(2022年9月10日)
明日(9月11日)の沖縄は選挙一色。この選挙結果は全国的に重要な意味を持つ。注視せざるを得ない。
7月参院選の後は、政権にとっての「黄金の3年」が始まると言われた。この間、国政選挙がない。政権は、世論を気にせずに思い切ったことができる。あわよくば、この間に改憲も…、とさえ言われてもいた。が、この3年のスタートの現実は、政権にとっての黄金どころではない、土砂降り泥沼の2か月である。内閣支持率も、自民党支持率も急速に低下している。主要メディアの一部には、「(政権与党は)解党的出直しを迫られている」との見解さえ見られる。
その世論の動向が、明日の沖縄の諸選挙で確認される。この沖縄の選挙結果は来年4月の統一地方選を占う。その統一地方選の結果は、「黄金の3年」のメッキを剥がすことにもなる。「3年」持たずして、総選挙必至となるかも知れない。
明日投開票される沖縄選挙のハイライトは任期満了に伴う知事選。《沖縄県内最大の政治決戦》と言われている。玉城デニーの再選をかけた選挙戦。立候補者は下記の3名。
玉城デニー・現職=「オール沖縄」(立民、共産、れいわ、社民、社大、新しい風・にぬふぁぶし)推薦
佐喜真淳・新人=自民、公明推薦
下地幹郎・新人
もともと主要な争点は、《辺野古新基地建設の賛否》や《経済対策》であった。これに、統一教会や安倍国葬問題がどう影響するか。
知事選だけでない。注目されるのが、1議席を争う県議補欠選(那覇市・離島区)。
県議補選にはいずれも新人で前那覇市議の上原快佐(カイザ)他の4人が立候補している。県議会の定数は48。玉城県政の与党24(共産・立憲・無所属)、野党(自民・公明)21、中立3と色分けされていた。与党県議の一人が、那覇市長選(10月16日告示、23日投開票)に立候補するため辞職し、那覇市・南部離島選挙区(被選挙数1)で補選となった。補選に立候補のカイザは、「オール沖縄」の前那覇市議。与党議席半数維持のために、勝たねばならない選挙。
さらに、任期満了に伴う宜野湾市長選。前回2018年と同じ顔ぶれ。再選を目指す現職の松川正則=自民、公明推薦=に、「オール沖縄」勢力が支える元県高校PTA連合会会長の仲西春雅=立民、共産、れいわ、社民、社大、新しい風・にぬふぁぶし推薦=が挑む。
そして、本部(もとぶ)、大宜味(おおぎみ)、伊是名(いぜな)の3町村では首長選があり、5市と19町村の計24市町村で議員選が投開票される。24市町村の総定数348に対し418人が立候補している。
以下は、赤旗の本日の記事である。
(現地に応援で張り付いた小池晃書記局長は、)岸田自公政権が宮古島・石垣島に続き、沖縄本島にまで自衛隊ミサイル部隊の配備を計画していることを告発。「沖縄を二度と戦場(いくさば)にしてはならない。憲法9条を守り抜くとの願いをデニーさんとカイザさんに託してほしい」と呼びかけました。
デニー知事は「誰もが希望をもってみんなで支え合う沖縄の政治をさらに前進させていく」と強調しました。
カイザ氏は、日本の政治が憲法を守っていないと述べ、「権力に歯止めを掛ける存在がいないと、ますます暴走してしまう。そのような日本にさせないために憲法を必ず守っていく」と力を込めました。
明日の投開票の結果に期待したい。
(2022年9月9日)
私が山口俊一。昨日(9月8日)の衆院閉会中審査、あの質疑を取り仕切ったのが議運委員長の不肖私。徳島を地盤に現在11期目。麻生派ですよ。これまで、パッとした業績はありませんが、突然に有名になっちゃった。どう見ても頼りない総理を、鋭い野党の攻勢から私が守ったわけだから、我ながらの大きなお手柄。
この日の審議の議題は「安倍元首相の国葬儀について」だった。本来は、どうすれば立派な国葬儀ができるかの知恵を寄せ合う議論をするはず。どうすればより深くより暖かく、元首相に対する敬意と弔意を示す儀式とするか。建設的で、提案型の諸意見集約の場とすべきが当然のこと。
ところが、野党の側は元首相に対する敬意と弔意のカケラもない連中ばかり。質問とは名ばかりの国葬儀への嫌がらせ。不肖私が割ってはいらなければたいへんなことになっていたはず。
議題が「安倍元首相の国葬儀」だということは、旧統一教会問題の議論をすべき場ではないということ。安倍元首相と統一教会との関連がいかに親密なものであろうとも、統一教会問題の議論は論点ずらしではないか。いや、安倍元首相と統一教会との関連が極めて親密なものであるからこそ、ここを野党に衝かせるわけにはいかんのだ。
だから、総理が危なくなれば、「本日の議題は国葬儀」と、不肖私がレフリーの身でクリンチを繰り返す。野党やその支持者には面白くなかろうが、これも闘いの一場面。ハラハラしていたはずの、政権も自民党も、そして統一教会も、胸をなで下ろしたろう。
立憲民主党泉健太の舌鋒は、さすがに鋭い。「自民党と旧統一教会との関係を考えた場合に、安倍元総理は最もキーパーソンだったのではないか」と、総理に迫った。これに対する総理答弁が、いかにも頼りない。余計なことを口にしての時間稼ぎという狙いが見え見えだから、なおさらだった。
「本人が亡くなられたこの時点において、実態を十分に把握することは限界がある」「自民党として丁寧に説明しなければいけない。それぞれの点検結果について、取りまとめを行い、説明責任をしっかり果たしていこうという作業を進めている」とまあ、誰が聞いても下手くそな論点ずらし。
「限界はあろうが、可能な限り調査する」なら分かるが、「限界があるから一切調査しない」って、いったいそりゃなんだ。これで、納得しろと言うのが無理な話。だから、私の出番が必要なのだ。泉に対して、「本日の議題は国葬儀だ」「それをよく踏まえてのご質問を…」と何度かのブロック。質問の腰を折って、それなりの効果があったと思うね。
委員長席で聞いていても、総理の答弁は、今まで小出しに言ってきたことを繰り返しただけ。そして、聞かれたことにははぐらかし。どう考えても、ひいき目に見ても、「丁寧な説明」にはなっていない。野党も国民も納得できるはずはない。
でも、本日の日刊ゲンダイが不肖私を、《岸田政権の新たな守護神誕生だ》と持ち上げてくれたことは、ややこそばゆい。我が党は人材豊富なのだ。入れ替わり立ち替わり、新たな政権擁護の立役者を生み続ける。
共産党の塩川鉄也もしつこかった。「国政選挙における安倍氏と統一教会の関係についてはどう考えるか」と、安倍と統一協会との関りを明らかにせよと追及して、明らかに総理を困らせていた。だから、私は、総理の顔を見ながら、「直接議題と関係ないことには、お答えいただかなくて結構でございます」と、恩を売っておいた。総理は、「安倍氏がなくなられているいま、関係を調査することには限界がある」との主張を繰り返すばかり。正直のところ、こりゃダメだね。
