澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ロシア対ウクライナ 戦争の終わらせ方は?

(2022年6月20日)
 「ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まってから、もうすぐ4か月。この間、毎日のニュースに胸が痛むね」

 「そのとおりだ。戦死者の報道も建物が壊されているのも見るに忍びない」

 「早く戦争が終わるといいね」

 「それはそのとおりだが、戦争が終わりさえすればよいというものでもないんじゃない。終わり方や終わらせ方が問題だよね」

 「えっ? どういう意味?」

 「戦争を仕掛けたのはプーチンのロシアだ。明らかな侵略行為で、国連憲章違反だ。このロシアの責任をうやむやにしたままで、戦争が終わりさえすればよいということにはならないと思う。ロシアの責任を明確にして、現状を侵略行為のない状態にまで回復しなければ正義を貫くことができない。再発も防止できない」

 「そりゃあ、ウクライナが侵略者を打ち負かして、あなたが言うような戦争の終わり方ができればそれに越したことはない。でもね、なかなかそうはならない。いまの戦況では、戦争は長引きそうよね。戦争が長引けば、毎日毎時、多くの人の命が失われることになる」

 「既に多くのウクライナ人の血が流されている。その犠牲はいったい何だったのかということになる。この犠牲を無駄にしないめにも、安易な休戦の妥協は許されない」

 「それを言うなら、ロシア国内の論理も同じ。成果のないままの戦争終了は、ロシアの兵の流した血を無駄にすることになる、と言うに決まっている」

 「その、どっちもどっちと言う理屈が、我慢できない。侵略した側とされた側を同列に置いてどうするの」

 「問題への解答は、結局のところ戦況の現実が決めざるを得ない。今、戦況はロシアに優勢と報じられているし、少なくともこのままでは長引くことは避けられないでしょ」

 「いや、ウクライナが持ちこたえれば、アメリカやNATOの武器援助が間に合うことになる。ロシアに対する経済制裁も次第に利いてくる。そうすれば、ウクライナに勝機があるとボクは思う。侵略戦争にいやいや駆り出されたロシア軍と、自分の国土を守ろうというウクライナ軍とでは、士気がまるで違うはずだから」

 「仮にそうなるとしても、それまでには多くのロシア軍兵士が死ななければならない。多くは、不本意に戦場に引っ張られた若者たち。その悲惨な死には、やっぱり胸が痛む」

 「ボクは、侵略された側のウクライナの民間人や兵の死には胸が痛むけれど、侵略に加担したロシア兵士には同情したくない。彼らが、占領地で行った非道な行為は許せない」

 「あなたは過剰なナショナリズムに毒されているようね。国対国、国民対国民という対立図式だけが頭の中に際立っていて、その枠をはずれた、国家対国民の関係での見方はなく、個別の人間は視野にない。国際的な両国民の平和的連帯を追求する視点なんてまったくないのね」

 「現実に砲弾が飛び交っている戦争を語っているのに、なんというリアリティに欠けことを言うんだい。侵略国ロシアの責任は、一人プーチンにだけあるわけじゃない。プーチン独裁を許したロシア国民全体が責任を負わねばならない。戦前の天皇制国家の侵略の責任が、一人天皇にだけあるのではなく、天皇制を支えた国民全体の責任だったように」

 「その論法は、プーチンや天皇というトップの責任を免罪する常套手段ね。一人ひとりの国民の多くは戦争の被害者なのよ。ロシアの兵士の命だってかけがえのないものでしょう」

 「戦争のさなかでは、そんな甘いことを言ってはおられない。ロシア軍兵士の死を歓迎するとまでは言わないが、やむを得ないと割り切らざるを得ない」

 「あなたが、そんな冷酷な人間だとは知らなかった」

 「ボクも、あなたがそんな夢想家だとは思ってもいなかった」
 

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