澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

嗚呼、英日両国の《臣民根性》

(2022年9月20日)
 奴隷は、いかに苛酷に扱われようとも奴隷主に反抗することは許されない。やむなく、奴隷主への抵抗をあきらめ、むしろ迎合の心性を獲得せざるを得ない。これを《奴隷根性》と呼ぶ。悲しい立場ゆえの、悲しい性である。

 だが、《奴隷根性》は奴隷主への消極的な無抵抗や迎合にとどまらない。奴隷が奴隷主に積極的に服従するようにもなる。奴隷を酷使して作りあげた奴隷主の富や文化を、奴隷が誇りにさえ思うようにもなる。奴隷が、奴隷主を心から尊敬し愛するという倒錯さえ生じる。《奴隷根性》恐るべしである。

 臣民が君主に積極的に服従する精神構造を《臣民根性》と呼ぶ。臣民が、その収奪者であり支配者である君主への忠誠を倫理とし、忠誠を競い合い、誇るのである。《奴隷根性》と同様の倒錯というしかない。君主たる王や皇帝や天皇に支配の実力が備わっていた時代には、《臣民根性》は《奴隷根性》と同義・同種のものであった。これも悲しい性というしかない。

 しかし、君主の統治権が剥奪され、人民が主権者になった今になお、遺物・遺風として存在する《臣民根性》は、嗤うべき対象というしかない。その恥ずべき典型が、英国と日本とにあるようだ。

 いや、《臣民根性》は単に嗤うべき存在にとどまらない。主権者意識と鋭く対立するものとして、対決し克服すべきものと言わねばならない。にもかかわらず、《臣民根性》は意図的に再生産されて、今日なお肥大化しつつある。

 《奴隷根性》と根を同じくする《臣民根性》は、抵抗や自己主張と対極の心根である。権威主義になじむ精神構造であり、不合理な旧秩序を受容し、社会の多数や体制に迎合する心性でもある。《臣民根性》は主権者意識を眠らせ、体制への抵抗の精神とは敵対する。

 だからこそ、《臣民根性》は体制派が歓迎する心情であり、全体主義になじむ心情でもある。忌むべき愛国心の基盤ともなり、国家や権力や政党や資本の支配に従順な御しやすい人物を作る。

 昨日、ロンドンで行われたという英国女王の国葬。《臣民根性》再生産を意図した大規模イベントというほかはない。直前の報道の見出しが、「英女王国葬、各国要人約500人参列へ」「一般弔問は最長24時間待ち」となっていた。この見出しの二文は、まったく別の意味合いをもっている。

 英女王国葬に参列する「各国要人500人」は、《臣民根性》涵養によって受益する支配者の側の階層である。一方、最長24時間も待たされる「一般弔問者」は《臣民根性》を深く植え付けられた憐れむべき被治者なのだ。この一般弔問者が75万人にも及ぶという。日本でも繰り返されたところではあるが、遅れた国の恥ずべき光景というしかない。

 安倍国葬には一顧だにしなかったバイデンやマクロンが、女王の国葬に出かけるのは、それぞれの国の《臣民根性》涵養のために、英女王の国葬参加がはるかに効率的で、支配の秩序の確立に有益との思いゆえである。《臣民根性》恐るべしなのだ。

《安倍国葬強行》と《統一教会対応の不徹底》ゆえの《国民の政権不信》

(2022年9月19日)
 大型台風が九州を襲って天候は不穏だが、毎日新聞朝刊の一面トップからは爽やかな風。同紙世論調査結果報道の見出しの付け方がよい。

 「内閣支持続落29%」「旧統一教会対応『評価せず』72%」「国葬『反対』62%」

 この調査と報道に、国民の関心事である3テーマが凝縮されている。《安倍国葬強行》、《統一教会対応の不徹底》、それゆえの《国民の政権不信》である。岸田政権の《安倍国葬》実施決定と強行を機に、自民党(とりわけ安倍周辺)と《統一教会》との癒着の旧悪が暴かれ、これに対する政府・与党の対応の不手際、不徹底が《国民の政権不信》となって「内閣支持率3割を割る」数字となって表れている。しかも、「続落」である。

 毎日の今回調査は、9月17・18日。前回調査は8月20・21日だった。なお、前々回は7月16・17の両日。この間の世論の変動は衝撃的ですらある。

 岸田内閣の支持率 29% (前回比7%減、前々回比23%減)
 同   不支持率 64% (前回比10%増、前々回比24%増)

 自民党支持率   23% (前回比6%減、前々回比11%減)

 旧統一教会の問題を巡る岸田政権の対応を
  「評価する」      12%
  「評価しない」     72%
  「どちらとも言えない」 16%

 自民党が実施した旧統一教会と党所属議員との関係の調査が
 「十分だ」       14%
 「不十分だ」      76%

 自民党は安倍氏と旧統一教会との関係についても
 「調査すべきだ」    68%
 「調査する必要はない」 24%

 安倍氏の国葬「反対」  62%(前回比9%増)
       「賛成」  27%(前回比3%減)

 この調査結果に関連した、毎日2面の記事が興味深い。「政権『耐えるしかない』」「支持率29%、危険水域に」というタイトル。政権・与党は、なすすべなくお手上げというのだ。

「内閣支持率は「危険水域」とされる20%台まで落ち込んだ。自民党の国会議員と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との根深い関係が相次いで判明したことや、安倍晋三元首相の国葬への反対論が強いことが影響したとみられる。政府・与党は危機感を強めるが政権浮揚への特効薬はなく、『今は耐え忍ぶしかない』といった声が相次いだ。」

 毎日だけではない。共同通信世論調査は、「内閣支持急落、最低の40% 不支持46%、初めて逆転」と伝えられている。これも、インパクトのある調査結果。

 「共同通信社が(9月)17、18両日に実施した全国電話世論調査によると、岸田文雄内閣の支持率は40・2%で8月10、11両日の前回調査から13・9ポイント急落し、昨年10月の内閣発足以降最低となった。不支持率は岸田内閣として最も高い46・5%となり、支持率を初めて逆転した。安倍晋三元首相の国葬に「反対」「どちらかといえば反対」が計60・8%を占め、「賛成」「どちらかといえば賛成」の計38・5%を上回った。」