安倍国葬を検討するに際して、安倍と統一協会の関係の究明を避けて通ることができないことくらいは分かりきったこと。安倍晋三が統一協会の広告塔の役割を果たし、統一協会の活動を側面支援し、国政選挙において統一協会の組織票配分を差配していた。みんな知っていることだが、そんなことを総理に答弁させるわけにはいかない。だからこその私の働き。
昨日から今日のメディアの論調は、不肖私が、安倍元首相と統一教会の密着性を却って浮き彫りにし、閉会中審査を契機に国葬反対論がさらに拡大することが避けられない情勢だという。おそらくはそのとおりだろう。それでよいのだ。何よりも私の知名度が上がることが大事なのだから。悪名は無名に優る、というではないか。
(2022年9月8日)
猪瀬直樹が、朝日新聞社と三浦まり(上智大学教授)両名を被告に1100万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起した。一昨日(9月6日)のこと。これがスラップではないかと、話題になっている。
6月12日、東京・JR吉祥寺駅前で参院選の街頭演説の際、維新の応援弁士であった猪瀬が隣にいた東京選挙区の候補者海老沢由紀=落選=の肩や胸元付近を手で触っている動画が交流サイト(SNS)上に拡散した。この行為をセクハラと報じられたことによって名誉を傷つけられたとするのが、猪瀬の主張。猪瀬は同月17日、自身のツイッターで「軽率な面がありました」と投稿したそうだ。が、どこで気が変わったか、朝日とコメンテーターを訴えたのだ。
報道では、訴状では《 朝日新聞は6月17日付の電子版記事に、猪瀬の行為について「間違いなくセクハラではないでしょうか」などと批判する三浦のコメントを掲載した》とし、これが名誉毀損と主張されている。
朝日の電子版を見ると、問題とされたのは『「たとえ本人がよくても…」 演説中に女性触った猪瀬氏、その問題点』と題する記事。その中での三浦コメントの主要部分は次のとおりである。
「映像では、胸に触れていたように見えました。間違いなくセクハラではないでしょうか。その場では女性本人も拒絶することができない、そういう瞬間だったと思います。
今回の猪瀬氏は応援弁士の立場。応援してくれる人に対して、この立候補予定者は余計に立場が弱く、抗議しにくい背景があります。
(立候補予定の女性本人は16日午後、「まったく気にしてませんでした」「胸にあたってもいない」などとツイート)
たとえ、本人がよくても、見ていた人たち、特に若い女性にとっては、立候補しようとする人はセクハラを我慢しないといけないという誤ったメッセージになってしまいます。」
私は、このコメントを適切で立派なものと思う。このような言論を妨害してはならない。到底、違法を追及されるような内容ではない。しかし、猪瀬の主張は、《海老沢氏本人がセクハラではないとの見解を示していることなどから「三浦氏の発言は事実ではない」というもの》と報じられている。以上を前提に、猪瀬の提訴はスラップであるのか、そうではないのか。
スラップとは、法律用語ではない。法や訴訟が社会の中でどのような役割を果たしているのかについての言わば法社会学的な概念であって、厳密な定義があるわけではない。だが、正当な言論を萎縮せしめる効果を狙っての民事訴訟というダーティなイメージに満ちた用語ではある。
法的問題として捉える以前に、憲法感覚やジェンダー感覚、社会的良識が問われねばならない。国政選挙の女性候補者が、同じ政党の男性候補者の応援演説で、女性候補の身体を触るという奇妙な行為に及んだ。その不審で無神経な行為に「間違いなくセクハラではないでしょうか」という批判が果たして不適切だろうか。非難に値するものであろうか。
三浦コメントも指摘しているとおり、女性の身体を触ったのは、同じ党に所属する著名な年配の男性応援弁士。これにセクハラ抗議の声を上げることの困難さは言わずもがな。とすれば、この女性が猪瀬をかばってなんと言おうとも、猪瀬の行為を批判する言論は、適切なものでこそあれ、到底非難に値するものではない。
法的にはどうであろうか。猪瀬の行為は動画にも写真にも記録されている。隠しようも誤魔化しようもない。三浦は、その動画を観て、猪瀬の行為を「映像では、胸に触れていたように見えました。間違いなくセクハラではないでしょうか」と述べたのだ。
常識的には、「映像では、胸に触れていたように見えました」は《事実の摘示》で、「間違いなくセクハラではないでしょうか」は《意見の表明》である。
名誉毀損訴訟では、《事実の摘示》と《意見ないし論評》の区別が重要になる。
これは、判例に定着している「公正な論評の法理」にもとづくもので、「名誉毀損記述」となる文章を「事実の摘示」と「論評(ないし意見)」とで構成されているとして、そのどちらかに区分する。裁判所の対応の姿勢は「事実摘示」の名誉毀損言論に対しては厳格であるが、「論評(ないし意見)」の表明には頗る寛容である。論評・意見の表明の自由は幅広く認められ、極端な人格攻撃をともなわない限り、論評(ないし意見)は自由と考えてよい。
事実の摘示としての「映像では、胸に触れていたように見えました」には、当該記述の「真実性」ないしは、真実であると信じたことの「相当性」が問われる。その立証あれば、違法性が阻却され、あるいは過失がないとして、請求は棄却されることになる。「映像では、胸に触れていたように見えました」の真実性立証が困難なはずはない。ましてや、相当性においておやである。
そして、「間違いなくセクハラではないでしょうか」は、「映像では、胸に触れていたように見えました」という真実たる事実を前提にした《意見の表明》であって人格攻撃の要素などもない。この部分の有責はあり得ない。
結局のところ、猪瀬側に勝ち目のない訴訟と評せざるを得ない。そのことを猪瀬自身が知らぬはずもない。ではなぜ、敢えて提訴か。自分に対する批判の言論に対する萎縮効果を狙ってのものと考えるしかない。これがスラップである。
むしろ本件は、明らかに法的・事実的な根拠を欠いた民事訴訟の提起とされる可能性が高い。猪瀬がその根拠を欠くことを知りながら提訴におよんだか、あるいは、通常人であれば容易にそのことを知り得たのに敢えて提訴におよんだと認定されれば、この民事訴訟提起自体が不法行為となり、猪瀬に損害賠償が命じられかねない。それが判例のとる立場である。
