澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「10・23通達」から10年 関連訴訟の概要

「10・23通達から10年 『日の丸・君が代』強制反対」集会にお集まりの皆様。この10年の訴訟の経過の概要をお話しいたします。最初に、私たちは何を目指してどんな取り組みをしたのか。次いで、何を獲得したのか。また、獲得したものをどう活かすべきか。そして最後に、獲得し得ていないものを確認しその獲得のためにどうすべきか。その順に進めたいと思います。

私たちは、「10・23通達」を憲法の理念を蹂躙し教育を破壊するものとして、その撤回を求めてともに闘ってきました。その闘いの場は、大きくは四つあったと思います。なによりもまず、学校現場でのシビアな闘いがありました。胃の痛くなるような現場の最前線で信念を貫き通した方、現場で運動を支えてきた方に心からの敬意を表します。そして、学校を取り巻く社会という場での運動が続けられてきました。どれだけ、この問題の不当性と重要性を世論に訴えることができるか。メディアを味方に付け、運動の輪にどれだけの人の参加を得ることができるか。ここが勝敗を決める重要な闘いの場だと思います。そして、三つ目の闘いの場として訴訟があります。法廷での闘いです。さらに、四つ目として、個別の法廷闘争とは別に、裁判所・裁判官を、人権擁護の府にふさわしい存在に変えていくという闘いの場があります。裁判所を、真に憲法が想定している、人権や民主々義や平和という憲法価値を実現する機関とする、司法の改革が必要なことを是非ご認識ください。

そのような闘いの場の一つとしての裁判という場で、私たちは運動としての訴訟に取り組んできました。訴訟は、必然的に憲法の理念を現実化するための憲法訴訟となり、教育の理念を活かすための教育訴訟となりました。訴訟は単独の原告でも起こせるわけですが、憲法訴訟や教育訴訟は集団訴訟であることが望ましい。法廷の中では、多くの原告の集団の力が裁判所を動かします。多数の原告の訴えは、けっして例外的な特異な教員が問題を起こしているのではなく、教育行政の側にこそ問題があることを明らかにします。集団訴訟は、社会的アピールの力量としても有利にはたらきます。また、私たちは、訴訟を言いたいことを言う場としてでなく、裁判所を説得するために有効な法廷活動をする場と位置づけてきました。このような訴訟の過程を通じて、多くのことを学びあい、励ましあい、私たち自身の正しさに確信を得たのだと思います。

そのような位置づけで、予防訴訟や、処分取消訴訟、再雇用関係訴訟、再発防止研修関係訴訟等、多くの訴訟を闘ってきました。その訴訟における主張の主要な根拠の一つが、精神的自由の根底的な規定としての「思想良心の自由」であり、もうひとつが「教育の自由」です。前者が、教員自身の憲法上の権利侵害の問題で、後者が生徒の教育を受ける権利を全うすることと対をなす教育行政への教育への不当な支配の禁止違反という問題となります。これまでこの二つの憲法論を「車の両輪」と位置づけてきましたが、間違いではなかったものと思います。この憲法論としての両輪の外に、処分取消訴訟においては、懲戒権の濫用の成否が大きな法律的な争点となりました。

その一連の訴訟が、今、一通り最高裁の判決言い渡しを受けた段階となり、ほぼ最高裁の判断の模様が見えてきています。一定の成果とともに、勝ち取れていないものも明らかになってきました。これを整理して、勝ち取ったもの、勝ち取れていないものを確認して、今後の闘いを再構築しなければならないと思います。

最高裁判断の全体象は次のように描くことができます。
(1) 憲法19条論における間接制約論の枠組みでの合憲判断
(2) 懲戒権の逸脱濫用論において減給以上の処分は原則違法の判断
(3) 裁判官多数が補足意見として都教委の強権的姿勢を批判
(4) その余の論点には触れようとしない頑なな姿勢

10・23通達にもとづく一連の「日の丸・君が代」強制を、思想良心の自由を保障した憲法19条に違反しないとした最高裁判決の「論理」は次のようなものです。
(1)起立・斉唱・伴奏という「強制された外部行為」と、そのような行為はできないとする「内心における思想良心」との両者の関係は、行為者の主観においては関連しているものと認められても、一般的・客観的に両者が密接不可分とは言えない。従って、起立・斉唱・伴奏の強制が直ちに思想良心を侵害するとは言えない。
(2)もっとも、外部行為の強制が間接的には被強制者の思想良心を制約するものであることは認められる。しかし、間接制約の場合には厳格な合違憲審査の基準を適用する必要はなく、「公権力によるその規制が必要かつ合理的であるか否か」という緩い基準による判断でよい。本件職務命令は「必要かつ合理的」という緩い基準には適合しており合憲である。

