくどく言うよりは、きっぱりと「不検出」と言われた方が国民の皆様もご安心でしょう。もちろん、これが国益に適ったやり方。
ところが、国益と真実とは調和しないもの。簡易分析資料に基づいて記者会見では、「検出なし(ND)」と発表されていたものが、実は同じサンプルの詳細分析では汚染ありとなっていたということを東京新聞が調査で資料を見つけたのです。しかも、簡易分析で「放射線不検出」とされたものの7割から8割が、実は詳細分析では放射線汚染されていた、という報道となっている。そんな資料なぞひっそり眠らせておけばよいものを、なんと余計なことをしてくれたもの。
「その結果、簡易分析では『セシウムを検出せず』だったのに、詳細分析では検出されたケースが、南放水口で96件、北放水口では89件あった。それぞれ80%、73%の確率で、汚染はあるのに、ないかのような情報を発信していたことになる。」
「東電も政府も、記者会見で提供する説明資料では低精度の分析結果を用いることがほとんど。専門的には『検出せず』はゼロではなく、『ある濃度より低い場合は分からない』を意味する。うその説明にはならないものの、詳細分析のデータがあるのに、信頼性の低い値を使い続けているのが現状だ。」
というのが東京新聞の記事の内容。捏造だと文句の付けようがないから、始末が悪い。
しかも、私にとって実にいやな具体例が紹介されている。
「2013年8月26日 福島第一原発南放水口付近で採取した海水の簡易分析結果は不検出(ND)」。しかし、「同じサンプルの詳細分析結果は、2.06ベクレル/リットル」だったという。
皆様もうお忘れになったことでしょうが、2013年9月7日がブェノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地を決定する投票が行われた日。その日までに私が8月26日精密調査の結果を知らなかったと言っても、信用してはもらえないことでしょう。また、福島第一原発南放水口付近とは、外洋につながる場所でブロックするものは何もないのです。
にもかかわらず、私は「状況はコントロールされている」「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」と世界に向かって大見得を切ったのです。今日の東京新聞による限り、港湾内ではなく、外洋の海水から放射線汚染が検出されたことを知っていて嘘を言ったろうと言われてもやむを得ないところです。また、すくなともこれだけの大見得を切って断言する前に精密調査の結果を正確に調べるべきだったろうとの指摘には一言もありません。
でも、あの嘘があったからこその東京オリンピック招致成功じゃないですか。今更、あれは嘘だったと言ってどうなるものでもない。私は、人の嘘には厳しい。20年前の朝日の記事の引用に間違いがあったことは、徹底して追求する。でも、自分の嘘には寛容だ。政治家たる者の性として、当たり前の話でしょうが。
問題は、この記事が選挙に大きく関わってくる可能性があるということ。誰もが知ってのとおり、私は原発再稼働推進の立場。そのためには、福島の事故の影響はできるだけ小さいものだったと見ていただきたい。真実かどうかは問題じゃない。国益に適うかどうかだけが問題なのですから。
政府の方針でも、検査の精度は「1ベクレル以上の汚染を検知するよう」指示しています。これは、海水1リットル当たり1ベクレルが、海洋魚の食用安全性を考える目安となっているから。東京電力は、海洋廃棄許容基準として「セシウム(134と137)は1リットルあたり1ベクレル以下」としていますが、これは、廃棄され希釈される以前の汚染水そのものについての放射線量。希釈されたあとの外洋の海水が「1リットルあたり1ベクレル以上」となれば、さすがの私でもちょっとひるみますよ。
IOC総会直前8月26日の海水の放射線値が、2ベクレル/リットルであったように、安全の基準値を超える実例が現実にたくさんあったんですね。東京新聞の調査結果では、これ(1リットルあたり1ベクレル以上の検知)を守れずに見逃していたことを確認できるケースが南放水口で10件、北放水口で25件あったと報道されています。
このことは、2013年8月当時の福島原発の海洋汚染度が魚の安全の目安となっていた基準を超した危険値となっていたことを示しています。この事実が広く知られれば、原発の再稼働を許さないとする世論の声がさらに大きくなり、選挙での再稼働派の得票減をもたらしかねないことになります。それは国益を損なうこと。