 「自民党が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と党所属議員の関係を公表した調査をめぐり、自民党の対応が「十分ではない」との回答は80・1%で、「十分だ」16・1%を大きく上回った。自民党と旧統一教会との関係について「関係を断つことができない」と思うとの回答が77・6%に上った。」

 日本経済新聞社とテレビ東京の16?18日世論調査の結果も発表されている。「岸田内閣支持、最低の43% 旧統一教会調査『不十分』79%」

 「岸田文雄内閣の支持率は43%で8月調査(57%)から14ポイント低下した。2021年10月の政権発足後で最低となった。内閣を「支持しない」と答えた割合は49%だった」

 各報道機関の調査のうち、安倍国葬に《「賛成」「評価する」》対《「反対」「評価しない」》の割合はは以下のとおりである。

 時事通信 25.3% 対 51.9%、
 朝日新聞 38%  対 56%
 NHK   32%   対 57%
 共同通信 39%  対 61%
 毎日新聞 27%  対 62%

 いずれも「反対」が大きく上回り、国民の過半が反対していることが明らかである。この点について、NHKが、次のように解説をしている。

 「NHKに限らず他社の調査でも、(国葬に)肯定的評価を否定的評価が上回り、しかもその差が開いていく傾向が顕著です。安倍元首相の国葬に対する世論は、「賛否拮抗」「二分」から「反対(ないしは否定的評価)多数」に変わっています。」

 「さらに興味深いのは18?39歳の若い世代の動向です。
 NHKの今回(9月)の調査では、18?39歳では「評価する」43%に対し、「評価しない」47%と、否定的な回答が上回っています。8月の調査では、「評価する」53%、「評価しない」30%と、「評価する」が23ポイントも上回っていました。1カ月の間に、「評価する」は10ポイント減り、「評価しない」が17ポイントも増えるという急激な変化が起きています。」「これですべての世代で「評価しない」が「する」を上回ることになりました。」

 岸田による安倍国葬決定と強行がもたらした世論の変化。こんなにも、世論が急激に変化することは珍しいのではないか。

 国民意識は「豚に真珠、安倍に国葬」ではと呟いたら、とたんに異議が出た。「それじゃ、国葬がとても立派なことみたいじゃないの」。なるほど。では、「目くそと耳くそ、安倍と国葬」と言い直したら、「品がない」と却下。面白くはないが、「臭い物に蓋、安倍の所業に国葬」ということで、了解となった。

日朝平壌宣言を思い起こして、平和への外交努力と、拉致問題の解決を。

(2022年9月18日)
 20年前の日朝平壌宣言の記憶は、今も鮮やかである。私は、小泉純一郎という人物は大嫌いだったが、ピョンヤンに出向いてのこの宣言の発表には、見事なものと感嘆した。以来、この舞台回しをした田中均という外務官僚を尊敬している。

 これで日本の戦後処理は終わる…、拉致問題も解決する…かに見えた。が、残念ながら無用な問題がこじれて、そうはならなかった。その責任の大半は、安倍晋三にある。

 しかし、平壌宣言自体が消滅したわけではない。両国とも、宣言に盛り込まれた合意が進展しないのは相手国の責任だと繰り返してきた。宣言を基礎に、両国の関係を正常化することは夢物語ではない。

 外務省のホームページで宣言を再確認しておこう。

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 小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。

 双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

日本国総理大臣               小泉 純一郎

朝鮮民主主義人民共和国 国防委員会委員長  金  正 日

2002年9月17日 平壌

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昨日(9月17日)、時事通信が「日朝、状況整えば交渉可能性」との記事を配信している。要旨以下の通り。

 「2002年9月の初の日朝首脳会談から17日で20年になるが、米国との対立姿勢を鮮明にし、核開発にまい進する北朝鮮にとって、日本への関心は薄まったかにも見える。

 今後、日朝関係進展の可能性はあるのか。専門家は、状況が整えば北朝鮮が交渉に乗り出す可能性があると指摘する。

 南山大の平岩俊司教授(現代朝鮮論)は「核・ミサイルに関しては米国を交渉相手と見ている」と語る。一方、「その他の国は、有利に使えるなら使おうとしている」とも分析。02年の首脳会談で発表された日朝平壌宣言には、過去の清算として国交正常化後の経済協力が盛り込まれており、平岩教授は「北朝鮮が頭を下げなくてももらえるお金」と解説する。「(核問題の進展など)一定の条件が整えば、日本との交渉に応じるだろう」とみる。

 日朝関係に詳しい津田塾大の朴正鎮教授は、「米朝関係が途絶え、南北関係が動かない場合に、日本という存在が浮上する可能性がある」「北朝鮮はやりやすい問題から手を付けて、日本側の国交正常化への本気度を探りたいのだろう」と読み解く。
 また朴教授は、北朝鮮がストックホルム合意後の16年に外務省傘下の日本研究所を設立したことについて「今後の日朝関係に向けた体制を準備しているかにも見える」と説明。「発する言葉は厳しいが準備はしている」と述べ、日本側の出方次第では交渉に応じる余地があるとの見解を示した。」

 平壌宣言の際には、なるほど外交とはこういうものかと思った。鮮やかな互譲である。植民地支配の反省も、拉致問題への謝罪も、お互い言いにくいことがセットになって表現されており、そこを乗り越えて共に実利を獲得している。 

 いかなる周辺諸国とも、無用な軍拡競争はまっぴらご免だ。北朝鮮とも中国とも、平和への外交努力を積み重ねるしか道はない。岸田政権には、20年前の日朝平壌宣言を再び思い起こして、平和への努力と、拉致問題の解決に意を尽くしていただきたい。