猪瀬は今、危ない橋を渡り始めたのだ。
(2022年9月7日)
安倍晋三の統一教会葬はないのだろうか。あるいは、勝共連合葬。もちろん葬儀の挙行は自由だ。安倍晋三の政治信条を支持する人々が任意に葬儀に参列してその真情からの弔意を表明し、献花し、献金すればよい。安倍晋三の政治信条を支持しない人々にはなんの迷惑もかからないし、なんの憲法問題も生じない。その場合、弔辞は、安倍晋三とともに統一教会に親密だった細田博之が読むことになろうか。
国葬となれば話はまったく別だ。全国民を弔意の表明に巻き込むことになる。さまざまな憲法問題が生じる。国会での論議が不可欠である。予算も決算も明らかにしなければならない。そもそも、嘘とゴマカシ、政治の私物化で知られる人物の国葬適格性が問題とならざるを得ない。
そんな安倍国葬が、政府の予定のとおりに強行されるとして、世論の糾弾を押して、いったい誰が出席するといのだろうか。共産党に続いて、れいわ新選組が安倍国葬出席拒否の方針を表明した。山本太郎は会見で「れいわとして出席しない。(政府は)法的根拠がないものをごり押ししようとしている」「閣議決定だけで国会を事実上、形骸化させるようなことは絶対に許してはいけない。政府の裁量だけで決めるのは独裁国家だ」と強く非難。「それほどやりたいなら、自民党と旧統一教会の合同葬にしてほしい」とまで述べたという。なるほど、安倍晋三には、自民党と統一教会の合同葬がふさわしいのかも知れない。
まさか、社民党が出席とはならないだろう。準与党というべき維新と国民は、ボイコットできまい。問題は立憲だ。出欠については「(閉会中審査の)結果を見極めた上で判断」とのことだが、権力の横暴に対する抵抗の姿勢が問われる問題として、見守りたい。
なお、この問題「党議拘束」とは無関係。出欠は、議員や被招待者各個人の主体性にもとづく判断による。自民党からも公明党からも、出席ボイコットあってしかるべきだろう。下記のような事態となれば、何とも痛快なのだが。
「(山県有朋の)国葬当日は雨上がりで寒かった。1万人収容の仮小屋に数百人しか参列せず、議員数人の他は軍人と官僚ばかり。たまたま1カ月前、同じ東京・日比谷公園で行われた政敵、大隈重信の国民葬に30万人が詰めかけ、沿道に100万人が並んだ盛況との明暗を、毎日新聞の前身・東京日日新聞は『大隈侯は国民葬 きのうは<民>抜きの<国葬>で 中はガランドウの寂しさ」と伝えた。」(伊藤智永・毎日「石橋湛山は国葬に反対した」)
そして、国外からの要人は弔問に来日するのか。これも見込み違いとなりそうだ。
主要各国の首脳の顔が揃いそうにもない。アメリカからバイデンは来ない。トランプだってその気配もない。シンゾーとどこまでも駆けて行くことを誓った親友ウラディーミルもそれどころではない。習近平も来ない。金正恩が来れば弔問外交の目玉になろうがあり得ない。イギリスも、フランスも、イタリアも、首脳は参列しない。ドイツのシュルツ首相も来ない。せめてメルケルが来れば話題ではあろうが、これとて来ない。
あれっ? 「地球を俯瞰する外交のアベ」と自讃したこともあった安倍晋三のはずだったが、棺を蓋いてこと定まれば、こんな程度のことなのだ。全ては晋三の不徳の至りで、自己責任なのだろう。結局、安倍国葬実施の一つの根拠とされてきた「弔問外交」は“絵に描いた餅”と言われる事態である。
やっぱりやめよう 金食い虫の安倍国葬。
(2022年9月6日)
NHKと森下俊三経営委員長の両名を被告として、NHKの報道姿勢と総理大臣任命の経営委員会のあり方を根底から問う《NHK文書開示請求訴訟》。本日午前11時、その第4回口頭弁論が、東京地裁103号法廷で開かれた。
前回の第3回口頭弁論以後、原告は被告森下に対して、2回にわたる求釈明を重ねた。本訴訟提起直後に被告NHKから原告に開示された「議事録のようなもの」の原記録である録音データの消去の真実性をめぐるものである。
被告森下はまことに不誠実な対応に終始し、データの消去についてもバックアップの有無に関しても、納得しうる説明をしない。そこで、原告としては、本日提出の第6準備書面において、これ以上の求釈明を繰り返すことをやめ、被告森下俊三本人とデータ消去の担当職員の尋問によって、その存在を立証する方針を明確にした。
今回の法廷では、この点の経過を、下記のとおりのパワーポイントを使って、原告代理人(澤藤大河)が説明した。傍聴者に分かりやすいものであったと思う。
また、原告の一人浪本勝年さん(元立正大学教授・教育学)が意見を陳述した。NHKに対する国民の期待を語り、その期待を大きくはずれたNHKのあり方を慨嘆して、被告らには本訴訟においての誠実な対応をもとめ、裁判所には法に基づいた納得しうる審理と判決を求めた。
裁判所は、両者の主張によく目を通しての無理のない訴訟指揮を行っているという印象を受けた。次回までに提出すべき、各当事者の「宿題」が明らかにされ、次回期日には人証の採用決定が見込まれる進行となった。
次回・第5回口頭弁論期日の予定は、以下ののとおり。
日時 10月26日(水) 午後2時
法廷 東京地裁415号
この訴訟で開示請求の対象になっている最重要文書は、2018年10月23日経営委員会議事録の未公表部分。下記のパワポで「未開示文書?」と表示されている文書。公表されているこの日の経営委員会議事録には、経営委員会が上田良一NHK会長に『厳重注意』を言い渡した経緯の記載が欠落している。これを開示せよという請求が第1の問題。
NHKの良心番組「クローズアップ現代+」が、「かんぽ(生命)保険不正販売」問題を放映したところ、加害者側の日本郵政が、この番組をけしからんとしてNHKに圧力をかけてきた。経営委員会は、この外部の圧力から番組制作を護らなければならない立場であるにもかかかわらず、なんとその正反対のことをしでかした。
当時経営委員会委員長代行だった森下俊三らは、日本郵政の上級副社長鈴木康雄らの番組攻撃に呼応して、番組制作現場への圧力を加える『会長厳重注意』を強行した。公共放送であるNHKの適正な運営を確保するための経営委員会が暴走して、番組制作現場とNHK執行部を攻撃したのだ。NHKの最高機関が、NHKの放送の自由を侵害している。
放送法41条は、経営委員会委員長に経営委員会議事録の作成と公表を義務付けている。しかし、公表されている議事録に、『会長厳重注意』の部分は抜け落ちている。しかも、一定の場合、議事録公表義務免除の規定はあっても、議事録作成義務の免除の余地はない。だから、「公表されてはいないが、法の規定によって存在するはずの議事録を開示せよ」というのが原告の請求。