以上のとおり、(1)では「直接制約」を否定し、(2) では制約はあるが「間接制約に過ぎない」として、本来厳格であるべき審査基準を緩い(ハードルの低い)ものとして違憲とは言えないという枠組みです。予め合憲とした結論を引き出すために論理操作のフリをしているだけで、ピアノ判決との辻褄合わせの不自然な論理構成となったものにほかなりません。

懲戒処分の逸脱・濫用論については、懲戒処分対象行為が内心の思想良心の表明という動機から行われたこと、行為態様が消極的で式の進行の妨害となっていないことなどが重視されています。この点は、憲法論において間接的にもせよ思想良心の制約の存在を認めさせるところまで押し込んだことが、憲法論の土俵では勝てなかったものの懲戒権の濫用の場面で効果を発揮したものと考えています。

さて、これまでに獲得したものを整理してみれば、私たちは下級審段階で、「予防訴訟」一審の難波孝一判決(「日の丸・君が代強制は違憲」という全面勝訴)を獲得し、さらに「1次訴訟」の控訴審大橋寛明判決(戒告を含む全原告の懲戒は処分権濫用として違法)を獲得しました。最高裁法廷意見では維持されなかったものの、これらの判決の存在の意義はけっして小さいものではありません。

最高裁は、昨年の「東京君が代裁判」一次訴訟における「1・16判決」以来、減給以上の懲戒処分は過酷として原則違法としています。既に、25人(30件)の処分が現実に違法と宣告され取り消され、確定しています。国家賠償責任を認めた判決さえあります。

このことによって、私どもが「思想転向強要システム」と呼んだ、機械的な累積加重の処分基準が維持できなくなっていることの実践的な意義は極めて大きいというべきです。なお、この基準は当然に大阪その他全国の処分にも適用されることになります。

また、これまで2人の最高裁裁判官の反対意見があります。ほぼ全面的に、私たちの見解を支持する最高裁裁判官の存在は、これからの展望を見据える上での希望としての大きな意味があります。さらに、都教委批判の強権的姿勢をたしなめる多くの裁判官の補足意見もあります。けっして、最高裁は都教委の立ち場を支持するものではありません。

いま、以上の獲得成果を徹底して活用する運動が必要だと思います。「都教委の『日の丸・君が代』強制は大いに問題だ。少なくとも減給以上の処分については、最高裁も違法として断罪した」「最も軽い戒告については違法とまではしなかったが、多数の裁判官が『望ましいことではない』と意見を述べている」のです。都教委に、自らの過ちを認めさせ、謝罪と責任者の処分と、再発防止策とを求めなければなりません。

もっとも、違憲判断は獲得できていません。後続訴訟で違憲判決を勝ち取るまで、運動も訴訟も続くことになります。では、違憲判決を勝ち取るための挑戦は、いかに行われることになるでしょうか。

ひとつには正面突破作戦があります。最高裁の「論理」の構造そのものを徹底して弾劾し、真正面から判例の変更を求めるという方法です。裁判所の説得方法は、「これまでの大法廷判例に違反しているではないか」「憲法学界の通説に照らして間違っている」「日本国憲法の母法である米憲法を解釈している連邦最高裁の判例と著しい齟齬がある」などとなるでしょう。

正面突破ではない迂回作戦も考えられます。そのひとつが、最高裁の判断枠組みをそのままに、実質的に換骨奪胎する試みです。政教分離訴訟において、最高裁は厳格な分離説を排斥して、緩やかな分離でよいとする論理的道具として津地鎮祭訴訟で日本型目的効果基準を発明しました(1977年)。しかし、この目的効果基準を厳格に使うべきとするいくつもの訴訟の弁護団の試みが、愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年)に結実して、歴史的な違憲判決に至っています。この間20年。本件でも、間接制約論の枠組みをそのままにしながら、「間接と言えども思想良心の侵害は軽視しえない」「本件の場合、処分の必要性も合理性もない」との論理と立証を追求しなければなりません。

また、もう一つの迂回作戦が考えられます。最高裁がまだ判断していない論点に新たな判断を求めることで結論を覆すことです。具体的なテーマとしては、「主権者である国民に対して、国家象徴である国旗・国歌への敬意を表明せよと強制することは、立憲主義の大原則に違反して許容されない」「憲法20条違反(信仰の自由侵害)の主張」「憲法26・13条・23条を根拠とする『教育の自由』侵害の主張」「子どもの権利条約や国際人権規約(自由権規約)違反の主張」などがあります。

法廷内の主張、教育現場の運動、社会への世論喚起、そして憲法に忠実な裁判所を実現するという意味での司法改革。そのいずれもが、私たちの課題となっていると思います。現場での闘いが継続する限り、弁護団もこれを支えて闘い続ける覚悟です。
(2013年10月19日)

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Published in 土曜日, 10月 19th, 2013, at 23:47, and filed under 未分類.

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