だから、有権者の皆様、東京新聞を読んではいけないのです。くさいものにはフタ。火だねがあっても煙を消して、不都合な真実を見ないようにしましょう。そうして、みんなで「この一本道」をまっすぐにつき進むのです。そうすれば、この選挙は乗り切れる。この選挙さえ乗り切れば、規制委のお墨付きをもらって原発再稼働に持ち込める。そこまで持ち込めたらもうこっちのもの。その先何が起ころうとも私の責任ではない。なにしろ、主権者である皆様の選択の結果なのですから。
(2014年12月5日)
私は公明党。1964年の結党からはや50年。私も年をとったものだ。前身の公明政治連盟も同様だが、産みの親も育ての親も宗教法人創価学会。これは天下周知の隠れもない事実。ホームページでは「政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です」などと言ってみてはいるが、そんなことを信じる人もないだろう。
母体の創価学会は、元は日蓮正宗の在家信徒団体としての法華講の一つだった。いまは、日蓮正宗とは喧嘩別れをして、僧侶のいないまま独自に宗教法人となっている。
その創価学会。戦前創価教育学会といった当時に、天皇制からの過酷な宗教弾圧の対象となっている。国家神道にへつらわない姿勢が不当な弾圧の原因だった。これは信仰者として誇ってよいこと。だから、親から受け継いだ私の出自自体に、反権力・親民衆の血は色濃く流れているわけだ。
しかしだ。最近その血が騒ぐことはない。むしろ、その反権力の血を押さえ、人からも見られないように心掛けているうちに、親権力・反民衆の体質になってしまったという批判の声が高い。反論はしたいんだが、何しろ自民党と組んで連立与党の一員になっているんだから、どうも反論も意気はあがらない。
創価学会は日蓮が唱導した法華経を信仰する。ここには、法華経の理念が国家の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという固い信念がある。これが王仏冥合。すなわち王(政治)と仏(信仰)の一体化によってこそ、国家と民衆の真の幸福がもたらされるのだ。王仏冥合の理念のもと、その象徴として国家事業として国立戒壇を設けて、権力者を帰依せしめることこそ広宣流布実現の王道とされていた。そのためには必然的に政界に進出しなければならなくなる。私は、そのような使命を帯びてこの世に産み落とされ、そして育てられたのだ。
その出自ゆえ、若い頃は私も血気盛んだった。創価学会という組織が折伏という手段で勢力を拡大してきたように、その子の私も心意気も手法も同じだった。使命に燃えて、大恩ある親の期待に応えようと必死になって熱く行動をしたものだ。
ところが、大きな壁として立ちはだかったのが日本国憲法の政教分離原則だ。「王仏冥合が現実のものとなれば、まさしく政教一体の極み。憲法違反も甚だしい」と言い出す奴が現れた。とりわけ国立戒壇を設けるという私の方針が政教分離に反するとやり玉に上げられた。最も声高に、うるさく指摘したのは共産党だった。そのおかげで、私は転進を余儀なくされ、王仏冥合も国立戒壇も口にすることはできなくなった。だから、私は共産党が大嫌いなのだ。
以来、産み落とされた使命を掲げることはできぬまま、「平和の党」「福祉の党」を看板にしてきた。なんと言っても、創価学会の信者層は庶民そのものなのだから、民衆の党として生き延びるほかはない。その民衆の願いは、平和であり福祉なのだから、自ずと看板の文字は決まったのだ。しかし、かえすがえすもバックボーンを失ったことは哀しい。あれ以来、ふわふわと憲法や外交、安全保障に関わる基本姿勢は定まらない。
私も、基本的な立場が定まらないまま、護憲と言い、安保廃棄と言ってもみたこともあった。あれは若気の至りでのことで、今はすっかり大人になった。そして、自民党との連立を組んで与党に納まっている。自民党に恩を売りつつ、与党としての情報の取得や影響力の行使がたまらなく居心地のよい状態。この立場を手放すことはできそうもない。
しかし、この居心地の良さは、同時に悩みの根源でもある。ときどき溜息をつくこともあるのだ。若い頃の私の理想や使命はどこに行ってしまったのだろう。そして、「平和の党」や「福祉の党」の看板を掛け続けていることの面はゆさに、忸怩たるものを感じざるを得ない。およそ平和や福祉とは正反対の立場にある自民党との連立を組んでいることの負の側面だから、仕方ないと言えば仕方がない。