もっとも、本件の提訴後原告には「議事録のようなもの」(「粗起こしの議事録草案」と言われる)が開示されてはいる。しかし、これは「のようなもの」ではあつても議事録ではない。法が必ず作成せよと命じている以上は、正式の議事録がなくてはならない。その、あるはずの議事録を開示せよというのが、「未開示文書?」の問題。
仮にもし、被告森下が議事録を作成もせず、公表もしていないとなれば、明白で重大な法律違反である。なぜ、そのような違法を敢えてしたか。その動機は、経営委員に番組制作への介入を禁じた放送法32条2項に違反したことを正式な議事録に残したくないから、という以外に考えようはない。違法を恥じない人物が、NHKの最高幹部になって、NHKの放送の自由を攻撃しているのである。総理の任命責任は重大で、現内閣には罷免を求めなければならない。
そして、もう一つが、「議事録のようなもの」の原資料である録音データである。これが、「未開示文書?」の問題。
「のようなもの」には作成者の記載はなく、正確性を確認する術はない。そこで、録音の原電子データを開示せよと要求したら、なんと「消去しました」という。バックアップもとっていないと。
えっ? こんな大事なものを簡単に消去? いつ、誰が、どうして、誰の指示で?と問い質しても、けっして回答しないのが森下俊三である。以上が、原告第6準備書面の内容。以下が、そのパワポ説明である。
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NHK情報開示等請求事件第4回期日
原告第6準備書面の概要
1.未開示記録の特定
? 未公表部分を含む完全な議事録
?「粗起こし」の原記録である録音データ
2.不誠実極まる被告森下の釈明
3.当事者意識を欠いた被告NHKの釈明
被告NHKは請求された文書を開示していない
開示請求文書目録
(1) 2018年4月24日に放送された「クローズアップ現代+」を巡ってNHK経営委員会でなされた議論の内容(上田良一会長に対して厳重注意をするに至った議論を含む)がわかる一切の記録・資料
(2) 「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」が提出した答申第797号、第798号、第814号、第815号、第816号を受けて、NHK経営委員会が行った当該議事録等の開示を巡る議論の内容がわかる一切の記録・資料
原告の開示請求には議事録が含まれる
原告開示請求対象の第1項
(1) 2018年4月24日に放送された「クローズアップ現代+」を巡ってNHK経営委員会でなされた議論の内容(上田良一会長に対して厳重注意をするに至った議論を含む)がわかる一切の記録・資料
経営委員会の正式な議事録があれば、「NHK経営委員会でなされた議論の内容・・・がわかる・・・記録」に該当する。
当然、本件訴訟の開示請求の対象となる。
争点となっている議事録(未開示文書?)
番組「クローズアップ現代+」の「かんぽ(生命)保険不正販売」報道に被告森下らが外部と呼応して圧力を加え『会長厳重注意』を言い渡した際の「経営委員会議事録」未公表部分(会長厳重注意言い渡しに関わる部分)
何ゆえ正式の議事録を作らないのか
? 合理的に推認すれば、番組制作への介入を禁じた放送法32条2項に違反したことを正式な議事録に残したくない
? 法的義務に違法することを恥じない人物が、NHKの最高幹部になっている
? 法廷で、自らの放送法違反行為を認めることは、驚愕の事態
? 放送法は経営委員長が違法行為をする場合の制裁等定めていない。考えられない事態。
? 総理の任命責任は重大で、罷免を求める政治的イシューへ
当該の議事録は本当にないのか?
? 原告らに開示された「粗起こし」は正式な議事録ではない。
「議事録のようなもの」でしかない。
? 議事録作成は放送法41条で経営委員長(2018年12月24日以後は被告森下)に課された法的義務である。
しかも、議事録作成義務が免除されることは一切ない。
? よって、「のようなもの」ではない、法が求める適式のものとして存在する議事録の開示を求める。
? 仮に当該部分の正式な議事録が未作成とすれば、被告森下の明白にして重大な違法であり、経営委員としての不適任を意味し、これを任命した内閣総理大臣の責任も追及されざるも得ない。
審議委員会は何を見たのか?
? 審議委員会答申は、議事録を開示すべきとしている。
? 今まで、4年間も議事録が存在することを前提に手続きが進んできたのに、いきなり「実はない」と言われても・・・・・。
録音データ(未開示記録?)の隠蔽がなされている
? 原告の請求は、「一切の記録・資料」の開示
? 当然、録音・録画も含まれる
? 被告は経営委員会の録音があったことを認めつつ、消去したとしている
? 消去した日も、消去した人も、具体的な作業内容も示すことができない
? 審議委員会の審議にかかっている最重要な録音データを消去するはずがない
本当に消去されたのか?
? 被告森下は、録音は担当者の個人的なメモのようなものでありすでにその担当者が消去したとしている
? 誰が?→答えない
? いつ? →答えない
? どんな作業をしたのか? →答えない
? とにかく「存在しない」とする
? NHK経営委員会のシステムにはバックアップはないのか?
被告森下による「存在しない根拠」その?
? 令和3年4月7日時点における本件録音データの不存在が確認されていること
? 誰が、どうやって確認したのか?
? 存在確認はできても、不存在の確認は難しい
被告森下による「存在しない根拠」その?
? 個人の備忘録として補助的な使用に留まる本件録音データが、それを基に作成された議事録の完成後に廃棄されることに何ら不自然・不合理な点はないこと
? 経営委員長の法的義務である議事録作成であるのに、担当職員の私的活動として録音がなされる不自然さ
? 経営委員長が私的録音を許していたのか?
? データの管理はどうなっていたのか?
? 議事録が作成されていないのに、職員の一存で消去できるのか?
被告森下による「存在しない根拠」その?
? 本件録音データの廃棄は、経営委員会における録音データの一般的な取扱いに従って行われていること
? 「私的録音」だったはずなのに、データ廃棄だけは突然「経営委員会における録音データの一般的な取扱い」に従って行われる矛盾
? 「経営委員会における録音データの一般的な取扱い」とは何なのか具体的には示されない
被告森下による「存在しない根拠」その?