統一教会を「解散命令」に追い込むための要件

(2022年9月17日)
 本日の赤旗、トップ記事の見出しが「法に基づく解散命令を」「統一協会 霊感商法対策弁連が声明」となっている。要旨次のとおり。

 「統一協会(赤旗はこう表記する)による被害救済に取り組んできた全国霊感商法対策弁護士連絡会が(9月)16日全国集会を開き、オンラインと合わせて約200人が参加した。被害の実態や協会と政治との関係、被害撲滅に向けた規制の在り方などについて意見を交わし、教団に被害信者への謝罪と損害賠償を求めた上で、宗教法人法に基づく解散命令の請求を行政に求める声明を採択した。」

 「冒頭で代表世話人の山口広弁護士は『統一協会は単なる宗教団体ではない。資金づくりを担う事業部門や、各国の政権に何が何でも食い込もうとアプローチする政治部門、新聞などで主張を発信する部門などを添えた複合体だ』と指摘。」

 「同じく代表世話人の郷路征記弁護士がオンラインで、協会が続けてきた伝道・勧誘の問題点を解説。『宗教団体の伝道であることを隠したまま「先祖の因縁」などで恐怖感・不安感をあおる。身近な人に相談もさせず、「やめる自由」を事実上なくして信仰させてしまう。信仰の自由を侵害している』と指摘した。」

 この弁連の活動には、深い敬意を表したい。

 同じ赤旗1面に、「『安倍元首相忘れない』 韓国の統一協会が声明」という記事がある。韓国の統一協会が、安倍晋三の死去に関し、「平和運動を推進しながら、不意の死をとげた安倍晋三元首相に対して深い哀悼の意を表します。朝鮮半島の統一と世界平和のビジョンを提示し、前・現職首脳と共にその意志を表明した安倍元首相の崇高なる犠牲を家庭連合は絶対に忘れません」と、韓国の主要日刊紙に全面広告したのだという。

 その統一教会の声明のなかで、「全国霊感商法対策弁護士連絡会を特定の政治的意図をもった団体だと事実無根の攻撃をしました」と赤旗が紹介している。統一教会、大いに弁連憎しなのだ。それにしても、「特定の政治的意図」とはいったい何のことだろうか。自民党に不利になる活動を、すべからく「特定の政治的意図」によるものと攻撃したいのであろう。

 弁連には、最大限に司法を活用して被害を救済し、さらに被害の根絶に向けた活動を期待したい。

 統一教会による被害を根絶するための最大の手段が、宗教法人法81条の「解散命令」である。これが本日の赤旗記事の見出しになっている。「解散命令」とは宗教法人法上の法人格を剥奪すること。そのことによって宗教団体としての統一教会が消滅するわけでも宗教活動ができなくなるわけでもない。しかし、統一教会は所有権主体とも取引主体ともなれなくなる。「解散命令」には、財産関係の清算手続が続くことになる。そして、宗教法人に与えられている税法上の優遇措置を失うことにもなる。影響は死活的に大きい。

 宗教法人法81条1項(解散命令)を確認しておこう。
 「裁判所は、宗教法人について左の各号の一(ひとつ、の意味)に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
 一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
 二 第二条に規定する宗教団体の目的(注・宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること)を著しく逸脱した行為をしたこと(以下略)

 条文に明らかなとおり、解散命令は裁判所が出す。行政機関は出せない。裁判所が自ら職権でも出せるが現実には考え難い。常識的には、所轄庁の請求があって裁判所が動くことになる。所轄庁は、都道府県知事あるいは文科大臣である。利害関係人(たとえば、債権者)も請求の資格をもっているが、証拠を揃えるのは容易ではない。

 解散命令のハードルは高い。同条1項1号は、単なる法令違反では足りず、「著しく」公共の福祉を害すると「明らかに」認められる行為あることを要件としている。法令違反は必ずしも刑事罰を意味しないが、明らかにその主体は宗教法人でなければならない。

 これまで、解散命令が発せられたのは2件とされている。宗教法人オウム真理教に対するものと、霊視商法で詐欺被害輩出を重ねた宗教法人明覚寺に対するもの。いずれも、最高裁まで争われて、解散命令が確定している。オウムの最高裁決定が1996年、明覚寺は2002年である。以下に、両事件を概観して、統一教会への適用を考えて見たい。

 問題は大きく2点ある。第1点は法81条1項(解散命令)の要件であり、第2点が、この条文あるいは解散命令の憲法20条適合性の有無である。

 この第2点は、日本国憲法の柱の一つともいうべき信教の自由という重要理念の理解に関わる。その基準の定立如何は、国民の信教の自由保障と、既成宗教のあり方に大きな影響を与える。慎重の上にも慎重な判断が求められて当然である。

 その重要な問いに対する最高裁の結論は、今のところは以下のとおりである。

 「大量殺人を目的として計画的、組織的にサリンを生成した宗教法人について、宗教法人法81条1項1号及び2号前段に規定する事由があるとしてされた解散命令は、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容喙する意図によるものではない。右宗教法人の行為に対処するには、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は解散命令に伴う間接的で事実上のものにとどまるなど判示の事情の下においては、必要でやむを得ない法的規制であり、日本国憲法第20条1項に違反しない。」(宗教法人オウム真理教解散命令事件)

 第1点(法81条1項(解散命令)の要件)については、まずオウム事件ではこう判断されている。

 「宗教法人の代表役員及びその指示を受けた多数の幹部が、大量殺人を目的として、多数の信徒を動員し、宗教法人所有の土地建物等の物的施設と多額の資金を使い、大規模な化学プラントを建設して、サリンを計画的・組織的に生成したことは、当該宗教法人の行為として、宗教法人法81条1項1号及び2号前段所定の解散事由に該当する。」(第1審・東京地裁決定、第2審東京高裁も、最高裁も是認)

 なお、オウムの解散請求は、検察官及びオウム真理教の所轄官庁たる東京都知事鈴木俊一両名からのものである。

 一方、宗教法人明覚寺の解散命令事件は、1999年12月所轄官庁(文化庁)が、詐欺刑事事件判決を根拠に「組織ぐるみの違法性が認められる」として和歌山地裁に解散命令を請求したもの。和歌山地裁は解散命令を発し、明覚寺はこれを不服として最高裁まで争ったが棄却されて確定している。