私だって苦労しているのだ。憲法20条を改正して、天皇や閣僚による靖国神社への参拝を可能にしようという自民党との連立なのだから。もちろん、自民の言いなりにはなれない。さりとて、反自民の立場はとれない。
今回総選挙の公約だって苦心の末の産物だ。その辺をよく分かっていただきたい。
メインスローガンは「景気回復の実感を家計へー今こそ軽減税率の実現へ。」と言うのだ。重点5政策の第1が「地方創生で、力強く伸びる日本経済へ」とするもので、そのトップが、「軽減税率の導入」なのだ。これが今回選挙の私の目玉。タスキの文字であり金看板ではある。だが、残念ながら、その具体的な中身はない。メッキだけで本体はないと言われてもやむを得ない空っぽのスローガンであることは認めざるを得ない。
「福祉の党」としては、「逆進性顕著な消費税は撤廃」あるいは「消費増税阻止」と言いたいところだが、連立与党として言えるところではない。とは言え、主張の独自性を出さなければ、存在感のないまま埋没してしまう。だから、「消費増税は認めつつも、軽減税率導入」が金看板となったのだが、公約として書かせていただいた内容としては、「2017年度からの導入に向け、対象品目、区分経理、安定財源等について、早急に具体的な検討を始めます」というのが精一杯。すべてはこれからなのだ。一党だけなら努力目標としての政策発表は可能だが、自民党との摺り合わせなく勝手に具体的なことは言えない。「具体性のない公約」としてお恥ずかしい限りだが、これが連立ゆえの私の悩みなのだ。
改憲問題においても、集団的自衛権や特定秘密保護法の制定においても、あるいは露骨な労働法制改悪や福祉の切り捨てにおいても、今は自民党に追随するしかない。だから今回の公約においては、労働者優遇の法制提案は一切できなかった。私なりに自民党を牽制しているつもりではあるが、下駄の雪との批判は覚悟の上のことだ。
たとえば憲法問題。自民党が強固な改憲志向政党であることは周知の事実。私は、今回の公約発表では、正直に「憲法については、2012年の自民党との連立政権の発足に当たって『(衆参各院の)憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める』ことで合意されています」と明記している。私は、「憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」という枠に縛られているわけだ。
縛りは合意だけによるものではない。連立与党にいること自体が縛りになっている。だから、自民党の特定秘密保護法制定にも集団的自衛権行使容認の閣議決定にも逆らえない。「もっと頑張れ」などという無責任な外野の声は、無い物ねだりなのだ。あるいは私に対する買い被りと言わざるを得ない。
今回の公約集にも、「集団的自衛権」という言葉は出て来ない。
「安全保障法制の整備に当たっては、2014年7月1日の閣議決定を適確(ママ)に反映した内容となるよう、政府与党で調整しつつ、国民の命と平和な暮らしを守る法制の検討を進めます」と意味不明なことを述べている。私自身にも良く分からないのだから、他の方にはチンプンカンプンだろう。
また、特定秘密保護法については、公約集に言葉が出て来ないだけでなく、その内容についても一言も載せなかった。民主主義の重要な課題であることはよく分かっているし、与党の一員として無責任ではないかという批判もあろうが、有権者に納得してもらえるような説明が難しい。載せない方が我がためと判断せざるを得ないのだ。
私の愚痴に耳を傾けていただいたことに感謝する。愚痴を言っても解決しない悩みを理解していただきたい。おそらくは、この悩みは自民党との連立を解消するまでは解決しないだろう。とは言え、連立の旨味も捨てがたい。いやはや、悩ましい次第。
(2014年12月4日)
12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。
下記URLで閲覧が可能である。
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0
見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。
残念ながら、日本のメディアで、これだけまとまった朝日バッシング批判の記事に接したことがない。批判の姿勢も立派なものだ。とはいえ、日本のメディア事情について、内容はかなり悲観的だ。日本のジャーナリズム全体の沈黙に対する批判がある。