? 既に開示済みである議事経過(粗起こし)に記載された内容以外の内容が本件録音データに含まれていることを疑わせる事情は存在しないこと
? 粗起こしが正確であることは検証不能
? 「かつて録音はあったが削除されていた」と自発的に申告したわけではない
? 原告に指摘されて突然無かったことが確認されていたと主張して、どうして信頼できるか
被告森下による「存在しない根拠」その?
? 録音データは、担当職員が議事録の作成のための個人的な備忘録として補助的に使用するものであって、「NHK役職員が業務上共有することは予定されていないから、本件録音データがNHK情報公開規程(丙36)3条の「開示の求めの対象となる文書」に該当しない
? NHK情報公開規程3条「開示の求めの対象となる文書は、NHKの役職員が業務上共用するものとして保有している文書(電磁的に記録されたものを含む)」
被告森下らの尋問が不可欠
? 被告森下
経営委員長としてどのように議事録を作ったのか、法的義務を果たしたのか、果たさないのならその理由
? 上田元会長
経営委員会に臨席した者として粗起こしの正確性、被告森下の議事録非公表についての違法性の重大さ
? 経営委員会の事務責任者
議事録作成の経緯、録音データの管理
(2022年9月5日)
安倍国葬反対の声は澎湃として全国を席巻しつつある。そもそも国葬とは、国民の圧倒的多数が死者に対する敬意と弔意を有して始めて成立するものだろう。あらゆる世論調査の結果がその真逆の民意を示している。国葬推進派も、「大多数の国民が、安倍元首相に対しての国を挙げての敬意と弔意の表明を望んでいる」とは、けっして言わない。とうてい、言えない事態なのだ。
ならば、安倍国葬はもうあり得ない。もともと無理だったのだ。「過ちては改むるに憚ることなかれ」ではないか。また、「過ちて改めざる是を過ちと謂う」とも。岸田君、今こそ君が隠し持っているというあの「国民の声を聞く力」を初めて発揮のときだ。君は不得意なようだが、自分が間違った理由を、国民に丁寧に説明し謝罪すれば、まだ続投の目はある。過ちを認めず、改むるを憚り、結局改めざるの過ちを重ねれば、傷が深くなるばかり。
傷は浅いうちに治癒すべきが鉄則ではないか。幸い、国葬の実施は国会を通さずに閣議決定で決めただけのものだ。それなら、国葬実施撤回の閣議決定をしさえすればよい。簡単なことだ。
ところで、国葬反対の理由は、当初は違憲論が主調だった。《安倍国葬》よりは、《国葬》そのものが違憲・違法とする立論。憲法19条・14条違反。あるいは、財政民主主義に反する、そもそも立憲主義に反する…等々。やや、小難しい。
次第に論調は《安倍国葬反対》に移ってきた。理由は、よく考えて見れば安倍晋三が国葬に値する人物ではないという分かりきったことの再認識。こんな人物を国葬にするなんて、日本の恥ではないかという真っ当な感覚の復活である。「ウソつき晋三の国葬反対」「政治を私物化し忖度文化をはびこらせた安倍の国葬を認めない」「歴史を偽造しヘイトを煽った人物の国葬などとんでもない」「こんな人に、敬意や弔意なんてまっぴら」と、分かり易い。
しかも、安倍国葬反対の世論高揚に決定的なインパクトとなったのは、統一教会問題だった。岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の三代にわたっての、統一教会との醜悪な持ちつ持たれつの関係の一端が暴かれて世論は急速に変わった。明らかに白けた。
安倍と教団との相寄る二つの魂をつないだものは、反共という黒い糸。今世論は、安倍晋三と統一教会の関係に敏感な反応を示している。「統一教会の広告塔である安倍晋三の国葬はあり得ない」「統一教会の正体隠しに加担し、霊感商法や高額献金を支援した安倍晋三ではないか。糾弾すべき人物を国葬なんて」「反共・極右の政治信条で統一教会と結びついた安倍晋三の国葬には、危険な政治的意図の臭いがする」…。
岸田や茂木など自民党幹部は、「統一教会と自民党との接触はない。教会と接触を持っていたのは議員個人でしかない」という論法で、世論をかわそうとしているようだが、さてどうだろうか。自民党と統一教会・勝共連合とが公式には接触していないのか、今のところは分からない。しかし、統一教会は、信介・晋太郎・晋三と自民党の要職を嗣いできた世襲三代と親密な関係を築いてきた。何よりも、自民党総裁として権勢を欲しいままにしてきた安倍晋三が、統一教会・勝共連合とは抜き差しならぬ関係にあったのだ。
他の議員のことは後回しにしても、安倍晋三と統一教会・勝共連合との抜き差しならぬ親密な関係を徹底して真っ先に調査すべきが、自民党の世論に対する責務であろう。いま、これをやる気があるのかが問われている。
自民党の幹部は、「亡くなった人への調査には限界がある」と言っているそうだが、そりゃまるで安倍流の流の嘘だ。「限界」は調査回避の口実に過ぎない。安倍晋三が生存していたとて、任意の自白をするはずはない。そのことは、モリ・カケ・サクラで、国民が身に沁みている。むしろ、安倍なき今こそ、安倍に忖度のない調査環境が調ったと言うべきである。安倍なき今だからこそ、遠慮のない徹底した調査が可能となってる。その上で、あらためての安倍晋三の身体検査がどのくらいできるのか、自民党自身が、その自浄能力の有無を問われているのだ。
それにしても、泉下の安倍晋三の心情を忖度するに、国葬は迷惑至極な押し付けであろう。家族葬だけにしておけば、銃撃の犠牲者であったものを、国葬なんぞにしようとするから、「ウソつき」「政治の私物化」「ヘイト、歴史修正主義者」「反共・霊感商法擁護」と生前の悪行を暴かれ数え上げられているのだ。自らの不徳の致すところとはいえ、気の毒ではないか。安倍晋三自身のためにも、一刻も早く、安倍国葬実施の撤回をしてあげるべきだと思うのだが。
(2022年9月4日)
NHKと森下俊三経営委員長の両名を被告として、NHKの報道姿勢と総理大臣任命の経営委員会のあり方を根底から問う《NHK文書開示請求訴訟》。その第4回口頭弁論が、以下の日程で開かれます。
9月6日(火)午前11時
東京地裁103号法廷
今回の法廷では、原告主張の要約をパワーポイントを使って、原告代理人(澤藤大河)が説明いたします。原告の一人浪本勝年さん(元立正大学教授・教育学)の意見陳述もあります。ぜひ傍聴をお願いいたします。
なお、今回傍聴券の配布はありません。先着順に103号に入廷してください。コロナ対策としての空席確保の措置はありませんので、傍聴席の座席数は十分だと思われます。
また、引き続いて下記の報告集会を開催いたします。