 解散命令の要件具備判断の要点を抜き書きしてみる。

 「前記認定の各詐欺はいずれも相手方(宗教法人明覚寺)に属する満願寺もしくは龍智院という末寺を舞台として行われたものであるところ、その実行行為者及び件数が多数に及んでいることだけからみても、上記各詐欺が組織的に行われていたことが強く窺える」「さらに、前記各詐欺行為は、被害者が満願寺のチラシを見るなどして相談に訪れたことがその端緒になっているところ、そのチラシは、満願寺が独自に作成したものではなく、相手方代表者たる西川義俊の指示ないし決裁を経て、相手方の本部において関連会社に発注して作成したものである」「相手方では、教師特別錬成命令書が作成され、教師の目標数値が(騙取)金額をもって設定されていた」「相手方代表者西川義俊が自ら、金員騙取に向けた欺罔文言を羅列したトーク集なるものを作成した上、これを全体会議に集まった教師や住職らに配付していた」「騙取にかかる金員の振込送金を受ける場合には、相手方が管理する口座宛とされ、予定されていた金員の送金がない場合には、担当僧侶らに問い合わせるなどしていた」「各詐欺の実行行為者は、いずれも明覚寺の系列寺院において話術訓練等を受けていること」が認められる。

 「これらの事実を総合すれば、各詐欺行為は、もはや相手方に属する僧侶等による個人的犯罪ということは到底できず、宗教法人たる相手方が主体となって行ったものというべきである。
 そして、その被害件数及び被害額が極めて多数・多額に及んでいることからして、著しく公共の福祉を害するものであることは明らかであるし、組織的に詐欺行為を行うことが宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為であることは多言を要しない。」

 以上の判断が判例の水準である。統一教会に解散命令を請求するに関しても類似の事実を積み重ねが必要であろう。是非とも、組織的な違法を炙り出す努力を期待したい。

ヘーエ、安倍国葬への批判は非国民だって?

(2022年9月16日)
 時事通信9月世論調査(9?12日)の結果が大きな話題となっている。政権・与党に危機感をもたらしているという。そんな情勢なのかね。

 同調査では、岸田内閣の支持率が前月比12.0ポイント減の32.3%と急落し、昨年10月の政権発足後最低となった。不支持率は同11.5ポイント増の40.0%で、初めて不支持率が支持率を上回った。その逆転差8ポイント。

 各紙が「内閣支持32%、発足後最低」「内閣支持急落、迫る『危険水域』」と報道している。黄金の3年の幕開けどころではない。内閣の命運が危ない、この支持率の低下は、政権がもつやもたざるや、すれすれの危険水域だという。

 その原因は明確である。何よりも安倍国葬の強行、それとセットになった旧統一教会と自民党との癒着の表面化。さらに、その両者についての内閣と与党、とりわけ岸田首相の説明不足に国民が苛立っている。

 政権は、情勢不利と見て国会論戦を恐れ、野党の臨時国会開会請求を無視した。しかし、その姿勢に国民の批判が集まっているとの読みで、9月8日の閉会中審査に応じた。この日衆参両院の議運で、それぞれ短時間ではあったが、首相の「ていねいな説明」が行われた。また、同日自民党が所属国会議員と教団の接点に関する点検結果を公表した。時事の世論調査は、そのあとに行われたものだけに、政権・与党には衝撃が大きい。もう何の切り札もないのだから。

 一般に、内閣の危険水域とされる支持率は30%割れだという。こうなると、首相の求心力低下に拍車が掛かり、政権維持が困難になるとされる。今32%の支持率が、上昇に転じる好材料は何もない。何しろ、首相のていねいな説明とは、「同じことのていねいな繰り返し」で、「他人事みたいな作文の朗読」だと見破られてしまった。万事休すではないか。

 国民は今、国葬をきっかけに安倍晋三という人物の生前の所業を思い出している。憲法論よりは、「こんな男を国葬か」「とうてい国葬に値しないだろう」「これを国葬にというのは何らかの魂胆あるに違いない」という気分なのだ。

 さらに、自民党と統一教会との癒着だけでなく、それを隠し誤魔化そうという政府・与党の姿勢に、国民は怒っている。加えてコロナだ。物価高だ。10月初旬まで、国会は開かない。政権は、あっという間に危険水域に突っ込むことになるだろう。

 時事調査では、安倍晋三国葬「反対」が51.9%、「賛成」は25.3%。いやしくも国葬である。国民の圧倒的多数の賛意がなければ、国葬のかたちにもならない。少なくも90%を超える「賛成」があって当然なのだ。ところが、国民の過半数が「反対」という。反対派が賛成派の2倍を超えているというのだ。こんな国葬はあり得ない。

 なお、朝日新聞の調査(9月10、11日実施)では、国葬「賛成」38%、「反対」56%。NHKの調査(9月9?11日実施)でも「評価する」32%、「評価しない」57%。同じようなもの。

 そして、統一教会問題である。時事調査では、首相の旧統一教会問題への対応を「評価しない」が62.7%を占め、「評価する」は12.4%だった。首相や議員の説明に関しても、「納得できない」が74.2%、「納得できる」が5.5%。無党派層では「納得できない」が76.5%に上ったという。惨憺たる事態というほかはない。民意は、政権・与党を信認していない。
 
 各紙は、与党内は危機感に覆われつつある、政権末期の雰囲気と報じている。こういうときには、与党内に足を引っ張る輩が現れる。弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂という類い。本日、その役割を引き受けて登場したのが、二階俊博・元幹事長である。TBSのCS番組収録で、こう語ったそうだ。

「長年務めた総理が亡くなったのだから、黙って手を合わせて見送ってあげたらいい。こんなときに議論すべきじゃない」「(国葬が)終わったら、反対していた人たちも必ずよかったと思うはず。日本人ならね」