このニューヨークタイムズの記事が、良心的なグローバルスタンダードと言えるのだろう。外国メディアですら、声を上げている。私たちも黙ってはおられない。
とりあえず、全文を翻訳してみた。仮訳である。間違いも多かろうが、これで大意はつかんでいただけると思う。
拡散していただけたらありがたい。これが、反撃の第一歩に繋がればと思う。
**************************************************************************
ニューヨークタイムズ
戦争修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃
マーティン・ファックラー 2014年12月2日
日本の札幌発
その記事を書いたとき、植村隆は33歳であった。当時日本の二番目に大きい朝日新聞の調査報道記者であった彼は帝国軍が世界第二次大戦時に女性が軍の売春施設で働くことを強制されたかどうかを調査していた。彼の「未だに涙を伴う記憶」と題する記事は韓国の慰安婦の物語の最初のものであった。
この25年も前の記事が、現在ジャーナリストを引退して56歳になる植村氏を政治的右翼がターゲットにしている。タブロイド紙が彼に韓国人の嘘をまき散らしている売国奴との烙印を押している。暴力の脅しが大学での教授の機会を一つ奪い、二つ目をまさに奪おうとしていると、彼は言う。超国粋主義者らは彼の子どもを追いかけ、ティーンエイジの彼の娘を自殺に追い込めと人々を扇動するインターネット記事を発信している。
こうした脅しは右翼のニュースメディアや政治家による、日本の保守主義者が好んで憎む朝日新聞に対する広範で痛烈な攻撃の一部である。しかし、この最近のキャンペーンは戦後日本における一番激しいものであった。安倍晋三首相をふくむ国家主義政治家が日本の進歩主義の政治的影響の要塞の一つを脅した攻撃の奔流をあらわにしたものである。戦時中の売春の強制にたいする1993年の政府の謝罪の再考を要求する修正主義者を勢いづかせるものでもあった。
「彼らは歴史を否定するように脅迫を使っている」と植村氏は言い、自分自身を守るための緊急の訴訟手続きにまで言及し、書類の束を持って、北の都市でインタビューに応じた。「彼らは黙らせようとして脅している」
メディアの言う「朝日新聞への戦争」は朝日新聞が批判者たちに屈服して、80年代と90年代初めに掲載した12本の記事を撤回した(今年)8月に始まった。これらの記事は、朝鮮の婦人を軍事売春施設へ誘拐したと述べた吉田清治という日本軍元兵士の言葉を引用している。吉田氏の証言は20年前に信憑性が否定されていたが、朝日新聞の態度をすかさずとらえて、135年つづいた新聞のボイコットを要求した。
10月には安倍氏自身が「朝日新聞の間違い報道はたくさんの人々を傷つけ、悲しませ、苦痛を与え、怒らせた。日本のイメージを傷つけた」と述べて、国会の委員会で攻撃をした。
この月の選挙において、解説者たちは日本の保守派は有力な左派新聞の脚を縛ろうとしたと分析した。朝日新聞はずっと日本の戦時軍国主義の賠償を支持し、安倍氏のほかの問題についても反対していた。しかし、2年前の選挙の壊滅的な敗北のあとにリベラルな反対派がさんざんな有様になるにつれて、だんだんに孤立化してしまった。
安倍氏とその同志は長い間うかがっていた大きな獲物、つまり日本軍が何万人もの朝鮮人や日本人でない婦人を戦時中に性奴隷として強制したという国際的に受け入れられた意見を追い詰めるチャンスとして朝日新聞の苦難をつかまえたのである。
大部分の歴史家の主流意見は帝国軍隊は侵略した征服地の女性を慰安施設として知られる軍営の売春施設で働かせるためにかり集めたということで一致している。その施設は中国から南太平洋に及んでいる。その女性たちは工場や病院の仕事を提供すると騙されて、慰安施設に着くと帝国軍人のための性的慰安を強制された。東南アジアにおいては施設で働かせるために女性をまさに誘拐したという証拠がある。
兵士たちと性行為を強制されたと後に証言した女性たちは中国人、朝鮮人、フィリピン人そしてかつてオランダの植民地であったインドネシアにおいて捕らえられたオランダ人であった。
しかし、戦争が始まったときすでに20年余も日本の植民地であった朝鮮において日本軍が女性を誘拐したり、捕まえたりしたという証拠はほとんどない。歴史修正主義者はこれを、女性たちが性奴隷として捕まえられたということを否定し、慰安婦は単に金のために軍について歩いた売春婦だと言いつのるための事実としている。彼らの意見によれば日本は、恨みを晴らそうとする南朝鮮によって繰りひろげられる中傷キャンペーンの犠牲者である。