同日午後1時から、
参議院議員会館102会議室
こちらにも、ご参加下さい。時間をかけてのご報告をいたします。意見交換の機会もあります。
この訴訟で開示を求めている最重要文書は、2018年10月23日経営委員会議事録の未公表部分です。公表されているこの日の会議の議事録には、経営委員に不都合な経過の記載が欠落しているのです。
この日の経営委員会で驚くべきことが起こりました。経営委員会は、呼びつけた上田良一NHK会長に『厳重注意』を言い渡したのです。しかも、その理由がとうてい看過し得ません。
NHKの良心的番組「クローズアップ現代+」が、「かんぽ(生命)保険不正販売」問題を放映したところ、加害者側の日本郵政がこの番組をけしからんとして、NHKに圧力をかけてきました。経営委員会は、この外部の圧力から番組制作を護らなければならない立場であるにかかかわらず、なんとその正反対のことをしでかした。当時経営委員会委員長代行だった森下俊三らは、日本郵政の上級副社長鈴木康雄らの番組攻撃に呼応して、番組制作現場への圧力を加える『会長厳重注意』を強行したのです。
公共放送であるNHKの適正な運営を確保するための経営委員会が暴走して、番組制作現場とNHK執行部を攻撃している構図なのです。NHKの最高機関が、NHKの放送の自由を侵害しているのです。こんな経営委員を任命したのが、安倍晋三。国葬なんぞ、とんでもない。
放送法41条は、経営委員会委員長に経営委員会議事録の作成と公表を義務付けています。しかし、公表されている議事録に、『会長厳重注意』の部分は抜け落ちています。しかも、一定の場合、議事録公表義務には免除の規定がありますが、議事録作成義務の免除の余地はありません。ですから、「公表されてはいなくても、存在するはずの議事録を開示せよ」というのが原告の請求です。
もっとも、本件の提訴後原告には「議事録のようなもの」(「粗起こしの議事録草案」と言われる)が開示されてはいます。しかし、これは議事録ではありません。法が必ず作成せよと命じているのですから、正式の議事録はあるはずと言わねばなりません。
「のようなもの」ではない、正式の議事録を開示せよ、というのが原告の要求で、仮にもし被告森下が議事録を作成もせず、公表もしていないとなれば、明白で重大な法律違反です。おそらくは、番組制作への介入を禁じた放送法32条2項に違反したことを正式な議事録に残したくないのです。違法を恥じない人物が、NHKの最高幹部になって、NHKの放送の自由を攻撃しているのです。総理の任命責任は重大で、現内閣には罷免を求めなければなりません。
そして、もう一つの問題は、「議事録のようなもの」の原資料である録音データです。「のようなもの」には作成者の記載はなく、正確性を確認する術はありません。そこで、録音記録を開示せよと要求したら、なんと「消去しました」というのです。バックアップもとっていないという。どこかで聞いたような話。
えっ? こんな大事なものを簡単に消去? いつ、誰が、どうして、誰の指示で?と問い質しても、けっして回答しないのが森下俊三さん。まったく困ったお人です。
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《NHK文書開示請求訴訟》経過
◎2021年4月7日 文書開示の求め(その後、2度の延期)
◎2021年6月14日 第1次提訴 (原告104名・被告2名)
・被告NHKに対する文書開示請求
開示対象は2グループの文書だが、
その主たるものは、下記経営委員会議事録の未公開部分
「第1315回経営委員会議事録」(2018年10月 9日開催)
「第1316回経営委員会議事録」(2018年10月23日開催)上田会長厳重注意
「第1317回経営委員会議事録」(2018年11月13日開催)
・被告両名に対する損害賠償請求(慰謝料・弁護士費用、原告一人2万円)
◎同年 7月9日 NHK「3会議の議事録・粗起こしの草案」(「議事録の原告らに開示
(◎同年 9月16日 第2次提訴 (原告10名・被告2名)1次訴訟に併合)
☆同年 9月15日 被告NHK答弁書(現時点では対象文書は全て開示済み)
★同年 9月21日 被告森下答弁書(不法行為はない、請求棄却を求める)
◇同年 9月23日 原告 被告NHKに対する求釈明
◇同年 9月24日 原告 甲1の1?4 NHK開示文書提出
◎同年 9月28日 第1回口頭弁論期日
(西川さん・長井さん・醍醐さんの原告3名と代理人1名の意見陳述)
☆同年 12月 3日 被告NHK準備書面(1)「現時点で、所定の議事録作成手続は完了しておらず、放送法41条の定める議事録とはなっていない」
★同年 12月 3日 被告森下 準備書面(1) 「本件各文書はいずれも開示済」と言いながら、「粗起しのもので、適式の議事録でない」ことを自認している。
★同日 被告森下丙1?32号証 提出
◇2022年1月12日 原告第1書面(被告森下の求釈明に対する回答)提出
☆同年 1月17日 被告NHK 乙1(放送法逐条解説・29条部分)提出
◎同年 1月19日 第2回口頭弁論期日
★同年 2月28日 被告森下 準備書面(2)
◇同年 3月 2日 原告第2準備書面
◇同年 4月 7日 原告第3準備書面
☆同年 4月22日 被告NHK 準備書面(2)
★同年 4月22日 被告森下 準備書面(3)
◎同年 4月27日 第3回口頭弁論期日
◇同年 4月28日 原告第4準備書面(求釈明)
★同年 6月14日 被告森下 準備書面(4) (電磁記録は消去済みである)
◇同年 7月 1日 原告第5準備書面(求釈明)
◎同年 7月14日 進行協議
★同年 8月22日 被告森下準備書面(5) (求釈明に対する回答)
◇同年 8月30日 原告第6準備書面
◎同年 9月 6日 第4回口頭弁論期日(予定)
(2022年9月3日)
毎日新聞に毎月一回の大型コラム「時の在りか」。ベテラン政治記者伊藤智永の健筆で、知らないことを教えてくれる。本日は、「石橋湛山は国葬に反対した」。石橋湛山の山県有朋国葬反対を評価する立場からの、「安倍国葬」論である。さすがに読ませる。が、途中の違和感ある一文ですっかり白けた。
「明治の元勲、山県有朋が83歳で病没したのは1922(大正11)年2月。時に37歳の雑誌「東洋経済新報」記者、石橋湛山(後の首相)は「死もまた社会奉仕」とコラムに書いた。」
石橋湛山よくぞここまで書いたもの、また東洋経済よくぞこの記事を掲載したものと感嘆せざるを得ない。今、安倍晋三の死を「社会奉仕」「政治浄化への貢献」と、公然と論じるメディアは見当たらない。大正デモクラシー侮るべからずである。