 これは聞き捨てならない。「日本人なら、今は反対していても、国葬終われば必ずよかったと思うはず」とは、「終わったあとも国葬よかったと思わないのは、日本人ではない」ということである。これは、国葬反対の日本の過半数を「非国民」と罵ることにほかならない。

 二階はさらにこうも言ったという。

 (立憲民主党の執行部が欠席する考えを示したことについて)「欠席しようがしまいが国葬に関係ない。世の中にあんまり賢くないなということを印象づけるだけだ。欠席する人は後々長く反省するだろう。選挙で取り戻すのは大変だ」

 ヘーエ、この人賢いんだ。私は、賢くない人の側に立ちたい。そして、徹底して、非国民であり続けよう。

安倍論法での安倍国葬擁護論。

(2022年9月15日)
 ネットを開いたら、デイリースポーツ 2022/09/14 22:04のタイムスタンプで、「ひろゆき氏 国葬反対派に時論『例え反社の人でも葬式くらいは静かに礼節』『村八分でも葬式手伝う』」という記事が、目に入った。

 時論は持論の間違いだろうが、たいしたことではない。問題は、こんなつまらない意見を拡散するスポーツ紙の姿勢である。面白くもオカシクもない、ひねりも落ちもない、安倍国葬反対論に対する、たどたどしい揶揄。こんなものを取り上げて報道するいかほどの意味があるというのか。

 「ひろゆき意見」がどんな背景や奥行きをもったものかは論じようがない。報じられている彼のツイッターの文言だけに反論しておきたい。

 デイリースポーツが報じる「ひろゆきツィッター」は以下の3件のようだが、(2)と(3)は、同じ1件のツィッターの一部なのかも知れない。

(1) 「同意しない人も多いと思いますが、、」「例え反社の人でも葬式ぐらいは静かに送ってあげる礼節を持つべきだと、おいらは考えます」「昔から日本人は村八分であっても葬式の手伝いはしてました」「『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と言える人は、誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人なのかな?」

(2) 「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います。遺族と参列者に失礼です」

(3) (反対デモなどについて)「『国葬に反対だけど、葬式は静かに見守る』という大人の対応をすべきかと。安倍氏の国葬に反対という意思表示は表現の自由で守られるべきですが、葬式で集まって騒ぐのは不道徳」

 ひろゆき意見は、庶民の私的な葬儀と国家が行う国葬とをことさらに混同させて、私的な葬儀についての社会常識やマナーをもって、国葬という政治権力の暴走に対する批判の言論を封じようというもの。私的な葬儀は参列者だけで完結するが、国葬は全国民を巻き込んで弔意を求めるものである。私的な葬式と、権力作用としての国葬。これを混同してはならない。

 実は、その意識的混同こそが政権のねらいなのだ。日本社会に根強くある、死者への批判は遠慮すべきだとする社会意識を利用しようという魂胆。安倍国葬を強行しても、死者を鞭打つことになる反対論は口にしにくいものとなるだろう、だから世論が大きく国葬を批判することにはなるまいという読み。

 さすがに政権は、恥ずかしくて、このようには言わない。政権の言えないホンネを露骨に口にする、政権の走狗というものが必ず出てくる。いま、その役割を果たそうというのが、ひろゆき意見にほかならない。

「同意しない人も多いと思いますが、…例え反社の人でも葬式ぐらいは静かに送ってあげる礼節を持つべきだと、おいらは考えます」 

 おいらだけではない、だれだってそう考える。同意しない人も多い…はずはない。他人の葬式を静かに送ってあげる礼節を否定する者はない。7月12日に行われた安倍晋三の葬儀を妨害したり非難したりする者は皆無だったではないか。にもかかわらず、まるで国葬反対派が礼節を持たざる人々と言わんばかり。

 「昔から日本人は村八分であっても葬式の手伝いはしてました」「『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と言える人は、誰にも迷惑を掛けずに生きてきた人なのかな?」

 ひろゆき意見は、安倍晋三を「反社」にたとえたり、「村八分」を例に出す。死者に対して、失礼と言えば失礼な言辞。もしかしたら、本心は安倍晋三を軽侮し揶揄しているのかも知れない。

 ひろゆき意見の悪質さは、唐突に『酷いことをした人だから葬式を妨害していい』と、あたかも、安倍国葬反対派が、言論の行使を超えて『実力による葬儀の妨害』を企図しているかのごとくにすり替えていることに見える。こういう、相手の言っていないことで、攻撃してはならない。

「人の葬式に行かない人は、黙って行かなければいいだけです。『行きません』とわざわざ言う必要はないと思います。遺族と参列者に失礼です」

 個人の葬儀なら、失礼か失礼でないかだけの問題。しかし、国葬の是非は大きな政治的なテーマになっている。安倍晋三の葬儀を国葬として行うべきかどうか、そのことについて、一人ひとりの国民が主権者として賛否を問われている。明確に賛否を表明することは、失礼か失礼でないかを超えた、主権者としてのあるべき姿勢である。

「『国葬に反対だけど、葬式は静かに見守る』のが大人の対応」なら、その大人は主権者としては未成熟。実は、権力にとって御し易い「こんな未成熟な大人」が大半だったから、政権私物化甚だしい安倍長期政権を許したのだ。

 そして、最後にまた出た「葬式で集まって騒ぐのは不道徳」。だれも国葬を実力で妨害して騒ごうなどと企図していない。こういう詭弁で、論争相手を貶めようとしたのが、生前の安倍晋三だった。ひろゆき意見は、まるで生前の安倍晋三の国会答弁である。泉下の晋三、クシャミをしているに違いない。

英国女王の葬儀がホンモノの国葬だって?