吉田氏は嘘をついたー朝日新聞は1997年に彼の証言を変えるべくもないーという朝日の結論ではなく、正式訂正を出すのに時間がかかりすぎたということが、従軍慰安婦問題研究者にとっての驚きであった。朝日の記者たちは安倍政権がそれらの記事を朝日新聞記者を非難するために使うようになったがために朝日新聞はそれを結局はおこない、記録を率直に出すことによって攻撃が鈍ることを望んだといった。
にもかかわらず、その動きが弾劾の嵐をひきおこし、修正主義者に彼らの歴史解釈を引き起こす新しい引き金を与えることになった。彼らは外国の専門家たちを不信で頭を抱え込ませるようにした。つまり朝日新聞に従軍慰安婦が強制の犠牲者であったということを世界に納得させる責任があるとしむけたのである。
何人もの女性が苦難について証言するようになつたが、日本の右翼は国際的な日本非難を引き起こしたのは朝日新聞の報道が原因だと主張した。それらの非難には20世紀最悪の人権侵害のケースだとして明白で無条件の謝罪を要求した2007年の合衆国議会決議がふくまれる。
安倍氏とその同盟者にとっては、朝日を辱めることは、1993年の従軍慰安婦への謝罪をくつがえし、屈辱的な帝国日本の肖像画を削除したいという積年の願いを実現することである。右翼の多数は日本はアメリカ合衆国を含む第二次大戦の交戦国と較べて、悪い行いはしていないと言いつのっている。
「朝日新聞の今回の行いは修正主義者にとっては『それ見たことか』という機会を与えた」と中野晃一上智大学教授は言う。「安倍は日本の栄光を傷つけたという彼の歴史的な信念を追い求めるチャンスだと考えている」
朝日の保守的競争紙で世界最大の発行部数を誇る読売新聞はライバルの苦境について、従軍慰安婦報道の間違いを大きく扱った宣伝用リーフレットで大文字で書き立てた。8月以来、朝日の発行部数は約700万部のうち230797部も減少した。
右翼紙は植村氏を朝日が訂正した記事のなかに彼の記事などなかったにかかわらず、「慰安婦のでっち上げをした者」とあげつらっている。
植村氏は彼の味方をするメディアはほとんどないという。朝日でさえ怖がって彼を守ろうとはしなかった。のみならず、自分自身でさえ守らなかった。9月に、朝日新聞社長はテレビで謝罪し、編集長を処分した。
「安倍は朝日問題で他のメディアを自己検閲に追い込むよう脅している」と法政大学の政治学者山口二郎は言う。彼は植村氏を支える申し立てを組織している。「これは新しいマッカーシズムだ」という。
植村氏が地方文化と歴史を教えている北海道のミッションスクールである北星学園大学は超国家主義者の爆弾攻撃の脅しによって、彼との契約を見直そうとしている。先日の午後に植村氏の支持者たちが校内のチャペルに集まった。軍国主義へ向かう行進が異議を踏みにじった戦前の暗黒時代の過ちを繰り返さないように警告する説教を聞くためであった。
植村氏は公に姿をさらすことは気が進まないのでと説明して、参加はしなかつた。
「これは他のジャーナリストを沈黙追い込むよい方法だ」「彼らは私と同じ目にあいたいとは思わない」と彼は言った。
(2014年12月3日)
政権政党の党首として、第47回総選挙の公示日に国民の皆様に心から訴えます。
皆様、進むべき道はこの道しかありません。これまで安倍政権が推し進めてきたこの道。これ以外の選択肢はないのです。もう後戻りなどはできません。後戻りは私の政治生命に関わります。だから、私と国民の皆様とは一蓮托生の間柄。無理心中の腐れ縁とあきらめていただきましょう。
この道の先には平和があります。国家の繁栄があります。そして民族の誇りが花開いています。でも、それはかなり先のこと。目標に到達するまでには、暗く険しい道のりを辛抱強く歩み続けなければなりません。国民の皆様には、その覚悟をお願いしたいのです。
平和に到達するには、仮想敵国とした近隣諸国に侮られないだけの軍備の増強が必要です。予算も計上しなければなりません。もちろん、波風も立ちます。一触即発の緊張を通り抜けなければなりません。相手の出方次第では戦争の一つや二つは、覚悟もしなければなりません。それが、積極的平和主義ということなのです。