「山県の国葬予算に議員2人が反対したのも変化の表れだった。湛山は…親の葬式さえ出せない貧民が多いのに、彼らも納めた間接税で山県の葬式を行うのかという批判に賛成する。反対演説中、衆院議長は「他人の身上を論議するな」と制した。湛山は問う。国葬にすることがすでに山県への評価である以上、議長の整理は自己矛盾だ。それこそ国葬なるものの不自然さを示すものに他ならない、と。」
「(山県)国葬当日は雨上がりで寒かった。1万人収容の仮小屋に数百人しか参列せず、議員数人の他は軍人と官僚ばかり。たまたま1カ月前、同じ東京・日比谷公園で行われた政敵、大隈重信の国民葬に30万人が詰めかけ、沿道に100万人が並んだ盛況との明暗を、毎日新聞の前身・東京日日新聞は『大隈侯は国民葬 きのうは<民>抜きの<国葬>で 中はガランドウの寂しさ」と伝えた。」
このあたりは、面白い。伊藤自身の国葬に対する姿勢は、以下のようにまとめられている。
「1883年の岩倉具視以下、戦前・戦中を通じて皇族・華族・元勲・軍人ら21人の国葬が行われ、大正末に国葬令も制定されたが、敗戦で失効。あくまで天皇主権国家の恩賜であり、国民主権の世では役割を終えた儀式だ。必要なら国民主体の新しい形で、趣旨や対象や条件を法制化するのが筋である。
1967年、佐藤栄作首相(当時)が吉田茂元首相の葬儀を法的根拠なく閣議決定で「国葬」にしたのは、戦後も「臣茂」を公言した政治の師に対する弟子の恩返しだったらしいが、その後は例がない。やっぱり無理があったのだ。」
ところが、唐突に、「そもそも天皇ご一家以外の国葬って何だ。」という一文に出くわし、ギョッとし、興醒めし、このコラム全体が色褪せてしまった。伊藤智永はよくもまあこんな文章を書いたものだし、毎日新聞はよくもまあこんな記事を掲載したものと嘆息せざるを得ない。戦後民主主義とは、「表現の自由」の現状とは、こんな程度のものなのだろうか。
伊藤は「天皇ご一家」と書き慣れてるのだろうか。伊藤の筆はこのような表現に抵抗感はないのだろうか。「そもそも天皇ご一家以外の国葬って何だ」という言葉の響きには、「天皇ご一家の国葬ならあって当然」「天皇ご一家の国葬なら、全国民が弔意を表明しても当然」という立場を感じさせる。とうてい、自覚的主権者の文章ではない。
天皇や皇族の葬儀なら国葬も当然、国民に弔意を要請しても(強制できるはずのないことは自明)不自然ではないなどと言ってはならない。それは主権者の言葉ではなく、自尊の矜持を捨て去った奴隷の言葉なのだから。権威主義的な政治支配には、このような奴隷の言葉を受容する被治者が必要でなのだ。安倍国葬も天皇の国葬も、主権者として、人権主体として原理的に拒否しなければならない。
ところで、「週刊金曜日」(9月2日号)《編集委員から》欄の想田和弘コメントに、目が行った。
「『ツィッターで、安倍氏国葬で黙祷を強制されたら、黙祷の時間どうしますか? 大喜利よろしく』と呼びかけた。すると、『壺を割る』だの『黙々と仕事』だの多数のアイデアが寄せられたが、最も多かったのは『赤木俊夫氏の冥福を祈る』という趣旨のものだった。あなたなら?」
なるほど。安倍晋三の冥福を祈るよう命じられての黙祷で、実は安倍のために命を奪われたに等しい赤木俊夫さんの冥福を祈ろう、という提案。これぞ、究極の面従腹背。その立場如何にかかわらず、自尊の矜持を護る方法はあるものなのだ。
(2022年9月2日)
「鳥のまさに死なんとするや、その鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言うや善し」という。名言の一つだろう。人の引き際の言葉は、真実を語るものという意味だが、引き際にならなければ語りにくい真実もある、ということにもなる。
私は何度か、定年間際の裁判官から思い切ったよい判決をもらった経験がある。裁判官が有形無形の圧力に抗してその良心を貫くのは、なかなかの難事なのだ。そしてこのことは、どうやら日本の裁判官に限った特別の事情ということでもなさそうだ。
国連人権高等弁務官バチェレの5年の任期が一昨日8月31日までのことであった。正確にはその任期切れは、ジュネーブ現地時間深夜12時。その10数分前に、バチェレは中国の新疆ウイグル自治区における人権侵害疑惑に関する報告書を公表した。中国の有形の圧力に抗してのこと。事態は、幾重にも深刻といわねばならない。
バチェレは今年5月23?28日に訪中し、滞在中に新疆の刑務所や職業技能教育訓練センターだった施設を視察し、任期中に報告書を発表する方針を示していた。その言は、かろうじて守られた。
報告書は46ページ。中国政府の公式文書や統計、それに衛生画像やウイグル族・カザフ族らの男女40人へのインタビューなどを元に作られているとのこと。
同報告書は、中国政府がテロ対策や「過激派」対策として、新疆ウイグル自治区で深刻な人権侵害を行っていると指摘した。中国政府には「恣意的に自由を奪われた人は直ちに釈放されるべきだ」「深刻な人権侵害の継続、または再発を防止するために迅速な対応が必要」として、13項目にわたる勧告がなされている。
翌9月1日、国連のグテレス事務総長の報道官は定例記者会見で、この国連人権高等弁務官事務所の報告書で示された勧告を「中国政府が受け入れるよう事務総長は強く望んでいる」と明らかにしている。
報告書は、多数のウイグル族らを収容した同自治区の「職業技能教育訓練センター」について、「(収容経験者への調査の結果)自由に退所できたり、一時帰宅できた人は一人もいなかった」と指摘した。ウイグル族らは「恣意(しい)的かつ差別的に拘束されている」とした上で、同センターへの収容は「自由の?奪だ」と批判。「人道に対する罪に相当する可能性がある」との見解を示した。
報告書では、収容を経験した人たちのインタビューが紹介されている。2ヶ月から2年間に及ぶ期間の間、施設から出ることを禁じられたほか、手足を椅子に縛りつけられて通電した警棒で殴られたり顔に水をかけられながら尋問されたりしたという。さらに共産党を賛美する歌を「毎日、できるだけ大きな声で、顔が真っ赤になり血管が浮き出るまで」歌うよう強要されたという証言もあった。
レイプを含む性的暴行があったと話す人もいた。何が起きたかの説明もないままに集団の前で「婦人科検診」が実施され、「年配の女性は恥じ、若い女子は泣いた」こともあったという。
これに対する中国の反応が凄まじい。「でっちあげ」と「内政干渉」が反発の柱である。中国の張軍・国連大使は「政治的な目的を持って作られた嘘だ。人権高等弁務官は西側諸国の政治圧力に屈するべきではない」などと述べている。