(2022年9月14日)
まあ、そう煙たがらずに少し聞け。
人間てものはだな
互いに、助けあい与えあい支えあって生きてもきたが、
また一面、奪い合い争いあって暮らしてもきた。
人の世の歴史には、光もあれば闇もある。

自然に生まれた無数の小さな人間の集団の中で、
強欲で狡猾で力の強いものが集団を支配する構造が生まれ、
その支配者が酋長とも族長とも呼ばれるようになったな。
盗賊のカシラや頭目・親分、あるいはボスとおんなじだ。

酋長・族長などがまた、
互いに闘ったり陥れたりを繰り返し、
一番腕力が強く、一番ずる賢いヤツが、
人の世の深い闇で人を蹴落として生き残った。
そいつら生き残りが、王や、皇帝を名乗るようになった。
なに。王も女王も皇帝も天皇も、
もとはといえば、頭目・親分、あるいは酋長や族長なのさ。
それが、人を殺し、人をだまし、人を陥れて、王になった。

奴らは一人の例外もなく
血塗られたその歴史を偽装した。
王位は、神から授かったとか、
民衆の支持を受けたとか、慈悲深かったとか、
神話を作って嘘八百をならべたな。

暴力で脅して民衆を支配するだけでなく、
宗教やら、神話やら、文学やら芸術やら、
ありとあらゆる支配の方法が動員された。
支配の道具としての法まで持ち出されたな。
さらには、道徳や倫理までが拵え上げられた。
服従こそが立派なことだと民衆に教え込んだわけだ。

だから、王座の骨格は、剣と血でできている。
それを、戦利品で飾りたてた王宮の中に据え、
人目を惹こうと奇抜な衣装をまとった王や女王が座る。
冠を戴き、ジャラジャラとアクセサリーを引きずり、
音楽でカムフラージュして
民衆に見映えを整えたものが王位だの皇位だのという代物。

だから、王も女王もテンノーも
野蛮な昔の残り滓。
遅れた国の残り滓。

バカバカしくも、
「安倍国葬はニセモノだが、
さすがにイギリスの女王の葬儀は、
これこそホンモノの国葬だ」
なんて持ち上げる論調が
メディアのなかに明らかに生まれつつある。
チャンチャラおかしくはあるのだけれど、
王政が拵え上げた「王政を支える文化」が、
こうも民衆を捉えてしまったのかという
不気味な話でもある。

「安倍国葬」強行は、安倍政治承継と改憲の宣言である。

(2022年9月13日)                                                                         
 きょうは、青空に白い雲がゆっくり泳いでいます。その青空を仰ぎながらの「本郷湯島九条の会」の街頭宣伝です。私は、「九条の会」の石井彰です。安倍晋三氏の「国葬」に反対しています

 宣伝行動の始まる前に、中年のご婦人が私たちの用意した「安倍国葬反対」のプラスターを見て、「ほんとにそうよ。何でこんな人に敬意だの弔意だのしなけりゃなんないの。冗談じゃないよ」と言って息巻いていました。まことに、おっしゃるとおりです。国葬反対は、今や大きな世論となっています。

 安倍晋三氏の「国葬」に反対する理由の核心にあるものは、「国葬」をおこなうことそれ自体が、全ての国民に安倍晋三氏に対する弔意を強制する意味をもつことになるということです。「国葬」に伴う黙祷や歌舞音曲停止という具体的な行為の強制があってはならないのはもちろんのこと、全ての国民がこぞって弔意を表明すると意味付けられた儀式の挙行は、明らかに弔意を表したくないという国民の内心を傷付けます。全ての国民が費用負担を強いられることにも納得できるはずはありません。

 日本国憲法は、個人の尊厳を最高の価値としています。そのことを定める憲法13条は日本国憲法の核心部分です。この核心部分をものの見事に崩落させて、国の意思によって、特定の人物に対する弔意を強制するのが、「国葬」なのです。

 安部晋三元首相が2022年7月8日に奈良市で銃撃で殺害された事件そのものが民主主義社会においてあってはならない所業であり、絶対に許されない行為であることは言うまでもありません。しかしこの事件をきっかけに、自民党が統一協会・国際勝共連合と半世紀にわたって深い癒着の関係にあったことが露呈しました。その自民党の中心に安倍三代、岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三がいました。この三代が、韓国発祥の統一協会・国際勝共連合に「日本という国を売り渡していた」ことが明らかになったのです。

 その安倍氏を「国葬」にすることは日本人の理性の欠如を世界に示すことにほかなりません。その結果、「国葬」とは、安倍氏の葬儀であるよりは、日本という沈殿した国の葬儀になっしまったのではないでしょうか。

 「国葬」を実施するのかやめるのか。それはカゲロウの国になるのか、理性・民主主義国家への道を歩むのかの分水嶺です。「国葬」反対の世論を全国で圧倒的に広げようではありませんか。

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 皆さま、月に一度の街頭宣伝です。「本郷湯島九条の会」の澤藤が最後にお話しをさせていただきます。もう少しの時間、耳をお貸しください。

 予定されている安倍晋三の国葬、轟々たる反対世論を押し切って、まだ政府は撤回しようとしません。無理をしてでも、やってしまおうという姿勢です。

 国葬反対の理由は、先程来、いくつも語られてきました。その多くは、国葬そのものが違憲であり、あるいは立憲主義に反し、あるいはこの度の国葬が手続き的に許されない、というものです。しかし、分かり易いのは、「国葬反対」論よりは「安倍国葬反対」論です。端的に言えば、「ウソつき晋三に国葬はふざけている」というフレーズ。

 国葬の対象となるには、国民がこぞって敬意を表するにふさわしい人、それゆえに国民の大多数が弔意を表明したいという人でなくてはなりません。そのような人を具体的に想定することは困難ですが、少なくとも、安倍晋三が国葬にふさわしい人物でないことは明白ではありませんか。

 彼は、少なくとも国会で118回のウソをついたことが明らかになっています。ウソつきを国葬にしてはいけません。

 彼は政治を私物化したとして悪名高い人物です。彼は、忖度という政治文化を蔓延させました。安倍政治とは、公文書の偽造・隠匿・改竄、ウソとゴマカシで特徴付けられています。要するに、安倍晋三とは尊敬に値する人物ではなく、道義的にも政治的にも廉潔性を欠いた、薄汚い唾棄すべき人物なのです。こんな汚い人物が国葬にふさわしくないことは明らかではありませんか。