繁栄に到達するには、さほど時間のかかることではありません。いま、その入り口まで来ました。せっかくのアベノミクスの成果です。これを手放してはなりません。もう半分くらいは、大企業の業績回復を達成しています。これからさらに、法人税を下げます。労働者の残業代踏み倒しや、首切り自由の法律も断固として実行してまいります。労働者の皆様が多様な労働のあり方を望んでおられるのですから、お望みのとおりに非正規雇用増大の政策を実行してまいります。
現在、大企業の繁栄は道半ばでありますが手の届くところに来ています。もちろん、国民の皆様の繁栄は、別のこと。もう少し我慢を続けていただかなけれなりません。いつとは申し上げられませんが、いつかは、きっと、いや多分、国民の皆様にも若干のおこぼれがまわってくるはずなのです。
何としても今は資本主義の世の中、冷徹に現実を見つめていただかなくてはなりません。企業あっての労働者であり、大企業あっての国民経済ではありませんか。何よりも真っ先に、大企業に儲けていただかなくてはなりません。まずは、大企業には内部留保もたっぷりとため込んだ健全な財務状態を作り上げていただかなくてはなりません。また、株価も上げてお金持ちの皆様にご満足いただいてこその投資意欲ではありませんか。私たち政治家の使命は、真っ先にこのような大企業・お金持ちの皆様にご満足いただくような政治をすること。それこそがアベノミクスの神髄であります。政治献金だって、たっぷりいただいているのですから人の道としてもお返しは当然のこと。
大企業の業績が回復し、株価があがれば、だんだんと中規模企業にも経済効果が波及します。大企業労働者には比較的早期におこぼれを頂戴できる時期がやって来るでしょう。そしていつの日にかは、中小企業にも、地方にも、一般労働者にも、農民漁民にも、好循環のしずくがしたたることになるのです。
ですから、皆様が「アベノミクスの恩恵を受けている実感はない」というのは、言わば当然のことで、今は、皆様の犠牲で大企業が儲けを独占すべき時期なのです。皆さんの雇用の不安定、賃金格差、低福祉等々のご不満は、いつかは来るはずのおこぼれの源泉を養うための不可避の試練なのです。
おこぼれの順番が回ってくるまで、辛抱強く安倍政権を支持しながら、耐え抜いていただくよう、心からお願いをいたします。何ごとも辛抱、そして諦めが肝心です。金持ちをうらやんだり妬んだり、憎んだりしてはなりません。社会の秩序を不合理だなどと不穏なことを言わずに、じっと耐えることを学んでください。教育再生とか、道徳教育の教科化とは、そのようなじっと耐えることを美徳する、賢い従順な国民を育てることを眼目にするものなのです。
そして、私の指し示すこの道の先には、民族の誇りがあります。アベノミクスの副作用としての貧困と格差にご不満の向きには、大いに民族の誇りを語り、優越感に浸っていただきたい。何しろわが国は、奇跡ともいうべき千年の家系を誇る天皇を戴く国なのです。戦時中には、民族の大義に殉じた特攻という誇るべき歴史もあります。もちろん、皇軍に従軍慰安婦の強制連行などあったはずはありません。侵略だって、定義は曖昧ではありませんか。侵略戦争や植民地支配を貶めたり、ことさらに従軍慰安婦を問題化するごとき言論には、言論をもってする対抗が必要です。
政治権力は言論の自由に寛容でなくてはなりません。ましてや、不満の捌け口としての民族優越の言論にはなおさら寛容が必要でしょう。私は、そのような立場の民族の優越に関する表現の自由を断固擁護します。
経済的な格差貧困に不満をもつ人々が、近隣諸国から侮られてはならなないというナショナリストとしての私を支持してくれています。近隣友好ではなく、近隣諸国との緊張を煽って成立する緊張外交は、私にとって好もしい好循環を生み出す政策なのです。靖国参拝がまさしくそうでした。今後ともすきあれば、靖国とのご縁を深め、ますます民族の誇りを輝かせる政策に勤しみます。
「この道はいつかきた道」などと言ってはなりません。あの「いつか」の際には、戦争に突入して敗戦の憂き目をみてしまったではありませんか。私は、できるだけ戦争は避けます。しかし、いざというときには負けない戦争を辞さない。その覚悟がなければ、平和は達成できないし、民族の誇りも花咲かないのです。集団的自衛権の行使とはそういう国の大方針についての選択肢を新しく備えると言うこととご理解ください。
ぜひ、私、安倍晋三とご一緒に、窮乏に耐えて大企業に奉仕し、いざというときには民族の大義のために戦争も辞さないという覚悟を固めていただき、わが党に、そのような覚悟の清き一票を是非ともお願いいたします。
(2014年12月2日)