中国外務省の汪文斌副報道局長は1日の定例記者会見で「報告は偽情報のごった煮であり、違法かつ無効だ。OHCHRが一部の国外反中勢力の政治陰謀に基づいてずさんな報告をまとめたことは、改めてOHCHRが発展途上国を圧迫し、虐げる米国や西側勢力の共犯者となっていることを示す」と批判。報告書について「60カ国以上の国家が公表に反対した」と指摘し、「不法で無効」「海外の一部反中勢力の政治的なたくらみに基づくでっち上げの報告」「国連を代表するものではない」と主張した。国連側も、約40カ国から公表に反対する書簡を受け取ったとしている。
なお、中国では同日、報告書について報じたNHK海外放送のニュース番組の放映が中断されたと報じられている。中国メディアはこの件について報道を行っておらず、国内では報告自体を抹殺する構えだという。
中国が人権侵害の指摘に反発することは興味深い、やはり恥ずべきこととは思っているわけだ。だから、反論は「事実無根のデッチ上げ」だということになる。ならば、事実を全て公開すればよいではないか。あの天皇制帝国も、リットン調査団の調査を妨害することはしなかった。バチェレ報告に疑義があるなら、再度の国連調査を積極的に受け入れるべきだろう。
そして、お決まりの「内政干渉批判」だ。国連加盟国である中国が、国連の人権活動に内政干渉というのは恥ずべき発言である。そもそも、人権とは国境を越えた普遍性に支えられた法的価値である。むしろ、国家と対峙し、常に国家による侵害に瀕している。その人権侵害国家が、人権擁護を使命とする国際機関に、介入するなという図式は克服されなければならない。
国際法上は、1993年国連世界人権会議における「ウィーン宣言」が人権の普遍性を確認している。中国の国連に対する「内政干渉批判」は、臆面もなく人権後進国であることを曝け出しているに等しい。中国が世界から、大国にふさわしい敬意を求めたいとするなら、自国民への人権侵害は根絶しなければならない。少なくとも、「内政干渉批判」をあらため、他国のジャーナリストの取材も自由にさせるべきであろう。
(2022年9月1日)
9月1日、私が名付けた「国恥の日」である。1923年9月1日発生の大震災にともなう混乱の中で、軍と警察に煽動された関東一円の民衆が朝鮮人と中国人を集団虐殺した。侵略戦争と並ぶ日本近代史の汚点であり、国恥というほかはない。
しかもこの国は以後99年間、この痛ましい被害とおぞましい加害の実態を検証しようとしてこなかった。この態度も国恥である。そして今、被害者たちを追悼する心ある人びとの営みに、敢えて水を差そうというのがこの国の首都の知事・小池百合子なのだ。首都の選挙民は、いまだにこんな人物を選任している。このことこそが本当の国恥なのかも知れない。
以上のことは、ぜひ下記の過去ログをご参照いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=17481
https://article9.jp/wordpress/?p=11012
さて、もう一つの国恥である。政府は9月27日に安倍国葬を強行するという。私は国葬そのものに反対だが、今回の国葬に反対の理由として分かり易いのは「統一教会ベッタリ」で「統一教会広告塔」である安倍の国葬だからである。「ウソつき晋三」の国葬でもある。こんな人物を国葬とは、これこそ国恥ではないか。
安倍晋三とは、反共という政治信条で統一教会とベッタリ結びついた恥ずべき政治家である。統一教会信者票をとりまとめこれを動かしていた男。統一教会や勝共連合の幹部とズブズブの関係にあった政治家。実は、こんな輩の長期政権を許していたこの国の民主主義の実態こそが真の恥である。
それにしても、不可思議なのは岸田文雄という人物の頭の中。昨日の記者会見で「統一教会との絶縁宣言」をしたはず。「関係を断つことを党の基本方針とする」とまで言った。にもかかわらず、 「統一教会ベッタリ晋三」の国葬は強行するというのだ。恥ずかしくないのかね。
この国恥、いや安倍国葬の企画については内閣府のホームページで概略を把握できる。URLは以下のとおり。注目しなければならない。
https://www.cao.go.jp/kokusougi/kkusougi.html
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故安倍晋三の葬儀の執行について
令和4年7月22日
閣 議 決 定
1 葬儀は、国において行い、故安倍晋三国葬儀と称する。
2 葬儀に関する事務をつかさどらせるため、葬儀委員長、同副委員長及び同委員を置く。
葬儀委員長は内閣総理大臣とし、同副委員長及び同委員は内閣総理大臣が委嘱する。
3 葬儀は、令和4年9月27日(火)、日本武道館において行う。
4 葬儀のため必要な経費は、国費で支弁する
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故安倍晋三元総理の葬儀について
1.葬儀の主催者 国
2.葬儀の名称 故安倍晋三国葬儀
3.葬儀の日程 令和4年9月27日(火)
4.葬儀の場所 日本武道館
5.葬儀委員長 内閣総理大臣
6.葬儀形式 無宗教形式
7.葬儀の費用 国費
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「故安倍晋三国葬儀」実施概要
令和4年8月 31 日
故安倍晋三国葬儀
葬儀実行幹事会決定
1.日時・場所
・令和4年9月27日(火)午後2時開式
・日本武道館
2.参列者
・現・元三権の長、現・元国会議員、海外の要人、立法・行政・司法関係者、地方公共団体代表、各界代表 等
・最大で約6000人程度
・案内状については9月初から順次発送する。
3.一般献花
・9月27日午前10時から午後4時までの間、日本武道館外に設ける献花台において、一般献花を実施する。
・献花用の花は各自で用意いただく。
4.葬儀当日の会場周辺の立ち入り制限
・国葬儀当日は、日本武道館周辺について参列者以外の立ち入りを制限する
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故安倍晋三国葬儀の当日における弔意表明について
令和4年8月 31 日
葬 儀 委 員 長 決 定
故安倍晋三国葬儀の当日には、哀悼の意を表するため、各府省においては、弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の一定時刻に黙とうすることとする。