 内政外交に安倍晋三が遺したのは負のレガシーばかり。アベノミクスで格差と貧困を拡げ日本経済を衰退させました。アベノマスクでは無能無策をさらけ出して国家財政に巨額な負担を負わせ、ウラディーミルのお友達としてどこまでも駆けて駆けて駆け抜けた無能な外交手腕。

 何よりも、彼は改憲論者でした。日本国憲法を敵視し、とりわけその平和主義をせせら笑って攻撃し、核共有論さえ語っていた人物です。とうてい、国民こぞって敬意を表明し、その死を悼むことのできる人物ではありません。

 しかも、彼は3代続いた年季のはいった統一教会との同志ではありませんか。筋金入りの反共というイデオロギーで結びついた同志。その関係が今暴かれつつあります。

 無理を承知で、こんな人物の国葬を強行しようというのは、現政権に魂胆があるからです。安倍政治の悪政を国民に忘れさせ、国民からの批判のトゲを抜き、安倍政治を国民に承認させ、安倍晋三が果たせなかった改憲を実現するための安倍政治承継の魂胆。それは、改憲への道筋を付けようとするものにほかなりません。

 安倍晋三の死を政治的に利用しようというたくらみを許容することはできません。どのような死に方をしようとも、安倍晋三の生前の所業をごまかしてはならない。ウソつき晋三を国葬という化粧で塗り込め、その罪を覆い隠すして、改憲策動に利用しようというたくらみを決して許してはなりません。

 ですから、皆さん。国葬参加者を注視しましょう。いったい誰が、なんのために、ウソつき晋三の国葬に参加するのか。これだけ違憲・違法と評判の悪い国葬に、敢えて出席するのか。どの政党、どの政治家、どの首長、どのジャーナリスト・経済人が出席するのか見極めようではありませんか。 

 街頭から、もう一度「安倍国葬反対」と呼びかけて、ここ本郷三丁目交差点での本郷湯島九条の会の訴えを終わります。

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 [本日のプラスター]★「国葬」反対、モリ・カケ・サクラ・クロカワイ。★国民不在「国葬」反対。★人類の理想・戦争放棄の9条。★「国葬」反対、政治の私物化許すな。★「国葬」イントク・カイザン・コウブンショ。★軍事費12兆円、アメリカの盾、捨て石ゴメンデス。★「国葬」反対ウソの答弁118回。

学校は、日本国憲法がめざす平和で民主的なこの国の主権者を育てる役割を担っている。

(2022年9月12日)
 本日、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の第6回ロ頭弁論期日。
 まだ準備書面交換による応酬が続いているが、次回(11月24日午後4時)には主張の段階が終わって、立証の段階にはいる目途が付きそうな状況。
 形式的な手続の後に、原告15人のなかのお一人が、口頭で約10分間の意見陳述をした。満席の法廷に切実な訴えの声がよく響いた。その全文を掲載しておきたい。

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原告意見陳述要旨

原告 (K高校定時制)

 私は、2017年春の卒業式に卒業生の担任として出席し、「国歌斉唱」時に起立しなかったことで戒告処分とされました。「10・23通達」が出されてから3度目の処分でした。
 最初の処分を受けた2004年4月の入学式の当日は、腸から出血し、自分はどうなってしまうのだろうと思いました。その後も、卒業式や入学式が近づくと気分が落ち込み、体調に異変が生じました。2度目の処分を受けた卒業式のときは、「君が代」が始まったときに激しい背中の痛みを覚え、自分はどうしても立てないのだと観念して着席しました。
 2016年4月にK高校定時制に異動し、3学年の担任になりました。定時制は通常4年間で卒業しますが、3年間で卒業できる制度があり、私はその年度の卒業式に担任として出席しました。卒業式が近づくと何度も校長室に呼ばれました。職務命令にも処分にも苦しみますが、なぜ「君が代」のときに立てないのかを説明することは、それよりもさらに苦痛です。

 私は、かつて勤めていた私学での経験から「君が代」を歌えなくなりました。
 その学校は神道を理念とした女子高で、入学式の前日には、近所の神社でお祓いを受けることになっていました。
 しかし、毎年、数人の新入生が神社の参拝を拒みました。この儀式は入学の前提とされていたため、神社参拝をできない生徒は入学を取り消されるのです。生徒が4月に入ってから入学する高校を失うという深刻な事態を目にしながら、私にはなす術もありませんでした。
 入学した生徒にも難関が待っています。体育館の壇上の神棚の上には常時「日の丸」が掲げられ、入学式・卒業式はもとより、元旦の拝賀式をはじめとして、天長節、紀元節などの儀式の都度、「君が代」を歌わせられます。それだけでなく、毎朝の朝礼では祝詞をあげて、明治天皇御製の歌を歌わせられます。そこでの神様は天皇、“現人神”でした。別の神様や宗教を信仰する生徒たちは、何かと抵抗しました。それを抑えて、素直に祝詞をあげ、歌を歌うよう“指導”するのが私たち教員の仕事でした。加えて、「良妻賢母教育」の名のもとに髪型や制服の着方などの生活指導も「取り締まり」と言った方がいいような仕方で行われました。こんな関わり方をしていて、生徒と心を通わせることなどできません。教師になった喜びとは無縁でした。
 強制されている生徒たちは、毎日嫌な思いをしていたでしょう。でも、自身の内面に根拠も必要性も感じないことを、生徒たちに強いている私も苦痛でした。「お給料をもらっているから仕方がない」と、自分に言い聞かせる日々を過ごすうち、“頭痛と出血で立っているのもやっと”という状態になりました。医師からは、転職するしか治す方法はないと言われ、都立高校の採用試験を受けました。

