最高裁を国民からの批判禁制の聖域にしてはならない。
(2021年5月4日)
憲法記念日にちなんで、朝日新聞が興味ある世論調査を行った。最高裁判例に納得できるか否かを問うものである。端的に言えば、最高最判例批判の世論を問うている。「最高裁はこれでいいのか」を主権者国民に問いかけているのだ。
寡聞にして、私はこのような問題意識をもった世論調査の前例を知らない。なんとなく世の空気には、最高裁批判を憚るところがあるのではないだろうか。あるいは、最高裁批判を許せばこの世の秩序が治まらないという遠慮がある。そんな思いを拭えない。
しかし主権者国民が、立法・行政に意見を述べるだけではなく、大いに司法にも批判があってしかるべきなのだ。国民からの厳しい批判あってこそ、最高裁も姿勢を正す。判例も進歩する。最高裁を批判禁制の聖域にしてはならない。
最高裁判例の批判に、研究者だの、法律家だのという資格は不要である。何よりも、最高裁の判例で救済を拒否される市井の人々が声を挙げねばならない。もとより、朝日の世論調査にそのようなコメントはないが、明らかにそう呼びかけるものと理解すべきであろう。朝日の見識に敬意を表したい。
**************************************************************************
朝日新聞社の全国世論調査(郵送)は、憲法を巡って最高裁判所で議論された五つの事柄について、最高裁の結論を納得できるか否かを4択で聞いている。調査対象者は3000、有効回答者は2175(回収率73%)という堂々の規模である。その結果は以下のとおり。
(1) 「公立校の式典で起立して君が代を歌わなかった教師を教育委員会が処分してよい」
「あまり」と「まったく」を合わせた「納得できない」は65%
(2) 「テレビを設置している人はNHKの受信料を支払わなければならない」
「あまり」と「まったく」を合わせた「納得できない」は64%
(3) 「日本に住んで納税の義務を果たしている外国人に地方選挙の投票権は与えられていない」
「あまり」と「まったく」を合わせた「納得できない」は63%
(4) 「衆議院選挙の一票の価値が都会では地方の2分の1程度でも憲法違反ではない」
「あまり」と「まったく」を合わせた「納得できない」は50%
(5) 「結婚した夫婦が同じ名字を名乗ることは当然だ」
「大いに」と「ある程度」を合わせた「納得できる」が56%
もちろん、私は、上記(1) に最大の関心をもつ立場にある。4択の内容は、以下のとおりである。
(1) 「公立校の式典で起立して君が代を歌わなかった教師を教育委員会が処分してよい」
「大いに納得できる」 10%
「ある程度納得できる」 21% (納得できる計31%)
「あまり納得できない」 35%
「まったく納得できない」 30% (納得できない計65%)
この結果、実は私にとってやや意外である。私は、漠然とであるが、「納得できる派」がもっと多いという印象をもっていた。「公務員である以上は、不服でも職務命令に従え」「教師が率先垂範して国に反抗してはならない」「日本人なら、日の丸・君が代に敬意を表明するのが当然」「教師が、子供の門出の式を自分の思想宣伝の場にするのか」「大人の常識を弁えよ」…等々の俗論と対峙している内に、世の中の多数が都教委の方針支持のように誤解してしまったのだ。
しかし、視点を変えれば、今や世は多様性の時代ではないか。どこまで本気かは分からぬながらも、堅固な保守派の東京都知事までが「ダイバーシティ」なんて、カタカナ語を口にしている。個性の尊重こそ大切なのだ、性別や人種・民族・宗教、LBGTにも寛容が叫ばれる時代。ならば、自分が自分であるための根底にある思想の多様性の尊重も世の潮流となり、それが調査結果に表れているのではないのか。
もちろん、思想・良心の自由の保障は、世論の如何にかかわらない。むしろ、少数者の思想や良心こそが擁護されねばならない。それこそが、最高裁の任務である。その任務に違背して、学校行事における教師への日の丸・君が代強制を合憲とする最高裁の判断に、これだけの世論が納得できないとしているのだ。最高裁よ、ぜひとも考え直していただきたい。