 こうして、ようやくストレスから解放されて18年余り。私学での悪夢を忘れていた私を、再び過去に引き戻したのが「10・23通達」でした。入学式・卒業式の式場で「君が代」の伴奏が響き渡ると、いやおうなくあの私学の体育館の光景が脳裏に浮かび、身動きができなくなりました。それが初めての不起立でした。
 約10年をかけた、処分取り消しを求める東京「君が代」裁判一次訴訟の結果、最高裁判決で戒告処分が容認された一方、減給処分は「重きに過ぎる」ことを理由に裁量権の逸脱・濫用として取り消されました。
 また、この問題の解決に向けてすべての関係者が真摯かつ速やかに努力するよう求める補足意見が付されました。
 これを見て、話し合いができるのではないかと期待し、私たち原告団は、毎年、都教委に話し合いの場を待ってくれるよう、要請を続けてきました。しかし、都教委は今日まで一向に応じてくれません。
 2019年には、ILO/ユネスコから、この問題の解決に向けて、式典の在り方や懲戒処分の決め方について、教員団体との対話を求める勧告が出されました。それでも、未だに都教委は話し合いを拒否し続けています。今年、ILO/ユネスコは、先の勧告の実施が遅々として進まないとの認識の下、「地方当局向けの適切な注釈や指導も併せて行うことを勧告する」という、より踏み込んだ再勧告を公表しました。かつて最高裁判事として、“起立斉唱の職務命令は違憲・違法”という反対意見を書いた宮川光治弁護士は、この報に触れて「日本はいまだに国際基準から外れることをしていて、恥ずかしい」と述べています。

 現在、私は再任用教員として勤務していますが、2017年に戒告処分を受けたことを理由に“年金支給開始年齢に達したら任用しない”と予告されています。しかし、再任用は単年度ごとに「従前の勤務実績等に基づく能力実証を経た上で採用する」という制度です。何年も先の合否を告げること自体が制度の趣旨に反しています。再任用打切りの事前告知を受けた定年時、私の業績評価は最高位の「A」でしたが、選考課の職員は「業績評価は再任用選考とは関係ない」「あなたが裁判で勝てば、それなりに対応します」と言い放っています。裁判所の判決という強制力が働かない限り、彼処分者は排除するということです。
 1歳上の原告の川村さんは、私と同様「再任用打切りの事前告知」を受けていましたが、この春、ついに再任用不合格とされました。しかも、彼女は「再任用職員採用選考」の通知に明記されている面接すら受けておらず、適正な手続きを経て合否が判定されたとは到底考えられません。さらに、秋に申し込んだ産休代替などの臨時的任用職員の要項が2月になって突如変更され、処分歴を書く欄が設けられた新たな申込書を提出させられました。これは、処分された教員を狙い撃ちにしたものという他はありません。
 ご理解いただきたいのは、「戒告という最も軽い処分」の重さです。処分を受けて6年も7年も経っても不利益が続き、最終的には戒告を理由に誠を切られるのです。こうした処遇は、他の教職員に対する見せしめの効果を発揮しています。私たちが裁判をしなければならないのは、他に手段がないからなのです。

 「10・23通達」は、都教委の意に沿わない教員を排除する装置として、導入されました。それまで、都立高校の運営は合議でなされてきましたが、命令と処分という運営手法に変えられたのです。都教委にしても、校長にしても、あるいは一般の教員にしても、上に立つには楽でしょう。しかしそれはもはや、子どもを育てる教育の場ではなく、管理と選別の機関でしかありません。今では、学校教育に関わるあらゆることの決定のしかたに、上意下達の体制が浸透しています。「10・23通達」に続いて、職員会議での挙手採決を禁止する通達が出されました。校長の一存で方針が決定され、私たちはただそれを実行するだけの存在になりました。この体制しか知らない世代の教員がすでに過半数を超えた今では、議論すらありません。公論が封じられた学校で、疑問も不満も封じ込められています。

 本来学校は、日本国憲法がめざす平和で民主的なこの国の、主権者となるにふさわしい人間を育てる役割を担っています。そのために、目の前の生徒に何か必要か、どうすればいいのかを考え、行動することが教員の責務ではないでしょうか。それとも、唯々諾々と、不当な職務命令にも従わなければならないのでしょうか。
 都立高校の教育が「10・23通達」の呪縛から解放され、本来の教育を取り戻せるよう、裁判官の皆様の、勇気ある判断を、心から期待いたします。

遠つ国の女王の死。私は悼まない。

(2022年9月11日)
遠つ国のことよ
とあるオバアサンがおっての
先祖伝来えらく金持ちで
キンキラ着飾って
チヤホヤされていたが
あっけなく、ぽっくりと
3日前に亡くなった
96歳だったそうな

そのオバアサンの仕事はの
なんとまあ、今の世に女王なんだと
このオバアサン、大真面目に
女王という仕事をやっていたようだ
照れもせず、恥ずかしがることもなく…

この国の国民も、大真面目に
女王という仕事をやらせていた
むかしむかしのことではない
21世紀の今の話だ

むかしむかしの世にはの
世界中に、王や、女王や、
皇帝やらがはびこっていた
テンノーなんてものもあってな
わけもなくむやみに
エラそーにしていたものよ

世の中が少しずつひらけて
人が少しずつ賢くなるにつれて
王も、女王も、皇帝も
少しずつ影をうすくし
無用の長物となって消えていった
遠つ国のオバアサンはその生き残りよ
化石みたいなものさね

この国にも化石みたいなテンノーがおって
化石どうしの付き合いには年季がはいっている
こっちの化石が、あっちの化石に、
「深い悲しみと哀悼」を述べたということだ
「世界の多くの人々の悲しみは尽きません」
「国民を導き、励まされました」
「数多くの御功績と御貢献に心からの敬意と感謝」
なんて言うとる。そりゃ口が過ぎる。

女王にしてもテンノーにしても、
その地での一番の
悪辣で、狡猾で、腕力が強かった
そういうやつの末裔というわけだ
その先祖は、
神話を捏造し信仰を利用した大嘘つき

化石ならぬ身が、
遠つ国の女王に弔意なんて
そんな恥ずかしいことをしてはならぬ
たぶらかされてはならぬ

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